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パーリ学仏教文化学 (29) - 005馬場 紀寿「上座部大寺派のパーリ語主義」

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(1)

[rmax]

ktsEffKJkIinEOi<--

}J

iE.tk

k

za

kE

fi

Language

Ideology

ofPali

by

the

Mahavihara

School

Baba,

Norihisa

This

paper

discusses

the

development

of

the

language

ideology

of

Pali

within

the

Mahavihara

school, one of so called "Theravada"

schools, of

Ancient

South

Asian

Buddhism.

In

5th

centmy

Sri

Lanka,

Mahavihara

eommentators such as

Buddhaghosa

insisted

firstly

that

Pali,

which they call

M2igadhi,

is

natural

language

innate

to all

living

beings

and secondly

that

the

Tipitaka,

or

Buddhist

canon, should

thus

be

transmitted only

in

this

primal

language.

This

article serves as corrective to

Peter

Skilling's

suggestion that

the

language

ideology

of

innate

language

[`appears

to

be

unique

in

Buddhist

traditionto

the

Mahavihdra,

or more aceurately to

Buddhaghosa,"

The

fact

thatthe

SarvastivEda

school's treatisessuch as the

iL(laha-vibha-s.

a-express views on

innate

language

which echo

P51i

commentaries suggests thatthisconcept was not cenceived of

by

Buddhaghosa,

but

had

circulated

in

continental

India

befbre

it

arrived

in

Sri

Lanka.

Rather

the

Mahavihara

adopted the

idea

of

innate

language

from

continental

Buddhism

and

fbrrned

language

ideology

of

Pali

by

adding

to

it

the

idea

that

the

language

of

Buddhist

canon should

be

Pali,

Moreover,

the

paper

also elucidates thatestablishment of

language

ideology

of

Pali

encouraged the

Mahavihdra

monks totranslatecommentaries on

Tipitaka

from

Sinhalese

to

Pali

in

the

5th

century.

}-7-

I-"

:

st-vafigK,

Jik

ee\ig)u,ee,

7-V `k'l'l,

V'yx

ll

Vv

b

(2)

34 パ ー学 仏 教 文 化 学

1

問題設 定

ω

 

上座部 大 寺 派が 「マ ガ ダ語 と呼ぶ言

パ ー リ語  に か ん する大寺 派の 教 説は, た び た び先 行研 究 (3) り上 られ た が も基 本 的

容の 紹 介が 中心で あ り, こ の 教説 の 歴 史は, ほ と ん ど明 ら かに さ れて こ な かっ た。 しか し, その

代へ の 影 響は極め て大き く, 大寺派 が サ ン ス クリ ッ ト経 典を受容 し た無 畏 山寺 派や祇多林 寺 派とは異 なる を歩ん だ経 緯 と深 く 関わっ て い る。 そ こ で,本

稿

で は ,パ ー に か ん 教 説 概 要

第 2

を ま とめ た 上で, その 源泉

料 (

3

節 ) と大寺 派が独

に付け加 え た 要 素

4

分析

して

教説

形成

ら か に し, その歴 史的役 割

第 5 節)

を考 察す る。

2

. パー 1丿

 

E

座 部 大 寺派の パ ー リ語にか ん す る教 説 は『分別 論 註 (

Sammohavinodani )

』 で最も ま と まっ た 形で説か れ る。 本 書の 一 節は, 四無 礙 解の一つ 無礙 解

niruttipa1isambhida :

言葉

解 説で次の ように説 く。 母と父は, 幼児の時に子供 た ち をベ ッ ドあ るい は椅 子に寝か せ, あ れ こ れの こ と を語 りか け な が ら, あ れ これ の 仕 事をお こ な う。 子供た ちは, 両 親の あ れ これ の言 葉を 「

っ て これが説かれた, こ の 〔言 葉

に よっ て これ が 説 か れた と定 義す る。 時が 過 ぎる に したが い , 言

全 体を解す る よ うに な る。 母がダ ミ ラ (タ ミ ル )人で 父が ア ン ダカ

アー ン ドラ

人 で あっ て 彼 ら か ら生 ま れ た子供は, も し

最初

に 母の

けば, ダミラ語を話 すで あろ う。 も し も最

に父の

けば, ア ン

すで あ ろ う。 しか し, 双方の

を聞か な けれ ば, マ ガ ダ

すで あ ろ う。 村な き未 開の大地に生ま れ, そ こで

して い る者が

に い な け れ ば, 彼もお の ずか ら言葉を起こ し, マ ガ ダ語だ け を話す だ ろ う。 地

畜生

餓 鬼

域, 人 界, 天界 とい う あ らゆ る場 所で ,

(3)

      上 座 部 大寺派の パーリ語主義       35 マ ガ ダ

だ けが遍 く広 ま っ てい る

  )

。 そ こ で は, そ の 他の オ ッ タ

オ リッ サ州の オ ドラ

, キ ラー タ

イ ン ド北

の 山

岳民族)

, ア ン

ア ー ン ドラ地 方

, ヨ ー ナ カ

ギ リシ ア ), ダミラ

タ ミル

の 言 葉な どの 十八 の 言 語は変転す るが, こ の 梵 語, ア ー ヤ 語

の マ ガ ダ語の み は変 転 するこ とが ない。 正

覚者も, 三

か ら

説を聖

に載せ る場合 は,マ ガ ダ語の み に よ っ て 載せ る

  )

な ぜか な ぜ な ら意

え る こ とが 容 易だ か らで あ る。 とい うの は, マ ガ ダ

で 聖

収載

さ れ た仏 説は分

礙解 )

に達 した者たちの耳に到 ると多

にな る が,耳に響い た だ けで, 百の方法で, 千の 方 法で 意

が明 瞭に な るか らで ある。 し か し他の 言 語で 聖 典 に収 載 さ れ た 〔仏 説

繰 り 返 し打ち込ん で

ようや く

学 ばれる。 しか し, 多 くを学んで も凡 失が 分 析 知に達す るこ とはない 。 分析 知に達し ない 聖声 聞は存 在 しない ( 4} 同 じ趣

はパ ー リ註

確 認

き る 。 例 え

数 あるパ ー リ註釈

献の で最初 に編 纂(5)さ れ た 『清浄 道 論

Visuddhimagga

』 は 「法 の 言 葉 と見 な さ れ , 自然 な言 葉で あ る, マ ガ ダ語 とい , 一

生の

根本

(6)」 と

く。 そ の 後 に成 立 した

くの

献に おい て 『清浄 道論 や 『分別 論 註』 のパ ー リ語 論 と ま っ た く同 じ

現(7)や一節(8>が反 復さ れ い る(9)。 本 稿で は, ブッ ダが 話し た マ ガ ダ地 方の 言

で あ るとい う主 張を込め て 「マ ガ ダ語 とい う

称がパ ー られ と に , 上 に 引 用した文の下

線部

に顕

な次の 二 つ の 特徴 を 具 え たパ ー リ語に か んす る教 説 を 「パ ー と とす る

 

五趣に わ た る一切 の衆生 が本 来同一 の 言 語

パ ー 語 )

 

パ ー は, 三

か ら

る仏 説の 伝 承に ふ さ わ しい 言語で ある そ れで は,パ ー リは ど よ う

立 したの か 。 その 形 成 過程を 明 らか にす るた めに, パ ー 語 主

二 つ

うち

一 の

特徴

にっ い て

(4)

 36         パーリ学 仏 教 文化 学 第

3

節で,第二 の特徴につ い て第

4

節で 取り ヒげる。

3

古層

し て の アー

リヤ語

  

有部

寺派

 

パ ー リ

主 義の 一 の 特徴 は 大寺 派 特 有 だ と考え ら れて きた。 た とえ ば,

Pcter

 

Skilling

は, 特 定の 言

を 一 切衆 本 来 話 し た言 語だ と 張を 「根 本 語 ロ ギ ー (mdrlabhjsdi  

ideol

gy

)」 と

び, 「その よ うな主 張 は仏 教に お い て 大寺に, あ る い は よ り正確に は, ブッ ダ ゴ ーサ に特 有で

あ るように見え る

Such

 a claim  appears  to 

be

 unique  

in

 

Buddhist

 tradition to the

Mahavihara

, or more  accurately  to 

Buddhaghosa )

」 【

Skilling

 

2010

ll

]と言 明 して い る。

 

しか しな が ら, 彼 が 「

本語

イ デ ギ ー 」 と呼ぶ 主 張 は 決 して 大 寺 派 や ブ ッ ダゴーサ に 限 られた もの で はな く, ブッ ダゴーサ が編

を して い た の とほ ぼ 同 じ時期に, すで に説 一 有 部に お い て 展 開 され (10) 。 五

世 紀

前 半 に 浮 陀跋 摩 等に よっ て 漢訳 (11)さ れ た 『阿 毘曇毘 婆 沙 論』 (T1546

五 趣につ い て論 じ る箇所 で 各 趣 に お け る言

を次の よ うに説 明 して い る。

地 獄

  

問い :地獄 の 生の

言語は どの よ うで あ る か ?

 

答え :生 ま れ た

  

か りで ま だ苦 痛を

け ない 時に は, みな 聖語を

す。 後に苦 痛を受け た

  

時に, 苦痛の 声を出すのだ が , さ らに 〔は な はだ し きに い た っ て

は一

  

も意 味の る言葉が な くな り, た だ棒で打っ て

身体が

傷 つ 割け

  

だ けが 響 くの で ある(12)。

畜 生

  

い :

生の

言語は どの よ うで ある か ?

 

答え :世 界が 誕生 し たば

  

か りの

には, すべ ての 生

は み な聖 語を話 して い た。 とこ ろが後に飲

  

食の過 失によっ て 時代が悪 くな り,へ つ らい 曲が っ た 心が 多くな る と,

  

た ちま ち

々 な言 語が生 じ, さ らに 〔はなはだ し きに い た っ て

(5)

      上座 部 大 寺 派のパ ー語主 義       

37

  

せ ない

まで生 じたの で ある(13>。

餓 鬼

  

い :

餓鬼

言 語は ど る か ?

 

世 界 た ば

  

か り

の時

に は,すべ て の 生類はみ な 聖 語 を話 して い た。 残 りはすで

  

に説い た とお りであ る (14)。

人)

  

〔問い ;人 間

は どの よ うで あ るか ?

 

答え ;

が 誕 生 し たば

  

か りの 時に は, すべ て の 生類は み な聖 語を話 して い た。 残 りはすで に説

  

い た とお りであ る(15)。 (天)

  

い :

〕言語

は どの よ うで あるか ?

 

え :

諸 天

み な

  

を話す価 )。

 

この一節が お そ ら く前

と して い るの は,世界の 生成 期に は

飲食

を必

と しなか っ た衆生 が飲 食を契

と し次第 堕落 て い く過 程を説 く説一切 有 部 所 伝 『

第 154

経の 「婆 羅 婆堂経(17)」 で ある。 しか し, 『阿毘

毘 婆 沙

』 で は, その

語を踏ま えつ つ , もと も と

生は 「

」 を話して い たの だ が, 後に その 多 くは話す こ とがで き な く な っ た とい う内容 が 加わ っ て い るの で あ る。

 

阿毘 曇 毘婆 沙 論 』 該 当

部分

の サ ン ス ク リッ ト写 本は現 存 しない た め, こ こ で 「聖 語」 と訳されて い る原語が 何 か を 明 らかにす る に は, こ の 『阿 毘曇

沙 論』 で 「聖語」 が用い られて い る

所 に対 応す るサ ン ス ク リッ ト文 献 を

し出さ な け れ ば な らな い 。

い , 『

沙 論 』 で は 「聖 語」 に言 及 する一 節が も う一箇所 だ け あ る。 それ は有 名な 四天王説 話で あ る (IS)。 次 の よ うに要 約で き よ う。

 

ブッ ダは 「聖

で 四 天 王 に 四

を説い た。 二 人は理 解 した が, 二 人 は理 解で きなかっ た そこ で , ブ ッ ダは ドラ ヴィ ダ語で 四諦を説い た。 先に聖語 を 理解 した二 は理解で き なか っ たが, 聖語を 理解 しなか っ た二 人の う ちの

(6)

 

38

       パ ーリ学 仏 教化 学

, 一人 は理 き な 。 そ こ でブ ッ ダは

蛮族 (

ム レ ッ チ ャ

の 言葉で 四諦を説い た。 こ うして ,四天 王は み な理解 し た (19) 。

 

この

物語

は 『根 本 説一切 有部 律 薬 事(20)』 に対 応箇 所が あ り,その ギル ギ ッ ト写本で はブッ ダは 四 天 王に対 し 「ア ー リ ヤ の 言 葉に よ っ て

衙 ya

頭 v互

」 四聖諦を説い た とあ るか ら(21),『阿 毘

毘婆 沙 論』 に お い て は 「ア ー リ ヤ の 言 葉」 が 「聖 語」 と訳され てい た こ とが

明す る。 さ らに , 『阿 毘 曇 毘婆 沙 論』 や 『根 本説一切 有部 律』 が 「アー リヤの 言葉」 を ド ラ ヴ ィ ダ語や ム レ ッ チ ャ の 言

と対 比 して い るこ と に注 目す る必 要が あ る。

Manusmrti

が 同様 に 「ア ー リ ヤ の 言

」 をム レ ッチャ の言 葉 と対 比させて い るこ とか ら判 断 し て (22), 『阿毘曇毘

』 で述べ る 「聖語」 は ド ラ ヴ ィ ダ系諸 言 語 と異な る アー リヤ語を 指 して い る。

 

さ て, 五趣 にわ たる

生 の生

をア ー 世 紀後 半に訳 出さ れ た 尸 陀 槃尼撰 『婢 婆 沙 論 』 (

T1547

)に は確 認で き

, 五世

前 半に訳さ れ た 『

婆 沙論 , 七世紀に玄 奘に よ っ て 漢 訳 され た 『

T1545

27

866b

868a

(23) , 『阿 毘達 磨 順 正 理

Tl562

29

517b

518a

,『顕 宗 論』

Tl563

29

852a )

の い ずれ に も説かれ て い るか ら,説一切

有部

の 毘婆 沙 師た ちは こ の 主張を遅 くとも五世 紀初 頭まで に

開始

し, その 後も継 承 した こ と が分か る。

 

大寺 派註 釈 文 献の パ ー

有部文献

ー リヤ

か ん す る

との

は , はっ き りとした共 通 点を見て取れ る。 五 趣 にわ た る

生の 生得 言 語

innate

 

language

の 主

が な さ れて い る点, そ して , 生得 言語 は 「 ア ー リ ヤ の 言 葉」 で あ る と言 明さ れ てい る点 , 野蛮人 (ム レ ッ チャ

葉 と対 比 し て 「ア ー リヤ の 言葉」 が 言 及 さ れ る点で あ る(24)。 本 稿で は, こ れ らの 特徴 を具え た言

を 「アー リヤ

論」 と呼ぶ こ と とす る。

 

アー リヤ

語論

が上座 部 大 寺 派の 独 占物で はなか っ た とい う事実は, その成 立

事情

を考える上で極 めて重要で あ る。 アー リ ヤ語 論は, 五 趣に わた る衆生 すべ に 同一言語が広まっ て い ると

くた め, 仏 教 外で はな く,

教 内で 流 通 して い た言 説で ある。 さ らに, ス リ ラン カ か らシ ーハ

語註釈

一切 有

(7)

      上 座部大寺 派のパ ーリ語主義       

39

部に もた らされ た可 能

えに くい こ と(25), そ し て,パ ー で編 纂 さ れ た大 寺派の 註釈 を 『阿 毘

』 を

承 した毘婆 沙 師が

は ない こ (26>か ら

判 断

す るな ら,大

派が ア ー リ ヤ 語 論を

り, そ れ を有 部 が

受容

した とい う可能 性 を想 定す る必要 は ない 。 した がっ て, ア ー リヤ語 論 は イ ン ド本 土の 仏 教で成立 して ス リ ラン カの大

派はそれ を受 容 した と

え られ る(27)。

 

仏 教 ラ ン カの大寺 派が受 容 し た」 とい う場

, イ ン ド本土 の 仏 教 内に何 らか の 形で ア ー リヤ語

が 生 まれ, そ の共 通 起 源か ら そ れ ぞ れ

有部

と大

寺派

播 し た とい う可 能性 と, 説 一切 有 部 ー リヤ 論を作り, それが直 接また は間 接にス リ ラ ン カの 大寺 派へ 伝わっ た可 能

と を 想定 しうる。

有部

にあっ て 大

派に ない 要素 と大寺 派にあっ て

有部

に ない 要 素がそ れ ぞ れ あ るか ら,現 段 階で は前者の 可 能性が高い と思 わ れるが ,い ず れに して も, イン ド本 土か らス リラン カヘ リ ヤ語 論が も た

代の下 限は五世 紀 初頭で ある。

4

新層

と し

て の

仏典

言 語

一 パー

註 釈

成 立

 

説一切 有 部 文

の ア ー リヤ

語 論

に は大 寺 派の パ ー 語 主 義

特徴

一切 衆生の 生得 言

に か ん す る言 説

し か確 認で き な い こ と か ら, 大

派 は イ ン ド本 土 由来の アー リヤ語 論に対 して第二 の特 徴

仏説の 承 に ふ さ わ しい 一 の 言 語 とい う主 張

け加えてパ ー リ形 成 とが か る。 つ ま り,大 寺 派 は, 大 陸か らア ー リヤ 語 論を継承 しつ つ も,独 自に, パ ー リ こ そが仏 説 (三蔵 )の伝 承に ふ さわ しい言 語だ と主張し始め たの で あ る(28)。

 

派の パ ー 語 主 義 , 四世

編 纂

さ れ た 『

Dipavamsa

』 に は見 当た ら ない の に対 し, 五 世 紀の パ ー リ註 釈 文 献で は広 く支 持 され るか ら, 五世 紀 初 頭に盛ん に主張され

め こ とが

か る。 ち ょ うどこ の 時期か ら 上

座部

寺派

がシ ーハ ラ語 伝 承 され

パ ー 集 中 的

し直し た とい う歴 史 的 事 実 と併せ考え る な ら, パ ー リ

(8)

 

40

       パ ーリ学仏 教 文化 学 パ ー 註 釈 の編 纂 との 関係を検 討 し て お く必 要があろ う。 パ ー リ註 釈 文 献の

ま え(29), 膨 大な 三 蔵註 釈の 中で も最

編 纂

さ れ た 註釈の 文 を取 り上 げて 考 察 しよ う。

 

まず, 律の註 釈文 献の 中で も最初に パ ー リ語で編 纂され たの は,

Samanta

pdisdidikd

であ る。 本

文は次の よ うに説 く。 し か し, こ の註釈は シ ーハ

言語に よっ て 作 成 さ れ た か ら, 島外の 比 丘 た ちに は

の 利 益 も得 られ ない し た がっ てブ ッ ダシ リヴァ ヤ長 老の

註 釈 執筆の 〕 依頼 をあ りあ りと思 い しな が ら,

〕本

文の

方法 に ふ さ わ しい Go)註 釈 を 今 や 私 は 〔書き〕

め よ うく31)。

 

経の 註 釈

文 献

で も

最初

にパ ー リ

編纂

さ れ たの は, 長 部 註で ある

Sumangalavila

’sini で あ る。 本 書の

序文

部 註で あ る

PapaficaStlOfani

, 相

応部

註で ある

saratthappakjsini

, 増 支 部 註で あ る 躍 伽 o厂o伽 砂rα厘 の 各 序 とほぼ同

で ある。 その 四書は, い ずれ も次の よ う に説 く。 私はそ れ

註釈

か らシ ーハ ラ語を取 り除い て, 心

ばしい

方 法に ふ さわしい, 欠 点な き言

(32)に

結 集 した

長 老の系 譜を 明 らか に し, と て も微 妙 な定 説を もつ , 大

に住 む 長老た ちの 宗義に 背かずに 善き人が 満足 するため に, ま た 法 が永 く と ど まる た め に , 反

して伝承 さ れ た意 味を捨て

同じ註 釈 を繰 り返 さずに

, 意 味を私 は明らかに し よ う(33)。 論 藏の 註釈最初 に編 纂さ れ たの は, 法集論 註で ある

Atthasjlini

で あ る。 本 書の

序文

は次の よ うに説 く。

(9)

      上座 部大寺 派の パ ーリ語主 義       41 そ れ

シ ーハ ラ

語 註釈 )

か ら , ス リ ラン カの 住 民た ちの 言

を取 り除 き , 聖

〕方

法に したが っ た,

りのない言

に載せて, 他

派の 意 見 と混同せずに, 混乱せ ずに, 大寺に住む

た ちの定 説を 明 らか に しつ つ , 阿含の 諸註 釈か ら も取るべ き は

, 見 識 ある

た ち を

足 させ な が ら,

は意 味を明らか に し よ う(34) 。

 

こ こ で 執 筆動 機 と して海 外

教 が

律註釈 (

Smp 下線部 )

言 及

さ れ る こ と は先 行 研 究で た び た び取 り上 げら れて い るが(35), 海 外 布 教だ けで は シ ー ハ 語 註 釈を翻 訳す 理由に は も, なぜ 当 時

ア ジ アで 普 遍語 とな りつ つ あっ た サン ス ク リッ ト

語 (

詳細

第 5 節 )

で は な く, パ ー リ語を選ん だ の か とい う問

に は

え ら れ ない。 む しろ, こ こ で注

すべ きは, これ ら 三蔵 註釈それ ぞ れの 冒頭で定型 的 な

現が

り返 さ れて い るこ とで あ る。 い

れ も, パ ー リ語

編纂

言 及

, パ ー

を 「聖

伝 承

方 法に ふ さわ しい 言 語

Sv

, 

Ps

, 

Smp

, 

Mp

, 「

方法 したが っ た言 語」

Asl

と呼び ,パ ー リ

釈を 「

蔵〕本

文の

伝 承

方 法に した が っ た註 釈」 (

Smp

) と呼んで い る の で あ る。

 

第二 に お い て指

した よ うに, 三

に対す る

諸註

釈に先ん じて 編

さ れ た 『清浄 道論』 で すで に パ ー リ

主義が成立 して お り, 「 」 → 「蔵 註 釈

編纂

」 とい う

先後関係

は明

だか ら, 「 ー リ

こそ三 蔵の伝 承 方 法に合 致 し た言

であ る」 とい う趣

文句

がパ ー リ

してい る こ とは間違い ない 。 五世 紀に お けるパ ー リ語主 義の

揚 こ そ が, ま さにパ ー リ語に よ る註 釈編

を促した こ とが

か る(36)。

 

パ ー リ語 主 義 , 五 世 紀以降も, 複 註, 史書 やパ ー 文 法 学(37>に継 承 れてい く。 『小 史

Cullavamsa)

』 は, 十三世 紀 に編 纂 され た ブ ッ ダゴ ー

記に おい て,パ ー リ

で の

註釈

編纂

を以下の よ うに描 く。

(10)

42      パ ーリ学 仏 教 文 化 学

 

その

ブッ ダゴ ー サは

すべ ーハ

註釈

 

全て の 者た ちの

根本

であ るマ ガ ダ語に訳した。

 

生類のあ らゆ る言語の に あっ て それ (マ ダ語 )利 益を もた らす   もの ,

 

すべ て の 上座 部の 師た ちは

文の よ うに そ れ を受け止 め た (38)。

 

こ こに,パ ー

 

切衆 根 本 語 あ り

 

三蔵 に合致 した言 語で あ る, とい うパ ー リ二 つ の 特徴を見て取れ よ う。 大 寺 派は五 世紀に

立 したパ ー 後 も守 の で

5

. パ ー リ

語 主 義 と

サ ン ス

リッ ト ・ コ ス モ

リス

 

寺派

でパ ー リ興 起 した時期 , 南ア ジ ア と東 南ア ジ ア で は, サ ン ス ク リッ ト を

遍 語

universal 】anguage ) と して用 い る 国 際 空 間 , サン ス ク リッ ト ・コ ス モ ポ リス が 南イン ド と東 南ア ジ ア で 急速に 広が っ て い た 婆羅

の 聖

過 ぎなか っ た サ ン ス ク リッ トが, 四世 紀に ガ ン ジス 河流 域に 成 立 し た グプタ

に お い て行 政の 言 語 とし て採 用されて 知 識 人の 公 用 語と な っ た こ とに

っ て,

イ ン ドや東 南アジア に お い て も文化 的 覇 権 を確立 しつ つ っ たの で ある〔39)。

Sheldon

 

Pollock

が 一 連の研 究で詳 論 し た よ うに, サ ン ス ク リ ッ ト ・コ モ ポ リス の カー ヴ ィヤ作品が 盛ん に

られ ,『マ ハ ーバ ー ーマ ーヤ ナ とい う二 大叙 事 詩が 広ま り, ヒ ン ドゥ ー教 や大 乗仏 教が広 まっ た(40)。

 

ス リ ラン カも例

で は な かっ た、

Heinz

 

Bechert

に よれぼ, こ の 島に は

く の サ ン ス ク リッ ト文 献が も た ら さ れ , ま た作 成 さ れ る よ うに なっ た(41)。 大

寺派

に おい て も,遅 く と も六世紀に はサ ン ス ク リッ ト文 献 を著 す学 僧が

れ て い た(42)。 『積 経

』 『三 身 讃』 『二 万五千頌般 若 経』 『宝 篋印経』 『金 剛頂 経 』 とい っ た多 くの サ ン ス ク リッ ト経 典が ス リ ラ ン カへ れ , 大 寺 と拮抗 して い た無 畏 山寺 や祇 多 林寺 はこ れ ら経 典を積 極 的に受容 して い た  。 サ ン ス ク リ ッ ト ・コ ス モ ス の

に ス リ ラ ン カ に も

(11)

上座 部大寺派の パ ーリ語主義 43 て い たの で ある。

 

こ の サ ン ス ク リ ッ ト ・コ ス モ ポ リス とい う観点 を導入 して, 大 寺 派 の註釈 文

を調 査 するな ら, 五世紀 前 半に興起 したパ ー リ語主義が果た した歴

割が見えて くる。 まず, 五世 紀の 時 点で, ブ ッ ダゴ ー サ をはじめ とする大 寺 派の 註 釈 家たち は二 大 叙 事詩が人々の 間で流 布 し て い る状 況を批 判 的に捉 えて い た (44)。

らは, 不 善の 一 , 「不 綺 語

samphappalapa )」 を註 釈 し て 「バ ラ タの 戦 争 やシ ー タ ー の誘 拐 な どの 無 意 味 な物 語を好む こ と と, 同

物語

るこ と(45>」 を挙 げ(46), ま た, 「

悪 し き学 識

とは, バ ラ タ族の 戦

や シ ー タ ー の

誘拐

な どに

す る

学 識

で あ る

(47)」 と

註釈

す る  。 さ らに, 「如 来 戦 争 ー タ ー 誘 拐 よ うな出離 しな 語 を説か ない (49)」 と断 言 して い る。 こ うし た二 大 叙 事 詩に対す る否 定 的 言 及がパ ー リ註釈 文献に頻 出す る こ とか ら, 大 寺 派の 註釈 家た ち が二 大叙 事

判 的 だっ たこ とは

い ない 。

 

さ らに,パ ー リ

主 義

標榜

した大 寺派 におい て は, サ ン ス ク リッ ト語で

仏説

承 するこ とは

め られ な かっ た。 その

萌芽

はすで に 五

世紀

確 認

で きる。 ブッ ダが 「

仏説

〕韻律

よ う

chandaso  

aropema )

」 と 述べ た者たち を叱 り, その 行 為を悪 作の 罪に定め て 「 の 言 葉で (sakEya niruttiya

仏 説を伝え る よ うに説い た律 蔵 の一節(5 )

註 釈 翫 〃〜α ρδ罐 漉 版 は次の よ うに註 釈 する。

我々 は

仏説

〕韻律

(51)に

せ よ う

とい うの は, 我々 は ヴェ ー よ うに サ ン ス ク リッ ト

の 読 誦 方 法 に 載せ よ う

とい 意 味で ある

自らの 言葉 によっ て》 とい うこ こ に お け る自らの 言 葉 とい うの は,正

等覚者

に よっ て

かれた類の マ ガ ダ語で ある(52) 。

 

律 蔵 本文を踏ま えれ ぼ, こ の註 釈が サ ン ス ク リッ ト語に よ る仏説の 伝 承を

けて い るの は明 白で あ ろ う。 三蔵 註 釈で は同様の 文 章は他に見 当た らない が, 八

世紀

大寺派

のパ ー リ

, “

仏説

を サ ン ス ク リッ ト

(12)

 44      パ ーリ学 仏 教 文 化 学 承 して は な らない ” とい う響き を一層 強 く奏で て い く。

 

八 世紀頃に活躍 した学 僧, ア ーナ ン ダ(53)は,『分 別 論 註』 に対す る註 釈, 『論 複 註

 

Vibhangamu

latikdi

』 を著 した。 本 稿

で 引用 した と お り, 『分別 論 註 』 は もっ とも まとまっ たパ ー リ語 主 義が

て くる註

だ が、 サ ン ス ク リッ ト語に は言及 して い なか っ た。 そ れ に 対 し, 『分 別 論 複 註 』 に おい て は サ ン ス ク リ ッ ト語 とパ ー リ語 とい う二

立 が 示 さ れ, サ ン ス ク リ ッ ト語で 仏 説を伝 承 して は な ら ない とい う主が次の よ うに 打ち出されて い る。

《自

然 な言 葉

とはマ ガ ダ語意 味さ れて い る か ら , そ れ 以外のサ ン ス ク リッ トの 名詞な どの 音 声を指して

で は他に

と説い た。

中略 :筆 者

サ ン ス ク リ ッ ト語を知 るこ と は, 分

礙 解 )

用 で は な い とい う意 味で ある。

略 :

筆 者 )

〕牙 象本

岡 』 『

鷓 鴣本

生 (SS)』 な ど に お い て ,畜生の 中にもマ ガ ダ語が 遍 く広 まっ て い る。 オ ッ タ語 な どの言葉や サ ン ス ク リッ トはそ うで は ない (56)

 

十二 世 紀 に な る と,パ ラー ク ラマ バ ー フ ー世の 下, ス リ ラ ン カ の 仏 教 僧 団は, 実

的に大

心に

和合

し, 無

祇 多林 寺

承 してい た サ ン ス ク リッ ト経 典は 「非 仏 説 と断 じ られ た(57> ま さに こ の パ ー ク マ バ ー フー世の 命に よ り,学僧,サ ー リプッ タ は 『律 綱 要 註

vanayasaitgaha

一 θ励 盈 α’肋 =

Pdilimuttakavinayavinicchayasahgaha

を 著 し た (58) 本 書 に お い て らサ ン ス ク リ ッ ト

学 者

で も あ り な が ら, サ ー リプッ タ は前 出の

Samantapdsa

diha

を踏ま えて次の よ うに説 く。 《比丘 た ち よ, 仏 説を韻 律 に載せ るべ きで は ない 。 も し載せ る

が あ れ ぼ, 悪 作に 堕ち る。 比丘 た ち よ, 自らの 言葉 に よっ て 仏説を学ぶ こ とを 認め る》(59> う言葉か ら , ヴェ ー ダの ように, 仏 説をサ ン ス ク リッ ト 語 に お ける読 誦の 方 式に載せ るこ とは正 し くな く,

《〔

ブ ッ ダ 〕 自 らの

(13)

      上座部 大 寺 派の パ ーリ語主義 マ ダの

言 葉に よ っ て

学ばれ るべ きであ る(60>。

45

 

ス リラ ン カで は, サン ス ク リッ ト

の波 に

わ れ なが らも, 仏教 界 を統 一 した大 寺 派がパ ー リ っ てサ ン ス ク リッ ト

典を斥け た た め, サ ン ス ク リッ ト

が 世俗の 教

養語

, パ ー 言 語 役 割分 担を し

共存

す る よ うに なっ た(61)。 大

寺派

がパ ー

した

結果

, こ の

で は, イ ン ド

土 とは異な る言

状 況が 生 ま れ たの で ある。

6

結    論

  グプタ朝で 生 ま れ た サ ン ス ク リ ッ ト化の 波が 南ア ジア と東 南ア ジ ア を覆い っ つ あ っ た 五世 紀 ス リラ ン カの上 座 部大寺派 は イ ン ド本 土 の仏 教 か ら 「リ ヤ

語論

」 を継承 しっ っ も, そ れ を改

して 「パ ー リ

を打ち 出した。 大寺派 は, 一

生 が本 来 ー リヤ とが き た と う言 説 を説一切 有 部 と共 有す る一 方で, 「根 本 語 」 を 「マ ガ ダ語 す な わ ちパ ー リ語に限 定 して , 仏説の 伝 承に ふ さ わ しい の はパ ー み で

主張 し たの で ある。 こ の パ ー 高 揚に よ , 五世 紀大 寺 派 と も とシ ーハ ラ語で伝 承 されてい た註 釈文 献をパ ー 編纂 した

 

世紀

,パ ー リ

, サ ン スク リッ ト

仏説

承 して は な ら ない とい う主張を も伴っ て,当 時サ ン ス ク リッ ト ・コ ス モ リス の下で ス リ ラ ン カに々 と もた ら され てい た サ ン ス ク リッ ト経典 を斥ける理論 的役 割を 果た し, パ ー

し て の

け た 。 大

統の

三世紀か ら十 五 世紀に か けて

東南

ア ジ ア大 陸

に 進

し,パ ー リ仏 典圏 を形 成 した そ歴 史(62)に鑑 み れ ば, 五世 紀か ら 十二

に わ たっ て大

寺派

のパ ー リ

が果た した歴

役割

め て大 きい

C63

(14)

46 パ ーリ学 仏 教 文 化 学 注 (

1

) 草稿や 囗頭発表に関し て貴 重な御 教示を賜っ た森祖 道先 生,林 隆嗣先生,桂 紹 隆   先生,お よび,八 尾史 ,岸野 亮示,柳幹 康,.色 大悟 ,佐々木 淳 也,保 子 昌徳の各

 

 

氏に感謝い た し ま す。 言う まで も な く, 本 稿の責任は筆者にある。 (

2

) パ ー 言 語 的特 質つ い て は, [von  HinUber l 994:62−75177− 194]参照 ま   た, 言 語の固 有 名詞 とし て 「 」 とい う呼称が 成 立 す る過程に つ い て は,   [Crosby 2003亅[馬 場 2015:17− 191 参照。 (

3

1

村 上 ・及川

1990

162

174

, 440 −4481 [

Cellins

 l 

998

:46−50】[古 山 2003][Skilling 2010:   10− 15]

4

Vibh

−a 

387

388

:m 巨t巨pitaro 

hi

 

daharak51e

 kum 巨rake  mafice  v 翫 pithe v 五 nipajj 五petv五tam

  ta叩 kathayam 巨n巨t巨ni t巨ni kicc巨ni karonti. dfirak巨tesa talp tarp 

bh

夏sa【p vavatthapenti

  i皿 in蕊idalp vuttaM  imina idarp vuttan  ti. gacchante gacchante 

k51e

 sabbam  pi 

bh

互sam

 

jananti

. mata  dami1i pita andhako tesa

jfito

 

darako

 sacc  mfitukatharp  pathamam

  suロ亘ti, 

damilabh

亘sam  

bh

亘sissati . sace  pitukathalp pathamalp suロ巨ti, andhakabhasam

  

bh

五sissati. ubhinnam  pi pana katharp assupanto  m 巨gadhabh盃sarp bh5sig. sati. yo pi agAmake

mah 巨ra簡 e nibbatto  tattha afifio kathento n面ma  natthi  so 

pi

 attano  

dhammat5ya

 vacana 【

sam

h

pento m 五gadhabhasam  eva  bh互sissati . niraye  tiracch 盃nayoniya  

pettivisaye

manussaloke  devaloke ti sabbattha  magadhabhasfiva  ussann 亘.

taandhakayonakadamilabh2s 盈

dik

互attharasa  

bh

巨sS parivattanti. ayam  eve

brahmavohEraariyavohSrasafikh5t

五m 巨gadhabh 五s五 na  parivattati.

tepi婁akalp 

buddhavacana

tantilp aropento magadhabh 訌saya  eva  aropesi. kasma ?evafi

tattha sesa  ottakirE

    

k

yathEbhucca − samm 巨sabudclho  

pi

  hi attham 亘haritum sUkham  hoti. magadhabhas 互ya 

hi

 tantim 巨rulhassa  

buddhavacanassa

  patisambhid互ppatt巨na 卑 sotapathEgamanam  eva  papafico. sote pana sahghaqitamatte  yeva

  nayasatena  nayasahassena  attho upatth 五ti. afifi巨

ya

 

pana

 

bhAs

ya

 tantirp巨ru1harp  

pothetv

  

pothetVa

 uggahetabbarp  hoti. bahum  

pi

 uggaherva  

pana

 

puthujjanassa

 patisarnbhidapPatti

  n巨ma  natthi ariyasEvako  no 

patisambhid

ppatto nma  natthi

5

> [森 1984:

991

6

Vis

 

441

−442:

dhammaninlttisafifiit

五ya sabhavaniruttiya  magadhikaya  sabbasattana

  mUlabhasaya

(7 > Ud −a l 38

, It−a l 26, P重s−a 1 5: msgadhik 亘ya sabbasatt5n5m  mUlabh 盃sEya

8

Sammoh

αvinodani の該 当部 分 (

pp

.387− 388)の ほ ぼ 同文が Patisambhiddimagga の

 

 

註釈で ある

Saddhammappakdisini

(pp .5−

6

)に も説かれる。   五世 紀 後 半に漢 訳 さ れ た律 註釈 ,『善見 律 毘婆

』 (Tl462 ,721b )に おい て も,

  「安 陀 羅彌 國語

(15)

上 座部大寺 派の パ ーリ語主義

47

 

して い る か ら,パ ー語主義が 五紀前立 し な く

, 後代に

 パ ーリ註釈 文献へ 付加 さ れ た可能性を想 定す ない

QO

)有部が サン ス ク リッ ト仏典を伝承 して いた こ とは諸 資料が一致 し て証言して い る

  [

Yuyama

 

1980

][

Sander

 

1985

] {

Voge11985

】[Ruegg l 985]。 (

ll

) 『高 僧 伝 』 と 『出三蔵 記集』 巻二 は ともに

437

年か ら439年の翻訳を証 言して い る

 

のに対 し,『 』 巻十に収 録さ れ る道挺 撰 「毘 婆 沙経 序」 で は425 年か ら  427 年 と証 言 して い る [吉川 ・船山 2009:250 −26】】 (12Tl546, 28 .48a22 −

25

;言語云何。 答日。 初生未受 苦痛 時,盡作聖 語。 後受 苦痛 時,

 

雖出苦痛 聲, 乃至 無有一言 可分 別者 ,但有 打棒壞 裂之聲。 (

13

) Tl546, 28.48b:言語云何。 答日。 世 界初 成 時, 一 罵生盡作聖語。 後以飲食 過 患  時世轉 惡, 諂曲心多,便有種種 語, 乃至有不 能言者 。 矼

4

Tl546

28

48c

;言語云何 。答日 世 界初成 ,一切衆生盡作聖 語 。 餘如先 説。  

 

T1546,28 .49a;言語云何。 答日。 世界初成 時 。盡作聖語。 餘如 上説。

a6

Tl546

, 

28

49c

:言語云何。 答日。 盡作聖語。

  

諸天が み な ア ー リヤ 語を話す とい う 主張 は 『倶 舎 論 』 に も継 承 さ れ る。

C

£   AKBh  

170

 

Tl559

29217c

, 

T1558

, 

29

60b

.  

 

パーリ対 D 27 Aggafifiasuttaで あ る。 (

18

) 『阿毘 曇 毘婆 沙論 』 の四 天 王 説話 (Tl546 ,

28

306c

306a

)は, 尸 陀槃尼撰 『稗婆

 

沙 論』 (T1547 ,

28

482c

483b

)に も, 玄奘訳 『大毘婆沙論』 (Tl545 ,27 .410a−c)に

 

も対応箇所が確認で きる。 玄 奘訳の み 「 毘奈耶 説」 と述べ て律か らの引用である こ   と を示す。 〔佐々木 2000: 88]参照 。 (

19

) Tl546 ,

28

306c

:佛以聖 語爲四 天 王 説四諦。 二 解二不 解。 佛欲 饒益 憐愍 故復 作陀 毘  羅語説四諦。 謂伊彌 彌禰踰被 陀踏被 。二不 解者, 一 。 世尊 欲饒 益憐 愍故 作

 

彌梨車 語説四諦 。謂摩奢兜奢僧奢摩薩婆 多毘羅緻 。是 名苦邊。四皆得解。

  

なお, 同様の趣 旨が簡 略に別の箇所 (

398a

)で も触れ ら れて い る  

 

同様の 四 天 王説 話は説一切 有 部の文献 『十誦律 』 (T1435 ,

23

193a

)や 根 本 説

 

一切有 部律のチベ ッ ト訳 『薬 事 (sDe  

dge

:’Dul・ba・Ga36b ) 確 認で き る

。 後 者

 の 該 当部 分 の和 訳が [八尾

2013

:563】に ある。 [山 田

1959

478

4841

Lamotte

 l 958

 

607

610

】[Schmithaus。n 

1987

315

317

]参照。

21

) [

Chung

 and  

Wille

 2002:121】[Dutt 

l

 

984

258

][

Clarke

 

2014

232v

 

mukhabahUrupajj  finfim 

y2

 

loke

 

jatayo

 

bahih

 

1

  mlecchav 五cげ1yav 訌oo v5 sarve  te dasyavab sm

b

 1〆10.

45

 

Olivelle

 2005:819 ]

  

の世で,〔ブラ フマ ン の〕口, 腕, 腿,お よ び 足 か ら 生 ま れた者た ちの 外側に

 

身分集 ジ ャ ーテ ィ)は,蛮族 (ム レ ッ チャ )の言葉を語ろ う と,ア ーリ ヤ

(16)

48 パ ーリ学仏教 文化学  

 

旧訳 と違い 新 訳で は ダス ユ やム レ ッチャ の人々 は正性離性に達 しない と ま で

 

述ぺ ら れてい る (T1545 ,27 .868c)。 こ こ まで くる と, 「リ ヤ 人 至 上 主 義 」 と呼  ん で よ か ろう。 四

 

パ ーリ註 釈文献におい て も,アーリ ヤ の言 葉は アーン ラ語や タミルと対 比さ  れ る。

  

Smp  I 255:tattha ariyaka nfima  ariyavoh5ro  

Magadhabhtisfi

. mitakkhakapa  nEma  yo

 koci anariyako  Andha −Damiladi,

  

ただ し, 第二節で示 したよ うに,パ ー リ註 釈文献 , パ ー リ語は詞無礙智の  象 と さ れ,聖者が獲得する認識の 内容で あ り,パー リ語 を 学ばずに解 脱す る こと は

 

あ り えないため,ariyavohara とは 「聖者の法」 「聖 なる語法」 を意 味する よ うに  なる。 した がっ て,その場 合 は,有 部文 献と 「アーリ ヤ の言葉」 の意味が 異 なっ て   くる。  

 

第4 節で 引用する Smp の序は シーハ 語の 料 が島外の 人々 に は通 じない こ と  を述べ て い る。  

 

阿 毘曇 毘 婆沙 論 』 の漢訳年代 か ら判 断 して , パ ー語 註釈 文編纂さ れる 以  前に説一切有 部に おい て アーリ ヤ語論が確立 してい たこ と は 明白であ る。    アーリ ヤ語論は,イ ン ド起 源古資料 を 経て パ ーリ註釈に収録さ れ た可 能性 と,

 

五世紀の註釈 家た ち が イン ド本土の仏教か らアーリ ヤ語 論を受 容し た 可 能性を 想定   で き る。 圏

 

パ ー主 義の第二 の特徴は もと も とス リ ラン カ成立 の シーハ ラ註釈に記され

 

て いた可能 性と,五世紀の註釈 家た ち が 新 たに主 張し姶め た可 能性を想定し うる。  

9

)  [森

1984

92

− 104}  

 

複 註によ れ ば,「本 文 方 法に ふ さ わ し註 釈 」 とは,パー リ語に翻 訳す るこ と   を指し て い る。

  

5ど7厂σご’乃oワα η財沈δ(

Chatthasa

血gayana edition)I

 

l 

9

;pdilinaアδnurtipan  ti P五

linayassa

 

anuriipa  karv巨 mEgadhabh 巨sEya  parivattitv盃 ti vutta 叩 

hoti

3D 

Smp  2;sava 卿 ana  siharadlpakena  vakyena  es互 pana sathkha 寒atta !na  kifici attharp

 abhisambhu   ti 

dipantare

 

bhikkhujanassa

 yasm巨!

f8

〃tasmE imarp 

pfi

且inayfinuruparp

 sava ana d巨ni samErabhissam !ajjhesanam  

buddhasirivhayassa

 therassa samm5

  samanussaranto 〃9〃

 

複 註は 「心 喜ば しい 言葉 は 「マ ガ ダ語」 す なわ ちパ ー リ語だ と註釈 して い

 る。

  

Sv

t

 

1

 

25i

〃manoramapa  

bhdisan

 ti MagadhabhEsarp .

  

他の複 註 (Ps−

t

, 

Spk

t

 

Mp

t

)も 同文で あ る。 (

33

)Sv I 1

,Ps I 

1

Spk

 

I

 

l

(17)

上 座部大寺 派の パーリ語主義 49

  sa

1tantinay

瓢皿ucchavika 叩 訂opento  vigatadosa

118

〃samayarp  avilomento  theranarp

  theravamsappadipfina 叩

1sunipu

りavinicchay 五nalp  mah5vihEr5dhiv 巨sinam !!9〃 hitv互

  

punappunagataip

 attham , attham  pak訌sayiss 盃mi !sanassa  ca thattha ciratthitatthafi ca

dha

  assa !!

10

 

Atthasa−

lini

 2apanetvana  tato 

bhffsarp

 tambapappiniv sinalp ropayitv niddosa

  

bh

亘san  tan重inayanuga 1!15〃 Nik 巨

yantaraladdhihi

 asammissarp  anakularp 〆

  

Mah

互vih互rav温sinarp  

dipayanto

 vinicchayarp 〃16〃attharp  

pakdSayiss

互mi  EgamaUhakath 百su

  

pi

gahetabbarp

 gaherV巨na  tosayanto vicakkhape 17〃

 

 

[村上 ・及川

1990

440

447

]【v・n 

HinUber

 

1

 

996

103

,§

208

][

Skilling

 201012− 14 樋 これ まで の先行 研 究に よ れ ば,ジ ャイ ナ教 文 献に 「根 本 語 」 に 当た る思 想、はな   か っ たよ うで あ る[

Skiliing

 

2010

:note  

36

ま たャイ ナ教 白衣 派で は,聖典が ア   ル ダ ・マ ーガ デ ィ ーで伝承された のに対 し, 多くの 註が サ ン ス ク リッ トで執 筆さ   れた その点で 三蔵 と三 蔵註釈の両 方をパ ーリ語で伝承 する大寺派とは大 き な 違   い が ある。

37

)Padarfipasiddhi(

Chalthasafig

yana edition )41:M 巨

gadhi

 mUlabh 蕊sa,

 

 

Cullavamsa 

Ch

37

:parivattesi sabba  pi sthala4hakath 巨tadfi!sabbesalp  mUlabh5s 互

ya

  

m 五gadhSya niruttiya  /f244〃satt巨na  sabbabhas 互narp  s五 ahosi  

hitavaha

 ! theriyatcariy互 sabbe

 palim viya  tam aggayha 1〃

255

 

 

南イン ドで は五 世紀にデ カ ン 高原で サ ン ス ク リッ トあ碑文が現れ,さ らに 各地

  

へ 広まっ て いっ た。 日本で早 くか らこ の問題を扱っ た研 究成果 として , [山崎 1977]   は注目に価す る。   ω 幽     て   及さ れ る。

 

 Sv

 

I

 

76

, 

Ps

 

I

 

201

Spk

 

II

 

148

, 

Nidd

−a I 

449

, P‡s−a I 222, Asl I OO: bhCtratayuddhasTtEharaロE−

  

diniratthakakathEpurekkhfirata

 tatharOp工

kath

kathanan

 ca.

  働 鰌     [

Pollock

 

l

 

996

][

Pollock

 2006 「Bechert 1998] Bechert 

2006

][西

20131

Cousins

 

2011

] 【馬場

2011

] 閻浮 洲 (Jambudipa )で は街に おける集 会 などに大勢の人が集まっ て,お金を払っ

  

ヤ ナ 』 な ど を語 らせ る こ とがパ ー註釈 (Sn −a 300 , Khp −a ll8)で言

See

 also 

Asl

 

lO2

, 

Pts

−a I 224 ,

Vibh−a 490 , 

Nidd

−a I 209;pOρakarp  sutan  nama  bharatayuddhasit巨hara

dipatisamyutta

See also Sv I 89, Ps III 222 , 

Spk

 

III

 294 Mp  V 45 Nidd −a I 393 .

Sv

 

III

 

g

 

l

 

4

bhEratayuddhasTtaharapasadisa

aniyy巨nikakatharn  tath巨gato na  kathenti.

Vin

 

II

 

139

. 

IBrough

 1980]は salttiya niruttiya ’を 「地の 言語で 」 と解 釈する。

(18)

50

パ ー学 仏 教 文化 学

51

)chandaso の.該当部分は 『五 分律』 で は 「外書語」 (T1421 ,22 .174b),『四分 律』 で   は 「外道 」 (T1428 ,22 .

955a

)とあ り,概 し て 「外道の 言 葉」 と理解 して いた よ

  

うに見え る。 [

Brough

 

19801

は主に これ ら漢 訳 に基づ い て chandaso を 「ン ス ク リ   ト語で」 と解 釈 す る。 そ れに対 し、 義 浄訳 『根 本 説切 有 部 毘 奈耶 雑 事 』 は 「歌  詠 引 声」 (T1451 ,24 .232c ),チベ ッ ト訳の根 本説一・切有 部律の 『雑事』 で は 「韻 律

  

(sdeb  sbyor ) (Dcrge Tha71b )とあっ て chandas を韻 律 と理解 して い たこ と が分か

  る。説一切 有部の 『十 誦律』 で は 「外書音声」 (T1435 ,23.274a)とあ り,前 者の理

 解 と後 者の 理解の 中間に ある と言えよ う。 本稿に お ける律 蔵 原文の訳は, 後 者の理

  解に従っ て,あ えて 「韻律」 と直訳 する。

52

) Smp  VI l 214:c加ηぬ30 西πeη2δti veda 叩 viya  sakkatabh 五s 言ya v巨can 互magga 叩 誑opema .

 sakdya  nirztttiyδti ettha sak巨nirutti n巨ma  sammtisarnbuddhena  vuttappakaro  magadhiko

  voh 五ro. 帥 ハ 刃 萄 啣 価 伍 依 )

6

[Malalasekela 1937:270 −271亅 丿

b

−taka 

No

.514 , 

ChaddantajEtaka

Jδ∫αんoNo .37 TittirajAtaka

Vribha

gamtilatikj (

Chatthasa

gayana edition

192

:sabhd ソanirutti  ti m 巨

gadhabhasa

adhippett 巨ti tato afifiarp sakkatan 峩m 互

disadda

sandh 亘ya afifiam  pana  ti aha _ ..na

sakka abhas 勾anana

p

 

patisambhidakiccan

 ti adhippayQ .._chaddantavaranatitthi 向 atak互

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tiracch琶nesu  m 互

gadhabh

盃s巨ussann 互. na oak互

dibh

五s五sakkata v互.

57

) 〔

58

) (

59

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60

C

酉」α ソasa Ch ,78 , w ,20−23:425 −426 . [

Malalasekela

1937

111811

橘堂

1997

51

参 照 。 Vin II I39 .

Pδlimuttakavinayavinicchayasaitgaha(

Cha

tha5ahg

yana cdition )447:ノ>a  

bhik

kave

 

buddhavacanam

 chandas ・ tir・petabbapa . 

Y

・ ar・peyya , dipatti 

dukkagassa

.α 々ηδ川z

 

bhikka

γe sakdiyanirutti j buddhav αcana

pariyapu

  itum ti vacanate  veda πp viya

 

buddhavacanalp

 sakkatabhEs 訌

ya

 vAcan 互maggam  arocetu珥 na vattati, sakfiya 

pana

 m 巨

gadhik5ya

 niruUiyfi  pariy5pupitabbam.

6D

 [Bechert:

1998

1

21

勧 パーリ仏 典 圏の概要は, [馬 場 2015]参照。  

 

拙著 [馬 場2008:155−253 】に お い て ,大 寺 派が 五世 紀前半に構成 と 範 囲の 確定 し   た仏説 (三蔵)の リス トを掲 げ, そ れ が後代まで継承 さ れ たこ と を 明 らか に し た

  

が, 七, 八 世紀に サ ン ス ク リッ ト経 典が ス リラ ン カへ も た ら さ れ た に も か かわ ら

  

ず,大 寺派が そ れ を仏説 と して受容し なか っ た一因 (お そ ら く最も重要な論拠 )が

  

“仏 説はサ ン ス ク リッ ト語で伝 承すべ きで ない”とい うパ ーリ語主 義に あっ たこ と   は言 う まで もない 。

参照

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鈴木 則宏 慶應義塾大学医学部内科(神経) 教授 祖父江 元 名古屋大学大学院神経内科学 教授 高橋 良輔 京都大学大学院臨床神経学 教授 辻 省次 東京大学大学院神経内科学

理工学部・情報理工学部・生命科学部・薬学部 AO 英語基準入学試験【4 月入学】 国際関係学部・グローバル教養学部・情報理工学部 AO

②立正大学所蔵本のうち、現状で未比定のパーリ語(?)文献については先述の『請来資料目録』に 掲載されているが

一高 龍司 主な担当科目 現 職 税法.

【対応者】 :David M Ingram 教授(エディンバラ大学工学部 エネルギーシステム研究所). Alistair G。L。 Borthwick