基調講演「文化財を守る : 東日本大震災の教訓から」
11
0
0
全文
(2) 基調講演. 「文化財を守る―東日本大震災の教訓から―」. おりました。そして二時四十分ぐら いでしたか、横揺れがまず最初に来 ました。横にゆさゆさゆさっと揺れ てきておりました。学生も私も足場 に 乗 っ て お り ま し た の で、「 あ、 地 震だね」と言って、ただいつもより もちょっと大きいけれども、震度五 ぐらいかなと思いました。宮城県は 一九八五年にもすごく大きな地震が ありましたが、今回も其のくらいか なと。そのうちこれはきついなとい う 感 じ で 見 て お り ま し た。 す る と、 遠くの方からですね、ごおっていう 音がして、地鳴りがしてきたんです ね。それが迫ってくるのがわかりま した、野外でしたので。 ごおっていうのが自分に近づいて きた時に、上下振動の地震に変わり ました。まず横揺れでぐらぐらぐら と来て、みんな足場に掴まっていま したけれど、その次はどーんという 突き上げられるような揺れがしまし た。来たんだからいつか止まるだろ うと思い、学生にはとにかく動くな と、足場はわりと柔軟性を持ってお りまして、組んだ形が正方形でした ので倒れることはないだろうと思い まして、動くなって声をかけました。 ただ、この彫刻は四トン近い作品 で す が、 左 右 に 二 十 セ ン チ く ら い ずっと揺れておりました。やあすご いなあと思いましたね。これくらい の大きさのものが。倒れてくれなけ ればいいなという気持ちでした。(先 程の写真ですけれども、これはコー ティングの作業をちょっとしており まして、小雪が降ってましたね。) ということで美術館は閉館すると いうことになり、作業をやめて帰り ましょうと言って、車に乗って、美術 館を出たわけです。仙台の宮城県立 美術館に学生を連れて山形から来て おりましたので、仙台から山形に帰 ろうと高速に乗ろうと思いました。 街中は渋滞で車は一切動けない状 態 で し た。 私 達 は 屋 外 に い た の で、 津波が来て、こんな地震が来たとい うことは実はわからない状態だった のです。ですから「周りの様子が何 か変だね」、「何か子どもが防空頭巾 かぶっているよ、先生」とか言うの で、何で防空頭巾をかぶっているん だろうと思いました。もう津波が来 た後だったのですが、私には情報が 入っておりませんでした。作業をや めて車で町中に向かいましたが、も う渋滞で車が動いてないということ で、裏道を通って山を越えて山形に 帰りました。 道すがらまだ町の中心の方向に向 かっている人はなぜか多かったので すが、反対に出て行く人は少なかっ たです。ということで比較的スムー ズ に 峠 を 越 え て 山 形 に 帰 り ま し た。. ただちょっといつもと違っていたの は、山形の町も真っ暗だったことで す。初めて見たような風景で、全然 電気がついていませんでした。何が 起こっているのだろうとじわじわと 不安になりました。 学生の一人がワンセグでテレビ中 継を見せてくれまして、画像はあま り よ く な か っ た で す け ど、 そ こ で やっと津波が来てもう三陸海岸は壊 滅状態だと知りました。大変なこと が起こっていることがわかりまし た。電気も一切ついていません。そ ういうことで学生達には誰かの下宿 に集まってとにかく一人にならない ようにと伝えて、私は単身赴任なの で、山形に一人でおりました。 キャンプ用のラジオとランプがあ りましたので、それをすぐに出して、 真っ暗な中で灯火のように灯して一 晩過ごしました。寒さがすごく厳し か っ た の で、 登 山 用 の 寝 袋 に 入 っ て、さらにその格好のまま布団の中 に入って、じっとラジオを聞きなが ら朝を迎えました。どんどん頭の中 に悪い状況が浮かんでくるわけです ね。どうなるんだろうという感じで した。 翌日はもう完全に皆の動きが止 まっていまして、そのうちニュース で、食料の買いあさりとかが東京で 起こっていることを知りました。山. 3.
(3) 形 は さ ほ ど で も な か っ た ん で す が、 ストアに並ぶ人が増えてきていま した。 このまま街中に出ると、非常に自 分の良心に反することを自分がやっ てしまいそうで、そんな弱い自分を 知っていましたので、あるだけの食 料でどこまで行けるか、とりあえず あまりバタバタするのはやめようと いうことで、家におりました。持っ て い る 食 料 が 三 日 間 の 食 料 だ な と。 これで一日一食にすれば一週間いけ るという変な計算をしまして、ずっ と家におりました。 二日目の夜は、昨日のような夜の 寒さは耐えられないと思っていまし た。さすがに北国は寒さという恐怖 心がありますが、運悪く暖房はファ ンヒーターというやつで、電気がな いと付けられない。仕方なく布団の 中 で ず っ と ラ ジ オ を 聞 い て い る と、 あんまりいいことは考えない、どん どん悪い方向に物事を考えていく。 もう耐えられないと思っていた時 に、一番最初に通ったのが電気です。 六時、たしか十分か十五分、今でも 覚えています。バンと電気がついた んですね。冷蔵庫なんかの音がして、 助かったっていう、何ていうでしょ うかね、本当に心の灯火を得たよう に明かりがついて、やっとテレビも 見られました。これで情報と暖がと れました。名古屋はどのくらい冷え るかわかりませんが北国の場合は暖 房がないと凍死しそうなので、一番 怖いです。 次に起こったのが、テレビの報道 で知った、ガソリンが無いというこ とでした。もちろん私の車も半分ぐ らいしかガソリンが入っておりませ んでした。一週間越えたら、食料探 しに行かないといけないのに、その 燃料を頭の中で計算すると、それが 出来ないというような状況でした。 それからニュースが入ってきまし て、 福 島 の 原 発 が 水 素 爆 発 し た と。 私の家の方に福島の方向から風が吹 いておりまして、雲がですね、真っ 黒い雲がずっと迫ってきたのを覚え ているんです。あれはどういう雲か 未だによくわからないんですが、精 神的にどんどん追い込まれていきま した。 戦争を私は経験してませんけれ ど、された方はそういうことをご存 じだと思いますが、その中で自分を まずどう持ちこたえさせるかという のが震災の一番難しいことだと思い ます。割とうちの学生はあっけらか んとして、みんなで一週間過ごした ようですけど、大人の方が意外に弱 いかもしれません。 ということで、一番大事なことは や は り 身 の 安 全 確 保 で す。 昨 日 も、. 消防団の方が任務の遂行のために亡 くなったのはおかしいんじゃないか と い う 番 組 が あ り ま し た け れ ど も。 自らの意思でやっているのであれば いい、僕は立派なことだと思うんで すけれど、強制されてということが よくあるということは問題なんだろ うなと思いました。危ないと思った ら や っ ぱ り 逃 げ て い い と 思 い ま す、 私は。 次に生活の確保ですね。生活が確 保されないと、人間は本当に不安に なりまして、人間であることをキー プすることというか、維持すること がとっても難しくなります。最小限 のエネルギーで人間であることを確 保することを考えられたらいいよう な気が致しました。 そしてやっと次に、自分が一体何 ができるかということですね。 やっとテレビが一日半で付くよう になって、印象的でしたのが、その 時にテレビで、皆さんも見ていてい らしたと思うんですが、ずっと同じ CMが何度も何度も流れていました ね。これは後日NHKの方に聞きま したら、九州でCMのコンクールに 参加していた作品を急遽使ったそう です。すごいことをやるんだなと思 いました。耳に今でもこびりついて おります。 ただし、半年が過ぎて思い返して. 4.
(4) 基調講演. 「文化財を守る―東日本大震災の教訓から―」. みますと、やっぱりパニックになら なかったのは、あなたは「人間だよ」 と念仏のようにCMが流していたか らかもしれません。人間はやっぱり 弱い生き物ですから、そういう意味 であれはけっして悪くはなかったな と今は感じています。 一 个 月 経 っ て や っ と で す ね、( ボ ランティアというのはあまり好きな 言 葉 で は な い ん で す が )、 と に か く 何かしたいという学生がいっぱいい ま し た。 う ち の 学 校 か ら も バ ス を チャーターして泥をかくとか、そう いうのに行っております。私達がで きることは文化財の保護なので、ま ず文化財をどう救出するかというこ とを考えました。 最初の一个月半の工程なんです が、一週目は本当に動けませんでし た。かなり精神的にダメージを受け ました。やっと二週目、三週目になっ て、年度末の仕事をしました。三月 三十一日までに仕上げないといけな い仕事がありまして、泣き泣きそれ をやっておりました。四週目、大学 に文化財保存修復研究センターがあ りますから、ありとあらゆる壊れた ものの救済の電話が入ってくるよう になりました。 これはその前の新潟地震の時に経 験したことなんですが、うちの学校 の若い生徒は使命感に燃えて、救済 道 具 を 自 分 の 車 の 中 に 突 っ 込 ん で、 震災のあった二日、三日後に飛び出 して行って、俺は絶対に何かを救っ てくるっていう感じで行ったんです ね。でも、現場で突っ返されて帰っ てきたという経験を持っておりまし て、闇雲に行くっていうことは気持 ちとしては非常にわかるんだけれ ど、 現 場 を 混 乱 さ せ て し ま う の で、 考えないという経験をしました。 救援が入り始めた時に、間違いな く文化財が運び込まれてくると思い ましたので、まずそれらの場所の確 保をしました。大学の中でどのぐら い受け入れられて、どういうことが できるかということを考え始めてお りました。会議をして、どこまで直 すことを条件に引き受けるかを話し 合いました。稀に家を流されたから 家を建て直してくれというような人 がいるわけなんですね。そうではな く て、 い わ ゆ る 土 や ヘ ド ロ を と っ て、何とかまた住めるように、何と か更地のような状態にまではもって いきましょうと。そこに頑張ってう ちを建てるのはあなたたちがやるこ とだと。 修復もですね、傷んで届くと、こ れをきれいにして、新品のようにし て戻してもらえるんじゃないかと勘 違いされる方が直して下さいと来る んです。その場合、洗浄してこの状. 態で一年二年置いても大丈夫という ところまで戻すというところで一つ 線を引いておきましょう、という話 し合いをしました。 ということで、五週目にそういう 会議をして、約六週目からやっと本 格的な行動を開始しました。それで まず南三陸の西光寺という天台宗の お 寺 さ ん が 完 全 に 破 壊 さ れ ま し て、 そこにありました仏像とか仏具、そ ういうものをどうしたらいいかわか ら な い と い う 知 ら せ が 入 り ま し た。 うちの文化財保存修復センターの人 間が六人入りましたけど、ここはま だ組織的な救済の知らせが入ってい ない個人のお寺さんでした。そこに 行く途中、南三陸に近くなってきた 谷合に入りますと、そこには津波が 最後の残骸を運んできてしまってい て、一番奥にものすごい量の残骸と いうか漂流物がありました。 も う 既 に 四 月 の 七 日 で す か ら、 一个月経っているかいないか、震災 から四週目の初めぐらいですね。道 路だけはすでに確保されておりまし た。入江の一番奥の方は海水が全部 引 き 切 ら な い で、 水 溜 り の よ う に なっていました。船も流されていま すし、こういう状態でした(スライ ド提示)。 これは鉄道の陸橋のようなもの で す が、 両 サ イ ド は 完 全 に 崩 壊 し. 5.
(5) て、不思議なオブジェのようになっ て立っている。皆さんはよく見てい らっしゃると思うんですが、こうい う四階建ての、これ南三陸のすぐそ ばにある共同住宅ですが、この高さ まで津波が来るということです。非 常に無残で、あまり言いたくないん で す が、 重 い 気 持 ち に 毎 回 な っ て 帰ってきておりました。 阪神大震災の時は私はちょうど日 本にいなかったんですが、外国のテ レビを見ていまして、知り合いが「お い、日本が沈没したぞ」と飛び込ん で 来 ま し て、 画 像 を 見 て、「 日 本 沈 没したぞ」と言われた時には、画像 とその言葉で本当に沈没したのかと 思いました。 皆さんはこういう画像ばかり見て いらっしゃるので、悲惨なんですが、 海 岸 線 の 約 一、二 キ ロ 奥 は で す ね、 平然とそのままなんです。「平然と」 とは言いますが、地震がありました から、多少壊れていますが、生活で きる状況です。そういう風景の違い というか入江のところをずっと越え て、峠をいくつも越えて行くと、少 し高くなったところは普通の風景が 残っていて、ちょっと下るとまた異 様な世界が広がる、というこの繰り 返しなのです。水門も全く駄目でし た。ぐにゃぐにゃになっておりまし た。すごい海水のエネルギーです。 これが救済に行った現場です(ス ラ イ ド 提 示 )。 こ こ に お 寺 が あ っ た んですが、完全に崩壊しておりまし た。これは裏にあった母屋みたいな 作業場です。四週目の終わりぐらい でしたか、行きました時に、一生懸 命檀家の皆さんと住職の方が、この 中から見つけたものをここにたくさ ん並べて天日干ししていました。か なり書物を持っていらした方で、そ れらを天日干しされていました。こ れは昔の亡くなった方を運ぶ、つま り霊柩車のように棺を入れてみんな が担ぐものですね。 ここが畑だったみたいで、そこに いろんな戸板を引いてそこに載せま した。瓦礫の中から物を探すのは本 当に至難の業で、この辺からも見つ かるし、この辺からも見つかるとい うようにおっしゃっていました。 災害が起きた時に一番注意しなけ ればいけないことというか、困るこ とは、片づけをする時に大事な物か どうか区別できないで処分してしま うことです。これは当たり前のこと で、しょうがないことです。そんな こと言っていたら人間の命が持ちま せ ん。 精 神 的 に も 多 分 持 た な い で しょう。 この現場で何ができるかというと で、先程の写真のちょっと高いとこ ろで、温室プレハブの骨を使い、一. 時保管庫を作りました。ここにとに かくブルーシートをかけて、その中 を地面より少し高くして、どんどん 運び込みました。まだ気温も相当低 かったんで、カビの発生は割と大丈 夫でしたが一週間後に行ったら若干 生えていたのがありましたけど、ま だ大丈夫だろうと。夏前までに何と か、 梅 雨 前 ま で に 何 と か し な い と、 大変なことになると話をしながら 帰ってきました。 一週間後に行った時に、再度近所 の方とみんなでその場所を見たので すが、重機が相当たくさん入ってい ましたので、この中から文化財を探 すのはちょっと難しいなという状況 でした。 ありがたいことに、機動隊の方も 自衛隊の方もものすごい数が入って 来て下さっていて、復旧作業をやっ ておられました。被災した方も、みな 暗くなってないで、笑い飛ばしても う前を向くしかないねって。東北の 人は強いなあと本当に思いました。 これが陸前高田という岩手県の ちょうど真ん中あたりの海沿いにあ る 博 物 館 で す( ス ラ イ ド 提 示 )。 陸 前高田市博物館です。これを見られ る と、 津 波 が ど の く ら い パ ワ ー を もっているか、おわかりになると思 いますが、どーんと入り口をぶち抜 かれて、何にもありません。. 6.
(6) 基調講演. 「文化財を守る―東日本大震災の教訓から―」. これは私の大好きな柳原義達先生 の彫刻です(スライド提示)。 これは正面玄関の石の上に設置さ れていたんですが、ブロンズででき た等身大像です。漂流物が当たって ものすごいダメージを受けておりま した。腿の辺りと脛の辺りです。ブ ロンズがこれだけへこむということ は、とんでもないことなんです。足 首も折れております。. これは四月の初旬に救済に入った 時だと思いますが、絵画とかそうい うものが立て掛けかれていて、まだ 濡 れ て お り ま す( ス ラ イ ド 提 示 )。 湿っております。 大学としては、文科省から要請依 頼があるまで行動するのは我慢しよ うということになりました。個人的. な救済はいくつかしましたけれど も、国公立の美術館・博物館はみん なの財産ということで、ややこしい 書類上の問題がありまして、勝手に 簡単に救済に行くことはできません でした。それは本当にまどろっこし い と い う か イ ラ イ ラ す る 事 で す が、 そこをぐっと抑えて、文科省からの 援助依頼があるまでは取り敢えず準 備だけして動くのはやめようと決め ておりました。 それで当然というか案の定という か文科省から依頼が来ました。第一 の救済隊が石巻文化センター等に入 り ま し た。 港 の そ ば に あ り ま し て、 ひどい状態でした。そこは毛利コレ クションや地元作家高橋英吉の多く の作品、歴史資料と美術品を持って います。 面白いことに史料と美術品の救済 の仕方が若干違うんですね。史料の 場合は書いてあることや内容を大事 に保全することと、もちろん材料技 法なんかも大事なものがいっぱいあ りますが、美術品になるとまた違い、 美学、美術史的な要素も考えなくて はなりません。 現代アートになると、一般の方は 瓦礫か作品かさっぱりわかりませ ん。本当にわかりません。後程お見せ しますけれども。現代アートはなん でもありの材料ですから、本当に。し. かも廃材、捨てたもので作品を作っ てらっしゃる方も大勢いるので。 と い う こ と で 依 頼 を 受 け ま し て、 まず第一現場、戦争で言うと前線で すね。石巻文化センターというのは まさしく河口の前線なんです。そこ で、負傷兵じゃないですけれど、傷 んだ文化財を移動します。まず課題 となったのは、どこに移動させるか と い う こ と で し た。 宮 城 県 美 術 館、 これは私が先程のヘンリー・ムーア の彫刻の修復をやっていた所ですけ れど、今回は良かった面として、あ そこの倉庫のスペースが少し空いて いました。 美術館の中に入れるわけにはいか ないんですね。なぜかというと、ま ず汚れもあるんですけれど、どうい うカビや害虫を持っているかわかり ませんし、そういうものを美術館の 中に入れるとほかのものに移ってし まうので、負傷兵はすぐに応接間(美 術館内)には通せないんです。 ということでそこの倉庫が空いて いるということで何とか話をつけて もらって、じゃあまず石巻文化セン ターから宮城県美術館に移動させよ うとしました。第一番に入ったのは、 学芸員の方が中心でしたが、若干の コンサバター(注―保存修復家)も おりました。作品リストを見ながら、 おおよその泥と汚れを取り除いて全. 7.
(7) てのものにまずナンバーをつけて写 真を撮っていました。さすが学芸員 の人だなあと感じるんですが、どん な小さな破片でも美術品だと思われ るものにはナンバーをつけてどんど ん宮城県美術館に送ってきて下さい ました。 その間に仙台市博物館に救援委員 会という現地本部が設置されまし た。実際問題としては、全体が見え ていなくて、私達は一体どうなるか わかりませんでした。どういう系統 で動けばいいのか、あっちも動いて る、こっちも動いているという、そ ういう不安があったんです。 これは石巻で出てきた桂ゆきさん の作品です。これは一回目に泥を少 し取った状態です。 石巻文化センターは製紙工場のす ぐ横にありまして、今回の被災で一 番問題になったというか、大変な思 いをしたのは、そこにあったパルプ の原料が全部溶け出して流れて石巻 文化センターの建物の中に入り込ん できたことです。悪いことに作品に 付着したパルプの上にカビがどんど ん 生 え て き ま し た。 パ ル プ の 上 に ち ょ う ど カ ビ の 畑 を 作 っ た よ う に、 むしろ材料よりもパルプの上にカビ が生えてきておりました。 良かった面は後からわかったこと ですが、海水だったので、思ったほ どバクテリアやカビが繁茂しなかっ たことです。これは私達が受け入れ る時からものすごく心配だったこと ですが、現在のところも比較的安定 し て い ま す。 パ ル プ が 食 い つ く と、 本当にトイレットペーパーがべたっ とくっついたようで、なかなか取れ ません。 これも作品です。ちょっと一部分 解しましたが、鈴木実という人の作 品です。 全国美術館会議という美術館を中 心とした組織があり、そこがまず阪 神淡路大震災の時に非常に頑張って 兵庫県立近代美術館を救出に行った んですね。その時から、私も行った 高知大水害とかですね、割と経験を 積んで何度も被災地に以前から行っ ておりました。CWGといいますけ れど、コンサベーション・ワーキン グ・グループというのを全国美術館 会議の中に作っていただいて、少し 予算を頂いてどういうことをしたら 災害から美術品を守れるかっていう ことを度々打ち合わせをしていまし た。四月の半ば過ぎぐらいから、そ のメンバーがまず中心になって動き ました。 ここが作業した場所なんです。四 月の二十九日に美術館に行きまし た。作品が来ても、何をどこでどう するかということが全く決まってお. りませんでした。この右側にあるの が公用車を入れておく車庫なんです ね。公用車を二台出していただいて、 そこに空間を作り、裏庭の横の倉庫 と併せて、作品をどんどん石巻から 運んでいただきました。まだ湿気て おりました。倉庫も実は非常に湿気 ているのですが、初めは目をつぶり ました。しかも、もうカビが出てし まっているものもありました。あま り狭い部屋で作業をすると人体に影 響がある発がん性のカビもあるの で、外でやった方がいいだろうとい うことで、駐車場の前で一生懸命や り始めました。 学芸員の方は何が入ってきてどう いうふうに出て行ったかという記 録、それから本部との連絡、そうい う処理能力、分類能力はすごいなと 思いました。ただし、材料に関して はやっぱりコンサバターには敵わな いというところがあります。それぞ れ の 専 門 が あ る な ら と い う こ と で、 まず油絵は油絵に割と詳しいコンサ バター、もしくは修復家のかた、そ して和物、軸、屏風、そういうもの は日本物のコンサバター、そして立 体物は私の方が引き受けることにし て、ここの場所の中で、立体物、平 面物、平面物の中でも洋物と和物と いうふうに分けて行いました。 その当時、やっと全体の構造が見. 8.
(8) 基調講演. 「文化財を守る―東日本大震災の教訓から―」. えてきました。文化庁が主導で、こ ういう救済行動の構図が出来上がっ たということがわかってきました。 私 達 が い る の は こ の あ た り で す。 あまりよく見えなくて申し訳ないで すが、被災した文化財。そして大学 はここに関わっています。 実際の連絡網は、これが現場の被 災本部なんですが、ここから情報を 上げていったり、若干わからない処 方箋なんかは、東京の国立文化財研 究所などが情報を下ろしてきてくれ ました。 そして、レスキュー隊というのが ありますけど、人手が足りなくなり まして、私の大学の研究員や大学院 生も動員しました。泥なんかを取っ てもらうとか、そういうことをして もらいました。 こ の 現 場 で ち ょ っ と 困 っ た の は、 学芸員の方も自分の仕事を持ってい らっしゃることです。だから精々長 くて一週間、それ以上いますと、自 分の美術館、博物館の業務が滞って しまうんですね。そういうことでど うしても帰らなくちゃならないとい うことが頻繁に起こりました。 その時に一番困ることは、引継ぎ をうまくし、仕事を流れていかすこ とです。一応、油絵、日本画、彫刻 と大きく三つに分けて、それぞれに 専 門 家 が 入 っ て い ま し た。 加 え て、 建築現場でいうと、人足を手配する などマネージングをやってくれる方 がもう一人つきました。そして一日 あったこととか、どういう進行状況 かとか、絶えず中央と連絡をとって もらいました。 これは防波堤が崩れている写真で す(スライド提示)。 一九九八年に高知県美術館が水害 に遭いまして、一階の殆どがダメー ジを受けました。九五年の阪神淡路 大震災でも、兵庫県立近代美術館(注 ―現在の兵庫県立美術館)のロビー にありました石の彫刻とか、すごい 数の彫刻が、あの中を飛び跳ねて歩 いたといいます。それで私も何点か を調査に行きましたけど、高知の場 合は、作品をとにかく立体物は二階 に上げて乾燥させるということでし た。今回の震災でも床に接している ところに黒カビが生えてきていま す。彫刻の場合、ブロンズは大丈夫 でしたけど。 ということで、彫刻を若干床から 持ち上げるんです。木や簀のような ものがあればいいんですが、小さい 彫刻の場合は割り箸なんかでもいい から、とにかくそういうものを使っ て床から少し上げるだけで作品に 入ってくる水分を相当防げます。 あとは高知の場合、新聞社が協力 して下さいまして、売れなかった新. 聞を搬送していただきました。床が まだ湿って少しべとべとな状態でし たので、床に全面に敷いてから、そ れを取替えるということをやってお りました。 これは新潟中越地震で被災した山 形県の掬粋巧芸館という財団法人の 美 術 館 で す( ス ラ イ ド 提 示 )。 こ こ は李朝の壺や陶磁器を沢山収集して います。大したものです。その中国、 朝鮮物の焼き物は随分壊れました。 この写真が載っているのはなぜか と申しますと、前の館長、今出てい る 方 の お じ い さ ん に な る ん で す が、 この方が壊れた後があまりにも悲し いということで、骨董の趣味のある 方だったので、自分で直したようで す。当時使えるものとしては木工用 ボンド、俗にいうボンドですね、そ ういうものでどんどん継いで割れた 陶器を直していらしたんですが、そ れからもう十年、二十年経ちますと、 中には接着剤が黄ばんでしまったも のもあります。 ここにあるのは孔雀釉のとても珍 しい壺なんですが、これが土色に全 部変色していました。なんでだろう ということで、うちで学生をアシス タントにして、直したところを全部 取りました。割れ痕は修正しません でした。割れていることは見えても、 その物自体の美しさ、本来の孔雀釉. 9.
(9) の美しさがきちんと出た方がいいと いうことです。 こ こ に「 National Institute of the Conservation of Cultural 」と書いてありますけれ Property ど、国際文化財保存学院です(スラ イ ド 提 示 )。 そ う い う と こ ろ が、 も う 数 年 前 に「 文 化 財 防 災 ウ ィ ー ル 」 というものを出しております。美術 館・博物館には多分これ行ってると 思うんですが。 今回、自分達が受けた震災で、こ れは有効だった、これは無意味だっ たねということをもう一度検証する ということが次につながってくるよ うな気が致しました。当時は津波と 震災を同時並行では考えておりませ んで、どちらかというと、火災の方 に中心をおいて考えていました。火 災 と 地 震 と い う つ な が り に つ い て、 今回は石巻や気仙沼で火災もありま したけれど、火災、地震、津波とい う複合的なものがやってくることを 想定して、ちょっと考え直してみる といいと思います。このウィールに は、こちら側にはこういうふうに災 害があった時にどうすればいいのか が、裏側には材料によってどういう 処置をしたらいいかということが書 かれていました。 それから、今回役に立ったので申 し上げたいのですが、文化財保存修. 復学会が平成十八年十一月十一日に 東 北 大 と 協 力 し て、「 東 北 の 文 化 財 を守る」というテーマでシンポジウ ムをやっておりました。そこで東北 大の平川新先生という方が言われた ことと、それがどう有効だったかを 振り返りました。全てに効果あった わ け で は な か っ た ん で す け れ ど も、 その中で悉皆調査をきちんとやって いこうということは有益な提言でし た。自分達が一体どんなものを持っ ているのか、自分の身の回りにある 文化財を一日かけて悉皆調査しま す。今日はじゃああの辺に行こうと 言ってさっと行ってざあって調べて その地域は終わるというように、一 個ずつ調べます。長期間に、たとえ ば一週間にわたってずっとやるの じゃなくて、一日で行けるような状 態で少しずつつぶしていこうという のです。 この時の悉皆調査の記録のおかげ で、まずどこに何があるか目安がつ けられました。だから救済する時に 非常に役に立ちました。ただし、救 済された作品がうちの学校に持ち込 まれて、どうしたらいいかわからな いようなものはいくつかありました けど。 日記をちょっと書いていましたけ ど、四月の七日から動き始めまして、 (最近は若干福島に行くことが多く. な り ま し た が。) こ う い う 状 態 で、 大学の授業は休講でしたので、四月 は完全に一个月、五月に入っては土 日を使って宮城県美術館まで作品の 修復処置、維持処置に行っていまし た。先程申し上げましたように、前 線と収監、野戦病院ですね。その後 本当の病院に連れて行くという、こ の工程を踏んだことは比較的にうま く機能したなと思いました。 なぜかと申しますと、前線で繊細 な手術はできないですね。それから 冷静な気持ちで観察することができ ない。場所を変えるごとにより処置 の レ ベ ル を 上 げ て い け る ん で す ね。 しかも石巻文化センターの現場にい て、作品が今のような割と安静な状 態にあるということは考えもつかな い で す ね。 そ の 現 場、 そ の 現 場 で、 少しずつ状態を上げていったという ことが良かったと思います。これを 全部通したら多分精神的にしんどく て、やれなかったかと思います。 これが今美術品が運び込まれてい る文化財保存修復センターです(ス ライド提示)。大学の中にあります。 一応四階までありまして、一階で考 古遺物とか仏像とか大きい物を処理 できまして、二階は吹き抜けになっ ておりまして、収蔵庫が二階にあり ます。三階に洋画や日本画の分析室 があります。. 10.
(10) 基調講演. 「文化財を守る―東日本大震災の教訓から―」. 構成としては普通の大学病院より は小さいですけれども、物が入って きて、かなり危ないなと思うとすぐ にX線画像を撮ります。X線とって、 カビとか何か膿んでいるところがあ ると、それを採取して分析室に持っ て行きます。蛍光回折とかガスコロ マトグラフィとか、FTIR、いろ んな分析系の機材が揃っていますの で、そういうので分析して、どう処 理するかという方向に持っていくシ ステムを作っております。 これは紙本資料ですね(スライド 提 示 )。 亘 理 の 農 業 高 校 か ら 来 た 紙 資料を学生が一生懸命に修復してい ます。やれることといったら、まず 乾燥させて本と本の隙間にある細か い砂や汚れを、一つ一つ刷毛で取っ ていきます。四千件以上ありますか ら、学生の力を借りないとどうにも ならなくて、授業の空いた時にこう いうふうに来てやってくれていま す。もちろん地域のボランティアの 方も来て下さいまして、毎日毎日夏 場はやっておりました。 これは立体物の方です(スライド 提 示 )。 学 生 が ま ず 作 品 を 取 り 出 し て、全部写真を取り直して、きちん と状態調査をして、危ない時、つま りカビが相当生えてきている場合 は、すぐに殺菌したりして、作業に 入っていくんです。 実はこのブルーの座布団は、何と ですね、愛知県美術館から送って下 さったんです。あそこのボランティ ア の 方 が、 何 と か 役 に 立 ち た い と、 手縫いでこの座布団を作って大量に 送って下さいました。 文化財を学校に持って来ると、裸 眼からルーペぐらいまでのレベルで 見ていた視力が、四十倍の実体顕微 鏡から電子顕微鏡まで、観察するレ ベルが変わってくるんですね。現場、 中間現場で一生懸命ルーペぐらいは 使いながらカビとかパルプの付着と か を 一 生 懸 命 取 っ て い た ん で す が、 それでも学校に帰ってこの顕微鏡で 見ますと、普通の視力では見えない、 作品の表面に付着したパルプの細か い繊維がこってりついているのが見 えます。それをどう取るかというこ とを学生の研究材料にしたりして進 行しております。 こういうふうに、各作品に対して 一人の学生を、担当医といいますけ れど、つけます。責任を持たせるん です。共同ですと誰がどうなってい るかわからないので、一人責任者を おいて、何かを決定して動いていく 時には、数人で相談して、お薬でい くか、手術するか、そういうことを 決めていくシステムです。 これは最近有名になってしまいま したけれど、真空凍結乾燥機です(ス. ラ イ ド 提 示 )。 フ ル 回 転 で 奥 に 二 台 あるので、これを昼夜まわしながら、 重要な公文書とかを処理しておりま した。 こ れ は 分 析 室 で す。( ス ラ イ ド 提 示 )。 贅 沢 な こ と に X 線 蛍 光 回 析 機 とか、赤外線、FTIRと申します けれど、そういう機械や、隣には電 子顕微鏡とかがいろいろ揃っており ま す。 メ ン テ ナ ン ス が 結 構 大 変 で、 こういうところを作りたくても、な かなかお金がかかってしまうという のが現実です。 これは洋画の処置室です(スライ ド提示)。こういうふうに広げてやっ て お り ま す。 こ っ ち は 史 料 の 方 で、 史料物はこういう箱の中に入れてい ます。まだまだいっぱい詰まってお ります。 こういう機械を揃えることが、私 の夢でした。こういう機械を入れて 文化財を扱えるところを宮城県で 作ってほしいとお願いしたんです ね。面白いことに、その時に掛け合っ たところが東北電力なんです。一番 お金を東北で持っているのが東北電 力なんですが、その当時は訳のわか らないことに投資できないような顔 をされました。文化庁にもお願いに 行ったんですが、文化庁も…。お金 が結構かかるんです。この機器を維 持していくのにやっぱり相当かかっ. 11.
(11) てしまうんですね。 今回の震災で良かったことの一つ には、たとえば宮城県美術館の場合 は、危ないものには全部免震台をき ちんと入れ、野外彫刻は載せるだけ じゃなくて、必ず台と固定する。だ から、先程のヘンリー・ムーアは揺 れても台から落っこちないですんだ んですね。いくつかの街の野外彫刻 は転倒しております。怪我人が出た というのはそんなに聞いていないの ですが。平気で石でも飛び跳ねます。 兎のようにぴょんぴょん飛び跳ねま す。そういう意味で、もし少しでも 予算がつくのであれば、確実な固定 をすること。それから予算がついた 時でいいから、お預かりした作品を 展示する時なんかには、地震が来て も大丈夫な免震台を使うことが大切 です。 変な話ですけれど、免震台はとっ ても高いんですね。もう滅茶苦茶な 値段がついております。単価の安い、 安いという言い方は、芸術にはない んですけど、二十万ぐらいの評価の ついた作品を展示するのに、二百万 近い値段のする免震台を入れるのは 私は何か変だとは思うんです。これ はどちらかというと、免震台の値段 をどんどん下げてきてくれないとい けない。医療の分野でも分析機器が ものすごく高くて、その分析機器を 維持するために、健康保険のお金を どんどん持ってかれています。もう 少しその辺の社会構造を考えて、人 間も文化財も、もっと当たり前の感 覚で処置できるようになるといいな と思います。 ということで、あまりはっきりし た 終 わ り 方 が で き ま せ ん で し た が、 こういう経験を致しましたので、ご 報告致します。 . 九州国立博物館の免震構造. 12.
(12)
関連したドキュメント
基準の電力は,原則として次のいずれかを基準として決定するも
にちなんでいる。夢の中で考えたことが続いていて、眠気がいつまでも続く。早朝に出かけ
学側からより、たくさんの情報 提供してほしいなあと感じて います。講議 まま に関して、うるさ すぎる学生、講議 まま
都調査において、稲わら等のバイオ燃焼については、検出された元素数が少なか
下山にはいり、ABさんの名案でロープでつ ながれた子供たちには笑ってしまいました。つ
東日本大震災において被災された会員の皆様に対しては、昨年に引き続き、当会の独自の支
風向は、4 月から 6 月、3 月にかけて南東寄りの風、7 月から 11 月、2 月にかけて北北 東寄りの風、 12 月から 1
3 月 11 日、 お母さんとラーメン屋さんでラーメンを食べているときに地震が起こっ