夏目漱石『文学論』における恋愛観 : 引用・蔵書 の書き込みをめぐって
著者名(日) 中谷 由郁
雑誌名 大妻国文
巻 35
ページ 45‑64
発行年 2004‑03
URL http://id.nii.ac.jp/1114/00001365/
Creative Commons : 表示 ‑ 非営利 ‑ 改変禁止
http://creativecommons.org/licenses/by‑nc‑nd/3.0/deed.ja
夏目激石
﹃文学論﹄における恋愛観
||引用・蔵書の書き込みをめぐって||
中
谷 由 有 日
はじめに
﹃文学論﹄の中で項目として恋愛が論じられるのは︑﹁第一編 文学的内容の分類﹂の中の﹁第二章 文学的内容の基本
成分﹂として挙げられる﹁両性的本能﹂においてである︒この﹁基本成分﹂の項目に﹁両性的本能﹂が挙げられるのは︑
﹁文学的内容﹂として立てられた公式﹁ F
︵ 認
識 的
要 素
︶ +
f
︵ 情
緒 的
要 素
︶ ﹂
が 基
本 と
な っ
て い
る ︒
F H E n g
︵ 焦
点 的
印 象
︑
観 念
︶ ・
3 2
︵ 事
実 ︶
︑ fH
肉 店
出 口
開 ︵
情 緒
︶ を
示 し
︑ 文
学 上
︑ 目
的 物
F には必ず f つまり情緒が附随し︑この情緒があってこ
そ文学足り得るという︒フランスの心理学者同町
g E W
﹀
E
E
色 町田
Z R
︵ H
M S 5 5
︶ の
u q ﹄
与 ︒
守 宅
久 町
︑ さ
き 苫
︵ 58
日∞笥︶にならい︑文学を文学足らしめる情緒 f をさらに細かく分けて︑情緒 f を単純要素と複雑要素とに分ける︒激石が
英 訳
いう単純要素は︑恐怖・怒・同情・自己観念・男女的本能︑複雑要素は︑善悪・宗教感情である︒
﹁ 両
性 的
本 能
﹂ と
い う
項 目
は ︑
m e a
の説によって単純要素とされた﹁男女的本能﹂を基に立てられる︒激石は︑この項目
において︑恋愛が文学的内容にいかに重要であるかを述べてゆく︒﹃文学論﹄で恋愛を論じる際︑激石は心理学︑文学など
夏 目
激 石
﹃ 文
学 論
﹂ に
お け
る 恋
愛 観
四 五
四 六 の引用を交錯させながら論を進めている︒そして科学的心理学から恋愛をみる時︑﹁両性的本能﹂に基づくものとしてとら えている︒また︑イギリスロマン主義文学から恋愛をみる時は︑﹁神聖﹂なものとしてとらえている︒この二つに︑激石が 学んできたという︿東洋﹀的思想からとらえた﹁罪悪﹂観が絡んでくる︒このことを念頭におきながら︑﹃文学論﹄に引用 されている心理学と文学の引用から︑激石が﹃文学論﹄に取り入れた部分︑また取り入れなかった部分をどのように配置 し︑自らの理論を組み立てていったのか検討してゆく︒さらに東北大学付属図書館激石文庫の蔵書に見られる書き込みを 調査し︑﹃文学論﹄に引用する前にとらえたことを浮かび上がらせてみたい︒そして︑﹁文学論﹄で論じた﹁恋愛﹂を自ら の創作へどのようにつなげ︑発展させているのか︑その一端を考察してみたい︒
﹃ 文 学 論
﹄
における恋愛をめぐる引用
−心理学からの引用
激石は︑恋愛について論じるため︑﹁第二章
文学的内容の基本成分﹂に﹁両性的本能﹂という項目を立てる︒そこで︑
激石は﹁所謂恋なるもの﹂は︑﹁両性的本能を中心として複雑なる分子を総合して発達したる結果なれば到底其性質より此 基本的本能を除去すること能はざるなり︒﹂と述べ︑このような恋愛の位置付けを根拠づけるため︑四例の心理学説を援用
している︒まず︑感覚はひとつの連続体として配列すると提唱したベルギーの心理学者
r g F
−
m ・ 0
0 8
8 え︵昆臼
l g ︶ と 連合心理学を組織し大成したことで知られている︑イギリスの心理学者・哲学者注目凶宮内官官百︵店店
58
︶の説を引用
する︒いずれも十九世紀の科学的心理学である︒﹃文学論﹄では︑
E − ぎ
n a
の説から﹁男女が慕ひ合ふは彼等が自覚せずし
て︑精子の意志に従ふものなり
o﹂という︑男女は自覚ではなく精子の意志によって︑惹かれあうとする説が引用されてい
る︒次に切包囲の説から﹁触は恋の始にして終わりなり﹂という︑触れるという行為は︑恋の始まりであり︑終わりでもあ
るという説が引用されている︒
このように︑二つの心理学を引用した上で︑激石は﹁如何はしき言葉のようなれど︑赤裸々に云ひ放てば︑真相はかく あるべきなり︒﹂といい︑﹁如何はしき言葉﹂としながらも︑恋愛感情は︑﹁両性的本能﹂という本能が基本となって成り立つ ているものだということを強調している︒さらに﹁両性的本能﹂を詳しく検討するため︑﹁意識の流れ﹂を提唱した︑アメ
リ カ
の ︑
心 理
学 者
t 弓仲 −
−
巴 ︒
ω ︶の説を引用する
O山凶
唱白
ロn
町 同 は 十 九 世 紀 前 半 ︑ 同 由 ヨ 刊 胆 は 十 九 世 紀 末 の ︑ 心 理 学 で あ り ︑ 大 き く い え ば ︑ 科 学 的 心 理 学 か ら
の引用であることがわかる︒﹃文学論﹄では︑まずき
5 3 H 5 2
の 2
♀ 3
宮 店
︑ ﹄
uh
y
円 ぎ 守 宅 ︵ 呂 志 ︶ が 引 用 さ れ る ︒
E E
2 日く﹁是等のア等情緒を論ずる自然の径路は︑先づ或る事実を知覚し︑其結果として情緒と名くべき心的感情を誘
起し︑此状態更に進んで肉体的表白を発するに至るべきなれども︑余の説は全然この反対に出づるものにして︑即ち輿 奮的事実の知覚に次ぐに直ちに肉体的変化を以てし︑此変化はやがて情緒として現はる︑ものなるべきを信ず﹂
5 ﹄ 自
の引用後︑激石は﹁普通一般の小説戯曲中にあらはる︑善男善女の徒︑必ず其恋を結婚に終り︑若し終り得︑ざる時 は読者観客は不満足の感を生ずるより推すも︑所謂恋情なるものより両性的本能即ち肉感を引き去るの難きは明らかなり
と す
︒ ﹂
と 述
べ る
︒
5 同 自 がいう﹁興奮的事実﹂︑﹁肉体的変化﹂を︑激石は﹁両性的本能﹂という言葉に置き換える︒激石は︑
u s
g の
説 か
ら︑情緒を起こす経路は︑まず︑知覚することから始まり︑次に肉体的変化︑つまり本能が動いて初めて情緒となるとい
う箇所を引用し︑﹄
g g
が︑情緒全般に対して論じている箇所を︑激石は恋愛と結びつけていることが分かる︒
夏 目
激 石
﹁ 文
学 論
﹄ に
お け
る 恋
愛 観
四
七
四 J ¥
小 倉
修 コ
一 氏
は ︑
﹃ 文
学 論
﹄ の
﹁ 両
性 的
本 能
﹂ の
項 に
E ﹄
5 の引用があるものの︑﹃文学論﹄への影響は︑うすいのではない
主ー
かと述べている︒しかし︑今見てきたように﹁両性的本能﹂という項目を︑文学的内容の形式︵ F + f
︶ の
f として論じ
るために自覚的に引用されている︒恋愛において︑本能とは肉感︑激石の一言葉で言えば︑﹁両性的本能﹂が刺激されてはじ
めて恋愛となることを結論づけるために
U B g
の 論 を 援 用 し て い る の だ ︒
次 に
︑ 出
町 円
宮 司
ニ 宮
n a 口
の ︑ コ .
3
門 を ご
応 ︑
.
3 一
斉 ぎ
〜 昌
司 ︵
H
∞
叶
N
︶
が 引
用 さ
れ る
︒
如此︑生理的感情が骨子となり其周囲に人体美の諸感情蛸集して始めて恋を構成するものにして︑前者は単に愛着の
因となり︑後者は尊敬︑是認︑自重︑所有︑自由︑同情の愛に導くものとす︒しかしてこれらのもの著しく興起し其活
躍たる作用が相互に呼応する時︑全てこの心的現象を総括して﹁恋﹂と名く︒
ω − u
O R
2 は︑恋愛を構成する成分を細かく分析している︒恋愛の骨子は︑生理的感情であり︑これが愛着の因となり︑各
種の情緒が附随することで恋愛が構成されるというのだ
σ激 石
は ︑
8 2
2 ﹃の説に対して︑﹁開明の世には如此込み入りたる現象もあるべきも︑兎に角︑恋は両性的本能に其源を有
すること明かなれば︑余は此所に此情緒を収めたるものなり︒﹂と述べる︒ここで激石のいう﹁両性的本能﹂とは︑∞宮口
n R
のいう﹁生理的感情﹂と重なる︒ここから激石が強調し︑とらえているのは︑恋愛の骨子はあくまでも﹁両性的本能﹂で
あ る
と い
う こ
と だ
︒
激石が︑﹃文学論﹄において︑恋愛の特徴を論じてゆくため︑まず︑引用するのが心理学である︒四例の心理学の引用は︑
十九世紀の科学的心理学であった︒激石は︑心理学から生理的側面を引き出し︑恋愛の主軸は﹁両性的本能﹂︑つまり性欲︑
肉感であると科学的側面から結論づけているのだ︒
2 .文学からの引用
心理学で情緒 f という恋愛の揺るぎない土台が﹁両性的本能﹂であることを確認した後︑文学的内容として恋愛がいか
に重要であるかを考察してゆく︒﹁文学的内容﹂となり得る﹁両性的本能﹂を含む恋愛には︑﹁社会維持の政策上許し難き
部分﹂があり︑﹁容れ難き方面の存在し居ること﹂があるという︒心理学的側面から見た恋愛は︑﹁両性的本能﹂が含まれ
ることをとらえながらも︑﹁文学的内容﹂とする時︑社会道徳の側面からの制約を離れられないというのだ︒しかし︑その
一 方
で ︑
﹁ 文
学 的
内 容
即 ち
︵
F + f ︶ の資格を具有すること﹂は否定できないというのである︒そして﹁此情緒が文学的内
容として用ゐらる︑分量は実に驚くべき程﹂だという︒そしてその特徴が顕著な︿西洋﹀の文学を例にとる︒まず︑イギ
リ ス
の 小
説 家
﹀ ロ
号 ︒
3
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E 習︵国
5 H ∞ ∞
N
︶
k g の
H S s q 毛
主 ︵
︼ 器
ω ︶を引用し︑﹁恋愛の分子を去りては小説に興味を附し
其成功を期すること甚だ難きを認めざるべからず︒﹂という部分から︑激石は文学における恋愛の重要性を強調してゆく︒
このような説を証明するため︑具体的に引用されるのが
ω B E n
− U
1 2 9 w E m m
︵ 口
1 同
5 包 ︶
の 守
て 問
︑ 問
︒ 宮
見 回
3 5
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の
h︒− おみ さ︒ 3h HF同均史ざ
h︑﹂﹃︒町周囲同町内同仲田︵
HJ3
日 同 ∞
N H
︶
こ れ
ら の
引 用
箇 所
を 検
討 す
る ︒
︵H
∞
H N H
∞ ∞ @ ︶
の 閃
y s ミ
s a
の三例である︒激石蔵書中の原本によって︑
ま ず
︑
ω g z n z a
− 2
9 w E m n の
守 宅
内 を
み て
み よ
う o
E 忘は︑男性が︑女性︵ジエネヴィ l
プ ︶
に ︑
彼 女
が も
た れ
か か
っ
ている騎士の像にまつわる恋の話をハ l プを奏でながら歌って聞かせ︑自分の彼女に対する想いを託して伝える詩だ︒彼
女は︑彼の気持ちに気づき︑処女のプライドを持って恥じらいをみせつつ︑おどおどした目で泣きながら彼女の方から彼
に近づき抱擁してくる︒彼は︑彼女を手に入れたと確信したと詠う︒この詩の中から﹃文学論﹂に引用されたのは︑次の
二 つ
の パ
ラ グ
ラ フ
で あ
る ︒
夏 目
激 石
﹃ 文
学 論
﹄ に
お け
る 恋
愛 観
四 九
五
0J F
Z §
o z
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色−唱恒国包︒回国唱曲巴仏両
w z m z
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者 ︸ 戸
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−国 間回 目︒
﹃戸
︒︿ 白・
﹀白 色目 白町 内回
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回目
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円同国 管百 四・
3
5
︵ 司m g Z H
︶
ま﹀ロ円回目︒阿君︒白書︺二
M m
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︿白 咽叫
2
宮 司
σ ユ
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色宮富 田町
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田 ∞
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・
︵司 同声
S
明Z N
九円︶
引用されたのは︑心を支配する愛の神聖さ︵冒頭部︶とうっとりするほど美しい彼女を手に入れたとする最終段落の二
行である︒彼女が積極的に彼に近づき抱擁し︑彼を胸に押しつけるという部分など︑先にみた切
B E
のいう﹁触﹂にかかわ
る箇所は引用していない︒
激石は︑この詩の引用箇所に対して︑﹁有も吾人の心を動し︑情緒を喚起し︑愉快の感を生ぜしむるは︑即ちこれ恋の力
なりと︑是一なり︑愛は神聖なりと是二なり︒﹂と述べる︒
一 つ
は ︑
E B
笥 8
E の前半三行から﹁恋の力﹂の強
さをとらえ︑二つめに︑最後の一行から﹁愛は神聖﹂だと詠われている部分を引き︑たしている︒ この引用箇所から︑激石が見出したのは恋愛に対するこつの見方だ︒
次 に
︑ 河
内 ︼
官 民
8 国
書 旨
聞 の
E
忘 与
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さ判
HE
同旨きを引用する︒この詩は︑今は廃嘘となった古塔で男女が待ち合わせの場
所で逢うという詩である︒かつて︑この古塔は︑君主が戦車の目標として戦ったところであった︒昔の都や君主の繁栄ぶ
りと対照的に︑今は廃嘘となり︑女性が熱心な瞳で彼が来るのを待つ場所となっている︒かつての戦争や富を求める罪に
報復するのは愛であり︑国家のための戦いより︑愛は至上だと詠う︒次の部分をみてみよう︒
珊阻
E o g u B B H
包 囲48E
白
B
E S
回目 白山
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民 四 回
ω
︒ ロ包 囲
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︒邑
f
﹀白 色昏
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岳巴
﹃問
︒仏 国血 管問
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白色白
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自 色 nV 白 包o z g p z F R o
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0︒ ︒ 5
同g R
・ 8
︒宮 開局 間え
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同
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昏包 冨自 国一
開
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雪 国
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項 目
5
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ロ宮 ユ町 田︒ 同庁 国ア 回︒ 仲田 町宮 内同 己主
ω
同 居四 円
F O B
−
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者喜 四回 回目 町
E
雷
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同法 田昌 弘岳 町町
m E
丘町田 自色 岳町 お四 回一
再三
J
F0 40 2σ
由回
押し
引用されたのは︑栄光と欲望がうずまく遠い昔の愚かさと︑今は荒廃した蔓草が息づく土地で男女が逢い︑国家の繁栄
のための争いやそこで得る富より︑すばらしいのは愛であり︑愛は至上だと詠う部分だ︒しかし︑先に来て待っていた彼
女 が
︑
一言も発することなく彼の肩に手を置き︑はじめに彼の抱擁に答え︑彼と彼女はお互い視界と口を沈黙させるとい
う部分があるにもかかわらず引用されていない︒激石は︑この引用箇所に対して﹁結末にはたごニ字よりなる匂あり而し
て其句には
F202za・とあるのみ︒其意に云ふ黄金よりも力よりも︑また全ての勝利にもまさりて尊きは恋なり﹂と説明
夏目激石﹃文学論﹄における恋愛観
五
五
を加え︑あらかじめ愛を至上と詠う部分を強調してから引用している︒最終行の
Z 5 2 σ
白 血
・ か
ら も
分 か
る よ
う に
︑ 国
の た
めの戦いや名誉より重要なのは︑恋愛であるという恋愛の至上性が詠われている部分を引用している︒
三 つ
め に
︑ 宮
町 ロ
g 関
z
の宮号室︒誌が引用される︒この詩は︑永遠の美の探求を︑ギリシア神話に託して詠った物語詩だ︒
羊飼いの美少年が︑ラトモス山中で疲れて眠っているところを︑月の女神セレネ︵ディアナ︶が見て恋し︑彼を永遠の眠
りにつかせ︑日が沈むと地上に降りて夜を共にするという内容だ︒激石は︑寄与さ S
に つ
い て
︑ ﹁
時 に
は 甚
だ 可
笑 と
思 は
る ︑
箇所あるが如きも﹂︑﹁恐くは西洋諸家共通のもの﹂なので︑ここでは﹁恋愛の分子が如何に文学的内容に加はり︑又其恋
愛なるものを西洋の文学者流が如何に過当に見積るかを紹介﹂するという︒引用は︑次の∞
g w
固 と
弓 の
二 箇
所 だ
︒
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者
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・吾
︒
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︒ 三門 誌仏 国一 司﹀
一
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︒ロ 四回 目岡 田明
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﹀径四巳自邑呂町包〆
B 8 3
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﹃宮 忠
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由主 岳町 民田 富白
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安値 巴同 町宮 吾明 日白 い吾 四国
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﹀同 刊号 宙開 担問
︒管
︒︒ 仏
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B
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τhat but for tears my life had fled away!‑ Y
巴deaf and senseless minutes of the day, And thou, old forest, hold ye this for true, There is no lightning, no authentic dew But in the eye of love: there s not a sound, Melodious howsoever, can confound
The heavens and earth in on
巴to such a death
As doth the voice of lov
巴:there s not a breath
Willmingle kindly with the meadow air,
Till it has panted round, and stolen a share
肘叩Of passion from the heart !一 Bk. N p.l 75.ll .76‑85.
け)jl」~’百iere
is no lightning, no authentic dew But in the
巴y
巴of love −削 Cll! 量当求己主制剤、 ρ 幡、 ρ ャエム
j二小トムー×
ム
JTh
巴h
巴avens and earth in one to such a death As doth th
巴voice of
love一劇Q恨~~翠~!.l刑4眠時-£JC士:!-\'.ポエムjシトトムー×~時t-00
時医薬!とやさ酬の
J~~’制.qg.c{[羽生三台辞令部"V)j心込ぷエ心:稔-+:i~時’制e附-1-j主当込側部れJ-i二νエト。。~斗e-4小:J『-!><~rt程j
:1 fin
HE~ヰ~~-!><~rt:1
~ヰ士t-0髄削端部川~~'ャ峰子rくロト入判1憾C;lti;;~-%'時。ャAヤbK ロ?入
ト制血餐トロ
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程1 :L.;q
合時尚縦揺同川
五 四
主義の詩人達は︑国より恋を﹁神聖﹂なものとし︑恋を過当に見積もるという特徴があり︑十八世紀末から十九世紀前半
にかけてヨーロッパ各地で展開された文学・芸術・思想上の自由解放を信奉した思潮だ︒﹁文学論﹄に引用されているのは︑
十九世紀のイギリスロマン主義の文学から︑恋の﹁神聖﹂さと恋を﹁至上﹂と詠う部分であった︒
問 ︑
同 与
さ 3
3 の書き込みをめぐって
今まで見てきたように︑﹃文学論﹄において︑﹁文学的内容﹂の一つとして恋愛を論じるにあたって︑心理学と文学とを
引用しているが︑この一一つの引用から引き出されているものにはズレがみられる︒心理学と文学は︑激石の思想の上で分
裂したものなのであろうか︒この点について考察するため︑先にみた恋愛を神聖なものとして詠う︿西洋﹀の代表として
− 円 白 書
の 阿 川 −
3
与さ S を検討してみたい︒激石の蔵書の書き込みを見ることによって︑どのようなことが分かるのか︑また︑
どのような恋愛観が浮かび上がってくるのであろうか︒ここでは︑激石蔵書から︑﹃文学論﹂で引用され︑書き込みゃアン
ダ l ラインが多くみられる ZZ
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旬 ︒
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間 に
注 目
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ゆ く
︒
では︑書き込み箇所を検討してみたい︒激石蔵書の書き込みは︑大きく分けて日本語︑英語︑ アンダーラインの三種類
がみられる︒なお︑ここでは︑日本語の書き込みは@から@︑英語の書き込みは④から①︑ アンダーラインは①から③で
示 し
た ︒
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HY
言 ︒ = 旬 ︒ ︒ 同 国 で は ︑ 四 箇 所 に ︑ 日 本 語 で の 書 き 込 み が み ら れ る ︒
一 つ
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見 て
行 こ
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関心目︒回目吉弘
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門戸吉弘
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ノ ク ド キ ¥̲Alo
即?No,no ;叩 d 句 the 0
ゆh
棚蜘When mad Emγdice is listening to t
,① I d rather stand upon
出is misty peak,
¥With
"川in̲g to si
油伽一But the soft shadow of my thrice‑seen love,
Than be ‑ I care not what.
0meek
巴st dove Of heaven!
0Cynthia, ten‑times bright and fair!
Fro
叩thy blue throne, now filling all the air, Glance but one little beam of temper d light Into my bosom
,出at the dreadful might
And tyranny of love b
巴somewhat scared!
Yet do not so, sweet queen; one torm
巴nt spar
宅d Would give a pang to jealous misery,
Worse than the torment s self: but rather tie
Large wings upon my shoulders, and point out My love s far dwelling.Though the playful rout
Of Cupids shun thee, too divine art thou,
Too keen in beauty, for thy silver prow
Not to hav
巴di pp d in love s most gentle stream
0
b
巴propitious.nor severely deem
My madness impious: ‑ Bk. II p.118
.ll.163‑ p.119
.ll.182
述 3 挙話 θ‑"J 寒王国とよム
‑11i-0柑〈わ<C血間L」会合ν会会与~.\.Jg語壊さ’m::C判定-'-1f-j入[トヤF什マ入る~K:\!t+0~1J1mエ1様子。~回同0~尚岡田経辺『{><{
rt
辞書j:!兵士時尚縦揺同同
︵ シ
ン シ
ア ︶
﹂ ︑
﹁ ポ
イ ペ
l
た ︑
激 石
の 書
き 込
み が
あ り
︑ ③
﹁ 関
口 身
2 0 ロ〆ノクドキ﹂と書き込みがある︒ちなみに︑月の女神は︑性的な魅力を放つ時は
五 六
﹁ キ
ユ ン
テ ィ
ア
注5
様々な姿がある︒ここで︑月の女神は﹁シンシア﹂と呼ばれ︑性的な魅力を放っている場面であることが分かる︒性的に
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︶ ﹂
︑ 侍
女 ア
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l サからみて厳格な処女神﹁デイア l ナ﹂など
な る
︒
結ぼれる前段階のクドキ文句に対する書き込みといえるであろう︒内容的には︑このあと︑ 二人は性的に結びつくことに
ところで︑この部分の激石の書き込みは岩波版の﹃激石全集﹂︵第二十七巻・岩波書店断・ロ︶には収録されていない︒
以下確認するものに関しては︑ 日本語の書き込みは﹃全集﹂でみることができる︒
て い
な い
部 分
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る ︒
では︑次に二つめを確認する︒英語の書き込み①︑傍線部②は﹃全集﹄でみられるが︑他の英語の書き込みは収録され
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この場面は︑さまよい疲れたエンデイミオンが︑しばしの心の安息を求め︑夢見る力を眠りから得ょうと切望した瞬間
の出来事だ︒彼は︑まどろむ場所を見つけ︑苔の寝床を見出し︑空へ彼が物憂く両腕を伸ばした時︑嬉しいことに︑何時
の間にか彼は︑裸のシンシアの腰を抱いていたというところだ︒ エンデイミオンとシンシアは︑陶酔し愛欲に叫びながら︑
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互いに打ち震えたと詠われている︒激石によりアンダーライン②が引かれているのは︑国民三回号室自国
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エンデイミオンがシンシアの裸の腰を何時の間にか抱いているという部分である︒この二文の間にあ
る﹁︒芸回目こという感嘆の声にはアンダーラインはなく︑あくまでも性的表現の肉体的な部分にアンダーラインを引いて
いることが分かる︒心理学でいう﹁両性的本能﹂と通じる部分に向けて︑激石は︑⑥﹁滑稽ナリ 馬鹿々シイ﹂と書き込
んでいる︒その少し上に︑英語の書き込み④﹁
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しい﹂という感想がある︒英文書き込み⑥は︑﹁
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加 え 関 白 色 ヨ 出 古 田 除 虫 自 白 ﹂ と あ り ︑ 内 容 を 端 的 に 表 し た 見 だ し の よ う
である︒先に見た④のような英文による感想はここだけで︑以下でみる英語の書き込みは︑内容の小見だしとして書かれ
ていると考えられる︒
何度も同じような表現が繰り返されながら︑性的に結ぼれることで安息が得られるエンデイミオンの描写から︑激石は︑
性的描写を取りたてて︑滑稽で馬鹿馬鹿しいことだと感じ︑書き込みをしているのだ︒三つめに移る︒
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う場面だ︒ここで激石は︑ 日本語の書き込み@﹁西洋ノクドキ例ノ模範ナリ﹂と書き込んでいる︒
書き込みに見られるこの﹁クドキ﹂の解釈は︑先の日本語書き込み④のような相手をなぴかせるように口説くという意 味での名詞﹁クドキ﹂とも︑かなり露骨な性的表現が濃厚で︑さらに言葉で執劫に語りかけることを﹁クドキ﹂といって
いるともとれ︑両義的な意味が含まれているようである︒
また英文の書き込み①﹁型自由
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︺
B
5 ロ﹂もみられる︒書き込みがされているのは︑ダイアナ︑シンシアがエンデ
イミオンに語りかける部分で︑その内容を要約して小見出しにしているところだと考えられる︒
最後に︑四つめの書き込みをみてみよう︒
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有向ユ町田田昌吉喜一者芝崎町民田是等モ頗ルクドシ
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何遍モ同じ
感ヲ繰返スノミ
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Such tenderness as mine? Great Dian, why, Why didst thou hear her prayer?
0that I Were rippling round her dainty fairness now, Circling about her waist, and striving how To entice her to a dive! then stealing in
Between her luscious lips and eyelids thin.
0
that her shining hair was in the sun, And I distilling from it thence to run
In amorous rillets down her shrinking form! To linger on her lily shoulders, warm Betw
巴en her kissing breasts
,加d every charm Touch raptured! ‑ See how painfully I flow:
Fair maid, be pitiful to my great woe.
Stay, stay thy weaηcourse, and let me lead, A happy wooer, to the flowery mead
Where all that beauty snared me.
Bk. II p.140.ll .939 955
リリ~’咲e禦トム,入吋-:P~」田4二W怖キ1時)定e走ト七ミト、アートK~佃余e思エ~てJJ裂1どい会~~田口。....Ji込J’~c走
ト七ミトャートTく.'.11帳c~トム,入パー’争当’重量岡~'!M_q~~自υνエi-0。|!と田cト入、一lトヤ入8~'制疎〈套c.w~~~」店二ν
二時
orn-]4同E制III.\llJ'ヨペ©~’「E向調11:'ft!
塩基弐糸工ι ,入 口司王宝潮時
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Tくe1J c1J11n棋士Yエ令長崎トム,入吋-:P~よ-@'.0ν1]11日小.'.1...)ν~’議~~~r~i-00尚な堅議制定j王&1\l延廓L」:m-£?い~-tr心;,営。ν二時」{]~~寒星回当「思会、2ι,入」ムj:二ονエi-OCt!同小。-\tt~’士g_'.l,ぐ~rj
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られるところによる︒書き込みにある﹁是等モ﹂というのは︑先の三つの書き込みがなされた部分を指し︑同じような性
的表現に対しての言葉と考えられる︒続いて﹁且何遍モ同じ感ヲ繰返スノミ﹂と書き込んでいる︒性的な﹁クドさ﹂と同
時 に
﹁ 同
じ 感
﹂ ︑
つまり︑彼女に触れたいと求める気持ちを繰り返して表現していることに対する批評だといえよう︒
ここで︑検討してきたことをまとめてみると︑日本語の書き込みは︑@﹁開ロ身 B5
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且何遍モ同じ感ヲ繰返スノミ﹂の四例︑英語の書き込
さ︑至上性を詠う中で︑性的表現がみられる部分には書き込みがあるが︑﹃文学論﹄には引用されていない︒日本語の書き
込み④・⑤・@・@は︑性的表現や同じような表現が繰り返されることに対する関心を示す︒英語の書き込み①は︑日本
語の書き込み⑤と同様の感想︑⑥・①は︑内容に関する見出しの役割を示す︒アンダーライン①は性的表現へとつながる
部分︑②は性的表現︑③は登場人物の名前の部分に引かれている︒
このように︑詩の引用箇所のみではなく︑全体を確認してみると︑﹁文学論﹄に省かれた部分にむしろ書き込みがみられ︑
日 本 語 で の 書 き 込 み が な さ れ て い る の は ︑ 問 ︑ 国 与 さ S 固から確認した通り︑性的ななまめかしい表現であることが分かる︒
つまり︑心理学で確認していた﹁両性的本能﹂と重なる部分であった︒激石が心理学を援用し︑項目立てにまでした﹁両
性的本能﹂は︑恋愛の根本を支えるものだとする部分である︒﹃文学論﹂における E 与さ S からの引用は︑恋愛の至上性
を抽出していた︒しかし︑﹃文学論﹄を論じる前段階の読書体験においては︑文学に﹁両性的本能﹂に通じる表現があるこ
とに注目していることが分かる︒そして︑文学に性的表現がくりかえされることに対し︑関心を示しながらも反発し︑受
け入れ難くとらえていることが︑書き込みを見ることで浮かび上がってきた︒書き込みの内容は︑心理学の引用の中で︑
激石自身が肯定的に紹介したイギリスの心理学者
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の言葉﹁触は恋の始にして終わりなり﹂に通じている︒また︑
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5 2
の書き込みで見たように︑恋愛に含まれる性的表現が︿西洋﹀の詩の特徴であるとする通り︑書き込みはないものの︑先
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5 3
の書き込みを検討したことで明らかなように︑確かに︑激石は﹃文学論﹄をまとめる前の段階の読書体
験を通して︑︿西洋﹀の特徴として恋の﹁神聖﹂さの中には︑性欲︵両性的本能︶が含まれていることをとらえていたのだ︒
そのことに︑強い関心を示しながら︑反発しているようである︒恋愛の骨子﹁両性的本能﹂の扱いにここまで神経質にな
る の
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ぜ で
あ ろ
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︒
﹃ 文 学 論
﹂
における恋愛観
﹃文学論﹄において激石は︑イギリスロマン主義が詠う恋愛表現の特徴を﹁神聖﹂さと至上性だとした後︑﹁凡そ吾々東
洋人の心底に幡まる根本思想﹂は︑﹁恋に遠慮なく耽ること﹂に対して﹁快なるを感ずる﹂と同時に﹁一種の罪なり﹂とい
う観念から免れ難いという︒続けて︑次のように述べる︒
意馬心猿の欲するま︑に従へば︑必ず罪悪の感随伴し来るベし︒これ誠に東西両洋思想の一大相違と云ふて可なり︒西
洋人は恋を神聖と見立て︑之に耽るを得意とする傾向を有すること前諸例によりても明かなるべく︑また如此く重きを
置かれたる此情緒を囲纏せる文学の多きも勢免るべからざるなり︒
このように︑恋愛に対する見方に﹁東西両洋思想の一大相違﹂があるという︒この一大相違は︑︿東洋﹀においては︑﹁罪
悪﹂感が随伴し︑︿西洋﹀においては︑﹁神聖﹂と見立てることについてである︒恋愛について論じる時︑﹁意馬心猿﹂とい
夏 目
激 石
﹃ 文
学 論
﹂ に
お け
る 恋
愛 観
ームー・ ノ、
̲̲L.
ノ
、
う仏教用語が使われていることからも︑仏教的観念が深く根ざしていることがうかがわれる︒
小森陽一氏は︑﹃文学論﹂での︑恋愛を﹁罪悪﹂と感じるか︑﹁神聖﹂と見るかという﹁東西両洋思想の一大相違﹂があ
るという断定は︑﹁いささか大げさ過ぎるよう﹂だと済ませ︑﹁吾人は恋愛を重大視すると同時に之を常に踏みつけんとす﹂
という激石の言葉に︑﹁引き裂かれた感情﹂を見出している︒しかし︑それでは大事な問題を通り過ぎてしまっているとい
えよう︒小森氏のいうところの﹁引き裂かれた感情﹂は︑恋愛を心理学からみると﹁両性的本能﹂が骨子であり︑それが
文学的表現にも繋がっていることへの違和感であり︑﹁両性的本能﹂を含めた恋愛を﹁神聖﹂とみることへの反発と困惑で
ある︒そして︑反発と困惑を激石にもたらすのは︑激石が今まで受けてきた訓育からとらえた﹁罪悪﹂観だ︒﹃文学論﹄に
おいてこの﹁罪悪﹂観は抽象的に語られるのみだが︑先に見た同苫与さ S 固における書き込みからうかがうことができる︒
︿西洋﹀では︑肉体的欲望が含まれた恋愛を至上︑神聖と詠うのに対して︑肉体的欲望が含まれる恋を罪悪だとする︿東洋﹀
の 封 建 的 道 徳 観 が あ る ︒ し か し ︑ 恋 愛 の ﹁ 東 西 両 洋 思 想 の 一 大 相 違 ﹂ ︑ つまり激石が︑この時点で置き換えた︿西洋﹀では
﹁ 神
聖 ﹂
と 見
立 て
︑ ︿
東 洋
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﹂ と
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捉 え
方 自
体 ︑
時 代
と 共
に 推
移 し
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く こ
と を
述 べ
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く ︒
﹁ 忌
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と 思
ふ 心
﹂
と﹁面白しと興がる心﹂︑﹁美し︑と見る念﹂との価値観は︑措抗した状態でつりあいを取っているとするのだ︒﹃文学論﹄
では︑恋愛のうちに必ず含まれる骨子﹁両性的本能﹂を文学表現として︑どのように扱えばよいのか︑決着がついていな
1
ハ 。
ま と め
﹃文学論﹄の﹁両性的本能﹂の項目では︑心理学からみた﹁両性的本能﹂を含む恋愛と︑文学からみた﹁神聖﹂な恋愛と
は︑つながりを見せずに論じられている︒しかし︑今回︑﹃文学論﹄で引用された寄与さ S の書き込みを確認し︑検討し
た結果︑激石は︑心理学でいう﹁両性的本能﹂を含んだ恋愛が丈学的内容の表現として詠われていることに注目している
ことが浮かび上がってきた︒﹁両性的本能﹂に関る部分を中心として︑﹁滑稽ナリ馬鹿々シイ﹂などと書き込み︑関心を
示している︒そこからは︑今までの訓育で培った思想とのカルチャーショックと批判的態度がみてとれる︒心理学から恋
愛の骨子が﹁両性的本能﹂であることをとらえ︑文学表現として︑﹁両性的本能﹂に関る表現があることを認識し︑書き込
みを加えているのにも関らず︑﹃文学論﹄ではとりはずすのだ︒﹃文学論﹄で論じられた恋愛における﹁両性的本能﹂・﹁神
聖﹂さ・罪悪観はつながりを見せず︑また︑﹁英文学概説﹂という講義や﹃文学論﹄に表れることのなかった私的な読書体
験における激石の書き込みに見られた関心は︑表出せず︑そのまま終わってしまうのであろうか︒﹁文学論﹄の恋愛観は︑
創作活動へとつながってゆく可能性を秘めているといえるのではないだろうか︒例えば︑﹁こ︑ろ﹂の先生が︑恋愛につい
て﹁もし愛といふ不可思議なものに両端があって︑其高い端には神聖な感じが働いて︑低い端には性慾が動いてゐるとす
れば︑私の愛はたしかに其高い極点を捕まへたものです︒私はもとより人間として肉を離れる事の出来ない身体でした︒﹂
と述べる部分がある︒ここでみられる﹁先生﹂の恋愛観は︑恋愛には︑﹁神聖﹂さと﹁性欲﹂がともに混在したものだとし
ている︒﹃文学論﹄での恋愛観が容易に想起されるところである︒恋愛において﹁高い端には神聖な感じ﹂がするというの
は︑﹃文学論﹄における文学の引用から見出したものと︑また﹁肉を離れる事の出来ない身体﹂というのは心理学の引用か
ら見出したものと共通している︒﹃文学論﹄で論じられる恋愛観を支える心理学と文学とに大きな関りを持つことになる重
要な点である︒そこへさらに︑同誌舎さきの書き込みでみられる﹁両性的本能﹂を含んだ上で恋愛を至上とする文学的内容
へのとまどいが︑実作へと取り込まれているのである︒﹃文学論﹂で論じられていることは︑後に大きな意味が生じ︑読書
体験時の書き込みをも訪御させるのである︒また︑
E A
可 さ S の書き込みの内容は︑﹃それから﹄の代助と︑まだ平岡の妻で
あった三千代との場面においても共通する言説が見られる︒﹁彼は西洋の小説を読むたびに︑そのうちに出て来る男女の情
話が︑あまりに露骨で︑あまりに故障で︑且つあまりに直線的に濃厚なのを平生から怪しんでゐた︒原語で読めば兎に角︑
夏 目
激 石
﹁ 文
学 論
﹂ に
お け
る 恋
愛 観
‑‑'‑‑ ノ、
六 四
日本には訳し得ぬ趣味のものと考へてゐた︒﹂という西洋の小説に対する代助のカルチャーショックは︑激石蔵書の E
暑 さ .
2
の書き込みと共通し︑代助の思惟として表現されている︒このようなことが︑﹃文学論﹂として発表されたものだけでなく︑
引用された蔵書にあたり︑書き込みを見ることによって浮かび上がってきた︒また今回︑激石の読書体験当時の書き込み
に見られた困惑は︑﹃文学論﹂という理論ではなく︑創作する際に﹃こ︑ろ﹄の先生の発言や﹃それから﹄の代助の発言と
して︑たち現れてくることが明らかになってきたのである︒
﹁文学論﹄の引用は︑﹃激石全集﹂第十四巻︵岩波書店
郎 ・
8 ︶
に 拠
る ︒
注−
注
2
注
3
注
4
注
5
小倉惰三﹁﹃文学論﹄研究の現在﹂﹁激石研究﹂1
号︵附−m
︶r s E m
−百 三
C司
向︒ 戸町
﹃正 常豆 町︑
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〜 さ き ミ
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町内え さき 店︑ 色︑
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句
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−回
︒−
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宰 松家理恵﹁第二章エンデユミオ
l
ン神話とキl
ツ﹂
﹃キ
l
ツとアポロl
ン1ジョン・キl
ツの詩とギリシア・ロl
マ神話﹄
︵英宝社捌・
2
︶小森陽一﹁第五章
注6
恋愛と結婚の問で・
2
﹁封建的精神﹂と恋愛﹂﹃世紀末の予言者・夏目激石﹄︵講談社側・
3
参 考
文 献
出口保夫訳﹃キ
1
ツ全詩集﹄第一巻︵白風社m
・6
︶大和資雄訳﹁エンデイミオン﹄︵岩波書店側・