九州大学学術情報リポジトリ
Kyushu University Institutional Repository
『宋元学案』の総合的研究
連, 凡
Graduate School of Humanities, Department of Philosophy, Kyushu University
https://doi.org/10.15017/26402
出版情報:Kyushu University, 2012, 博士(文学), 課程博士 バージョン:
権利関係:
九州大学博士学位論文
『宋元学案』の総合的研究
氏 名 連 凡 学生 番号 3LT10003N 学府 専攻 人文科学府 人文基礎専攻 専 修 中国哲学史専修 指導 教員 柴田 篤 教授
二〇一三 年 一 月
論 文 要 旨
本論文は、中国清代浙東学派の代表者である黄宗羲・黄百家・全祖望・王梓材・馮雲 濠ら多くの編者によって完成された百巻本の宋元儒学思想史である『宋元学案』の文献 的価値・思想史観・哲学解釈と評価などについて総合的に解明したものである。『宋元学 案』は宋・元二代の儒学思想を体系化し、基本材料・評価基準・思惟方式を提示したも ので、この領域を研究するための第一の参考書と言うことができるが、前後三段階、百 五十年以上にもわたる編纂によって成立しているため、哲学史・思想史・文献資料集の 性質を持つ上に、その内容の構成はたいへん複雑なので、現在まで学術界ではその内容 に関する総合的な研究はなされてこなかった。本論文はこの研究上の空白を埋めようと するものである。
本論文は序論と本論と結論、並びに附録によって構成される。序論では先行研究を整 理分析し、本研究の目的・意義と方法・構成について説明した。本論は八章から成る。
第一章「『宋元学案』の内容構成とその学術的意味」では、主に『宋元学案』の内容構成
(学案・序録・学案表・小伝・思想資料・附録・案語と附録文章)を取り上げ、学案の 設立とその学術的意味、序録における宋元思想史の発展脈絡とその要旨、学案表と学者 の相互関係、小伝の構成と各地域における学術的源流、思想資料と附録の編纂上の特色・
得失、編纂者の案語とその学術的意味の六つの面から、編纂の規則とその学術的意味、
及び編纂者の思想史観の異同と思想的立場を詳しく検討した。また、各地域における学 者の人数と学案上の分布に関して統計を行い、その学術分布と源流を明らかにした。
本論の第二章から第八章までは学案の順序・師伝・宗旨・地域などの要素を合わせて 考えて、『宋元学案』における思想史の構造及び学派発展の脈絡を詳しく検討した上で、
思想資料とその原典及び編纂者の案語を分析し、『宋元学案』における主な学派と学者の 哲学思想の構造・特質・論点及び編纂者の思想的立場を明らかにした。
第二章「宋学の創立と学派の形成」では、主に巻一「安定学案」から巻八「涑水学案」
下までの内容を取り上げ、歴史上における「道学伝」・「儒林伝」・「文苑伝」の分合、道 統論と宋初三先生(胡瑗・孫復・石介)の思想史的地位、及び黄宗羲・全祖望の思想史 観の異同などを明らかにした上で、宋学の先駆者の思想と各地域における学派の形成に ついて検討した。
第三章「北宋五子と道学の確立」では、主に巻九「百源学案」上から巻十八「横渠学 案」下までの内容を取り上げ、宋代道学の創始者「北宋五子」(周敦頤・程顥・程頤・張 載・邵雍)の思想に対する解釈と評価を検討すると同時に、蕺山学派の創始者である劉 宗周の思想及び編纂者である黄宗羲・黄百家らの思想的立場を明らかにした。
第四章「両宋の間における道学の伝承」では、主に巻二十四「上蔡学案」から巻四十 七「艾軒学案」までの内容を取り上げ、「二程子の直弟子」、「二程子の私淑の弟子」、「二 程子の孫弟子」に分けて、北宋後期から南宋初期までの過渡期における洛学の伝承(道 南学派と湖湘学派など)と思想を検討した。
第五章「南宋儒学の隆盛と論争」では、主に巻四十八「晦翁学案上」から巻六十「説 斎学案」までの内容を取り上げ、朱熹と陸九淵を中心として、「東南三賢」(朱熹・張栻・
呂祖謙)と浙東学派及び陸学の思想に対する解釈と評価と哲学論争(朱陸異同)を詳し く検討した。
第六章「朱陸の後学と思想界の再構築」では、主に巻六十三「勉斎学案」から巻八十
九「介軒学案」までの内容を取り上げ、朱陸の弟子・後学の思想と評価を検討した上で、
南宋中後期の思想界の分化と再構築について明らかにした。
第七章「元代の儒学と朱陸の合流」では、主に巻九十「魯斎学案」から巻九十四「師 山学案」までの内容を取り上げ、元代の北方朱学(許衡と劉因)・南方朱学(呉澄と鄭玉)・ 陸学(陳苑と趙偕)の思想と評価を検討した。
第八章「党禁と雑学」では、主に巻九十六「元祐党案」から巻一百「屏山鳴道集説略」
までの内容を取り上げ、両宋の治乱興亡と学派の興廃に関わる重大な政治事件「元祐党 禁」と「慶元党禁」の経緯とその影響、道学の反対者で雑学とされる新学と蜀学、及び 両派の余波とされる金朝儒学の評価について検討した。
結論では、『宋元学案』の内容構成とその学術的意味、思想史観及び地域学派の展開、
哲学思想の解釈と評価の三つの面から、本論文の論点をまとめて明らかにした。
最後に、本論文の論旨を助けるために、附録として、「『宋元学案』における学案と主 要人物一覧表」、「『宋元学案』各学案における各地域の人数一覧表」、「『宋元学案』にお ける編纂者の案語一覧表(人物単位)」など七つの図表を附録として正文の末尾に付して いる。
以上、本論文は『宋元学案』における宋元儒学思想史の脈絡にしたがって、『宋元学案』
とその原典及び相関的著作をめぐって、理論解釈と統計分析、哲学思想の解釈と歴史文 献の分析など各方面の検討を結合することによって、『宋元学案』の内容とその学術的意 味と価値などに対する総合的な研究を行った。
キーワード、『宋元学案』 儒学思想史 清代浙東学派 黄宗羲 全祖望
『宋元学案』綜合研究 中 文 提 要
本文是対中国清代浙東学派的代表黄宗羲、黄百家、全祖望、王梓材、馮雲濠等多位 編者合力完成的百巻本宋元儒学思想史巨著『宋元学案』的文献価値、思想史観、哲学闡 釈与評価等多方面所做的綜合性闡釈研究。『宋元学案』将宋、元両代的儒学思想予以体系 化,并且提供了基本的資料、評価的標準和思考的方式,可以説是進行此一領域研究的首 要参考書。然而由于歴経前後三個階段一百五十年以上方才編纂完成的縁故,『宋元学案』
同時具有哲学史、思想史和文献資料集的性質,其内容構成非常復雑,因而到目前為止学 界対其内容尚未進行系統綜合性地研究。本文力図填補這一研究上的空白。
本文由序論、本論、結論以及附録四部分構成。序論部分整理分析了到目前為止的先 行研究成果,并就本文的研究目的、意義、方法以及章節構成進行了説明。本論部分由八 章組成。第一章「『宋元学案』的内容構成及其学術意義」中,主要以『宋元学案』的内容 構成(学案、序録、学案表、小伝、思想資料、附録、編者案語与所附文章)為対象,従 学案的設立及其学術意義、序録所体現的宋元思想史的発展脈絡及其内容要点、学案表与 学者的相互関系、小伝的構成与各地域的学術源流、思想資料与附録編纂上的特色及其得 失、編纂者的案語及其学術意義等六個方面,対編纂的規則及其学術意義、編纂者(黄宗 羲与全祖望)思想史観的異同与思想立場等進行了詳細地探討,還統計分析了『宋元学案』
中各地域的学者人数及其在学案上的分布,闡明了其学術上的分布与源流。
本論的第二章至第八章結合学案的順序、師承、宗旨与地域等因素,詳細討論了『宋 元学案』中思想史的構造及其学派的発展脈絡,進而通過対思想資料及其原典与編者案語 的分析,闡明了『宋元学案』中主要学派及学者的哲学思想的構造、特質、論点以及編者 的思想立場。
第二章「宋学的創立与学派的形成」中,主要以巻一「安定学案」至巻八「涑水学案」
下的内容為対象,闡明了歴史上「道学伝」、「儒林伝」、「文苑伝」的分合、道統論与宋初 三先生(胡瑗・孫復・石介)的思想史地位、以及黄宗羲与全祖望思想史観的異同,進而 探討了宋学先驅者的思想以及各地域学派的形成。
第三章「北宋五子与道学的確立」中,主要以巻九「百源学案」上至巻十八「横渠学 案」下的内容為対象,在対宋代道学的創立者「北宋五子」(周敦頤・程顥・程頤・張載・
邵雍)思想的闡釈及其評価進行了探討的同時,闡明了蕺山学派創始人劉宗周的思想及編 纂者黄宗羲・黄百家父子的思想立場。
第四章「両宋之間的道学伝承」中,主要以巻二十四「上蔡学案」至巻四十七「艾軒 学案」的内容為対象,分成「二程的直接弟子」、「二程的私淑弟子」、「二程的再伝弟子」
対北宋後期至南宋初期之過渡期間的洛学伝承(道南学派与湖湘学派等)及其思想進行了 探討。
第五章「南宋儒学的興盛与論争」中,主要以巻四十八「晦翁学案上」至巻六十「説 斎学案」的内容為対象,以朱熹和陸九淵為中心,対「東南三賢」(朱熹・張栻・呂祖謙)
与浙東学派及陸学思想的闡釈、評価与哲学論戦(朱陸異同)等進行了詳細地探討。
第六章「朱陸的後学与思想界的重組」中,主要以巻六十三「勉斎学案」至巻八十九
「介軒学案」的内容為対象,対朱陸的弟子・後学的思想及其評価進行了探討,進而闡明 了南宋中後期思想界的分化与重組。
第七章「元代儒学与朱陸合流」中,主要以巻九十「魯斎学案」至巻九十四「師山学 案」的内容為対象,対元代的北方朱学(許衡与劉因)、南方朱学(呉澄与鄭玉)和陸学(陳 苑与趙偕)的思想与評価進行了探討。
第八章「党禁与雑学」中,主要以巻九十六「元祐党案」至巻一百「屏山鳴道集説略」
的内容為対象,対関系到両宋的治乱興亡与学派盛衰的重大政治事件「元祐党禁」与「慶 元党禁」的経過与影響、作為道学的反対派而被視為雑学的新学与蜀学、以及作為両派之 余波的金朝儒学的評価進行了探討。
結論部分従『宋元学案』的内容構成及其学術意義、思想史観及地域学派的展開、哲 学思想的闡釈与評価三個方面帰納闡明了本文的主要論点。
最後為了輔助説明本文的論点,将「『宋元学案』中学案与主要人物一覧表」、「『宋元 学案』各学案中各地域的人数一覧表」、「『宋元学案』中編纂者案語一覧表」等七個図表作 為附録附于正文之末尾。
綜上所述,本文順著『宋元学案』中宋元儒学思想史的脈絡,圍繞著『宋元学案』及 其原典与相関著作,将理論解釈与統計分析、哲学思想的闡釈与歴史文献的分析等各方面 的探討結合起來,従而対『宋元学案』的内容及其学術意義与価値等進行了綜合地研究。
関鍵詞:『宋元学案』 儒学思想史 清代浙東学派 黄宗羲 全祖望
目次
序論 ... 1
第一節 『宋元学案』の成書と概要 ... 1
第二節 先行研究 ... 4
一 文献学の研究 ... 4
二 思想史の研究 ... 9
三 哲学解釈の研究 ... 11
第三節 本論文の研究目的 ... 14
第四節 本論文の研究方法 ... 16
第五節 本論文の構成 ... 19
本論 ... 23
第一章 『宋元学案』の内容構成とその学術的意味 ... 23
第一節 学案の設立とその学術的意味 ... 23
第二節 序録における宋元思想史の脈絡とその要旨 ... 32
第三節 学案表と学者の相互関係 ... 35
一 学者の相互関係とその学術的意味 ... 36
(一)相互関係の通例 ... 38
(二)相互関係の特例 ... 41
二 多重関係と互見法 ... 43
三 学者の身分・関係の統計とその学術的意味 ... 45
(一)学者の持つ身分と学術的淵源 ... 46
(二)学者にかかわる関係者と学術的影響 ... 48
第四節 小伝の構成と各地域における学術的源流 ... 50
一 小伝の構成と資料の出所 ... 50
二 各地域における学者分布と学術的源流 ... 53
(一)両浙路における学者の分布と学術的源流 ... 54
(二)福建路における学者の分布と学術的源流 ... 64
(三)江南西路と江南東路における学者の分布と学術的源流 ... 66
(四)成都府路における学者の分布と学術的源流 ... 68
(五)京東路と京西路における学者の分布と学術的源流... 70
(六)その他の路における学者の分布と学術の特色 ... 72
第五節 思想資料と附録の編纂上の特色 ... 74
一 思想資料の輯録・排列・校勘・不足 ... 74
二 附録の編纂上の特色 ... 80
第六節 編纂者の案語とその学術的意味 ... 82
一 案語の統計と分類 ... 83
二 案語の分布とその学術的意味 ... 84
三 黄百家の思想的立場―清代浙東学派の一人として ... 90
(一)理気論 ... 90
(二)人性論 ... 92
(三)道徳観 ... 96
(四)朱陸異同論 ... 98
小結 ... 100
第二章 宋学の創立と学派の形成 ... 101
第一節 「道学伝」の存廃と「宋初三先生」の思想史的地位 ... 102
一 朱子学の官学化と『宋史』「道学伝」の意味・影響 ... 102
二 『明史』の「道学伝」の存廃をめぐる議論と黄氏父子の思想的立場 .... 106
三 「宋初三先生」の思想史的地位と編纂者の思想史観の相違 ... 111
第二節 宋学の創始者―胡瑗・孫復とその弟子徐積・石介 ... 114
一 胡瑗―明体達用の学と教授法 ... 115
二 徐積―心性論とその評価 ... 117
三 孫復と石介―学術評価と道統論 ... 121
第三節 その他の宋学の先駆者 ... 126
一 范仲淹と欧陽修―思想史的地位と評価 ... 126
二 陳襄―誠明説と人材推薦 ... 128
三 士建中らの思想史的地位と各地域における学派の形成 ... 131
四 司馬光(附弟子劉安世・范祖禹・晁説之)―学問と評価... 133
小結 ... 138
第三章 北宋五子と道学の確立 ... 139
第一節 周敦頤思想の解釈と評価 ... 139
一 周敦頤の思想史的地位 ... 140
二 「太極図説」の解釈 ... 140
(一)太極説 ... 141
1.朱陸「無極太極の弁」の要点 ... 142
2.劉宗周の解釈と黄宗羲の立場 ... 143
3.太極説の検討 ... 144
(二)「主静」の工夫 ... 145
1.「主静」の意味 ... 146
2.「循理為静」説の検討 ... 146
三 『通書』の解釈 ... 147
(一)天道観―天人合一と四徳説 ... 148
(二)工夫論―「幾」・「思」・「慎動」・「無欲」 ... 150
1.「幾」と「思」 ... 150
2.「慎動」 ... 151
3.「無欲」 ... 152
(三)人性論―剛柔善悪中と性善説 ... 153
(四)修養論―「尋孔顔楽処」 ... 154
(五)政治論―「順化」と「礼楽」 ... 156
四 周敦頤に対する総合的評価(附周程授受関係) ... 157
第二節 二程子思想の解釈と評価 ... 159
一 二程子に関する思想資料の編纂上の特色 ... 159
二 「明道学案」における程顥の思想と評価 ... 164
(一)「識仁篇」と「定性書」 ... 164
(二)本体工夫論―誠敬と易道 ... 166
三 「伊川学案」における程頤の思想と評価 ... 170
(一)本体論 ... 170
(二)心性論 ... 171
(三)道徳観 ... 173
(四)工夫論 ... 174
四 二程子に対する総合的評価 ... 176
五 二程子思想の異同と道学の分派 ... 177
第三節 張載思想の解釈と評価 ... 179
一 「西銘」と「東銘」 ... 180
二 『正蒙』に対する解釈 ... 184
(一)本体論―六つの「太虚」説と黄百家の立場 ... 186
(二)天道観 ... 190
1.天人関係 ... 191
2.天徳神化 ... 192
①鬼神 ... 192
②神化 ... 193
(三)人道観 ... 195
1.誠明と尽性 ... 195
2.人性論 ... 197
①「天地之性」と「気質之性」 ... 197
②「変化気質」と「成性」 ... 199
第四節 邵雍思想の解釈と評価 ... 202
一 邵雍の学術淵源と思想史的地位 ... 203
二 象数易学に対する評価―八卦生成説と八卦方位図を中心として ... 205
三 太極説―太極と天地の心 ... 210
小結 ... 212
第四章 両宋の間における道学の伝承 ... 215
第一節 二程子の直弟子 ... 215
一 謝良佐―朱熹の批判と黄宗羲の反駁 ... 215
二 楊時―人格気風と思想評価 ... 221
三 尹焞―敬の工夫 ... 224
四 王蘋―心学の傾向と全祖望の評価 ... 226
五 呂大臨―呂程「中和」の弁とその思想史的意味 ... 228
第二節 二程子の私淑の弟子 ... 231
一 胡安国―学問の源流及び秦檜との関係 ... 232
二 陳瓘と鄒浩―学問の淵源と評価 ... 235
第三節 二程子の孫弟子―道南学派と湖湘学派を中心に ... 236
一 呂本中(附呂希哲)―東萊呂氏家学の源流と評価 ... 237
二 羅従彦と李侗―「静中体験未発気象」と『延平答問』 ... 240
三 胡寅―仏教批判とその評価(朱熹と黄宗羲の立場) ... 246
四 胡宏―『知言』とその評価(朱熹と黄宗羲の立場) ... 248
小結 ... 250
第五章 南宋儒学の隆盛と論争 ... 253
第一節 朱熹思想の解釈と評価 ... 253
一 中和説―劉宗周『聖学宗要』の解釈 ... 254
二 性論―人性と物性 ... 256
三 鬼神論―黄宗羲『破邪論』「論魂魄」を中心として ... 260
四 道徳観―愛と仁を中心として ... 266
第二節 朱熹の同調者 ... 267
一 張栻―主敬窮理と「観過知仁」説 ... 268
二 呂祖謙―学術的地位と婺学の変遷 ... 271
第三節 朱熹の反対者 ... 273
一 南宋浙東学派の源流と評価―葉適と陳亮を中心として ... 273
二 江西三陸子の思想と朱陸の異同 ... 281
(一)陸九韶・陸九齢の家学の淵源と思想の特色 ... 282
(二)陸九淵思想の解釈―編纂者顧諟の見方 ... 283
(三)朱陸の異同―「尊徳性」と「道問学」の修養方法論を中心に .... 286
1.朱学における「尊徳性」と「道問学」 ... 287
①「存心」と「致知」 ... 287
②「主敬」と「窮理」 ... 288
③「自誠明」と「自明誠」 ... 289
④「徳性之知」と「聞見之知」 ... 291
2.陸学における「尊徳性」と「道問学」―「識仁」と「明心」 .. 292
3.編纂者の評価と思想的立場 ... 293
①「易簡」と「支離」 ... 295
②「践履」と「講学」 ... 297
③「禅学」と「俗学」 ... 298
三 唐仲友―朱唐の弾劾事件と全祖望の立場 ... 299
小結 ... 301
第六章 朱陸の後学と思想界の再構築 ... 303
第一節 朱陸の直弟子 ... 303
一 黄榦―思想史的地位と学術の伝承 ... 304
二 輔広―学術の伝承と黄氏父子の思想史観 ... 305
三 陳淳―思想体系の解釈と評価 ... 308
四 四明陸学に対する評価―楊簡・袁燮・舒璘・沈煥 ... 311
第二節 朱陸の私淑の弟子と孫弟子 ... 314
一 魏了翁と真徳秀―学術的地位と評価 ... 315
二 金華朱学に対する評価―何基・王柏・金履祥・許謙 ... 317
三 四明朱学に対する評価―王応麟・黄震・史蒙卿 ... 319
小結 ... 324
第七章 元代の儒学と朱陸の合流 ... 327
第一節 元代北方朱学―許衡と劉因 ... 327
第二節 元代南方朱学―呉澄と鄭玉(朱陸折衷者) ... 331
一 呉澄の学術思想に対する評価 ... 332
二 鄭玉の思想と評価 ... 334
第三節 元代陸学に対する評価―陳苑と趙偕 ... 336
小結 ... 338
第八章 党禁と雑学 ... 339
第一節 思想界の周辺―政治と儒学の相互影響 ... 339
一 元祐党禁(附『紹興学禁』)の経緯と「元祐党人碑」 ... 339
二 慶元党禁の経緯と影響 ... 342
三 周密の道学批判 ... 345
第二節 雑学と道学の反対者 ... 346
一 新学と蜀学に対する評価 ... 347
二 金代儒学に対する評価―李純甫と趙秉文を中心として ... 349
小結 ... 351
結論 ... 353
第一節 『宋元学案』の内容構成とその学術的意味 ... 353
第二節 『宋元学案』における思想史観及び地域学派の展開 ... 357
第三節 『宋元学案』における哲学思想の解釈と評価 ... 361
附録 ... 367
1.『宋元学案』における学案と主要人物一覧表 ... 369
2.『宋元学案』の内容構成―巻二「泰山学案」を例として ... 373
3.『宋元学案』全文分析索引 Excel 表(例示) ... 378
4.『宋元学案』における各地域(路―府州軍)の人数統計 ... 379
5.『宋元学案』各学案における各地域の人数一覧表 ... 382
6.『宋元学案』における編纂者の案語一覧表(学案単位) ... 386
7.『宋元学案』における編纂者の案語一覧表(人物単位) ... 389
参考文献 ... 399
一、史料 ... 399
二、専門著作 ... 402
三、学位論文 ... 406
四、期刊論文と文章 ... 406
初出一覧 ... 413
初出一览(简体中文版) ... 414
業績目録 ... 415
业绩目录(简体中文版) ... 416
履歴書 ... 417
履历书(简体中文版) ... 418
序論
序論では、まず「『宋元学案』(1)の成書と概要」において、『宋元学案』の編纂者と成書、
内容構成とその特色などについて概略的に説明し、後文の分析のための基礎とする。次に、
「先行研究」では三つの面から従来の『宋元学案』に関する研究成果を総括した上で、そ の不足点と今後の研究方向を指摘する。次に、「本論文の研究目的」では現在までの学術界 の動きと当面早急に解決すべきことに基づいて、本論文の研究目的を述べる。次に、「本論 文の研究方法」において、「文献学と歴史考証の研究方法」・「思想史の研究方法」・「哲学解 釈の研究方法」の三つの面から本論文の研究方法を述べる。最後の「本論文の構成」にお いて、本論文各章の構成とその趣旨を簡単に説明する。
第一節 『宋元学案』の成書と概要
『宋元学案』は中国清代浙東学派の代表者である黄宗羲・黄百家・全祖望ら多くの編者 によって完成された宋元儒学思想史の大著である。その最初の編纂者である黄宗羲(字は 太冲。号は南雷。梨洲先生とも称す。一六一〇~一六九五)は、明末清初の著名な学者であ り、清代浙東学派の創始者とされる。彼は恩師である劉宗周(号は念台。蕺山先生とも称 す。一五七八~一六四五)の誠意慎独の心学思想及び「史事に通暁しなければならない(2)」 という父黄尊素(忠端公)の死に際の言いつけをよく守る一方で、明朝の亡国の痛ましい 教訓について反省して、明末後期に陽明後学の講学の空疎な内容(語録など)を厳しく批 判した。また、講学の教育様式を借りて、六経を大本として史書を輔佐とする上に、かえ ってこれを己の心に求めるという「一本万殊」・「経世致用」の体用実学を提唱した(3)。そ こで、明代儒学思想史の脈絡と宗旨を総括するために、彼は『明儒学案』を書きあげた。
その後、儒学の発展をさかのぼるために、「晩年『明儒学案』の外に、又た『宋儒学案』、
『元儒学案』(4)を輯して、以て七百年来儒苑の門戸を志」(5)したのである。康煕二十五年
(1)本論で引用する底本は、黄宗羲原著、全祖望補修、陳金生、梁運華点校『宋元学案』第一冊~第四冊(北 京中華書局、一九八六年第一版)である。以下、『宋元学案』からの引用は何冊何頁だけを示す。
(2)(清)全祖望『鮚埼亭集』巻十一碑銘六「梨洲先生神道碑文」、「忠端公之被逮也、 謂公曰、『学者不可 不通知史事、可読『献徴録』。公遂自明十三朝実録上溯二十一史 、靡不究心、而帰宿於諸経。既治経、則 旁求之九流百家、於書無所不窺。」朱鑄禹彙校集註『全祖望集彙校集註』上冊、上海古籍出版社、二〇〇
〇年、二一四頁。
(3)(清)全祖望『鮚埼亭集』巻十一碑銘六「梨洲先生神道碑文」、「公謂明人講学、襲語録之糟粕、不以六 経為根柢、束書而従事於遊談、故受業者必先窮経。経術所以経世、方不為迂儒之学、故兼令読史。又謂読 書不多、無以證斯理之変化、多而不求於心、則為俗学、故凡受公之教者、不墮講学之流弊。」朱鑄禹彙校 集註『全祖望集彙校集註』上冊、上海古籍出版社、二〇〇〇年、二一九頁。これに関する詳しい論述は山 井湧「黄宗羲の学問―明学から清学への移行の一様相」(『明清思想史の研究』、東京大学出版会、一九八
〇年、二六九~二八八頁)を参照。
(4)黄宗羲はもともと『宋儒学案』と『元儒学案』の二つの独立した書物として編纂しようとしたが、後に 全祖望によって合併して『宋元儒学案』或いは『宋元学案』と称した。いつ合併したのは分からないが、
少なくとも全祖望は臨終の前に刊行した「二老閣鄭氏刊本」の「宋元儒学案序録」で、すでに現行の宋元 の儒学を合わせて九一の学案一〇〇巻の内容・規模を決めた。詳しい考証は銭茂偉 「『宋元学案』原題小 考」(『寧波大学学報(教育科学版)』、一九九二年三期)、葛昌倫「『宋元学案』成書与編纂研究」第三章「『宋 元学案』成書過程中的稿本与刊本」第二節「『宋元学案』之定名」(台湾仏光人文社会学院歴史学研究所二
〇〇四年修士論文、七九~八四頁)を参照。一方、今台湾中研院史語所に七十八巻の『宋儒学案』(黄璋 校補謄清本)がある。その内容は宋儒に限って、元儒がない。(台湾)張芸曦著「史語所蔵『宋儒学案』
在清中葉的編纂与流伝」(『中央研究院歴史語言研究所集刊』第八〇本第三分、二〇〇九年九月、四六五~
四七二頁)を参照。
(一六八六)、黄氏七十七歳以後、『宋元学案』の編纂を始めたが、その成書の過程は非常 に複雑であり、呉光らの考証によると、おおよそ三段階に分かれる。第一段階では、康煕 年間(一六六二~一七二二)に黄宗羲のもとで、その末子黄百家(字は主一、号は不失、
また号は耒史。一六四三~一七〇九)と門人楊開沅・顧諟・張采らが具体的に編纂作業を 分担し、黄宗羲が没した後、黄百家らが続けて編纂し、学案の初稿(黄氏原本)だけが出 来上がったが、まだ完成には至らなかった。第二段階では、乾隆(一七三六~一七九五)、
嘉慶年間(一七九六~一八二〇)、まず黄宗羲の私淑弟子全祖望(号は謝山。一七〇五~一 七五五)は黄宗羲の子孫の委託(6)によって「黄氏原本」を補修し(7)、三十二の学案を増補 して九十一の学案百巻本(「全氏修補本」)の規模を決めたが、ただ「宋元儒学案序録」と 巻十七「横渠学案上」の二巻だけ(「二老閣鄭氏刊本」)を刊行したところで亡くなった。
その後黄宗羲の五代の孫黄璋(一七二八~一八〇二)、黄宗羲の六代の孫黄徴乂(一七五七
~一八二九)らの黄氏一族は、全氏の修補本を踏まえて八十六巻の「黄璋校補本」(8)の原 稿を編纂したが、まだ刊行には至らなかった。最後の第三段階では、道光年間(一八二一
~一八五〇)に王梓材(一七九二~一八五一)・馮雲濠(一八〇七~一八五五)らが全祖望 の修補本を手本として黄璋校補本などの版本(9)によって訂正校勘し、道光十八年(一八三 八)に至りようやく百巻本「慈渓馮氏酔経閣初刻本」を出版した。このように『宋元学案』
は、後に道光二十六年(一八四六)に「道州何紹基重刻本」(10)(すなわち現在各種の通
(5)清全祖望『鮚埼亭集』巻十一碑銘「黎洲先生神道碑文」、「晩年、於『明儒学案』外、又輯『宋儒学案』、
『元儒学案』、以志七百年来儒苑門戸。」朱鑄禹彙校集註『全祖望集彙校集註』上冊、上海古籍出版社、
二〇〇〇年、二二二頁。
(6)全祖望は黄宗羲の孫黄千人の委託によって黄宗羲のために「梨洲先生神道碑文」を作り、さらに黄宗羲 の孫黄千秋の委託によって黄氏原本の『宋元学案』を修補した。清全祖望『鮚埼亭詩集』巻四、朱鑄禹彙 校集註『全祖望集彙校集註』下冊、上海古籍出版社、二〇〇〇年、二一一七頁。葛昌倫「『宋元学案』成 書与編纂研究」(台湾仏光人文社会学院歴史学研究所二〇〇四年修士論文、五九頁)を参照。
(7)具体的に言えば、全氏の編纂作業は修定・補本・次定・補定の四つの方面がある(王梓材「校刊宋元学 案条例」、『宋元学案』第一冊、二一頁)。これに関する詳しい論述は本論の第一章第一節を参照。
(8)葛昌倫の考証によると、呉光に命名される「黄璋校補本」は一つの版本だけでなく、実は前後四つの写 本がある。すなわち王梓材・馮雲濠同輯「宋元学案考略」における「余姚黄氏補本」と、梨洲文献館蔵「黄 璋校補稿本」と、台湾中央研究院歴史語言研究所蔵「黄璋校補謄清本」(全七十八巻)と、浙江図書館蔵
「馮雲濠・王梓材手校鈔稿本」であるが、いずらも黄璋を始めとする黄氏家族の校訂補充によって出たも のが、その編纂の方式・内容などには多少違っている。氏著「『宋元学案』成書与編纂研究」(台湾仏光人 文社会学院歴史学研究所二〇〇四年修士論文、一〇~一一頁)を参照。一方、(台湾)張芸曦「史語所蔵
『宋儒学案』在清中葉的編纂与流伝」(『中央研究院歴史語言研究所集刊』第八〇本第三分、二〇〇九、四 七一~四七二頁)の考証によると、今台湾中研院史語所所蔵の七十八巻の『宋儒学案』はすなわち黄璋の 校補本であるが、梨洲文献館蔵「黄璋校補稿本」はすなわちその前の未定稿であり、「宋元学案考略」に 言った「余姚黄氏補本」はすなわちこの七八巻の『宋儒学案』に八巻の『元儒学案』を加えて出てきたも のであると推測される。
(9)王梓材と馮雲濠はその「宋元学案考略」で「棃洲黄氏原本」、「謝山全氏修補本」、「二老閣鄭氏刊本」、
「月船盧氏所蔵底稿本」、「樗庵蒋氏所蔵底稿残本」、「余姚黄氏校補本」の六つの版本(稿本)を考証した が(『宋元学案』第一冊、第一五~二〇頁)、その編纂における版本は主に四つがある。葛昌倫「『宋元学 案』成書与編纂研究」第三章「『宋元学案』成書過程中的稿本与刊本」(台湾仏光人文社会学院歴史学研究 所二〇〇四年修士論文、七四~七五頁)を参照。また、王梓材と馮雲濠は『宋元学案』を校勘する過程に、
一〇〇巻本の『宋元学案補遺』を編纂した。『四明叢書』第五輯に収められており、その影印本は(民国)
張寿鏞輯『宋元学案補遺』一百巻(『四明叢書』、揚州広陵書社、二〇〇六)、(民国)張寿鏞輯『宋元学案 補遺外五種』(『四明叢書』、揚州広陵書社、二〇〇六)などがあるが、二〇一二年一月に北京中華書局で 点校本全十冊が出版され、最近楊世文・舒大剛・邱進之・金生楊・張尚英点校『宋元学案補遺』第一分冊
~第九分冊(舒大剛・楊世文主編『中国儒学通案』、人民出版社、二〇一二年六月)も出版され、みな四 明叢書本を底本としている。
(10)(清)黄宗羲輯、(清)全祖望訂補、(清)馮雲濠・王梓材校正『宋元学案』一百巻首一巻(『続修四庫 全書』第五一八・五一九冊、上海古籍出版社、二〇〇二)は「道州何紹基重刻本」の影印本である。以上 の『宋元学案』成書の三段階と版本の命名は主に呉光の論文「『宋元学案』成書经过、編纂人员与版本存
行本の母本)が出版されるまで、多くの編者によって百五十年以上もかかって完成した百 巻の書物である。
『宋元学案』は学案体裁の思想史著作として、思想史の発展の脈絡(序録に現れる)に したがってある時代の学者をいくつかの学案(学派)にわけて学者の伝記とその思想資料 を主な内容とするという一般の学案体裁の著作(例えば、『明儒学案』)の特徴を持ってい る一方で、前後三段階の数十人の編纂者が百五十年以上にかけて始めてできあがったため に、その内容構成の複雑性が特に目立っている。現行の『宋元学案』の内容の概略は次の とおりである。
まず巻首の「宋元儒学案序録」はもともと全祖望の作で、一巻として全書の綱領とされ るが、後に王梓材によって各学案の正文の前に分けて置かれると同時に、巻首にも保存さ れる。次に正文は全百巻で、凡そ八十六の学案、二つの党案(「元祐党案」、「慶元党案」)、 三つの略案(「荊公新学略」、「蘇氏蜀学略」、「屏山鳴道集説略」)を含み、そのうち九つの 学案が上・下の二巻に分かれる。その中、五十九の学案(全部六十七巻)が黄宗羲の「黄 氏原本」から出て、全体の三分の二を占め、その内容は主に黄百家らによって編纂され、
更に全祖望によって修訂・補訂された。そのほかの三十二の学案(全部三十三巻)は全祖 望によって成立し、全体の凡そ三分の一を占め、その内容は全氏によって編纂される。そ の上で全祖望は全書の百巻の構成・順序・命名を決めた(附録1参照)。また、王梓材と馮 雲濠も一部分の内容(二つの党案など)を補修した。全体的に言えば、黄宗羲と全祖望と の二人は『宋元学案』の成書過程における最も重要な編著者である。一方、全書内容の分 量から見れば、全祖望が完成した部分は三分の二に達しており(黄宗羲の設立した学案も 大部分の内容は全氏によって増補訂正された)、黄宗羲・黄百家・王梓材・馮雲濠らの編著 者によって編纂された内容は三分の一だけを占める(11)。
さらに細部にわたって言えば、各学案の構成は一般的に、初めに「学案表」によって各 学案に収められている学者の師伝関係が示され、次に「序録」によって各案主の思想の特 色やそれに対する評価などを述べて綱領としている。続いて案主の事績や学術活動などが 記される小伝があり、次に案主に関する思想資料(文集・専門書などから採取)が輯録さ れる。次に「附録」(案主に関する事跡の補充と学術評論など)が置かれている。案主の後 に(12)、案主と関係がある人物を「講友」、「学侶」、「同調」、「門人」、「私淑」、「家学」な ど(その関係は巻首の「学案表」で示される)に分けて、同じようにその伝記や学術資料 の輯録や付録や評論などが並べられている。その上全書の中で随所に編纂者自身の案語が 下されている(附録2参照)。このように、『宋元学案』には両宋代(金朝を含む)と元代 のほとんどすべて儒学者とその流派の思想が論及されており、その思想の特色を明らかに し、さらに、学術の伝承及びその流派の影響が論述されている。また、宋・元二代の儒学 思想を体系化し、基本材料・評価基準・思惟方式をも提供したもので、『宋元学案』はこの
佚考」(杭州師范学院学報社会科学版、二〇〇八年第一期)による。また、葛昌倫「『宋元学案』成書与編 纂研究」(台湾仏光人文社会学院歴史学研究所二〇〇四年修士論文)をも参照した。
(11)王梓材「校刊宋元学案条例」、「梨洲の原本無多、其経謝山続補者十居六七。(後略)」(『宋元学案』第 一冊、二二頁)これは最後の編纂者王梓材が全書のすべての内容を校訂した上に出てきた切実な結論で信 じられるが、林久貴「『宋元学案』的作者及成書経過述論」(『黄岡師範学院学報』、一九九八年第三期)の 考証によると、別に二つの意見がある。一つは梁啓超・張舜徽・呉楓らは、みな黄宗羲は生前ただ『宋元 学案』の一七巻の序録及び正文だけを完成し、はるかに現行百巻本の三分の一に至らなかった、というも のである。一つは呉光と盧鍾鋒の意見であり、二人はみな巻次によって黄宗羲が編纂した部分が現行の百 巻本の三分の二を占めると主張した。
(12)個別のものは案主の前に、例えば、巻三「高平学案」に范仲淹の恩師である戚同文がその前に置かれ ている。巻九十「魯斎学案」に趙復を案主許衡の前に置くのも同じである。
領域の必須の参考書と言うことができる。
論者が作った『宋元学案』全文索引 Excel 表(附録3参照)の統計によると、『宋元学案』
には二千四百二十八人の宋元時代の学者の伝記が立てられている。そして、『宋元学案』に 収められている学者の数は『明儒学案』の二百八人より十倍以上にも達しているのである
(13)。その原因は明代思想史より宋元思想史の流派の方がより複雑多端であるということ のほか、『宋元学案』は史学(史伝)と「家系図」の意味あいが強いので、特に全祖望の補 充によって思想史とあまり関係のない、厖大な数の人物に至るまで取り入れている。実は
『宋元学案』の中で伝記を除いて思想資料と附録に言葉や文章がある学者はただ二百七十 六人だけであり、全部の人数の 11%を占めるにすぎない。そのほかの人物は名前或いは短 い小伝だけが掲げられており、思想史料の文章はほとんどない。この二百七十六人は時間 の幅も長く、北宋仁宗朝前後から清代道光年間に至るまで約八百年間のものである。その 中の二百九人は二千四百二十八人の宋元学者の中に含まれており、『宋元学案』には彼らの 思想資料が収められて全書の主体となる。そのほかの六十七人は、例えば劉宗周(六十二 条の言葉がある)、高攀龍(七十六条の言葉がある)ら、また編纂者をも含んで主に明清時 代の著名な学者であり、『宋元学案』には彼らの多くの評論と解釈などの文章と言葉が残さ れている。また、以上の小伝或いは言葉のある人数を併せて重複を除くと、『宋元学案』の 全文には凡そ二千四百九十五人の学者の資料(伝記・文章・言葉など)が収められている ことになる。
第二節 先行研究
現在までの『宋元学案』に関する研究は主に三つの面に分かれる(14)。一つは文献学の 研究である。主に編纂体例と文献的価値などを論述する。一つは思想史の研究である。主 に内容に基づいて宋元思想史の構築・脈絡・学者の思想史的地位などを論述する。一つは 哲学解釈の研究である。主に哲学的論争と範疇をめぐって、黄宗羲らの編著者の案語を加 えてその学術的観点を究明する。以下、それぞれの内容にしたがって従来の研究成果を総 括したい。
一 文献学の研究
文献学の研究は版本・目録・校勘・輯佚などの分野を含め、主に書誌学とテキストその ものに関する研究である。特に『宋元学案』は「伝録体」(伝記と輯録資料)の思想史著作
(13)川勝守の論文「明儒における学伝と政治実践―『明儒学案』記伝名人データ・ベースをめぐって―」
(平成九年度科学研究費補助金(基盤研究 B)研究成果報告書「黄宗羲の『明儒学案』成立に関する基礎 的研究」、研究代表者:柴田篤、一九九八年三月)の統計によると、『明儒学案』には二〇八名の明儒を収 められている。
(14)最近姚文永、王明雲は「『宋元学案』百年研究回顧与展望」(『殷都学刊』、二〇一二年第一期、一一四
~一一七頁)を発表し、「一、『宋元学案』始撰之年的討論」・「二、『宋元学案』的総体評価」・「三、黄宗 羲、黄百家、全祖望等対『宋元学案』的貢献」・「四、『宋元学案』的編纂体例」・「五、『宋元学案』的門戸 之見」・「六、黄宗羲等学術史観」・「七、『宋元学案』対理学内部紛争的処理」・「八、『宋元学案』釈誤挙例」
の八つの面から現在までの研究をまとめたが、その資料は中国大陸の論著に限っており、まだ遺漏がある。
そこで、本論文では中国大陸及びその以外の台湾や日本・アメリカなどにおける多くの研究成果を加える 上に、「文献学の研究」・「思想史の研究」・「哲学解釈の研究」の三つの面に分けて現在までの研究成果を 総括したい。
としてその中の資料の主体(小伝・思想資料・附録)はほかの著作から取り入れて構成さ れている一方で、編纂者の思想意識がもっと強く表されている彼らの言葉(一部分の小伝・
案語と附録文章)は全書中に分散しており、非常に複雑な内容構成である。それゆえに、
まず文献学上の整理・研究が必要であり、それは主に版本・目録・校勘・輯佚(15)と史料 の考証であり、特に『宋元学案』成書の過程と編纂の規則などは重要な課題である。
前述のとおり、『宋元学案』は黄宗羲が凡例を定めた時から王梓材・馮雲濠・何紹基ら の校勘出版に至るまで百五十年にも及び、その成書過程には多くの曲折があった。最後の 校訂者王梓材・馮雲濠は『宋元学案』正文の前に置かれた「宋元学案考略」の中で、その 編集の前に出現した六つの主な版本の経緯を紹介したが、その具体的な成書過程と編纂人 員などについてはなお様々な問題が残っている。近年になって、一九八七年に呉光が『黄 宗羲著作彙考』を出版し、その中に「宋元学案補考」という文章を収めて、王・馮二氏の
「宋元学案考略」を補充した。その後、二〇〇七年に呉光はこの文章を増補修訂して「『宋 元学案』成書経過・編纂人員与版本存佚考」(16)と題する論文を発表した。前節で述べた
『宋元学案』の成書の三つの段階はすなわちその主な結論である。呉光は主に中国大陸に おける『宋元学案』の版本に基づいて論述したが、『宋元学案』の成書経過・編纂者と版本 に対する最も詳しい研究は、二〇〇四年に台湾の葛昌倫が著した修士論文「『宋元学案』成 書与編纂研究」(後に二〇〇七年に潘美月・杜潔祥主編『古典文献研究輯刊』五編第二十冊 として出版された(17))である。彼は呉光らの研究を踏まえつつ、台湾における『宋元学 案』の写本と刻本を主として、従来の研究は主に一つ一つの版本についての考証に限ると 指摘し、あらゆる版本は実に人によって初めて成立したものであるため、その編纂人員と その関係を明らかにしないと、その成書経過とその版本の経緯も究明することができない、
と考えた。そこで、彼は「黄宗羲家族之参与」、「二老閣鄭氏一族之参与」、「由全祖望所開 展出之編纂者」、「各自成脈的編纂者」の四つの面から『宋元学案』の成書におけるあらゆ る学者の編纂経緯や成果などを詳しく検討した。その上、彼も『宋元学案』の各版本・命 名・署名・学案表の形式及び全祖望の「序録」における「宋世学術」の系譜と構築などに ついて考察した。その研究によると、『宋元学案』成書の過程における編纂人員は五十六人 以上(出版の後援者をも含む)にも達し、二十九種の版本(写本・刻本・影印本・点校本 などを含む)がある上に、『宋元学案』の中では黄宗羲・黄百家・全祖望・王梓材・馮雲濠・
楊開沅・顧諟・張采の約千六百二十八条 の案語を含める(18)。また、張克偉は「黄宗羲著 述存逸考(上)」の中で『宋元学案』の版本を考証したが、上述の呉光の考証と様々な違い
(15)陳来は『明儒学案』と王陽明の『陽明全書』とを対校して、『明儒学案』における七十以上の陽明の語 録佚文があるとした(前人はほとんど知らない)。非常に驚異的な発見である。陳来の文章「『明儒学案』
所見陽明言行録佚文」(『中国近世思想史研究』、北京商務印書館、二〇〇三年)を参照。一方、『宋元学案』
における思想資料はおおむね『四庫全書』に収められているが、一部分の資料もすでに散逸してしまった。
例えば、巻六十「説斎学案」における唐仲友の思想資料は「愚書」(三十三条)・「説斎文集」(七条)があ る。これはみな全祖望が『永楽大典』から収録される『唐説斎文鈔』から出るが、後の『四庫全書』に見 えず、ただその『帝王経世図譜』十六巻(永楽大典本)だけが収録されている。そのほか、『続修四庫全 書』第五六冊・経部・詩類に唐仲友撰『詩解鈔』一巻(影印上海師大図書館蔵民国胡氏夢選楼刻続金華叢 書金華唐氏遺書本)があり、『続修四庫全書』第一三一八冊・集部・別集類に唐仲友撰『悦斎文鈔』十巻
『補』一巻(影印民国十三年胡氏夢選廔刻続金華叢書金華唐氏遺書本)が収められているが、全祖望が収 録した『唐説斎文鈔』の内容はこれらの著作にみな見えないのである。この点から見れば、「説斎学案」
におけるこれらの資料の文献価値は非常に高いのである。
(16)呉光「『宋元学案』成書経過・編纂人員与版本存佚考」、『杭州師範学院学報(社会科学版)』、二〇〇八 年第一期。
(17)(台湾)葛昌倫著『『宋元学案』成書与編纂研究』(潘美月・杜潔祥主編『古典文献研究輯刊』五編第 二〇冊、花木蘭文化出版社、二〇〇七)、全部で一三七頁。
(18)葛昌倫「『宋元学案』成書与編纂研究」、台湾仏光人文社会学院歴史学研究所二〇〇四年修士論文。
があって互いに参照できる(19)。王永健はその『全祖望評伝』(20)第五章「全祖望与『宋元 学案』」の中で『宋元学案』成書の過程、特に全祖望の編纂について検討した。そのほか、
林久貴「『宋元学案』的作者及成書経過述論」(21)と「『宋元学案』纂修的学術文化背景」
(22)、張如安「黄氏両『学案』補考」(23)、張芸曦「史語所蔵『宋儒学案』在清中葉的編纂 与流伝」(24)(「黄璋校補謄清本」)、謝向傑、邵九華「一部書稿的旅行―『宋元学案黄璋校 補稿』流伝経歴初考」(25)なども『宋元学案』の時代背景・編纂過程・版本などについて 論述している。以上の研究成果によって、『宋元学案』の成書の経緯がおおよそ明らかにな った。
『宋元学案』は本文の長さ(全文は約百六十万字)と内容構成が複雑なので、全面的な 校勘はまだなされていない。陳祖武はその『中国学案史』第七章「『宋元学案』的纂修」第 二節「全祖望与『宋元学案』」の中で、「『深寧学案』与『困学紀聞』校読記」という題目で 両者のテキストを比較し、「深寧学案」に収められている思想資料から十一例をあげてその 異同を検討し、そのテキストの「訛」・「脱」・「衍」・「倒」などの違いを説明し、研究者の 注意を喚起しようとした。そのほか、『宋元学案』における資料(特に小伝)についての考 証もしばしば見える。例えば、李才棟の「対『宋元学案』中陳澔伝略的一些訂正」と倪士 毅・翁福清の「貞珉可珍―従『黄震墓誌』訂正『宋史』与『宋元学案』之誤」は、県誌(地 方誌)・墓誌などの地上・地下の史料によって『宋元学案』記載の誤りを訂正した。李光生 はその「『宋元学案』弁誤一則」で、『宋元学案』巻三十五「陳鄒諸儒学案」における周必 大の弟周必強についての評価を「周必剛」という存在しないものに加えた誤りを指摘した
(26)。沈志権はその「『宋元学案』鞏豊、鞏峴関係考訂」で、『宋元学案』巻七十三「麗沢 諸儒学案」における鞏豊・鞏嶸・鞏峴の親戚関係に関する誤りを指摘した(27)。楊玉峰は
「艾軒漁仲交誼述略―兼補『宋元学案』之闕失」で、林光朝(艾軒)と鄭樵(漁仲)との 交遊及び学術上の関係を考察して、二人が学術態度・主張及び人柄において能く似ており、
親密な同調者であると指摘し、『宋元学案』巻四十七「艾軒学案」で「艾軒講友」の下に鄭 樵が収められていないという内容の不足を補った(28)。袁国藩は「試補宋元学案之静修学 案―元劉静修門弟子及其施教方法考」で、正史(『宋史』)・地方誌(『畿輔通志』)・文集(『静 修先生文集』)・総集(『元朝文類』)など多くの資料をもって劉因の教育活動及びその弟子 について詳しく考察して、『宋元学案』巻九十一「静修学案」の内容の不足を補った(29)。 董金裕は「読宋元学案附録看宋儒風範」で、「志学之専」・「修身之謹」・「事親之孝」・「手足 之情」・「治家之道」・「急難之風」・「宗族之義」・「待人之誠」・「施教之法」・「任道之勇」・「胞
(19)張克偉「黄宗羲著述存逸考」(上)、『国立編訳館館刊』第十七巻第一期、一九八八年、七七~一〇九頁。
(20)王永健『全祖望評伝』、南京大学出版社、一九九六年。
(21)林久貴「『宋元学案』的作者及成書経過述論」、『黄岡師範学院学報』、一九九八年第十八巻第三期、六 四~六九頁。
(22)林久貴「『宋元学案』纂修的学術文化背景」(『中国文化月刊』第二七四期、二〇〇三)、一三~一九頁。
(23)張如安「黄氏両『学案』補考」、『古籍整理研究学刊』、一九九三年年第六期。
(24)(台湾)張芸曦「史語所蔵『宋儒学案』在清中葉的編纂与流伝」、『中央研究院歴史語言研究所集刊』
第八〇本第三分、二〇〇九年九月、四五一~五〇六頁。
(25)謝向傑、邵九華「一部書稿的旅行―『宋元学案黄璋校補稿』流伝経歴初考」(『国際陽明学研究(第二 巻)』、上海古籍出版社、二〇一二年)、三二九~三三三頁。
(26)李光生「『宋元学案』弁誤一則」(『船山学刊』、二〇一〇年第二期)、九三頁。
(27)沈志権「『宋元学案』鞏豐、鞏峴関係考訂」(『杭州師範大学学報(社会科学版)』、二〇一〇年第六期)
三〇~三二頁。
(28)(台湾)楊玉峰「艾軒漁仲交誼述略―兼補『宋元学案』之闕失」(『大陸雑誌』第八一巻第六期、一九 九〇)、二三~二七頁。
(29)(台湾)袁国藩「試補宋元学案之静修学案―元劉静修門弟子及其施教方法考」(『国立編譯館館刊』第 一巻第三期、一九七二)、一〇四~一一四頁。
与之懷」など多くの面から『宋元学案』の附録の内容を総括した(30)。その上、北京中華 書局と浙江古籍出版社の点校本『宋元学案』も多くの校記を残した。もちろん、誤字や句 読点を打つことにおける誤りや手落ちのあるところなどの間違いは免れなかった(31)。
『宋元学案』には数厖大な学者とその資料が収められている上に、それに対する考証も よくなされているので、その文献と史料の価値は非常に高いと言える。従ってその体例と 文献価値に対する研究もよくなされている。例えば、張林川・林久貴「略論『宋元学案』
的体例特徴和文献価値」(32)では、『宋元学案』と『宋史』とを比較してその史料的価値を 検討している。また、盧鍾鋒の論文「論『宋元学案』的編纂・体例特徴和歴史地位」(33) 及び著作『中国伝統学術史』第十一章「清初総結性学術史的集大成之作」(34)、倉修良・
呂建楚著「全祖望和『宋元学案』」(35)、侯外廬、邱漢生、張豈之等編『宋明理学史』下巻 第二十七章「『宋元学案』及其対宋元時期理学的総結」(36)、陳其泰の論文「『宋元学案』
的編撰与成就」(37)、王永健著『全祖望評伝』第五章「全祖望与『宋元学案』」(38)、陳祖 武「『宋元学案』纂修拾遺」(39)及び『中国学案史』第七章「『宋元学案』的纂修」(40)、程
(30)(台湾)董金裕「読宋元学案附録看宋儒風範」(『幼獅月刊』第四七巻第六期、一九七八)、一二~一五 頁。 (31)
例えば、巻二「泰山学案」、「百家謹案、先文潔公曰、『宋興八十年、安定胡先生、泰山孫先生、徂徠石 先生始以師道明正学、継而濂、洛興矣。故本朝理学雖至伊洛而精、実自三先生而始、故晦庵有『伊川不敢 忘三先生』之語。震既鈔読伊洛書、而終之以徂徠、安定篤実之学、以推其発源之自、以示帰根復命之意、
使為吾子孫者毋蹈或者末流談虚之失、而反之篤行之実。蓋先生応挙不第、退居泰山、聚徒著書、以治経為 教。先生与安定同学、而『宋史』謂瑗治経不如復。安定之経術精矣、先生復過之。惜其書世少其伝、其略 見徂徠作『泰山書院記』。』」(『宋元学案』第一冊、七三頁)。この一段は実にすべて黄震の言葉であり、
黄百家はそのまま引用しているが、中華書局本では「而反之篤行之実。」までに「』」をつけて、その後の 内容を黄百家自身の言葉とした。これはたぶん原典としての『黄氏日鈔』巻四五「読諸儒書」と合わせて 校正しなかったからであろう。同じような間違いはほかに数条ある。巻十「百源学案下」、「百家謹案、邵 子之説、以得半為中、又不敢至於已半、而以将半為中也。朱子謂、『邵子初隻看得太極生両儀、両儀生四 象、心只管在那上轉、久之理透、一挙眼便成四片。其法四之外又有四焉。凡物纔過到二之半時、便煩惱了、
蓋以漸趨於衰也。如見花方蓓蕾、則謂其盛。既開、則謂其衰。其理不過如此。』」(『宋元学案』第一冊、
三九三~三九四頁)中華書局本では「則謂其衰。」までに「』」をつけた(原典は『朱子語類』巻一〇〇に ある)。巻八十二「北山四先生学案」、「百家謹案、呉正伝言、『導江学行於北方、故魯斎之名因導江而益著。』
蓋是時北方盛行朱子之学、然皆無師授、導江以四伝世嫡起而乗之、宜乎其従風而応也。」(『宋元学案』第 四冊、二七五三頁)中華書局本では「宜乎其従風而応也。」までに「』」をつけた(原典は元呉師道『礼部 集』巻十七「題程敬叔読書工程後」にある)。巻八十五「深寧学案」、「百家謹案、清江貝瓊言、『自厚斎尚 書倡学者以考亭朱子之説、一時従之而変、故今粹然皆出於正、無陸氏偏駁之弊。』然則、四明之学以朱而 変陸者、同時凡三人矣、史果斎也、黄東発也、王伯厚也。三人学術既同帰矣、而其倡和之言不可得聞、何 也。厚斎著書之法、則在西山真為肖子矣。」(『宋元学案』第四冊、二八五八頁)中華書局本ではこの黄百 家の案語と後の「謝山『同谷三先生書院記曰』」とを分けていない上に、「則在西山真為肖子矣。」までに 貝瓊の言葉として「』」をつけた(原典は明貝瓊『清江文集』清江貝先生文集巻之三十「故褔建儒学副提 挙王公墓誌銘」にある)。また、巻四「廬陵学案」、「童子問問、(後略)」(『宋元学案』第一冊、一八七頁)
とあり、宋欧陽修『欧陽文忠公集』『易童子問』巻第一(四部叢刊景元本)と対照してみると、これは「童 子問曰」の誤りであり、上下文にもみな「童子問曰」である。巻三十二「周許諸儒学案」、「祖聖謹案、薛 文憲公『浪語集』、(後略)」(『宋元学案』第二冊、一一四九頁)とあり、「祖聖」はもちろん「祖望」の誤 字である。巻八十二「北山四先生学案」、「汪氏学家」(『宋元学案』第四冊、二七九八頁)とあり、これは
「汪氏家学」の誤りである。
(32)張林川・林久貴「略論『宋元学案』的体例特徴和文献価値」、『文献』一九九七年第一期、一九八~二
〇八頁。
(33)盧鍾鋒「論『宋元学案』的編纂・体例特徴和歴史地位」、『史学史研究』一九八六年二期。
(34)盧鍾鋒『中国伝統学術史』、河南人民出版社、一九九八年。
(35)倉修良・呂建楚「全祖望和『宋元学案』」、『史学月刑』一九八六年第二期。
(36)侯外廬、邱漢生、張豈之等編『宋明理学史』下巻、人民出版社、一九八七年。
(37)陳其泰「『宋元学案』的編撰与成就」、『史学史研究』一九九〇年三期。
(38)王永健『全祖望評伝』、南京大学出版社、一九九六年。
(39)陳祖武「『宋元学案』纂修拾遺」、『中国史研究』、一九九四年四期。