「核戦争の瀬戸際で」 古岸啓良
米朝首脳会談が開催されるかどうかが話題になっている昨今、昨日は突然金正恩が中国 を訪問し習近平との首脳会談を行った。朝鮮半島問題の行方に対する関心は、何かの誤謬 でもし戦争が勃発した場合核戦争へと進む脅威を否定できない。 そこで「核戦争の瀬戸際で」ウィリアム・J・ペリー著作を読んだ。著者は、元米国国防 長官、黒船で来航したペリー提督の子孫。冷戦時代を経て米国がたどってきた核戦争の危 機と、それを乗り越えてきた歴史を語っている。興味深く感銘を受けて読んだ。整理しな がら読後感想も含めて述べてみたい。 その前に、朝鮮半島をめぐる現下の状況に関し簡単に整理してみたい。 朝鮮半島をめぐる状況 朝鮮半島をめぐっては、北朝鮮の独裁政権による核兵器とICBM の開発の進展、韓国の 文在寅政権による対北融和政策、中国の習近平一強体制による軍備の増強及び米国との貿 易戦争、ロシアとは冷戦の復活とスパイ問題から派生した外交官の相互追放、そして米国 の不安定なトランプ政権の今後の方針の行方等、予断を許さぬ緊迫した状況下にある。 日本の政界とマスコミだけは脳天気に森友問題で騒いでいる。忖度があったことは明ら かなのだし、一刻も早くこの問題をつまらぬ党利党略から脱して片付けて日本の安全保障 問題と憲法改正問題に真正面から早く取り組んでもらいたい。国会中継をみているとイラ イラしてくる。 朝鮮半島のこれからの動きはどう進展するのだろうか。 2月の平昌五輪を機に韓国との対話に乗り出し、今回の突然の中朝首脳会談、5月に米 朝首脳会談の予定と急進展しているが、背景には北朝鮮に対する各国からの経済制裁の影 響とティラーソン国務長官とマクマスター首席補佐官を解任して強行派といわれる人物に 変わった米国の方針を読めない金正恩のあせりが感じられる。 北朝鮮の非核化の意思表明はこれまで何度も反古にされてきている。1986年金日成 の非核化声明、1991年南北による朝鮮半島非核化に関する共同宣言の合意、1994 年の米朝枠組み合意等、そのいずれも踏みにじり核実験やミサイル開発の時間稼ぎとして きている。 金正恩は核と戦略ミサイル体制維持が「核戦力保有国」としてステータスであり、外貨 獲得による独裁体制維持に不可欠と考えており、韓国からの米軍撤収や体制の保証ほか難 しい条件交渉を出してくると思われる。リビア方式のように、即時の核廃絶の条件は飲ま ず段階的削減と経済支援の要求をしてくるものと思われる。トランプ政権がアメリカファーストで、自国への長距離ICBM 開発停止を条件に、日本 を射程に収める中距離弾道ミサイルが置き去りにしたり、拉致問題が横に置かれたままに 進んだりすると日本にとり最悪のケースとなる。 北朝鮮を支援するロシアと中国が核保有国であり、北朝鮮が核開発を止めない現実を考 えると、抑止力を如何に担保するかを考えることが先決であり、自分の国は自分で守る、 憲法9条を改正してきちんとした防衛体制を作り上げることのほうこそが大切であると思 う。 「核戦争の瀬戸際」を読んで 内容は、ペリーの自叙伝ふうに自身が関わった「核の脅威」と「世界を如何に核兵器によ る 破滅から防ぐか」を淡々と述べている。少し性善説というか楽観的な見方をしている面も あ り、現在は主義・民族・宗教等が異なり、貧富の格差があり、ナショナリズムの台頭に翻 弄 されるという複雑な社会である。戦争には孫子に曰く、「兵とは詭道なり」とか「廉潔は辱 められ・・・」とあり、性悪説に立つ国家間のエゴによる誤謬が常であることを考えると 核 戦争の引き金による死と文明の終焉は起こりえないことでは無い。 (1) キューバ危機・核の悪夢 アメリカ海軍の海上封鎖する海域に向かって航行するソ連の船舶。ケネディ大統領は「西 半球の如何なる国に対してであっても、キューバから核ミサイルが発射されるなら、それ はソビエトに対する全面的な報復措置を招くだろうと」米ソ間の核戦争が勃発する危機一 髪の状況が発生した。フルシチョフの決断で回避されたが、世界は未曾有の破滅の危機に あった。 この時、封鎖されたキューバ海域に接近してきたソ連の船舶は複数の潜水艦により護衛 されていた。そしてこの潜水艦には核魚雷が搭載されていた。艦長にはモスクワの指示な く魚雷を発射する権限が与えられており、1人の艦長は米駆逐艦に向けの発射を寸前で止 めている。 又、キューバ危機が最高潮の時、米軍偵察機が予定航路をはずれ誤ってソ連領空に侵入、 爆撃機と誤認されソ連戦闘機のスクランブルを受けている。これに対し核ミサイルを積ん だ米軍戦闘機もスクランブル発進している。偵察機の機長が気づき引き返して大事件にな
らなかったが。 同じ時、ICBM が米航空基地から定期的な訓練発射として行われているが、誤認を考え れば訓練スケジュールを再調整すべきだった事件も起きている。誤謬による軍事衝突はい つでも起こりえるし、それは核戦争による文明の破滅に繋がる。 キューバ危機は高まりつつある核のリスクに警鐘を鳴らす事件であった。 (2) ソビエト核ミサイルの脅威 1954年著者は「シルベニア電子防衛研究所」(ソ連が開発中の核ミサイルへの防衛策 を講じるべく陸軍が設立)に勤務。 ソ連の核戦力の規模や配備、射程距離・命中精度・運搬可能サイズ、その他の重要な特 徴などの実戦能力をより詳しく知るため偵察技術の向上に携わり、冷戦時の偵察技術の勝 利はアメリカに決定的な知識と優位性をもたらした。 ソ連のICBM に対する妨害電波発生装置の製造では、誘導信号の特徴を知り、ソ連のミ サイルを誤誘導させることで被害を抑える研究を進めた。 大規模な核攻撃による破壊と死の灰の恐怖は、政治・経済・社会システムの完全な機能 停止を生むが、可能な防衛手段は無い。唯一意味のある防衛手段はそれを起こさせないこ とである。よって資源は防衛より、攻撃を未然に防止することに投入すべきである。この 基本的な認識はその後の長いキャリアを通じて著者を導く原則となった。 又、ICBM が慣性誘導に切り替えられてからは、「テレメトリ信号」と「ビーコン信号」 を傍受することが求められ、信号の傍受と分析双方でかなりの成功を修めた。 CIA と国家安全保障局(NSA)によって創設された「テレメトリとビーコン分析委員会 (TEBAC)」の情報収集と分析は決定的に重要なものとなった。TEBAC による調査分析で も核兵器の保有数まで割り出せなかったが、これはU2 偵察機によるソ連のミサイル基地等 の撮影画像で把握したが、U2 偵察機が撃墜されたあとからは衛星偵察システムに置き換わ っている。 電子防衛研究所はアナログ技術に優れていたが、時代はIC 活用によるデジタル・テクノ ロジーの時代になりつつあった。そこで退任してデジタル時代に対応すべく新たな会社 「ESL」を設立した。 (3) ESL において ESL の基本理念は、冷戦下の諜報作戦に貢献すること。冷戦下の情報収集任務において は、検出・収集・処理・分析・結果報告とあらゆる局面で、最先端の技術が重要な役割を はたす。ソ連は弾道ミサイル防衛(BMD)システムを運用していたが、米軍はこれを見極
めるため偵察衛星で監視をしていたが、デジタル部品を搭載した小型衛星システムを開 発・提供した。又、ソ連のレーダーの月面反射をキャッチする「月面反射通信計画」で高 品質の録音にも成功した。 更にデジタル画像の処理システムの設計、ICBM・人工衛星・弾道ミサイル防衛システム・ 軍事レーダーの性能評価等も行った。諜報データの分析の仕事により、軍備管理・軍縮局 (ACDA)との関与に繋がり、軍備管理と核兵器削減こそが、核による破滅の危険性を緩和 し、手に負えない「恐怖による均衡」への暴走を止め引き返えさせる為の最も重要な方法 と確信するに至った。 (4) 国防次官に就任。「相殺戦略」とステルス技術。 1977年研究・エンジニアリング担当の国防次官に就任。あらゆる軍事研究とエンジ ニアリングを監督するとともに、米軍及び国防関連機関が製造・実験するすべての兵器に 関する責任者となった。 アメリカはアイゼンハワー政権以来、巨大な常備兵力を維持すればアメリカ経済を蝕む (事実ソ連はこの重荷により国家の破綻に繋がっていった)と、核兵器の優位性により通 常兵器と相殺する「相殺戦略」をとり、戦術核兵器(局地使用)の開発を行っていた。 しかし、ソ連との戦略的均衡により、現実に合わせて新たな「相殺戦略」が必要となっ た。そしてそれは最先端のデジタル技術を基盤とすることになった。新しい「相殺戦略」 の基盤は、高感度センサーとスマート兵器としたが、当時ロッキード社で「ステルス技術」 による航空機製造計画が進んでいて、のちに F-117 ステルス戦略爆撃機が開発・製造され た。 通常兵器による圧倒的な優位性は、敵軍をリアルタイムで発見し位置を特定する高性能 センサー、スマート兵器と呼ばれるきわめて高い精度で目標を打撃できる兵器群や敵のセ ンサーを回避できるステルスシステム(攻撃用航空機と戦艦)の3要素から成り立ってい た。そして「相殺戦略」の革命的な構成要素の一つとして「全地球測位システム(GPS)」 があった。これら新しく開発された優れた兵器は「砂漠の嵐作戦」で使用され、軍事技術 の予期せぬ実験場となりその力を証明した。 「相殺戦略」は、決定的な軍事的優位性をもってソ連の自信を霧消させ、費用対効果の 面でも経済的にきわめて重要だった。核兵器の危険性を少なくし安全な体制を作る上でも 不可欠な要素ともなった。 体制には、軍事的均衡による敵対的な相互抑止に基づく体制、大規模な軍縮協定の相互 遵守を確認する体制、核物質を保管するための信頼性の高い安全保障システムに基づく体 制、等いろいろあるが、「相殺戦略」がもたらした革命は人類と技術の勝利で進むべき道を 示した。
(5) アメリカの核戦力強化と核警報・軍縮そして失われた核不拡散の機会 先端技術を活用した通常戦力の強化による「相殺戦略」の実施と同時に核戦力のアップ グレードも進めることになった。抑止戦力の規模は通常抑止能力の議論の結果決まるが、 政治的な尺度によるところも大きい。 米国の戦略核兵器と抑止力による安全保障は、「トライアド」戦略を基本としてきた。空 についてはソ連領内の目標まで無誘導爆弾を運ぶ B-52。海については国境付近を哨戒潜 行する潜水艦から発射されるポラリス・ミサイル(潜水艦発射弾道ミサイルSLBM)。陸に ついては複数の弾頭を持ち堅固な地下式サイロに配備されているICBM(主にミニットマン ミサイル)の3本柱がそれにあたる。 老朽化しつつあったB-52 は空中発射型巡航ミサイル(ALCM)の開発と改良により寿命 を引き延ばし、SLBM はトライデントミサイルにリプレースしていった。ミニットマンミ サイルの後継機としてはMX ミサイル(10個の弾頭を持つ)の配備計画が進んだが、ICBM の脆弱性解決に繋がらず、後のソ連との戦略兵器削減交渉(START-1)の合意により最初 に廃棄されることになった。 北米航空宇宙防衛司令部(NORAD)での人為ミス(訓練用テープをコンピューターにセ ット)により、ソ連のミサイル200発が飛翔中との警報が画面に表示され、緊急事態を 招いたが当直将官の判断で反撃は避けられるということがあった。誤謬による核戦争危機 だったが、もしこれがキューバ危機や中東戦争のさなかに起きていれば・・。 核警報決定プロセスでは、警報に対する判断する時間は少なく、一番重要なのは背後に ある情報、即ち相手に対するより深い理解である。敵国との対話に乗り出し、それによっ て両国に一定の透明性を持つことが重要である。 1971年ソ連との間で第1 次戦略兵器制限交渉(SALT-1)が結ばれた。しかしソ連 はICBM 制限の抜け穴を利用した SS-18(10個の核弾頭を持つ)を開発、米国も MX ミサイル開発と対抗する結果を生んだ。 SALT-1 の欠点を是正するための長い交渉の結果、SALT-2 が署名されたが批准までは至 らなかった。二国間軍縮交渉は先行き明るいものとみられたが、不合理かつ感情的な考え 方、即ち人類史上の数々の戦争に通ずる考え方により、核の時代はかってない危険な状況 を生んでいる。 大局的な視点から核兵器について考えた時、出てくるもう一つの課題は、世界の他の地 域への核兵器の拡散という問題である。特にテロ組織に渡った場合の危険性は計り知れな い。
(6) 冷戦時代 冷戦期のアメリカの戦略はソビエトの「封じ込め」だった。ソ連の影響拡大を制限し、 西側との軍事衝突を防いで核戦争を防止することだった。又、一つはカーター大統領の米 中準公式同盟の考え方に沿い、中国への通常兵力の近代化に対する支援で、民生技術特に 電子産業の構築に力を入れるべしとの助言をした。二つ目はNATO 軍の即応能力を維持向 上することだった。NATO 軍との共同作戦実施能力は、抑止能力の根幹であり、多国籍軍 間の相互運用性(特に通信システムと弾薬備蓄)を確保することだった。装備調達の効率 性も死活問題で「兵器製造における家内制分業」で克服しようとしたがあまり上手くいか なかった。もう一つは、長年敵対するエジプトとイスラエルの平和協定締結でキャンプ・ デービットの合意が実現した。 1983年レーガンの「戦略防衛構想(SDI)」の発表。衛星のコンステレーション(多 数の衛星によって地球全体をカバーする通信・観測システム)に配備したレーザー兵器に より、ソ連のICBM を飛翔中に撃墜するというもので「スターウォーズ計画」と呼ばれた。 核兵器を無効にする狙いだが、以前にソ連のICBM 誘導システムを妨害電波で誤作動させ て弾道ミサイル防衛能力を完全無欠にするという初期の発想と同じで達成不能と思ったが、 事実そうなった。時間と巨大なコストと、敵が対策を講じない想定での成功はありえない と反対した。 1985年ソ連の指導者となったゴルバチョフは3つの改革に着手した。デタント(緊 張緩和)、グラスノスチ(情報公開)、そしてペレストロイカ(経済改革)である。デタン トは核兵器に関する様々な合意が示す成果となり、グラスノスチも成功したといえるが、 ペレストロイカだけは悲惨な結果に終わった。経済改革の失敗は保守派の不安を生みクー デターが発生した。エリツィンにより収束されたが政治的混乱が続き1991年のソ連邦 解体に繋がった。 ソ連邦の解体は「流出核」の危機をもたらした。ソ連時代に配備された核兵器は、新た にウクライナ・カザフスタン・ベラルーシの3核保有国を生み、同時に重大な政治・経済・ 社会混乱の中に巻き込まれる危険性の中に置かれた。 (7) 国防長官に就任。核兵器解体 「ナン・ルーガー法」の実施 1993年クリントン政権の国防副長官に就任。「ナン・ルーガー法」(流出核の危機に 対する法案)の実施と国防総省の調達改革の推進の二つの課題に取り組んだ。その後12 月にアスピン氏の辞任により後任の国防長官に就任した。
ナン・ルーガー計画を進めるため、米・露・ウクライナの「三カ国宣言」に基づき旧ソ 連最大のミサイル基地であるウクライナのぺルボマイスク・ミサイル基地にある80基の ICBM と700個の核爆弾の解体を実施した。又、計画の一部として立案した「協調的脅 威削減計画(CTR)」により、ウクライナ・カザフスタン・ベラルーシの ICBM 解体支援に 加え、ロシアの戦略爆撃機・潜水艦の解体を支援する費用を拠出した。 ナン・ルーガー計画は旧ソ連邦の化学兵器の破棄と非武装化も支援した。又、爆弾製造 技術がテロ集団等に流出する対策や経験豊富な核科学者・技術者が彼等にリクルートされ ることを防止することに尽力した。これらは核拡散の悲惨から世界を救うのに貢献した。 核分裂性物質の流出防止の例としては「サファイア計画」(カザフスタンの高濃縮ウランを アメリカに移送)があり、テロリストへの流出を阻止した。 (8) 北朝鮮の核危機 朝鮮半島は世界で最も武装化された地域の一つであり、最も不安定な場所の一つでもあ る。今回の新たな危機は北朝鮮の核武装であり、東北アジアの不安定化とともに他の地域 への核拡散をもたらす危険だった。 北朝鮮は約2000万の人口を抱え、絶望的な貧困下にあった。にもかかわらず約10 0万の兵力と数百万の予備役兵を抱え、「赤化統一」の目標を掲げて韓国と対峙していた。 ソ連邦の解体からロシアの支援も無くなり、冷戦後の状況変化の中、通常兵器では他国に 劣る北朝鮮は秘密の核開発プログラムへの道をとった。 核拡散防止条約(NPT)に加盟しているにもかかわらず、国際原子力機関(IAEA)の特 別査察要求を拒否し、93年IAEA からの脱退も表明した。 米国は、緊急対応計画をたてるとともに外交努力を続けることになった。制裁措置に反 発する北朝鮮はソウルを「火の海」にすると宣言、緊張に満ちた日々が続いた。こうした 時、ワシントン・ポスト紙にスコウクロフト(元国家安全保障担当補佐官)の論説「北朝 鮮は IAEA の持続的かつ自由な査察を認め、これ以上の再生が行われていないことを確認 させるべきである。そうでなければ我々が再処理能力を除去するであろう」が掲載され、 北朝鮮はアメリカ政府の意思と考えて、カーター元大統領を平壌に招き危機の収集に乗り 出してきた。 交渉は、いわゆる枠組み合意で結実して、北朝鮮は二つの大型原子炉の建設を中止し、 より小型で稼働中の原子炉からのプルトニウムの再処理を中断することに合意した。しか し、その後北朝鮮は合意を破り、再び核開発を進めて核不拡散を破る脅迫を始めた。米国 はその阻止に失敗し、再び核兵器による安全保障上の重大危機に直面することとなった。
(9) 軍縮への取り組み 軍縮合意を進展させ、そのプロセスを支援することは著者の追い続ける課題であった。 先に述べたように、ロシアとの間で合意した「第二次戦略兵器削減計画(START-Ⅱ)」 が、上院の一部の人々の反対を乗り越え96年圧倒的多数で批准された。きわめて難しい だろうと思っていたロシア議会での批准についても、著者自身がロシア議会に招かれ証言 したりして4年後の2000年に批准されることになった。 しかし、これは結果として実効性を持つに至らなかった。それは、コソボ紛争における NATO の役割や米国のヨーロッパにおける弾道ミサイル防衛(BMD)システムの配備計画 に対するロシアの反対で躓いた。 2002年J・H・ブッシュ大統領が「弾道弾迎撃ミサイル制限条約(1972年に締結)」 からの脱退を宣言すると、翌日にロシアは START-Ⅱは無効であり廃棄されたと宣言し、 新たなタイプのMIRV搭載ミサイルの製造を開始、核兵器の危機性削減の動きは大きく 後退した。 NATOは、ソ連軍を抑止し打倒するための軍事力を提供するため創設され、冷戦期間 中、その領土的野心を抑止する中心的な役割を担っていた。ソ連の侵略に対し同盟国の領 土内で「戦術核」を使用することも検討され、「ハイレベルグループ(HLG)」という核 兵器使用計画を策定するグループも立ち上げられていた。 しかし、冷戦終了後、大量の核兵器は安全保障の確実性を高めるどころか、人類共通の 危険性を高めるものであり、それは廃絶されるべきとの考え方が強まってきた。 同時にソ連邦の解体に伴い旧東欧諸国(旧ソビエト連邦諸国や旧ワルシャワ条約機構諸 国)のNATO加盟への関心が高まってきていた。しかし東欧諸国のNATO加盟はロシ アとの核の脅威を減らしていくチャンスを損ねる恐れがあった。 そこで課題を乗り越え、チャンスを掴むため「平和のためのパートナーシップ(PFP)」 の取り組みをはじめ、旧ワルシャワ条約機構加盟国と旧ソ連邦の共和国(ロシアも含む) をPFPに招待し、NATOの会議・委員会、平和維持活動の合同演習にも参加が行われ た。PFPの合同演習に加え、米・露の合同災害救助演習も実施され期待以上の成果に繋 がった。 ボスニア紛争(ボスニア・ヘルツェゴビナにおける民族紛争)では派遣されたNATO 軍はPFPによる米・露を含む平和維持軍として紛争収拾に大きな力となった。とりわけ ロシアとの協力は平和執行に素晴らしい効果をもたらした。 (10)途切れたロシアとの安全保障の絆 著者がペンタゴンを離れた時、まだロシアとの関係は良好だった。しかし、エリツィ
ンからプーチンへ政権が変わり、新たな治安組織(プーチンのKGB時代の同僚中心)に よる秩序回復と原油価格の回復による追い風もあり目覚ましい経済復興を遂げたが、新た なナショナリズムの台頭により米ロ関係は悪化し始めた。 悪化を深刻化させたのは、ヨーロッパへのBMDシステム(弾道ミサイル防衛)やコソ ボ紛争への派兵、バルト3国を含めNATOの版図拡大等だが、とりわけBMDは米ロの 対立点であった。 プーチンはクリミアでの軍事行動を開始しロシアへの併合を成し遂げ、偽装したロシア 軍部隊を送って東ウクライナの分離独立を支持するなど軍事大国としての姿勢を誇示し、 アメリカはNATOを通じ経済制裁という対応をとった。 ロシア軍は次世代型の核兵器開発(地上型、海中型、空中型すべて)に注力しており、 軍 縮交渉は片隅に追いやられ、米ロ関係は過去最悪の関係にまで落ち込んでしまっている。 (11)危機の種とトラック2外交 史上最悪の状態に落ち込んだ米ロ関係において、公式的な外交もトラック2外交(政府 間 協議をトラック1協議と呼ぶのに対し、国際社会において国際問題に関する民間有識者間 の意見交換をいう)も状況を変えられなかった。 その一方で核計画の潜在的な脅威(中国・イラン・インド・パキスタン・北朝鮮等)を 無 視出来ない状況が生まれてきていた。 中国については、台湾問題、南シナ海問題、尖閣諸島問題や「外洋海軍」創設といった 火種があり、核戦力も大幅に増強し、新たにMIRV化されたICBMを追加し近代化を はかって戦略核の能力UPで地域紛争において攻撃性を高めていることは大きな不安要素 である。 イランをめぐる懸念は一つの喫緊の課題である。過去EUによるイランのウラン濃縮計 画を中断させる交渉があったが成果は無く、トラック2協議による努力も具体的な成果は 得られなかった。 又、イスラエルがイランの核計画を自国の存在の危機に晒すと認識した場合空爆を起こ す可能性も否定出来ない。 インドとパキスタンのカシミールをめぐる紛争では、過去何度も軍事衝突を繰り返して おり、パキスタンが進めている「戦術核」の配備は、「第二のムンバイ攻撃」からの地域的 核戦争への憂慮を深くしている。
核戦争の危険性と同時に、もう一つ大きな問題は、核の拡散と合わせて世界中に無数に 散らばる核施設における安全管理の明らかな不備である。冷戦時代のそれとは異なり、深 刻なほど複雑な様相を見せており、警戒と国際協力の必要性が大きく高まっている。 中国、イラン、インド・パキスタンのいずれともトラック2外交を進めたが、中には公 式な政府間交渉に繋がったものもあったが、残念ながら具体的成果へ結びつけられていな い。 今日のグローバリズムの時代において、自覚すべき教訓は「大規模な抑止戦略は核兵器 の危険性の自覚とそれを低減させる必要性を一般の人々の間に幅広く浸透させる」ことで ある。 (12)北朝鮮政策の見直し及びイラクでの失敗 ス タ ー リ ン 主 義 独 裁 政 権 の 北 朝 鮮 の 危 険 性 は 他 の 地 域 に も 増 し て 大 き い 。 米朝の枠組み合意で前進した対北朝鮮政策は、98年ごろより彼等のノドンミサイル、テ ポドン・ミサイルの開発により新たな危機を迎えた。 米議会は第三者による北朝鮮政策の見直しを要求し、クリントン大統領は著者に見直し を主導するよう依頼し委員会が立ち上がった。核兵器を伴う危機は必然的にグローバルな 危機となる。各国にとって、この危機を緩和する国際的プログラムやプロセスを確立する 外交(ペリー・プロセスと呼ばれた)に協力することは緊急かつ共通の利益である。この 精神のもとに、日本・韓国との協調及びロシア・中国との情報共有を進めた。 好ましい戦略は、北朝鮮が核兵器を製造する施設を解体する一方、段階を踏んで国交正 常化と平和条約締結に向け前進することだと考えた。しかし一連の交渉を進めている途中 で、クリントンからJ・H・W・ブッシュ政権と代わりブッシュは北朝鮮との対話は打ち 切ると決定した。 2002年アメリカの諜報部隊は、北朝鮮が新たな核燃料再処理の動き(今回はプルト ニウムでなく濃縮ウラン)を始めたことを掴み、枠組み合意、核拡散防止条約、IAEA 査察合意、朝鮮半島非核化宣言に対する違反であるとの共同声明を発表した。しかし、そ れを止める効果的な手段は無かった。 2003年ブッシュはイラク侵攻を決断。アメリカ外交史上最も無価値な行動と言われ たが、北朝鮮同様イラクに核開発の懸念があるとの判断だった。結果的にイラクの大量破 壊
兵器(WMD)による差し迫った危険性は無く、二つ目の戦争正当化の理由とされた、民 主 的なイラク政府の樹立は中東に安定化をもたらすとの主張も予想を超えてはるかに困難で あることが明らかになった。 イラク軍の崩壊とともに略奪行為は広範囲に広がり、シーア派とスンニ派の根深い権力 闘争と相まって無惨な治安状況を招くことになった。2014年スンニ派の極端な主張を する者達が IS(イスラム国)を生み出した。この紛争の行方は不透明。アメリカのイラクに おける無謀な冒険は大惨事を招いたということである。 (13)核無き世界を目指して 核兵器のもたらす危険性について懸念を抱き続けてきたが、完全な核廃絶は実現不可能 で核兵器のない世界に戻ることは出来ないと思ってきた。代わりに核兵器の危険性を減ら すことに努力したいと努めてきた。新しく「グローバル・ゼロ」を立ち上げて「あらゆる 核 兵器を禁止する国際条約」を目指した。多くの論説の発表や政府指導者・宗教指導者との 会 談を通じ核兵器の危険性を啓蒙していき「核なき世界」のビジョンは市民の支持を集めて い った。 2009年オバマ大統領はプラハで、「私は明確かつ確信を持って、アメリカは核兵器の ない平和で安全な世界を希求することを約束します」と演説し、国連安全保障理事会での 軍 縮決議、ロシアとの新 START 条約の合意と進んでいったが、残念ながらこの流れは急速に 反 転していった。 2013年「核安全保障プロジェクト」(NSP という。シュルツ・ペリー・キッシンジャ ー・ナン)の 4 人組でウォールストリート・ジャーナルに論説を寄稿した。 その中で核の危険性を削減するために踏むべき段階の詳細を述べた。以下 ①指導者の 決断までの時間を増やすために核戦力体制を変更すること。②新 START の下で核兵器削減 を加速化すること。③取り組みの確証性と透明性。④破滅的な核テロ防止のために核物質 の 安全確保。の 4 つがその骨子だが、2007~2010年に核軍縮が進み、核なき世界に 向
けて歩みがみられたが、2010~2014年はこの進歩の歩みが遅くなり、やがて停止 す る失望の時期となった。結果として2015年の米ロ関係は最悪のレベルに落ち込んだ。 現在、我々の大きな問題は、差し迫った核による破滅が、核の多くが海底や不毛な僻地 に 隠されているため、地球規模での人々の関心を集めていないことである。こうした消極性 は 敗北主義であり現実逃避である。一部の人達は「考えたくない」事実に直面することを恐 れ、 ある人達は核ミサイル攻撃に対する有効な防衛手段があり得るという安易な幻想を抱き、 そして大半の人は、核抑止は無限に維持されているという信仰をもっているように見える。 核兵器が戦争計画の一部として各国に配備されている限り、地域紛争やテロリストによ りそれが使用されない保証はどこにもない。たった一発の核爆弾がもたらす破滅は、我々 の生活に政治的・経済的・社会的に及ぼす影響は計り知れない。我々は核兵器が決して二 度と使われないようにすべての力を結集すべきである。 以上、だいぶ省略したが、著者の言いたい要旨を整理してみた。 北朝鮮問題が予断を許さない昨今、戦争への引き金を引く馬鹿な選択をするはずは無い と思うが、どんな誤謬が起こるかも知れない。責任者として核の脅威を知り、軍縮交渉に 携わってきた著者は、その解決の困難さを他の誰よりも知っている人だと思う。 国益がぶつかり合う外交において、トラック2外交も含め数多くの軍縮問題に真摯に取 り組み、相手側のことをよく知り、相互信頼で道を開こうとする努力には敬服するしかな いが、そう簡単にはいかないことも事実である。前にも述べたが、日本の場合、周辺国家 は一筋縄でいかない国家ばかり、そして厄介なことにそのほとんどが独裁国家。国民が本 当に実態を知り自衛の防衛を真剣に考えないと大変なことになる。