《論 説》
戦後の越え方と協同主義
――協同主義研究のための見取り図の一つとして――
雨 宮 昭 一
はじめに
今日お話しするテーマは、戦後の越え方と協同主義についてです。現在、日本と世界の戦後がある段階に来ていて、次の段階にどのような方向であっても行かざるを得ないというときに、いったいこれまでの問題を解決するようなあり方にどんなものがあるかということで、私は協同主義というものを少し考えてみたいと思ってこれまでまだ未熟なままですが以下のように言及してきました。「戦時体制から一九五〇年代前半までを統一的に見」ると「内外にわたる自由主義と協同主義を軸にして見ることができる」、「無制限な市場支配になりがちな自由主義を社会的にコントロールし、時には市場をデザインし、社会的連帯と非営利的社会関係によって構成される戦前以来の系譜を持つ前述の協同主義の発見」、「一九五〇年代までは戦前戦時期に作られた〝知〟(たとえば協同主義)が、新憲法の解釈や経済、国際関係などの知もふくめて〝通説〟的に存在していた。しかし五〇年代後半以降になると「反 (
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動」の知と、(原子論的)個人による契約理論でおおわれ、後者は、自由主義(やがて新自由主義)と市民民主主義に分化しつつ支配的となっていき、ネオリベラリズム+ナショナリズムとして行き詰っている。現在〝失われた〟五〇年代までの戦前以来の社会的連帯、国家の責任、市場の相対化などを内容とする協同主義という〝知〟などの再位置づけ、再意味付が考えられよう」。「労働力を商品として前提とする社会民主主義と、出資者と労働と経営と時には消費を分離しない協同主義との違いを地域において認識することができた」。私は協同主義を、非営利、非政府・非国家の思想、国際関係、政治、経済、社会、哲学、運動、組織にわたるものと考えていて、それを、アジアとか宗教とか政治とか歴史とかに即して、どんな風に考えられるか、考えられて来たか、そして後で述べる現在の戦後体制からポスト戦後体制への移行との関連でどのような方向性と内容を持つかということをお話して、皆さんからの色々なご教示を賜れればと思います。その際留意するのは一つには、未来に対しては様々な回路がありますが歴史という回路から考えて行きたいと思います。それは私が政治学、その中の近代政治外交史を学んできたこととも関係ありますがもう少し基本的な問題があります。これまでの一直線の進歩の歴史自体が行き詰まり、その見方では次のモデルが見えない事態が現出したことです。ということは、歴史を螺旋的循環過程として見ることを要請します。本稿でいえば歴史を自由主義と協同主義という軸で見れば一九二〇年代―相対的に自由主義、一九四〇年代から五〇年代―協同主義、一九五〇年代後半から一九九〇年代―新しい自由主義、と言えるが現在多くの論考はそのあとのモデルが不明です。しかし私はこのあとそれまでの過程の内容をうちにふくんだ新しい協同主義 0000000が歴史的に予想できると考えます。歴史の中から未来を考えるというのはそういうことだと思います。なお、のべてきた長期の自由主義と協同主義の循環といってもその中の短期、中期のなかにも循環があります。同時に自由主義と協同主義は共時的存在としてありその関係 0000 (
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と割合の変化として歴史を見る 00000000000000ことが必要です。この自由主義と協同主義を軸としてドイツの現代史を見て、たとえば新しい社会運動としての緑の党のなかに一サイクル前の協同主義と未来の協同主義を「発見」する研究もあります。そして二つ目として、普通の人の生活に即して問題を考えることです。普通の人々の生活の場にこそ、世界の動きの最も先端が現れているのですが、当然ながらそれはまだアカデミックな対象になっていません。こうした、アカデミズムの対象になる以前の普通の人々の生活に即した問題を、いわば精錬させてアカデミズムの対象に入れれば、アカデミズムの先端になると私は考えて研究し、これまで色々な本を出してきました。このことは、学問における従来の定義の再定義を迫ります。従って、学問の問題の核心にも関わっていくわけです。本稿で言えば、普通の人々はどのように低成長時代に適合した生き方をしているか、ですね。以上のように、一つは過去から問題を未来に見通すということと、もう一つは普通の人々の現在の生活の中から問題を考えるということ、その二つで考えたいと思います。それから三つ目として、ずっとこの研究会のご報告もそうですが、文明というメガトレンド、超長期的な視点で問題を考えるという側面がございますけれども、私は政治学ということもありますが、もう少しミドルレベル、ミドルレインジのところで問題を考えています。つまり中期的な、中間的なところで考える、これが物事を考える時に実践的な意味を持つわけであります。たとえば安倍晋三内閣は中期的にはどういう課題を持っていて、それに対してミドルレインジで対応するものは何かということを考えなければ、実践的なものにならない。そこで哲学をぶつけるということは大事なのですが、それも含めてミドルレベル、ミドルレインジで考えるということに取り組んでおります。 (
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最後に四つ目として、普通の人の生活の仕方、あり方という場所でものを考えていくという場合に、私自身は必ずしもそこにいるわけではない――もちろん私の生活も普通ですが――つまり研究者としてそれを見てしまうということもあって、非常にわからないことがあります。例えば格差と簡単に言いますが、今から高度成長の前の五〇年前の格差と今の格差の中で生きる人間の生活の量と質が違うわけですね。これは後からお話ししますように、一日五〇〇円あればなんとか食べていける、それなりの住居に住んで五〇〇円で暮らせるという、そういう性質の格差の中で差別されている人間と、五〇年前の格差の中にいる人間というのは、かなり違います。この違いが何を意味するかというと、研究者も人々も今の格差の問題を五〇年前の概念で考えてしまえば、気分的には楽で納得してしまえるわけですが、それはもはや有効ではないのではないかという問題です。つまり衣食住の最低限は制度的にも経済的にも制度にアクセスすれば充足された上での〝格差〟とは何か、その新しい格差の克服には多分これまでとは異なる連帯、シェアー、コミュニティが要請されるでしょう。だから困ったときに頼りになるのは多くは釣り、俳句、その他公民館などの講座仲間など趣味や遊びの友人たちで彼らは医療や福祉の、時には地震の時などの生活物資なども含めた情報やネットワークや制度へのアクセスをおしえてくれるからです。つまりそれらの制度や情報はすでに存在しているのです。そしてこれら福祉などの制度、情報、ネットワークは勿論、たとえばフードバンクなどをたちあげるボランティアや、カルチャー講座や趣味などで形成されている膨大なネットワークも後述する高度成長によるストックでしょう。以上の四点について考えてみようというのが、今日の報告の意図であります。表一 近代日本のシステムの変化
成立時期一八八〇年前後一八九〇年前後一九二〇年代一九四〇年代前半一九五〇年代現代
体制
サブシステム 自由主義体制 戦時体制翼賛体制 戦後体制 脱戦後体制
ⅠⅡⅢ
国際 帝国主義冊封体制 日英同盟(パックスブリタニカ) ベルサイユ-ワシントン体制 「世界新秩序」「東亜秩序」 ポツダム-サンフランシスコ体制 一元的「帝国」の展開 多元的アジアにおける安全共同体(ポストコロニアル)政治藩閥集権藩閥+政党政党政治+普選「政治新体制」五五年体制連合政権体制 経済国家主導国家主導自由主義 「経済新体制」所有から経営へ 民需中心の「日本的経営」 新自由主義経営から所有へ 民需中心協同主義との混合経済
法明治憲法明治憲法治安維持法国家総動員法日本国憲法日本国憲法改正日本国憲法
社会近代と前近代 格差を当然とする体制 平準化平等化 企業中心社会機能から記号へ 市場全体主義and/orナショナリズム 個性化多様化脱消費社会非政府・非営利領域の拡大
地域地方分権中央集権地方分権中央集権中央集権地方分権地方分権
課題 国家独立殖産興業 帝国の維持国際化した経済への対応政治基盤の拡大社会政策 アジアへの排他的支配重化学工業化平準化・平等化 冷戦対応重化学工業化平等化格差是正(中央・地方)(階層) 市場化「普通の国」「帝国化」 国際化高齢化多様化個性化共生リスクシェア
自分のファミリー自分の職場
自分の学校
自分の自治体・自治会
自分の集団
出典:雨宮昭一『占領と改革』(岩波書店、二〇〇八年)、同『戦後の越え方』(日本経済評論社、二〇一三年)
一、戦後体制とポスト戦後体制
次に、大きく戦後体制とポスト戦後体制ということがございます。少し考えるとどうなるかというと、これは表一をご覧になってください。これは私の本のいろいろなことをまとめたものなので、これを説明すると二〇時間くらいになる訳ですが(笑い)、今日は非常に省略をいたしまして、戦後体制と脱戦後体制というところで、少しお話をさせていただきます。そして本稿ではそれに付け加えて各体制における生き方、その基準の変化と展望 00000000000000000000を考えたいと思います。その螺旋的展望をまだ不十分なままであるが表にしてみます。
表二
時代とシステム戦前 自由主義体制戦時戦後ポスト戦後その後 経済高度成長低成長高 ’度成長
社会私私たち私 ’’私 ’たち私 ”’ (
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福祉部分的相互扶助 部分的相互扶助からナショナルミニマムへ その「充足」 国家によるナショナルミニマムと社会における多様な相互扶助 相 ’互扶助 構成契約論的社会構成協同体的社会構成契 ’約論的社会構成協 ’同体的社会構成 契 ”約論的社会構成
自由原子論的自由 その克服としてのゲマインシャフト 原 ’子論的自由そ ’の克服 原 ”子論的自由 国家主権国家主権国家の上の「地域」主 ’権国家主 ’権国家の上の「地域」主 ”権国家 ナショナリズムナショナリズム その克服と利潤動機克服のための「東亜協同体」 ナショナリズムと「経済大国」 そ ’の克服と利潤動機克服のための内外の協同主義 主権論ボダン主権論アルトジュウス主権論ボ ’ダン主権論ア ’ルトジュウス主権論 ボ ”ダン主権論自由と協同自由主義協同主義自 ’由主義 協 ’同主義自 ”由主義
住み方(家)開放的「開放的」閉鎖的開 ’放的閉 ”鎖的 社会成長社会成熟・縮小社会成 ’長社会 経済フローストックフ ’ロー 共同体共同体個共 ’同体個 ’’
これから触れるポスト戦後体制パートⅠはその段階でも高度成長をめざし、「私」「原子論的個」を極大化し利潤と主権を維持するオルタナティブを表現する。私はこの表のポスト戦後及びその後(ポストポスト戦後体制)にあ
る事象を高次の螺旋的循環展開(進化対退化は止揚されています)と認識しています。以上を前提として表一にもどりましょう。表一に体制とサブシステムとありますが、この体制というのはシステムであると考えています。システムあるいは体制というのは何かというと、様々な要素の相互作用をシステムととらえています。たとえばここで言うと、国際システム、政治システム、経済システム、法システム、社会システム、地域システムのようなものが、相互に作用してある一定の形をとるもの、ことを、体制とかシステムと考えています。日本の戦後体制のシステムの成立時期がいつなのかについては、一つの大きな問題です。例えば占領期というのは戦後ではなく、戦争の最中であり、戦争の継続であります。だから、正確に日本が戦後に入るのは、一九五二年の四月二八日以降になります。当時のソ連や中国と講和していませんから不十分ではありますが、一応一九五二年の四月二八日から戦後が始まり、戦後の民主主義もそこからはじまるわけです。戦後民主主義が八月一五日にはじまるというのはおかしな話で、国民主権も国家主権もないところではデモクラシーも成立しません。戦争状態ですから当たり前です。そのように、戦後体制が固まってくるのが、一九五〇年代の真ん中くらいであります。国際システムについては、ポツダム体制つまり戦勝国体制であります。その後、戦勝国が仲間割れして冷戦になり、サンフランシスコ体制となります。冷戦の言わば一つのあり方がサンフランシスコ会議、片面講話と安保条約という形で、ポツダム-サンフランシスコ体制というのは、だいたい戦後体制の国際システムと言えると思います。それから経済システムが何かというのは、非常に特徴的なのは、民需中心であることです。これは、アメリカやフランスなどは、ほとんど戦争の状態をそのまま継続していまして、軍産官複合体をつくって、いわば戦後の再建は軍需産業なのです。そして同じ敗戦国のイタリアやドイツも、基本的には軍需産業で戦後の経済再建を行います。
これが何が違うかというと、日本国憲法のような形で、憲法第九条を持っていないことです。イタリアもドイツも、それぞれ普通の憲法を後からつくります。軍需産業というのは資本主義産業ではない、つまり税金でしか育てられないし維持できないですから、憲法第九条が守られた日本では軍需産業に税金を振り向けることができないというわけです。だから日本は資本主義国のなかで珍しく軍需中心ではなく、民需中心の経済であったのです。それと経済では日本的経営ということが言われます。戦争に負けて植民地も勢力圏もないということになると、日本国内で日本の労働者を雇い入れて、その中で福祉も含めて養って、全面的に働いてもらう、これが終身雇用、年功序列、協調的労働組合という日本的経営の話なわけです。そういう民需中心の日本的経営というのが、日本の戦後の経済システムです。それから、法システムについてです。押し付けられた憲法ということが言われますが、確かにあの憲法は手続き的には明らかに押し付けられたものです。しかし内容的には明らかにGHQが作ったものではありません。GHQ案以外の内容が、日本の案も含めて様々に入っているという憲法であります。つくられたのは一九四六年の六月ですが、国民主権も国家主権もない時ですから、いずれにしても憲法体制が出来たわけではありません。本当に憲法体制が出来るのは、一九五五年です。一九五二年に独立をすると、鳩山一郎内閣が真っ向から改憲を提起します。当時保守政党を含めて、三分の二以上が改憲勢力で、それに護憲派が激しく対抗していきます。つまり、占領状態が終わって日本国民がオープンに憲法を問題にするというのは、一九五五年の衆議院選挙ですが、その時に日本国民は護憲勢力を、三分の一強を選びます。当時としては、三分の一というのは大変なことで、つまりこれは何を意味するかというと、一九五五年に国民主権、国家主権が存在する中で、はじめて日本国民が主体的に日本国憲法を選んだということです。こうして日本国憲法体制が出来て、戦後体制が成立するということになります。ここで
五五年体制というのは、サンフランシスコ体制の安保条約に賛成か反対か、それから護憲か改憲かという二つの問題の対立が、自民党と野党の二対一という政治勢力で構成された政治体制ということになります。社会システムにつきましては、日本的経営の問題を含めて企業中心社会となりました。それから地域システムについても、さっきも言いましたように、外に勢力圏もないし、資源も労働力も確保できないわけですから、日本の中の地域に補助金等々潤沢に配分して経済的な開発するという形での開発行政になります。従ってそれは非常に中央集権的です。以上の形での動向が、一九七〇年代、八〇年代ぐらいまで続くというのが、戦後体制ということになります。ここからしばらくは表二に即してお話しします。福祉の問題では、一九二〇年代までは部分的に相互扶助の組織に依存していたのですが、戦時体制の中でナショナルミニマムがないとやっていけないということになります。戦後もそれが継承されて充実していくことになるわけですね。特に岸信介が国民健康保険と国民年金の皆保険を推進していますが、これは戦時中から戦後を通じて進められたものです。それがポスト戦後体制になると、国家のナショナルミニマムと社会の中の多様な相互扶助というものを相互に組み合わせたような福祉が必要になってきています。さらに社会をどう構成するのかという問題があります。例えば一九二〇年は自由主義的な契約論的な考え方、つまり原子論的な個が存在して、そうした個が契約を結んで社会や国家をつくるという考え方に基づいていました。これが戦時になると共同体的な社会構成になり、高度成長になると再び契約論的な社会構成になりますが、これは日本の法律学や政治学など社会科学の人たちが、戦時中から戦後、特に高度成長にかけていかに「転向」したのかを見るとよく理解できます。自由の問題も、原子論的な自由から戦時にそれを克服してゲマインシャフトになり、そして戦後の高度成長のな
かで再び原子論的な自由になります。ポスト戦後体制の中で「連帯」や「絆」が言われるようになっていますが、これは高度成長以降の「個」ではもはややっていけないという問題をどう克服するのか、という状況を背景にしています。私は「連帯」や「絆」それ自体が素晴らしいという議論ではなく、それが豊かになった「個」の中から生まれた、より水準の高い、新しい次元のものとして評価すべきだと考えています。ナショナリズムの問題もあります。二〇世紀はナショナリズムの時代ではあるのですが、戦時中の昭和研究会などが提示していた問題は、第一にナショナリズムを克服すべきであるということ、第二に利潤動機を克服すべきであるということ、そしてこれらの問題を克服するための共同体をどうつくるのかということを課題としていました。これは、植民地や勢力圏の拡大の正当化の言説としても機能しましたが、論理の枠組みとして非常に重要な論点を提示していたと思います。ところが戦後になるとこれが逆転し、ナショナリズムと経済大国という形になります。おそらく今アジアとの関係で考えなければいけないのは、そうしたナショナリズムの克服と、利潤動機を克服するための、内外の協同主義が必要になるのではないかと思います。国家主権の問題につきましても、戦前は主権国家で、戦時は大東亜共栄圏という形で主権国家の上にブロックを形成します。戦後になると主権国家に戻るのですが、これもポスト戦後体制では地域という問題が浮上するようになって、主権国家の再定義を迫ることになるかもしれません。例えば、ジャン・ボダンのような一つの国家が一つの主権を持つという主権論に対して、アルトジュウス主権論というものがあります。これはEUなどに典型的なように、最も末端の基礎単位が主権を持ち、その上の単位がそれを補完するという主権のあり方です。戦後はボダン的な主権論が優勢であったわけですが、私自身はポスト戦後体制では再びアルトジュウス主権論に戻るという、螺旋的な循環をするという見通しを持っています。
次に自由と協同という項目がありますが、これは私が歴史的な展望を見通す際の二つの軸になります。一九二〇年代というのは自由主義の時代で、一九四〇年代から一九五〇年代が協同主義の時代です。現在は「新自由主義」と呼ばれる自由主義の時代ですが、歴史的な螺旋循環の問題で言いますと、次は協同主義になると私は考えています。そう言うと単純なようですが、私はこの協同主義は単なる過去のものが繰り返しではなく、その前の自由主義の過程を取り込んだ高次の形として理解しています。断っておきますと、自由主義と協同主義は共時的にも存在しているもので、それは両者の関係とその割合の変化という側面から理解する必要があります。前述のようにドイツの緑の党などが面白いのは、それ以前の協同主義、極端に言うとナチスあるいはそれ以前からの協同主義の系譜を持っていて、かつ未来の協同主義の系譜を担っていることにあります。緑の党は環境保護で素晴らしいとか、そういう単純な話ではありません。それから住み方の問題についても触れておきます。一九二〇年代までは家庭はとても開放的でした。戦時中も良くも悪くも(つまり強制的な形の)開放的なもので、これは回覧板という仕組みの中にも表れています。これが戦後の高度成長の中で、近所の人は絶対に中に入れないという、極めて密閉された、非常に閉鎖的な家庭になります。私は田舎で生まれ育った人間ですが、そこでは家に鍵もかけないで自由に往来するようなあり方の中で、地域の中の様々な関係がつくられていたわけです。これが、高度成長の中のマイホーム主義と呼ばれるものによって、家の中に蚊も一匹も入らないような住み方になるのですが、これはおよそ異常なものだと私は思います。高度成長の時は若くてお金に余裕があったからそれでもよかったのですが、それが終わった後の超高齢化社会の中で、あらためて地域社会との関係を持たなければならないという状況になった時に、この密閉された空間が大きな阻害要因になっているように思います。その点で興味深いのは、私の住んでいる小金井市では、昔のような開放的な家がまだ
あるのですが、それはやはり農業を営んできた旧家なのですね。家の建て方も、一匹の蚊も入らないような貧乏臭い空間をつくっていません。そのような、家を開放するということの意味は、今からでも考えるべき価値があると思います。そして今度は現代の問題に入りますけども、脱戦後体制というのは何かというと、一九七〇年代あたりから戦後体制にひびが入りはじめます。まず、アメリカ主導のブレトンウッズ体制が次第に崩れはじめ、冷戦体制の崩壊がそれにとどめを刺します。それが一九八九年から九〇年にかけて起こったのですが、その当然の帰結として、サンフランシスコ体制の自明性も、五五年体制の自明性も、日本国憲法の自明性も、地域開発の話も、次第に動揺しはじめます。この脱戦後体制がどうなるのかについては、パートⅠ、Ⅱ、Ⅲという形で表に示しています。パートⅠというのは、今のままで行けばそうなるような体制です。つまり、中国も含めてみんな資本主義市場の原理の中に入りますから、基本的に世界が全部アメリカを中心とした一元的な資本の帝国が展開するということになります。そこにおける経済はまさに新自由主義です。戦時体制、戦後体制の時には、経営と所有の分離で経営の方を高く評価するというシステムだったわけですが、新自由主義では株主やオーナーが主導権を握る資本主義に移行します。これが株主のための経営―リストラ―雇用不安―金融不安―規制緩和―金融不安と展開しているのです。日本国憲法についても、改憲問題が出て来ます。社会の方も市場全体主義的なものとナショナリズムのようなものが結びつく社会のあり方になってくる。地域については先ほどお話しましたように、戦後体制の中では世界の労働力や資源の約半分以上は社会主義国の中に存在していたわけですから、日本の中で資源と労働力を陶冶していくという日本的経営と地域開発という二つのことを行わざるを得ませんでした。それが冷戦が終わることで、労働力も資源も世界市場に投げ出されることになります。そうなると、何も相対的に高い日本の労働力を雇ったり、それで
年功序列や終身雇用で福祉を充実させたりをしない、あるいはするともたないという状態になってきます。それから地域の方で、何も北海道や千葉にコンビナートをつくって国内でやらなくても、外に出ていってM&Aをやれば済むという、そういう話になってくる。冷戦が終わったというのは、そういうことであります。以上が戦後体制の概観です。
二、ポスト戦後体制の三つのオルタナティヴ
以上がなにもなければ選ばれるポスト戦後体制の
「
オルタナティヴ」
―パートⅠです。パートⅡというのが、私が考えたオルタナティヴです。そして、パートⅢはみなさんのオルタナティヴです。狭く見えますがたっぷり書くところがあります。今言ったような状況で、戦後体制がかなり揺らいでいます。そうすると、それに対してどのようなオルタナティヴが存在するのかの問題を考える必要があります。漠然とメニューがやって来て、どのメニューがいいかを決める、なんてわけにはいかない。そんな分かりやすい時代は終わってしまったわけです。そうするとみんなが考えなければならない。みなさんが考えてもらう。どんな国際システムがいいのか、どんな政治システムがいいのか、どんな経済システムがいいのか、どんな社会システムがいいのか、どんな地域システムがいいのか、ということをパートⅢで考えてもらうということが必要だろうと、私はそう思います。それから表の一番左側に、自分のファミリー、自分の職場、自分の学校、自分の自治体、自分の集団ということが書かれています。これは、私は歴史を研究していることもありますが、たとえば日露戦争の時に、あなたのファミリーは何をしていたのかを問うということです。何をしていたのか、というのは非難の意味では決してなくて、例えば日露戦争の前の時代など、その時のひいおじいさんの職場はどうであったか、自分の学校はどうであったか、それから自分の自治体はどうであったかということなどを、きちんと考えるということを意味します。つまり日露戦争については、地域も自分のファミリーも動員されてしまったみたいな話が多いのですが、では動員されなかったり、戦争に反対したりということについて、地域や家族で何が出来たのかということについて、きちんと考えてもらう必要があるのです。そのことは全部の段階、一九二〇年代の自由主義体制とか、四〇年代の戦時体制とか、六〇年代の戦後体制とか、現代の脱戦後体制あるいはポスト戦後体制で、どうなんだということを、考えていただくということにもなるわけであります。例えば、自分の通った小学校の歴史などを見れば、天皇制教育で上からガチガチに固められたなどというのが間違いだとわかります。例えば明治時代の学校を調べてみると、国家はほとんど学校の設立・運営にお金を出していなくて、村の税金の中から捻出しなければなりませんでした。校舎や校庭も村の人たちが自主的に提供したものです。つまり教育もかなり村の人が自治で行っていたわけです。だから全部ロボットのように上から訓練されて戦争に飛びこんでいった、などという話は一面的だと私は考えています。脱戦後体制パートⅢにつきましては、私はまだよくわかっていないのですが、最近考えたことというか見たことをお話ししたいと思います。例えば普通の人に即して、という先ほどの話に関係しますけども、例えば山梨の昼のカラオケというものを取り上げたいと思います。私はいとこ会というものに入っていて、一つの夫婦の孫が二五、六人います。昔はそんなに珍しくないわけですが、それが今いとこ会みたいなものを作って、ときどき会っているわけですが、その山梨に、高級クラブとか高級スナックとか言われるような所があって、高度成長の時代に、五〇〇〇円から一万円出さないと絶対飲めない所でした。今はどうなっているかと言うと、昼間は一〇〇〇円で歌い放題、夜は一五〇〇円で歌い放題になっています。そこで私たちも行ったら、六〇代、七〇代、八〇代の高齢者
たちが振り付けで激しく歌っていて、見物人もたくさんいました。これを見て、私は思ったわけです。歌うというのは総合運動で、認知症予防などに大変いいらしく、高齢化による医療費をおびただしく節減しているなという気がしましたね。それから高級クラブのオーナーに聞いたら、もう五〇〇〇円とか一万円とかだと誰も来やしない、だけどもハードは維持したい、すると一〇〇〇円や一五〇〇円で何とかなるという。このことの持つ意味は何かというと、前に浜矩子さんの日本経済がフローからストックになったという話はわかったのですが、具体的にどうするかはわかりませんでした。上記のカラオケの経験から、私がわかったのは、低成長と高齢化社会の中で、どのようにソフトもハードも回していくかといったら、低成長なのだからハードを維持すればいいということです。しかもカラオケ専門店みたいに、一人カラオケとか自分たちの閉じたグループだけではなくて、知らない人も含めてみんなで歌います。やはり舞台がないとカラオケは面白くないのですが、つまりそこでは高級クラブや高級スナックのソフトのノウハウが生きているわけです。現実はそういう形で、かなりの人々が低成長の中で、高齢者社会のなかで、健康を維持して医療費の負担を減らすということを、現実に創り出しているという問題があります。もう少し一般的にいえば、ストックを作るためのフローの時代から、ストックを使いこなす時代 000000000000になっていてそれを普通の人々が楽しみつつもう実践しているのですね。そしてもう一つ面白かったのは、以前私の勤めていた茨城大学のある水戸市に今も時々行くのですが、ここは市街地が駐車場だらけになっています。なぜ駐車場だらけになるのかと言えば、高度成長時代のさまざまな建物や施設が持たなくなって、全部パーキングにしているのです。これもある意味では高度成長の時のハードを、パーキングという形で、安い形で持続させるという形です。これは斎藤義則さんという、私の同僚だった人と飲み会で話したのですが、今でこそパーキングは車で満杯ですが、いずれはやって行けなくなるだろうと、その後はどうすれば (
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いいかという問題について議論をしました。話は簡単で、要するにパーキングが使えなくなったら畑にするということです。畑にして、ドイツのクラインガルテンではありませんが、色んな形の自給自足をして、そして比較的自足的な生活をする、つまり都市を農村化するということを考えた方がいいのではないかとなりました。だいたい歴史を研究していますと、ある場所が人口が減少するなど、〝衰退〟した場合に、もう一回その場所が元(人口が増加する前)はどうだったのかを調べなければなりません。これはその場所が元はどうだったのかを、もう一つ高い次元で編成し直すことを意味します。進化と退化の統一ですね。山梨や水戸の普通の人たちが、必ずしも自覚的ではなくてもそのような形で、言わば現実の生活でそのことを表現していると思われます。研究者に聞いてもほとんど何を言っているのかわからないというかもしれませんが。存在するストックを発見し運用する創造性ですね。さらに難しい問題があります。例えば大前研一さんという人がいますが――嫌いな人も多いのですが彼が書いた本で、非常に面白かったのは、さっきお話ししたように五〇〇円あると大体生きていけると書いているところです。五〇〇円でスーパーに行って、おにぎりの違う種類を五つ買って、だいたい三食なんとかなり、後は様々な形で最低限生きていけるというわけです。大前さんはこれについてかんかんに怒っていて、つまり家が欲しい、車が欲しい、結婚したい、などということを考えないというのは、非常にけしからんというわけです。彼は高度成長の時代のように欲望をもっと持たなきゃ駄目だと言っているわけですが、これは二つの意味で的外れだと思います。一つは低欲望と言っても、本当に低欲望なのかどうかという問題というよりは欲望の質が変わったことを見ていない点です。もう一つは、そんなにお金がなくても人間が生きていけるという事態が存在する、生活水準が非常に底上げされている事態とその意味を見ていない点です。彼の言うその生活の仕方の問題として言うと、そのくらいのお金だったら五〇〇円でひと月一万五〇〇〇円で、わかりやすくいうと一日半くらいバイトをすればいいわけです。せ (
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いぜい一週間くらい働けば当面食べていけるというのは、低欲望であるのかというと、そうではなくて、あとの膨大な暇な時間は好きなことをやるわけです。この好きなことをやるということが、凄く大事です。未来の問題というのは、そういう好きなことを、どういう風に社会の中に位置づけ合うのかということだと思うわけです。これは山梨で、ある中山間地帯の場所を今ちょっと調査しているのですが、あそこもあまりお金が必要なくていいのです。茨城でも同じように自給自足プラス物物交換プラス多少のお金があれば済んでしまうことを斎藤義則氏も語っていました。都市でも農村でもつまり全国的に、衣食住のために強制された労働ではない形での時間がもの凄くあるわけです。それはこの半世紀のストック、つまり驚異的な生産力の発展と生存権保障の定着によるものです。自己破産しても最低限の生活は保障されるのです。相当資本主義的な論理を基本に置くAI(人工知能)の研究でもそれによってつくられた社会では創造的か否かという格差はあるがすべての国民に生活は保障されるといわれています。貧困といっても子供の人権一一〇番とか様々なセンターなどにアクセスできれば最低限の生存は保障されます。つまりデファクトにベイシックインカムが実現しているとも言えます。膨大な生産力とストックから言えば当たり前のことです。現代のこの生活するための、あるいはお金のための時間でない膨大な時間は新しい地域、生活、コミュニティ、「経済」、「産業」、の基盤でしょう。そしてそれは非営利非国家の特徴を持つ協同主義の豊かな基盤でもあるでしょう。このことは、様々なコミュニティの重層的な形成に関わる、未来の問題として考えたいと思っています。さらにその次の「未来」をみればその新しい「産業」を基盤にした新しい「成長」、新しい高次の「自由主義」が展開すると考えられます。パートⅡの問題に戻りますが、そこでは私は多元的アジアにおける安全共同体をどうつくるか、それから政治は連合政権体制、経済システムは民需中心で協同主義と市場主義との混合経済、法律は日本国憲法、地域は地方分権、 (
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等々の形でオルタナティヴを出しています。それを、さっき言ったような話を入れた上で考えるとどんな課題があるかということで、無理をしてまとめたのがこの三つの課題であります。これは一昨年に安倍内閣論を書いた時に一生懸命考えたのですが、いずれにしても脱戦後体制の問題については、安倍内閣に反対するのであれば、どういう課題が存在するのかということを、その論文では三つの課題としてまとめてみました。第一には、歴史的に異なる社会格差の存在です。それは先程も言ったように、古い格差だけではなく、新しい形の格差を含めて存在してきている。そういう、低成長で福祉が非常に重要になってくる、それを経済成長以外でどういう方法で克服するのかという問題が、課題として問題にしなければならないだろうというのが一つあります。そして、「成熟社会」ですから新しい需要がみつからないのに、これまで通りの「成長」を求めて国債と低金利でその場しのぎの問題の先送りで脱税と内部留保と旧来の「公共事業」のバラマキしかない状態を打破するためには、税率を引き上げることもふくめてストックされたものを使いこなし、未来の格差是正の為にも教育の無償化もふくむ社会保障も一層充実させて、人々が好きなことを思い切り出来るしくみをつくることでしょう。その過程を経てこれまでと質の異なる〝成長〟があらわれるでしょう。つまり新自由主義というより、現在の資本主義そのものにかかわるその場しのぎに質的=歴史的な区切りを入れることです。第二は外交の問題ですが、アメリカに頼らずに非軍事的な方法で、例えば最近の中国の力ずくのあり方への対処を含む、アジアとの現実的共生をどう築いていくかという問題です。第三には、経済成長もないし人口も増えない中で、地域の持続をいかになしとげていくかという問題です。特に地域には福祉の拠点があるわけですから。大きく言って以上の三つが課題だろうと思います。 (
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三、各サブシステムと協同主義
その課題に対して私はこのパートⅡのところで、それぞれに答えています。表一の中で、国際システム、政治システム、法システム、社会システム、地域システムという脱戦後システムを構成する諸要素を各サブシステムと呼んでいますが、それぞれについて協同主義との関係で話していきたいと思います。
政治システムまず政治システムの問題があります。それまで一九五五年体制の中で、ある意味で一党優位の政・財・官の体制で、自民党に全部お任せして済んできました。それが良くも悪くも終わってしまうと、その後どうするかという問題について、リアルな議論をせざるを得なくなります。これはかなり実践的な問題としてイメージされているのですが、例えば私は小選挙区制、二大政党制ではなく連合政権であるということをずっと主張してきました。どういうことかと言うと、小選挙区制に変わる時の私の先輩や同僚、関係者たちが、佐々木毅さんも含めて、イギリス型の小選挙区制で、ウェストミンスター方式で、二大政党で政権交替だと、そういう話がずっと行われてきました。しかし私は、どうも違うのではないかと、現代社会というのはそんなに単純ではないのではないかと感じていました。この点に関して、これは一つの例でありますけども、イタリアのオリーブの木という政党連合のあり方があります。オリーブの木が面白いのは、一九九四年に旧来の政治体制が変化し(冷戦体制のあとのイタリアにおけるポス (
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ト戦後体制の始まり)一二の政党が結集したものです。特に共産党が変わって、その多数派が左翼民主党となります。この党はその綱領で「各人の自由な発展が万人の自由な発展の条件であるような協同団体」としての社会をめざす。その党がカトリック勢力と言わば共闘するわけです、組織的に合体するのではなくて、連合政権、連立政権をつくる。ここでのカトリック勢力が非常に面白いのは、一九世紀ぐらいから、淵源はもっと前からですけれども、社会カトリシズムと自由主義カトリシズムという対立の潮流がカトリックの中にあります。特にオリーブの木の元になっているのは社会カトリシズムの側であることです。私は宗教学者じゃありませんが、カトリックのことを色々調べてみると、中世的なギルド的なところのイメージに基づくコーポラティズムに近いような形で、ある意味で協同主義的な性格を持っている政権がオリーブの木なのです。そのようにオリーブの木自体は、新自由主義プラス新権威主義のような冷戦崩壊後に新しく出てくる勢力、たとえばベルルスコーニ連合のような潮流と対抗するような中身を持っているわけであります。日本では、私は自民党はどうつくられたかという話を論文で書いていますけども、自由民主党は必ずしも自由主義ではなくて、思想的にも人脈的にも組織的にも協同主義的な中身を持った要素をいっぱい入れて作られています。だから日本では例えば、自由主義と協同主義という形を一つの軸にすると、自民党のかなりの部分が協同主義であり、経済界のかなりの部分が協同主義的な側面を持っています。すこし企業の歴史を調べるとすぐわかりますけれども、グンゼとかトヨタとか第一生命とか、様々なところで単純な自由主義ではない側面を持っています。だから日本の企業がアメリカと異なって長く続くのは、協同主義の側面をもつからだと思います。従って、協同主義というのは実践的な意味で多数派が――単純な対抗という意味ではなくて――形成されるような、そういう歴史的・現実的な根拠があるということになります。そして、オリーブの木では左翼と社会的カトリシズム派との連立があっ ( 15)
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たわけですけども、これに関連するのが戦前の三木清です。三木は様々な形で協同主義について書いています。これは塩崎弘明さんのお仕事に基づくものですが、三木が、社会カトリシズムに基づく回勅を訳すという仕事をしていました。その回勅と彼が昭和研究会で書いている協同主義が似ているという問題を明らかにしています。一九三〇年代に研究会を共にしていたカトリック哲学者のクラウスの唱える「社会連帯主義」と三木の「協同主義」は「連帯」「補充的助力」(補完性原理―雨宮)「反近代」「中道」の思想を共有していること。一九三一年五月の「社会回勅」の「階級間の争いを終息せしめて、職能団体の和合的協力を奨励促進」「職能団体的秩序の再建が社会政策の目的」という内容と、三木の階級を超えたかつ身分的でなく機能的な職能的秩序との相似性の指摘です。ここも良いか悪いかではなくて、考えてみる意味があると思います。
国際システム―九条・内外の協同主義・非欧米の思考次に、国際システムの問題です。国際システムの問題は先に言ったように、私のオルタナティヴの課題Ⅱ、つまりアジアの現実的共生をどうするかということに関わってきますが、この問題をどうするかということを、多元的アジアにおける安全共同体の構築だということを、書いているわけです。これがどう可能かという問題について、私がいろいろな本の中で言っているのは、一つには戦勝国体制によって作られた日本国憲法第九条です。二つにはこの九条と、内外の協同主義経済、つまり資本主義経済ではなく非営利、非政府・非国家の経済、そういうものを日本だけではなくて中国も含めて、アジアを含めて作っていくことです。そして最後には非欧米の思考という、この三つぐらいがアジアにおける一つの協同体を作るときの、現代におけるコンテンツではないかと考えるわけです。そして九条をきちんと読むと上記の協同主義及び非欧米の思考と通底するところ大だと思います。 (
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