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老いに抗う性――谷崎潤一郎の晩年の作品をめぐって

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老いに抗う性――谷崎潤一郎の晩年の作品をめぐって

Sex That Resists Old Age

—— On Junichiro Tanizaki’s later works

柴田 勝二

東京外国語大学大学院国際日本学研究院

SHIBATA Shoji

Institute of Japan Studies, Tokyo University of Foreign Studies

キーワード:老い、性、フットフェティシズム、地母神 Key words: Old age, Sex, Foot fetishism, Earth goddess

要旨

『伴』 『瘋癲老人日記』といった谷崎潤一郎の晩年の作品には、 性の能力の衰えを自覚する老年の 男が、 女性の肉体の魅惑に執着する姿が描かれる。 主人公の男が示す性への執着は、 むしろ谷崎 の青年期、 中年期には主題とされなかったもので、 性の活力を失いつつある男が性に執着する姿を描 くことで、 そこに現れる滑稽さや変態性に、 人間の老年期の姿が立ち現れる。

とくに 『瘋癲老人日記』 では語り手は死の手前にあり、 同時にその振舞いは幼児的なエゴイズムを示 している。この老人と幼児が照応しあう構図は日本の文化的伝統のなかにみられるもので、 彼らはいず れも彼岸や他界につながる存在としての相貌を帯びて現れる。 この文脈を踏まえることで、 この作品の 語り手がすでに現実世界を離脱した意識の持ち主であることが示唆される。 そのため彼が示す息子の 嫁の足への愛着は、 エロス的なものであると同時に、 女性のはらむ生の活力への憧憬であり、 それを 分有しようとする行為であることが分かるのである。

ᮏ✏䛾ⴭసᶒ䛿ⴭ⪅䛜ᡤᣢ䛧䚸 䜽䝸䜶䜲䝔䜱䝤䞉 䝁䝰䞁䝈⾲♧㻠㻚㻜ᅜ㝿䝷䜲䝉䞁䝇䠄㻯㻯㻙㻮㼅㻕ୗ䛻ᥦ౪䛧䜎䛩䚹 https://creativecommons.org/licenses/by/4.0/deed.ja

(2)

Abstract

Junichiro Tanizaki’s later works, such as The Key and Diary of a Mad Old Man, depict an old man, with the consciousness of decline in his sexual ability, obsessed with the fascination of a woman’s body. Rather, Tanizaki’s obsession with sexuality was not the main subject of works in his youth and middle-aged years. By drawing a man who is lacking in the sexual ability and obsessed with sexuality, humorousness and perverseness appear in the gap between desire and actuality, and that shows the fi gure of an old age in the humans.

In particular, in Diary of a Mad Old Man, the narrator, who is a “mad old man,” is in his mid-80s and is alive with a sense of death. And at the same time, his behavior shows an infantile egoism. The composition in which the old man and the young child correspond with each other is found in the cultural tradition of Japan, and in this composition they both appear as being con- nected to the other world. Considering this context, we can know that the narrator of this work has a consciousness that has already left the real world. Therefore, it is suggested that his attach- ment of his son’s wife’s foot is not only the expression of his sexual desire, but also an admiration for the vitality of the woman’s life, and an act of trying to share it.

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老いに抗う性   ︱︱谷崎潤一郎の晩年の作品群をめぐって

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劧┠ḟ动୍ࠉ ⪁࠸ࡢᅾࡾฎ

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஬ࠉ ㋃ࡳࡋࡵࡿዪࡓࡕ 一  老いの在り処

  世阿弥は﹃風姿花伝﹄のなかで︑老人を演じる際の心得として︑年

寄り臭く見せようとしてはならないことを力説している︒世阿弥は

﹁先︑仮令も︑年寄の心には︑何事をも若くしたがるものなり︒さり

ながら

︑力なく

︑五体も重く

︑耳も遠ければ

︑心は行けども

︑振舞

の叶わぬなり﹂︵1という前提から︑老いた様を強調するのではなく︑

むしろ若くあろうとしながら身体がそれについていかないもどかしさ

を表現することが︑︿老人らしさ﹀の基本形となるとしている︒具体

的には︑老人を演じる役者は舞台の楽の流れにやや遅れがちに所作を 見せるのがそのズレを印象づけるこつであるとされる︒これは世阿弥独特の鋭い観察眼の発揮された演技の指南だが︑それが単に表現の工夫であるだけでなく︑死に繋がる老いを受け容れがたく思う人間の普遍的な心理を的確に捉えた考察であることはいうまでもない︒ 

谷 崎 潤 一 郎 が 自 身 の 老 境 を 深 め て い く 戦 後 に 執 筆 し

た﹃

少 将 滋 幹 の 母

﹄︵﹃

毎 日 新 聞

﹄ 一 九 四

九・

一 一

〜 五

〇・

︶︑﹃

﹄ ︵ ﹃

中 央公論﹄一九五六

・一

︑五〜一二︶

︑﹃瘋癲老人日記﹄

︵﹃中央公論﹄

一九六一・一一〜六二・五︶といった作品群に現れる︑作者自身を下敷

きとする老人たちには︑こうした世阿弥の考察と指南に繋がる様相が

見られる︒とくに﹃伴﹄︑﹃瘋癲老人日記﹄の二作が色濃く打ち出して

いる︑老人が見せる性への執着は︑衰えつつある彼らの生命力の発現

であり︑女性との交わりを渇望しながらも︑性能力の低減によってそ

れをかつてのようにはなしえない︑﹁心は行けども︑振舞の叶わぬ﹂

もどかしさが彼らを動かしている︒そこから彼らは直線的ではない︑

回避的あるいは迂遠な方法によって女性の身体への親密さと︑それに

よる性的昂揚を得ようとするが︑その迂遠さこそが彼らの老いの証し

であった︒

  一方谷崎自身の壮年期に書かれた作品には︑あえて性に執着しよ

うとする男性は登場していない

︒たとえば

﹃春琴抄﹄

︵﹃中央公論﹄

一九三三・六︶の佐助は春琴との間に都合四人の子供をもうけている

が︑それは春琴の性欲の強さを示唆するとともに︑それに応えられる

だけの佐助の性的な膂力を物語っていた︒眼目として描かれるのは︑

(4)

ともに盲目となることによって互いの身体をまさぐりあう終盤の場面

に象徴されるような︑触覚的な親和の成就であったが︑それが同時に

性的な交わりを示唆していた︒﹃蓼喰ふ虫﹄︵﹃大阪毎日/東京日日新

聞﹄一九二九・一二〜三〇・六︶の要にしても︑妻との性的和合の不十

分さから彼女との離別を考えつつ過ごしながら︑彼自身の性的能力に

問題があるわけではない︒むしろ彼はそれを妻が喚起する度合いの乏

しさに失望しており︑それを補うように混血の娼婦の元に赴くのだっ

た︒反面﹃卍﹄︵﹃改造﹄一九二八・三〜一九三〇・四︑断続︶の綿貫の

ように性的能力の欠如を抱えた男性も登場しているが︑彼は自分が不

能であることを︑﹁男子の中で一番えらい精神的な仕事した人は︑お

釈迦さんでもキリストでも中性に近かつた人やないか﹂︵その二十一︶

などと言って正当化しようとするのであり︑その状態から何とか脱し

て異性との交わりを成就しようと苦闘したりはしていない︒

  こうした先行作品の系譜に鑑みれば︑﹃伴﹄や﹃瘋癲老人日記﹄の

男性主人公たちが示す性への執着は︑彼らが老人であるからこその造

形であり︑その異形さをはらんだ性の交わりの様相に︑彼らにおける

生と死のせめぎ合いが浮かび上がってくるのだった︒もっともこの両

作品の男性主人公の設定にはかなりの差違があり︑﹃伴﹄の大学教授

が五十代の半ばで性能力の低下を嘆きながらもむしろ妻との性交に異

様な熱情を注いでいるのに対して︑﹃瘋癲老人日記﹄の七十代後半に

なる日記の書き手はすでに性能力を失っており︑彼が執着する息子の

嫁との性交を目論んではいない︒書き手の﹁予﹂が彼女に対して望む のはもっぱら接吻や密着であり︑また彼女の足裏を写した仏足石を作って自身の墓に置き︑死後永遠に彼女の足に踏まれつづけることを願うのだった︒  この二作はそれぞれ谷崎が満七十歳と七十五歳の時に書かれているが︑﹃瘋癲老人日記﹄の書き手がほぼ作者と同年齢であるのに対して︑

﹃伴﹄の男性主人公は作者よりもひとまわり以上若く設定されている︒

その︿若さ﹀ゆえに彼は妻との性交に執着する一方︑作者自身の身に

訪れていた老いを反映する形で︑性能力の衰退を託っている︒夫婦が

互いに相手に読まれることを想定しつつ日記を書くという形で展開し

ていくこの作品において︑夫は十歳ほど年下の妻の肉体に執着しなが

らも︑年齢的な衰えから彼女を十分性的に満たしていないという負い

目を持つ一方︑妻が﹁他ノ男ヲ拵ヘタトスルト︑僕ハソレニハ耐ヘラ

レナイ﹂と思う人物である︒にもかかわらず彼は娘婿として想定され

ている木村という青年を介入させて︑妻と親密にさせることで意識的

に嫉妬を喚起し︑それを性生活への刺激としようとする︒その事情に

ついて︑夫は次のように記している︒

元来僕ハ嫉妬ヲ感ジルトアノ方ノ衝動ガ起ルノデアル︒ダカラ嫉妬

ハ或ル意味ニ於イテ必要デモアリ快感デモアル︒アノ晩僕ハ︑木村

ニ対スル嫉妬ヲ利用シテ妻ヲ喜バス㽃ニ成功シタ︒僕ハ今後我々夫

婦ノ性生活ヲ満足ニ続ケテ行タメニハ︑木村ト云フ刺戟剤ノ存在ガ

欠クベカラザルモノデアル㽃ヲ知ルニ至ツタ︒シカシ妻ニ注意シタ

イノハ︑云フ迄モナイ㽃ダケレドモ︑刺戟剤トシテ利用スル範囲ヲ

(5)

318 (3)

逸脱シナイ㽃ダ︒妻ハ随分キハドイ所マデ行ツテヨイ︒キハドケレ

バキハドイ程ヨイ︒僕ハ僕ヲ︑気ガ狂フホド嫉妬サセテ欲シイ︒

  嫉妬は夫が生活のなかで経験しうる数少ない強い感情であり︑その

強さを自身の生命を賦活する力に転化させようとしている︒スピノザ

が﹃エティカ﹄で︑﹁感情とは︑身体そのものの活動力を増大させた

り減少させたり︑あるいは促したりまた抑えたりするような身体の

変様である﹂︵工藤喜作他訳︑以下同じ︶︵2と規定するように︑感情

経験は想像作用を伴うことによって身体の活動力を左右する力を及ぼ

す︒また同じ著書で︑嫉妬が愛する者に対する﹁愛と憎しみがいっし

ょになって生じ﹂る感情であると述べられるように︑愛の対象を奪い

かねない第三者の介在は︑対象への﹁憎しみ﹂という対蹠的な感情を

掻き立てつつ︑その基底にある愛の感情をアンビヴァレントな形で昂

進させることにもなる︒﹁僕ハ僕ヲ︑気ガ狂フホド嫉妬サセテ欲シイ﹂

と記すように︑夫は妻への感情を屈折した形で強めることで自己の生

命を活性化しようとするのである︒

  妻も夫のこうした企図を知りつつ木村との昵懇を深めていった挙げ

句に彼と性関係を持つまでになり︑一方夫は妻との性交の際に高血圧

症の昂進から発作を起こして意識を失い︑その約二週間後に絶命に至

る︒夫の発作と妻の木村との不倫の因果性は明らかではないものの︑

妻の日記に真の関係が隠蔽されながらも記される︑木村との性的な親

密さの進行が夫の嫉妬を過剰に喚起したことが︑深刻な事態を招いた 蓋然性は想定される︒いずれにしてもそれは夫が自分で招いた結果にほかならない︒はじめから彼は木村を妻への性的欲求を強める刺激剤として利用しようとしたのであり︑妻はそれを半ば盾に取るように︑

彼との関係を深めていくからである︒

  総じて夫の妻に対する性的欲求の発現は︑︿死﹀をはらむ形でなさ

れている︒妻は食事の際に飲むブランデーのために︑その後入浴時に

意識を失って倒れてしまうということを繰り返しており︑その都度夫

は裸体の妻を浴室の外に運び出すが︑その際にわざと木村に手伝わせ

ることで彼に刺激を与えたりしている︒そして寝室のベッドに妻の裸

体を横たえて隈無く眺め︑その美しさに打たれたのにつづいて︑意識

のない彼女と思うさま交わるのである︒

彼女ガ睡リ込ンダ︵若シクハ眠リ込ンダ風ヲシタ︶ノヲ見定メテカ

ラ︑僕ハ最後ノ目的ヲ果タス行動ヲ開始シタ︒今夜ハ僕ハ︑妻ニ妨

ゲラレル㽃ナク︑既ニ十分ニ予備運動ヲ行ヒ︑情慾ヲ掻キ立テタ後

デアツタシ︑異常ナ興奮ニフルイ立ツテヰタ際デアツタカラ︑自分

デモ驚クホドノ㽃ヲ行フ㽃ガ出来タ︒今夜ノ僕ハイツモノ意気地ノ

ナイ︑イヂケタ僕デハナクテ︑相当強力ニ︑彼女ノ淫乱ヲ征服デキ

ル僕デアツタ︒僕ハ今後モ頻繁ニ彼女ヲ悪酔ヒサセルニ限ルト思ツ

タ︒    

夫の行為はマサオ・ミヨシも指摘する︵3ように擬似的な屍姦であ

(6)

り︑妻の年齢にそぐわない身体のみずみずしさに魅せられながら︑同

時にそれが仮死的な状態に陥った時に︑彼は﹁自分デモ驚クホドノ㽃

ヲ行フ㽃ガ出来タ﹂のだった︒夫が妻の身体を擬似的な死体として眺

めていることは︑このやや前のくだりに﹁此ノ美シイ皮膚ニ包マレタ

一個ノ女体ガ︑マルデ死骸ノヤウニ

0 0 0 0 0 0 0 0

僕ノ動カスママニ動キナガラ︑実 0

ハ生キテ何モカモ意識シテイルノダト思フ㽃ハ︑僕ニタマラナイ愉悦

ヲ与ヘタ﹂︵傍点引用者︶と記されていることからもうかがわれる︒

その含意は明瞭で︑生命力の発現である性の活力の低下に悩む夫が︑

妻を﹁死骸﹂の近似物とすることでそれを相殺し︑自己を︿生﹀の側

に立たせようとしたのである︒

二  エロティシズムへの逆行

  ﹃伴﹄が発表の当初から﹁芸術か猥褻か﹂という議論の対象となり︑

大家の手になる作品として国会の法務委員会で問題視されるといった

反響をもたらしたのは︑単に性を主題化していたからではなく︑こう

した生者を︿死﹀の圏域に巻き込んでしまう地点での営みが描かれて

いたことと連関しているだろう︒﹃中央公論﹄昭和三二年︵一九五七︶

一月号で小特集﹁さまざまの伴論﹂が組まれているのもそうした

反響の現れだが︑そこに含まれる臼井吉見の批評﹁耽美趣味の限界﹂は︑

冒頭でこの作品がもたらした社会的な物議に言及している︒臼井の記

述によれば︑法務委員会である議員が﹁芸術院会員タルモノガ︑婦人

ニ対シカヽル行為ヲナシ云々﹂と難じたのだったが︑臼井は戦時下で 書き継がれた﹃細雪﹄では抑制されていた︑もともと谷崎のなかにある﹁官能描写﹂への志向が﹃伴﹄で解き放たれた結果として︑そうし

た評価がもたらされることになったと見ている︵4

  ﹃細雪﹄との関係に対するこの臼井の見方は妥当である︒本来﹁芦

屋夙川辺の上流階級の︑腐敗した︑廃頽した方面を描くつもりであつ

た﹂︵﹁細雪を書いたころ﹂﹃朝日ソノラマ﹄一九六一・六︶ものを︑

戦時下の状況に合わせて基調を変改しつつ書き直した所産が︑結果的

に作家を代表する作品としての評価を得ることになったが︑戦時中の

軍部や戦後のGHQによる検閲の圧力がなくなった時点で︑あらため

て自身の︿趣味﹀により強く沿った作品を書こうと谷崎が企図したこ

とは十分考えられる︒二作に先立つ﹃少将滋幹の母﹄が敗戦による喪

失感をモチーフとしていることが想定されるのに対して︑戦後の高度

経済成長の時代を背景として書かれた﹃伴﹄や﹃瘋癲老人日記﹄では︑

中産階級に属する主人公は経済的に余裕のある生活を送っており︑そ

のなかで彼が示す性の快楽への執着が焦点化されている︒その一方に

あるのは︑七十歳代になった作者のなかに浮上してきている老いや死

への意識であり︑両者が混在する形で﹁頽廃﹂への志向に形が与えら

れている︒﹁猥褻﹂はその結果としてもたらされた作品の一面であった︒

  伊藤整は﹃中央公論﹄の小特集に寄せた批評﹁ゆすぶられる良識﹂

でこの作品を︑﹁相当多数の日本人の良識﹂に﹁ゆすぶり﹂をかけ

るものという観点から眺めながら︑﹁良識の名のもとに非人間的腐

敗が始まるのだ︒それをゆすぶり︑変へてゆくのは人間の欲求と論理

(7)

316 (5)

である﹂と述べ︑それが人間を新しい倫理に眼覚めさせる契機となる

という把握を示している︒これはこの小特集の他の評を含めて︑当時

﹃伴﹄に対する否定的な声が多かったなかで︑この作品を肯定的に評

価した数少ない評だが︑結局そこに含まれる﹁良識﹂や良俗に反する

﹁猥褻﹂性を逆説的に肯定しているにすぎないともいえよう︒

  重要なのは性を描く作品が枚挙に暇がなく

︑とくにこの時代にそ

れがせり上がってきていたなかで︑とくにこの作品がそうした眼差

しに晒されたことの意味である

︒﹃

﹄が連載された昭和三十一年

︵一九五六︶は︑石原慎太郎や大江健三郎といった﹁戦後世代﹂の作

家たちが︑露わな性の表現をひとつの武器として登場してくる時代で

あった︒勃起した陰茎が障子を突き破る場面を描いた石原慎太郎の﹃太

陽の季節﹄︵﹃文学界﹄一九五五・七︶が現れたのは前年であり︑﹃伴﹄

の翌年に発表された大江健三郎の﹃飼育﹄︵﹃文学界﹄一九五八・一︶

では︑戦争末期に地方の村に捉えられた黒人兵が︑その﹁英雄的で壮

大な信じられないほど美しいセクス﹂によって主人公の少年たちを感

嘆させる場面が描かれていた︒社会現象をもたらした石原の前者にお

ける性は︑戦後の新時代を生きる青年の陽性の活力を象徴し︑大江の

後者も山間の自然と照応する黒人兵の野性の生命を表象していた︒﹃飼

育﹄の発想にはもともと自然への親近のなかで育まれた生命への愛着

を持つ谷崎のそれと通底する面があるが︑こうした作品の意匠とは対

蹠的な形で性の世界を描いたのが﹃伴﹄にほかならなかった︒  ﹁猥褻﹂とは﹁男女の性に関する事柄を健全な社会道徳に反する態 度・方法で取り扱うこと﹂︵﹃広辞苑﹄第六版︶であるとされる︒けれ

ども芸術が日常の域を超えた衝迫を鑑賞者に与える表現の領域であれ

ば︑それが﹁健全な社会道徳に反する﹂面を多少なりともはらむのは

必然的でもあり︑石原や大江の作品にもそうした側面は当然含まれて

いた︒性を描く方法においては若い彼らの方があからさまであったと

もいえるにもかかわらず︑もっぱら谷崎の作品がそうした観点から問

題視されたのは︑生命の再生産につながる男女の性自体に﹁健全な社

会道徳﹂としての含意があり︑石原や大江の作品がそれを逸脱しては

いなかったのに対して︑﹃伴﹄はそれに逆行する地点に成り立ってい

たからだといえよう︒

  そして﹃伴﹄のこの性格は︑﹁猥褻﹂と隣接的な関係にあるエロテ

ィシズムの問題と関わらざるをえない︒知られるようにバタイユは﹁死

に至るまでの生の称揚﹂︵澁澤龍彦訳︶がエロティシズムの本質であ

り︑通常の市民生活において﹁非連続﹂のなかで生きている人間が︑

﹁連続性﹂を獲得する場がエロティシズムの経験であるとした︵﹃エロ

ティシズム﹄︶︵5︒それが究極的には﹁死に至る﹂のは︑現実世界で

個人が置かれている﹁非連続﹂が溶解し︑悠久な連続性のなかに入る

のが︑その彼岸においてだからである︒プラトンの﹃饗宴﹄でも︑人

間が本来切り離された分身を求める存在であり︑それと合一しようと

する衝動がエロス的欲求として語られていたが︑確かに他者との身体

的な﹁連続性﹂ないし融合を実現することがエロティシズムの根底に

あるということは普遍的にいいうる︒谷崎の表現においては︑たとえ

(8)

ば﹃春琴抄﹄における︿盲目﹀も同様の意味をもち︑春琴と佐助は最

後にともに視覚を失うことによって相互の﹁連続性﹂を成就するに至

る︒とくに後半に描かれる︑盲目の者同士が互いの肌をまさぐりなが

ら風呂を使う場面は︑切りつめた叙述のなかにエロティシズムを色濃

く浮かび上がらせていた︒

  一方﹃伴﹄の夫が日頃託っていたのは加齢による性的能力の低下で

あり︑そのために妻と十分な和合︑すなわち﹁連続性﹂を成就しえな

いもどかしさが彼を悩ませていた︒意識を失った妻を相手に欲望を遂

げるのは︑夫にとっては自身の性的活力を蘇生させる機会だが︑この

行為が疑似的な屍姦である限り︑その昂揚は夫にとってだけのものに

すぎず︑﹁相当強力ニ︑彼女ノ淫乱ヲ征服デキル僕デアツタ﹂という

表白が示すように︑それによって夫は日頃妻の﹁淫乱﹂の力に圧倒さ

れがちであった関係を覆し︑彼女への﹁征服﹂の主体となる感覚を得

るにすぎない︒そればかりかその際に妻の口から﹁木村サン﹂という

言葉が﹁譫言ノヤウニ漏レタ﹂のであり︑それについて妻は﹁夫に抱

かれながら︑それを木村さんと感じてゐるのだと云ふこと︑︱︱︱そ

れも私には分つてゐた﹂と記している︒すなわち妻を性的に﹁征服﹂

することによって彼女との一体感を強めたように感じる夫とは裏腹

に︑妻の心は彼ではない別の男に飛んでいたのであり︑融合も﹁連続

性﹂もそこには成就されていない︒

  その点で﹃伴﹄が︑初老の男の妻への性的執着を描くことでエロテ

ィシズムを横溢させた作品であるとはいいがたく︑それが﹁猥褻﹂の 印象を強める一因をなしていたといえよう︒むしろこの作品の夫を底流するものは︑自身の内にはらまれた︿死﹀を他者に転化することによる相対的な優位の獲得である︒けれどもそれは作中人物の意識的営為の表現としては独自性をもっており︑それがこの作品に﹁芸術﹂としての側面をもたらしているとはいいうる︒いうまでもなく芸術作品に求められるものは﹁良識﹂や良俗に叶っていることではなく︑表現の突出した個性だからである︒  そしてこの側面は﹃伴﹄に遍在する要素として作品にひとつの基調

をもたらしている︒妻自身が性欲の強い﹁淫乱﹂な中年女性として位

置づけられている反面︑夕食時の飲酒の後に入浴する度に意識を失っ

て倒れるという︿仮死﹀への親しさをはらんだ人物であり︑それが夫

の屍姦的欲望を喚起することになる︒また夫がそれだけでなく彼女の

裸体を写真に収め︑木村に現像を頼むことで彼を刺激しようとするこ

とも︑その︿死﹀への傾斜の派生物として見られる︒

  夫は意識を失った妻の裸体を隈なく眺めてその美しさを嘆賞するだ

けでなく︑ポラロイドや通常のカメラを使って彼女の肢体を様々な角

度から撮る︒その理由として夫は﹁第一ハ撮ル㹯自体ニ興味ヲ感ジタ

カラダ︒寝テヰル︵若シクハ寝テヰルフリヲシテヰル︶女体ヲ自由ニ

動カシテ様々ナ姿態ヲ作ツテミル㽃ニ愉悦ヲ覚エタカラダ﹂と述べて

いる︒ここでも夫は妻の身体を︿物﹀として扱うことに快楽を覚えて

いるが︑﹃春琴抄﹄の佐助とは対照的に彼は明らかに視覚型の人間で︑

対象を視覚に捉えることよって支配しようとする欲求をはらんでい

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る︒彼が妻の裸体を自身の視線で嘗めるように覆うことで至福を感じ

るのはそのためである︒

  それにとどまらずに夫が妻の肢体をカメラで撮り︑写真として残そ

うとするのは︑彼女を︿死﹀の圏域に置こうとする行為として眺めら

れる︒ロラン・バルトは写真について論じた﹃明るい部屋﹄で︑写真

は対象に﹁かつてそこにあった

0 0 0 0 0 0 0 0

﹂︵傍点原訳文︑花輪光訳︑以下同じ︶ 0

という過去の位相を与えるもので︑それによって対象は﹁死の化

身﹂となるが︑もともと﹁死がそうした写真のエイドス︵本

性︶なのだ﹂と述べている︵6︒ここでいわれている︑写真が対象を︿過

去のもの﹀として定着させることでその︿生﹀を簒奪するのは︑﹃伴﹄

の夫がおそらく無意識のうちに活用している機能である︒明らかに夫

は写真が対象を二次元の事実性のなかに閉じこめてしまう力をもつこ

とを意識しており︑それによって妻に︿死﹀の位相を付与し︑自身を

相対的に︿生﹀の側に立たせることで︑妻に対する優位を獲得しよう

とするのである︒

三  ︿子供化﹀する老人

  こうした志向は﹃伴﹄をこれまでの谷崎作品の系譜とはやや異質な

地点に置いている︒出発時から谷崎が描きつづけたのは︑美しい女性

に対する男性主人公のマゾヒスティックな執着であるように見えなが

ら︑むしろその女性にはらまれた強い生命力が彼らを牽引していた︒

けれども﹃伴﹄においては︑夫は妻の美しい肢体に魅せられながらも︑ そこで彼が試みるものは今眺めたように︑彼女の︿生﹀を比喩的に簒奪することで︑自身がはらんだ︿死﹀を希釈しようとすることであった︒

  ﹃伴﹄においては︑こうした形で生の活力の衰えを意識した夫が︑様々

な戦略を使って妻に対する優位を得ようとする営為が変奏されてい

く︒けれども谷崎的女性としてのしたたかさを持つ妻は︑夫が取るこ

うした戦略を︑同様に自身を昂揚させ︑夫への優位を奪い返す機会と

して活用しようとする︒それが現出するのがもっぱら木村との関係に

おいてである︒夫が妻への性欲を掻き立てる﹁刺戟剤﹂として用いよ

うとするこの青年に対する愛着を妻は強めていき︑﹁刺戟剤トシテ利

用スル範囲ヲ逸脱シナイ㽃ダ﹂という夫の願望を裏切って︑彼との間

で肉体関係を持つまでになる︒先にも触れたように︑妻の譫言などを

通してそれは夫の知るところとなり︑彼の命を奪う一因をなすことに

なったことも想定されるのである︒

  夫婦の間で展開される︑こうした相手に対する相対的な優位性を確

保しようとする争闘においては︑性はむしろそのための道具として位

置付けられる︒夫婦が相互に読まれることを前提として書きつづける

日記という︑この作品の形式は︑この主体性の争闘が展開される主た

る場である︒篠田浩一郎が指摘するように︑この形式は﹁一種の書簡

体小説﹂であり︵7︑互いへのメッセージをはらみつつ叙述されている︒

そのメッセージ性は夫の側からのものはある程度の真伨さを帯びた妻

への告白であり︑﹁郁子ヨ︑ワガ愛スルイトシノ妻ヨ﹂という冒頭近

くの科白も︑決して嘘ではない︒彼はその﹁愛﹂の表現として妻を性

(10)

的に昂揚させようとしており︑その姿勢自体は性関係が途絶えてしま

いがちな中年以降の夫婦においては健気でもある︒ただ彼がそれを成

就するためには妻に対する心理的な優位性が不可欠であるために︑お

のずと彼女を︿物﹀化する方向を取ることになるのだった︒

  一方妻の郁子は彼の自分に対するそうした扱いの起点にある︑生の

活力の衰えとそれを補うための戦略の伶猾さを十分に知っているため

に︑現実世界における木村との関係の深化と︑それを語る日記の叙述

によって夫を凌駕しようとする︒後半に明らかにされるように︑日記

における妻の記述は夫を誘導するための様々な虚偽を含んでいる︒た

とえば夫がまだ健常であった中盤の﹁四月六日﹂の項では︑彼女が木

村との性的な親密さを深めていったにもかかわらず彼女が﹁最後の一

線﹂を超えなかったという記述がされているが︑夫の死後である﹁六

月十一日﹂の項では︑﹁木村と私の最後の壁がほんたうに除かれたのは︑

正直に云ふと三月二十五日であつた﹂と記されている︒またかつて肺

を病んだことがあったこともあって︑﹁体の工合が寒心すべき状態に

あるのは夫ばかりでなく︑実は私もほゞ同様であることを書きとめて

置かうと思ふ﹂という前半部の記述も︑終盤﹁すべて根も葉もない虚

構で︑それは夫を一日も早く死の谷へ落し込む誘ひの手として書いた

のであつた﹂と覆されている︒また妻に読まれることを前提として書

かれた夫の日記を﹁決して読みはしない﹂と記していたのも嘘であり︑

彼女は﹁疾ふから盗み読みをしてゐた﹂ことがやはり後半明らかにさ

れるのである︒   結局﹃伴﹄において展開されるのは︑夫と妻が互いをそれぞれのや

り方で︿殺し﹀合う様相にほかならない︒夫の戦略のなかで︿物﹀化

され︑また自身の日記においても夫の意に沿う形で自分を︿殺し﹀て

いた妻は︑現実には夫の木村への嫉妬を過剰に喚起することで彼の寿

命を縮め︑また夫の死後に真実を吐露することによって書き手として

も︿再生﹀を果たすことになる︒けれども今度彼女を待っているのは

木村をめぐって娘の敏子と対峙しなくてはならない新たな﹁争闘﹂で

あり︑そこでは自分が︿殺される﹀局面に直面するかもしれないので

ある︒一方その戦略によって生の活力を蘇生させることを図った夫は︑

それによって自身に現実的な死をもたらすことになるが︑そうした形

で妻との性交の後に死に至るというのは︑作品の末尾で妻が﹁夫は彼

の希望通りの幸福な生涯を送つたのであると︑云へるやうな気がしな

いでもない﹂と記しているように︑もともと夫の希求の範囲内にあっ

たともいえる︒

  こうした形での男女間のせめぎ合いは谷崎作品では比較的珍しく︑

その点では﹃伴﹄は晩年にもたらされた異色作として位置づけられ

る︒むしろこうした︿異色性﹀が︑展開や語りにおける技巧を不自然

なものとして指摘する声が多かったことにも見られるように︑発表当

時﹃伴﹄への評価を低くしていた︵8とも考えられる︒

  ﹃伴﹄と比べれば﹃瘋癲老人日記﹄の書き手の老人が示す︑長男の

嫁である颯子に対する性的な執着は︑出発時から展開されてきた︑美

しく生命力のある女たちへのマゾヒスティックな愛着や憧憬という主

(11)

312 (9)

題を引き継いだ性格が強く︑谷崎文学の掉尾を飾るにふさわしい内容

をもっている︒日記の書き手である﹁予﹂も執筆時の谷崎により近似

した人物で︑彼が託っている様々な身体の不調も︑谷崎自身の身に起

こっていたものを写し取っている︒﹃伴﹄の夫が執筆時の作者より約

十五歳若い五十代の半ばであったのに対して︑﹃瘋癲老人日記﹄の﹁予﹂

は七十七歳であり︑その時点の谷崎自身よりやや年長に設定されてい

る︒この設定の意味するものは明らかで︑前者の夫が老いを意識しつ

つも妻との性交に執着しうるだけの活力を備えているのに対して︑後

者の書き手はすでに性交の能力を失い︑死の領域に歩を進めつつある

健康状態にあるにもかかわらず︑なお異性に魅惑される心性を抱えて

日々を送っている︒冒頭に触れた︑世阿弥が老人の輪郭として想定し

た︑心情と身体能力のズレを強めることに意が注がれているのである︒

  ﹃瘋癲老人日記﹄の﹁予﹂は高血圧に悩まされ︑右手を襲う痛みに

耐えかね︑総入れ歯をはずした自分の顔の醜悪さをおぞましく思う︒

高血圧や右手の痛みは現実に谷崎が苦しめられていた晩年の症状であ

り︑自他の遺した文章の記述とも照応している︒﹃高血圧症の思ひ出﹄︵﹃週刊新潮﹄一九五九・四〜六︶には︑五十代からの高血圧症の来歴

が語られ︑六十代に入って二百を超えるようになった血圧を抑えるた

めに︑自分の腕の静脈から血液を取って大腿部または臀部に注射する

﹁自家血注療法﹂を︑大阪大学の医師に施された挿話などが語られて

いる︒﹃雪後庵夜話﹄︵﹃中央公論﹄一九六三・六〜九︑六四・一︶では︑

七十代の後半になって﹁所謂書痙を患つて右手が利かなくなつた こと﹂が﹁近頃の私が何よりも悲しく思ふこと﹂として挙げられている︒この病を患うようになってから︑谷崎は利き手で字を書くことができなくなったばかりか︑書物とくに分厚い辞書類を繰ることが困難になり︑さらに眼も細かい活字を追うことができなくなっており︑﹁す

べてかう云ふ苦しみは︑老病に悩む身にならなければ︑想像も出来な

いことであらう﹂と括られている︒

  谷崎の晩年の助手として共に過ごした伊吹和子の﹃われよりほかに

︱︱谷崎潤一郎  最後の十二年﹄︵講談社︑一九九四︶では︑こうし

た谷崎の右手の不調は﹁﹃瘋癲老人日記﹄の初めのほうに︑ほぼ実体

験のまま書かれている﹂と記されており︑自身を襲っていた身体の衰

えが作品の内容として盛り込まれていることが分かる︒またそれらは

作者自身の姿を映しているだけではなく︑主題の表出を強化する装置

として巧みに活かされている︒高血圧の症状については︑作品では﹁予﹂

の体調を管理する看護士の佐々木が頻繁に彼の血圧を測り︑二百を超

えるような際には憂慮を口にする一方︑﹁予﹂自身は長男浄吉の嫁で

ある颯子に執着し︑シャワールームで彼女の身体に接触し︑さらには

愛撫を加えることで興奮を得ることを愉しみにしており︑それによっ

て﹁少シ眼ガ血走ツテ血圧ガ二〇〇ヲ越スクライニ興奮シナイト物足

リナイ﹂︵3︶などと述懐している︒

  この颯子への愛着や欲望が﹁予﹂を生の世界に繋ぎ止めるよすがで

ある一方︑それを性交という形で遂行しえなくなっている彼は︑足を

はじめとする性器以外の部位への密着や愛撫を繰り返し試み︑颯子は

(12)

それを受け容れることとはねつけることの間で微妙な距離を取りつ

つ︑義父との関係を保っている︒彼女もやはり谷崎的女性としてのし

たたかさを備えた人物で︑こうした形で義父の欲望をある程度受け容

れながら︑その代償のように﹁三百万円﹂という高価な宝石を彼に買

わせたりするのである︒

  ﹁予﹂は颯子への愛着の強さからそうした要求も叶えてやる一方

性能力の喪失に加えて体力自体の衰えも甚だしく︑ひたすら颯子に庇

護される︿子供﹀の位置に自分を置こうとしている︒右手の痛みにし

ても︑とくにそれが烈しい時にはそれを頑是ない子供のように傍らの

颯子に訴え︑慰藉を求めようとする︒

﹁颯チヤン︑颯チヤン︑痛イヨウ!﹂

マルデ十三四ノ徒ツ子ノ声ニナツタ︒ワザトデハナイ︑ヒトリデニ

ソンナ声ニナツタ︒

﹁颯チヤン︑颯チヤン︑颯チヤンタラヨウ!﹂

サウ云ツテヰルウチニ予ハワア〳〵ト泣キ出シタ︒眼カラハダラシ

ナク涙ガ流レ出シ︑  鼻カラハ水ツ洟ガ︑口カラハ涎ガダラ〳〵ト

流レ出シタ︒ワア︑ワア︑ワア︑︱︱︱予ハ芝居ヲシテルンヂヤナ

イ︑﹁颯チヤン﹂ト叫ンダ拍子ニ俄ニ自分ガ腕白盛リノ駄々ツ子ニ

返ツテ止メドモナク泣キ喚キ出シ︑制シヨウトシテモ制シキレナク

ナツタノデアル︒      ︵5︶

  こうしたあられもない悲嘆は当然自身や伊吹の記述には見当たら ず︑作中人物としての﹁予﹂を﹁十三四ノ徒ツ子﹂︑﹁腕白盛リノ駄々

ツ子﹂に擬せられる存在として提示するための虚構にほかならない︒

そして七十代後半の主人公に︿子供﹀の像を重ね合わせつつ︑そこで

噴出する性的欲望の帰趨を描くという方向性がこの作品を貫流してい

るのである︒

四  融合する︿母﹀と︿女﹀

三 島 由 紀 夫

は﹃

瘋 癲 老 人 日 記

﹄ に お け る 谷 崎 の 造 形 の 手 つ き

に︑﹁自己戯画化﹂が

﹁頂点に達し

︑そこにはたえず切迫したユー モアが漂つてゐる﹂様を見ている

︵﹁谷崎潤一郎論﹂

﹃朝日新聞﹄

一九六二・一〇︶︒新聞に掲載された批評ということもあって︑具体的

な引用や分析はなされていないが︑今眺めたような︑自身を素材とし

て地位と資産を持つ老人を﹁徒ツ子﹂﹁駄々ツ子﹂として描き出すよ

うな表出に﹁自己戯画化﹂が認められることは否定しえない︒ただそ

の﹁戯画化﹂は作者個人に対してというよりも︑老人という存在に対

して作動しているというべきだろう︒冒頭に挙げた世阿弥の批評でい

われる︑︿老人らしさ﹀を表現するコツとしての欲求と現実のズレも

やはり滑稽さを浮かび上がらせることになるが︑﹃瘋癲老人日記﹄の

表現の機軸となっているものは︑このユーモアを醸してもいる老人と

子供の照応性である︒

  すなわち老人は肉体の衰退によって行動の主体性から脱落し︑さら

にそれが進めば心身ともに無力化し︑周囲の他者の援助なしには生き

(13)

310 (11)

えなくなる点で小児に近似することになる︒反面﹁予﹂が高価な宝石

を颯子に買ってやるように︑老人はそれまでの営為の積み重ねによっ

てそれなりの社会的な地位や財産を築いていることも少なくなく︑そ

の優位性を活用することで︑﹁予﹂が颯子に対して取るような︑子供

じみたわがままを周囲に押しつけることも珍しくない︒その様相が三

島の指摘するユーモアや滑稽味をもたらす要因ともなっているが︑そ

の意味では老人は老人であることによって︑自分を︿子供化﹀する面

があるといえよう︒

  また意識のうえでも︑一般に老齢に至ると近い過去の記憶が脱落し

やすいのに対して︑幼少期の遠い記憶は明瞭にとどまり︑意識がそこ

に向かいがちになるが︑そうした意識の傾向性は作中にも語られてい

る︒﹁予﹂はある夜母の夢を見︑そこには﹁予ノ記憶ニアル最モ美シ

イ最モ若イ時ノ姿ヲシテイタ﹂母が現れる︒眼覚めてからも﹁予﹂は﹁反

芻スルヤウニ夢ノ中ノ母ノ姿ヲ思ヒ出ス﹂が︑そこでの母は若く美し

いのに対して自分は現在と同じ老人であり︑﹁ソレデイテ矢張自分ヲ

幼童ダト思ヒ︑母ヲ母ダト思ツテヰル﹂のである︒このイメージの二

重性には︑やはり彼が老いを深めることによって﹁幼童﹂の域に還っ

ていることが示唆されている︒

  加えて日本の文化伝統において︑子供と老人が重ね合わされる着想

が根強くあることも看過しえない︒すなわち︑子供が七歳までは神か

らの預かり物と考えられたことと︑高齢の翁が神仏の領域に属する

存在と見なされたことは照応関係をなしている︒幼少のうちに死ぬ子 供が珍しくなかったこともあって︑﹁徒ツ子﹂﹁駄々ツ子﹂にほかなら

ない五︑六歳までの子供を︑まだ人間界の一員になりきっていない存

在と見る眼差しが前近代にあった一方︑柳田国男が﹃先祖の話﹄︵筑

摩書房︑一九四六︶で︑﹁我々の氏神様も︑もとはしばしば同じ老翁

の御姿をもつて︑信ずる人々の幻覚に現はれておられたのである﹂と

述べるように︑家を守る氏神は老人の姿によって象られる︒また能の

﹁翁﹂が同時に神でもあることはいうまでもない︒世阿弥は﹃申楽談義﹄

のなかで﹁翁﹂がもっぱら﹁神事﹂として演じられることに言及する

にとどまっているが︑その娘婿である金春禅竹は﹃明宿集﹄で︑﹁翁﹂

が住吉の大明神や諏訪明神をはじめとする様々な神が地上に示現する

姿を象っている例を列挙している︒

  こうした日本文化における︑老人と子供がその彼岸性において照応

し合う関係は︑﹃瘋癲老人日記﹄の﹁予﹂の颯子に対する執着から現

世的な色合いを脱色し︑彼が颯子の足裏から仏足石を作り︑それを自

分の墓に入れることで︑死後も彼女の肉体と繋がりつづけようとする

着想を自然に導き出す前提ともなっている︒ただこの願望が浮上して

くるのは展開の後半においてで︑それまでの段階では﹁予﹂の﹁駄々

ツ子﹂的な振舞いに力点が置かれ︑その対比のなかで颯子の︿大人﹀

としての優位性が強調されている︒颯子はシャワー室に﹁予﹂を入ら

せて自分の背中を拭かせ︑その際彼が﹁咄嗟ニ予ハタオルノ上カラ両

肩ヲ掴ンダ︒ソシテ右側ノ肩ノ肉ノ盛リ上リニ唇ヲ当テテ舌デ吸ツタ﹂

という振舞いを取ると︑﹁左ノ頬ニ/ピシャット平手打チヲ喰ッタ﹂

(14)

という反応を示し︑次のようなやり取りがそれにつづいている︒       

 ﹁オ但チヤンノ癖ニ生意気ダワ﹂

﹁コノクラヰハ許シテクレルンダト思ツタンダ﹂

﹁ソンナコト絶対ニ許サナイワヨ︑浄吉ニ云附ケテヤルカラ﹂

﹁御免々々﹂

﹁出テツテ頂戴!﹂

サウ云ツテカラ︑浴ビセテ云ツタ︒

﹁慌テナイデ︑慌テナイデ︒滑ルトイケナイカラユツクリト﹂︵2︶

  この場面における﹁予﹂の颯子への欲望の表出と颯子の反応への対

し方は︑明らかに子供と大人の関係性のなかに成り立っている︒﹁予﹂

の颯子に対する従属性と颯子の優位性は﹃痴人の愛﹄における譲治と

ナオミの関係を思わせるが︑譲治と違って老人である﹁予﹂には彼女

を性的に支配しようとする欲求はもともとなく︑その肉体への親密さ

を得ることができればそれで満足しうる︒この日をはじめとして︑﹁予﹂

はシャワー室で颯子の肉体への接触を繰り返し試みるようになり︑二

日後にはバス・カーテンの裂け目から差し出された彼女の足に接吻を

させてもらう︒その二週間後には颯子のふくら脛を唇で吸い︑舌でゆ

っくりと味わい︑さらに﹁舌ハ足ノ甲ニ及ビ︑親趾ノ突端ニ及ブ︒予

ハ跪イテ足ヲ持チ上ゲ︑親趾ト第二ノ趾トヲ口一杯ニ頬張ル︒予ハ土

蹈マズニ唇ヲ着ケル︒濡レタ足ノ裏ガ蠱惑的ニ︑顔ノヤウナ表情ヲ浮 カベテヰル﹂︵3︶といった行為に耽るのである︒

   最後に引用した箇所の行為は︑﹁予﹂が颯子の仏足石を作ろうとす

る着想の伏線をなすとともに︑性能力を失った彼にとっては性交の代

替としての意味をもっている︒この場面や颯子の肩に﹁唇ヲ当テテ舌

デ吸﹂う行為が︑幼児のいわゆる口唇期的な振舞いを想起させること

はいうまでもない︒フロイトは﹃性理論三篇﹄で︑幼児の﹁しゃぶっ

0 0 0 0

たり啜ったりする行為

0 0 0 0 0 0 0 0 0

傍点原訳文﹂︵︑中山元訳︑以下同じ︶が人間 0

の原初的な性愛行為であり︑それが﹁成人するまで続いたり︑一生に

わたって維持されることもある﹂と述べている︵9が︑子供に還って

いる面を持つ﹁予﹂が口唇期の幼児に重ねられる行為を取ることは自

然である︒またここでフロイトが︑幼児のおしゃぶりが﹁生命の維持

にかかわる身体機能の一つに依託して発生したものである﹂と述べて

いるのは興味深い︒﹁予﹂が颯子の足を︿しゃぶる﹀ことも︑それに

対する幼児的な愛着の表現であるとともに︑そこにはらまれた颯子の

生命を分有することで︑自己の﹁生命の維持﹂を図ろうとする行為と

して見ることもできるのである︒

  ﹁予﹂に付与された︑こうした老人と小児が反転する輪郭は︑野口

武彦や前田久徳が指摘するように︑颯子が︿母﹀と︿女﹀を融合する

存在であることと照らし合っている︒野口は﹃瘋癲老人日記﹄で颯子

が﹁予﹂にとって母的な優位性を持ちながら︑同時に彼が颯子の足に

執着していることに新しい展開を見ている︒それは谷崎にとって足が

﹁いつも女の性的官能の世界に参入するための関門﹂となり︑一

(15)

308 (13)

方︿母﹀はもっぱらその胸ないし乳房によって象られるため︑この作

品で﹁谷崎文学における母と女は完璧な合体をとげる﹂のだ

という︵10︒前田は谷崎が﹁老人に自己を仮託して︑おのれの生の救

済場所である︿妖婦﹀と︿母﹀との統一体である︿女﹀との一体化を

形象化した﹂と述べている︵1

  指摘自体には動かせない妥当性があるものの︑重要なのはこの作品

において︿母﹀と︿女﹀が﹁合体﹂や﹁統一体﹂をなしていることの

意味である︒その点について前田はとくに言及しておらず︑野口は両

者が弁証法的に止揚された様態としての﹁子宮の象徴をもって立

ち現れる﹂と述べ︑﹁予﹂が自身の入る場所として描く﹁墓﹂がそれ

に当たるという解釈を示している︒けれども﹁予﹂がこだわりを見せ

るのは墓石や仏足石のデザインに 対してであり︑墓の中の空間を自

身が還っていくべき場所として重視しているとはいえない︒むしろ

︿母﹀と︿女﹀を止揚する観念として想定されるものは︑地母神的な

イメージである︒

  豊饒や肥沃をもたらす大地を体現する存在である地母神は︑原始時

代から世界各地で見られるもので︑日本においても神話や芸能︑文芸

のなかで様々な姿をとって現れてきた︒神話学者の吉田敦彦は縄文時

代の土偶が﹁有り難い母神を表した像﹂であったとし︑ほぼすべて女

性を象っているそれらのほとんが何らかの毀損を受けていることにつ

いて︑人間が蒙る病苦などの不幸を代替的に果たすことが期待されて

いたと述べている︒吉田によれば﹃古事記﹄﹃日本書紀﹄におけるイ ザナミも︑土偶に託されていた﹁大女神の性質﹂を受け継ぐ神であり︑

地上の生命を生み出すと同時に地下世界である黄泉国でみまかること

によって死の世界の支配者ともなるという︵1

  この地母神の両面性はユングが指摘する﹁元型﹂としての母すなわ

ち﹁太母﹂︵グレート・マザー︶の属性とも重ねられる︒ユングは﹁元型﹂

としての母が﹁慈悲深いもの︑保護するもの︑支えるもの︑成長と豊

饒と食物を与えるもの﹂︵林道義訳︑以下同じ︶であるとともに︑﹁暗闇︑

深淵︑死者の世界︑呑みこみ︑誘惑し︑毒を盛るもの︑恐れをかきた

て︑逃れられないもの﹂でもあるという二面性を持つとしている︵13

このうち後者の否定的な面は︑母親が子供に執着しすぎることで子供

を支配し︑束縛しがちになることを示唆しているとされるが︑大地の

暗喩としての母の﹁元型﹂性を考えれば︑そこに仮託される自然と人

間の関係の両面性を表現しているともいえ︑その点では地母神の両面

性とも重ねられるだろう︒

 五  踏みしめる女たち

  興味深いのは︑谷崎の作品における代表的な女性たち︑すなわちナ

オミ︑春琴やここで眺めた郁子や颯子が︑いずれも彼女たちに執着す

る男たちに︑象徴的あるいは文字通りの形で︿生と死﹀をもたらす存

在であることだ︒この点について三島由紀夫は先に引用したのとは別

の論考で︑谷崎の女性に鬼子母神の影を見︑彼女たちにちりばめられ

(16)

ている慈母的な﹁崇高な一面﹂と︑﹁怖ろしい伝説の痕跡﹂の二面が﹃瘋

癲老人日記﹄において﹁見事に統一されている﹂と述べている︵14︶

この三島の指摘は興味深いものの︑谷崎文学を貫く自然の生命への憧

憬に鑑みれば︑自身の子供を養うために他の子供たちを取って喰って

いたという︑古代インドの﹁怖ろしい伝説﹂に発する鬼子母神より

も︑大地との繋がりのなかに生まれる地母神の方が類縁は強いといえ

よう︒なかでも作者晩年の形象である郁子や颯子は︑男性の語り手に

愉楽と死をより直接的にもたらす女たちである︒とくに颯子は谷崎の

偏愛の対象である︿足﹀によって象られ︑仏足石のモデルとされるこ

とで︑大地との繋がりを示唆している︵1

  総じて谷崎作品に登場する男たちは︑自身から枯渇しがちな生命の

籠もった部位として女性の足に執着する傾向を持っている︒それは﹃瘋

癲老人日記﹄の早い先蹤である﹃富美子の足﹄︵﹃雄弁﹄一九一九・六〜七︶

にすでに明瞭に現れていた︒ここで主人公の老人は妾の富美子に難し

いポーズを取らせてそれを語り手の若い画家に描かせようとし︑死の

間際には﹁お富美︑お富美︑私が死ぬまで足を載つけて居ておくれ︒

私はお前の足に蹈まれながら死ぬ︒⁝⁝﹂という︑﹁予﹂の希求に近

似した言葉を漏らすのだった︒﹃富美子の足﹄は作者が三十代前半で

あった頃の作品であることもあって︑富美子の足の美しさに惹かれる

感情は若い語り手にもっぱら託されているが︑こうした老人の心性を

末尾に盛り込んでいることは重要である︒これまで眺めてきたように︑

谷崎の世界では若い女の美しさはそこにはらまれた生命の瑞々しさの 表象であり︑老人がそれに執着する場合は︑それを分有することによって︑彼岸にまで至る自己の生命を長らえさせようとする希求の現れとなる︒  ポーズを取る富美子の左足について︑﹁横さまに倒れかゝらうとす

る上半身の影響を受けて︑ぐつと力強く下方へ伸ばされ︑僅かに地面

に届いて居る親趾の一点に脚全体の重みをかけて︑趾の角でぎゆつと

0 0 0 0

土を蹈みしめて居るのです

0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0

傍点引用者︶と記されるように﹂︵︑谷崎 0

が描く女性の足はもっぱら大地と繋がる力強さによって男性を惹き付

ける身体の部位であり︑その点で大地の化身である地母神に比される

面を持っている︒﹃瘋癲老人日記﹄においては颯子の足は︑先に引用

した﹁濡レタ足ノ裏ガ蠱惑的ニ︑顔ノヤウナ表情ヲ浮カベテヰル﹂と

いった箇所に見られるように︑その足裏を仏足石に写すという目論見

を導く前提として語られ︑足全体の魅惑はさほど具体的に描き出され

てはいない︒けれどもここでも彼女の足に期待されるものはやはり︿踏

む﹀力強さであり︑﹁予﹂は死後も自分を踏みつける颯子の足の圧力

を感じつづけることで︑彼岸において︿生き﹀つづけようとするので

ある︒

彼女ガ石ヲ蹈ミ着ケテ︑﹁アタシハ今アノ老耄レ但ノ骨ヲコノ地面

ノ下デ蹈ンデヰル﹂ト感ジル時︑予ノ魂モ何処カシラニ生キテヰテ︑

彼女ノ全身ノ重ミヲ感ジ︑痛サヲ感ジ︑足ノ裏ノ肌理ノツル〳〵シ

タ滑ラカサヲ感ジル︒死ンデモ予ハ感ジテ見セル︒感ジナイ筈ガナ

イ︒同様ニ颯子モ︑地下デ喜ンデ重ミニ堪ヘテヰル予ノ魂ノ存在ヲ

感ジル︒或ハ土中デ骨ト骨トガカタくト鳴リ︑絡ミ合ヒ︑笑ヒ合ヒ︑

謡ヒ合ヒ︑軋ミ合フ音サヘモ聞ク︒     ︵7︶

(17)

306 (15)

  ここに明瞭な形で現れているマゾヒスティックな志向は︑谷崎の初

期作品から持続する女性の︿足﹀へのフェティシズム的な執着の帰結

をなしているが︑フェティシズムとマゾヒズムが表裏一体の関係にあ

ることはいうまでもない︒ジル・ドゥルーズはフェティシズムの根底

に﹁否認﹂を想定するフロイトの言説を踏まえて両者の補完的な関係

を指摘し︑﹁本義的なフェティシスムなしにはマゾヒスムは存在しえ

ない﹂︵蓮實重彦訳﹃マゾッホとサド﹄︶と述べている︵16︒それは︿物

神﹀として執着する対象と自己との緊密な関係を成就するためには︑

それを用いた痛みを与えられることが確実な手立てだからである︒ま

たフロイトやドゥルーズは触れていないものの︑本来フェティシズム

は物のなかに宿っている超越的な生命︵マナ︶に対する信仰であり︑

だからこそそれにマゾヒスティックに服従する心性が生れてくるのだ

った︒﹃瘋癲老人日記﹄の﹁予﹂もこうした本来の︿物神崇拝﹀とし

てのフェティシズムを受け継いでおり︑現にその足の主体としての颯

子について﹁予ニ神様カ仏様ガアルトスレバ颯子ヲ措イテ他ニハナイ﹂

︵6︶と記されている︒

  もっともこの作品において颯子が﹁神様カ仏様﹂のような超越性を

もって描かれているわけではない︒そうした連想は︑﹁予﹂の意識が

彼岸や他界に向かっていることから派生するものであり︑彼女自身は

張りのある魅惑的な肉体の持ち主ちであるとはいえ︑物欲の強いあり

ふれた踊り子上がりの女であるにすぎない︒けれども作者自身の生来 ともいえる女性崇拝的な傾向と︑齢を重ねるとともにそのなかにせり上がって来た︑他界に近接する意識が相乗する形で︑この女性を主人公の崇拝の対象として括り出している︒  そして﹁予﹂の現世を離脱して彼岸︑他界に向かう心性は︑実際神仏との関わりを志向することになる︒﹁予﹂は遠からず自分が入るこ

とになる墓のデザインを考える際に︑はじめ颯子を象った勢至菩薩を

正面に彫ることを考え︑次いで颯子の足の裏を仏足石に刻んで﹁死後

ソノ石ノ下ニ予ノ骨ヲ埋メテ︑ソレヲ以テ予ト云フ人間︑卯木督助ノ

墓ニ代ヘルト云フ案﹂︵7︶を思いつき︑目的を明かしたうえでみず

から颯子の足の拓本を取ることに労力を注ぐのである︒

  仏足石は本来︑釈迦の足跡を石に刻んで信仰の対象としたもので︑

日本には奈良時代に唐を経て伝わり︑なかでも薬師寺にあるものが仏

を礼讃した仏足石歌とともに著名である︒仏足石が作られたのは︑古

代インドでは像を作る習慣がなかったためとされるが︑いいかえれば

それは仏足石が仏像の代替物であるということで︑﹁予﹂がはじめ颯

子をモデルとする勢至菩薩を墓石に刻ませようとした着想と確かに連

続している︒ちなみに勢至菩薩は阿弥陀如来の右脇侍で︑知恵を以て

衆生を苦しみと戦いの世界から救い出すとされる仏である︒けれども

﹁予﹂が颯子に求めるものは知恵による救済ではなく︑死後において

も彼女との間に生々しい︿肉体的﹀な絆が持続することである︒仏足

石も彼にとっては釈迦の偉大な︿足跡﹀を偲ばせるものではなく︑自

分が愛着を覚える女の身代わりであるとともに︑その主体の生命の力

(18)

を直接的に伝えてくる部位にほかならない︒﹁予﹂は颯子の足に踏み

つけられる感覚をよすがとして︑彼岸において︿生き﹀つづけようと

するのである︒

  その点でこの﹃瘋癲老人日記﹄における﹁予﹂の執着は︑生と死の

両方の世界に向かう二面性を帯びている︒そしてこの作品を流れるユ

ーモアや滑稽味の源泉ともいえる︑死をすでに視野に入れた自己相対

化は︑最後のまとまった作品である﹃台所太平記﹄︵﹃サンデー毎日﹄

一九六二・一〇〜六三・三︶に受け継がれている︒この作品は﹃伴﹄や

﹃瘋癲老人日記﹄とはうって変わって︑作家の家で働く地方出身の若

い女中たちの姿を︑﹁ですます体﹂の平易な語りで綴っていくが︑こ

の語り自体に巧みな意匠が込められている︒作家はほぼ谷崎その人に

同定される磊吉という老人で︑語り手は彼の家である千倉家で︑住み

込みで働いてきた様々な女中たちの生態︑振舞を昭和十年代から三十

年近くにわたって観察してきている︒最後まで身分を明かさないこの

語り手は一見千倉家に長く仕えた老年の元女中のようにも映るが︑磊

吉や妻の讃子を呼び捨てにして語る口調はむしろ語り手が元女中では

ないことを示唆している︒基本的には磊吉の眼差しに寄り添っている

語り手は千倉家の転変をつぶさに眺めてきた︑ほとんど︿家霊﹀的な

存在である︒その基底にあるものは︑すでに現世に距離を取り︑彼岸

からこの世の騒擾を眺める心境に至っていた作者自身の眼差しであろ

う︒この作品が﹃瘋癲老人日記﹄における自己相対化を受け継ぐ地点

でもたらされているといったのはその意味においてである︒   こうした眼差しによって語られた﹃台所太平記﹄は谷崎文学の主流を占めるとはいいがたいものの︑決して創作意欲の枯渇から身辺の日常的な挿話を物語化しただけのものではない︒先に言及した伊吹和子の﹃われよりほかに﹄によれば︑この作品に登場する多くの女中たちはいずれも谷崎家に勤めていた女中たちをモデルとしているようだが︑それぞれに虚構化を施された彼女たちの何人かはやはり谷崎の好尚に叶う輪郭を備えている︒  それは﹃雪後庵夜話﹄で︑自身が愛着を覚える女性のタイプとして挙げられている﹁若くて清潔で溌剌とした女性﹂のなかに︑﹁台所太

平記の女中たち﹂が含まれていることからもうかがわれる︒この作

品に現れるのは女中という位置づけに相応して庶民的な女たちだが︑

反面彼女たちは決して没個性的な使用人ではなく︑それぞれに個性と

生彩を帯びた存在で︑主人の磊吉とその家族に仕えつつ︑しばしば彼

らを驚かせたり呆れさせたりする振舞いをしてみせる︒なかでも谷崎

に相当する磊吉が﹁贔屓﹂にした女中として語られているのは百合と

いう娘で︑およそ美人とはほど遠い百合を彼が気に入ったのは︑彼女

が﹁一番朗かで︑快活で︑主人に対して無遠慮だつたからでした﹂と

語られている︒百合はやがて大女優の付き人となり︑次第に傲慢な言

動が眼に付くようになったと記されているが︑﹃われよりほかに﹄に

よれば︑谷崎がモデルの﹁ヨシさん﹂という女中に﹁欠点を強調した

書き方﹂を施して百合という女中を造形したのは︑むしろ彼女への好

意の現れであり︑それによって﹁﹃痴人の愛﹄の主人公と共通する女

(19)

304 (17)

性像の系列﹂に置かれる存在となったという︒

  この伊吹の評言は的確で︑谷崎が愛着を抱き︑作中で自身の分身で

ある男性主人公に執着させることになるのは︑初期から晩期に至るま

で︑こうしたしたたかな野性の生命力を感じさせる女性たちであった︒

彼女たちはナオミや颯子のような蠱惑的な存在ではないが︑老境を深

め︑性的な執着をさらに脱した時点で谷崎にとって魅力を感じさせる

のが︑こうした快活で溌剌とした若い娘たちであったことは︑谷崎の

世界を底流する志向が何であるかを示唆しているといえよう︒谷崎は

この作品を口述によって完成させた明くる年から体調を悪化させ︑そ

の翌年の昭和四十年︵一九六五︶五月に京都を訪れた後の七月末に︑

最後の住み処となった湯河原の新邸で︑腎不全から心不全を併発して

身まかることになる︒女性の美への憧憬と愛着を表出することによっ

て出発し︑それを生涯創作の主題としたように眺められがちなこの作

家が真に求めたものの在り処を︑こうした晩年の作品から汲み取るこ

とができるのである︒

︵1︶﹃風姿花伝﹄の引用は﹃歌論集  能楽論集﹄︵岩波書店日本古典大系

65︑一九六一︶による︒

︵2︶﹃エティカ﹄の引用は﹃スピノザ  ライプニッツ﹄︵中央バックス世界 の名著30︑一九八〇︶による︒

︵3︶Masao Miyoshi, Off Center: Power and Culture Relations between

Japan and the United States, Harvard University Press, 1994. ミヨシは﹃伴﹄

を窃視︑露出︑屍姦︑フットフェティシズム︑マゾヒズム︑サディズムと

いった性に関わる要素を盛り込みながら︑むしろ滑稽味がちりばめられて

いることを特徴とする作品と見なしている︒そのなかで屍姦的な要素は︑

フェミニズム的な観点から批判されても仕方がない一面として挙げられて

いる︒︵4︶作品の内容については︑臼井は主題をはじめとして筋立てや主人公の

周辺人物の描き方に至るまで﹁ことごとく常識的なものに終始している﹂

と否定的な評価を与えている︒﹃中央公論﹄のこの号には︑臼井のものをは

じめとして四本の﹃伴﹄論が収載されているが︑ここで言及した伊藤整の

論考を除けば︑亀井勝一郎︑十返肇の批評も総じてこの作品に対する評価

は高くない︒

︵5︶G・バタイユ﹃エロティシズム﹄︵澁澤龍彦訳︑二見書房︑一九七三︑

原著は一九五七︶︒

︵6︶R・バルト﹃明るい部屋︱︱写真についての覚書﹄︵花輪光訳︑みす

ず書房︑一九八五︑原著は一九八〇︶︒

︵7︶篠田浩一郎﹁日記体フィクションの可能性︱︱谷崎の﹁伴﹂をめぐっ

て﹂ ︵

﹃國

學﹄ ︶

︵8︶︵4︶で触れたように﹃中央公論﹄の﹃伴﹄論特集での評価は総じて

否定的であり︑とくに亀井勝一郎︵﹁痴人の死﹂︶は最後に種明かし的な形

参照

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