日本語の「ウナギ文」を中国語に訳す時
※──中国語の「 ὠቢભ (ウナギ文)」について考える──
袁 暁 今
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たいていの日本語教育の本は「AはBだ」から始まる。この構文に対 応する中国語は「㧭㧮」である。そこで多くの初級中国語の教科書にお いても、最初に教える文法項目は、この「㧭㧮」構文である。いずれも 両言語においての基本構文であり、簡単に習得でき、誤用が生じる余地は ほとんどないものと考えられている。
1 私は日本人です。
1′ ၻ ׁ๊เ。 2 我輩は猫である。
2′ ၻ ే。
おそらく、例㧝を1′のように訳せない日本人学習者は一人もいないで あろう。例㧞は周知の通り、夏目漱石の小説のタイトルであり、擬人化さ れ、主語が「我輩」となっている。中国語訳2′1)に関しては、原文が「擬人」
である限り、訳文の「ၻ」も、この場面では猫の擬人である。しかし下記 の例文は、これと同様に見えて、突然、大きな問題を惹起する。
3 僕は鰻だ。
3′ ၻ ὠቢ。
単文においては、例㧟のデフォルト解釈2)は例㧞と同じ、「擬人」の用 法であり、例㧟を中国語に直訳すると、3′となる。これはこれで「正しい」
訳であると言える。しかし、これをある文脈の中に置くと、まったく意味 が異なってくる場合がある。例えば、食堂に入って注文する際に、
4 Q (店の従業員が)何にしますか。
A (メニューを見ながら)じゃあ、僕は鰻だ。(Qは疑問、Aは回答)
例㧠の回答文の「僕は鰻だ」は文脈支持のない例㧟と異なり、ここで、
客が言おうとしているのは、「僕は鰻を注文する」、あるいは、「僕の注文 は鰻だ」、あるいは「僕が注文したいのは鰻だ」、ということが明らかであ る。
例㧠のようなケースを、日本語学においては「ウナギ文」と呼ぶ。
通常、「AB」と「AはBだ」においては、「A=B」或いは「A㸜B」 を意味する。つまり、AとBは「同一関係(identifing)」または、「包摂関 係(subsumption)」3)と規定され、AとBとの個別的で文脈依存的な関係は 問題にされない。一方、「ウナギ文」の面白い所は、上述した構文の形を とりながら、そこで表わされる意味は「同一関係」でもなければ、「包摂 関係」でもない。
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㧞年前、機械によるニュースの字幕翻訳評価の研究をした。その時点で は、自由文の日本語から中国語への機械翻訳の精度は極めて低かったと断 言できる。袁(2017)では、ニュースの字幕、キャスターやリポーターの 発言を機械翻訳で検証したところ、「正解率はわずか一割だった」。
この誤訳の原因を究明していくと、その要因の一つとして、日本語の「名 詞述語文」に機械がうまく対応できなかった、ということが分かってきた。
王燕(2015)では、「中国語に比べ、日本語では、『名詞述語文(㧭4)は Bだ)』のバリエーションが豊富で、多用されている」と指摘している。
このため日本語の「名詞述語文」に対応するために、中国語は「AB 構文」「名詞述語構文」「動詞述語構文」「形容詞述語構文」の四つの構文 を総動員して訳さなければならない。しかし機械の翻訳機は、ほとんど「A
B構文」のみで反応している。
そして「名詞述語文」の一種である「ウナギ文」の直訳に起因する誤訳 も少なくなかったことが分かっている。例えば、2016年10月㧤日のNHK のニュース㧣の放送中、「天気予報」への導入部分でメインキャスターは
以下のように語った。
5 気象情報は菊池さんです。
この一文を四つの翻訳エンジンを用いて、翻訳を行った。
5′ ※࿙නኁ֫ ઞڗໍ。 (Google)
5″ ※࿙නኁ֫ ઞڗ。 (Microsoft / Weblio / Baidu)
いずれも例㧡の直訳となっている。「気象情報は○○です」という文は 日本のニュース番組においては、誰もが使い、また視聴者にとっても聞き 慣れた定型文である。そうであるのに、中国語に直訳された5′や5″は、
何故かたいへん奇妙な感じがする。これを許容する中国語母語話者はいな いであろう。
中国においては、一般的に、天気予報の担当者の名前を口頭で紹介する 習慣はなく、例え情報として伝える場合でも、字幕でその担当者の名前を 表示する程度に留まる。このような場面を考察するに、文化背景の違いも 一種の「文脈情報」として「ウナギ文」の生成に影響していると考えざる を得ない。
この経験が日本語の「ウナギ文」の翻訳について考えるきっかけとなっ た。そこで、機械による「ウナギ文」の翻訳結果をさらに詳しく観察する ことにした。例㧡はニュースキャスターだけの表現の特殊性という観点か らして、難度の高い例かもしれない。そこで、文脈を有し、日常会話でも 想定しやすい例㧢を用いて、同じ翻訳エンジンで中国語に訳してみた。
6 Q 何をお飲みになりますか。
A 私は赤ワインで、彼は白ワインです。
Q ೠङ㧫 A ※ၻ ऽએ,他 ռඈ྾એ。 Microsoft
Q ೠჲङݞ㧫 A ※ၻ ऽએ,他 ռඈ྾એ。
Weblio
Q ङ㧫 A ※ၻ ऽඈ྾એ,෩他 ռඈ྾એ。
Baidu
Q ङݞߒ㧫 A ၻ ङ ऽඈ྾એ,他 ङ ռඈ྾એ。
訳文の「A」部分に注目すると、中国の翻訳サイトBaiduのみが「ङ」
とし、ほかの三種の翻訳エンジンによるアウトプットは足並みを揃えて
「」とした。やはり、中国語母語話者にとっては、この「」はやや受 け入れにくい訳文である。この場面では、文化背景の差異を考慮する必要 はないはずである。
日本語の「ウナギ文」を直訳した結果としての中国語「ウナギ文」に違 和感が大きいのはなぜなのか。
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機械翻訳は文章そのものの難易度と関係なく、「ウナギ文」の翻訳に関 しては満足できない状況であることが、前記の例を見ても明らかである。
これは今後コンピューター言語学にとっては大きな課題となるだろう。そ れでは、人による翻訳はどうであろうか。中国語教育の観点からも、日本 人学習者が「ウナギ文」をどのように翻訳するのか、その結果を観察する ことは意味があると考えた。
まず、比較的難しい例㧡を中国語の学習歴が㧟年以上の中国語専攻の大 学生(四年生)㧤名に翻訳させた。案の定、被験者全員が「࿙නኁ֫ઞ ڗ」と訳しながらも、腑に落ちない表情を見せた。それが的を射ていない ことを直感しているのである。後で話を聞くと、「日本語に変な構文があ ることに初めて気付いた。中国語への訳し方に困った」というのである。
一方、例㧢を中国語の学習歴が半年の中国語専攻の大学生(一年生)28 名に翻訳させた結果、細かい点では多少間違いもあったが、重要な部分は
「Baidu」と同様に翻訳し、全員が正解を出した。つまり、「」ではなく、
「ङ」を使用しているのである。被験者はおそらく「ウナギ文」という名 称さえ知らずに、疑問文で得た文脈情報を用いて、正確に認知処理(述語 の類推解釈)をした上で、そこから中国語を出力(翻訳)したと考えられ る。この実験結果の差は何を物語っているのであろうか。
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学習者へのテストと平行して、自ら「ウナギ文」を収集し、様々なケー
スにおいて、「ウナギ文」の成立について、どのような条件が必要なのか を考えた。例えば、判断が難しい例として挙げた例㧢と全く同じ場面であっ ても、例㧣のように質問の仕方を少し変えることによって、中国語訳はす んなりと受け入れられるものになるのである。
7 Q ご確認致します。こちらのお客様の注文は赤ワインで、奥様のご
注文は白ワインですね。
A そうです。私は赤ワインです。彼女は白ワインです。
7′ Q ฬไᇜ,ጝၤໍݞܿऽඈ྾એ,Ꮚݞܿռඈ྾એ,ޭ
ծ㧫
A ޭ,ၻ ऽඈ྾એ,ྌ ռඈ྾એ。
内省の結果、中国語にも「ウナギ文」が存在しているということに関し て異論はない。しかし、直観では、日本語ほど多種多様ではなく、また、
語用上の制約が日本語より厳しいのではないかと考えている。それを明ら かにするためには、まず、中国語の「ウナギ文」の全体像を的確に把握す る必要があると痛感した。
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日本語の「ウナギ文」に関する先行研究は数えきれないほどある。日本 語研究の第一人者である金田一(1955)から始まり、最も権威のある専門 書は奥津(1978)の『「ボクハウナギダ」構文─ダとノ─』である。「ウナ ギ文」の文法機能については、いずれも「述語代用」であると述べている。
島田(1983)はそれまでに提案されていた「述語代用説」「ノダ説」「コ ピュラ説」「分裂文説」の四種の学説に対して異議を唱え、「ウナギ文」は 質問に対する「呼応文」として存在している、との見解を示した。
坂原(1990)はメンタルスペース理論で提唱された「役割」の概念を用 いて、「ウナギ文」を「本来なら有るベき役割が省略され、変域の要素と 値が直接結ばれた同定文である」と分析している。例えば、「僕は鰻だ」
では、「僕=変域」「注文した=役割」「値=鰻」となっている。
高本(1995)(1996)では、金田一(1955)、三上(1960)、奥津(1978)、
久野(1978)、仁田(1980)、北原(1980)、堀川(1983)、山梨(1988)な どの数十もの先行研究を㧠つのタイプに分類整理した。その上で、従来の 研究(変形説)には「過剰な文法化(over-grammaticalization)」が見られ ると指摘している。「ウナギ文」発話の解釈のポイントは、デフォルト解 釈がキャンセルされることによって引き起こされる推論にあると主張して いる。つまり、語用論的な視点を取り入れ、従来の統語構造分析を補完し ている。
この㧞篇の論文、つまり高本(1995)(1996)には、執筆された時点ま での先行研究が網羅されているため、本稿では、それらの論文そのものを 引用しない場合には、参考文献の中で再録しないものとする。
金谷(2002)では、「AはBだ」の「Aは」と「Bだ」との文法的な関 係を切り離し、主題としての「Aは」で文はいったん切れていて、聞き手 の注目を集めておき、基本文である名詞文「Bだ」を添えたものに過ぎな いと述べている。
また、奥津(2007)では、「ウナギ文」の文法については、「談話文法
(discourse grammar)」であるとし、前提、あるいは文脈があれば、省略・
代用があるという。ただし、それぞれの言語にそれぞれの談話があるため、
どんな場合に省略・代用するのか、各言語によって違うと述べている。
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前述したように、中国語の中に「ウナギ文」があるのか、という問いに 対する答えは「イエス」である。しかし、日本語の「ウナギ文」を直訳す ると、中国語の「ウナギ文」になるかというと、それはそうではない。前 出の奥津(2007)も述べているように、中国語の「ウナギ文」は日本語の
「ウナギ文」と異なる様相を見せていると推測している。
まず、中国語の「ウナギ文」の名称について紹介する。中国語の「A是 B」構文の研究それ自体は中国語文法体系においては、たいへん重要なテー マであり、その先行研究も数え切れないほどある。一方、それらの中で「ウ ナギ文」に関する論述は決して多くはないが、王力(1943)では、既に「A
是B」構文の中で、ロジックに反するものが存在し、これは言語の経済原
則によるものだと指摘している。Chao(1968)、(2008)なども「ウナ ギ文」について論じていたが、その時点ではまだ定着した名称が無く、
(2008)では、「ྊᄒञᇞኗ(彼は協和病院だ)のような構文」と表現し
て、Chaoなどの「移位派生説(変形説)」を否定し、「移情説(感情移入 説empathy)」を打ち出している。
近年、「ὠቢભ」の名称がやっと導入されたが、中国語の「ὠቢભ(ウ ナギ文)」に関しては、その研究は緒に就いたばかりである。中国の学術 文の検索サイトCNKIで「ऋቮܿὠቢભ」を検索しても、参考文献にリス ストアップした三篇(内一篇は新聞記事)しか紹介されていない。
中国語でも、「ὠቢભ」は日常会話でしばしば使われているはずだが、
それと意識されないままに使用されていることも多い。一方、言語学、特 に文法の研究者と教育者の観点からは、規範文法的なバイアスがかかって いるために、「ὠቢભ」を言語学上の大きな研究テーマとすることについ ては、どこかで躊躇する意識があり、これが「ὠቢભ」の研究を敬遠する 原因となっているのではないか。
၀ቭᄧ(2012)では、中国語の「AB」の先行研究を踏まえた上で、
特殊な文脈解釈に依存しない「ὠቢભ」を「߾ݟᄲὠቢભ」と定義し、㧮 は㧭5)の「恒常特徴」「材料」「量」「存在場所」「存在時間」の㧡種類に分 けた。これにより、いずれも「AはBだ」に翻訳できるという6)。 ځ、ॵ(2015)では、「ウナギ文」と「ὠቢભ」を「言語の経済原則(Economy Principle)、特に聞き手側のQ原則(Quantity Principle)と話し手側のR原 則(Relation Principle)」7)の角度から考察し、その異同について、「中心語 省略型8)に関しては、日中は酷似しているが、動詞省略型9)に関しては、
中国語は中心語省略型ほど自然ではない」と指摘している。
ণ(2019)では、中国語の「ὠቢભ」の生成のメカニズムは「換喩
(Metonym)」によるものであると主張している。
以後、本稿では、日本語の「ウナギ文」は「ウナギ文」と記述し、中国 語の「ウナギ文」については「ὠቢભ」と記す。
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3.1で述べたように、「ウナギ文」については研究者の関心も高く、既に 多くの先行研究が蓄積されている。しかし、これらの研究をさらに発展さ せようとすることが本稿の趣旨ではない。ここでは、これらの「ウナギ文」
に関する先行研究を踏まえ、「ὠቢભ」研究を深化させ、その上で「ウナ ギ文」の中国語への翻訳法を考案し、改善することをその目的とする。
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2.2で触れたように、学生が平叙文単体と疑問文の回答文としての平叙 文を翻訳する際に、異なる反応を示した。これが本稿に重要な示唆を与え てくれた。そこでまず、「平叙文単体」と「疑問文・回答文セット」にお いては、「ὠቢભ」の生成条件が異なる、との仮説を立てた。
ア 平叙文単文単体の場合、つまり、文脈不要のケースでは、AとBは「部 分と全体」の関係でなければならない。平叙文複文単体の場合、つまり、
文脈情報有りのケースでは、対比の文脈に置かなければならない。結果 的に、「A=B」或いは「A㸜B」と見なすことができる。
イ 疑問文・回答文セットの場合、「対比の文脈である」、「回答文は疑問 文と同じ述語動詞で反復する」、「言語の経済原則」の㧟つの条件が同時 に満たされなければならない。
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まず、平叙文単体の場合、「単文」と「複文」に分ける必要がある。
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8 ၻ 308(߶)。 8′ 私は308(号室)だ。 奥津(2007)
9 ၻ 㧭օ。 9′ 私は㧭クラスだ。
例㧤、㧥のような「ὠቢભ」は文脈の助けが無くても理解可能である。
その意味では「ウナギ度(ウナギ文らしさ)」の低い文であると考えるこ ともできる。その理由は「A」と「B」は「一体」の関係、あるいは「部 分と全体」の関係が明瞭であることにある。例文㧤では、「私」が「308 号室」に泊まっている間は、私とその部屋とは「一体」(=)の関係で結 ばれている。例文㧥では、「私」は「㧭クラス」の「一員」(㸜)である。「一 体」の関係と「部分と全体」の関係は「AB」の「同一関係」や「包摂 関係」に極めて近似していると考えられる。
日本語も中国語もこの場合、「文脈不要」という点においては共通して
いるため、「ウナギ文」と「ὠቢભ」の間では、ほかの操作を施す必要が 無く、そのまま対訳することが可能となる。
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次に、平叙文単体でかつ複文の場合をさらに㧞つのケースに分けて考察 してみる。
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10 ࿙නኁ֫ ၀,࿒ቼᄧၮ ୳ಖ。
10′ 天気予報は王麗で、スポーツニュースは李明です。
11 ၻ౦ޕ৫ܸம࣭ိ,ၻ ׁ๊ጄࠩ,ྌ ࣭ጄࠩ。Chao (1968)10)
11′ 私達は二人とも外国に嫁ぎました。私は日本人の夫です。彼女はア メリカ人の夫です。
12 ࢋเޕࣳᏊம。ၻࡼ ഉࣳߒ,ၻ ್ࣳߒ。
12′ 二人ともに子供が出来ました。兄は女の子です。姉は男の子です。
13 ၻ ֿښ,ྊ ֩మ。
13′ 私はベンツです。彼はBMWです。
14 ᅤ༇౦٠ம,፩࣭ ཾᆱ。 14′ 選手の入場です。中国は孫楊です。
15 ङىᇋࠍো,࿙ ى。
15′ 季節によって、飲むお茶が違います。夏は緑茶です。
上記の例文10〜15は、対比構文11)によって、「A」と「B」の結びつき が明確になる例である。「Aは他でもない、正しくBである」というのが 対比によってもたらされる効果である。その強い断定の効果が利いて、「A」 と「B」の排他的な一体感が醸成される。「AB」の「同一関係」や「包 摂関係」が顕在化して、無理なく「ὠቢભ」として成立するのである。
例えば、例文10では、単文では分かりにくい「A」と「B」の関係が、
対比によって(あたかもクロスワードパズルの縦と横のヒントのように)
あぶり出されるのである。「A=天気予報を担当するのは、ほかでもない B=王麗その人だ」との推論が可能になる。勿論、この背景には「ニュー ス番組内には天気予報やスポーツのコーナーがあり、それぞれ担当アナウ ンサーが決まっている」という「世界知識」があってのことである。
例文11以降も対比の例であるが、例文11と例文12は対比の文脈だけで
はなく、前提となる別の文脈(「外国に嫁いだ」、「子供ができた」などの 事前状況説明)が設けられている。対比と一緒になって「ὠቢભ」の成立 に力を貸していることは言うまでもない。しかし、中国語の場合、この事 前の状況説明が決め手なのではなく、あくまでも、後ろの対比の文脈が「ὠ ቢભ」を促成する要であることを強調しておきたい。対比の文脈の重要性 についてはすでに述べたが、一方、事前の状況説明の役割については後述 の4.2.1.2.2を参照されたい。
対比については、さらに次のことを特筆しておきたい。例文13のドイ ツ製の高級車「ベンツ」と「BMW」のように「明比」すること(極めて 明示的な形で対比すること)が可能なケースもあれば、例文14のように、
文脈情報が隠れている「暗比」(対比の文脈が表には出ず、暗黙のうちに 構成している)のようなケースもある。勿論「暗比」でも「A」と「B」
の結びつきを強調する効果は発揮される。ここでは「世界知識」もひと役 買うことになる。例文14では、「水泳競技は通常㧤レーンで競うことにな るが、中国代表はほかでもない、まさしく孫楊である」との推測が可能に なる。例文15も同様で、季節と言えば、「夏」の対比項は「春・秋・冬」
の㧟つがあって、これも対比(暗比)の文脈と言える。「夏と言えば、ほ かでもないまさしく緑茶である」。
このタイプの「ウナギ文」の翻訳法に関しては、直訳でもそのまま「ὠ ቢભ」として認められる。
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例文㧡のケースで、ニュースキャスターが「気象情報は菊池さんです」
と発言する前に、「週末の天気が気になりますね、続いては、お天気を見 てみましょう」等の短い「事前状況説明」を加える場合がある。それがな い場合では、「気象情報」の字幕が出ると同時に、菊池さんが気象図の前 に立っている映像がテレビの画面に映し出されている。この映像情報は「場 面情報」と呼ばれる。画像を見れば、「世界知識」によって、「この人は気 象予報士で、これから天気予報が始まる」と認知することができる。
また、日本語の「ウナギ文」の使途を観察していると、テレビコマーシャ ルの中でかなり頻繁に使われているケースに出会う。15秒、30秒という ごく短い時間内に多くの情報を詰め込むために、言葉の省略が多用される のは当然と言えば当然である。そして、ここでは「場面情報」がふんだん に盛り込まれている。但し、これらの「事前状況説明」や「場面情報」が
日本語の「ウナギ文」の成立には十分働いているのに、中国語には機能せ ず、したがって「ὠቢભ」として成立しないケースが多い。
例文16は著名人が自動車のコマーシャルに出て、「私はベンツです」と いうセリフを言うのである。その著名人の名が「ベンツ」なのではなく、
映像の中で彼の後ろに映っている車が「ベンツ」で、それを推薦している のだと理解できる。これも「場面」が情報になっている。
【自動車の CM】
16 私はベンツです。
16′ ※ၻ ֿښ。
16″ ၻళ/ᅤዎ/ထਃֿښ。 (私はベンツを買う/選ぶ/薦める)
しかし、中国語では、これは「ὠቢભ」としては通用しない。なぜか。
4.2.1.2.1の例文13、「ၻֿښ」という全く同じ文が成立するにも拘らず、
ここでの例文16′が「ὠቢભ」として成立しないのはなぜかと言い換えて みよう。例文13はそのあとに「ྊ֩మ」と続く対比構文である。対比 による強調の効果が消えたために、例文 16′のAとBの意味関係が緩くなっ た結果、「ὠቢભ」として成立しなくなったと考えることができる。
「AB」の「ὠቢભ」を成立させるためには、「説明性言語」である中 国語はAとBの明確な関係説明を文脈に要求する。しかし、主題の導入 に過ぎない「事前状況説明」や「場面情報」などの文脈はAとBの必然 的な意味関係を推論させるには、対比に比べて、力量不足なのである。従っ て「ウナギ文」としては成立しても、「AB」の本来の「同一関係」や「包 摂関係」を表す意味機能から乖離しているために、「AB」の形をとる「ὠ ቢભ」としては許容されないということになる。
この結果、16″のように、このタイプの「ウナギ文」を翻訳する時には、
その場面に相応しい動詞を補填しなければならない。
次に、日本語では、質問が文脈を作っている場合に「ウナギ文」の発話 が使用されやすいという、金田一(1955)、島田(1983)などの先行研究 がある。果たして中国語はどうであろうか。
疑問文に対応する回答文の中の「ὠቢભ」を観察してみよう。
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さらに、回答文の「単数回答」と「複数回答」に分けてみる。
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その上、疑問文を「疑問代名詞」型と「疑問助詞」型に分けてみる。
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中国人はレストランで注文する際に、店員に「何にしますか」と聞かれ た時の答えとして、簡潔に食べ物の名前のみを伝えるか(17A1)、または 注文の際によく使われる四つの動詞(例文下線部)のどれかを使って、「ၻ
+(ݞ/ᇋ/ړ/ହ)+料理名」と言うか(17A2)、いずれかである。
17A3のような「ὠቢભ」の形式は取らない。
17 Q ݞ/ᇋ/ړ/ହݞߒ㧫 Q′ 何を注文しますか。
A1 ଲಅ。 A1′ ラーメンです。
A2 ၻଲಅ。 A2′ 私はラーメンを注文します。
A3 ※ၻ ଲಅ。 A3′ 私はラーメンです。
中国語の「疑問代名詞疑問文」の本質は「穴埋め問題」である。つまり、
疑問代名詞の「穴」を埋めれば、答えになる。また、フルセンテンスで回 答することもできるが、主語、述語をそのまま継承する反復(echo)の形 にすることが多い。
例17においては、言語の経済原則を重視するなら、17A1のように、「
(何)」という穴に「ଲಅ(ラーメン)」を埋めるだけで、答えとしては 十分である。ポライトネスを重視するなら、フルセンテンス回答文17A2 の言い方が丁寧である。一方、17A3のように、単音節述語動詞をわざわ ざ同じ単音節の「是」に替える必要性はどこにも無い。経済原則を体現し ていないからである。この点に関しては、ځ、ॵ(2015)でも同じ指摘(節 約がゼロ)があった。
従って17A3′のようなタイプの「ウナギ文」を中訳する際には、17A2 のように動詞を補填しなければならない。
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次に、レストランで飲み物を注文する場面で、聞き方の異なる例を見る。
店員が注文を取った後で、18Qのように確認した。この質問に対しては、
18A1のようには答えるが、18A2のような「ὠቢભ」の形式は取らない。
18 Q ݞܿ ऽඈ྾એఱ㧫 Q′ ご注文は赤ワインですね。
A1 。 ռඈ྾એ。 A1′ いいえ、白ワインです。
A2 , ※ၻ ռඈ྾એ。 A2′ いいえ、私は白ワインです。
中国語の「疑問助詞疑問文」の本質は「選択問題」である。つまり、「は い」と「いいえ」の間で選択する。「はい」の場合、「述語」を繰り返せば 答えになる。「いいえ」の場合、「否定副詞+述語」で答え、さらに正解を 補足したい場合に限って、その正解を同じ述語を使って述べる。
例18では、疑問文の述語は断定動詞「是」のため、回答文も反復して、「」
で答えなければならない。A1は模範回答で、A2の文中の「ၻ」は模範解 答よりも一文字多く、経済原則に違反しており、この「ὠቢભ」は不採用 となる。中国語では決してこのようには言わない。
このタイプの「ウナギ文」を訳す時には、主語を削除しなければならな い。
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複数回答の場合も、疑問文を二型に分ける。また、「複数回答」という のは必然的に「対比」の文脈の下にあることを意味する。
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仮に中国語母語話者㧞人が「好きな音楽家は」と聞かれたとする。この 場合も、それぞれ名前だけを挙げるか(19A1と19B1)、または、質問文 に あ っ た 動 詞 を 繰 り 返 し て、 フ ル セ ン テ ン ス で 回 答 す る か(19A2と 19B2)、そのいずれかになる。
19 Q ೠႹ॥ುၤሕয়㧫 Q′ お好きな音楽家は誰ですか。
A1 ַࠉ。 A1′ ベートーヴェンです。
B1 ಧ࿅。 B1′ モーツァルトです。
A2 ၻႹ॥ַࠉ。 A2′ 私はベートーヴェンが好きです。
B2 ၻႹ॥ಧ࿅。 B2′ 私はモーツァルトが好きです。
A3 ※ၻ ַࠉ。 A3′ 私はベートーヴェンです。
B3 ※ၻ ಧ࿅。 B3′ 私はモーツァルトです。
同じ文脈においては、日本語では、むしろ「ウナギ文」(19A3′と19B3′)
が慣用される。対照的に、中国語では「ὠቢભ」(19A3と19B3)の使用 は避けられる。4.2.2.1.1と同じように、「穴埋め問題」であるため、19A1
と19B1はベストの回答で、19A2と19B2は丁寧な言い方になる。しかし、
19A3と19B3は不適格とされる。何故なら、「Ⴙ॥」は二音節動詞で、単 音節の「」で代替することが経済原則を遵守しているかのように見える が、「」で代替することによって、あたかも「私」が音楽家本人である ように聞こえ、「܍߾ྈၳ(答えと問いが噛み合わない)」感覚が経済原則 の採用を許さないのである。
このタイプの「ウナギ文」の中訳は19A2と19B2のように、動詞を忠実 に再現すべきである。
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複数回答は複数各自回答(複数の人が一人一人回答する、例20)と複 数一括回答(一人で全員の答えをまとめて回答する、例21)を含む。
20 Q ೠ౦ޕบִੲఱ㧫
A1 ,ၻบִੲ,ྊบຢࣴ。 A2 ,ၻ ִੲ,ྊ ຢࣴ。
20 Q′ 二人とも北京へ行きますか。
A1′ いいえ、私は北京へ行き、彼は上海へ行きます。
A2′ いいえ、私は北京ですが、彼は上海です。
21 Q ೠ౦บܿޕִੲఱ㧫
A1 ,ၻบִܿੲ。ྊบܿຢࣴ。
A2 ,ၻ ִੲ。ྊ ຢࣴ。
21 Q′ 二人とも行先は北京ですか。
A1′ いいえ、私が行くのは北京ですが、彼が行くのは上海です。
A2′ いいえ、私は北京ですが、彼は上海です。
大河内(1982)12)
例20の疑問文の述語動詞「บ(行く)」前に「」が付いていて、この「」
は「確認後の断定」という機能を持っている。前述したように、通常、回 答文は疑問文と同じ述語動詞を使用するため、20A1のように「บ」で 答える。そこで、「บ」は既知の情報として、経済原則によって、省かれ てもいいと判断され、20A2、つまり「ὠቢભ」となる。
質問方法を変えて、例21Qのように「的構造場所指示(บܿ)」を主語 として、「」を述語にして質問した場合、返答はやはり21A1のように「บ
ܿ」で呼応する。そこでも、「บ」は既知の情報のため、経済原則に従っ て省略され、「ὠቢભ」21A2が生成された訳である。
先ほど検討したほかの㧟パターンの「疑問文・回答文セット」における
「ὠቢભ」の使用不可という結果に対して、「疑問助詞疑問文・回答文セッ トの複数回答」の場合では、回答文は対比の文脈が備えられ、質問文と同 じ述語動詞で反復し、経済原則にも従っていて、この結果、「ὠቢભ」は 認められ「成立する」ということになった。従って、このタイプの「ウナ ギ文」はそのまま直訳すれば、「ὠቢભ」としても成り立つ。
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本稿は「ウナギ文」の中国語訳の際の問題点に着目し、「ὠቢભ」の研 究においては、「文単体」と「疑問文・回答文セット」に分けて考えるべ きだと提唱し、様々のケースについて、「ὠቢભ」の成り立つ条件を分析 した。その結果をまとめた表㧝(次頁)の通り、「ὠቢભ」の生成制限は「ウ ナギ文」より相当に厳しいことが一目瞭然となる。「以心伝心」の日本語 と対照的に、中国語はしばしば「描写性言語」、「説明性言語」と言われる。
本稿は「説明性言語」に相反し、その対極ともいえる範疇に属する「ὠቢ ભ」は「ウナギ文」ほど許容されやすいものではないことを明らかにし、
この表はそのことを如実に示している。
表㧝の中のすべての「ウナギ文」は成立しているが、そのままの直訳で は「ὠቢભ」として認められないものが多数ある。本稿が、中国語教育で の「ὠቢભ」の扱い方、及び「ウナギ文」の翻訳法に対して、少しでも参 考になればと願っている。
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2.1で提起した、「文化背景の違い」が「ウナギ文」と「ὠቢભ」の生成 に影響するのかどうか、「影響あり」とするならばどの程度の影響力を持 つのか、については言及しないまま本稿を閉じた。さらには「事前状況説 明」や「場面情報」が「ὠቢભ」の生成に決定打にならない理由について は、より深く掘り下げる必要があると考えている。この二点については、
今後の課題とし、継続して取り組んで行きたい。
表㧝 「ὠቢભ」の成り立ち及び「ウナギ文」の翻訳法
分類基準 例文・和訳 判定 日㱺中
「ὠቢભ」の判定理由 中 日 翻訳法
平叙文単体
(1)
単文
(1.1)
文脈不要注1) (1.1.1)
㧝.ၻ308(߶ৱ)。 私は308(号室)です。
㧞.ၻAօ。 私はAクラスです。
部分と全体の関係㱺 A 㸜 B と見なす
○ ○ 直訳
複文
(1.2)
文脈有
(1.2.1) 対比注2) (1.2.1.1)
㧝.࿙නኁ֫၀,࿒ቼᄧၮ୳ಖ。
天気予報は王麗です。スポーツニュースは李明です。
㧞.ࢋเޕࣳᏊம。 ၻࡼഉࣳߒ,ၻ್ࣳߒ。
二人ともに子供ができました。
兄は女の子です。姉は男の子です。
㧟.ङىᇋࠍো,࿙ى。
お茶を飲むのが季節によるのです。夏は緑茶です。
対比による断定㱺 A=B A 㸜 B と見なす
○ ○ 直訳
非対比 場面情報有
注3) (1.2.1.2)
㧝.ಅ࿙නଝ。࿙නኁ֫၀。
続いては、天気を見ましょう。天気予報は王麗です。
㧞.…࿙ى。 夏は緑茶です。
㧟.…ၻֿښ。 私はベンツです。
…は場面情報 㱺 A=B、A 㸜 B と見なすことができない
ą ○ 動詞 補填
疑問文・回答文セット
(2)
単数回答
(2.1)
文脈有
(2.1.1) 問答
(疑問代名詞 疑問文)
(2.1.1.1)
Q ݞ㧫 A ၻଲಅ。
Q 何にされますか。 A 私はラーメンです。
述語動詞の反復ą 言語の経済原則ą
ą ○ 動詞 補填
問答
(疑問助詞 疑問文)
(2.1.1.2)
Q ݞܿਲ਼Ꮚఱ㧫 A ,ၻଲಅ。
Q 注文されたのは餃子ですか。 A いいえ。私はラー メンです。
述語動詞の反復○ 言語の経済原則ą
ą ○ 主語 削除
複数回答
(2.2)
注4)
文脈有
(2.2.1)
問答+対比
(疑問代名詞 疑問文)
(2.2.1.1)
Q ߗၤݞ㧫
A1 ၻଲಅ。 A2 ၻਲ਼Ꮚ。
Q お二人は何にされますか。
A1 私はラーメンです。 A2 私は餃子です。
述語動詞の反復ą 言語の経済原則△ 注5)
ą ○ 動詞 補填
問答+対比
(疑問助詞 疑問文)
(2.2.1.2)
1Q ߗၤޕݞଲಅఱ㧫 1A ,ၻଲಅ,ྊਲ਼Ꮚ。
1Q お二人ともラーメンにされるのですか。
1A いいえ、私はラーメンで、彼は餃子です。
2Q ߗၤݞܿޕଲಅఱ㧫 2A ,ၻଲಅ,ྊਲ਼Ꮚ。
2Q お二人とも注文されたのはラーメンですか。
2A いいえ、私はラーメンで、彼は餃子です。
述語動詞の反復○ 言語の経済原則○
○ ○ 直訳
注1) これらの「ウナギ文」は疑問文単体でも使える。例えば、「༼308㧫」、「ೠುࢋօ㧫」 注2)「対比文脈」には「明比」(例㧝・㧞)と「暗比」(例㧟)の二つを含む。また、もっと大きい文脈
の中に置かれる「明比」(例㧞)が多い。
注3)「場面情報」はここでは「映像やナレーションなどの情報」、特にCMの場合はほとんどこのケース。
注4)「複数回答」には「複数各自回答」と「複数一括回答」の二つを含む。
注5)疑問文の述語動詞は単音節の場合、「ὠቢભ」で代替すると、節約がゼロで、経済原則を満たさな いため、△とする。
また、3.2でも触れたように、文法の研究者として、また教育者として の本稿の執筆には、規範文法的なバイアスが根底にあり、「ὠቢભ」の認 定に対してかなり厳しい視点で臨んだ可能性があることは否めない。本稿 の未熟な見解に対して、当然ながら、多くの反論が寄せられることを希望 している。
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※ 本稿は第十一回亜太地区国際漢語教学学会年会(2019年㧤月・シンガポー ル南洋理工大学)における口頭発表の一部を基にして、修正・加筆したもの である。ご意見を賜りました先生方に御礼を申し上げます。
㧝)「ၻే」と同名の歌(作詞:台湾歌手伊能静)もある。
㧞)デフォルト解釈とは、ここでは、「AはBだ」形式の文を文脈が無い中で、
コピュラ文(「A=B」か「A㸜B」)として読むこと。
㧟)他に「A是B」と「AはBだ」には「存在」、「比喩」の意味もある。例え
ば「ᇞኗܿയע٫༁(病院の隣はスーパーだ)」「ྊᇜࢋತ࣠(彼は鬼だ)」
等。これらも広い意味の「同一関係」「包摂関係」と見なされる。
㧠) Aがないケースもしばしばある。例えば「雨だ」「お釣りです」
㧡)原文では、AはN1、BはN2と表記している。
㧢)また、AとBの意味関係によって、「Aは+動詞句」「Aは+形容詞句」
と訳せるケースもあると述べた。
㧣)言 語 の 経 済 原 則(Zipf’s Law) を 踏 ま え、 新 グ ラ イ ス 学 派 を 牽 引 し た Laurence R. Horn は、Griceの挙げた㧠つの公理(Quality, Quantity, Relation, Manner)を㧞つの原理(Q[uantity]-principleとR[elation]-principle)として再 編成した。Q-principleはより多くの情報を提供しようとする原理であり、
R-principleはより少ない情報で済ませようとする原理である。
㧤)「ၻ࣭ܿ፩࣭,ਜ਼໗࣭ࣼ。(私の国籍は中国で、金先生は韓国です)」
のような文を指す。
㧥)「ೠ౦ङ㧫※ၻऽඈ྾એ,ྊռඈ྾એ。(君達何を飲む? 私は赤 ワインで、彼は白ワインだ)」のような文を指す。
10)原文をベースにアレンジした。
11)単独では成り立たない事象叙述が対比の文脈に置かれると、タイプシフト して属性叙述になり、合法的な文になる例がしばしば観察される。これらの 文は強い分類性を見せている(袁2014、影山・沈 2012)。本稿は対比の文脈 は中国語にとって非常に大きな意味をもつと考えている。「対比」の文法機 能と近似する「対挙形式」、「比況性」等の先行研究についても参考されたい。
12)原文をベースにアレンジした。
Վᐎ୫စ
袁暁今 (2014)「現代中国語の三音節名詞の構造と意味」大阪大学博士論文 袁暁今 (2017)「その中国語訳ちょっとへん」2017年㧝月12日 朝日新聞 夕刊 王燕 (2016)「日中対照の立場からみた日本語の名詞述語文」北陸大学紀要第40
号 pp. 124‒136
大河内康憲 (1982)「中国語構文の基礎」『講座日本語学』明治書院 奥津敬一郎 (1978)『「ボクハウナギダ」の文法─ダとノ─』くろしお出版 奥津敬一郎 (2007)「言語における普遍と特殊─うなぎ文の世界─」第㧝回日本
語特別講演会講演原稿PDF版国立教育政策研究所
影山太郎 沈力 (2012)「付加詞主語文の属性叙述機能」『日中理論言語学の新展 望②意味と構文』くろしお出版 pp. 27‒66
金谷武洋 (2002)『日本語に主語はいらない』講談社選書メチエ 金田一春彦 (1955)「日本語─文法」『世界言語概説(下)』研究社
坂原茂 (1990)「役割,が・ハ,ウナギ文」『認知科学の発展』Vol. 3 特集メン タルスペース 講談社 pp. 29‒66
島田昌彦 (1983)「『ウナギ文』論争の疑問」金沢大学文学部論集文学科篇Vol. 3 pp. 1‒41
高本條治 (1995)「『ウナギ文』の語用論的分析─文脈における語彙統語構造の 発展と拡張─」(1)上越教育大学研究紀要15‒1. pp. 123‒136
高本條治 (1996)「『ウナギ文』の語用論的分析─文脈における語彙統語構造の 発展と拡張─」(2)上越教育大学研究紀要15‒2. pp. 405‒419
ځߺዐ ॵॢࢻ(2015)「۰ቮᆗ੶ᄹኊዏऋ๊ὠቢભܿልݞ」ऋ๊ቮᆗޭ
ᆓઈజ۱ ݕ㧞ඓ pp. 110‒118
ণན(2019)「ऋቮ፩ܿ “ὠቢભ” ─ᇓྥ “ೠধ” ─」ቮᆗၭᏍ፵֫
2019೧㧣ኟ17๊ ݕ002
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ၭ ݕ㧡ඓ pp. 387‒395
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၀ቭᄧ(2012)「ऋቮὠቢભოჺঽඝቪ๊ቮޭሥ࣋Ⴜᄆૣ─ᇵᅍᇋ࿅༓ቮ੍
ܿભᏊၓ፩ᄩ─」๊ቮᅪႷቪᆓઈ ݕ㧝ඓ pp. 65‒72
Chao Yuenren (1968) A grammer of spoken Chinese, University of California Press
When Translating the “Japanese Unagi-sentence”
into Chinese
—An Observation of the “Chinese Manyu-sentence”—
Y
UAN, Xiaojin
It is widely known that the “Unagi-sentence (‘I am the eel’ sentence)” is often used in Japanese. We can also find some similar sentences in Chinese, which are called “Manyu-sentence”, but there are not many and it seems that the restrictions on the generation of this kind of sentence is very strict in comparison with “Unagi-sentence”.
This paper tries to clarify the decisive factors in creating a “Manyu- sentence”. I suggest that we should treat “single sentence” cases and
“question-answer-pair sentence” cases differently. In the former case, we should use the idea of “part-whole”, and in the latter case, the reply sentence must i) be in a contrast context, ii) be a verb echo reply, iii) satisfy the economy principle of language.
Based on these analyses and the translation problems found from machine and Chinese learners, I also put forward some proposals on how to translate
“Unagi-sentence” into Chinese.
The present study on “Manyu-sentence” is not sufficient, so I hope this paper can supply a new view point.