ひきこもりの若者に対するソーシャルワークにおける
「発達集団」の意義
―不安定化・個人化する移行に焦点をあてて―
安 藤 佳珠子
(長崎国際大学 人間社会学部 社会福祉学科)
Significance of Development Group in Social Work for HIKIKOMORI
―Focus on Transition to Destabilization and Individualization―
Kazuko ANDO
(Department of Social Work, Faculty of Human and Social Studies)
Abstract
The purpose of this paper is to suggest the necessity of considering the keyword development group in order to exam the relation and relation of HIKIKOMORI in social work for them. Chapter one points out that the number of HIKIKOMORI increased, because of destabilization and individu- alization of the transition route in adolescence after the 1990s. And, it organizes how Michiko Miyamoto’s postwar adolescence model was formed and outlines how the traditional standardized transitional route was socially conceived, as well as the fact that the number of youth unable to keep up with this transition route has been increasing since the 1990s while visualizing the impov- erishment of the youth. Furthermore, we will organize the fact that there are destabilizations and individualizations of the transition route of these youth as they consider life choices as self- responsibility. Chapter two focuses on the life of HIKIKOMORI and explains there is no place to protect the process of their development. Chapter 3 suggests the necessity of considering the keyword
developmental group as the relationships and relationships of HIKIKOMORI in social work.
Key words
youth, HIKIKOMORI, transition, social work, development
要 旨
本稿の目的は、ひきこもりの若者に対するソーシャルワークにおいて、発達集団をキーワードに若者 たちの関係や関係性を検討することの必要性を提示することにある。第1章では、ひきこもりの若者の 増加の背景に、1990年代以降に顕著となった青年期の移行ルートの不安定化・個人化があることを指摘 する。宮本みち子の戦後型青年期モデルの成立について整理し、従来の標準化された移行ルートがいか に社会的につくられ、また1990年代以降、その移行ルートを辿ることのできない若者たちが増加してい ることを概観する。さらに、若者たちの移行ルートの不安定化・個人化が、人間関係が孤立化し、自分 の人生経路を自己責任にしてしまいやすくなることを整理する。第2章では、ひきこもりの若者の生活 に焦点をあて、彼らの発達の過程で、育つ場が保障されない状況があることを説明する。第3章では、
ひきこもりの若者に対するソーシャルワークが、若者たちの関係や関係性について、発達集団という キーワードから検討していくことの必要性を提示する。
キーワード
若者、ひきこもり、移行、ソーシャルワーク、発達
は じ め に
ひきこもりの若者に対するソーシャルワーク は何をするべきなのだろうか。働けるようにな ることの支援なのか。学校に行けるようになる ための支援なのか。それとも、コミュニケーショ ンの向上を目的とした支援なのか。これまでの 研究において、ひきこもりの若者の増加の背景 に、労働市場の柔軟化によって生じた、青年期 の移行ルートの不安定化・孤立化があることが 明らかになっている(宮本[2004]乾[2006])。
労働市場の流動化によって、従来の「学校から 仕事へ」といった青年期の移行ルートから外れ てしまう若者が増加し、その者の一群として、
ひきこもりの若者を捉える必要がある。社会構 造上の変動によって、社会的弱者としての若者 が現れてきたにもかかわらず、ひきこもりの若 者やその家族は、自分の責任として、自らや家 族を責める。
ソーシャルワークは、個人が直面する生活課 題に取り組み、人びとのエンパワメントと解放 を促進するよう、人々やさまざまな構造に働き かける(国際ソーシャルワーク連盟[2000])。
ソーシャルワークがひきこもりの若者を対象と するとき、その支援は、個別具体的な支援だけ ではない。その支援は、彼らを取り巻く環境―
家族、学校、職場、地域、制度・政策等―に対 する変革のアプローチと結びつく必要がある。
これが、ミクロ・メゾ・マクロ実践と呼ばれる ものである。言い換えると、ひきこもりの若者 に対するソーシャルワークでは、彼らの就労や 就学、コミュニケーションの向上への個別具体 的な取組みを通じて、彼らを取り巻く環境に対 する変革のアプローチも行う。
では、ソーシャルワークは、ひきこもりの若 者たちが直面する個別具体的な生活課題への取 り組みを通じて、誰に、そしてどのような構造 に、どう働きかける必要があるのか。若者支援 に関する先行研究では、若者の実態調査や、政 策に関する研究、精神医学研究や心理学研究が 多い。ソーシャルワーク研究においては、ひき
こもりの若者の生活歴や生活課題に基づき、居 場所支援や就労支援、地域のネットワークづく りの必要性を論ずるものがほとんどである。居 場所支援や就労支援、地域のネットワークづく り等は、社会に若者たちの新たな生活の場をつ くりだす。これは、ひきこもりの若者を取り巻 く環境―家族、学校、職場、地域、制度・政策 等―に対する変革のアプローチといえる。では、
居場所支援や就労支援、地域のネットワークづ くりの内実はどのようなものであるのか。その 内実は、ひきこもりの若者たちがおり、彼らの 関係や関係性にみることができる。山本(2009)
は、居場所支援におけるひきこもりの若者の関 係や関係性を、若者たちの育つ場の保障にみて いる。この「場」とは、物理的な場所を意味す るだけではなく、若者たちの関係や関係性を指 している。これまでのソーシャルワーク研究で は、若者たちの関係や関係性を、どのような理 論的基盤に基づいて検討していく必要があるの かについては整理されていない。
本稿の目的は、ひきこもりの若者に対するソー シャルワークにおいて、発達集団をキーワード に若者たちの関係や関係性を検討する必要性を 提示することにある。第1章では、ひきこもり の若者の増加の背景に、1990年代以降に顕著と なった青年期の移行ルートの不安定化・個人化 があることを指摘する。宮本みち子の戦後型青 年期モデルの成立について整理し、従来の標準 化された移行ルートがいかに社会的につくられ、
また1990年代以降、その移行ルートを辿ること のできない若者たちが増加していることを概観 する。さらに、若者たちの移行ルートの不安定 化・個人化が、人間関係が孤立化し、自分の人 生経路を自己責任にしてしまいやすくなること を整理する。第2章では、ひきこもりの若者の 生活に焦点をあて、彼らの発達の過程で、育つ 場が保障されない状況があることを説明する。
第3章では、ひきこもりの若者に対するソーシャ ルワークが、若者たちの関係や関係性について、
発達集団というキーワードから検討していくこ
との必要性を提示する。
1 1990年代以降にみる若者の移行の困難さ 11 戦後日本における青年期モデルの成
立過程
ひきこもりの若者に対する支援は、本人や家 族への相談、訪問支援、グループへの支援、就 労・就学への支援などがあり、ひきこもりの若 者やその家族の変容のみに焦点があたりやすい。
一方、ひきこもりの若者が社会的不利な状況に 置かれていることを見逃してしまいやすい。現 在、安定した就労につけない若者の多くに、コ ミュニケーションを苦手とするものが相当数い る。こうした若者の多くは、不登校の経験や、
発達障害、精神疾患をもっており、ひきこもり の若者も含まれる。彼らがコミュニケーション を苦手とする要因は、「この世代の成長過程が、
人間の孤立化と重なっていたことと密接に関係 がある」(宮本[2007:19])。若者たちの成長 過程で、孤立化が生じる社会とはどのようなも のであるのか。
日本の若者は、学卒後、就職をし、結婚をし、
子どもを産み育てることが、ある時期から、大 人への標準的な移行モデルとなった。宮本みち
子(2004)は、日本におけるこのような移行を、
戦後型青年期のモデルとし、その成立の過程が、
学校教育制度、労働市場、結婚制度の変容と密 接に関連していることを、①戦後復興期(終戦
〜1954年)、②高度経済成長期(1955年〜73年)、
③移行期(1974年〜89年)、④構造転換期(1990 年代〜現在)の4つの時期に区分し、明らかに している。「戦後型青年期」とは、日本独特の 若者の移行過程をいう。日本では、1960年代か ら経済成長が加速するとともに、高校進学率は 上昇し、新規学卒者採用が一般となり、若者は 労働市場において完全雇用された。欧米の先進 諸国では、若者の失業が社会問題となっていた 時期に、日本の若者は学校から雇用へのスムー ズな移行を辿った。
戦後復興期において、わが国では、戦後、経 済発展を目指すため、子ども・若者の育成が政 策の重大事項となり、教育制度が大きく改変さ れた。図1・2は戦後の中学・高校への進学率 を示したものである。1950年代中盤までには、
中学卒業した生徒の50%以上が高校へ進学し、
中学卒業後、半数が高校へ進学できるようになっ た。しかし、1950年代までは、高校に進学でき る若者は、経済的に恵まれた家庭の若者に限ら
図1 男子学生の進学率の推移(1950年〜2018年)
資料出所:文部科学省(2018)「学校基本調査」
れていた。この時期の労働市場は、学卒後、農 業に従事する者は3割程度いた(加瀬[1997])。
子どもは家計の働き手であり、学校教育より労 働教育が必要とされ、義務教育終了と同時に、
労働力として期待された。
1960年代に入り、経済成長が加速するととも に、高校進学率は上昇し、1975年には高校進学 率が9割を超えた。家庭の経済的格差は、高校 進学における普通科と職業科の選択の違いに現
れた。大学進学率の高い高校へ進学する若者は 経済的に恵まれた家庭の子どもの場合が多く、
職業科への進学する若者の多くは経済的に恵ま れていない家庭の子どもが多かった。さらに、
戦後から高度経済成長期までにわが国の産業構 造は大きく転換した。図3は、戦後以降のわが 国の産業構造の変容を示したものである。1955 年までは、多くの若者が農家を継いだ。その後、
高度経済成長期に突入し、都市の労働不足から、
図2 女子学生の進学率(1950年〜2018年)
資料出所:文部科学省(2018)「学校基本調査」
図3 産業別就業者数の推移(1951年〜2017年)
資料出所:総務省(2018)「労働力調査」
中卒者を中核とし、地方から大都市へと人口移 動が起こった。この時期に、新規学卒者採用が 一般となり、若者は労働市場において完全雇用 されるようになり、学校から雇用へのスムーズ な移行体制が築かれた。学校の内申点が就職の 重要な役割を担っていたため、学校の地位は守 られていた。産業構造の変容に伴い、地域が労 働の場ではなくなっていくなかで、地域の伝統 的な人間関係が失われていき、学校は、親に代 わって子どもの将来を準備させる役割を担うよ うになった。家族は学校と企業へ従属するよう になった。
高度経済成長期が終わった直後の1975年には、
大学・短大進学率は過去最高を記録し、3 人に 1人が進学する時代に入った。18歳人口の半数 以上が大学・短大に進学することが標準的パター ンとなった。教育水準の上昇は、青年期から成 人期への移行の長期化を意味し、それにより、
若者の親への依存期間が長くなった。一方、受 験競争はいよいよ激化し、ストレスを抱える子 どもたちが増加し、1970年代には校内暴力や、
高校中退者も増加し、また、1980年代には子ど もの事件が多発した。一方、労働市場において は、1970年代の企業の減量化、80年代の経済の ソフト化・サービス化により、雇用の柔軟化が 始まり、非正規雇用が徐々に浸透し始めた。そ れらの事態は、年功序列や終身雇用といった日 本型雇用慣行の危機や、若年者の危機が予測さ れたが、バブル景気のなかで、さしせまった議 論にならなかった。
1990年代の構造転換期には、進学人口の減少 に加えて高等教育機関が増加したため、受験競 争は緩和された。しかし、「一流高校→一流大 学→一流企業」というメインルートに乗れる者・
乗れない者とに二極化する傾向が強まった。し かも、そこには階層差があり、親の経済階層が 子どもの教育水準に及ぼす影響力が強まった。
また、グローバル化による競争の激化に伴い、
完全雇用の崩壊、終身雇用の廃止、新規卒業者 の就職難が深刻化した。特に高卒者の就職が悪
化したため、これまで学校教育への信頼が低下 し、学校からドロップアウトする者が増加した。
さらに、不登校、ひきこもり、高校中退、無業 者、フリーターの増加が顕著になってきたが、
学校教育はこれらに対処することができなかっ た。この時期、晩婚化・非婚化も進み、結婚し、
親になるという従来の標準的ライフコースも崩 れていった。1990年代における少年や若者の犯 罪や非行の増加は、「学校から仕事へ」の安定 した移行ルートが崩れ、安定した生活の基盤を 見つけることのできない若年層の増加の表れで ある。また、成人期への移行におけるリスクは、
階層格差の拡大を伴っているため、すべての若 者に共通するものではない。
上記に示したように、戦後型青年期モデルで は、現代の若者の「子どもから大人へ」移行す る過程を説明することができなくなっている。
1980年代に始まった雇用の柔軟化によって、若 者の雇用のあり方は大きな変化を遂げた。乾彰 夫(2006)は、非正規雇用と無業者に占める若 者の割合の増加は、90年以降の若年労働市場全 体の大規模な構造的再編のなかで生じたもので あると指摘する。若年労働市場の変容の背景に は、企業の雇用・労務管理システム・慣行に大 きな転換があり、その代表的なモデルは日経連 が95年に示した「新時代の『日本的経営』」に みてとれる。ここでは従業員を、「長期蓄積能 力活用型グループ」「高度専門能力活用型グルー プ」「雇用柔軟型グループ」に分け、正規雇用 の割合を減少させる方向性が示されている。こ のような雇用管理システムへの転換は、90年代 後半に本格化し、非正規雇用の増加をもたらし た。1980年代に、フリーターという言葉が使わ れ始めたとき、日本はバブル期であったため、
フリーターは自由な働き方をしながら、自分の 好きなことをできるといった若者の特権として 語られた。その後、急速に社会構造の転換が起 こって、ようやく、若者たちが社会的弱者に転 落する構造が明らかになった(宮本[2002])。
12 若者の移行の不安定化・個人化とリスク 1990年代に入り、若者たちが安定した職を得 ることができない状況が、誰の目にもわかるよ うになった。労働の柔軟化政策がとられ、若者 たちが正規の雇用を獲得することができない状 況が作り出された。そのため、学卒後、正規雇 用の職に就き、結婚をし、子どもを生み育てる といった戦後型青年期のモデルに乗ることので きない若者が増加した。しかし、若者たちは、
安定した職をえることができないことや、結婚 や出産の機会を得ることができないのは、自分 の努力不足や能力不足のためといった個人的な 問題として認識してしまう。なぜ、若者たちは 戦後型青年期モデルにみるような移行を獲得で きない場合、それを自分自身の責任としてとら えてしまうのだろうか。
ファーロング(2007)は、社会構造上の問題 を背景に生じる日常生活のリスクを、個人的な
「欠陥」に起因するものと認識してしまうこと を、認識的誤謬としている。家族、学校、職場 といった若者の生活の基盤となる場の関係は弱 まり、若者たちの多くは不透明な移行過程を辿っ ているものの、その分以前より多くの選択が、
彼らには用意されているように見える。そのた め、若者たち自身が自分の人生の選択は、自ら おこなっているものであるから、それによって 直面するリスクは自分で責任を取る必要がある と考えやすくなってしまう。しかし、リスクは 平等に配分されているわけではなく、階級やジェ ンダー間で不平等に再生産されている。また、
若者たちの移行過程がバラバラにされつつある ため、社会から排除される危険性が見えづらく なっている。こうした認識的誤謬を明らかにす るために、若者たちの移行過程に焦点をあてた アプローチが必要であるという。
乾(2010)は、日本の若者の移行過程に焦点 をあてた調査から、学歴やジェンダー、出身家 庭階層などが社会構造的要因となり、不安定な 移行を辿る若者の層は特徴がみられると指摘す る。調査では、高学歴者ほど比較的安定した移
行過程をたどる者が多い傾向が見られたが、調 査対象者の半数が不安定な移行を辿り、移行過 程の不安定化や個人化が広がっていることが明 らかとなった。また、不安定な移行を辿る若者 のパターンは多様になっており、同じ経路をた どっている者に出会えることはほとんどありえ ない。このことの背景には、不安定な移行を辿 る若者たちが、自分で仕事を見つけているとい う傾向が存在し、この傾向を踏まえるならば、
移行過程はほとんど個人化されたものといって よい。さらに、若者たちが安定した移行を辿る か否かは、社会構造的制約の影響を受けると指 摘する。その制約の代表的な一つが、若者自身 の学歴による違いである。高卒未満の学歴と、
高卒以上学歴の者との間には、移行パターンに おいて明確な差があり、高卒未満の学歴の者た ちに不安定な移行パターンをたどっている者が 非常に多い。また、ジェンダーの差異や出身家 庭階層との関係も若者の移行パターンに影響を 与える。「不安定な移行過程をたどる者たちほ ど、日常生活で人間関係にも孤立しがちであり、
その意味で、個人化の影響をこの面でもより強 く受けて」(乾[2010:178])おり、また、不 安定な移行過程をたどる者のほうが「その移行 ルートの探索を自力でおこなわなければならな いこと…こうした孤立化は、自信や自尊感情、
存在論安心を脅かすことさえある」(乾[2010:
189])。現在の若者は、以前の世代よりも、自 分と似た移行過程を送ってきた者と出会うこと が困難であり、不安定な移行過程をたどる者ほ ど、自分の移行ルートを自らでつくりあげなけ ればならない状況に置かれる。不安定な移行を 辿る若者が、個人化されたルートを自分の力で 探らざるを得ない状況は、若者を孤立化させ、
こうした孤立化は、自信の喪失や自尊感情の低 下を生み出す。
2 ひきこもりの若者の生活と発達疎外 21 ひきこもりの若者にみる発達疎外 従来の標準化された移行ルートに乗ることの
できない若者のうちに、ひきこもりの若者たち がいる。彼らには、登校拒否・不登校からひき こもった者、学校卒業後、就職後にひきこもっ た者、アルバイト等を転々としながら、その合 間にひきこもっている者などが含まれる。不登 校からひきこもった若者たちの場合、学校が競 争主義に翻弄されていくなかで、人間関係が、
非受容的な居心地の悪いものとして感知され
(高垣[1989])、自分の居場所とならず、学校 に行かない/行けないという選択がなされる。
高度経済成長期以降、地域が学齢期の子どもた ちの育ちの場とはならなくなり、子どもたちは、
学校か家庭にしか居場所がなくなってしまった。
つまり、学校に行かない/行けないという選択 をすることは、すぐさま不安定な移行につながっ てしまう。また、学卒後、ひきこもった若者た ちや、初職に就いたものの、仕事を続けられな かったり、職を転々とした後、ひきこもった若 者たちも、同様に不安定な移行を余儀なくされ る。その経緯はさまざまであるが、彼らはどの 集団にも自分の所在を見出すことができず、将 来を描くことも困難ななかにいる。
山本(2005:36)は、ひきこもりを「青年期 に生じる同一性獲得不全を伴う発達危機の一形 態であり、その危機は、人生を規定する経済や 文化・価値等社会的背景、思春期以降の青年の 発達や生活を規定する社会システム(学校・家 族・地域)の変容と関わりで生じる。社会との 交流をたち、それの回復力を失う可能性のある 期間自宅・自室へのひきこもりであるが、統合 失調症を伴わないもの」として定義する。「同 一性獲得不全を伴う発達危機」は、人生を規定 する経済や文化・価値等の社会的背景や、若者 のこれまでの育ちを規定する学校・家族・地域 社会システムの変動が、育ちのなかで具現化し たものである。1970年代以降、あらゆる生活の 場に競争主義が貫徹した結果、若者の育ちは疎 外され、彼らは孤立していった。この状況を発 達危機と捉える山本の視点から見るならば、ひ きこもりとは現代社会の矛盾が個の育ちの危機
として具現化したもの(発達疎外)であるとい える。青年期の発達課題とは、自己との向き合 いを通じて、社会に参加する主体として育って いくことであるが、ひきこもりの若者に見られ る発達疎外は、その過程が困難となり、他者や 社会とかかわる力を自らのなかに育てられない 状況として表れる。
山本(2009)は、ひきこもりの若者の発達疎 外―他者や社会とかかわる力を自らのなかに育 てられない状況―が形成されるプロセスを社会 的ひきこもりの障害形成として説明している
(図4)。まず、「同年齢集団との違和あるいは 不調和」により、「同年代の仲間がいなくなる」。
それは同時に「特別に親しい友達も失う」こと である。ここから、自分を保つために、徐々に
「同年齢集団の否定」が始まる。しかし、自分 を肯定することもできず「他者との結合するこ とへの不安」が高まり、「社会的孤立」に至る。
そのなかで、「生活活動時間の逆転」が始まる と、起床時間や活動時間が制限されていき「日 常活動の矮小化」が生じる。活動することが制 限されていくと「身体機能障害」という形で、
身体機能の低下がみられる。そうすると、1日 のリズムも自分でコントロールできない、さら に体力もなくなるという事実と向き合わされ、
「自己尊厳の傷つき」が生じ、「社会参加の主体 性障害」が生成される。社会に参加することに 興味・関心を失っていくため、「学習・就労意 欲の喪失」が起こり、「就労能力障害」「コミュ ニケーションの拒否」につながる。そして、働 けない、人とも話せない自分がそこに存在し、
自分を責め、傷つけていく。そこには「傷つい た自己への焦りと不安」のみがあり、それがさ らに「社会参加への主体性障害」を強めてい く。
ここでは、ひきこもりの若者の生きづらさを、
不安定な移行を背景として、発達疎外―他者や 社会とかかわる力を自らのなかに育てられない 状況―が形成されるプロセスと定義する。彼ら の生きづらさは、不安定な移行が背景にあるに
もかかわらず、社会的ひきこもり事例の障害形 成過程にみるような「同年齢集団との違和ある いは不調和」から始まり、徐々に他者との関係 が薄れていき、「社会的孤立」につながり、そ うした生活によって「社会参加への主体性障害」
として現れる。
23 ひきこもりの若者の生きづらさと「 溜 め のない状態」
ひきこもりの若者の生きづらさを、表面的に なりやすい能力や行為ではなく、発達疎外が形 成されるプロセスとしてとらえるために、何に 焦点をあてることで、そのプロセスが可視化さ れやすくなるのか。湯浅誠ら(2007)は、貧困 を「総体的な 溜め (capacity)のない状態」
と定義している。これは、アマルティア・セン の有名は貧困の定義である「基本的な潜在能力
(capability)が剥奪された状態」に基づくもの である。 溜め とは、人を包み外界の刺激か らその人を保護するバリヤーのことを意味し、
「 溜め のない状態」は「意欲の貧困」をもた らす。この提起は、貧困という社会的排除が、
個人の内面化にどのように影響を与えているか について、検討することを可能としている。
若年のホームレスに見られる「意欲の貧困」
は、「自分の限界まで意欲を振り絞ったとして も、それが多くの人たちが思い描く『当然ここ まではだせるはず』という領域まで到達できな い、という事態」として表出する(湯浅・仁平
[2007:338])。「意欲の貧困」は、その人が示 す状態や力では測ることができない。これは、
その人が生きてきた過程をみることによって、
はじめて見えてくるものである。その人が生き てきた過程に、その人を包み外界の刺激からそ の人を保護するバリヤーである 溜め がどれ だけあったのかによって、「意欲の貧困」がみ えてくる。ひきこもりの若者の多くが、不登校 やいじめを経験したり、障害を抱えていたりす る。そのような育ちのなかで彼らは、十分に他 者とかかわることが保障されてこなかった可能 図4 社会的ひきこもり事例の障害形成過程(山本2007より)
性がある。彼らのなかには、他者との関わりの 経験が少なく、楽しい経験も、葛藤を乗り越え た経験もほとんどない者も少なくない。そのた め、多くの人が日常の生活の中で、面倒だと思 う関係や、避けたいと思うことがあっても、自 分に折り合いをつけながら、その関係を繕った り、その関係が好転するように働きかけたりす ることが、ひきこもりの若者にとっては、到底 できるとは思えないのである。
「 溜め のない状態」は、その人を包み外界 の刺激からその人を保護するバリヤーがない状 態の事である。そのバリヤーは、家族であり、
学校であり、職場である。そして、そのバリヤー が一見あるように思われても、実際には機能し ていない場合がある。たとえば、大学を卒業し た後や、仕事についた後に、ひきこもっていく 若者たちである。彼らはひきこもる直前まで、
家族や学校、職場のバリヤーのなかにいるよう 見える。しかし、実際には、そのバリヤーは、
彼らの 溜め とはならなかった。これは、集 団に所属するだけでは、他者とのかかわりが十 分に保障されているとはいえないことを暗示し ている。家族や学校、職場が、若者たちを包み、
彼らを保護するバリヤーとして機能するために は、その場や集団に若者たちが所属ではなく、
参加しているかという視点が必要である。
3 ひきこもりの若者の生きづらさ対するソー シャルワークの意義
31 発達集団と参加
すでに述べたように発達疎外とは、他者や社 会とかかわる力を自らのなかに育てられない状 況のことを指す。そのような状況は、不安定な 若者の移行を背景にして形成されるプロセスと して、解釈可能である。もしこのプロセスを、
ひきこもりの若者の生きづらさと結びつけると するならば、問われるべきは以下の論点である。
すなわち若者は、集団に参加してきたのかどう か。形だけの集団に属し、ただ周囲に他者がい るだけで、表向きひとりぼっちではないように
見えている状況と、参加をどう分けて考えてい けばよいのだろうか。
金田利子(1978)は、集団はそこに存在する のみでは個の発達に影響を与えることなく、集 団が発達集団であるとき、個の発達に影響があ るという。集団が目的をもった同じとりくみを おこない、そこで自らの役割を見つけ、そのと りくみによる感動を共有できたとき、集団は発 達集団になるという。発達過程を理解する上で、
「発達の原動力」と「発達の源泉」という2つ の言葉について説明する。発達の原動力とは、
発達の主体である個人の能動的活動をさす。そ の活動は何もなく生じるものではなく、個人の 活動への意欲によって生まれるのであり、その 意欲をひきおこすような環境を発達の源泉とい い、その意味では発達集団は発達の源泉といえ る。
ひきこもりの若者には、こうした発達集団が 存在したのだろうか。ただ周囲に他者がいただ けであり、形としての集団があっただけであり、
一見すると、ひとりぼっちではないように見え ていた者も少なくなかったのではないだろうか。
発達集団は、個が集団への参加を通じて生まれ るものである。ここで、発達という概念を用い る際、人格発達としてとらえる。発達は「何か ができる」「できない」というものではなく、
発達の主体である人格そのものの変革である。
そして、能力は単体として現れるのではなく、
人格として発現する。個そのものを捉えること は不可能である。しかし、金田(1978)は人格 発達を捉える際、個の発達要求や願いをみるな かで、発達の事実がみえてくるという。
われわれは、発達を単に心理過程の諸領域 における身心の機能や構造の量的・質的変化 のこととしてはとらえず、発達の主体を人格 としてとらえ、人格の構造全体が変革するこ とを発達としてとらえている。
発達と人格とその内包との関係については、
発達の主体が人格であり、人格の内包が能力
である(このさい、能力とは単なる才能のこ とではなく、人格の内包の総体をさすのであ る)ととらえる。そして、人格は具体的には 個々人の人間的要求としてあらわれる。
(金田[1978:2930])
実践において発達の事実や要求を理解するた めには「人間対人間としてのとりくみをとおし て、実践に責任をもち、ともに育ちあおうとす るときにのみ可能」(金田[1978:60])であり、
若者の思いや言葉、行為を研ぎ澄ましてみつめ、
彼らとともに育つなかに発達の事実は存在する。
32 ひきこもりの若者に対するソーシャ ルワークにおける発達集団の意義
山本(2009)によれば、ひきこもりの回復は、
ひきこもりの克服ではなく「ひきこもりつつ育 つ」ことの保障である。その際に、若者たちに は、同じ課題を少し前に克服したり、あるいは 克服しつつある仲間と関わる安心できる場を保 障し、その場で自らの課題と向き合う実践を展 開することにより、ひきこもりの回復がある。
その場における実践は、「若者自身がもってい る発達課題に丁寧に向き合う場」であり、「社 会との関係で自己が果たすべき役割」を明確に しつつ主体的に解き放たれる場である。発達の 源泉としての仲間の存在であり、少し前をいく 仲間との間に生じる矛盾が必要である。
ひきこもりの若者たちは、社会と対峙しつつ も自己の自立を求める。しかし、自分と社会の 間に存在する矛盾があまりにも大きいため、彼 らの中に育ちつつある新しい自己が閉じ込めら れ、歪められる。これは発達が疎外されている 状況と捉える必要がある。彼らは、社会とのか かわりに一向に光も見つけだせないなかで、自 分は何のためにどうやって生きていけばいいの かがわからなくなっている。彼らは、毎日必死 に生きるも、「人と関われない」「外が怖い」「働 けない」「学校にいけない」といった自己の現 実とのせめぎあいのなかで、自分を諦めてしま
おうかどうかと悩みながら、日々を過ごしてい る。発達は観念的なものではなく、個の要求か ら始まり、さまざまな取り組みのなかで形成さ れ、そのため、主体的な取り組み、他者とのか かわりが発達には必要なのである(大泉[1984])。
ひきこもりの若者たちは、年齢を重ね、勝ち 負けを明確に求める社会に出ていくように促さ れる。これまで気づいてはいたが、向き合わず に済んだ他者や社会とかかわりをもつことへの 不安を、いきなり突きつけられる。ようやく自 分と向き合いを始めたときにはもう、それを支 える集団はない。働くことが期待される年齢で、
他者に対する恐怖や就職活動に対する不安を相 談すると、誰もが持っている不安だから大丈夫 とか、そんなこと今さら言っている場合じゃな いなどと言われる。孤立と直面し、自分の思い をわかってくれる人が周りに見つからず、どう すればいいのかわからず立ちすくむ。何とかし て今の状況を脱しようとするも、どこにも行っ ても、これまでと同様、自分の居場所とはなら ず、行く場所が見当たらず、立ちすくんでしま う。ひきこもる若者は行き場がないだけではな く、生きる場を求めている。
ソーシャルワークが、ひきこもりの若者たち が直面する生活課題に取り組み、彼らのエンパ ワメントや解放といったものを促進するために は、彼らの発達を保障していくことが求められ、
具体的には、彼らの参加する場における集団が 発達集団となっていくような働きかけである。
ひきこもりを発達危機としてとらえた場合、若 者たちが自らの育ちを解放する支えとして集団 が機能しなかったといえる。高垣は、発達危機 を「問題現象をまるっきり健康で正常な現象と して放置しておいてよいものであるとは見ず、
放置すれば人格発達に大きな支障をきたす可能 性のあるものとして、そのなかに克服すべき問 題をきちんと見るとともに、その克服のために 依拠すべき積極面を同時にとらえる見方である」
(高垣[1998:27])という。そして「問題現象 の背後にある人格発達上の問題構造を明らかに
することを通じて、その問題を克服し人格発達 を促すための種々の性質の働きかけや指導を組 織だて、各組織の実践相互の関連を明らかにし てゆくひとつの糸口ができるのであろう」(高 垣[1998:27])という。
発達危機は、個と集団の相互作用の課題であ る。ひきこもりの若者にみるように、集団の支 えが社会変容により、貧弱になるなかで、集団 への参加が困難となり、彼らは、集団から見捨 てられた思いを強め、孤立していく。孤立して いく過程で形成された発達は、集団への参加を 拒否するようになる。高垣がいうように、これ は人格発達上、大きな支障をきたす可能性があ り、乗り越えるべき課題はいかなるものである のかを的確にみなければならない。ソーシャル ワークが、ひきこもりの若者の発達を保障し、
彼らが主体的に自らの発達の主人公となる力を 獲得するために、個が集団に参加していきやす いしかけをつくる必要がある。そして、見通し をもった支援の構築のために、より正確な集団 参加の過程を明らかにしなければならない。
お わ り に
ここでは、発達集団というキーワードを、ひ きこもりの若者に対するソーシャルワークにお いて位置づけるという試みを行った。発達集団 というキーワードは、日本の障害児者運動から 生まれた概念である。日本におけるソーシャル ワークは、社会事業と呼ばれた時代から始まり、
法的根拠を色濃くもつ。そのため、欧米で発展 したソーシャルワークとは、異なる点も多い。
そのため、本稿では、欧米のソーシャルワーク におけるグループワークとの関係や、エンパワ メント・アプローチにおけるグループの位置づ け等に基づいた検討をおこなえなかった。今後、
発達集団というキーワードをもとに、日本のソー シャルワークの特徴を精査し、欧米のソーシャ ルワークの関連性や相違について検討していき たい。
謝 辞
本稿は、JSPS 科研費若手研究「ひきこもりの若者 を対象としたソーシャルワークにおける仮説モデル構 築に関する研究」(研究代表者:安藤佳珠子、研究課 題番号18K12984)の助成を受けて行ったものである。
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