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ギリシアのドデカイーメロ(Δωδεκαήμερο)と食文化

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Academic year: 2021

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資  料

1 .はじめに

 ギリシア共和国(以下ギリシア)は,バルカン半島の 南端に位置する本土とエーゲ海やイオニア海の島々から なりたつ小さな国である1 )。しかし古代ギリシアの文化 が後の西洋諸国に与えた影響は大きい。言語,哲学,芸 術,宗教等の研究については数多く報告されているが, 年中行事と食文化との関わりに焦点を当てたものは少な い。  ギリシア人の多くはギリシア正教徒であり,正教は 人々の生活に深く根付いている。現在でもギリシアの祭 歴はギリシア正教の祝祭日と関連したものであり,国の 祝祭日として官庁や学校も休みとなる。行事は季節感と 一体になり,現在でも国民生活の中で重要な位置を占め ている。  前回までに,ギリシア正教最大の行事である春のパス ハ(Πάσχα 復活祭)を中心にした食生活2 ),そしてパス ハまでの長い準備期間の区切りとなるカサラ・デフテー ラ(Καθαρά Δευτέρα 清浄な月曜日)3 )等について報告 した。  今回はギリシアの年末年始の行事であるドデカイーメ ロ(Δωδεκαήμερο)に焦点を当て,食の生活様式がど のように継承されているか,都市部及び地方の慣習や行 事食等に関わるギリシアの食文化について検討を試みた。

2 .方  法

2.1.調査時期及び調査地域  調査時期は2005年12月∼2006年 1 月,及び2006年12月 ∼2007年 1 月,2008年 8 ∼ 9 月,2011年 3 月,アテネ(現 地ではアティナΑθήνα と呼ぶ),ラリサ(Λάρισα),ア ルヒェア・メッシニ(Αρχαία Μεσσήνη)で聞き取り調査, 及び文献調査を行った。調査地域は図 1 に示す通りであ

ギリシアのドデカイーメロ(

Δωδεκαήμερο)と食文化

四十九院 仁子

・ 四十九院 静子

**

・山口大介

***

聖学院大学,

**

聖徳大学短期大学部,

***

国立アテネ大学)

Δωδεκαήμερο and Food culture in Greece

Satoko Tsurushiin

, Shizuko Tsurushiin

**

, Daisuke Yamaguchi

***

Seigakuin University,

1 1, Tozaki, Ageo-shi Saitama, 362 8585

**

Junior College Seitoku University,

550, Iwase Matsudo-shi, Chiba, 271 8555

***

Εθνικό και Καποδιστριακό Πανεπιστήμιο Αθηνών, Πανεπιστημιούπολη, Ζωγράφου, 157 84, Αθήνα

〒362 8585 埼玉県上尾市戸崎 1 1

**

〒271 8555 千葉県松戸市岩瀬 550

***

〒157 84 ギリシア,アテネ,ゾグラフ,パネピスティミウポリ

 Greek culture has had an enduring influence on the West/Western countries. There is an abundance of studies on ancient Greek language as well as philosophy and arts. However, there is comparatively very little reported on the topic of food culture, es-pecially those related to the traditionally celebrated annual events. Therefore, we ex-amined the Greek Orthodox Δωδεκαήμερο to study the celebratory food culture among the people living in urban areas and in rural provinces of Greece.

 The outcome of this study pointed out the following. In the urban areas there is a weakening of observances of traditional customs. This is likely due to diversification of life-style tends to change people s sense of values. On the other hand, in the rural province, a traditional celebratory food, Κοτόσουπα, has always been cooked for annual events.

 It became evident that food culture is influenced by the natural setting as well as by the religious environment that surround various groups of people.

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る。  調査地の一つ,アテネはギリシアの首都であり,ギリ シア各地から人々が多く移り住んでいる。ギリシアの全 人口の約 3 分の 1 (約500万人)が集中している大都市 である。ラリサもまたギリシア中部,テッサリア地方の 主要都市である。アテネから300㎞以上離れているが, 長距離高速バスや特急を含む鉄道が整備されている。  一方アルヒェア・メッシニはペロポネソス半島第二の 都市カラマタ(Καλαμάτα)の北30㎞に位置する小さな 村である。村では近年,可墾平野部に大規模な遺跡が発 見され,発掘作業が始められたため,村の産業構造は大 きく変化した。遺跡の発掘のため,土地を失った村人は アテネやカラマタ等の大都市へとその生活基盤を移し, 過疎地域となっている。そのため,村には食堂・喫茶店・ 雑貨屋等を営むわずかの家族や,牧畜やオリーブ栽培に 関わる家族が住んでいる。50∼70代の人が多い。いまだ に交通の便が悪いペロポネソス半島にあるアルヒェア・ メッシニへは,首都アテネからカラマタまで長距離高速 バスで行き,そこで同地行きのバスに乗り換える。公共 交通機関を利用するとアテネから到着するまで 2 日間を 要するが,同地に宿泊できるホテルはない。

3 .結果及び考察

3.1.年末年始の日程と名前の日  年中行事は基本的には一年を単位とした暦日に基づい て毎年繰り返して行われている。ギリシアでの年末年始 の12日間はドデカイーメロ(Δωδεκαήμερο)と呼ばれ ている。それは12月25日のフリストゥゲナ(Χριστούγεννα 降 誕 祭) か ら 始 ま る。 1 月 1 日 プ ロ ト フ ロ ニ ア (Πρωτοχρονιά 新年),そして 1 月 6 日アギア・テオファ ニア(Άγια Θεοφανεία 顕現祭)という祝日を含む連続 した12日間の祝いである。ギリシアの祭りでは,月の満 ち欠けとの関わりが深く,パスハの日程は毎年その祝日 が移動するが,ドデカイーメロの日程は固定している。 1 月 3 日頃から会社や一部の店が平常に戻るが, 6 日の アギア・テオファニアまで学校や一部の公的機関の休み は続く。  ドデカイーメロだけでなく,ギリシア人の生活とギリ シア正教との関わりは,生まれた時から,すなわちゲネ スリア(γενέθλια 誕生日)から始まる。そして洗礼式, 結婚式,葬式といった慣習的な儀式等を通して日常生活 に深く関わっている。多くの人々は教会で洗礼を受け, 何百人もの聖人として認められた人々の名前の中から, 名前を授けられる。ギリシア人の名前の多くは聖人,そ してギリシア神話や歴史上の人物に由来する。男性の名 前では,ゲオルギオス(ヨルゴスという愛称で呼ばれる ことが多い),ペトロス,コンスタンディノス(コスタ スという愛称で呼ばれることが多い)等が多く,女性の 名前ではマリア,イオアナ,ディミトラ(ミミという愛 称で呼ばれることもある)が多い。  ギリシア人には各自の誕生日とは別に,名前の由来と なった聖人等にちなんだ特別な日を祝う習慣がある。そ の 日 を オ ノ マ ス テ ィ キ・ ヨ ル テ ィ(ονομαστική γιορτή)と呼ぶ(「名前の日」という意味なので,本稿 でも「名前の日」とする)。ギリシア人の多くが持って いる手帳には全ての「名前の日」が記載されている。そ れには毎月の日ごとに聖人やギリシアの歴史上の人物等 の名が書かれている4 )。その一例として11月のものを表 1 に示す。18日はプラトン,21日はマリア,というよう に決められており,12月から 1 月にかけても祝日と共に このような「名前の日」が続く。自分の「名前の日」が 来ると,本人が菓子等をたくさん用意し,家庭はもちろ んのこと職場でもその菓子を配り,共に食べて祝う。ま た 家 族, 親 戚 や 友 人 等 を 自 宅 や 食 堂(タ ヴ ェ ル ナ ταβέρνα や エスティアトリオ εστιατόριο)に招いて祝い, 贈り物やお祝いの言葉を受け,共に食事をしながら交流 を深める。 表 1  11月のオノマスティキ・ヨルティ(名前の日) 図 1  調査地の概略図

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3.2.都市部の年末年始  12月に入ると,都市部の街では通りや店先に電飾の星 が幾重にも飾られ,夜になると幻想的な光景が見られる。 路地の花屋ではモミの木やヒイラギの枝,ザクロやリン ゴを組み合わせた飾り物が売り出される。ギリシアでモ ミの木が高貴な木とされるのは,枯渇を知らぬ瑞々しい 緑の葉を付けている常緑樹であるため生命の象徴と考え られているからである。ザクロやリンゴの実を木の枝に 付けて飾るのは,実りをもたらすものとして豊作5 )への 願いがこめられている(写真 1 )。この時期,市内を走 る路線バスの行き先表示にも,しばしば祝いの言葉が表 示 さ れ る。 フ リ ス ト ゥ ゲ ナ(降 誕 祭) 前 は ΚΑΛΑ ΧΡΙΣΤΟΥΓΕΝΝΑ(祝降誕祭の意)の文字が,その後 は ΚΑΛΗ ΧΡΟΝΙΑ (祝新年の意),あるいは ΧΡΟΝΙΑ ΠΟΛΛΑ(おめでとうの意)と大文字で表示され,お祝 いの雰囲気を盛り上げる。  店もまた普段とは違う様子を見せる。12月25日のフリ ストゥゲナ(降誕祭)前の日曜日になると,いつもは日 曜日に閉まる商店や市場(アゴラ)が開き,人々はこぞっ て食材や贈り物を買い求め,お祝いのための用意をする。 フリストゥゲナ(降誕祭)を迎えるため,人々はギリシ アの伝統的な菓子メロマカルナ(μελομακάρουνα)や クラビエス(κουραμπιές)を家で焼いたり6 ),あるいは 市販品を大量に買い求めたりする。これらの菓子は 1 ㎏ あたり 9 ユーロ位で市販されており(写真 2 ),来客に も振る舞われる。さらに, 1 月 1 日プロトフロニア(新 年)前の日曜日にも店が開くため,人々の買い物をする 様子に日本の年末を重ねて見ることが出来る。  食事についてみると,ギリシア人の家庭の多くは,普 段台所にあるテーブルで食事をする。しかし,フリストゥ ゲナ(降誕祭)の日は居間にある大きなテーブルに特別 なテーブルクロスをかけ,ろうそくや食器も特別なもの を準備する。  フリストゥゲナ(降誕祭)の日,家族と共にお祝いを するため親戚や友人が集まってくる。居間では暖炉に薪 を燃やしながら遅い昼の食事の用意が整うまで,ギリシ ア・コーヒー(ελληνικός καφές)や,メタクサ(μεταξά) と呼ばれるコニャックが供される。普段は暖炉で薪を燃 やすことはあまりなく,親戚等の人が集まる時に焚かれ る。ギリシア料理の中心は基本的には肉料理であり,こ の日は特別な献立ではなく,いつも家庭で食べている料 理が振る舞われる。ここでは肉料理の中で豚肉のにんに く風味オーブン焼き等の料理を中心に,付け合わせに ジャガイモ,スフレ(σουφρέ)と呼ばれるマカロニの 焼き付け料理等が供された(写真 3 )。  これらオーブンを使う料理は前日から準備されている。 サラダはその日に作られ,以下の 3 種類―キャベツと人 参のサラダ(λαχανοκαροτοσαλάτα),キュウリとトマ トのサラダ(αγγουροντοματασαλάτα),レタスのサラ ダ(μαρουλισαλάτα)が供された。  その他,甘い南瓜のパイ(γλυκοκολοκυθόπιτα),ギ リシア特産のチーズであるフェタ(φέτα)とグラヴィ エーラ(γραβιέρα)の盛り合わせ等が用意され,幾つ もの大皿にたっぷりと盛り付けられる。パン(ψωμί) と赤ワイン(κόκκινο κρασί)も欠かすことができない。 集まった人達は赤ワインをコップに注いで乾杯し,共に 酌み交わし,食事をしながら夜遅くまで賑やかにお祝い 写真 1  路地の花屋で売られている飾り(ザクロやリンゴ) 写真 3  フリストゥゲナ(降誕祭)の食事 写真 2  市販されているメロマカルナとクラビエス

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をする。翌26日も祝日であるが,街はひっそりとしてい る。  再び, 1 月 1 日プロトフロニア(新年)の午後になる と,家族や親戚等が集まり,食事を共にしながらお祝い をする。12月25日のフリストゥゲナ(降誕祭)と比べ, 肉料理の種類が減ったり,テーブルのろうそくや,テー ブルクロスなどが簡略化されていたりする。  しかし,食後に,この日のために用意されたヴァシロ ピタ(βασιλόπιτα)と呼ばれる,スポンジケーキとパン の中間のようなケーキを食べる7 )。ヴァシロピタは作物 の実りとこの一年が豊かでありますようにとの願いをこ めて各家庭で作るのが一般的であるが,都市部では市販 もされている。  ヴァシロピタは丸い形をしており,上に粉砂糖やチョ コレートで年号が書かれている(写真 4 )。ヴァシロピ タを切るのはその家の主人の役目である。切る順序は先 ず十字に切って, 4 等分にし,その一つをキリスト ・ 聖 母 ・ 家のために切り分ける。残りの三つはその場にいる 人全員に行き渡るようにさらに切り分ける。ヴァシロピ タの中にはコインが入っており,コインが当たった人に その年の幸運がもたらされると言い伝えられている。そ のため,その場にいる人達は切り分ける間,固唾をのん でヴァシロピタを見つめている(写真 5 )。   1 月 6 日にアギア・テオファニア(顕現祭)の祝日が あり,ギリシア各地で水を清める儀式が行われる8 )。そ の日の昼,ギリシア正教の聖職者が十字架を川や海に投 げ込む(写真 6 )。それを手にした人がその年の幸運を 得ると言われているので,選ばれた若者達は水の中に入 り,我先に拾おうとする。着飾った人々がそれを見に集 まる様子に,日本の正月に行われる福男選びと似たもの が感じられる(写真 7 )。アギア・テオファニア(顕現祭) を境として,街を彩っていた飾りが外され,ドデカイー メロは終わる。  アテネはギリシア各地から多くの人々が移り住み,生 活している所である。都市では人々の生活様式の変化に 伴い価値観が多様化したためか,伝統的な行事や習慣は 写真 5  ヴァシロピタの切り分け 写真 4  手作りのヴァシロピタ 写真 6  アギア・テオファニア(顕現祭)で十字架を投げる聖職者 写真 7  川に投げ込まれた十字架を拾おうとする若者達

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薄れて来ている。  ドデカイーメロのための特別な料理は見られないが, お祝いの印として,普段供される料理が大皿にたっぷり 盛り付けられる。各家庭で出される料理に違いがあると すれば,その多くは出身地の違いに起因するものと考え られる。アテネでもメッセニア地方の出身者がドデカ イーメロのお祝い料理としてコトスパを受け継いでいる 様子が見られ,後述の村の年末年始の料理との共通点が ある。  それでも,家々では日常生活と行事の場面とで食事す る場所・食器等の使い分けがはっきりしており,行事の 意味に対応していることがうかがわれた。   1 年の祭歴をみると, 1 月は年の初めの月であると同 時に12月に連接しており,ドデカイーメロは一連の行事 として捉えられるべきものであろう。この時期からギリ シア正教最大の行事である春のパスハを心待ちにして断 食や幾つもの祝日を含めた長い準備期間が始まるのであ る。 3.3.村の年末年始  都市部に対し村の年末年始はどのようなものかを見て いく。調査をしたアルヒェア・メッシニ村は,メッセニ ア地方のカラマタ近郊に位置する。メッセニア地方南部 は海岸部のカラマタから北へ向かって緩やかに広がる平 野である。その一帯で生産されるカラマタ産のオリーブ はカラモン(Καλαμών)と呼ばれ,ギリシア随一の品 種として知られており,この地域の豊かさが想起される。 アルヒェア・メッシニ村周辺では古くから米が生産され ていたが,現在ではほとんど生産されていない。村では, 古くからお祝い料理として,鶏肉と一緒に米をスープで 炊いた料理,コトスパ(κοτόσουπα)が供されている(写 真 8 )。かつて,この地域では米が生産され,鶏肉9 ,10) も入手できたので,お祝い事にコトスパがご馳走として 作られてきた。村の古老からは「今ほど食べ物がなかっ た時代,自分たちにとって米を入れたスープは最高のご 馳走だった」と,よく聞かされる。現在でも12月末から 1 月にかけ,村の家々のお祝い料理として,コトスパは ご馳走として振る舞われ,継承されてきたことがうかが われる。  コトスパはギリシア語で鶏を意味するコッタ(κότα) とスープ料理を意味するスパ(σούπα)が合わさったも のである。スープというよりは「とり雑炊」のようで, 日本人にもおいしく食べられるギリシア料理の一つであ る。コトスパの作り方は,鶏肉と香草を煮てだしを取り, その中に米を入れて煮る(写真 9 )。途中,アヴゴレモ ノ(αβγολέμονο)を加え,とろみと酸味をつける(写 真10)。アヴゴレモノはギリシア語の卵を意味するアヴ ゴ(αβγό)とレモンを意味するレモニ(λεμόνι)が合 わされた言葉で,卵レモンペーストのことである。いろ いろなギリシア料理にソースとしても用いられている。 作り方は卵白をミキサーにかけ固く泡立て,その中に卵 黄を加える。さらにコーンスターチ少量とレモン汁を加 えてよく混ぜ合わせる。イタリアでもソースとして用い られている11)。コトスパの出来は,日本料理と同じよう にだしの取り方と素材のうま味に左右される。  今日のように,村でも食材が豊富に入手できるように なると,フリストゥゲナ(降誕祭)に村で食べられる料 理はコトスパだけではなく,家々の好みに応じた様々な 料理が用意されるようになっている。年によって料理が 写真 8  鶏肉と一緒に米をスープで炊いたコトスパ 写真 9  コトスパを煮込む前の材料 写真10 アヴゴレモノとスープを混ぜる

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異なることもある。   ま た,25 日 は フ リ ス ト ス(Χρήστος) と フ リ サ (Χρύσα)の「名前の日」であり,家族にこの名を持つ 人がいると,親戚・友人 ・ 知人をも招いて家族揃ってお 祝いをする。若い世代や都市部に移住した村人達はギリ シア正教の主な行事の時,日本の盆暮れのように帰省し, 行事に参加する。お祝い料理としてテーブルにはコトス パはもちろんのことその他の肉料理や飲み物等が豪勢に 並ぶ。それでも,料理は今までの村の食生活を主として いる。   1 月 1 日のプロトフロニア(新年)は新しい年を祝う 日であると同時に,アギオス ・ ヴァシリオス(Άγιος Βασίλειος)にちなむ「名前の日」でもある。家族にヴァ シリオス(実際はヴァシリスという愛称で呼ばれること が多い)という名を持つ人がいると,家族だけではなく, 親戚,知人等を招いてお祝いをする。テーブルにはコト スパの他に,各家庭の得意な肉料理等が大皿にたっぷり と盛り付けられ,豪勢に並べられる。  ギリシア正教におけるアギオス ・ ヴァシリオスは,い わゆるサンタクロース(聖ニコラオス)のことである。 アルヒェア・メッシニ村では,プロトフロニア(新年) に聖職者も同席し,村の広場でアギオス ・ ヴァシリオス に扮した村長が子ども達に贈り物をする行事が行われる (写真11)。この日は,単に新しい年を迎えた喜びのお祝 いだけでなく,ヴァシリオスの「名前の日」を祝い,感 謝するという範疇で捉えることが必要であろう。  フリストゥゲナ(降誕祭)やプロトフロニア(新年) のご馳走としてコトスパを食べるのは,「名前の日」の お祝いのために生まれた習慣ではないかと思われる。両 日とも聖人にちなんだ「名前の日」なので,古くから村 人達は貴重な肉を用いご馳走を揃えようと精一杯準備し, コトスパをつくったものと考えられる。現在でもコトス パを食べるという習慣があるのは,西洋のクリスマスで の七面鳥料理と同じモチーフとして重ね合わされたこと に起因するのかも知れない。同じことは新年の子ども達 への贈り物についてもいえよう。  「名前の日」に人々が共に食事をすることは,食べ物 や飲み物が貴重であった時代から,神と人,人と人12) の関わりを深め,円滑な人間関係を築く場として大切に されてきたものであろう。村では「名前の日」のお祝い がかなり古くから存在していたのではないかと推測され る。

4 .ま と め

 伝統的な行事は古来不変ではなく,長い間に各地の民 俗や信仰の土台を基にして少しずつ変容しながら伝えら れてきた特別な日である。ギリシアにおける行事と食に ついてみると,きわめて宗教色の強いパスハでは,それ らの行事に関連した特別な料理,例えばオヴェリアス (oßελíας)と呼ばれる子羊の串焼きやマギリッツァ (μαγειρίτσα)があり,アテネをはじめギリシア各地に おいて作られ,継承されている様子がみられる。  しかし,ドデカイーメロのフリストゥゲナ(降誕祭) では,外来行事であるためか西洋のクリスマスに関する 特別な料理はほとんどみられなかった。  一方,アルヒェア・メッシニ村では,古くからお祝い の料理として米を用いたコトスパを食べる習慣があった。 この伝統的な料理が12月25日のフリストゥゲナ(降誕祭) の席に供されたとも考えられる。それでも,村人がコト スパを西洋のクリスマス料理として捉えなかったからこ そ,この地方の独特な料理として受け継がれて来た要因 になったと考えられる。  ギリシアの行事には地域の発展を願う行事と家族の安 泰を願う行事の違いはあるが,それらははっきりと区別 されておらず複合して伝わる土着の習わしとして捉える ことができよう。  行事は,神を迎え,祀り,収穫への感謝と豊作を祈願 することを通して,人々の結束や親睦を図るものである。 民族は異なっていても,行事を迎えるための心遣いに共 通の世界観があることがうかがえる。 文  献 1 ) 西村太良監修:ギリシア,新潮社,東京(1995) 2 ) 四十九院仁子,四十九院静子:ギリシアのパスハ(復活祭) と食生活,日本食生活学会誌,21 pp.159∼165(2010) 3 ) 四十九院仁子,四十九院静子:食文化の民俗性(Ⅱ) ギ リシアのKαθαρά Δευτέρα を例として,第32回日本食生活 学会研究発表会講演集,p.14(2006) 4 ) Ημερολόγιο 2007:Ερατώ εκδόσεις, Αθήνα(2006) 5 ) 船田詠子:誰も知らないクリスマス,朝日新聞社,p.332 (1999) 6 ) Βαλαβάνης, Α.: Αυθεντική ελληνική μαγειρική, Φοτόραμα, Αθήνα, p.142(1993) 7 ) Μαστρομιχαλλάκη, A., Ζούρας, Π.: Έρχονται Χριστούγεννα ... Θα’ρθουν και τα Φώτα, Εκδόσεις Ακρίτας, Αθήνα, p.55 (2006) 8 ) 前掲書(注 1 p.214) 写真11 プロトフロニア(新年),アギオス・ヴァシリオスに 扮した村長と子ども達          

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9 ) Λόη Μ., Λινάρδου Γ., Μακρογαμβράκης, Θ., Αγαθονικιάδου, Α.:Αρχαίων Δείπνον-Συνταγές της Μαρίας Λόη, Μιλήτος, Αθήνα(2004)

10) Dalby, A., Grainger, S. : The Classical Cookbook / 今川香 代子訳:古代ギリシア・ローマの料理とレシピ 丸善書店  東京 p.45(2002)

11) 水島 裕:食生活史と宗教(12)―南イタリアとシシリー 島の食文化―,金城学院大学論集,34 p.116(1994) 12) Flandrin, J., Montanari, M.:Histoire de I alimentation / 宮

原信 ・ 北代美智子監訳,食の歴史Ⅰ,藤原書店,東京, pp.128∼129(2006)

参照

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