世界金融危機に関する覚書
上 川 孝 夫
目 次
『エコノミア』第 60 巻第 2 号(2009 年 11 月),1 - 21 頁[Economia Vol. 60 No.2(November 2009),pp.1 - 21]
研究ノート
Ⅰ 問題の所在
米国のサブプライムローン問題に端を発した 世界金融危機は,世界経済や国際金融に対して 深刻な影響を与えた.本稿は,この世界金融危 機に関する主要な論点を整理するとともに,今 後の検討課題を提示しようとするものである.
以下ではまず,今回の世界金融危機の展開過 程を概観したのち,その特徴を歴史的視点から 分析する.次に,今回の世界金融危機を受けて 急浮上するに至った国際通貨体制や国際金融改 革をめぐる議論を整理し,世界秩序再編への動 きを探る.最後に,世界金融危機がアジア経済 に及ぼした影響について,危機前のアジア経済 の特質と比較しながら分析するとともに,アジ ア通貨金融協力の今後の課題を検討することに する1).
Ⅱ 世界金融危機の概観
今回の世界金融危機の流れを振り返ってみる と
,
現在までのところ,少なくとも三つの局面に分けることができるように思われる.すなわ ち,今回の危機は,まず米国の住宅バブル崩壊 に伴う「サブプライムローン危機」として始ま り,次にリーマン・ショックをきっかけにして
「世界金融危機」へと発展し,さらにその後「世 界金融・経済危機」へ深化する,というプロセ スを辿ってきたと考えられる.以下では,これ ら三つの局面それぞれの経緯と特徴を述べてお こう2).
[1]「サブプライム危機」の顕在化
まず,最初の局面は,米国に端を発する「サ ブプライムローン危機」の顕在化であるが,そ の時期はおおよそ
2006
年の後半であったと考 えられる.米国では,2001年のIT
バブル崩壊 のあと,米連邦準備制度理事会(FRB)の政策 金利(FFレートの誘導目標)は年6.5%から段
階的に引き下げられ,03年6
月には年1%とい
う歴史的な低水準をつけた.この低金利と過剰 流動性に支えられて,住宅価格は上昇を続け,信用力の低い個人層向けの住宅融資(サブプラ イムローン)が急増した.サブプライムローン
Ⅰ 問題の所在
Ⅱ 世界金融危機の概観
Ⅲ 世界金融危機の歴史的位相
Ⅳ 国際通貨体制再編への胎動
Ⅴ 世界金融危機とアジア経済
Ⅵ 結語
1)本稿は,上川孝夫・李暁編『世界金融危機−
日中の対話−』春風社(中国語版,清華大学出版 社),いずれも近刊,に掲載する論文の準備草稿と して用意されたものであり,原則として2009年9 月末までの情報にもとづいて執筆されている.な お,世界金融危機に関する包括的研究として,別途,
上川孝夫編『国際通貨体制と世界金融危機』日本 経済評論社,近刊,を予定している.
2) 以 下 ,特 に 注 記 の な い も の は ,各 種 新 聞 報道;IMF, Global Financial Stability Repor t, Oct.2008,April 2009;IMF, World Economic Outlook, April 2009;内閣府『世界経済の潮流』2007年12月,
2008年6月,12月,2009年6月;日本銀行『金融 市場レポート』2009年1月,による.
には様々な形態があるが,特に利用が増加した のは最初の数年間の金利負担が優遇されたロー ンである.また,住宅価格の上昇期待に基づい て将来の借り換えを想定した借り入れが多かっ たとされる.さらに,借り手の所得等からみた 返済能力を十分審査せずに融資が行われた杜撰 なケースも多く見られたといわれる.しかしそ の後インフレ懸念が台頭するとともに,政策金 利は
04
年6
月から順次引き上げられ,06年6
月には年
5.25%となり,上昇を続けていた住宅
価格も
06
年半ばをピークに反転する.このよ うな金利上昇と住宅価格下落のなかで,06年 後半からサブプライムローンの延滞率や差し押 え率が高まるのである3).サブプライムローンの急増をもたらした一つ の重要な要因は,そこに「証券化」という手法 が利用されていたことである.すなわち,サブ プライムローン債権の多くは,米国の投資銀行 等によって買い取られ,後者はそれを担保とし て
MBS(
Mortgage-Backed Security.モーゲージ担 保証券4)),あるいはMBS
等も含めて再証券化 したCDO(
Collateralized Debt Obiligation.債務担 保証券)を発行して,内外の投資家に売り捌い ていた.しかも,この証券化商品には格付会社 がしばしば公平性を欠くと思われる高い格付け を与えており,事実上証券化業務の拡大を後押ししていた.しかし
,
サブプライムローンの延 滞率が増加し,また証券化商品の格付けが大量 に引き下げられるに及んで,2006年末頃から サブプライムMBS
の価格が下落に転じ,次い で他のMBS
やCDO
の価格にも波及していく のである5).2007年初頭の段階で注目すべき点は,この 米国発のサブプライム危機の影響が,欧州の金 融機関へと直ちに波及したことである.その代 表例が「パリバ・ショック」であった.2007 年
8
月,フランスの大手金融機関であるBNP
パリバは,証券化商品の価格急落によって,同 行が販売した投資信託の基準価格の算定が困難 になったとして,投資家からの解約・換金請求 に応じないことを発表した.これをきっかけと して,欧米の短期金融市場の流動性が逼迫,と くにロンドン銀行間出し手金利(LIBOR)にお けるドル金利が急騰し,TEDスプレッド(同 じ満期をもつ米国債との利回り格差)が拡大した.このため,欧米の主要中銀は短期金融市場に大 量の資金を供給した6).このようにサブプライ ム危機が欧州に直ちに波及したのは,米国の金 融機関だけでなく欧州の金融機関もサブプライ ム
MBS
やCDO
などを大量に保有していたた めである.これに対して,アジアの金融機関の 保有額は比較的に少なく,それが危機の初期段 階での欧州との違いを生んだと考えられる7).3)サブプライムローンの中でも特に普及したの は,固定金利と変動金利を組み合わせた「ハイブ リッドARM」(Hybrid Adjustable-Rate Mortgage)
である.これは,例えば米国で一般的な返済期間 30年の住宅ローンの場合,当初の2年間または3 年間は実勢よりも低い固定金利を適用する代わり に,その後は市場金利にプレミアムを上乗せした 変動金利が適用されるというものである.この場 合,住宅価格が上昇していれば,変動金利が適用 される前に,住宅価格の上昇分を担保にして低利 ローンへの借り換えが可能であるとの期待があっ たとされる.詳しくは,小林正弘・安田裕美子『サ ブプライム問題と米国の住宅金融市場』住宅新報 社,2008年,12-31頁,参照.
4)MBSの中でも住宅ローン担保証券はRMBS
(Residential MBS)と呼ばれる.
5)IMF,Global Financial Stability Repor t, Oct.2008,p.13.
6)この「パリバ・ショック」時に注目を集めた ものに,ABCP(Asset-Backed Commercial Paper.
資産担保コマーシャルペーパー)市場の混乱があ る.同市場で特に問題とされたのはSIV(Structured Investment Vehicle) で あ っ て, こ れ はMBSや CDOを担保としてABCPを発行していた.欧米 の大手金融機関が簿外で運営しており,ABCPが 売れない時には銀行が資金繰りをつける流動性補 完ファシリティを提供していたが,これがこの時 に実際に発動され,ドル資金需要を高める一因と なったとされる.詳しくは,IMF, Global Financial Stability Report, April. 2008, chap.Ⅲを参照.
だが,その後も問題は噴出し続けた.まず,
2007
年の秋から冬にかけて,欧米の金融機関 がサブプライム関連投資等で巨額の損失を計上 し,中東やアジアの政府系ファンド(SWF)等 から出資を受入れた.また,07年末から08
年 初頭にかけて,証券化商品の保証業務を行って いたモノライン(信用保証会社)の経営危機が 表面化した.08
年3
月には,米投資銀行べアー・スターンズが,証券化商品の販売不振,市場性 資金の引き揚げ等から資金繰りが悪化し,米大 手商業銀行
JP
モルガン・チェースに救済買収 された.この時点で米連銀は,緊急利下げを行 うとともに,プライマリー・ディーラー(投資 銀行を含む)向けに,貸出限度を設けない融資 制度(PDCF)を新設した.米連銀の監督下に ある預金取扱金融機関以外にまで「最後の貸し 手」としての役割を拡大したわけである.さら に7
月には,米政府は,住宅公社二社を一時的 に政府管理下に置くことを発表した.この措置 は,民間の住宅ローンが急速に収縮する中で,その機能を代替・補完することに目的があった が,これら二公社の発行している債券(GSE債) が海外の通貨当局によって保有されていたこと から,ドルの信認確保という狙いもあったとみ
られている8).
[2]「世界金融危機」への発展
続く第二の局面は,サブプライム危機が「世 界金融危機」へと発展・拡大していく局面であ る.そのきっかけとなったのは,いうまでもな く
2008
年9
月の米大手投資銀行リーマン・ブ ラザーズの破綻であった.いわゆる「リーマ ン・ショック」である.破綻の背景には,同社 がサブプライム証券化商品の評価損等で経営が 悪化するとともに,株価が急落し,資金の引き 揚げに見舞われたことがあった.リーマン破綻 の翌日,米大手保険会社AIG
が政府管理下に 置かれた.同社の場合には,証券化商品を保有 していただけでなく,証券化商品のデフォルト が生じた際の支払を保証する取引であるCDS
(Credit Default Swap)の権利の売り手となって いたことから,同社が破綻した場合のシステ ミック・リスクが懸念されたこと等が指摘され ている.この時,米連銀は
,
このAIG
に対して も「最後の貸し手」として異例の流動性支援を 行った.リーマン破綻以降,世界の主要金融市場は激 しく揺さぶれられた.欧米の短期金融市場では,
金融機関相互間でカウンターパーティー・リス クが強く意識されるようになり,ロンドン銀行 間出し手金利(LIBOR)におけるドル金利が急 騰し,TEDスプレッドも拡大した.この
TED
7)例えば,米国の民間金融機関が発行しているMBS(これを「民間MBS」という)の海外保
有高をみると,2007年6月末現在5937億ドルの うち,欧州3420億ドル(57.6%),カリブ海1800 億ドル(30.3%),アジア514億ドル(8.7%)で あり,欧州が最も多い.これは公的・民間の両保 有分の数値であるが,このうち民間保有が5679 億ドル(95.7%)と圧倒的である.以上により民 間MBSの保有は欧州の民間部門に多いことが分 かる.以上は,US Dept.of Treasury,et al., Report on Foreign Portfolio Holdings of US Securities as of June 30,2007, Statistical Appendix,Table 23, April 2008 (http:// www.treas.gov)による.なお,米国 で発行されているABS(Asset-Backed Security, 資 産担保証券.MBSはその一種)は世界のABSの
発行額の67.9%を占めており,そのうち99.5%が
ドル建てである(1999〜2008年の集計値).以 上は,ECB, The International Role of the Euro, July 2009,pp.31-32,を参照.
8)住宅公社二社とはFannie Mae(連邦抵当金
庫)とFreddie Mac(連邦住宅貸付抵当公社)であ
り,GSE(Goverment-Sponsored Enterprise)債は これら住宅公社の発行しているMBSや中長期債で ある.このGSE債の海外保有高は2007年6月末 現在5697億ドルであるが,そのうち中国2062億 ドル,日本1026億ドルと両国で54%を占めており,
また部門別では公的部門が2358億ドルと41%を占 めている.このように,GSE債は,先にみた民間 MBSとは異なって,東アジア諸国,特に日中が外 貨準備として保有している割合が大きいという特 徴がある.以上は,US Dept.of Treasury, et.al., op.
cit., Appendix, Table 20,23による.
スプレッドの拡大幅は,2007年
8
月のパリバ・ショック時や
08
年3
月のべアー・スターンズ 危機時とは比較にならないほど大きなもので あった9).そうした事態に対応して,米欧日5
中銀は,それぞれの市場で自国通貨を大量に供 給しただけではなく,米連銀との二国間通貨ス ワップ協定に基づいて,ドル資金を自国市場に 供給した.しかしその効果は乏しく,10月に はドル供給の限度額を撤廃して,事実上無制限 のドルを供給する取極めへと発展した.なお,米連銀と通貨スワップ協定を締結した海外中央 銀行は
10
月末までに14
行に拡大した10). こうした緊迫した情勢のもとで,危機が深刻 化した欧米を中心に,金融機関の業績が悪化 し,様々な金融再編や公的介入の動きが進行し た.米国では,リーマン・ショック後の9
月下 旬に,五大投資銀行のうち残存していたゴール ドマン・サックスとモルガン・スタンレーが銀 行持株会社へと移行し,大手投資銀行は単体と しては事実上消滅した.一方,欧州やユーロ圏 では,ある意味では米国以上に金融危機が深刻 化し,金融機関の業績悪化が続出した.こうし た事態に対して,欧米では,国により違いがあ るものの,金融機関への公的資金の注入や国有 化,金融機関からの不良資産の買い取り,預金 保護の強化(預金保護上限の引き上げ,または全 額保護化),銀行間債務や社債に対する政府保 証の付与など,
次々と金融安定化策が打ち出さ れることとなった.なお,米国で2008年10月に成立した「緊急経済 安定化法」(Emergency Economic Stabilization Act
of 2008)は,当初,公的資金による金融機関から
の不良債権の買い取りを想定していたが,その 後方針が変更され,金融機関への資本注入が優 先的に行われることとなった.これは米国の金 融機関の問題が単なる「流動性」(liquidity)問題 にとどまらず,「支払能力」(solvency)の問題で もあることが認識されるようになったためと指 摘されている11).同10月末に初めて実施された 資本注入には,大手商業銀行のシティ・グルー プやバンク・オブ・アメリカ,銀行持株会社に 転換されたゴールドマン・サックス,モルガン・
スタンレーなどが含まれている.
[3]「世界金融・経済危機」への深化
今次危機の第三の局面は,金融危機の実体経 済への波及が明確になり,世界金融危機から
「世界金融・経済危機」へと深化していく時期 である.筆者はこの時期を
2008
年の11
月頃と 考えている.一般には,リーマン・ショック直 後から実体経済が急速に悪化したと指摘されて おり,この二つの時期を区別する必要はないの かもしれない.しかし,それにもかかわらず,筆者が両者を区別して考えようというのは,銀 行間市場と株式市場の状態の比較考量によって いる.すなわち,この時期に入ると,ロンドン 銀行間出し手金利(LIBOR)におけるドル金利 は,9月のリーマン・ショック直後に急騰した のち,
11
月にかけて急速に低下し,09
年に入っ てからもその状態が続いた12).銀行間市場の緊 張が完全に払拭されたとまではいえないとして も,ここには世界の主要中銀による大量の資金 供給が効いた形となっている.これに対して,9)IMF, Asian Development Outlook, March 2009,p.3.
10)米欧日5中銀とは米連銀,欧州中央銀行,イ
ングランド銀行,スイス国立銀行,日銀である.ま た,米連銀が通貨スワップ協定を締結したのは以上 の4中銀のほか,カナダ,オーストラリア,ニュー ジーランド,ノルウェ―,スウェーデン,デンマー ク,メキシコ,ブラジル,韓国,シンガポールの各 中銀である.このスワップ協定の詳細は,米連銀 のホームページを参照.http://www.federalreserve.
gov/monetarypolicy/bst_crisisresponse.htm.
11)Bordo, M.D., A Historical Perspective on the Crisis of 2007-2008, NBER Working Paper, No.14569, Dec.2008, pp.12-16.
12)IMF, Asian Development Outlook, March 2009, pp.3, 6.
世界の主要株価は,リーマン・ショック後には むしろ一段と下落のテンポを早め,
09
年に入っ てからも,しばしば大幅な安値をつけるのであ る.ちなみに09
年に入ってから年初来の最安 値をつけたのは,ニューヨーク・ダウは3
月9
日の6547
ドル,日経平均株価は3
月10
日の7054
円であり,後者はバブル崩壊以降の最安 値であった(09年9月末現在).言いかえれば,銀行間市場での流動性危機の激化は抑えられた ものの,主要国の実体経済は急降下していくの である.
この世界金融・経済危機への深化を示す典型 的な例は,金融機関の後を追うようにして,世 界的なメーカーの決算が軒並み悪化し,雇用調 整や生産調整などが本格化したことであろう.
米国の大手自動車メーカー(ビッグ3)の経営 危機やその救済策をめぐる議論が大きくクロー ズアップされたのもこの期の特徴であった.一 方,金融機関の側も,実体経済の悪化を受けて
,
不良債権の増加や株式評価損等による自己資本 の新たな毀損を防ぐために貸出態度をいっそう 厳格化したといわれる.かくて,この時期に 入ると,金融危機と実体経済悪化との悪循環が 指摘されるようになるのである.2009年1
月,ILO
は,年次報告の中で,08末時点の世界の 失業者数が過去最大に達したことを明らかにし た.世界の実体経済が急降下する中で,主要国で は,危機克服に向けて,文字どおり,経済政策 手段を総動員する方向へと進んでいく.財政政 策についてみると,米国では
2009
年2
月にオ バマ新大統領のもとで,過去最大級の財政出動 を盛り込んだ「米国再生・再投資法」(American Recovery and Reinvestment Act of 2009)が成立し たほか,欧州やアジア諸国でも景気刺激策が実 施された.次に,金融政策についても,米国や ユーロ圏では,政策金利が歴史的低水準まで引 き下げられるとともに,短期金利の誘導による 金融政策の余地が縮小したことから,長期国債 や民間債務(CP,社債など)の買取り等の形で,いわゆる「非伝統的金融政策」へと踏み出して
いく13).さらに,金融安定化策についても,各 国政府による追加対策が相次ぎ,金融機関への 公的資金の注入ないし再注入,銀行債務の政府 保証,金融機関からの不良資産の買い取り策な どが実施された.その一方で,金融危機は,中 東欧諸国やアイスランド等においても深刻化 し,IMFによる緊急融資が行われた.
この時期にさらに特筆される出来事は,初め て
G20
による金融サミットが開催されたこと であろう.これは,先進国だけでなく新興国 や途上国等を含む首脳会議の場であり,これま での先進国中心の体制から,より多極化した世 界経済新秩序への転換を予兆させる会議となっ た.このG20
金融サミットは2008
年11
月に ワシントンで初会合,09年4
月にロンドンで 二回目が開催され,世界不況を回避するための 財政金融政策のあり方,国際金融市場や金融機 関に対する規制・監督問題,国際金融機関の改 革等のテーマが取り上げられた.財政規模への 数値目標の導入や金融規制の中身等をめぐって 対立も見られたが,このサミット以降,主要国 では,金融規制改革や監督体制に関する具体案 や見解が発表された.以上のように,今回の世界金融危機は,ま ず米国の住宅バブル崩壊に伴う「サブプライム ローン危機」として始まり,次いでリーマン破 綻をきっかけに「世界金融危機」へと発展し,
さらには「世界金融・経済危機」へと深化する,
という三つのプロセスを辿ってきたと考えられ る14).
Ⅲ 世界金融危機の歴史的位相
では,今回の世界金融危機は,これを歴史的 にみた場合,どのような特徴をもつ危機として 捉えられるであろうか.この点については,筆
13)世界金融危機の中で主要中央銀行が行って きた政策運営の性格を整理したものとして, 日本 銀行企画局「今次金融経済危機における主要中央 銀行の政策運営について」BOJ, Reports & Research Papers, 2009年7月,がある.
者は,少なくとも長期,中期,短期という三つ の視点(時間軸)から捉える必要があるのでは ないかと考えている.すなわち,第
1
に,今回 の世界金融危機は,1929年に始まる大恐慌以 来の世界的危機であり,その意味で,資本主義 経済の長期変動という視点が必要である.第2
に,基軸通貨国である米国が,とくに1980
年 代から経常収支赤字を定着させ,海外からの巨 額の資本流入に依存するようになっていたとい う事実に照らして,国際通貨体制の中期的変化 という視点も重要である.さらに第3
には,今 回の危機がもたらされた前提には,2001年IT
バブル崩壊後における低金利と過剰流動性に支 えられた住宅バブルがあったという意味で,短 期循環の視点も欠かすことはできない.今回の世界金融危機は,このように,時間軸
の異なるこれら三つの現象が交差したところに 生じた複合的危機とみられるのであり,それゆ えに,歴史的にも重大な危機になったと考えら れる.
[1]1930年代大恐慌以来の危機 -長期的視点-
まず長期の視点であるが,今回の世界金融危 機は「100年に一度か,50年に一度の事態」だ と指摘される15).今回の世界金融危機の歴史的 含意をどのように言い表すかはともかく,少な くとも
1929
年に始まる大恐慌以来の世界的危 機であることは間違いないところであろう.今 回の危機はまず,こうした長期の時間軸から捉 えられなければならない.1929年恐慌は,実は,その当時の金融グロー バル化の流れを終息させ,それを解体するきっ かけとなったものである.当時の金融グローバ ル化は,19世紀末から第一次世界大戦に至る
「大不況期」と
1920
年代の「相対的安定期」に 進展するが,これらの過程で急速な信用拡張 がみられ,後者の時期の金融グローバル化は1929
年の米国の株大暴落をきっかけに崩壊す る.その後,世界経済は保護主義,為替管理,ブロック化の動きが強まる.第二次世界大戦後,
ブレトンウッズ体制のもとで,当初は為替管理 14)以上にみた今次世界金融危機の流れを振
り返ってみると,2008年9月15日のリーマン・
ショック時には,少なくともドルの銀行間市場は 一時的に貨幣恐慌ないし信用恐慌の状態に陥った と考えられる.直後の9月24日にバーナンキ米連 銀議長が世界的規模でドルを大量供給しても銀行 間取引金利が下がらず「異常な緊張」に直面して いると議会で証言したこと,また同29日に白川日 銀総裁が「ドル資金の流動性はほぼ枯渇した」と 記者会見で発言したことなどは,その証といって よいだろう.その後,主要中銀による無制限のド ル供給により銀行間市場の流動性危機の激化は抑 えられたものの,新たに金融機関の支払不能危機
(資本不足問題)が懸念されるようになり,また実 体経済もまさに激震と呼ぶにふさわしいような急 降下を経験し,歴史上の産業恐慌に匹敵する現象 が見られたと考えられる.ちなみに,危機時にお ける中央銀行の行動ルールとしては19世紀後半 の金本位制下で定式化された「バジョット・ルー ル」(高利で無制限の融資を行う)が有名だが,今 回の危機のもとでは低利での無制限融資となっ ている.この違いを指摘したものとしてBordo, op.cit.,pp.12-13;上川孝夫「ドルはポンドの轍を踏む か,19世紀の危機が示唆する危機後の秩序」ロイ ター通信インタビュー記事(一部),2008年12月 11日配信.なお,本稿では世界金融危機という用 語を,今回の危機全体を特徴づける広義の意味と,
リーマン・ショック直後の危機を示す狭義の意味 の二つの意味で用いている.また,最後の局面の「世 界金融・経済危機」は時間の経過とともに「世界 経済危機」へ移行していったと考えられる.
15)Greenspan,A.,The Age of Turbulence in a New World, Special Edition, The Penguin Press,2008(山 岡洋一訳『波乱の時代(特別版)』日本経済新聞出 版社,2008年).
16)この新旧二つの金融グローバル化を比較検 討したものとして,上川孝夫「金融グローバリゼー ションと国際通貨システム」『歴史と経済』第179 号,政治経済学・経済史学会編,農林統計協会,
2003年,を参照.なお,いま,縦軸に国際投資残 高の対世界名目GDP比率,横軸に19世紀後半か ら現代までの時間の流れをとって,これをグラフ 化すると,U字形になる.これは「U字仮説」と呼 ばれる.ちなみに縦軸の比率は現代のほうが高く なっている.詳しくは,Taylor,A., Global Finance:
Past and Present, Finance & Development, March 2004,chart 1; Obstfeld,M.and A.Taylor, Global Capital Markets:Integration,Crisis and Growth, Cambridge Univ.Press,2004,を参照.
が容認されていたが,主要通貨の交換性回復や ユーロ市場の発達もあって,民間資本移動が活 発化していく.主要国で為替管理が廃止され,
金融グローバル化の動きが再び顕著に現われて くるのは
1980
年代のことであり,さらに90
年 代に入ると新興国や途上国にもこの動きは広 がっていく16).今回の世界金融危機は,このように新たな金 融グローバル化が進展する中で,米国を震源地 として発生したものであり,その点に
1929
年 恐慌との共通性が見られる.この二つの時期の共通性について,さらに立 ち入って考えてみると,次のような点が指摘で きる.すなわち,第
1
に,二つの時期ともに,危機発生前には,経済成長期待もあって住宅市 場や株式市場中心にブームが起きており,また 急速な信用拡張がみられたこと(前回の場合に は住宅ブーム破綻後に株式ブームが起きたという 相違はある)17),第
2
に,金融セクターの決済・信用システムに重大な機能障害が発生し,金融 市場において,いわゆる「流動性選好」が顕著 にみられたこと,第
3
に,金融危機が国境を越 えて次々に波及し,世界規模の危機となったこ と,第4
に,汎用工業品中心に物価下落圧力が 続き,いわゆる「負債デフレーション」の様相 もみられたこと(ただし,1920年代の場合には これに一次産品価格や農産物価格の下落が加わっ ていた)18),第5
に,国際通貨体制の面では,基軸通貨の激動期にぶつかっていたこと(前回 はポンドとドル,今回はドルとユーロ),などで ある.
とはいえ,今回の世界金融危機は,単なる過
去の再現ではない.そこには新しい特徴もみら れる.すなわち,第
1
に,貨幣制度からいえば,1929
年恐慌は金本位制(厳密には「再建金本位 制」)のもとで発生したが,今回は金本位制離 脱後に管理通貨制が定着しているなかで発生し た危機である.そのこともあってか,今回の危 機ではマクロ政策の動員の余地が大きく,実体 経済の落ち込みは大恐慌時ほどではないとも指 摘されており,実際にその効果がみられないわ けではない.しかし他方で,主要国では国債残 高の累積,名目ゼロ金利の制約などの形で,マ クロ政策の展開に新たな困難が生じている点も 見逃せない.第
2
に,資本主義経済との関連では,この間,寡占経済化が一段と進む一方,金融グローバル 化の程度も強まり,グローバルな寡占間競争が 激化していたとみられる.今回の危機は,この ような現代の「グローバル資本主義」のもとで 発生した初めての世界的な危機といえる.なお,
これに関連して,金融技術革新の点では,前回 の米国のブームでは,持株会社方式,投資信託 制度,賦払信用などが挙げられるが
,
今回のブー ムではIT
技術の飛躍的な発達と結びついて,証券化商品市場やデリバティブ取引が拡大した 点に特徴がある19).
第
3
に,金融機関の破綻という点では,1930 年代初頭には全米規模で商業銀行に対する預金 の取付けが起こり,三波にわたる「銀行恐慌」が発生した.これに対して
,
今回の危機では,17)Kindleberger,C.P., The World in Depression 1929-1939, Univ.of California Press, 1973,chap.4,5
(石崎昭彦・木村一朗訳『大不況下の世界』東京大 学出版会,1982年,第四章,第五章).
18)「 負 債 デ フ レ ー シ ョ ン 」 に つ い て は,
Fisher,I., The Debt-Deflation Theor y of Great Depressions, Econometrica, Vol.1,No.4,1933. また,
当時の物価の動向については,Kindleberger,op.
cit.,chap.4(前掲訳書,第四章).
19)1920年代後半の米国の株式ブームにおいて
持株会社方式と投資信託の果たした役割を重視し ているものとして,Galbraith, J.K., The Great Crash 1929, Pelican,1954(7nd ed.,1997), chap.3,がある.
20)現在までのところ,1930年代初頭のような
大規模な「銀行恐慌」に発展していないのは,プ ルーデンス政策として,預金保険制度,自己資本 比率規制などが導入され,また自己資本比率規制 をクリアするために相次ぐ増資や公的資本の注入,
さらに当局による預金保護の強化や大量の流動性 供給が行われてきたことなどがあると考えられる.
ただし,米国の地銀の場合,実体経済の悪化など から,破綻するケースが増加している.
市場性資金に依存して証券化業務を行っていた 投資銀行や,デリバティブ取引に関わっていた 保険会社などに深刻な危機が発生した.ここに は預金・貸出市場中心から証券化商品・デリバ ティブ市場の拡大へという,金融市場の歴史的 な構造変化が示されている.これは,米連銀が 商業銀行以外の金融機関にまで「最後の貸し手」
としての役割を拡大せざるをえなかった背景で もあろう20).
第
4
に,国際協調の点では,1930年代にお ける保護主義やブロック化,特に1933
年のロ ンドン世界通貨経済会議の失敗という歴史も踏 まえてか,比較的早い対応がとられてきたこと に重要な特徴がある.また,1930年代にはま だ創設されていなかったIMF
など国際金融機 関による緊急融資が行われた点も,両時期の相 違であることはいうまでもない21).[2] 1970 年代以降の国際通貨体制と世界不均衡
―中期的視点-
次に中期的な視点からみると,今回の世界金 融危機は,基軸通貨国である米国が
1980
年代から経常収支赤字を定着させ,海外からの巨額 の資本流入に依存するという状況が続いている 中で発生したという特徴をもつ.そのため,サ ブプライム危機は当初からグローバルな性格を もっていたのである.米国がこのように国際 収支節度を大きく喪失するきっかけとなったの は,1971年
8
月の金ドル交換停止と73
年春の 変動相場制移行であろう.70年代初頭のこの 二つの変化によって,国際通貨体制を基本的に 市場ベースに委ねるという「ノン・システム」が始まったからである.先にみた長期の時間軸 と次に見る短期の時間軸の中間にあるという意 味で,この変化は中期の時間軸で捉えられる.
第二次大戦後の米国の国際収支をみると,貿 易収支が初めて赤字を記録したのは,金ドル交 換が停止された
1971
年のことである.そこか らさらに進んで,経常収支レベルの赤字が急拡 大したのは,80年代前半期と90
年代半ば以降 である.今回の世界金融危機との関連で重要な のは,後者の時期に見られた米国と残余世界(特 に日本,中国等の東アジア)との間の経常収支 不均衡の拡大であろう.これは一般に「グロー バル・インバランス」と呼ばれる.このインバ ランスは,関係国の貯蓄・投資インバランスに 対応しており,米国は家計部門や政府部門を中 心とした貯蓄不足・投資超過,海外部門は貯蓄 超過・投資不足という関係であった.このよう な状況のもとで,米国に大量に流入した海外の 資金は,米国債,GSE債,民間MBS
やCDO
などの証券化商品,さらに各種ファンドへの投 融資等の形で運用されたのである.この場合,21)なお,1929年恐慌に関連して,周知のと
おり,ケインズは景気循環における恐慌を,高 い利子率によるよりも「資本の限界効率の突然 の崩壊」によるものと捉えた(Keynes,J.M., The General Theory of Employment, Interest and Money, Macmillan, 1936,chap.22 [間宮陽介訳『雇用,利 子および貨幣の一般理論』(上),岩波書店,2008 年,第22章]).これに対して,フリードマン=
シュウォーツが1929〜33年の大収縮を米連銀の
「金融政策の不適切さ」に帰着させたことも,よ く知られている(Friedman, M.and A.J.Schwartz,A Monetary History of the United States, 1867-1960, Princeton Univ. Press,1963, pp.407-419;Friedman,M.
and A.J.Schwartz, The Great Contraction, 1929-1933, New Edition, Princeton Univ. Press, 2008, pp.186
-207).一方,キンドルバーガーは1930年代の大不
況を英米の側での「国際経済システム上の指導性」
の欠如によるものとみており,後に「覇権安定仮説」
と呼ばれる視点を提示した(Kindleberger, op.cit., p.291[石崎昭彦・木村一朗訳『大不況下の世界』
東京大学出版会,1982年,264頁]).これらの見 解との比較研究も重要な課題である.
22)なお,このようなアジアと欧州におけるド ル保有動機の相違が「復活したブレトンウッズ体 制」論の基礎にある考え方だったと思われる.こ の議論においては,米国=「中心国」,アジア諸国=
「貿易勘定地域」(trade account regions),欧州等=
「資本勘定地域」(capital account regions)と分類 して,ドル体制維持のメカニズムを説明しようと した.Dooley,M.P.,D.Folkerts-Landau and P.Garber, An Essay on the Revived Bretton Woods System, NBER Working Paper, No.9971, Sept.2003.
既に述べたように,東アジア通貨当局は経常収 支黒字で稼いだドルを米国債や
GSE
債の形で 大量に運用していたのに対して,欧州の金融機 関は民間MBS
の保有が多く,このことがサブ プライム危機の影響がいち早く欧州に飛び火し た背景にあったと考えられる22).しかし歴史的にみると,このようなグローバ ル・インバランスなる事態もまた,近年に始まっ たことではない.19世紀末には基軸通貨国の 英国は経常収支黒字国であり,周辺国との間に 経常収支不均衡が存在していた.戦間期には,
米国とフランスが経常収支黒字により資本や金 を吸引していた.第二次大戦後の
1960
年代を 通じて,基軸通貨国の米国は基本的に経常収支 黒字国であった(ただし,経常収支黒字を上回る 長期資本収支の赤字のために,基礎収支が赤字と なり,ドル危機が引き起こされるという構図であっ た).このようにみると,過去にもグローバル・インバランスはあったが,ただしその場合に は基軸通貨国はいずれも経常収支黒字国であっ た.これに対して近年のグローバル・インバラ ンスは基軸通貨国の米国が経常収支赤字国に転 落して,大量の資本輸入国となっている点に特 徴がある.そしてまさにこのことが,米国発の サブプライム危機の影響を世界中に波及させる 重要な経路になったと考えられる23).
今一つ,グローバル・インバランスをめぐる 議論において注意すべき点は,確かに米国は資 本輸入国になっているが,同時に資本輸出国で もあり,ネットでみて資本輸入国になっている にすぎないという点である.国際資本移動をグ ロスでみると,双方向での巨額の流れとなって おり,その結果,主要国の対外債権残高と対外 債務残高が両建てで積み上がるという構造が形 作られてきている.こうした特徴は,世界の決 済・信用システムの中核に位置する金融機関の 場合には特に顕著であり,クロスボーダーの銀 行間取引を中心に,大きな規模に達していた.
今回の世界金融危機では欧米の短期金融市場を 中心にドル資金の枯渇という異例の事態が生じ たが,これはクロスボーダーの銀行間取引を含 めて,世界の金融機関が相互にいかに緊密に連 結していたかを示すものである.世界金融危機 をグローバル・インバランスとの関連で検討す る場合には,こうしたインターバンク取引を含 めて,グロスとストックの視点も重視すべきで あろう24).
[3] 21 世紀初頭における低金利と信用膨張 -短期的視点-
最後に短期の視点でみると,今回の世界金融 危機は,2001年の
IT
バブル崩壊後における低 金利,インフレ率の低下,経済成長期待のもと で住宅ブームが起こり,サブプライムローンや その証券化業務が急拡大したことが関係してい る.米国の政策金利(FFレートの誘導目標)は 23) グ ロ ー バ ル・ イ ン バ ラ ン ス を 歴 史 的 に回 顧 し た も の と し て,Dooley,M.D., Historical Perspective on Global Imbalances, NBER Working Paper, No.11383, May 2005,がある.なお,グロー バル・インバランスに関連して,2009年1月,米 国のポールソン前財務長官は今回の世界金融危機 の原因の一端は中国や産油国など新興国の「過剰 貯蓄」が金利の低下をもたらし,リスクを世界中 に広げたことにあると指摘した(Financial Times, 2 Jan. 2009).この種の責任の所在をめぐる議論は大 恐慌の際にも行われており,1932年12月,当時の フーヴァー米大統領は,議会に送付した外交教書 の中で,不況の原因は米国側ではなく,第一次世 界大戦後の諸結果に対する欧州側の調整の失敗が 発端であり,1931年の欧州金融恐慌により激化と したと指摘していた(Kindleberger, op.cit., pp.83-84
[前掲訳書,61頁]).
24) グ ロ ー バ ル・ イ ン バ ラ ン ス を 考 え る 際 にストックの視点を重視しているものとして,
Bracke,T.,et al., A Framework for Assessing Global Imbalances, Occasional Paper Series, No.78, ECB, Jan.2008,がある.また,次の論稿は,今回の世界 金融危機の際に見られた「ドル不足」現象をBIS 報告銀行のバランスシートの分析により検討した ものであり,有益である.Mcguire,P.and G.von Peter, The US dollar shortage in global banking and the international policy response, BIS Working Papers, No.291, Oct.2009.
概して数年おきに利上げと利下げの循環を繰り 返しているが,今回の住宅ブームは直接には
01
年のIT
バブル崩壊後における利下げの局面 で起きており,米国の政策金利は03
年6
月に年
1%台という歴史的な低水準をつけた.また,
欧州でも同様に利下げが進展し,英国,スペイ ン,アイルランド等において住宅バブルが引き 起こされていた.
このような低金利は,機関投資家や投資ファ ンドなどからすれば,伝統的資産(社債,国債 など)の中でもハイリスク・ハイリターン型の 投資や,伝統的資産に代わる「オルタナティブ 投資」を積極化するきっかけを与えたと考えら れる.前者についていえば,例えば,2004年 頃から
07
年半ばまで格付けの低い社債のスプ レッド(国債との利回り格差)が小幅に推移し ていたことからも伺える.また,後者について は,MBSやCDO
など証券化商品(特に利回り の高い下位メザニンやエクイティ・クラス)の購 入,ヘッジファンドへの投融資,デリバティブ 取引の積極化などとして現れたのである25). ところで,既に述べたように,米国の政策金 利は2004
年半ば以降に利上げに転じるが,そ れ以降も住宅価格は06
年半ばまで上昇を続け,サブプライムローンやその証券化の残高が増加 していたことに注意する必要がある.これは,
当時,米国の長期金利が引続き安定していたこ とにくわえて,米国の政策金利の引上げが行わ れる一方,日本の政策金利(翌日物コールレー トの誘導目標)が量的緩和政策からゼロ金利政 策へと続く中でゼロ近傍に維持されていた結 果,日米の短期金利差が拡大し,いわゆる「円 キャリー・トレード」が活発化して,米国への 資本流入を促進する一因になったとみられるの である.
一方,証券化業務を手がけていた米国の投資 銀行は,商業銀行とは違って,主に銀行借入れ
や市場性資金(CP,レポ取引など)に依存して 巨額の資金調達を行い,ローンの買い取り,証 券化・再証券化商品の組成・販売などに従事し て,大きな収益を得ていた.財務的にいえば,
自己資本に対する資産の比率(レバレッジ比率) は,曲がりなりにも自己資本比率規制が課せら れていた商業銀行に比べて極めて高く(30倍前 後),負債と資産が両建てで拡大するという結 果をもたらしていた.高レバレッジ経営はヘッ ジファンドや
SIV
などの場合にも見られるも のであったが,こうしたミクロ経済主体の行動 こそが,マクロ経済面では,実体経済を上回る 金融資産(金融負債)の膨張を促すように作用 していたと考えられる26).また,これに政策面で拍車をかけたのが,
1999
年11
月に成立した「グラム・リーチ・ブ ライリー法」(Gramm-Leach-Bliley Act)にほか ならない.これによって1933
年6
月の「グラ ス・スティーガル法」(Glass-Steagall Act. 公式の 法律名はBanking Act of 1933)で定められた銀行 と証券の分離規定が一部を除いて撤廃されたた め,業態を超えた金融機関の競争が激化したか らである.具体的には,商業銀行による証券子 会社の保有,商業銀行と投資銀行の役員兼任な25)US Government, The Road to the London Summit : The plan for recovery, 2009, pp.31-32.
26)米国の商業銀行と投資銀行における各レ バレッジ比率の推移については,内閣府,前掲,
2008年12月,第1章第3節を参照.なお,近年に おける金融機関の産業組織面の特徴は,例えば証 券化業務にみられるように,伝統的な与信業務を 様々な機能に分解し,これを別々の最適な業者に 担わせるという「アンバンドリング」が進展して きた点にある(UK Government, op.cit., p.4).これ は,従来分離されていた貸出市場と証券市場の結 合による「市場型間接金融」の現われといえるが,
今回の危機では,リスクの所在や大きさを不明に し,危機が次々に波及する重要なルートとなったと 考えられる.
27) 今 回 の 世 界 金 融 危 機 に 関 連 し て, 次 の 論 文 は グ ラ ス・ ス テ ィ ー ガ ル 法 に 係 る 規 制 の 緩 和 を 重 視 し て い る.Eichengreen,B, Origins and Responses to the Crisis, Oct.2008. (http://
emlab. berkeley.edu/users/webfac/eichengreen /e183_sp07/origins_responses.pdf)
どが容認された27).
さらに,2004年
8
月には米SEC(
証券取引 委員会)は,資産50
億ドル以上を有する投資 銀行に対して,自己資本を5
億ドル以上保有す ることを条件に,SECの自己資本ルールであ る「ネット・キャピタル・ルール」(Net Capital Rule)の適用除外を認めたが,これが投資銀行 の高レバレッジ経営に道を開くこととなった.ちなみに,SECの自己資本ルールでは,負債 は自己資本の
15
倍までと規定されていた28). このほか,デリバティブ取引であるCDS
が 急拡大したのも2000
年代であり,その想定元 本残高は01
年末の約9200
億ドルから07
年末 には62
兆ドルに達していた29).世界的な金融 自由化の動きは少なくとも70
年代半ばまで遡 ることができるが,今回の世界金融危機の背景 を考える際には,以上のような2000
年代に入っ てからの金融環境の変化という短期の視点も欠 かせない30).以上で,今回の世界金融危機の特徴を捉える ために,長期,中期,短期という三つの視点(時間 軸)を提示してきた.言いかえれば,今回の世界
金融危機は,資本主義経済の長期変動,国際通貨 体制の中期的変化,短期の景気循環・規制緩和 要因という,三つの時間軸が交差したところで 生起した複合的危機とみられるのであり,これ らいずれの視点を欠落させても今回の危機の特 徴を捉えることはできないであろう.いいかえ れば,時間軸の異なるこれら三つの現象が交差 したところに生じた複合的危機だからこそ,歴 史的にも重大な危機になったと考えられるので ある31).
Ⅳ 国際通貨体制再編への胎動
今回の世界金融危機においては,この危機の 原因や対応策との関わりで,いくつかの重要な 議論が浮上してきている.こうした動きが国際 通貨体制再編への胎動を示すものなのかどうか が注目されている.ここでは,これらのなかか ら特に重要と思われる二つの問題を取りあげて みたい.一つはドル基軸通貨体制をめぐる議論 であり,いま一つは国際金融市場や国際金融機 関の改革をめぐる問題である32).
[1]ドル基軸通貨体制をめぐる議論
まず,ドル基軸通貨体制をめぐる議論である が,サブプライム危機の初期の段階で報じられ たのが,ドル防衛策に関する「秘密合意」であっ た.これは,2008年の
3
月15
日から16
日に かけて,日米欧通貨当局がドル買いの協調介入 を柱とするドル防衛策で合意したとされるもの である.米ブッシュ政権はかねてより為替介入 に慎重な姿勢であったが,当時は,折からのベ アー・スターンズ危機により世界的なドル安・株安に歯止めがきかなくなり,ドル資産離れに 発展しかねないという米当局の危機感があった といわれる.この合意を裏書きするかのように,
同年
4
月のG7
の共同声明には7
年7
カ月ぶり に為替急変動に対する懸念が明記されたほか,28)内閣府,前掲,2008年12月, 第1章第2節,
を参照.29)『週刊エコノミスト』臨時増刊,2008年12 月22号,毎日新聞社,60頁.
30)ここにはまだ残されている重要な研究課題 がある.それは米国における通貨供給構造の分析 であり,とくに証券化が進展している場合には,
そうでない場合に比べて,マネタリー・ベースや マネーサプライの構造にどのような特徴がみられ るのかという問題である.
31)本稿の結論に関連して,周知のように,シュ ンペーターは,1929年恐慌の原因について,これ はコンドラチェフ,ジュグラー,キッチンという,
長さの異なる三つの循環の不況局面が一致した結 果だと指摘している(Schumpeter, J.A., Business Cycles : A Theoretical, Historical and Statistical Analysis of the Capitalist Process, Vol.Ⅱ, 1939, p.907
[吉田昇三監修,金融経済研究所訳『景気循環論』
第Ⅴ分冊,1964年,有斐閣,1356頁]).筆者の見 解はこのシュンペーターの見解から着想を得たも のでなく,あくまでも国際金融史から得られた仮
説であるが,今後,比較研究を進めたい. 32)以下,特に注記のないものは,各種新聞報 道による.
6
月にはポールソン米財務長官が為替介入を検 討対象から排除しない旨の発言をした.しかし 結局,合意に沿った介入は実施されなかった.その後,米国の金融危機対策が本格化するな かで,新たに国債の増発にともなうドル不安 定化の懸念が指摘されはじめた.日本は,2009 年
2
月の日米首脳会談の場などで,繰り返しド ル基軸通貨体制の維持を表明した.一方,中国 は,同じ2
月,中国人民銀行の周小川総裁が講 演でドル一極是正の必要性に言及した.同月下 旬には,ヒラリー国務長官が胡主席ら中国幹部 と会談した際,米国債の保有継続を期待してい ると発言した.その後3
月には,同じく周総裁 が,中国人民銀行のホームページに掲載した論 文の中で,IMFのSDR(
特別引出権)制度を拡 充し,主権国家と結びついていない準備資産を 育成することが,国際通貨体制改革の理想的な 目標である,との見解を示した33).このようにドル基軸通貨体制をめぐる議論が 活発化する中で,2009年
4
月に開催された第 二回金融サミットでは,IMFのSDR
の新規配 分を行うことが合意され,実際に後述するよう に同年8
〜9
月にかけて,SDRの一般配分と 特別配分が実施された.これは直接にはSDR
をつうじたIMF
の融資機能の強化を目指した ものであるが,SDRにはドル基軸通貨体制の 改革に絡む面もあり,それが今後どのような展 開をみせるかが注目される.周知のように,1971年
8
月の金ドル交換停 止を受けて国際通貨制度改革論議が再燃した 際,72年に20
カ国委員会(C20)が創設され,74
年6
月に同委員会は『国際通貨制度改革概 要』を最終報告書として提出した.この中で は,将来の国際通貨制度の目標として調整可 能な平価に基礎をおく固定相場制を原則としつ つ,変動相場制も特殊な状況のもとで容認されること,また
SDR
を主要な準備資産として育 成し,金や準備通貨(ドルなど)の役割を縮小 するという「SDR本位制」の方向が示されて いた.SDR自体は1969
年のIMF
協定第一次 改正によって創出されたものであり,加盟国がIMF
に出資を行うことなく配分を受けるもの で,加盟国はそれと引き換えに外貨準備の豊富 な国から外貨を取得することが可能になる.す なわち,トリフィン(Triffin,R.)の「流動性ジ レンマ論」の影響を受けて,米国の国際収支に 依存することなく創出される新しい準備資産と みなされたのである.このSDR
の配分は1970
年1
月〜72
年1
月,および79
年1
月〜81
年1
月にかけて行われたものの,それ以降,配分 は全く行われていなかった.このようにSDR
の配分は低調だったのであるが,これは70
年 代以降ドル供給が急増し,国際流動性問題が後 退したとみられたためであった.それゆえ,今 回のSDR
の配分は実に約30
年ぶりのことだっ たことになる34).世界金融危機の中で,ドルと並んでその動向 が注目されたのは,1999年に導入から
10
年を 迎えた欧州単一通貨ユーロである35).ユーロの 対ドル相場は当初こそドル独歩安から堅調に推 移していたが,その後急落し,2009年2
月頃33)Zhou,X., Reform the International Monetary System, The People s Bank of China,23 March, 2009. (http://www.pbc.gov.cn)
34)SDR創設とその後の経緯については,上川
孝夫「ドル危機と国際通貨制度改革への胎動」『金 融グローバリゼーションの理論』信用理論研究学 会編,大月書店,2006年;上川孝夫「ブレトンウッ ズ体制の崩壊とドル」新岡智・板木雅彦・増田正 人編『国際経済政策論』有斐閣,2005年,を参照.
なお,IMFスタッフによる近年のSDR研究として,
Clark, P.E.and J.J.Polak, International Liqudity and the Role of the SDR in the International Monetary System, IMF Staff Papers, Vol.51,No.1,2004,を
参照.35)ユーロ導入10年の評価に関する論稿を集
めたものとして,Pisani-Ferry, J.and A.S. Posen, eds., The Euro at Ten : The Next Global Currency?, Peterson Institute for International Economics, 2009.
また,ユーロの国際的役割に関するECBの最新 の分析として,ECB, The International Role of the Euro, July 2009,を参照.
から再び堅調さが目立つようになった.ユーロ 急落の背景には,第
1
に,世界的なドル資金手 当ての動きからユーロ売り・ドル買いが加速し たこと,第2
に,欧州の一部地域で住宅バブル がみられ,住宅価格の下落による金融機関の経 営悪化が進展したこと,第3
に,中東欧諸国へ の金融危機の拡大により,EU大手金融機関の 同地域向けローンが焦げ付くのではないかとの 懸念が増大したことなどが指摘できる.しかしその一方で,ユーロの加盟国は,2008 年
1
月にキプロス,マルタ,09年1
月にはス ロバキアの加盟により,計16
カ国に拡大した.また,08年
10
月にポーランド,11月にはス ウェーデンが,ユーロ導入を目指す方針を表明 した(その後,09年7月にポーランドは財政赤字 拡大を理由にユーロ導入の延期を表明した).一方,09
年6
月のEU
首脳会議においては,同年2
月 の「ラロジェール報告」を受けて,金融監督機 能が各国の管轄下に置かれていたために国境を 超えた危機対応が遅れたとの判断から,金融リ スクを把握するESRC(
欧州システム・リスク理 事会),および横断的な金融監督を進めるESFS
(欧州金融監督システム)の二つの欧州機関を設 置することを決定した36).今回の危機で欧州は 実体経済の大幅な落ち込みを経験し,また中東 欧の深刻な金融危機に直面したが,危機後には,
EU
統合の拡大と深化が新たなレベルに達して いることも予想される.一方,アジア通貨のうち,日本円の国際化に ついては,バブルの崩壊以後,低迷状態が続い ている37).もちろんそれを打開する試みがない わけではなく,例えば,2009年
5
月,日本政 府はアジア向け危機対応策として10
兆円枠の 資金を用意し,そのうち6
兆円については,危 機発生時に相手国と通貨スワップ協定を締結し て円資金を供給することを表明した(これは後 に述べるCMIとは別枠扱いである).一方,中国 人民元の国際化についても,人民元と相手国通 貨を交換するスワップ協定の締結(08年12月 以来),東アジア一部地域での人民元建て貿易 決済の解禁(09年7月)など新しい動きがある ものの,まだ遠い先の話であろう38).したがって,現実的に考えれば,世界金融危 機後の国際通貨体制としては,当分の間はドル の優位性が続き,中長期的にはドル・ユーロの
「複数基軸通貨体制」へ向かう可能性が高いと 筆者は考えている.しかしながらこのような国 民通貨を軸に通貨体制を考えるアプローチに対 しては,上に述べたように
SDR
を育成・強化 して「SDR本位制」を目指すという選択肢も 存在する.SDRの強化はドル基軸通貨体制の 改革に絡む面もあり,今後どのような展開をみ せるかが注目される.[2]国際金融問題をめぐる議論
今回の世界金融危機の中で浮上した今一つの 重要な論点は,国際金融市場や国際金融機関の 改革をめぐる問題である.G20金融サミットを 中心に協議され,その後も引き続いて議論され ている項目として,次のようなものがある39). 第
1
は,国際金融市場や金融機関,金融商品 に対する規制・監督の問題である.既に述べた 36)「ラロジェール報告」については,次を参照.The High Level Group on Financial Supervision in the EU, Report, Feb.2009.
37)日本円,および東京国際金融市場の動向に ついては,上川孝夫・今松英悦編『円の政治経済学』
同文舘,1997年;上川孝夫「グローバル化のなか の円」川波洋一・上川孝夫編『現代金融論』有斐閣,
2004年;上川孝夫「世界金融危機の教訓と東京の 今後」『都市問題』第101巻第1号,東京市政調査会,
2010年1月号,を参照.
38)近年における人民元のアジア化・国際化の 動きについては,李婧「人民元の台頭とアジア化・
国際化戦略」上川孝夫・李暁編『世界金融危機―
日中の対話−』春風社,近刊,を参照.
39) 以 下, 各 種 新 聞 報 道, お よ び,London Summit, Leaders Statement, Declaration on Delivering Resources through the International F i n a n c i a l I n s t i t u t i o n s , D e c l a r a t i o n o n Strengthening the Financial Systemm, 2 April 2009,による.
ように,今回の世界金融危機の重要な特徴は,
商業銀行にとどまらず,それ以外の様々な経済 主体が預金以外の金融商品を中心に業務や投資 を拡大してきた点にある.そのため,第二回の 金融サミットでは,金融システム上重要なすべ ての金融機関,金融商品および金融市場を当局 の規制・監督のもとにおくこと(これにはヘッ ジファンドを含む),格付会社に登録制を導入す ること,タックス・ヘイブンへの監視を強める こと,などに合意している.
こうした合意に基づいて,その後,欧米諸国 では金融規制や金融監督体制に関する改革案が 相次いで発表された.2009年
6
月に米政府が1930
年代の大恐慌以来といわれる金融規制改 革案を発表したのに続いて,同じ6
月にEU
首 脳会議も上述のように金融監督体制改革案を決 定し,加盟国の討議に付した.翌7
月には英財 務省が議会に金融監督規制改革案の提出を行っ た40).これらの改革案に共通して見られる重要 な特徴は,金融システムの安定化を目的とした「プルーデンス政策」について,これまでの個 別金融機関を対象とするもの(ミクロ・プルー デンス政策)に限らず,金融市場全体のリスク を幅広く監視する観点(マクロ・プルーデンス 政策)が重視されていることである.
他方,商業銀行を対象とした従来の自己資本 比率規制についても,金融サミットの合意を 受けて,BISバーゼル銀行監督委員会が
2010
年中に見直し案を提出することを予定してい る.見直しの背景には,一つ目に現行の規制 では所要の自己資本比率を維持する限り,自 己資本額を増やせるため,景気循環増幅効果(procyclicality effect)を持つ可能性があること,
二つ目に
SIV
の設立などをつうじた簿外取引を助長する可能性があること,三つ目に証券化 商品への投資については,そのリスクを勘案し て多くの自己資本を積む必要性があると考えら れること,などが指摘されている.なお,この ほか,商業銀行は,ヘッジファンドに対しても,
プライム・ブローカーとして巨額の融資を行っ ていたことは周知のとおりである.
第
2
は,国際金融機関や国際組織における加 盟国の拡充と機能強化である.この点では,な によりもまず,先進国に新興国,途上国など を加えたG20
の金融サミットが開催されたこ と自体,注目すべきであろう.これによって,G7
ないしG8
がこれまでのような影響力を維 持していくことが困難になるのは必至だと思わ れる.その一つの証として,第二回金融サミッ トでは,IMFの長年の懸案だった加盟国の出 資比率を2011
年までに見直すことに合意した.出資比率は加盟国の議決権にリンクするととも に,融資枠の算定根拠にもなるので,新興国や 途上国からの要望が従来から強かったものであ る.また,G20金融サミットにおいては,FSF
(金融安定化フォーラム)を
FSB
(金融安定理事会) に格上げするとともに,このFSB
のメンバー を,BCBS(BISバーゼル銀行監督委員会)のメ ンバーとともに,G20に拡大することが合意さ れた.各国の金融監督機関の連携組織としては,こ のほかに,証券に関しては
IOSCO(
証券監督者 国際機構),保険に関してはIAIS(
保険監督者国 際協会)などがあり,FSBはこれらの組織をま とめる機能も有するとみられている.今後の焦 点は,このような連携をさらに進めて,世界的 に一元的な国際監督機関の創設に向うのかどう かであろう.第
3
は,国際金融機関の資金基盤の強化であ る.まず,IMFについては,世界金融危機の 中で緊急融資が相次いだことから財源問題が浮 上し,増資のほか,借入財源としてNAB(
新 借入取極め)の増額,市場を通じた借入れ(IMF 債など),さらにはSDR
の新規配分を行うこと が,金融サミットで合意された.また,ADB(
ア 40) 米 国 の 金 融 規 制 改 革 案 に つ い て はUSTreasur y, White Paper: Financial Regulator y Reform 17 July(http://www. ustreas. gov/press/
releases/tg175.htm),また英財務省の案について はHM Treasury, Reforming Financial Markets, White Paper,July 2009.