• 検索結果がありません。

ロックの政治思想

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "ロックの政治思想"

Copied!
21
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

奈良教育大学学術リポジトリNEAR

ロックの政治思想

著者 若松 謙

雑誌名 奈良教育大学紀要. 人文・社会科学

26

1

ページ 111‑130

発行年 1977‑11‑15

その他のタイトル Locke's Political Thought

URL http://hdl.handle.net/10105/2540

(2)

B温gN監禁mm univ.篭m26%

due,V。l潔ァ(AX・ォ:

N。.1(cult.怠)Bg*152f」

:s。c),1977 ロックの政治思想

>'.=IV‑

(倫理学教室)

(昭和52年4月28日受理)

I.はじめに

ロックは、1690年に出版された『統治に関する二論文』(TwoTreatisesofGovernment)に おいて、理性と聖書とに照らして、人間の基本的権利を擁護する社会体制を理論的に基礎付けよ うとした。それは直接には、名誉革命によって樹立されたイギリス(イングランド)の新しい社 会体制を正当化することを目指したものであったにせよ、それ以後のイギリスの進むべき方向は もとより、対外的にもアメリカの独立、フランス革命に及ぼした影響など、その歴史的影響力に は、はかりしれないものがあった。民主主義国家の理論的基礎付けを最初に与えたのがロックだ と言われるほど、今日でも高く評価されているのである。私も勿論それを認めている。しかし理 性と聖書という二つの神聖な権威に照らして如何に普遍妥当的な原理が掲げられたにせよ、結局 それも、ロックがそこで生れ育った歴史的地盤、社会的背景といったものと無関係ではあり得ず、

むしろそれらによって大きく制約されている面があることも又否定し得ない事実であると思われ る。そこで私はこの小論において、そうした点に留意しながら、ノ改めてロ、アク思想のもつ意義や 問題点を考え直してみたいと思うのである。

II.ロック理論の構造

ロックもホップズら他の17、8憧紀の思想家と同じく、社会契約説を受入れている。人々が

「一つの共同社会に入り、一つの政治体をつくることiと互いに同意するく1)」社会契約によって国家 が成立すると考えているのである。従って国家成立以前の状態(自然状態)を想定し、そこに見 出される何らかの不都合、弊害を除去するために国家が形成されるのだ、と説く点においては、

ホップズと全く同じである。思想内容に違いがあるにせよ、議論を展開する仕方は全く同じなの である。そこでここでは、ホップズと比較しながらロックの思想を紹介してゆくことにする。

1.自然状態

自然状態において、ロックもホップズと同じように自然権を認めているOこれは国家が成立し た以後、国家によって初めて正当化される個人の権利とは違い、およそ人間が人間であるかぎり、

その本性上すべての人間が必然的に有している権利のことである。勿論国家が形成され、そこに おいて矢張り権利として正当化されるならば、自然権イコール国家によって認められた権利、と いうことになるわけであるが、しかし両者は時には対立することもある。不健全な国家では、人 間固有の自然権が不当に抑圧、無視されることがあり得るからである。こうした意味では両者は 区別されて当然といえるのである。ところでホップズにおいては、自然権の具体的内容は、自 111

(3)

112 若 松  謙

由く各人が自分の生命を維持するために、自分の欲するままに自分の力を用いてもよい、という 自由C2)¥ と規定されていたが、ロックにおいてはもっと細分されている。代表的なものをあげる と次のようになる(1)自分の生命を維持する権利(2)自由の権利。 (自然状態においては人々は 互いに平等であり、支配服従の関係などは成立していないから、各人は自分の思うままに行為し てもよいという自由を必然的に有している (3)私的所有権。 (自分の生命を維持するためには、

当然生命の維持に必要な財が確保されねばならない。従って(1)の生命を維持する権利から必然的 に、生命の維持に必要な財を確保する権利が生ずる (4)処罰権。 (自分の生命、自由、財産など に関して不当な侵害が加えられた場合、その侵害の程度に応じた賠償、処罰を要求する権利。上 述の三つの権利が人間固有の権利であるかぎり、それらの侵害を処罰する権利も、当然自然権と

してすべての人間に属するとされているI。

ところで、人間は本性上利己的であり、放っておけば(他人の利益を無視し、時には侵害して さえも)自分の利益しか追求しないと考えたホップズは、自然状態を「万^の万人に対する戦い」

という、非常に悲惨な状態として描いたC45。しかしロックは違う。確かに人間は、自分の利益を 追求する一面も有するが、しかし他方において理性を有し、如何なる行為が人間としてふさわL, い行為であるかを白から判断することが出来る。従って他人を不当に侵害してまでも自分の利益 を追求するといった極端に利己的な在り方を、人間は自からの理性に照らして是認することが出 来ないo 「自然状態は、それを支配する自然法をもっていて、それがすべての人々を拘禾してい る。そしてそうした法である理性は‑‑すべての人間に以下のことを教える。即ち、すべての人 々が平等で独立しているのであるから、誰も他人の生命、健康、自由、所有物を傷つけるべきで はないということを教えるく5㌔」人々は互いに自由で平等な存在であるから、互いにその自由と平 等とを尊重し合わなければならないことは、およそ人間が人間であるかぎり誰にでも理解出来 る。他人の生命、自由、財産などに対する不当な侵害が許され得ないことは、理性を有するかぎ り誰にでも自明なことである。従って国家成立以前の自然状態においても、人間は単に自分の権 利を主張し、追求するだけではなく、同時に他人への義務も常に意識して行為している。それ故 上述の二番目の自然権、自由も、 (ホップズとちがって)他人の権利を侵害しない範囲内に当然 制限されているのであるC63 自然状態はロックにとって、支配服従の関係がないという意味で自 由な状態であるが、しかしホップズの説くような放慈な状態ではないのである。そして或る人が 理性の正しい使用を誤って万「不当な侵害を犯した場合には、上述の如く、侵害の程度に応じて 処罰する権利が、各人に認められているのである。

このように人々が自然法を自覚し、それに従って生活してし1る自然状態は、侵害者を裁く公け の裁定者がいないという不便はあるものの、しかしホップズが主張したような戦争状態とは必ず

しも同一ではないとされているのであるC75

2・私坤所有権の間箆

ロックは生命を維持するためには、それに必要な財が確保されねばなら‑ないとして、私的所有 権を(自然権の一つとL,て)正当化していた。しかしこれについては、まだ多くのことが語られ ねばならない。まず、個々の具体的事物への私有権が如何に成立するのか、ということが当然問 題になるが、ロックはそれは労働に依存すると考えている。ロックによると、この自然の世界は 最初、すべての人々の共有物であったが、各人が何らかの形でそれに働きかけ変形を加えると、

(4)

ロ ッ、ク の政治思想 113

まさにそうした労働の結果として、r それに対する私有権が成立つとされるのであるO 「大地やす べての下級被造物は、すべての人間の共有物であるとはいえ、しかし各々の人間は彼自身の人格 に対して所有権をもっている。彼自身以外の誰もこれに対して権利を有さない。彼の身体の労働、

そして彼の手の働らきは、当然彼のものであると言うことが出来る。それ故、自然が用意し放置 しておいた状態から彼が取去るすべてのものに対して、彼は労働を混ぜ合わせ、彼自身のもので ある何かをそれに結び付けたことになる。そしてそのことによって彼はそれを自分の所有物とす るのである。自然が放置しておいた共有状態から取り去られたとき、こうした労働によって、他 の人々の共有権を排除する何かがそれに付加されたのである。何となればこの労働は労働した者 の紛れもない所有物なのであるから、彼以外の誰も一度労働が付加されたものに対しては権利を もちえないのである。少くとも他の人々のために共有物が十分によく残されている場合にはそう なのであるC83」例えば、どんぐりやリンゴが森の中で自然になっている時には、それらはすべ ての人々の共有物である6 しかし誰かが木に登ってそれらを取ったとすれば、まさにそうした労 働によって取られただけのリンゴならリンゴは彼のものとなるとされるのである。土地について も同様であるO或る人が耕し種を蒔き、取り入れをなす土地は、そうした労働によって彼の所有 物になるとロックは主張するのである。労働を媒介にして,'万人の共有物が私的所有物に転化す

るとされるわけである。

しかし具体的私有量にロックが二つの制限を付けていることに注意する必要がある。一つは今 の引用文において示されていたように「他人にも十分によく残されている」ということである。

もう一つの制限については次のように述べられている。 「害なわれる前に生活の便宜のために利 用し得るだけのものに対して、誰もが自分の労働によって所有権を定めてもよい。これ以上のも のはすべて彼の分け前以上のものであり、他の人々に属するC95 」労働は生命維持のために為され るのであるから、個人が自分の衣食住の生活を賄うのに十分足るだけのものは当然彼の所有物と なる。しかしそれを越えてはいけないとされるのである。例えば果実や獣の肉をいくら集めたに しても、彼がそれを消費しないうちに痛んだり腐ったりするようなことが起れば、彼は必要以上 のものを自分のものとしたことになり、他人の分け前を侵害したのと同じことになるとロックは 言うのである。即ち自然状態において私的所有権が認められるにしても、それは自分で消費可能 範囲内のことであって、それ以上のものを自分のものとすることは、A他人がそれに対して有する 権利を侵害したことになるとされるのである。従って私的所有権が認められるにしても、こうし た二つの制限を有するかぎり、決して人々の間で所有をめぐっての争いは生じないとロックは考 えている。ホップズの「自然状態」では私有権が自然権として認められておらず、それだけ各人 が力尽くで他人のものを強奪する可能性も強まったわけであるが、ロックは労働による私有権、

しかも「他人にも十分によく残し」、 「自分で消費可能範囲内における」という、誰にとっても理 性的に納得出来る制限付きの私有権が、各人に認められることによって、かえって人々の争いが 除去され、平和的共存が可能となると考えているのであるCIO)。

そして最後にもうーっ、ロックがこうした私的所有権を人類全体にとっても望ましいと考えて いたことに注意しておく必要がある。 「労働によって土地を占有する人は、人類の共有財を減少 させるのではなく拡大させるのだ、ということを付言したい。何となれば、囲い込まれて耕され た1ェ‑カーの土地によって生産される‑‑‑食糧は、 (ごく控え目に言っても)共有において浪 費されている同じ豊かさゐ1エーカーの土地によって生産される食糧よりも十倍以上も多いから である。それ故土地を囲い込み、 10エーカニの土地から、自然に放置された100エーカーの土地

(5)

114 君 桧  謙

から以上に豊かな生活の便宜を有する人は、人矧こ対して90エーカーの土地を与えると言われて よい。何となれば彼の労働は、 10エーカーの土地から100エーカーの共有地の生産物に等しいも のを彼に与えるからであるCID 」自然の世界が人々の共有物になっているかぎりは、人間が自然 に手を加え改良するようなことは余り起らない。従って土地などの生産性も極めて低い。しかし 私有権が認められると、人々は限られた土地から少しでも質のよいものを豊かに生産しようと、

どんどん改良を加え、生産性を高めようとする。そこで自然のままに放置された共有地よりも十 倍以上の価値を有する土地が、労働を媒介にした私的所有から生じる。従ってそれは人類全体の 立場からしても望ましいことだ、とロックは考えているのである0

3.政治社会への移行

ロックにおいて自然状態は、ホップズと違い、かなり平和で秩序を保った状態であった。しか しそれでも矢張りそれに内在する欠陥のために、人々は政治社会を形成しようとして契約を結ぶ とされる。

そこでまず自然状態の欠陥とその是正方法とが問題にされねばならない。

(1)誰もが理性を有しているかぎり、人間として如何なる行為が善く、如何なる行為が悪である かを示す自然法は、本来すべての人々に明らかなはずである。しかし理性を十分に働かせないた めに、人は時に善悪についての無知に陥ることがあるO しかも自分の利益によって心を歪められ ると、個々の具体的な場合においては、人はなかなか自然法を素直に認めない。自分の不利にな ると、自然法よりもむしろ自分の利益の方を重んじがちである。 「自然法はすべての理性的被造 物に対して明白で分り易いとはいえ、しかし人々はそれを研究することに欠けるために無知であ るのみならず、自分の利益によってJbを歪められているので、彼らの特殊な場合に自然法を適用 するさい、、それを彼らを拘束する法として認めない傾向があるC12>。」従って個々の場合における 人々の対立を調停するためには、何が善いか惑いかをはっきりと公けに宣言する成文法が存在す ることが望ましい。

(2)人間は自然状態において自然法の侵害者を処罰する自然権を有するとされていた。しかし人 々は、'とかく自分自身の利害を過大評価する反面、他人の言い分には無関心で冷淡になり過ぎる 傾向を有する。そこで人々は自分自身のことになると、すぐのぼせ上って激情や復讐心にとらわ

れて過度に陥いり易い反面、他人のことになると無関心で投遣りになりがちであるC135。従って激 情にとらわれることなく、常に公平に人々を裁く機関が存在することが望ましい。

(3)自然状態においては、たとえ正しい判決が下される場合においても、この判決を正しく執行 し処罰する権力が欠けている。ところが、 「何らかの不正によって罪を犯す人々は、可能なかぎ り力尽くでも、彼らの不正を正当化しようとする。そうした抵抗は多くの場合刑罰を加えること を危険なものにする。そしてしばしば罰を加えようとする人々を破滅させるく14) 」従って正しく 処罰を執行する機関が存在することが望ましい。

これら三つの理由のために人々は政治社会を形成しようとするのだ、とロックは考えるのであ るC153。ところがこれら三つはいずれも自然権侵害をめぐっての公平な裁きに関係しているといえ るから、ロックにとって人々が政治社会を形成する目的は、結局は各人の自然権の保護にあると 言ってよい。そこで、 「市民社会の目的は、各人が自分自身の事柄における裁判官であることか ら必然的に生じる自然状態の不都合を、公表された権威を樹立することによって避け、取り除く

(6)

ロ ック の政治思想 115

ことであるC165 」とか、「人が自然的自由を放棄して市民社会の諸拘束を受入れる唯一つの方法は、

他の人々と同意して共同社会に入り、結び付くことによる。そしてその目的は彼らの所有物を安 全に享受し、共同社会外の如何なる人々に対してもより一層大きな安全を得ることにおいて、相 互に快適で安全で平和な生活をおくることにあるcm 」と言われているのである。

それでは具体的にどのようにして政治社会が形成されるのかといえば、ロックは(人々は、そ れぞれ互いに自由にして平等であるから)、各人の同意によらねばならないとしている。 「上述の 如く人々はすべて本性上自由で平等で独立なのであるから、如何なる人も彼自身の同意なしにこ

うした状態の外‑置かれ、別の人の政治的権力に服従せしめられることはありえないC183 」ロッ クもホップズと同じように社会契約を考えているのである。そして全員の同意ということは事実 上不可能であるから、矢張りホップズと同じように現実には多数決による政治社会の成立をと

く。その場合少数者が多数者の決定に逆らって行動すれば、社会組織はゆるみ、その機能を十分 に果たし得なくなるが故に、ロックは多数者の決定が常に全体の行動を規制しなければならない

という、多数決の原理を肯定しているのであるC195

4.国家の諸権力

こうして一つの政治社会(国家)が成立するが、さらに自邸状態の弊害を是正しより安全で平 和な共同生活を保つために、次のような三つの政治権力が導入される0

立法権‑法律を制定し、 「共同社会とその成員達を維持するために、国家の力がどのように 用いられるべきかを指導する権利を有するC203」権力である。 (自然状態の弊害のうち最初の弊害 を是正するために導入されたのは言うまでもない)0

執行権‑ 「その社会の国内法を社会自身の内部で、その部分であるすべてのものに対して執 行することを総括するC21>」権力。 (自然状態の弊害のうち、二番目、三番目の弊害を是正する。)

連合権‑ 「戦争と平和、同盟と条約、そして又国家外のすべての人々や共同社会との一切の 取引を行なう権力C223」であるO

これら三つの権力は、すべて個人の自然権から派生したものにすぎない。即ち立法権は「自然 法の許容範囲内において自分自身と他人を維持するために自分で適当と思うことを何でも為そう

とするC235」自然権から由来し、執行権は、自然法の侵害に対する処罰権に由来するO そしてすべ ての人間が、生命、自由、財産を保持する自然権を有するかぎり、対外的な侵略などに対処する 連合権も、当然自然権から由来するといってよい。従って国家権力は究極的にはすべて自然権か

ら由来し、しかもその自然権そのものをより確実に守るために部分的に委譲された信託権力にす ぎないことに注意する必要がある。 「政治的権力は、各人が自然状態においてもっていた権力が 社会の手に委ねられ、そして社会がそれ自身の上に置いた為政者に委ねられた権力である。そし てそれはすべての人々の善や、彼らの所有物を維持するために使用さるべきだという明白な、或 いは暗黙の信託を有しているC243。」例えば立法権は今も述べたように本来各人が自然状態におい てもっていた自然権から由来したものにすぎない。しかも自然状態においてもっていた各個人の 権利は、自然法が課する義務に裏打ちされていた。各々の人間が自由であり、生命を維持する権 利をもっていたにしても,それは他人の生命や所有物を不当に奪ったりするような勝手気健な権 利では決してなかったのである。各々の個人がもっている権利は、唯自分自身とその他の人達を 共に維持するために自然法が与えた権力だけである。しかも自分がもっている以上の権力を他人

(7)

116 若 松  謙

に委譲出来るはずはないのだから、各個人が国家の手に委ね、さらに立法府の手に委ねる権力も これがすべてである。従って立法府の有する権力は「最大限にみつもっても、社会の公共善に制 限されている。それは生命維持以外の如何なる目的も有さない権力である。それ故、それは臣民 を破滅させたり奴隷にしたり、或いは意図的に貧乏にする権力を決して持ち得ない。自然法の課 す諸拘束は社会においても消滅するのではなく、多くの場合より正確に規定され、それの遵守を 強化するために、実定法によって周知の刑罰を付加されるのであるC252 」このことは勿論立法権 だけではなく、他の二つの権力の場合についてもいえる。いかに国家権力が大きかろうとも、そ れは国民の自然権をより安全に守るという目的のために、自然権の一部を委譲されることによっ て成立したものである以上C265、 国民すべての自然権を尊重するという義務を常に有しているの であり、決して絶対的なものではありえないことをロックは強調するのである。そしてこの点に おいて、自然権の全面的無条件的放棄による国家権力の絶対性(国民の側からいえば、国家権力 への絶対服従)を肯定したホップズと大きく異なることは言うまでもない。置かれていた状況の 違いがあるにせよロックの方が、今日の我々によりアピールする面があることは否定しえないと 言ってよい。

最後に「自然権をより安全に確保する」という目的を貫徹するためにロックが配慮しているこ とをまとめると次のようになる。

(1)立法権について)法律を制定し国の究極的在り方を決定するのが立法権であるから、これ が国家における最高権力であることは言うまでもない。 「いずれにせよ統治が存続する問、立法 府が最高の権力である。何となれば他のものに法律を与えることが出来るものは、それに卓越し ている必要があらねばならないからである。 ‑‑・そして社会の如何なる諸部分や成員における他

のすべての権力もそれから導出され、それに従属しなければならないC27} 」そこで立法権につい てロックは次の三つのことを述べている(i)多数決によって国家が成立する以上、国民の多数 派が国家の究極的在り方を決定すべきであるC285 従って多数派、或いはその承認にもとずいて選 ばれた人々のみが立法権を行使すべきである。 「匡上民だけが国家の形態を指定することが出来る。

そしてそのことは立法府を設立し、如何なる人々の手にそれが帰せられるべきかを指定すること によってなされる。そして国民が、我々は‑‑・これこれの人々によって制定された法律によっ て、これこれの形態において統治されることを欲すると言った時には、他の人々が彼らのために 法律を制定すべきであると誰も言うことは出来ない。そして又国民は、彼らが選出し法律を制定

する権威を与えた人々によって制定された法律以外の如何なる法律にも拘束されえないC29) 」 (ii) 立法府も自然法の拘束を受けている。 「かくして自然法は立法者や他のものを含めたすべての人

間に対して、永遠の法として存続する。立法者が他の人々の行為のために制定する規則は、彼ら 自身の行為や他の人々の行為と同様、自然法に‑・‑一致しなければならない。そして自然の根本 的法は人類の維持にあるのだから、如何なる人間的制裁もそれに対立する時には善でも正当でも あり得ないC30> 」 !iii)多数派の同意なくして立法府といえども課税権を有さない。 「確かに統治は 多大な税金なしには維持され得ない。そして統治の保護にあずかっている各人がそれの維持のた めに自分の財産の中から割り当て分を支払うことはふさわしいことであるQ Lかしそれには矢張

り彼ら自身の同意、即ち多数派の同意が伴わなくてはならない。 ・‑‑何となればもしも誰かが国 民の同意を得ずに彼自身の権威によって国民に税金を課する権利を主張するとすれば、そのこと によって彼は所有権の基本的法を侵害し、統治の目的をくつがえすからである(3ユ)O」

(2)(権力の分割について)立法、執行、連合の三つの国家権力のうち、ロックは執行権と連合

(8)

ロ ッ・ク の政治思想 117

権とは同一者の手に帰した方が望ましいが(32)、立法権と執行権とは分離した方が望ましいと考 えている。その理由の一つは、権力の濫用を防ぐことにあるO法律を制定する権力を委ねられた 人が、同時に法律を執行する権力までもその手に揺るということになれば、彼は法律を制定する 時にも執行する時にも、自分自身の個人的な利益だけを念頭におき、社会全体の利益を無視する ことになりがちだからである。従って国家形成の目的を達成するためにも両権力は分散されるの が望ましいとされるのであるC33?(

。Vこうした権力の濫用を防ぐ考え方が、モンテスキューの「三 権分立」の思想につながる面があることは否定出来ない。)

(3)(君主権について)立法権が国家の最高権力であるかぎり、執行権、連合権は当然それに従 属し、それに対して責任を負う。そして当時のイギリス(イングランド)におけるどとく、君主制 がとられ国王が最高の執行権を有していたにせよ、法治主義の原則は貫かれるべきだとされる。

「忠誠とは法律に従った服従に他ならないから、彼(国王‑筆者付記)が法律を犯す時、彼は服 従を要求する権利をもたない。又法律の権力を与えられた公人として以外、それを要求し得ない。

かくして彼は法律において宣言された社会の意志によって規定された国家の象徴・‑‑あるいは代 表者として考えられねばならない。それ故彼は法律が規定する以外の如何なる意志も権力も有さ ない。しかし彼が国家の代表者たることをやめ、こうした公共意志を放棄して彼自身の私的意志 によって行為する時、彼は自からの品位を落としている。そして権力も意志もない単なる私人の 一人にすぎなくなってしまい、服従を要求する権利をもたない。成員達は社会の公共意志のみに 服従を尽くす義務があるからである。」又たとえ国王に大権が認められたにしても、それは法 律だけでは適切に対処し得ない不測の事態に対処するためであって、それの行使は常に公共の福 祉をはかるという目的によって制約されているのだ、とロックは主張しているC35㌔

(4)(抵抗権、革命権について)もともと侵害がなされた場合に公平な処罰を課し、自然権のよ り安全な確保を図ることが国家形成の目的であった。従って成員達相互の争いが、法律にのっと って理性的に解決さるべきことは当然である。しかし為政者として権力を担っている者が、その 権力を不当に濫用して国民達の権利を踏みにじるといった可能性も又別にある。ロックによれば

「誰かがその手に有する権力を、それに服する人々の善のためにではなく、彼自身の私的な、孤 立した利益のために利用することC36)」が専制であるが、権力あるところ、常に専制が起る可能性 があるといってよい。そこでロックは、国民には単に専制から逃れる権利だけでiまなく、専制を 阻止する権利もあるとして(37)、専制に抵抗する権利をすべての国民に認めている。「法律が終る ところにおいて‑‑・常に専制が始る。そして法律によって与えられた権力を越え、自分の支配下 にない力を用いて法律が許容しないことを臣民に課そうと企てる者があるとするならば、たとえ 如何に権威を有していようと、彼は為政者であることをやめる。そして権威なしに行為したのだ から、他人の権利を力尽くで侵害する他の人と同じように、抵抗されるのが当然である(38㌔」具 体的には訴えて裁判にかけ、救済や損害の賠償を要求することが国民に認められるわけである。

さらに権利侵害が特定の国民に対してだけではなく、その全体に及ぶ場合も考えられうる。立 法権や執行権の最高の担い手達が、国民から信託された権利を不当に濫用する場合であるoこう した場合には自然権を守るという契約が踏みにじられたのだから、国民は本来自分達がもってい た権利を取返すことが出来るとロックは述べている。為政者側の契約不履行に対する国民の革命 権も、ロックにおいては原理的に承認されているのである。「それ故、立法府が社会のこの根本 的規則を犯し、野む、恐怖、愚かさ、堕落によって、国民の生命、自由、財産に対する絶対的権 力を白から擦ろうとしたり、或いは誰か他の人の手に置こうとする時には何時でも、こうした信

(9)

118 若 松  謙

託違犯によって、彼らは、国民が仝くその反対の諸目的のために彼らの手に置いた権力を、失う。

そしてその権力は、源初的自由を取戻す権利をもっている国民に帰する。こうして国民は(彼ら が適切と考える)新しい立法府の樹立によって、彼らが社会に入る目的である彼ら自身の安全と 維持とのために用意する権利をもっている。ここで私か立法府一般に関して述べたことは‑・・・最 高の執行者についても妥当するC39)。」

III.ロック思想の意義と問題点

以上、ロックの思想を紹介してきたが、その中心テーマは、国民の自然権の擁護ということに あったといってよいo国家権力は国民の自強権をより安全に守るために、自然権そのものから派 生したにすぎないとして、国王などによる不当な専制を排除してゆこうという態度、それが常に ロック思想の根底にある。そしてそれが多数決の採用、国家権力の分割、立法権の執行権に対す る優位、法治主義、国民の抵抗権、革命権の肯定といったことにロックを導いているのである。

従ってこうした角度からみるかぎり、ロックの思想が大きな意義を有していることは誰しも認め ざるを得ないと思われる。国民のための国民による政治といったことが議会制民主主義の原則だ とすれば、それへの第一歩を現実に切り開いたのが名誉革命であり、それを理論的に正当化しよ うとしたのがロックであると言える面が確かにあるからである。こうした意味においてロックの 思想は不朽の意義を有していると思われる。しかし初めにも述べたように、如何なる思想といえ

どもそれが生じてきた歴史的地盤、社会的背景といったものと無関係なものではあり得ず、むし ろそれらによって大きく制約されている面があることは否定し得ない。理性と聖書という二つの 規準に照らして展開されたロックの思想といえども,その例外ではないのである。そして私は、

そうした制約が、他にもいろいろあるにせよC403、 (自然権の具体的内容の一つとされた)私的所有 権の扱いにおいて端的に示されていると考える。そこで以下、この間題の考察にあたることにす る。

前にも述べたように労働による私有権を説いたとき、ロックは私有量に二つの制限をつけてい たO即ち、 (1) 「他人にも十分によく残されているかぎり」ということと、 (2) 「害なわれないうち に生活の便宜のために利用出来るかぎり」ということである。自然状態において私的所有権が認 められたにしても、自分で消費可能範囲内での私有、他人にも十分によく残されているかぎりで の私有、ということであって、それ以上のものを自分のものとすることは不当であるとされてい たのであるC415 従って私的所有権が認められたにしても、こうした制限を有するかぎり、そして 理性的人間がこうした制限をよく自覚し、それを守るかぎり、人々の間には秩序が保たれている

といえる。ロックがこうした制限的私的所有を認めた自然状態を、平和な状態と述べたのもよく 理解出来ると思われる。そして自分の生命を維持する権利から、生命を維持する財への撫利を導

出し、制限的私的所有を認めたロックの議論は十分に理性的で道徳的にも是認出来るといえ る。ここまでのロックの議論には何ら問題がないといえる。

しかしロックの私的所有権理論は、実はこれだけにとどまらないのであるO上述の私有量に関 する二つの制限は、議論が進むにつれて実質的に排除され、結局最終的には無制限な私的所有が 正当化されてしまうのである。

「害なわれないうちに生活の便宜のために利用出来るかぎり」という制限は、まず貨幣として の金や銀の導入によって排除される。 「人々は・‑‑・過剰分と交換に金や銀を受取ることによって、

(10)

ロ ック の政治思想 119

自分でそこからの生産物を利用出来る以上の土地を、正当に所有し得る方法を発見した。これら の金属は所有者の手において害なわれたり朽ちたりしないため誰の害にもならずに貯えられ得る のであるC423」しかもロックは私有量がいくら大きくなろうとも,それは構わないと述べる。 「彼 の正しい所有権の範囲を超えるのは、彼の所有物の大きさにあるのではなく、そのうちの或るも のが無駄に消滅することにあるく43)」のである。消費する前に腐ってしまうという無駄が不合理な だけで、そうした無駄が金や銀の導入によって排除されれば、いくら多くのものを私有しても少 しも構わない、とロックは考えているのである。従って「害なわれないうちに生活の便宜のため に利用出来るかぎり」という制限は、実質的に斥けられているのである。かくして生産者の手に 蓄積された生産物の過剰分は貨幣の流通によって、腐ることがない金や銀にかえることが出来る ようになるので、自分だけではそこからの生産物を消費出来ないほどの土地の私有が正当化され ることになる。(貨幣の流通とともに、自分で消費するための生産ということだけではなく、売っ て利益を得ようという商品生産が可能となり、それがロックによって正当化されているといって よい。)しかもロックは、各人の自然権として財産の相続も正当化した。 「他人に先んじて兄弟と ともに父親の財産を相続する権利C445」が認められるのである。そこで財産が或る家族においてま すます蓄積されることが可能となる反面、別の家族においては殆ど無に等しい程度の財産しか持 つことが出来ないといったことも当然起こり得る。かくして純粋に労働だけを媒介にした私有権 の承認ということからは、それほど貧富の差は生じないかもしれないが、しかしそれが貨幣の流 過(商品生産の発展)や財産の相続と結び付くと、必然的に大きな不平等が生じざるを得ないと いえる。ロックもそれを認めているのである。 「勤勉の程度が、人々に異った割合の所有物を与 える傾向があったように、こうした貨幣の発明もそれらを継続させる概会を人々に与えたC45)。」

ところでこうした無制限な私有、それにもとずく財産の不平等ということは、 「他人にも十分 によく残すかぎり」という、もう一つの(私有量についての)制限と当然矛盾するo 土地などが 限られたものであるかぎり、無制限な私有を認めることは、 「十分によく」持たない人々を生じ させざるを得ないからである。そこでこうした可能性を認めながら、何故ロックが無制限な私的 所有を正当化したのか、ということが問題にならざるを得ない。その理由は、すでに前にも述べ たが、結局私的所有が生産性を高め、人類全体の富を増大させて社会の進歩をもたらす、という ことにあるとされていると思われる。前の議論を繰返すと、ロックは私有制のもとで種々の改良 を加えられた土地は、自然のままに放置された土地よりも十倍以上の価値を有すると考えてい た。従って私有制によって、自然のままに放置された土地の十倍分以上の土地が人類に与えられ たのと同じことになるのであるから、私有制は富の増大をもたらし人類全体の立場からしても望 ましいとされたのである。ロックは私有制が生産性の向上をもたらすかぎり、たとえ財の不平等 を招くにしても、社会は全体として豊かになるから構わないと考えていたと思われる。アメリカ の土着民は「土地を豊かにもっている。しかし人生のすべての快適品において乏しい。自然は彼 らに他の国民と同じはど十分に豊かな資源を与えた。即ち食物、衣服、快適さに役立つものを豊 富に生産しそうな豊かな土地を与えた。しかしその土地を労働によって改良することがなかった ために、彼らは我々が享受する便宜さの百分の‑も持っていないO それでその大きくて豊かな領 土の国王がイングランドの日雇い労働者よりも貧しい生活状態にあるC465 」無制限な私有は、他 の人々に対して土地を十分によく残さないかもしれない。しかし他の人々のために土地が十分に よく残されていないにしても、無制限な私有によって、他の人々のために十分によい生活が保障 されることになる。イギリスの日雇い労働者は、土地といった所有物は何ら持っていないが、し

(11)

120 若 松 、謙

かし彼らにしてもアメリカのインディアンの酋長よりも恵まれた生活を享受し得る。こうして無 制限な私的所有が衣食住のあらゆる面において豊富な生活必需品を供給し、人々の生活を豊かに するかぎり、私有量についての源初的制限が排除されても少しも構わないとロックは考えていた と思われる。かくしてロックの所有についての金理論は、マッカーソンが述べているように「二 つの源初的制限の除去とともに、不平等な所有に対する自然権の正当化のみならず、無制限な個 人的占有に対する自然権の正当化C47J」に帰着しているのである。

こうした私的所有権正当化の議論も当時の状況に即して考えれば,それなりの意義があること は勿論否定出来ない1628年の『権利の請願』、 1689年の『権利章典』とこおいて、不当な公債、

献金、税金などの取立てを排除する規定がみられるように、国王の専制から個人の財産を守るこ とが当時の財産保持者にとって(自由を守ることと同じく)最大の関心事であったからである。

従って専制権力対財産保持者という対立関係においてみるならば、 (私有権を自然権として正当 化し、議会の同意なしに税金の攻立てを奈じる)ロックの議論は明らかに大きな意義をもってい たといえるC483 しかし当時のイギリス(イングランド)国民がすべて「財産保持者」から成り立 っているのではなく(土地といった不動産を持たないが故に)何らかの形で賃金労働をしなけれ ば暮らしてゆけないような人々が、むしろ半数以上もいたという事実C493 に即して考えれば当然 問題も生じるO ロックの所有権理論は、現実に財の不平等が顕著に存在している髄の中におい て、結局持てる者の権利だけを正当化したにすぎず、 (実際には国民の多数派である)持たない人 々〔50)を、その持たないままの惨めな状態に放置しておく現状肯定論にすぎないといえる面があ るからであるO封建的特権や身分を持っているか否か、といちた区別が決定的意義を失なった代 わりに、財産を持っているか否かといった区別が決定的に重要になってきた時代において、ロッ クは持てる者の権利が尊重さるべきことを説いたにすぎず、結局富の不平等が存在する現実のイ ギリス社会を、そのままの形で肯定しているといってよいのである。

ところでこうした無制限な私有権の正当化は、議論の出発点,即ち「自由で平等な自然状態」

という想定と一見矛盾するように思われるoすべての人間が本来自由で平等であるといわれる以 上、等しい所有量を公平に配分すべきことがそれからの当然の論理的帰結なのに、ロックは途中 から議論を歪めてしまっているように思われるからである。しかしロックが自然状態において想 定していた平等というものの内容をよく考えてみれば,必ずしもそうでないことが分る。ロック

は自然状態においては、支配服従の関係がないという意味で人々は平等だと考えていた。そして 後にも「平等とは、各々の人が他人の意志や権威に服従することなく、自からの自然的自由に対 して有する平等の権利であるC5D。」と述べている。こうした意味での平等は、 (自然法に反しない かぎり好きなことを為し得る)自由を有するという意味において、すべての人間が平等であると いうことであるから、それは富の不平等といったものを初めから許容しうる平等だといえる。何 故なら能力や幸運に恵まれて富を貯えることが出来た人間も、そうでなかった人間も、 L(その過 程で他人から不当な拘束を加えられなかったかぎり)自からの自由を行使したという意味におい

ては全く平等であるといえるからである。ロックのような平等の定義においては、自由を行使し た結果生じる不平等(例えば富の不平等)は、無制限に許容され得るのである。従ってロックが 議論の出発点そのものから富の不平等を許容しうるような立場に立っていたことにむしろ注意す る必要があるといえる。現実に能力や幸運に恵まれるか否かにおいて人々の間に不平等が存在す る以上、 (他人から不当な拘束を受けることなく)眉由に自からの意志にもとずいて労働しても、

或る人は富を得るし、他の人はそうでなかったといった一ことか実際に起り得るo しかし、そうし

(12)

ロ ッ、ク の政冶思想 121

た場合でも「自由である」という意味での平等は成り立っている。富を得た者と同じだけの努力 をしても不運の故に富を得ることが出来なかった者が、たとえ自分の生命の維持さえ思うままに ならないような状態に置かれても、 (他人の不当な拘束を受けずにそうなったかぎり)自由であ るという意味での(金持との)平等性は保たれていることになるのである。従ってロックの平等 の定義そのものが、初めから能力や幸運に恵まれて富などを獲得し得る人間に有利な内容をもっ ていたのである。それは富の不平等を是正するといった意味での平等とは全く無縁のものであっ たのである。

又現実に富の不平等が存在し貧しい者が賃金労働者として働かざるを得ない時、そうした人々 の自由が大幅に制限されざるを得ないことは事実である。日々の生活を維持するのがやっとだと いう状況に置かれれば、知識や教養をつけたくてもつけることが出来ず、嫌な仕事でもやらざる を得ないからである。しかしロックは「すべての人間の生命、自由、財産を守るために国家は成 立すべきだ。」と抽象的に述べているだけであって、富の不平等がもたらす貧しい者の生命維持 の権利や自由の権利の喪失といった問題については、全く日を向けていないのである。

さらに私的所有権の承認によってもたらされる生産性の向上が、人類の富の増大をまねくとい う議論にも問題が含まれている。いくら人類全体の富が増大するからといって、それが人々に公 平に配分されるとは限らないからである。ロックは、イングランドの日雇い労働者でさえも、イ ンディアンの酋長よりも恵まれた生活を享受していると述べていたが決してそんなことはなかっ たのである。配分の仕方に全く触れず、無制限な私有権を正当化してしまうのでは、明らかに持 てる者だけに有利な議論となってしまっているといってよい。名誉革命については、 「いくら議 会制民主主義への第一歩が築かれたからといって、それは、すでに豊かな財産を持ち支配者階級 を形成していた人々を中心にして、その内部で起った改革であったにすぎない。従ってそれは一 般大衆の参加を伴っておらず、せいぜい財産保持者(土地所有者)中心の寡頭政治を樹立したも のにすぎなかった。」などともよく言われるが、そうした時代を反映してロックの私有権理論も、

結局持てる者を中心とし、それに有利な議論を提供したにすぎないといえる面があることは否定 出来ない。国王、財産保持者、無産者という三者のうちで、明らかにロックは、財産保持者中心 の議論を展開しているからであるO従って国民の権利を守るための国家、といっても、その国民 は、実質的には財産保持者が中心であったことは、たえず銘記すべきことと思われる。

ところでここで一寸『統治に関する二論文』についての考察を離れ、当時の無産者‑労働者 階級の問題に目を転じてみたい。ホップズからロックにいたるまでのイギリスの社会思想を扱っ た著作において、マッカーソンという人は、労働者に対する当時の人々の評価を次の二つの命題 に帰着させている(1)労働者階級は、国家の一つの必然的部分であるのに、その成員達は実際に は政治体のfull membersではなく、又そうであるという要求をもたない。 (2)労働者階級の成員 達は十分に理性的な生活をおくっていないし、又おくることが出来ないC523

当時労働者は頼るべき如何なる財産も持たないところから全く賃金に依存せざるを得なかった が、しかもその賃金が安いので人間としての生存を維持するのがやっとだという状態におかれて いた。従って当然教養もなく無知で粗野であり、政治的に考え行為し得るためには余りに低いレ ベルにあった。そこで憐れみや配慮が加えられることもあったが、しかしその怠慢ぶりをみて、

彼らが貧しいのは真面目に働こうとしないその道徳的欠陥のせいだ、と軽蔑する知識人が多かっ た。叉時には結束して暴動を起すこともあったので恐怖の対象とみなされたこともあった。この ように労働者は時には憐れみの対象とか軽蔑の対象、時には恐怖の対象としてみられていたが、

(13)

122 若 桧  謙

いずれの場合においても正当な社会の一員として政治的発言権を有するためには余りに低すぎ る、というのが、一般通念であったというのである。そして1660年の王政復古後の知識人を代表 してWilliam Petytの次のような言葉を引用している。 「人々は‑‑‑そこからあらゆる種類の製 品、航海、富、征服、強固な支配が派生する最も安く最も根本的で大切な商品である。それ自身 粗野で未熟なこの資材は、最高権威の手に委ねられ、その思慮と意向にもとずいて多かれ少なか れ利益となるように改良、管理、適合されねばならないC53) 」労働者階級は理性的な生活をおく るためには余りに未熟で粗野であるから、彼らに政治的発言権を与えることなど問題にならな い。しかしその労働力は「国家の富の究極的源泉」となり得る。それ故「労働者階級は国家によ って国家の利益に役立つよう管理さるべきことC5ォ」がたえず問題にされたというのである。そし て白から次のように述べている。 「労働者階級の人々は、そこから富や支配が派生し得る商品で あり、政治的権威によって仕上げられ処理さるべき素材である、という見解は、ロックの時代に 典型的であった。かくして労働者階級は当然国家に服従すべきであるが、しかし十分な国家成員

の資格なしにそうすべきである、というのがその政治的帰結であったC55) 」当時の通念がこうし たものであったというのである。

そしてさらにマッカーソンは、ロックも当時の知識人として当然そうした通念を受入れていた ことを実例を挙げて示そうとしている(1)1697年に非雇傭者の問題に言及して、ロックは非雇傭 者の増大は、規律の弛緩とマナーの堕落によるとして、非雇傭者の方を非難しているC563 (2) 「労 働者の収入は、単なる生存を維持するのがやっとなので、彼らは彼らの思考をそのこと以上に高 める時間も機会ももたない。又彼らを一つの大きな騒動に結合させる或る共通の大きな苦しみが 彼らに尊敬を忘れさせ、大胆にも武装して必要なものを手に入れようとさせる時を除けば、金持 と争う時間も機会ももたない‑‑・。しかもこうした武装蜂起は、いい加減な、無能な政府の悪い 行政において以外めったに生じないく57)。」ロックのこうした発言において、 (i)労働者が政治的 に考え行為し得るためには余りに低すぎる境遇にあること、 (ii)彼らがその思考を単なる生存以 上に高める稀な場合にとる唯一の政治的行動は武装蜂起である、 ;iii)目上の者に当然払うべき尊 敬に対するそうした反抗は、不当である、といった考えが前提されていると、マッカーソンは述 べている。理性的に政治参加をするためには労働者は余りに低すぎる立場にあり、結局ロックに とっても、 「労働者階級は政治体の十分なる部分であるよりも、むしろstate policyの対象、管 理の対象であったC583。」というのである(3)さらにマッカーソンはロックの『キリスト教の合理 性』からも以下の三つの文を引用しているo 「人類の最大部分は,学問や論理学をおさめたり、

諸学派の微細な区別を知る余裕をもたない。手が鋤と鍬に用いられているところでは、その頭脳 は崇高な諸観念に高められることはめったにない。この身分の男達(女性は言うまでもない)は、

分り易い命題を理解し、彼らの心に親しみのある事柄と、彼らの日々の日常経験に密着した事柄 についての短い推論を理解出来ればそれでよいのである。これ以上進むならば、あなたは人類の 最大部分を驚かすことになろうく59㌔」「日雇い労働者、小売商人、糸紡ぎ女、酪農婦達にとって、

分り易い命令を聞くことが、服従や実践に彼らを導く確実で唯一のコースであるO人類の最大部 分は知ることが出来ない。それ故彼らは信じなければならないC603 」 「(古代の)哲学者達は、確 かに徳の美しさを示した。しかし徳を与えないままにしておいたので、殆どの人々が徳を自分の ものにしようとはしなかった。 ‑‑・しかし今や徳の方に"素晴しい永遠の重い栄光"という力が 加えられたので、それに対する関心が生じた。そして徳は今や明らかに最も人を豊かにする敢得

物であり最善の買物品である。 ‑・‑天国と地獄についての光景はこの他のはかない快苦を軽視さ

(14)

ロ ック の政治思想 123

せ、徳への魅力と励ましとを与える。そして徳は、理性、関心、自己愛もが承認し選ばざるを得 ないものとなるo こうした基礎にもとずいてのみ道徳は確立するC615 」こうした文において、労 働者は単に知的探求のみならず、自からの理性に用らして道徳的に望ましい生活をおくるために も余りにも低すぎる境遇にある、と想定されている。そしてロックは、キリスト教の神の賞罰と いった単純な教義‑の信仰が、労働者の道徳的教化のために必要だと考えているのだ、とマッカ ーソンは指摘しているのであるC623

こうしたマッカーソンの指摘を、一つ一つ細く吟味する余裕はないが、しかし原則的には正し いといってよいと思われる。 『統治に関する二論文』において無制限な私有権を正当化した時、

明らかにロックは、財産保持者を政治社会の中心勢力として把握していたのである。そしてその 背後には、マッカーソンが指摘したように「(財産を持たない貧しい)労働者階級は、国家の必 然的部分であるのに、その成員達は実際には政治体のfull membersではなく、又そうであると いう要求をもたない。」、 「労働者階級の成員達は十分に理性的な生活をおくることが出来ない。」

といった暗黙の前提を読み取ることも決して無理ではないと思われるC633。一見平等と思われる自 然権から出発しながら、持てる者の権利だけを正当化し、貧しい者を貧しいままに放置しておく

ロックの立場の背後には、貧しい者に対する無配慮、軽視が明らかに潜んでいるからである。当 時としては止むを得ないことであったとはいえ、しかしこのことははっきりと心に留められるべ

きことであると思われる。

最後にこの章を終るにあたって残された問題に簡単に触れておきたい。

(1)自然状態の問題

すでに注の15でも述べたように、ロックの自然状態の描写には唆味な所があった。一方におい ては、人間の理性的自己規則による平和な状態とされているのに、他方においては戦争状態に近 いものともされているからである。そこでこの矛盾を解消させるために、ロックが考えていた自 然状態そのものに時間的推移を認めるのも一つの解決策である。貨幣の導入や無制限な私的所有 権の承認を規準とし、それによって自然状態を前期、後期に分けるのである。そして平和な状態 は、貨幣や無制限な私的所有権の承認以前の前期とするのである。ロック自身が、 「国土に比し て人口が少く、貨幣の乏しかった人類の初期の段階においては、人々は食欲に陥ることもなく平 和であった。紛争も起らなかったから、裁くための法律も必要ではなかった。外敵に対して身の 安全を図ることのみが彼らの最大の問題であったO」などと述べているからC6ォ、こうした解決策 も無理ではないといえる。貨幣の導入、無制限な私有権の承認による財産の不平等、食欲さの増 大が、こうした平和な状態を破壊し、政治社会‑の移行を決定的ならしめた、と考えることは確 かに出来るからである。このように考えれば、ロックにおける自然状態の描写の矛盾は解消され るといえる。そしてこうした見方も無理ではないと思われる。しかしそれよりもなお決定的な解 決策は、当時のイギリスの状態が微妙に自然状態の描写に反映されているのだ、と考えることに あると思われる。一方においてロックのうちには、理性的で勤勉な人間への深い信頼がある.理 性という能力を発揮しさえすれば、人間は自からの力で秩序と平和を確保出来るといった確信が ある。 (従ってこうした理性的人間のみの社会であれば、それは当然平和な状態であり得る。)し かし現実においては、そうした理性的人間は数において非常に少い。ロックからすれば無知で粗

(15)

124 若 松  謙

野で、とても理性的在り方に達していないと思われる貧しい人々も非常に多く存在しているし、

叉豊かな財産をもっている人々の内部でも、理性的自己規制が出来ず、他人の権利を不当に侵害 する者がいる。理性的であり得る人間とそうでない人間という、こうした二種類の人間が共存す るイギリス社会というものが念頭におかれたとき、それは戦争状懇とならざるを得ない。考え 方、生活様式、利害などにおいて対立する者が共存する状態は、安定した平和なものでは決して あり得ないからである。従って理性的人間への信頼と二種類の人間が共存する社会の不安定さと が、自然状態を一方において平和な状態とすると同時に、他方においては戦争状態とすることに ロックを導いたのだ、とも考えられないことはない。そして当時としては最も理性的であり得る 可能性を秘めた"持てる人々〝を中心にして、経済活動をより円滑に行わしめるためにも、政治 社会の樹立が不可欠だとされた、と考えることも出来ると思われるo理性的人間‑の信頼が一貫 してロックのうちにあるかぎり、こうした見方も可能だと思われるC65>

(2)労働尊重

ロックは初めこの世界はすべての人々の共有物であったが、しかし労働によって具体的事物‑

の私有権が確立されると述べていた。このように、 (i)労働は、まず第一に具体的事物への個人 の権利を生み出すものとしてロックにおいて非常に尊重されている。しかもロックにおいてはさ らに二つの理由にもとずいて労働の意義が強調されている。 (ii)労働することは人間の使命であ り、しかも非常に理性的な活動である一。 「人類全体に共有地としてこの健界を与えたとき、神は 人間に労働することをも命じた。そして彼の置かれている貧しい状態も労働を必要とした。神と

その理性とは、人間に大地を征服することを命じた。即ち生の利益のためにそれを改善すること を命じたC663 」「神は人々に共有地としてこの世界を与えた。しかし神はそれを人々の利益のため に‑‑‑与えたのだから、それが共有のままで耕作されずにとどまることを神が意図したとは考え られ得ない。神はそれを勤勉で理性的な人々の使用のために与えたのであった‑‑C67) 」 [Hi)労 働は価値あるものを生み出す一切の源泉であるb 「あらゆるものに価値の差をおくのは実際労働 である‑‑。労働投下による改良が価値の大部分を形成する‑‑。人間生活に役立つ大地の産物 のうちの10分の9が労働の成果であると述べても,それは非常に控え目な計算にすぎないと私は 思うC683 」具体例で考えてみると、例えば未開人は自然のものを何ら加工せず、どんぐりを食べ、

水を飲み、木の葉や獣皮を着物として使用していたO これに対してヨーロッパ人はパンを食べ、

ぶどう酒を飲み、毛織物を着物として使用している。このどんぐりとパン、水とぶどう酒、木の 葉と毛織物とを比較すれば、後者のパン、ぶどう酒、毛織物が如何に価値あるかはすぐ分るが、

しかしその価値は、結局は人間の労働によって生み出されたのだ、とロックは言うのである。自 然が提供する殆んど無価値の原料をもとに、人間が理性的労働を加えることによってこうした価 値あるものが生産され、日々の生活が豊かになる。従って労働こそ価値あるものを生み出す一切 の源泉として尊重されねばならない、とロックは考えているのである0

こうした三つの理由にもとずいてロックは労働を尊重しているが、これは大きな意義をもって いたといってよい。これから資本主義化の道を押し進み、産業社会の実現を図ろうとするイギリ スにとっては、まさにその精神的支えともなり得る考え方であったからである。但し(公害や資 源不足の問題に直面しつつある今日の我々からすれば無条件に肯宣しかねる面があることは別に して)こうした労働尊重が、ロックにおいては、現実に労働しながらも貧しい生活を強いられて

参照

関連したドキュメント

[11] Karsai J., On the asymptotic behaviour of solution of second order linear differential equations with small damping, Acta Math. 61

(4) The basin of attraction for each exponential attractor is the entire phase space, and in demonstrating this result we see that the semigroup of solution operators also admits

Then it follows immediately from a suitable version of “Hensel’s Lemma” [cf., e.g., the argument of [4], Lemma 2.1] that S may be obtained, as the notation suggests, as the m A

[Mag3] , Painlev´ e-type differential equations for the recurrence coefficients of semi- classical orthogonal polynomials, J. Zaslavsky , Asymptotic expansions of ratios of

By including a suitable dissipation in the previous model and assuming constant latent heat, in this work we are able to prove global in time existence even for solutions that may

Jin [21] proved by nonstandard methods the following beautiful property: If A and B are sets of natural numbers with positive upper Banach density, then the corresponding sumset A +

Due to Kondratiev [12], one of the appropriate functional spaces for the boundary value problems of the type (1.4) are the weighted Sobolev space V β l,2.. Such spaces can be defined

Our goal in this short note is to give a quick proof of a stronger result, which immediately generalizes to partially resolve a conjecture of Gica and Luca on equation (1)..