Title
甘庶作地帯の農業経営 沖繩南部地区南風原村K部落に
おける調査
Author(s)
池原, 真一
Citation
琉球大学農家政工学部学術報告 = The science bulletin of
the Division of Agriculture, Home Economics & Engineering,
University of the Ryukyus(5): 154-177
Issue Date
1958-12-31
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12000/23308
沖縄南部地 区南風原村
Ⅹ部落 における調査
池 原 真 一 *
Shin-ichiIKEHARA:Farm managementinregi●on ●
ofprmcipallysugarcanecdtivation-K village
,
Habebaru-Son,
southerndistrictofOkinawa.1 は じ め に 琉球における砂糖 の製造法は,今 を去 るお よそ 335年前即ち元和9年 (西暦 1623 午)儀間真常民によ り支那から持ち帰えられたもの と称せられている。甘庶の栽培は ● 極めて古 く製糖法渡来以前に属するもののよ うである。 往時の甘庶は,島庶,読谷山庶,唐庶,菓子庶の4種で,前2者は琉球在来のもの の如 く,専 ら製糖用に供せ られ,後の2者は支邪から渡来 した ものの如 く主 として生 食用甘薦である。当時における砂糖が薄庁の財源 として大 きな地位を占めまた農家に とっても有利な農産物であ ったことは古記録に より明 らかで あ る。王庁は元禄 4年 (1698年)諸間切法式帖なるものを発布 し,製糖高を制限 し,ある特例 を除 くの外は 各間切の人 口に より百姓1人宛1ヶ年に砂糖4斤 60匁 と規定 した。甘誰の作付面積 も1500町に制限 し,耕作地域 も島尻郡 15間切(村),中東部 11間切,国東郡4間 切お よび伊江島に限定 した。作付制限の理由 と して,第
1
に,当時における砂糖は必 需品ではな くぜい沢晶であったこと。第2
に,有利なる甘庶作のため食瞳作物の栽培 面積 を蚕食するおそれあること.第3
に,砂糖専売法に支障をきたすおそれを除 くた めだ と言われてい る。作付制限後,明治 21年に至 る195年間は作付面積の増加はみ られなかったが,農家は甘庶作の有利なるに着 目 し栽培技術 (自給肥料の増施)の改 善によ り反 当収量の増加 をはか り,実質的には塵糖量の増を招来 したよ うである。明 治 21年県会は甘舵の作付制限を解除 しこれが奨励に乗 り出 した。その緒果水田を甘 庶畑に切替える農家 も続 出するに至 った。従来製糖 を許 されなかった各地方居住人お *琉球大学農家政工学部農学科廿庶作地帯 の俵業経 営 155 よび宮古,八重山その他の地方に も庶作 を奨励 した。それで制限時1,500町歩 と推定 されていた庶作面積が大正元年には,ll,049町 と7倍以上に増反 されたのである。 その後作付面積は年々増加 を きた し,昭和4年には戦前最高の 19,195町歩を示 した が,以後諸種の事情に より作付面積は年々減少の一途 をた どり終戦 とな った。 終戦直後は食糧の確保に重点がおかれ換金作物たる甘庶は,戦禍の少い宮古地区や 八重山地区において栽培 され,製糖 も亦かかる地帯で僅かに残存する施設を利用 して な され るのみであ った。1950年頃か ら本格的な栽培がなされ作付面積,生産量 ともに 年々増加 を釆た し,1956年期 は作付面積9,882町,生産量99,083千質 と大 巾な増産 を示 している。 これを昭和
1
3
年期 と対比すれば,面積において6
3
%
,生産量におい て8
4
% の回復率 とな ってい る。 甘庶は全琉的に分布 し戦前は,渡嘉敷村,座間味村,粟国村の 3離島村 を除 く58 市町村,戦後 はコザ市,北谷村,嘉手納村の1
市2
相 を除 く6
3
市町村に栽培 されて い る。換金作物の大宗たる甘庶に対 し農家の生産意欲は漸次高 ま り反 当収量 も生産高 も年々上昇の一途 を辿 っているとはいえ,まだまだ戟前の水準に達 しない と言 うのが 現状である。 この現状 を打開するには如何なる手段方法に よるべ きかを研究せん とす るのが本調査の 目的である。そこで初めに戦後反 当収量の伸びた地区について調査 を 実施 した。 本稿は,甘庶の主産地たる沖縄南部地区において戦後反 当収量の伸び方が顕著だ と 思われ る南風原村E部落についての実態調査 を取 りまとめた ものである.調査の施行 に当っては村 当局,糖業課お よび調査部落の区長,調査農家の方々.に1万な らぬ御協 力を頂いた。特に記 して感謝の意 を表する次第である。 2 調 査 村 の 概 況 (1) 白銑 的 条 件 は え ば る 調査村の南部地区南風原村は,沖縄本島の南部 で郷朝市の西南6軒の地点にあ り, 東は大里村,与那原町に壊 し,西は那覇市 (旧真和志市),豊見城村に接 し,南は東凡 平村,北は那覇市 (旧首里市)に接 している。 本村 は400-500年前は中山に属 し,島尻郡 内では真和志村 とともに首里朝直轄の 間切 であった。首里 を中心 として南方の位置を占めているので南風原 と呼ばれ るよう にな ったのである。 戦前の交通機関は主 として県営の軽便鉄道や馬車で,県鉄は本村の西側 と北側を走り農産物の輸送は便利であ った。 戦後 はバスや トラ ック, オー ト三輪車な どが頻繁に運行 され交通は一層便利になっ てきた。本村の南西お よび北方に分流する国場 川は,常時水量少 くかつ水位低 きため 水利の健が悪 く,ために水 田に乏 しい。総面積は989町余で中水 田は僅かに 9町余, 畑は635町余で純畑作地帯であ って,南北に長 く東西に短い村 である。 十
十-里 旧 首′′′′ノ. ′ ′′ t l缶 吉 原I 了 -..ノ1,Lト、、村\、______ / i . L _.・・'与 那 一一、で町 ヽ ヽ ∼ヽ′′ ∫∩.一
一一、一 -ノ′ 、、 1 ′' \ \ -大 里 第1図 南 風 原 村 略 図 琉球土壌の成分 は第1表の如 くで,農家は土色によ りジャーガル,マージ, フェ 一 第l表 琉 球 土 壌 の 成 分 土 壌 の 程 頬 全 量 有 効 成 分 腐植 窒素 燐酸 加 里 石灰 .燐酸 加里 石灰 ジャーガル 1.80 0.42 0.25 0.45 2.36.0.0320.0370.8 地質年代第四紀に 亡モ母岩は珊瑚 鶴 (島尻 マ-チ) 2.30 0.39 0.31 0.28 0.78 痕跡 0.0280.29 地質年代舌代 に して母岩は粘板岩, 砂岩 (国頭 マ-ヂ) 2.36 0.35 0.13 0.25 1.12 痕跡 0.02 0.27 (註) 我謝著,糖業教科書 よ り。甘鮮作 地帯 の頗業経 常 157 ジ, ウジマな どと呼んでい る。分布の広いのは前2者で, ジャーガルは第 8紀泥板岩 の風化に よる土壌で,北部,中部の低地に多 く,強い粘土質の もので有機物 は少いが よ く肥 えた土壌である。マー ジ'には廃岩の粘板岩 よ りなる国頭 マー ジと,母岩の珊瑚 礁 よりなれ る島尻マー ジの2種がある。前者は主 として北部お よび これに隣接 す る中 部地区の
1
部 に分布 し,島尻マー ジは南部,中部,宮古 の各地区に分布 してい るが一 般 に挿せた土壌 である。 国場 川沿いの本村,大里村, 旧真和恵市は昔か ら南部地区の穀倉地帯 と言われ中部 地区の東海岸地帯に劣 らぬ豊沃 な土地である。 第2表 南 風 原 村 の 土 塊 分 析 部落名 原名 地 目 土壌型 pH 硬度置換 石 灰置換性 腐 植 全窒素 有効燐酸有 効加里 土牲 T部落 0価 泥灰岩
7.3 赤変 0.31% 1.87% 0.160
%葬
量(
常に
2
0
多
)少
い(15) 植土 K部落 K 田 ′′ 7.2 ′′ 0.28 2.01 0.256 〟 (20) 〟 (15) ′′ 畑平均 畑 7.0 0.05 0.39 1.44 0.147 〟 (18) 田平均 (6) 田 // 7.3 0.005 0.35 1.66 0.176 〟 (20)少
(
い
1
6
.
7
)
′
′
全平均 (12) 田畑 ′′ 7.1 0.05 0.36 1.55 0.160′
′
(19)/
/
(20.8)′
′
(註) 経済局農務課資料 より,原名欄の数字は調査数を示す。 調査村 におけ る戦後5
カ年平均の気象状況は第3
表の通 りで 年平均気温は2
2
.
5
o
C
で,最低 の梅 は1
9
5
5
年2
月の6
.
8
o
C
,最高の極 は1
9
5
2
年の3
4
o
C
,降水量の5
カ 年平均は2
2
9
8
.
6mm
,降水量の最大 の極は1
9
5
4
年9
月の5
0
2
.
8mm
で,最少の極 は1
9
5
4
年1
2
月の5
4
.
7mm
とな っている。最大降水量の5
カ年間の月の平均 は8
月の3
8
2
.
4mm
で,年降水量の半量は5
月か ら8
月までに集中 してい るが,甘庶作 上7月の降水量少な きは植付 の適期 を失 し減収の原 因 とな ってい る。 また この時期に 第3表 南 風 原 村 の 気 象 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 Io月 11月 12月 平均 平均気温 16.2 16.7 18.720.823.9 26.9 28.2 27.6 27.0 24.2 21.3 18.1 22.5 最高気温 24.724.726.528.I30.2 32.1 33.2 32.2 32.0 30.4 28.225.7 33.2 最低気温 8.9 8.9 ll.4 13.117.2 20.5 23.5 23.2 22.3 19.0 15.8 13.0 8.9 平均湿度 80.7 74.177.0 88.886.0 85.0 80.3 82.I 79.7 74.3 73.771.2 77.9 降 永 畳 134.1148.11 23.5166.0257.4 313.9176.6 332.4 256.5 116.7 205.9 82.82298.6 (註)村内に気象観測装置なきため,那覇気象台の資料による。(1952年-1956年,5カ年 平均)おける降雨にはいわゆ る車軸を流 すが如 き大雨 も多 く農作物の被害 もなお大 きい。1 カ年間200日を超 える降雨 日数で,特に傾斜地の多い本村においては大雨による土壌 流亡や肥料の流失が 多 く生産力減退の 一因をな していることは 見逃す ことはできな い。年々定期的に来襲す る台風が人畜や家屋あるいは農作物等にお よぼす被害は甚大 で,中で も直立性 の甘簾はその被害が大 きい。 第4表 戦 後 の 台 風 発 生 状 況 (註) 沖縄の台風資料 よ り,琉球に影響があった台風で風速 20m以上のみを記載せ り。 (2) 社 会 的 条 件 昭和
1
2
年における調査村の農家戸数は,1
,
5
6
8
戸で,総戸数の9
7
%
余,農業人 口は8
8
6
5
人で総人 口の喝%
を占める純農村で他産業の此率は僅少であ った。戦後 はその様相が変 り第5
表に示す如 く商工業面えの進出が 目立 って来た。戦後商工業お よび他産業の人 口増加は農家人 口の源少を招来 した が,1
9
5
4
年の統計によれば農業 は戸数において7
8
%
,人 口において7
9
%
を占め第1
位の虚業 たるの地位にかわ り ほない。 第 5表 産業 別
戸 数 及人
口 総 数 農 業 I水 産
業 工 業 商 業 其 他 戸数 人口 昭 和士 ー 実数 1i,0610.戸380110,50.3人0 15 ,568 2戸 16人 21 82 22 72 -8,365 -割合 97.2 98.0 0.2 0.3 1.3 0.9 1.3 0.8 完 実数 1,82P68,5811,4236,796 - 45 190 67 305 291 I,290 調査村の特徴 として戦前戦後 を通 じて甘庶の栽培が盛んであること, と他市町村に 見 られない副業の存在である。戦前本村の織物は久米島紬や宮古上布,八重山上布 と ともに島内塵織物 として名声が高 く,年間5
万反の生産 をあげ農家経済にプラスする 所が大 きか った。戦後織機 の不備や原料の入手難でその生産量 も戦前の1
/
8
以下に源 少 しているが,今 なお この副業は 2,3の部落においてほ農家収入の重要な部分を占甘 庶 作 地帯 の戯業経 営 159 めてい る。 その他布団打直 し業 や,染色業 の如 き家 内工業 も1部 の部落 にお いては戯 家 の収入源 と して大 きな役割 を果 してい る。 第6表 農 村 工 業 (1954年) (証) 庚村振興五カ年計画書より 第7表 副 業 (1954年) (註) 農村振興五カ年計画書より 3 調査村 の農業概況 (1) 農 地 と農 家 戸数 調査村 の土地利用状況 は第
8
表 の如 く,総 面積9
8
9
町2
反 中耕地 面積 が 64
4
町, 山林1
8
町9
反 ,原野2
0
2
町1
反 で, その割合 は畑地6
4
.
2
%
,水 田0
,
9
%
, 山林1
.
9
%
, 原野2
0
.
4
%
とな ってい る. 山林少 な きため燃料 や敷革 ,堆肥原料 な どは原野 の草 や甘庶 の枯葉 に依 存 してい る。 第8表 南風原村の地目別土地両横 田 畑 計 公私有 公有 私有l
I
計 署 両横 += i割合 9,921反 ▲一■■■-■7■■■■反■- 7,45皮07,457氏 35反一
二 lL1.29&6 5反 662反 466反 100.0% 0.071
75.1 75.2 0.35iL-
_ー【1しー - 0.3.070.05 6.1166 7.7667753 4.69 一 九 両帝 9,892反 90ー6,350 6,440; 189 .2 2,009ー2,021 461 (註) 南風原村役所資料 より -農 家1
戸 当 りの耕地 面積 は第9
表 の如 く4
.
5
4
反 で仝 琉 お よび南 部 地 区平均 よ りも 少 い。 第9表 耕 地 両 横 (1156年) 田 ! 畑 計 田 1 戸 当 面 横畑 計T 農家戸数I 全 琉 球 74,764反 348,733反 423,497反 0.84反 0.84反 4.74反 89,409戸 南 部 地 区 17,254 925,,956602.5 1096,,691147.3 0.72 0.72 4.83 1 22,542 (註) 全琉及南部の統計は琉球農林統計表より,南風原村の数字は村役所資料 より。経 営親 模 別農 家戸 数 お よび面積 の最近
8
カ年 の推 移 は第1
0
表 の通 りで,1
9
5
6
年 は前 年 に此 し農 家戸 数 に於 い て8
町 以上1
戸 ,1
町 未 滞2
4
戸 の増加 で, 面積 におい て1
5
町 の増加 とな って い る。 第 10表 南風原村経営規模別農家戸数及両横 - 3畝未満 3.畝∼ l反 I- 3反 3.-5反 5反- 1町 l∼ 3町!3町以上 計 一■
■
一■■ 九 戸 数 45戸 180 355 425 356 72 - 1,433 畜 両 横 19.5反 211 778 1,865 2,337 1'085 6,291.5 -■■一一 九 戸 数 45戸 180 355 425 356 72 1,433 霊 両 横 20.9反 121.6 958.5 4,036 2,556.5 1,181.5 - 6,875 完 戸 数 45′戸 180 359 435 366 72 1 1,458 (註) 南風原林役所資料 より1
9
5
6
年度 にお け る各 階 層 別 の農 家戸数 は第1
1
表 の通 りで,1
町 以上 が僅 か5
%
,1
町 未満 が9
5
%
の多 きを 占めて い る01
町 以上農 家 戸数 の割合 は仝琉1
0
%
,南 部地 第 11表 経営規模別農家数 と割合 (1956年) 5歓未満 5′-l皮l
-3
反 3.-5反 5.-1町 I- 3町 3町以上! 計8,
086 905 89,405 全 琉 球芸 警
6,048戸 ll,761 25,928 20,158 16,526 6.8%1
3
.
2l
lf
2
9.0 22.5 18.5 9.0 1.O l100.0
南部地区芸 警
1,
2402
,374l16,
0
26 6, 490 5,
103 I,060 249 22,542 5.5i
?
.
5f
26.7 28.8 22>.6∼_
_
_
4
:_772J 1.2 11 .1.458 南風原村 実割 数合 2251
359 435 366 (註) 全琉お よび南部地区の数字は琉球農村統計表 より,南風原村の数字は南風原村役所の資 料 より 第 12表 専業兼業別農家戸数 (1956年) 専 業 農 家 農業を主 とする兼業農家 農業を従 とする兼業農家 戸 数 両 横 戸 数 面 積 戸 数 面 積 1 反 以 下 34戸 16反 36戸 22.2反 28戸 16.1反 1 .- 3 反 148 300.5 107 214.7 81 159.3 3 .- 5 反 223 1,040.7 167 569.1 27 91.7 5.- 1 町 262 1,834 216 1,335.0 - -1 .- I.5 町 .53 572.6 29 421.4 - -1.5町 以 上 7 111.9 5 78.3 - -計 717 3,875.7 570 2,640.7 136 267.1 (註) 南風原村役所資料 より甘庶作地帯 の戯業経 常 161 区
5
9
%
で,調査村 は仝琉平均 の半分,地区平均 よ りも少 く零細農家の多い ことがわ か る。 専業兼業別農家戸数 は第1
2
表 の通 りで,専業農家7
1
7
戸中1
町以上 が6
0
戸 で8.
4%
,1
町未満が6
5
7
戸で9
1
.
6
%
とな ってい る。 第13表 農業を主とする兼業農家の産業別種類 (1956年)洋
戟
栄
計 (註) 南風原村役所資料 より 第14表 農業を従 とする兼業農家に於ける賃労働の種類 (1956年) 計 (註) 南風原村役所資料より (2) 栽 靖 作 鞄 栽培作物 中主要 な るものは甘藷,甘庶,水秤,大 豆,疏菜 な どで,甘庶は換金作物 の大 宗であ る。都市 に近接せ る1部の部落 は疏菜の栽培 も盛んであ る0 第 15表 主 要 作 物 の 推 移 ! 甘 藷 甘 庶 水 . 稲 大 豆l
馬 鈴 薯i
両 横 生産高 両 横 生産高 両 横 生産高 両 横 生産高 両 横 生産高 「 皮 石 皮 石 反 千 一一一■一■ 皮 千貰 反 千首 九 全 町 226,42871,11863,47698,832103,794118,97344,47030,151 2,055 73.3 五 南 部■51,396 18,76623,056!45,17524,51527,719 13,OI缶ll,174! 軍 南 風原 2,610 1,229 2,199i5,629 1,0671,216.4!1I,
0
9
0
6
3
2
号 8
62
4
.
4
若
南 風 原 2,6658
6
1 1,464i 7!4
0
6
6
6
粘 部誓 .20霊Fy.o 615.-36.2,5)83624.
8
0i433,,81036
1IIl
,223.4 1,529! 1,200 696 86 24.8 (註) 各年次の全琉および南部地区は琉球農村統計表より,南風原林の数字は南風村役所資料 より,空欄は資料未発表。 戦後 米価 の上昇に 刺戟 され て,多少 とも 水利の便のあ る 畑地や 原野 は水 田に変更 した ので水 田面積 の増加 を来 た したが, かか る水 田は2期作時 に水 の不足 を釆た し作付不能 の年 も珍 ら しくない,
1
9
5
5
年の収穫面積の減少は これ を物誇 って い る。最近 輸入米の順調 な入荷 と糖価 の高騰 は水田を甘庶畑に変更する農家 も続 出 し,ために庶 作 面積 の増加 を釆 た した。 耕地 の状態 は第1
6
表 の如 く,水 田においては9
0
%
が天水 田で2
期作不能の水田 が多 く反 当収量の少い大 きな原因をな してい る。畑は平地 と傾斜地の割合 がほぼ半 々 で急傾斜地 は割合少い。 第16表 耕地の性質別両横 (1952年) 計 (註) 南風原村役所資料より 主要作物 におけ る反 当収量の推移 を第1
7
表 について見 るに,甘藷,甘庶ほ各年次 を通 じて全琉 お よび南部地区の平均 を上廻 り,水稲お よび大 豆は年によ り若干の相違 はあ るが全琉お よび南部地 区の平均 を下廻 る成績であ る。水稲の反 当収量少な きは, 天水 田が多 く一般 に地力の低 きを物語 るもので,大 豆は収穫期 におけ る梅雨襲来の早 晩が反 当収量に影響 してい ると思われる。 第 17表 主要農作物の反当収量の推移 年 次 1954 年 1955年 1956年 作 為 全琉球 南部地区南風原村 全琉球 南部地区南風原村 全琉球 南部地区南風原村 甘 藷 314耳 365 471 370 480 576 390 456 甘 庶 1,700宵 1,959 2,560 I,527 2,067 2,906 1,056 1,067 2,284 水 稲 1.15石 1.13 1.14 1.14 1.51 1.70 1.46 1.25 (註) 各年次共,全琉南部地区の数字は琉球農林統計表より,南風原村の数字は南風原村役所 の資料より,1956年の南部の甘藷,水稲大豆の資料なし。 耕地 の利用率は第1
8
表 に示す如 く,水 田は2
0
0
%
の高度 を示 してい るが,細地 の 方 は,在団期間1
年乃至1
年半 た る甘庶作 が1
/
3
を占めてい る関係上利用率は低い。 しか し都市に近い Y部落や T部落では就業作 を取入れ畑の利用率は高い。 第18表 耕地の利用率 (1952年) 計 田 (註) 南風原村役所資料より 畑甘庶 作地帯 の頗業経 常 163 (3) 労 働 手 段 労働手段 たる農機具の所有状況は第
1
9
嚢の如 くいち じる しく低位にあ り,動力農 機具は1
9
5
5
年始めて動力用噴霧機が一台導入 されただけに過 ぎ な い。1
9
5
7
年の末 頃動力耕転機が5
台導入 されてい るが,所有形態は農協有5
台,個人有4
台 とな って いる。 第 19表 主要農機 具 台数 午 (註)南風原村役所資料 より 第20表 家畜頭数 の変遷 (註) 1954年の数字は村役所資料,1955, 年の数字は琉球統計報告 より 家畜の飼養状況は第2
0
表の如 く,各家畜 とも毎年頭数の増加を示 している。牛は 一般に用苔が主体で農耕への利用は少い。 第 21表 百戸 当家畜 の飼養頭数 午 局 風 (註)琉球統計報告の数字 より計算せ り (4) 労 働 事 情 調査村における農業可働者数は 終戦後1
9
5
4
年以来年 々増加 してい る。1
9
5
5
年 ま では男子の数が女子の数 を上廻 っているが,1
9
5
6
年,1
9
5
7
年 とこれが逆転 し男子の 数が女子の数 を凌駕 している3 これは中小企業の不振に よる解雇あるいは糖価の値上 りに刺戟 されて帰農 したものが多 くなったためであろ う。農家総人 口に対 する農業可 働者の此率は,1
9
5
4
年4
1
%
,1
9
5
5
年叫%
,1
9
5
6
年8
7
%
で前年に此 し7
%
の減 とな っている。1
戸当可働者数は年に僅かづつ増加 している。一般 に経営規模零細の ため年雇は非常に少い。 春期における甘庶の収穫は,一時に沢山の労働 を必要 とするので,臨時雇か 「ゆい」 に依存 しているが, 最近軍労務賃銀の値上 りは 雇傭労働 を困難な ら しめ,特に1
-3
月の農繁期の雇傭難は,大豆の播種や甘庶 (春植)の植付けを遅延せ しめ反 当収量の 減 を招来 してい る。第 22表 年次別農家人 口と可働者数 男 女 計 男 女 (註) 南風原村役所資料より 4 甘 幕 の 生 産 状 況 (1) 南風原村の甘常生産の沿革 往時南風原村は,真和志村 とともに首里朝直轄の間切であった。当時新導入作物は 先づ首里近 くの間切で試作 されその後地方の各間切え普及されたもの と思われる。甘 庶の場合もその例に もれず,恐 らく南風原村あた りで試作 されたものが,他の間切に 伝わったものではなかろ うか。か くみる時南風原村は甘庶の導入後間 もな く他の市町 村にさきがけて 栽培 されたもの と思われる。甘庶は 同村に 於いても古い 作物の一つ で,換金作物の王者である。 したが って栽培 も盛んで,明治,大正,昭和 と年 ととも に作付面積,生産高 ともに増加 し,昭和7年期には作付面積 818町余,生産高 794 万6千貫に達 し,南部地区20箇市町村中第6位を占めるに至 った 。昭和 13年期は 面積389町余,生産高 971万1千貫で,面積,生産高 ともに昭和7年期に此 し.22% の増加を示 し第 4位 とな った。 (2) 甘茶生産の現況 調査村における1956年期の庶作農家数は 1221戸で全鹿家戸数の 71% を占め, 収穫面積は264町歩で 耕地面積の約4割に当っている.1戸当 り源作 面積は2,16 反で,昭和 13年期における 2,68反に此すれば 0,5反の差が ある。戦前から甘庶 栽培の盛んな村で,昭和 18年期の収穫面積は,東風平村,大里村,豊見城村に次い で第 4位で400町歩余の収穫 両横で あった。戦後の 1956年期は 13年期の 68% の回復率である。 庶茎の 収量は昭和 18年期が 9711千貫で,1956年期は 3806千首で,4割程度 の回復率である。反当収量は昭和 13年期 2543貫に対 し,1956年期は1800貫で相 当の開 きがあるが,この年の 反収の低 さは台風の 被青によるものである。1965年期 の如 きは,2,906賓で 14% の増加 となっている。戦後は戦前に此 し反 当収量の伸び 方がいち じる しい と言われている。品種別の作付面積は,昭和14年 (昭和13年期の
甘 庶作地帯 の虚業経営 165 資料 な き た め
1
4
年期 の もの を 引用 した)4
0
0
,
8
町 歩 の収 穫 面積 中,POJ2
7
2
5
が8
9
9
,
9
9
町 で,F1
0
8
が0
,
8
1
町 で他 の品種 は殆 ん ど栽 培 され ていない.戦 後 はPOJ
2
7
2
5
一 点 張 りで,.
1
9
5
7
年以後NCO3
1
0
,Ⅱ4
4
-3
9
0
8
の両 品種 が新 ら し く奨 励 品 種 に指定 され普 及 されつ つあ るが まだ まだ全庶作 農 家 えの普 及 は少 い よ うであ る。反 当収 量 の多 い, しか も台風 に強 い この両 品種 の普及 は疏球 の甘 庶作 を羊活 気 を与 え る ち の と期 待 され てい るo植 付期 別 甘 群 につ きここ8カ年 間 の推移 を見 るに第 28 表 の如 く, 更埴 にお い ては1
9
5
4
年 以 降 年 々作 付 面積 も増 加 し,1
9
5
5
年は前 年 に此 し3
8
%
1
9
5
6
年期 は7
8
%
と大 巾な増反 で あ る。 春 槍 も 年 々増反 され てい るが 夏櫨 の此 に あ 第 23表 年次別植付時期別甘庶及砂糖生産高 夏 植 春 植 株 出 両 横 反 収 生産高 両 横 反 ●収 生産高 両 横 反 収 生産高 - 全 琉 球 皇 南部地区29,9,262077反 2,1,859794宵 55,23,51546 6,千耳0 19,334650反 1,1,360806好 25,10,13●09 19千首2 4,7,683364反 1,1,252000貫 1l8,1l,449千だ34 四 南 風 原 736.0 3,200 2,355 630.52,080 1,310 532 1,888 1,004 午 (38,3) (33.2) (28.5) 一 食 琉 皇 南 部 312,8,259682 2,1,738365 70,35,48190 6,2 22,425984 ●11,,380825 129,2,67127 13 20,0,261607 1,1,481899 214,5,088099 五 南風原 1,017.0 3,584 3,645 676.0 2,726 1,853 608.5 2,016 1,227 午 (44.2) (29.4) (26.4) - 全 琉 空 南 部 41,15,666038 1,1,353063 23,54,41053 8,6 26,155432 884791 22,7,255 1489 25,2,565924 1,707015 118,2,089542 (証) 各年期共全琉お よび南部地区の数字は政府経済局糖業課の資料,南風原村の数字は南風 原村役所資料による,( )内の数字は植付期別の割合を示す。らず。反 当収 量お よび生産高 は年 々定期的 に襲来 す る台風や 7-8月頃 の干魅あ るい は病青 虫の発生 のために大減収 を釆 たす こと稀 な らず。1956年期 は7-9月の8カ月 間 に3回の台風 に見舞 われ前年 に此 し全疏平均 で約500賞の反 当収 量の源 とな ってい るが,南風原村 は 1000賞以上 の減収であ る。 第 24表 台風による農作物の被害状況 計
盲
マ
( 一 九五
六
全 琉 球
!18.,892 琉 球 北 部 〝 中 部 〝 南 部 10,527 4,980 3,385 42,165 8,145 17,879 16,141 示 表√「
{
7
:
i
品
2,125 ll,500 32,560 4,6
3
9
7,990 25,037 3,436 2,056 1,380 277 t148,647 ! 27,587 42,477 78,582 (註) 宮古,八重山地区はエマ台風の疲害な し。1957年琉球要覧による。 台風 に よる農作物 の被書状況 は第 24表 の如 く,在 団期間が長 くしか も直立性 の甘 簾 は被専甚大 で,1956年期 の2回の例 を見 て もわ か る如 く金 被害額の8-5割は甘庶 の被 害額 であ る。 台風 の あ る年はいずれ も上記 の如 く甘於の被害 の大 きい こ とが一般 的 であ る。 (3) 砂糖 の生産 状況 戦後 1954年∼56年期 に至 る塵糖 高は第 23表 の通 りで,1955年期 は 1954年期 に此 し分蜜糖 (白糖 ) 約 75%,含蜜糖 (黒糖)約 51% の増産 とな ってい るが,1956 年期 は前述 の如 く8回に 亘 る台風 や干魅 のため歩留 も悪 く分 蜜,含蜜糖 ともに大 減収 であ る。含蜜糖 ,分 蜜糖 の生産量 は1958年期 までは前者 が多 く,1954年期 以降は後 者 の方 が多 い。政府 と しては将来分 蜜糖 の比重 を重 くす る意 向の よ うであ る。 戦 前昭和 13年期 にお け る本村 の含蜜糖生産 量は945千貫 で, 同村 の戦後 の最高年 次1955年期 の含蜜糖 の生産量373千貫に此 すれば約3倍,分 蜜,含蜜糖合 計760千 貫 も昭和 18年期 の含蜜糖 の摩 量 よ りは遥 かに少い。 次 に黒糖 (含蛮地) の品質について戦 前の昭和 13年期 と,戦後 1956年期 とを此 政 すれば第 25表 の通 りであ る。甘庶作 地坪 の戯業経 営 第 25表 黒 糖 の 検 査 成 東 167 合 格 糖 l不 合 胎 和 十 三 年 島 尻 可 芸警 南風原村
‡
芸警 一 九 五 六 年 南部地区〈芸警 南風原村 (芸警 検査
挺 数 I,075,948 100.0 444,344 100.0 39,255 100.0 410,438 100.0 lo§,463.5 特 等 卜 等 39,5一・
66I
・
・
・
・
5.
-
7-
-
や,5
7
.
2
4
16,
81
巴≡
95■
248,
903 59.82 2,
309 23.
3126
5
.
01 56,293 13.72 10,092 100.0 12.00 6,166・0…240・5 100.0 3.90 二 等 l三 等 l 計 l格 糖 5,8450
.
5
5
1,889 曇 …信 書… 404・:;?i5576莞 ; 9.92! 2,391 331,708j 30.83 132,
573 29.84 ll,290 28.76 154,792!120,094.5 37・71! 29・25 27,685.5: 37,977 3 5 5 ・ 72,922 17.
77 35.01; 28.38: 98.22! 1.78 2,418.5 42・66i 39・22 冒;慧 言霊 1 0.≡; (註) 経済局糖業課の資料,帽和13年期は1挺を 120斤,1956年期は1担 100斤で,50 斤語等をすべて100斤に換算 して記入せ り。 昭和1
3
年期の本村の特等,1
等合計の割合は全琉球お よび島尻郡 (現南部地区) の割合 を上廻 り,粗悪糖やロ張糖 の如 き不合格糖の割合 も随分少い。戟後の1
9
5
6
年 期 もその傾向はほぼ同様であるが,全坑の特等,1
等合計の割合 と南風原村の割合 と の間には日召和1
3
年期の如 き差異は認められない。不合格糖の割合は全琉球あるいは 南部地区の平均の1
/
4
内外である。全般的にみて黒糖の品質は戦前に此 し劣 っている よ うである。1
9
5
6
年期において 晶質優秀な村は,宮古地区,多良間村で特等,1
等 合計の比率8
6
.
0
5
%
の高率を示 し, また 不合格糖の此率 も非常に少い。戦後におけ る砂糖品質低下の原因は製糖技術の巧拙如何にもよれ どむ しろ金肥過用の結果による 所が多い と思われる。 5 調査部落および調査農家の概況 (1) 調査部落 の農業概況 調査地のⅩ部落は明治の末年大里村か ら南風原村に編入 された部落で,調査村の南 方那覇か ら6km
,村役所から2
.
4km
の地点にあ り,1
9
5
6
年の村役所の統計によれ ば普通畑6
4.
2
7
町 (樹園地な し),水田1
4
.
3
町で耕地面積に対 する田,畑の此率は 各 々1
8
%
,8
2
%
で,純畑作地帯である.K
部落は1
9
5
0
年 セ ンサスによる土地台帖 面の水 田面積は僅か3
.
5
4
・反であるが,戦後の食糧不足や米価の値上 りに刺戟 され水 田面積は増加 した。 この増反 された1
0
町余の水 田は水利の優が悪 く,2
期作時に水不足 のため作付不能 を きたすお それのあ る水 田であ る。最近糖価 の値上 りと米価 の下 落は逆 に水 田を畑に変更 す る農家が続 出 して きた。 その大部分 が甘庶 の作付 に充 て ら れてい る. この傾 向は
K
部落のみな らず村全体 の傾 向 と見 られ る0 第 26表 一戸当耕地両横の推移 (註) 全琉および南部地区の数字は琉球農林統計表より,村および部落の数字は村役所の資料 より,1952,54,55年は南部地区の統計な し。Ⅹ
部落は村 内1
2
カ部落 中,農家戸数や耕地 面積 においては第4
位 で,1
戸 当 り耕 地 面積 は第1
位 であ る 。1
戸 当 り耕地面積 は6
.
0
3
反 で村 の平均4.
9
2
反(
1
9
5
6
年) よ りも大 き くまた村 内の どの部落 よ りも大 きい。年次別部落別 の1
戸 当耕地面積 は第2
6
表通 りであ る。経営規模別に見たE
部落 の1
9
5
5
年の農家戸数 は第2
7
表 の如 く, 村 内1
2
カ部落 中,農 家戸数が3
倍 を上廻 るT
部落 に此故 して も5
反以上 の農家数 の 此 率は高い。 第 27表 経営規模別農家数 (1955年) 5畝7,3未 満14戸0.152-1,35反0 1- 3反 3.-5反5反.-1町1.-3町3町以上 計 全 琉 (芸 警 8.0%一 13.5 262,9.6005 202,2.3937 16,17.1165 8,8.0079 0.8797 9110,60.670 南 部 (芸 警 1,46.925戸% 2,10.3483 5,25.7944 62,らl9.0l 5,22.2298 1,4.0469 21.463 221,070.680 南風原 (芸 警 3.452%戸 12.180i 24.3557 29.4265-24.3586 5.752 -- 110430.50 K部落 (芸 警 一 %一 戸 3.85. 22.351 10 2.187 46.626 14.193 -- 1010.330 ・T部落 (芸 警 1459戸% 13.587 18.706 35.1481 20.846 8.335 -- 100.4220 (註) 全琉および南部地区の数字は琉球農林統計表より,村および部落の数字は村役所資料よ り。 IⅩ部落 は四周小高い丘 にか こまれ, ために傾斜地 は多いが台風 の被害は割合 少 く, かつ地 力 の高 い畑が多い。 甘庶作 が主体 でその作付率は畑地 の3
7
%
,耕地 の3
2
%
を 占めてい るが村平均 の前者4
4
.
8%
,後者3
9
.
9
%
よ りは少い. しか し全疏平均お よび甘庶作地帯 の戯業経営 169 南部地区の平均を遥かに上廻 ってい る。甘庶の品種は村の傾向 と同 じで戦前からの奨 励品種
Po
j2
7
2
5
が大部分を占めている。 この品種は戦後全琉的に退化現象が現われ 収量の減を来た しているがK部落はそれにも拘わらず相 当量の収量をあ げ て い る。1
9
5
7
年1
1
月か ら新 らしく奨励品種 としてNCO8
1
0
とH弘一3
9
0
8
の両品種がこ の部落に も相 当栽培 されている。 これが全庶作農家に栽培 されるようになれば庶茎量 や虚糖量の増加をもた らすもの と期待 されてい る。 甘庶に次 ぐ主要作物は,甘藷,水稲,大豆で,戦前甘藷を常食 としていた頃は甘藷 の重要度が高か ったが,戦後は食生活の向上により甘藷を常食 とする農家は少 く,1
日1
,2
食程度で大部分は家畜の飼料に向けられているとい うのが現状である。 大豆は動物蛋 白源に乏 しい農家の唯一の植物蛋 白質源で大部分が自家消費に向け ら れ,その残樺は家畜特に豚の飼料 として甘藷 とともに重要な作物である。K部落は都 市に近 きにかかわ らず甘藷以外 の換金作物の栽培は少 く,甘藷や大豆 の栽培が多 くそ れによって家畜の飼育が盛んで,村内でも優秀の畜産部落 と して名声が高 く,家畜 よ りの収入 も砂糖に次いで多い.家畜の飼糞状況は第 28表の如 くで,鳥は1頭 もいな い。牛 と豚の飼育が盛んで村内においても第2位にあ り,牛は役肉兼用種であるが役 用 としての利用は少 く用畜的存在である。牛は2
.
5
戸に1
頭,豚は1
戸に2
頭の割合 で飼育 されている.山羊の飼養は年々増加 して来ているが,1
9
5
7
年は4
4頭で,前年 に此 し半分以下に減少 してい る,それに引きかえ豚の頭数が増加 しつつあ り,小家畜 たる鶏の飼育は きわめて少い。 第 28表 年 次 別 家 畜 頭 数 1953 年 1955 年 1956 年 午 17,3馬161!
01豚,810山羊 午 局 防 山羊 午 局 防 山羊 全琉球 ll,685 83,10212,82121,148136,50892,15113,58721,896129,'26494,415 南 部 3,035 2,731 37,81022,429 3,518 2,454 44,56222,051 3,716 2,530 44,82522,071 南風原 198 39 1,274 1,040 246 47 1,870 1,333 254 45 1,490I,290 K部落 33 2- 160 34 47 174 95 51 255 99 T部落 73 20 314 334 80 24 150 250 88 18 288 439 Yo部落 19 i. 75 60 20 2 70 104 23 2 142 58 (註) 1953年度の頭数は7月末,55年,56年の頭数は12月末の数字である。 琉球統計報告 より引用。 労働手段た る農機具の所有状況は資料不備のためここにその数字を掲げ ることはで きないが,概 して動力農機具や原動機に見るべ きものな く殆んど人力農機具のみである。最近動力噴霧機 を水 月所有者 の共有で購入 し, また上層農家にただ
1
戸動力耕転 機 を購入 した農家がい る。 この耕転機が甘庶後地や大豆後地の耕物に能率をあげ一般 農家の注 目をひいている。 (2) 調査農家の経営構造 1) 経 営 の 概 況 調査農家は2
0
戸でその内訳は,1
町以上の経営農家7
戸(
A
層),1
町未滞1
1
戸(
B
層),5
反未満2
戸(
C
層)で,各階層の経営概況は第29
表の通 りである. 第2
9
表 調 査 農 家 の 経 営 概 況 農家 家 族 経 営 耕 地 慶 兵 家 ■畜 貸 ・(
原野 '反
)
(
%
N
:
21
1)
会
.
0 3
6 3
葉聾
者永田
(
良
)(
普 通 加皮
)(
計皮
)
石 発 型機機 械
望 叢 会
豊
年豚山
羊
小作地仮
,
(
付
也
皮
)
9 2 2 3
.
2
7 3
.
l
l6
.
3
8-ー1
.
. 1ir.1- 2 -f十
2
.
3
4
4
.
4
5
4
.
4
5-I
711
∼
-l
l
-各層 とも水 田が少 く畑地が多い,独 りNo.7農家は水 田と畑地の割合が相半ば し ている。水 田のない農家は A層の N0.5とC層の No.1
9
,No.2
0
の3
農家で ある.A
層7
戸の耕地面積の平均 は1
2
.
9
2
反で,B
層1
1
戸の平均は8
.
0
7
反,C
層 2戸の平均は4
.
2
3
反 となっている。各層 とも樹園地な く僅かに屋敷内に亜熱帯塵 のバナナや/てパヤ,九年母,などの果樹が散在 しているにすぎない.山林な く原野は1
戸平均1
.
7
反 ぐらいで,茅は屋根管用あるいは燃料に供 している。Ⅹ
部落 も2-廿庶作地坪 の虚業経常 171
3
年前 までは原野や畑の水 田化 が 目立 っていたが,最近米価 の下落 これに代 って糖価 の上昇は逆に原野 あるいは天水 田を 変 じて畑 とし,甘誰 の 作付面積の 増加 を 釆た し た.耕地の利用率は在団期間1
年乃至1
年半を占める甘庶が畑面積の8
割以上 を占め てい る関係上そ う高 くはない.全琉の昭和9
年∼1
1
年の8
.カ年平均の利用率は1
1
7
%
で,1
9
5
8
年は 129%,K
部落 のそれは1
8
7
%
で仝琉平均 よ りは高い. 調査農家の利用率は,A
層の最高 は1
8
5
%
,最低 は7
8
%
,平均1
0
4
%
で,B
層は 最高1
5
6
%
,最低 67%,平均1
1
号
%
,C
層は平均1
0
0
%
である.亜熱帯地区で年中 土地利用可能な るにかかわ らず在固期間長い甘庶多 きため耕地の利用率は低い。 2) 甘茶生産の現況 調査農家におけ る1
9
5
6
年期 の甘庶の生産状況は第3
0
表に見 る如 く,庶作面積はA
層の平均 が4
.
6
5
反,B
層 が2
.
5
7
反,C
層が1
.
6
7
反 とな ってい る。植付期別の 庶作面積は どの階層の農家 も夏櫨の割合が断然多い.夏櫨は1年半の在国期間で,春 植株出に此軟 して反 当収量が多い。調査農家において反 当収量の多い農家は夏穂 の比 率が高い農家である. 反 当収量の最高 はNo
.8
農家の2
8
0
3
賓で,最低はNo
・5
第 30表 調査農家の主要作物の生産状況 鹿 衣 甘 庶 甘 藷 水 稲 大 豆 甘当金庶反肥 香早+両横 反収 生産量 両横 反収 生産量 両横 反収 生産量 両横!
1反収 生産量施6.用畳8∼
No.1 2.5皮0
1,79耳24,48雷0p2.0反0書1 57貰6I
,1杏5212.反00 1一-.38 1石一■6.石5 1.3賢 i1.3石5 1.8石0 2 2.67 1.67 r624 1,040 2.17 1.54 3.3 1.67 .0.5.4 0.90 3.0 3 3.94 1,746 6,8672.67 576 I,536 8.98 1.16 10.5 1.67声0.54 0.90 2.8 4 6.68 1,86812,4803.00 576 1,728 2.98 1.65 4.95 - 4.5 5 4.34 1,4756,400I.67 288 480 - i 1.67㌧0.42 0.70 5.8 6 5.74 1,4778,4671.54 573 883 3.500.77【2.70I
I
-■■- 5.2 7 7.68 I,9809,2421.67 864 1,44010.351.76■18.7 2.67I
1o.84 2.25 6.6 8 2.34 2I8036,5601.33 576 768 I 2.00トL20 2.40 10.7 9 1.67 1,7242,8801.33 480 640 3.981.38.5.5 1.0010.60 0.60 4.2 10 2.67 1,7984,8002.34 960 2,240 ・.4.881.71 8.25 I.67 0.72 1.20 5.2 ll 2.00 2,1834,3661.00 576 576 1.34 1.43 1.93 1.67 0.30 0.60 5.0 12 3.50 1,8296,4002.00 384 768 4.061.43 5.78 2.00 0.36 0.60 6.3 14 3.00 1,8805,5490.67. 480 320 4.84 1.05 4.95 1.3310.90 1.20 5.0 15 3.34 1,560 5,1601.67 576 960 1.00 1.54日 .54 2.0010.1 75 1.50 6.0 16 3.16 1.30 720 960 0.870.99 0.83 1.67lo.72 I.20 -17 2.67 2,0704,4852.00 720 1,440 6.04 1.27弓7.70 …:三は … 0.90 6.0 18 2.17 1,9905,3071.83. 476 1,056 - 0.90 4.5 19 1.17 1.00I 240 24 0 1 1.3310.l 90 1.20 5.6農家の
1
.
47
5
貫で,No.8
農家の喝
% に過ぎぬ。 これはNo.8
農家が夏植のみで あるのに対 し,No.5
農家は春櫨 と株出の面積が多いためである。Ⅹ
部落は近年春植,株出の面積が減少 し夏植面積の増加が目立 っているよう・である。 甘庶に対する有機質肥料の施用量は,その施肥基準によれば夏植1
2
0
0
貫,春楯, 株出各々8
0
0
貫となっている。甘藷後地に甘庶を作付けする場合,甘藷の収穫毎に堆 厩肥 を運んで施 し植付の際特に基肥 として有機質肥料を施 さない農家がいるので,調 査農家における施用量は不明の場合が多いが,恐 らく榛準の半分以下ではなかろ うか と思 う。配合肥料 の施肥基準は夏植4袋(
1
0
貫入),春権,株出各々.3袋 となってい るが,調査農家2
0
戸の平均は夏権において榛準の約3
倍,春植はほぼ同量,株出は0
.
5
袋少い。平均の施用畳は5
.
6
袋で榛準施肥量の7
割の増施である。榛準畳以下の 農家はNo
.2
,8,1
3
の僅かに3
農家で他の農家は皆榛準量以上である。No.8
農家 の如 きは1
0
.
7
袋で榛準畳の3
倍以上である.以上の如 く調合肥料の増施が反 当収量 の増加をもた らした点はプラスの面で喜ぶべ き現象であるが,反面砂糖の晶質は戦前 よ りも低下 している。 3) 甘茶以外の主要作物の生産状況 調査農家におけ る主要農作物たる甘藷,水稲,大豆の生産状況は第3
0
表の如 くで ある。甘藷は食樫および家畜の飼料 としてあるいは1
部農家では販売用 として栽培 さ れている。調査農家の平均甘藷作面積は1
.
6
5
反で,多 きは3
反歩,少 きは0
.
6
7
反, 階層別ではA
,B
,C
各層の平均はそれぞれ2
.
0
3
反,1
.
5
3
反,1
反で上層農家ほ ど作付面積は多い.反 当収量の2
0
戸平均は5
9
0
貫余で,最高はNo
.
1
0
農家の9
6
0
質,最低はNo.1
9
農家の2
4
0
貫で,最低はNo
.1
9
最高の1
/
4
に過ぎない.各階 層の平均反 当収量は,A
層5
8
1
貫,B
層6
1
6
貰,C
層4
8
0
貫 となっている. 水稲は作付延両横(
1
期作,2
期作の計)の多い農家はNo.1
,No
.7
農家でいず れも1
町歩以上の作付面積であるO他の農家は至 って少 く,C
層のNo.1
9
,No
.2
0
,A
層のNo.5
,B
層のNo.8
,No.1
8
の5
農家は水田がない.水田所有農家の反 当収量の平均は1
.
8
8
石で調査村の平均収量を上廻 っている。反 当収量における最高 は最低の2
倍以上 となってい る, これは反 当収量の低い農家が天水 田多きか,あるい は生産力の低い水 田を耕作 しているためである。天水 田は往々2期作の植付を不能な らしめることがある。 大豆は農業経営面においては,輪作における地力維持作物 として重要であ り,また. 食糧面では植物蛋 白質の給源 と して重要な作物で どの農家にも栽培 されている。その甘 庶作 地帯 の戯業経 営 173 他甘藷の間作 として菜豆が栽培 され また蚕豆,商豆,小豆なども多少栽培 さ れ て い る.大豆は.5-6月の収穫期における梅雨が収量や晶質に影響すること大で,時には 収穫皆無の惨状を呈することもある。梅雨や栽培粗放のため反 当収量は低 く1石以下 であるO調査農家の反 当収量は,
No●1
とNo
.8
農家が1
石を上廻 っているが他の 農家はいずれも1
石以下で,2
0
戸平均は7
.
4
斗,村平均 を上廻 ってい るが全琉平均 よ りは少い。 4) 労 働 力 調査農家における労働力の構成は第2
9
表の如 くで,家族員数の平均は7
.
1
人で, 男3
.
9
人,女3
.
2
人,その中農業従事者数は2
.
8
人でその内訳は男1
.
8
人,女1
.
0
人 となっている。家族数が多い割に農業従事者は案外少い。 これを階層別に見ればA 層が2
.
7
人,B
層が2
.
0
人,C
層が1
.
5
人で経営規模多 き農家ほ ど農業従事者 も多 い。年間の農業労働従事 日数は記帖農家が1戸 もないので正確な所はわか らないがこ れを農家の記憶 をた どって聞取 りした 日数は,A
層,B
層,C
層の各々の平均 日数は5
9
7
日,4
8
4
-日,3
0
2
日で調査農家の平均は5
0
5
日とな っている。雇傭労働 日数 も同 様聞取 りによれば,年間平均8
8
.
5
日でその うち甘庶作のための雇傭が4
8
.
3
日,水 稲作のための雇傭が3
4
.
9
日,大豆作のための雇傭が5
.
3
日で,甘藷その他作物につ いての雇傭労働はない。雇傭労働 日数の多い農家はN0.4
で家族数は多い割に働 き 手少 く年間2
4
0
日余の雇傭 をや っている.年雇はNo・1
農家がただ1
戸あるがその 形態は通年でな く月の半分を雇傭主の家で働 き残 りの半月は自家の農業に従事すると 言 った具合で主従関係にあるよ うである。階層別の雇傭 日数はA層が1
3
7
日で断然多 く,次いでB層の3
4
日,C
層の 11日の順である。親横が狭小なるに もかかわ らず 上記の如 く雇傭労働多 きは,甘庶作中心の経営なるに原因 してい る,即 ち甘庶の畦立 てや収穫は重労働で女子の手におえないことお よび収穫の如 きは一時に沢山の労働が 必要なので勢雇傭か 「ゆい」に依存せざるを得ないためである。No
.1
9
農家の如 き は経営規模零細なるに もかかわ らず年間甘庶作 のため雇傭労働1
1
日,手間労働男8
日,女 16日とい う日数にな っている作物別就労 日数についても調査 したが不明の点 多 きためここではこれを省略する。 / 5) 農機具および家畜の飼養状況 調査農家における農機具の所有状況 は第2
9
表の如 く,動力農機具は共有の動力噴霧 機1
台,No
.1
農家の所有たる揚水機1
台,No
・2
農家の所有たる製縄機1
台, ● 他は殆んど入力用農機具で畜力用農機具は型 と若干の馬鍬があるのみである。家畜 の飼養状況は第 29表の如 く馬は1頭 もいない。牛は20戸で15頭飼 ってい るが用畜でた まに使役 に使 われる程度 である。年間の使用 日数は僅か
3
8
.
5
日で大部 分は運搬に使用 され,耕転その他の農耕作業えの使用は少い。豚はNo.1
4
農家を除 いては各農家 とも平均2
頗位飼育 されている.No.
3
,1
0
,1
3
,1
7
,1
8
の各農家は繁殖 豚を飼 って毎年仔豚 を生産 している. その販売収入は甘庶収入に次 ぐ重要な現金収入 源で農家経済上大 きな此重 を占めている.K
部落や調査農家におけ る養豚は将来 とも 有望な副業で発展 する可能性 も十分にある。 6) 輪 式 方 法 調査農家における輪作方式は第8
1
表の如 く大体8
つの型に分類することがで きる。 第 31表 調査農家の輪作方式 l年 目 2年 目 3年 目 未5反満 5反- l町1町 以上 計 I 大豆 一一 1 8 申 1105. 甘 庶 (夏植) ヌ 豆 蘇 (夏植) 3 大豆 甘 藷 甘 庶 (春植)
- 2 15 iI22 i】- 9IAI 3 甘 燕 (株出) 4 5 玉萄黍甘 藷 甘----甘- 藷 甘 兼 (拳植) ]甘庶 (株出) 甘 甘 請 (註) 農家の聴取 より(1956年)0甘 庶作 地坪 の虚業経 営 175 琉球における輪作方式は昭和の初期 を境 と して変 ってきた。 これは品種の変遷が直 接の契機 と考 えられる。即ち昭和の初期 までほ甘庶の品種 も在来種 と読谷山種の2種 で春植のみであった. そのため輪作方式 も3と4の型が多 く,昭和の初期 Poj系の 改良品種が栽培 されるに至 り夏植 も春植 も可能 とな り輪作方式 も1,2,3,4の型が行 われるようにな った。 調査農家においては8つの型の中,第1の型が全体の 1/3を占め,2,3の型はそ れぞれ 22%,20% で,他の方式は非常に少い. 6 む ナ び 以上を以 って,調査農家の経営実態についての きわめて概括的な考察 を終 る。甘庶 や黒糖の経済収支の面には少 しも触れずまた輪作方式や労働問題について も十分な分 析 を行 うに至 らなかったので今後 この面についての調査 も実施 したい と思 っている。 本調査 により,部落や農家の将来の在 り方について断定的な結論を下すには前記に関 する立入 った分析が必要であろ う。故にここにはただ調査農家や部落の直面 している 2,3の問瞳について簡単な指摘をなすに とどめたい。 (1) 戦後甘庶の反 当収量の顕著な伸びが無機質肥料の過用にあるといわれている が,無機質肥料の過用は地力の減退や作物の耐病性,耐風性 を減 じまた砂糖品質の低 下をきたすおそれがある。従 って無機質肥料の施用に当っては有機質肥料の施用 と相 伴わなければならない。当部落の今後の問題点 として厩肥の増産お よび畦畔や道路の 雑草を利用 して速成堆肥を作 り以 って地力の増進に努むべ きである。地力が増進すれ ば 自ら生産は 上 るもの と知 るべ し。アメ リカにおいて,20年前に地力の 培養に乗 り 出 して以来5カ年毎に 10% の増産 とな り,20年後の今 日では40%の増産を来た し た と言われている。 (2) 農家は一般に適期作業に対する関心が うすいようである。甘庶の春権や夏櫨 において適期を 1-2カ月もづれる例は珍 らしくない。適期植付 を阻害する要因 とし て春櫨の場合,春期の農繁期における労働競合,夏櫨の場合,前作 との関係があげ ら れ よう。 春期の労働競合は労働能率の低位によるので畜力利用の強化や動力桝転機の利用に より能率をあげその余剰労 力を植付に廻すのも一帯である。 夏植については前作が大豆の場合,その収穫が一斉に行われるため植付の適期を逸 することは少いが,前作が甘藷の場合その収穫期が長期に亘るため適期 までに収穫をドニ:コr
-/.
7'(;7
L~Tt.:..(/)~~it~(J)~M~9cT:Q ~t
~~t~ ~o ~~~~~m_*~~ ~ (J){9IJ(J)~ ~ ~ ~:QiJ~, ~(/)-CiiMt-e~~ifH(J)1fJtf!i2::"jC7T:Q
J:
~Jt\m< ~~--e2VJ~oiiMfF_O)!lo
M~t1fJtIl:~~~fI.
2::"
~J:~~T ~ t*t~n~!'0t (/)""(
-to)~fi~~ il~T~ ~--e
tb
~o( 3 ) '~1ifO)JJj~~;;t~'~~~~Ji~(J)~*t~~~2::"m*--t:Q
O)--e,
~i1l~~'lI"'*$~~::il"'-C~;;tJJll£O)ttl!r:pJt\O)~#iJ~ G_~2::" ~7t~~I&AtLt.:..~1Jt~~~fjT G~
t
t~ 1\ITG~'~iJ\2VJ:Qtil(!!,3
01. ~ftYi!-.~~(1940):
mt
~ ~ ¥a Cm4-ij-).2. ~mm~~$~~(1937): ~
m
~ j(. 3. 1Fm~Mi#tim(1952): ~~1Lj}1Fatnm_. 4. m}j.\Jjj{#~FJf (1954):ff
ij( ~Jl.
5. 'W:J,li\JJj{t~~FJf(1954""56): ,m~i!ifg~~c~. 6. ~:fj~~J!(1924): 1f~-T1pj(. 7. l]it*tr.&~_(1958): ~f;j<.~tmit~. 8. lm~iStJ&~71jfiU (1953): mg§~§aO).~. 9. fjfff;j(i6rJ&~mfflj(1954""56): ~~~~*f. 10. })lf~il3l:J&~ilU~atNU(1954""56): 1Jlf~ ~ ~. 11. ft~*i~ (1938): ~~~W.·. ResumeSome of the results of the study of situations prevalent in sugar cane producing farms in K Buraku (section), Haebaru son (village), Southern Okinawa are presented in this report. This study was made in Aug. of 1956 and March of 1957.
First, in order to obtain general knowledge about the Buraku and the son, enviro-mental conditions (mainly in respect to natural and social aspects) and general farm situations were studied from the data collected by the son office.
Interviewing procedures were used for the twenty farmers to secure the needed information in analyzing the farms. An analysis on costs and returns in producing sugar cane and sugar was not presented in this report, as there were many doubtful points to be studied further. The detailed analysis on crop rotations was also not presented in the report. As soon as the studies on the costs, returns, and crop rotations are completed, the results will be reported.
Sinc~:.··1,955the yield of paddy rice, the main crop of the Ryukyu Islands, has ex-ceeded th.~;·peak pre-war year of 1940, both in total yearly yield and in yield per tan (1/4 acre). The acreage under cultivation for sugar cane, the main cash crop of the Ryukyu Islands, will never be as large as that of pre-war time, because the total cultivated acreage of the Islands was reduced conciderably after the war. The same thing will hold true regarding total yield of sugar cane. The average yield per tan is
.,
,177
not as much as the pre-war level. Since it has been possible to increase the yield per
tan
of paddy rice above the pre-war peak, the same improvement of sugar cane pro-duction should have been possible.This report tried to clarify the causes which made the average yield per tan in 'Sugar cane stagnant. The area of K was selected as the most appropriate one to study, because of the increase inyield per tan was remarkable in this section after the war. The study showed that the increase in the yield per tan was supported only by greater tnan average applications of commercial fertilizers.
Although these farmers have gained increased yields through greater than average use of commercial fertilizers, it should be noted that the yield is maintained through the proper use of both organic fertilizers (such as, green manure and animal manure) and covercrops.