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ktsEffKJkIinEOi<--
}JiE.tk
k
za
kE
fi
Language
Ideology
ofPaliby
the
Mahavihara
School
Baba,
Norihisa
This
paperdiscusses
thedevelopment
ofthe
language
ideology
ofPali
within
the
Mahavihara
school, one of so called "Theravada"schools, of
Ancient
South
Asian
Buddhism.
In
5th
centmySri
Lanka,
Mahavihara
eommentators such asBuddhaghosa
insisted
firstly
thatPali,
which they callM2igadhi,
is
naturallanguage
innate
to allliving
beings
and secondlythat
theTipitaka,
orBuddhist
canon, shouldthus
be
transmitted onlyin
thisprimal
language.
This
article serves as corrective toPeter
Skilling's
suggestion thatthe
language
ideology
ofinnate
language
[`appearsto
be
uniquein
Buddhist
traditionto
the
Mahavihdra,
or more aceurately toBuddhaghosa,"
The
fact
thatthe
SarvastivEda
school's treatisessuch as theiL(laha-vibha-s.
a-express views oninnate
language
which echoP51i
commentaries suggests thatthisconcept was not cenceived ofby
Buddhaghosa,
but
had
circulatedin
continentalIndia
befbre
it
arrivedin
Sri
Lanka.
Rather
theMahavihara
adopted theidea
ofinnate
language
from
continentalBuddhism
andfbrrned
language
ideology
ofPali
by
addingto
it
the
idea
that
the
language
ofBuddhist
canon shouldbe
Pali,
Moreover,
the
paper
also elucidates thatestablishment oflanguage
ideology
ofPali
encouraged theMahavihdra
monks totranslatecommentaries onTipitaka
from
Sinhalese
to
Pali
in
the
5th
century.}-7-
I-"
:st-vafigK,
Jikee\ig)u,ee,
7-V `k'l'l,V'yx
ll
Vv
b
・34 パ ーリ学 仏 教 文 化 学
1
.問題設 定
ω上座部 大 寺 派が 「マ ガ ダ語」 と呼ぶ言
語
, パ ー リ語 に か ん する大寺 派の 教 説は, た び た び先 行研 究 (3)で取 り上 げられ て きた が, い ずれ も基 本 的な内
容の 紹 介が 中心で あ り, こ の 教説 の 歴 史は, ほ と ん ど明 ら かに さ れて こ な かっ た。 しか し, その後
代へ の 影 響は極め て大き く, 大寺派 が サ ン ス クリ ッ ト経 典を受容 し た無 畏 山寺 派や祇多林 寺 派とは異 なる 道を歩ん だ経 緯 と深 く 関わっ て い る。 そ こ で,本稿
で は ,パ ー リ語 に か んす る教 説 の概 要(
第 2
節)
を ま とめ た 上で, その 源泉資
料 (第3
節 ) と大寺 派が独白
に付け加 え た 要 素(
第4
節)
を分析
して教説
の形成
過程
を明
ら か に し, その歴 史的役 割(
第 5 節)
を考 察す る。2
. パー 1丿語
主義
の概
要
E
座 部 大 寺派の パ ー リ語にか ん す る教 説 は,『分別 論 註 (Sammohavinodani )
』 で最も ま と まっ た 形で説か れ る。 本 書の 一 節は, 四無 礙 解の一つ ,詞無礙 解(
niruttipa1isambhida :言葉
の 分析
知)
の 解 説で次の ように説 く。 母と父は, 幼児の時に子供 た ち をベ ッ ドあ るい は椅 子に寝か せ, あ れ こ れの こ と を語 りか け な が ら, あ れ これ の 仕 事をお こ な う。 子供た ちは, 両 親の あ れ これ の言 葉を 「この〔
言葉〕
に よ っ て これが説かれた, こ の 〔言 葉〕
に よっ て これ が 説 か れた」 と定 義す る。 時が 過 ぎる に したが い , 言語
全 体を解す る よ うに な る。 母がダ ミ ラ (タ ミ ル )人で 父が ア ン ダカ(
アー ン ドラ)
人 で あっ て , 彼 ら か ら生 ま れ た子供は, も し最初
に 母の話
を聞
けば, ダミラ語を話 すで あろ う。 も し も最初
に父の話
を聞
けば, ア ンダ
カ語
を話
すで あ ろ う。 しか し, 双方の話
を聞か な けれ ば, マ ガ ダ語
を話
すで あ ろ う。 村な き未 開の大地に生ま れ, そ こで話
して い る者が他
に い な け れ ば, 彼もお の ずか ら言葉を起こ し, マ ガ ダ語だ け を話す だ ろ う。 地獄
畜生道
,餓 鬼
の領
域, 人 界, 天界 とい う あ らゆ る場 所で ,上 座 部 大寺派の パーリ語主義 35 マ ガ ダ
語
だ けが遍 く広 ま っ てい る(
)
。 そ こ で は, そ の 他の オ ッ タ(
オ リッ サ州の オ ドラ)
, キ ラー タ(
イ ン ド北部
の 山岳民族)
, ア ンダ
カ(
ア ー ン ドラ地 方)
, ヨ ー ナ カ(
ギ リシ ア ), ダミラ(
タ ミル)
の 言 葉な どの 十八 の 言 語は変転す るが, こ の 梵 語, ア ー リヤ 語 と呼
ぼれ るこ の マ ガ ダ語の み は変 転 するこ とが ない。 正自
覚者も, 三蔵
か ら成
る仏
説を聖典
に載せ る場合 は,マ ガ ダ語の み に よ っ て 載せ る(
)
。 な ぜか 。 な ぜ な ら意味
を伝
え る こ とが 容 易だ か らで あ る。 とい うの は, マ ガ ダ語
で 聖典
に収載
さ れ た仏 説は分析
知〔
無礙解 )
に達 した者たちの耳に到 ると多様
にな る が,耳に響い た だ けで, 百の方法で, 千の 方 法で 意味
が明 瞭に な るか らで ある。 し か し他の 言 語で 聖 典 に収 載 さ れ た 〔仏 説〕
は , 繰 り 返 し打ち込ん で〔
ようや く〕
学 ばれる。 しか し, 多 くを学んで も凡 失が 分 析 知に達す るこ とはない 。 分析 知に達し ない 聖声 聞は存 在 しない ( 4}。 同 じ趣旨
の教
説はパ ー リ註釈
文献
で広
く確 認
で き る 。 例 えば
数 あるパ ー リ註釈文
献の 中で最初 に編 纂(5)さ れ た 『清浄 道 論 (Visuddhimagga
)
』 は 「法 の 言 葉 と見 な さ れ , 自然 な言 葉で あ る, マ ガ ダ語 とい う , 一切衆
生の根本
言語
(6)」 と説
く。 そ の 後 に成 立 した多
くの註
釈文
献に おい て , 『清浄 道論』 や 『分別 論 註』 のパ ー リ語 論 と ま っ た く同 じ表
現(7)や一節(8>が反 復さ れ て い る(9)。 本 稿で は, ブッ ダが 話し た マ ガ ダ地 方の 言葉
で あ るとい う主 張を込め て 「マ ガ ダ語」 とい う名
称がパ ー リ語に冠せ られてい る こ と に加え , 上 に 引 用した文の下線部
に顕著
な次の 二 つ の 特徴 を 具 え たパ ー リ語に か んす る教 説 を 「パ ー リ語主義」 と呼ぶ こ と とす る 。五趣に わ た る一切 の衆生 が本 来同一 の 言 語
(
パ ー リ語 )を話す 。パ ー リ語は, 三
蔵
か ら成
る仏 説の 伝 承に ふ さ わ しい 言語で ある。 そ れで は,パ ー リ語主義は どの よ うに して成
立 したの か 。 その 形 成 過程を 明 らか にす るた めに, パ ー リ語 主義
の 二 つ の特
徴の うち ,第
一 の特徴
にっ い て36 パーリ学 仏 教 文化 学 第
3
節で,第二 の特徴につ い て第4
節で 取り ヒげる。3
.古層
と
し て の アーリヤ語
論
有部
と大
寺派
パ ー リ
語
主 義の 第一 の 特徴 は 大寺 派 特 有 だ と考え ら れて きた。 た とえ ば,Pcter
Skilling
は, 特 定の 言語
を 一 切衆生が 本 来 話 し た言 語だ とする主 張を 「根 本 語イデオ ロ ギ ー (mdrlabhjsdiideol
。gy
)」 と呼
び, 「その よ うな主 張 は仏 教に お い て 大寺に, あ る い は よ り正確に は, ブッ ダ ゴ ーサ に特 有であ るように見え る
(
Such
a claim appears tobe
uniquein
Buddhist
tradition to theMahavihara
, or more accurately toBuddhaghosa )
」 【Skilling
2010
:
ll
]と言 明 して い る。しか しな が ら, 彼 が 「根
本語
イ デオロ ギ ー 」 と呼ぶ 主 張 は 決 して 大 寺 派 や ブ ッ ダゴーサ に 限 られた もの で はな く, ブッ ダゴーサ が編纂
作業
を して い た の とほ ぼ 同 じ時期に, すで に説 一切 有 部に お い て も展 開 されて い た (10) 。 五世 紀
前 半 に 浮 陀跋 摩 等に よっ て 漢訳 (11)さ れ た 『阿 毘曇毘 婆 沙 論』 (T1546)
は , 五 趣につ い て論 じ る箇所 で 各 趣 に お け る言語
を次の よ うに説 明 して い る。(
地 獄)
〔
問い :地獄 の 衆生の〕
言語は どの よ うで あ る か ?答え :生 ま れ た ば
か りで ま だ苦 痛を
受
け ない 時に は, みな 聖語を話
す。 後に苦 痛を受け た時に, 苦痛の 声を出すのだ が , さ らに 〔は な はだ し きに い た っ て
〕
は一言
も意 味の ある言葉が な くな り, た だ棒で打っ て〔
身体が〕
傷 つ き割ける
音
だ けが 響 くの で ある(12)。(
畜 生)
〔
問
い :畜
生の〕
言語は どの よ うで ある か ?答え :世 界が 誕生 し たば
か りの
時
には, すべ ての 生類
は み な聖 語を話 して い た。 とこ ろが後に飲食の過 失によっ て 時代が悪 くな り,へ つ らい 曲が っ た 心が 多くな る と,
た ちま ち
様
々 な言 語が生 じ, さ らに 〔はなはだ し きに い た っ て〕
は言
葉上座 部 大 寺 派のパ ーリ語主 義
37
を
話
せ ない者
まで生 じたの で ある(13>。(
餓 鬼)
〔
問
い :餓鬼
の〕
言 語は どの よ うで ある か ?答
え :世 界が誕生 した ばか り
〔
の時〕
に は,すべ て の 生類はみ な 聖 語 を話 して い た。 残 りはすでに説い た とお りであ る (14)。
(
人)
〔問い ;人 間の
〕
言語
は どの よ うで あ るか ?答え ;世
界
が 誕 生 し たばか りの 時に は, すべ て の 生類は み な聖 語を話 して い た。 残 りはすで に説
い た とお りであ る(15)。 (天)
〔
問
い :諸
天の〕言語
は どの よ うで あるか ?答
え :〔
諸 天は〕
み な聖語
を話す価 )。
この一節が お そ ら く前
提
と して い るの は,世界の 生成 期に は飲食
を必要
と しなか っ た衆生 が飲 食を契機
と して次第 に堕落 し世が 乱れ て い く過 程を説 く説一切 有 部 所 伝 『中阿含 』第 154
経の 「婆 羅 婆堂経(17)」 で ある。 しか し, 『阿毘曇
毘 婆 沙論
』 で は, その物
語を踏ま えつ つ , もと も と衆
生は 「聖語
」 を話して い たの だ が, 後に その 多 くは話す こ とがで き な く な っ た とい う内容 が 加わ っ て い るの で あ る。『阿毘 曇 毘婆 沙 論 』 該 当
部分
の サ ン ス ク リッ ト写 本は現 存 しない た め, こ こ で 「聖 語」 と訳されて い る原語が 何 か を 明 らかにす る に は, こ の 『阿 毘曇 毘婆
沙 論』 で 「聖語」 が用い られて い る箇
所 に対 応す るサ ン ス ク リッ ト文 献 を探
し出さ な け れ ば な らな い 。幸
い , 『阿毘曇
毘婆
沙 論 』 で は 「聖 語」 に言 及 する一 節が も う一箇所 だ け あ る。 それ は有 名な 四天王説 話で あ る (IS)。 次 の よ うに要 約で き よ う。ブッ ダは 「聖
語
」 で 四 天 王 に 四諦
を説い た。 二 人は理 解 した が, 二 人 は理 解で きなかっ た。 そこ で , ブ ッ ダは ドラ ヴィ ダ語で 四諦を説い た。 先に聖語 を 理解 した二 人は理解で き なか っ たが, 聖語を 理解 しなか っ た二 人の う ちの
38
パ ーリ学 仏 教文化 学 一人 は理解
し , 一人 は理解で き なか っ た 。 そ こ でブ ッ ダは蛮族 (
ム レ ッ チ ャ)
の 言葉で 四諦を説い た。 こ うして ,四天 王は み な理解 し た (19) 。この
物語
は 『根 本 説一切 有部 律 薬 事(20)』 に対 応箇 所が あ り,その ギル ギ ッ ト写本で はブッ ダは 四 天 王に対 し 「ア ー リ ヤ の 言 葉に よ っ て衙 ya
頭 v互副
」 四聖諦を説い た とあ るか ら(21),『阿 毘曇
毘婆 沙 論』 に お い て は 「ア ー リ ヤ の 言 葉」 が 「聖 語」 と訳され てい た こ とが判
明す る。 さ らに , 『阿 毘 曇 毘婆 沙 論』 や 『根 本説一切 有部 律』 が 「アー リヤの 言葉」 を ド ラ ヴ ィ ダ語や ム レ ッ チ ャ の 言葉
と対 比 して い るこ と に注 目す る必 要が あ る。Manusmrti
が 同様 に 「ア ー リ ヤ の 言葉
」 をム レ ッチャ の言 葉 と対 比させて い るこ とか ら判 断 し て (22), 『阿毘曇毘婆
沙論
』 で述べ る 「聖語」 は ド ラ ヴ ィ ダ系諸 言 語 と異な る アー リヤ語を 指 して い る。さ て, 五趣 にわ たる
衆
生 の生得
言語
をア ー リヤ語 とする主張は,四世 紀後 半に訳 出さ れ た 尸 陀 槃尼撰 『婢 婆 沙 論 』 (T1547
)に は確 認で きず
, 五世紀
前 半に訳さ れ た 『阿毘曇
毘婆 沙論』 で は じめて 現れ , 七世紀に玄 奘に よ っ て 漢 訳 され た 『大 毘婆
沙論
』(
T1545
,27
.866b
−868a
)
(23) , 『阿 毘達 磨 順 正 理論
』 (Tl562
,29
.517b
−518a
)
,『顕 宗 論』(
Tl563
,29
.852a )
の い ずれ に も説かれ て い るか ら,説一切有部
の 毘婆 沙 師た ちは こ の 主張を遅 くとも五世 紀初 頭まで に開始
し, その 後も継 承 した こ と が分か る。大寺 派註 釈 文 献の パ ー リ語主義 と説一切
有部文献
の アー リヤ語
にか ん す る 言説
との間
に は , はっ き りとした共 通 点を見て取れ る。 五 趣 にわ た る衆
生の 生得 言 語(
innate
language
)
の 主張
が な さ れて い る点, そ して , 生得 言語 は 「 ア ー リ ヤ の 言 葉」 で あ る と言 明さ れ てい る点 , 野蛮人 (ム レ ッ チャ)
の 言 葉 と対 比 し て 「ア ー リヤ の 言葉」 が 言 及 さ れ る点で あ る(24)。 本 稿で は, こ れ らの 特徴 を具え た言説
を 「アー リヤ語
論」 と呼ぶ こ と とす る。アー リヤ
語論
が上座 部 大 寺 派の 独 占物で はなか っ た とい う事実は, その成 立事情
を考える上で極 めて重要で あ る。 アー リ ヤ語 論は, 五 趣に わた る衆生 すべ て に 同一言語が広まっ て い ると説
くた め, 仏 教 外で はな く,仏
教 内で 流 通 して い た言 説で ある。 さ らに, ス リ ラン カ か らシ ーハ ラ語註釈
が説
一切 有上 座部大寺 派のパ ーリ語主義
39
部に もた らされ た可 能性
は考
えに くい こ と(25), そ し て,パ ー リ語で編 纂 さ れ た大 寺派の 註釈 を 『阿 毘曇
毘婆
沙論
』 を伝
承 した毘婆 沙 師が見
た可
能性
は ない こ と(26>か ら判 断
す るな ら,大寺
派が ア ー リ ヤ 語 論を作
り, そ れ を有 部 が受容
した とい う可能 性 を想 定す る必要 は ない 。 した がっ て, ア ー リヤ語 論 は イ ン ド本 土の 仏 教で成立 して , ス リ ラン カの大寺
派はそれ を受 容 した と考
え られ る(27)。「イ ン ド本土 の 仏 教か らス リ ラ ン カの大寺 派が受 容 し た」 とい う場
合
, イ ン ド本土 の 仏 教 内に何 らか の 形で ア ー リヤ語論
が 生 まれ, そ の共 通 起 源か ら そ れ ぞ れ有部
と大寺派
に伝
播 し た とい う可 能性 と, 説 一切 有 部が アー リヤ語 論を作り, それが直 接また は間 接にス リ ラ ン カの 大寺 派へ 伝わっ た可 能性
と を 想定 しうる。有部
にあっ て 大寺
派に ない 要素 と大寺 派にあっ て有部
に ない 要 素がそ れ ぞ れ あ るか ら,現 段 階で は前者の 可 能性が高い と思 わ れるが ,い ず れに して も, イン ド本 土か らス リラン カヘ アー リ ヤ語 論が も た らされた年
代の下 限は五世 紀 初頭で ある。4
,新層
と し
て の仏典
言 語
論
一 パーリ
註 釈
文
献
の成 立
説一切 有 部 文
献
の ア ー リヤ語 論
に は大 寺 派の パ ー リ語 主 義の第
一 の特徴
(
一切 衆生の 生得 言語
に か ん す る言 説)
し か確 認で き な い こ と か ら, 大寺
派 は イ ン ド本 土 由来の アー リヤ語 論に対 して第二 の特 徴(
仏説の 伝承 に ふ さ わ しい 唯一 の 言 語 とい う主 張)
を付
け加えてパ ー リ語主義を形 成 した こ とが分 か る。 つ ま り,大 寺 派 は, 大 陸か らア ー リヤ 語 論を継承 しつ つ も,独 自に, パ ー リ語 こ そが仏 説 (三蔵 )の伝 承に ふ さわ しい言 語だ と主張し始め たの で あ る(28)。大
寺
派の パ ー リ語 主 義は , 四世紀
に編 纂
さ れ た 『島
史(
Dipavamsa
) 』 に は見 当た ら ない の に対 し, 五 世 紀の パ ー リ註 釈 文 献で は広 く支 持 され るか ら, 五世 紀 初 頭に盛ん に主張され始
め こ とが分
か る。 ち ょ うどこ の 時期か ら 上座部
大寺派
がシ ーハ ラ語で 伝 承 されて い た註
釈文
献をパ ー リ語で 集 中 的に 編纂
し直し た とい う歴 史 的 事 実 と併せ考え る な ら, パ ー リ語主 義の 高揚
と
40
パ ーリ学仏 教 文化 学 パ ー リ語による註 釈 の編 纂 との 関係を検 討 し て お く必 要があろ う。 パ ー リ註 釈 文 献の 編纂
順序
を踏
ま え(29), 膨 大な 三 蔵註 釈の 中で も最初
に編 纂
さ れ た 註釈の 序文 を取 り上 げて ,考 察 しよ う。まず, 律の註 釈文 献の 中で も最初に パ ー リ語で編 纂され たの は,
Samanta
−pdisdidikd
であ る。 本書
の序
文は次の よ うに説 く。 し か し, こ の註釈は シ ーハ ラ島璽
言語に よっ て 作 成 さ れ た か ら, 島外の 比 丘 た ちに は何
の 利 益 も得 られ ない 。 し た がっ てブ ッ ダシ リヴァ ヤ長 老の〔
註 釈 執筆の 〕 依頼 をあ りあ りと思 い 出 しな が ら,〔
三蔵
の〕本
文の〔
伝
承〕
方法 に ふ さ わ しい Go)註 釈 を 今 や 私 は 〔書き〕始
め よ うく31)。経の 註 釈
文 献
の中
で も最初
にパ ー リ語
で編纂
さ れ たの は, 長 部 註で あるSumangalavila
’sini で あ る。 本 書の序文
は中
部 註で あ るPapaficaStlOfani
, 相応部
註で ある
saratthappakjsini
, 増 支 部 註で あ る 躍 伽 o厂o伽 砂rα厘 の 各 序 とほぼ同文
で ある。 その 四書は, い ずれ も次の よ う に説 く。 私はそ れ(
註釈)
か らシ ーハ ラ語を取 り除い て, 心喜
ばしい, 聖典
の〔
伝
承〕
方 法に ふ さわしい, 欠 点な き言葉
(32)に載せて ,〔
結 集 した〕
長 老の系 譜を 明 らか に し, と て も微 妙 な定 説を もつ , 大寺
に住 む 長老た ちの 宗義に 背かずに 善き人が 満足 するため に, ま た 法 が永 く と ど まる た め に , 反復
して伝承 さ れ た意 味を捨て(
同じ註 釈 を繰 り返 さずに)
, 意 味を私 は明らかに し よ う(33)。 論 藏の 註釈の 中で 最初 に編 纂さ れ たの は, 法集論 註で あるAtthasjlini
で あ る。 本 書の序文
は次の よ うに説 く。上座 部大寺 派の パ ーリ語主 義 41 そ れ
(
シ ーハ ラ語 註釈 )
か ら , ス リ ラン カの 住 民た ちの 言葉
を取 り除 き , 聖典
の〔
伝
承〕方
法に したが っ た,誤
りのない言葉
に載せて, 他部
派の 意 見 と混同せずに, 混乱せ ずに, 大寺に住む者
た ちの定 説を 明 らか に しつ つ , 阿含の 諸註 釈か ら も取るべ き は取
り , 見 識 ある者
た ち を満
足 させ な が ら,私
は意 味を明らか に し よ う(34) 。こ こ で 執 筆の 動 機 と して海 外
布
教 が律註釈 (
Smp 下線部 )
で言 及
さ れ る こ と は先 行 研 究で た び た び取 り上 げら れて い るが(35), 海 外 布 教だ けで は シ ー ハ ラ語 註 釈を翻 訳す る理由に はな っ て も, なぜ 当 時の南
ア ジ アで 普 遍語 とな りつ つ あっ た サン ス ク リッ ト語 (
詳細
は第 5 節 )
で は な く, パ ー リ語を選ん だ の か とい う問題
に は答
え ら れ ない。 む しろ, こ こ で注目
すべ きは, これ ら 三蔵 註釈それ ぞ れの 冒頭で定型 的 な表
現が繰
り返 さ れて い るこ とで あ る。 いず
れ も, パ ー リ語 に よ る註
釈の編纂
に言 及す る際
に , パ ー リ語
を 「聖典
の〔
伝 承〕
方 法に ふ さわ しい 言 語」(
Sv
,Ps
,Smp
,Mp
)
, 「聖典
の〔
伝
承〕
方法 に したが っ た言 語」(
Asl
)
と呼び ,パ ー リ語
の註
釈を 「〔
三蔵〕本
文の〔
伝 承〕
方 法に した が っ た註 釈」 (Smp
) と呼んで い る の で あ る。第二 節に お い て指
摘
した よ うに, 三蔵
に対す る諸註
釈に先ん じて 編纂
さ れ た 『清浄 道論』 で すで に パ ー リ語
主義が成立 して お り, 「パ ー リ語主義 」 → 「三蔵 註 釈の編纂
」 とい う先後関係
は明白
だか ら, 「パ ー リ語
こそ三 蔵の伝 承 方 法に合 致 し た言語
であ る」 とい う趣旨
の文句
がパ ー リ語
主義
を表
してい る こ とは間違い ない 。 五世 紀に お けるパ ー リ語主 義の高
揚 こ そ が, ま さにパ ー リ語に よ る註 釈編纂
を促した こ とが分
か る(36)。パ ー リ語 主 義は , 五 世 紀以降も, 複 註, 史書 やパ ー リ文 法 学(37>に継 承 さ れてい く。 『小 史
(
Cullavamsa)
』 は, 十三世 紀 に編 纂 され た ブ ッ ダゴ ーサ の伝
記に おい て,パ ー リ語
で の註釈
の編纂
を以下の よ うに描 く。42 パ ーリ学 仏 教 文 化 学
その
時
〔
ブッ ダゴ ー サは〕
すべ ての シーハ ラ〔
語の〕
註釈を全て の 者た ちの
根本
語であ るマ ガ ダ語に訳した。生類のあ らゆ る言語の 中に あっ て, それ (マ ガ ダ語 )は利 益を もた らす もの ,
すべ て の 上座 部の 師た ちは
〔
= 蔵〕
本文の よ うに そ れ を受け止 め た (38)。こ こに,パ ー リ語が
一 切衆生の 根 本 語で あ り ,
三蔵 に合致 した言 語で あ る, とい うパ ー リ語主義の二 つ の 特徴を見て取れ よ う。 大 寺 派は五 世紀に
確
立 したパ ー リ語主義をそ の後 も守 り続けた の で あ る 。5
. パ ー リ語 主 義 と
サ ン スク
リッ ト ・ コ ス モポ
リス大
寺派
でパ ー リ語主義が興 起 した時期 , 南ア ジ ア と東 南ア ジ ア で は, サ ン ス ク リッ ト を普
遍 語(
universal 】anguage ) と して用 い る 国 際 空 間 , サン ス ク リッ ト ・コ ス モ ポ リス が 南イン ド と東 南ア ジ ア で 急速に 広が っ て い た。 婆羅門
の 聖典
言語
に 過 ぎなか っ た サ ン ス ク リッ トが, 四世 紀に ガ ン ジス 河流 域に 成 立 し た グプタ朝
に お い て行 政の 言 語 とし て採 用されて 知 識 人の 公 用 語と な っ た こ とに伴
っ て,南
イ ン ドや東 南アジア に お い て も文化 的 覇 権 を確立 しつ つ あっ たの で ある〔39)。Sheldon
Pollock
が 一 連の研 究で詳 論 し た よ うに, サ ン ス ク リ ッ ト ・コ ス モ ポ リス の 下, カー ヴ ィヤ作品が 盛ん に作
られ ,『マ ハ ーバ ー ラタ』 『ラーマ ーヤ ナ』 とい う二 大叙 事 詩が 広ま り, ヒ ン ドゥ ー教 や大 乗仏 教が広 まっ た(40)。ス リ ラン カも例
外
で は な かっ た、Heinz
Bechert
に よれぼ, こ の 島に は多
く の サ ン ス ク リッ ト文 献が も た ら さ れ , ま た作 成 さ れ る よ うに なっ た(41)。 大寺派
に おい て も,遅 く と も六世紀に はサ ン ス ク リッ ト文 献 を著 す学 僧が現
れ て い た(42)。 『宝積 経(
迦 葉品)
』 『三 身 讃』 『二 万五千頌般 若 経』 『宝 篋印経』 『金 剛頂 経 』 とい っ た多 くの サ ン ス ク リッ ト経 典が ス リ ラ ン カへ もた らされ , 大 寺 と拮抗 して い た無 畏 山寺 や祇 多 林寺 はこ れ らの 経 典を積 極 的に受容 して い た 。 サ ン ス ク リ ッ ト ・コ ス モ ポ リス の波
は確
実に ス リ ラ ン カ に も達
し上座 部大寺派の パ ーリ語主義 43 て い たの で ある。
こ の サ ン ス ク リ ッ ト ・コ ス モ ポ リス とい う観点 を導入 して, 大 寺 派 の註釈 文
献
を調 査 するな ら, 五世紀 前 半に興起 したパ ー リ語主義が果た した歴史
的役
割が見えて くる。 まず, 五世 紀の 時 点で, ブ ッ ダゴ ー サ をはじめ とする大 寺 派の 註 釈 家たち は二 大 叙 事詩が人々の 間で流 布 し て い る状 況を批 判 的に捉 えて い た (44)。彼
らは, 不 善の 一つ , 「不 綺 語(
samphappalapa )」 を註 釈 し て 「バ ラ タ族の 戦 争 やシ ー タ ー の誘 拐 な どの 無 意 味 な物 語を好む こ と と, 同様
の物語
を語
るこ と(45>」 を挙 げ(46), ま た, 「《
悪 し き学 識》
とは, バ ラ タ族の 戦争
や シ ー タ ー の誘拐
な どに関
す る〔
学 識
で あ る〕
(47)」 と註釈
す る 。 さ らに, 「如 来 はバ ラタ族の 戦 争や シ ー タ ーの 誘 拐の よ うな出離 に関しない 物 語 を説か ない (49)」 と断 言 して い る。 こ うし た二 大 叙 事 詩に対す る否 定 的 言 及がパ ー リ註釈 文献に頻 出す る こ とか ら, 大 寺 派の 註釈 家た ち が二 大叙 事詩
に批
判 的 だっ たこ とは疑
い ない 。さ らに,パ ー リ
語
主 義を標榜
した大 寺派 におい て は, サ ン ス ク リッ ト語で仏説
を伝
承 するこ とは認
め られ な かっ た。 その萌芽
はすで に 五世紀
に確 認
で きる。 ブッ ダが 「我々 は〔
仏説
を〕韻律
に載せ よ う(
chandasoaropema )
」 と 述べ た者たち を叱 り, その 行 為を悪 作の 罪に定め て 「自ら の 言 葉で (sakEya niruttiya)
」 仏 説を伝え る よ うに説い た律 蔵 の一節(5 )に対 して,律
註 釈の 翫 〃〜α脚 ρδ罐 漉 版 は次の よ うに註 釈 する。《
我々 は〔
仏説
を〕韻律
(51)に載
せ よ う》
とい うの は, 我々 は ヴェ ーダの よ うに サ ン ス ク リッ ト語
の 読 誦 方 法 に 載せ よ う〔
とい う意 味で ある〕
。《
自らの 言葉 によっ て》 とい うこ こ に お け る自らの 言 葉 とい うの は,正等覚者
に よっ て説
かれた類の マ ガ ダ語で ある(52) 。律 蔵 本文を踏ま えれ ぼ, こ の註 釈が サ ン ス ク リッ ト語に よ る仏説の 伝 承を
斥
けて い るの は明 白で あ ろ う。 三蔵 註 釈で は同様の 文 章は他に見 当た らない が, 八世紀
以降
,大寺派
のパ ー リ語
主義
は , “仏説
を サ ン ス ク リッ ト語
で伝
44 パ ーリ学 仏 教 文 化 学 承 して は な らない ” とい う響き を一層 強 く奏で て い く。
八 世紀頃に活躍 した学 僧, ア ーナ ン ダ(53)は,『分 別 論 註』 に対す る註 釈, 『分別論 複 註
(
Vibhangamu
’latikdi
)
』 を著 した。 本 稿第
二節
で 引用 した と お り, 『分別 論 註 』 は もっ とも まとまっ たパ ー リ語 主 義が出
て くる註釈
文献
だ が、 サ ン ス ク リッ ト語に は言及 して い なか っ た。 そ れ に 対 し, 『分 別 論 複 註 』 に おい て は サ ン ス ク リ ッ ト語 とパ ー リ語 とい う二項
対立 が 明示 さ れ, サ ン ス ク リ ッ ト語で 仏 説を伝 承 して は な ら ない とい う主張が次の よ うに 打ち出されて い る。《自
然 な言 葉》
とはマ ガ ダ語が意 味さ れて い る か ら , そ れ 以外のサ ン ス ク リッ トの 名詞な どの 音 声を指して ,《
で は他に》
と説い た。(
中略 :筆 者)
サ ン ス ク リ ッ ト語を知 るこ と は, 分析
知(
無礙 解 )
の作
用 で は な い とい う意 味で ある。(
中
略 :筆 者 )
「六〔
色〕牙 象本
牛岡 』 『鷓 鴣本
生 (SS)』 な ど に お い て ,畜生の 中にもマ ガ ダ語が 遍 く広 まっ て い る。 オ ッ タ語 な どの言葉や サ ン ス ク リッ トはそ うで は ない (56)。十二 世 紀 に な る と,パ ラー ク ラマ バ ー フ ー世の 下, ス リ ラ ン カ の 仏 教 僧 団は, 実
質
的に大寺
を中
心に和合
し, 無畏
山寺
と祇 多林 寺
が伝
承 してい た サ ン ス ク リッ ト経 典は 「非 仏 説」 と断 じ られ た(57>。 ま さに こ の パ ラー クラ マ バ ー フー世の 命に よ り,学僧,サ ー リプッ タ は 『律 綱 要 註(
vanayasaitgaha
一 θ励 盈 α’肋 =Pdilimuttakavinayavinicchayasahgaha
)』 を 著 し た (58)。 本 書 に お い て , 自らサ ン ス ク リ ッ ト学 者
で も あ り な が ら, サ ー リプッ タ は前 出のSamantapdsa
’diha
を踏ま えて次の よ うに説 く。 《比丘 た ち よ, 仏 説を韻 律 に載せ るべ きで は ない 。 も し載せ る者
が あ れ ぼ, 悪 作に 堕ち る。 比丘 た ち よ, 自らの 言葉 に よっ て 仏説を学ぶ こ とを 認め る》(59>とい う言葉か ら , ヴェ ー ダの ように, 仏 説をサ ン ス ク リッ ト 語 に お ける読 誦の 方 式に載せ るこ とは正 し くな く,《〔
ブ ッ ダ 〕 自 らの》
上座部 大 寺 派の パ ーリ語主義 マ ガ ダの
《
言 葉に よ っ て》
学ばれ るべ きであ る(60>。45
ス リラ ン カで は, サン ス ク リッ ト
化
の波 に覆
わ れ なが らも, 仏教 界 を統 一 した大 寺 派がパ ー リ語主義に よっ てサ ン ス ク リッ ト経
典を斥け た た め, サ ン ス ク リッ ト語
が 世俗の 教養語
, パ ー リ語が教団の 言 語 とい う役 割分 担を して共存
す る よ うに なっ た(61)。 大寺派
がパ ー リ語
主義
を堅持
した結果
, こ の島
で は, イ ン ド本
土 とは異な る言語
状 況が 生 ま れ たの で ある。6
.結 論
グプタ朝で 生 ま れ た サ ン ス ク リ ッ ト化の 波が 南ア ジア と東 南ア ジ ア を覆い っ つ あ っ た 五世 紀, ス リラ ン カの上 座 部大寺派 は, イ ン ド本 土 の仏 教 か ら 「ア ー リ ヤ語論
」 を継承 しっ っ も, そ れ を改変
して 「パ ー リ語
主義
」 を打ち 出した。 大寺派 は, 一切衆
生 が本 来ア ー リヤ語を話す こ とがで き た とい う言 説 を説一切 有 部 と共 有す る一 方で, 「根 本 語 」 を 「マ ガ ダ語」 す な わ ちパ ー リ語に限 定 して , 仏説の 伝 承に ふ さ わ しい の はパ ー リ語の み で ある と独自
に 主張 し たの で ある。 こ の パ ー リ語主義の高 揚に よ り, 五世 紀に大 寺 派は, も と も とシ ーハ ラ語で伝 承 されてい た註 釈文 献をパ ー リ語で 編纂 し直 した 。五
世紀
以降
,パ ー リ語
主義
は, サ ン スク リッ ト語
で仏説
を伝
承 して は な ら ない とい う主張を も伴っ て,当 時サ ン ス ク リッ ト ・コ ス モ ポリス の下で ス リ ラ ン カに続々 と もた ら され てい た サ ン ス ク リッ ト経典 を斥ける理論 的役 割を 果た し, パ ー リ語は大寺
派三 蔵(
仏
説)
の言語
とし て の地位
を守 り続
け た 。 大寺
派〔
系
統の仏
教〕
が十
三世紀か ら十 五 世紀に か けて東南
ア ジ ア大 陸部
に 進出
し,パ ー リ仏 典圏 を形 成 した その 後 の歴 史(62)に鑑 み れ ば, 五世 紀か ら 十二 世紀
に わ たっ て大寺派
のパ ー リ語
主義
が果た した歴史
的役割
は極
め て大 きいC63
)。46 パ ーリ学 仏 教 文 化 学 注 (
1
) 草稿や 囗頭発表に関し て貴 重な御 教示を賜っ た森祖 道先 生,林 隆嗣先生,桂 紹 隆 先生,お よび,八 尾史 ,岸野 亮示,柳幹 康,.色 大悟 ,佐々木 淳 也,保 子 昌徳の各氏に感謝い た し ま す。 言う まで も な く, 本 稿の責任は筆者にある。 (
2
) パ ー リ語の言 語 的特 質につ い て は, [von HinUber l 994:62−75,177− 194]参照。 ま た, 言 語の固 有 名詞 とし て 「パ ーリ語 」 とい う呼称が 成 立 す る過程に つ い て は, [Crosby 2003亅[馬 場 2015:17− 191 参照。 (3
)1
村 上 ・及川1990
:162
−174
, 440 −4481 [Cellins
l998
:46−50】[古 山 2003][Skilling 2010: 10− 15](
4
)Vibh
−a387
−388
:m 巨t巨pitarohi
daharak51e
kum 巨rake mafice v 翫 pithe v 五 nipajj 五petv五tamta叩 kathayam 巨n巨t巨ni t巨ni kicc巨ni karonti. dfirak巨tesa卑 talp tarp
bh
夏sa【p vavatthapentii皿 in蕊idalp vuttaM , imina idarp vuttan ti. gacchante gacchante
k51e
sabbam pibh
互sam
jananti
. mata dami1i, pita andhako ;tesa叩jfito
darako
sacc mfitukatharp pathamamsuロ亘ti,
damilabh
亘sambh
亘sissati . sace pitukathalp pathamalp suロ巨ti, andhakabhasam
bh
五sissati. ubhinnam pi pana katharp assupanto m 巨gadhabh盃sarp bh5sig. sati. yo pi agAmakemah 巨ra簡 e nibbatto , tattha afifio kathento n面ma natthi , so
pi
attanodhammat5ya
vacana 【口sam 嘆
h
訌pento m 五gadhabhasam eva bh互sissati . niraye , tiracch 盃nayoniya 坦,pettivisaye
,manussaloke , devaloke ti sabbattha magadhabhasfiva ussann 亘.
taandhakayonakadamilabh2s 盈
dik
互attharasabh
巨sS parivattanti. ayam evebrahmavohEraariyavohSrasafikh5t
五m 巨gadhabh 五s五 na parivattati.tepi婁akalp
buddhavacana
甲 tantilp aropento magadhabh 訌saya eva aropesi. kasma ?evafitattha sesa ottakirE −
k
巨yathEbhucca − samm 巨sabudclhopi
hi attham 亘haritum sUkham hoti. magadhabhas 互ya
hi
tantim 巨rulhassabuddhavacanassa
patisambhid互ppatt巨na 卑 sotapathEgamanam eva papafico. sote pana sahghaqitamatte yeva
nayasatena nayasahassena attho upatth 五ti. afifi巨
ya
pana
bhAs
五ya
tantirp巨ru1harppothetv
巨
pothetVa
uggahetabbarp hoti. bahumpi
uggahervapana
puthujjanassa
patisarnbhidapPattin巨ma natthi . ariyasEvako no
patisambhid
蕊ppatto n巨ma natthi.(
5
> [森 1984:991
(
6
>Vis
441
−442:dhammaninlttisafifiit
五ya sabhavaniruttiya magadhikaya sabbasattana 叩mUlabhasaya
(7 > Ud −a l 38
, It−a l 26, P重s−a 1 5: msgadhik 亘ya sabbasatt5n5m mUlabh 盃sEya
(
8
)Sammoh
αvinodani の該 当部 分 (pp
.387− 388)の ほ ぼ 同文が Patisambhiddimagga の註釈で ある
Saddhammappakdisini
(pp .5−6
)に も説かれる。 五世 紀 後 半に漢 訳 さ れ た律 註釈 ,『善見 律 毘婆沙』 (Tl462 ,721b )に おい て も,
「安 陀 羅彌 國語
上 座部大寺 派の パ ーリ語主義
47
して い る か ら,パ ーリ語主義が 五世紀前半に成立 して い たこ とは疑い な く
, 後代に
パ ーリ註釈 文献へ 付加 さ れ た可能性を想 定す る必要はない 。
QO
)有部が サン ス ク リッ ト仏典を伝承 して いた こ とは諸 資料が一致 し て証言して い る[
Yuyama
1980
][Sander
1985
] {Voge11985
】[Ruegg l 985]。 (ll
) 『高 僧 伝 』 と 『出三蔵 記集』 巻二 は ともに437
年か ら439年の翻訳を証 言して い るのに対 し,『出三 蔵記集 』 巻十に収 録さ れ る道挺 撰 「毘 婆 沙経 序」 で は425 年か ら 427 年 と証 言 して い る [吉川 ・船山 2009:250 −26】】。 (12)Tl546, 28 .48a22 −
25
;言語云何。 答日。 初生未受 苦痛 時,盡作聖 語。 後受 苦痛 時,雖出苦痛 聲, 乃至 無有一言 可分 別者 ,但有 打棒壞 裂之聲。 (
13
) Tl546, 28.48b:言語云何。 答日。 世 界初 成 時, 一切 罵生盡作聖語。 後以飲食 過 患 時世轉 惡, 諂曲心多,便有種種 語, 乃至有不 能言者 。 矼4
)Tl546
,28
.48c
;言語云何 。答日。 世 界初成 ,一切衆生盡作聖 語 。 餘如先 説。T1546,28 .49a;言語云何。 答日。 世界初成 時 。盡作聖語。 餘如 上説。
a6
)Tl546
,28
.49c
:言語云何。 答日。 盡作聖語。諸天が み な ア ー リヤ 語を話す とい う 主張 は 『倶 舎 論 』 に も継 承 さ れ る。
C
£ AKBh170
,Tl559
,29217c
,T1558
,29
.60b
.パーリ対応経は D 27 Aggafifiasuttaで あ る。 (
18
) 『阿毘 曇 毘婆 沙論 』 の四 天 王 説話 (Tl546 ,28
.306c
−306a
)は, 尸 陀槃尼撰 『稗婆沙 論』 (T1547 ,
28
。482c
−483b
)に も, 玄奘訳 『大毘婆沙論』 (Tl545 ,27 .410a−c)にも対応箇所が確認で きる。 玄 奘訳の み 「 毘奈耶 説」 と述べ て律か らの引用である こ と を示す。 〔佐々木 2000: 88]参照 。 (
19
) Tl546 ,28
.306c
:佛以聖 語爲四 天 王 説四諦。 二 解二不 解。 佛欲 饒益 憐愍 故復 作陀 毘 羅語説四諦。 謂伊彌 彌禰踰被 陀踏被 。二不 解者, 一解一不解 。 世尊 欲饒 益憐 愍故 作彌梨車 語説四諦 。謂摩奢兜奢僧奢摩薩婆 多毘羅緻 。是 名苦邊。四皆得解。
なお, 同様の趣 旨が簡 略に別の箇所 (
398a
)で も触れ ら れて い る。同様の 四 天 王説 話は説一切 有 部の律文献 『十誦律 』 (T1435 ,
23
.193a
)や 根 本 説一切有 部律のチベ ッ ト訳 『薬 事』 (sDe
dge
:’Dul・ba・Ga36b )に も確 認で き る。 後 者
の 該 当部 分 の和 訳が [八尾
2013
:563】に ある。 [山 田1959
:478
−
4841
[Lamotte
l 958:
607
−610
】[Schmithaus。n1987
;315
−317
]参照。(
21
) [Chung
andWille
2002:121】[Duttl
984
:258
][Clarke
2014
:232v
]幽
mukhabahUrupajj finfim
y2
loke
jatayo
bahih
1
mlecchav 五cげ1yav 訌oo v5 sarve te dasyavab sm 噸
b
1〆10.45
〃 【Olivelle
2005:819 ]「こ
の世で,〔ブラ フマ ン の〕口, 腕, 腿,お よ び 足 か ら 生 ま れた者た ちの 外側に
い る身分集団 (ジ ャ ーテ ィ)は,蛮族 (ム レ ッ チャ )の言葉を語ろ う と,ア ーリ ヤ
48 パ ーリ学仏教 文化学
旧訳 と違い, 新 訳で は, ダス ユ やム レ ッチャ の人々 は正性離性に達 しない と ま で
述ぺ ら れてい る (T1545 ,27 .868c)。 こ こ まで くる と, 「ア ーリ ヤ 人 至 上 主 義 」 と呼 ん で よ か ろう。 四
パ ーリ註 釈文献におい て も,アーリ ヤ の言 葉は アーン ドラ語や タミル語と対 比さ れ る。
Smp I 255:tattha ariyaka 叨 nfima ariyavoh5ro
Magadhabhtisfi
. mitakkhakapa nEma yokoci anariyako Andha −Damiladi,
ただ し, 第二節で示 したよ うに,パ ー リ註 釈文献で は , パ ー リ語は詞無礙智の対 象 と さ れ,聖者が獲得する認識の 内容で あ り,パー リ語 を 学ばずに解 脱す る こと は
あ り えないため,ariyavohara とは 「聖者の語法」 「聖 なる語法」 を意 味する よ うに なる。 した がっ て,その場 合 は,有 部文 献と 「アーリ ヤ の言葉」 の意味が 異 なっ て くる。
第4 節で 引用する Smp の序は シーハ ラ語の 資料 が島外の 人々 に は通 じない こ と を述べ て い る。
『阿 毘曇 毘 婆沙 論 』 の漢訳年代 か ら判 断 して , パ ーリ語 註釈 文献が編纂さ れる 以 前に説一切有 部に おい て アーリ ヤ語論が確立 してい たこ と は 明白であ る。 アーリ ヤ語論は,イ ン ド起 源の 古資料 を 経て パ ーリ註釈に収録さ れ た可 能性 と,
五世紀の註釈 家た ち が イン ド本土の仏教か らアーリ ヤ語 論を受 容し た 可 能性を 想定 で き る。 圏
パ ーリ語主 義の第二 の特徴は, もと も とス リ ラン カ成立 の シーハ ラ註釈に記され
て いた可能 性と,五世紀の註釈 家た ち が 新 たに主 張し姶め た可 能性を想定し うる。
9
) [森1984
:92
− 104}複 註によ れ ば,「本 文の 方 法に ふ さ わ しい註 釈 」 とは,パー リ語に翻 訳す るこ と を指し て い る。
5ど7厂σご’乃o吻ワα η財沈δ(
Chatthasa
血gayana edition)Il
9
;pdilinaアδnurtipan ti P五linayassa
anuriipa 叩 karv巨, mEgadhabh 巨sEya parivattitv盃 ti vutta 叩
hoti
.(
3D
Smp 2;sa甲va 卿 ana siharadlpakena vakyena es互 pana sathkha 寒atta !na kifici attharpabhisambhu ti
dipantare
bhikkhujanassa
yasm巨!f8
〃tasmE imarppfi
且inayfinuruparpsa甲va 聊 ana 甲 d巨ni samErabhissam !ajjhesanam
buddhasirivhayassa
therassa samm5samanussaranto 〃9〃
圃
複 註は 「心 喜ば しい 言葉」 とは 「マ ガ ダ語」 す なわ ちパ ー リ語だ と註釈 して い
る。
Sv
−t
1
25i
〃manoramapabhdisan
ti MagadhabhEsarp .他の複 註 (Ps−
t
,Spk
−t
,Mp
−t
)も 同文で あ る。 (33
)Sv I 1,Ps I
1
,Spk
I
l
上 座部大寺 派の パーリ語主義 49
sa叩
1tantinay
瓢皿ucchavika 叩 訂opento vigatadosa 甲118
〃samayarp avilomento theranarptheravamsappadipfina 叩
1sunipu
りavinicchay 五nalp mah5vihEr5dhiv 巨sinam !!9〃 hitv互
punappunagataip
attham , attham pak訌sayiss 盃mi !s可anassa ca t唄hattha叩 ciratthitatthafi cadha
assa !!10
〃倒
Atthasa−
lini
2:apanetvana tatobhffsarp
tambapappiniv 百sinalp /互ropayitv 互niddosa甲
bh
亘san tan重inayanuga 叩 1!15〃 Nik 巨yantaraladdhihi
asammissarp anakularp 〆
Mah
互vih互rav温sinarpdipayanto
vinicchayarp 〃16〃attharppakdSayiss
互mi EgamaUhakath 百su
pi
!gahetabbarp
gaherV巨na tosayanto vicakkhape 〃17〃
[村上 ・及川
1990
:440
−447
]【v・nHinUber
1
996
:103
,§208
][Skilling
2010:12− 14] 樋 これ まで の先行 研 究に よ れ ば,ジ ャイ ナ教 文 献に 「根 本 語 」 に 当た る思 想、はな か っ たよ うで あ る[Skiliing
2010
:note36
】。 ま た,ジャイ ナ教 白衣 派で は,聖典が ア ル ダ ・マ ーガ デ ィ ーで伝承された のに対 し, 多くの 註釈が サ ン ス ク リッ トで執 筆さ れた。 その点で ,三蔵 と三 蔵註釈の両 方をパ ーリ語で伝承 する大寺派とは大 き な 違 い が ある。(
37
)Padarfipasiddhi(Chalthasafig
亘yana edition )41:M 巨gadhi
mUlabh 蕊sa,
Cullavamsa
Ch
.37
:parivattesi sabba pi sthala4hakath 巨tadfi!sabbesalp mUlabh5s 互ya
m 五gadhSya niruttiya /f244〃satt巨na 毋 sabbabhas 互narp s五 ahosi
hitavaha
! theriyatcariy互 sabbepalim viya tam aggayha 町1〃
255
〃
南イン ドで は五 世紀にデ カ ン 高原で サ ン ス ク リッ トあ碑文が現れ,さ らに 各地
へ 広まっ て いっ た。 日本で早 くか らこ の問題を扱っ た研 究成果 として , [山崎 1977] は注目に価す る。 ω 幽 て, 及さ れ る。
Sv
I
76
,Ps
I
201
,Spk
II
148
,Nidd
−a I449
, P‡s−a I 222, Asl I OO: bhCtratayuddhasTtEharaロE−
diniratthakakathEpurekkhfirata
tatharOp工kath
再kathanan
ca.働 鰌 [
Pollock
l
996
][Pollock
2006] 「Bechert 1998] [Bechert2006
][西村20131
[Cousins
2011
] 【馬場2011
] 閻浮 洲 (Jambudipa )で は街に おける集 会 などに大勢の人が集まっ て,お金を払っ『ラーマ ーヤ ナ 』 な ど を語 らせ る こ とがパ ーリ註釈 (Sn −a 300 , Khp −a ll8)で言
See
alsoAsl
lO2
,
Pts
−a I 224 ,Vibh−a 490 ,
Nidd
−a I 209;pOρakarp sutan nama bharatayuddhasit巨haraり盃dipatisamyutta
卑.See also Sv I 89, Ps III 222 ,
Spk
III
294, Mp V 45, Nidd −a I 393 .Sv
III
g
l
4
:bhEratayuddhasTtaharapasadisa
卑 aniyy巨nikakatharn tath巨gato na kathenti.Vin
II
139
.IBrough
1980]は salttiya niruttiya ’を 「各地の 言語で 」 と解 釈する。50
パ ーリ学 仏 教 文化 学 (51
)chandaso の.該当部分は 『五 分律』 で は 「外書語」 (T1421 ,22 .174b),『四分 律』 で は 「外道言論 」 (T1428 ,22 .955a
)とあ り,概 し て 「外道の 言 葉」 と理解 して いた ように見え る。 [
Brough
19801
は主に これ ら漢 訳 に基づ い て chandaso を 「サン ス ク リッ ト語で」 と解 釈 す る。 そ れに対 し、 義 浄訳 『根 本 説一切 有 部 毘 奈耶 雑 事 』 は 「歌 詠 引 声」 (T1451 ,24 .232c ),チベ ッ ト訳の根 本説一・切有 部律の 『雑事』 で は 「韻 律(sdeb sbyor )」 (Dcrge Tha71b )とあっ て, chandas を韻 律 と理解 して い たこ と が分か
る。説一切 有部の 『十 誦律』 で は 「外書音声」 (T1435 ,23.274a)とあ り,前 者の理
解 と後 者の 理解の 中間に ある と言えよ う。 本稿に お ける律 蔵 原文の訳は, 後 者の理
解に従っ て,あ えて 「韻律」 と直訳 する。
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52
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6
[Malalasekela 1937:270 −271亅 丿b
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Jδ∫αんoNo .37, TittirajAtakaVribha
カgamtilatikj (Chatthasa
血gayana edition )192
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) 〔58
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酉」α ソa那sa, Ch ,78 , w ,20−23:425 −426 . [Malalasekela
・1937
:111811
橘堂1997
:51
参 照 。 Vin II I39 .Pδlimuttakavinayavinicchayasaitgaha(
Cha
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巨yana cdition )447:ノ>abhik
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chandas ・ tir・petabbapa .Y
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