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わが国は本条約によってアジアにひろまっている中立傾向、および中立主義を現代世界では自殺にひとしいものとして拒否し、さらに世界貿易の拡大と後進諸国の開発のための新しい機構に参加することとなろう

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Academic year: 2021

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海洋をめざす中国の

事戦略

――外交

と国防の接点

をめぐっ

阿部

純一

その根拠とし て 指 摘 で きる の は 、第 一に、中 国が急速な経 済成長 を 続 け 、 経 済大 国・巨大 市場 とし ての存在 感を 強める とともに 、そ れをさらに凌 駕するか のよ うな国防 費の 急増傾 向が続い て い る こ と で 、中 国自身も 発展 の目標 を 国家 の「富 強」と表現し て い るように、総合国力の強 化 に む け て 経済 発 ポ ス ト冷戦の東ア ジア地域にお ける安全保 障 をめぐっ て 、 中国の軍 事 動 向 へ の 関 心が高 ま っ て いる 。冷 戦 後 の東アジ ア が歴史上、かつ て ない 平和 と安定、 そし て 繁 栄 を謳歌し て い るなか で 、中 国の 軍 事 力近 代化が突 出し た 印 象 を 与え、そ れ が東南ア ジア 諸国を 中 心に 「 中 国脅 威論 」と言われ る ような 懸念 を 生 じ て いるから で あ る 。 はじめに ( 1 ) 展と同時 に 軍 事力強化 を前 面に打 ち 出し て い る こ と で ある。 第二 に、一九九二 年二月に 公 布 された「中華 人民 共 和 国 領 海 およ び 接 続水 域法 」 で も顕 著に示さ れているよう に、 東シ ナ 海、南シ ナ 海 方面にお ける 海洋権益 を、 軍 事 力を後 ろ 盾に擁 護しよう とす る強硬な 主権 意識が 軍 を 中 心にみら れ る こ と で ある。第 三に 、国際的 核 軍 縮推進の 潮流に逆らい 、フ ランス とと もに 核実 験 を 強行 継続 し、 さ ら に は 新世代 弾 道 ミ サイ ル 発射 実験 を行 なっ て い る こ と で ある 。第 四に、ポ スト 鄧小平 の 時 代が事実上始 ま っ た と みられ る なか で 、 経 歴 的に 軍 に 基 盤を もたない 江 沢 民 中 央 軍 事委員会主 席 が解放軍を 掌 握 せん がために 、 軍 の発言力およ び 役割の 拡 大 を 容認す る 懸 念 が指 摘され る こ と など で あ る。 ( 3 ) こう し た 一 連 の 関 心 領 域 を す べ てカ バ ー す る 余 裕 は な い が 、 ( 4 ) ( 2 )

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59 海洋をめざす中国の軍事戦略――外交と国防の接点をめぐって 中国 がすで に ポス ト鄧 小平 の 権 力 移 行期 に入 った と い う認 識 のもとに、 鄧 小平指導下の 中国がその 軍 事力をどう発 展させ 江沢 民に 引 き 継が せよ う と し て いる かにつ い て、本 稿 は中 国 の外交政策と軍 事 戦略との 関連に着目し つつ検討を試 みるも ので あ る 。 (1 ) 「 中国 脅 威 論 」 の分 析として、さ しあ たり、 Z h an g Jia -lin, “C h in a T hre at ―― A N ew Breed of the O ld Myt h, ”SII S Journ al , Sha n gh ai Instit ute fo r Intern ational Relations, 1994, V o1 .1, No. 1., 文馨「対『 中 国脅威 論 』 之 研 析 」 『 中共 研 究』一九九 五 年 八月号、高原明 生 「 『 中国脅 威 論 』 を生 む 中 華世 界の拡充 と 軋 轢」 『外 交フォーラム』 一 九九四年五 月 号、佐藤考 一 「 中国 の対東南アジア政策 : 台湾 の外交 攻 勢 の 中で 」 『中 国 経 済』一九九 五 年五月号、などを 参 照。 (2) 中国国防 費の急増を め ぐる分析として 、 平松茂 雄 『 軍 事 大 国化 する 中国 の 脅 威 』、 時 事 通 信 社 、 一 九 九 五 年 、七 八― 一三 六 ペ ー ジ 参 照。 国防費 の 問題 は、中国の 軍 事大国 化 をめ ぐ る 問題 と し て重要な要素をな すが 、かつ て の ソ 連の国防費の ようにそ の実 態 が 依 然 とし て不 透 明 なこ とか ら 、 本稿 では検 討 の対象 外 とす 。 る (3 ) 「 中華 人民共 和 国領海およ び接続水域法 」 の制定 を め ぐ る 中 国内部の状 況 、 特 に 軍 の姿 勢に ついて は 、 西 倉 一 喜 「 中国『新 冷戦 』 外交 は 何を めざ す か 」 『世界』一九九四 年五月号 参照 。 (4 ) 阿部純一 「 党軍 と 国 防軍 の 分 か れ 道 」 、小 島朋之 ・ 高井潔司 ・ 高 原 明生 ・ 阿 部純 一 『 中 国 の 時代 』 、 三 田 出 版 会、 一 九 九五 年 、 一八九ペー ジ 。 一 鄧小平の戦略 ――経済建設・平和な国際環境・国防の近代化 言うま で もない こ とだが、一 国 の 軍 事戦 略 は、けっし て外 交や経済政策 などから 独立 し た もの で は ない。 そ の国を取り 巻く国際環境ないし政 権の国際 情勢 認識や、そ の国の規模、 経済力、 軍事資源、 地理的環境 を 含め た客 観的条 件、さ らに その国がめ ざ す国家的発展 の構想によって 規 定され る 総合的 な安全保障 政 策の 一環 で あ る。 中国も 例 外で はない。 鄧小平 の進め た 軍 事 改 革 は、 経済 建設 を大目的とする 「 改革 ・ 開 放 」 路線との関連で 理解され な ければ な ら な い。 後述する ように、 一九八○ 年代 に入っ て 中国 が沿海地区を 中心とした経 済発展 をめ ざす政 策 をとっ た ことも、 ま た 海 洋 権 益 を重 視 す る 方 針 を鮮 明にし た のも、安全保障の確保を めざす 軍 事 戦略と有機 的に 結び つい て い る 。 現在、 鄧 小平 の時代が終 わ り、 江沢民 を 中心 とする時 代に 入 り つつある。鄧小平の一七年に わ たる「改 革・開放」路線 の成果 を江 沢 民がどう継承 し、どう発展 させ て い くか が問 わ れ る こ と にな る。鄧小平は「四つの近代 化 」 を 掲 げ、農業、 工業、国防、 科 学 技術の近 代化 を め ざ した。その根本は経済 建設に あ り 、「 経済建 設の 大局 にしたが う」た め 、国 防 の 近 代

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60 化は優先 順位を 低 く 抑 えられた。 鄧小平の進めた 軍 事改 革と は、言い換えれば 毛沢東の軍 事 路線からの 「 発展 」 で あ る。 「発展」は一部には訣別と転 換 を 含み、一部には継続 を 含 む 。 訣別は、毛沢 東の「 人 民戦 争論」で 説かれた 、敵を み ずか らの陣営深 く 誘い込み、人 民の海 で 包囲 し殲滅すると いう、 遊撃戦を主体 とし た 人 海戦 術による「積 極的防御」戦 略の否 定 で 、一九七 〇年代末 の蕭克 軍 事科 学院 長による「積極的防 御」批判にそれを み て とるこ と が で き る 。要するに、国境付 近 で 敵を 迎え 撃つ思想への変 化 で あ る。 さらに七九年の中越 戦争の教訓か ら、歩兵中心の戦闘 組 織の 限界 を認識し 、各 軍 種の共同 作戦 を 重 視した「 合 成 集団軍 」 化が進められ る こ と となっ た 。 ( ) 継続 は、 核戦力 で ある 。毛沢 東 は米国の核兵器 を 「 ハリ コ の虎 」 と侮りつつも、実際にはその戦略的価値 を認識し て お り、一九五 〇 年代半 ば から 核兵器開発 を 開始し た 。朝鮮戦争、 インド シ ナ 戦 争、台湾海峡 危機など、一 連の過程 で 米 国の核 の脅 威に直面し て きた経緯から、 米 国 ( のち には ソ 連 も含む ) の核の威嚇に対抗する こ と を目的とし て 、限定的な抑止力と なる核ミ サイ ル戦力の建設 に集 中的な投 資が行な われ 、八○ 年代の初めに は、小規模と はいえアメリ カ大陸を 射程 に収 め る大陸間弾道ミサイル ( ICBM ) を実戦配備するま で に なっ た。 これは毛沢東の貴重な遺産 で あ り、鄧小平は この継続 発 展を めざ したので ある。 ( 3 ) ( 1 ) 2 こ う し て 、中国は現代的条 件のもと で の 戦争を い かに 戦う かという命題 のもと、 軍 の 近代化・ 正規 化を推 進 するこ と と なる。 「 精簡整 編 」 と呼ばれ る軍 の簡素 化 ・ 精 鋭 化 を 中 心 と す る改革 は 、端 的に言えば「 人民戦争論」 に依拠した 、 マンパ ワー中心 の 軍 と、階 級 制度の 廃 止 と 文 革 の過程 で 肥大化し た 軍 組 織 を スリ ム化し、精 鋭 化し て現代 戦を戦えるよう再 編 成 する こ と で あ っ た 。一九八 五年 から二年計画 で実行された一 〇〇万兵員の 削 減 と、一一 大 軍 区から七 大 軍 区への再編はま さにその 一環で あ り、中国軍 事 力 に おいて マンパワ ー 重視の 「 量 」 から、近 代的装備と機 動 力 を 重 視した「質」への転 換 を めざ すも ので あ っ た 。 特に戦略面に つい て 言 え ば 、 「 人民戦争論」における 「 積極 的防 御」の 否 定は、すなわ ち 国 境 で の防 御を 重視する 方向を 生み出し、国 境地帯重視の 戦 略 へと移行 するととも に 、中国 を取り巻く周辺諸国との関係改善が 外交課 題 とし て浮上し て くる こ と とな っ た 。一九八三年に設立 さ れた国内治安を担当 する人民武装 警察部隊に、 削 減 さ れ た兵 員の多くが配置転換 されて い る こ とから も 、解放軍 の 任 務の 重点 と し て 外 部から ( ) 4

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61 海洋をめざす中国の軍事戦略――外交と国防の接点をめぐって の侵略に備える国境警備 を 重視する姿勢が窺える。 注 目 す べ きは、 こ の 流 れが論理 的に 海 上 国境 を防衛する 海 軍 の 役割を 再 認識させる こ とになっ た点で あ る。 中国 の本土 内部 で の 人民 戦争を想定す るかぎり、海軍 の 役割は陸軍 兵 力 の補助 で し か なく、沿岸警 備の域を 出な い こ とになる。 し か し、領海の守 備が 重視され る こ ととなれ ば 、 必然的に 海 軍 に 期待され る役割は大 き くなるの で あ る。 さら に一九八 五年六月四日 、鄧小平が中 央 軍 事委員会 拡大 会議における 講話 で 、 米ソ 両超大国の「 核の手詰まり」状況 を認識し、 「 全 世 界 の 平和擁護勢 力 がさ ら に 拡大 す れ ば 、 かな り長 期間に わ たっ て 大 規模な 世 界 戦 争が起 こ らずにすむ可 能 性が生ま れ 、 世界 平和の擁護には希望が持 て る 」 と語っ て 、 毛沢東時代の 戦 略 観を 大 き く転 換させるこ と となった 。 中 国 の戦争観はそれま で 、 世界戦争は不可 避 で あ る こ と を 前提に、 「 早く、 大 きく、核戦争 を戦う 」 という 臨 戦態勢をとっ てき た。鄧小平の 発言によっ て 、中 国は世界戦争が当面は 生 起 し ないという こ とを前提に、平和時におけ る 軍 隊建設と し て 軍 の近代化 をす すめる こ とと なっ た。 そして 、 鄧小平の 発言に みられ る 戦争 観 の 変 化 は 、 解放軍 が 対処 すべき 戦 争を 「 現代 的条件 の も と で の 局 部 戦 争 」 とするこ と に なっ た 。 「 局部 戦 争 」 という 概 念は 中 国 特有のも の で 、 わ れわ れが一 般 に言 う 局 地 戦争とは異なり、世界全面戦争以外のすべ て の戦争を 包含す る概念 で あるが、中国が対処すべき局部戦争は基本的 に国家 間局部戦 争な いし 軍 事 武力 衝突 で あ っ て 、 わ れわ れの 理解す る局 地 戦 争とほ ぼ 同 義 で あ ると み て よい。 ( ) ( ) ( ) 6 5 局部 戦争は、そ の 想定 から国境周 辺 で 生 起する も の で あ り 、 その 立場で 戦 略態勢を 眺 め るとき 、 地上 ・ 海 上の国 境 で 、 ど こに 中 国 の 防 衛 の 重 点 が お か れ る べ き か が 問 わ れ る 。 一 九 八 ○ 年 代半 ば頃 の中国の経済 建設は、沿海 地区を 中 心と し た 発 展戦略が具体 的に動 き 始めて お り、中 国 の 軍 事戦略 も 、そう し た 動 き と連動し て い く こ ととなる。 (1) 鄧小 平 「 中央 軍 事 委員会 拡 大会議にお け る講話 」( 一九八 五 年六月四日 ) 『 鄧 小平 文選一 九 八二―一 九九二』 、テ ン・ ブッ ク 九 九五年、一 三 九ー一 四 一 ペ ー ジ 。 ス、一 (2 ) 平松茂雄『中 国の国防 と 現 代 化 』、 勁 草 書房、 一 九八五 年 、 二五 ー 二 七 ペ ー ジ 参 照 。ま た 、 鄭維山「落実積極防 御 戦略方 針 的幾個 問 題」 『毛 沢東 軍 事 思想 研 究 学術論 文 集』 、 解 放 軍 出 版 社 ( 内部発行 ) 、一 九八 四 年 、 三 〇 二 三 一 二 ペ ー ジ を 参 照 。 ― (3) 阿部 純一 「 中国核 戦 力 の 実像 」 『諸 君 ! 』一九九五 年 一二月 号、九四―一〇三ペー ジ参照。 (4 ) 平松 茂雄『 中 国人 民 解 放 軍 』 、 岩波書店 (岩 波 新 書 ) 、 一 九 八七年、一五二―一五三ペー ジ 。 (5) 鄧 小 平、前掲文 献。 (6 ) 洪保 秀 「 戦争与 和 平 理 論 的 重大創新 」 『中 国 軍 事科学 』 一 九 7

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62 九四年第一期、一〇ー 一七ペー ジ。 (7) 黒沢聖二「中国海 軍 建 設 思想の一 側 面― ―発展の方向性 示 す 『 局部 戦争観』 」 『東亜』 一 九九 五年七月 号、四 二 ―四三 ペ ー ジ参照。 二 「独 立自主の平和外 交 」の背景 毛沢東 時 代 、 彼の戦 略 観 に した が っ て 、 重要 な工業 は 防衛 の面 で 安 全度 の高い、四川 省など「 第三 線」と呼ばれ る内陸 地に建設 されて い た。 鄧小 平は、通商面で 立 地条 件の よい沿 海地区を 中心 とした経 済発 展を めざ し、 一九八○ 年に は 深 圳・ 珠海・ 汕 頭・ 厦門 の四 ヵ所 に経 済 特 区を 設け ると とも に、 八四年には大連 や 天津 、 上 海など沿海一四都 市に経済技術開 発区を 設 置 し た。国防 の観 点で は脆 弱性 の高 い沿 海都市を 中 心とする経済 建設の政 策は 、 た とえ そ れ がアジア新興工業経 済群 ( NIES ) の後 を追う雁行型経済発展の連鎖構造に加わ ろうとする 試 み で あったにせよ、中国にとっ て は 重大な 戦 略 転換 で あ っ た と言っ て よい。 こ れは要す るに 「早く、大 き く、 核戦争を 戦 う 臨戦態勢 」か らの 訣別で あ り 、 中国 が世 界戦争 のような 大規 模な戦争 に巻き 込 ま れ ないこ と を前 提と し た も のとみるこ と が で き る からで あ る。 事実 、八二年の第 一二回 党 大会で 「 独 立自主の 平 和 外 交 」 路 線が 打ち 出さ れ た が 、 そ れ は 経済 建設 のた めに平和 な国際環 境が 必要 で あ り、 そ れ が 可能 だと いう認 識 に裏 打ち され た も ので あ っ た。 一九八 ○ 年 代 前半の 国 際 環 境は、 し か し ながら 米 ソ の 熾烈 な核 軍 拡 競争 が展開された 時代 でも あった。七九 年六月に調 印され た 第二 次戦 略兵器 削 減 条 約 ( SALT‐Ⅱ ) で、 米 国 が ソ連 の重ICBM (SS‐ 18) の 規 制 に 踏 み 込 め な か っ た こ と から、核 バ ラ ンス で の ソ連の対米優位が 懸念されて い た。同 年一二月 のソ 連による アフ ガニスタ ン侵 攻は、米 ソ 関 係 をき わめ て 緊 張 さ せ る こ と となっ た 。そ うし たな か、 「 強 いア メリ カの再生」を 謳ったレ ーガ ン政権は 、八二 年 六月 から ソ連と 戦略兵器 削減交渉 ( START ) を開始する一方 で 、八三年 三 月には戦略 防 衛構想 ( SDI ) を打 ち出 し 、 一 一 月に はヨ ー ロ ッパにパ ーシングⅡ型 中距離核ミサ イルや地上発 射 巡 航 ミ サ イルの配 備 を 開始する など 、対ソ核 戦力 の強化に 努めた。ソ 連は八二 年一 一月にブ レジ ネ フ が死 去 し 、以 後、 アン ドロポ フ、 チェルネ ン コ によ る短 期政権が 続いたあと、 八五 年にゴ ルバ チ ョ フ政権が生まれ る 。国内の経済 再建を めざ し つつ対 米軍 事 バ ラ ン ス の 維 持 を 図 るゴ ル バ チ ョ フ は 、対 中国 軍 事 配 備の負担 軽 減 を課題と し、 八六年七 月、ウラジオ スト ク提案 で 中 ソ関係改善 を呼 びかけ、 八 二年に中国が提示し た三条 件 ( 後述 ) の履行に前向きの姿勢 を示し た 。 さら にゴル バ チ ョ フ政権は一九八七年一二月に、中距離核

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63 海洋をめざす中国の軍事戦略――外交と国防の接点をめぐって ( INF ) 全廃条 約 を米国と結んだが、 こ れ は 中国にとっ て ソ 連の戦域核ミ サイルの脅威から解放され る こ とを 意味 し た 。 中 国 は一九七 九年一月に米国と国交 を樹 立し、また八二年 三月の ブ レ ジ ネフ = 連 共 産 党 書 記長 による 中 ソ関 係正 常 化 を 提 案するタ シケント 演説 によっ て 、対 ソ 関 係改善の 手掛か りを 得て い た 。 「 独立自 主 の 平 和 外 交 」 の標 榜は 、 ソ 連 を 主 敵 と し 米国と戦 略的協調を 謳 う段階から 、 ソ 連との 関係 修 復 を めざ す 次 の 段 階へのステッ プ・ アップを 狙ったもので あった。 中国にとっ て の「平和な国 際環境」の達 成とは、ソ連 による 北方 からの 軍 事的脅 威 の除 去に ほかな ら ず、事実、 こ の第一 二回 党大 会 で 対 ソ 関係正 常 化に 向け ての三条件すな わ ち 、 ⑴ 対ベト ナ ム援 助停止、⑵ア フガニスタンからの撤退、⑶モン ゴルからの撤 兵―― を 中 国 は提示し て い る 。 これは「ソ連覇 権主義敵視政 策」という こ れ ま で の 教条 的な政策から の転 換 を意 味し、 ま たレー ガ ン米政権 の 台 湾に 対する 新 型戦 闘機 ( F - 5E、F ) 供与を め ぐる軋轢によっ て 、米国と 一定の距離を おく 必要 を認 識 し た結 果 で も あ った。 そ して 、 「 平和な国 際環 境 」は中 国にとっ て「改 革 ・開放」による 経 済建設 を め ざ し つつ、解放 軍 の近代化 を実 行する環境づ くりに必要な条件 で もあつ た の で ある 。 三 海洋進出への布石 と天 安門事件の挫折 こ う し て 一九 八〇年代後半 にかけ て 中国 は経済発展に邁進 し た 。し かし、 鄧 小平の経 済建設優 先戦 略は八九年 の 天安門 事件 で 挫 折す る こ とになる。挫折の原因 とし て 、 前年の年率 一八・ 五%の インフレ など 成長優先の経 済運営の歪 み が問わ れた結 果 、李 鵬、姚依林ら による安定成 長政策すな わ ち 安 定 と団結を 優先 する政策路線が前面に出 て くるが、 鄧小 平は趙 紫陽に代 わ る 党のリーダーとし て 党 中央の政治闘争か ら距離 のあっ た 江沢 民 を 擁立する。八九年秋には、 鄧小平が 最後ま で 維 持し て い た公職 で 、彼の権力の拠り所 で もあっ た 中央 軍 事委員 会 主席のポストも江 沢民に譲る こ とになる。 し か しながらこれは 鄧 小平 が政 治指導の 第一線 か ら退く こ とを 意味 しな か っ た。 一九 九二 年の新 年 早々 、鄧 小平 は軍 の 実務を 委 ね て いた楊尚昆を 伴い広州、 深 圳、 上海 を 訪 れ 、 大々 的に「改 革・ 開放」の加速 化 を 指令し た 。い わ ゆ る「 南巡講 話」で あ る。 八九年の秋に は東西ド イツ を隔て るベルリ ンの 壁が崩 壊 し、 その 後は東欧 の社会主義諸 国が総崩れ と なり一 二月には米ソ 首脳の間 で 「 冷戦」の終 結 が宣言さ れた 。中 国 は、西側とりわ け 米国によ る「和平演 変 」の脅威に直 面しな が ら も国家 体 制維 持 の ため に 社 会主義イ デ オ ロギーよ り も 経

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64 済発展の成果 に国民の信を 問う選択 を し た。国民の生活を豊 かにする こ と によっ て 、中国共産党の統治の正統性 を 確保し うると考えたの で ある。 経済建設を最 優 先 する 鄧小平とし て は当然の選択とも 言え るが、当面の 課題 は天安門 事件で 傷 ついた 中 国の外 交 を ど う 修復 す る か と い う こと であっ た 。 西 側 先 進 国 では 、 天 安 門 事 件を 、民主 化 を希 求する人 民を 無差別に 弾圧したとい う「 人 権弾圧」とい う側面 で 捉え 、中 国に 経済 制裁 を課し た し、米 国との 軍 事交流も途絶え、米国の 軍 事技 術導 入に期待 し た 兵 器 装 備の 近代 化も 困難 な情 勢と な っ た。 しか し、 中国 は 窮 地 に 追 い込ま れ つつも東南アジアの権威主 義的体制をと る国家 に連帯 感 を呼び、 ま た 中 国 がカ ンボ ジア問 題 の解決に向け て 東南アジア諸国連合 ( ASEAN ) 諸国と歩調 を 合わ せ て いた こ と もあっ て 、中 国は一九九〇年八月にはインドネシアと、 同 一 〇月には シンガポール と、翌九一年三月にはブルネ イ と 国交 を樹立し、 こ れ に よっ て す べ て のASEANメン バーと 国交 を結ぶ こ ととなっ た。 そ の 一方 で 中 国は、一九八 八 年 三 月には ベ ト ナ ムとの 海 戦 を経て 、 南沙 諸島の 一 部 で 実効支配を開 始 し た。 当時 、対 中 関係改善を急 ぐソ連にとって 、 ベトナ ム は切り捨て の 対 象と なっ て い た。 中国は七四 年 に 西沙諸島を 、 当時ベトナ ム 戦争 から米国が撤 退し たあとの 弱体 化し た南 ベト ナ ム から 「 奪回 」 し、 ここ に南 沙への進出を 果た したわ け だが、いずれ のとき もベト ナ ムの 苦境につけ入 っ た こ と にな る。 中国は南 沙の実 効支配を裏付けに、南シ ナ 海 で の主権の 主 張 を 強め て い くの であ る 。 ( 1 ) 南シ ナ海における南沙 諸 島 での実効支配の開始を契 機 に、 中 国 は外交面で 主 権擁護・ 内政不干渉を 前面に打 ち 出 すよう になる。 「 独立自主の平和外 交 」 という ス ロ ー ガンはその ま ま に、そ こ に「平和共存五原則 」 という中国の伝統的な外交原 則 を 強調し た 「新国際政治経済秩序」の 主張 をオ ーバーラッ プさせ て い くの で あ る。 ( ) (1) 阿部 純一「鄧 小平 『変 心 』 の秋」 『 経済 往来 』 一 九九 二年五 月号、五八―六五ペー ジ 参照。 (2 ) 「 中共中 央 政治局の国 際 情勢と 対外政 策に関す る討論 」 『人 民日報 』 一九八 八 年一二月二五 日(邦訳 = 太田 勝洪・ 朱 建 栄 編 『 原 典中国 現代 史』 、第六巻 「 外交 」 、 岩 波 書 店、 一九九 五 年 、 二 一七―二一八ペー ジ) 。 四 ポス ト冷 戦の 中国 軍 事 戦略―― 海と 空と と こ ろで 、 鄧 小平の 軍 事改革は、陸上兵力 で は、各 軍 種 の 共 同 作 戦 を重視 す る 「 合成集 団 軍」化 が進 め ら れ、 作戦 的 に は「人民戦争論」に基 づく「積極的防御」から、陣地防衛を 2

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65 海洋をめざす中国の軍事戦略――外交と国防の接点をめぐって 主体 とする国 境防衛戦を 念 頭におく前方 防 御 への転 換 を め ざ したもの で あ った。 一 九八 一年九月に行 な わ れた「華 北大演 習」は、合 成 集団軍 化 の成 果を 問う最初の試 み で 、 こ の演習 を観 閲した鄧 小平は「今 回 の演習は、 軍 隊の現代化、 正規化 建設の成果を 点検し、現代 戦の特徴をわ りあいよく具 現する とともに、現 代的条件のも と における各軍 種・兵 種 の 統 合 作 戦の経験 を 模 索し、部隊の軍 事 的、政治 的素質 お よ び 実戦の 水準を高めるもの で あ っ た 」と述べ て い る。 ( ) 海上 戦 略 で は 、国 境防 御の 観点で 言 えば 沿海 都市や軍 事施 設の防 御 を 中 心とする沿岸 警備から 、さ ら に 領海の防 御を 中 心とする近海防御へと発展 する こ と とな っ た 。特に中国の場 合、 米 ソ 冷戦の終 結に 先立っ て ソ連 と の 関 係 改 善 を達成し て いた し、陸上で 国 境 を 接す るインド、ベト ナ ムに関して は 、 一九九〇年代 に入り関係改 善が進んだ こ ともあり、中国への 軍事 的 侵 略 行 動 が 行 な わ れ る 蓋 然 性 が 高 く な い こ と か ら、 海 軍 と そ れ を援 護する空軍 の 近代化が重視 され る環境と た。 なっ 一九九二年一 〇月、 中 国共産 党 第一四回全 国 代表大 会 ( 一四 全大 会 ) で江沢民 総書記は 「 わが 国 は す で に 一 〇 〇 万 の 兵員 を 削減 した。今 後は軍 隊 は 近 代戦の 必 要 に 応じて 、 自己 の体質 改善に力を 入 れて 、戦闘力 を全面的に高 め、国の領土 、領 空、 領海の主権と 海 洋の権益の防衛、祖国の 統一と安全擁護とい う神聖 な 使命 を よ り よ く担 うべきで あ る 。 また 国の経 済 建設 の大局 に 自発 的にしたがい 、改革・開放 と近代化建設を 積 極 的に支持し、これ に参加して 、 国の発展 と繁栄に寄与 すべき であ る 」 と述 べ 、 「 領海の主権と海洋の権益の防衛 」 につ い て 初め て 言 及 し た。海洋重視の戦略への発展 で あ る。 1 これ に 先 立っ て 一 九九二年二月 には尖閣諸 島 の領有も 明 記 されて い る こ とで わ が 国で も 関 心を 呼 ん だ「 中華 人民 共 和 国 領海およ び接 続水域法 」が公布 さ れ て お り、 この 江沢民 報 告 はそ の文 脈に沿っ たものと言える 。 し か し、す で に八 九年 三 月の第七期全国人民代表大 会 ( 全人代 ) 第二 回会議で 張序三海 軍 副 司令員が 「 わ れわれ は 、中国の遠大 な利益と未来の発展 のた めに、政 府活 動報告の なかに海洋権 益保護の内容を 盛 り 込 む よう建議 した い」と述 べて いた。 八 八年に南沙進 出を 果 たし た海 軍の海 洋 重 視 の意欲が、 党 ・政府 の 認識よ り も 先 行 して い た 事 実 が 窺 え る 。 ( ) 中 国 におけるこ う し た 戦略の変化 を 端的 に論述し たの が、 中央 軍 事 委副主席の 劉 華清 が一九九三 年 八月に党 中央 理論誌 『求是』 に発 表した 「 中国の 特 色 を も つ 近代的 軍 隊建設の道 を 揺るぎな く前進しよう 」 と題 した 論文 で あ る。 す で に発表 さ れて から二年を経過し て い るとはいうも のの、 こ の論 文は鄧 小平の進め て きた軍 事 改 革 の成果 を 総括するとともに、ポス ( ) 2 3

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66 ト冷戦の時代で あ る九〇年 代、特に九一 年の湾岸戦争で の 米 国のハイ テク 兵器の威力を 目の当 たりに し た うえ で 、 中 国 の 軍 事 力建設の めざ す方向を 余すと こ ろ な く論述 し て お り、 こ こに 中 国 軍事 戦 略 の 概 要 を み て と る こと が で きる 。 この 論文 は 、 中 国 の 軍 事 力 の使 命 が 領 土 ・領 空 ・ 領 海 を 防 衛 し 、海洋権 益の侵犯を防 ぎ、祖国統一を 擁 護 し 、国 家の安 全を守る こ と にあるとする。 そ れ ゆ え、軍 隊 の現代化建設は 本土ならび に 近海防 御 の 必 要に着目し、現代の条件の もと で の防衛作戦能 力を向上させ るとし て いる。 そ し て 、中国が直 面する主要 な 脅威 は局 部戦 争 で あると規 定するものの 、中国 の地理的大 き さ、地形の複 雑さ、陸海の 国境線の 長大さに加 え て 、交通が発達し て いな いうえに 軍 隊 の現代化の水準も高 くない こ とから、 現在保有 し て いる 三〇〇万の 軍 隊は 必 要 か つ適 当だと し て い る。 さらに、 海空軍の優 先 的な発展の必 要 を 指摘する 。 「 中国 は 海洋大国 で あ り、数百万キ ロの 領海、内 海、大陸棚や 経済 水 域など わ が国 が管 轄する海域があり、一万八○○○キ ロ の海 岸線、六五〇 〇もの大小の島嶼がある 。 海洋と中 華民 族の生 存と発展は密 接な関係があ る。わ が 国の 海洋権益を保 持・防 衛するた めに は、強大な海軍を 建設しな ければ な らな い。現 代の条件のも とで は、海上 、陸上を 問わ ず空軍 の 支援 なし で 作戦はなりた たない 。 し た がっ て 、 われわれは海空 軍 の現代 化 建 設 を 優 先 的な 地位に 置 かな け れ ばな らない 」 。 装備 につい て は 「 武器装備の現代化 は 軍 隊 の 現代化 の 重 要 な指標 で あり 物 質 的基礎 で ある」と述べ 、そのために自力更 生を 強 調 す る が 、 「 自力更 生 を 主 とする方 針を 堅持しつ つ、 選 択的か つ 重点 的に外国の先 進技術を導 入 する こ と が、わ が 軍 の武器装備の現代化建設における一つの基本方針 で あ る 」 と 述べ て い る。こ の 論文執筆 の時点 で はすで に ロシアか らスホ ーイ 27戦闘機な ど 先 進兵器 の 導 入 に道が 開 けて いたこ と が 想 起さ れ る 。 とこ ろ で 、 中 国 の 海軍 戦 略 を 語 る 際 、 航 空 母 艦 の 保 有 が よ く問題になる。航 空機の支援のない海 軍 力の遠方展開 が、 軍 事的にみ て脆 弱性が高い こ とから、中国 海 軍 がブルー・ウ ォ ーター・ネ イ ビーを め ざす うえ で 空 母機 動部隊 を 必要 とする こ と は理解 で きる 。中 国にとっ ても、海洋権益の確保のみな らず海上輸送ルートの安全 保障を確保す る必要性は将 来的に 高まっ て いくこ とが明らか だ からで あ る。 そし て 、 それ が長 期展望に立った構想とし て 語られ る なら ば 、 その実現 可能性 を厳 密に問う 必要も な い。 夢を 語るのは 自由だし、そ の実現 は中国の発展次第だから で ある。 ( ) しか しながら 、 近 い 将 来に それ を 実 現 す るこ と が 可能か ど 4

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67 海洋をめざす中国の軍事戦略――外交と国防の接点をめぐって うかとなると、 い ささか疑問 で ある。 一 九九五年一月五日、 『読売新 聞』 は 中 央軍 事 委 員会 が 航 空 母 艦 二 隻を 九六 年からの 一〇ヵ年計 画 で 建 造する こ とを 決定 した と報じた。 建 造され るのは四万ト ン級の 中 型空 母 で 、一〇〇 億元の費用 が 見 込 ま れる と さ れた 。 ( ) 一九七 〇 年 代 半ば 以 降 、ソ 連の海軍 力 伸 長の脅威が 論 じら れた 。しかし、 ソ 連 が 本 格 空母 を建造したのは九〇年代 を迎 える時期で あ っ て 、しかも 、ついに戦力 とし て 用 いるこ と な くソ連は 九一 年末に解体 し て し まった。 空母機動 部隊を保有 するのは 、ブルー・ウ ォーター・ネ イ ビ ーの建設をめざす国 にとっ て は願望 で あ ろ うが 、その 困 難 な こ と はソ 連の 例 を み れ ば よくわ か る。 中国 が 本 気で 、空 母建 造を 自主 開 発 で 行 な お う と し ている の な ら 、 む し ろ 周 辺 諸 国 は 安 心 し ていい の か もし れ な い 。 そのために中国が資金や 人 材 を 集中的に 投入す るとな れ ば 、 その負担 によ っ て 、海軍 力 ひ い て は 中国 の軍 事 力全般の 能力 向上が大き く 抑制され る こ とになり 、しかも今 後一〇年以内 に実現す る可能性が き わ め て 低 いと 言え るから であ る 。 むし ろ、 周 辺 諸 国 が 懸 念 す べ き は シ ー レ ー ン の 航 行 妨 害 や台湾の 海 上 封鎖など に 威 力を 発揮する ロシア製のキロ 級潜 水艦 の購 入 や 、旧 ロメオ 級 を 改 良した 宋 級潜 水艦 の建造 など、潜 水艦の戦力増強の 動 き で あ ろ う 。 5 いずれ に せ よ 、 中 国 海 軍 の 増強 が懸 念され る と は いえ 、 ミ サイル駆逐艦 など水上戦力 、艦載機を 含 めた 航空母艦 戦力 、 潜 水 艦戦力の 増強を同 時並 行的に実施 し うる経済 的能 力 は ま だ獲 得し て い ないとみるべ きで あり 、中国と し て も 、 特定分 野を 選 択 的 に 増強 す る 方 法 を と らざ るを え な い だ ろ う 。 ( ) (1) 鄧小 平 「 現 代 化 、 正 規 化 し た 強 大 な 革 命 的 軍 隊 を 建 設 し よ う」 『 鄧 小 平 文選一 九 七五 ―八二』 、東 方 書 店、 一九八 三 年、五 二七ペー ジ。 (2 ) 川島弘 三 「 軍 事組織・ 編成 と兵力」 『 中 国 総 覧 』 一 九 九 〇 年 版、 一〇三ペー ジ 。 (3) 劉華清 「 堅定不 移 地沿着建設 有 中国特色現代 化軍 隊的道路 前進」 『 求是』一 九九三年第一五 期 。 (4 ) 中国 の航空母艦建造 に つい て の 経緯は、 平松茂 雄 『甦る 中 国海 軍 』、勁草書房 、 一 九 九一年、 二一 二 ― 二二四ペ ージ に 詳 し い。 (5 ) さら に 『 産経 新 聞 』 一 九 九 五年 八 月 二 一 日 ( 夕 刊 )は 、香 港 発 時事電 で 、香港 紙 の 報 道 と し て 小 型 空母 の自主 開 発決定 と 、 中央軍 事 委 員 会が そ の た め の 歳 出枠 一〇 〇億 元を 確保し た 旨 を 伝え た 。 お そ ら く は 『 読 売 新 聞 』が 伝え たと こ ろ と 同 じ プ ロ ジ ェク トで あろ う 。 (6) ジョセフ ・ ナ イ 米 国防次 官 補は 、米議 会 上院外交委員 会で 、 中 国 が 短 期的 に 軍 事能 力向 上計 画 を 顕 著 に 増 大さ せる こ と はな かろ う と 証 言 し て い る 。 「 米国の 対 中安 全保 障政 策に関 す る 国 務 次官 補と国 防 次 官 補の 議会証言 」 『世界 週 報』 一九 九 五 年 一 一月 一四 日号、 七 一ペー ジ 。な お、中国海 軍 の最近 の 増 強 ぶ り に つ 6

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68 いて は 、 平松茂 雄 『 軍 事 大 国化 する 中 国 の脅 威』 、時 事 通 信社、 一九九 五 年、 五一― 五 六ペー ジ 参照 。 五 南沙問題で問われる外 交と戦略の整合性 こう し て 中 国 の 軍 近 代 化 路 線 は 、 国 家 の 主 権 を 擁 護 す る こ と を 第一 に、海と 空に重 点 をお い て 装備の近代化 を押し 進 め、 近海防御の戦 略 を 形成し て きた。 こ れ は 沿海部の経済 発展を 優先させる経 済政策、さら には外資の積 極導 入 を 可能 にする 「 独立自主の平 和 外交 」 と整合 す るもので あ っ た。 しか し 、 ポ スト冷戦の東 アジア国際環 境 で は、米国やロシアなど 域外超 大国の 軍 事的 退潮によっ て 必然的に中国 の 軍 事的存在 が強調 され 、国防費 の増大とあい まっ て 懸 念視 され るように なっ た。 そうし た 状況で 、 中国が頑 なに「領海の 主権と海洋の 権益の 擁護」に固執 し、国家主権を 中 国が譲るこ と の で き な い「原 則問題」だと し て 前面に立て る とするならば 、南シ ナ 海 や 東 シ ナ 海 で の領 土紛争の解決 は望めず 、いたずらに中国 の 軍 事 的脅威が叫 ば れ る こ と になる。 しか し、 中国 はこ と 「 主権 」 に関 し て 、あ る程度の 柔軟 な 姿勢は持 ち合わせ てきた。たとえ ば わが国の領 有 する尖閣諸 島を めぐっ て も、係争の解 決を 次代の指 導者に委ねるという 「 棚上 げ 」 がなさ れ て い るし、南沙諸島海 域につい ても 「領土 問題は棚上げ し、共同開発を」と関係諸国に呼びかけて い る 。 特に南沙問題で の 中国の対 応に懸念を深 めるASEAN諸国 との間には直接対話も試みられて い る。 ( ) ただし 、 これ は 東 南ア ジア諸 国 、そし て 日本 に と っ て 中 国 側の 譲歩とは 認 め がた い。 「 棚上 げ 」 は中 国の領土 主権の主張 を取り下げるこ と を意味せず 、 単にモラ トリ アムの期 間 を 設 定し たにすぎ ないし、その 期間に終了を いつ、どのよ うに告 げるか は 政治 的、 軍 事 的に 優位 に 立 つ 中 国の 意思 にか か っ て いるとみられ るから で ある 。 とはいえ、中国で さえも東 アジ ア国 際環 境の現実を 無 視す る こ とはで き ない。 特 に「 中国 脅威 論」 の台 頭には 神経を 使 っ て おり、一 九九四年一一月にインドネ シア で 開 催されたア ジア太 平 洋 経 済協 力会議 ( APEC ) 第二回非 公式首脳会議へ の 出 席に先 立 ち 、 マレ ー シ アを 訪問 した 江 沢 民国 家 主 席は 、 講演 で 次 のよ うに述べ、東 南アジア諸国 との連帯を訴 えた。 「 周辺国との善隣友好協 力を強化する こ とは、 中 国外交政策 の 重 要 な 側 面 で ある 。中 国は繁栄、安定、急成長 す る 東 南ア ジ ア を 希望し て いる 。また安 定し た、 急成 長 を とげる中国は、 東 南 アジ ア諸 国 人 民の 利益 に合致 す る。 頻繁で 密 接な 往 来 の 増加にともな い、相互理解 と信頼はい ち だんと 深 まり 、友情 はますます増進され 、 双方の経済交流 、 協力も急速に発展 し 2 ( 1 )

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69 海洋をめざす中国の軍事戦略――外交と国防の接点をめぐって て い る 。 いっそう重 要 なの は、双方の経 済分野 の 互 恵 協 力 の 潜在力と将来性がますます 人々によっ て 認識さ れ るだろ う と いう こ と で あ る」 。 ( ) 中国 は 一 九八 六 年 一一月 に 太平 洋経 済 協 力会 議 ( PEC C ) に加盟する こ と で アジア太平洋の国際協力に加わ り、 次い で 九一年一一月 にはAPEC にも加盟し た 。九〇年にASEA Nメンバーだ け で 始まった 「南シ ナ 海に おける潜在的紛争処 理のた め のワ ーク ショップ」 ( 通称 「 南シ ナ海共同開発会議 」) にも、九一年の第二回 会議 から参加し て いる。 A SE AN拡 大外 相会 議 ( PMC ) には九一年 か ら主催国のゲスト国という 立 場 で 参 加し 、九四年七月 に発足し た A SEAN地域 フォー ラム ( ARF ) にも 正式メン バーと し て 参 加 し て い る。同 年 の ASEAN ・ PMCから 中 国はロシアとと も に、 日本 や米 国な ど「対話国」 に準じる「 協 議国」という 位置づ け が与 えられ た。中 国 はす で に 東ア ジアの 経 済協 力 ネ ット ワー クに組 み 込 まれ 、国 際 協 力 の ル ー ル に 則 っ て 行 動す るこ と が 期待 されて おり、先の江 沢民の発言にも、中国が こ の 期待沿っ て い く 用意 の あ る こ と が 窺 わ れ る 。 そう で あ る と す れ ば 、 中国 の戦略 、 特 に 南シ ナ 海 の 主 権確 保を め ざ す近海防御の 海 軍 戦略は、これ ま で のよ うな硬直し た「主権 第一主義」的 な姿 勢をとり 続け る こ とは 困難 にな ろ う 。 少な くとも、A R Fの め ざ す 軍 事 力 の透明化な ど 信頼醸 成措 置を含 む 予 防 外交の推 進に沿っ た対 応 を 、中 国と し て も 受け入 れ る方向 で 検討せざ る を えなくな るだ ろ う 。な により も南シ ナ 海の 領有権を めぐ る対 立の解消 がARFの 中 心課題 とし て 浮 上 し てきて お り、多国間協議の 場に中国も加わ っ て この 問 題 の 平 和 的 解 決 をめ ざす な ら ば、そ れ し か 選択 肢は の ぞめないから で あ る 。 ( ) 3 (1) すで に 一 九 八 四 年 一 〇 月 、 鄧 小 平は 中央 顧問 委 員 会 第 三 回 総 会 で、南沙 問題 では武力 行使による主権 回 収よ りも 、主 権問 題を 棚上 げ に して 共 同 開 発 す べ きだ と 訴 えて い た 。 前 掲 『 鄧 小 平 文 選 一 九 八 二―一九九二 』 、 一〇一ページ。た だし、 こ の時 点 で中国 は 南沙 諸島 をま っ た く実効 支 配 し てお ら ず 、八 八年 のベ ト ム と の海戦 と いう武力行使によっ て 実 効支配を開始 した。 ナ (2 ) 一 九 九五年 四 月、杭州 で 最 初の中国・ A S E AN高級 事務 レ ベ 対 話が実 現 し て いる。 ル (3) 「 江主 席在 馬 来 西 亜 発表重 要 演講 」 『人民 日 報』 一九九 四 年 一一月一二日。 (4 ) 呉心 伯「 変 り ゆ く 役 割 ― ― 東ア ジア の安 全保 障における 中 国と 米国 」 『 外交 時 報 』 一 九 九 五年 一 〇 月 号 、四 一― 四 二 ペー ジ。 六 国力構成要素として の軍事 力 これ ま で 検討 し て きた よう に、中国は「 改革・開放」 路線 によっ て 経済建設を最優先する政策 を採用し てきた。そのた 4

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70 めに周辺諸国 との関係改善 による平和な国際環境の実 現を め ざす 「独立 自 主の平和 外交」が 推進 さ れ てきた こ とはす で に 述べた。 しか しながら 、経 済建設は中国 にとっ て 総合 国力の 充実を め ざすもの で あ っ て 、そ こ に は 軍 事力の近代化もセッ トさ れて いるの で ある 。 「 独 立 自主の平和外交 」 も、そ の 基本 理念は 「 平和 共存 五 原 則 」( 主権と領 土 保 全 の 相 互 尊重、 相 互 不 可 侵 、相互内政不干渉、 平 等互 恵 、 平和共存 ) にあり、 そ こ で は内政不 干渉を第一と する主権尊 重 の大前提があ る 。 中国に お け る 軍 の近代化 は、まさ に中 国にとっ て主権擁護の 物 理 的 手段 で あ り、 そ こ に「 独立自主の平 和 外 交 」と 軍 近 代 化 の整 合性が求め ら れてきたと言える 。 ( ) しか し、 軍 事 戦 略が局 部戦 争に備え るも のとなり 、そ の守 備範囲 を 、国 境周辺なかんずく経済発展 の中心 を 占め る沿海 地区の防御 を 目的に、 防衛 上の縦 深 性 を 確保する ため に沿岸 警備 から近 海 防御 へと拡大し、海 軍 戦 力 を強化 す る と ともに 現代 戦争 で 重 要性 をいっそう 高 め て いる航 空 戦 力 の強 化 を め ざす方 向 が 顕 著にみ ら れるに 及 ん で 、 「 中国脅 威 論 」 の台 頭 を みるに至るの で ある。 このよう に中国 が 軍 の 近代化 を すす める背 景 に何 がある の か。 第一 に指 摘され な けれ ば な ら な いの は、アヘ ン戦 争以 来 の欧米や 日 本 など列強 によ っ て 半植 民地 化された 屈辱 の歴史 体験がある 。 経済的に落伍 し、 軍 事 的に弱体 で あ っ た がゆ え に被っ た 屈辱を繰り返さない た めには、経済発展と国防力強 化 を 図らなければ ならない。 そ れも、政治.経済大国たる中 国にふさ わ し いもの で なければ ならない。 中 国の核武 装は特 にその意味が強い。 1 第二に指摘され る のは、中国の国際情勢認識 で ある。 ポ ス ト冷戦の世 界 を多極化に移 行する状況と みる考え方、 あるい は米国、中国 、ロシア、日 本、ヨーロッ パを「 一 超四 強」と みる考え方、ひ い て は 現在の国際関係を 、大国間の総 合国力 の競争とみる考え方は、 伝 統的なパワー・ポ リティク ス以外 のなに も の で もない 。 こ う し た 認識に立つな ら、中 国 が国際 政治場裏 にお い て 落伍しな いた めには 軍 事力を 含 めた 国力の 拡充し か ない。 こ うし た こ とからみ て も 、中 国は今 後 も経済 の発展に伴い 軍 の近代化 を継続し て い く こ とにな ろ う。 ( ) ( ) どの国にとっ ても、安全保障は最大 の課題 で あ り 、中国の 軍近 代 化 も そ う し だ 観 点 で み て い く ことが 必 要 で あ る 。一 九 九 五 年 九 月 二五 日 、 党 第 一 四 期 五 中 全 会に お い て李 鵬 総 理 が 行なっ た 第九 次五ヵ年計画と二〇一〇年ま で の長期目 標制定 につい て の説 明 で は、 「 国家の 安 全 を 守る ため 、 国 防 の 近代 化 を強めなけ れ ばな らない 」 「 兵器装備の 近 代化水準と 軍 隊の戦 闘力を高 めるた め 、新型戦略、戦術兵器・装備の開発と開発 3 () 2 4

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71 海洋をめざす中国の軍事戦略――外交と国防の接点をめぐって 手段の更新・ 改造 を 重 点的 に強化し、ハ イテク条件下 の防衛、 作戦に必要な有効な兵器装 備 を 優先的に発展させるべき だ 。 わが 国が独立自主の平和 外 交 政策 をとり 、 国 防 を強化し て い るのは、完全に自衛のた め だ」と述べて いる。 ( ) す で に分析した 中 国の海 軍 戦略の展開も 、 こ の文脈に ある。 ただし、たと え国家の安全 保障を確保す るた めとはいえ、国 際環境への影 響に顧慮するこ と なく 軍 の 近代化 を 行な うなら ば 、 周辺国家に警戒感が高まる こ と になる。 「 中国脅威論」 も、中 国 の独善的な 軍 近 代化 政策、 秘 密主義的な 戦 略展 開、 強引 かつ 威嚇的な 軍事 力誇示にそ の 原 因 の一端 が ある 。 ( ) 中国 がこ れ ま で の 姿勢を 変 え る こ と なく軍 近 代 化 を 進 め て いけば 、 「 中国 脅威 論 」 は確実 に高まり、中国に対する国 際世 論の風当 たりは 強 ま ら ざるをえない 。中国は ここ 数年来、各 国との 軍 事交流を活発に推 進し てきたが 、特にアジア 諸国と の 交 流で は「 中国 脅威 論」 の 払 拭を めざ すもの と 言え るので ある。 ( ) (1) 「 第五十回国連総会 にお ける 銭其琛中国外交部長の演説 」 ( 五 年九 月二 七 日 ) 『北 京週報』一九九 五 年第四一号。 一九九 (2 ) 江 沢 民国 家 主 席は一九九 五 年一 一月 一四 日、APE C 大 阪 会議出 席 に 先 立 ち 韓国を 訪 問 し 、韓国国 会 で 「 か つて 長期にわ たって列 強の抑圧 と 屈 辱 を 受 け てきた中国 は 独立 と 平 和 の 尊 さ をよく理 解し ている」 と 述 べ て いる ( 『中 国 通 信 』 一 九 九 五 年 一 一月一六日 ) 7 6 5 。 (3) 薛謀 洪 「 一超 大国 と四強 と の 関 係 に つ い て 」 『北京 週 報 』 一 九九 五年第三九号。 (4 ) 銭其琛「 始終不 渝 地奉行 独 立自主的和 平 外交政策」 『 求 是 』 一九 九 五 年 第 一 二 期 。 こ こ で 銭 其琛 は「 現 在 は 各 国 間 、 と り わ け大国 間 で は 経済 と 科 学 技 術を中 心 とする総合国 力の競争 が ま さ に 盛 ん に 繰 り 広 げられ 始 めたところで ある 。この 競 争は実際 に は 、国際関係の 構 造 の変 化を 推 進 する基本的な力である。来 世紀にお け る 世界 各国 、各民族の 興 亡 は か な りの 程度 、この競 争の結 果 い か んにかか っ て いる 。 こ れに対 し て 、 われわれは 十 分な認識と 緊 迫感をもたなけれ ばなら な 述 べて いる 。 い」と (5) 『中国通 信』 一九九 五 年一〇月一七 日。 (6) たと え ば 一九九 五 年 五 月と 八月 の 核 実験 の 強 行 や 李登 輝 台 湾総統の訪 米 に 起 因する九五年七 、 八 月 の台湾 北 方海 域にお け る中国のミサ イル発射訓練を 指 摘しなけれ ば なら ない 。 (7) 一 九 九 四 年 一 月、 劉華 清中 央 軍 事 委 副主席 がタイ 、 シ ン ガ ポー ル、 イ ン ド ネ シ ア を 訪 問 し た ほ か、 張 万 年 総 参 謀 長 が 同 年 四月にマレーシ ア 、九五年 四 月 に ラ オス 、ベトナ ム、インド ネ シアを訪問し、傅全有総後勤部長 も 九五年一月にタイ を訪 問し た。米国 と の 間では、九四 年一〇月 にペ リー国 防 長官が訪中し 、 九五 年三月に は 米 太平洋艦隊のミ サ イル 巡洋艦 「 バン カ ー ヒ ル 」 の 青 島 訪 問が実現 し、米中 軍 事 交流は八九年の天安門事 件 以前 の水準にまで 回 復 して いた 。 九 五年六 月 の 李 登 輝 訪米によ っ て 、 予 定 さ れ てい た遅 浩田 国防 部長の 訪 米 は 中 止 さ れ たが 、一 一月 の ナ イ 国 防次官補の訪中によっ て交 渉 の 結 果 、九六年 に 実施さ れるこ と となっ た 。

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72 七 「 国防白書 」 発表の意義 こ う し た 努力 に加 え て 、一 九九 五年 一一月一六日 に中国が 初め て の「国防白書」を公 表し た よ うな 、情報公開に よる 軍 事透明性の 向 上が求め られ るのは言 うま でもない 。 「 国防白 書 」 の公表は、 わ が国も中国に 求め て い た こ と で あり、九 五年八 月のARF第二回 会議における議長声明で 、 参加国が 任意の 裁量 で 年 に一度、防衛 政策 に関する文書 を 提 出する こ と で 合 意し た旨が謳われて い た こ とから、中 国 が こ の合意 を 率先し て履 行 し た と い う 意 義 も あ る 。 ( ) ( ) ただし、 公表さ れ た 内 容は新 味 に乏しい。解 放軍の総 数 が 三 一 九万 九〇 〇〇人 で あるこ と 、さ ら に 国防費の 内容 内訳と し て 九 四 年の 国防費 五 五〇 億七一〇〇万 元 ( 六三 億 九 〇 〇 〇 万 米ドル ) の う ち 、 兵員の給 与 、 食 糧 など生活費が 一 八 七億七四 〇〇万元で 三 四・〇九 % を 占め、部 隊 訓 練や施設 建設 .維持 のた めの 活動 維持費が 一八 八億四五〇〇 万元 で 三 四・ 二二% とされ 、 注目 され る兵 器装 備 費 は一七四 億五二〇 〇万 元 で 三 一 ・ 六九%という数字が明 ら かにさ れ て い る 。 ただし、中国の国 防費が公表 さ れたもの だ け で な い こ とは 常識とされ て お り 、特に 兵 器装備 費 につい て この 数字を鵜呑 み に す る わけに は い か な い 。 総 じ てこれ ま で中 国が 表明 し て きた公式 発言 、知られてき た情報を 確認 しつつ、 中国 の 軍 事 体制が防御的で あ っ て 他国 の脅威になら ないという、これ ま で 何 度も繰り 返さ れてきた 意 見 表出 の域 にとどまっ て いる印 象で あ る 。 1 2 そ う した 意味 で は 、こ の 「 国防 白書 」で も軍 事 透 明性 の 積 極的な意義に言及されて い るとはいうも のの、中国の軍 事 力 や政 策 の 透 明 度 を 高め る と い う 点 で は き わめ て物 足 り な い 。 発表し た のは国務院新聞 弁 公室 で 、 中 国 が こ の文 書に「国 防 白書」の役割を 期 待し て い るのならば 、 国防 部によって 公 表 され るべき だ った と言 え る 。 し か し 、内 容 云 々 よ りも 評価す べき は 中 国 が こ う した 文書 を 公 表 した 事 実 その も の に あ る。 中国 にと っ て こ れ が前向き な姿勢の転 換 を 示 すこ とは た し か で あ り 、 それ はまた 「 中国 脅威 論」 の高 まり が 、 国 際 社会 に あっ て 発 展を め ざ す中 国にとり大 き なマ イ ナ ス で あるとの北 京政府の認識 を窺わせる か ら で ある 。 (1) 原題 は「 中国的 軍 備控制 与 裁 軍 」 で 、「 中国の 軍 備管理と軍 縮 」 の意。一 九九五 年 一 一 月 一 七 日 の『 人民 日報 』 、 同 海 外版、 『解 放 軍 報』 など に 全 文 掲 載 。 内 容 の検討 に つ い て は 、 平 松 茂 雄 「 『脅威 論 』打 ち 消 しが狙い の中 国 〝 国 防 白 書 」 『 世 界 週 報 』 一 九九 五年一二月二六日号、六一―六三ペー ジ 参照。 (2 ) 『読売 新 聞 』 一九九 五 年 八 月二 日。

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73 海洋をめざす中国の軍事戦略――外交と国防の接点をめぐって 結語 ――ポスト冷戦の 国際環境 と 戦 略 米ソ冷戦の 終 結 は 中国 にと っ て どの よう な意味をも っ たの で あ ろ う か。 ひ と こ ろ 、冷 戦の 終結 は米 国 に と っ て 対 ソ 戦 略 のうえ で の中国の価値低下を意味すると 言 わ れ 、 中国 の国際 関係における 地位の 低 下が ささ やか れた。し かし 現実 には、 中国の急 速 な 経 済 成 長 が 、 市場 と し て の 中国の 存 在を ク ロ ー ズアップさせ る こ とになった し 、また 一 九八九年の天 安門事 件も、中国の 孤 立 と混乱が 周辺諸国に与 えるダメージ の大 き さを認 識 させ る こ とになった。 九〇 年夏 から 九一年春 にかけ ての 湾岸 危 機 では 国連 安 保 理 常 任 理 事 国 とし ての中 国 の 存 在 を確認させ、 さら に九二 年 の「春節」を 機に発せられ た鄧小 平「南 巡 講話 」によっ て経 済成長 を 再 加 速させ、 「 巨大 市場 」 「 二 一 世紀の経 済 大 国 」 中国を 世 界にアピ ー ル す る まで に な っ た。 そうした こ と が可能 と な っ たのは 、 冷 戦 後の中国を 取 り巻 く国際環 境が 著 し く改 善されたからで あ っ て 、中国 こ そ冷戦 終結 ( さら にソ 連解体 ) の恩恵を最大限に 享受し た 国 で あると 言っ て も 過言で は ない。 こ うし て 中 国の 安定と繁 栄は 東アジ アの安定 に欠 く こ とができ ない こ と を ア ジア太平 洋諸 国は認 識し たし、 ま た中 国が東アジア を中心 と し た 国際 経済から孤 立し て い けな いま で に 組み 込ま れて いるこ と を 、 中国 自身も 認識するに至っ た 。 中国 にと っ て 、平 和な国 際 環境を 維 持 し て い く利益 は ます ます大 き くな っ て いるはずで あ る。 一九 九五年一一月 一九日 に発表された APEC大阪 宣言 で 「 われ われ は、AP ECメ ンバ ー の WTO ( 世界 貿易 機関 ) へのより多くの参加は、いっ そうの地域協力を促進するものと確信す る 」 という文言が盛 り込まれた。これ はWTO 加盟を め ざ す 中国を 間 接的 に支持 するもの で あ っ て 、中 国経 済の開放と国 際化 の促進が 中 国 の よりいっそうの繁栄 を 支え 、アジア太平 洋地域の安定 と繁栄 に も 寄 与 す る と い う 期 待 の 表 出 であ る と 思 え る の であ る 。 ( ) その 意味で 、 中国が国家の 「 富 強」を め ざ し て 今 後も軍 の 近代化 を 継続 し、 軍 備 の充 実を 図っ て い くにし て も、 その行 動指針となる軍 事 戦略には いっそうの自 制と周辺諸国 への配 慮が求め ら れ る こ とにな ろ う 。 これが楽観論に終 わるか否 か、 中国の核実験の継続姿勢や 南シ ナ 海 で の 海 軍 の活動、台湾を 視野に置いた軍 事 演習など 、周辺諸国の 環視のもと で 中国の 実際行動がいっそう 厳 しく試さ れ る こ と になる 。 (1) 一九九 五 年 一 一月二 日付全 国 紙各 紙に 掲載 。 1 〇 (あ べ ・ じゅ んい ち ㈶霞山会 調査出 版 部主 任研究員)

参照

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