フ ィ ン ラ ン
ド東 部 農 村 の 人 口 流 出
北
カ
レ
リ ア
・イ
ロ マ
ン チ を 例
に
塚
田
秀
雄*
Rur al D
epopul at i oni nFi nl and, 19601970
‐ Cas es t udyof I l omant s i c ommune
, Nor t h- Car el i a‐
H
i deoTs uKADA
( 1978年9月30日 受 理)
1. は じ め に
第二 次 大 戦 後 の フ ィ ン ラ ン
ド
農 業 お よ び 農 村 は 激 しい 変化 の波 に 洗 わ れ た が, そ
の 内,
技 術 革新 に よ る農 林 業 内部 で の労 働力 需 要 の減 少 と工 業 化
・
都 市 化 の 進展 に 伴 う農 村 人 口
の 流 出 は 表 裏0体
の 現象 で あ り, 他
の 北西
ヨー ロ ッパ 諸 国 に も一 般 に見
られ る と ころ で あ
る. こ
れ
らに 先 立 って, 対
ソ連 敗戦 の 結果, 東
南 部 の 穀倉 地 帯 で あ ったKar j al aカ
レ リ
ァ を 喪 失 した た め に, 約40万
人 に の ぼ る難民 の受 入 れ, 入
植 とい う フ ィ ン ラ ン
ド
に 固 有 の
問 題 もあ った. こ
れ らに つ い て は 地理 学 の 側 か ら幾 つ か の 研 究成 果 が 発 表 され, 主
に 南 西
沿 岸 地 域 と東 部
・
北 部 の 発 達 途 上 地 域 の 構 造 的 な 対 照 が 指 摘 され る こ とが 多 か った1) .
筆 者 も緊 急 開 拓 事 業 に つ い て の 研 究 を 展 望 す る中 で, 農
業 の 北 進 傾 向 と南 部 で の 集 約 化
が 北 部 か
らの撤 退 へ と変 りつ つ あ る こ とを指 摘
した2) .
これ
らの 研 究 は 巨 視 的 な 観 点 に 立 つ 地 域 構 造 分 析 が 中 心 で あ り, 農
家
・
農 民 レベ ル の 資
料 に よ る事 例 研 究 は 多 い とは い え な い3) . 本
稿 で と りあ げ る北 カ レ リア につ い て は 比 較 的
詳 細 な 研 究 が あ るが4) , 農
家 な り村 な りが 具 体 的 に どの よ う に変 容
して い った か と い った
問 題 意 識 によ る もの で は な い.
本 稿 にお いて 筆 者 は 東 部 フ ィ ンラ ン ド
の 辺 境 の 村 が 主 と して1960年
代 に どの よ う に変 化
した か を, 上
述 の 諸 研 究 とは 異 った 立 場 で, も
っ と も ミク ロな 観 点 か
ら考 え て み る. い
わ
ば農 林 業 と人 口の 動 きを 中 心 に した カ レ リア の一 地 方 自治 体 の モ ノグ ラ フで あ る. こ
の よ
うな研 究 が単 独 で もつ 意 味 は あ るい は 小 さい か も知 れ な い が, 多
くの 地 域 につ い て の この
種 の研 究 の集 積 が 巨視 的 な 研 究 とは 異 った 方 向 か
ら地 域 研 究 に資 す る と こ ろが あ る と考 え
て い る.
地 域 選 定 の理 由 は後 に も触 れ る が, イ
ロ マ ンチ の隔 絶 性 の大 き い こ と, 農
業 経 営 規 模 の
小 さ い こ と, 私
有 林 地 規 模 が 小 さ い こ と, 人
口流 出が 激
しい地 域 で あ る こ と な どで あ る.
対 象 年 代 を1960年
代 と した の は フ ィ ンラ ン ド
農 業 の大 きな 転 換 期 で あ る と考 え た の が主
た る理 由で あ る. 農
業 政 策 に現 れ た 特 質 か
ら考 え れ ば, 第
二 次 大 戦 終 了か
ら1959年
まで は
農 地 拡 大, 食
料 増 産 の時 代 で あ り, 1945年
の 土 地 取 得 法 に基
くいわ ば開 墾 入 植 の奨 働 が基
調 と な って い た. 以
後1969年
まで は1959年
の土 地 利 用 法 に よ って 農 家 の規 模 拡 大, 生
産 性
塚 田: フ ィ ン ラ ン ド東 部 農 村 の 人 口流 出 57
の 向上 が 目的 と さ れ た が, 1969年
に は耕 地留 保 制 度 が 施 行 され て, 農
地 縮 小, 生
産 制 限 が
行 われ た. 各
期 を それ ぞ れ1, H
, 皿
期 とす
るな らば, 本
稿 で対 象
とす
る第 皿期 に は フ ィ
ン ラ ン ド
農 業 の底 流 が 方 向 を 転 換
しつ つ あ った と考 え
られ る5)
.
基 礎 資 料 は1960年, 1970年
の 国 勢 調 査 結 果 と1959年, 1969年
の農 林 業 セ ンサ ス結 果 表 で
あ る. し
か
し, 後
者 にお い て 特 に 集 計 項 目 に年 度 に よ る変 化 が 大 き く, 年
度 間 の比 較 に耐
え ぬ う らみ が あ る. イ
ロマ ンチ の 位 置 づ け に 当 る本 稿 前 半 部 で は これ
らの 資 料 に依 存 す る
が, 後
半 部 で は 農林 業 セ ンサ ス の 個 票 お よ び 住民 登 録 の 資 料 を 用 い る こ と にな る
.
2. 基
礎 的 な 概 念
こ の 章の 標 題は 大き すぎ る よう に 思 う し, 内 容は 特 に 何 か を 論 ずる も の で は な い が, 外
国 語を日本 語に 常 識 的に 醗 訳 する こ と がし ばし ば 危険 を 伴 う と 思わ れる の で, 基 礎 的 な 用
語に つい て 説 明 して おこ う と する も の で ある.
Kunt aとKyl eフ ィ ン ランドの 地 方自 治 体に はKaupunki - c i t y
, KaupPal
a-mar ket t own, maal ai s kunt a- r ur al c ommuneの 三 類 型が あり, 自 治 体 統 合の 進 む 前
の スウ ェ ー デン に お ける 区 分と 対 応 する も の で ある. そ れ ぞ れ を 市, 町, 村 と する こ と も
不 可 能 で は な い. し かし こ の 場 合の 「村 」は 明 確 に 行 政 村 で ある こ と を 確 認 する 必 要 が あ
る. Kunt aはc or nmuneに 相 当 し, 本 稿 の 対 象と する の は主として, I l omant s i n
Kunt aイ ロ マン チ ・ク ン タ で ある. 本 稿で は 単に イロ マン チ とし てク ン タ す な わ ち 行 政
村と そ の 範 囲を 表 すこ と に する.
kyl aキ ュ ラ と いう 語 が あり, ス ウ ェ ー デン に おけ るbyに 当る が, イ ギリス のvi l l age
とhar nl et を 共に 含む 概 念で あ る. そ の 規 模は大 小さ ま ざ ま であ り, 現 在で は 行 政的 な
意 味は 全く有 た ず, 散 村 の 卓 越 した 対 象 地 域 では, 漠 然とし た 農 家の 集 団で あり, 荒 蕪 地
など に よっ て 漸く 他と区 分さ れる 場 合が 多い. 現 在で は そ の 機 能を 行 政村 で あるkunt a
や 協 同 組 合 に 譲 って しまっ て いる が, か つ て は 集 団として の 機 能 がkyl aを 基 礎 単 位とし
て 果さ れる 場 合が 多 かっ た6) . kunt aと いう の は 規模 の 大 小 を 問 わ ず 何 らか の 機 能 的 共 同
体で あっ た が, 注6に 記し た 各 種の 集 団 がkyl aま た は そ の一部 を 基礎 単 位 として 重 層
的 な 枠 組を 有 し て おり, そ の 公倍 数 的 集 団 ある い は 範 囲がkyl aで ある. 本 稿 で はこ の
kyl aを 村として 用ち い る. イ ロ マン チ ・クン タ のkunt aは い わばhal l i nt okunt a行
政の た め の 集 団, す な わち 自 治 体 の 意 であ る.
各 村 落 型自 治 体は 現 在ほ ぼ 一 教区 を な して おり, 教 区s eur akunt aの 中 心は自 治 体の
中 心と 一 致 する 場 合 が 大 部 分 で ある. す な わち, Ki r konkyl a=c hur c hvi l l ageを 教 会
所 在 村と 訳 すこ と に する が, こ れ は イロ マ ンチ の 場 合も 各 種の 中 心 地 機 能の 集 積 する 場 所
と なっ てい る. ki r kor i kyl aは 中 心 地と 殆 ん ど 同 義 で ある.
上 述 の 村 が 統 計 の 地 域 単 位と な れ ば, 万 事 好 都 合 であ る が, 通 常, 行 政 村 が 統 計 上の 最
小 単 位と なっ て いる. イ ロ マン チ の 場 合, 統 計 区 が5区 設 定さ れる 場 合 があ る が, 極 め て
便 宣 的 で そ れら の 境界 線 は 村 を 無 視 し て, 地 図 上 に 定 規に よ っ て 引 か れ てい る.
t i l a英 語のf ar mが 当 てら れ て おり, 本 稿 で は 便 宣 的に 「農 家 」と する が, こ の 語 が
t i l aの 概 念を 正 確に 伝 える も の でな い こ と は 知っ た 上のこ と で ある. そ の 違い は, フ ィ ン
ラ ンドで は, 農 業と 林 業を 全く不 可 分の も の と 考え て いる こ と に よる. 農 林家と する の が
正 し い か も 知 れな い. 農 林 家が0般 で あ っ て 農 家は 例 外で ある.
1959年 の 農 林 業 センサ ス では 多 少と も耕 地を 保 有 する 家をt i l aと し て 調 査 対 象と し た
外
し, そ
の理 由 と して, 3ha以
下 層 は 全 耕 地 面 積 の4%
を
占 め るに過 ぎず, そ
の保 有 者
の35%
し
か 本 来 の農 民 で は な い こ と を挙 げて い る7) .
な お林 業 と農 業, 林
地 と農 地 は農 林 家
レベル に お い て も地 域, 国
家
レベ ル に お い て も,
不 可 分 で あ る が, 互
い に相 互 補 完 的 で あ る と 同時 に, 労
働 力, 土
地利 用 を め ぐ って 常 に競
合 関係 に あ る こ と を確 認
して お きた い8) .
3. 北 力レ リ ア と イロ マン チ
二, 三 の 地 理 学あ る い は 地 域 政 策 学 上の 成 果に よっ て 北カレリア 県お よ び イロ マン チ の
地 域 特 性を 考え て みる. ( 第1図)
Kehi t ys al ueとLuonnon- Suomi
●、 ●! I I 級
開 発途 」: 地域
, へ 〆" 1, . 一 、. .
ブ イン ラン 悌
北カ レ リ ア イ ロ マ ン チ
第! 図
開発途上地域
・
工業発達地域の
区分対象地域 の位置
フ ィ ン ラ ン ド( ス オミ=Suor ni ) を 大
き く二 つ に 区分 して,
Luonnon-Suonユi 自 然的 フィ ン ランドとKul t t
-uur i - Suomi 文 化 的フィ ン ランドを 識
別 す る の が 一 般的 で ある. Aar i oは 本
稿の 対 象地 域 をVaar a- Kar j al aと し
て 文 化的 フィ ン ラ ンドに 属 す る とし て
い る9) . そ の 区 分の 根 拠を 人 類の 居 住
と 経 済 生 活の 発 達 段 階に お いている
が, イ ロ マン チ に 関し て は, 自 然的 フ
ィ ン ラ ンドに 入 れ ても 容 れ られる も の
と 考 え られる.
近 年の 地 域 政 策 学 ではKehi t ys al ue
・=devel opment r egi onとTeol l i
-s ou-s - Suomi =I ndus t r i al Fi nl and
を 対 比さ せ てい る. こ こでは 開 発 途 上
地 域と 工 業 地 域と する が, 北 カレリア
県は 東 部 国 境から ラ ッ プラ ン ドに 広が
る 開 発 途 上 地 域の南端 に位置す る.
Luonnon- Suomi とKehi t ys al ueは
ほ ぼ 一 致 する が, 北 カレリア 県は 両 地
域 類 型の 重 ならな い 部 分とな っ て い
る. Kehi t ys al ueに つい て 多 様な 研
究 が なさ れ て いる が10) , そ れ に 属 する 県 で は, 早 け れ ば1960年 に, 遅 い 場 合に は1970年 に
人口 の 減 少 が 起っ て いる. 1969年 の 開 発 途 上 地 域 の 経 済 発 展に 関 する 法 律11) で は, 「 開 発
途 上 地 域と は 国内 の 他 地 域に 較 べ て 経 済 発 展 が 本 質 的に 遅 れ てい る 地 域 」と 定 義 し, 更 に
1級 と 皿 級に 分け て いる が, 北 カレ リ ア 全 域 はラップランドなど と 共に 最も 立ち 遅れ た1
級 開 発 途 上 地 域と さ れ て いる12) . 1960年 以 降, 北 カレ リ ア 県は 都 市 部に お い ても 村 落 部に
お い ても, 所 得 の ある 者 の 年 間 平 均 所 得 額 が 常に 全 国 で 最 下 位に あり, 特 に 村 落 部に あ っ
て は, 最 も 高 い ヘ ルシ ン キ 周 辺Uus i r naaウ ーシ マ ー 県の60%に 達 す る こ と が な い13) .
Vaar a- Kar j al aVaar aヴ ァ0一ラ と は 東 部フ ィン ラ ン ドのい わ ゆる フェ ノ・ス カンデ
塚 田: フ ィ ン ラ ン ド東 部農 村 の人 口流 出 59
0ン
を 載 せ て い る場 合 が 多 い
. こ
の 小 丘 の 斜 面 は一 般 に傾 斜 は緩 や か で あ る が, 湿
地 帯 と
複 雑 な 水 系 に よ って 相 互 に 隔 て られ て い る こ とが 多 い. 集
落 は孤 立
した丘 陵 上 に散 在
し,
相互 の隔 絶 性 が大 き い14) . Vaar aを
浮 か べ る形 の 湿 地滞 は 排水 困 難 な た め に
定 住 適 地 と
は な らなか っ た し, 霜
害 頻 度 が 高
く農 地 と して の 利 用 も遅 れ て い た
. こ
こでVaar aに
言
及 す るの は, イ
ロマ ンチ にお け る農 家 相 互 間 の, ま
た大 き い ヴ ァー ラに お い て は一 つ の ま
と ま っ た村 を載 せ て い るか
ら, 村
相 互 問 の隔 絶 性 を 強調
した い か らに 他 な らな い
. 同
時 に
イ ロ マ ンチ が国 境 沿 いの 自治 体 で あ り, 県
都J oens uuヨ
エ ンス ー あ るい は鉄 道 路 線 か ら
最 も遠 く隔 った 地 域 とい う意 味 で の 隔 絶 性 に留 意
しな けれ ばな
らな い. ( 第2図)
㊥Nur mes
Nt u・mes ml k
噛
Li eks aノKi i ht ・l ys vaa・a Pvhas el ka
/
園+20∼29. 9
且垂藝垂團十10∼19. 9
皿D+0∼9・9
國 一9・9∼o
匪 ヨー19. 9∼- 10
Q- 29. 9- 一 一20
0100km
第2図 北 カ レ リア 自治 体 別 人 口増 減 率1961- 70( %) 資 料 国 勢 調 査
住 民の 多く が ギ リシャ正 教を 信 ずるこ と, カ レ ワ ラ の 多く がこ こ で 採 集さ れ たこ と も,
そ の こ と と 無 縁 で は な い し15) , 20世 紀 初 頭ま で 残 存し た 焼畑 農 業の 核心 地 域16) であっ たこ
と も 以 上 述 べ た 点に 関 連 する で あろ う.
を 示し た. 1950年 から の 人 口 増 減 を5年 おき に みる と, ヘ ルシ ン キ, ト ウ ルク, タ ム ペレ
など の 都市 を 含む 諸 県で は 率 に 多 少の 違い は あ っ て も 一 貫 し て 増加し て いる. t eol l i s uus
-Suomi に 相 当 する 部 分 で ある. 湖 水地 方のミ ッ ケ リ県, ク オピ オ 県 で は1955年 から1960
年 の 段階 で 人口 減 少が 見ら れる が, ラ ップラ ン ド など は1965年 以 降に減 少が始ま っ て い
る. 北 カレリア で は1960年 から毎 年 減 少を 続 け, 10年 間 の 減 少 率 は 全国 でも っ と も 大き か
っ た. そ の 間 北カレリア 県の 各自 治 体 の 内, 中 心 地 の み から 成る( DI Dの み で自 治 体を
つく っ て い る) ヨ エン ス ー, Li eks aリ エ ク サ, Nur mes ヌ ルメ ス で は 相 当 な 増 加 を 示し
た が, 村 落 型自 治 体は 鉱 業 集 落も 含 め て, 平 均18. 6%, 最 高29. 6° o, 最 低8. 3° oの 減 少を
示した. イ ロ マン チ は20. 9° oの 減 少 で あっ た. こ れ を 第2図 に よっ て みる と 東 部 国 境 沿い
の, 中 心 都 市 から も 鉄 道 路 線 から も遠隔 の自 治 体 で 減 少 率 が 大で ある こ と は 明 か で ある.
性 年 令 別 構 成 に つ い て1960年 を 比較 する こ と に よっ て, イ ロ マン チ の10年 間 の 人 口 の 動
き に つ い て 概 観し て みる. ① 出 生 率 の 半 減, ② 老 令 人口 の 絶 対 的 相 対 的 増 加, ③ 若 年労 働 力
5≡
≡ ヨ65- E≡
≡≡
ヨ
[ ≡
≡ヨ6・
覇E≡
≡]
E≡
ヨ55- 59⊆≡
≡
ヨ
巨
≡ ≡
ヨ5・
覇E≡
≡ 当
⊆
≡≡ ヨ45- 49⊆
≡≡ ⊇
5≡
≡
ヨ4・- 44⊆
≡
≡1
匡
≦≡ ≡ヨ35- 3gE≡≡
≧
ヨ
匡 ≦≡ ≡ヨ3・
覗E≡
≡≧ …
ヨ
匿 ≡
≡≡ ヨ25- 2gE≡≡
≧ ヨ
[ ≡
≡≡≡≡
≡
ヨ2・
一' L4≡
≡
⊇
ヨ
≡ ≡≡ ≡ ≡
≡ ヨ15- 1gE≡
≡ ≡
≡
ヨ
口1970f i 三 目1960年
筐 ≡
≦
≡ ≡≡ ≡
ヨ1・- 14匡
≡
≡
≡
≡ ⊇≡ ヨ
匡
≡
≦ ≡ ≡ ≡
≡ヨ5- 9⊆
≡
≡≡
≡ ≧ ≡
≡ヨ
匡 ≡ ≡ ≦≡
≡≡ ヨ ・- 4[ ≡
≡
≡ ≧垂
≡
ヨ
」一_ 」 」_ i 一 」_ 一_ 一i _ 一_ 1L_ 」_ 一 一- ・111- 一 」一」一 」
1000男 女1000
第3図 イ ロマ ンチ性 別 年 令別 人 口構 成( 1960, 1970年) 資 料 国勢 調 査
第1表 イ ロマ ンチ全 域 に お け る1936∼1955年 出生 者 の
1960と1970年 に お け る実 数
雌 轍 「\/ . 196・197・
X951 ∼55
×946
^- 1950
1941 ^- 1945
1936 ^- 1940
男女
男
女
男女
男女
713 678 821 783 536 483 414 293
621 538 529 372 343 292 320 271
特 に 女子 の 激
しい 流 出 ④ 労 働年 令 人
口 にお け る男 子 の, 老
令 人 口 にお け
る女 子 の超 過 な どが 顕 著 に読 み とれ
る. 特
に③ が注 目 され る. 表
は性 年
令 別 構 成 の0部
を抜 き 出 した もの で
あ る. 自
然 減 と社 会 増 は僅 か で あ る
か
ら, 15才
の生 産 年 令 人 口 に達
した
段 階 で あ る い は20才 を 過 ぎた あ た り
で, 激
しい社 会 減 が 生
じて い る こ と
は明 か で あ る. 女
子 は 低 年 令 で 急 激
塚 田: フ ィ ン ラ ン ド東 部 農 村 の人 口流 出 61
じた も の と考 え
られ る.
農 業 の動 き
ペ レル ポ協 会 が行 っ た調 査 研 究 の結 果 で は, 1959∼69年
の10年
間 に, 各
地
方 の農 業 の動 き は農 家 数, 耕
地 面 積 のみ を 見 て も相 当異 っ て い る17) . 耕
地 面 積3ha以
上
の農 家 につ いて の研 究 で あ るた め に, 北
カ レ リア県 の如
く過 小 農 の多 い地 域 に つ い て は別
の考 察 を必 要 とす るが, 全
国 的 な 傾 向 は と らえ
られ て い る. 全
国 を18の 農 業 統 計 区 に 区分
して い るが, ①
農 家 数, 耕
地 面 積 共 に減 少
した 西 南 沿 岸 地 域, ②
農 家 数, 耕
地 面 積 共 に増
加
した 北 部
・
東 部 辺 境 地 域 と③ 農 家 戸 数 は減 少
した が耕 地 面 積 は増 加
した 中間 部 分 が存 在
す る こ とが 認 め
られ る. ②
の 地 域 は い わ ゆ るKehi t ys al ueに
含 まれ て お り, 北
カ レ リア
も3ha以
上 の 商 品生 産 を行
う と思 わ れ る層 が 増 加 して い る. 3ha以
下 層 は北 カ レ リア の
場 合1959年
に33°
oを 占め て い た か ら( 1ha未
満層 を 除 く) , 実
際 に は これ を除 外 す
る こ と
は で きな い. 北
カ レ リア全 域 の
規 模 別 農 家 数 を見 れ ば, 5ha以
上 層 が1959年
か らの10年
間 に絶 対 的 に も相 対 的 に も 増 加
して い る. 従
って, こ
の 間 の 耕 地 面 積 の125, 717haか
ら
134, 268haへ
の増 加 分 に与 れ な か った3ha以
下層 の 減 少 が 全 県 で の2, 176の
減 少 の主 要 部
分 とな って い る. ( 第2表)
第2表 北 カ レ リア の年 次別, 耕 地 規 模 別 農 家 数
耕 地規 模( ha)
1- 1. 99 2- 2. 99 3- 4. 99 5- 9. 99 10- 14. 99 15- 19. 99 20一
1959
農家数
00
4, 078 3, 329 5, 423 6, 724 2, 029 519 298
18. 2 14. 9 24. 2 30. 0 9. 1 2. 3 1. 3
1969
農家数
00
2, 826 2, 210 4, 033 7, 291 2, 680 809 375
14. 0 10. 9 19. 9 36. i 13. 3
4. 0 1. 9
1959- 69の 変 化
実
数
%O一1 , 252 - 1
, 119 - 1
, 390 十567 十651 十290 十77
一30 . 7 - 33
. 6 - 25
. 6
十8. 4 - F- 32
. 1
十55. 9 - F- 25
. 8
十
一言ロ
22, 400 100120, 224 1001- 2, 176 9. 7
イロ マン チ で は1ha以 上 層 はこ の10年 間に1, 863戸 から1689戸 に 約10%の 減 少 を 示し た
が 農 林 業 就 業 人口 に は4, 570か ら2, 410へ, 実 に47°oの 減 少 を 示し て いる. 土 地 利 用 法 が目
的と し た 生産 性 の 向 上は耕地 面 積 の 増 加( 7, 029ha→7, 806ha) と 農 業 就 業 人 口 の 激 減 に
よ っ て あ る 程 度ま で 進められ たが, 70年 以降も農 家人 口 の 流出 は な お そ の 勢 い を 強 め て い
る.
4. 農
林 業 の 構 造 と居 住 形 態
村と 人口 の 分 布 イ ロ マン チ に は1970年 末で31の 村が あ る が, そ の 規 模は 教会 所 在村 の
人口3, 844人 は 別にし て, Nt xor aj ar vi やSol z kaj aの 如く800人 を 超 すも の か ら, Ki vi l ampi
やLut t i kkavaar aの 如く10人 未 満の も の ま で 多 様で あ る18) . 概 略の 人口 分 布は 第4図 に
示 すと おり で, 境 域 の南 西 部に も っ と も 人口 が 集ま っ てい る. 西 北 部 のKoi t er e湖 と 南
東 部 のNuor aj ar vi 湖 を 結 ぶ 水系 を 境にし て, そ の 南 西 で 集 落 密 度が 高 く, 人 口も比 較
的 均 等 な 分 布を 示し て いる が, 北 東 側 では, Hat t uvaar aやNaar vaの 如 き 比較 的 ま と
ま っ た 村も ある が0般 に は 極 め て 小 規 模な 集 落 が 点 在 する の み で, 人 口 密 度は 稀 薄で あ
・
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第4図 イ ロマ ンチ の人口分 布( 1点 は50人を表 す1970年 ・国勢 調 査)
い. 第5図
に示
した の は教 会 所 在 村 を除 い た学 校, 郵
便 局 な ど の公 的 サ0ビ
ス機 関 とよ ろ
ず屋 の所 在 を示
して い る19) . ( 1972年
現 在) い
ず れ に し ろ 住 民 の生 活 の 困難 は 大 き い が,
個 人 商 店 よ り もや や分 布 に偏
りの少 な い公 的 サ0ビ
ス機 関 に つ い て も, 東
北 部 で は ネ ッ ト
ワー クが 疎 で あ り, 小
学 校 の統 廃 合 が進 め られ て, ま
す ます 環 境 の悪 化 を招 い て い る. こ
第3表 農 家 か ら主 要 施 設 へ の 距離( km)
_ 一一
一一_ _
m統 計区
一一
i 集乳 フ。ラ ッ トフ ォー ム
教 会 所 在 村
郵 便 局 平 均
最 短
最 長
よ ろず 屋 平 均
最 短
最 長
I l H
l 皿
0. 9
40. 0
5. 5
0. 1 び 19. 0
5. 0
0. 1
i 9. o
0. 9
33. 0
6. O
o. o ぼ 23. 2
5. 5 歴一
〇. 1 7 23. 2
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塚 田 フ ィ ン ラ ン ド東 部 農 村 の人 口流 出 63
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小 学校 保健 所
図書館 分館 簡 易郵便 局 よ ろず屋
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040km
第5図 イロ マン チ に お け る サ ー ビ ス 機 関 の 分 布 ・1972年
れら に つい て 第4図 中 の5統 計区 の 資 料を 表に 示 す20) . こ れ は自 治 体 役 場で 試 算 し たも の
で あ る. 諸 機 能は 一 元 的に 教 会 所 在 村に 集 積 してい る が, 毎 日 の 生 活に 直 結 す る よ ろ ず 屋
への 距 離 で み ても, 比 較 的 人口 の 集 中 した皿 区 と, 最 も 人口 稀 薄なH区 と の 間の 便 益 度の
違い は 明 か で ある.
以 下 で は, こ の 統 計 区 毎 に 整 理さ れ た 資 料 を 中 心に, イ ロ マン チ の内 部に 見 られる 地 域
差 に つ い て 考 え て み た い.
農 林 業 の 構 造 既 に 述 べ た が, フ ィ ン ラ ン ド農 業と 林 業 は 不 可 分 の 関 係に あ る か ら, 耕
地と林地 の 所 有関 係に つ い て 知る 必 要が あ る. 1969年 の1ha以 上 層のユ戸当り平 均で は,
耕地4. 62ha, 林 地23. 7haが 保 有さ れて い た が, イ ロ マン チ の 農 林 家総 数 の63%を 占 める
5ha以 下 層で は, そ れぞ れ2, 86haと15. 8haに 過ぎ な い( 第4表) . 1959年 の 場 合, 188戸
に 達し た1ha未 満 層の 場 合, 農 業は 無 視 すると し ても, 林 地 所 有は 平 均9. 6haで あっ た.
北 カレリア 県に お け る 記 帳 農 家は平 均 規 模が 大きす ぎ る き ら い が ある が, 保 有 農 地14. 16
ha, 林 地57. 24haで, 農 家所 得約14, 600Fmk( 1Fl nk÷70円, 1971年 当 時) の 内, 農 業
第4表1969年 統 計 区 別 耕 地規 模 別 農 業 関連 指 数3)
\
統計区 ・
\
耕地規模
1H
皿
N
V
1^- 5ha 5^- 10 10^一
計 1^- 5ha 510 10∼
計 1- 一一5ha 5∼10 10^一
計 1- v5ha 5^- 10 10- v
計 1∼5ha 5^10 10∼
計
合計1∼5ha 5^- 10 10∼
計
農家数
階 層 別%O
1戸 当耕 地
ha
F
O
崎
⊥ ﹂ 4 2 8 ∩ V [ D ↓ ⊥ Q U ∩ ) ρ O Q U O 1 r O ∩ ) 4 0 6 Q J ∩ ) 1 7 ー ρ 0
ワー
企
U
ハ0
ハ
◎
∩
V
只
) Q J O 1 Q )
門
D
ハ
b
Q
)
9
臼
Q U 6 ∩ ) 9
臼
0 7 -9 9 ∩ ) 1 Q
り
Q
J
9
臼
0
7
5
9
臼
∩ ) 1 r O Q g Q ) 7 -7 -O O 6 1 ⊥
り白
4 1 ⊥ Q J ∩ 6 ¶ ⊥ ( ∪
噌
⊥
∩
乙
9
自寸
⊥ Q J Q U 6 4 Q ) F D Q
ゾ
r D ∩ ) ﹂4 2 8 0 0 U 9 θ 0 ◎ ρ 0 1 ⊥
ワー
Q
J
O
O
ハ
0
7
1
買
﹂ 4 0 ・ ■ ⊥
り
乙
i , 06i 544 84 1, 689 62. 8 32. 2 5. O i oo 2. 75 6. 76 10. 71 i ・ 2. 85 6. 93 12. 47 4. 49 3. 06 6. 72 12. 98 5. 06 2. 20 ・s l 30. 96 i ・ 2. 64 6. 69 12. 30 i ・ i ・ 6. 76 13. 04 4. 62
1戸当 林地
ha 8 4 2 2 4 8 5 7 9 0 7 7 6 7 2 3 4 4 5 9 2 9 6 2 4 8 7 9 4 2 2 3 8 1 7 3 5 4 2 2
弓
⊥
4
4
9
臼
9 9 8 1 ← 2 4 5 3 1 2 3 1 1 3 5 2 15. 8 34. 9 i 23. 7
幻業率
搬業
当主
D
者
子
継
男
後
12. 0 45. 8 22. 2 22. 8 7. 5 34. 7 61. 5 18. 0 27. 2 46. 3 57. 4 36. 2 6. 7 ・ ・ 0 9. 0 20. 9 54. 2 i oo 30. 9 i s . 7 43. 9 56. 0 28. 7 61. 7 79. 5 100 68. 5 71. 0 92. 1 i oo 78. 0 73. 0 . . . 96. 3 ・, 28. 3 62, 5 50. 0 35. 9 ・i 85. 4 83. 3 72. 5 F O Q ) Q ) ( U 7 5 ρ 0 9
自
r D ρ 0 8 Q ) 7 ー
当主が兼業 に従事 した 日
数
・ 日002・ ・日以 上%
4 2 2 1 8 6 8 5 6 5 6 1 0 5 0 6 6 6 0 2 5 8 2 2 5 3 0 4 5 2 5 8 5 7 0 3 3 9 0 0 F O Q J r O r D 5 4 2 5 4 4 3 4 5 6 5 5 4 3 5 4 52. 7 54. 0 47. 6 52. 9 7 5 9 9 0 0 F O Q
り
寸
⊥
り
ρ
﹁
⊥
9
自
( U O ﹂ 7 -O U O O Q )
ワー帽
⊥
9
白
り
ρ
0
7
-Q
り
4 4 7 0 1 ←ρ 0 ∩
乙
﹁ ⊥ 7 -O ( U 9 Ω L 5 8 Q
り
9
白
り
自
ρ O r O 7 1 Q U Q J O 6 0 0
白
﹁
⊥
i
⊥
∩
乙
25. 5 9. 6 3. 6 19. 2
注1) 男 子 後継 者と したが, 当 主 の子 供 で 男子 が 農業を して い る数 を当 該 階層 の農 家 数 で 除 した数
字 で あ る. 正 確 に は男 子 の 後継 者 が い る農 家率 で は な い.
2) 農 地 を1ha以 上 持 つ家 の 当主 で 自 らmaanvi l j el j a一 農 民 と答 え た者.
3) 1969年 農 林業 セ ン サ スに 基く役場 資料
こ の 規 模の 場 合ほとんど 専 業と 考 え られる.
イロ マン チ の 大部 分 の 農 家は 収 入に占 める農 林 業部 分 の 割 合 は そ の 規模 から 考 え て 極 め
て 低い 筈 で, 従 っ て 収 入 の 大 半 は 農 外 部 門 か ら得 て いる こ と に なる. 5ha以 下 層の 場 合,
兼 業 従 事日 数は85. 4日, 5∼10ha層 で49. 4日, 10ha以 上 層で35. 6日, 平 均 では71. 4日
と なっ て いる( 16. 6. 1968- 15. 6. 69) . こ の よう な 下 層 農 は むし ろ 労 働 者とし て の 性 格が
遙 かに 強い と い う べき であ り, 耕 地 留 保 制 度の 適用 が15ha以 下と い う こ と か らみ ても,
イ ロ マン チ の 農 家の 大 半は 現 在の 農 業 政 策の 上 か ら は 「消 え 去る べき 」 農 家と いう こ と に
な る かも 知 れ ない.
耕地 お よ び 林地 の 保 有 規 模がこ の よう に 零 細で あ る 理由 は 入 植の 歴 史的 過 程や 分 割 相 続
が進 行し たこ と, こ の 国 に はAs unt ot i l a( 住 居目 的 の 農 場) と いう 考 え が あっ て23) , 労
働 者は5ha程 度の 自給 用 農 林地 を 持つ の が 普 通 で あっ たこ と など に も ある が, こ の 地 域
に お い て は, 国 有お よ び 会 社 有 林が 卓越し て いる こ と が 最も 注目 す べき点で ある. 第6図
に 明 か な 如く, 特 に 国 境に 近い 部 分 に 個人 有 林が 少 な い. 総 可 利 用 森 林面 積 の27. 8° oが 国
有, 38。6j oが 会 社 有, 28. 2i oが 個 人 有 で あり, 個 人 有 林 中 に は 相 当 の 不 在 山 林 地 主 の 保 有
地 が ある24) . 同 様 の 林 業 地 域 で あり, 農 家 規 模 の 零 細 なミ ッケ リ・ク オ ピオ の 両 県は 農 民
型 林 野 所 有 が 強 いと い わ れる の に 対し, イ ロ マン チ や 北 接 するPi el i s j ar vi ピ エリ ス イ エ
ヴィ に は10, 000} ・a以 上の 所 有 者が 多 く25) , 従 っ て, こ の 地 域の 下 層 農 民 と い わ れる 部 分
塚 田: フ ィ ン ラ ン ド東 部農村の人 口流 出 65
、
。
土 地 利 用 あ るい は農 業 生 産 に っ
い て 簡 単 に触 れ れ ば, ラ イ ム ギ, ハ
ル コム ギ のパ
ン用 穀 物 は そ の耕 地
に対 す る作付 率 を1959年
の2. 6°
o
か ら1969年
に は1. 4°
oに低 下 させ,
オ オ ム ギ, エ
ンバ
クの 飼 料 用 穀 物
が23°
o程度 あ る他 は全 て牧 草 畑,
放 牧 地 等 の草 地 と して利 用
され,
乳 牛 を主
と して, 肉
牛 を従
とす
る
畜 産 が殆 ん ど全 て の現 金 収 入 源
と
な って い る. に
もか か わ
らず, 耕
地 規 模 が 小 さ いた め に, 平
均 飼 育
規 模 は 乳 牛 を4頭
程 度, 5ha未
満 層 で は 平 均2. 6頭
に過 ぎな い.
統 計 区 別 農 林 業 の 類 型
第4表
は 域 内5統
計 区 につ い て, い
くつ
か の 指 標 を 提 示 す る も の
で
あ
る
が, こ
の 内1V区
は イ ロマ ンチ 教 会
所 在 村 で あ り, 住
民 は全 て の点 で
都 市 型 に近 い経 済 生 活 を 営 ん で い
す る こ と とす る.
耕 地
・
林 地 の所 有 関 係 で見 る な
040km
ら
ば, 耕
地 につ いて は各 区 と も大
第6図
イ ロマ ンチにおける林地 の所有形 態
差 が な い 中 で ・ 皿区 の 平 均規 模 が
や や大
き く, そ
こで は5ha未
満
層 の 占 め る割 合 が他 よ りも10%
以
上 少 な い. 農
業 的基 盤 に恵 ま れ た 地 区 とい え よ う. 逆
に
皿 区 は林 地 の規 模 につ いて は全 域 の平 均
と等
し く, 4統
計 区 の 内 で は農 業 指 向型 の農 家 が
多 い と考 え て よ い. 既
に述 べ た 如
く, 隔
絶 性 の度 合
も も っ と も小
さ く, 他
の統 計 区 に較 べ
て, 集
落, 耕
地 が 比 較 的 連 続 的 に展 開
して い る地 域 で あ る.
1区
は これ と対 照 的 に, 耕
地 規 模 は小 さ いか わ
りに, 他
地 区 の 同規 模 層 に較 べ て, 各
層
と も可 成 り広 い林 地 を 保有
して お り. 耕
地規 模 が 大 き くな る につ れ て, 林
地 規 模 の上 昇 す
る割合 が 際 立 って
大 きい. こ
れ は 個 人 有 林 指 向型
と い うべ
く, そ
の 点 で は
西 に 接 す る
Savoサ
ボ地 方 の 型 に近 い とい うべ きで あ る26) .
皿区 とV区
は耕 地保 有 階層 に よ る林 地保 有 の差 が小
さい 点 で 共 通
し, 1区, 皿
区 と は異
った 型 と いえ る. い
わ ば林 地 保 有 に頭 打 ち の傾 向 が あ って, 耕
地規 模 が 上 昇
して も, 林
地
規 模 が さ ほ ど大 き くな
らな い点 で, 国
有 林, 会
社 有 林 地 域 の特 質 を 示 す もの と考 え るべ き
で あ る. 林
地 保 有 を 介
して 見 た 階 層 分 化 が進 ん で い な い と も考 え られ る.
以 上 の 耕 地
・
林 地 の 所 有 関 係 に限 った 考 察 に よ っ て, 地
区毎 の類 型 に 相違 を見 出 す こ と
は可 能 で あ る. 本
来 その よ うな こ と は, 村
単 位 で 行
うべ き で あ る と考 え られ るが, 資
料 が
得
られ な い の で, 敢
え て 統 計 区毎 に これ を 行
うな らば, 1は
個 人 有 林 指 向型, 皿
は農 業 指
他 の指 標 は労 働 力 に関 す る も の を抜 き 出 した も ので あ る が, 上
記
した3類
型
と関連 させ
な が ら, そ
こ に現 れ た 特 徴 を 考 え て み る.
当主 農 業 主 業 率 と した の は, 農
林 業 セ ンサ ス に お い て, 1ha以
上 の 農 地 を 保有
して い
る人 間 が 自 ら`
農民' と
称
した比 率 で あ って 用 語 は必 ず し も正 確 で は な い か も知 れ な い. 農
場 所 有 者 の意 識 が現 れ て い る と考 え られ る が, わ
ずか の乱 れ は あ る もの の, 農
地保 有 規 模
の上 層 ほ ど, 農
業 依 存 度 は大 き く, 農
民
と して の意 識 が 強 い結 果 が 当 然 の こ とな が ら出 て
い る. 同
時 に, 皿
区 に お いて, 各
階層 と も, そ
の率 が高
くな っ て い るの は, 皿
区 を農 業 指
向型
と した上 記 の分 析 を裏 づ け る もの で あ る. で
は実 際 に農 場 保 有 者 が農 場 外 で収 入 を得
るた め に働 いた
日数 につ いて み る な らば, 農
場 外 労 働
日数 が0の
農 場 所 有 者 に つ い て は,
各 統 計 区 と も階 層 間 に一 定 の 関係 が認 め られず, む
しろ, 零
細 層 に お い て比 較 的, 農
場 内
に留 ま る率 の高 い こ とが 注 目 され る. こ
れ は農 場 外 で所 得 を得
る必 要 性 が可 能 性
と必 ず
し
も0致
しな い こ と を表
して い る と考 え られ る. 但
し, 200日
以上 兼 業 に 従 事 した割 合 は各
区 と も下 層 に 高 く, 上
層 に低
くな って い る. 5ha未
満層
と以上 層 の 間 に は大 差 が あ り,
少
くと も5ha未
満 層 につ いて は先 述 の如
く, 労
働 者 的性 格 が強 い こ とを示 す
と 同 時 に,
そ の層 に お い て も農 場 外 労 働
日数0と
い うの が, 大
体50%
を
超 え て い るの は, 農
場経 営 に
積 極 的 で あ る とい うよ り もむ しろ極 め て 消極 的 な滞 留 で あ る こ とを 示 唆 す る もの で あ る.
兼 業 に 関す る指 標 は 皿 区 に お い て農 場 内 に止 ま る率 が他 よ り も高 い こ とを示
して い る.
林 業 労 働 指 向型 と した11区
とV区
に お い て, 兼
業 従 事 の比 率 が高
く現 わ れ て い るの も, 前
記
した類 型 の正 当性 を示 す と考 え る.
男 子 後継 者 と した の は必 ず し も今 後 と も農 場 を継 い で ゆ く男 子 の あ る農 家 率 を表 す もの
で は な い が, 皿
区 に お い て高
く, H
区
に お いて 低
くな っ て い る. 多
少 の乱 れ は あ るが各 統
計 区 と も耕 地保 有5ha未
満 層 と 以上 層 で は, こ
の率 に大
きな 差 が あ り, 林
業 労 働指 向型
と した, ∬, V区
に限
らず, 全
て の地 区 に お い て, 5ha未
満 層 に は, 労
働 力 を 内 部 に止
め る可 能 性 が低 い こ と は 明 らか で あ る. 又, 例
え極 め て零 細 な規 模 で あ って も酪 農 業 の恒
常 的 な労 働 需 要 が, そ
れ を行
う限
り, 過
大 な 労働 力 を農 場 内 に止 め て い る こと に な るか も
知 れ な い.
以上 の分 析 を通
じて, 労
働 力 に 限 って い え ば, 地
域 か らの 労 働 力 の 流 出 と され る もの が
林 業 か ら析 出 され た も のか 農 業 か ら溢 出 す る もの な の か とい う難 問 に遭 遇
した 感 が あ る.
5. 村 別 の 事 例
前 章の 冒 頭で 触 れた 村 別の 人口 は 住 民 登 録を 基に1958, 1964, 1971年 の 年初 の 記録 が あ
る. こ こ で は そ れぞ れの 資 料の 提 示は 省く が, 1958年 に 対 する64年 の 比 率は 概ね80∼90° o
台 で あ っ て, 平 均 で は93%を 維 持 してい る. 1971年 に は 多く の村 で, 70° o台 と なり,
Tokr aj ar vi の 如く か なり大き い 村( 1959年 に618人) で も, 50° o台 に 減 少 し て いる 村が
あ る. 一 一般に は, 1960年 台 後 半に 急 激な 人口 の 流出 を 見 ており, H区 で 多い 小 規 模 村 落で
減 少 率の 差が 大き い. 1と 皿 の 両 統 計区 は 村 落 規 模が 大き い が 減 少 率は70%前 後 に ま と ま
っ てい る. ( 第7図 参照)
農 林 業セン サ ス 個 票の 検 討 こ の 章 では いくつ かの 村を 選ん で1960∼70年 の 人口 の 動き
を み る こ と に する. 事 例として 選 んだ の は 教 会 所 在 村に 近く, ヨ エン ス ー への 国 道 沿い で
農 業 が 比 較 的 盛 ん なMaukkul a, マ ウ ッ ク ラ( 皿 統計 区) , 林 業 労 働 者の 村と い わ れ, 自
治 体内 北 部 で は, い く つ か の サ ービ ス 機関も あ っ て最 大の集 落と さ れるHat t uvaar aハ
塚 田: フ ィ ン ラ ン ド東 部 農村 の人口流 出 67
Naar va
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at t uvaar a
寮
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域
國
集 合 的 な耕 地 の あ る場 所
Mut al aht i )
v
I
40km
第7図 イ ロマ ン チ の主 な 村 と統 計 区 お よび 比 較 的 耕 地率 の 高 い範 囲27)
Kor ent ovaar aコ レ ントヴァ ー ラ, と11aj aイ ラ ヤ のI I 統 計 区 の 両 村 で ある
. 農 林 業 セ
ン サ ス の 個 票を 整 理 し, 住 民 登 録台 帳を 検 索 し て 資 料とし た
.
第5表 の 左 半は1959, 69両 年 度 共, 農 林 業セン サ ス の 対 象 と なっ た 耕地1ha以 上 の 農
家に つい て, そ の 農 業 を 概 観 する た め のも の であ る. 全 体とし て 農 業に 従 事 する者が 激 減
し, 耕 地 面 積は 増してい る が, 林 地に 関し て は, Kor ent ovaar aとI l aj aで 増加し て い
る のに 対し, Hat t uvaar aとMaukkul aで は 減 少 してい る. 前2者 は 比 較 的 若い 集 落 で,
1959年 利 用 法 に よっ て, 国 有 林の 払い 下げ を 受 け て いる の に 対し28) , 後2者 はHat t
u-vaar aが 国 有 林 地 帯の林 業労 働 者 の 集 落, Maukul aは 農 業 依 存 度 の 高い 集 落と いう差
は ある も の の 古く から 成 立し て おり, 近 辺に 増 地 の た めの 払 下げ 対 象 地を 見出 すこ と が 困
層 農 家1り 謎
江
二
〕
耕
地
バ
針糊
○ 広 聴樹 _ =二. 湿 地
第8図Kor ent ovaar aの 中 心 部
増 加して い な い. そ の 意 味 では 営 農 拡 大は 困 難 であ っ た と 考え て よく, そ の 意欲も ま た 乏
しかっ た の であ ろ う. た だ, 従 事 者 数 が 減 少 した 分だ け は 生 産 性の 向 上が あっ た かも 知 れ
ない.
表の 右 半に は 各 村 毎に1959年 の セン サ ス に 記録さ れ たも のと1969年 に 新 たに 記 録さ れ た
も の に つい て, そ の 戸 数 と農 家 と し て の 平 均 規 模を 挙げ た. 1969年 の 分 は1959年 に 記 録さ
れ たも の を 同0家 族内 で 相 続し て 現 れ たも の で は な い.
各 村と も 高 率 の 廃 農 家 があ る こ と が 注目 さ れる. 1ha以 下( 1969年 に) の 層を 加え れ
ば こ の 率は 更に 大きくなる であ ろ う. そ して, 1969年 ま でに 廃 農 した 農 家の 平 均 規 模は 継
続してい る も のよ り は る かに 小さ い. Kor ent ovaar aの 場 合, 廃 農 し た9戸 の 内, 3戸
は 林 地 を 全 く持 た ず, 他 の3戸 も5ha以 下で ある. 更 に 耕地1ha以 下, 林 地 皆 無と い
う家が1959年 に は2戸 記 録さ れて いる. 11aj aの8戸 中, 林 地 皆 無の 家が4戸 含 ま れ て い
る の に 対し, Hat t uvaar aで は2戸, Maukkul aで は1戸 で, Kor ent ovaar aと11aj a
の 廃 農 し た 家に つ い て は, 全 く労働 者とし て の 性 格 し か 有た な いも の が 殆 んど で ある こ と
が 明らか であ る( 村 落 形 態に つい て は, 第8図 を 参 照) .
塚 田: フ ィ ン ラ ン ド東 部 農 村 の人 口流 出 69
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録さ れて いる) の 率は 高く な い に か か わら
ず11aj aで は, ±0と なっ て い る. し か
も, 農 業の規 模は多 少と も拡 大 し て いる
の が 注目 される が, そ の内5戸 を数え た
11j anvaar aは 後に述べる 如く, 1972年 に
廃 村 化 し て おり, そ れ を 考 慮に 入れ れ ば,
11aj aで も穴 埋め が 十 分に 行わ れ た わ け で
は ない.
以 上に よ っ て, 当 該期 間に 発 展 傾向 の 強
い 林 業 労 働の 村 ・11aj a, 停 滞 的 で あっ た 同
じ く林 業 労 働の 村 ・Kor ent ovaar a, 林 業
労 働の 後 方 基 地的 性 格が あ っ て 古 くか ら集
落 規 模の 大き か っ たHat t uvaar a, 農 村的
性 格が 強いMaukkul aの そ れ ぞ れ で, 離
廃 農が 進 行 し た こ と を 指 摘 し た が, 同 時に
残 留 農 家に お け る 労 働力 の 流出 も 甚 し い も
の があ る. こ れに つい ては 主として 住 民 登
録 台 帳が より具 体 的な 資 料を 示 す も の であ
る.
住 民 登 録 台 帳の 検 討 住 民 登 録に 見る 職
業は 農 林 業センサス の そ れと かなり食い 違
い があ る. そ の 原 因は 農 業と 雇 用 労 働の い
ず れ を 主と する かに よ っ ており, イ ロ マン
チ に お い ては, 農 民と 労 務 者の 区 別は 無い
に 等し い. 第6表 は 住 民 登 録 台 帳の 記 載に
従っ て, 1960年 に お い て 農 民お よ び 労 務 者
と さ れた 者に 限っ て, 1970年 に ど の よう な
状 態に あるかま と め たも の で ある( Kor
en-t ovaar a, 11aj a) . 労 務 者の 内 に も 休 耕 補 償
を 得て いる者が ある の は, 労 務 者と さ れて
い る 者の 多く が 農 地を 有し て いる から で あ
る. し かし, _ _ _ . 般 に は 労 務 者と さ れて いる
者は 農 地 保 有の 規 模は 小さ く, 定 着 性の 小
さ い も の であ る と い える. 11aj a, Kor
en-t ovaar a共 に, こ の10年 間 に 何ら か の 理由
で 農 業を やあ た 者が 高 率で ある が, 労 務 者
の 場 合は ほ と んど 全 部が10年 の 内 に 転出し
てい る. し か し, 実 際に は 新 し く転 入 する
労 務 者に よ っ てある程 度は 補わ れて いる か
ら, 全 人口 の 比 率は1960年 を100と し て,
1970年 に は, Kor ent ovaar a63. 5, 11aj a64.
第6表1960に 独 立 世 帯 主 で あ っ た農 民・労 務 者 世 帯 の1970年 の状 態
農
民
離轡
聯
… { 懸
繕
I l aj a 27( 内 休 耕5)
2( 内 年 金 生 活1) 7( 内 休 耕1) i i i 2( 内休 耕1) 15( 内 休 耕1)
Kor ent ovaar a 13( 内 休 耕 ・年 金1)
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1
40
30
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人 1960年
第9図
646770 Maukkul a. ( M) Hat t uuar r a. ( H)
Kor ent ovaar a. ( K) 11aj a. ( 1) か ら の1960年 度 時15∼20才 人口 の 流出 m=男 子n=女 子
度に 止ま っ てい る. そ れにしても 大き な 減
少 率で ある が, 流 出 の 中 心は 労 働 年 令に 達
した 部 分 で あり, 第9図 は1960年 に15∼20
才 で あっ た 者 の 流出 の 状 況 を 示 して, そ の
激し さ を 明 か にし て いる. Kor ent ovaar a
の 場 合は1970年 に は そ の 年 令 層は 男 女と
も0と なり, 11aj aの 場 合も ほ ぼ 同 じで あ
る. こ こ に は 示さ な い が 人ロピ ラミ ッドは
極 端な老 令 化 を 示 し, 中 間 年 令 層 に おい
て, 男 子 が 女 子 より も はる かに 多くなっ て
いる.
世 帯主 以 外 の 家 族 構 成 員 の 実 際 の 動き を
示 す 必 要 が ある が, 全 員 を 対 象にした 統 計
的 整 理は 極 め て 困 難 であ る の で, 面 接 調 査
の 結果 を 含 め て, 事 例 を 示 して 傾 向 を 探る
こ と に する. と り あ げ た 例は 恣 意 的 であ る
と いう非難 を 免 れ な い が, 各 村 の 特 徴 を 表
すも の を 選ん だ つも り で ある. ( 第7表)
Hat t uvaar aに つ い て は 林 業 労 務 者 が 極
め て 多 く, 結 婚 適 令期も 過 ぎ て な お独 身
で, 親 ある い は 兄弟と 同 居 してい る, い わ
ゆるkot i poi ka( 家 の男の 意) が 多 い.
Kor ent ovaar aやI l aj aか らHat t uvaar a
へ 移 転 する者が多く, そ れら はHat t
u-vaar aか ら 転出し た跡 の 空 家に 入っ てい
る. Kor ent ovaar aや11aj aは 林 業 労 働の
前 進キ ヤ ム フ。の 性 格が 強か っ た が, 自 動 車の 利 用 が 増 して, Hat t uvaar aに 住ん で 作 業 現
場に 通う事が 多くなっ てい る. 従 っ てHat t uvaar aは 国 有 林 等で の 林 業 労 務 者の 基 地と
し て の 性 格を 強め て い る.
I l aj aやKor ent ovaar aか ら老 令 者 が転 出 する場 合に は, 年 給 受 給 者とし て イロ マン
チ 教会 所 在 村に 出 る 例が か なり あ る が, Maukkul aか ら の 場 合, ヨ エン ス ー に 出 る 例が
多 い.
第7表
事
例
農
家
家
族
の
変
化
村
・
農家番号
Hat t uvaar a H1
H2
H3
Kor ent ovaar a
K1
I l aj a
Maukkul a
K2 K3 1 1 12 3 1 M1 M2 M3
1960年の家 族 の 状 況
諾
欝
灘
面
積hal
子 供・職 業男92
女01 男97 女98 男99女
10
男16 女16
男09 女
16
男12 女
12
男06
女12 男16 女24 男11 女24
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女
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i . 70 農 8. 26 農 0. 94農 3. 53
農 2. 40
労 2. 70
農
. , 農i . 50 農 5. 79
農 . , 農 3. 20 農
6. 65
30( 労) 31( 労) 34( 労) 38( 労) 40( 労) 45,
23( 労) 28( 労) 30( 労) 35( 労) 37( 労) 38( 労) 39( 労) 52
42, 46, 47
44,
39, 44, 46, 48, 50
41 45, 47 47, 50, 54, 57 41, 44, 45, 49
40, 48, 52, 56 39, 42, 44, 50 47, 49, 52, 55, 57, 58 46, 51
45, 45 47, 50
37, 54, 55( 生 徒)
47( 看 護婦)
37, 39, 43, 43, 46, 50 53
45, 47 41, 43, 53
1970年 の 家 族 の状 況
世
制
子
供
92
噌
⊥ 7 8 0 0 Q
り∩
) ∩ V Q ) Q U Q
り↓
⊥ ( h ) ρ O
望
⊥
湘
⊥
31 11 41( 妻)
23( 労) 28( 労) 35( 労) 37( 労) 39( 労) 52
全員転出 ・
土地は売却
死 亡 12
06 12 死 亡
24 11 24
47( 労) 50( 労) 54( 店 員) 57( 生 徒) 49
40( 労) 48( 労) 52( 労) 56( 労)
1( 妻)
52( 労) 55( 労) 55( 労) 57, 58( 生 徒)
{
廃 農, 年 金, 村 内移 動45( 自動 車 修理)
剰3偽
os 12 07 18
55
150( 結婚した37の家 で農 業)
72年 にJ oens uuへ 転 出
{
年 金 生 活, 土 地 は放 置53備
考
30( 労) は 村 内 で 独立
30( 労) は 村 内 で 独 立
長 男31が 世 帯 を持 って農 業
39はLeht ovaar aで 農 民と結 婚. 44( 男) は スウ ェ ー デンで 工 員44( 女) はLaht i で 保母( 結 婚) 48はTamper eで 看 護 婦, 50は 在
スウ ェ ー デン
09, 16は 教 会 所 在 村 で 年 金 生 活 45, 47はTamper eで 結 婚 41は スウ ェ0デ ンで 工 員 41Hat t uvaar aで 結 婚 44, 45はI l aj aで 結 婚
39Ki t eeで 結 婚42ヘ ルシン キ で 結 婚 44Loi maaで 結 婚501val oで 結 婚 47, 49は ヘ ルシン キ で 工 員55は 教 会 所 在 村 へ 通 勤46, 51は 共にLapPeenr ant aで 結 婚 45教 会 所 在 村で 結 婚 ・妻の み 働 く 。 47ヘ ルシ ン キ50カ ナ ダ へ 移 住
37は 父 死 亡 後 帰 農54は ヘル シ ンキ
55は 農 業 学 校47は 教 会 所 在 村 で 看 護 婦
37結 婚 して村 内 で農 業39, 43, 53はKot ka
で 勤 務46Vaas aで 勤 務
41ヨ エ ンス で結 婚43ツ ル ク で結 婚45ヘ ル
シ ンキで 工 員47ヨ エ ンス で運 転 手
注1) 世 帯 主 の 項 で 男女とした の は夫 婦 で あ る. 2) 子 供 は上 段 が 男子, 下 段 が女 子 で あ る. 3) ( 労) は 労務 者
01は1901年生 の 意味 で あ る.
4) 耕 地 面 積 以 外 の数 字 は全 て生 年 を表 す. 92は1892年 生
田
W
v
男
温嬰贈茸θ︾
ロ
報
庄
レリア 県内 で の 就 職は 少 く, 南 西 部 工 業 地 帯ある い は スウ エ ー デン に 移 住 する 者 が 殆 んど
で あ る. 男 女 共, 転 出 先で 結婚し, 再 び 郷 里に 帰る者は 殆 んど な い.
・一 つ の 家 族から遠 方に 転出 す る 場 合に は
, 兄 弟 姉 妹が 同 一方 面 で 暮 す 例 が 多 い.
11aj a, Kor ent ovaar a, Hat t uvaar aで は 意 外に 村内 での 移 動が 多く, 転 出し た 後 に は,
より良い 条 件を 求め て, は いり込む 例 が 認 めら れる が, そ の 多 くは 定 着 でき ずに 再び 移 転
し て い る.
6. お わ り に
北 カ レ リア は フ ィ ン ラ ン ド国 内 で も, も
っ と も貧 困 な地 域 で あ る. そ
の原 因 は 自然条 件
の厳
しさ も さ る こ とな が
ら, 分
割 相 続 に よ る土 地 所 有 の 零 細 化 と1950年
代 ま で の高 い 出生
率, 更
に保 有 地 の 拡 大 を 妨 げ る国 有 林, 会
社 有 林 の存 在 な ど が農 民 的 な農 林 業 を存 立 不可
能 に して い る. 特
に第 二 次 大 戦 後 に見
られ た 林 業 労 働 の機 械 化 の進 展 が林 業 労 働 を季 節 的
な もの か ら通 年 労 働 へ と変 質 させ, 特
に大 規 模 企 業 体 で, 少
数 専 業 の林 業 労 働 力 と い う形
態 が 一
一般 化 した29) . こ
れ は多 くの
農 家 労 働 力 か ら 林 業 労 働 を 切 り離 す
結 果 とな
り, か
つ
て, 共
通 の 労 働 力 に依 存 した 農 業 と林 業 は, 過
小 な 農 家 所 有 林 地 に お け る場 合 を除 い て,
画 然 と区 分 され て, 農
家 の 自立 を 困 難 な もの と した.
同 時 に, 戦
後 フ ィ ン ラ ン
ド
の 過 小 農 が 唯一 の 農 業 内の 収 入 源 と した 酪 農 経 営 は高 コ ス
ト
の 乳 製 品 の
過 剰 生 産 とな り, Voi vuor i 30) バ
タ0の
山 を 築 いた た め に, 1969年
の耕 地 留 保
制 度 導入 に見
る様 に, 政
府 の 酪 農 保 護 政 策 が 転 回 した. イ
ロマ
ンチ にお いて1970年
以 降,
耕 地 留保 制 度 の 適用 を 受 け る農 家 が 激 増 して い る現状 で あ り, 11j anvaar aを
は じめ い く
つ か の村 が廃 村
と化
した. ( 第8表)
表8表11j anvaar aお よ びI l aj aの 廃 村, 旧 居 住 者 の 移 転 先 等
( 1) l l j anvaar a
骸 翻
隙
数
性 ・出 生 年 職 業 ・移 転 先 等1
2
Q
J
﹂
4
ド
0
4
4
r
D
慶
U
づ
⊥
M23労 務 者 →Kokkol aへ, 年 金. M28労 務 者 →Si vut i oへ, 工 員 M31労 務 者 妻38→Si vut i oへ, 工 員
M20労 務 者 →110mant s i . Ni emi j ar vi へ, 年 金. N51( 娘) Si vut i oへ, 工 員 N55( 娘) Si vut i oへ, 工 員. N57( 娘) 父 と同 居, 生 徒
M17労 務 者 →Si vut i oへ, 工 員. M48, 50, 51( 息 子) →Si vut i oへ, 工 員 M3農 民 →Si vut i oへ, 工 員, 妻 工員, M52工 員, M56, N57, M60生 徒 N13→Koi t el eへ, 年 金
( 2) l l aj a
{
⊥
9
臼
Q
J
﹂
4
5
Q
J
ハ
b
﹂
4
イ
⊥
Q
J
N95農 婦, M29億 、子) 農 民, N36( 妻) , 移 転 先 等 不 明
M29農 民 →Hat t uvaar aへ, 林 業 労 務 者. N36( 妻) . M53C息 子) 労 務 者N55, 59, 61( 娘) 生 徒, い ず れもHat t uvaar aへ
M37農 民 →Kor s oへ, 工 員
. N43( 妻) 工 員, N61, 61生 徒 N94寡 婦 →Hat t uvaar aへ, 年 金
NO8寡 婦 →Hat t uvaar aへ, 年 金. M34農 民C息 子) →Si vut i oへ, 工 員. M36農 民 偲 子) Mut al aht i へ, 自 動 車 助 手