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大 学 史 資 料 セ ン タ ー の 一 〇 年

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〔巻頭文〕

大学史資料センターの一〇年

大日方  純  夫 一  二〇二〇年の大学史資料センター

二〇二〇年、二月頃から深刻化した新型コロナウイルスによる感染症の拡大という事態は、大学史資料センター

(以下、資料センター)の業務にも、深刻かつ重大な影響を及ぼした。

早稲田大学は、三月一六日、新型コロナウイルス感染拡大に対する措置として、卒業式と入学式を中止し、二〇二〇年

度の授業開始を四月二〇日以降に延期するとした。

新型コロナウイルス感染拡大の影響が資料センターの業務に直接に及ぶようになったのは、春季企画展からであっ

た。資料センターでは三月二三日から四月二六日にかけ、歴史館企画展示ルームを会場として春季企画展を開催すべ

く準備を進めていた。しかし、歴史館はじめ本学の博物館が、まず、三月三日より四月五日まで全館休館となり、さ

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らに、授業開始延期にともない四月一九日まで休館期間が延長された。このため三月一九日、次のような春季企画展

の中止文をHPに掲載した。

新型コロナウイルス感染拡大防止のため、例年三月から四月にかけて開催しております春季企画展につきまして、今回は開催

中止とさせていただきます。ご理解のほど、何卒よろしくお願いいたします。

仮に歴史館の休館が四月一九日で終了するとしても、展示期間が一週間しかないこと、また、もともと春季企画展

は卒業式・入学式などの諸行事と連動し、特に今回の展示は学生を主たる対象とするものであるため、諸行事の開催

が見合される現状のもとでは、春季企画展の開催を見送って、あらためて開催の機会を得ることにしたいと判断した

からである。その後、授業は五月一一日から開始されたが(全面オンライン)、歴史館等の休館期間はそのまま延長さ

れた。四月一日には、人事部人事課から新型コロナウイルス感染症拡大防止に係る職員の勤務について、五月一〇日までの

勤務については、各職場の運営状況を考慮しつつ、出勤する職員を最小限とし、かつ、勤務時間を限定するように努め

るようにとの指示があった。これをうけて、四月七日、在宅勤務期間中は、資料センターが所在する東伏見のSTEP

22

への入館は、専任教員・専任職員のみとし、入館する場合は、入館時に受付で教職員証を呈示のうえ、入館簿に入

館時刻・氏名を記載して入館することとした。また、同日、閉室案内を資料センターのHPに掲出した。四月一〇日

には、出勤を例外的な措置としたうえで、出勤(入館)については、所長の了解を得、入館日を事務長および事務メ

ンバーに連絡し、新型コロナウイルス感染症対策本部に所定書類を期日までに提出することとした。

こうして、新型コロナウイルス感染症の拡大下、資料センターは東伏見におけるセンターの中心機能を停止し、百

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五十年史編纂業務等は在宅での推進を余儀なくされることとなった。

五月二〇日には、第一回の資料センター運営委員会を持ち回り審議で開催し、新収資料展の中止を決定した。ま

た、五月二六日の百五十年史編纂専門委員会、六月二四日の百五十年史編纂委員会も、ともに持ち回り審議で開催さ

れた。なお、例年五月に開催される佐賀市の大隈祭(二〇二〇年度は五月一七日に予定)について、四月三日、佐賀市

から延期する旨の連絡があり、ついで五月一四日、中止する旨の連絡があった。

五月二九日には、六月以降の大学方針に即して資料センターのルールを定め、手続き方法を一部簡略化しつつ、六

月第二週目までは現状と同様とし、事務所も閉室することとした。六月二二日、大学から大学の対応が発表され、行

動指針レベルが三から二に引き下げられることになった。これをうけて、出勤についての手続きを若干緩和したが、

事務所の閉室は継続した。

六月二九日、全学的な措置にあわせて、七月六日より事務所を開室することとした(開室時間は一一時~一五時)。ま

た、七月六日以降、出勤体制は定められた出勤日・出勤時間で「出勤」して勤務することとした。そして、七月八

日、約三ヵ月ぶりに対面での定例会議を開催し、続いて百五十年史事務局会議も対面で開催した。こうして、資料セ

ンターに出勤しての業務が再開された。

九月一〇日、大学本部のコロナ対策会議で九月二五日から博物館の開館を再開する旨が決定された。これをうけて

秋季企画展の準備を本格化し、一〇月二日から三〇日までこれを開催した。また、アーカーブズ部門(レファレンス)

も、一一月二日からサービスを再開した。こうして、制約付きではあるが、ようやく資料センターの本来業務が〝復

活〟することとなった。

なお、一一月一八日の第二回資料センター運営委員会、九月二四日と一一月二〇日の百五十年史編纂専門委員会、

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一二月二日の百五十年史編纂委員会は、オンライン(ZOOM)で開催した。

二〇二〇年は、資料センターにとってもこのように異例な年となったが、以下では、資料センターの通常業務に立

ち返って、この一〇年間を振り返ってみることにしたい。

二  一〇年前の大学史資料センター─『文化推進部年報』から

私は、一〇年前、二〇一〇年度の「大学史資料センターの動き」を、『文化推進部年報』で次のように報告してい

る。当時と現在を対照させるための素材として、まず、そのまま掲げてみることにする。

  大学史資料センターは、早稲田大学の歴史、創設者大隈重信および関係者の事績を明らかにし、これを将来に伝承すると

ともに、比較大学史研究を通じて、本学の発展に資することを目的としています。二〇〇九年度からは、従来の業務に加え、

オープン教育センター設置科目として「早稲田学」を開設し、大学教育の一環としての自校史教育を担っています。二〇一〇

年度には、百五十年史編纂事業が開始され、その事務を担当することとなりました。

  (1)資料の収集・整理と保存・公開

  引き続き本学の文書および本学関係者に関する資料を整理し、保存・公開をすすめました。二〇一〇年度には、大隈重信が

宮中から下賜された杖など二六件の寄贈がありました。

  (2)資料の閲覧・複写サービスとレファレンス

  一二〇号館レファレンスルームにおいて所蔵資料の閲覧・複写サービスを行い、大隈会館地階のレファレンスルームで高等

教育に関する出版物・関係資料の閲覧サービスを行いました。資料の刊行物等への掲載希望は引き続き多く、その可否を判断

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しました。

  (3)企画展示・講演会等の開催

  ①大隈記念室(二号館一階):二〇〇七年一〇月にリニューアルした常設展示により、大隈重信の遺品類や厳選した資料を

通して大隈の生涯を描き出しています。二〇一〇年度は、二号館耐震補強工事のため三ヵ月間閉室し、また、東日本大震災の

ため、三月一時閉室しましたが、約九〇〇〇人の入場者がありました。

  ②春季企画展:卒業式・入学式を中心とする三月下旬から四月下旬に開催しています。二〇一〇年度は、會津八一記念博物

館企画展示室において、「浅沼稲次郎とその時代」を開催しました。

  ③受贈資料展:六月下旬から八月初めにかけ、前年度に校友・大学関係者から寄贈された資料の一部を展示するとともに、

資料を通して本学のあゆみを紹介しています。二〇一〇年度は、大隈記念タワー一二五記念室で開催しました。

  ④秋季企画展:ホーム・カミングデーと創立記念日の時期を中心に、本学の歴史に関する企画展を開催しています。二〇一〇

年度は、大隈記念タワー一二五記念室で「早稲田四尊生誕一五〇周年記念高田早苗展」を開催しました。

  (4)出版・刊行事業

  ①『早稲田大学史記要』:年一回、発行しています。二〇一〇年度は、第四二巻(A5判、二一六頁)を発行しました。

  ②『大隈重信関係文書』:大隈重信宛の書翰六〇〇〇通余を解読・編集し、差出人別の五〇音順に収録・刊行しています。

二〇〇四年一〇月の第一巻以来、毎年一巻ずつ刊行し、二〇一〇年度刊行の第七巻では、田中正造二九通、高田早苗二八通な

ど、一七五名・七二五通を収録しました。全一一巻の予定で、これによって大隈をめぐる膨大な人的ネットワークと、多種多

様な意思と情報の交差状況が浮き彫りにされることになります。

  (5)自校史教育の展開

  ①「早稲田学」:二〇一〇年度も、オープン教育センター設置科目として「早稲田学」を開講し、学生に対して「創設者大

隈重信」と「近代史の中の早稲田大学」を講義しました。

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  ②新入生向け教育プログラム:二〇〇九年度に引き続き、オンデマンド講義「わせだライフABC」のテーマ八「早稲田大

学の歴史を学ぶ」を担当しました。

  (6)百五十年史編纂事業

  二〇一〇年六月、百五十年史編纂委員会が設置され、大学史資料センターでは、要綱第八条にもとづいて委員会事務を担当

し、基礎作業をすすめました。

以上が、私が二〇一〇年九月、所長となったその初年度の資料センターの活動状況である。つぎに、その後一〇年間

の資料センターの推移を、各項目に即して整理しながら、当面する課題と今後の行方を展望していくことにしよう。

三  大学史資料センターの一〇年間──その推移

(0)資料センターの東伏見移転

各項目について整理する前提として、まず、言及しておかなければならないことがある。資料センターにとって、

一〇年間での最大の変化は、設置場所が早稲田キャンパスの一二〇号館(旧早稲田実業校舎)から、二〇一三年七月末、

東伏見キャンパスに移転したことにある(九月より業務再開)。

二〇一〇年時点の資料センターの場所は、①一二〇号館五階の事務所・会議室等、②同館地階の資料庫・レファレ

ンスルーム、③本部棟である大隈会館地階のレファレンスルームの三か所に分かれていた。①で一般事務にあたると

ともに、『大隈重信関係文書』の編纂業務(後述)などを推進し、②で資料の受入れ・保管・公開業務と、レファレ

ンス業務(所蔵資料の閲覧・複写等のサービス)を行ない、③で高等教育関係・比較大学史関係の資料・文献について、

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利用者の閲覧に供していた。

このうち③については、二〇一〇年一〇月、大隈会館棟のセキュリティ強化の一環として移転措置が講じられるこ

とになり、同年一一月、総務部と協議した結果、同等の収蔵能力を持つ施設を提供することを条件として、大隈会館

地階からのレファレンスルームの移転を承諾した。その後、キャンパス企画部と移転場所について検討を重ねたもの

の、二〇一一年三月、東日本大震災が発生し、同年六月、緊急性の高い工事が増加する等の経済的理由から新規工事

の着工はすぐには困難であること、資料センターの業務効率からすれば一二〇号館が望ましいことなどから、当面の

改修等は行わず、③の資料・文献は一二〇号館地階の書庫に収蔵し、レファレンス機能も②と統合することとなっ

た。ただし、書庫の収蔵量には限りがあることから、今後、収蔵に余裕がなくなった時点で、移転による書籍分の増

床を行うことが申し合わされた。以上の確認にもとづき、二〇一一年九月、③の管理資料を②に移転し、レファレン

スルームも②と統合した。その結果、当然のことながら、スペースの狭隘化が深刻な問題となった。

二〇一二年三月、同年度半ばには残りの収蔵スペースを使い切ってしまう見通しとなったため、③に相当するス

ペースの保障を喫緊の課題として要請し、同年八月、担当理事にこの点を重ねて要請して、その責任において対処す

るとの回答を得た。しかし、スペース問題解消の措置が講じられないままに、二〇一三年三月、突如、東伏見キャン

パスへの移転に関しての打診があり、四月以後、折衝を重ねたものの、結局、大学本部の施設利用上の理由から東伏

見キャンパスに移転することとなった。こうして七月末から八月初めにかけて、あわただしく東伏見に移転し、九月

より業務を再開した(移転経緯の詳細については、本誌第四五巻掲載の「大学史資料センターの存在意義と東伏見移転」を参照

されたい)。

これによって、狭隘を余儀なくされていた収蔵スペースは約一・七倍となり、閲覧スペースも拡張された。しか

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し、利用者の利便性は少なからず低下し、後述(2)の展示準備や、(3)の『大隈重信関係文書』の編集作業に、多

大の支障を来すこととなった。

(1)資料の収集・整理・保存・公開とレファレンス

早稲田大学のアーカイブズである資料センターの機能・活動の中心が、資料の収集・整理・保存と公開、およびレ

ファレンスにあることはいうまでもない。したがって、一〇年間、継続的に資料の受入れと整理・公開業務を進めて

きた。ただし、公開については、原資料とは別に、すでに公開していた戦前分にかかわる「写真データベース」に続い

て、二〇一三年度から「写真データベース(戦後編)」の一部を公開した。さらに、二〇一〇年度以来、科学研究費補

助金(研究成果公開促進費)の助成をうけて、「保守と革新の近現代史データベース」として所蔵資料のデータベース

化をはかり、まず、「堤康次郎関係資料」「日本社会党関係資料」の資料画像の公開をすすめた。さらに、二〇一四年

度から二〇一七年度までは、「社会運動情報資源データベース」(研究成果公開促進費)としてこれを継続し、「堤康次

郎関係資料」「日本社会党関係資料」のデータベース化を継続するとともに、新たに「安部磯雄文庫」「風見章関係文

書」「大山郁夫関係資料」「浮田和民文庫」などのデータベース化をはかって、これらを公開した。

(2)企画展示・講演会等の開催

資料センターが担当する展示としては、常設展示である大隈記念室と、年間に三つ開催する企画展の二本立てで取

り組んできたが、これには、二〇一八年三月の「早稲田大学歴史館」(以下、歴史館)の開館を機として、変化が生ま

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れた。資料センターでは、歴史館開設へ向けて検討が開始された初期段階において(二〇一六年五月から九月の時期)、歴史

館は「早稲田」に関する歴史を系統的に集約・調査・研究・公開・発信する機関であることが望ましいとして、①

「早稲田」の歴史に関する記録を保存・公開する機関(文書館)、②「早稲田」の歴史を常時展示・公開する機関(博

物館)、③「早稲田」の歴史に関する調査・研究にあたる機関、という三機能をもつ「歴史館」像を〝理想形〟とし

て提起した(その一端について、後掲の資料2を参照)。

しかし、その後、歴史館は文化推進部の管理・運営のもとで開館・運営されることとなった。したがって、資料セ

ンターは、歴史館の開館準備に際し、歴史館の常設展のうち「久遠の理想」エリア(一部を除く)の展示内容と、開

館時の企画展を担当するかたちで開館に協力した(これに関わる資料センターの助教・助手の超過勤務については後述)。

また、歴史館が文化推進部のもとで管理・運営されることになり、早稲田大学や大隈重信などに関する恒常的な展

示に資料センターが責任を負うことはなくなった。このため、歴史館開館に先だち、二〇一七年八月六日をもって大

隈記念室を閉室した。二〇〇七年の開室以来約一〇年間の来室者数は約一六万人であった。

歴史館の開館によって、資料センターは、上記〝理想形〟の②を除く①・③を中心業務とすることになった。

なお、歴史館の開館によって、年三回の企画展の開催会場も変化した。それまで卒業式・入学式を中心とする三月

下旬から四月下旬の春季企画展は、會津八一記念博物館の企画展示室、前年度に寄贈された資料の一部を展示する六

月下旬から八月初めにかけての受贈(新収)資料展、ホーム・カミングデーと創立記念日の時期を中心に開催する秋

季企画展は、大隈記念タワーの一二五記念室で開催することが恒例となってきたが(二〇一一年度の春季企画展は、東

日本大震災のため開催見合わせ)、二〇一八年以降、歴史館の企画展示ルームが会場となった(二〇一七年度は歴史館設立

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準備のため企画展はすべて中止)。

(3)出版・刊行事業

この一〇年間の前半、出版事業として中心的に推進したのは、創立一二五周年記念事業の一環として、二〇〇三年

度にスタートした『大隈重信関係文書』の翻刻・出版事業であった。二〇〇四年一〇月の第一巻刊行以来、毎年一巻

ずつ刊行してきたが、二〇一五年三月をもって全一一巻が完結し(二〇一三年から電子書籍(紀伊国屋書店)としても配

信)、同年七月、『大隈重信関係文書』完成記念式典を開催した。この完結を機として、出版・刊行事業の中心は、資

料センターそのものの業務ではないものの、その編纂事務を担当する早稲田大学百五十年史編纂業務に移行すること

となった(後述)。

なお、完結を記念して、同年一〇月には、秋季企画展「大隈重信展──早稲田から世界へ」と、シンポジウム「大

隈に手紙を寄せた人びと──大隈重信へのまなざし」を開催し、『図録  大隈重信の軌跡』を編集・刊行した。

これとは別に、二〇一七年度には、『早稲田の戦没兵士〝最後の手紙〟──校友たちの日中戦争』(A5判、三二二

頁)を編集し、芙蓉書房出版より刊行した。これは、日中戦争で戦死した校友二六六人の履歴・軍歴・戦死状況・手

紙(当時の『早稲田学報』に連載)を収録したものである。

(4)自校史教育の展開

オープン教育センターの設置科目として「早稲田学」を開設したのは、二〇〇九年度のことであった。「創設者大

隈重信」と「近代史の中の早稲田大学」の二つを開設し、前期(春季)と後期(秋季)、一五回ずつ講義することにし

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たのである(各二単位)。以来一二年間、この「早稲田学」によって自校史教育を展開して、現在に至っている。なお、

二〇一四年度からは、大学の歴史を扱った後に創設者について講義した方がよいとの判断から、前期と後期を入れ替

え、また、創設者についても大隈だけでなく、小野梓と「四尊」を含めることとして、前期を「近代史のなかの早稲

田大学」、後期を「創設者大隈重信と建学者たち」に変更した。

さらに、二〇一七年度からは、クォーター化に対応した編成替えを行って、「「早稲田学」の基礎α(日本近現代史

のなかの早稲田大学)」(春クォーター)、「「早稲田学」の基礎β(創設者大隈重信と建学者たち)」(夏クォーター)、「「早稲田

学」の探究α(人物で探る早稲田)」(秋クォーター)、「「早稲田学」の探究β(テーマから探る早稲田)」(冬クォーター)」、

とした。なお、冬クォーターは、二〇一八年度から「「早稲田学」の探究β(早大生たちの活動と生活)」に変更している。

(5)百五十年史編纂事業

二〇一〇年度にスタートし、資料センターがその事務を担当することになった百五十年史編纂事業は、資料セン

ターの新たな業務として、この一〇年間の活動を大きく特徴づけてきた。したがって、これについては節をあらため

てその展開過程を整理しておくことにする。

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四  百五十年史編纂事業の推進経緯

(1)編纂事業の基礎づくり

二〇一〇年六月一日施行の「早稲田大学百五十年史編纂委員会設置要綱」にもとづいて、早稲田大学百五十年史編

纂委員会(以下、編纂委員会)が設置され、資料センターがその事務を担当することとなった。資料センターでは、ま

ず、基礎作業をスタートさせ、二〇一一年度、編纂委員会の下に設置された編纂専門委員会(以下、専門委員会)で検

討をすすめた。そして、それを踏まえて二〇一一年一二月、編纂委員会で基本方針、出版物の構成、資料収集の方

針、編纂日程などが承認された。その概要は次の通りである。

1.編纂の基本方針

(1)編纂準備委員会報告(二〇一〇年三月二九日)を踏まえて編纂をすすめる。

(2)新しい時代に対応した新しい年史の編纂をめざす。データベース化・Web版等の充実を同時進行させて、編纂を進

める。

(3)大学史資料センターの機能に即した推進をはかり、編纂のプロセスを重視する。早稲田学等との連携をはかり、自校史

教育の推進に役立てる。また、アーカイブズ機能を確立するための推進力とする。

2.百五十年史および関連出版物の構成

(1)百五十年史の構成

  ①編纂準備委員会報告を踏まえた二〇一〇年度第一回編纂委員会の確認にもとづき、全三巻構成を基本とする。

(13)

  ②巻別構成は編纂準備委員会報告のA案をベースとし、各巻の区分は、大学の制度的な転換を指標としておこなうものとす

る。おおよその内容区分は、以下の通り〈引用注─巻別構成のみを記す〉。

     第一巻:創立~戦前期(専門学校令・大学令下の早稲田)

     第二巻:戦後~一九九〇年頃(創立百周年事業まで)

     第三巻:一九九〇年頃以降

  ③大隈重信個人にかかわる詳しい叙述は『百年史』に譲り、東京専門学校創立期の叙述を充実させて、創立経過と建学理念

の明確化をはかる。

  ④別巻は想定せず、部局・箇所については本編のなかで扱う。

  ⑤各巻本文の分量(ページ数)の目安は、平均八〇〇~八五〇ページとする。なお、判型・組み方(タテ組・ヨコ組の別)

については、今後、検討をすすめる。

  ⑥出版状況の推移を見定め、紙媒体とは別の新たな形態(媒体)による刊行にも対応できる準備を重ねる。

(2)関連出版物

  ①写真集

    データベースの充実を前提として企画を準備する。

  ②資料集

    当面、『記要』を活用して、資料の整理・公開をはかるとともに、基本資料のデータベース化とその公開をはかる。

  ③事典(大学事典・人名事典)

  

  Web版のデータベース化を進行させ、その充実と活用の促進をはかりながら、成果を蓄積して、事典形式の出版を展

望する。

(14)

編纂日程としては、二〇一四年度に『大隈重信関係文書』の翻刻が終了する見込みのため、二〇一五年度から第一

巻の執筆・編集を本格化して、二〇二〇年度にこれを校正・刊行し、ついで第二巻の執筆・編集に着手して、二〇二六

年度にこれを校正・刊行、さらに第三巻の執筆・編集を進めて、創立一五〇年に当たる二〇三二年に完結させるとい

う見通しが想定された。

二〇一二年度は、構想・構成、資料調査・収集の方針などについて協議をすすめるとともに、「早稲田人名データ

ベース」の作成をすすめて公開を開始した。

二〇一三年度は、前年度からの検討作業を継続するとともに、編集・執筆体制に検討を加え、専門委員会の機能・

権限を明確化するために「運営要領」を定め、二〇一五年度以降の編纂業務体制について検討を加えた。さらに学徒

出陣・戦争犠牲者調査などについて検討し、編纂事業の一環として調査事業を本格化させることとした。

二〇一四年度は、第一巻の概要・構成についての検討をすすめるとともに、既存資料・文献のデジタル化と公開に

関して協議した。また、学徒出陣・戦争犠牲者調査を本格化させ、一六回にわたり一一人の方々に対する聞き取り調

査を実施した。

(2)編纂事業の本格化

当初、二〇一五年度から編纂事業を本格化する予定であったが、事業活動について理事会の承認が得られなかった

ため、編纂事業の見直しをはかった。その結果、二〇一六年二月、理事会の承認決定を受けた。なお、二〇一五年

度、早稲田キャンパスの九九号館(STEP

21)に資料センターの分室を開設し、編纂室等の機能を担うこととした。

二〇一六年度は編集大綱・執筆要領の検討を重ね、一一月の編纂委員会において編集大綱を確定した(後掲の資料1

(15)

を参照)。

以下、二〇一一年一二月の編纂委員会で承認された出版物の構成、資料収集の方針などについて、二〇一五年度以

降、いかにその具体化をはかってきたのかを整理しておくことにしよう。

まず、本編である百五十年史そのものの編集業務については、第一巻を中心として、二〇一五年度以降、編集・執

筆についての検討を重ねた。二〇一六年度には、第一巻の構成案の検討を中心に第一次草稿の編集作業をすすめて、

新たに設置された第一巻編集会議で執筆分担等を協議した。そのうえで二〇一七年度から第一巻の編集・執筆に取り

組み、以後、編集・執筆を推進するとともに、校閲・校正の方法についても検討して、現在、二〇二〇年度末の原稿

集約、二〇二一年度中の刊行を目ざして〝奮闘〟中である。

第二巻についても、二〇一五年度から編集方針などについての検討をすすめ、二〇一六年度には構成案の議論を重

ねて、二〇一七年度以降、構成案と重要事項などについての検討をすすめた。そして、二〇二〇年度には、構成案

(目次案)について、おおよその見通しを得るに至った。

資料収集については、二〇一五年度以降も、学内外の資料の調査・収集をすすめるとともに、学内箇所のヒアリン

グ調査などを行なってきた。また、法人会議資料の目録化・デジタル化を推進して、現在に至っている。二〇一六年

度以降、大学関係者への聞き取り調査を実施するとともに、聞き取り済みデータの公開をはかってきた。今後、第二

巻・第三巻の編集・執筆に向け、その強化が必要となっている。

関連出版物については、紙媒体ではなく、データ・ベース化を推進してWeb版で公開することを基本に、以下の

通り、その進捗をはかってきた。

二〇一二年度に公開を開始した「早稲田人名データベース」(前述)については、以後、追加・更新・公開を継続

(16)

して、現在に至っている。

二〇一五年度には、『早稲田大学百年史』の全文テキストデータ化に着手し、二〇一六年度もデジタル化・Wiki化

の作業をすすめて、二〇一七年度、これを公開した。

二〇一六年度には、「Web版資料集」の編集・公開事業として、「戦争犠牲者データベース」の公開準備をすす

め、二〇一七年度に公開した。さらに、二〇一八年度には、「学校設置関係資料データベース」、「『早稲田学報』記事

データベース」の公開準備をすすめ、二〇一九年度に公開した。二〇一九年度には、「『中央学術雑誌』等データベー

ス」と「課程表・学科配当表データベース」の公開準備をすすめ、現在(二〇二〇年度)、これを継続するとともに、

「留学生情報/早稲田大学・東アジア関連記事データベース(仮)」の公開準備もすすめている。

なお、二〇一七年度からは、百五十年史の本編についても、Wikiシステムを活用した『早稲田大学百五十年

史』編纂システムの構築について検討をすすめて、現在に至っている。

二〇一五年度、「大学史セミナー」を連続的に開催することを企画し、二〇一五年一二月、その第一回を開催した。

二〇一六年度には、編纂事業の本格展開とあわせて、「大学史セミナー」を二回開催した。二〇一七年度には、拡大

版シンポジウムとして、「新しくみえてきた早稲田の歴史──『百五十年史』編纂過程の成果と課題」を開催した。

五  資料センターの人的構成とその配置

資料センターのスタッフは、現在、教員系列の講師(任期付)一名(「早稲田学」・百五十年史編纂担当)、助教一名

(アーカイブズ担当)、助手一名(百五十年史編纂担当)と、専任職員(事務長を含め)三名、職員系列の常勤嘱託一名(百

(17)

五十年史編纂担当)、専門嘱託(非常勤)二名(アーカイブズ担当、ただし現在一名欠員)、専門嘱託(非常勤)四名(百五十

年史編纂担当、ただし現在一名欠員)から構成されている。これに一般嘱託・派遣社員・アルバイトが加わって、業務

の推進がはかられている。

(1)助教・助手の配置と選任

二〇一〇年時点では、教員系列は助手二名のみであった。しかし、二〇一一年度から、新規雇用創出の一環として

助教一名の採用(任期最長六年間)が認められることとなった。そこで、二〇一〇年一二月の運営委員会において、資

料センター助教内規を定め、早稲田大学百五十年史編纂事業の推進と、在学生に対する早稲田大学史の教育を担当す

る助教(任期は原則二年)を置くこととした。また、二〇〇三年三月に定めた助手内規を改定・整備して、助教内規と

同様、その選考・決定手続きを明確化した。助手(任期は原則三年)の担当業務は、従来と同様、①資料の収集、整理

および保存、②資料の調査、研究およびその成果の発表、③講演会、公開講座、シンポジウム等の開催、④資料の公

開およびレファレンスサービス、⑤センターの管理、運営に関する業務、とした。

さらに、これとあわせて助教・助手の選考方法の明確化をはかった(以後現在に至るまで、教員系列の採用人事は、基

本的にこの方法により実施)。すなわち、運営委員会の下に審査委員会を設置し(委員五名は運営委員会において選出)、審

査委員会が審査してその結果を運営委員会に報告し、運営委員会が候補者を決定するという方法である(嘱任は大学)。

二〇一〇年一二月の運営委員会では、助教(早稲田大学百五十年史編纂事業の推進および在学生に対する早稲田大学史の

教育を強化充実するための能力を有する者)、助手(大隈重信関係文書の翻刻に従事するため、明治期の手書き文書が読める者)、

助手(本学に関する資料の収集、整理およびレファレンス(問合せ)への対応ができ、大学行政文書アーカイブズの見識が

(18)

ある者)の計三名の公募(学内推薦)を行うこととし、選考を経てその候補者を決定したのである。

(2)百五十年史編纂の本格化にともなう人員配置

二〇一四年度をもって『大隈重信関係文書』の編纂・刊行業務が終了することから、二〇一五年度以降の業務体制

を念頭においた人員配置の検討をすすめ、二〇一三年一二月の編纂委員会において、百五十年史編纂業務体制に関

し、二〇一五年度より、助教一名、常勤嘱託一名に加え、助手一名、非常勤嘱託五名をもって、『百五十年史』編纂

業務を推進することが承認された。

二〇一四年四月の第一回編纂委員会は、この承認を踏まえ、二〇一五年度から資料センターの助教一名、助手一

名、常勤嘱託一名、非常勤嘱託五名によって、百五十年史編纂業務の本格的推進をはかることを決定した。業務分担

としては、助手一名を百五十年史編纂の主担当とし、編纂業務全体の調整と会議運営などの事務にあたること、助教

一名は主として出版企画と教育業務にあたり、常勤嘱託一名は主として資料調査の推進業務にあたること、非常勤嘱

託のうち四名は、分担して各巻の調査・編集業務(執筆を含む)にあたり、一名はデータ・ベース化とWeb公開の

業務を主に担当すること、とした。さらに、以上の分担業務とあわせて、戦争犠牲者関係の調査業務を担当し、校友

会・厚生労働省等における調査の推進と集約にあたり、また、写真集の編集を念頭において系統的な写真資料の収集

をはかり、そのデータ・ベース化をすすめることとした。

しかし、データ・ベース化とWeb公開の業務を主に担当する非常勤嘱託一名は、確保できないまま現在に至って

いる。また、次に記すように、二〇一八年度から、助教が講師(任期付)に身分変更となった。

大学の制度が改まり、二〇一八年四月から講師(任期付)が新設されることとなったため、二〇一七年一一月、運

(19)

営委員会において資料センター規程の改正および内規の新設・見直しを行って、講師(任期付)に関する内規を新設

し、助教内規・助手内規を改定した。そして、二〇一八年四月より現在に至る講師(任期付)一名・助教一名・助手

一名の体制となったのである。

ところで、二〇一七年度、資料センターは本来業務とは別に、前述のように歴史館の開館準備に力を割かざるを得

なかったことから、担当スタッフのオーバー・ワーク、時間外勤務(無償)等によって、業務を維持することを余儀

なくされた。また、レファレンスの休止、寄贈・移管資料の未整理、百五十年史編纂業務の遅滞など、本来業務に少

なからず支障を来すこととなった。このため、歴史館の開館後、人的・予算的な補償を検討してほしい旨を文化推進

部に申し入れた。

他方、嘱託については、現在、大学の制度で、契約期間が最長五年間と定められており、しかも、嘱託として資料

センターで就業経験がある場合には雇用できないことになっているため、継続的に雇用することができない。した

がって、安定的な業務の継続には常に不安をかかえている。しかも、専門性を要する業務であるため、しばしば厳し

い人材難に直面してきた(現にしている)。

二〇一九年度には、担当スタッフの退職により、途中から資料の閲覧・複写、および資料に関する問い合わせ対

応、資料の複写物の出版掲載・放映等利用受け付け、資料の寄贈・移管受け付け、資料の貸出受け付けを休止せざる

を得ないという事態も発生した。

また、執筆を含む百五十年史編纂業務には、専門性と経験の蓄積が不可欠なため、その継続的・発展的な展開を維

持するために苦慮を重ねているのが率直なところである。

こうして、資料センターの専門的な業務を担う中心スタッフは、教員系列も、職員系列も、ともに雇用期間が限ら

(20)

れている。このため、資料センターには任期なしで継続的・系統的に業務を担う専門のスタッフが欠けており、いわ

ば人的〝センター〟が希薄ないし不在な状況となっている。この点、慶應義塾の福沢研究センターには、任期のない

専任の研究職(教授・准教授)が配置されていることをあらためて強調しておきたい。

資料センターは、早稲田大学の過去から現在に至るに歴史情報のセンターである。早稲田の歴史に関する記録を集

積する中枢機関として、過去に関わるデータの収集と管理を担当している。また、早稲田の歴史と伝統を系統的に調

査・研究・公開・発信していく機関である。すなわち、早稲田大学の歴史に関する記憶再生と情報発信の中心機関で

ある。第一に、アーカイブズ機能=資料の収集・整理・保存・公開のセンターとして、早稲田大学とその関係者に関わる

資料・文書の受入れと整理・保存・公開を担当している。

第二に、研究機能=早稲田大学と関係者の歴史に関する研究センターとして、現在、創立一五〇周年に向けた『早

稲田大学百五十年史』の編纂センターの役割を担っている。また、研究成果を、『記要』によって発表している。

第三に、教育機能・社会発信機能として、「早稲田学」を開設して、学生に対し創設者大隈重信や関係者、早稲田

大学の歴史を講義し、また、企画展を開催して、在学生・卒業生に対し母校の活きた歴史教材を提示し、社会に対し

早稲田大学に対する関心・知識を喚起している。

そうした機能を安定的・発展的に展望するためには、それにふさわしい施設(場所)と、充実した人(スタッフ)の

保障が欠かせない。

(21)

【資料1】『早稲田大学百五十年史』編集大綱(二〇一六年一一月二九日)

*  二〇一六年一一月二九日開催の早稲田大学百五十年史編纂委員会において決定。

1  基本 1

.近現代日本の歴史を背景におき、国家の教育政策・制度、他大学の動向等も踏まえながら、比較史の観点に

たって、早稲田大学の歴史を体系的・系統的に明らかにするものとする。特に、私立大学が担った役割、および

その中で早稲田大学が占めた位置を明確化することを重視する。

.早稲田大学の歴史を振り返ることによって、早稲田大学の現状に関する認識を深め、未来に向けて大学像を構

築していくことに寄与するものとする。

.早稲田大学の歴史に関する自己点検・自己評価の成果として位置づけるとともに、社会的・国際的に発信し、

早稲田大学としての社会的責任を果たすものとする。

.早稲田大学の歴史的な個性とその社会的位置・役割を明確化することによって、学生・教職員・校友のアイデ

ンティティ構築につなげるものとする。

.上記目的に応え得る質的レベルの高い密度の濃い沿革史をつくることによって、早稲田大学の創立一五〇周年

を記念するものとする。

2  編集方針 1

.単なる制度史に偏しないように注意し、文化史・社会史なども組み込んで、体系的・系統的な編集・執筆をめ

ざす。既刊の『早稲田大学百年史』(以下、『百年史』)と重なる時期については、①特定の史実や制度の細部、②

(22)

叙述内容と不可分でない資料の引用、③資料的な図・表は、『百年史』ないしWeb公開式の「資料集」に譲る

ものとする。

.新たな研究成果の反映や新資料の活用に心がけ、研究をふまえて編集・執筆する。『百年史』と重なる時期に

ついては、その記述と成果を活用しつつも、新たな資料や研究成果を活用し、最新の学術水準を担保した内容と

する。3

.大学運営の側だけでなく、学生・教職員など大学の構成主体それぞれの状況が把握できる内容とし、特に学生

について積極的に紙幅を割いて、その特色が概観できるものとする。

.一面的・一方的な評価にならないように注意し、適正・公正な編集・執筆に心がける。過去を未来に生かすべ

く、否定的側面も含めたバランスある編集・執筆に心がける。当時において早稲田大学の評価を棄損する事柄で

あったとしても、弁護的な筆致に陥ることなく、公正かつ相対的に記述する。

.読みやすさを念頭において編集・執筆する。ただし、主観的な意識・価値判断を含んだ叙述や、文学的な表現

を避け、偏りのない平明なものとする。

【資料2】「歴史館」構想準備資料(二〇一六年九月一四日)

* 二〇一八年三月、文化推進部の管理・運営のもとで歴史館が開館された。資料センターでは、これに先立つ二〇一六年九

月、「歴史館」構想の準備資料をまとめた。〝幻〟の構想ではあるが、歴史的文献として掲げておくことにする。

(23)

  期待される「歴史館」像

早稲田大学が設置する「早稲田歴史館」(以下、「歴史館」)は、創立一五〇周年を展望した施設として、「早稲田」

に関する歴史を系統的に集約・調査・研究・公開・発信する機関であることが望ましい。すなわち、①「早稲田」の

歴史に関する記録を保存・公開する機関(文書館)、②「早稲田」の歴史を常時展示・公開する機関(博物館)、③「早

稲田」の歴史に関する調査・研究にあたる機関、という三機能をもつ、文字通り「早稲田」の歴史を総合的に扱う

「歴史館」とすることによって、早稲田大学が設置するに値する「歴史館」たり得る。

文書館は、歴史的な資料としての文書(文字資料)を収集・保管し、公開する機関・施設であり、大学の歴史を系

統的に明らかにし、これを開示していくためには、大学にかかわる文書資料の系統的な収集と分析が不可欠である。

すでに主要な国立大学には文書館が設置されており、その大学の歴史に係る各種の資料の収集・整理・保存・公開と

調査研究にあたっている。

現在、「北海道大学大学文書館」(専任教員として助教一人)、「東北大学史料館」(同准教授一人・助教二人)、「東京大

学文書館」、「名古屋大学文書資料室」、「京都大学大学文書館」(同教授一人・助教二人)、「大阪大学アーカイブズ」

(同准教授一人)、「広島大学文書館」(同准教授一人・助教二人)、「九州大学大学文書館」(同教授一人・准教授一人・助

教一人)などが設置されている。

他方、大学の歴史を常時展示・公開する場として、少なくない大学が、その大学の象徴的な歴史空間に展示室を設

置している。京都大学文書館は、京都大学吉田キャンパス本部構内の百周年時計台記念館に歴史展示室を開設して、

その運営にあたっている。明治大学は、駿河台アカデミーコモン(明治大学博物館)内に大学史展示室を設置してお

り、大学史資料センターが運営にあたっている。最も新しく開設された立教学院展示館(二〇一四年開設)は、立教大

(24)

学池袋キャンパスのメーザーライブラリー記念館(旧図書館旧館)に設置されている(館長は立教学院長)。しかし、い

ずれも「展示室」(立教の場合は「展示館」)であって、博物館ではない。

博物館法にいう博物館とは、「歴史、芸術、民俗、産業、自然科学等に関する資料を収集し、保管(育成を含む)し、

展示して教育的配慮の下に一般公衆の利用に供し、その教養、調査研究、レクリエーション等に資するために必要な

事業を行い、あわせてこれらの資料に関する調査研究をすることを目的とする機関」のことである。事業の中心は、

「実物、標本、模写、模型、文献、図表、写真、フィルム、レコード等の博物館資料を豊富に収集し、保管し、及び

展示すること」にある。より一般的には、博物館とは、「考古学資料・美術品・歴史的遺物その他の学術的資料をひ

ろく蒐集・保管し、これを組織的に陳列して公衆に展覧する施設。また、その蒐集品などの調査・研究を行う機関」

である(『広辞苑』第六版)。

すなわち、博物館の中心機能は、博物館資料を陳列・展示することにあるが、単なる展示施設ではない。博物館で

あるためには、資料の収集・保管と、調査・研究が必要である。したがって、これらの機能をもたない施設は、本来

の意味での博物館ではない。

その意味で、早稲田大学が設置する本来の意味での「歴史館」は、文書館と博物館の両機能をあわせもち、これと

連動した調査・研究機能をもつことによって、早稲田に関する歴史を総合的に扱う施設となることができる。

文書館機能と博物館機能をあわせもつ既存の公立「歴史館」の例として、茨城県立歴史館と長野県立歴史館をあ

げることができる。前者は、茨城県の「歴史に関する資料を収集、整理、保存、調査研究し、その結果を広く一

般県民に公開する」施設であり、「文書館機能と博物館機能を併せ持つこの施設には、美術工芸品などの他に、

古文書やマイクロフィルムが数多く収蔵されてい」る(同館HPによる)。また、後者は、「長野県の歴史に関す

(25)

る調査研究に基礎をおきながら、埋蔵文化財(考古資料)、歴史的価値ある文書等の歴史資料の収集・整理・保存

を通じて、県民の歴史遺産を子孫に引き継ぐ活動を市町村と連携して行うとともに、県民が歴史をふりかえり、

未来を展望し、また学び、憩い、交流する場としての役割を果た」すことを使命とし、「貴重な歴史資料─考古

資料・行政文書・古文書等─の収集、保存、調査研究、情報提供及び展示等」を行なう施設であると性格づけら

れている(同館HPによる)。

Ⅱ 

早稲田大学の現状

早稲田大学は、自校の歴史に関する専門機関として、大学史資料センター(以下、資料センター)を設置している。

資料センターは、早稲田大学の歴史、創設者大隈重信および関係者の事績を明らかにし、これを将来に伝承するとと

もに、比較大学史研究を通じて、早稲田大学の発展に資することを目的とする機関である。現在、資料センターは、

早稲田大学の文書および関係者に関する資料の収集・整理・保存・公開、春・秋を中心とする企画展示・講演会等の

開催、大隈記念室の管理、出版・刊行事業、早稲田大学百五十年史編纂業務、「早稲田学」の開設による自校史教育

を担っている。したがって、前記Ⅰ、期待される「歴史館」像の三機能を担う可能性をもつ機関であるということが

できる。現在、資料センターは東伏見キャンパスに設置されており、同所において前記Ⅰ、期待される「歴史館」像の①に

対応する機能、すなわち早稲田大学の文書および早稲田大学関係者に関する資料の収集・整理・保存・公開と、各種

レファレンス、出版・メディア関係への対応を行なっている。同時に、二〇一五年度より本格化した早稲田大学百五

十年史編纂業務とかかわって、資料収集の系統的な推進に取り組んでいる。

(26)

しかし、前記Ⅰ、期待される「歴史館」像の②、すなわち「早稲田」の歴史を常時展示・公開する施設は、現在、

早稲田大学には存在しない。大隈記念室が二号館の會津八一記念博物館内に設置されているが、これは創設者大隈重

信の事績の記念に特化した施設であって、過去から現在に至る「早稲田」の歴史の全体像を展示・公開するものでは

ない。また、大隈を助けた実質的な創設者である小野梓の事績を展示する場もない。他方、資料センターが開催して

いる企画展示は、その時々のテーマや話題によって開催するものであって、系統的かつ恒常的に「早稲田」の歴史を

展示するものではない。

なお、企画展示は早稲田キャンパスを会場とするため、展示準備を東伏見で行ない、会場(二号館會津八一記念博物

館内の展示室、ないし二六号館内の一二五記念室)まで運搬・移動・設置して開催する措置をとらざるを得ず、したがっ

て、開催期間中、資料センターのスタッフが会場に詰めて対応することは困難となっている。また、大隈記念室も二

号館會津八一記念博物館内に設置されているため、資料センターのスタッフを同室に配置することは不可能となって

いる。前記Ⅰ、期待される「歴史館」像の③、調査・研究機能は、資料センターが担う早稲田大学の歴史、創設者大隈重

信および関係者の事績を明らかにすることにかかわる。これについては、これまで調査・研究の成果を出版・刊行事

業により社会発信すると同時に、企画展示や「早稲田学」に生かしてきたが、現在、さらに早稲田大学百五十年史編

纂業務が調査・研究機能の本格的な展開と密接にかかわるものとなってきている。

  「歴史館」の現実的な設置・運営形態

上記Ⅰの「歴史館」像は、いわば理想形であるが、現実には、当面、施設面からその実現は困難であると判断せざ

(27)

るを得ない。したがって、上記Ⅰ、期待される「歴史館」像の①の機能は、既存の資料センター施設(東伏見キャン

パス)において担うこととし、②の展示機能を主とする施設を「歴史館」として早稲田キャンパスに設置することに

なろう。その設置場所としては、施設の効果的活用面からも、経費の有効活用面からも、一号館一階の全フロアーを

「歴史館」の本館とし、二号館一階の大隈記念室と同館二階の津田記念室を「歴史館」の別館扱いとすることが妥当

と考えられる。これによって、早稲田大学の歴史を「歴史館」の中だけにとどめず、既存の建造物を早稲田大学の歴

史的資産として効果的に活用することができる。

すなわち、早稲田大学の象徴的歴史空間として、大隈講堂から大隈銅像に至る縦軸と、歴史的建造物である一号館

(歴史館)、二号館(會津八一記念博物館・大隈記念室・津田記念室)を結ぶ横軸を有効に活用するものとする(既存建造物

の有効活用)。この両軸をクロスさせることによって、早稲田キャンパスの中枢に象徴的歴史空間(「心のふるさと」空

間)を現出させることができる(かつての面影を残す一・二・三号館の間の空間の活用)。

来訪者は、大隈講堂前広場から正門を経て、一号館一階(本館)に入って、まず、現物資料・ビジュアル資料・デ

ジタル資料等によって早稲田の歴史と現状を体感し、つづいて大隈銅像を右手に見て二号館一階(大隈記念室)に入

り、あらためて創設者等の姿に触れながら、建学の精神を確認する。これによって、早稲田大学の象徴的歴史空間の

中で、来訪者は早稲田の歴史とつぶさに接し、また、学生・校友は〝心のふるさと〟早稲田を体感することができ

る。将来的には、この象徴的歴史空間を活用して、様々なイベントを企画することも可能となる。

大隈記念室は現在と同様、二号館に設置するものとする。その理由は、第一に、大隈重信は早稲田の創設者・総長

ではあるが、基本的に政治家であり、その生涯は必ずしも早稲田大学と一体ではないからである。歴史館に組み込ん

だ場合、かえって大隈の歴史的位置が不明確になりかねない。むしろ、歴史館と連動させつつ大隈の軌跡を独自に展

(28)

開することによって、創設者の性格や早稲田の個性が明確になると考えられる。第二に、現在の大隈記念室は完成度

が高いためこれを有効活用し、歴史館と関係づけつつ、新資料等によって展示の更新をはかることが妥当であると考

えられる。第三に、上記のような象徴的歴史空間を現出させるため、大隈講堂・大隈銅像(底辺)と二号館で形成さ

れる三角形の頂点には大隈記念室が欠かせない。

早稲田キャンパスに設置する「歴史館」は、博物館相当施設とし、展示、資料の収集・保管、調査・研究を担うも

のとする。そのため以下の措置を講じる。

(1

)「歴史館」は資料センターが管理・運営するものとし、そのための担当スタッフ(助手・嘱託・学芸員等)を配

置する。

(2

)「歴史館」担当スタッフの管理・調査・研究スペースを一号館に設置し、これを資料センターの分室とする。

また、「歴史館」の収蔵スペースを一号館ないし二号館に設置し、モノを中心とする博物資料の収蔵・保管にあ

てる。

(3

)既存の資料センター(東伏見キャンパス)と新設の「歴史館」(早稲田キャンパス)の間での、資料の収集・整

理・保存に関する区分とその管理・運営方法については、今後の重要な検討課題とする。

(4

)「歴史館」の開設準備にあたっては、文化企画課の連携・協力を得て、独自の体制をもって臨むことが不可欠

となる。

Ⅳ 

「歴史館」の展示イメージ      〈  省略  〉

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