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Vol.28 , No.1(1979)018東 隆眞「道元における平安、奈良仏教観」

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道 元 に お け る 平 安、 奈 良 仏 教 観 ( 東 )

安、

わ が 国 鎌 倉 期 の 仏 教 界 に 特 異 な 足 跡 を 印 し た 道 元 禅 師 ( 一 二 ○ ○ 1 一 二 五 三。 以 下、 禅 師 の 称 号 は 省 略 ) は、 入 宋 し て、 ﹁ 仏 法 の 総 府 ﹂ (﹃ 宝 慶 記 ﹄ に 道 元 が 記 録 す る 如 浄 の 語 ) た る 天 童 山 景 徳 寺 の 如 浄 に 参 じ て、 二 生 参 学 の 大 事 ﹂ ( ﹃ 辮 道 話 ﹄ ) を 了 畢 し、 帰 国 し て か ら は、 余 人 が ﹁ 未 だ 夢 に も 見 ざ る ﹂ と こ ろ の ﹁ 妙 術 を 正 伝 ﹂ (﹃ 辮 道 話 ﹄ ) し た と 明 言 す る の で あ る。 そ れ で は、 道 元 は、 道 元 以 前 の 日 本 仏 教、 即 ち、 奈 良 時 代、 平 安 時 代 の 仏 教 に、 ど の よ う な 影 響 を う け、 あ る い は ど の よ う に 評 価 し て い た の で あ ろ う か。 道 元 は、 日 本 に お い て、 一 三 歳 の 春 か ら 一 八 歳 の 夏 ご ろ ま で、 比 叡 山 で 天 台 の 教 観 を 修 め、 一 八 歳 夏 か ら 二 六 歳 春 頃 ま で 臨 済 宗 黄 竜 派 の 明 全 に 禅 を 学 ん だ ほ か、 高 野 山、 南 都、 あ る い は 浄 土 門 を 叩 い た 形 跡 は な い。 し か し、 道 元 の 仏 教 学 の 教 養 が 八 宗 に 亘 つ て い る こ と は、 多 数 の 撰 述 類 の 内 容 か ら み て、 容 易 に 知 ら れ る と こ ろ で あ る。 し か し、 所 詮、 日 本 仏 教 に 満 足 す る こ と が で き な か つ た 道 元 は、 明 全 に 従 つ て 入 宋 し、 如 浄 に よ つ て 宗 教 的 決 着 を 果 し た の で あ つ た。 さ て、 道 元 は、 奈 良、 平 安 仏 教 に つ い て、 肯 定 し、 そ し て 否 定 し て い る。 こ の 点 か ら、 道 元 の 奈 良、 平 安 仏 教 観 を 考 察 し て み よ う。 ま ず、 肯 定 面 に つ い て で あ る。 道 元 は、 聖 徳 太 子 と 欽 明、 用 明、 聖 武 天 皇 に 言 及 し て、 次 の よ う に 言 う。 ﹁ お ほ よ そ 我 朝 は、 竜 海 の 以 東 に と こ ろ し て 雲 煙 は る か な れ ど も、 欽 明、 用 明 の 前 後 よ り、 秋 方 の 仏 法 東 漸 す る、 こ れ す な は ち 人 の さ い は ひ な り ﹂ ( ﹃ 辮 道 話 ﹄ ) ﹁ 日 本 国 に は、 聖 徳 太 子、 袈 裟 を 受 持 し、 法 華、 勝 曼 等 の 諸 経 講 説 の と き、 天 雨 宝 華 の 奇 端 を 感 得 す。 そ れ よ り こ の か た、 仏 法 わ が く に に 流 通 せ り。 ( 中 略 ) い ま わ が く に、 袈 裟 の 体 色 量 と も に 託 謬 せ り と い へ ど も、 袈 裟 の 名 字 を 見 聞 す る、 た だ こ れ 聖 徳 太 子 の お ほ ん ち か ら な り。 (中 略 ) の ち に 聖 武 皇 帝、 ま た 袈 裟 を 受 持 し、 菩 薩 戒 を う け ま し ま す。 (中 略 ) 人 身 の 慶 幸、 こ れ よ り も す ぐ れ た る あ る べ か ら ず ﹂ (﹃ 正 法 眼 蔵 袈 裟 功 徳 ﹄)。

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即 ち、 欽 明、 用 明 天 皇 の 前 後 よ り、 仏 法 が 東 漸 し、 聖 徳 太 子 と 聖 武 天 皇 が、 袈 裟 を 搭 け て 経 典 を 講 説 し、 菩 薩 戒 を 受 け た こ と は、 た と え、 そ こ で 袈 裟 の 正 し い 体 色 量 の 相 伝 が 行 わ れ て い な か つ た に せ よ、 日 本 国 民 と し て 人 間 と し て の 慶 事 で あ る と 評 価 す る。 ま た、 道 元 は、 ﹁ と ふ て い は く、 い ま わ が 朝 に つ た は れ る と こ ろ の 法 華 宗、 華 厳 教、 と も に 大 乗 の 究 寛 な り。 い は ん や 真 言 宗 の ご と き は、 毘 厘 遮 那 如 来 し た し く 金 剛 薩 唾 に つ た へ て、 師 資 み だ り な ら ず、 そ の 談 ず る む ね 即 心 是 仏、 是 心 作 仏 と い ふ て、 多 劫 の 修 行 を ふ る こ と な く、 一 座 に 五 仏 の 正 覚 を と な ふ、 仏 法 の 極 妙 と い ふ べ し ﹂ (﹃ 辮 道 話 ﹄ ) と 自 問 の か た ち で は あ る が、 日 本 に 伝 来 し て い る 法 華 宗 即 ち 天 台 宗、 華 厳 宗、 な か ん ず く 真 言 宗 の 宗 旨 な ど は、 大 乗 仏 教 の 最 高 峯 を 占 め る も の で あ る と 明 言 し て い る。 道 元 が、 奈 良、 平 安 仏 教 に つ い て、 具 ハ 体 的 な 個 人 名 や 宗 派 名 を 挙 げ て、 そ の 歴 史 的 意 義 や 仏 教 思 想 史 的 地 位 に つ い て 肯 定 的 な 評 価 を 与 え て い る の は、 ﹃ 正 法 眼 蔵 随 聞 記 ﹄ に 平 安 中 期 の 天 台 僧 ・ 恵 心 僧 都 な ど の 行 業 を 讃 嘆 し て い る の が 見 え る ほ か は、 わ ず か に 右 の 二 例 に 限 る の で あ る。 も つ と も、 道 元 に お い て は、 ﹁ 仏 仏 正 伝 の 衣 法 ﹂ が、 日 本 国 に は じ め て 伝 え ら れ た の は、 ﹁ わ れ 不 肖 な り と い ふ と も、 仏 法 の 正 嫡 を 正 伝 し て、 郷 土 の 衆 生 を あ は れ む に、 仏 仏 正 伝 の 衣 法 を 見 聞 せ し め ん。 か の と き の 発 願 い ま む な し か ら ず ﹂ ( ﹃ 正 法 眼 蔵 伝 衣 ﹄ ) と あ る よ う に、 道 元 自 身 に よ つ て で あ る と 認 識 す る の で あ る。 ま た、 道 元 の、 ﹃ 正 法 眼 蔵 ﹄ は、 ﹃ 法 華 転 法 華 ﹄、 ﹃ 諸 法 実 相 ﹄、 ﹃ 唯 仏 与 仏 ﹄、 ﹃ 如 来 全 身 ﹄、 ﹃ 阿 羅 漢 ﹄、 ﹃ 十 方 ﹄ な ど、 ﹃ 法 華 経 ﹄ を 主 題 と す る 諸 巻 が 極 め て 多 い。 ﹁ 大 師 釈 尊 所 説 の 諸 経 の な か に は、 法 華 経 こ れ 大 王 な り ﹂ (﹃ 正 法 眼 蔵 帰 依 三 宝 ﹄ ) と 述 べ る な ど、 法 華 経 も 絶 対 的 に 尊 重 す る 点 に、 法 華 宗 ( 天 台 宗 ) と 共 通 す る と こ ろ が あ る。 し か し、 ﹃ 法 華 経 ﹄ を 所 依 の 経 典 と す る 法 華 宗 の 立 場 に 対 し て、 道 元 は、 ﹁ 仏 法 の 中 に 法 華、 華 厳 有 り、 法 華、 華 厳 等 各 各 の 中 に 仏 法 有 る に 非 ず ﹂ ( 原 漢 文。 ﹃ 永 平 広 録 ﹄ 巻 七 ) と 述 べ て 法 華 経 を 所 依 と し な い の で あ る。 あ る い は、 ﹃ 正 法 眼 蔵 ﹄ に ﹃ 三 界 唯 心 ﹄、 ﹃ 海 印 三 昧 ﹄ の 巻 な ど、 華 厳 宗 の 所 依 の 経 典 で あ る ﹃ 華 厳 経 ﹄ に 主 題 を 求 め た 撰 述 も あ る が、 華 厳 経 に 対 す る 経 典 観 は、 直 前 の 法 華 経 の 場 合 と 同 様 で あ る。 な か ん ず く、 ﹃ 海 印 三 昧 ﹄ の 巻 は、 華 厳 経 の 経 文 を 引 用 し て い る の で は な く、 ﹃ 維 摩 経 ﹄ 第 五 巻 と ﹃ 馬 祖 録 ﹄ と ﹃ 景 徳 伝 燈 録 ﹄ 第 一 七 巻 曹 山 本 寂 の 章 に 依 つ て、 三 昧 の 本 質 を 説 い て い る こ と は、 既 に 指 摘 し た と お り で あ る (拙 稿 ﹁ 正 法 眼 蔵 の 三 昧 ﹂ 日 仏 年 報 第 四 一 号 )。 あ る い は、 ﹃ 辮 道 話 ﹄ で ﹁ 自 受 用 三 昧 ﹂ の 語 を 示 し、 ﹁ 三 業 に 仏 印 を 標 し、 三 昧 に 端 坐 す る と き、 遍 法 界 み な 仏 印 道 元 に お け る 平 安、 奈 良 仏 教 観 ( 東 )

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道 元 に お け る 平 安、 奈 良 仏 教 観 ( 東 ) と な り、 尽 虚 空 こ と ご と く さ と り と な る ﹂ と 述 べ て い る。 自 受 用 と い い、 三 業 に 仏 印 を 標 す と 言 い、 す こ ぶ る 真 言 宗 の 即 身 成 仏、 三 密 喩 珈 宗 義 と あ い 共 通 す る 用 語、 表 現 で あ る こ と は、 従 来、 面 山 瑞 方 ( 正 法 眼 蔵 聞 解 )、 衛 藤 即 応 博 士 ら に よ つ て、 明 ら か に さ れ て い る と こ ろ で あ る ( ﹃ 正 法 眼 蔵 序 説 ﹄ )。 し か し、 価 値 判 断 の 基 準 を、 教 の 殊 劣、 法 の 深 浅 に 求 め ず、 ﹁修 行 の 真 偽 ﹂ に 依 る べ き だ と し、 そ の 修 行 は ﹁ か な ら ず 証 契 の 人 を そ の 宗 師 と す べ し ﹂ と さ だ め、 焼 香、 礼 拝、 念 仏、 修 俄、 看 経 を 用 い ず、 ﹁ た だ し 打 坐 し て 身 心 脱 落 す る こ と を え よ ﹂ と い う よ う に、 自 受 用 三 昧 の 坐 禅 を ﹁ 仏 法 の 正 門 ﹂ (﹃ 辮 道 話 ﹄ ) と す る 道 元 に と つ て、 真 言 宗 は、 な お 批 判 の 対 象 で あ る こ と を 免 れ え な か つ た と 言 え よ う。 以 上 の 意 味 に お い て、 道 元 の 奈 良、 平 安 仏 教 に 対 す る 肯 定 面 は、 全 面 的 肯 定 で は な く、 部 分 的 肯 定 な の で あ る。 次 に、 否 定 面 に つ い て で あ る。 道 元 は、 従 来 の 仏 教 を 痛 撃 し て、 容 認 し な い。 ま ず、 そ の 一 般 的 全 体 的 な 批 判 の 語 を 拾 う と、 次 の ﹃ 学 道 用 心 集 ﹄ の 文 章 が、 簡 に し て 要 を え て い る の で あ る。 ﹁従 来 入 唐 の 諸 師 皆 教 網 に 滞 り し 故 な り。 仏 書 を 伝 ふ と 錐 も 仏 法 を 忘 る る が 如 し ﹂ ( 原 漢 文。 ﹃ 学 道 用 心 集 ﹄ ) ﹁我 国 は 昔 よ り、 正 師 未 だ 在 ら ず、 何 を 以 て か 之 が 然 る を 知 る や。 言 を 見 て 察 す る な り、 流 を 酌 ん で 源 を 討 ぬ る が 如 し。 我 朝 古 来 の 諸 師 篇 集 の 書 籍、 弟 子 に 訓 へ 人 天 に 施 す、 其 の 言 是 れ 青 く、 其 の 語 未 だ 熟 せ ず、 未 だ 学 地 の 頂 に 到 ら ず、 何 ぞ 証 階 の 辺 に 及 ば ん。 只、 文 言 を 伝 へ て 名 字 を 諦 せ し む。 日 夜 他 の 宝 を 数 へ て 自 ら 半 銭 の 分 無 し。 古 の 責 之 に 在 り。 或 は 人 を し て 心 外 の 正 覚 を 求 め し め、 或 は 人 を し て 他 土 の 往 生 を 願 は し む。 惑 乱 此 れ よ り 起 り、 邪 念 此 れ を 職 と す ﹂ ( 原 漢 文。 ﹃ 学 道 用 心 集 ﹄ )。 ﹃ 既 に 仏 子 た り、 蓋 ん ぞ 仏 風 に 慣 は ざ ら ん や。 行 者 自 身 の 為 に 仏 法 を 修 す と 念 ふ べ か ら ず、 名 利 の 為 に 仏 法 を 修 す べ か ら ず、 果 報 を 得 ん が 為 に 仏 法 を 修 す べ か ら ず、 霊 験 を 得 ん が 為 に 仏 法 を 修 す べ か ら ず、 但、 仏 法 の 為 に 仏 法 を 修 す、 乃 ち 是 れ 道 な り ﹂ ( 原 漢 文。 ﹃ 学 道 用 心 集 ﹄ )。 こ れ を 要 す る に、 わ が 日 本 に は、 第 一 に、 正 法 を 伝 授 す る 正 師 が 不 在 で あ る。 こ れ は 道 元 が、 ﹁ 建 仁 寺 に 寓 せ し 中 間、 正 師 に あ は ず 善 友 な き 故 に、 迷 て 邪 念 を 起 し き ﹂ (﹃ 正 法 眼 蔵 随 聞 記 ﹄ 巻 四。 岩 波 文 庫 ) と 述 懐 し て い る よ う に、 そ の 個 人 的 経 験 も 北具 足 に あ る の で あ ろ う。 第 二 に、 第 一 と 関 連 す る が、 従 来、 入 唐 の 諸 師 は、 諸 経 論 を 将 来 し た が、 そ の 教 網 に 停 滞 し 教 義 の 詮 索 に 没 頭 し て、 い わ ゆ る 学 問 仏 教 に 固 執 し、 仏 法 の 極 意 に 達 せ ず、 名 字 の 読 諦 ( 念 仏、 修 俄、 看 経 ) や、 心 外 の 正 覚 ( 禅 宗 ) や、 他 土 の 往 生 ( 浄 土 教 ) を 教 え 願 わ せ て い る か ら で あ る。 つ ま り、 現 実 の 日 常 生 活 を 離 れ た 仏 教 で あ る。 第 三 に は、 前 代 の 日 本 仏 教 は、 個 人 の 精 神 的 救 済、 名 聞 利 養、 果 報 霊 験 な ど、 現 世 利 益 の 祈 濤 仏 教 で あ つ た。 有 所 得 の 仏 法

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で あ つ た。 仏 法 を 仏 法 と し て 純 粋 に 修 行 す る 仏 法 で は な か つ た。 つ ま り、 正 し い 指 導 者 が い な か つ た た め に、 学 問 仏 教、 祈 濤 仏 教 な ど、 有 所 得 の 仏 法 が そ の 全 て で あ つ た と い う の が、 道 元 の 日 本 仏 教 批 判 で あ る。 さ て、 そ れ で は、 道 元 は、 な に を ど の よ う に 否 定 し 批 判 し て い る の か。 そ の 具 ハ体 相 の 一、 二 を、 教 団、 儀 礼、 思 想 の 三 方 面 に 分 け て、 以 下 に 指 摘 し て お こ う。 第 一 に、 教 団 の 邪 風 と し て、 ま ず 貧 名 愛 利 の 比 丘 僧 が 貴 族 階 級 の 女 性 に 隷 属 し て い る こ と、 次 に 女 人 結 界 を 設 け て 比 丘 尼 女 人 に 制 限 を 加 え て い る こ と、 こ の 二 つ を と り あ げ て い る。 ﹁ わ が 国 に は 帝 者 の む す め、 あ る ひ は 大 臣 の む す め の 后 宮 に 準 ず る あ り、 ま た 皇 后 の 院 号 せ る あ り。 こ れ ら か み を そ れ る あ り、 か み を そ ら ざ る あ り。 し か あ る に 貧 名 愛 利 の 比 丘 僧 に に た る 僧 侶、 こ の 家 門 に は し る に、 か う べ を は き も の に う た ず と い ふ こ と な し。 な ほ 主 従 よ り も 劣 な り。 い は ん や ま た 奴 僕 と な り て、 と し を ふ る も お ほ し。 あ は れ な る か な、 小 国 辺 地 に う ま れ ぬ る に、 か く の ご と き の 邪 風 と も し ら ざ る こ と は、 天 竺 唐 土 に は い ま だ な し、 我 国 の み な り ﹂ (﹃ 正 法 眼 蔵 礼 拝 得 髄 ﹄ )。 ﹁ ま た 日 本 国 に ひ と つ の わ ら ひ ご と あ り。 い は ゆ る、 あ る ひ は 結 界 の 境 地 と 称 し、 あ る ひ は 大 乗 の 道 場 と 称 し て、 比 丘 尼 女 人 等 を 来 入 せ し め ず、 邪 風 ひ さ し く つ た は れ て、 人 わ き ま ふ る な し ( 同 右 )。 こ の ほ か、 ﹃ 礼 拝 得 髄 ﹄ の 巻 に は、 ﹁ 不 聞 愚 凝 の た ぐ ひ お も は く は、 わ れ は 大 比 丘 な り、 年 少 の 得 法 を 拝 す べ か ら ず。 わ れ は 久 修 練 行 な り、 得 法 の 晩 学 を 拝 す べ か ら ず、 わ れ は 師 号 に 署 せ り、 師 号 な き を 拝 す べ か ら ず。 わ れ は 法 務 司 な り、 得 法 の 余 僧 を 拝 す べ か ら ず。 わ れ は 僧 正 司 な り、 得 法 の 俗 男 俗 女 を 拝 す べ か ら ず。 わ れ は 三 賢 十 聖 な り、 得 法 せ り と も、 比 丘 尼 等 を 礼 拝 す べ か ら ず。 わ れ は 帝 胤 な り、 得 法 な り と も 臣 家 相 門 を 拝 す べ か ら ず と い ふ ﹂ と の べ て、 時 弊 を 痛 罵 し て い る。 道 元 に よ れ ば、 結 局 の と こ ろ、 人 間 の 価 値 は、 得 法 に よ つ て の み 決 定 さ れ る べ き で あ つ て、 そ の ほ か の 条 件 で は 決 定 さ れ な い の で あ る。 第 二 に、 儀 礼 に つ い て で あ る。 道 元 が い か に 儀 礼 を 重 要 視 し た か に つ い て は、 別 に 論 じ た ( 拙 稿 ﹁ 道 元 と 儀 礼 に つ い て ﹂ 日 仏 年 報 第 四 三 号 ) か ら、 重 説 し な い が、 道 元 は、 永 平 寺 に お け る あ る 年 の 臓 八 上 堂 で、 ﹁ 日 本 国 先 代、 曾 て 仏 生 会、 仏 浬 繋 会 を 伝 ふ。 然 れ ど も 未 だ 曾 て 仏 成 道 会 を 伝 へ 行 ぜ ず。 永 平、 始 め て 伝 へ て 已 に 二 十 年 な り ﹂ ( 原 漢 文。 ﹃ 永 平 広 録 ﹄ 巻 四 ) と 言 つ て い る。 換 言 す れ ば、 わ が 国 で は、 従 来、 成 道 会 を 行 な つ て い な か つ た。 こ れ に 対 す る 道 元 の 批 判 が、 こ こ に 窺 わ れ る の で あ る。 道 元 に と つ て、 成 道 会 は、 ﹁ 本 師 釈 迦 牟 尼 仏 大 和 尚 世 尊、 今 朝、 菩 薩 樹 下 金 剛 座 上 に 在 つ て 坐 禅 し て 等 正 覚 を 成 じ ﹂、 ﹁ 最 初 に 人 天 の 為 に す る 説 法 ﹂ 即 ち ﹁ 世 間 一 切 道 元 に お け る 平 安、 奈 良 仏 教 観 ( 東 )

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道 元 に お け る 平 安、 奈 良 仏 教 観 ( 東 ) 智 ﹂ が 完 成 し て、 ﹁ 大 地 有 情 同 草 木、 未 曾 有 の 楽 を 斯 の 時 に 得 た ﹂ ( 同 右 巻 五 ) 記 念 す べ き 聖 日 で あ る。 仏 教 の 歴 史 的 起 源 で あ り 仏 教 の 宗 教 的 思 想 的 根 拠 で あ る。 こ の 成 道 会 を 度 外 視 し て、 仏 教 の 全 て の 儀 礼 は 成 立 し な い と い う 考 え が 道 元 に は 強 烈 に 脈 打 つ て い た と 思 わ れ る の で あ る。 こ の こ と は、 本 師 と し て の 釈 迦 牟 尼 仏 の 菩 提 樹 下 ・ 金 剛 座 上 の 坐 禅 成 道 を 契 機 と す る 道 元 の 宗 旨 に と つ て、 最 も 重 要 な こ と で あ つ た の で あ ろ う。 い ま 一 つ 挙 げ て お く。 道 元 は、 ﹃ 典 座 教 訓 ﹄ を 書 き、 ﹃ 正 法 眼 蔵 ﹄ に ﹁ 洗 面 ﹂ ﹁ 洗 浄 ﹂ の 巻 な ど を 著 わ し た。 ﹃ 典 座 教 訓 ﹄ は、 衆 僧 の 弁 食 を 司 ど る 調 理 役 の 典 座 の 職 務 の な か に こ そ 仏 道 が 活 用 さ れ る こ と を 強 調 し て お り、 大 小 の 用 便 や 洗 面 の 行 為 を 無 視 し て 修 行 が 成 り 立 た な い こ と を 主 張 し た の が、 ﹁ 洗 浄 ﹂ ﹁ 洗 面 ﹂ の 巻 で あ る。 ﹁ 山 僧 帰 国 よ り 以 降、 錫 を 建 仁 に 駐 む る こ と 一 両 三 年、 彼 の 寺 愁 か に 此 の 職 ( 註、 典 座 ) を 置 け ど も、 唯 名 字 の み 有 つ て、 全 く 人 の 実 無 し ﹂ (﹃ 原 漢 文。 ﹃ 典 座 教 訓 ﹄ ) と い い、 ﹁ 日 本 国 は ( 中 略 ) 漱 口 の 法 を わ す れ ず、 し か あ れ ど も 洗 面 せ ず ﹂ (﹃ 正 法 眼 蔵 洗 面 ﹄ ) ﹁ も し 道 場 を 建 立 し、 寺 院 を 艸 創 せ ん に は、 仏 祖 正 伝 の 法 儀 に よ る べ し ﹂ (﹃ 正 法 眼 蔵 洗 浄 ﹄ ) と い う。 要 す る に、 仏 法 は 些 細 な 日 常 生 活 を 無 視 し て は 成 立 し な い こ と を 唱 え て い る。 い わ ば、 こ う し た 生 活 仏 教 こ そ、 道 元 が 最 も 力 説 し た と こ ろ で あ つ て、 以 前 の 日 本 仏 教 に は 決 し て 見 ら れ な か つ た と こ ろ で あ ろ う。 第 三 に、 思 想 に つ い て で あ る。 そ の 第 一 は 坐 禅 で あ る が、 道 元 は、 ﹁ 仏 々 祖 々 正 伝 の 正 法 は 唯 た 打 坐 の み な り ﹂ ( 原 漢 文。 ﹃ 永 平 広 録 ﹄ 巻 四 ) と い う。 そ の 坐 禅 は、 周 知 の ご と く、 ﹃ 正 法 眼 蔵 仏 道 ﹄ の 巻 に お い て、 五 家 七 宗 の 禅 宗 の 一 宗 派 と し て の 曹 洞 宗 の 禅 で は な く、 ﹁ 西 天 よ り 東 地 に つ た は れ て、 十 万 八 千 里 な り、 在 世 よ り 今 日 に つ た は れ て、 二 千 余 戴 ﹂ の ﹁ 正 法 眼 蔵 浬 繋 妙 心 ﹂ を 指 す と 主 張 す る。 ﹁ 柄 子 の 坐 禅 は 直 に 須 く 端 身 正 坐 を 先 と 為 す べ し。 然 し て 後、 調 息 致 心 す。 若 し 是 れ 小 乗 な ら ば、 元 よ り 二 門 有 り、 所 謂 る 数 息 と 不 浄 と な り。 小 乗 の 人 は 数 息 を 以 て 調 息 と 為 す。 然 れ ど も 仏 祖 の 辮 道 は 永 く 小 乗 に 異 な る 仏 祖 の 曰 く。 白 癩 野 干 の 心 を 発 す と 錐 も、 二 乗 自 調 の 行 を 作 す こ と 莫 れ。 其 れ 二 乗 と は 如 今 世 に 流 布 す る 四 分 律 宗 ふ 倶 舎 宗 等 の 宗、 是 な り ﹂ ( 原 漢 文。 ﹃ 永 平 広 録 ﹄ 巻 五 ) と 述 べ、 正 伝 の 坐 禅 は、 第 一 に 端 身 正 坐、 第 二 に 調 息 致 心 で あ つ て、 数 息 観、 不 浄 観 な ど の 人 為 的 な 調 息 致 心 の 法 を 採 る 二 乗 と は 異 な る と す る。 こ こ に 二 乗 即 ち 小 乗 と し て ﹁ 如 今 世 に 流 布 す る 四 分 律 宗、 倶 舎 宗 ﹂ と 実 名 を あ げ て い る の は、 奈 良 仏 教 の そ れ を 指 す の で あ ろ う か。 こ う し て、 道 元 は、 こ の よ う な 四 分 律 宗、 倶 舎 宗 の 調 息 致 心 法 は も ち ろ ん の こ と、 大 乗 の ﹁ 是 の 息 は 長 し、 是 の 息 は 短 し ﹂ と す る 調 息 法、 更 に 先 師 如 浄 の ﹁ 長 な ら ず 短 な ら ず ﹂ ﹁ 短 な ら ず 長 な ら ざ る ﹂ 調 息 法 を 超 え て、 ﹁ 大 乗 に 非 ず と 錐 も 小 乗 に 異 な り、 小 乗 に 非 ず

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と 錐 も 大 乗 に 異 な る ﹂ ﹁ 出 息 入 息、 長 に 非 ず、 短 に 非 ず ﹂ 即 ち、 人 為 を 加 え な い 調 息 法 を 述 べ て い る。 い ま、 ひ と つ 道 元 が、 そ の 坐 禅 の 正 統 性 を 主 張 し て い る ゆ え ん に 注 目 す る と、 次 の 二 点 で あ る。 第 一 点 は、 ﹁ 誠 に 夫 れ 仏 祖 単 伝 の 旨、 言 外 領 略 の 宗 は、 先 哲 公 案 の 処 に、 古 徳 証 入 の 処 に 在 ら ず 語 句 論 量 の 処、 問 答 往 来 の 処 に 在 ら ず、 知 見 解 会、 思 量 念 度 の 処 に 在 ら ず、 談 玄 談 妙 の 処、 説 心 説 性 の 処 に 在 ら ず。 唯 だ 這 柄 を 放 て 瞥 地 に 留 ず ん ば、 当 処 に 団 團 な り ﹂ ( 原 漢 文。 ﹃ 永 平 広 録 ﹄ 巻 八 ) と あ り、 第 二 点 は、 ﹁ 此 の 坐 禅 は 仏 々 相 伝 祖 々 直 指 に し て 独 り 嫡 嗣 す る 者 な り。 余 は そ の 名 を 聞 く と 錐 も 仏 祖 の 坐 禅 に 同 か ら ざ る な り。 所 以 は 何 ん。 諸 宗 の 坐 禅 は 悟 を 待 つ を 則 と 為 す。 響 へ ば 船 筏 を 仮 て 大 海 を 度 る が 如 し。 将 に 謂 へ り。 海 を 度 り て 船 を 拗 つ 可 し と。 吾 が 仏 祖 の 坐 禅 は 然 ら ず。 是 れ 乃 ち 仏 行 な り。 所 謂 る 仏 家 の 体 為 ら く は、 宗、 説、 行 一 等 な り ﹂ ( 同 右 ) と あ る。 つ ま り、 古 人 の 行 履 を 追 求 し て 自 己 の 脚 下 を 忘 却 し、 思 量 分 別 の 見 を も つ て 仏 法 を 推 量 し、 あ る い は い た ず ら に 大 悟 の 時 節 を 有 所 得 の 念 で 待 ち、 坐 禅 を 大 悟 の 一 手 段 と み な す、 い わ ゆ る 学 問 仏 教、 現 世 利 益 仏 教 で は な い こ と を 述 べ る の で あ る。 こ の よ う な 坐 禅 観 は、 道 元 に お け る 奈 良、 平 安 仏 教 の 否 定 的 批 判 を 前 提 と し て 唱 導 さ れ た 革 命 的 見 解 と い え る で あ ろ う。 残 さ れ た 問 題 は、 以 上 に み て き た 道 元 の 奈 良、 平 安 仏 教 観 が、 歴 史 的 事 実 に 照 ら し て 果 し て 妥 当 で あ る か と い う 点 で あ ろ う が、 こ の 点 に つ い て は、 す で に 紙 幅 の 制 限 に 達 し た の で、 機 会 を 改 め て 論 ず る こ と に す る。 道 元 に お け る 平 安、 奈 良 仏 教 観 (東 )

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