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中国当代文学研究

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(1)

中国当代文学研究

黄翔・高行健・劉震雲を中心に

熊本大学社会文化科学研究科

学位論文

杉谷 静華

(2)

目次

第一章 はじめに ................................................1 第1節 研究の対象 ..............................................1 第2節 研究の目的 ..............................................5 第3節 研究の方法 ..............................................8 第4節 論文の構成 .............................................10

【注】 .........................................................11 第二章 中国文学とその軋轢 .....................................13 第1節 現代の場合 .............................................13 第2節 当代の場合 .............................................16 第3節 現・当代文学のイデオロギー普及 .........................18

【注】 .........................................................23 第三章 当代文学研究と本研究 ...................................25 第1節 文壇動向 ...............................................25 第2節 先行研究とその観点 .....................................27 第3節 本研究の観点 ...........................................32 第四章 黄翔について ...........................................35 第1節 黄翔とその道のり .......................................35 第2節 「独唱」と黄翔詩想 .....................................43 第3節 「宇宙哲学」と「宇宙情緒」 .............................51 第4節 〈○〉構図とハイデッガー...................................56 第5節 結び ...................................................60

【注】 .........................................................63 第五章 高行健について .........................................67 第1節 高行健とモダニズム .....................................67 第 2 節 《霊山》と人称表象 .....................................70 第3節 〈我〉、〈你〉、〈她〉、〈他〉の諸相 .........................76 第4節 〈人称〉の思想的背景 ...................................84 第5節 〈○〉構図と回帰の思想 .................................88

【注】 .........................................................92

(3)

第六章 劉震雲について ..........................................93 第1節 劉震雲と〈擰巴〉 ........................................93 第 2 節 《ケータイ》の〈假話〉 ..................................97 第3節 〈○〉構図と内省 ........................................104 第4節 アンチテーゼの展開 .....................................108 第5節《一句頂一万句》の〈一句〉 ...............................114 第6節 〈○〉構図と魯迅精神 ...................................119 第7節 響き合う姉妹作 .........................................128

【注】 .........................................................133 第七章 おわりに...................................................137 第1節 〈○〉のテクスト .......................................137 第 2 節 〈○〉構造と回帰の思想 .................................139 第3節 今後の課題 .............................................145

【注】 .........................................................147 参考文献目録 ...................................................149

(4)

凡例

*〈○〉について

作品の内空間に円環の視覚イメージを喚起するため、記号〈○〉を使用した。

*翻訳について

対象作品の日本語訳は、筆者によるものである。

引用文の訳者名のないものは、すべて筆者の訳である。

訳語が原文のままの場合は、‘’を付けた。

*表記記号について

日本語の書籍名を『』、中国語の書籍名を《》、題名を「」、引用、注意事項を

〈〉、補充説明を()で括った。

*数字表記について

論文中の数字は、漢数字を用いたが、()内の数字は算用数字を使用した。

*中国語の書籍名は、原文のままとした。ただし、《手機》は、翻訳書を連想さ せるため、《ケータイ》とし、『』を用いなかった。

(5)

第一章 はじめに 第1節 研究の対象

本研究は、中国内外で活躍するシンボリズム・前衛詩人黄翔の詩歌「独唱」と

「暮日独白」、詩論「宇宙情緒」、モダニズム作家高行健の作品《霊山》、リアリズ ム作家劉震雲の作品《ケータイ》と《一句頂一万句》を研究対象としている。長 い間、これらの作品は難解で晦渋と評されたまま、充分な研究がなされていない。

その上、数少ない先行研究においても、作品の批評性および芸術性、テクストな どが論じられ、似通った方向に展開しているように感じられる。例えば、黄の前 衛詩、高の意識の流れの手法、劉の<ねじれ>などについての論文がいくつか見 られる。筆者は、そうした状況から抜け出て、三者の代表作を読み解き、新たな 視点の獲得を試みた。その結果、三者の作品の構図が〈○〉構造を有しており、

テーマも共通していることが読み取れたため、本研究に至った。

以下、三者および対象作品を簡単に取り上げ、本研究の基本的概念を示したい。

黄翔は、一九四一年に中国湖南省武岡県で生まれた。十才前後に亡き父が遺し た蔵書から、《文芸日記》と出会い、その影響を受けて詩歌に開眼する。

詠歌「独唱」は、一九六二年に詠われ、大著《黄翔―狂飲不醉的獣形》の巻頭 に掲載されていたが、その後、《黄翔詩歌総集》(Cozy House Publisher. New York 2007 年)上・下篇の上篇に収められている。

僕は誰だ/僕は瀑布たる孤魂/永久に人の群れを離れた/孤独の詩/僕 の漂泊する歌声は夢の/さすらう足跡/僕の唯一の聴衆は/静寂なのだ 「独唱」(上篇 19 頁)

詠歌「暮日独白」は、二〇〇二年に歌われ、《黄翔詩歌総集》の下篇に収められ ている。

(略)夢津々/水汽濛々として/起きて巻き上げる/身体を覆う川の流れ

/瀲灔と光り輝く波の/緞子の布団(略) 「暮日独白」(下篇 549 頁)

詩論「宇宙情緒」は、黄翔詩学《沈思的雷暴》(台湾桂冠図書股份有限公司、2002 年)に収められている。本書の二章は、詩学一から詩学五までの「情緒哲学」、「肉 体の太陽」、「〈壷〉の中のハイデッガー」、「人体深淵体験:宇宙情緒」、「沈黙を翻

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訳する」としてまとめられている。これらは一九八一年から一九九二年までに書 いたものとされている。

・情緒は生命における奥義の騒擾であり、計り知れない原欲と激情の平静に 対する破壊である。(略)

・情緒哲学は伝統文化的な、人為的な、人間という主体を離れた角度から世 界を解釈しないことを意味する。その上、直に人間自身に回帰し生命の内部 における騒擾の波瀾と過程より、哲学の真諦を探求し発見する。(略)

・あらゆる形式はすべて〈情緒〉の感応であり、瞬間的表現である。〈情緒〉

は過程、傾向、流れであり〈情緒〉と〈非情緒〉の間に介在している。(略)

・情緒哲学は心理及び生理に基づく人間の〈全体経験〉を主張し、頭脳ある いはある種の抽象概念的認識ではない。(略)

・「宇宙情緒」は〈人体経験〉の拡大と瀰漫である。我々は冥冥の中で宇宙の 遥かな処である星が自己の身体のある細胞と密かに感応しているのを感じな いことはないだろう。

・「宇宙情緒」は人体経験の無限の展開である。宇宙は膨張した人体であり、

人体は凝縮された宇宙である。(略) 《沈思的雷暴》(94〜98 頁)

黄の詩作は、膨大でかつ深遠であるが、「独唱」から「暮日独白」までの活動か ら俯瞰すると、次のような〈○〉の構図が認められる。

A =「独唱」=人間と自然界と向き合う B = 前衛詩=現実社会と抗争する

C =「宇宙哲学」=独自の詩精神を確立する D =「暮日独白」=「独唱」に回帰する=A

つまり、「独唱」の地点からスタートし、前衛詩へ「宇宙哲学」へ「暮日独白」

へと、〈○〉の構図を巡って「独唱」に回帰している。

高行健は、一九四〇年に中国の江西省で生まれた小説家、劇作家、画家である。

《霊山》は、彼が七年間(1982~89)にわたって、中国からフランスへの移住を

A C

D B

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経て書き継がれた作品である。一九九〇年に台湾聯経出版公司が発行し、二〇〇

〇年度のノーベル文学賞を受賞した。

この作品は、実験小説として、複数の人称〈我、你、他〉を使用し、〈意識の流 れ〉の手法を用いて描かれている。一人称〈我〉が、自分の分身〈你〉を想像し、

原生林と〈霊山〉を探し求めてゆく。ふたりは重厚横溢な東洋文化をバックデー タに、神話、典故、道教、仏教、シャーマン等の世界を独白しながら、壮大な旅 を繰り広げていく。そして、このバーチャルの世界を凝視するため、さらに三人 称の〈他〉も用いられたが、北京から出発し、北京に帰還したところで、三つの 人称がまたすべて〈我〉に還元されていく。その幻想的、かつ不可解なストーリ ーを考察していくうち、〈我、你、他〉が辿った地理的、心理的旅が無限大の〈○〉

の構図として浮き上がってくる。

図1=〈我〉の旅 図2=〈我〉=〈我〉+〈你〉+〈他〉

上図のように、〈我〉は旅に出たが、北京から、西南へ南下して、また東へ進み、

北上しながら北京に戻ってくる〈○〉の旅を巡ると同時に旅の終点で〈你〉と〈他〉

を自身に回帰させ、新たな出発を用意しているかのように読み取れる。

劉震雲は、一九五八年に河南省延津県で生まれる。軍人、教員、新聞社職員を 経て、北京大学、魯迅文学院修士課程で学んだ後、職業作家となる。

《ケータイ》と《一句頂一万句》は、それぞれ長江文芸出版社が二〇〇三年と 二〇〇九年に発行した作品である。

《ケータイ》の初版が発行されると、たちまちベストセラーとなり、二版(2007 年)、三版(2010 年)と重版され、さらにテレビドラマ化、映画化と映像化され、

より多くの人の目にふれるようになった。

この作品は、魯迅の批評精神を受け継ぎ、中国文化と民衆の精神性を痛烈に批

上海

四川 湖南

北京

陝西

上海

四川 江西 湖南

北京

陝西

江蘇

(8)

浮き彫りにしているが、作品の構図は時間と空間の軸にそって三章で構成されて いる。

①=第一章=主人公の過去(父母の年代)

②=第二章=主人公の現在(主人公の年代)

③=第三章=主人公の過去の過去(祖父母の年代)

つまり、②の主人公の〈現在〉は、時間の座標軸としてクローズアップされな がら、①の過去と③の過去の過去を結び、過去———現在―過去の構図が構想され ているが、二章の登場人物は全員破滅したり、死去したりし、悪の化身のみが生 き残る。つまり、三つの時空を連鎖する〈○〉の構図において、〈現在〉の時間を 意図的に消失させている。そして、〈○〉の構図が転回されるにしたがって、一章 と三章の〈過去〉の時空で見られた祖父母の姿が、生命の原風景として浮かび上 がり、そこに立ち返ることが暗示されている。

《一句頂一万句》は、出版されるや否や激しい議論を巻き起し、北京のベスト セラーとなった。さらにその二年後(2011 年)に権威ある茅盾文学賞に輝き、作 者の当代文学における地位を不動のものにした。

この作品は、旅人の放浪をテーマに上下二部で構成されている。上篇では楊が 故郷延津を出る旅が、下篇では楊と血縁者でない外孫の牛が故郷延津に戻る旅が 描かれている。ふたつの旅を結べば、次のような〈○〉が形成されてくる。

楊=上篇=出奔の旅 牛=下篇=回帰の旅

楊の旅は、〈真話〉(本音、真実)を捜し求めることから始まったが、牛の旅も 外祖父と共通しており、ふたりは同じ運命を辿っている。

以上に述べてきたように、三者の作品の構図はおのおの円環構造を具えている。

その構図がどのような時間性を表しているか、また如何なる思想に通徹している か、その詳しい考察と分析は第四章、第五章、第六章で行なう。

延津

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第2節 研究の目的

先にあげた〈難解で晦渋〉という批評に対し、本研究では、三者の代表作を読 み解き、作品に込められた作者の意図を明らかにする。さらに、作風を異にして いる三者が用いた〈○〉構図の生成を見出し、その円環構造に示された〈天人合 一〉思想、〈道〉家思想、魯迅の〈批評精神〉などを究明するとともに、対象作品 に現われた内省と回帰の思想を通して、中国の文化的伝統および当代文学の展開 における位置付けを試みる。すなわち、現在の研究状況から抜け出て、黄、高、

劉研究の新たな視点を獲得することが、本論文の目的である。

以下、この目的にアプローチする具体的な取り組み方を明示する。

対象作品では、作中人物が〈○〉構図を巡って内的旅を行なった。それはいわ ゆる人間自身の精神性への向き合い方である。つまり、作者たちが人間の有りよ うを思量し、追究していたことを意味する、との考察および分析を試みていく。

黄の場合は、自身の〈孤魂〉とイデオロギー社会とに向き合いながら、人間自 身への内省と回帰に向けられている。その詩歌の時間性には、老子とハイデッガ ーの時間論の影響が見られ、天人合一思想を志向するものでもある。

高の場合は、東洋の伝統的人間観と近代ヨーロッパを中心とする人間観が見ら れ、その思想の二項統一を目指した人間探求が行なわれている。東洋文化を背景 に〈意識の流れ〉の手法を駆使して、西欧文明が求めた自我を尽く追究している のである。

劉の場合は、《ケータイ》と《一句頂一万句》を姉妹作として解読していくと、

ふたつの作品で語られた〈假話〉(虚言)と〈真話〉(本音)によって、今日の人々 の道徳観と倫理観が問い質されていることが理解できる。《ケータイ》では、儒教 思想が読み取れ、《一句頂一万句》ではさらにキリスト教思想が加わった。自身の 欠落に無頓着な民衆を喝破する作者の思想は、魯迅の批評精神に通底している。

また、主人公が繰り返す〈捜す〉行為や、共通の運命を辿ることなどは、作者が 宇宙の絶え間ない循環において、孤独にさまよう人間の精神の帰趨問題を探究し ていることを表している。

テクストそれぞれの考察と分析は、本論で展開することになるのだが、上述の 主題からは、三者それぞれの文学活動が東洋と西洋の人間観を融合したものであ り、人間自身の内省と回帰が語られていることが明らかである。なぜなら、無限 のひろがりをもつ〈○〉の構図は、内的旅が試みられたことのみならず、旅の終 点でまた新しい始まりを暗示しているからである。この知の行為は、文学の枠組

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みを超えて、私たちに開豁な生の有りようを示すと同時に、また生命の普遍性を 物語っている。当然ながらそれは困難なみちのりであり、知のはたらきの遺産で あると言える。ジョルジュ・プーレ(1902~)は、そのような道のりについてハ ルフュウスの言葉を借りて次のように語る。

例えばドイツ神秘主義とスペイン神秘主義の偉大な仲介者ハルフュウス は次のように記している。

魂は、そのちからのなかにきわめて内面的でかつきわめて優れたものがあ るゆえに、精神と呼ばれる。なぜなら魂のちからはその根源におけるのと同 じように精神に結合しているからである。そしてこのちからが、太陽光線が 太陽の環から出るように、外に拡がるのはこの根源からであり、また同じよ うに再び流入してゆくのもこの根源である。そしてこの中心は魂のうちにあ り、三位一体の真のイメージがそこである。そしてそれはあまりにも高貴で あるゆえに、どんな名称もそれに適切なものはなく、遠回しな言い方による 以外にそれについて語ることはできない。

(『円環の変貌』上、国文社、1990 年、23 頁)

〈三位一体のイメージ〉とは、いわゆる〈円環〉の循環であり、魂とは精神に 置き換えるものである。その魂のはたらきが深遠すぎるため、それに当てはめる 解釈がなく、遠回しな言い方でしか語られないということが説かれているが、黄、

高、劉らの語る〈○〉の構図は、まさにそのような〈遠回しな言い方〉である。

さすらいの旅を通して、人間自身を省察するその行為は、私たちの精神世界の探 索にほかならない。その苦痛に満ちたみちのりが導いた人間自身への目覚めにつ いて、彼ら三人は次のように述べている。

黄翔の場合は、

人間は高ぶり、苦しみ、空想する。肉体は四方八方に蔓延し、想像の果て までだ。しかし、人間はこれほど自信と独尊に満ち、太陽の照らした大地の 上での活動を〈創造〉と言うのだ。巨大な建物から一篇の詩までに。人間は こんなにもうぬぼれている。〈偉大〉、〈英雄〉、〈首領〉、〈世界を変えた〉、〈一 代の先駆者〉と誇張して自己を光らす。永年積み上げてきたすべての文化的

〈創造〉が、どれほど重いかには気づいていない。人間はすでにそれを背負

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えない。ますます厚く、ますます高く積み上げたこれらの文化的産物は、あ る日突然崩れ落ち、人間自身を埋めてしまう可能性がきっとあるのだ。(略)

(《沈思的雷暴》、台湾桂冠図書股份有限公司、2002 年、167-68 頁)

高行健の場合は、

〈私〉(『霊山』の主人公である一人称)はいつも意義を求め続けている。

しかし意義とはなんだろう。人々が自分たちを破滅させてしまうこの記念碑 ダムの建設を阻止できるというのか。結局、砂の粒ほどちっぽけな〈私〉の 自我を求め続けるほかはない。

(《霊山》、台湾聯経出版公司、1990 年、316 頁)

劉震雲の場合は、

たとえ、その〈一句〉(真実を暗喩する一言)が見つかったとしても、貴方 の心の苦悩は解かれないのよ。

(《一句頂一万句》、長江文芸出版社、2009 年、356 頁)

いわば、精神探索者の三人が〈○〉の構図をめぐった内的旅の終点で省察した ものは、人間の愚かな〈うぬぼれ〉と〈砂の粒ほどちっぽけ〉の卑小さであり、

永遠に苦悩から脱却できないということであった。取りも直さず、三人は文学を 通してこのような深遠な内省に到達したのである。

文学テクストを読むことは、単に平静な日常への刺激を求めるだけとは限らな い。活字を媒体に新しい体験ないし冒険を疑似体験することによって、精神の錬 磨を無意識的に自己の内面で約束されるはずである。そしてそのテクストが特定 の歴史的、文化的背景を突き破って、宏大な射程を放っていくことこそ、その文 学のもつ深さと力強さである。

一方、二十世紀初期の〈新文化運動〉と〈五・四運動〉に求められた封建思想 と伝統倫理への批判は、長い間、中国現・当代文学の重要な課題とされ、魯迅の

《狂人日記》や《阿Q正伝》などを先駆けに、終始民族の精神性を探求する枠組 みが存在した。しかし、本研究で扱われる三者の作品群は、その課題を踏襲しな がらも人間の内面の問題が中心に扱われている。さらに〈○〉の構図に示された 自己回帰と世界流転においては、従来のパラダイムを超越している。

中国当代文学は、一九七〇年代末までのプロパガンダ文学の終焉を迎えると、

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〈傷痕文学〉や〈ルーツ文学〉等を経て、八〇年代半ば頃にモダニズム論争が展 開された。その後、文学の在り方がさらに多様な模索に迫られ、二十一世紀に邁 進するとその開花を迎えた。黄がプロパガンダ文学に抵抗してきたとすれば、高 は胡適と陳独秀らの文学革命を継承したと言える。そして劉は、当代文学の開花 期を開拓した作家の列に並べられる。本稿の対象作品は、六十年代から九十年代 までに及ぶ黄のシンボリズム詩、前衛詩、詩論であり、前世紀八十年代から九十 年代を作品の座標とする高の実験小説であり、新世紀以後の中国の実態を描く劉 のリアリズム小説である。そうした三者の文学活動の軌跡を繋げていくと、六十 年代から現在までの文壇の大観が俯瞰され、当代文学の新たなスタンスの展望が 可能となる。

中国では、一九八〇年代以後の開放政策にともない、根強い伝統文化とイデオ ロギー支配も変容しつつあった。その上、通信技術の発達もさらに拍車をかけた。

資本主義経済、インターネットと携帯電話の出現により、人々の日常に質的な変 化がもたらされ、当代文学も社会の転換期におけるさまざまな問題に包み込まれ ていった。当然ながら新時代の大波にのまれながらも、文学の在り方の再構築に 向き合わなければならなかった。つまり、陳独秀と胡適が唱えた〈啓蒙〉と〈救 亡〉の思想からの発展が求められた。黄、高、劉らは、時代とともに歩み、個別 の経験から出発したが、彼らは、文学を視座に了解し難い人間自身を省察し、私 たちの精神性が行き着こうとするところを追究してやまなかった。その知のはた らきは、自我への目覚めに遅れたイデオロギー社会を悲嘆しながらも、私たち人 間の精神の深層に踏み入って、現在という時間を凝視し、過去を振り返って、未 来を志向するテーマを表象した。そのような意味で、三者の作品を読み解くこと は、彼らの文学活動を位置づけるに止まらず、当代文学の新たな系譜を浮き上が らせることでもあるのだ。その新たな系譜とは、いわゆる近現代文学を織りなし てきた魯迅の批評精神を継承しながら、人間自身への内省および回帰に向かう系 譜である。

第3節 研究の方法

黄翔も高行健も亡命作家である。そのため、彼らに関する資料収集は困難であ った。中国本土では近年、黄の紹介が見られるが、学術研究論文は見当たらない。

高の場合は、一九八九年の〈六・四〉天安門事件を契機に《逃亡》を描き、亡命 を果たしたゆえ、国内では《霊山》が二〇〇〇年度のノーベル文学賞を受賞した

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ことは余り知られておらず、当然ながらその研究も滞っている。日本では、《霊山》

の受賞が発表されると、紹介と論評は新聞、研究雑誌で数多く見受けられたが、

研究論文は決して多くはなかった。そして、劉も新鋭作家であるため、反響と論 評は多いものの、学術論文は多くはない。こうした状況を踏まえ、筆者は次のよ うな方法でこの論文を進めていきたい。

1 フィールドワークを行ない、作家たちに直にインタビューする。また、入手 困難な資料を作家から収集し、記載不一な資料に遭遇し、論の推考に確信をも てない際は、常にメールで意見交換する。

2 数少ない先行研究の理解に努めるが、その影響を受けず、筆者自身の視点 の獲得を試みる。

3 具体的進め方は、一章の序章をはじめ、二章と三章を合わせて、この論文に 関わる世界的情勢、近現代文学の変遷過程、日本文学との関連性と相違点など を、本論の理解に繋がる解説と考察に努める。その歴史的、文化的背景を跡づ けながら、作品の位置付けを試みる。

4 「研究の対象」であげた三者の代表作に集約し、それらの作品の構図であ る〈○〉の生成およびその時間性を究明し、作品に示された内省と回帰の思想 を読み解く。

第四、五、六章を本論として、対象作品を個別に考察し、分析する。したが って、〈○〉の構図の時間性がどのような射程をもっているのか、また、どの ような思想を反映しているのかを明らかにする。現在を凝視しながら過去を振 り返って未来を志向する作品の構図に現われた内省と回帰の循環思想を根拠 づけて分析する。

5 第七章を終章として、本論文で扱われる〈○〉の構図は、ジョルジュ・プー レの『円環の変貌』(岡三郎訳、国文社、1973 年)に語られた「内空間」論、

いわゆる表象上の方法論とは異なるものであり、本論は、構想上の方法を明ら かにし、作品の構造と時間性を示すものであると結論づける。

また、十七世紀の思想家ピーター・ステリー(イギリス)によって解釈され た円環構造の理論を基底に、三者が表象した〈○〉の構図の広がりに見られる 老子の〈道〉イズム、釈迦牟尼の「輪廻転生」、『旧約聖書』のノアの方舟、ハ イデッガーの『存在と時間』などの循環思想は、グローバリズムに富んでおり、

文学の普遍性をもつものと指摘するとともに、本論文の反省点と今後の課題を

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示していく。

第4節 論文の構成

この論文は、六篇(注)の既発表論文を再編輯し、七章に構成したものである。

対象作家と作品の時代的、文化的背景を基底に、その文学のもつ円環構造の共通 性を剔出し、分析した。以下章ごとに説明していく。

第一章は序章として、本論文で扱われる対象作品を明示し、三者の作品の構図 である〈○〉の生成を簡単に示す。また、黄、高、劉らの文学活動を繋げてみる と、その連続性から当代文学の新たなパラダイムを展望できると指摘する。

第二章は、本研究に関わる中国の歴史的、文化的背景や、日本と中国の近代文 学における異質性などを考察する。厳復(1853~1921)が紹介した『天演論』

(『Evolution and Ethics』、ハックスリー)から、二十世紀初期の〈新文化運動〉

と〈五・四運動〉が唱えた西欧文明と近代思想までに遡り、日本の明治維新によ る〈鹿鳴館〉時代の西洋化と近代文学の心理的写実の表象に対し、中国の〈救国 救民〉の思想の起因を明らかにする。魯迅の『阿Q正伝』から、プロパガンダ文 学、新時期文学、亡命文学、モダニズム文学へと、当代文学の系譜を明らかにす る。

第三章は、さらに当代文学の動向を踏まえ、先行研究および本研究の観点を明 確にする。

第四章は、シンボリズム詩人・前衛詩人黄翔とその詩歌「独唱」、「暮日独白」、 詩論「宇宙情緒」を中心に考察し、〈○〉の構図とその思想を明らかにする。

第五章は、モダニズム作家高行健の作品『霊山』を中心に、旅と人称表象の思 想的背景、および〈○〉の構図の意味するものを究明する。

第六章は、リアリズム作家劉震雲の作品《ケータイ》と《一句頂一万句》が姉 妹作であり、〈○〉の構図のもとで構成されていると考察し、分析する。

第七章を終章として、十七世紀の思想家ピーター・ステリー(イギリス)が解 釈した円環構造の理論を基底に、文学における〈○〉構図の深遠性を明らかにし、

本論文の反省点と今後の課題を明示する。

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【注】

① 「『霊山』における自我と無我の間及びその相克―人称表象を手がかりとして

―」『熊本大学文学部論叢』101 号、熊本大学文学部、2010 年

②「黄翔詩歌におけるコスモポリタニズムについて―〈○〉の世界を中心として

―」『熊本大学文学部論叢』102 号、熊本大学文学部、2011 年

③「『ケータイ』の構図における寓意を求めて―「擰巴」と「假話」をめぐって―」

『九州地区国立大学間連携教育系・文系論文集』、2012 年

④「『ケータイ』から『一句頂一万句』へ」『熊本大学文学部論叢』103 号、熊本 大学文学部、2012 年

⑤「「真実」探索としての旅およびその永遠性―『一句頂一万句』の場合―」『日 本中国当代文学研究会会報』第 26 号、日本中国当代文学研究会、2012 年

⑥「「独唱」の底流にある黄翔詩想に関する考察―詩論「宇宙情緒」を中心として

―」『交野が原』第 75 号、交野が原発行所、2013 年 9 月号

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第二章 中国文学とその軋轢 第1節 現代の場合

1.1 近・現・当代文学

中国文学と言えば、日本では李白や杜甫を代表とする詩学が想い起されるのが 一般的かもしれない。当然ながら、古典文学にはほかにも、陶淵明、欧陽脩に代 表される散文、蘇東坡、陸游を代表とする詞、《水滸伝》、《三国志》、《西遊記》、

《史記》などの作品が挙げられる。そして、その後の近世文学では、《紅楼夢》、

《儒林外史》、《聊斎志異》などの作品が思い浮かぶが、中国文学史では、一八四

〇年のアヘン戦争以前を古典文学、それから一九一九年の五・四運動までを近代、

〈五・四〉から新中国誕生の一九四九年までを現代、それ以降の文学を当代文学 としている。

日本の中国文学研究領域では、古典文学、近現代文学というジャンルで区分さ れていたため、陳独秀も胡適も魯迅も近代なのか、それとも現代なのか、長期に わたってどのカテゴリーに属するかがやや不透明な状況にあった。しかし、一九 八〇年代以降に、〈当代文学学会〉が出現し、近代、現代、当代という区別もなさ れている。そこには、中国本土の文学史テキストと統一性をもたせる意図が窺え る一方、現・当代文学の両翼に渉るプロパガンダ文学が終息して以来、当代文学 が、二十世紀初期の〈新文学〉を継承しながら多彩な文学的営為を展開し、多く の研究者の問題関心を獲得したことも窺える。

1.2 新文学の展開

中国現代・当代文学は、一九四〇年代から七十年代末までのプロパガンダ文学 を間に挟みながら、中国現代史におけるそれぞれの時期の政治的、社会的思想が 反映されていた。そのさまざまな思想の中で文学のパラダイムとされてきた〈五・

四〉思想は、今日に至っても多くの作家によって継承されている。五・四運動(1919 年)は、知識人と学生を中心に展開され、中国における列強諸国の権益や山東省 における日本の権益などの取り消しを求め、民主・科学を主張した反封建文化の 啓蒙運動であった

もちろん、五・四思想という自省意識は、前触れもなく突然浮上したものでは なく、その先駆けをなしていたのは新文化運動(1915 年)であった。反封建文化 の自省意識に見られる啓蒙思想は、すでに陳独秀(1879~1929)や胡適(1891~

1962)などによって提唱されていた。陳は、一九一五年に上海で《青年雑誌》を

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創刊し、その翌年《新青年》と改題したが、その雑誌において、〈民主・科学〉を 唱え、封建思想および伝統倫理などを批判し、西欧の文明思想を紹介していた。

さらにその翌年、同誌で文学革命を呼びかけ、胡がそれに呼応し、《新青年》に「文 学改良芻義」(二巻五号、1917 年)を発表し、旧文学の表現および言語を批判し、

白話文学を唱えた。その翌月、陳は「文学革命論」(同誌二巻六号)を発表し、貴 族文学や古典文学、山林文学の打倒、国民文学、写実文学、社会文学の創作を呼 びかけ、中国の新文学の道を開いた。

その後の一九一八年、《新青年》に発表された魯迅の処女作《狂人日記》は、ま さにこのような文学思潮の中で育まれたものであった。ゴーゴリの《狂人日記》

の影響を受け、表題、内容とも似通っており、家族や自分の周辺の人たちがみな カンニバルで、いずれも自分を食べようと企んでいる、といった妄想に陥った主 人公の日記である。作品発表当時は、創作においては文語体を用いるのが一般的 であったのに対し、口語体で書かれたその作品自体が伝統文学に対するアンチテ ーゼであり、啓蒙運動に貢献する役割を果たしている。それと同時に儒教を原理 とする中国社会の家族制度が〈人が人を食う〉社会であることを隠喩し、その根 底にある倫理観の不条理と非人間性とを示唆しているため、国民の自省意識を喚 起する書とされている。

《新青年》は、時代的啓蒙雑誌であり、多くの青年を奮い起こし、五・四運動 への積極的参加を導いた。その歴史的パノラマの展開は、後の巴金(1904~2005)

の《家》(1931 年)にリアルに表象されている。この作品の主人公覚慧は、祖父 を封建勢力の象徴として、断固として拒絶する姿勢で臨んでいく。彼は《新青年》

を読みあさり、旧家の屋敷の兄弟や従兄弟にも勧め、旧制度への反抗を先導する。

若い世代の彼らは、儒教倫理に支配されている一族の不幸な婚姻に目覚め、祖父 の操り人形にはこれ以上はならないと決意し、人間の自我に覚醒する。覚慧の〈わ れらは木偶の坊ではない。われらは人間だ〉という名言は、作品を貫通する鮮明 なテーマであった。彼らの求める自由で平等な〈人間〉のモデルは、覚慧を通し て提示された。彼は鳴鳳という使用人に恋し、祖父の決めた婚姻を拒んで家出す ると同時に、《新青年》の編集に加わって社会革命に身を躍らせる。それはまさに 五・四時期の青年像であった。この人物造形は見事に成功し、当時の青少年のみ ならず、後世の人々も共鳴し、読み継がれていった。

《家》は、大いなる歴史的役割を果たした作品であった。しかしながら、作品 中の家長である祖父の死後、旧家が没落しても封建思想の勢力が衰えないとして、

(19)

巴金は続編として《春》と《秋》を書き続けた。彼は、儒教倫理が中国社会に及 ぼした弊害は根深いものであり、それは社会の進歩に齟齬をきたし、人間の心身 を蝕むものであると述べている。この三部作は、若い世代の恋愛を軸に一族の人 間模様および没落する旧家を描いた物語であったため、しばしば《紅楼夢》の現 代版として論じられた。

1.3 新詩の光芒

詩学の改良をいち早く唱えたのは、清末期の黄遵憲(1848~1905)、梁啓超(1873

~1929)、譚嗣同(1865~98)、夏曾佑(1863~1924)らであった。彼らは、「新詩」、

「白話体」、「詩界革命」を主張したが、その実現には至らなかった。胡は彼らを 受け継ぎ、「文学改良芻義」において、「八不主義」(八条を守る)(注1)を明確に示 し、新詩の有り方を確立させ、その実践も試みた。

僕は言った。「僕は心を閉ざす/人がドアを閉めるように/“愛情”を生 きながら餓死させれば/もう二度と僕を困らさなくなるかもしれないから」

(略)だが、湿り気を帯びた五月の風が/しょっちゅう屋根から吹いてくる

/さらに通りの中央のあの琴の調べが/次から次へと飛んでくるのだ/部屋 中が太陽の光/この時“愛情”は少し酔っていて/こう言うのだ/「僕には 心を閉ざさない/君の心を木っ端みじんにしてやりたい」(注2)

胡は、自らが訳したこのアメリカ詩について、「私の“新詩”の成立の紀元」(注

3)と述べたのみで、それ以上言及しなかったが、この訳詩が形式、韻律、成語な どをいっさい用いていないことから、自身の主張した〈八条〉が実践されたと考 えたに違いない。こうして旧詩の束縛からの解放を目指す新詩運動の試みは、十 九世紀末より、すでに盛んに行われていた。そこでは、西洋詩歌に啓発を受けな がら、詩とは何か、詩の言語とは何かが模索され、新詩の新たな構築を切り開い てきたのだ。

二十世紀初期から、陳独秀、胡適、魯迅をはじめ、郁達夫、老舎、劉半農、沈 尹黙、周作人、鄭振鐸、朱自清等多くの文学者が、同時代の作家とともに積極的 に創作の有り方を模索し、ロマン派、象徴派、叙情派、新感覚派など多くの文学 流派を生み出した後、抗日戦争と国内戦争による社会的情勢のもとで、作家たち はイデオロギー普及に貢献するようになっていった。

(20)

第2節 当代の場合

2.1 プロパガンダ文学と地下文学

一九四九年の中華人民共和国建国後、新中国とともに毛沢東の文芸理論を讃え る建国文学思潮が現われ、社会主義リアリズム文学やプロレタリア文学などが隆 盛期を迎えていた。その代表的作家、詩人には、何其芳、趙樹理、王蒙、郭沫若、

馮至、藏克家、艾青等がいる。しかし、実質的には、四〇年代初期からすでにプ ロパガンダ芸術が展開され、イデオロギー規制がなされていたため、それに従え ない作家、詩人たちが次々と現われ、中国現代文学および詩歌は行き詰まらざる を得なかった。六〇年代の文化大革命期における代表的作家、詩人には、浩然、

賀敬之と郭小川がいる。彼らは時代の〈大合唱〉を積極的に詠った。しかし、一 方では三〇年以上もプロパガンダ文学の支配が続く中、民間ではそのイデオロギ ーに抵抗して、六〇、七〇年代には、〈地下文学〉(秘密サロン文学)の秘密結社 が全国各地で出現した。北京では、北京大学哲学部の学生郭世英(郭沫若の子息)

を中心とする「X社」(1962~63)、北京中央美術学院の学生張郎郎を中心とする

「太陽縦隊」(1963~66)があり、河北地域の山村では〈下放〉された青年たちに よる「白洋淀詩歌群」(1969~76)があった。そして、南西部の貴州地域には黄翔 を代表とする「啓蒙社」があった。

2.2 新時期文学とヒューマニズム論争

その後、プロパガンダ文学が終束した一九七八年から一九八〇年の半ばまでは、

中国当代文学は激動の〈文革〉時代を巡る文芸思潮が噴出し、〈傷痕文学〉、〈知識 青年文学〉、〈反省文学〉、〈ルーツ文学〉を経て、この民族を取り巻く社会という 外面から、人間の内面に向かう自身への内省、方法の追究、欧米理論の受容など の諸問題の思考および実践に迫られるようになった。八十年代半ば頃の、劉再復

(1941~)の「文学の主体性論」(《文学評論》1986 年第六期)や李沢厚(1930~)

の「主体性論」などは大きな反響を呼び起こし、新たな文学思潮を巻き起こしてい た。この時期の文壇は〈新時期文学〉と呼ばれていたが、それはまさに、陳独秀、

胡適が二十世紀初期に起こした〈新文学運動〉の文芸思想を継承したものと見受 けられる。

この〈新文学運動〉と〈新時期文学〉のあいだには、六十年あまりの歳月が流 れた。しかし、多くの作家が再び陳、胡、魯迅の啓蒙思想から啓発を受け、プロ パガンダ文学によって中断された過去の模索と構築の試みにフィードバックする

(21)

局面に遭遇した。そしてそのモダナイゼーションの中、人間の生理と原理をモチ ーフにした作品『男の半分は女』(張賢亮《収穫》1986 年第五期)が話題を呼ん だ。この作品は長い間〈禁区〉とされてきた男女の性を巡って、人間の心身をリ アルに叙述していた。この時代の文学を考える時、日本の戦後文学『堕落論』が 連想される。坂口安吾は〈特攻隊〉の大義に美しく死すより、堕落と非難されて も、醜く生き残ることを主張する。つまり戦時体制下の思想を痛切に批判し、人 間の原点に立ち返るヒューマニズムを浮き彫りにした。

一九八五年前後、中国文壇で注目を浴びるヒューマニズム論争は、まさしく文 学のみなもとである人間を、表象の主体として浮かびあがらせようとした。張賢 亮と並んで白樺の《苦恋》(《十月》1979 年第 3 期)、劉賓雁の《人妖之間》(《人 民文学》1979 年第 9 期)、戴厚英の『ああ、人間よ』(花城出版社、1980 年)、王 蒙の《春之音》(《人民文学》1980 年 5 月号)、張潔の『愛、忘れ難きもの』(《北 京文芸》1980 年第 11 期)、諶容の『人、中年に至る』(《収穫》1980 年第1期)な どの作品は、プロパガンダ文学のテクストから開放され、自省意識をこめながら 人間性の追求に苦闘し、新時期文学の開花期を迎えていた。これらの作品は、ヒ ューマニズムやモダニズムなどによって、個性的な群像を描き出し、当代文学の 再生の構図を描きだしていた。だが、この文学思潮はまもなく 1980 年より開始さ れた〈精神汚染〉キャンペーンによって政治的に粛正された。いわば、当代文学 は依然としてイデオロギー統制下にあって、脱プロパガンダ芸術の営為が実現さ れることはなかったと言えよう。そうした社会的情勢に抗議して、知識人と学生 による民主化運動〈六・四天安門事件〉(1989 年)が勃発したが、国家当局の軍 事的介入によって鎮圧されることとなった。

2.3 亡命文学とノーベル賞文学

一九八〇年代末期の文壇を顧みれば、五・四運動時期の文芸思想と重なりあう 側面が窺える。つまり、脱古典文学と脱プロパガンダ文学への抗争、西欧文芸理 論の受容、社会理念から人間自身への回帰などの模索が求められていたが、一九 四〇年代には、日中戦争と国共内戦、一九八〇年代には〈六・四天安門事件〉に よって、知識人たちによる理想的文芸論争は再び中断された。さらに、〈六・四天 安門事件〉は、多くの作家、思想家を身の危険にさらしたため、彼らは、旧ソビ エト時代の亡命作家のように世界各地に逃亡せざるを得ない状況に追い込まれた。

国外で彼らは母語世界を失った苦境を背景に孜孜として創作し、中国亡命文学を

(22)

切り開いた。その代表的作家には、高行健、黄翔、鄭義、北明、劉賓雁、盛雪、

茉莉などが挙げられる。さらに、今日の大陸文学でも〈体制内作家〉、〈体制外作 家〉という文学用語が存在している。

このような状況下にありながらも、モダニズム作家の高行健とマジックリアリ ズム作家の莫言が二十一世紀にノーベル文学賞を獲得している。両作家の作品は いずれも中国社会の転換過程における人間の痛みと喪失感を描き、民族文化を凝 視し、内省するものである。当代文学はいまなお政治的イデオロギーに抵抗しな がら、文学の真の有り方を模索しつつ、人間を規制しようとする社会という外面 から、文化を通して自身の内面への回帰に向かっている。

第3節 現・当代文学のイデオロギー普及 3.1 日本近代文学の場合

日本では、明治維新(1868 年)をはじめ、国家的戦略による近代化が急速に進 み、資本主義が阻害されることなく形成された。鎖国から開国へ移行するにとも ない、〈文明開化〉が勃然と広まり、〈鹿鳴館〉時代の西洋化ムードが日本固有の 文化を揺さぶった。近代文学の歴史的展開はいうまでもなく多様であり、一般化 には困難を伴うが、その基本的潮流としては、時代のカラーに染められながら、

その出発点から個人主義を育み、人間の内面を問題とするものが主流となってい た。坪内逍遥の『小説神髄』(明治 18~19 年)を先駆けとして、心理的写実の表 象が開花期を迎えた。近代小説の夜明けとされた『浮雲』(二葉亭四迷、明治 20

~22 年)をはじめ、シンボリズムや自然主義、高踏派などの作家たちは、社会と 人間の不調和を題材にした中国近代小説とは意を異にして、社会と文化に組み込 まれた人間自身の心の世界を浮き彫りにしていた。森鴎外の『舞姫』(明治 23 年)、 樋口一葉の『たけくらべ』(明治 28~29 年)、泉鏡花の『高野聖』(明治 33 年)、 徳冨蘆花の『不如帰』(明治 31~32 年)、島崎藤村の『破戒』(明治 38 年)、夏目 漱石の『吾輩は猫である』(明治 38~39 年)などは、さまざまな課題を扱いなが らも、人間の内面の追究が際立っていた。もちろん、それらと異なったジャンル の『貧天地大飢寒窟探険記』(桜田文吾、明治 23 年)、『最暗黒之東京』(松原岩五 郎、明治 26 年)、『日本之下層社会』(横山源之助、明治 31 年)などもあったが、

それはいずれも小説ではなく、社会の暗部を反映するルポルタージュであり、自 由民権運動による政治小説も含め、日本近代文学の本流とはならず、むしろ異端 派とさえ思われたのである。

(23)

3.2 ヨーロッパ啓蒙思想の受容

しかし、中国の場合、アヘン戦争以後、清朝政府は列強諸国の脅威を目の当た りにし、富国強兵による近代化を試みたが、左宗棠、劉銘伝、張之洞、曾国藩、

李鴻章らを中心とする〈洋務運動〉(1860~90 年)はその実現を果たせなかった。

その上、日清戦争(1894~95 年)が勃発し、アジアの一小国に敗北した事実は、

同じアジアの大国である中国に衝撃を与えた。知識人たちには亡国の危機意識が 生まれ、〈救国救民〉の思想が芽生え始めた。

したがって、日清戦争後、中国の強化を図るために知識人たちは、西欧の啓蒙 思想の導入に目覚めた。当時、一世を風靡した翻訳家、思想家であった厳復は、

ハックスリー(Th. H. Huxley)の“Evolution and Ethics”を訳し、《国聞報》

の特集版《国聞彙編》(1897 年)に発表し、翌年の四月にその一部を《天演論》

と題して出版した。本書は中国において、西欧啓蒙思想を紹介するはじめての書 であった。世に問うや否やたちまち警世の書とされ、中華帝国の危機に警鐘を鳴 らすものとなった。

《天演論》は、進化論の立場から、「物競」(生存競争)、「天択」(自然淘汰)「適 者生存」などの学説が紹介され、中国思想界に大きな衝撃を与えた。知識人たち は、人類の進化において中華民族のみが立ち後れ、滅亡するのではとないかとい う危機感に陥った。本書が、単なる翻訳書ではなく、注釈、評論、感想などを加 筆した訳者の思想が混入されたものであったことは、後の厳復研究で明らかにな った。

こうした啓蒙思想が求められる中、〈新文化運動〉が起きた。反封建、反侵略、

反帝国主義思想が歴史的、社会的、国民的に広まり、〈新文学〉もこうした〈救国 救民〉の思想のもとで誕生した。一方、一九一七年にロシア革命が起こり、中国 知識人の救国の思いに解放の道を指し示した。ハックスリーに続き、マルクス主 義などの受容が進み、儒教倫理への批判、民主・科学を主張する近代思想の展開 の中で、文学の社会性も培われていった。いわば、中国現代文学は、その出発点 から社会的責任感と民族精神が追求されている。いわゆる人間の内面の問題とい う以前に、社会の改革および精神の改良を問題にしてきたのである。

3.3 現代文学と魯迅

中国現代文学の象徴的旗手といえば、魯迅が知られている。周知の如く彼は父

(24)

親の死を契機に医学を志したが、日本留学中に受けた屈辱で心の傷を負った。そ してその屈辱の由来するルーツを探ると、それは母国の衰退からくるものであり、

さらに、亡国の危機に無頓着で関心すらまるで持たない同胞たちの精神性にも気 づいた。「吶喊」の「自序」(《魯迅全集》第一巻、人民文学出版社、1981 年版)

において、魯迅は仙台留学時の出来事を語っている。やや長くなるが以下に引用 する。

講義が一段落し、時間が余った時には、先生が風景や時事のスライドを見 せ、余った時間を埋めた。日露戦争の真っ最中のため、戦争に関するものが 比較的に多い。同じ教室のなか、同級生たちの拍手や喝采にも当然お付き合 いをしなければならなかった。ある日、突然スライドを通して久しぶりに多 くの中国人に会った。一人が中央に縛られており、左右にも大勢が立たされ ているが、どの人も屈強な体格をしているが、表情は愚鈍に見えた。解説に よれば、ロシアのために軍事上のスパイ活動をはたらいたため、その見せし めとして日本軍に首を切られようとしたところだそうだ。そこでやじ馬見物 していたのはその盛事を鑑賞している連中だ。

その学年が終わらないうちに私は東京に出た。というのもそのスライドを 見て以来、医学などはさほど重要なものではないと思えたのだ。およそ愚か な国民は、体格がいかに健全で屈強であっても、なんらの意味もない見せし めの材料や見物人にしかなれず、いかほど病死したところで不幸だと考える 必要はない。我々が先ずすべきことと言えば、かれらの精神を改造すること だ。精神を改造するにはむろん文芸が一番だと、当時の私には思えたのだ。

そこで文芸運動を提唱しようと考えた。

このように、魯迅の文学への出発点が明確に語られている。彼は処女作《狂人 日記》において、儒教倫理を批判し、《阿Q正伝》において、国民の精神性を浮き 彫りにした。ふたつの作品は現代文学の真髄として中国内外の研究者に研究され てきた。因襲文化と民族の精神性に目覚め、自民族の隷従性を痛烈に批評した作 品である。魯迅は、後の『語絲』(注4)においての創作や〈中国左翼作家聯盟〉(注5)

の先鋭作家としての活動においても、終始この文学観を貫いていた。

(25)

3.4 中国文学の軋轢

魯迅は、〈新文化運動〉の先駆者銭玄同(1887~1939)とこんな対話(注6)をした ことがある。

魯迅:

例えば、窓もなく、絶対に破壊不能の鉄の部屋がある。中には大勢の人が 熟睡していて、間もなく窒息死してしまう。しかし、昏睡中に死亡すれば、

死の悲しみを感じない。それなのに今騒ぎ立てれば、まだ熟睡していない何 人かの目を醒ましてしまう。不幸の少数者を挽回できもせず、臨終の苦痛を 与えることは、かれらに申し訳ないと思わないだろうか。

銭玄同:

しかしながら、何人か起き上がれば、この鉄の部屋を壊せる希望が絶対に ないとは言えないだろう。

魯迅をはじめ二十世紀初期から、中国現代文学は時代の負の遺産を背に自国民 の精神性に向き合った。魯迅文学が現代文学の母体とされているのであれば、中 国現代文学の軋轢が窺えよう。つまりその出発点から直に人間の内面への探求を なす以前に、先ずは因習文化における〈鉄の部屋〉を壊すことと〈熟睡の人〉の 目を覚ますこと、といった啓蒙的役割が条件となっていたのだ。

文学を通じて、人々の精神性を正そうとする者は、なにも魯迅と〈新文化運動〉

時期の思想者達だけではない。清朝末期に遡って見れば、もう一人の先駆者梁啓 超(1873~1929)がいる。彼はかつてこの民族の希望を文学に託し、中国最初の 小説雑誌《新小説》において、次のように語った。

一国の民を新たにせんと欲すれば、先ず一国の小説を新たにせざるべから ず。故に道徳を新たにせんと欲すれば必ず小説を新たにし、宗教を新たにせ んと欲すれば必ず小説を新たにし、政治を新たにせんと欲すれば必ず小説を 新たにし、風俗を新たにせんと欲すれば必ず小説を新たにし、学芸を新たに せんと欲すれば必ず小説を新たにし、乃て人心を新たにし、人格を新たにせ んと欲すれば必ず小説を新たにするに至る。何の故を以てするや?小説は不 可思議の力有りて人道を支配するの故なり。

(「小説と群治の関係を論ず」1902 年)

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これは梁啓超が、光緒二十八年十月十五日(1902 年 11 月 14 日)に、〈戊戌の 政変〉(注7)の失敗による亡命先の横浜で創刊した《新小説》の巻頭文である。「小 説と群治の関係を論ず」と題し、清朝末期の小説理論として高く評価され、中国 小説界の革命を促した。

中国文学の主題は、はるか古の古典文学から俯瞰しても、常にこの民族の変遷 過程における人間の内面への探求というより、この民族における歴史上の折々に 直面していた存亡の危機への抗争に、貢献する役割を果たさなければならないと いう志向があった。《詩経》、《楚辞》、陶淵明、李白、杜甫などの〈志の文学〉が その淵源であり、梁啓超、陳独秀、胡適、魯迅はその本流を受け継ぎ、詩人黄翔、

モダニズム作家高行健、リアリズム作家劉震雲、マジックリアリズム作家莫言な どはその歴史的流れを継承しつつ、かつ人間自身への回帰に向かったように見受 けられる。いわば、当代文学の新たなパラダイムを開いたのである。

(27)

【注】

1 胡適、「文学改良芻義」『新青年』第2巻5号、1917 年

一曰 須言之有物。二曰 不摹仿古人。 三曰 須講求文法。四曰 不作無病 之呻吟。 五曰 務去濫調套語。 六曰 不用典。七曰 不講対仗。八曰 不 避俗字俗語。

2 胡適、「関不住了」『新青年』第 6 巻第 3 号、1919 年

謝冕著、岩佐昌暲編訳、『中国現代詩の歩み』23~24、中国書店、2011 年 3 胡適、「再版自序」《嘗試集》第二版、北大出版部、1920 年

4 中国の週刊雑誌、1924~30 年、孫伏園・魯迅・周作人・林語堂らが当時の思 想界の沈滞を不満として発行、随筆・評論が中心。(『大辞林』第 2 版、三省 堂、1990 年)

5 中国共産党江蘇省委員会の指導で、1930 年 3 月 2 日に上海で結成された文 学・芸術・演劇各界の統一戦線組織(略称‘左聯’)。《世界文化》、《北斗》、

《前哨》など二十数種の雑誌を刊行し、国民党のファッショ化と日本軍の大 陸侵略に抗った。弾圧によってその末期にはほとんど合法的な活動ができな くなっていた。1935 年 12 月モスクワに滞在していた王明の指示で解放した。

(『世界大百科事典』第2版、平凡社、1950〜60 年)

6 「吶喊」自序《魯迅全集》、人民文学出版社、1981 年版、419 頁

7 清朝末期の近代的政治改革運動。干支で戊戌の年、すなわち 1898 年(光緒 24) に起こった。戊戌維新とも呼ばれ,また 100 日あまりで失敗に終わったこと から〈百日維新〉とも呼ばれる。変法とは、伝統的な政治制度全面的に改革 することであり、具体的には、日本の明治維新を模範にして君主制度から立 憲君主制に改めることである。この運動の理論的指導者は康有為である。(『世 界大百科事典』 第 2 版、平凡社、1950〜60 年)

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(29)

第三章 当代文学研究と本研究 第1節 文壇動向

《中国当代文学編年史》(山東文芸出版社、2012 年 11 月)の「総序」を執筆し た張健によれば、中国当代文学研究を総括した文学史書は、一九九〇年から一九 九九年までには四十四書が出版され、二〇〇〇年から二〇〇六年までには、さら に十五書が出版された。その中で、現在日本で最も読まれているのは、『中国当代 文学史』(鄭万鵬著、中山時子、伊藤敬一ほか訳、白帝社、2002 年)と『精神の 歴程』(暁芒著、赤羽陽子、近藤直子ほか訳、柘植書房新社、2003 年)である。

当代文学に関する史書は、ほかにも『中国のプロパガンダ芸術』(牧陽一、川田進 ほか著、岩波書店、2000 年)、『中国二〇世紀文学を学ぶ人のために』(宇野木洋、

松浦恒雄著、世界思想社、2003 年)、『懺悔と越境』(坂井洋史著、汲古書院、2005 年)、『中国語圏文学史』(藤井省三著、東京大学出版会、2011 年)などがある。

古典、近現代文学研究に関する史書の多さに比べて、当代文学研究は好ましい状 況にあるとは言い難い。

しかし一方では、二十一世紀以後の長篇小説の邦訳は、大手書店でも数多く出 版されている。吉田富夫が翻訳した莫言の『豊乳肥臀』(平凡社、1999 年)、『転 生夢現』(中央公論新社、2008 年)、『蛙鳴』(中央公論新社、2011 年)、飯塚容が 翻訳した高行健の『ある男の聖書』(集英社、2001 年)、『霊山』(集英社、2003 年)、泉京鹿が翻訳した余華の『兄弟』(文芸春秋、2008 年)、『コレクション中国 同時代小説』(シリーズ 10 巻、勉誠出版)などが挙げられる。つまり、ここ三十 年来、当代文学は中国社会の変容とともに、さまざまな視点で研究されているこ ともまた事実である。例えば、二〇一二年九月、西安で行なわれた〈“中国当代文 学与陝西文学創作”日中学術討論会〉では、日本の当代文学研究者加藤三由紀、

佐藤普美子、塩旗伸一郎らが研究発表をし、シンポジウムに出席した(『日本中国 当代文学研究会会報』第 26 号、2012 年)。さらに、二十一世紀以降、高行健(2000 年)と莫言(2012 年)がノーベル文学賞を受賞した。亡命作家と国内作家がとも に選ばれたことは、中国当代文学がプロパガンダ文学から解放され、人間自身の 内面へ回帰し、文学の普遍的価値を回復したことを意味するのであろう。

上で触れた《中国当代文学編年史》では、共和国成立後の一九四九年から現在 までの当代文学を次のように区分し、分類している。

①十七年文学(建国文学ともいう)/②“文革”文学/③八十年代文学/④九 十年代文学/⑤新世紀文学/⑥香港台湾文学

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この分類から見るに、本論文で扱わない⑥を除けば、大きく三つの転換期を捉 えることができる。一つに、建国前の毛沢東の文芸理論とする「文芸講話」(《放 日報》第4版、1942 年 5 月 14 日)が受け継いだ①と②の〈プロパガンダ文学〉

であり、次に、③と④の〈新時期文学〉である。そしてもう一つは、携帯電話と インターネットの時代を迎えた⑤の〈新世紀文学〉である。

前章では、現代文学は二十世紀初期において、ロマン派、象徴派、叙情派、新 感覚派を経た後、抗日戦争と国内戦争による社会的情勢のもとで、イデオロギー 普及に貢献するようになっていったと述べたが、現代文学にもたらされた重要な イデオロギーは《抗戦文藝》(日本侵略軍に抵抗する文学)と言える。

一九三七年の盧溝橋事変をきっかけに三八年に〈全国抗敵協会〉が設立され、

〈致全世界家書〉(《文芸月刊》第 9 期、1938 年 4 月 1 日)が発表されたと同時に、

“抗戦文学”が広まった。胡風、藏克家、張天翼、蕭紅等多くの文学者、翻訳家 が《抗戦文藝》、《中国抗戦小説集》、《中国抗戦詩選》などで積極的に活動した。

そして、同年〈魯迅芸術学院〉が延安に創立された。その後、延安文芸座談会が 開かれ、毛沢東の「文芸講話」が発表された。この講話が〈整風運動〉(党の思想 を正す)の布石となり、王実味の《野百合花》を粛正し、プロパガンダ文学の文 芸理論に発展していった。

共和国建国後、文学は更なるプロパガンダ支配下に置かれ、イデオロギー普及 のための貢献が求められたが、〈文化大革命〉の終息とともに、〈傷痕文学〉、〈反 思文学〉、〈ルーツ文学〉、〈朦朧詩〉思潮が展開された。そして、八十年代半ば以 降は、陳独秀と胡適が新文化運動で唱えた文学理念を継承するかのように、西欧 理論の受容と実験文学が盛んになった。劉再復、高行健がその先駆者であり、伝 統文化の再認識、西欧文学理論による思想解放運動を促した。だが、一九八九年 の〈六・四〉天安門事件が勃発し、文学の挫折、作家への迫害が見られたものの、

当代文学は、九十年代に入るや否や多様な展開も見られるようになった。《白鹿原》

(陳忠実)、《廃都》(賈平凹)、《許三観売血記》(余華)、《長恨歌》(王安憶)、《活 着》(余華)などは、いずれも中国社会の変容を仄めかしている。この時期、中国 国内では〈体制内作家〉、〈体制外作家〉という言葉が生まれ、中国国外では、天 安門事件を契機に亡命作家が出現し、その文学活動も活発であった。つまり、八 十年代と新世紀の中間に位置する九十年代文学は、強い政治的束縛のもとでの創 作だったが、経済発展とインターネット時代は、これまでの社会とライフスタイ ルに劇烈な変化をもたらした。したがって、当代文学も新たな展開を迎えたので

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