一「労使間妥協」から「フレキシビリティ」へ一
井 戸 正 伸
3 80年代後半一経営戦略としての「ミクロ協調」
ふたたび確立されたヘゲモニーの下で,80年代後半になると,資本は,「ミ クロ協調」戦略を追求するようになった。イタリアの大資本は,70年代のよう に,労働者を排除して,経営のイニシアティヴを確立することを狙うのではな く,労働と資本の協調関係をつくりあげ,リストラクチャリングを実行するこ とによって,経済危機を克服することを決断した。この80年代後半に萌芽的に 登場してきた労使協調は,イタリア共産党が「歴史的妥協」路線によってめざ
した全国レベルの協調ではなく,労使関係の企業レベルへの個別化,分断をも とにしたものであった。この結果,登場してきた「ミクロ協調」は,(1)「企業 特殊的」労働者層の創出,および,(2)企業内労使関係の制度化という二つの 側面を有している。さらに,「ミクロ協調」戦略は,80年代に深刻化した労働 者の内部分裂を社会構成のレベルでうながし, mass workers を消失させ,
個々の労働者が自己の利益と個別企業の利益を同一のものと捉えていく帰結を もたらした。
「企業特殊的」労働者層の創出
80年代イタリアの資本の労働市場政策には,賃金の企業業績とのリンケージ の強化を通じる「企業特殊的」労働者層の創出の動きとともに,雇用の不安定 化による「市場への回帰」という二つの相反する傾向が観察される。
[賃金 企業業績とのリンク]80年代後半のイタリアにおいて,労働者 の賃金のうち企業レベルで決められる部分の比率が高くなってきた。さらに,
80年代後半には,(特に,高級ホワイトカラーに関して)企業業績にリンクさ れた賃金の賃金全体に占める比率が高くなってきた42。その理由として,国際
市場の不安定性の増大と労使関係(賃金決定を含む)の集権化政策の80年代後 半における挫折,という二つの要因が挙げられている 。しかし,賃金決定に おける企業レベルの比重の増大をもたらした理由として重要なのは,80年代イ タリアにおけるリストラクチャリングである。イタリアにおいても,70年代末 期から80年代初頭を分岐点として,リストラクチャリングと生産組織の再編が 着々と進行していった姐。イタリア企業が,市場の不確実性に対応し,また,
生産組織のヒエラルキーに新しいプロフェッショナルの人材を配置する目的で 採った戦略が,労働・生産組織を変容させた結果,企業における紛争が増大し た。そして,これらの紛争を解決するために,企業協約が 集団協約によっ てか,企業によって一方的に(あるいは,せいぜいで,個別協約のかたちで)一 一結ばれた。なぜなら,企業は,人員配置,生産組織,賃金構造の諸問題に 関して,フリーハンドを有することを望み,他方,企業における労働組合組織 は,労使関係のすべての面に関して,(総連合ではなく)自らが協約を結ぶこ とを目標として掲げたからである。賃金の決定プロセスにおける企業レベルの 比重の増大は,80年代初めには停滞していた企業の生産性が回復し始めた84一 86年を分岐点として,実質賃金が,全国最低賃金を上回るようになってきたこ
とによって確認される。
イタリアにおける賃金構造の変容は,ミラノ地域の経営者団体である Assolombardaが,同地域の4業種の企業について実施した調査の結果によっ ても確認される(表4参照)45。第一に,企業レベルで協約される賃金の比率 が,84年以降,ブルーカラー,ホワイトカラーいずれにおいても,増加した
(唯一の例外は,繊維産業)。第二に,70年代後半の労働組合の平等主義的な
「コーポラティズム化」戦略選択の結果として,企業レベルで決定される賃金 の比率が,75年から84年まで,一貫して減少を続けた。この傾向は,特に,賃 金が集権的に決走された79年以降,より顕著となった。しかし,この傾向は,
80年代後半には逆転し,企業レベルの比重がふたたび増大してきている(これ への唯一の例外は,食品業界のブルーカラー)。最後に,企業業績および企業 の支払い能力にもとついて,各個人毎に決定される報酬であるsuperminirni individualiの比率が,この10年間,ホワイトカラーの間で増加(例外は,食 品業界)してきた。(ただし,ブルーカラーの間では減少を続けた。)これらの データから読み取れるのは,以下のような事態の推移である。イタリアでは,
85年以降,ホワイトカラーであれブルーカラーであれ,労働者利全体にとって,
賃金決定における企業協約の重要性が高まってきた,同時に,同年以降,企業 の生産性が回復してき,近年に至るまで,高水準を保ってきた。この文脈の中 で,賃金の一部分と企業の生産性をリンクさせる「非伝統的」賃金制度が拡大
してきた。
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[雇用のレベルと形態]他方, イタリア企業は,従業員の削減を通じて,
「数的フレキシビリティ(numerical flexibility)」の実現をも図ってきた46。
たとえば,フィアトは,79−85年の問に,従業員の数を46%削減した(表5参 照)。(賃金補填公庫は,レイオフの社会的コストを緩和するのに大きな役割を 果たした。)また,イタリア企業600社を対象としたCENSIS調査によれば,期 限付きおよびパートタイム労働,フレキシタイム (flexitime)等のフレキシ ブル雇用が,他のヨーロッパ諸国ほどでないとしても,イタリアにおいても,
重要な役割を果たすようになっている。このフレキシビリティは,ほとんどの 場合,全国および企業レベルの団体協約の結果,もたらされた。このフレキシ ビリィは,製造業よりサービス業,中小企業より大企業,南部より北部におい てより多く実現されている。さらに,企画,研究,開発といったプロフェッショ ナル機能は,多くの企業で外部のコンサルタント契約に委ねられるようになっ ている点が注目される。
表5 フィアト・アウトの格付け毎の従業員数(1979−87年)
1979 1980 1981 L982 1983 1984 1985 1986 1987
ブルーカラーll3,568110,049 97,046 88,31278,99371,34564,12360,28360,180
. ホワイトカラー 25,381 24,572 22,L56 20,350 19,176 18,312 L7,73617,62717,882 全 従 業 員138,949134,62Ul9,202108,66298,16989,63781,85977,91078,062
賃金補填公庫 一 20,505 18,598 19,109 4,569 10,380 6,501 1,915 667
所属労働者
実際に従業 138,949 114,116 100,604 89,553 83,600 79,277 75,358 75,995 77,395
している労働者
出典:Locke, Richard e Serafino Negrelli, ll caso Fiat Auto, in M. Regini
eC. F. Sabel, S亡rα孟θglθ読1マ1αgg如sどαmθ鷹o∫π磁8診rlαZθ, Milano, IlMulino,1989, p.66.
企業内労使関係の制度化
80年代初期以降,イタリアにおいても,「ミクロ協調」が発展してきた47。
「ミクロ協調」は,企業レベルの団体交渉の発展(=「間接的」労使関係),そ して,企業内労使関係(=「直接的」労使関係)の制度化によっておしすすめ られてきている。(団体交渉の発展と並行して発展してきているこの後者のイ
ンフォメーションと協議のメカニズムの例として,IRIプロトコルが存在す る。)労働者の直接的参加の構造の形成をうながしているのは,企業業績とリ ンクされた給与の重要性の増大である。すなわち,企業業績とリンクされた給 与が重要となってくるにつれ,指標,目的の設定,結果の監視に関する経営と 労働組合による議論が不可欠となってきたのである。80年代の展開で過去と大 きく異なっているのは,労働組合が,コミュニケーションと協議の直接的ルー
トに好意的態度を取るようになった点にある。
(1)企業内団体交渉の集権化
80年代イタリアの協約の特徴として,(1)(とりわけ,80年代後半において)
企業レベルの協約が広く,かつ,深くなった,(2)協約の企業内化(すなわち,
協約締結の当事者が,企業内の労使の当事者となってきている),(3)非公式 の協約が増えてきている,(4)賃金以外の事項についても,交渉が行われるよ うになってきている,ことがその特徴として指摘されている娼。
とりわけ,企業レベルの協約の重要性の増大は,企業内団体交渉構造の集権 化をともなっていることが重要である。「熱い秋」以降の「分節化された協約
(la c。ntrattazione articolata)」によるいちじるしい分節化の後に,企業レ ベルの協約構造のコントロールが,経営,労組双方にとって緊急の課題となっ た。当時,「部局主義」という言葉で,企業レベルの賃金をめぐって,単一の 部局における複数のイニシアティヴ,紛争がもたらすレベルと主体の間におけ る権限の重複,が議論されていた。80年代イタリアの協約構造は,70年代初期 のイタリアにおけるこの「部局主義(repartismo)」と呼ばれる極度に分権的 な企業内団体交渉構造とは大きく異なり,企業内のより高いレベルで交渉が妥 結する特色を有している49。
80年代におけるこの企業内団体交渉の集権化の傾向は,70年代において,い ちじるしい協約の分権化と紛争の激化を経験したイタルテルにおいても,確認 することができる(表6参照)。すなわち,70年代には,同者において,企業 ないしグループの中央レベルで協約が締結されたのは,10本の協約のうち,わ ずか1本に過ぎなかったが,80年代前半には,3本の協約のうち,その1本は 企業ないしグループの中央レベルで締結されるようになった印。
表6 イタルテル企業協約の数、レベル、交渉当事者(1970−85年)
交 渉 レ ベ ル
企業側の当事者
労働組合側の当事者:1蝪・
期 間 協約の数 本 雀1.
企 業 工 場 部 局 部局 Interslnd 本社RSA 工場RSA 地域RSA
経幣車 経営陣
1970−75 41 6(14,6%〉 2ヨ(56.1%) 12〔293%〉 19 3L 12 13 21 ユ7
1976−80 6D 5(8,3%) 44(733%} ll(18.3%) 20 4D 9 14 52 6
1981−95 182 63/34.6%) 103,566%) ⊥6で8.8%) 81 ユOl 20 6L 113 28
(注)労使協約の数は、交渉当事者のデータを統計したものとは…致しない。これは、
同一の交渉に複数のレベルの当事者が同席していることがあるためである。
出典:Negrelli, Serafino, Le relazioni industriali nelrilnpresa, in G。 P.
Cella e T. Treu (a cura di),∫宅θごαεどoπ∠〃z(ゴ己s rどα厄, p,234.
(2)インフォメーションと協議のメカニズム
80年代には,企業内におけるインフォメーションと協議のメカニズムも発展 してきた。イタリアの労働組合は,広くかつ深く,企業の日常業務に関与する ようになってきた。これは,労働組合の企業との協議の回数が増え,協議の対 象事項も拡大してきたことから確認される51。
80年代には,イタリア企業の多くが,労使間コミュニケーションを実行して おり,その比率は増加傾向にある。そして企業規模では,中企業より大企業の 方が,労使間コミュニケーションを実行している企業の占める比率が多い。た とえば,労使間の相互連絡を,少なくとも月一回以上,実行している企業は,
大企業では,86年には,全体の72%であったのが,88年には,77。3%と増え,
定期的会談を実行している企業も,大企業では,86年の43.2%から88年には,
54.4%と半数を越えるようになっている。そして,中・大企業いずれも,その 大半の企業において,条件付き確認を課す合意が存在しており,その比率も,
86年から88年の間に増加している。実際,88年の時点では,大企業のほとんど
(97.8%)で,このような合意が存在していた。また,労働組合へのインフオ メーションの提供についても,経済状況,雇用状況について,中・大企業のい ずれも,定期的に行なっている企業が大半を占めている。とりわけ,大企業で は,86年から88年の間にその比率が伸びている(表7参照)。
表7 労使間コミュニケーションの頻度と定期的情報提供の有無
(86年と88年の中・大企業全体に占めるパーセント)
1986 1988
中企業 大企業 中企業 大企業 少なくとも月一回 48.3 72.0 39.5 773
定期的会談の慣行が存在 38.6 43.2 40.1 54.4
条件付き確認を課す合意が存在 67.9 76.5 87.8 97.8
次の事項に関する情報提供が 定期的に行われている
経済状況に関して 74.0 77.8 72.9 84.6
雇用状況に関して 74.8 82.4 72.4 91.0
出典:Ida Regalia, Contrattazione,]mestiere del sindacato, Po♂ごオ記α
θ4EcorLoηz6α, No ll(Nov.1990),p.12.
さらに,企業の日常業務の運営に関する労働組合の関与について,どのよう なイッシューに関して,労働組合が関与しているか,を検討する。調査の対象 となったほとんどすべてのイッシューについて,企業規模が大きくなるに従い,
労働組合を意志決定に関与させる傾向がある。(唯一の例外が,残業について で,中企業(72.9%)が,大企業(64.5%)より,高い比率で,労働組合を関 与させている。)また企業は,どのイッシューについて,労働組合を関与させ て決定を行う傾向が高いか,というと,大企業については,(1)休暇,祭日,
行事日程(98.2%)であり,以下,(3)内部異動(68.8%),(2)残業(64.5
%),(5)ブルーカラーの訓練(64.1%),(4)技術・組織変化(61.2%),ホ ワイトカラーの教育(49.4%)と続く(表8参照)。
表8 企業の日常的運営の諸事項に関する労働組合の関与 G986年、%)
次の事項について決定しなければ
ネらないとき、企業のとる行動 小企業 中企業 大企業 1.休暇、祭日、行事日程
単独で決定 18.6 5.0 1.8
工場評議会を関与させる 81.4 95.0 98.2 2.残 業
単独で決定 48.5 28.正 35.5
工場評議会を関与させる 51.5 72.9 64.5 3.内部異動
単独で決定 74.1 43.8 3L2
工場評議会を関与させる 25.9 56.2 68.8 4.技術・組織変化
単独で決定 84.2 68.5 38.8
工場評議会を関与させる 15.8 31.5 6L2 5.ブルカラーの訓練
単独で決定 86.6 51.8 35.9
工場評議会を関与させる 13.4 48.2 64.1 6.ホワイトカラーの教育
単独で決定 93.3 75.9 50.6
工場評議会を関与させる 6.7 24.1 49.4
出典:Ida Rega!ia, Contrattazione, mestiere del sindacato,
PoZ誌ごcαe4 E「coη.oπzごα, Noll(Nov.1990).
労使関係の分権化
他方において,80年代イタリアにおいて,企業のリストラクチャリングが隆 盛をきわめた結果,全国的労働組合のパワーが大きく低下した52。産業レベル で,労働条件,労働時間,仕事の格付けを標準化することを目標とする全国協 約に対して,各企業の経営者およびローカル・ユニオンが抵抗を示すようになっ た結果,全国的労働組合が,3年毎に行われる産業レベルの団体交渉(CCNL.
contratti co!letivi nazionali di lavoro)をコントロールする能力も低下し
てきた。
以前においては,産業別団体協約は,3年毎に締結され,その更新の自動的 であった。そして,各企業におけるユニオン・ローカルによる交渉は,この産 業別協約を補充するにとどまっており,産業別協約締結の一年内に締結される のが常であった。しかし,80年代には,このパタンが大きく崩れた。80年代に なると,全国的労働組合が,産業内の労働者の利益を集約し,産業別協約をま とめあげるのに時間がかかるようになった結果,産業別協約と産業別協約の問 の空白期間が次第に増加してきている(表9参照)。
表9 イタリアにおける産業別協約の締結時期
(a)金属産業(1973−1987年)
締結時期
発効期日
有効期限 空白期間@(月) 更新ラグ
70年1月8日
33
73年4月19日 73年1月1日 75年12月31日
37
76年5月1日 76年5月1日 79年1月1日 539
79年7月16日 79年7月16日 81年12月31日 783年1月9日 83年9月1日 85年12月 21
41 50
87年1月18日 87年1月1日 89年12月31日 13(b)繊維産業(1973−1987年)
締結時期 発効期日 有効期限 空白期間
@(月) 更新ラグ
73年7月20日 73年1月1日 76年6月30日 38 76年9月23日 76年1月1日 79年6月30日 3
39
79年12月17日 79年7月1日 82年5月31日 6 47 83年1月12日 83年7月1日 86年5月31日 839
87年2月22日 87年4月1日90年12月3ユ日
9(出典)Locke, R. M,, The Demise of the National Union in Italy,
玩伽sオr α♂α屈ムαわor Eθ♂α ぬπs.Rωごeω,45.;Idem., The Re一
surgence of the Local Union:Industrial Resuructuring and
Industrial Relations in Italy, 」PoZ記 cs απ4 Socご〔〜オy, n.18(199唖)),
p.367.
むすび
現在のイタリア政治経済について誰の目にも明らかなのは,70年代後半以降,
イタリア共産党のあらたに獲得したパワーを背景とした,50年代,60年代の
「経済の奇跡(miracolo economico)」を口∫能とした労働者排除の「発展モデ ル」(低賃金+輪出)から労働者のパワーを前提とする新たな1発展モデル」
へのスイッチの試み(「コーポラティズム化」戦略)が,結局は,挫折に終わっ たことである。
イタリアの労働の利益集団システムは,低い組織率,イデオロギー的分裂に 特徴づけられた多元主義システムであった。そして,労働組合を構成していた のは,「熱い秋」までは,北部の熟練工が主体であったが,「熱い秋」以降,南 部から北部の工業都市にやってきた大量生産体制を採用する近代的工場で働く 非熟練工(とりわけ,組み立て工)が主体となるようになった。イタリアの労 働運動は,「熱い秋」以降,フォード主義的労働運動へ変身したということが できる。70年代後半のイタリア労働運動の「緊縮政策」(そのクライマックス が,78年のCGILのEUR路線 svo!tadiEUR )は,76年総選挙におけ るイタリア共産党の大躍進に示された労働者のパワーの増大が可能とし,73年 の第一次石油危機が,それを不可欠とした結果,採川された,イタリアにおけ る「コーポラティズム化」戦略であった。それは,労働の政治的パワーの獲得一
…一タ際イタリア共産党の政権参加は,部分的に,「挙国一一致」内閣(76−79 年)の時期に実現した一一と引き換えに,労働者が,資本家に企業活動の前 提条件の安定(低いストライキ率,賃上げの抑制)を保証する「妥協」をつく
りだすことを日指すものであった,,
この「妥協1は,イタリアにおいては,「挙国一致」内閣へのイタリア共産 党の参加,新しいスカラ・モビレによる賃金のインフレからの保護,賃金補填 公庫による失業の緩和という手段によって,実現された。しかし,この「妥協」
は,きわめて脆弱なものであることが,数年のうちに,明らかになった。この
「コーポラティズム化」戦略の失敗は,労働運動の統一が実現せず,イタリア 共産党が,政権を取ることができなかっただけでなく,労働者の経済的利益
(賃金,雇用)を守ることができなかったことによって,80年代には,ますま す明かとなっていった。
たしかに,70年代後半の「挙国一致内閣」時代に,イタリア共産党のパワー 増大を背景にして試みられたマクロ・コーポラティズムの「実馬剣(77年の労 働コスト協定,78年のEUR戦略,83年のスコッティ協定)は,イタリア共産 党のパワーを削減することを露骨にめざしたクラクシ政権による聖バレンタイ
ンの政令(84年),そして,それに引き続く,自己が主唱したレファレンダム
において,イタリア共産党が敗北した事件を契機に,一気に衰退していった、,
しかし,クラクシのこのようなイタリア共産党への敵対的政策のみにイタリア 共産党一CGILのヘゲモニーによる「コーポラティズム化」戦略の挫折の原 因を帰するのは誤りである。それは何より,経済レベルで,実現可能なオール タナティヴとして機能しえなかったのであり,これこそが,「コーポラティズ ム化」戦略が挫折した最大の理由である。
イタリア労働運動の「コーポラティズム化」戦略の,代替的経済戦略として の矛盾の顕在化は,フィアットで起きた2つの事件によって,ドラマティック に明らかになった。79年から87年の問に,フィアットは,労働者の数を半減さ せるトセラスティックな「雇用調整」を実行に移した。イタリアの労働組合が EUR路線を選択した(78年)直後に,イタリア民間大企業を代表する同社に よるこの「お返し」は,自らのパワーを抑制することによって,イタリア経済 の立て直しを図る,というイタリア共産党の戦略が,全くの裏目に出たことを 意味している。さらに,80年にフィアットで起きた,職長層を先頭とするデモ
(「4万人の行進」)は,新しいスカラ・モビレが実現した,労働組合の「連帯 戦略」が,自己の連携する政党の政治参加がない中で,労働者の下層を利する 一方で,労働者の上層の利益を侵害するようになり,労働者内部に深刻な亀裂 が入ったことを象徴する事件であった。
同様の構図は,マクロ経済レベルでも確認することができる。CGILの EUR路線は,イタリアの経営者が,「熱い秋」以降,切望していた賃金抑制 を実現した。60年代末以降,78年にいたる10年間,一一人当り実質賃金は,例年,
高水準を維持してきた(以「,表10参照)。それが,79年以降,一一人当り実質 賃金は,例年,1%前後の低水準に大幅に低下した(例外は,81年の6.4%)。
さらに,イタリアの中堅および大企業は,80−85年の問に,29%の従業員を削 減した53。この結果,イタリア企業は,70年代末以降,80年代にかけて,積極 的な設備投資を行い,リストラクチャリングを大規模に実行していった。そし て,利潤も,77−80年以降,ついに,60年代水準を上回るようになった(図2
参照)。
表10 一人当り労働時間、一人当り賃金、雇用(%変化)
実質時問
一人当り 総
雇 用一人当り
時 期 当り賃全 労働時間 労働時間 CIGを除く ClGを含む 一一r一一11 一 実質賃金
一一一.」
1971 ll.7 .3.3 .4.3 一〇.9 0 7.9
1972
8.0 .3.4 一4.4 4.1 一1.1 4.41973 15.7 .4.1 .2.0 2.1 1.6 ll.1
1974
4.7 ./.1 0.9 2.0 2.3 3.61975 9.5 一3.3 一5.7 一2.5 .0.2 5.9
1976
2.1 2.7 4.0 1.2 0.3 4.91977
8.7 0.5 1.2 0.6 0.1 9.31978 3.1 0.9 一〇.8 .1.7 .O.8 4.0
1979
3.1 .1.4 .0.7 0.7 0.3 L71980 一〇.5 0.3 0.8 0.4 o.6 .0.2
1981
5.9 0.4 一〇.39 一4.3 一L5 6.41982
1.8 一1.1 .4.0 .2.9 .1.9 0.71983
0.2 0.2 .4.4 一4.5 一29 0.31984
一1.7 3.4 .1.2 一4.4 .3.6 L61985
0.3 0 一1.0 .LO ,2.0 0.31971.73 ll.7 .3.6 .3.5 0 0.2 7.8
1974.77 5.9 .0.3 0 0.3 0.6 5.9
1978−80 1.9 .0.1 一〇.3 .0.2 0 1.8
198L85 1.3 0.6 .2.9 ,3.4 一2.5 L8
1981−83 2.6 一〇.2 一4.1 .3.9 .2.1 2.4
198牛85
一〇.7 1.7 一1.1 .2.7 .2.8 1.0(出典)Barca, Fabrizio e Marco Magnani,五 加ぬs rごαかαcαpl α如θZαびoro
(Bolognα一一i/Mulino,1989),p.35.
図2 イタリア大企業における利潤率(1951−1985年)
(従業員200名以ヒの製造業企業における付加価値に占める 粗利潤の割合:1951−1985年)
(%)
35
30
15
1951 55 1960 65 1970 75 1980 85(年)
注,製造業から衣服,皮革,家具,木⊥を除く。
出所:国民総生産調査より(ISTAT)。
出典:マウリツィオ・バルカ、フランチェスコ・フラスカ、マルコ・マニャー二、「産 業構造」、R・ボナヴォーリア編『イタリアの金融・経済とEC統合』(日本経済 評論社、1992年)、8頁。
結局,イタリアの労働組合が,「コーポラティズム化」戦略によって目指し た労働のリーダーシップは現実のものとはならず,賃金抑制のみならず雇用も 削減するというイタリア大資本の「やらずぶったくり」を許す結果に終わった。
では,「コーポラティズム化」戦略の挫折の後に,イタリアに現れてきたの は,いかなる労使関係の構造であるのだろうか?「妥協」の一方の主体である 労働運動を支える層は,旧来の製造業の非熟練労働者から,公共セクターのホ ワイトカラーへ,そして,年金生活者へと変化してきている。これは,製造業
の非熟練労働者が主体であったフォーディズム,コーポラティズムのシナリオ の実現可能性をきわめて低いものとしている。しかし,80年代のイタリアの労 使関係が,レッセ・フェールやリベラリズムの方向に向かったということは単 純に過ぎる航,フィアットを代表とする一部民間大企業による「労働者排除」
の試みにもかかわらず,IRIプロトコール(84年)に代表されるように,80 年代後半は,企業(一ミクロ)レベルの労使協調が着実に進行してきている。
むしろ,80年代後半になってイタリアで姿を現しつつあるのは,労働の弱体化 を前提とした,資本のイニシアティヴによる労使関係のリストラクチャリング の帰結としての「ミクロ協調」である。しかし,この「ミクロ協調」が,高い 投資率,高い経済成長,低い失業率をともなう経済の「好循環」を保証する新 たなポスト・フォード主義的「発展モデル」のイタリアにおける登場を意味す るのか否かは,いまだ不分明である「。(興味深いことに,イタリアの労働組合,
左翼政党は,このような「ミクロ協調」の登場に対して,全而的な対決姿勢を 採っていない、,むしろ,CGIL第12回大会が明らかにしたように,労働組合
は,「ミクロ協調」を高く評価し,それに積極的に介人することを新しい戦略 の基礎と位畳づけている㌔)
追記
スカラ・モビレは,結局,1992年8月,アマト政権によって廃止された。
注
[42」 Ferner&Hyman, op. c記,
「431 Santi, P., Economia della partecipazione e relazioni industriali,
inσどぐ)ηzαどθdlごDごr砒04♂♂αθoroεrθ∠αβぬ痂∠r乙ゴ配8オrどα♂ご,1989.
、
m44] Fiatについて, B(mazzi, GiusepPe, QualiLa e consenso:L evoluzione del lavor〔〕operaiに〕alla Fiat Mirafiori (1980−1990), Rαssθgη1α∫オα石αzzα 41Socめめglα, XXXII, Nq l(Marzo l99D, pp.3−24。および, Idem,π 詔わo読cr面α〃o(Bo/ogna:i!Mulino,1993).参照。
[45] BiagiQli, Mario e Stefania Cardinaleschi, 1、 altra parte de工salario:
incentivi in 263 accordi azierldali, Po臨6cαα/Eco几oηz砒, Arlno XXI
Terza serie, N,9(Settembre!990),pp.24−32.
[46] ただし,イタリア企業は,従業員削減の手段として,ヨーロッパ諸国のうちでは,
自発的退職と早期退職の手段に訴える傾向が最も強く,強制退職に訴える可能性が
最も低い。
[47] Ferner&Hyman, op. c誌.
[48] Regalia, Ida, Contrattazione, mestiere del sindacato, .ρo臨ごcαα∫E一
coπoηz α, no. H (Nov.1990), pp. II−15.[49] Ferner & Hyrnan, oρ. c麗., P,568.
[50] Negrelli, SerafinQ, Le relazioni industriali nell irnpresa, in G. P.
Cella e T. Treu(a cura dD,∫ぞθ♂α2ぬη面η磁s亡rどα♂ピ(Bologna:il Mu/ino,
L989),pp.233_236.
[51] Regalia,1., oP, d孟.
[52]Locke, R. M., The demise of the National Union in Italy, 瓦4μs孟r∠一 αZαπゴムα40r Rθ∠αあoπs.Rωごθω,45, pp.229−49.;Idem., The Resurgence of the Local Union:Industrial Restructuring and Industria/Relations
in 豆ta/y, Poごごあcs απ4 Socご〔〜オy, n.18 (1990),PP.347−379.
[53] マウリツィオ・バルカ,フランチェスコ・フラスカ,マルコ・マニャー二,「産 業構趣,R・ボナヴォーリア編「イタリアの金融・経済とEC統合」(日本経済評
論社,1992年〉,所収,13頁。
[54] 70年代後半から80年代前半までのイタリアの労使関係についてではあるが,Treu,
Tiziano, OP. C .参照。
[55]Piore and Sabe1は, Terza Italiaの経験からインスピレーションを得た,ハ イテク小企業を主体とするポスト・フォードー主義的「発展モデル」を主張している。
Piore M. J. and C. F. Sabel,77んθSθcoπ(/∫π4召s〃ごα∠D副(ゴθ(New York: