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『冬のソナタ』に見られる「社会」と「個」の相克 ―登場人物の役割を中心に (下)

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Academic year: 2021

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『冬のソナタ』に見られる「社会」と「個」の相克

―登場人物の役割を中心に (下)

Society vs. Individual in Winter Sonata:

A Study on the Roles of Characters (Part 2)

追 立 祐 嗣

Masatsugu Oitate

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本論文を(上)と(下)に分けたのは、「沖縄国際大学外国語研究編集規程」で定められ た上限文字数(40,000 字)を超えていたためである。(上)は、「沖縄国際大学外国語研究」

第 16 巻第1号に掲載されており、ご参照頂きたい。

Abstract (including Part 1)

The South Korean television drama series Winter Sonata is included in the category of “love story,” and some critics say that this drama is merely a pure love story and that it does not have social elements. However, when we examine the details of the drama carefully, it is proved that the drama apparently has social elements both in the plot and in the characters: that is, Winter Sonata shows us the relationship between society and individuals and also the conflict between the forces of society and those of individuals.

Some characters, such as Yong-Gook, Jin Seok, and Sang-Hyeok, represent social elements of order, tradition, power, falseness, coverage and so forth. On the other hand, other characters, such as Che-Rin, Joon-sang (Min-Hyeong) and Yoo-jin, keep their own individuality, and protest the pressures and the forces of society. And also there are some characters, such as Joon-sang’s mother, Sang-Hyeok’s father, and Joon-sang himself, who are tortured by the conflict between society and the individual. This paper examines how each character shows his or her role in society and as an individual, how some characters are tortured by the social forces but at the same time they fight those forces, and finally, why so many viewers have watched this drama with tremendous enthusiasm.

Ⅲ.「個」を貫く人物達 1.オ・チェリン

 この物語におけるチェリンの役割は、極めて興味深いものである。チェリンはチュンサン とミニョンに対して一貫した「個」としての愛情を持ち続ける人物であるが、一方で、高校 時代には「初恋」の人チュンサンに失恋し、故郷韓国から飛び出し、外国を転々と渡り続け、

フランスでミニョンと出会い再び恋愛の感情を持つが、常にその恋愛が成就することはない。

その意味で、チェリンはサンヒョクと同じく愛に関する「敗北者」であるが、サンヒョクと の決定的な違いは、サンヒョクが「社会的」な役割と権力にしがみつき、それを利用し続け るのと対照的に、チェリンはあくまでも「個」を貫く「孤独」な敗北者だということである。

チェリンは「アウトサイダー」としての役割を持つ。チェリンは高校の時から、五人の放 送部の友人の中で、ヨングクとチンスク、サンヒョクとユジンという、いわば「公認」され た「友人」関係を持たないが、この時点では、チェリンは自らの美貌と傲慢さにより、「孤独」

な感情は抱いていない。ところが、チュンサンの登場と失恋、さらにミニョンとの失恋を経 て、次第に自らの「孤独」に苦しみ、その結果、ユジンへの嫉妬を抱き様々な策略を企てる。

そして自らが企てた策略が次々と暴かれ失敗に終わることにより、「孤独」の深みへと沈み

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込んで行く。しかし、チェリンの興味深い点は、どのような苦境にあっても、「個」として の愛情をあきらめない一途さを持っている点である。また、ユジンやチュンサン、サンヒョ クなどの主要な登場人物と違い、その出生や家族などが全く明らかにされず、故郷から離れ 長年の海外での生活を送っている点などから考えると、チェリンは「家族」などといった何 らかの「社会的」環境において「孤立」した存在であることが予想される。それゆえチェリ ンは、その寂しさゆえに「個」としての愛を追い求める人物として描かれており、「社会的」

な枠組みの外に位置する「アウトサイダー」としての性質を持っていると言えるのである。

チェリンという人物が持つ「個」としての性質は、物語を通して一貫したものとして描か れている。チェリンは、二度目の事故の後遺症で倒れたチュンサンに会いにきた際、ユジン を愛しつつも「異母兄妹」の疑惑によりユジンから離れる決心をするチュンサンに対して、

次のように言う。

「차라리 유진이한테 솔직히 말해. 그냥 도망 가버려. 몰랐잖아. 니들 아무것도 몰랐던거잖아. 도대체 어떻게 하라고? 모르고 만난 도대체 어떻게 하라고. ・・・

나 너랑 유진이 그냥 헤어진 줄 알았어. 근데 이렇게 헤어지면 나라고 좋을 것 같니? 너 이렇게 유진이 떠나는 거면 그래서 우리 다시 볼 수 없다면 나 너한테 다시 돌아오라는 말도 못하게 되잖아.」

「ユジンに言うべきよ。逃げちゃえばいい。あなたたちは何も知らなかった。知らずに 出会ったのよ。・・・あなたたちは普通に別れたと思ってた。そんな別れ方されて私が 喜ぶと思う?そんなふうにユジンと別れたら、それで会えなくなったら、あなたに戻っ てきてと言えない。」(第 19 話)

ここでのチェリンは、まさに強烈な「個」としての愛情を示している。チェリンは、自分が 愛したチュンサンが、ユジンと「そんな別れ方」をすること、すなわち「異母兄妹」(とい う疑惑)であるがゆえに別れることが許せず、「婚約者」がいるユジンとの駆け落ちという「社 会」からの離脱を持ち出す。このように、チェリンという人物は、まさに「社会的」通念に 対する「反逆者」、すなわち「アウトサイダー」としての役割を明白に表しているのである。

 チェリンに関して注目すべきもう一つの点は、この物語において、「トリックスター」の 役割を演じていることである。「トリックスター」の概念はユングによって確立されたもの とされていることから、ここではユング心理学の第一人者である河合隼雄の定義を用いるこ ととする。これはチェリンの役割に見事に合致するものである。

トリックスターとは、世界中の神話・伝説・昔話の中で活躍する一種のいたずらもの で、策略にとみ神出鬼没、変幻自在で、破壊と建設の両面を有しているところが特徴的 である。・・・策略という点では、・・・だれもが悪すれすれ、あるいは悪と呼びたいほ どのことを行うのも共通に認められる点である。それは既存の権威をつき崩す破壊力を もっている。・・・人間の魂というものが、そもそも一筋縄では捉えられぬものだから、

魂の導者はいきおいトリックスター性をもたざるを得ない。それは常に一定の方向へと すすむリーダーとか、常に正しいことを教えてくれる教師によっては務められないので

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ある。(148-149)

チェリンには、「常に一定の方向へとすすむリーダーとか、常に正しいことを教えてくれる 教師」という性質が無く、「社会性」を持たない「アウトサイダー」である。また、「神出 鬼没」という点に関しては、10 年後に友人たちがサンヒョクとユジンの婚約を祝うために 再会する際に突如チェリンがチュンサンに生き写しのミニョンを連れて現れ皆を驚かせる場 面や、ユジンがミニョンと同じ現場で仕事をしていることをサンヒョクに言い出せないでい る時にチェリンがミニョンと共に二人の前に現れてユジンとミニョンの関係を告げることに よりサンヒョクを混乱させる場面に表れている。そして、チェリンの最も重要な性質は、自 らの「個」としての純粋な愛情を注ぐミニョン(チュンサン)がユジンと親しい関係になっ ていく時に、様々な「策略」を用いて恋敵の関係を「破壊」しようとすることにある。そ の最も典型的な行為は、チェリンがミニョンに、「유진이가 따라하는게 있어. ・・・

심지어 내가 좋아했던 사람까지 따라 좋아했던 애 라고. (「ユジンって私のマネをするの。・・・

好きな人までマネされたんだから。 」)、さらに「혹시 민형씨는 누구 닮았다는 지도 몰라.・・・ 자기 첫 사랑. 유진이한테 그 말 듣고 안 넘어 간 남자 없었거든. 조심해.」 (「も しかすると誰かに似てると言うかも。・・・自分の初恋の人。その文句で落ちない男はいな かった。気をつけて。」)(第5話)などと言い、ミニョンとユジンを引き離そうとすること である。このチェリンの行為は、「悪すれすれ、あるいは悪と呼びたいほど」のものである。

しかし、このような行為の虚偽性はすぐに暴かれるのであり、皮肉にもその結果として、ミ ニョンとユジンの関係を一層強固なものにしてしまうという「建設」的な行為となってしま う。また、チェリンは、ミニョンの愛を取り戻したいがために、ユジンとサンヒョクの関係 を修復しようと懸命になるが、その「策略」はことごとく失敗に終わり、サンヒョクの「社 会性」をも「破壊」する者としての役割を果たしてしまう。このように、チェリンは、「破 壊と建設の両面を有して」いる、トリックスターの役割を持つ人物なのである。

2.カン・ジュンサン(イ・ミニョン)

「父親探し」という極めて「個人的」な目的で、ソウルからチュンチョンへの高校へと転 校してきたチュンサンは、本稿「Ⅱ.『社会』の枠組みの中にいる人物達」でも述べたように、

平穏な「学校」と仲の良い五人の「友人」によって形成される「社会」への「侵入者」であ り、ユジンと恋に陥ることにより、「社会」の「破壊者」となる。サンヒョクは、ユジンを 奪われることによって、生まれて初めての挫折と敗北を味わう。チェリンは、ユジン同様、

チュンサンとの初恋を経験するが、サンヒョクと同じく、自らが最も美しく魅力的であると いう幻想を打ち砕かれ、大きな敗北感を味わう。また、ヨングクとチンスクは、これまで通 りの「友人」関係が脅かされることを感じ取り、皆で山荘へ行き楽しい時を過ごすべく努力 を行うが、そのことをきっかけに、チュンサンとユジンの関係は一層深まって行くのである。

このような「友人」という「社会」は、チュンサンの突然の交通事故と失踪により、再びそ の安定を取り戻すこととなる。この安定は、皆が「死んだ」と信じ込んだチュンサンのこと

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を想い、湖に火の付いた紙を投げ入れるという「儀式」を行うことによって完結される。(こ の「儀式」に関しては、「物を焼くことは、その物や持ち主との『縁切り』を象徴している」

(韓ドラ・フレンズ 50)という鋭い指摘がある。)しかし、ユジンだけは、「社会」を破壊へ と導いたチュンサンへの「個」としての感情を消し去ることが出来ず、その後もチュンサン の「死」を受け入れられず、一人悲しみ、苦しみ続けることとなる。

高校時代でのチュンサンの言葉として重要なものは、皆で山荘へ行った時、ユジンが山道 に迷い、それをチュンサンが見つけて山荘へと戻るのだが、その途中でユジンに語る次の台 詞である。

「앞으로 산 속에서 길을 잃었을 때는 제일 먼저 폴라리스를 찾아봐. ・・・폴라리스는 절대 자리를 옮기지 않아. 그러니까 어디에 있어도 쉽게 찾을 수 있을거야. 앞으로 길을 잃었을 때는 제일 먼저 폴라리스를 찾아 봐. 언제나 그 자리에 있을테니까.」

(「山で道に迷ったら、まずポラリスを見つける。・・・ポラリスの位置は変わらない。

どこにいてもすぐ見つかる。道に迷ったらポラリスを見つけてごらん。いつも同じとこ ろに。」)(第2話)

すなわち、このチュンサンの言葉は、ポラリスに象徴される、「個」としての一貫した「不 動の愛」を表すものであり、「社会」という、秩序や慣習などといった一見「安定」して見 えるものの中に潜む虚偽と隠蔽の中で、純粋な「個」としての揺らぐことのない感情を保ち 続けることの重要性を説いたものである。そして、ここでチュンサンは、「道に迷っても」、

すなわち「社会」にどれほど振り回されようが、自分とユジンとの間の不動の愛に変化が生 じることは無いことを明らかにしたのである。

 チュンサンの「死」によって安定を取り戻したかに見えた「友人」たちの「社会」は、10 年後のミニョン(チュンサン)の出現によって、再び混沌としたものに変化する。ミニョン の出現は、皮肉なことに、ユジンとサンヒョクの婚約の儀式、すなわち、両家の親、親族、

そして友人たちが一同に集まる「社会」としての重要な儀式の行われる日、会場へと向かう ユジンが偶然にもチュンサンに生き写しのミニョンに遭遇する時の出来事であった。こうし て、ミニョンの突然の出現により、そしてチュンサンの姿を追い求めて、ユジンが婚約の「儀 式」のことを忘れ去り、出席しなかったことにより、「社会」の安定は崩れ始めることとなる。

 ミニョンは、再び偶然にも、ユジンと共にスキー場の改築の仕事をすることになるが、オ フィスでユジンを最初に見た時から、「不思議」な好意を持つ。そして、ユジンが仕事を担 当するという条件でなければ契約をしない、とユジンの上司であるイ・ジョンアに告げる。

これは、ミニョンの中に、その意識の深い部分でチュンサンという人物が存在していること を示すものであると言えよう。例えば、スキー場の下見に行った際にユジンが見たものは、

高校時代のチュンサンと全く同じ仕草で煙草に火を付けるミニョンの姿であった。また、ピ アノが弾けないと言っていたミニョンは、部下のキム次長の前で、高校時代にユジンに聴か せた「初めて」という曲を弾く。すなわち、表層意識ではミニョンであるが、煙草に火を付 ける「仕草」やピアノを弾く「手」という「身体」の動きがチュンサンとしての存在を憶え

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ていたということである。これは、記憶を改変されたにも関わらず意識の深層部分に隠され ていたものが表出した「行動」であると言える。また、スキー場のロッジでミニョンがユジ ンに「당신을 좋아하니까! 내가 당신을 사랑하니까.」 (「好きだから。僕があなたを愛してる から。」) (第7話)と告白する場面があるが、それは高校時代にユジンがサンヒョクに「내가 좋아해. 준상이 내가 좋아한다고.」 (「私がチュンサンを好きなの。」)(第2話)と言う場面と 重なる。そして、ユジンへの告白の際にミニョンは「涙」を流す。これはミニョンが物語に 登場して初めての行為であり、日常の冷静な言動からは一見不自然なものに見えるが、ミニ ョンという人物の中の深い部分に存在するチュンサンが流した「涙」だと考えれば、それは 極めて自然なことだと理解できる。こうしてミニョン(チュンサン)は、はっきりとした自 らの意識を持って、ユジンを愛するようになる。すなわち、ユジンにはサンヒョクという婚 約者、「社会的」な「契約」を交わした相手がいるにも関わらず、さらには、ユジンとサン ヒョクの関係が「個」としての純粋な愛情を伴う関係ではないことを知っているがゆえに、

ミニョンの中に存在するチュンサンは、社会的秩序、慣習、常識などといった「社会的」な 障壁に囚われず、一貫してユジンを愛し、守り続けるのである。

 二度目の事故で記憶を取り戻したチュンサンは、純粋な愛でユジンと結ばれていく。最初 はなかなか細かい事柄を思い出せないチュンサンであったが、チュンチョンを訪れ、かつて ほとんど一人で暮らしていた家の自分の「部屋」に入った時、最初の事故に遭う前にユジン から借りた手袋を見つける。それは、自分の「部屋」が象徴する「意識」の深層から記憶が 湧き出たことであり、それがきっかけとなって、チュンサンは様々なことを思い出し、ユジ ンとの愛情はますます深まっていく。

ところが、「個」の愛情で結ばれているチュンサンとユジンに突如襲いかかってきたのは、

二人の父親が同じ人物であり、二人が「異母兄妹」であるという疑い、すなわち「社会的」

に許されることがない「近親相姦」の疑いであった。実際には、これは「疑い」に過ぎず、

二人は異母兄妹ではなかったのであるが、この「社会的罠」にチュンサンは囚われてしまい、

ユジンの元を離れる決意をする。チュンサンはユジンとの「思い出」を作るため、「海」へ と誘う。そして、夜になりユジンが寝入っている間に、二人の愛の象徴である「ポラリス」

のネックレスを海に投げ捨ててしまう。すなわち、チュンサンは、目に見える形で残る「思 い出」を捨て去り、心の中に残るユジンとの「思い出」を作るために「海」を訪れ、大切な 時間を二人で過ごしたのである。

その後、「近親相姦」の虚偽性が明らかになり、それがサンヒョクの父親とチュンサン自 身の母親が犯した「社会的罪」によって隠蔽されていたことをチュンサンは知るが、二度 目の事故の後遺症で自分の余命が短い可能性があること、失明する恐れがあることなどの 理由から、ユジンのためにアメリカへと渡る。実際にチュンサンは視力を失うことになる のであるが、チュンサンの視力の喪失は、まさに「외형적인 집은 문제가 안된다고 봐요. 사랑하는 사람에게는 서로의 마음이 제일 좋은 집이잖아요.」 (「形としての家はどうでもいい んです。愛する人の心が一番いい家ですから。」)(第4話)と、かつてユジンが語ったよう

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に、「個」としての純粋な愛情は、「形」という目に見えるものではなく、「心」という目に は見えないものが最も大切であるということを意味しているのである。

先に、チュンサンがユジンとの「思い出」を作るために「海」を訪れたと述べたが、そこ には重要な意味が隠されている。「海」は、二人が愛を育んできた「雪」の降り積もる「山」

ではない。「雪」は純白で二人の「個」としての純粋な愛を象徴しているものであるが、同時に、

いつかは溶けてしまう、束の間のものである。また、「山」は「不動」であり、二人の「不 動の愛」を表すものとして捉えることができるが、同時に、固定されたもの、そこ以外には どこへも行けない場所と考えることもできる。これに対して、「海」は、溺れてしまう、広 すぎて迷ってしまうという危うさはあるものの、「山」とは異なり、どこへでも繋がっている、

いつでも再び会うことができるという、「永遠性」をも表すものなのである。

したがって、この「海での思い出作り」は、物語の最後の場面で、「島」という「海」に 囲まれた場所にチュンサンが家を建てる場面に通じるものとなる。かつてユジンは、ある家 の設計をしたことがあるが、それは美しく理想的な家であるにも関わらず、「돈 많이 들고 불가능하다고 해서 그만 뒀잖아.」 (「費用がかかりすぎて不可能」)(第 19 話)であり、実際 に建てるのが困難であるといった「現実的」あるいは「社会的」要因のために「옛날에 니가 한번 직접 설계했다고 한 그 불가능한 집 맞지?」 (「不可能な家」)(第 20 話)とされたので あるが、チュンサンはアメリカに発つ直前にユジンからその家の模型を渡される。そしてチ ュンサンは視力の悪化を覚悟でその模型から設計図を書き上げ、アメリカへ渡った後に、韓 国の「島」にその家を建てる。それは、「社会的」に「不可能」とされたものを「個」の力 で「可能」にしたものである。そして、「海」に囲まれた「島」という場所にチュンサンが 建てた家は、「陸」が象徴する「社会」の様々な障壁から解放され「個」としての生活を営 むことのできる場所である。それゆえ、最後の場面でパリから帰国したばかりのユジンがそ の場所を探し当て、島へと渡り、チュンサンと再会し、純粋かつ献身的な「個」の愛情を永 遠に誓うこととなる結末は、様々な「社会」による障壁を乗り越えて掴んだ、「個」の勝利 と言えるのである。

しかし、チュンサンには「社会に翻弄される犠牲者」という一面がある。すなわち、チュ ンサンは、親子二代にわたる愛憎の「最大の犠牲者」なのである。そのことに関しては、次 章で述べることとする。

3.チョン・ユジン

 ユジンの愛は一貫した純粋なものである。物語の第9話のタイトルが「흔들리는 마음」 (「揺 れる心」)となっており、ユジンの愛情がミニョン(チュンサン)とサンヒョクとの間で「揺 れ動いて」いると思う視聴者も存在するであろう。また、ユジン自身も自分が「優柔不断」

だという「言葉」を発するが、ユジンの深い想いや決断を伴う「行動」を考えると、実際に はユジンのチュンサンへの愛は不動のものである。なぜなら、「言葉」は人間の表層心理を 表すにすぎないが、「行動」は人間の深層心理、すなわち偽らざる真実を物語るものである

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からだ。

 例えば、「婚約会」の前に、サンヒョクと待ち合わせをしている時、占い師と思われる女 がユジンに声をかける場面がある。

「내말 좀 들으라니까. 내말이 맞아. 믿으면 돼요! 뭐가 어렵다 그래~ ! 아이 참 글쎄~ ! 아가씨, 나 아무나 붙잡고 이러지 않아요. 조상님 은덕이 있는 사람만 도에 대한 얘기를 듣는거란 말이야.・・・약속이 중요한게 아니지! 조상님이 다 지켜보고 있어! 아가씨, 실연 당했지? 남자가 보여. 그 남자 다시 찾고 싶지? 내가 그 남자 찾게 해줄까?」

(「私の話を聞きなさい。私の言うことは正しいから信じればいいの。まったくもう。誰 にでも言うわけじゃないのよ。ご先祖様のご加護がある人だけ。・・・ご先祖様が見守 ってるわ。お嬢さん、失恋した?男が見えるわ。会いたいでしょ。」)(第3話)

ここでの占い師は、「私の言うことは正しい」(ちなみに、日本語吹き替えでは、この場面に

「だめ、時計なんか見てたら。」という台詞が入っている)と言うが、それは、ユジンのして いることは正しいことではない、ユジンが身を任せている時の流れは間違っている、という 意味であると解釈できる。また、「ご先祖様が見守ってるわ。」という言葉には、後に現れる「異 母兄妹」の疑惑が誤りであること、チュンサンとユジンの両親たちが過去に繰り広げた愛憎 の関係の中に、純粋な愛情が存在していたことが暗示されている。すなわち、この占い師と 思われる女性は運命を見透す「予言者」とも言える存在なのである。しかし、この「予言者」

に対して、ユジンは笑いながら「아줌마 죄송한데요 제가 약속이 있어서요.」 (「すみません が約束があるので。」)(第3話)と言い、婚約者であるサンヒョクとの「約束」を果たすた めにその場を去ってしまう。すなわち、ここでのユジンは「個」としての深い心の想いと違 うことをして、「社会」の期待に応えようと努めているということなのである。その証拠に、

ユジンは婚約者のサンヒョクとは、お互いが子どもだった頃の話しかせず、結婚後の二人の 将来のことは考えない。そして、初雪という、心の深層にあるチュンサンとの思い出が詰ま った光景が目の前に現れた瞬間に、チュンサン(ミニョン)が歩いているのを見て、立ちつ くし、目を見開くが、この時のユジンには、道を歩く他の人々の姿は見えない。その結果、

婚約会という「社会的」儀式や、ユジンを待つサンヒョク、親族、友人などのことなどが意 識から消え、「我を忘れて」、すなわち「無意識の行動」として、ひたすらチュンサンの姿を 追うのである。また、チュンサンの姿を見た衝撃で携帯電話を落としたまま走るユジンの行 動は、「社会」との連絡あるいは関係を断ち、「個」として想い続けていたチュンサンをひた すら追うものであるという解釈が成り立つ。このように、ユジンの「言葉」と「行動」、「表 層意識」と「深層意識」には大きな乖離が見られるのである。

ユジンがチュンサンと出会う際の「偶然」性は重要な意味を持っている。そもそも、チュ ンサンがソウルからユジンの通うチュンチョンの高校へ転校してきたのは、間もなく母とと もにアメリカへと旅立つ前に、父親のことを知りたいというチュンサンの気持ちから、一時 的にチュンチョンに滞在するという理由からであったが、その「一時的な滞在」の間に、チ ュンサンはユジンという「運命」の人と「偶然」出会うのである。

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物語の冒頭部分は、高校へと向かう途中、満員のバスにサンヒョクに押し込まれるように 乗り込み、サンヒョクはそのバスには乗れない場面から始まる。そして、バスの中で寝入っ てしまったユジンは、「偶然」隣の座席にいたチュンサンと「運命」的な出会いを果たす。この、

最初の場面での「偶然」の出来事は、その後のユジン、チュンサン、サンヒョクという三人 の愛情の関係を暗示するものである。すなわち、「偶然」に起きたバスでのサンヒョクとの 別れは、その後のサンヒョクのユジンへの愛の「敗北」を予感させるものであり、サンヒョ クとバスで別れたことによって、ユジンは「偶然」にもチュンサンと出会うが、最初に出会 った瞬間から、ユジンとチュンサンはお互いのことが「不思議」にも気になり、次第にはっ きりとした形となって愛情で結ばれていく。(これは、先に述べた、ミニョンが初めてユジ ンと会った時に「不思議」な好意を抱くことと共通したものである。)

チュンサンが死んだと思われて 10 年が経った時、「婚約会」へ向かう場面で、ユジンはま たしても「偶然」に、チュンサン(ミニョン)との「運命」的な再会を果たす。そしてさらに「偶 然」にもユジンとチュンサン(ミニョン)はスキー場で同じ仕事をすることとなり、二人の 愛は深まっていくこととなる。また、ユジンとミニョンがスキー場で仕事をしている時、「偶 然」悪天候となりロープウェイが動かず、二人は山頂のロッジで一晩を過ごすことになる。

これは、二人がいる山頂近くの風が強くなったためであり、二人の関係が深化するのに自然 が味方をしている、あるいは二人がロッジに閉じ込められたのは「運命」によるものと考え ることも可能であろう。ロッジでユジンとミニョンは二人だけの時間を過ごすことになるが、

それが山頂のロッジであるという設定には大きな意味がある。すなわち、「下の世界」では、

サンヒョクやチェリンといった愛の敗北者たちが、ユジンとミニョンが二人だけでロッジに いることへの不安を抱えているのに対し、山頂にいる二人は、「社会」の手が届かない「上 の世界」にいるのであり、まさにその場所で、ミニョンはユジンに愛の告白を行うのである。

そして、物語の最後の場面においても、パリでの留学から帰国したユジンが職場へ復帰し たまさにその日、「不可能な家」が現実のものとして載っている雑誌の写真を「偶然」目にし、

その瞬間にユジンは、それがチュンサンによって建てられた家であることを確信して、その 家を訪ね、チュンサンとの再会を果たすのである。

このように、最初と 10 年後、そして最後の場面で、ことごとく「偶然」の出会いと再会 が描かれていることから言えることは、純粋な愛情は「偶然」によって生まれるのであり、

そこには何らの思惑も理由もないということである。そしてさらに重要なことは、このよう な「偶然」とは、「運命」あるいは「必然」であるということである。すなわち、「偶然」や「運 命」による出会いとは、「個」と「個」の結び付きのことを指すのであり、「社会的」に認知 された常識や慣習、約束事や契約などによって「意図的」に、あるいは「人為的」に結び付 けられる関係とは対極を成すものなのである。

ユジンには、高校の頃から奇妙な癖があった。それは、あえて平坦な道を歩かずに、その 脇に横たわった大木などの、高くて歩きにくい場所を好んで歩くというものだ。これは、10 年後の場面の冒頭で、足場の悪いビルの上での建設現場をユジンが歩き回るという行為と共

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通したものであり、ここで示唆されていることは、ユジンという人物が「社会的」に平坦な 道を選ばず、それがいかに危ういものであっても、心のときめく道、自らが選んだ「個」と しての道を歩み続けるということである。ここに、先に挙げたチェリンとチュンサンが持つ、

「社会」に対する「反逆者」あるいは「破壊者」としての性質を、ユジンも持ち合わせてい ることが示されている。すなわち、「個」を貫く三人の人物達は、「社会」に対決するという 共通の性質を必然的に有しているのである。

さらに、ユジンが大木の上を歩く際に映し出される「並木道」が真っ直ぐな道であること も、ユジンの「個」としての一途さを表していると言えよう。また、高校時代に遅刻しそう になったユジンがチュンサンを誘い、高校の塀を乗り越える場面も象徴的である。すなわち、

高校という「社会」の壁を二人が協力して乗り越えるという場面設定は、その後二人が、さ まざまな「社会的」障壁を乗り越えて、最終的には「個」としての純粋な愛を全うすること を暗示しているのである。

一方、ユジンにとってサンヒョクへの愛はない。例えば、ユジンが倒れてきた材木から身 を挺してミニョン(チュンサン)を救う場面があるが、病院へ駆けつけたサンヒョクが、ミ ニョンを助けたのではなく、チュンサンのことを想っているがゆえの行動だろうと問い質す 時、ユジンは次のように言う。

「그럼 내가 어떻게 해야 ? 나도 잊을 수만 있다면 잊고 싶어. 준상이에 관한 것들 하나도 기억 할 없었으면 좋겠어. 근데, 내가 잊고 싶어도 눈이 준상이 얼굴을 기억해. 내 가슴이 준상이가 말을 기억하고 있다고. 내가 어떻게 해야 하니? 내가 어떻게 해야 할까? 상혁아, 내가 어떻게 해 줬으면 좋겠어? 」

(「だったら、どうすればいい?私だって忘れられるなら、忘れたい。チュンサンに関す ることを、みんな忘れてしまいたい。でもね、私が忘れたくても、私の目がチュンサン を覚えてる。私の心が彼の言葉を覚えてるの。どうすべき?どうしたらいいの?サンヒ ョク、どうしてほしい?」)(第7話)

ここでのユジンは、チュンサンのことを「みんな忘れる」ことにより、「社会的」に「楽」

な生き方が出来ることを知りつつも、チュンサンへの愛という「個」としての苦しみを背負 う覚悟を示している。そして同時に、「サンヒョク、どうしてほしい?」と言うのは、「社会」

のためにどうすれば良いか、という意味であり、「どうしてほしい?」と尋ねるのは、まさに、

「社会」を代表するサンヒョクのためには「自分は何もすることができない」ことを表明し ているのである。

ユジンがサンヒョクとの関係を簡単に断ち切ることが出来ないのは、「揺れる心」と表さ れる愛情や「優柔不断」と言われる性質のためではない。ユジンは、サンヒョクに対しては、

その愛情に応えられないことから「ごめん」という言葉を繰り返す。一方ミニョンには、「나 민형씨한테 미안하다는 말 안할꺼예요. 민형씨는 나한테서 가장 중요한 걸 가져갔으니까. 내 마음 가져갔으니까 나 하나도 미안하지 않아요. 사랑합니다.」 (「ミニョンさんには、ごめん なさいなんて、言いません。あなたは私の一番大切な物を持っていった。私の心を持ってい

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ったから。だから謝りません。愛しています。」)(第 10 話)と言い、ユジンの両者への思い は全く異なるものであることが分かる。すなわち、ユジンがサンヒョクの強引とも言える「社 会的」立場を利用した行為に苦しみながらも冷酷に突き放すことが出来ないのは、幼なじみ の友人であるサンヒョクが自分との失恋に苦しみ「個」としての弱さを露呈する姿への優し さあるいは哀れみの感情がその理由なのである。

サンヒョクとミニョンは、ほぼ同時に、チュンチョンの高校を訪ね、ミニョンとチュンサ ンが同一人物であることを「探し出した」のであるが、ユジンはそのような行動は一切取らず、

常にチュンサンの出生に関することを最後に知らされる人物である。ところが、ユジンは一 貫して心の中でミニョンにチュンサンを重ねており、ミニョンとチュンサンが同じ人物だと いうことを心の深い部分で知っている。次に挙げるのは、ユジンがチンスクに、チュンサン とミニョンとの重なりを語る重要な場面である。

「상혁이가 물어보더라. 이민형씨 어디가 좋았냐고. ・・・ 나 대답 못했어. 그걸 어떻게 말로 설명 수가 있었겠어. ・・・ 준상이를 보면 하고 떨어진 느낌이 있었어 그런게 있었어. 내 마음이 내 심장의 박동이 온통 준상이를 향해 있는 그런 느낌. “ 이런게 사랑이구나 이런게 운명이구나” 했어. 준상이 죽고 나서 다시는 느끼지 못할 줄 알았는데 이민형씨 만나고 어느 순간 또 툭・・・ 그러더라. 얼굴이 같아서가 아니야. 그런게 아니야. 머리 생각과는 상관없이 심장이 뛰는 느낌. 준상이와 있을 때처럼 그렇게 가슴 두근거리는 기분 민형씨가 다시 느끼게 해줬어. 어떻게 그럴 수 있었을까? 민형씨와 준상이 분명히 다른 사람인데 내 마음은 두 사람을 같이 느꼈어. 이상한 얘기 같지만 내 마음속에서 준상인 이민형씨와 한 사람 같았어.」

(「サンヒョクに聞かれたの。ミニョンさんのどこがよかったのか。・・・答えられなかった。

そんなの言葉じゃ説明できないわ。・・・チュンサンにはね、急にふっと吸い込まれる ような感じ、そんな感じだった。私の心のすべてがチュンサンに吸い込まれるような感 じ。『これが愛、運命なんだ』そう思ったわ。彼が死んでからはもう二度とないと思ってた。

でもミニョンさんに会って、ある瞬間ふっと吸い込まれたの。顔が似てるからじゃない のよ。別人だと分かっていても、胸がドキドキした。チュンサンといた時のような胸の ときめきを、ミニョンさんが呼び起こしてくれたの。どうしてだろう。ミニョンさんと チュンサンは別人なのに、私の心は2人に同じ何かを感じてるの。どういうわけか、私 の心の中では、あの2人は同じ人なの。」)(第 12 話)

このようにユジンは自らの率直な心情を吐露するのであるが、ここで重要なことは、「心」(あ るいは「胸」)という言葉が繰りかえされていることである。すなわち、ユジンのチュンサ ンに対する愛情は「言葉」という表層的なものでは説明できず、またユジンは「頭」という「理 性的」(咸 212)な部分ではチュンサンとミニョンが別人だと分かっているにも関わらず、「心」

という「感覚的」な部分では、二人に対する共通の愛情を持っているのである。そしてそれは、

前述のように、ミニョンが記憶を消されたにも関わらず、その深層意識の中でユジンへの愛 情を保っていたことと共通するものなのである。

(13)

しかしながら、ユジンとチュンサンには、僅かな違いが存在する。チュンサンもユジンも

「個」としての純粋な愛情を貫くのであるが、「社会」の力に翻弄された結果、自らの選択か 否かは別として、その言動に「揺れ動き」が見られるのは、チュンサンである。最初の事故 に遭い、別の記憶を埋め込まれた結果、10 年の空白を作ってしまったのはチュンサンであり、

ミニョンという「別人」になってしまったが、ユジンのチュンサンに対する想いは、その時 間とチュンサンの記憶の空白にも関わらず、不変のものである。また、「近親相姦」の「社 会的罠」に巻き込まれて最も苦しむのはチュンサンであるが、後にそのことを知らされるユ ジンの衝撃は、チュンサンの苦しみと比べれば小さなものである。その時にユジンが、チュ ンサンからの贈り物である「ポラリス」のネックレスを落として壊れてしまうのは不可抗力 によるものであったが、「近親相姦」の疑いにより、ネックレスを意図的に海へ放り投げて しまうのはチュンサンなのである。

さらに言えば、先に挙げた、高校時代にユジンが山道に迷い、それをチュンサンが見つ けて山荘へと戻る場面で、「ポラリスの位置は変わらない。どこにいてもすぐ見つかる。道 に迷ったらポラリスを見つけてごらん。」というチュンサンの言葉は、自分がポラリスだと ユジンに教えているように見えるが、物語全体の進行を考えると、この言葉はチュンサンが 無意識にユジンの一貫した「個」としての存在に気付き、そのことを自分自身に言い聞かせ ているとも考えられる。このことと関連して、ユジンがサンヒョクにホテルで強姦されそう になった時、必死に逃げ出したユジンは、心配したミニョンからの電話に応える。この時 ミニョンは、呆然と海辺のベンチに座りこんでいるユジンに対して、「거기 그대로 있어요. 내가 갈게요. 내가 찾아 갈게요!」 (「そこにいて。僕が捜しますから。」)(第8話)と言う。

すなわち、この場面でも明らかなように、物語全体を通して、「動かない」のはユジンで あり、それを「探す」のがチュンサンでありミニョンであるという一貫性が見られるので ある。この点において、物語冒頭の「影の国に行った男の話」は象徴的である。チュンサ ンは「한 남자가 그림자 나라에 갔는데 다들 그림자들이어서 아무도 말을 시키지 않더래.

・・・그래서 그 남자는 혼자 외로웠대. 그게 끝이야. (「ある男が影の国に行った。みんな影 だから誰も話しかけてこない。・・・男は孤独だった。おしまい。」)(第1話)という話をする。

その後、ユジンは雪の中でチュンサンの足跡を踏んで歩く「影踏み」をしながら「너 그림자 나라에서 외롭지 않을려면 어떻게 해야 되는지 알아? ・・・ 누군가가 그림자를 기억해 주면 되는거야. 이렇게! 」(「 影の国で寂しくないためには、どうするか知ってる?誰かがあ なたの影を覚えておけばいい。こんなふうに。」)(第2話)と語る。このユジンの一途さこそが、

ユジンの「不動の愛」を物語るものである。

ユジンという人物を語る際に欠かせないのは、やはりポラリスが象徴している強い愛情で ある。そして、ポラリスのネックレスは、サンヒョクとの間で交わされた婚約指輪と対極を 成すものである。サンヒョクとの婚約式の前日、「予行演習」として二人はお互いに指輪を はめる。これまで本稿では再三にわたって婚約指輪は社会的契約であることを述べてきたが、

この考え方を突き詰めると、ユジンは指輪という「鎖」に繋がれたのであり、さらに極論す

(14)

れば、ユジンとサンヒョクとの関係は、奴隷と奴隷主の関係に当てはまると言える。一旦「鎖」

に繋がれたユジンは、表面的にはサンヒョクに隷属しているが、その心の中には「個」とし ての「自由への希求」と、かつて心から愛した人への想いが常に存在している。ユジンはミ ニョン(チュンサン)との再会後、次第に自らを縛り付ける「鎖」から解き放たれようと必 死でもがく。そして、ミニョンとの愛が深まり、礼拝堂で二人だけの結婚式を行うことでよ うやく自由の身になれるというまさにその場面で、サンヒョクによって再び「鎖」に繋がれ た元の状態に引き戻される。その後の魂を失ったかのように呆然とした日々を送るユジンは、

さながら全ての希望を奪われて奴隷主に従い絶望的な日々を送る奴隷の姿そのものである。

しかし、チュンサンが記憶を取り戻したことで、再びユジンの「自由への希求」は強まり、

ついには「鎖」を断ち切るのである。このことからも、一般に「心が揺れ動いている」とさ れるユジンは、「社会」の「鎖」に繋がれ、そこから懸命に逃れようとしているのであり、「揺 れ動き」は無いと言えるのである。

一方、ポラリスのネックレスは、ユジンが落として壊れたり、チュンサンによって海に投 げ捨てられたりと、形の上では脆い物である。しかし、婚約指輪とは違い、高校時代にチュ ンサンから教えられた「ポラリスの位置は変わらない。・・・道に迷ったらポラリスを見つ けてごらん。」という言葉から 10 年という月日を経ても、一貫してユジンの心の中に生き続 けるものである。これは、ユジンが高校時代のチュンサンの写真を一枚も持っていないにも 関わらず「心が憶えている」と語る場面と一致する。すなわち、ポラリスは、「形」あるい は「鎖」としての指輪とは対極を成すものであり、10 年間ユジンがその「記憶」の中に大切 に保ち続けてきたものである。そして、その3年後の再会でチュンサンが失明しており「形」

のある物が見えないにも関わらず、ユジンを感じ取ることができるのも、ユジンという不動 の「記憶」がチュンサンの中に存在しているからなのである。さらに、ユジンが働く会社の 名前が「ポラリス」であるのは、ユジン自身が「ポラリス」であることを示唆するものであり、

それゆえ、代表取締役であり上司であるチョンアに対して、この名前を強く提案したもので あることが想像できる。それはまさに、10 年間の空白の間も、ユジンがチュンサンの「記憶」

を保ち続けてきた証である。

すなわち、「個」としての純愛を貫いたユジンとチュンサンであったが、不動のポラリス たる人物は、ユジンなのである。

Ⅳ.「社会」に翻弄される人物達 1.ユジンの母、イ・ギョンヒ

ユジン、サンヒョク、チュンサンの三人と、その親達の関係を考えると、この物語にはい わゆる「ダブルプロット」が存在すると言える。すなわち、親達が愛憎のために犯した「社 会的罪」によって、子ども達が「社会的罪」の疑惑に振り回され、「親子二代に渡る初恋の呪縛」

(萩原 16)によって再び愛憎の関係が繰り返されるという構図が見られるのである。

まず、サンヒョクの父キム・ジヌ、チュンサンの母カン・ミヒ、ユジンの父チョン・ヒョ

(15)

ンスは、チュンチョンの高校での友人であった。しかし、その後、愛憎劇と言うべきものが 繰り広げられる。まず、チヌはミヒに好意を抱いているが、ミヒはヒョンスを愛していた。

ところが、ヒョンスは、別の女性イ・ギョンヒを愛し、結婚する。失意のミヒは、愛するヒ ョンスを憎み、入水自殺を計るが、チヌに助けられる。この時、ミヒとチヌは結ばれ、子ど もが出来てしまうのである。問題は、この時点で、チヌは婚約あるいは結婚していることが 予想され、二人は男女間の「不義」あるいは「不倫」という極めて重い「社会的罪」を犯し たことになり、そのことが原因で、後にユジン、サンヒョク、チュンサンが苦しめられるこ とになるのである。

ユジンの母、イ・ギョンヒは、上述の三人の愛憎の関係に関わってはいるものの、「社会的罪」

とは無関係であり、ヒョンスとの純粋な「個」としての愛情を保っている。ヒョンスは若く してこの世を去るが、彼女にはヒョンスを純粋に愛した明るい記憶しかない。それゆえ、ミ ニョンにチュンサンの記憶を重ねて愛情が深まっていくユジンからの電話に、「아빠가 잘 드시고 뭘 싫어하시는지, 어떤 노래를 잘 부르시는지, 너희들이 예쁜 짓 할 때 어떤 표정 짓는지, 하나도 안 잊어버리고 다 기억하고 있어. ・・・세월이 아무리 흘러봐라. 잊혀지나. 마음에 묻은 사람은 영원히 잊지 못 하는 거야.」 (「お父さんが何が好物で何が嫌いか、どん な歌が得意か、娘たちを見る時どんな表情か、一つも忘れずに覚えてる。・・・どんなに時 が流れても忘れないわ。心にしまった人は永遠に忘れられないの。」)(第6話)と幸せそう に話すのである。

しかし、そのようなキョンヒも「社会」の中で生きる人間であり、サンヒョクとの婚 約式にユジンが現れなかった時、ユジンに対して「무슨 일이니? 말을 . 무슨 일이야? 너 엄마한테도 말 못 할 일 있는거야? 상혁이하고 무슨 일 있는 거지? 그런 거야? 도대체 이유가 뭔데? ・・・ 이유가 뭔데?!! 상혁이 부모님한테 뭐라고 말할래? 뭐라고 꺼냐고~ !! 」 (「何があったの?話してちょうだい。お母さんにも言えないことなの?サンヒ ョクと何かあったのね。そうなの?だったら何が理由なのよ。・・・どうかしてるわ。向こ うのご両親に何て言ったらいいのよ。」)(第3話)と責め、サンヒョクの両親に対しては申 し訳ないという気持ちで謝る。また、スキー場でのサンヒョクの「結婚宣言」の際にユジン がミニョンとの愛の故にサンヒョクと結婚できないことを告げる場面でも、キョンヒは強い 衝撃を受け、ユジンに詰問する。

「니가 어떻게 상혁이한테 이럴 수가 있는 거니? 니가 이러는 거 상혁이한테 얼마나 상처가 되는지. 너 알고 하는거야? 모르고 하는 거야? 상혁이가 어떤 아인데 니가 가슴에 이렇게 못을 박아! ・・・근데 그래? 너 혹시 이민형인가 뭔가 하는 사람 때문이니? 그런거야? 그 사람 어디가 그렇게 좋은데? 십년 넘게 사귄 약혼자도 버리고 엄마 속 뒤집어도 좋을 만큼 그렇게 좋은거야?」

(「どういうつもりなの。サンヒョクをどれだけ傷つけたか、分かってるの?あんないい 子に、ひどすぎるわ。・・・じゃあ、どうして。まさか、あのイ・ミニョンという人のせい?

そうなの?答えて。どこがいいの。婚約者も捨てて、母親を困らせてもいいほど好きな

(16)

の?」)(第 10 話)

さらにキョンヒは、その後ユジンがミニョン、そして記憶を回復したチュンサンとの愛を 深めて行く中でも「저 사람이 준상이니? 정말이야? 세상에・・・ 어떻게 이런일이. 아무리 그렇다고 쳐도 너 여기서 이러고 있으면 어떡해! 상혁이는 어떻게 하고? 너 이러면 벌 받아 이것아.」 (「本当にあの人がチュンサンなの?そんなことが…信じられないわ。でもここで彼 のそばにいてはダメよ。サンヒョクはどうするの。罰が当たるわ。」)(第 14 話)と何度もユ ジンを諭す。このように、キョンヒは、「社会的常識」を重視する人物ではあるが、同時に、

かつては自分とヒョンスの間で「個」としての純粋な愛情を経験している人物であり、ユジ ンに対して発する厳しい言葉は、「社会的」配慮として「娘の一番の幸せ」(市吉『「冬のソナタ」

の愛がもっとわかる本』 22)を願うがゆえの言葉であると考えるのが妥当であろう。

 さらに、キョンヒの「個」としての際立った特質を端的に表すことがある。すなわち、キ ョンヒは、ミヒとチヌが犯した「社会的罪」を最後まで知らない人物であり、そのような「不義」

という「社会的罪」を想像できない、あるいはそのような発想すら持ち得ない人物なのである。

それゆえ、自分とヒョンスが純粋な愛情の結果として結婚している時に、夫ヒョンスとミヒ が結ばれ、その結果ユジンとチュンサンとの間に異母兄妹という「疑い」があるなどという 発想がないのである。

ここで、ユジンの母キョンヒと対照的な人物として、サンヒョクの母パク・チヨンにつ いて触れたい。一言で言えば、チヨンは、「社会」を代表する人物、「社会的」範疇から決し て出ることのない人物として描かれている。それは、「家柄」の違いから一貫して息子とユ ジンとの結婚に反対し、婚約者がいるにも関わらず他の人物と付き合うユジンに「ふしだら な」と言い、サンヒョクには「너 정신 똑바로 차려. 니가 뭐가 부족해서 유진이한테 그렇게 쩔쩔 매는 거니? 」(「しっかりしなさい。ユジンに振り回されないで。」)(第7話)と厳しい 言葉を発する。しかし皮肉にもこの言葉は、サンヒョクが「振り回されて」おり、ユジンは「不 動」であるということを意味している点で、的を射た発言だと言えよう。

 もちろん、チヨンにも、息子を守る母として「個」の行動をとる瞬間がある。それは、サ ンヒョクとユジンの関係が極めて悪化し、失意のサンヒョクが入院している時に、ユジンの 元を訪れ、息子に会いに来てくれるように懇願する場面である。しかし、これは一時的なも のであり、その後のチヨンは、一貫して「社会性」を重んじる人物であり続ける。「近親相 姦」の疑惑という「社会的罪」のことを最初にユジンに告げるのも、チヨンであるが、最後 の場面で、チュンサンが夫チヌの子であることを知り、チヌが自分と婚約あるいは結婚して いる時にミヒとの間で「不義」という「社会的罪」を犯したことに強い衝撃を受け、夫に家 から出て行くように告げる。こうして、「安定した家庭」という「社会」に安住してきたパク・

チヨンの世界は、皮肉にも夫チヌの犯した「社会的罪」によって脆くも崩れ去るのである。

2.チュンサンの母、カン・ミヒ

 チュンサンの母カン・ミヒは、かつてヒョンスとの間に起こった愛憎のためにチヌとの間

(17)

で「不義」という「社会的罪」を犯した人物である。さらに、自らの罪を隠蔽することにより、

周囲の多くの人物を翻弄してしまう人物として描かれている。

 ミヒは、ヒョンスとの「個」としての愛情を果たせなかったと言う意味で「敗者」である と言える。そして自らの過去から逃れるように韓国を去り、主にニューヨークなど海外でピ アニストとして成功し裕福な生活を送るが、これは愛憎と恥辱にまみれた故郷を捨て新しい 土地で再出発をすることによってピアニストとしての自らの「社会的」立場を守ろうという 意識が働いたものである。ところが、自分の父親が誰なのかを知るために息子チュンサンが チュンチョンの高校に転校した時、自らの過去に触れられ、それを暴かれるのを恐れるミヒ は、チュンサンの行為を快く思わず、急ぎニューヨークへと連れて行こうとする。このよう なミヒにとって、偶然にもチュンサンが事故で過去の記憶を無くしたことは好都合であった。

ミヒは直ぐさまチュンサンが死んだことにして、すなわちチュンサンだけでなく自らの過去 を葬り去ろうとして、親しい精神科医に頼んで新しい記憶を埋め込むが、それは、自らの辛 い経験から逃れるために行ったことに留まらない。すなわち、ミヒの行為は、ヒョンスやチ ヌなどとの愛憎にまみれた過去を知らないミニョンという別の人物を作り出すことによって 実の息子であるチュンサンを葬り去るというもう一つの大きな「罪」であり、まさに一種の「子 殺し」に相当するものなのである。

ミヒは、ミニョンがチュンサンであることを隠し、さらにミニョンが記憶を取り戻し、自 分がチュンサンだという事実を知った後も、チュンサンに対してもチヌに対しても、チュン サンの父親が誰なのかという真実を頑なに隠そうとする。このようなミヒの言動に関して、

星野澄子は、次のようにミヒの隠蔽を批判している。

すでに立派に成長している息子からの問いかけにも、きちんと向き合おうとしない態度 は許されることではない。そのような母の言動によって、子自身の《出自を知る権利》

は長いあいだ封印され、愛するユジンとは異母兄妹で結婚できない運命にあるとまで思 い詰めさせ息子を苦しめた。(43)

ミヒにとっては、チュンサンとユジンの「近親相姦」の疑惑が浮上したことは、またしても 好都合な出来事であった。サンヒョクの母チヨンから「疑惑」を聞かされたユジンは事実を 確かめるためにミヒの元を訪れるが、ミヒは真実を語らず、「疑惑」をそのままにしておく。

この時、動揺したユジンがミヒの部屋から出て、階段でポラリスのネックレスを落とし、「壊 して」しまうのは不可抗力によるものとはいえ、象徴的な出来事だと言えよう。すなわち、

ここでもミヒによる真実の隠蔽によって、ユジンとチュンサンの愛の関係が「壊されて」し まうことが暗示されているのである。

確かに、ミヒにも、自責の念はある。10 年ぶりに韓国へ戻りピアノのコンサートを行っ た際にチヌと再会し、過去の出来事に触れたのが原因で、ミヒは突然倒れてしまう。その後 主治医が世話をするが、それは、かつてミヒに頼まれ、チュンサンの記憶を書き換えた精神 科医であり、ミヒは時折この医師の世話になっていたことが分かる。すなわち、ミヒの心の 中にも、自らが犯した罪の意識があり、それが精神的な圧迫となって「身体」の症状として

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