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長崎方言におけるタイとバイの意味論的差違
前 田 昭 彦
キーワ ー ド :意味 論、 方言教 育、文末詞、情報、共感
1は じめ に
我が国 か ら関西 弁以外の 方言が消 滅 しようと している と言われ て久 しい。 ラ ジオが 方言駆逐 の先陣 を切 り、 これに一時期の方言蔑視 の学校教 育が拍車 を掛 け、テ レビの普及が 方言征伐 を完成 させた とい うのが大方 の認識で あろう
。事 実、筆者 と同 じ町で 生 まれ育 った小学 校の生徒 た ちに、筆者が 子供時代 に使 っ ていた 方言語嚢 について尋 ねてみ る と、ほ とん どその意 味 を知 らない。筆者 と 小学校 の子供 た ちを隔て る
40年余 は まさにラジオの、そ して テ レビの普及が始
ま り、完成 した時代 であ った。
では、方言が 消滅 した か という と、必ず し もそ うで はない。た しか に死語 と なった方言語嚢 は多い。死屍累 々の惨状 といって も過言で はない。 方言 は姿 を 消そ う としてい るかの よ うな印象 を受 ける。だが 、 日本語 が相 当流 暢 に話せ る 留学生 に とって 日本語の難解 羊の 一つは方言 だそ うで ある
。日本 人学生同士 が 方言で話 してい る とき日本語が分 か らない、あるい はアルバ イ ト先で 地元の人 の話す 方言が分 か らな くて困るとい う苦情 を よ く耳 にす る。方言 は立派 に生 き 残 って外 国人 日本 語学習者 を悩 ませて いるのであ る。
日本語 教育 にお いて方言 もまたこの ように軽 視で きな い存在で ある
。本稿で は方言 と日本語 教育の関 わ りに触 れ、長崎方 言 におい て似 たよ うな文脈 で使 わ れなが ら微 妙 な違い を もつ助 詞、「タイ」 と 「バ イ
」の意 味論的差違 につい て 考察す る。
2
日木精 教育 と方言
ここで い う日本 語教育 とは外国人 日本語学習 者の よう に日本語 を母語 としな
い学習 者 に対す る日本語 の教育で あ り、いわゆ る国語教 育 とは異 なる もの であ
84 長 崎 方言 にお け るタイ とバ イの意味 論 的差 違
る。本稿 にお いて 「日本 語教 育」 とい う用 語は総てその ような意味で使用 す る
。2‑1
E l 本市教育におけ る万富教 育の位置
デー タは多少 古 くなるが
、1995年 に筆者 が
30名の外国 人 日本語 学習者 を対 象に アンケー ト調査 を行 ったところ
、90%にあた る
27名が何 らかの形で方言 学習 を希望 していた 1 ) 。調査 対象は大 学、大学 院の外国 人留学 生 と長崎 県内に 住 む外国人英 語教 師で、 1名 だけ高校 の留 学生 が混 じってい た。 日本 語学 習 歴は半 年か ら
6年 、 レベル は初級後半 か ら上級 までの学習 者であった0
方言 学習 を希 望す る主 な理 由は、 日常 耳にする方言 を聞 いて分か りた い と いう もの で 、方言 を話 した いか らとする もの は非常 に少なかった。 この こと か ら も、 日本 語 を学習する外国 の人 々が 日本 語に よる コ ミュニ ケー シ ョンの 場で かな り方 言に さらされ てい て、方言 が意志疎 通の障害 にな って いる こと が窺え る
。筆者 の調査 に先立 って関西、福 岡、東北 で行 われ た他 の
5つの調査 では紡
62%か ら
87%の学習者が方言学習 を希望 している
2) 。 この ように日本語学習者 のなかには何 らか の形 で方 言学 習 を希望 する者が 少な くないの であ るが 、実 際に方言教育 が実施 されているか という と、 その ような話 はほ とん ど開 かな い
。教 え る側 が方言 に対す る学 習者 のニ ーズ に無 頓着 とい う面 があ るか もし れないが 、仮 にその ような需 要に気づ いた として も、 大学 をは じめ ほとんど の 日本語教育機関 にお いて は限 られ た時 間に、いわ ゆる共通 語 を数 え るこ と で手 いっぱい であ り、方言 教育 にまでは手が 回 らない とい うのが実状で あろ
う 。
また、方言 教育 を実 施す るに して も他 の問題が ある
。上記 の調査や 、筆者 が これまでに教室 などで直接尋 ねた ところに よる と、 学習者が希望 する方言 教育 は方 言の使い手に なるため とい うもので はな く、 聞 き手 と して方言 を理 解す るため という ものが多 い。 そこでは当然 通常 の 日本語教育 とは異 な るカ
リキュ ラムが要求 されるだ ろうが、間悪は誰がそれを教 えるか である
。発音 や語 嚢使 用の 自然 さの点か らは学習 目標 とな る方言の ネイテイヴス ピ ーカーが理想 であ ろう
。だが 、全国各地 の 日本語教育 機関 で、方青 のネ イテ イヴでか つ 日本語教育 の方 法論 が分 かってい て、 しか も方言 を文法 的、分析 的 、体系 的に教 え られ る人 を教 師 と して探す のは容易 ではある まい。長崎 方
▲
長 崎 大学 留 学 生 セ ン ター紀 要 第
7号
1999年
85言の ネイテ イヴで ある筆者 に した と ころで、学習 者の ニー ズに応 え て長 崎方 言 を本格 的に教 え る となる と相 応の覚悟 な しでは始め られ そ うにな い とい う のが偽 らざる気持 ちである
。2‑2
日木精 教育 におけ る方言教 育の例
カリキュ ラム に基 づ く本格 的な方言 教育 では な く、いわ ば教 室の 中で 自然 発生 的 に始め た方 言教 育の経験 が筆 者 にある
。一部 はす でにその一端 を発 表
した ものであるが
3) 、それ も含めてここで簡単 に報告 してお くことにす る
。2‑2‑1
文法的、体系的 方言指導
1つ は初級後 半の ク ラスで学 習者の 要望 に応 えてかな り定期 的、体系 的に方 言 を教 え た もので ある。 筆者 の担 当時 間が 多か った こと もあ り、 この クラス では通常 の 日本語 教育 の時 間内 に、過 に
2な い し
3回 、
1回 につ き
10分 を上 限 と して指導 した
。教 え方 と して は、方言 の中 で も応用 範 囲が広 く、使用 頻 度の高い もの か ら取 り上げ てい く、いわ ば文 法 シ ラバ スに基づ く積 み上 げ方 式 とで もいえる方 法 を採用 した。
最初 にイ形容 詞 と多 くのナ形容 詞の終止 形、連体 形 は長崎 方言 では次の よ うに カとなる ことを教 えた。 長崎 で生 活 し、地元 の人 々 との接 触が は じまる と留 学生 がほ とん どす ぐに それ と気 づ くか らであ り、応用 範囲 も広 いか らで ある。 以下、例文 文京の*の記 号 は非 文 ない し非常 に不 自然 な文の意 で使用 す る
。1)
おい しい。 一 一 お い しカ。
2)
おい しい料理。 ‑ お い しカ料理 。
3)機械 は便利です。 ‑ 機 械 は便利 カ。
4)
便利 な機械。 ‑ 便 利 力機械 。
5)
好 きな食べ物。 ‑ *好 きカ食べ物。
6)
シャイ ( / ナイ ーヴ)な人。 ‑ *シャイ ( /ナイ ーヴ) カ人。
次 に下の
7)、8)の よ うに、格助 詞 ヲの位置 にバが来 ることを数 えた。 これ も非常 に使用 頻度 が 高 く、ほ ほ例 外 が ない 。言 うまで もな いこ とであ るが、
学習 者 に対 して、学校 文法 の 「 格助 詞 」 とい った文法 用語 を使 って教 え たわ
けで はない。 以下 も同様 に学校 文法 の用 語 は本稿 の記 述 を簡潔 にす るた めで
あ り、教室で それを使用 したので はないことをお断 りしてお く。
86
長崎方言におけるタイ とバイの意味論 的差違
7)
本 ヲ読 む。 一 本 バ読 む。
8)家 ヲ出 る
。一 家 バ出る
。これ に対 する学習者の理解 が得 られ た時点で、前回 の文 法事 項 を組み込ん だ 「お も しろカ本バ読 んだ
。」のよ うな例 文 をい くつか作 って、 それ を学習者 に共 通語 に直 して もらい、専 ら方言 の受 信者 としての理解 力 を高め るこ とを 図った
。この ような方 法で、「犬 ノおる ( 犬 ガいる
)。」「りん ごノおい しか (りん ご ガお い しい
)。」のよ うに格助 詞ガの位 置に ノが来や すい こと、格助 詞の なか の橋 本文 法で言 う準体 助詞 ノは、「 青か トが よか ( 青い ノが いい
)。」 「 料理 す
る トはお も しろか ( 料理 するノはお も しろい)
。」「いつ結婚す る ト ( 結婚 する の
)。」の よ うに長崎 方言 では トになる こと、「この 、その 、 あの
」や 「なに」
などは瀕 音便 化 して 「こん、そん、 あん」や 「なん」 とな るこ とな どを教 え た。 ここ まで学習が進 んだ後で は、教師 が以 下の ような長 崎方 言の疑問 文 を 作 り、 それに共通語で答 えてもら う練習を付 け加えた。
9)
そん本 はお もしろか と? ( その本 はお もしろいの ?)
10)きの う、 なんば した と? (きのう、なにを したの
。)ll) そんバ ッグん中に なんのあ る と? ( そのバ ッグの中に何があるの) ここで、 方言 による質 問に答 えて もらう とき学習 者に方言 を使 用 させ ない よう にした のは、何 よ りも方言の共 通語 に対す る干渉 を警戒 したか らであ る
。また、 日本 人の場合、 当人 は善 意で あれ 、その土地 の者 で もない のに方言 を 下手 に使 うと、往々 にして地 元の人の反感 を買 う倶 れが ある とい う現 実 を考 慮 した か らで もあ る。
この種の反感 は、他所 者が その地の方言 をお もしろ半 分に使い 、方言 使用 者 を蔑視 して いる と考 える ことか ら生 じるの であ ろう
。この点 、東京 や関西 の方 言 とその他 の方言 では事情 が異 なっ てい る
。東京 弁、 関西 弁 におい ては 移住 者が それ を使 用す るよ うに なるのが 当然 とされて いる ようであ る。 日本 の政 治 、文化 の中心地 として、常 に他所 者 を受け入れ て きた歴 史 を もつ か ら であ ろう。 日本 人同士の場合 と外 国人 の場 合 は多少 の違 いは ある と考 え られ るが 、方言 使用 には その地の住民 のア イデ ンテ ィテ ィの相互 確認 とい う意味 合い もあ るの で、外 国人留 学生 があ えて方言 を使 用す る必 要は どこにもない
と考 え たわけであ る
。この クラスで の方 言指 導はおお むね好評 で、受講 者が 興味 をもって学習 し
長崎 大学留 学生 センター紀 要 第
7号
1999年
87てい るのが感 じられた。 成功 した例 といえ るが 、その理由 は次 の よ うに分析 される
。(D
学 習者が 日常 的に長崎 方言、九州方 言の使用者 と接触 していた。
②
学 習 した方言 がテス トの対象 とな らず、気軽 に勉強で きた。
③
1回 の学 習時 間が 短 く、 1回 に 1文法 事項 だけ の学 習で 、学習量 と しての負担が少 なか った
。④
日常 よ く耳 にす る ようなものだ けを扱 い、細か い こ とを教 えす ぎな かった ので、学習者 には親 しみ やすかった。
212‑2
随時的、付 随的 方言指導
前項 の文 法的 、分析 的、体系 的な方言 の教 え方 に対 し、 これ は機 会 を捉 え て随 時、方言 を教 える方法 であ る
。筆者 の担 当時 間が 少な い中級 、上級 者の クラスで方 言学習 に対す る学 習者の 要望が あった とき、 この方法 を採用 して、
方言 を不定期的 に教 えてい った。
こ こで言 う随 時的 、付 随的方 言指 導 とは次の よ うな もの で ある
。例 えば、
教科 書 に 「 帰 らぬ人」 とい う表現 があれ ば、「 ぬ 」 は 「ない」 の意 の古語 の残 存で あ り、長崎 方言 、九州 方言 では
「nu」の
「u」が落 ちて 、「 帰 らん ( 帰 ら ない
)」「 行か ん ( 行か ない )
」「せん (しな い)
」「 食べ ん ( 食べ ない)」の よ う な形 で額用 されて いるこ とを数 える
。また
、「‑な ければ ならない」 とい う表 現が 出れ ば、長崎 方言 では
「〜ん ばな らん」 さらに
、「〜ん ば」 とな り、「話 さん ば ( 話 さなけ れば ならない
)」「 勉強 せん ば ( 勉強 しな けれ ばな らな い
)」「日曜 日はア ルバ イ トに行 かん ば (日曜 日はア ルバイ トに行 かな ければ な らな い
)」の ように使用 され ている といったことを教 える方 法である
。この教 え方 も概ね好評 で、 説明 のあ とで その事項 に関 連す る質 問や 、他の 長崎 方言 に関 する質問 も少 なか らず 出 され、学習者の方言 に対 す る関心 の深 さが 窺 わ れた
。なか には面 白が って 自分で もこの よ うな表現 を口 にす る者 も いた
。学習 者が 方言 に興 味 を持 ち、 しか も体 系的 に教 え られる ほ どの時 間の ゆ と りがが ない場 合、 これは有効 な方言 教育の方 法 と考 え られる。
学習 者か らの 要望 がな くて も、初級 後半 以上 のク ラス で筆 者は この ような 指導 をと きお り行 って いる
。学習 者の反応 はほ とん どい つ も よく、 これ は方 言 に 関す る知 識 を増や すだ けで な く、 その とき学習 す る共通 語で ある 日本 語
を印象 深 く覚 える ことにも役 に立つ よ うである
。88
長崎方副 こおけるタイとバイの意味論的差違
2‑2‑3
分析的 かつ評珊 な万雷指導
方言 指導 がい つ も成功 する わけ では ない。 学習 者の 強い要望 で長 崎方 言 を 教 え、 頓挫 した経験 もあ る
。これ は 「日本 語能力試 験 」の 1級 な い し
2級 取 得者 4 )とそ れ と同等 の 日本語 能力 を有 する学生 を対 象 と した上級 者の クラス で の こ と' であ った
。学 習者 の方言 学習 に対す る要望 が これ まで 以 上 に強 く、
しか もそ の学 習者 の 日本語 の レベルがほ ほ揃 って高い こと もあ り、 また週 に 1回だ けのクラス で もあったので、 1回あ た りの方言 指導の時 間を
15分か ら
20分 と長 くした
。ここでは
、2‑2‑1で述 べた分析 的、体系 的方法 を使用 し、 さ らに詳 細 に長崎方 言 を教 え ていった。
頻度 が高 く、 しか も比 較的易 しい項 目の 説明 の間 は学 習者 は興 味深 そ うで あっ たが 、促音 便 ( 食べ たの き一 食べ た とさ‑ 食べ たっ さ、赤い‑赤 か‑ あ っか 、など)、 り音 便 ( 早 く‑ はよ う、難 し くて‑ 難 しゅ うして 、赤 くなる‑
あこ うな る、など)の多 用 といった発 音の 説明 あた りか ら雲 行 きがあ や し く なって いった。
長崎 方言 が含 まれ る肥 筑方 言の代表 的な アス ペ ク標示 として よ くと りあ げ られ る進行 相 (ヨル)、既然 相 (トル) などの説明 が終 わ った と き、学習 者 は 音 を上げ 、 方言 指導 の中止 を 申 し込ん で きた。普通 の 日本語 さえ まだ十分 で はないの に、方言 の勉 強は難 しす ぎて、 日本 語の学習全体 が混 乱 しそうだ と い うので ある
。もと より学習 者の要望 で始 めた ことであ った ので 、即座 に方 言指 導 は取 り止め 、以後 は方 言 につい て質 問が ある ときに随 時そ れを受 け る
とい う形 に変 えた。
ちなみ に、進行相 、既然相 というのは概略次の ような もの である5 ) 0
1
) 今 ケー キ ば食 べ ヨル けん、ち ょっ と待 っ とっ て くれ。 ( 今 ケー キ を 食べ て いるか ら、ち ょっ と待 ってい て くれ。 )
2
)あっ、だい かおいがケー キば食 べ トル。 ( だれ か俺の ケーキ をたべ て しまっている。)
1
) は現在 進 行 中 の動 作 を表 現 する のに使 用 され る
。過 去形 は ヨツタ、
否定 形 は ヨラ ン、過去 の否 定形 は ヨラングッタ/ ヨラ ンヤ ッタ/ ヨラン カ ッ タであ る。過去形 ヨツタは次 の ように使 われる。
3
)昨 日友達の 来た と き、 ち ょうどお いはケ ーキ ば食べ ヨッタ と。 ( 昨 日 友達が 来た とき、ち ょう ど俺 はケー キを食べ ていたんだ。)
ヨル は共通 語のテ イル同様 、下記
4)
、5) の よ うに、行為 の反復 やそ こか
長崎大学 留学 生 センター紀 要 第
7号
1999年
89ら派 生す る状態 を表わす のに も使用 される。 ただ し、共通 語 にお いて、「 結果 としての状 態
」の表 現 として、他動 詞 +テ アル ( 例 :窓が開 けテア ル。)に対 比 される 「自動 詞+ テイ ル ( 例 :窓が 開い テイ ル
。)」のほ うは ヨル で表 わす ことはで きない。 この場合 、排他 的 に トルが使 用 され、「窓の 開い トル
。」の よう にな る。他動 詞+ テア ルの ほう は、「窓の 開け テア ル
。」の よ うに共通 語 と同 じ表現 を使用 す る
。4)
毎 日
、20分ばか り走 りヨル よ。 ( 毎 日
、20分ばか り走 ってい るよ
。)5) あの 人は今 日本語 教師 ば しヨルと。 ( あの 人は今 日本語 教師 をして い
るの。 )
また 、 さらにや や乱 暴 な口調、ある いは早口 の場合 、 ヨル は促 音便 化 して、
ヨツとなる
。これは下の
6)の ように文末 にお いて も生 じる。
6
)今 ケー キば食べ ヨ ッ。
2
)の 「ケー キば食べ トル
」にお ける トル は生 じた事態 の結 果 に気づ いた ときに使 用 される
。これ も促 音便 化 されて トッ とな り、促音 便が 文末 で も生 じる ことは ヨルの場合 と同 じで ある
。過去 形 は トッタ、 否定 形 は トラ ン、否 定の過去 形 は トラ ンダ ッタ/ トランヤ ッタ/ トラ ンカ ッタであ る
。既然 の否 定 とい うのは言葉 の妙 な組 み合 わせ にな るが、 これ は次 の よ うにその事態 が 生 じる と予想 され てい たこ とが 生 じてい なか った ことに気 づい た と きに使用
される
。7
)ケーキ は食べ られ トラン
。8)
雨は降 っ トラン
。)7
)はケ ーキが誰 かに食べ られ てい ると思 ってい たが 、そ うでは なか った とき に、
8)は雨 がふ った もの と思 って いた のにそ うでは ない と分 かっ た と きに使 用 される
。ただ し、
1)の 「食べ ヨル
」は トルに置 き換 え て、「食べ トル」 として も意 味 は変わ らな い。 す なわち、 トル は ヨルに代 わ って進行 相 も表わす こ とが で
きる わけ であ る。 これ に関 して は工 藤
(1998)で 「これ は、 一般 アス ペ ク ト 論的 観点か らみて
、imperfectiveaspectと
resultative(perfect)aspectとが 一つの形 式 に統一 されて しまうとい う点で、 ( 管見 の限 り他言語 か らの報告 ・記述 がな
されていない と思 われる) きわめて興味深い現象である
。」と述べられている。
さらに、 トル は上の4)「毎 日、走 りヨル」 や 5)「日本 語教師 ば しヨル」 の
よう な行 為の 反復 やそ こか ら派 生す る状 態 を表 わす ヨルに も代 わる ことがで
90
長崎 方言 にお け るタイ とバ イの意味論 的差 違
き、「毎 日、走 っ トル 」 「日本 語教 師ば し トル」 とな る
。ここでは ヨル と トル の両者 の間に意味 の差違 は ない。
た しか に、 「 進行相 と結果相が 一つの形 式 に統一 され」 そ うで ある
。しか し、
統一 で きない場合 の存 在 に も留 意 してお く必 要が ある。前述 の よ うに、 共通 語の 「窓か 閉 ま って いる
。」が進 行 中 の 「閉 ま って いる ところ ( /最 中
)」を 表現 す る と きは、 長崎 方言で は 「 窓の 閉ま り ヨル。 」 とな り、閉ま った結 果 と して の状 態 を表現 するので あれ ば、「窓の 閉ま っ トル。」 とな る。両者 は決 し て置換 で きず、 ここで トルはヨル を代行で きないので ある
。この クラス ではこれに類 するかな り詳細な説明 を行 って い き、その挙 げ句 、 方言指 導 は頓挫 す るにいた って しまった。筆者が前 田 ・鹿島
(1995)で述べ た
「方言 指導 は特別 な場合 を除 きあ くまで も補 助的な もので あ り、微 に入 り細 を 穿つ 教 え方 は慎 むべ きで あろ う。」 とい う禁 を 自ら破 り、その報い を受 けた わ
けで ある。 ここでい う特 別 な場合 とは、 日常 的に専 ら方言 が使 用 される職場 な どに所 属 してい る学 習者 、ある いは方言研究 者 を対象 とした 日本語 教育 を 念頭 に置いている
。3
長崎方 言 における タイとバ イ
3‑ 1
タイ、バ イとは
タイ もバ イ も共通 語の終 助詞 と同 じように文末 に使用 されてあ る種 の感情 、 気分 、 意図 を表 出す る助 詞で ある。 通常 は諸 種の語の 普通 形 に後接 する。丁 寧 な表現で はない。丁寧 体 に後 接 して 「です タイ/ バ イ
」「ます (と) タイ/
バ イ
」「で した (と) タイ/バ イ
」「ました (と) バ イ/ タイ
」の よ うにで き るが 、丁寧 さの度合 いは上が って も、敬意 の表 現 に はな らな い。 また 、尊敬 語 に つけて 「 貴方 がおっ しゃたです タ イ/ バ イ
。」 など とで きるが タ イ/バ イ
の使用 で敬意 はか な り下が って しまう
。タイ とバ イは一部 に特 異 な文法 規則 に従 うところがあ る
。ともに名 詞 に後 接す ると き、普通 形 と丁寧 形で は次 の よ うに異 な った規則 に従 って いる
。す なわ ち、普通 形現 在で は 「あれ は船 だタ イ/ バイ
。」とは言 えず、 「あれ は船 タイ/バ イ
。」とな る
。一方 、丁寧 形現 在 は 「あれ は船 です タイ/バ イ
。」と なる
。過去形 は 「 船 だっ たタイ/バ イ
。」 「 船で した タイ/バ イ
。」である。
ここに長崎のわ らべ唄があ る。
長崎大学 留学生 センター紀 要 第
7号
1999年
あっか とばい かな きん ばい お らん ださんか ら もろ た とばい
91
「あ っか」 は 「 赤い」、 「お らんだ さん
」は 「オラ ンダ さん」、「もろ た
」は
「もら った」でう音便化 して 「もろ うた」 さらに 「もろ た」 とな った ものであ る 。 「かな きん
」は入江 一郎
(1987)による と、 ポル トガル語か らの外来語 で、
その 意味 は次の よ うに説 明 されてい る。 「金 巾 (かな きん) は堅 く撚 (よ) っ た綿 糸で 目を細 か く薄 地 に織 っ た綿 織物 のこ と。印度 綿 の 一種 で 、江戸 時代 は 「か な きん
」の ことを "長崎布 " または " 西洋布" とい っ ていた。」
上の歌 詞の中の文 末詞バ イ は総 て次 の ようにタイ に置 き換 えがで きる
。あっか とタイ か な きん タイ お らん ださんか ら もろ た とタイ
この よう に置 き換 えて も文 法的 には何 も不都 合が 生 じない。 また 、 意味 の 上で も著 しい相違 はな い。 しか し、そ こ には何 らかの 意味 の差 違 、表現 した い気 持 ち の微 妙 な差違 があ る
。そ こで 、その 差違 は何 か と問わ れる と、長崎 方言 のネ イテ イヴ ス ピーカ ーが 明確 な説 明に窮す るの であ る。 これ は 日本 人 が 日本語 を学 習 してい る外 国人 に助 詞の ハ とガの意味 の違 い を質問 され て返 答 に窮 す る場合 に似 ている
。タイ とバ イが 文学 作 品 に登 場 した例 もあ る。 遠藤 周作 著 r沈黙
Jに以 下の よう な表 現が ある。 引用 は新 潮文 庫版
(1997年
、27刷 ) によ り、 タイ とバ イ の箇所 は筆者が片 仮名表記 に変 えた ものである
。98
ページで タイは次 の ように使 われてい る。
エク レジ ア
1) 「 一 人 に ? どこへ行 きな さる。 危 なか。 ( 中略 )そ こ には教会 もあ りま す けん
。バ ー ドレもお られ ます タイ」
さらに
、148ページ に もタイが 出て くる
。2
)その声 を きくと信 徒 たちは噸笑 して 、
「 言 い たか 、 ふ ん だい言 い よっ タイ。 なん Lが 、 ここ に来 た とか 。ふ う け もんが
」バ イについては
162ページ に次 の よう な ものが ある
。3)
何 も知 らぬ番人は、人の善 さそ うに歯 ぐさをみ せ て笑いなが ら、
92
長崎方言におけるタイとバイの意味論的差違
「 食べ な っせ。奉行 さ まの御指図 じゃ、 こげん扱いは滅多 になか とバ イ
」この作品 の時代 は
1600年代 中盤 で、本稿 の筆 者は長崎 方言 の適 時的 知識 に くらく、
3世紀 半 も前 の長 崎 方言 につい ては ほ とん ど知識 が ない。 しか し、
この作品 中の 方言 は現 在の もの と考 えて よ く、 これ を現 在の長崎 とそ の周 辺 の方 言 に照 ら して見 る と、 多少 不 自然 に感 じ られ る箇 所 もある。例 え ば、上 に引用 した番 人の青葉 の 「食べ なっせ
」は熊 本地 方で は使 われ てい て も長崎 では開か れな い言 い方 であ る
。長崎 な ら 「 食べ まっせ
」とな る。 この他 に も
「そげ ん、 早 う、歩か んで つか わ さい。俺 は体 ん悪か けん 」 「どこ に行 きん さ ヱ上 ですか
。」 (下線、筆者) など、現在、 山陽 地方で使用 される表 現や諌 早、
佐賀 のそ れが 長崎 や西 彼半 島、五島 の現 代 の方言 と混 用 されて いて やや 違和 感 を覚 え る と きもあ る
。しか し、 この作 品 中の方言 の用法 は全般 に巧 み で、
長崎 とそ の周 辺の土着 の人 々の雰囲気が 非常 によ く醸 し出 され 、方言 使用 に よ り作 品に厚 みが増 してい るような印象 を受 ける
6)0
遠藤 氏の小説 r沈黙
Jか ら引用 した上記
1)
、2)
、3) の タ イとバ イは現 代 の長崎 方言 として正 用法 であ る
。ここで、 いず れの タイ とバ イを置 き換 え
て も、 ニュ アンスは変わ るが さほ ど不 自然 な感 じは生 じない。 だが , ここで 置 き換 えた ら変わ って しま うニュアンス とは どの ような ものであろうか。
筆者 が タ イとバ イのこの よ うな意味 論的 な差 違 に関心 を抱 くよ うに なっ た のは
、4、5年前 の駅で の出来 事 にさかのぼ る。 長崎 駅の改 札 口で順番 を待 って いる と、筆者の
2、3人前の若い女性が 長崎弁で博多行 きの 出発 ホーム を尋ねた
。改札 が終 わ り、彼女 が数 歩 、異 な る方 向へ 歩 きかけ た と き、駅月 は声 を大 き くして 「 4 番バ イ」 と言 った。先 ほどの説明に念 を押 した わけである
。この状 況でバ イをタイに置 き換 え る と不 自然 である
。ここで の置 き換 えがなぜ不 自然
になるのか、それが タイとバ イに興味 を抱 くようになった きっかけであった。
3‑2
タイとバ イに関す る従来の 妃述
タイ とバ イに関 して、入手 で きた ものの 中で比較 的 、ある いはかな り詳 し く説明 された もの を紹介 してみ よう
。神都 宏泰
(1991)は九 州方言 の統語 的解説 、「 文法 」 にお いて次 の ように説 明 して いる
。「アラー山バ イ
。」 「アラー山 タイ。」この ようにお こなわれる文末 詞 「 バ
長崎大学留学生 センター紀要 第
7号
1999年
タ3イ 」 「タイ
」は 、主 と して肥 筑地方 にお こなわ れる。 上述 の とお り、共に体 言 に も直接 して、指定 助動詞 に代 わ り得 る程度 の指定 の効果 を示 している
。しか し、 両 文末 詞の機能 に、微 妙 な差異 の認 め られる ことは言 うまで もな い。 「 バ イ
」は話 し手の心情 ・意図 ・判断 の、 一方 的な訴 えかけ を基 本 とす るの に対 し、「タイ 」 は聞 き手あ るいは一般 を認容 した判 断 ・意 図の、客観 的な措定 を基 本 とす る。つ ま り、「バイ
」には 、直接 的な表出 にか かわ る、
一種 の 自己 主張性 の認 め られ るのに対 して、「タイ」 には、判断 の普遍 化 を 目ざした、一種 の客観性が認め られる。共 に隆盛で、それぞれの異形 も多い。
藤原 与‑
(1997)の辞 書で はタ イとバイ をそ れぞ れ見 出 し語 に立 てて説明 し、 多 くの例 文が 添 え られ てい る
。しか し、分布 と出 自に 関す る考 察は詳 し いが 、意味 の説 明は粗略 で、 バ イ に関 して は全 くない と言 っ て もよい 。それ ぞれ、解説の要点は以下 の ような ものである
。タイ [ 亘豆 助詞 トの内在 が考 え られる九 州地方 に特異 な文末詞 ( 主 と して は 「そ うだ よ ( です よ
)。」などの 「くだ >よ ( <で す>よ)
」気分 をあ らわ
しが ち の もの
)○九州 では、肥筑地 方 にこれが よ く行わ れている
。バ イ
[亘豆 人称 代名 詞 「わた し」 系の ワイ の変 化形 。 (中略 )九州 では肥 筑 地方 が、バ イの さか んにおこ なわ れる所で ある
。鹿 児島 県下 には 、バ イ の分 布が見 られない。 ( 中略 )宮崎 県下 と大分県 下 とに も、 バ イ分布が ご く
よわい。
藤原 ( 上掲書 )では、 タイの項 に 「 九州方 言下 にいち じる しい バ イは、「 私
」系の ワイか らの転 化形 に相 違あ るまい。 タイ も トワイか らの もの とす る な ら ば、 等 し く 「私
」系の もの とされ よ うか。 であ る時 、 タイ とバ イとが 、今の 現実 では、 くっ きり とした用 法差 を示 す こ とに なってい るの が、 一つ 、興味 ある、 また考慮す べ き問題 とされる。」 と述 べ られ ている
。しか し、 その用法 差 に関 して意 味 の面か らの 説明 はな い。バ イの項 の豊 富 な収集 例の 共通 語訳
か らみる と、 バ イ もタイ と同 じ よう に 「くだ >よ
」などの気 分で使用 され る
とい う捉 え方であ り、 タイ との差 は不明 である。
94
長崎方言 におけるタイ とバ イの意味論 的差違 坂 口 至
(1998)には以 下の ような説明があ る
。文末詞 「 バ イ」
話 し手 の感情 を直接 に表す 文末詞の代 表 として、「 バイ
」があげ られる
。用 法 と して は、 自己の判断 の確 認や 、そ れを相手 に穏 やか に教 示す る場 合が多 い。
文末詞 「タイ」
「 バ イ」 と ともに、頻 用度 の高 い文 末詞 に 「タ イ」 が ある
。客 観性 の 強いこ とが ら、 自明の ことが らを言明する ときに用い られることが多い。
したがって、「 バ イ」に比べて突 き放 した言い方 になる場合が少な くない。
4
タイとバ イの意味
タイ とバ イは ほ とん どの場 合置 き換 えて もさほ ど大 きな意 味の違いが現 れ ない
。しか し、前述 した ように置 き換 えが で きない場合 、 ある いは、置 き換 える と不 自然 な場 合が ある
。タイ とバ イは どの ような意 味で使用 され てい る のであ ろうか。 実例 にあたってみ ることに しよう。
まず 、藤原 ( 前掲 書 )の収 集例 の中で長 崎県 に関係 した もの と、坂 口 ( 前 掲書 ) に記 載の ある例文 を検 討 してみ よう
。例文 の後 の共 通語 訳 も藤原 氏 と 坂 口氏であ る
。なお 、前者 に付 してある アクセ ン ト記号 は割愛 させて頂 いた。
タイの ほ うか ら引 用 して検 討 してみ よ う
。1
) ヨカデ ス タイ
。ヨソジ ヤ ナカ ッケン ナ
一。( < ここへ泊 って も>
いい です よ。 よそ では ない んだか らね。老女 ‑藤 原
。ここは 、私が宿 泊 した宿屋 さんの主人の母 ごの家であ る。 ) ( 藤原 )
上の例文 で タ イはバ イ に置 き換 え可 能で ある
。ただ し、 この状況 でバ イを 使 う と宿 泊 を許可 する感 じが出 る
。この文脈 で使 用 された タイ には 「いい じ やな いで すか」 と宿 泊 を勧め る感 情が 含 まれて いるが 、 ここでバ イを使用 す る とそ の ような親 切心か らの誘いの気 持 ちは感 じ られない
。2
)セ ンペ タイ
。ソレガ ヨカ タイ。( せんべ いだ よ
。それが いいよ
。中男。運転手 さんが 、そのほ しい ものを言 うところである
。)( 藤原)
上の
2) で も、 タイ は と もにバ イ に置 き換 えが で きる。 この文脈 で 「セ ン
ペ タ イ」 を 「セ ンペバ イ」 に換 える と 「間違 える ん じゃない よ
。買い たい の
は煎 餅 なん だよ。」 と念 を押す、 きつ い感 じが出る
。坂 口 ( 前掲 書)でバ イは
長 崎 大学 留 学 生 セ ン ター紀 要 第
7号
1999年
95「 相手 に穏や かに教 示す る場合 が多い」 と解 説 され た感情 とは逆 にな る。後半 の 「ソレガヨカタイ」 を 「ソレガヨカバ イ」 にす ると、 自己 の好 み、 選択 を 明瞭に打 ち出 した感 じにな り、「ソレガ ヨカタイ」の もつ 「それが よさそ うだ」
を若干 含 んだ柔 らか さが消 えて しまう。
坂 口 ( 前掲書 )の例文 ではどうだ ろうか 。
3)
ソガン コタ セ ンチ ヤ ヨカタイ ( そんな ことは しな くて もいいさ) 0 ( 坂 口)
ここでは藤原 ( 前掲 書)の場 合 と異 な り、文脈 の記 述が な く、 どの ような 場面 で、 また 、 どの ような口調で発話 され たの か分 か らない ので解釈 が難 し
い。状況 を設定 して検 討 してみ よう
。妻が 夫の会社 の上 司 にお歳 暮 を しよ うと言 うのを聞い て、夫が次 の よう に 発話 した としよう
。妻 :今 度の新 しか部長 さん にお歳暮ば贈 りま しょうかね
。夫 :ソガンコタ センチ ヤ ヨカタイ。前の部長 にも贈 らんやったとや もん。
出世 し とうして、胡麻 ばす りだ した と思われ とうなかば い。
この と きの タ イは 「そ んな必 要は ない だ ろう。お まえ もそ う思わ な いか
。そ う じゃないかね
。」と妻 の同意 を求め る気持 ちを含み 、穏や かであ る
。ここ をバ イに換 える と、「そん な必要 はない のだ
」と一方的に命令 した感 じで、厳 しく冷淡 にな る
。ここで も、坂 口氏 の説明 にあ る、 タイ は 「突 き放 した言 い 方、 冷淡 な言 い方
」で、 バ イ は 「穏や かに教示 す る」 とは ならなず 、 む しろ 逆で ある。ただ し、坂 口氏が 総 て の タイ、 バ イがそ うだ と述 べてお られる わ けで はない。 また、 ここで強い 口調で タイを発話 すると、 「どう してそ んなこ とが 分か らないの か」 とい った非難 の意 味が 生 じ、 優 し く、柔 らかい 口調 で バ イ を発 話す れば、バ イ には 「しな くて もい い よ
」とい った穏や か さが含 ま れ、それぞ れのニュア ンス も変 わって くる
。4
) ワイガ シタケ ンタイ ( お前が したか らな んだ)
。( 坂 口)
4
) も状 況 を設定 してみ よ う
。二人 を
A、
Bと しよ う
。 Aが
Bの嫌が るこ
とを して、
Bが
Aを蹴 った としよう
。きっ とな った
Aに
Bが、「ワイ ガ シタ
ケ ン タイ
」と言 った と した ら、「 原因 はお まえにあ るんだ
。それがわか らない
か。」 とで もいうふ うに相手 を強 く非難 した感 じが出る。 ここはバイ に置 き換
え られない こ とは ないが、バイでは弱々 しく、 非難 の気 持 ちがほ とん ど表 現
されな い。 バイは穏やかに もなるので ある
。96
長崎方副 こおけるタイとバイの意味静的差違
この状 況 でバ イを使 うた め には 、第 三者
Cを登 場 させ なけ れ ばな らな い
。A
を蹴 っ た
Bが 「ワイ ガシ タケ ンタ イ
」と青 い、 二人 が一触即 発の状態 にな ったの を見 て、 とめ男 の
Cが
Aに 「 喧嘩 は やめろ
。ワイガ シタケ ンバ イ
。」と説 得 口調で 言 うので ある
。ここではバ イが穏 やか に説 得 し よう とい う
Cの 気持 ちを伝 え るこ とが で きる
。ここで
Cまで が タイを使 え ば
Cも
Aを強 く非 難す ることにな り、
Aと しては収 ま りの付 きに くい気持 ちにな ることだろう
。勿論 、 口調 に よってニュ ア ンスが 異 なることはい うまで もない。
次 にバ イの例文 を引用 し、検討 してみ よう
。5)
サー、オ レモ ソレ シラントバ イ。 (さあ、わた しもそれは知 らない よ。
中男‑ 中女) ( 藤原)
5
) ではバ イが普 通 で あるが、 タイ も使 えな いわ けで はな い。バ イが単 に
「私 も知 らな い
」とい う情報 を伝達 しよう としている のに対 し、 ここで タイ を 使 う と 「あな たは私が 知 っ てい る と思 っ てい たか もしれな いが 、実 は私 も知
らない のです よ。 」 の気持 ちの表現 に なる
。6
) アシター アメバ イ ( 明 日は雨 にな りそ うだ)
。( 坂 口)
これ は空 模様 な ど を見 て発 話 される もの であ る。 この バ イ は共 通語 訳 よ り やや確信 の度合 い が強 く、 「明 日は きっ と雨 に なる
」とい う程度 の気持 ちであ る
。独 り言 に も、他者 に伝 える ときに も使用 で きる
。ここではバ イが普 通で あるが 、 タイ も使 える。 タイでは それ を耳 にす る人 にあ なた も 「そ う思 うで しょ う」 と多 分 に 同意 を求 める気分 が含 まれ る
。ある いは、明 日雨が 降 っ た ら不 都合 に なる予 定があ って 、「残念 なが ら明 日は雨 にな りそ うだ」 とい う気 持 ち の表 現 に もな る
。後者 の場 合独 り言 に も使用 され る。 ここで、 タイ とバ
イの間 に、 「 雨が降 ること
」に対す る確信 の度 合 いに差 は感 じられ ない。
7
) オイガ ス ツケ ン ヨカバ イ ( 俺がす るか らいい よ)
0( 坂 口)
7
)の文 は相手 が何 か しよう としている とき、 「自分 がす るか ら、あな たは しな くて もい い よ
」と相 手 を制す るた め に発話 され る もので ある。 この よう な文脈 で タイは通 常使用 しない。
8
) ア一 夕 ガ セ ンバ バ イ ( 貴方が しない とい けない よ)
0( 坂 口)
8
)のバ イは、「貴方 が しな ければ いけな い
」とい う意見 が発話 者の主 歓 と
して述べ られた こ とを伝 えて いる
。ここでバ イ をタイ に置 き換 え る と、 「 周 り
の状 況か ら見 て、 貴方 が しなけ れば な らない ことにな った よ
」とで も言 った
気持 ちの表 現 にな る
。その 意味で は、神都 ( 前掲 書)、坂 口 ( 前掲 書) の タ イ
長崎大学留学生 センター紀要 第
7号
1999辛
は客観 的 とい う分 析は正 しい といえる。
97
5
タイとバイの木賃 的な差違
前章 で タイとバ イの意 味合 いの違 いがか な り見 えて きたが 、本質 的な差違 はまだ明 らか とは いえ ない。 両者 のニ ュア ンス の違 いを明確 にす る手 がか り は、両者 の置 き換 えが で きない文脈 の中 にあ る と考 え られ る。 ここで 、置 き 換 えので きな い例 を検 討 しなが ら、両者 の意 味の本質 的な違い を考 察す るこ
とにし よう。
まず 、 タイ は使 えるがバ イは使 え ない、 ある いはバイ に置 き換 える と不 自 然 に なる場合 を見 てみ よう。 方言 の分 か りに くそ うな と ころ には下線 を施 し
て共通 語訳 をつけ ることにする
。1)A
、
Bを含む数人 が外 で一 緒 に飲み 、
Bの み
12時 ご ろ先 に帰 った 日 の翌 日の会話 。
A :
きのうはまいった よ。家 に着 いた とは
3時だった よ。
B :
あれか らまた何軒 か回った とタイ。
この ように 自分 自身が持 ち合 わせて いない情報 を提示 され、それ を相手 に確 認 したい場 合、 ある いはそ の情報 か ら推 測で きるこ とを相 手 に確 認す る場合 は バ イを使 うことが で きない。次の
2)、3)の例 も同様である
。2)A
:そんバ スは駅 には行かん よ。
B:
えっ、駅 には行かん とタ イ
。3)A
:部長の病気 は どう もようなか らしか よ (よくない らしい よ) 0
B:
元気の なかて思 う とったけ ど、や っぱ り癌 だった とタイ
。この ように何 らかの疑 問 形式 に な る とバ イの使 用は不 可 能 とな る
。上 の
1
)
、2)
、3) とも、「 バ イね」ある いは 「バ イ な (あ)
」であ れば置 き換 え が可 能で ある
。一見 、バ イが確 認や 疑問 に関 与で きそ うに見 え るが 、 それ は 実は終助詞 「ね」、「な ( あ )
」の作 用であ り、バ イの作用 ではない。 この形で 使用 され るバ イは新 しい情 報 を 自分 の もの と して納得 しよ うと して いる心理
を表現 しているの であ り、バ イ自体が疑問の含意 をもつわけでは ない。
さらに、次の ように、知 らされ てい た情 報 と異 な るこ とが 分か った とき も バ イで は表現 で きず、 タ イが 使 用 される
。これは後 に述 べ る 「じゃな い か」
「じゃないの」 と相手 の同意 を求 めている と考 え られ る ものであ る
。98
長崎方言におけるタイとバイの意味論的差違
4)病気 と開いていた
Bの元気 そ うな様子 にふれて、
A :
元 気か タイ。病気の だいぶ悪か って開い とったばってん
。 B :うん、ち ょっ と風邪 ひい とっただ けさ
。大袈裟 に言 うもん の
お っとや もんな ( 言 うものがいるん だ もんな)0
5
)テス トは易 しい と聞いてい たが、受験 してみる と聞 いていた ことと 違 って難 しかった とき、
A :
難 しか タイ。
5
)は独 り言 と して も、「 易 しい」 と言 ってい た友人 にこはす場 合 にも使用 される。 この場 合、情 報 と違 って いた とい う気 持 ち を表 現 する意 図が な く、
単 に自己の感想 を述べ るだ けな ら、 「 難 しかバ イ」で もよい。
また、下 に示す ように、 聞 き手 の 同意 や共 感 を求め る場 合 も排他 的に タイ が使 用 される
。共通 語で は 「じゃ ない ?
」「じゃない の
」「じゃない か
」とい った意 味合いにな る
。6
)今年 の連 休、 あん たは
7日 も休 みの続い て、 よか ぱっや,りタイ ( い いばか りじゃない の) 0
以上 の よ うに情報 の確 認や 聞 き手の 同意 や共 感 を求め る と きタ イに換 え て バ イが使 用で きない こ とか ら、 タイの本 質は聞 き手 との情 報の共有 、あるい は共 感へ の強 い指 向にある とい え よ う
。すな わち、聞 き手が何 らかの形で そ の情 報 を既 に有 している と想 定 され た とき、情報 共有の マーク として、 また 、 情報 の確 認の ため に、 ある いは また、発信 する情報 に共 感 、同意 を求 める気 持 ち を託 して 、発話 者は タイ を使 用す るの であ る
。タイ の本 質は情報 、感情
の共有 指向にある といえる
。次 にバ イをタイに置 き換 え られない場 合 を見 てみ よう。
7
)会社か ら帰宅 した夫が妻 に、
夫 :課 長 になるっ て内示の 出たバ イ
。妻 :よかったね。 おめで とう
。今夜 は家族でお祝 い しまし ょうね。
8
) 自動車 事故 を目撃 した
Aが その後、別 の場 所で
Bに会 って、
A :
さ っき、ひ どか事故 ば目の前で見 たバイ
。B :
へ え、 どんが ん (どんな)事故 だ った と
。9
)開店 したばか りの レス トラ ンに行 った
Aが
Bに、
A :
今 度新 しうで きた レス トランに行 って きたば ってん、料理は
あんま りうもうなかった (うま くなかった) バイ
。長崎大学留学 生 センター紀 要 第
7号
1999年
99B :
ふ うん、そんなら行かんほうが よかね ( 行かないほうがいいね) 。 この ように聞 き手 が当然そ の情 報 を知 らない と想 定 される文脈 では、バイ をタ イに置 き換 え るこ とは で きない。 ここか らバイの本 質は、話者 による新 情報 の提 供 に ある と考 え られる
。新情 報 とい うのは あ くまで も話 者の 主観 的
な判 断で あ り、聞 き手 に とってそ れが 実際 に新 情報 か旧情報 かの客観 的事 実 とは無関係で ある。す な わち、話者 が聞 き手 に とって の新 情報 と想 定 して情 報 を発信 して いる とい うの がバ イに託 された話者 のメ ッセ ージであ る。 この 本質 か らバ イ の用 法は さらに、話者 の主 観的 な判 断や 意見 、 断定 的意 見の陳 述へ と広が ってい く。
以上 で見 て きた よ うに、 タイ には 「そ うだろ う 」 「そ う思 うだろ う 」 「そ う じゃ ない の」 と情 報、感情 の共 有 を求め る気 持 ちが託 され てい るが 、 バ イ に はそ の よ うな共感 を求 める気持 ちは ない。 バ イが説 得 に使 わ れる場合 があ る が、 それ は発 話者 の述 べ る道理 に従 うこ とを求め る一 方的 な言 い聞 かせ であ る
。以上 の こ とか ら、 タイ、バ イそれ 自体 には本質 的に冷淡 さや 暖か みや穏や か さ とい った感情 は付 帯 してい ない ことが分 かる。 タイ もバ イも時 に は冷 た
く聞 こえ、時 に は暖 か く、 また穏や かに聞 こえた りす るの はあ くまで も文脈 と口調 による もの である
。タイ とバ イの本質 を理 解 した上 で、 さらにい くつ かの 具体 例 に即 して検 証 してみ よう
。11)
これは うまか タイ
。 12)これは うまかバ イ。
ll)
と
12)が 同 じもの を食べ てい る
Aか ら
Bに言 われ た とする と、
ll)で は
Aは
Bに 「おい しい じやない ?
」「そ う思 わな いか」 とい うふ うに同意、 共 感 を求め てい るの であ る
。それ に対 し
、12)の
Aは
Bの思 惑 に無関係 に 自分
の意見 を述べ てい るだけに なる。
同 じ ような状 況で二人 の間 に次 の よ うな会話 が交 わされた場合 は ど うで あ ろうか。
13)A
:これは うまか バイ。
B:
うん、 うまか タイ。
14)A
:これはうまか バイ
。B:
う ん、 うまか バ イ
。LOO
長崎方言におけるタイ とバ イの意味論的差違
Aのバ イはBの思惑 に関係 な く、単なる 自己の意見の陳述 であるこ とをマー クす るもの であ り、Bの 同意 、共感 を求め てい るわけではない。 これ に対 し、
13)Bの タイ はAと同感で ある ことを含んで いる。14)Bのバイは一見 同感 を マーク しているよ うに見 え るが、同感は文頭の 「うん」が担 っているので あ り、
バイは単なる自己 の意見の主張、陳述 にす ぎない。
同 じよ うな状況で両者の意 見が異 なる場合は どうであろうか。
15)A :これはうまか バイ。
B:いや、 うもうなかタイ。
16)A:これは うまか バイ。
B:い や、 うもうなかバ イ。
15)でBの タイは 「どうしてその よ うなことを言 うの か、美味 し くない じ千 ない の。」とか 、「自分 と同 じように美味 しくない となぜ思 わないのか。」と自
己 との 同調、共感 を求めてい ると解 される。16)Bのバ イは単な る自己の意見 の主張 であ り、Aに同調 を求めて いるわけではない。
タイとバ イはこれ までの例 と違って、一人納 得する場合 も使用 される。
17)こうだ った とタイ (ね)0 18)こうだ った とバ イ (ね)0
この場 合、 タイは情報源 との共感 を伴 った納 得 にな り、バイは共感 とい う感 情 とは無関係で 、新情報 に対するま さに自己 自身の納得 である。
共 通語 の終 助詞 の多 くが、 あ る種 の感 情 を担 って話 の継 ぎ手 としての 聞役 (助) 詞に変わるの と同 じよ うに、 タイ とバイ も間投詞 と しての役割 を果たす
ときが ある。
19)きのうね、デパー トに買い物 に行 った とタイ、そ した ら、偶然 、 昔の彼 に会った とタイ、そ して、彼 にコーヒーに誘 われた とタイ‑
20) きの うね、デパ ー トに行 ってバイ、偶然 、昔の彼 に会ってバ イ、
そ した ら、コー ヒーに誘われ てバ イ‑
煩雑 に過 ぎるまでにタイ とバイを使 って例文 を作 ってみたが 、 この よ うにタ イとバ イは間投 詞 として も使用 される。 この と きタイは聞 き手の共感 を呼 びた いとい う心理で使用 され 、バイ使 用 には新 しい情報 を次々に捷供するこ とで聞 き手 の関心 を引 き付 けたい とい う心 理が働 くもの と考 え られる。19)では情報 として は初出で 、通常な らバイが使用 され るところであろうが 、 ここで は発話 者の心 理の重心 が情報の新旧より、 タイに よる共感 の希求へ と移行 した と考 え
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7号
1999年
JOJられる。
タイ もバイ も様 々な用法 をもつが、 本質は どの ような用法 において も同 じで あるといえる。す なわ ち、 タイは話者が聞 き手 との情報共有 を想定す る ことを 基本 と して使用 され、確認、 共感 を指向する心理 を表 現す る ものであ り、バイ は話者 が聞 き手 にとって初 出の情 報である と想定する ことを基 本 として使 用 さ れ、新情報 の提 出 とい う意識 か ら必然 的に派生す る主張、 さらに断言の心 理の 表現 とな り、 さらに、 自己 自身への新情 報 として の納得 ともなる
。6