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1987年精神衛生法改正の政策過程 : 利益集団の動き

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はじめに―1987 年の精神衛生法の契機は 何であったか 本稿は,日本の精神衛生行政史上において重 要とされる宇都宮病院事件から精神衛生法改正 までの政策過程について利益集団の動向を踏ま えて明らかにすることを目的とする。 宇都宮病院事件とは,1984 年 3 月 14 日,報 徳会宇都宮病院の看護職員が入院患者 2 名をリ ンチして死亡させた精神病院1 )における不祥事 事件のことである(『朝日新聞』1984.3.14 朝刊)。 1 ) 精神保健及び精神障害者福祉に関する法律では 「精神科病院」とされている。本稿では旧法の「精 神病院」標記が多いため,その語を用いる。 宇都宮病院事件については,日本の精神衛生行 政史上で次のように記述されてきた。 谷中輝雄は,「1984 年に栃木県の報徳会宇都 宮病院で起こった事件(宇都宮病院事件)を契 機として, 1987 年に精神衛生法が改正され精神 保健法が誕生し,精神障害者の人権擁護と社会 復帰の促進が掲げられた」と記述している(谷 中 2007: 81)。また,高橋一は,「この事件〔宇 都宮病院事件〕は国内のみならず広く海外でも 報道され,国際的批判が高まった。こうして国 連人権小委員会や国際法律家委員会から視察団 が来日するに至り,これを受けるかたちで 1987 (昭和 62)年,精神衛生法は精神保健法に改め られ,精神障害者の社会復帰施設の法定化,任 意入院制度,精神医療審査会など人権に配慮し

原著論文

1987 年精神衛生法改正の政策過程

―利益集団の動き―

桐 原 尚 之

(立命館大学大学院先端総合学術研究科) 本稿は,日本の精神衛生行政史上重要とされる宇都宮病院事件から精神衛生法改正までの政策過 程について利益集団の動向を踏まえた上で明らかにすることを目的とする。これまで 1987 年精神衛 生法改正は,宇都宮病院事件を契機に国際連合の外圧によって実現したと理解されてきた。しかし, 日本政府は国連の場で問題にされたぐらいでこと人権問題に関しては法改正を決めるようなことは してこなかった。そのため,日本国内の利益集団の動向などの政策過程から従来の理解を捉え直す 必要がある。記述の対象にした利益集団は,全国精神障害者家族会連合会,日本精神病院協会,日 本弁護士連合会,国際法律家委員会の 4 団体である。記述の結果,政府は宇都宮病院事件以前から 精神衛生法改正の準備をしており,政府が 1987 年法改正に踏み切った理由は,①医療費削減政策の 応答,②犯罪をおかした精神障害者の処遇政策への応答,③宇都宮病院事件をめぐる非難への応答 であることがわかった。このことから従来の国連の外圧によって 1987 年法改正に至ったという理解 が極めて一面的であったことを明らかにした。 キーワード:障害学,精神衛生法,利益集団,宇都宮病院事件,公衆衛生行政史 立命館人間科学研究,No.33,29 43,2016.

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た法改正が実施された」と記述している(高橋 1998: 83 カッコ内は筆者)。そして,精神衛生行 政史の基本資料とされる『精神保健福祉行政の あゆみ』では,「宇都宮病院事件(中略)を契機 に精神衛生法改正を求める声が国内外から強く 示されるに至り,(中略)精神障害者の人権に配 慮した適正な医療及び保護の確保と精神障害者 の社会復帰の促進を図る観点から,精神衛生法 が改正されることとなった」(精神保健福祉行政 のあゆみ編集委員会 2000: 13)と記述されてい る。2 ) こ れ ら の 歴 史 記 述 か ら 宇 都 宮 病 院 事 件 は, 1987 年法改正という政策転換の契機としての意 味を付与されてきたことがわかる。この「宇都 宮病院事件を契機に日本の精神医療が国際的な 非難の的となり,1987 年に精神衛生法が改正さ れ人権に配慮したものになった」という歴史認 識は,精神医学,法学,社会福祉学などで広く 受容されており,精神衛生行政史にかかわる定 説(以下,定説)となっている。3 ) この定説に対して桐原尚之は,宇都宮病院の 元入院患者を中心とした宇都宮病院告発運動の 歴史を通じて,宇都宮病院事件を契機に 1987 年 法改正に至ったという歴史認識を批判的に検討 している。ここでは,1987 年法改正が宇都宮病 院事件の告発者にとって意図せざる帰結であっ たことが指摘されている(桐原 2015)。ならば, 1987 年法改正は,宇都宮病院事件以外のいかな る要請の帰結であったのだろうか。他方,1987 年法改正以降の精神衛生行政について筆者は, 2 ) 桐原尚之(2015)では同様の先行研究があげられ ている。 3 ) 伊東秀幸(2010)によると,主な改正の内容は, ①精神障害者本人の同意に基づく任意入院制度の 創設,②入院時における書面による権利等の告知 制度の創設入院の必要性や処遇の妥当性を審査す る精神医療審査会制度の創設,③精神科病院に対 する厚生大臣(当時)等による報告徴収,改善命 令に関する規定,④精神障害者の社会復帰の促進 を図るために精神障害者社会復帰施設に関する規 程の 4 つとされる。 「処遇困難者専門病棟」新設に向けた動きに始ま り心神喪失者等医療観察法が成立するなど,社 会防衛と一体化した施策が実現していったもの と認識している。このような精神衛生行政の歴 史を学術的に評価するためには,1987 年法改正 を実現に向かわせた政策的な要請の記述が不可 欠である。 しかし,従来の研究には,1987 年法改正に至 るまでの利益集団の動向など日本国内の政策過 程に関するものがほとんどない。このように 1987 年法改正の歴史記述は,政策評価の裏付け となる事実が検討,記述されないまま定説となっ ているのである。 本稿では,1987 年法改正を外圧によって実現 したとする理解について批判的な検討を加える ため,日本国内の利益集団の動向を記述し,政 策課題として設定されるに至った流路の合流4 ) について考察する。記述の対象として選んだ利 益集団は,1987 年法改正に提言した 20 以上あ る団体の中でもっとも影響を与えた 4 団体であ る,精神衛生法に対して適正手続きの導入を要 請した日本弁護士連合会と国際法律家委員会, 社会復帰施策を要請した全国精神障害者家族会 連合会,医療費削減の要請に対して抵抗した日 本精神病院協会とする。 Ⅰ 利益集団の動向 1 全国精神障害者家族会連合会 社会復帰施設に関しては,1950 年の精神衛生 4 ) ジョン・キングダン(1995)は,政策決定過程を 政策の流路(policy stream),問題の流路(problem stream),政治の流路(politics stream)の 3 つの 流路(stream)から考える。政策の流路は,課題 解決のための政策提言の流れ,問題の流路は,特 定の問題が政策アジェンダに設定されるまでの流 れ,政治の流路は,政権や政府の政策を推進する までの流れのこととされる。3 つの流路は,通常 独立した別々の流れとして政策決定しているが, ある決定的な時期に合流(coupling)して大きな 政 策 変 化 を 引 き 起 こ す こ と が あ る(Kingdon 1995)。

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法成立時からの懸案課題であった。1950 年 4 月 5 日,衆議院厚生委員会において中原武夫法制 局参事が「精神障害者に対しては,その治療の みでなく,更に進んで社会生活能力を与える施 設を設くべきであるという意見が非常に強力に 主張せられました。(中略)これは今後の措置に 委ねて,この法案の中には織込んでございませ ん」と答弁した。ところが,1965 年法改正の際 には,精神衛生相談員の配置など地域精神衛生 業務が新設されたものの,社会復帰事業の新設 については先送りされるかたちとなった。これ を受けて全国精神障害者家族会連合会(以下, 全家連)は,精神障害者福祉法制定運動を展開 していくこととなった。 1970 年 5 月 17 日,全家連は第六回全家連大 会(於:川崎)を開催し,精神障害者の福祉に 関する立法とこれら関係法令の改善を強く訴え ていく旨の「大会宣言」を決議した。そして 1971 年度事業計画書の中には「精神障害者およ びその家族の福祉増進に関する事業」を入れ, その活動項目として「精神障害者福祉法制定の 促 進 運 動 」 を 織 り 込 ん だ。1972 年 9 月 20 日, 全家連は厚生省公衆衛生局精神衛生課を訪問し, 「精神障害者対策に関する陳情書」を提出した。 同課の西尾充課長補佐は,「福祉法については現 在検討中。精神障害者の場合,医療法の中に福 祉面を含めるか,あるいは二通りで考えるべき かは,現在,中央精神衛生審議会に諮問中である」 と回答した(全国精神障害者家族会連合会 1997: 75)。1976 年 7 月 29 日,全家連は厚生省に対し て「精神障害者の医療と社会復帰に関する陳情 書」を手渡した。厚生省の佐分利輝彦公衆衛生 局長は,「精神衛生法は改正の方向にあるが,ど の点を,どのように改正したらいいか,なかな かむずかしい。精神障害者を対象とした福祉に 関する単独立法化は,数多くの難病とのかねあ いもあり,実際問題として,実現は無理ではな いかと思う。この際,単独の福祉法にこだわる よりも,精神衛生法の中で,他の福祉法に関す る法律との関連を持たせるといった方向で検討 することも一つの方法ではないだろうか」と回 答 し た( 全 国 精 神 障 害 者 家 族 会 連 合 会 1997: 76)。このように佐分利輝彦公衆衛生局長の発言 からは,厚生省が社会復帰施策を精神衛生法の 改正によって実現しようとしていたことがわか る。 一方,1978 年 5 月 23 日,「審議会等の整理等 に関する法律」が公布され,精神衛生に関する 主たる政策諮問機関であった中央精神衛生審議 会が公衆衛生審議会精神衛生部会へと改編され ると同時に,精神衛生法上は地方精神衛生審議 会のみが残されるに至った。このとき,中央精 神衛生審議会で検討されていた社会復帰条項の 新設議論は,公衆衛生審議会に引き継がれるま で一度棚上げ状態となった。 1978 年 5 月 26 日,全家連は理事会を開催し, 従来の福祉法制定運動の在り方を反省的に検討 した。従来の運動の進め方は,福祉法制定と主 張する一方でその中身を示し得ず,また,全家 連執行部による厚生省との交渉という中央中心 のものであった。それに対して「1978 年度活動 目標」の最重点課題には,家族にとって必要な 福祉の内実を明らかにするとともに,都道府県 支部による都道府県議会への意見書決議の働き かけを展開していくことが示された。1979 年に なると,全家連は福祉法の試案づくりを進める ため全家連福祉問題研究部会を正式に発足させ た。そして,1980 年 2 月 18 日,全家連福祉問 題研究部会は,「精神障害者福祉法案」として福 祉法制定にかかる見解を示した(全国精神障害 者家族会連合会 1980)。 1980 年 3 月,国際障害者年の開始に伴い,日 本政府は総理府に国際障害者年推進本部を設置 し,中央心身障害者対策協議会が国際障害者年 の国内委員会となった。全家連は,国際障害者 年日本推進協議会(後の日本障害者協議会。以下,

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推進協)の構成員となり,推進協の協力を得つ つ福祉法制定を求めていった。 1983 年 3 月,自由民主会館において「精神障 害者社会復帰促進議員懇話会」(以下,精社懇) の発起人会が開かれた。精社懇とは,精神障害 者の社会復帰や福祉施策の推進や予算獲得を目 的とする超党派の議員懇話会である。同年 10 月 27 日,全家連会員 180 人が結集し,精社懇議員 へ福祉法制定を求めて陳情をおこなった。この ころ,高度経済成長は終わりに近づき,その一 方で高齢化社会による社会保障費の増大が懸念 されていた。そのため,精社懇議員は,単独立 法による福祉法制定に難色を示し,予算措置を 積み重ねるという形で協力をすることになった。 1984 年 3 月 14 日,宇都宮病院事件が報道され, 全家連常務理事会は,宇都宮病院問題を緊急議 題と位置付けて対応策を協議した。そして,宇 都宮病院不祥事件に関する見解として「精神医 療・福祉の根本的改革案づくりを」を出した。 要望事項は,①精神病院入院者の人権尊重をは かるために医療の質向上の具体案を早急に検討 すること,②地域社会内に退院者のために住む 家,働くための職業訓練機関を設置すること, ③マスコミは不祥事件報道ばかりでなく社会復 帰活動事例なども公平に取材すること,④精神 病院が市民に開かれるものにするため家族等に 病気の治療や社会復帰の知識を教育するのに必 要な家族会指導を全病院に推奨する施策立案な どに早急に取り組むこと,の 4 点であった(全 国精神障害者家族会連合会 1997: 64)。 全家連は,宇都宮病院事件を「一精神病院の 問題だけでなく,退院後の社会復帰施策の圧倒 的不足と病院の営利主義が結びついたところに ある」ととらえた。そして,「精神医療・福祉の 根本的改革案づくりを」をマスコミに発表する とともに,厚生省精神衛生課,参議院衆議院両 院の社会労働委員会所属国会議員,精社懇所属 国会議員に提出し,討議するよう要望した(全 国精神障害者家族会連合会 1997: 64)。 1984 年 9 月,厚生省は「精神病院入院患者の 通信・面会に関するガイドライン検討委員会」 を設置した。全家連からは滝沢武久が委員とし て検討作業に加わった。1985 年 10 月,厚生省 保健医療局長は各都道府県知事に「精神病院入 院患者の通信・面会に関するガイドライン」を 通知した(全国精神障害者家族会連合会 1997: 65)。 厚生省は,1985 年 12 月から 1986 年 3 月にか けて関係 24 団体に精神衛生法改正に関するヒア リングを実施し,1986 年 3 月に全家連は意見書 を出した。意見書の内容は,①自らの意思によ る違法行為を冒した結果生ずる,薬物中毒患者 を精神衛生法以外の法律で処遇すること,②保 護義務者は保護能力が認められた者に限定し, 市町村長が保護義務者となる場合,入院の同意 を与える権限だけでなく,「退院時の引き取り義 務」「財産上の利益を保護する義務」も明示する こと,③精神衛生相談員に必要に応じて同意入 院の代諾権を付与すること,④「精神障害者ま たはその疑いのある者を知った者は誰でも」診 察および保護の申請できることになっているが, 自傷他害のおそれのある場合のみに限定するこ と,⑤行動制限は精神病院の管理者でなく精神 科専門医の主治医に限定し,その理由を本人お よび保護者に説明すること,本人からの異議申 し立て,通信・面会の保障をすること,⑥精神 障害者の人権を明示すること,⑦保安的,社会 防衛的な役割を医療に持たせないこと,の 7 点 であった(全国精神障害者家族会連合会 1997: 66―67)。意見書は,「精神衛生法の中に社会復帰・ 福祉施策を加え,具体的な施策を積み上げるこ とで,精神医療における人権問題の解決と社会 復帰の促進をはかる」という立場からまとめら れた(全国精神障害者家族会連合会 1997: 66)。 全家連は当時をふりかえって「当初は与野党 が足なみをそろえ,法案審議がスムーズに運び

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そうな清勢(ママ)だった」と述べている。し かし,日本精神病院協会が自由民主党の議員に 対して「①患者の自由意思による任意入院(自 分の自由意思を尊重した入院)を基本としない。 ②退院などを請求する権利を入院時に患者に書 面で告げない。③新設の罰則の削除」(『読売新聞』 1987.9.11 朝刊)などを働きかけたため,慎重論 が強まったとしている(全国精神障害者家族会 連合会 1997: 67)。 結果として 1987 年法改正では,保護義務者制 度の見直しが先送りにされ,社会防衛的な役割 も引き続くことになったが,全家連は「精神保 健法の主な改正点は,精神障害者の人権擁護と 社会復帰を柱とし,本人の同意に基づく任意入 院の導入や同意入院の名称を医療保護入院と改 め,また社会復帰促進策として,社会復帰施設 の法定化がなされた」と総括した(全国精神障 害者家族会連合会 1997: 67)。 2 日本弁護士連合会 1980 年 8 月 19 日,東京都の新宿駅西口バス ターミナルに停車中の路線バス車両が放火され る事件が発生した。この事件で逮捕された丸山 博文は,過去に精神病院に入院していた。マス コミは「危険な精神障害者を野放しにするな」 と刑法改正による保安処分新設の必要性を扇動 していった。 1980 年 8 月 26 日,法務大臣奥野誠亮(当時)は, 閣議において「精神障害者による凶悪事件が多 発している。国家として無為無策は許されない」 と保安処分新設に向けた発言をした(全国「精 神病」者集団 1980)。1980 年 9 月,日弁連は刑 法改正を阻止するために法務省との協議に応じ た。1981 年 1 月には,法務省が保安処分新設を 軸とする刑法改正作業の再開を方針化し,日弁 連が法務省との協議に同意した。 そして,1981 年 7 月 25 日,第 1 回刑法問題 意見交換会(以下,意見交換会)が法曹会館で 開催された。ところが,1981 年 7 月 28 日に法 務省は保安処分新設を正式に決定した。対して 日弁連は,1981 年 8 月 31 日,法務省の保安処 分新設の対案として「精神医療の抜本的改善に ついて(要綱案)」を出した。日弁連は,「医療 と福祉による治療効果こそ,精神障害者と犯罪 にあたる行為との結びつきを断ち切っていく最 大の防止策である」として,精神障害者に対し て適切な治療と保障をすることで,刑法改正に よる保安処分によらなくても精神障害者の犯罪 を防止できると反論した(小澤 1981: 59)。また, 日弁連は現在の精神衛生法体制下の精神医療が 十分な医療を施さずに閉じ込めておくだけの運 用であるとして,精神衛生法の改正による運用 の改善を主張した(中山・渡辺 1981)。 1981 年 9 月 18 日,奥野法相は記者会見で保 安処分新設を含む刑法改正案の国会上程を表明 した。同年 10 月 19 日,日弁連は「精神医療の 改善方策について(骨子)」を出した。骨子では, 「措置入院制度の運用の実態に立脚しつつ,収容 手続・入院期間・定期的審査・行動制限・不服 申立等に関する手続保障の問題を検討する」,「現 行精神衛生法上の入院制度の密室的性格を改め るために,公平で行政から独立した第三者的審 査機関を構想し,審査の対象とその組織・構成・ 権限及び審査の法的効力等に関する問題を検討 する」など精神衛生法改正を提案した(日本弁 護士連合会 1981)。 1981 年 12 月 26 日,法務省は「刑法改正作業 の当面の方針」を公表し,賛否の対立が著しく, 動向を見守ることが相当と認められるものは原 則として現行法のとおりにするとした。保安処 分については,「保安処分制度(刑事局案)の骨 子」に部分的な修正が加えられた。そして提言 されたのは治療処分のみとなった。治療処分は, 対象となる罪種を放火,殺人,傷害,強姦,強 制わいせつまたは強盗に限定し,収容する施設 は治療施設とされた。

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1982 年 3 月 17 日,第 6 回意見交換会が日弁 連会館で開催された。このときに,日弁連から「意 見書」と「犯罪と精神医療に関する委託調査結果」 が提出されている。同年 3 月 27 日,日弁連刑法 「改正」阻止実行委員会は,法務省が 1981 年 12 月に作成した「刑法改正作業の当面の方針」に 対抗して「当面の運動方針に関して」なる新方 針を決定した。新方針では「現行刑法の現代用 語化の積極的提案」として「対案」作りを方針 化し,「保安処分に関して精神医療の改革を中心 に刑法改訂全体と切り離して扱う」ことが打ち 出された。同年 4 月 16 日,第 7 回意見交換会が 法務省で開催された。日弁連は,法務省の「当 面の方針」を評価して「当面の運動方針に関して」 を提出した(日本弁護士連合会刑法「改正」阻 止実行委員会 1982a)。そして,4 月 16 日,法務 省は,刑法改正案の今国会上程断念を公表した。 1982 年 5 月 24 日,坂田道太法務大臣の私的 懇談会として,小田晋,福島章,植松正らで構 成する「治療処分を考える会」第 1 回会合が開 催された。同年 6 月 12 日,第 8 回意見交換会が 日弁連会館で開催され,法務省の「治療処分新 設案」をめぐって論議した。同年 6 月 24 日,法 務省・厚生省関係局長連絡会議が設置された。 法務省・厚生省関係局長連絡会議は,保安処分 の次期国会上程にむけて,10 月を目処に「精神 病者による他害行動の実態,精神医療の犯罪防 止効果,治療処分の必要性と内容,保安施設・ 医療スタッフの確認。仮退所中の治療体制・裁 判確定前の収容施設と医療」等について協議を するために設置されたものである。 1983 年 9 月 10 日,第 17 回意見交換会が開催 された。そこでは,法務省,日弁連に加えて厚 生省も参加し,ヨーロッパの保安処分施設視察 の報告と,双方からの問題点の提出を基に議論 がなされた。それに先駆けて第二東京弁護士会 は,1982 年 12 月 1 日に刑法改正対策特別委員 会と人権擁護委員会の合同により『岐路に立つ ヨーロッパの保安処分―欧州人権裁判所判決 と英国の保安処分施設の実態』を刊行した。こ こでは,1981 年 11 月 5 日の英国の精神障害者 X 氏対英国政府間の退院制限命令制度の合法性 に関する事件で政府を敗訴としたヨーロッパ人 権裁判所の判決の全訳及び解説と,英国の保安 処分施設であるブロードモア,ランプトン両特 別病院の実情の解説がなされている。ちなみに, ヨーロッパ人権裁判所の判決は喜多村洋一,戸 塚悦郎,光石忠敬が担当し,イギリスの保安処 分施設の実態は戸塚悦郎が担当した。当該刊行 物の冒頭部分で長岡邦人権擁護委員長は,「イギ リスは,九割以上の入院患者が開放病棟で治療 を受けており実際の治療面でも進歩は著しく, また,患者の人権擁護のために精神衛生審査会 という独立の機関を設けるなど精神衛生法制の 面でも先進国である(中略)わが国としては, 現行精神衛生法の改正は必至であろう」と述べ ている(第二東京弁護士会刑法改正対策特別委 員会・人権擁護委員会 1981: 3)。 11 月 2 日,第 18 回意見交換会で,法務省か ら「治療処分執行法」案が出された。11 月 13 日, 日弁連は,法務省による全面改悪の次期適常国 会上程に反対するためとして「現行刑法の現代 用語化日弁連試案」を発表した(日本弁護士連 合会 1983)。その後,法務省と日弁連の意見交 換会は,1984 年 6 月 8 日に開催された第 23 回 まで続く。宇都宮病院事件の報道直後,法務省 が意見は出尽くしたとして休会をもち掛け,日 弁連が同意したためである。これをもって治療 処分の検討も一度途絶えることとなった。 1986 年 6 月 30 日,日弁連は法務省に対して「刑 法問題意見交換会の再開について」という文書 を提出した。そして日弁連は「この間保安処分 新設問題と深くかかわる精神衛生法改正問題」 に厚生省が着手したことを理由とし,精神衛生 法改正をめぐる提言をするために刑法問題意見 交換会の再開を要求した(日本弁護士連合会

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1986)。 同年 7 月 25 日,日弁連は精神衛生法改正問題 の懇談のため厚生省と意見交換の場をもった。 日弁連は,①行動制限等をできる医師を精神保 健指定医に限定すること,②精神保健指定医の 要件にかかわる提案,③第三者的審査機関を新 設すること,④精神医療の水準の向上などを要 望した5 )。こうした要望は,全家連からの支持を 得ることに成功し,多くが実現に至った。 3 国際法律家委員会 1978 年頃,精神科医の世界組織である世界精 神医学会(以下,WPA)では,旧ソビエト連邦 (以下,旧ソ連)による精神医学の政治的濫用が 問題となっていた。この紛争は,1983 年にソビ エト精神医学会が WPA を退会するなど分裂騒 ぎにまで発展した。一方で他の国でも様々な理 由による精神医療の濫用が確認され,精神医学 的介入の原則の必要性が各国共通の問題として 認 識 さ れ る よ う に な っ た。1980 年 9 月 10 日, 国連人権委員会差別防止・少数者保護小委員会 は,特別報告者にエリカ・イレーヌ・ダエス女 史を指名し,原則の策定作業を開始した(寺嶋 1990: 66―68)。 1982 年 8 月 31 日,国連人権委員会差別防止・ 少数者保護小委員会は,「精神障害を理由として 拘束された人々の保護に関する指針,原則及び 保障」(特別報告者ダエス女史の名をとって以下, ダエス草案)を起草した。ダエス草案は,医療 的パターナリズムを極力排除し,適正手続と公 正な判断を採用したものであった。こうした精 神医療に適正手続を導入する動きは,リーガル モデルとよばれた。国際法律家委員会は,精神 衛生法典をリーガルモデルにするためイニシア 5 ) 1986 年 7 月 11 日,日弁連は厚生省と精神衛生法 改正にかかわる懇話会の場を持った。1986 年 7 月 25 日付け刑法「改正」阻止実行委員会事務局員酒 井幸発,同委員長原秀男宛ての懇話会の報告の文 書が残っている。 チブをとった。そうしたこともありダエス草案 の起草者の 1 人には,国際法律家委員会事務総 長のニール・マクダーモットが入っていた。 ダエス草案には,心神喪失等で無罪等になっ た刑事被告人に対する治療手続の規定があった。 このことは,アメリカ精神医学会を始めとする 世界の医療関係者によって公権力による医療の 政治利用として批判の的となった。 1984 年 3 月 11 日,日本では宇都宮病院事件 の報道がなされた。同年 5 月,報道を受けた国 際法律家委員会は,日本政府が精神障害者の治 療及びこれに関連する法規を検討するため独立 した委員会の設置を考慮するように望む書簡を 内閣総理大臣宛に送った。なお,この要請は日 本精神医療人権基金を代表して戸塚悦郎からな されたものである。しかし,日本政府は国際法 律家委員会に対して返答をしなかった。そこで 国際法律家委員会は,国際保健専門職委員会と 協力し,1984 年 9 月に日本に合同調査団を派遣 した。合同調査団は,栃木県,日精協,全家連, その他関係団体に聴取をおこなった。こうした 調査は,報告書にまとめられ国連人権委員会差 別防止・少数者保護小委員会の場で公表された。 報告書の「結論と勧告」は,精神衛生法を直ち に改正し,入院手続きの明文化と入院患者への 法的及び司法的保護を求める内容であった(国 際法律家委員会 1996: 114―124)。 1987 年 1 月 29 日から 30 日,日本精神神経学 会などの主催により「精神衛生法改正国際フォー ラム」(於:国立京都国際会館)が開催された。 ここでは,ニューヨーク医科大学教授のアルフ レッド・フリードマンによって「ダエス草案は, 病者を刑事被告,医師を検事,病院を監獄にし, ただ,弁護士のみを患者の代弁者におくもので あって,医療の恩恵を与えることのできない保 安処分システムをつくりだすだけである」(青木 1993: 101)とダエス草案批判がなされた。また, ハーバード大学教授のアラン・ストーンは,「日

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本はダエス草案を手本にしてはならない」「調査 団報告もウのみにしてはならない」(青木 1993: 101)と警告した。 1988 年 9 月 2 日,国連人権委員会差別防止・ 少数者保護小委員会の席上では,ダエス草案に 次いで「精神障害者の保護と精神保健医療改善 のための原則と保障」(クレア・パリー女史を中 心に作成されたことから以下,パリー草案)が 提案された。パリー草案は,患者利益という医 療的パターナリズムを特徴としたものであった (中山 1989)。その後,原案は議論の中で繰り返 し修正されていった。こうして 1991 年 12 月,「精 神疾患を有する者の保護及びメンタルヘルスケ アの改善のための諸原則」は国連の場で採択さ れた。 4 日本精神病院協会 1983 年,厚生省(現厚生労働省)保険局長の 吉村仁が医療費削減政策の必要性を主張した。 いわゆる「医療費亡国論」である。吉村は,① 国民の医療・福祉の負担が増えると,国民の消 費行動が抑制されて経済に影響が出る,②病気 の治療よりも予防に力を入れる方が医療費抑制 に効果的である,③「1 県 1 医大」政策により 将 来, 医 師 過 剰 と な る, な ど を 根 拠 と し て, 1984 年に医学部定員を最大時の 7%まで削減し た。これが低医療費政策の始まりとされる。 西岡晋によると医療費削減政策は,日本医師 会と厚生省の関係の変化を背景にしているとさ れる(西岡 2002a; 西岡 2002b)。1982 年 4 月 1 日, 1957 年から 25 年間に渡って日本医師会会長を 務めた武見太郎が会長選挙で落選した。なお, ほどなくして武見は胆管癌で死亡している。武 見は,政治家との姻威関係などを通じた政界と の太いパイプを持ち,厚生省の医療政策に徹底 して対決する構えで数々の医療政策を実現させ た人物といわれている。いいかえれば厚生省の 政策は,武見率いる日本医師会の政治力により, 長きにわたって多くの断念を余儀なくされてき たことになる。ところが,1980 年代になって日 本 医 師 会 内 部 で は, 武 見 へ の 批 判 が 強 ま り, 1982 年 4 月 1 日に武見の対抗馬であった花岡堅 而が会長選挙に当選した。花岡は武見ほど政界 との接点に富んだ人物ではなく,日本医師会の 政治力も低下は免れなかった。西岡が後に,「こ のことは,厚生省と日医の関係を変化させるこ とを意味する」と述べている通り,政治家との パイプの少ない花岡を代表とする新しい日本医 師会は厚生省官僚との対話に応じるようになっ ていったのである(西岡 2002b: 67)。こうして 厚生省の影響力が増した医療費政策は,医療費 の削減と病院に行政の監督が行き届くような 様々な工夫が施されていった。 1984 年 3 月 14 日,朝日新聞によって宇都宮 病院事件の報道がなされた。同年 4 月 2 日,日 本精神病院協会(現,社団法人日本精神科病院 協会;以下,日精協)は宇都宮病院事件に関す る「声明」を発表した。「声明」は,事件の原因 を宇都宮病院という一民間病院の医療水準の低 さに帰属し,陳謝は民間精神病院全体へ偏見と 疑念をもたらしたことに対して詫びるというも のであった。 事件報道を受けて厚生省は,6 月 22 日に都道 府県知事に対して「精神病院に対する指導監督 等の強化徹底について」を通知した。この通知 に対して日精協は,「昭和五十九年六月二二日付 厚生省公衆衛生局長,医務局長,社会局長連名 による各都道府県知事通知に対する当協会の見 解」を出した。この見解文は,民間精神病院の 責を認める一方で「医療監視,指導助成等の責 務がある,行政機関のこれに対する対応にも問 題がある」とし,「如何にも行政当局にはその責 務はないかのごとく,一方的に民間精神病院を 批難」するものと行政の態度に批判的な内容で あった。また,「精神病院入院患者の通信・ 面会 に関するガイドライン」に対しては,「こと改め

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て今回の指導監督等強化徹底について通知を出 し,またガイドラインなるものを提出しようと している」と,上述の見解をそのまま当てはめ た格好となっている(四十年史編集委員会 1990: 96)。これらは,いずれも行政の民間病院に対す る規制強化を懸念した内容といえる。 1985 年 6 月,「精神病院入院患者の通信・面 会に関するガイドライン」の骨子が出され,日 本医師会及び日精協に提示された期間調整の作 業に入った。これに関して日精協では,6 月末 に理事,支部長会を開き検討を加えた。そして, 会員の要望をもとに小委員会を持ち,1985 年 7 月 4 日に「入院患者の通信・面会に関する指針(日 精協案)」を発表した。これに基づき厚生省は, 7 月 16 日開会の公衆衛生審議会精神衛生部会に 計る原案を作成した。 1985 年 4 月 25 日,日精協は障害者インター ナショナル(以下,DPI)による「日本の精神 障害者の人権状況の調査」に応じた。このとき のことを日精協は,「日精協は医療制度委員会, 医療経済委員会を中心にして関係資料を準備し, わが国精神医療の現況について理解を深めるよ う十分説明を行なった」と記している(四十年 史編集委員会 1999: 103)。 同年 5 月 10 日,日精協は国際法律家委員会に よる「日本の精神医療の現況調査」に応じた。 このときのことを日精協は,「日精協は医療制度 委員会,医療経済委員会を中心にして関係資料 を準備し,わが国精神医療の現況について理解 を深めるよう十分説明を行なった」と記してい る(四十年史編集委員会 1999: 104)。 1985 年 8 月 5 日から 8 月 30 日,ジュネーブ 国連欧州本部において第 38 回国連人権小委員会 差別防止少数保護小委員会が開催された。DPI と国際法律家委員会は,同会議の席上で日本訪 問の調査報告をした。後に日精協は DPI と国際 法律家委員会の調査報告に対して「I・C・J〔国 際法律家委員会〕及び D・P・I の訪問団がその 後国連人権小委員会等に報告した内容について は,事実に全く反する点もいくつかあり,わが 国としては容認しがたいものであった」と述べ ている(四十年史編集委員会 1990: 104 カッコ内 は筆者)。 8 月 21 日,小林秀資厚生省精神保健課長は, 同会議に出席し「宇都宮病院は例外的ケース, ほとんどの病院では最上の治療をしている」と 日本の精神衛生の現状を説明した(国際法律家 委員会 1996: 3―4)。その上で小林は,日本政府 として精神衛生法を改正する方針があることを 同会議の席上で公表した。8 月 12 日から 8 月 22 日,日精協は同会議の状況を把握し,日本の状 況を関係各国に説明するために高宮澄男副会長, 仙波恒雄医療制度委員の 2 名をジュネーブに派 遣した。日精協は,精神衛生法改正に備えて「精 神衛生法改正検討委員会」を設置し,検討を重 ねた。 同年 12 月,厚生省は日精協に対して精神衛生 法改正にかかわる意見聴取をした。日精協は,「入 院制度を中心とする諸般の適正な法手続き課題 及び,精神障害者に対する社会復帰―再社会 化施設が重要な二本の柱となることをと据え, これに関する諸事項についてとりまとめた」意 見書を出した(四十年史編集委員会 1990: 112)。 ここでは,「現行法は精神障害者収容法的性格に 偏っている」としながらも,「他面,ときには公 共の福祉に反する逸脱行為への対応も必要とな らざるをえない状況をも考慮して,幅広い対応 施設が講じられなければならない」と社会防衛 的な側面を強調した(四十年史編集委員会 1990: 112)。他方,1985 年の第一次医療法改正後の診 療報酬改定では,日精協の働きかけによって精 神科の診療報酬はデイ・ナイトケアの診療など も含めて増加した(四十年史編集委員会 1990)。 1986 年 4 月 15 日から数回,厚生省は日精協 を含む有職者の意見を聴くとして「精神衛生の 基本問題に関する懇談会」を開催した。12 月 23

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日,公衆衛生審議会精神衛生部会は,精神衛生 の基本問題に関する懇談会での意見をもとに「精 神衛生法改正の基本的な方向について」(以下, 中間メモ)のとりまとめを行なった。 日精協は,中間メモが提出されたことに伴っ て 1987 年 1 月 23 日に全支部長会議を開催した。 当該会議では,中間メモに対する日精協として の意見の取りまとめがおこなわれた。そして同 年 2 月 10 日,日精協は「精神衛生法改正要望書」 を自由民主党社会部会精神保健問題検討小委員 会に提出した。精神衛生法改正要望書の内容は, 総論として①医療の現場における医師の判断の 尊重,②地域社会における安全への配慮,③事 務及び機構の繁雑化の最少化,④精神病院の経 営基盤の安全確保,各論として①罰則の削除, ②任意入院を基本とはしないこと,③入院時患 者への書面告知は患者本人に渡すのでなく,保 護義務者に渡すようにすること,④精神医療審 査会の運用について,⑤社会保険診療報酬ある いは補助・社会復帰施設の改修費用,他であっ た(仙波 1987: 33)。日精協の要望を受けた自由 民主党は,精神衛生法の一部改正に関する法律 (案)への修正意見を提出し,入退院手続規定 ―医療保護入院の 判断能力がない場合 と の規定を 任意入院できないと医師が判定した 場合 と修正したこと,精神医療審査会の構成 員規定を修正したことなど―や罰則規定の規 制緩和を実現した。 Ⅱ 1987 年法改正の理由 1 宇都宮病院事件が利益集団に与えた影響 全家連と日弁連は,宇都宮病院事件以前から 精神衛生法改正にかかわる政策提言をしていた。 また,厚生省は宇都宮病院事件以前から精神衛 生 法 改 正 の 準 備 を 進 め て い た。 そ の こ と は, 1976 年 7 月の資料からわかる。それでも実際に 精神衛生法が改正されたのは,1987 年であった。 このことから宇都宮病院事件以前は,精神衛生 法改正が政府内で政策課題とまでは成り得てい なかったことがいえる。では,どのようにして 政策課題に設定されるに至ったのだろうか。 まず,全家連と日弁連の問題意識と政策提言 の内容について確認していく。全家連の場合は, 結成当初から精神障害者が地域で生活できるよ うにと精神病院とは異なる施設,すなわち社会 復帰施策の必要性を提言していた。全家連は, 社会復帰施策の制度化実現のため精神障害者福 祉法制定の促進運動の実施,地方議員への働き かけ,厚生省や政権与党との交渉などの活動を してきた。当初,全家連は精神障害者福祉法の 単独法規を想定していた。だが,1976 年 7 月 29 日の交渉の場で佐分利輝彦公衆衛生局長から精 神衛生法の枠内で社会復帰施策を実現したい旨 の提案を受けた後は,単独法規であることにこ だわらないとする立場に変更した。 日弁連の場合は,保安処分新設を含む刑法改 正への反対活動の中で精神衛生法改正による適 正手続の必要性を提言していた。日弁連は,刑 法改正による保安処分新設に対して,国民生活 や刑罰原理に与える問題,精神障害者が犯罪を おかした場合の処遇等についての問題の 2 つの 理由から反対していた。このうち,犯罪をおか した精神障害者の処遇については,刑法改正に よる保安処分ではなく精神医療の改善により対 応すべきとした(日本弁護士連合会刑法「改正」 阻止実行委員会 1983)。また,日弁連は現在の精 神医療が十分な医療を施さずに閉じ込めておく だけの運用であるとして,精神衛生法の改正に よる運用の改善を主張した(中山・渡辺 1981)。 これらの問題解決にかかわる日弁連の提言の要 点は,入院手続きの透明化,精神保健指定医制 度の新設,第三者的審査機関の設置といった適 正手続きの導入であった。 以上の事実から,精神衛生法改正の提言とし ては,全家連からは「社会復帰の促進」が,日

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弁連からは「適正手続きの導入」が出されてい たことがわかった。 では,こうした利益集団の政策提言活動に対 して宇都宮病院事件は,どのような影響を与え たのだろうか。 全家連は,宇都宮病院事件を「一精神病院の 問題だけでなく,退院後の社会復帰施策の圧倒 的不足と病院の営利主義が結びついたところに ある」と位置付けており,宇都宮病院事件の発 生要因を社会復帰施策の不足等に求めた(全国 精神障害者家族会連合会 1997: 64)。こうして全 家連は,宇都宮病院事件を社会復帰施策の不足 等の問題に位置付けることで,従来の全家連が 立ててきた問題との同一線上の問題に位置付け, 社会復帰施策の必要性を主張し得たのである。 日弁連は,宇都宮病院事件の直後に声明をだ し,精神医療の改善の必要性を改めて確認し, 通信面会をはじめとする「適正手続きの導入」 を提言したのである(日本弁護士連合会 1984)。 この提言は,従前の日弁連の提言を宇都宮病院 事件の再発防止方策と同一上の問題に位置付け ている。また,国際法律家委員会の提言は,宇 都宮病院事件を「適正手続き導入」の必要性を 訴える事例として使用しており,これも従前の 提言と同一上に位置付けたものである。6 )この ことから宇都宮病院事件は,利益集団の提言に 信憑性を与える根拠として使用されていたこと がわかる。また,このことは複数の利益集団が 宇都宮病院事件に関心を寄せていたことを意味 する。 こうした利益集団による宇都宮病院事件への 関心の高まりは,どのようにして精神衛生法改 6 ) 戸塚悦郎は,東京第二弁護士会において刑法改正 の反対活動の一環としてブロードモア病院の調査 に携わり,国際法律家委員会の誘致と宇都宮病院 事件被害者の訴訟代理人など一連の行動のイニシ アチブをとっていた(第二東京弁護士会刑法改正 対策特別委員会人権擁護委員会 1982)。また,戸 塚は国内へのインパクトを狙って国際法律家委員 会の誘致をしたかは不明であるが,結果としてイ ンパクトになったといえる。 正への関心の高まりに変化していったのだろう か。国際法律家委員会の調査報告書「結論と勧告」 は,適正手続導入を提言したものであるが,あ くまで国連の原則策定作業に向けられた提言で あった。それが日本国内においては,冒頭で引 用した谷中(2007),高橋(1998)のとおり,国 連の原則策定に向けられた提言書としてではな く,日本国内の問題を国際舞台で非難するため の告発書として理解されてきた。こうした理解 は,全家連も例外でなかった。宇都宮病院事件 以前の全家連は,適正手続きの導入を積極的に 提言していたわけではなかったが,宇都宮病院 事件以降は国際舞台での非難に応えるよう適正 手続の導入を提言するようになっていった(全 国精神障害者家族会連合会 1997)。そして全家 連は,宇都宮病院事件の再発防止に「適正手続 きの導入」が有効な方策であるとして,①人権 を尊重した適正な医療の確保,②保護者制度の 削除と同意入院における精神衛生相談員による 代諾の新設などの要求を出した(全国精神障害 者家族会連合会 1997)。こうして日弁連の「適 正手続きの導入」にかかわる政策提言活動は, 国際法律家委員会による調査を経て全家連から 問題を共有されるに至ったのである。7 ) このようにして従来から存在した政策提言活 動には,根拠としての宇都宮病院事件の使用を 通じた利益集団同士の問題の共有と国際法律家 委員会の調査を通じた精神衛生法改正への関心 の高揚が生じたのであった。 2 政府・政権の流れとの合流 前節では,従来から存在した政策提言活動の 流れに宇都宮病院事件が与えた影響について考 察した。本節では,政府や政権が推進していた 政策と前節で記した問題とが合流する過程につ 7 ) 国際法律家委員会による提言は,事実として政府 への外圧であったかどうかが重要ではなく,利益 集団が外圧として認識していたことが問題共有に 向かわせたといえる。

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いて考察する。 「社会復帰の促進」については,法案審議中の 1950 年の段階で,すでに国会では課題として認 識されていた。厚生省は 1976 年の全家連との交 渉中に精神衛生法の枠内で社会復帰施策を検討 したい旨を表明していた。このことから厚生省 は,1976 年の段階で精神衛生法改正に向けて準 備を進めていたことがわかる。 1983 年 3 月,政権与党である自由民主党は, 精社懇を開催し,社会復帰施策の予算獲得に向 けて活動を始めた。予算が付いた措置事業は, やがて財源の安定的な供給を求めて立法化され る傾向にある。そのため自由民主党の活動は, 精神衛生法改正を推進する活動であったといえ る。 当時の精神衛生法の所轄は,厚生省公衆衛生 局である。1983 年頃の厚生省は,省内保険局か ら医療費削減の要請があった。また,1982 年頃 の厚生省は法務省から犯罪をおかした精神障害 者の処遇に関する対応を求められていた。 そこに 1984 年 3 月の宇都宮病院事件が発生し た。厚生省は精神衛生法の所轄として国内外か ら非難を受けることになった。当時,多くの利 益集団はこぞって宇都宮病院事件の再発防止と いう観点から精神衛生法改正を提言していた。 そこで厚生省は,あらかじめ検討していた精神 衛生法改正の「社会復帰の促進」に「適正手続 の導入」を加えることで医療費削減政策への応 答,宇都宮病院事件以降の国際的非難への応答, 利益集団の求める精神医療の改善への応答の 3 つの応答を可能にしたのである。これによって 法務省は,厚生省と連携して犯罪をおかした精 神障害者の処遇を精神医療の枠内で実現する動 きを一度中断することになった。そのため,大 筋で日弁連による刑法改正反対の提言は,実現 をみたことになる。 全家連が提言した「社会復帰の促進」に対し て日精協は,「社会復帰施設及び任意入院等のた めの病棟の新設及び改築,改造費の補助率の引 き上げをしていただきたい」と肯定的な態度で あった(仙波 1987: 33)。このように「社会復帰 の促進」は,利益集団の間で特に大きなコンフ リクトも存在していなかったことがわかる。ま た,この時期の厚生省は医療費削減政策の一環 として介護,福祉政策への振り分けをしていた ため,社会復帰の促進が医療費削減の要請に応 答することにつながることがいえる。 だが,「適正手続きの導入」は,利益集団間で 一枚岩とはならなかった。「適正手続きの導入」 を提言する日弁連と全家連に対して日精協は, ①患者の自由意思による任意入院を基本としな い,②退院などを請求する権利を入院時に患者 に書面で告げない,③新設の罰則の削除を要求 していった(仙波 1987: 33; 全国精神障害者家族 会連合会 1977: 67)。日精協の場合は,民間精神 病院の連合体組織という性格上,自社利益追求, 地位向上のための活動が主であった。そうした 日精協にとって宇都宮病院事件は,民間精神病 院への風評被害をもたらすものとして認識され ていた。また,当該風評は,行政による病院へ の管理介入の口実と成り得た。そこで,日精協 は「精神病院入院患者の通信・面会に関するガ イドライン」の策定作業,国連における原則策 定作業,1987 年法改正の準備作業のいずれにも くみ入り,不利にならないように活動を続けた のである。 他方,日精協は医療費削減政策の最中にあり ながら犯罪をおかした精神障害者の処遇問題を はじめとする治安的要請に応えることで診療報 酬の増額を勝ち取っている。このことから日精 協は,治安的要請を引き受けることで診療報酬 増を得ていったことがわかる。 そして,最終的に政権与党への説得を可能と したのは日精協であった。日精協は,政権与党 である自由民主党への陳情を通じて,精神衛生 法の一部改正に関する法律(案)の修正案を獲

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得し,規制の程度を当初案よりも緩和した。か くして 1987 年 3 月 14 日,精神衛生法の一部改 正に関する法律(案)は国会に上程され,9 月 18 日,衆院本会議で賛成多数で可決,成立した のである。 Ⅲ まとめ 本稿では,宇都宮病院事件から精神衛生法改 正までの政策過程を利益集団の動向を踏まえた 上で次のことを明らかにした。 政府は,宇都宮病院事件以前から精神衛生法 改正の準備を進めていた。また,利益集団は, 宇都宮病院事件以前から精神衛生法改正にかか わる提言を続けていた。提言は,全家連による「社 会復帰の促進」と日弁連による「適正手続きの 導入」であった。 1984 年 3 月に発生した宇都宮病院事件は,複 数の利益集団に対して互いの問題の共有と精神 衛生法改正への関心の高揚を生じさせた。他方, 厚生省は医療費削減政策の応答と犯罪をおかし た精神障害者の処遇政策への応答,宇都宮病院 事件をめぐる非難への応答を求められていた。 日弁連は,犯罪をおかした精神障害者の処遇へ の応答として「適正手続の導入」を提言していた。 それに対して日精協は,医療費削減政策の最中 にあって診療報酬増を獲得するため「適正手続 の導入」を回避しつつ犯罪をおかした精神障害 者の問題など治安的な要請を引き受けた。そし て,厚生省は宇都宮病院事件への応答を口実に して,医療費削減政策への応答と犯罪をおかし た精神障害者の処遇への応答を解決するために 精神衛生法の改正に踏み切ったのである。 以上の知見によって,1987 年法改正は,医療 費削減要請と治安的要請を背景にして引き起こ された政策であることを示すことができた。 引用文献 青木薫久(1993)保安処分の研究―精神医療におけ る人権と法.三一書房 . 第二東京弁護士会刑法改正対策特別委員会・人権擁護 委員会(1982)岐路に立つヨーロッパの保安処分 欧州人権裁判所判決と英国の保安処分施設の実 態 . 伊東秀幸(2010)宇都宮病院事件から精神保健法の誕 生.ノーマライゼーション―障害者の福祉,30 (8), 5. Kingdon, John(1995)

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Original Article

The Policy Process of Japan s 1987 Mental Health Act:

The Political Activities of Interest Groups

KIRIHARA Naoyuki

(Graduate School of Core Ethics and Frontier Sciences, Ritsumeikan University)

This paper aims to reveal the policy process between the Utsunomiya Hospital Scandal, which is considered a key incident in the history of Japanese mental health administration, and the revision of the Mental Health Act, focusing on the trend of interest groups involved. It has been understood that the revision of the Mental Health Act in 1987 was in response to external pressure from the United Nations following the Utsunomiya Hospital Scandal. However, the Japanese government has never made revisions in human rights related laws only due to the United Nations seeing something in Japanese laws as a problem to be solved. For this reason, it is necessary to review the conventional understanding of the policy process involved in this particular case from the perspective of the trends of interest groups within Japan. The four interest groups involved here are Zenkaren(the National Federation of Families of the Mentally Ill in Japan), the Japan Psychiatric Hospital Association, the Japan Federation of Bar Associations, and the International Commission of Jurists. As a result of looking into these groups, it became clear that the government had been in the process of preparing revisions to the Mental Health Act prior to the Utsunomiya Hospital Scandal, and that the reasons this decision in 1987 were:(1) to respond to the medical expenses reduction policy;(2)to respond to a policy regarding the treatment of mentally ill people who had committed a crime;(3)to respond to the denunciation surrounding the Utsunomiya Hospital Scandal. These results have revealed that the conventional understanding of the 1987 revision, which was believed to have been due to external pressure from the United Nations, was extremely one-sided.

Key Words : disability studies, Mental Health Act in Japan, interest groups,

case Utsunomiya-hospital 1984 s, history of governments for public health

参照

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