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義憤と嘲笑-シェリ : の『ピーター・ベル三世』 利用統計を見る

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Academic year: 2021

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,QGLJQDWLRQDQG/DXJKWHU6KHOOH\ V3HWHU%HOOWKH7KLUG

原 田   博

+LURVKL+$5$7$

3HWHU%HOOWKH7KLUGが執筆された1819年は、シェリーの「驚異の年」の始まりである。この年には、 バイロンとの対話に基づいたFRQYHUVDWLRQSRHPの-XOLDQDQG0DGGDOR$&RQYHUVDWLRQを皮切りに、 それに続いて喜劇3URPHWKHXV8QERXQGとイタリアの史実に基づく悲劇7KH&HQFLをほぼ同時に脱 稿している。これに加えて、代表的抒情詩2GHWRWKH:HVW:LQGを書き上げている。対話詩、喜劇、 悲劇そして抒情詩を物したシェリーの創作意欲はこれに止まらなかった。マンチェスターにおける虐 殺事件を遠くイタリアで聞いたシェリーが「煮えたぎる義憤」に駆られて書き上げたのが7KH0DVN RI$QDUFK\である。そして、本国イギリスの文壇を賑わしていたいわゆる「ピーター・ベル騒動」に 参入しようと急遽執筆したのが、今回取り上げる3HWHU%HOOWKH7KLUGである。本作品は『無秩序の仮面』 と共に諷刺に属し、まさに、多様なジャンルを自在に駆使した「驚異の年」にふさわしい作品と言える。  さて、『ピーター・ベル三世』と『無秩序の仮面』とは、いずれも諷刺詩ではあるが、その詩風には 大きな違いがある。諷刺というジャンルを大きく二つに大別するならば、『無秩序の仮面』は、社会悪 を率直な怒りを込めて弾劾する-XYHQDOLDQVDWLUHユウェナリス風諷刺、といえるであろう。これに対し て、『ピーター・ベル三世』は、1RUWKURS)U\Hがその一世を風靡した名著$QDWRP\RI&ULWLFLVPの中で、 5REHUW%XUWRQの$QDWRP\RI0HODQFKRO\の「アナトミー」という用語で類別している、機知とユーモ アを纏った諷刺のジャンル、別名0HQLSSHDQVDWLUHメニッポス風諷刺として論じている様式に属する、 といって大過ないであろう。フライは、メニッポス風諷刺に散漫な定義しか与えてはいないが、それ を集約するならば、「諷刺詩人の攻撃対象への苦いアイロニーが機知とユーモアに富む笑いのファンタ ジーの中に溶融されているもの」、と言えるであろう()U\H 2243101)。メニッポス風諷刺に関し ては、フライが1957年に『批評の解剖』を世に出して以来、さまざまな学者や批評家がこの諷刺に関 する研究を深めて来ている。その中では、0LNKDLO%DNKWLQの3UREOHPVRI'RVWRHYVN\·V3RHWLFV(原典 完全版1963英訳完全版1984)と-RHO&5HOLKDQの$QFLHQW0HQLSSHDQ6DWLUH(1993)及び鈴木善三の 『イギリス風刺文学の系譜』(1996)に注目したい。バフチンはメニッポス諷刺の特徴として14もの事 例を挙げている(%DNKWLQ 1148)が、大まかに纏めると、文体としては詩文散文の混在であり、内 容的には主人公の天界への上昇や冥界への下降があり、その主題はジャーナリスティックである、と なろう。レリハンは、古典メニッポス文学に、①詩文散文混交体②ファンタスチックな語り③バーレ スク(パロディ)による文体の転換④博識を韜晦する狂言、という4つの定義を与えている(5HOLKDQ  1736)。鈴木の功績は、以上の業績を手際よく整理し、かつまた、古代から現代イギリス文学までの 20名を超える作家の代表作を、メニッポス風諷刺の事例研究としてとして鮮やかに浮かび上がらせた ことにある。本書のロマン派を扱った第7章ではシェリーの『ピーター・ベル三世』と好一対を成す バイロンの7KH9LVLRQRI-XGJPHQWを取り上げている。ところで、シェリーの『ピーター・ベル三世』 は、そもそも、研究対象にされることが少なかった上に、メニッポス風諷刺として考察したものは寡 聞にして知らない。その意味で拙論には多少の意義はあろう。1ともあれ、シェリーの本諷刺詩には、 フライやバフチンあるいはレリハンが上に挙げた特徴がよく当てはまっているように思われる。本作

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品は、一言で言うならば、洗練されまた衒学的にしてコミカルなファンタジーの世界に仮託した風刺 詩、と言える。当然シェリーもこれを書くに当たって、読み手には特別な文学好きや目利きの批評家 を念頭に置いていたが、広く一般読者層に読まれることを期待はしてはいなかったはずである。  以上、前置きとして、シェリーの1819年という「驚異の年」における観点から概観し、『ピーター・ ベル三世』が同年に生み出された他の諸作品の中に占める位置を明らかにした。また、同時に、本風 刺詩がメニッポス風風刺に属している、と提議した。これ以降は、次の4つの観点から本作品を読み 解いていくことにしたい。先ず、第一に、本作品の義憤と嘲笑の標的になっているワーズワスに対す るシェリーの評価の変遷を実証し、本作品執筆に至った動機を確認したい。第二に、必要に応じてワー ズワスとジョン・ハミルトン・レノルズの『ピーター・ベル』を引き合いに出しながら、本作品をメニッ ポス風風刺に引き寄せて解剖し、その肝を摘出することにする。第三に、シェリーの本作品がワーズ ワスに与えた影響、そしてワーズワスの「ピーター・ベル」が、逆にシェリーの詩作に与えたと思わ れる影響について指摘したい。そして最後に、第四として、シェリーの諷刺文学への姿勢に触れ、本 作品の嘲笑の背後にあるものを探ることにしよう。  さて、第一の課題はシェリーのワーズワス評価の変遷を辿ることであった。長期的に見ればシェ リーによる評価は、ワーズワスの詩作品への共感と、ワーズワスの政治姿勢つまり国家護持体制へと 組み込まれていくことへの反発との双方が、互いに複雑に絡み合っていることがわかる。しかし、概 ね1807年を境に、それ以前の共感・尊敬から、それ以降の反発・失望へと変わっていった、と言え るであろう。周知のように、1807年に上梓された3RHPVLQ7ZR9ROXPHVにはワーズワスの代表作 である、いわゆる,QWLPDWLRQV2GHが収録されている。+DUROG%ORRPはその著$0DSRI0LVUHDGLQJ の中で、ワーズワスの,QWLPDWLRQV2GHはミルトンの/\FLGDVの誤読であり、シェリーの+\PQWR ,QWHOOHFWXDO%HDXW\と2GHWRWKH:HVW:LQGはワーズワスの,QWLPDWLRQV2GHの誤読である、とし ている(%ORRP 14452)。ブルームの用語PLVUHDGLQJ「誤読」は、広い意味ではテクスト間の影響関 係を指しているのであるから、シェリーの創作活動にとって、ワーズワスのこのオードは極めて重要 な役割を果たしていた。  しかし、ワーズワスの次の大作、1814年に出された7KH([FXUVLRQについて、メアリは1814年9 月14日付けの日誌に次のように記している。「シェリーがワーズワスの『逍遙』を自宅に持って来た。 その一部を私たちは読んだ―ひどくがっかりした―彼は奴隷だ―」。「ワーズワスは奴隷だ。」とまで言 い切った理由は、本作品が、前年1813年、ワーズワスを'LVWULEXWRURI6WDPSVに取り立ててやった第二 代ロンズデール伯に、膝を屈して恭しく献呈されていたからであろう。彼が賜ったその官職が年400 ポンドの収入をもたらし、それでダブ・コテージからライダル・マウントへ引っ越すことができた、 ということをシェリーとメアリは知っていたはずである。シェリーは「ピーター・ベル三世」の終盤 で、その邸宅の内外の装飾ぶりを面白おかしくお茶らかしている。ところで、作品『逍遙』のどの部 分に失望したのであろうか。少なくとも二カ所あると思われるが、そのうちの一つは明白である。「ピー ター・ベル三世」の588行目にシェリー自身の長文の注が付されており、『逍遙』第8巻568−71行目 に相当する部分を非難している。この部分は、詩人である私が、突然現れた少年から、平らな石の上 に何匹もの死んだ鱒を並べて自慢する話を聞き、感銘を受ける場面である。これに対して、シェリーは、 『逍遙』には感受性が狭められかつ冷淡になっている証拠が認められる、と断じて/\ULFDO%DOODGV第 二版に収録されていた+DUW/HDS:HOOの結末の4行を引用し、『逍遙』の詩人は、この見事にして崇 高な部分をもはや忘れてしまったのであろう、と鋭く詰問している。シェリーとメアリの失望を誘っ たもう一つの部分は、推測の域を出ないが、『逍遙』第9巻の383行から415行目の部分であろう。こ

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こでは、イギリス帝国主義の発展を願うことから始まり、国民を統治する国家権力を崇拝することで 締めくくられているからである。  ところで、シェリーには7R:RUGVZRUWK(1816)というソネットがある。これは初期の代表作 $ODVWRUと共に1816年に出版されたものである。1815年4月21日付けのメアリの日誌には、ワーズワ スの1815年版3RHPVを読んだことが記されているので、シェリーのこの『ワーズワスへ』という詩 にはその「詩集」への思いも反映されている、と考えられる。そのソネットの最後の4行は、以下の ように、詩人ワーズワスへの決別の辞となっている。  7R:RUGVZRUWK    ,QKRQRXUHGSRYHUW\WK\YRLFHGLGZHDYH 11  6RQJVFRQVHFUDWHWRWUXWKDQGOLEHUW\̶  'HVHUWLQJWKHVHWKRXOHDYHVWPHWRJULHYH  7KXVKDYLQJEHHQWKDWWKRXVKRXOGVWFHDVHWREH2  一方、ワーズワスを政治的傾向から見た場合、体制側への傾斜は、1807年の「二巻詩集」の翌年に 執筆され、1809年に出版された7KH&RQYHQWLRQRI&LQWUDという愛国的論説に既に見受けられる。そ の中には、「イングランド、スコットランド、ウェールズのみならずアイルランドも同一の立法・行政 機関の元で統治されるべきである」、という一節がある。ダブリンに渡りアイルランド独立のために 活動をしたシェリーにとって、ワーズワスが提言するアイルランド併合は認められないものであった。 さて、1813年国家の官僚組織に組み込まれたワーズワスが、次に取った体制擁護の活動が1818年の国 政選挙であった。彼は、傍から見てやや異常と思われるくらいトーリー党に肩入れし、対立候補であ る+HQU\%URXJKDPを攻撃し、頻繁にロンズデール伯と会食をしては選挙情勢を話し合った、と言わ れている。このような風聞は、友人リー・ハントやトーマス・ラブ・ピーコック、あるいは様々な新 聞雑誌等を通じてイタリアにいるシェリーの耳に入っていたのである。シェリーから見てワーズワス はもはや転向者であった。彼がワーズワスに対し怒りの焔を燃やし続けていた、そのときに届けられ たのが、ハントによるワーズワスの『ピーター・ベル』批判である。これがシェリーを非常に楽しま せて、シェリーは一気にコミカルな『ピーター・ベル三世』を書き上げていく。3以上が、シェリー がワーズワス嘲笑へ到る理由の概観である。  では、第二の課題である『ピーター・ベル三世』それ自体の内容分析に移ることにする。本作品の 構成は、前置きとして、ワーズワスの「ピーター・ベル」とシェイクスピアの「ハムレット」からの 引用、及びシェリーの友人にして7KRPDV%URZQWKH<RXQJHUこと7KRPDV0RRUHへの長い散文の献辞か ら構成されている。 3HWHU%HOOWKH7KLUG %\0LFKLQJ0DOOHFKR(VTU  ,WLVDSDUW\LQDSDUORXU̶  &UDPPHGMXVWDVWKH\RQHDUWKZHUHFUDPPHG   6RPHVLSSLQJSXQFK̶VRPHVLSSLQJWHD

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  %XWDV\RXE\WKHLUIDFHVVHH  $OOVLOHQWDQGDOO̶GDPQHG   3HWHU%HOOE\::25'6:257+  2SKHOLD:KDWPHDQVWKLVP\ORUG"  +DPOHW0DUU\WKLVLVPLFKLQJPDOOHFKRLWPHDQVPLVFKLHI 'HGLFDWLRQ 7R7KRPDV%URZQ(VTUWKH<RXQJHU+)  以上の前置きの後に詩作品本体が続くことになる。先ずプロローグから始まり、その後は7つの部分 に分かたれ、それぞれに「'HDWK」、「7KH'HYLO」、「+HOO」、「6LQ」、「*UDFH」、「'DPQDWLRQ」、そして「'RXEOH 'DPQDWLRQ」、というおどろおどろしい主題が割り振られている。このことは、ワーズワスのピーター・ ベルが改宗したメソディズムの教義のパロディ化したもの、と見ることも可能であろう。そして注目 すべきは、作品本体に作者自身が付した計8カ所に上る散文の注である。これらの真面目なあるいは 狂言じみた注に、シェリーの友人トーマス・ムーアに寄せた散文による長い滑稽な「献辞」と合わせ ると、メニッポス風諷刺の一特徴である詩文散文混淆体そのものである。これら散文が作品本体であ るバラッド体(この形式自体がワーズワスがバラッド体で書いた『ピーター・ベル』への痛烈なパロ ディである)と無理なくシームレスに融合していることに着目すべきである。ただし、注意すべきは、 この注はシェリーによるものと安易に判断してはならないことであろう。厳密には言うならば、これ らの注はシェリーによるものではなく、あくまでも作者とされているミッチング・マレッチョによる ものである、と見なすべきである。そうしないと本作品『ピーター・ベル三世』の面白みは半減して しまう。  さて、作者ミッチング・マレッチョは、作品『ハムレット』から引用して彼の名前の出所を自ら明 らかにしている。『ハムレット』3幕2場で旅役者たちのGXPEVKRZが終わると、オフィーリアがハ ムレットに、「いったいこれはどういう意味でございましょうか」、と尋ねると、ハムレットが、「そう さな、これはミッチング・マレッチェだ。それは悪企みという意味なのさ」と、答えるところから由 来している。ミッチング・マレッチョという詩人名は実に巧妙にして効果的である。周知のように、 ハムレットの指示を受けた旅役者たちの黙りは、叔父クローディアスによる兄殺しと王位及び兄嫁簒 奪の手口を暴露するものであり、その上演を見せられるクローディアスの心を密かに探るためにある。 『ピーター・ベル三世』を書いたミッチング・マレッチョの目的も、偉大な自然詩人が次第に体制側 に取り込まれ、俗物と化し、ついに退屈な詩を書いていく過程を暴露することにある。その企みがミッ チング・マレッチョなのでありかつまた作品『ピーター・ベル』の作者名なのである。そして彼の口 調は、気分の高揚したハムレットがそうであるように、毒舌をユーモアで纏っている。「死」や「悪魔」 や「地獄」などというおどろおどろしい主題は、荘重に語るのではなく、あくまでも洒落と軽妙に語 らなければ、読んで楽しくかつ安全な諷刺にはなり得ないことを、このミッチング・マレッチョなる 作者は十分に心得ているのである。ただし、付言するならば、この周到な用心にもかかわらず、本詩 の手稿を受け取ったハントはその出版を渋り、結局日の目を見たのはシェリー死後17年後に妻メアリ が出版した1839年のことであった。

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 本作品が7KRPDV%URZQ7KH<RXQJHUこと7KRPDV0RRUH+)(+LVWRULDQRI)XGJHVの略称。シェリー とバイロンの共通の友人であったムーアは)XGJH)DPLO\LQ3DULVという偽ルポルタージュを出版して 大当たりを取っていた)へ献呈されているのは、ワーズワスの『ピーター・ベル』が桂冠詩人5REHUW 6RXWKH\3/(3RHW/DXUHDWHの略称)に恭しく献呈されていることへの当てこすりである。さて、ムー アへの「献辞」の中で、「「地獄」や「悪魔」は超自然的装置ではなく、本叙事詩の全場面はこの世に 設定されている」、という重要な一節がある。 <RXZLOOSHUFHLYHWKDWWKDWLWLVQRWQHFHVVDU\WRFRQVLGHU+HOODQGWKH'HYLODVVXSHUQDWXUDOPDFKLQHU\ 7KHZKROHVFHQHRIP\HSLFLVLQ WKLVZRUOGZKLFKLV" ただし、その意味は、本叙事詩つまり『ピーター・ベル三世』は、あくまでも、疑似英雄詩PRFN KHURLFであり、擬似的に地獄という冥界に下る訳である。この冥界下りも、バフチンが指摘したメニッ ポス風諷刺の特質である。散文の「献辞」に続く、詩本編の冒頭をなすプロローグをごく簡単に説明 することにしよう。3行目のDQWHQDWDO3HWHUとはレノルズのピーターを指す。「生前の」という意味は、 彼はワーズワスのピーターを出し抜いて先に生まれたからである。実は、レノルズはワーズワスの 『ピーター・ベル』の出版予告を知り、それを出し抜いてワーズワスの「本物」が出る前に同じく『ピー ター・ベル』と題して出版し、巻頭の題辞にはご丁寧に ,DPUHDOWKHUHDO6LPRQ3XUH と書き込んでいた。 この後世に出るワーズワスの『ピーター・ベル』は偽物だ、と抜け駆けした訳である。従って、この レノルズのピーターが第一代であり、31行目のピーターがワーズワスのピーターで、第二代目であり メソディストである。そして37行目のピーターがピーター・ベル三世であり、ワーズワスその人であ り永劫の堕地獄の罰を受けている、という設定である。つまり一代目と二代目のピーターは『ピーター・ ベル』という作中のキャラクターであるのに対し、三代目はワーズワスという実存する詩人に擬せら れていることに注意する必要がある。  さて、第一部以降は時間の都合上二三カ所に絞って解説せざるをえないが、なぜ第一部がいきなり 「'HDWK」から始まっているのであろうか。シェリーから見て(これはシェリーの誤読であろうが)メ ソディストに改宗したピーター・ベル、つまりワーズワスが死んで堕地獄の罰を受け、そこで悪魔に 出会う、という設定上の必要もあったろう。実はレノルズの3HWHU%HOO$/\ULFDO%DOODGの最終部では、 なんとピーターは、::と刻まれた湖水派詩人の墓に出会うことになっている。つまりレノルズは ワーズワスを殺してしまっていた(作中では自殺、となっているが)のである。シェリーのピ−ター・ ベルの死はこれを受けてのことであろう。従って、シェリーのピーター・ベルは、12名の妻を持つご ろつきまがいのワーズワスのピーター・ベルトとは違い、ワーズワスその人である。彼は、1行目か ら10行目にかけて、地獄の業火ですっかり変貌し、顔つきには威厳があり、鼻にかかった気取った声 音で話し、頭髪をロシア製の高級ヘアリキッドでなでつけている、という具合に巧みに戯画化されて いる。さて、第二部の主題は「WKH'HYLO」である。81行目以降にあるように、シェリーの悪魔は、超 自然的存在ではなく、どこにでもいる紳士であり、サック酒を頂戴する桂冠詩人であり政治屋であり ペテン師である。つまり悪魔とは、この世での俗物根性そのものの擬人化ともいえる。悪魔はピーター を当世流行の世界へ連れて行き、彼を従僕に雇い、けばけばしいお仕着せを与え地獄ロンドンへと案 内する。次の第三部「+HOO」では、153行目以降、不定冠詞を付けて表現を和らげてはいるが、地獄 の主ども5名の固有名詞を列挙している。なお、地獄をロンドンに擬しているこの第三部は、メニッ ポス風諷刺から逸脱し、きまじめな社会批判つまりユウェナリス風諷刺の文体に傾いていることに注

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意したい。あるいは、メニッポス風諷刺の特徴には文体の突然変異があるので、これを強いてユウェ ナリス風諷刺の文体、と解釈する必要はない、という解釈も可能であろう。  第4部「6LQ」では、ワーズワスへの賞賛と批判というアンビバレントな思いが混交している。例 えば、275行前後はワーズワスの詩が持つある種の長所・強みを指摘している。278から85行目まで はワーズワスと批評家達との争いを描き、彼ら批評家たちの品性の下劣さを列挙している。注目すべ きは、294行目で、ワーズワスの心は FLUFXPIHUHQFHDQGFHQWUH である、と一種のR[\PRURQ同着語 法を用いてからかっている箇所である。つまり、円周であると同時に中心であるということは、中心 と円周との間に何の広がりがないブラックホールのようなものであり、一度そこに入れば二度と出て 来ることは出来ないのである。これは、ワーズワスのほとんどの詩に共通するワン・パターン、例え ば、過去の出来事を回想しそこに成長した自己を認める、などへの痛烈な皮肉であろう。ただし、こ の表現は後に、シェリー自身の$'HIHQFHRI3RHWU\の中で 3RHWU\LVDWRQFHWKHFHQWUHDQGFLUFXPIHUHQFH RINQRZOHGJH というあらゆる詩論の中でも最も有名な一節として取り込まれていくことになる。も ちろんその意味は、詩はあらゆる学芸を融合させる広大無辺な周辺を持つ、というものである。さ て、本題に帰って、298行目と次の一行も嘲笑の修辞、つまり諷刺でよく使われるEDWKRV急落法でもっ て、ワーズワスの想像力の欠如を衝いている。 +HKDGDVPXFKLPDJLQDWLRQ$VDSLQWSRW 「彼はたい した想像力を持っているんだぜ、たった1パイントコップ分だけどね」、という訳である。313行から 32行まではピーター・ワーズワスへの長い揶揄が続く。つまりワーズワスは自然詩人であることを受 け、その自然を、山川草木花鳥風月を擁する大自然から、人間が生来持っている自然な欲望へと話を 巧みにすり替えている。そして自然は蠱惑的な女性に擬人化されていて、そういう魅惑的自然の誘惑 に従い切れない、あるいはそういう自然の隠された秘密を暴ききれないワーズワスの意気地なさをあ ざ笑っている。この部分の際どい表現を解説するのは公序良俗に反する恐れがあるので、引用のみに 留めおくことにする。

 %XWIURPWKHILUVW WZDV3HWHU VGULIW    7REHDNLQGRIPRUDOHXQXFK   +HWRXFKHGWKHKHPRI1DWXUH VVKLIW 315  )HOWIDLQW─DQGQHYHUGDUHGXSOLIW    7KHFORVHVWDOOFRQFHDOLQJWXQLF ただし、ワーズワスの名誉(?)のために一言するならば、彼は決して石部金吉ではなかった。とい うのは、シェリーが生まれる前年1791年には再度フランスに渡り(フランス革命に共感し最初に渡仏 したのは1790年のこと)、皮肉なことに王党派の娘と恋に落ち娘を設けていたのである。つまり、ワー ズワスはとっくの昔に自然の女神の誘惑に降参していたのである。ワーズワス家が長期にわたりひた 隠しにしたこの事実を、シェリーが知っていたならば、彼のワーズワス観はもっと幅広いものになっ ていたかも知れない。  次の第5部は「*UDFH」である。この80行ほどの間は、ほぼワーズワスの詩に対する賞賛と感謝の 念で終始していることに注意したい。ところが最後の部分つまり457行目では、ピーターは高慢にな り悪魔の従僕になることを拒否したために、悪魔はその仕返しを決意する。第6部「'DPQDWLRQ」は、 それを受けてピーターの受難が始まる。先ず悪魔が取ったピーターへの仕返しとは、465行目から502 行にかけてあるように、批評家達に5ポンドを包んで、ピーターの本が出たらそれを酷評してくれ、

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と依頼し、それを受けて批評界はこぞってピーターの作品へ難癖を付け始め、ピーターは半狂乱にな る。ところが、620行目以降にあるように、ピーターの詩に(とりわけ『逍遙』の中に)、専政政治を 是認するかの如き体制側におもねる詩行があることを見つけた御用批評家達は、ピーターをこぞって 賞賛し始める。それを見つけたピーターの叫び「ユリーカ!詩はこういう風に書けばいいんだ」は、 痛烈な嘲笑である(もちろんここには、あの有名なアルキメデスの逸話が背景にある)。    (XUHND,KDYHIRXQGWKHZD\ 630  7RPDNHDEHWWHUWKLQJRIPHWUH  7KDQHHUZDVPDGHE\OLYLQJFUHDWXUH     8SWRWKLVEOHVVHGGD\ さて、最後の部分「'RXEOH'DPQDWLRQ」は前段の「'DPQDWLRQ」と同様にアイロニカルである。658行 目から687行目にあるように、悪魔のお陰で'LVWULEXWRURI6WDPSVに推挙され、それを恭しく拝受し世俗 的には出世を続け、そして687行目以降にあるように、豪邸に見合う調度品を購入し、車寄せには玉 砂利を敷き詰めたりするが、彼の詩はますます退屈さを極めて行き、ついには、彼の住んでいる地域 全体がその倦怠感に飲み込まれて行く様子を、面白おかしく描写している。だめを押すように、最後 の一行は、「一体どうすればピーターにとりついた倦怠感がなくなるのであろうか」、という修辞疑問 文で締め括られている。  では先を急いで、第三の課題である本作品が、ワーズワスに与えた影響とその逆の場合に移りたい。 先ず、前者についてであるが、636−7行目は、ワーズワスが1816年に執筆したウェリントンがナポ レオンを撃破したワーテルローの戦いを讃えた2GHの106−7行目からの抜粋である。  7KHQ3HWHUZURWHRGHVWRWKH'HYLO―    ,QRQHRIZKLFKKHPHHNO\VDLG 635  0D\&DUQDJHDQG6ODXJKWHU  7K\QLHFHDQGWK\GDXJKWHU     終わりの2行はワーズワスの原詩では以下の如くである。   $OPLJKW\*RG  %XWWK\PRVWGUHDGIXOLQVWUXPHQW  ,QZRUNLQJRXWDSXUHLQWHQW  ,V0DQ̶DUUD\HGIRUPXWXDOVODXJKWHU  ̶<HD&DUQDJHLVWK\GDXJKWHU 「ピーター・ベル三世」は1839年、つまりシェリー死後17年経過して出版されたのであるが、ワーズ ワスは未だ健在であった。彼はシェリーが自作をパロディ化したこの行を読み、1845年に改訂版を出 すに当たり「&DUQDJH」と「GDXJKWHU」という言葉を削除している。さすがに、ワーズワスも神の道具 である人間を、「大虐殺」=「神の娘」という擬人化と同列視することにためらったのであろう。ワー ズワス75歳の時である。シェリーは、実に良くワーズワスの作品を読んでいるが、ワーズワスもま

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たシェリーの作品に注意を払っていた、と言えるのではなかろうか。では、逆にワーズワスの『ピー ター・ベル』が『ピーター・ベル三世』以外の作品に影響を与えた、ということはあるであろうか。 意外に思われるかも知れないが、シェリーが1820年7RD6N\/DUNを執筆する際に、彼の頭の片隅に ワーズワスの『ピーター・ベル』があったと思われる。ワーズワスの『ピーター・ベル』には200行 近い3URORJXHがついている。これを要約すれば、「三日月型のボートに乗って天空を滑空している詩 人は、詩人の責務として、地上で私を待っている人たちに、ピーター・ベルの話をしなければならない」、 とボートから地上に降りて話を始める。ここには天上と地上の対立軸があり、また天上から降り立っ た詩人が地上の人間に伝える義務が強調されている。この『ピーター・ベル』の構図は、雲雀の舞い 上がる天上と詩人の立つ地上との対立軸を設けると同時に、天上の雲雀に教えを乞う使命感に満ちた 詩人の責務を強調している『雲雀に寄せる歌』の構図の先駆けのように思われる。更に、ワーズワ スのピーターは、メソディストへ改心した後、主人への恩義忘れない驢馬に向かって、2K,ZRXOG SRRUKHDUWWKDW,KDGQRZ$KHDUWEXWKDOIDVJRRGDVWKLQH (結末から8番目のスタンザの終わりの2行) と言う嘆願は、シェリーの『雲雀に寄せる歌』のあの有名な祈願、7HDFKPHKDOIWKHJODGQHVV7KDWWK\ EUDLQPXVWNQRZ (1012)、という一節へと、まじめにパロディ化されている。これらは単なる偶然の 一致の域を超えている、と思わざるをえない。 最後に、第四の課題、つまりシェリーの諷刺に対する姿勢を考え、併せてワーズワスへ浴びせた嘲笑 の背後にあるものを探りたい。さて、シェリーには$6DWLUHXSRQ6DWLUHという断片があることはほ とんど知られていないが、その枢要を以下に抜粋する。  6XIIHULQJPDNHVVXIIHULQJ̶LOOPXVWIROORZLOO 41  +DUVKZRUGVEHJHWKDUGWKRXJKWV EHVLGH         )DUEHWWHUWKDQWRPDNHLQQRFHQWLQN 58  :LWKWKHVWDJQDQWWUXLVPVRIWULWH6DWLUHVWLQN        大意は、「苦悩は苦悩を作り、悪は悪に従い/手厳しい言葉は頑なな思いを生み出す(41−2)。汚 れなきインクを陳腐な諷刺の淀んだ屁理屈で悪臭を放たせるよりははるかにまし(58−59行目)」、と なり、諷刺は人を傷つけ筆を汚す、と諷刺詩を諷刺している。この断片は、『ピーター・ベル三世』を 書いた1819年から翌20年辺りに執筆されたもの、と推測されている。4従って、ワーズワスに嘲笑を 浴びせながら、あるいは嘲笑を浴びせたその後に、シェリーの心の中には諷刺というものへの疑念が 生じていたことになる。ただし、これをもってシェリーが諷刺を全面的に否定した、と解釈するのは 早計であろう。ここに言われている諷刺とは、諷刺の対象を仮借なく弾劾するユウェナリス風諷刺を 念頭に置いていた、と推察されるからである。だからシェリーは、「諷刺詩人の攻撃対象への苦いアイ ロニーが機知とユーモアに富む笑いのファンタジーの中に融合されている」メニッポス風諷刺をもっ てワーズワスを揶揄したのであろう。シェリーの諷刺詩は『ピーター・ベル三世』が最後ではなく、 翌1820年には、より複雑な形態をとった2HGLSXV7\UDQQXVRU6ZHOOIRRWWKH7\UDQWをもってメニッ ポス風諷刺を更に展開させている(-RQHV6KHOOH\·V6DWLUH 1312)。  ともあれ、メアリは1839年の『シェリー詩集』に『ピーター・ベル三世』を掲載するに当たり、「シェ リーほどワーズワスを賞賛していた人はいない」旨の弁明をしているが、そのことに概ね間違いない、 と言える。『ピーター・ベル三世』を概観してきたように、シェリーは実に子細にワーズワスを読み、

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その弱点を指弾すると同時に、賞賛も惜しみなく送っている。1819年10月15日付けの手紙(&KDUOHV 2OOLHU宛)では、要約すれば、「私はワーズワスを模倣していると言われているが、それは本望だ。同 じ時代精神WKHVSLULWRIWKDWDJHを生きている詩人はそうなるのだ」、という趣旨を述べている。では、 シェリーはなぜ本作品を書き敢えて世に出そうとしたのであろうか。その一つの理由は既に指摘した ように、母国イギリスの文壇を賑わせていたいわゆる「ピーター・ベル騒動」に一枚加わろうとした ことである。もう一つの理由は、ある調査によれば、1819年と翌20年は諷刺の年と言えるくらい、諷 刺詩が出されていた('\HU 21050)。シェリーもその機運に乗ったのであろう。一つの手がかりは、 1819年11月2日にリー・ハントに送った手紙で、「『ピーター・ベル三世』は、DSDUW\VTXLEである」、 と述べていることである。DSDUW\VTXLE つまり、「党派的諷刺詩」、ということは、大まかに図式化す れば、7KH([DPLQHU対7KH4XDUWHUO\5HYLHZであり、コックニー詩人対湖水派詩人の対立であり、 政治的にはWKH:KLJV対WKH7RULHVである。シェリーは前者の側に立って諷刺詩を書いて見せた訳であ る。彼がワーズワスへ浴びせた機知とユーモアに溢れた嘲笑も、メニッポス風諷刺の様式に従いなが ら、一方では党派的な理由もあった、と理解すべきであろう。彼の止まることを知らない嘲笑の連続は、 ワーズワスへの諷刺が目的なのかあるいは笑いそれ自体が目的なのか、その真意を限りなく曖昧にさ せぼかしていく。もしかしたら真意を隠すことが目的であったのかも知れない。いずれにせよ、シェ リーは、この作品の文学的完成度には自信があったかも知れないが、その嘲笑にはある種の苦みが含 まれていたに違いない、と理解したい。 付記 *本稿は、第37回イギリス・ロマン派学会全国大会(於:大阪大学時:2010年10月9−10日)初日 に開催されたシンポージアム「笑いのロマン主義」において司会兼発題者として発表した「義憤と嘲 笑―シェリーの『ピーター・ベル三世』」に若干の手を加えたものである。全体が口語に傾いている のはそのためである。口頭発表の原稿を元にしているので注は最少に止めている。その代わり、巻末 の参考文献欄には、本稿作成にあたり目を通したすべての書籍と論文とを網羅している。本文におい て必ずしも直接的言及や引用を行っていなくとも、多少なりとも参考になったものをすべて掲載して いる。  なお、本稿から発展させたものを $8QLWHG)URQWRI6DWLUHZKLFK%\URQDQG6KHOOH\)RUPHGLQ,WDO\ と 題して第38回国際バイロン学会(於:レバノン ノートル大学・レバノン大学共催 時:2012年7月 1日−7日)で口頭発表(於:レバノン大学 時:7月4日)したものが、2013年初頭に刊行される 同学会誌(%\URQDQG*HQUH)に収録されている。本稿と併わせてお読みいただければ幸いである。 注 1『ピーター・ベル三世』を古典メニッポス風諷刺と関連づけることには奇異を感じるかも知れないが、シェリー は、レリハンが言及している古典諷刺家、例えば、$ULVWRSKDQHV/XFLDQ3HWURQLXV6HQHFDなどはよく読んでい た(ただし、メニッポス風諷刺の創始者とされる9DUURや0HQLSSXVは知らなかったりあるいは読んでいなかっ たであろうが)。2('によれば、0HQLSSHDQという言葉は18世紀初め以降使われ、その世紀の終わりに出た (QF\FORSDHGLD%ULWDQQLFDには解説記事が収録されていることから、シェリーはこの諷刺の概要については

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知っていた可能性がある。更に勘案しなければならないことは、シェリーは古典諷刺を手本とした擬古典派の 6ZLIWや3RSHの作品を愛読していたことである。従って、シェリーがメニッポス風諷刺を会得していった過程 には、直接古典作家に親しんでいたことと同時に、間接的には上記の擬古典作家を介した、という二通りの道 筋が考えられよう。年代的に近いロマン派第一世代が擬古典作家を軽視し、むしろ第二世代のシェリーやバイ ロンがこれら擬古典作家の著作に親しんでいたことは注目に値する。余談であるが、シェリーはメニッポス風 諷刺と対照をなす弾劾的諷刺詩で知られる-XYHQDOの作品も読んでいた。彼の7KH0DVNRI$QDUFK\(1819) はユウェナリス風諷刺詩である 2 以下シェリーの作品の引用はすべて6KHOOH\·V3RHWU\DQG3URVHに従っている。 3 バフチンがメニッポス風諷刺の一要素としてあげていたのが、前述したようにジャーナリスティックであっ た。シェリーは、本国イギリスを賑わせていた「ピーター・ベル」騒動に時を逃さず参入しようとしたのである。

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参考文献 一次資料 5H\QROGV-+3HWHU%HOO$/\ULFDO%DOODG/RQGRQ1819

7KH/HWWHUVRI3HUF\%\VVKH6KHOOH\2YROV(G)UHGHULFN/-RQHV2[IRUG$WWKH&ODUHQGRQ3UHVV1964 6KHOOH\ 3RHWLFDO :RUNV (G 7KRPDV +XWFKLQVRQ &RUU *0 0DWWKHZV 2[IRUG DQG 1HZ <RUN 2[IRUG

8QLYHUVLW\3UHVV1970

6KHOOH\·V 3RHWU\ DQG 3URVH(6HFRQG (GLWLRQ) (G 'RQDOG + 5HLPDQ DQG 1HLO )UDLVWDW 1HZ <RUN DQG /RQGRQ::1RUWRQ2002

7KH 8QH[WLQJXLVKHG +HDUWK 6KHOOH\ DQG +LV &RQWHPSRUDU\ &ULWLFV(G1HZPDQ,YH\:KLWH1HZ <RUN2FWDJRQ%RRNV1966

6KHOOH\V³/HLJK +XQW +RZ )ULHQGVKLS 0DGH +LVWRU\ (G 5 %ULPOH\ -RKQVRQ 1HZ <RUN +DVNHOO +RXVH1972

3HUF\%\VVKH6KHOOH\(7KH&ULWLFDO+HULWDJH)(G-DPHV(%DUFXV/RQGRQDQG1HZ<RUN5RXWOHGJH1975 5RPDQWLF %DUGV DQG %ULWLVK 5HYLHZHUV $ 6HOHFWHG (GLWLRQ RI WKH &RQWHPSRUDU\ 5HYLHZV RI WKH

:RUNV RI :RUGVZRUWK &ROHULGJH %\URQ .HDWV DQG 6KHOOH\ (G -RKQ 2 +D\GHQ /LQFROQ DQG /RQGRQ8QLYHUVLW\RI1HEUDVND3UHVV1971

7KH:HOOHVOH\6HULHV,9%ULWLVK5RPDQWLF3RHWV9ROXPH90RRUH²6PLWK(G&DUROLQH)UDQNOLQ

/RQGRQDQG7RN\R5RXWOHGJH7KRHPPHV3UHVV1998 :RUGVZRUWK:LOOLDP3HWHU%HOO$7DOHLQ9HUVH/RQGRQ1819 :RUGVZRUWK3RHWLFDO:RUNV(G7KRPDV+XWFKLQVRQ5HY(UQHVW6HOLQFRXUW/RQGRQ2[IRUG8QLYHUVLW\ 3UHVV1936 :LOOLDP :RUGVZRUWK(7KH2[IRUG$XWKRUV)(G6WHSKHQ*LOO2[IRUGDQG1HZ<RUN2[IRUG8QLYHUVLW\ 3UHVV1984 :LOOLDP:RUGVZRUWK6HOHFWHG3URVH(G-RKQ2+D\GHQ3HQJXLQ%RRNV1988 二次資料

%DNHU &DUORV 6KHOOH\·V 0DMRU 3RHWU\ 7KH )DEULF RI D 9LVLRQ 3ULQFHWRQ 3ULQFHWRQ 8QLYHUVLW\ 3UHVV 1948

%DWH%ULDQ -+5H\QROGV5H(FKRHVWKH:RUGVZRUWKLDQ5HSXWDWLRQ 3HWHU%HOO 5HPDNLQJWKH:RUNDQG 0RFNLQJWKH0DQ LQ6WXGLHVLQ5RPDQWLFLVP 47()DOO2008)27397

%HDW\)UHGHULFO/%\URQWKH6DWLULVW'HNDOE・,OOLQRLV1RUWKHUQ,OOLQRLV8QLYHUVLW\3UHVV1985

%LVZDV $MR\ 5DQMDQ7KH :ULWLQJV RI 3HUF\ %\VVKH 6KHOOH\ 5RPDQWLFLVP DQG 6DWLUH 1HZ 'HOKL 'HHS 'HHS3XEOLFDWLRQV1966

&DUUHWWD 9LQFHQW *HRUJH ,,, DQG WKH 6DWLULVWV IURP +RJDUWK WR %\URQ $WKHQV DQG /RQGRQ 7KH 8QLYHUVLW\RI*HRUJLD3UHVV2007

&KDQGOHU -DPHV (QJODQG LQ  7KH 3ROLWLFV RI /LWHUDU\ &XOWXUH DQG WKH &DVH RI 5RPDQWLF +LVWRULFLVP&KLFDJRDQG/RQGRQ7KH8QLYHUVLW\RI&KLFDJR3UHVV1998

'XII'DYLG5RPDQWLFLVPDQGWKH8VHRI*HQUH2[IRUG2[IRUG8QLYHUVLW\3UHVV2009

'\HU *DU\ %ULWLVK 6DWLUH DQG WKH 3ROLWLFV RI 6W\OH  &DPEULGJH &DPEULGJH 8QLYHUVLW\ 3UHVV1997

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(OOLRWW5REHUW&7KH3RZHURI6DWLUH0DJLF5LWXDO$UW3ULQFHWRQ3ULQFHWRQ8QLYHUVLW\3UHVV1960 )U\H1RUWKURS$QDWRP\RI&ULWLFLVP)RXU(VVD\V3ULQFHWRQ3ULQFHWRQ8QLYHUVLW\3UHVV1957 ノースロップ・フライ著 海老根他訳『批評の解剖』(東京:法政大学出版局)、1980 磯田光一著『比較転向論序説(増補) ロマン主義の精神形態』(東京:勁草書房)、1974

-RQHV6WHYHQ( 6KHOOH\ V)UDJPHQWRID 6DWLUHXSRQ6DWLUH $&RPSOHWH7UDQVFULSWLRQRIWKH7H[WZLWK &RPPHQWDU\ LQ.HDWV6KHOOH\-RXUQDO;;;9,,(1988)13663

     6KHOOH\·V 6DWLUH 9LROHQFH ([KRUWDWLRQ DQG $XWKRULW\ 'H.DOE・,OOLQRLV 1RUWKHUQ ,OOLQRLV 8QLYHUVLW\3UHVV1994

    6DWLUHDQG5RPDQWLFLVP1HZ<RUN6W0DUWLQ V3UHVV2000

     (G 7KH 6DWLULF (\H )RUPV RI 6DWLUH LQ WKH 5RPDQWLF 3HULRG 1HZ <RUN 3DOJUDYH 0DFPLOODQ2003 .HQW'DYLG$DQG(ZHQ'55RPDQWLF3DURGLHV/RQGRQDQG7URQWR$VVRFLDWHG8QLYHUVLW\ 3UHVVHV1992 5DZVRQ&ODXGH(G(QJOLVK6DWLUHDQGWKH6DWLULF7UDGLWLRQ2[IRUGDQG1HZ<RUN%DVLO%ODFNZHOO 1984 5HOLKDQ-RHO&$QFLHQW 0HQLSSHDQ 6DWLUH%DOWLPRUHDQG/RQGRQ7KH-RKQV+RSNLQV8QLYHUVLW\3UHVV 1993

5REHUWV +XJK 6KHOOH\ DQG WKH &KDRV RI +LVWRU\ $ 1HZ 3ROLWLFV RI 3RHWU\ 3HQQV\OYDQLD 7KH 3HQQV\OYDQLD6WDWH8QLYHUVLW\3UHVV1997

6FULYHQHU0LFKDHO+HQU\5DGLFDO 6KHOOH\ 7KH 3KLORVRSKLFDO $QDUFKLVP DQG 8WRSLDQ 7KRXJKW RI 3HUF\%\VVKH6KHOOH\3ULQFHWRQ3ULQFHWRQ8QLYHUVLW\3UHVV1982

鈴木善三著『イギリス風刺文学の系譜』(東京:研究社)、1996

:HLQEURW +RZDUG ' 0HQLSSHDQ 6DWLUH 5HFRQVLGHUHG IURP $QWLTXLW\ WR WKH (LJKWHHQWK &HQWXU\ %DOWLPRUH7KH-RKQ+RSNLQV8QLYHUVLW\3UHVV2005

:LOH\ 0LFKDHO 5RPDQWLF *HRJUDSK\ :RUGVZRUWK DQG $QJOR(XURSHDQ 6SDFHV /RQGRQ DQG 1HZ <RUN0DFPLOODQ1998

参照

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