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我図綿業じ於げる統制の議展

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(1)

我図綿業じ於げる統制の議展

HH MV  

Ta

) 1 1  

一︑我園綿業白特質

ご︑綿業に於ける統制の後日此

ハ一

)

不況克服の伐の自主的統制

ハニ

)

関家的統制への後肢││全産業部門との欄聯に於ける諸問題

ι3

支那事費下に於ける我関経揮の統制は軍事的目的達成の矯の生産力摘完を根幹とした会経擁問機構再編成心問題であ

る︒従って︑それは一方に於て箪事上緊急たる産業部門の積極的なる横十九を行ふと共に︑他方に於てかLお生産力強

充の震に凡ゆる資材︑努力並びに資本を集中するが魚︑不急不用なる産業部門の縮少を行ふことと必要とする︒郎ち

現在我闘に於ける経構の統制には生産力の横充と縮少とによりて特質づけられるこ大産業部門がありそれらは夫k

我歯綿業に於ける統制の融政反四九

(2)

我間間約業に於ける統制の後展

兵った様相を露呈する︒前者は勿論主として重工業部門途中心とする産業部門でありそれは経樺的必要に主ってよ りも寧ろ軍事的必要に基いて撰犬される︒後者は特に綿業を中心とする産業部円であり︑こ

Lに於てもその経梼的考

慮は第二次的にのみ行はれ︑進んでその生産は嘗該街品に軒する生活必要量以下への縮少をさへ齢儀たくせしめられ

L

ある︒かくて我園経曹は強カ的に高度なる編成に饗革せしめられつ

L

ある

︒ 所で生産力心境充は箪事的目的達成を目詮とするが故に︑技術的必要に基いて一定の計童を途行することが問題で あるに反し︑縮少の部面に於ては︑既存の生産設備左その粧静的必要以下に縮少することを意味し︑既に膿去の部面

に於てさへ現質化ぜんとしつL

ある経清性と園防との間の調和の問題がこの部面に於て最も明確たる姿を以て現れ︑

従ってその統制の組織も亦極めて複雑とならざるを得たい︒このことは︑その特質土り見て我悶綿業に於て特に頴 著である︒それは原料の職入並びに完製品の轍出に於て矯替関係として軍備並びに圏防の整備と置接なる聯開に立ち︑

園内消費の同国間として園民生活との関聯が緊密である︒かくて事費下に於ける経燐統制の諸形態は綿業に於℃最も強 力且複雑多岐に現れた︒故に本︐柄に於ては︑研究の都合上︑尭づか

L

る綿業統制の護展没特に兵種的登展に則しつ﹄

裁越することにしよう︒

我 図 綿 業 の 特 質

原料の圏内資源に貧弱なる我園経時は︑調逸に於けると全く同様に重要諸原料を大部分海外に依存し︑その轍入 額は綿鞍入の六割飴を占める︒従ってこれに艶膝する商品の輸出は完製品を主柱とし︑その額も亦総輸出の六割を占

(3)

有する︒かLる軽減聞の機構上の特質は我闘に於ける多くの産業の特質を形成し︑その褒展上の特具性を支配する︒

周知の如く︑我閤綿業の特質も亦第一に原棉並びにその製品の海外依存性に現れる︒原柏の園内生産は巴に早くよ

りる一面的に海外棉花に経構的に監倒せられ︑今やその全部を海外に依存する︒その額は昭和十一年に於て八億五千寓

題齢︑掛川輸入の一一一割絵を占的︑輸入の首位に位する︒これに関して綿製品も亦輸出に於ける首位にあり︑

その額は同

年に於て問億八千寓園︑綿輸出の一割

λ

品川を占有する︒この周知の特質の故にこそ綿業は事費下に於ける統制の主要

たる艶象とたらざるを得なかったのである︒

Lる原料の海外依存が営該企業にとって極めて不利なる僚件をたすことは自明である︒而も向我園綿業は昭和十

二年には鍾教に於て世界第三位︑棉花消費高に於て世界第二位の地位を獲得した︒我園綿業は原料獲得上の不利を克

服し︑否或意味に於てはその故にこそその刺激の下に近代的たる襲備を完成した︒濁特且大規模なる棉花購入組織並

びにその操作︑それを基礎とする濁特たる混柏技術の後遺こそがその基礎である︒

東洋棉花.日本棉花及び江商の所謂三祉の取扱高が細川轍入の六七割を占める棉花買入組織の近代的完成は︑生産地

に於ける生産者及び地方商人との直接的聯閥︑内地紡績業との緊密且直接たる連絡によって.原棉の低廉なる獲得に

資する所頗る大であり・更にかLる棉花商人は綿製品の栴外販費者たる役割を呆すことにより︑先進綿業関たる英闘

に比し︑極めて合理化されたる配給組織主もつ︒

1) 

井上潔﹁我閣の紡綴業に就いてし四五│四六頁

鹿村久美﹁日本約業の箆位性!一四一良

我関約業に於ける統制の畿日此

ヨ 王

(4)

我凶州刷業に於ける統制の批波及

E

入は極めて安債とたる︒﹁我園紡績業は技術

更に

マへ

Lる大合業的棉花商人の故に︑柏花の購入を世界各地に分散せしめ︑その投機的操作と相使って原棉の一賠

るのではたくて安慣なる棉花を買るのである﹂との見解もこの意昧に

於て一面の民理性をもっ︒従って昭和十年度に於ける我国使用棉花は米棉四六%︑印棉四二区︑境及棉四︑四話︑支那

棉三︑五%︑その他四二形たる構成をたしでゐた︒

三五四時制

然るにかLる棉花はその生産地の異るに伴ってその品質を著しく具にする︒かLる品質を具にする棉花を混合使用

することは技術的には決して有利ではたい︒例へば比較的長繊維の米棉と短繊維の印棉の混合が製品の品質上に鷲ら

ず悪影響は決して少ではたい︒而もか︑ふる混棉こそは原稿所要量の全部を海外に依存する紡績等にとりては権時的至

上命令である40かくて我閣に於ては濁特売る治相技術が護連じ︑世界一制業制輔の重要なる原因をなした︒岳棉こそは 比較的品質の劣等たる棉花を優良なる棉柁に混合することによって︑品質或は色合玄補正

ι

︑且均一ならじめるから

である︒而もその技術的訣黙を完全に除去することは困難である︒我閤紡結業が従来太締或は中赫生産を中心として

ゐたのは︑市場関係と共に︑それらがかkる渇杭技術の自由なる適用テ一可能ならしめる分野だか!らでもあった︒従?

て混棉による経簡的利盆は細続生産に進むと共に減少するであらうc何故ならば細紙なる高級品生産には品質優良な る軍一原稿の使用が不可避であるから︒我園紡績業が近来高級品生産K進出し︑維のJて米棉使用量が増加しの

γL

ある

ことは︑この黙に関聯して問題を残さピるを得ないであらう︒

更に我閤綿業の世界制覇の理由として低賃銀b高度たる機械の採用並びに震替安をあげねばならない︒我圏に於け

(5)

る賃銀が一般に低廉であり︑特にそれが紡績等に於て有利たる地盤を提供するものなることは武藤山治氏の言によっ ても明かであ向︒特に技術の高度化に件ふ女エの増加及びその能率の増進はこれを助長する要一一斉である︒特紡機のハ

シンブレヅクスの採用により︑例へば紡績温稜は従来の粗紡︑精紡四行程が二行程に続縮され︑自働

織機の一採用により一人常り受持裏数は七︑八基より三十基に増加せる如きこれであ向︒震替安の貰要牲に就ては人寸こ イドラフト化︑

こで更めて論ずる迄もたい︒

1) 

武藤

山治

一紡

統美

﹂(

現代

産業

叢書

)四

鹿村

美久

﹁我

閣総

業界

最近

の後

展過

程の

省察

﹂(

綿業

時報

四の

一二

)七

﹁日

本綿

業の

優越

性﹂

O頁

│一

一一

2) 

日本

経済

年報

三五頁以下参照

かくて第二十同国際努間合議に於てインド代表メ

iタ卿は弐の如く慨嘆した︑﹁インドは自闘に原料を産し・ながらも︑

利潤を得つL

日本紡績と封抗することは出来ない︒棉花の債格を今一封皮にりき五片とするに︑日本はボンベイから 五片で棉花を購入したがら一封皮の綿製品を五片で費出してゐる

o

"

・・日本は一一封皮首り四片牟で綿布子一製造するこ

とが出来ると明言してゐる︒インドとしては一封度の綿布を六片以下で製造することは出来たい︒絶って日本はこの 黙でインドよりも一片山γ

だけ有利た地位に置かれて国安の職入上の不利は帳消にされる︒しかも日本の紡績業者は綿 製品をインドに払輸出することにまって棉花及び彼等がそのけ労働者に支梯ふ賃銀に闘して一一一七・五必の利益を取戻すこ とになる︒故に生産費は支梯はれた原債より四

C%

下姐ることになり.従ってそれは原棉の債格と同一になるわけで

我関綿楽に於ける統制の後展

(6)

我図綿業に於ける統制の護反

ある:::しと︒かくして我園綿業は世界市場を席巻し︑特に英闘を暦一迫してランカシアに於ける一千高錘の過剰紡機 の慶棄を必然ならしめ

h

︒現在我閤紡績業は昭和十二年末に於て紡聯加盟吐教七十四吐︑組錘敢一千二百三十高錘︑

未加盟六吐︑在朝鮮二祉を合し一千二百五十七蔦錘なるを見るとき︑その英国に輿へたる打撃の如何に大たりしかを

見るに足るであらう︒

( )

綿紡績業法(AUC

v

E E

E

官仏

己主

品目

HHHCU3による過剰紡機の政府買上による陵棄案の成立を一耳ふ︒詳細は紡

2) 

聯月報(昭和十一年八月十五日)五二七競一O

頁以下参照

所で我園に於ては︑これら多数の中︑五十寓錘以上の東洋締︑鐘粉︑大日本紡︑倉敷紡︑富士瓦斯紡︑日清紡︑錦

華紡︑呉羽紡の八犬舎祉を以て紡聯加毘吐綿錘教の五割四分を占め︑残齢の七十二位は卒均十高鍾をもっに遁ぎたい@

更に未加盟社卒均は僅か一高錘であり︑在朝鮮二祉の如きは卒均百四鍾である︒三Lに我園紡績業に於ける近代的整

備にも拘らず︑その内部に於ける資本的懸隔の著しく︑中小企業の多数に存在しつLあることを知る︒市も前越せる

技術的高度化は増鍾の形式を以て大企業に於てのみ完成され︑生産力に於ける懸隔は更に著しい︒

Lる内部的封立は︑過剰生産下に於ける紡積業に於ては︑増錘問題を緯の/て常に激化されてゐる︒過剰生産下に 於ては増錘は大紡績にとって盆2不可避である︒何故ならば︑遁剰設備は常に操短を必要たらしめ︑然して操短に基

く資本の死戴並びにコストの増大は大紡蹟に於て特に大なる負櫓だからである︒今三大紡績につき本年一月に於ける

操短に基く資本死蔵額を見るに︑仮に一錘を五十固と許債するも第一表に見る如くその綿額は九千三百寓固に達する︒

(7)

同も休錘は結額行程の最後の段階たる精紡機の封械によって行はれこれらに封鷹ナる先行諸行棲の機械を休止せし めたいが故に︑右の負捨を免れんが持蛍然に能率高き新錘の据付が行はれざるを得たい︒耐も大紡積は生産費が低廉

昭 和1月 末 長 垂 敷 休 錘 毅 一 鐙13

I t t

仰 の

c I

死 問 一 〉50閣として

154T5  子商

東 洋 紡 765  :38

250 

1

136  562  28

100 

大 日 本 紛 1

068  530  26

500 

92

850 

織布部門に於げる規模別工場及級機数

(昭和九年) (ヱ場統計表による〉

10蚕 以 上

50:,主未満

45

897  4P082必4 

90 2% 

f

f)rl1 5

518  48

387  187

335 

24 20%  78% 

445

357%8│ 

塞 機、│j 4

464%8   31

168 

39% 

数 手 織 機 l1 498

697968  

4% 

であるが故に︑操短によづて市債を維持せ

んとする中小紡績とは利害を具にじ︑大紡

積はかLる時期に於ても向その販路を横張

し得るのであり︑この目的の霜には高率な

る操短は更に大なる負捨である︒かくて

方に於て操短が捕張せられづ与︑否却って

その故に︑大紡績を中心として増鐸が行は

れねばならないといふ矛盾而もそれは生

産力に於ける更に大なる懸隔を環らし.過

制生産︑従って叉操慢を必至ならしめると

いム矛盾却ち操短と増錘とを繰る大紡績

劃中小紡績の相砲は前者の地位を盆k高上せしめつLある︒かくて大紡績の朝鮮︑支那への進出は必然であるu

5

0

内部的懸隔は特に織布生産部門に於て著しい︒第二表によれば︑昭和九年末に於て総織布工場の中十蚕未満

第二表

我園紛業に於ける統制の愛展

の工場数は九割を占め︑五十萎以上のものは僅か二八万に遁ぎない︒市も後者の中締結業余管工場数は百十であり︑そ

五五

(8)

我幽綿業に於ける統制の議反

の機嘉敷は卒均七百九十一墓であるに封し︑非粂管工場のそれは僅か百三十二基である︒かくて輪出向慶巾物用力織

機の中︑五十蓋以上の工場は凡んど紡績業粂管工場に工って占有され︑綿工聯を中心とする中小機業は小規模なる康

巾力織機工場の外︑小巾力繊機及び手織機を中心とする中小経営であることが明かである︒市も紡積粂管工場の生産

が殆ん

E

輸出向であり︑需要の性質上大目玄生産が可能であり︑進んで捺染加工をも包含した一貫作業に基き一︑後越の

如き最近に於ける生無地︑晒より加工綿布への輸出の内容的蟹化に順躍しつLあるに劃して︑綿工聯中の中小機業の

それは小巾内地向製品を中心とし(七割﹀﹂経って需要は柄物による少量註文を基礎とするが故に︑前者に比し不利な

る立場に立つことは明白である︒勿論数量的に見て晒.加工品の大部分は未だ後者によって生産され︑この分野に於

ける綿ヱ聯の生産統制は明かに粂管工場に困難を典代目JLある︒品戒管工場が本年二月綿ヱ聯とは別個に紡織工業組合 を設立せんとして成らざりしはこの間の事情を一不すものである︒市も尚綿ヱ聯内部に於ける品戒管工場の近代的整備は

最後の勝利者たることを否定するものではたく︑後越の如くそれは最近に於ける統制によって法律的にも完成された︒

Lる事情の下に︑紡韻業に於ける生産額は新規事業の勃興期たりじ大正八年に於てさへ全産業生産額の五割を占

め︑その輸出は生綿に代って第一位を占めた︒明治維新に於ける我園産業の編成替へが︑衣料生産部門︑就中開港以

来登展し来りし製綿業並びに近代的装備を以て出現したる紡積業を中心とじて行はれたる我闘の特異性は︑未だ山川そ

の登展を規定してゐた︒

然るにかLる事情は欧洲大戦後に於て次第に費化し︑特に昭和六年の満洲事費を劃期とする我園経曹の所謂準戟憧

制への進展は︑産業編成の念遼たる轄換を驚らした︒工場統計表によれば︑昭和六年に比し昭和十年は重工業の著し

(9)

き進出を以て特徴づけられ就中金属工業︑機械器具工業︑化問宇工業を中心p

とし

てそ

の生

産額

は一

一一

β至四倍の増大を

一不し︑支那事費の瑳生とその棋大とは更にこれを強化しつLあるに封し︑紡積業生産額は昭和十年度に於て金生産額一

の三割に低下し︑その後の減少は更に著じい︒綿業は我圏のキイイシダストリーであり︑然してキイインダストリー

であるが故にその縮少を齢儀たくせしめ

O L

ある事情は︑同時に我国産業構成をして強力的に高度化せしめつL

ある

事情である︒以下に於てこの間の事情を務展的に一瞥しよう︒

一 一 綿業に於ける統制の設展

綿山由来の中心たる我闘紡績業の歴史ば操短の歴史であると一五はれてゐる︒既に明治十五年に中央統制機関たる紡績聯

ム口舎の成立を見たる斯業は早くも明治二十一二年に一二十工場が同一指揮の一下に一ヶ月齢に互ヴて操短主賓施し︑今日に

至る迄にその数十一同に及び︑現在のそれは第三去に見る如く昭和五年以来八ヶ年齢の長きに亙って権償されてゐる︒

然るにかLる操慌の原因に闘しては.最近の操短の高卒たる黙にも現れてゐる如く川紡績議の機構上の饗化に基く推

移が注意されたければならたい︒紡績業に於ける遁剰設備の存在並びに世界的不況の櫨績に基

4

債格維持の気の操短

は漸弐鑑賞し︑今や現在の高率たる操短ば単なる紡詰議従って又綿業日韓に王つ℃濁立せる内部的問題たる以上に.

会産業部門内に於ける諸産業との相互聯闘の問題︑軍事目的達成の震の会産業部門内に於ける綿業の地位搾換の問題

と関聯して理解されたければならたい︒操短が綿業にとって狛立なる問題である限り︑それは販路北びに債格の同復

によって解消された︒然し乍ら︑支那事援務生後に於て位︑軍需産業績大の鳴︑経糖牲を一肱無硯して強力的に純業

我閣総菜に於付る統制の議長

(10)

我凶綿業に於ける統制の一殺反 は縮少されねばたらず︑相刊行て操短はかLる事業の縮少に謝藤するものであり︑生産制限ではなく生産不能に基くも

五八

のである︒されば乙そか

LJQ

時期に於ては操短無期論さへとたへられるのである︒

1) 

庄司乙士口﹁紡絞業操短史﹂所載

武藤山治氏序文

かぐて我々は綿業に於ける統制を二期に直別ずるF

体 目 休 錘iま操短F容に換算し芸本E容に加ふ。(東

洋経済物便三十年(昭和十三年版)による〉

とが出来る︒不況封策としての自主的統制時代と事費

下に於ける間家的統制への愛展の時代がこれである︒

)

不況克服の矯の自主的統制

2) 

我園紡績業が長期に瓦り大日本紡績聯合舎の下に統

制せられ.原料の調撞︑生産並びに版貰に1凡ゆる他

の産業部門に先行してカルテル的殻果を護軒したこと

は周知記事責である︒例へば.原料調達に闘しては日

本部舶を代表とする結合百社との聞の印柏蓮詮契'約ハ明

前掲葺 第十一弐操短率の鑓動

( 採 輔

(%) 

I

操短(%率

~ll手目月 深夜業疲

4.6  iiこ短に撤よ慶 10.4‑10.6  23.8 

昭 和 月

5.2‑5.  5  17.2  10.  7‑10. 8  27.6  5.6‑5.9  27.2  10.9‑10.15  29.8  5.10‑6.  3  34.4  10.11‑11.12  33.8  6.4‑6.  30.8  12.  1‑12. 3  32.6  ().  7‑6.  9  25.6  12.  4‑12. G  35.0  6.10‑‑7.12  36.4  12.  7‑12. 9  32.0  8.1‑G.  6  27.6  12.10‑12.11  40.0  9.7‑9.9  22.6  12.12  49.5  9.10‑10.3  13.  1  49.5  遮断したる排他的契約であり︑更に棉花賞買及受渡に関する申ム日ハ昭和十一年五月﹀は日本棉花同業舎及び紡聯をし 泊二十六年以来﹀は紡聯非加盟祉に劃する原棉運迭を

第 三 表

(11)

てその内部的取引を義務的たらしめた︒生産に闘しては操短及び綿締規格申合等がその主たるものである︒後者は番

手毎に綿綜の規格統一を企闘せるものである︒販責に闘しても日本綿締商組合聯合舎との聞に内園産綿赫わ排他的一

チ販責義務を規定せる綿株販責に闘する中合を見ることが出来る︒これらは何れも紡聯を中心とする紡績業白煙のカ

ルテル政策であり︑その護展の基礎をたしたものである︒市もこの方向は昭和六年重要産業統制法によって強化されたe

所でかLるカルテルは︑カルテルを構成する内部の諸企業の不均衡︑相互の競争を決して排除し得るものではなく︑

寧ろカルテルの強化と共に尖鋭とたる︒このことを最も明かに示すのが斯業に於ける増錘問題である︒第四表によれ

紡聯加盟;祉錘数

年正次悼│鋭3

ぷ利指司川

1

7.41

3 A

制 │ 

9  3,818  110  8.5  3,192  10  4,161  119  8.4  3,162  11  4,518  129  7.9  3,967  ]2  4,198  120  ‑7.6  4,080  13  4,870  139  13.8  4,116 

14  5,186  149  6.0  4,670 

15  5,411  155  4.2  5,003 

昭和 2 5,767  165  6.2  4,831 

3  6,287  180  8.3  4,844  4  9,649  191  5.4  5,784  5  7,045  202  5.6  5,898  6  7,376  212  4.5 I 5,904  7  7,848  225  6.0  1 tl,3081  8  8,525  244  791G738  9  9,326  267  8.6 I 7,503  10  ,lO330  298  9.7  8,198  11  11,976  343  13.7  8,392  12  12,297  353  2.6  8,973  13.5月 12,403  356  0.8  8,370 

第 四 表

ば欧洲大戦後に於ける増錘は極めて

(錘敷並びに運車事長重要立は紡聯調査による〉

額著であり︑市もそれは鞍後に於て

紡績業に負課された内外の悪材料に

も拘らず強行された︒大正九年のそ

れは鞍時中の括況に基く激増として

暫く別とするも︑その後に於て大震

災︑重要市場たる支那の内観及び印

度の綿綿闘税引上︑深夜業の慶止等︑

凡て斯業の護展に大なる障害を輿ふ

我園紛業に於ける統制の竣展 ベき要素たりしにも拘らず︑否却ってその故に増設の一塗をたどらねばたらなかった︒何故ならば︑比較的に決定さ

ヨ王

L

(12)

我図綿業に於ける統制の謙一皮 れたる操短の負捲並びに深夜業の際止に件ふ生産力の低下に艶抗するが矯には増錘は不可献だりたからである︒かく

O

て蓮轄数との一比較に於て見得る如く︑斯業に於げる描判設備は棋大醸成されざるを得念かった︒

L

る過剰生産叫仏︑圏内市場の駄盤性め下に於ては︑圏外市場︒開拓に上つてのみ解決され得る︒然して事費圏外 市場は開拓された︒弐表によれば︑不況下の昭和六年を除き・会盟として綿布輸出量は増加しつ一

L

る︒

綿材

料職

出︒

て英圏綿布を塵迫した︒ 減退は原料品駅出より完製品職出への護展を一不すものに外ならたいο

この額向は更に低矯替を武器正して世界市場に於

一九一一一一年に於ける日英綿布の輪出額は夫々二億一一一千五百高偏及び七十億五千高橋たりしに

綿綜布車続出額

綿

66

21 千 闘

大 正 4 38

511 

6  108

13D  127

458  8  114

232  280

311  10  80

068  203

6.73  12  78

512  234

754  1 123

116!  432

850 

昭和 2 38

794 i 383

836 

4  26

755  412

706 

8

510  198

781  8  15

712  383

205'  9  23

4841492

351  10  25

873  496

097  11  38

344  483

591  12  573

065  1:3  187

096  (五月迄〉

第五表

L

︑日本は一九二三年に英闘を凌駕し︑

一九

三五

(紡聯月報による〉

年には英闘の十九億四千九百高隔に謝し二十七億

千五石市内情に増大した︒これを個別地方的に見るな

らば特に印度に於てこの地位梓換の過程が著しかっ た︒第六表によれば二十年間に我国綿布の印度市場 に於ける地位は百六十倍に増大したるに劃して︑そ

の聞に英国棉布は牛額に低落した︒

こ与に於て印度市場に於ける英闘綿布の防禦ば数弐に亙る割問日本綿布関税引上とたり︑

一九三二年八月には従慣五

割ハ英関一一割五分U

の高率を示し︑更に翌一九三三年一二月に歪り描去コ一十年間維持された日印通商協定が↑方的に破 棄された︒更に六月には関説は七割五分に引上げられた︒咲及に於ても同様の高率が負諒された︒(一九三瓦年七月)

(13)

一九二九万至三

O

年工

り三

コ一

乃至

濠洲に於ても同様であった︒議洲に潤する職出は量的には極めて僅少であり・

印度市場にj於ける日英綿布

度 │ 時 新i布 │ 実 図 綿 布

1

1

08..

ー%

35  31

161ι0 4 9878..15  

第 六 表

1913‑1914  1925‑1928 

75.2  1,45 18.4  1928‑1929 

65.0  1.28 29.3  562  1¥)2‑1930

58.8  49.5 

d

t4

1i 

EF

vh υ 

大日本紡績

1

競合舎「日印遁荷破棄問

題参考資料」による 1932‑1933 

四年にかけて濠洲組職入の三分二厘より六分一一盟に増大したに過ぎ

ないが︑その主要商品が綿布及び人絹製品たりし貼に問題があった︒

かくて一九三六年五月白木綿布及び人絹布に謂し禁汁的闘穂及び職

入品川可制が貫持された︒かくて完製品市場の海外依存性ρ極めて高

度なる我園綿業は全面的たる後退を強要された︒

勿論これらは一定の傑件を以て解決されたが︑それらは何れも我

圏綿業の自由たる議展を阻害するものであった︒即ち︑日濠通商協

定によれば我圏どりの綿布及び人絹布の輸出監が規定され.日印遇

布輪出が印刷められたにすぎなかった︒而も三の場合者遁すべからざるは品種別制限が章一加されたことであっ党︒み﹂の 商協定によれば百五十寓俵の印棉買付を傑件として最高四億鳴の綿

523  384 

割合は昭和八九年に於ける賓債に比較して弐去の如く鍵更された︒印ち︑印度綿布と競争的地位にある生無地の割蛍

36.1  43.8  47.9 

率が増加せられ︑色物以下︑特に晒に於てその率が減少せしめられた︒後者は印度市場に於て日本綿布が英図商品を

v

o

A Q t u w h

HJ30‑HJ31  1931‑1932  壁辿して進長

L

︑且今後のその議展を期待された種類であることを知る時︑この協定寧の意義は明白である︒然して

事質その後に於ける輪出の質積は描大たる割嘗を有する生無地の不振が編著であった︒かLる日本綿布に劃する墜迫

は世

界的

であ

れ/

ーた

攻防料品莱に於ける統制心後炭

‑孟a

ノ、

(14)

ノ、

J来に於ける統制の後民

1)  ダイヤモシド紙︑﹁経済記事の碁絞知識﹂八八八

1

八八九頁

L

る綿業の訴事態に酎属すべく既存の綿業諸組織が有力たる指導的地位に立ヴたこと は一足ふ迄もない︒例へば棉花同業舎︑紡聯.綿工聯の如きこれである︒然し乍ら叉新たた る組織も結成されも作︒これは問題の性質上特に輸出部面に多かった︒例へば日本耕三絞職 出組合︑日本綿布封印鞍出縄命︑調蘭印日本綿織物輸出組合等昭和十年に至る迄に十一一一組 合を算し︑その聯合舎も企固された︒蛍時の綿業の危期が我聞に於ける斯業委展の過程に 於て劃期的のものであり︑世界的不況に基く求償主義的貿易政策への護展の一道程に際して 綿業の蒙りし試練として︑従来の単純な

7 2 R

策的後退とは異った意義をそこに看取したけ ればたらたいことは一式ふ迄もない︒然し乍らそれは依然綿業自身の澗立せる問題であり 従って完備せる綿業の組織によって僻伏さるベき性質めものであり︑その昨決こそが最も合理的であった︒只綿業内 部に於ける個々の猫立せる企業の問題として

Y

はたく綿業会憧として︑個別企業を包括せる一産業部門として統制 的に劃庭すべき所に重黙があった︒か

Lる問題としては︑悶家によって一般的方針が決定されたる後に於ては︑綿業 白樫の内部的統制こそが重要であれノた︒この場合に於て既存並びに新設の諸組織による統制が最も重要なる役割を潰

て居

り︑

じなければならたいのは蛍然である︒而も裕外販路は制限せられつ︑ありとは一再へ未だ綿業の自由たる禁展は許され

且我園料業︐にとりては充分可能であった︒事貫その後に於ける綿布輸出償額は前拐の去に見る如く増大した︒

只後述の如くこれには数量の一蹴少を伴ってゐ・たことが注意されねばたらないが︒かくてカルテル統制は有裁にその様

(15)

慌を呆し売︒封印輸出組合の如きも.各組合員に過去の費誌による品櫨別輸出

H ‑一五を割嘗て︑有款にその日的を達する

ことが出来た︒

1) 

十三輪出組人併を設立年月順に禾什一ば次の如くである︒括弧内は設立年月日を示す︒日本縞三綾較出組合(五︑一O

︑ 一

一)名古厩織物品輸向組合(六︑コ一︑一ニ)大阪織物検出組合(六︑二一︑四)神戸綿布綿製品輪出組合(入︑回︑二二)日本

柏綿織物封印験出組合(九︑一ュ︑一七)京都織物輪出組合(九︑図︑一三V

東京織物検出組合(九︑八︑一一)横波綿布綿製品

輪出組合(九︑八︑一一)劉商印日本綿抗刷物輪出組合(九︑九︑一八)日本緑地味料サ口シ戦出組合(九︑一一︑一一一C

)

村綿布中南米輪出組合(一

o

O)

日本綿総布阿弗利加近東戦出組合(一

o

︑七︑二五)勤比向日本綿織物験出組合(一

︒︑

九︑

一一

一)

然し乍ら︑これは輸出部面に於ける統制に止り・未だ綿業内部の.特に紡績業相互並びに輸出商との聞の輪出競争

を排除するものではない︒反到に輸出部町に於ける統制は却って紡績業の輸出競争を激化せざるを得たかった︒何故

ならば︑過剰生産に悩む紡績業は可及的輸出を損大せざるを得たかったから︒従って︑生産者に劃して五割の輪出量

手一割嘗て工との紡聯の主張は輸出商に劃する無用たる責札一蹴手を問避せんとする要求の現れであった︒而もそれは封

蘭印輸出に封して二割を興へられたに止った︒

所でプこれに関聯して看遁すべからざるは︑職出業に劃する責込競争に於て常に不利たる地位に立つのは中小紡結

業であり︑従って職同業に劃する闘争の中心勢力は常に中小紡績であることである︒彼等は大紡縫に比してコストに

於て劣るのみたらず︑同一系統或は蓮料ある轍出商を有したいことによって︑相互に激烈なる買込競争をたさY

るを

得ないからである︒棉花購入資金を融通するととによりて棉花商を支配し︑輪出商との緊密たる調係に立ち︑或は直

我閣総業に於ける統制の護団出

ノ、

(16)

輸出組識をもづ締結業(例へば鐘紡

E

東洋棉花︑東洋紡と江商︑呉羽川紡と伊藤忠商庄の如き)に於てはか︑ふる封立関

係は存じないかくして紡結業と輪出商との封立も部介的には紡絹業内部に於げる大紡績割中小紡績の劃立の現れであ

り︑従って輸出向の割蛍数回互の増大はかLる縦断的企業組織をもっ大紡績の輸出数量の増加を意味するものであるこ

とが注意されたければたらない︒

井上潔﹁木綿エ業経轡の現欣一斑

L (

)

l一五三頁

か斗る事情の下に昭和十年度に於て増蔀は一一割四分の高率を一不し︑地剰生産は盆

激化されんとした︒こLk J

にが

︑て

1) 

同年十一月以後の操短は四分損張せられ︑更に新銃に劃する加草操短が初めて貫施された︒それは既設の新錘に艶し

てのみならず︑十一月以後の増錘に封し町て特に加重の率を重加しミ培揺の傾向を阻止ぜんとし売︒

而も昭和十一年の輸出数量は減退し︑綿業に関する塵泊の無視すべからざるを示した︒伺故たらば輸出数量の減退

は各闘に於ける貿易統制の影響によるものであったから︒細工聯の調交によれば︑昭和十年に比し十一年の職出査は

強差別待遇圏四九市場に劃するものは二四%の増大を示したが

. 4 4 A別待遇闘七八・市場のそれは一四%を減少し︑後者

は数量的に前者を凌駕してゐる︒

輸入統制の矯棉花輸入統制与セの主要性を加へつL

あづ

た︒

更に圏内的には︑世界的たる鰹槽並びに政治上の不安に基く我園経慣の準職種制化は軍需資材の輸入増大を結果し.

一貿易組合法﹂はこの事態に刑判躍すべく輪開組合のみた

らず輸入組合をも単たる任意的のものから強制化しうるものに強化した︒これに司よって輸出入の統制を首業者の自主

的活動に期待せんとしたのである︒

(17)

紡聯・も亦か与る事官に直面して内部の統制を強化したければならなかった︒七月六日綿綿生産調節規定が決定され

た︒その重行機関たる税制委員舎の税制の下にこの規定は共の三黙に震黙が置かれた︒部ち︑

一一

は封

械機

墓の

艶更

強制し︑操短専用紡機の一存在を禁止したこと︑こは新鋪加主操短の賀行期間を延長したこと︑一ニは昭和十二年一月一

日以後二ヶ年間の増鍾を規模別に制限したこと三れである︒こLに終来の操短L﹂は川井り︑増錘制限を自ら行はたけれ

ばならなかった紡績業に於ける過剰設備の存在を知るべきである︒その制限規定はゆ引の如くであれ︐J

た ︒

十高錘来渦の締結業三割(但し二高錘を越ゆるととを持ず﹀

十寓鍾以上二十高錘未満二割(但し三寓錘

J

一一一十寓鐸以上五十高鍾未満一割五分(但し四国錘

J

Li高錘以上八分︿但し五寓錘

、 ノ

更に三の新鍾に艶Lては一般加重率以上の操短率が課せられた︒乏の卒は営時の一一般操短率二割六分二匝を基礎と

して計算するたらば︑初年度六割六分五厘二年度五割二分間厘︑三年度三割九分三毘となり︑休日を加算すれば初

年度七割三分とたる︒これに上って増錘は頗る困難とたることは明かである︒絶って︑これによれノても亦大紡績の北

支を中心とする外地進出は営然に促進されざゐを得ない︒そこには低廉だる川労働力︑大たる販路原相自給に基く白

向たる愛展が期待されたからであった︒かくして昭和十一年六月に於て我闘紡績業の支那への進出は紡機二百五十寓

鍾︑織機二高九千墓の多数を一周すに至ったc

1) 

エコノミスト(昭和一O年九月一日)'一九瓦

我同幽紛業に於ける統制のは浪炭

(18)

我図綿業に於ける統制の崎氏反

¥

かくして日支事費の都民生に至る迄の我嗣綿業は海外市場の世界的縮少に封じてそのカルテル組織力学一以て白主的に

艶抗した︒輸出債格は増大した︒然し乍ら︑か︑ふる轍出償額の増大は主として阜債の騰貴に伴ふものであり︑輪出数

量は減少してゐた︒市も内部的競争の故に過剰生産は砂金A損大されつLあった︒更に印棉買付の義務数量が規定され

たことは綿業をして世界市器工りの棉花山貝付に伴ふ妙味を著しく減殺した︒朝鮮疏洲並びに北支に掛ける柏花自給

業はこれに艶する艶策であった︒

然し乍らかLる事態の推移は常に綿業内部に於ける安本的闘争を伴ってゐた︒紡聯と棉花同業食︑綿工聯並びに轍

出組合との関係がこれであった︒而もこれらの艶立は結局に於て紡聯内部に於ける資本的野立の具現であった︒この

場合に於て︑棉花買付より先製品の輪出に至る迄の縦断的結合の上に立つ紡績業は常に有利なる地位に立った︒特に

外地への資本提出によのノて吏にその地位は強化されてゐろ︒従って操短の横長.続制の強化の反謝者は常に大筋績で

あった︒か︑ふる事情の下に於ては︑棉花貸付の妙味は減殺されたとは一式へ︑未だその大量買付によれJてその利盆が確

保される限り︑大紡簡にとっては棉花の自給は比較的緊急たる問題とたり得たかのノたことは蛍然である︒かくて所謂

白主的統制の下に於て犬紡績は次第にその地位を確保しのjL

あっ

た︒

( )

閤家的統制への輩展'ーーを産業部門との関聯に於ける諸問題

前節に於て我々は外園市場の縮少に基く綿業の混説を見た︒市場の縮少はそれを捷る斯業内部の軒立を激化した︒

過剰生産は斯業の前塗に暗影を投︑ぜざるを件ふなかった︒かくして斯業に於ける矛盾的護展の核心をなした増錘問題は

(19)

迭に斯業自身の千によって制限されなければたらなかった︒

然るに我闘の政治的経時間的事情は特に満別事費以後に於て費質し︑圏防の整備は共第に緊急なる問題とたり.この

免軍需資材の職入は漸次多きを加へた︒我闘の園際貸借の闘係上それは嘗然に職入食替の問題に直接に関聯し︑従つ

て輸入の首位にあり︑市も非軍需産業たる綿業はかLる金瞳的目的達成の賞︑斯業の経緯性とは無関係に営然に輸入

震替節約の艶象となった︒従って綿業に於ける原料調建は潮弐不安を加へた︒而も昭和十一年より十二年にかけて原

料債格は世界的に昂騰し︑雨者相候って棉花の見越輸入を増大せしめた︒共表によれば昭和十二年上牟期の棉花輪入

高は従来の凡ての記録を一蹴し︑従って又内地各地方の棉花在庫高も亦同期間に於て未管有の

E

額を示した︒これに 第 八 表 棉 花 総 入 高

│ 数 量 i 使格│

予俵 38483

昭和九年上期 2024 

11  下 期 2488  3465911 

グ 十 年 上 期 2381  424890 

11  下 期 1704  289372 

グ十一年上期 2801  452491

11  下 期 2258  397961 

グ十二年上鶏 3342  630715 

11  下期 1115 

十三年五月迄

第 九 表 内地各地棉花在庫高

! 阪 ぺ 古 書

昭和十年上期 648350 

下 期 274255 

万十一年上期 457677  19901 

11  下期 447874  17141 

グ十二年上期 714078  38804 

11  下 期 382777  34072 

註,本表は各地倉庫在高の合

計にして紡競合枇及び静j官官等

の持品を含まず(雨表とも紡 聯月報より作成〉

紡績業及び

商人の手持

品を加ふる

たらば更に

E

額とたる

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︒ 入の増大は.轍出の減退と相侠って更に震替問題を重要ならしめざるを得たい︒事賞十一年末に於ける棉花輸入翁替 かLる輪

我倒的岬業に於りる統制の設以 の激増に伴ひ魚替は一志二片を割って一志一片三十二分二十五とさへたった︒軍需品輸入増大の必要は乙の問題の重

ム ハ

(20)

要性を倍加したcかくて昭和十二年一月

λ

日﹁潟替管理法﹂は強化された︒こLに於て非軍需産業たる料業の原料職 入は益K不安を加へざるを得ず︑斯業内部の統制は昭和念たる問題となり︑以後その統制は原料不足に基く数次に亙る

生産制限を中心として議展した︒こLに粧来の純粋なる自主的統制とは日開り.全盤的目的の震の綿業への政府の干渉

の時代が初去る︒先づ同月末紡聯は昭和十二年弐計置を昭和十一年度の一一割増と計算し︑政府との打合せに於て左の

賓施計茎を定めた︒第一弐生産計童がこれである︒

一︑昭和十二年度原棉所要豆町・::千四百寓捨

一︑同一ヶ月平均所要量

:j

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‑:

::

:百十七高捨

一︑綿締月産額:

‑:

::

一一

一十

三高

三千

梱 然るにかLる打合せにも拘らず︑八月一島仁棉花轍入量は一千二百寓擢の多額とたり︑許可教室を僅か二百寓捨残す

に描ぎなくなった︒これが翁八月に至る迄の我闘の入超は七億七千百固とたり︑前年の二億六千高固に比し三倍の

E

額を示した︒然るにこの入超顧は津田信吾氏によれ出﹁其内容を検討するときは大騒ぎする程のものでた﹂かった︒

何故ならば﹁今日疋等轍入口聞の中昨年の上期から較ぺて特に此上期に於て増加した品目と其金額とを挙げると︑棉花に

於て一億七千八百寓闘の増加︑羊毛に於て九千高閣の増加叉蟻に於て一億九百高田の時刻︑生護護が四千百寓園

銅が三千二百寓圏︑機械婦が三千二百寓園の増加を示して居り︑而も其中棉花の増加に付いては︑本年上期末の現在

高百七十四寓五千億あるのであって︑昨年の同期に比較すると六十蔦佐の一増加で︑此六十蔦俵の金額だけで優に一億

四千寓闘に建するのである︒換言すれば此棉花たるものは︑下期に於てはい紺製品として職出せらるべきものであって

(21)

深く憂ふるに足らぬ﹂からである︒かくて同氏の計算によれば.上期の入超額から棉花︑羊毛︑なる﹁貯戴勘定に計上

して然るべきもの﹂を控除すれば︑﹁純粋増加﹂は一億三千九百高岡であり︑此の中﹁現在の事情では巴むを得たい﹂

所の織の輸入増加一億九宵高圃を控除するたらば入超舗は僅か三千寓固となり﹁彼是詮じ詰めれば本年上期の入超額

三億六千九百寓国は和賞莫大額に相違たいが︑其内容を見れば大して蒔くべきものではたく︑先づ昨年上期と同様の

関係に置かれて居ると考へてよい﹂計算とたるのである︒

1) 

津田

信主

口﹁

図策

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地か

らみ

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紡聯

月報

昭和

十二

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月十

五日

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然し乍ら同題ば﹁彼是詩じ詰めたる純粋増加﹂の計算にあるのではたく・同氏も誌めるが如き﹁現在の事情では巴

むを得ない﹂所の軍需資材の額を遥かに凌駕して︑単なる輸出せらるべきものとの仮定の下に︑市も例年の一慣行を無

回して斡入されたる棉花並びに羊毛の額が鴛替に及げしたる悪影響にあった︒持一一目すれば︑個別企業としての要求と

園防完成の駕の経時機構の再編成の必要との矛屑こそが問題だった︒現在の場合後者の潟には前者は抑制されたけれ

ばならたい︒郎ち机花の﹄唯一統制なろ輸入は抑制され友ければたらない︒放に津田氏さへも亦同論文に於て﹁園際牧支

の遁ム口を計り鴛替の維持を目的とする策﹂として織緋原料貸付先の考慮︑その一自給の必要を提唱せざるを得なかった︒

然し乍らそれは賢践に蓮きれない限りポだ棉花輸入制限を不必要ならしめゐものではたい︒かくて残訟の二百高橋の

輸入は不許可となり︑更に八月﹁貿易及関係産業の一調整に関する法律﹂は闘民経緯の健全たる瑳謹を闘る目的を以て

物資の輸出入制限乃一志禁止の櫨能を政府に附興し︑開際収支の趨合を金問せしめんとした︒紡聯はこれに鞠庭ナる潟

七月末現在の原棉在荷す同の調査に基き十三年一一月迄の不足分百五十二高捨(八千八百寓図)を最低所要量と決定し

(22)

我闘紛業に於ける統制の内授は此O

たが︑政府の指摘せる如く原棉は大紡請に偏在して居り︑その相互融通こそが必要である王の趣旨の下に五千宮内国

(大韓八十寓繕﹀を限度正して輸入許可を典へられたに止った︒こLに於て三日同棉牲は昂騰を重ね︑百斤につき十乃

王十五同高︑即ち一梱につ今﹂三十五回乃至五十園高を示し︑八月末迭に先物取引は休止された︒療相輸入が不支分た

る以上︑三口間取引所の存在段無意義である︒操短は盆︑二積大され︑十二舟には四割九分五厘の高卒を一不じた︒

市も常原棉の不足は議主激化した︒何故友︑りば︑日支事費の勃護とその抗大'とは途に我園経梼の鞍時韓制化を結呆

ぜざるを持なかったからである︒かLる園家目的遂行の震には︑現在の悦界情勢の下に於ては︑写需品の圏内生産を

強化し︑凡ゆる経糖力をその生産に集中したければならない︒従づて凡ての産業機帯はそれを中心としたる再編成主

要求され︑前者の優先的損充の矯不念不用たる医業は抑制されなければたらたい︒}一人に於て原料資源に献除ナる我

園としては軍需養材の優先的職入が必要とたる︒この轍入資金の早急たる調達には︑吉野商相も一五ふ如く﹁一番拙い︑

手際の悪い手であるけれども︑今日の此の時局を乗切ると一五ふ震には鴻喝された乎といふものは一ヴしかたい︒部ち聡

入を止める︑職入を人気的に或る金額だけカットすると一五ふ以外には闘際牧交のバランスヰピ合して必要た雫需資材と

一再

ふも

L供給を確保すると一再ふこと以外には方岱がたい︒﹂荷もそれは不念不用品の﹁全部の輸入を止める︑斯ふ

一式ふても大した金額ではないのでありまして︑今日の園際牧交を合はせると一式ふ船舶から言へは或は九牛の一毛﹂であ

る以上﹁必要たものを節約する・・・丁度白分の手足︑手の指を一本一本切るやうなものしか節約する除地はたい︒.

‑:どんた必要たものであっても︑此の際としては必要なものL輸入をカットしなければたらぬ︒どうや必要なものを

ゃるのだと云ふことになれば細ま

JF ︑

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もの

を数

多く

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額約

一少

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一息ひに金額

m u多いもの

(23)

をやると一耳ふことが︑私は寧ろ適切であり︑又殻果的であると思ひます︒さういふ考へ方から設しまして棉花︑羊毛︑

木材︑此の三つを::・槍玉に上げたのである︒﹂

如く吃我圏に於ては棉花の職入は再輪出用を除き全面的に抑匿され・なければならない︒かくて﹁震替管理法﹂の強化 恰も猫逸に於て職入食糧の節約によって軍需品を職入しつLあるが

と共に﹁貿易統制法﹂も亦強化され︑﹁職出入品等に闘ナる臨時措置に闘する法律﹂により︑政府は貿易審議舎の議に

基かず直接その判断に基いて轍出入の制限乃至禁止をたすの擢力をもつことふたり︑こLに貿易統制の調裁化が完

成されるに至づた︒十月十一日﹁臨時職出入許可規則﹂により.棉花は他の重要物賓と共に輸入が抑制された︒

1) 

吉野信次﹁時局と経済政策﹂ハ日本経替皐舎縞最近に於ける企業・経替組織の諸問題﹀

2) 

拙稿﹁淘逸統制経済に於ける債格政策﹂(経済皐論集八の九﹀一一一四頁

Lに於て綿業に於ける困難は従前とは質的に全く異る保件の下に瑳生したことが明かである︒事費の損大と共に︑

我園経槽は軍需品産業を中心とする新たたる高度の編成に強制的に突入せしめられ︑凡ての経棒活動はその完成の矯

に協力すべく︑その経漕的考慮は第二義的にのみたされるに至づた︒綿業は我闘のキイインダストリーとして考慮さ

るべきこと勿論である︒然し乍ら︑現在の場合︑軍需品轍入資金の念速たる調達の必要上綿業は皐たる棉花輸入業

としてのみ考慮せられ︑その職入は不念不用産業として抑監されたければたらない︒その轍入震替は軍需品生産横充

の震に充賞されることが必要たのである︒かくて緊急産業は不念不用産業を犠牲として念速に横大されることL

なる

﹁臨時資金調整法﹂はこの目的に艶躍し︑紡績業を以て不念産業としてその損張及び改良を禁止した︒かくして事饗

後に於ける綿業の混凱は︑会産業部門内に於ける綿業の地位の費化の問題として理解されたければならない︒それは

我闘綿業に於ける統制の溌反

(24)

我園柏柿計止に於ける統制の後展

強力的に従来の主導的地位より手捜的地位に低下せしめられた︒かくて従前に於けるが如き綿業の自由なる護展は阻 止せられ︑原棉の不足は今や紐謝的である︒操業の困難は今や轄じて不可能に陥らんとしてゐる︒と

Lに於ては企業

利益の大小が問題なのではなくして︑その企業の存立が問題とならん

L t ‑

して

ゐる

L

る事態に宜閉しては従来の如き自主的統制に多くを期待することは困難である︒何故ならば︑自主的統制とは 結局に於て個別的企業利議確保の一震の統制すあり︑縫って原料の侠乏に工り企業利益自身が︑否企業の存立自身が危 殆に頻するに際してはか︑ふる統制によづて擁護さるべき共通の利益はあり持たいからである︒か︑ふる事情の下に於 ては自主的たる統制は困繋であり︑不足せる原棉を擦る内部的闘争が激化されざるを得たい︒紡績業は混棉技術の優 秀性とその震の各種棉花の自由民付を強調しも︑職入統制を固執する棉花商と封立し︑震替取得の方法並びにその割 営率を繰ってその艶立は激化せんとし︑更に綿締の配給に関して中小機業家を中心とする綿工聯との問題が複雑化し︑

更に叉原棉の偏花問題を繰って紡聯内部にも封立が激化されざるを得たかった︒か

Lる封立の下に於ける統制は園家 的目的達成の震の有放たる機関ではあり得ない︒ヤ

)

に綿業に於ける閤家的統制への登展段必然であった︒吉野商相L

によれ同町﹁紡績のことを頼んだから紡蹟のことだけしかやらないといふのでなく・紡詰の人が日本のとの時局に劃す ることを︑役人に協力してやってくれる大きた機関一が必要とたった︒十月初旬成立せる柏業各圏憧代表者五人より 成る綿業委員舎はその現れである︒この協力の下に政府は従来の自主的数策に劃し統一的なる針策として十月二十二 日綿業調整案を提示し

h

︒その要鮪は失の三鮮にあり︑何れも悶家的意識の下に営業者の自主的自粛的活動を期待せ

るも@である︒

(25)

日本経済聯盟に謝する貿易統制問答(紡聯月報昭和十二年一月十五日競)参照 2) 

東京朝日新聞昭和十二年十月六日 3) 

紡聯︑検出綿総布同業舎︑棉花同業合︑綿総商組合聯合合︑綿工聯の五閤陸を指す︒

4)  か︑ふる空気に従来勤立せる紡聯と綿花同業舎とは棉花輪入統制協舎の成立によって和解した@

一︑棉花職入量及び締締生産額を夫

k月産百寓捨及び三十背円相とすること(第二次生産計書)︑

二粧僚一割の統制料の徴牧︑

一二︑棉花及び綿締標準物(米産ストリクトミドルング及び二十手)につき毎土曜最高債格を護表すること︑

これである︒

第一の第二女生産計章は第一共生産計童に比し棉花十七高権︑綿綿三高三千柄︑郎ち夫々約一割の減少である︒然 るに鞍出は少くとも従前通り維持されたければたらないが故に︑綿綿生産の減少は凡て圏内泊費の節約によって調整 されなければならたい︒今十二年の月平均輸出額を約二十高相とするならば︑時閣齢たる十高梱は︑従前の闘内向数回一一旦 十三高相(三十三高相マイナス二十蔦樹﹀に劃して二三杉以上の減少となる︒こ

L

に於て圏内消費は強制的に節約さ れたければたらない︒第二の棉花統制料の徴牧はこの目的にも照廃ずるものであった︒即ち吉野商相の言によれば︑

消費を抑制する震には債格を引上げる必要があるが故に︑

一割の一統制料は圏内債格に轄嫁せしめ︑以て需要を減退せ

しむると共に︑他方に於て輸出促進の免職出口聞に劃してはこれを梯戻す制度がこれであった︒この高債格政策は第三 の最高債格制度にも採用された︒部ち︑最高債格は翌十月二十三日第一同の護表を見たが︑綿綿二十手一梱二百三十

我閤綿業に於ける統制の俊民

(26)

七四

閏は常時の中位の生産費(エコノミストによれば二百国十七銭︑東洋経槽によれば二百二回五銭)に比し約一割五分

高であった︒

2)  1) 

東京朝日新聞昭和十二年十月七日

(昭和十二年十一月十一日)一六支

3) 

日本経済年報

一 一 二 輯

七四頁

然し乍らこの政策は明かに多くの問題を惹起した︒何故ならば︑棉花及び綿綿債格の昂騰は市場に於ける供給の粍 関的不足に基くものであり︑従ってこの関係の持緯する限り債格騰貴は免れ得たいからである︒経って︑

一方に於て

債絡を引上げ.以て消費を抑制せんとすると共に︑他方に於て最高債格制度によってその騰貴を抑制したければたら ない所に既に大なる矛盾を離してゐた︒この問題の解決は現在の企業組織を前提とする限り商品の供給量の同復に よってのみ可能であることは明かである︒更に叉最高債格とは綿業関係者の組織せる綿業委員舎の決定を政府が公認

せるに過ぎたい︒こL

に最高債格が狛占債格に静化するの危険無しとは誰が保詮し得ゃう︒少くとも最高債格とは綿 業にとって有利たる債格であるこ

L﹂は明白である︒而もそれは商品の経劃的及び投機的不足により最低債格とたるの 危険極めて大たる場合.全盤的目的達成︑従って叉その震の負捨の均等化の見地工り見て消費者の利盆を無腕して

綿業にのみ利益を曹一断せしむべき理由は存したい︒こ

hA

に債格公定への後展は師に不可避であった︒

然るに︑他方に於て商品供給量の不足は益︑g

増大

しつ

Lありた︒綿業前整案によって綿蘇生産は月額一ニ十高相と規 定されたにも拘らずその後に於ける原棉不足は紡聯をして十一月末に至り綿綿生産割嘗制を貰行せしめるに至︒た︒

参照

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