トマス・バーディThe Go勿g試論

全文

(1)

321

トマス・バーディThe Go勿g試論

福 岡

忠 雄

 1912年11月27日早朝Emma Hardyが死んだ。38年間にわたるThomasと の結婚生活に終止符が打たれたのである。Thomasの衝撃は大きかった。もっ とも,最愛の妻を喪って途方に暮れるという態のものではなかったが。それよ りもっと複雑で苦い衝撃であった。妻の死後から翌年にかけてせきを切ったよ うに彼は詩を書き続けた。すべて亡妻の想い出に関するものである。「Grayに ついてのWalpoleの言葉を借りて言えばHardyはこの頃 咲き誇った ので        ある。もっとも,Grayと同じくその花は悲しい色で染められていたが」。

 現在Poems Z912−13としてSatires of Circumstance ac収められている詩が それである。とかく「むらが多い」と評されるHardyの900余の詩の中で,こ

こに収められた幾つかだけは常に最上級の賛辞を与えられてきた。中には,英 国詩史に例をみない恋愛仔情詩と評する人さえいる。しかし同時に,Hardyそ の人を多少とも知る者にとってこれらの詩は少くなからぬ当惑のもとでもあっ た。というのは,彼ら夫婦の不仲は半ば公然と人の噂するところであり,あれ ほどゴシップに神経質であったThomasでさえ,それを押えることが出来な かったほどだからである。詩を詩として読むことに徹すると割り切るならそれ は問題ではないかもしれない。しかし,ことHardyに関して,それに徹するこ

とは相当難iしい。Hardy自ら100行の詩の中に小説全部を寄せ集めたよりもっ と色濃く自分の個入生活が現われているという意味のことを述べ,執筆の際の       ラ

事情は詩の方が小説ほど隠されていないと言っている。単に,「もっとより多

1) Florence E Hardy, The Life o/Thomas Hard二y(London:The Macmillan Press,

 1962), p. 36!.

2) Desmond Hawkins, Hardy: Aroveltst and Poet (London: David & Charles,

(2)

 322 松尾博教授退官記念論文集(第234・235号)

くを知りたい」という好奇心からにせよ,彼の詩と彼の実人生を照らし合せて 読んでみたいという誘惑はHardy研究者の誰にも抵抗出来ないところであろ う。そしてその誘惑の代償があの 当惑 である。つまり,詩に詠われた切々 たる亡妻への恋情と,伝記作者が明らかにする冷々とした夫婦関係の懸隔であ る。なにも,詩がすべて作者の真情の偽らざる吐露だと考えているわけではな い。詩の中の 私 とは多かれ少くなかれペルソナとしての 私 であって,100 パーセント作者その人ではないこと,それが詩の読み方の基本であることは心 得ているつもりである。それはそうなのだが,ことHardyとなると決してそ れだけでは割り切れそうにない。ペルソナとしての 私 とHardyその人とし ての 私 が余りにも複雑に重なり合ってしまっているのである。その結果,ど の程度ペルソナであるかを知るためにHardyその人を知らなければならない という逆説めいたことになってくるのである。この一種のジレンマを解決する ために私がとった方法は結局テキストに戻ることであった。しかし,それは決 して所謂 伝記的事実 を故意に遠ざけるものではない。双方の採るべきとこ ろは十分に採った上で,両者の間に横たわる翻鶴・緊張をテキストそのものの 中に既に取り込まれた緊張として取り出すことが目的である。rHardyの詩が 何を語っているかは最早問題ではない。どのようにして語っているかが問題で ある」と言った人がいる。本論の私の立場も基本的には同じである。ただ,前者 を 内容 ,後者を 形式 と簡単に言い代えるなら,私の関心は 内容 が 形 式 に 裏切られる 過程にある。それこそがペルソナの下から真顔が覗く瞬 間だと思うからである。以下は,Hardyの詩の総括的な議論では勿論ないし,

またその特質を細かく分析するものでもない。専らThe Goingを手がかりに,

一編の詩のはらむ内容と形式のダイナミズムを少しく考察してみたいというの がその狙いである。

      The Going

Why did you give no hint that night

1976), p. 22.

(3)

      トマス・バーディThe Going試論 That quickly after the morrow s dawn,

And calmly, as if indifferent quite,

You would close your term here, up and be gone     Where 1 could not follow

    With wing of swallow

To gain one glimpse of you ever anon!

323

    Never to bid good−bye,

    Or lip me the softest call,

Or utter a wish for a word, while I Saw morning hardell upon the wal工,

    Unmoved, unknowing     That your great going

Had place that moment, and altered all.

Why do you make me leave the house And think for a breath it is you 1 see At the end of the aliey of bending boughs Where so often at dusk you used to be;

    Till in darkening dankness     The yawning b1ankness Of the perspective sickens me!

    You were she who abode

    By those red−veined rocks far West,

You were the swan−necked one who rode Along the beetling Beeny 一Crest,

    And, reining nigh me,

(4)

324 松尾博教授退官記念論文集(第234・235号)

       Would muse and eye me,

     While Life unrolled us its very best.

Why, then, latterly did we not speak,

Did we not think of those days long dead,

And ere your vanishing strive to seek That time s renewal? We might have said,

   ln this bright spring weather   We 11 visit together

Those places that once we visited.

  Well, well! All s past amend,

  Unchangeable. lt must go.

1 seem but a dead man held on end

To sink down soon....O you could not know   That such swift fleeing

  No soul foreseeing 一

Not even 1一 would undo me so!

December 1912

 さきにも述べたように,Poems 1912一エ3には21編が収められているが,現 在その冒頭に掲げられているのがこの詩である。この21編は全く脈絡なく並べ られているのではなくて,妻の死,その後の狼狽と悲嘆,そして翌年のTho・

masによる 巡礼行 と一定の展開を持っていて,その意味でEmmaの死の 当日を詠んだこの詩が当然最初にくる。しかも,単に出来事の順序からだけで なくて,この詩群の底にある回る統一という観点からも,この詩が出発点とな っている。つまり,他の20編の詩に見られる様々.な要素,例えば過去と現在と

(5)

       トマス・バーディThe Going試i論  325 の交錯扇面と現実との不分明な境界,苦い瞭罪の意識とロマンチックな追 憶,さらにはそれらを詩として定着させるためのperspective, 私 の心のわ だかまりを詩として結晶させるためのpoetic structure等々に於いて, The Goingはそれらの殆んどを顕在的・潜在的に含んでいるのである。

 一読した印象は,素朴で淡々とした調子に終始しているように思われる。妻 の死んだ当日の様子から始まって,その直後の,いるべき人のいない寂蓼感,

さらには初めて出会った頃の想い出へと無理なく綴られている。殆んど技巧ら しい技巧をまじえず,比喩的表現も特に凝ったものは見当らず,descriptiveな 筆緻が保たれていて,その静かな口調が返ってしみじみとした悲哀を読み手に 感じさせる。ただし,これはあくまでも一読したところである。そう単純でな いことが読み返すにつれて分かってくる。

 まず第一に,第一連,第三連,第五連と規則的に繰り返される呼びかけ,問 いかけに注意すべきであろう。「なぜ,なんの前ぶれもなく」,「なぜ,僕を誘 い出して」,「なぜ,私たちはこの頃」。勿論,答える声はなく 私 はひとり

「すべては取り返しようのないこと」と自らに応えるしかない。つまり,この 詩はmonologueの形式をとっているのである。 monologueも本質的には対話 の一形式である。たとえ他に誰もいなくとも,問いかける者と応ずる者という 形が自らの内に設定されているからである。この対話形式こそこの詩群全体の 最も重要な構造である。「毎夜,私がここへやって来ていることをあの人は知 らない」で始まるThe HaunterはEmmaの詠う詩である。一方,そのすぐ 後に続くThe Voiceの 私 は再びThe Goingと同じ 私 である。この二 つの詩が呼びかけとそれへの応えになっていることは明らかで,一方が「彼に 呼びかける力もなくて」と言えば「聞こえる,聞こえる君の声が」といらえ る。また一方でEmmaが the past is all to him と言えば,後の詩でも

...who wasαll to me とそのまま唱和するように繰り返している。対話は まだ続く。The Voiceは「まだあの女は呼んでいる」と結すばれているが,現 に次の詩His Visitorはそれに答えるように再びEmmaの声となっている。

「月の光が弱くなった頃,私はメルストックからやってくる」。つまり,ここ

(6)

 326 松尾博教授退官記念論文集(第234・235号)

では一連の詩がそのまま呼びかけとそれへの応答という形のdialogueになっ ているのである。

 妻を喪った 私 は様々な悔恨の思いにかられる。中でも一段と鋭く心を刺 すのは,ここ暫く,彼女の死に至るまで,二人の間に 対話 がなかったこと である。( Why, then, latterly did we notspeak? )言わば 声 が失われて いたことである。失われた声への希求はPoems 1912−i3を貫く大きなテーマ であり,The Voiceはその題名の示すようにその典型である。 The Goingでも 既にそれは餌づきりと打ち出されている。妻が死んだ朝, 私 が何よりも恨 みに思うのは,死にゆく妻が声をかけてくれなかったことである。

  Never to bid good−bye,

  Or lip me the softest call,

Or utter a wish for a word, ...

この恨みが詩となり,書かれた詩は当然,生前果せなかった妻との対話,声な き会話の形を取ることになる。人と人との結びつぎは所詮目には見えない。確 かにあるにしても眼で確かめられるものではない。 私 が確かめようとし,

取り戻そうとしているのもその結びつきである。それを象微しているのが,眼 には見えないが,二人の間をつなぐものとしての 声 である。一方,それが 的野と生者との対話であるためにその象徴性はさらに深くなる。今や二人は文 字通りの意味の 声 を交わすことは不可能である。( But cannot answer the words he lifts me The Haunter)それは声なき声の対話,言わば霊的会話で ある。そこには,声を失ったことにより返って声が象徴するもの,心と心との 眼に見えない交感の糸が確かめられるという皮肉な結果がある。The Voiceで の 私 は冒頭で「聞こえる,聞こえる,君の声が」と歓喜する。だがやがて,

「あれはただの風の音か……君の姿は消えてその声は聞けないはず」と愴然と 悟る。しかし,そこで終ってはいない。最後の連はこうである。

(7)

      トマス・バーディThe Going試論  327   Thus 1; faltering forward,

  Leaves around me falling,

Wind oozing thin through the thorn from norward,

  And the woman calling.

この最後の calling は第一行の how you call to me, call to me とは言わ ば次元を異にしている。あきらめきれない 私 は生前と同じ声を聞きたがり,

確かに束の間耳にそれが聞こえたかのように思う。しかし,それはあり得ない こと。所詮は幻聴に過ぎない。しかし,決して意味のない幻聴ではない。確か に聞こえたと思ったこと,それは声を越えた声で二人の間に交感が行われたと いうことである。それを悟ったからこそ最終連の 私 は,風の音は風の音と はっきり聞き分けながらもなお And the woman calling の一言をつけ加え

ることが出来たのだ。

 対話の形式が持つ意味はもう一つある。相手が自分自身であるmonologue にせよ,亡き人との心なきdialogueにしろ,そこに劇的要素が生じてくること である。詩で言う ドラマチッグ な要素とは,簡単に言ってしまえば,或る メッセージがそのままの形ではなく,特定の語り手によって伝えられること,

逆に言うと伝えるべき語り手が何んらかの形で詩の中に設定されていることと 言えようか。つまり,伝えられるべき内容が読者の眼前にそのままつき出され るのではなくて,劇的構図による一定のperspectiveの中に置かれることを意 味する。その結果,詩の内容は微妙な変化を受けることになる。これはHardy の詩作法の原則の一つである。

Of the subject−matter of this volume−even that which is ln other than narrative form−much is dramatic or imPersonative even where       3)

not explicitly so.

3) Thomas Hardy, Preface to Wessex Poems aitd Others.

(8)

328 松尾博教授退官記念論交集(第234・235号)

 The sense of disconnection, particularly in respect of those lyrics  penned in the丘rst person, will be immaterial when it is borne in  mind that they are to be regarded, in the main, as dramatic mono一       の

 logues by different characters.

さきにも述べたように,Poems Z912−Z3はHardyの詩の中でもとりわけ personalなものである。最も身近かな人間の死,その直後からの詩作というこ

とを考えれば,素材との必要な距離を置くには非常に難しい状況である。その        ア ト

結果,感情ぽかりが溢れ出て詩としての抑制を欠いたセンチメンタルな結果 に終る危険性が大いにあったはずである。それがそうはならなくて,極めて personalな内容を扱いながらも,そのpersonalな境地をつき抜けて,普遍的

な悲しみにまで昇華し得たのは,どこかでHardyが,彼の言葉に言う imper−

sonative な視点から自分の悲しみを眺めていたからであって,それが詩の中 で具体的な形をとったのが対話形式という劇的要素ではなかったかと思うので ある。つまり,自らを劇中の人物に擬することによって,自分の悲しみを劇的 構図の中に置くことによって,センチメンタルに堕することを免れ得たのでは ないだろうか。

 しかし,このような詩作の態度には当然陰の部分がある。つまり,imperson−

ativeな視点は芸術論の見地からは正当化されたとしても,詩人と生身の人間 との間に区別を置かない立場からすれば,真実を糊塗するうろんな行為と取ら       ペル れかねない。つまり,Hardyにあてはめて言えば, Hardy the poetという仮

ソナ

面の陰にHardy the manを隠蔽したということになる。第一連はEmmaの 死んだ当日の朝のことを詠んでいるが,これで見る限り彼女の死は全く突然 の,予期せぬもののように描かれている。異論が挙げられたのはこの点で,そ の急先鋒であるR.Gittingsはそれについて次のように述べている。

4) Thomas Hardy, Preface to Time s Laughingstocks and Other Verses.

(9)

       トマス… 一ディThe Going試論  329 He had seen her suffer for months the utmost physical agony, had deliberately turlled his eyes away, and pretended not to notice;he even feigned surprise, and underlilled with continual guilty insistence

      ラ

the suddenness and unexpectedness of her death, such swift fleeing .

Gittingsの見方は厳し過ぎるというなら,比較的客観的な立場を守っているM.

MillgateのThomas Hardy:A.醗ogrαρ勿でもいい。 Gittingsほど厳しく断 罪してはいないものの,ここでもやはりEmmaの死の経過は決して詩で言う

ように quickly とか calmly とかいうようなものではな:かったことが知れ るはずである。Thomasが故意に知っていて知らぬふりをしたか否かはともか

く,少くともそのような重大な瞬間が迫っていながら,一つ屋根の下にいてそ れに気づかなかったほど二人の間が疎遠になっていたことは確かなようである

(当時Emmaは屋根裏の寝室にほとんど閉じこもりきりであったと言う)。た だ,客観的事実という観点からは多かれ少くなかれ歪曲があったことは否定出 来ないにしても,疎遠な状態のままで夫婦関係が終ってしまったことに対する 詩人の後悔の念は心底のもので,その二つの要素がそれにふさわしい微妙さで

この詩の中に読みとることが出来る。 And calmly, as if indifferent guite _

文字面ではindifferentはEmmaの方ということになる。しかし calmly が indifferent と言い変えられる意識の流れにはどこか自らのindifferenceが自 覚されての上のことではないか。しかも,この詩がさきにも述べたように直接 Emmaへの問いかけというより,言わば自問自答であるだけに,そういう 反 転 が自問する意識の奥底で起ったとしても不思議はないように思えてくるの である。 (現に第=二連では indifferent と殆んど同じ意味の unmoved と いう語が今度はシンタックスの上からも 私 と結びつけられている。)

 次にこの詩の時間的構成を問題にしたい。第一,第二連が妻の死の当日と いう近い過去を描いているのに対し,第三連では終始現在形を用いることで

presentness が強調される。そして第四連では一挙に三十数年前に時間は引

s) Robert Gittings, The Older Hardy (London: Heinemann, 1978), p. 153.

(10)

 330  松尾博教授退官記念論文集(第234・235号)

き戻され,二人が初めて出会った頃が思い返される。さらに第五連では再び妻 の死の数年前,つまり第一連よりやや前の過去に戻っている。この重層的な時 間が示唆するものはそこが 記憶 の領域であるということである。記憶の領 域では客観的・chronologicalな時間の流れは解消され, 私 という一個の意 識の中で再構成された別のsequenceが生まれてくる。それは通常の時間の流 れとは異種の流れでつながれたsequence,この詩で言えば,それまで抑圧され ていた詩人内部の自責の念が次第に表面にたち現われてくる,言わば,moral sequenceである。その意味で第三連が重要な分岐点となっている。ここにきて それまで潜在的であった 私 の心のしこりが次第に顕在化してくるからであ る。何かにせかれるようにして家を出た 私 は薄暗がりの中に一瞬妻の姿を 認めたような錯覚に捕らわれる。その何かとは決して妻恋しさの想いだけでは あるまい。それだけだとしたらそれが錯覚だと悟った時の

  The yawning blankness Of the perspective sickens me1

の,特に sickens は余りに強烈な反応であるような気がする。 sickensとい うからには第一連,第二連が表面上語る,もの言わず去った妻への恨みだけ では説明がつかない 私 の側のもっともっと苦い思いがこめられているよ

うに思われるのである。ここで使われている darkening dankness あるいは yawning blankness 等の表現は単に夕闇の中の庭の様子をそのまま写しとっ たもめだとか,Emma亡きあとの寂蓼感を表現しているというだけにとどまら ず,これもまた 私 の心の中の風景として,不分明で奥の深い意識の奥底,

耐え切れない心理的負担を閉じこめておく心の闇の部分を思わせる。閉じこめ ておいたはずのものが顔を覗かせた時の驚き,狼狽,それが sickens という 形で 私 を襲ったのではなかったろうか。

この詩の表面で語られているのは飽くまでも,何の前触れもなく死んだ妻へ

(11)

       トーマス・バーディThe Going試論  33!

の不満であり恨みである。 私 は少くとも表面上は,伝記作者が指摘するよ うに無関心で冷淡な夫として自らを責めるようなことはしていないし,まして や(Gittingsの推測にあるような)不貞の夫としての悔恨を露にするようなこ

ともない。にもかかわらず,その底に強く罪の自覚とそれに対する嫡母の意識 がうかがわれる。それは決して言葉として文字通り表わされているのではなく て,詩人が依拠した 形式 そのものの中から伝わってくるのである。その一       なまつが対話形式である。これは,一方で詩人に対して生の体験と詩との間に必要

な距離を置き冷静な眼で自己を顧りみる事を可能にすると同時に,他方に於い て詩人の胸にわだかまる失われていた 対話 への希求を物語る結果となって いる。しかも第一連,第三連の why が何れも you に向けられているの に対し,最後の why が we と,自分を含めた形となっていることは他の 要素とも相まって,妻への恨みが結局は自責の念へと反転する動きを明確に表 わす結果となっている。

 その 他の要素 とは時間的構成のことであり,この第二の形式が記憶の領 域として罪の意識に裏打ちされたものであることは既に述べた通りである。敢 て重複を犯して言えば,客観的・chronOlogicalな時間が解消されるというこ とは日常的な時間がsuspendされることと言い代えられる。最終連がまさにこ の時間がsuspendされた境位にあることは語法の上からも明らかで,ここでは 重んどすべての動詞が時間の制約を受けるfinite verbとしてではなく,時聞 的要素に捕われない,言わば時間的真空状態を示すthought−moodとして使

われている一 mUSt gO , COUld nOt knOW , Would UndO me 。唯一finite verbが使われている箇所は, All s past amend/Unchangeable. であるが,

そこに述べられているのは既に過ぎ去ってしまった詳聞,( past )一時的な時 間不在の状態( unchangeable )であり,返って時間の停止状態を強調するも のである。

 さらに,もう一つ微妙だが重要な 反転 がある。それは彼自身の死への予 感である。死は喜んでそれを迎えるとまではいかなくとも,少くとも良心の苛 責から彼を救い,心の平安を与えてくれるもののはずであり,詩人もまた表向

(12)

 332 松尾博教授退官記念論文集(第234 ・ 235号)

きそう詠っていることは事実である。しかし,その裏に透けて見えるのは,近 ずきつつある自身の死への怯えである。第三連の The yawning blankness/

Of the perspective に対する詩人の強い反応の中には,既に述べた罪の自覚の 他に,最も身近かな人間の死に触発された彼自身の死への予感が読みとれる。

暗がりの中で口を開けて自分を待ち受けるのは冥界への途の入口と彼には見え たのではないだろうか。そして,重層的な時間の積み重ねが最:後にきて時聞の 停止した状態へと収束されてゆく過程の背後に潜むのは,近ずきつつある死を くい止めたいというさし迫った願望があったのではないだろうか。最後の四行 が含む意味の二重性が示すのはまさにこの微妙な 反転 の結果であるように 思われてならない。「誰にも,この僕でさえ予見出来ない位あっという間に君 は逝ってしまって,僕は途方にくれている」と詩人は言う。それは確かに詩人 の偽らざる追悼の言葉ではある。と同時に,「誰にも分らない,この僕にも予 見出来ないあっという間の死がやがて僕にも訪れるはず」との諦念とも怯えと

もつかない一種切実な思いが読みとれることも事実である。

 そのような曖昧性が初めから作者によって意図されていたものか否かの議論 はここでは行わない。初めに断ったようにテキスト内での 内容 と 形式

との軋礫を通して詩のダイナミズムを探るのが本論の目的だからである。この 詩を純粋に自律的な work と読むことは不可能ではないにしろ十分であると は思えない。一方,伝記的事実を基に詩人の偽善をあげつらうことも,芸術と 現実との境界を見失うものである。問題はそれを二者択一と考える点にある。

両者は決してincompatibleではない。内容と形式との緊張はこの詩が初めか らその両者の間の対立を自らの内に取り込んでいることの証しである。この詩 が表面に漂わす切ない挽歌の調べ,その下に潜む暗い罪の意識さらにその下 にある死への予感,それらは決して一つの詩の中に調和的静詮を見い出すこと は出来ない。それは必ず緊張と,そこから生まれる一種のダイナミズムとなっ て表われてくるはずである。そしてそのダイナミズムとは,私が本論で考察し た 内容 が 形式 に裏切られてゆく過程であることは改めて言うまでもな

VN. (1985・ 9 ・20)

Updating...

参照

Updating...

関連した話題 :

Scan and read on 1LIB APP