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南三陸町にみる「地域レジリエンス」試論

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Academic year: 2021

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ここでは 図1 に示すように地震や津波が発生した際に 被害を低減するための 『予防力』 と、 被害が出てしまっ た場合にその被害から迅速に回復するための 『回復力』 とで構成されるとして話をします(林 二〇一六) 。 『予防力』には「強靭化」や「多重化」が重要です。 「 強 靭 化 」 は、 構 造 物 の 強 度 を 高 め て 構 造 物 自 体 の 崩 壊 を 阻 止 す る こ と が 目 的 で す。 防 潮 堤、 道 路、 建 物、 ライフラインなどが対象となります。一方、 「多重化」 はバックアップ機能であり、災害時にAという機能が 不全となったときにそれを補完するBという機能を利 用することで、社会活動を継続させて被災地の早期復 旧に資することが目的です。 地 域 コ ミ ュ ニ テ ィ に こ れ を 当 て は め て 考 え て み ま す。まず、 「強靭化」です。 「強靭化」の対象となる構 造物は家屋以外では公共財が多く、行政や企業の役割 が大きいといえます。一方、 「多重化」は、 災害によっ て断水が起きた場合などを想定した代替機能の準備が 考えられます。ある地域で公共水道に断水が発生した 場合に代替の給水方法を準備するのは行政の役割にな

南三陸町にみる

「地域レジリエンス」

試論

島田

 

和久

はじめに 宮城県本吉郡南三陸町は二〇一一年三月十一日の東日本大震災(以下、震災)で甚大な被害が出ま した。そのなかにあって午後二時四六分の地震直後より、同町の内陸地域では被災者に対する支援活 動を自主的に開始していました。災害発生時において、地域住民の共助が重要であるとの指摘は多く あるものの、災害発生直後に地域コミュニティが実際にどのように活動して被災者支援に貢献したか という点についての分析はほとんどなされていません。 ここでは、震災当時に南三陸町の地域のリーダー(行政区長、自治会役員)をされていた方々へ聞 き取り調査を行って明らかになった震災発生直後の地域活動をもとにして、災害時の地域レジリエン スについて考えていきたいと思います。 地域レジリエンス 近 年、 「 レ ジ リ エ ン ス 」 と い う 言 葉 が、 教 育、 医 療、 経 済、 外 交、 環 境、 自 然 災 害 な ど 多 く の 分 野 で 取 り 扱 わ れ て い ま す。 自 然 災 害 の 分 野 に お け る レ ジ リ エ ン ス の 定 義 は 十 分 に 定 ま っ て い ま せ ん が、 図 1 自然災害とレジリエンス(一般社団法人レジリエンス協会「用語の使われ方」 より抜粋 一部筆者加筆・修正)

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た 。 こ の た め 、 地 域 住 民 は 独 自 の 判 断 で 震 災 に 対 応 し ま し た 。 こ の こ と か ら 、初 動 期 に は 地 域 コ ミ ュ ニティが助け合いながら生き延びることができる よ う に す る こ と が 重 要 で あ り 、 こ れ こ そ が 地 域 レ ジ リ エ ン ス で あ る と 言 え ま す 。( 京 大 他 二 〇 一 二 ) 事例紹介 では、実際に南三陸町の地域コミュニティで震 災 の 初 動 期 に ど の よ う な こ と が な さ れ て き た か、 また、その行動のなかで地域レジリエンスを考え るうえで重要な点は何かを考えていきたいと思い ます。なお、ここで紹介する三つの事例は津波被 害を直接受けていない地域です( 図3 )。 (一)入谷地域(南三陸町大字入谷) 入谷地域は海抜およそ四〇~一〇〇mのいわゆ る 里 山 に 位 置 し て い ま す( 写 真 1 )。 震 災 前 の 入 谷 地 域 は 五 一 八 世 帯( 二 〇 一 一 年 二 月 時 点 )、 一〇の行政区からなっていました。この地域は兼 策は地域コミュニティや個人でも対策が可能でしょう。 りますが、同時に、断水が起きたときに庭にある井戸水を使用するというような対 次 に レ ジ リ エ ン ス の 二 つ 目 の 要 素 で あ る 『 回 復 力 』 で す 。『 回 復 力 』 は 、 地 震 や 津 波によって被害が出てしまった場合にできるだけ短期間で復旧することが目的であ り 、 と く に 復 旧 過 程 が 重 視 さ れ ま す 。 災害時の地域コミュニティにこれを当てはめて考えてみます。震災発生直後に地 域 内 の 被 害 の 確 認 と 対 応、 被 災 者 が い た 場 合 の 支 援( 被 災 者 の 受 入 れ、 炊 き 出 し、 けが人の搬送)などを地域住民が協力して行い、外部支援(行政支援や自衛隊など の公的支援)が届くまで応急的な対応を行うことです。したがって『回復力』では 地域住民が連携することと、迅速・適切に対応することが重要であるといえます。 災害時の復旧過程 ここで災害が発生した際の支援について時系列的に見てみたいと思います 。災害 発 生 か ら 復 旧 す る ま で の プ ロ セ ス は 一 般 に 三 つ の 段 階 ( 初 動 期 、 応 急 期 、 復 旧 期 ) に 分 類 さ れ ま す ( 図 2 )。 こ こ で 、 初 動 期 は 災 害 発 生 後 か ら 公 的 支 援 が 届 く ま で の 三日間程度で 、地域コミュニティが自力で生活を継続することが求められる時期で す 。 震 災 で は 南 三 陸 町 役 場 の 庁 舎 は 津 波 に 流 さ れ 、 多 く の 町 職 員 が 公 務 中 に 犠 牲 と な り 、 震 災 発 生 直 後 は 行 政 機 能 が 十 分 に 働 き ま せ ん で し た 。 加 え て 、 津 波 に よ っ て 道 路 や 通 信 な ど の イ ン フ ラ が 断 絶 し て そ れ ぞ れ の 地 域 が 孤 立 し た 状 況 と な り ま し 図 2 災害時の復旧過程 図 3 調査地域(国土地理院地図より 筆者加筆)

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津波が沿岸部を襲ったという情報を得て、行政区長会会長 は各行政区長に対して米一升と毛布一枚ずつを地区の各家 庭から持ち寄って欲しい、と依頼しました。入谷地域では 昔から災害が発生すると被災者支援のために炊き出しをす る習慣がありました。 各家庭からの支援物資は入谷地区の避難所の一つである 岩沢文化センターに届き、ここで最初の炊き出しが始まり ま し た( 写 真 2 )。 最 初 の お に ぎ り は 当 日 の 午 後 四 時 ご ろ までには地区内の別の避難所 (入谷公民館) に届きました。 その後、支援の拠点を岩沢文化センターから規模の大きな 入谷公民館に移し、炊き出しを行うとともに行政区長会議 を毎日午前九時と午後四時に開催しました。震災直後から 沿岸部の津波被災者が続々と入谷公民館に避難してきまし た。入谷地域の各家庭にも沿岸部の親戚 ・ 知人が身を寄せ、 その数は一世帯あたりで平均二、 三家族となりました。 行政区長会議では、入谷公民館にいる被災者に加えて地 区外の被災状況の情報共有を行い、被災者支援の予定を立 てました。入谷地域では水が豊富に使えたこと、食料備蓄 があったこと、炊事が行えたことなどから、住民たちは被 ます。 業農家が多く、所有する農地で自宅用の作物を栽培してい 水道は背後の山から沢水を引いて使用していますが、 庭には昔使った井戸もあります。炊事はプロパンガスを使 用していますが、昔使ったかまどもあります。風呂は屋内 にありプロパンガスまたは電気を使用していますが、屋外 には古い薪の外風呂もあります。暖房設備は電気や灯油を 使用しますが、物置には昔使った火鉢と炭があります。 次に地震発生直後のこの地区の様子を見ていきたいと思 い ま す。 震 災 発 生 直 後 か ら 電 気 の 供 給 が 停 止 し ま し た が、 水 と プ ロ パ ン ガ ス は 通 常 通 り 使 う こ と が で き ま し た。 また、薪を使って外風呂に入ることも、火鉢で暖を取るこ ともできました。また、畑の土の中には野菜類が保存され ており、自宅の倉庫には前年の秋に収穫した玄米がありま した。この地区では、不便ながらも生活を継続することが できました。 地 震 発 生 直 後、 一 〇 の 行 政 区 の 区 長( ま た は そ の 家 族 ) が 住 民 の 安 否 確 認 を 行 い、 そ の 報 告 が 行 政 区 長 会 会 長 ( 一 〇 人 の 行 政 区 長 で 構 成 す る 区 長 会 の 会 長 ) 宅 に 届 き ま し た。 最 初 の 地 震 発 生 か ら 一 時 間 以 内 だ っ た そ う で す。 写真 1 入谷地域の代表的風景 写真 2 岩沢文化センター

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(二)旭ヶ丘地区(南三陸町大字志津川) 次の事例は旭ヶ丘地区です。旭ヶ丘地区は通称、旭ヶ丘団地と呼ばれる住宅造成地で、志津川の中 心部に隣接する高台にあります。ここは一九八〇年に入居が開始され震災当時は一八五世帯 (一四班) で構成されていました。この地区の海抜は二〇メートル以上あります。 旭ヶ丘団地の住民はほとんどがサラリーマン世帯で、男性が不在の平日の昼間を想定した女性によ る 婦 人 防 火 ク ラ ブ( 震 災 時 の メ ン バ ー は 二 〇 名 ほ ど ) が 組 織 さ れ、 震 災 前 よ り 年 に 二、 三 回 の 防 災 訓 練をしてきました。旭ヶ丘団地では、町の公共水道を貯水タンクにポンプアップして各家庭に給水し ています。また、隣接して精密加工機メーカーの工場があり、この工場の敷地内にも貯水タンクがあ りました。 震 災 当 日、 婦 人 防 火 ク ラ ブ の メ ン バ ー は 午 後 四 時 三 〇 分 ご ろ に は 各 家 庭 よ り 毛 布 と 食 材 を 旭 ヶ 丘 コミュニティセンターに持ち寄り、炊き出しを開始しました。コミュニティセンターにはプロパンガ ス 用 コ ン ロ が 設 置 さ れ て い た の で 震 災 後 も 炊 事 が 可 能 で し た。 旭 ヶ 丘 地 区 の 下 に あ っ た 廻 舘 地 区 ( 八 〇 世 帯 ほ ど が 暮 ら し て い た ) は ほ と ん ど の 家 屋 が 津 波 に 流 さ れ、 コ ミ ュ ニ テ ィ セ ン タ ー に は 廻 舘 地区の住民をはじめとして三〇〇人ほどの被災者が避難してきました。旭ヶ丘地区の各家庭では災害 に備えて四、 五日分の食料の備蓄があったため、その備蓄を持ち寄って炊き出しを七日間続けました。 入谷地区同様にこの地区でもコミュニティセンターで一日二回役員会議を開催し、被災情報の共有と 支援スケジュールを話し合いました。そのなかで、近隣の避難所(志津川高校)で食料が不足してい るという情報があったため、おにぎり数百個を山越えして届けました。 この地区は地震発生後に断水しました。しかし、前述のように旭ヶ丘団地の貯水タンクに水があっ 次 を分けてもらい、再び、炊き出しを継続することができました。 ための軽油を大量に貯蔵しているということを知っていた人がいました。そこで、その酪農家に軽油 とができず、住民が知恵を出し合った結果がこの地域内に住む酪農家でした。酪農家は農作業に使う のは発電機の燃料不足でした。震災の混乱のなか、近隣のガソリンスタンドから燃料の軽油を得るこ 連結させ、精米を行うことができるようになり、炊き出しを継続させました。しかし、次に遭遇した 業用の発電機を精米機に連結して稼働させることにしました。地域住民から発電機を借りて精米機に すが、精米機は電気で稼働するため停電状況では使えませんでした。皆で知恵を出し合った結果、農 収穫した玄米が保管されていました。精米機があればこの玄米を精米して炊き出しを続けられるので が発生しました。まずは白米の不足でした。先ほど説明したように、この地区の家庭には前年の秋に おにぎり二〇〇〇個にのぼる大規模な炊き出しは一〇日間続きましたが、その間にいろいろな問題 災者支援を積極的に行うことができました。 に、 レ ジ リ エ ン ス の 観 点 か ら 入 谷 地 域 の 震 災 の 初 動 期 の 状 況 を 見 て み ま す、 『 予 防 力 』 の な か の 「 多 重 化 」 の 例 と し て、 「 豊 富 な 備 蓄( 水、 食 料、 薪、 炭、 軽 油 )」 と、 「 ラ イ フ ラ イ ン の 代 替 機 能 (かまど、火鉢、井戸水、屋外風呂) 」の存在があげられます。代替電源としての発電機が地域の中で 共用されて精米機を運転させ、炊き出しが継続されたこともこの例といえるでしょう。一方、レジリ エ ン ス の『 回 復 力 』 の 例 と し て、 「 震 災 発 生 後 の 地 域 住 民 の 迅 速 な 行 動 」 と「 地 域 住 民 間 の 連 携 」、 「炊き出しの習慣の継承」があげられます。発電機や軽油を借用できたことは「地域内での情報共有」 であり、住民間の日ごろからのコミュニケーションの賜物といえます。

(5)

歌津地域は山間部と沿岸部の両方を有する地域であることから、山間部(上沢地区など)の住民と沿 岸部(伊里前地区など)の住民が災害時にはお互いに助け合うことが確認されていました。 地震が発生した直後には住民が上沢集会所に自主的に集まってきました。そして、午後四時三〇分 ごろから炊き出しが始められました。この地区もプロパンガス使用のため、地震後にも炊事が可能で した。炊き出しは七日間行われ、一日で最大五〇〇個のおにぎりを避難所(歌津中学校)に届けまし た。各家庭では津波被災者の受け入れも行い、最大で二〇人ほどの津波被災者が身を寄せた家庭もあ りました。 入谷地域と同様に兼業農家が多く食料の備蓄は十分ありましたが、やはり停電のために精米機の作 動が課題でした。そこで、地域内の住民から発電機を借り受けて精米機と連結させて作動させ、精米 を行って炊き出しを継続しました。山水利用のため水も豊富に確保できました。 次 に、 レ ジ リ エ ン ス の 観 点 か ら 上 沢 地 区 の 震 災 の 初 動 期 の 状 況 を 見 て み ま す。 『 予 防 力 』 の な か の 「 多 重 化 」 の 例 と し て、 入 谷 地 域 と 同 様 に「 豊 富 な 備 蓄( 水、 食 料 )」 が あ っ た こ と、 「 ラ イ フ ラ イ ン の 代 替 機 能( 井 戸 水、 沢 水 )」 が あ げ ら れ ま す。 ま た、 プ ロ パ ン ガ ス で あ っ た こ と が 炊 事 を 可 能 に し ました。代替電源としての発電機が地域の中で共用されて精米機を運転させて炊き出しが継続されま した。一方、レジリエンスの『回復力』の例として、震災発生後の「地域住民の迅速な行動」と「地 域 住 民 間 の 連 携 」、 「 炊 き 出 し の 習 慣 の 継 承 」 に 加 え て、 「 す ば ら し い 歌 津 を 作 る 協 議 会 」 で 災 害 支 援 に対する合意形成が事前にできていたことです。これにより震災時の支援が円滑に行われた、と当時 の行政区長は振り返っていました。また、合意形成をすることができたのは、この地域に長く住んで 日常的に交流をしている住民間の信頼関係の賜物であったことも指摘していました。 利用できました。 たこと、団地に隣接する工場の貯水タンクにも水があったことから最初の四,五日間はこれらの水を 次 に、 レ ジ リ エ ン ス の 観 点 か ら 旭 ヶ 丘 地 区 の 震 災 の 初 動 期 の 状 況 を 見 て み ま す。 『 予 防 力 』 の な か の「 多 重 化 」 の 例 と し て、 「 備 蓄( 水、 食 料 ) が あ っ た こ と 」 が あ げ ら れ ま す。 旭 ヶ 丘 地 区 で は 防 災 意 識 が 高 く、 各 家 庭 が 非 常 用 の 備 蓄 を 四、 五 日 分 ぐ ら い は 持 っ て お り、 水 は 貯 水 タ ン ク か ら 四, 五 日 間分を確保できました。さらに、この地域がプロパンガスであったことが炊事をすることを可能にし ました。一方、 レジリエンスの『回復力』の例として、 震災発生後の「地域住民の迅速な行動」と「地 域住民間の連携」 、「炊き出しの習慣の継承」があげられます。震災発生直後から婦人防火クラブが迅 速に行動し、 津波被災者を支援することができました。 旭ヶ丘団地は南三陸町のなかでは新しいコミュ ニティではありますが、 住民たちは日ごろから農産物や海産物を分け合ったり、 お茶っこ会(お茶会) を開催したりして交流をしており、住民同士の意思疎通がスムーズでした。 (三)上沢地区(南三陸町大字歌津) 三番目の事例は歌津地域の上沢地区です。上沢地区は伊里前川の上流の山間部に位置し海抜は三〇 メートル以上です。ここには三〇世帯約一〇〇人が生活していました。上沢地区は入谷地区と同様に 兼業農家が多く、所有する農地で自宅用の作物を栽培していました。このため、玄米が倉庫に保管さ れていました。水道は沢水を引いて使用、炊事はプロパンガスを使用していました。庭には井戸もあ りました。歌津地域で特筆すべきは「すばらしい歌津を作る協議会」という地域自治組織が活発に活 動 し て い た こ と で し た。 震 災 前 か ら 協 議 会 で は、 次 の 災 害 に 備 え た 話 し 合 い が な さ れ て い ま し た。

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ことで、旭ヶ丘地区は震災初動期の被災者支援を行うことができたといえます。 これら三つの地域では、自らの備蓄を提供し、炊き出しを迅速に開始して避難所支援を行うととも に、津波被災者を自宅に受け入れることもしました。先行きの見えない震災初動期では自らの生活を 維持するだけでも大変なことであるにもかかわらず、別の地域の人々に支援の手を差し伸べてきまし た。このような互助の精神は、 地域住民の間に育まれた信頼関係に基づくものであり、 日ごろのコミュ ニケーションや交流によって培われてきたものといえます(小杉ほか 二〇一七) 。 震災当時の地域のリーダーの方々への聞き取りを通して明らかにした今回の事例分析ですが、今後 さらに調査・分析を行って、震災初動期の地域の支援活動を浮き彫りにしていくことが、自然災害に 対する地域レジリエンスの議論を深めていくたにめに大切であると考えています。 参考文献 京大・NTTリジリエンス共同研究グループ   二〇一二『しなやかな社会への試練―東日本大震災を 乗り越える』日経BPコンサルティング。 小杉素子ほか   二〇一七「災害に対する地域社会のレジリエンス性評価―質問紙調査データを用いた 8地域の比較」 『環境科学会誌』三〇(三) :二二五 ‒ 二三七 林 春 男   二 〇 一 六「 災 害 レ ジ リ エ ン ス と 防 災 科 学 技 術 」『 京 都 大 学 防 災 研 究 所 年 報 』 五 九 A: 三 四 ‒ 四五. むすび 以 上、 災 害 時 の 地 域 レ ジ リ エ ン ス に つ い て、 『 予 防 力 』 と『 回 復 力 』 と い う 視 点 か ら 南 三 陸 町 の 三 つ の 地 域 の 事 例 を 分 析 し て き ま し た( 図 4 )。 震 災 直後の三つの地域での自発的な支援活動を通して、それぞれの地域コミュニ ティのもつ高い地域レジリエンスがお分かりいただけたと思います。入谷地 域と上沢地区はともに農地を有する伝統ある山間地域であり、地域のもつ自 然資源や伝統知を活かして自力で震災の初動期を乗り越えた様子がおわかり なったのではないでしょうか。加えて、昔使っていたかまどや外風呂をその まま残してあったことで現在使っているものが機能不全になったときに代替 手段として使えたことや周囲に空間的な余裕が豊富にあったこともこの二つ の地域の初動期の活動を支えたといえます。とくに入谷地域は南三陸町の震 災初動期支援の拠点となっていたことがうかがえます。これは、入谷地域が 五〇〇世帯を超える規模で被災者支援にあたることができたことが大きかっ たのではないかと考えています。 二つの地域とは対照的に、旭ヶ丘地区は宅地造成によって作られた比較的 新しいコミュニティであり、自然資源もほとんどありません。しかし、この 地区は婦人防火クラブに見られるように防災意識が高く、各家庭に食料備蓄 がありました。また、貯水タンクの存在も功を奏しました。食料と水がある 図 4 調査地域から抽出された地域レジリエンスとそれを支える地域資源

図 4 調査地域から抽出された地域レジリエンスとそれを支える地域資源

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