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密教研究 Vol. 1941 No. 78 004川元 祐範「道猷阿闍梨の生涯 P74-88」

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(1)

道 猷 阿 閣 梨 の 生 涯 七 四

一 略 傳 廣 島 縣 の 東 南 端 に 近 く 、 藍 田 川 の デ ル タ の 上 に 位 置 す る 輻 山 市 は 、 徳 川 氏 の 初 め 、 安 藝 廣 島 城 主 幅 島 正 則 の 所 領 で あ つ た が 、 元 和 五 年 六 月 正 則 故 あ り て 除 封 、 八 月 大 和 郡 山 城 主 水 野 勝 成 韓 封 、 備 中 、 備 後 二 國 中 十 萬 石 を 領 し 、 備 後 紳 邊 城 を 賜 つ て よ り 、 同 六 年 工 を 起 し て 同 國 深 津 郡 ( は 深 安 郡 こ 含 併 ) 野 上 村 に 築 城 し 、 野 上 を 改 め て 幅 山 と 構 し 、 五 代 勝 辱 元 緑 十 一 年 早 世 し て 嗣 な く 、 所 領 を 没 せ ら れ 、 同 十 三 年 松 卒 忠 雅 出 朋 山 形 よ り 韓 じ 、 寳 永 七 年 忠 雅 伊 勢 桑 名 に 韓 じ 、 こ の 歳 阿 部 正 邦 下 野 宇 都 宮 よ ひ 來 り て 治 し 、 十 萬 石 を 食 み 、 嘉 永 五 年 二 萬 石 を 増 加 せ ら れ 、 以 て 明 治 に 至 る ま で 榮 え た の で あ つ た 。 乙 の 幅 山 の 城 下 町 と し て 、 歴 皮 的 に 名 の あ る 吉 津 町 ( ま 吉 津 村 と 云 へ り ) に 、 藩 士 と し て 榮 へ た る 高 橋 家 の 人 と し て 、 寛 政

八 年 孤 々 の 聲 を 基 げ た る 、 こ れ ぞ 江 戸 幕 末 高 野 山 に 於 け る 、 我 が 宗 随 一 の 宗 史 家 と し て 令 名 を 博 し た 後 年 の 大 含 房 道 猷 で あ つ た 。 高 橋 家 は 今 に 榮 え て ゐ る が 、 當 時 の 系 譜 詳 か な ら す 、 從 つ て 道 猷 の 誕 生 月 日 に つ い て は 不 明 で あ る 。 文 化 三 年 道 猷 年 甫 め て 十 一 、 紳 邊 西 輻 寺 の 佳 持 寂 如 に 俘 は れ て 高 野 山 に 登 り 、 正 智 院 乗 如 の 室 に 投 じ 翌 文 化 四 年 ( 一 四 六 七 ) 貫 主 畳 道 法 印 を 屈 請 し て 剃 髪 得 度 し た の で あ る 。 こ の 正 智 院 乗 如 の 室 に 投 じ た に つ い て は 、 次 の 如 き 因 縁 が あ つ た 。 乗 如 は 正 智 院 を 董 し 、 生 國 徳 田 村 の 寳 泉 寺 を 象 撰 し て ゐ た 。 乗 如 の 法 弟 に 、 輻 山 藩 士 と し て 榮 え た 村 田 家 よ り 出 で ゝ 、 紳 邊 の 西 福 寺 を 董 し 、 同 寺 中 興 と し て 裡 人 よ り 崇 め ら る ゝ こ と が 敦 か り し 寂 如 が あ つ た 。 寂 如 は 道 猷 の 叔 父 で あ り 、 叉 法 の 上 か ら も 叔 父 で あ つ た の で あ る 。 か ゝ

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る 關 係 か ら し て 寂 如 が 道 猷 を 、 碩 學 高 徳 な る 法 兄 乗 如 に 託 し 、 乗 如 亦 道 猷 の 秀 才 な る を 知 り 、 徒 弟 と し て 出 家 せ し め た の で あ る 。 行 業 の 優 れ た る 乗 如 に は 、 そ の 徒 弟 も 亦 多 く 、 道 猷 の 外 に 寛 慮 、 見 瑞 、 印 如 が あ つ た 。 寛 慮 は 士 族 で 、 徳 田 村 ( 在 は 湯 田 村 徳 田 ) 高 橋 家 よ り 出 で 、 乗 如 の 跡 を 糧 い で 寳 泉 寺 を 董 し た 入 で あ る 。 見 瑞 は 同 國 n加 茂 村 の 井 上 家 よ り 出 で ゝ 高 野 山 如 意 輪 寺 を 董 し 、 後 寛 慮 の 囑 を 受 け て 賓 泉 寺 を 鍍 ね た の で あ る 。 即 如 は 徳 田 村 の 徳 田 氏 よ り 出 で 、 寂 如 の 跡 を 受 け て 神 邊 の 西 福 寺 に 佳 し た 入 で あ る 、 道 猷 は 、 こ の 中 の 第 三 番 目 の 弟 子 で あ る 。 寳 泉 寺 の 略 法 脈 を 参 考 ま で に 圖 示 す れ ば 次 の 如 く で あ る 。 (1) 略 (六 世 ) ⋮ 観

如-寂

乗 如 , ( 七 世 ) 唐 如 這 猷 (兄 ) 寛 鷹 (八世 ) 見 瑞 (力世 )

(十 一 世 )

(十世 ) ( 弟 ) 妙 用

弘如 ⋮ (十 一 世 ) 略 呆 我 そ の 後 文 化 八 年 道 猷 十 六 歳 、 故 國 神 邊 の 菅 茶 山 の 廉 熟 へ 入 つ て 漢 學 を 修 め 、 魏 然 と し て 頭 角 を あ ら は し 、 二 十 一 歳 學 業 成 つ て 齢 山 、 野 山 の 學 籍 に 参 じ て 專 ら 内 典 を 修 め 、 二 十 六 歳 の 丈 政 四 年 ( 二 四 八 三 ) に は 昇 口 に 貼進 み 、 是 年 春 三 月 恩 師 乗 如 門 主 の 江 戸 在 番 す る に 随 俘 し て 東 都 に 、 或 は 京 師 に 歴 遊 し て 鴻 儒 碩 學 と 交 敷 す る あ り 、 丈 政 十 年 十 月 師 乗 如 と 共 に 蹄 山 、 幾 く も 無 く 三 十 入 に 進 ん だ 。 時 に 年 三 十 二 で あ る 。 丈 政 十 二 年 渤 學 會 初 年 目 の 講 讃 を 了 へ 、 翌 天 保 元 年 に は 八 寺 に 韓 じ 學 會 二 年 目 の 業 を 卒 へ た 。 東 都 遊 學 に 得 た 博 覧 強 記 の 頴 才 を 以 て 、 高 野 山 風 土 記 の 撰 輯 に 凡 そ 八 九 年 を 費 し 、 天 保 六 年 乙 禾 六 月 良 慮 の 譲 を 受 け て 各 刹 正 智 院 を 董 し 、 こ ゝ に 恩 師 乗 如 の 跡 を 糧 ぐ こ と を 得 た の で あ る 。 (2) 密 教 辮 典 に 、 文 政 六 年 正 智 院 を 董 し と あ る は 間 違 ひ で あ る 。 文 政 六 年 と 云 へ ば 道 猷 二 十 八 歳 で あ る 。 二 十 八 歳 の 若 年 を 以 て し て は 、 當 時 の 名 室 常 法 談 所 た る 正 智 院 の 住 持 た り 得 ま い 。 亦 文 政 六 年 比 は 良 慮 が 董 し て ゐ た の で あ る 。 こ れ .よ り 先 き 、 文 政 十 一 年 に は 聖 善 、 龍 華 の 二 院 に 住 し た の で あ る 。 正 智 院 を 董 し て 後 更 に 天 保 七 年 に は 見 瑞 法 兄 の 囑 に よ り 如 意 輪 寺 を 象 据 し た 。 こ の 聞 、 壽 門 主 學 難 の 、 か の 有 名 な る 弘 法 大 師 年 譜 編 纂 を 助 け た の で あ る 。 天 保 十 道 猷 阿 閣 梨 の 生 涯 七 五

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道 猷 阿 閣 梨 の 生 涯 七 六 一 年 秋 集 議 に 昇 り 、 翌 十 二 年 春 東 都 に 舐 役 し 公 務 の 絵 暇 を 弘 法 大 師 弟 子 譜 の 撰 に あ て 、 途 に 稿 成 つ て 上 梓 す る に 至 つ た 。 江 戸 に 在 勤 す る こ と 三 年 、 天 保 十 四 年 蹄 山 し て 學 會 三 年 目 の 業 を 竣 つ て ゐ る 。 更 に 弘 化 元 年 の 春 、 寺 務 專 雄 を 屈 請 し て 正 智 院 道 場 に 於 て 、 具 支 灌 頂 に 入 壇 し 、 傳 燈 大 阿 閣 梨 の 位 に 昇 つ た の で あ る 。 同 年 秋 に は 惜 し く も 罹 病 の 腱 と な り 、 九 度 山 の 寓 に 静 養 の 止 む な き に 至 つ た 。 病 未 だ 讐 へ ざ る に 、 弘 化 二 年 七 月 二 十 一 日 盛 龍 の 遽 化 に 遇 ひ 、 遽 か に 蹄 山 し 、 盛 龍 の 蝿 を 受 け て 親 王 院 を 象 揖 し 同 四 年 十 月 亦 繹 迦 文 院 を H兼 ね 、 更 に 理 性 院 を 兼 ね た の で あ る 。 嘉 永 四 年 道 範 大 徳 六 百 年 の 忌 辰 に 當 つ て は 南 海 流 浪 記 、 大 徳 奪 影 を 梓 に 上 し て 嵯 嘲 と せ る 等 報 恩 の 誠 を 叢 し て ゐ る 。 こ れ よ り 先 き 嘉 永 三 年 の 初 夏 蔓 命 を 奉 じ て 東 都 に 祇 役 し 、 碩 學 に 補 さ れ た の で あ る 。 翌 年 瞬 山 し て 精 義 の 鴻 業 を 勤 め 、 論 議 法 談 の 席 に 列 し て 、 盛 ん に 後 進 の た め に 講 し た の で あ る 。 亦 嘉 永 六 年 四 月 阿 州 侯 の 参 登 せ ら る ゝ や 、 道 猷 一 日 巡 覧 の 案 内 に 祇 役 し 、 詩 を 賦 し て 御 膳 に 呈 し 、 高 誼 に 酬 い た の で あ る 。 一 世 の 師 表 、 教 界 の 法 梁 た る 、 亦 江 戸 幕 末 に 於 け る 高 野 一山 唯 一 の 碩 學 た り し 道 i猷 毛 、 嘉 永 六 年 秋 nに 至 つ て 宿 主 心 稽 劇 し く 紺 野 妙 憧 葬 に 於 て 療 養 を 加 ふ る こ と 一 月 許 で あ つ た が 呪 藥 途 に 数 無 く し て 其 十 一 月 二 日 忽 焉 と し て 寂 を 示 し た の で あ る 。 世 壽 五 十 又 八 歳 、 法 薦 四 十 七 で あ つ た 。 寂 前 一 日 自 ら 一 詩 を 書 し て 徒 弟 に 示 し て 云 く 満 目 青 山 本 不 生 五 十 有 八 事 何 成 胸 中 都 史 孤 明 月 廟 畔 長 輝 骨 亦 清 (3) 叉 そ の 影 像 の 賛 は 弟 子 良 猷 が 記 す る 所 で 今 の 略 傳 も 主 と し て 此 に 本 い た の で あ る 。 註 (1) ﹁ 實 泉 寺 過 去 帳 ﹂ ﹁備 後 史 談 ﹂ 第 ︼ 巻 第 三 號 七 頁 参 照 。 (2)﹁ 密 教 辮 典 ﹂ 二 六 七 〇 中 段 参 照 。 (3) 三 道 猷 の 遣 弟 で あ り 、 後 良 基 に 師 事 し 、 正 智 院 四 十 三 代 で あ る 、 惜 し い 事 に は 早 逝 し た。 萬 延 元 年 六 月 二 十 三 日 遷 化 、 正 智 院 過 去 帳 参 照 。 二 廉 熟 と 道 猷 丈 化 三 年 高 野 山 に 登 嶺 し て 、 正 智 院 乗 如 の 室 に 投 じ て よ (1) り 六 年 目 の 、 文 化 八 年 五 月 、 道 猷 十 六 歳 、 儒 學 を 修 め ん と し て 恩 師 乗 如 に 俘 は れ て 生 國 に 齢 り 、 紳 邊 の 地 に 菅 茶 山 の 熟 を 訪 れ て 門 に 入 り 、 研 學 に 勉 め た の で あ る 。 茶 山 の 門 に 入 つ て よ り 魏 然 と し て 頭 角 を 顯 は し 、 螢 雪 の

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坊 を 積 む こ と 七 年 有 鹸 、 文 化 十 四 年 道 猷 年 二 十 二 、 學 業 成 り て 瞬 山 し た の で あ る 。 道 猷 の 、 茶 山 の 廉 熟 に 入 つ た の は 次 の 如 き 因 縁 に よ つ た も の で あ る 。 恩 師 乗 如 は 、 茶 山 と の 友 交 深 く 、 僅 (入 よ り ﹁ 徳 田 茶 山 ﹂ と 構 せ ら れ て ゐ た 程 儒 學 に 通 じ 、 亦 詩 文 に 長 じ て ゐ た 。 か 玉 る 關 係 よ り 道 猷 を 茶 山 の 熟 に 入 ら し め た の で あ る 。 前 節 に 於 て 述 べ し 如 く 、 道 猷 の 叔 父 で あ り 法 叔 父 で も あ る 寂 如 が 、 神 邊 の 廉 熟 に 近 き 西 輻 寺 を 董 し て ゐ た 。 そ こ で 道 猷 は 西 輻 寺 寂 如 の 下 に あ つ て 、 茶 山 の 塾 に 通 つ た の で あ る 。 道 猷 が 入 塾 せ る 當 時 、 宏 儒 茶 山 は 六 十 四 歳 で あ つ た 。 茶 山 の 學 徳 を 慕 ぴ 諸 國 よ り 來 り て 塾 に 入 る 者 そ の 数 多 く 、 文 化 十 年 に は ﹁ 時 に 竹 田 器 甫 、 落 合 双 石 、 門 田 朴 齋 等 の 外 、 在 塾 生 三 十 人 許 り ﹂ と あ る か ら 、 道 猷 の 入 熟 せ る 當 時 、 三 十 人 鯨 の 門 下 生 の あ つ た こ と は 明 か で あ る 。 今 日 こ の 廉 塾 を 訪 る ゝ に 曾 て 頼 山 陽 等 の 勉 學 し た 百 年 前 の 悌 nを 、 昔 の ま ゝ に 淺 し て ゐ る 。 廉 塾 の 講 堂 と も 言 ふ べ き 室 の 中 を 見 る に 、 六 聲 二 間 、 四 饅 二 間 、 裏 に 面 し て 四 爵 一 間 が あ る 。 こ れ ぞ 天 下 の 鴻 儒 頼 山 陽 が 起 居 せ し 部 屋 で あ る 。 こ の 見 る か ら に 粗 末 な る ほ の 暗 き 竹 藪 に 面 し た 随 屋 も 、 山 陽 が 其 後 年 の 名 著 ﹁ 日 本 外 史 ﹂ 等 の 生 れ る 素 因 を 培 か つ た 所 nと 思 へ ば 懐 し い 。 廉 塾 講 堂 の 額 に は 白 鹿 洞 書 院 掲 示 父 子 有 親 君 臣 有 義 夫 婦 有 別 長 幼 有 序 朋 友 有 信 右 五 教 之 目 尭 舜 使 契 爲 司 徒 敬 敷 五 教 師 此 是 也 學 者 學 此 而 已 而 其 所 以 學 之 之 序 亦 有 五 焉 其 別 如 左 博 豊 乏 審 問 之 謹 思 之 明 辮 之 篤 行 之 右 爲 學 之 序 學 問 思 辮 四 考 所 以 窮 理 也 若 夫 篤 行 之 事 則 自 修 身 以 至 干 塵 事 接 物 亦 各 有 道 猷 阿 閣 梨 の 生 涯 七 七

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道 猷 阿 閣 梨 の 生 涯 七 八 要 其 別 如 左 言 忠 信 彷 篤 敬 懲 葱 窒 慾 遷 善 改 過 右 修 身 之 要 正 其 義 不 謀 其 利 明 其 道 不 計 其 功 右 腱 事 之 要 己 所 不 欲 勿 施 於 人 行 有 不 得 之 尤 諸 己 右 接 物 之 要 義 方 謹 書 (4) と 、 白 鹿 洞 書 院 學 規 が 掲 げ ら れ て あ る 。 即 ち 徳 川 時 代 に あ り て は 、 朱 子 學 を 正 學 と し て 奨 働 し た 。 而 し て 大 小 の 學 塾 は 、 米 子 の 白 鹿 洞 書 院 學 規 を 掲 げ て 教 學 の 標 準 と し た も の で あ る 。 亦 こ の 廉 塾 の 襖 等 に は 、 元 は 頼 一 家 の 筆 に な れ る 修 身 齊 家 、 日 常 警 折 に 關 す る 金 文 が 、 貼 ら れ て あ つ た と 聞 く も 、 今 は 内 部 の 様 子 、 少 し く 往 昔 と 異 な る も の が あ る 。 茶 山 の 筆 跡 等 も 、 塾 々 講 堂 の 内 部 で は 見 る を 得 な い 。 道 猷 は 十 六 歳 の 比 よ り 二 十 二 歳 に 至 る の 間 、 こ ゝ に あ つ て 儒 學 を 修 め た の で あ る 。 こ れ 將 に 、 後 年 の 偉 業 の 端 緒 を 開 く に 至 っ た も の と 云 ふ べ き で あ る 。 註 (1) 茶 山 年 譜 参 照 。 (2) 同 七 丁 表 参 照 。 (3) 論 語 述 而 第 七 参 照 。 (4) 朱 子 五 十 九 歳 、 封 事 を 上 り 秘 闇 修 撰 に 叙 せ ら れ 、 南 康 群 に 知 と な り 、 白 鹿 洞 書 院 を 復 興 し た 。 而 し て 白 鹿 洞 書 院 の 學 規 を 定 め た の で あ る 。 三 教 學 道 猷 の 教 學 を 概 観 す る に 、 密 部 は 勿 論 、 諸 宗 に 精 通 し て ゐ た も の で あ る 。 今 こ れ を 事 教 二 相 に つ い て 見 る こ と ゝ す る 。 一 事 相 事 相 の 方 で は 、 明 算 御 受 法 攻 第 一 册 爾 部 合 行 略 次 第 一 冊 結 縁 灌 頂 記 一 冊 許 可 加 行 私 記 一 冊 灌 頂 至 要 一 冊

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灌 頂 重 口 訣 一 册 結 縁 灌 頂 雑 記 一 册 結 縁 灌 頂 事 一 册 許 可 要 記 字 塗 承 一 册 仁 海 香 水 作 法 書 簡 一 册 次 第 一 包 諸 奪 通 用 頸 次 第 私 中 院 所 傳 不 詳 別 行 抄 中-畳 簾 作 別 行 頸 次 第 中 院 清 涼 台 勝 深 本 別 行 次 第 中 院 古 本 批 中 院 御 房 本 云 云 次 第 一 包 彌 勒 行 法 次 第 翫 脚 靴 聯 彌 勒 法 同野 山 奥 之 院 本 中 壇 小 野 御 影 堂 不 出 本 彌 勒 法 中-正 智 院 持 佛 堂 本 彌 勒 付 曼 茶 羅 溌 中 壇 法 獅 醐 作 彌 勒 法 中 院 中 壇 小 野 私 中 院 中 壇 小 野 中 院 次 第 一 包 阿 字 観 事 中-宥 快 記 阿 字 観 法 則 妙 瑞 阿 字 観 月 海 阿 字 観 作 法 理 観 阿 字 観 聖 憲 阿 字 観 勝 畳 阿 字 観 檜 尾 傳 月 輪 観 中-阿 字 観 法 則 中-成 尊 諸 口 決 中 院 流 心 -大 永 四 年 宥 興 授 二龍 光 院 覧 宥 一三 百 訣 八 千 枚 口 決 六 十 ヨ リ 元 懸 二 年 大 樂 院 ヨ リ 瑳 算 材 乃 至 定 海 決 盛 血 脈 □ □ □ 中 院 流 諸 方 血 脹 類 一 包 付 本 流 一 包 中 院 聖 教 目 録 本 流 録 外 検 尋 記 中 院 傳 授 目 録 三 十 構 本 流 中 院 本 流 傳 受 目 録 中 院 流 傳 授 目 録 四 度 部 眞 源 道 猷 阿 閣 梨 の 生 涯 七 九

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道 猷 阿 閣 梨 の 生 涯 八 ○ 次 第 一 包 臨 終 大 喜 快 全 記 雇 永 七 五 年 正 月 爲 大 事 口 傳 ニ ケ 條 成 雄 大 師 拝 見 大 事 御 影 堂 開 閉 附 賢 道 竹 山筒 野 一秘 記 首 竹 噺 剛末 魔 無 印 明 大 事 眞 然 曾 正 秘 決 大 師 御 引 導 八 一 二 佛 子 三 番 御 詑 心旦 如 空 上 人 中-水 天 供 中-七 帳 高 野 山 理 性 院 阿 閣 梨 文 啓 書 次 第 一 包 十 善 戒 自 受 法 前 官 毒 梨 十 度 略 名 等 療 痔 病 経 施 餓 鬼 次 第 一 包 宥 智 印 信 口 決 南 山 大 事 口 決 玄 海 中 院 口 傳 私 良 意 御 本 中 院 諸 方 大 事 目 録 宥 智 加 行 折 紙 中 -眞 源 本 十 八 昏 許 可 中 院 宥 快 中 院 許 可 之 事 良 暉 記 爾 部 合 行 秘 口 三 帖 合 等 を 爲 し て ゐ る 。 こ れ を 以 て 見 る に 、 本 流 は 中 院 流 で あ つ た こ と が 明 か で あ る 。 作 法 雛 形 一 包 調 経 物 之 形 、 佛 供 線 吊 染 檬 爾 界 敷 曼 茶 羅 、 鎭 瓶 蛤 形 雀 激 認 様 方 青 甲 袈 裟 並 糧 握 星 浮 薦 覆 面 三 衣 、 戒 禮 箱 圖 線 盤 八 千 枚 油 指 、 高 麗 緑 大 紋 狩 衣 布 尻 切 圖 鎭 守 幣 切 様 雛 形 一 包 系 引 八 租 十 二 天 掛 檬 五 瓶 紋 圖 五 色 糸 繕 作 法 灌 頂 溺 弓 作 法

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瓶 水 法 中-五 糸 色 作 法 中-糸 曳 様 之 事 中-通 籐 流 護 摩 壇 糸 曳 中 壇 糸 次 第 中 -散 杖 創 事 中-雛 形 並 次 第 一 包 十 重 禁 戒 略 授 式 受 一 日 戒 作 法 度 場 本 奪 準 提 佛 母 等 記 中-得 度 道 場 圖 高 野 同 理 髪 圖 同 戒 牒 折 番 等 五 紙 見 佃 客 入 等 . 獲 心 者 剃 髪 作 法 信 男 信 女 折 紙 見 僧 度 牒 爺 新 學 供 譲 散 作 法 と し て は 、 以 上 を 爲 し て ゐ る 。 こ れ を 以 て し て も 、 如 何 に 事 相 に 通 じ て ゐ た か f 窺 は れ る の で あ る 。 二 教 相 教 相 に つ い て 見 る に 密 部 で は 主 な る も の 、 大 日 経 疏 二 末 問 答 四 册 三 巻 聲 字 實 相 義 抄 顯 密 差 別 問 答 施 陀 羅 尻 門 繹 繹 大 衛 論 大 日 経 疏 観 引 砂 九 册 二 教 論 問 答 四 班 寳 鍮 科 繹 畳 範 問 答 奥 天 保 五 年 四 月 借 壽 門 主 得 仁 師 之 本 令 人 縢 窟 詑 沙 門 道 猷 猷 他 日 閲 二覧 阿 問 答 鋤 一興 斯 條 目 粗 相 似 始 知 今 云 覧 者 覧 阿 云 範 者 道 範 而 恐 非 覧 海 是 則 畳 阿 問 答 之 別 本 者 失 更 詳 天 保 五 年 五 月 二 十 二 日 夜 記 道 猷 菩 提 心 論 聞 書 道 範 記 延 懸 一 年 五 月 十 六 日 道 範 講 纏 建 長 三年 六 月 二廿 一 日 明 醗範 宣 罷 駄 道 猷 阿 閣 梨 の 生 涯 八 一

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道 猷 阿 閣 梨 の 生 涯 八 二 天 保 五 年 七 月 十 一 日 道 猷 爲 等 の 爲 本 が あ る 。 更 に 他 宗 部 に 就 い て 見 れ ば 、 倶 舎

良 懸 著 述 天 保 三 辰 六 月 五 日 楡 牛 日 閑 集 此 册 了 窟 末 弟 道 猷 こ れ は 正 智 院 先 師 良 磨 の 著 述 を 爲 せ る も の で 良 鷹 の 系 統 を 受 け た も の な る こ と が 分 る の で あ る 。 唯 識 見 聞 随 身 紗 上 ・ 中 ・ 下 三 册 奥 書 上 天 保 十 年 七 月 以 無 量 壽 院 本 爲 道 猷 中 天 保 七 年 正 月 自 校 道 猷 ニ ヨ ヅ テ ス 下 天 保 十 年 天 徳 院 藏 板 本 露 道 猷 こ れ は 唯 識 教 義 の 箇 條 書 の 如 き も の に し て 、 唯 識 教 學 を 知 る 上 か ら 重 要 な る も の で あ る 。 百 法 問 答 通 考 六 册 七 巻 奥 書 天 保 十 四 年 卯 十 一 月 十 三 日 加 朱 墨 了 道 猷 が あ り 、 こ れ は 唯 識 教 義 概 要 を 書 い た も の で あ る 。 亦 大 乗 法 相 研 神 章 三 册 が あ り 、 こ れ は 十 佳 心 論 、 寳 鍮 等 と 同 じ く 、 勅 を 奉 じ て 撰 せ る 法 相 宗 の 梗 概 を 述 べ た も の で あ る 、 奥 書 に は 末 資 道 猷 蒙 師 命 而 諜 斯 暴 焉 と あ る 。 五 果 回 心 略 読 圖 示 一 册 が 爲 さ れ て あ る 。 更 に 亦 法 苑 義 林 章 纂 註 一 册 等 を 爲 し て ゐ る 。 唯 識 に 關 す る も の 可 成 遺 つ て ゐ る が 、 て の 法 苑 義 林 章 纂 註 を 書 爲 し て ゐ る 所 よ り す れ ば 、 唯 識 學 に は 相 當 識 見 を も ち 、 要 領 を 得 た る 唯 識 を 修 め て ゐ た こ と が 窺 は れ る も の で あ る 。 術 華 嚴 に 關 す る も の で は 、 遊 心 法 界 講 録 一 册 華 嚴 善 知 識 行 位 抄 二 巻 華 嚴 一 乗 教 分 記 種 姓 義 私 記 一 巻 大 乗 起 信 論 義 疏 一 册 天 保 一 年 三 月 道 猷 華 嚴 性 起 縁 起 辮 一 册 華 嚴 維 探 玄 記 獲 揮 砂 十 冊 華 嚴 唯 心 義 一 巻

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明 恵 上 人 蓮 天 保 五 甲 午 七 月 十 七 日 道 猷 等 を 爲 し て ゐ る 。 こ れ を 以 て 見 る に 、 華 嚴 は 相 當 深 く 研 究 し て ゐ た 事 が 窺 は れ る 。 惟 ふ に 、 之 は 無 量 壽 院 門 主 得 仁 の 系 統 に よ る も の で あ ら う 。 得 仁 は 江 戸 幕 末 高 野 山 に 於 け る 華 嚴 學 の 達 者 で 、 高 野 山 に 華 嚴 學 を 振 興 せ し め た 先 畳 者 で あ る 。 而 し て 得 仁 と 道 猷 と の 親 交 關 係 は 既 に 一 言 せ る 如 く 、 断 金 の 法 友 で あ つ た か ら で あ る 。 難 蔀 難 部 と し て こ れ を 見 る に 、 國 史 類 で は 次 の 如 く 、 國 史 類 抄 出 一 巻 明 月 記 定 家 作 台 記 扶 桑 略 記 日 本 紀 略 和 漢 三 才 圖 絡 抜 抄 歴 史 徴 寳 簡 集 條 箇 三 巻 ( 巻 一 -巻 三 ) 又 績 寳 簡 集 條 箇 一 巻 國 史 古 書 封 映 一 巻 日 本 後 紀 樹 映 聚 類 國 史 二 本 封 映 性 難 集 標 琶 .同野 難 筆 傳 教 大 師 歌 尾 州 大 州 眞 幅 寺 藏 本 抜 書 金 剛 峰 寺 雑 文 抜 葦 如 意 輪 寺 吉 丈 書 條 箇 大 師 行 歌 等 采 用 録 一 巻 守 敏 事 神 泉 苑 事 大 師 事 跡 雑 □ 丹 生 紳 社 蓮 花 三 昧 経 大 師 請 來 無 之 事 本 朝 名 書 傳 歴 史 徴 抜 葦 國 書 類 抄 出 伊 呂 波 事 ノ 伊 州 梁 瀬 村 佛 舞 面 事 ノ 不 種 茱 山 事 高 野 春 秋 十 八 巻 (巻 第 二巻-第 十 八 ) 内 外 雑 書 目 一 巻 道 猷 阿 閣 梨 の 生 涯 八 三

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遣 猷 阿 闊 梨 の 生 涯 八 四 無 題 蹄 命 南 山 等 補 陀 洛 院 眞 海 記 高 野 口 傳 本 朝 鼻 租 御 入 定 圖 貞 観 記 等 を 爲 し て ゐ る 。 道 猷 の 教 學 は 、 こ れ を 圖 示 す れ ば 左 の 如 く で あ る 。 四 神 道 凡 そ 神 道 と 稽 す る も の に は 、 伊 勢 外 宮 の 神 官 等 に よ つ て 唱 道 せ ら れ ﹁ 神 道 五 部 書 ﹂ を 経 曲 ハ と し 儒 、 佛 .、 道 家 の 所 論 を 混 え た 外 宮 神 道 が あ り 。 天 台 宗 に は 、 天 台 宗 止 観 の 読 に 擬 す る ﹁ 山 王 h 實 神 道 ﹂ が あ る 。 日 蓮 宗 に は 所 謂 三 十 番 神 設 を 主 要 問 題 と す る 所 の ﹁ 法 華 神 道 ﹂ あ り 、 そ の 他 主 な る も の (1) (2) に は 、 ﹁ 忌 部 神 道 ﹂ 、 ﹁ 伯 家 神 道 ﹂ 、 ﹁ 吉 川 神 道 ﹂ 等 が あ る 。 亦 本 居 宣 長 、 手 田 篤 胤 等 國 學 者 に よ つ て 唱 へ ら れ た ﹁ 復 古 榊 道 ﹂ の 二 派 も あ り 、 現 今 教 派 神 道 と し て 十 三 派 に 分 れ て ゐ る 。 (3) わ が 眞 言 宗 の 神 道 は ﹁ 御 流 神 道 ﹂ 、 ﹁ 三 輪 神 道 ﹂ 、 及 び ﹁ 葛 城 神 道﹂ 等 で あ る が 、 こ の 中 高 野 山 に 傳 承 さ れ て ゐ る も の は 御 流 神 道 と 葛 城 神 道 が 主 で あ る 。 道 猷 は 事 教 二 相 の 薄 奥 を 極 め た ば か り で な く 、 紳 道 に 封 し て も 多 大 の 關 心 を 彿 ぴ 、 紳 道 に 關 す る あ ら ゆ る 典 籍 を 渉 猟 し 、 閲 讃 し て そ の 眞 髄 に 精 通 し て ゐ た も の で あ る 。 而 し て 道 猷 は 御 流 、 三 輪 、 雲 傳 等 の 紳 道 は 勿 論 の こ と 、 そ の 藏 蓄 は 眞 言 宗 に 負 ふ 所 頗 る 多 い 神 道 護 摩 、 神 道 灌 頂 及 び 榊 道 加 持 を 論 き 、 室 町 時 代 吉 田 兼 倶 に よ つ て 大 成 さ れ た ﹁ 唯 一 紳 道 ﹂ に ま で 及 ぼ し 、 こ れ が 研 鎖 に 力 め た の で あ る 。 か く の 如 く 道 猷 の 頴 才 亦 よ く 神 道 に 及 び 、 そ の 奥 義 を 極 め ん と し た の で あ つ た が 、 如 何 せ ん 天 は 借 す に 壽 を 以 て せ す 、 途 ひ に 中 途 に し て 寂 を 示 し て 完 成 を 見 る に 至 ら な か つ

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た こ と は 惜 を 次 第 で あ る 。 即 ち 道 猷 は 正 智 院 、 繹 迦 文 院 に 傳 領 せ る 神 道 部 の 珍 書 を 残 ら す 閲 讃 し 、 こ れ に 評 を 下 し て ゐ る 。 更 に 親 王 院 に 藏 す る 神 道 書 を 閲 讃 し 、 こ れ が 目 録 を 作 さ ん と し て 中 途 に 至 り 病 を 得 、 (3) 此 内 調 子 不 屈 、 待 他 日 中 可 。 天 野 明 紳 記 録 者 、 隆 鳳 上 綱 薪 撰 是 亦 追 而 可 取 調 之 也 。 と 記 し あ る を 見 る も 明 ら か で あ る 。 更 ら に 道 猷 の 閲 讃 に か ゝ る 神 道 部 の 書 籍 は 、 正 智 院 、 親 王 院 、 縄 n迦 丈 院 等 に 藏 す る も の 、 そ の 敷 彩 し い の で あ る ゆ 從 つ て こ れ 等 .の 全 部 を 學 ぐ る は 繁 雑 に な る 恐 れ あ れ ば 、 今 そ の 二 部 分 を 抄 録 し て 、 道 猷 の 神 道 に 封 す る 造 詣 、 如 何 に 深 か り し か を 知 る の 参 考 に 資 し た い と 思 ふ 。 神 道 傳 授 目 録 聞 書 並 録 外 口 訣 目 録 二 巻 爲 の 中 に 種 類 七 五 巻 籔 一 五 二 八 册 数 一 一 包 歎 七 軸 撒 三 が あ り 、 歌 書 部 とし て 、 種 類 四 三 巻 歎 二 四 七 册 藪 五 六 が 塁 げ ら れ 、 御 流 神 道 目 録 と し て 、 種 類 四 包 数 三 册 籔 一 あ り 、 御 流 神 道 類 集 上 下 二 巻 に は 種 類 一 四 七 あ り 、 録 外 と し て 種 類 九 、 巻 藪 一 、 包 歎 四 、 帖 数 九 、 珊 歎 二 が あ る 。 亦 、 唯 一 神 道 傳 授 記 に は 、 種 類 二 五 包 数 二 〇 以 上 唯 神 道 白 川 、 吉 田 爾 家 、 相 傳 大 成 畢 ヲ 不 辮 三部 類 随 聞 筆 記 ニ と あ り 、 神 道 灌 頂 式 傳 授 容 易 不 可 授 秘 々 一 御 流 灌 頂 私 記 金 界 初 夜 一 軸 這 臨猷 阿 閣 梨 の 生 涯 八 五

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道 猷 阿 闊 梨 の 生 涯 八 六 二 御 流 灌 頂 私 記 一 軸 外 四 種 等 が 學 げ ら れ て ゐ る 。 註 (1) 二 名 帳 本 崇 源 紳 道 と も 云 ふ 。 (2) 白 川 紳 道 と 竜 名 つ く 。 (3) 一 に 雲 傳 紳 道 と 構 す 。 葛 城 慈 雲 尊 者 飲 光 の 唱 へ た る 紳 道 で あ る 。 慈 雲 は 我 國 固 有 の 紳 道 は 、 室 教 所 読 の 曼 茶 羅 翻 と 匝 別 な き も の と し 、 随 つ て 紳 道 は 雨 部 習 合 す べ き も の に あ ら ず し て 、 純 正 に 紳 道 と し て 存 す べ き 亀 の な り と 主 張 し 、 專 ら 密 教 の 意 を 以 て 、 そ の 義 を 解 繹 し た ﹁ 佛 教 大 鮮 典 ﹂ 第 一 春 二 三 九 頁 参 照 。 五 外 典 に 封 す る 識 見 道 猷 は 青 年 時 代 を 郷 里 の 廉 塾 に 入 り て 茶 山 に 師 事 し 、 漢 籍 の 研 鐙 に 力 め て 斯 道 に 精 通 す る に 至 つ た 。 而 し て そ の 本 領 た る 密 教 學 に 造 詣 深 き の み な ら す 、 神 道 に 封 し て も そ の 研 究 熟 の 卓 越 せ る も の あ り し こ と は 、 前 述 せ る 如 く で あ る が 、 漢 學 に 就 て も 、 維 門 中 稀 れ に 見 る 識 見 の 所 有 者 で あ つ た 。 さ れ ば 、 高 野 山 登 嶺 以 後 、 暉 床 の 鹸 暇 を か り て 斯 の 方 面 に も 指 を 染 め 、 そ の 止 住 寺 た る 繹 迦 文 院 維 庫 の 五 千 有 飴 巻 、 (1) 漢 土 よ り 舶 載 せ る 漢 籍 は 勿 論 、 正 智 院 、 親 王 院 、 聖 善 院 及 び 二 山 各 院 の 経 庫 所 藏 の も の に ま で 手 を 延 べ 、 こ れ を 閲 了 し 、 珍 書 に は 一 々 批 評 を 加 へ た る の み な ら す 、 さ て は 彼 の 有 名 な る ﹁ 文 館 詞 林 ﹂ の 研 究 に 迄 及 ん で ゐ る 。 道 猷 の 學 問 に 饗 す る 熟 や 、 實 に 驚 嘆 せ し む る も の が あ る 。 抑 々 丈 館 詞 林 な る も の は 、 漢 よ り 唐 初 に 至 る 詔 、 勅 、 頚 、 碑 、 令 、 教 及 び 詩 の 文 集 に し て 、 唐 の 高 宗 の 顯 慶 三 年 に 、 許 敬 宗 勅 を 奉 じ て 撰 せ る も の で 、 丈 章 の 館 、 詞 藻 の 林 と 云 ふ 意 よ り 探 名 せ る も の で あ る 。 総 て h 千 巻 と 云 へ る が 、 早 く も 宋 の 初 め に 於 て 銑 に 散 侠 し 、 宋 史 ﹁ 藝 文 志 ﹂ に は 僅 か に 一 巻 を 録 す る に 過 ぎ な い の で あ る 。 我 が 國 に て は 、 現 存 す る も の 三 十 巻 の 目 が あ り 、 そ の 中 多 数 は 、 高 野 山 正 智 院 に 、 現 在 國 寳 と し て 珍 藏 さ れ て ゐ る 。 江 戸 幕 末 、 幕 府 に 事 へ た 漢 學 者 林 述 齋 が ﹂ わ が 國 に 存 す る も の ゝ 中 、 十 七 種 (四 巻 ) を 集 め て 上 梓 し 、 ﹁ 侠 存 叢 書 ﹂ と な し た 。 こ れ は 後 に 、 漢 土 に ま で 傳 播 さ れ 、 大 い に 彼 の 土 の 學 者 を し て 驚 嘆 せ し め た も の で あ る 。 正 智 院 に 藏 す る 文 館 詞 林 は 、 百 五 十 二 ( 詩 ) 、 百 五 十 六 ( 詩 ) 、 百 五 十 七 ( 詩 ) 、 百 五 十

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八 ( 詩 ) 、 百 六 十 ( 詩 ) 、 三 百 三 十 四 ( 碩 ) 、 三 百 三 十 五 ( 頚 淺 歓 ) 、 三 百 三 十 六 ( 頚 ) 、 三 百 三 十 七 ( 頚 ) 、 四 百 五 十 三 ( 碑 ) 、 四 百 五 十 七 ( 碑 ) 、 四 百 五 十 九 ( 巻 尾 の み 存 し 丈 な し ) 、 六 百 六 十 四 ( 詔 ) 、 六 百 六 十 五 ( 詔 ) 、 六 百 六 十 八 ( 詔 ) 、 六 百 六 十 九 ( 教 ) 、 六 脊 七 十 ( 詔 ) 、 六 百 九 十 ( 勅 ) 、 六 百 九 十 五 ( 令 ) 、 で 、 巻 敬 の 分 明 な る も の 十 九 巻 の 外 に 、 巻 激 未 詳 の 淺 關 一二 三 巻 あ り 、 す べ て 十 二 軸 と な つ て ゐ る 。 道 猷 は こ れ を 正 智 院 に 藏 す る も の 悉 く を 閲 讃 し 、 更 に 林 述 齋 よ り 文 n館 詞 林 を 借 覧 し た の で あ る 。 こ の こ と は 道 猷 の 、 述 齋 に 逡 れ る 丈 館 詞 林 借 用 の 往 復 書 翰 の 現 存 す る も の よ り 見 る も 明 か で あ る 。 勿 論 こ ゝ に 摘 塁 せ る も の は 、 そ の 二, 片 鱗 に す ぎ な い が 、 こ の 一 事 を 以 つ て 謝 る も 、 道 猷 の 漢 籍 研 究 が 如 何 に 熟 心 な り し か を 窺 知 し 得 る の で あ る 。 六 入 と な り 山 陽 線 を 輻 山 で 下 軸 し 、 墜 町 行 に 乗 替 え 幅 山 市 よ り 爾 備 鐵 道 に よ つ て 東 北 に 進 む こ と 約 十 五 分 ば か り に し て 山 陽 國 道 に 澹 ふ 神 邊 の 羅 が あ る 。 神 邊 羅 よ り 府 中 町 行 電 車 が 車 中 の 人 と な る こ と 五 分 ば か り 輪 奥 た る 堂 宇 の 完 備 せ る 、 境 域 の 整 然 た る 、 法 寳 護 持 の 八 角 経 藏 が コ ン ク リ ー ト 銅 板 葺 で 出 來 上 り 、 門 前 老 松 の あ た り に 、山魏 然 と し た 法 瞳 を 高 く か ゝ げ た あ た り 、 二 見 し て 高 徳 の 住 持 あ る を 思 は せ る 梵 刹 の 門 前 に 停 ま る 。 と れ ぞ か つ て 高 野 山 正 智 院 乗 如 、 道 猷 、 如 意 輪 寺 見 瑞 、 繹 迦 丈 院 泊 鷹 、 如 意 輪 寺 圓 我 、 等 が 兼 撮 し 、 或 は 相 往 來 せ し 名 刹 に し て 、 現 在 は 吾 宗 布 教 界 の 書 宿 翻 山 圓 海 櫓 正 の 御 住 坊 鐘 居 山 寳 泉 寺 で あ る 。 私 は 轟 山 櫓 正 の 有 徳 の 風 貌 、 温 情 に 包 ま れ て 二 佼 厚 い お も て な し に 與 り 、 道 猷 の 人 と な り に つ い て 、 曾 正 よ り 種 々 生 き た 資 料 を 得 る 光 榮 に 浴 し た の で あ る 、 尤 も 轟 山 櫓 正 の お 話 は 、 か つ た 寳 泉 寺 を 董 し 、 高 野 山 龍 華 院 を 象 ね て ゐ た 恩 師 弘 如 よ り 堂 に 闇 四か さ れ た 事 實 に よ る も の で あ る 。 道 猷 の 生 家 た る 高 橋 家 は 、 幅 山 藩 士 と し て 榮 え て ゐ た こ と は 、 既 に 前 述 し た 通 り で あ る 。 こ の 高 橋 家 に は 兄 弟 幾 人 あ つ た か は 明 か で な い が 、 道 猷 の 肉 弟 に 泊 雁 が あ つ た 。 こ れ は 共 に 出 家 し 英 峻 坊 と 云 つ た の で あ る 。 思 ふ に 時 の 古 今 を と は す 、 洋 の 東 西 を 論 ぜ す 、 凡 そ 一 家 を な す 位 の 入 は 、 幼 少 の 比 か ら そ の 才 衆 に 秀 で ゝ ゐ る の で あ る 。 道 猷 、 泊 鷹 共 に 幼 に し て 聰 明 非 凡 で あ つ た 。 殊 に 道 猷 は 、 道 猷 阿 閣 梨 の 生 涯 八 七

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道 猷 阿 閣 梨 の 生 涯 八 八 一 際 目 立 つ て ゐ た と 云 ふ 。 八 歳 の 頃 に は 既 に 、 叔 父 で あ る 神 邊 の 西 幅 寺 の 住 持 寂 如 か ら 、 色 女 佛 法 の 話 を 聞 き 、 讃 み 書 き 等 も 習 つ て ゐ た の で あ る が 、 記 憶 の 良 さ と 理 解 の 鋭 さ は 常 に 寂 如 を 喜 ば せ て ゐ た と 云 ふ 。 こ の 道 猷 の 頴 才 は 、 途 い に 寂 如 を 介 し て 寳 泉 寺 の 山 主 乗 如 の 徒 弟 と な る に 至 つ た の で あ る 。 當 時 乗 如 は 高 野 山 正 智 院 を 董 し て ゐ た 。 而 し て 道 猷 十 三 歳 高 野 山 に 登 つ て 出 家 得 度 し 、 十 六 歳 の 五 月 に は 、 恩 師 乗 如 の 諾 を 得 て 郷 里 に 聾 り 、 茶 山 の 塾 に 入 つ た 事 も 前 述 せ る 通 り で あ る 。 道 猷 の 肉 弟 泊 慮 は 、 少 し 逓 れ て 叔 父 寂 如 の 徒 弟 と し て 紳 邊 の 西 輻 寺 に 出 家 し た の で あ る 、 そ の 後 寂 如 の 遽 す る や 、 跡 を 糧 い で 西 輻 寺 に 住 持 と な り 、 高 野 山 繹 迦 丈 院 を 兼 ね 董 し た の で あ る 。 道 猷 は 性 來 温 厚 篤 實 で あ り 、 鹸 り 饒 舌 の 方 で は な か つ た 。 亦 繹 迦 丈 院 に あ る 肉 弟 泊 鷹 も 無 口 の 方 で あ っ た ら し い 。 泊 磨 は 叉 絵 り 健 全 な 身 罷 の 持 主 で は な か つ た 様 で 、 四 十 歳 前 後 で 早 逝 し て ゐ る 。 正 智 院 に 佳 む 道 猷 と 、 繹 迦 丈 院 に 在 る 泊 慮 の 兄 弟 は 、 恒 に 相 往 復 し て そ の 情 愛 愈 々 濃 き も の が あ つ た 。 泊 鷹 は 正 智 院 に 兄 道 猷 を 訊 ね る の で あ る が 、 兄 弟 封 面 し て 何 ら 語 る こ と な く 、 た 穿 黙 黙 と し て 坐 す る の み 、 や ゝ あ つ て 別 れ て 坊 に 蹄 る と 云 ふ 風 で あ つ た 。 泊 鷹 の 臨 つ た 後 で 、 道 猷 同 宿 の 衆 に 語 り 、 ﹁ 繹 迦 丈 院 は ま た グ マ ツ テ 麟 つ た ﹂ と 。 道 猷 も 経 n迦 文 院 に 泊 慮 を 訪 ふ こ と 屡 く で あ つ た が 、 亦 黙 腰 と し て 相 見 み ゆ る の み 。 か く の 如 く 兄 弟 相 見 え て 唯 黙 然 と 坐 す る の み で あ つ た が 箇 中 沈 黙 裡 に 二 入 の 情 愛 は 全 き 交 流 を 見 た の で あ つ た 。 道 猷 は 書 ど な く 、 夜 と な く あ ら ゆ る も の に 亘 つ て 勉 學 し た 。 道 猷 の 側 近 者 に し て 、 彼 の 就 寝 を 見 た る 者 、 更 に 無 か つ た と 云 ふ こ と で あ る 。 暉 諦 の 隙 は 、 常 に 古 書 を 旙 き 、 或 は 詩 を 諦 じ 、 亦 歌 を 讃 み 、 終 日 机 に 向 つ て 筆 を 蓮 ん で ゐ る の で あ つ た 。 殊 に 夜 な ど は 、 机 に 寄 り か ゝ り 、 蒲 團 を 頭 上 よ り 被 つ て ゐ る の で あ つ た 。 こ の 間 に で も 睡 眠 を と つ た も の か 、 枕 に 就 く こ と 恐 ら く な か つ た と 云 ふ こ と で あ る 。 少 く と も 學 ば ん と 欲 す る も の で 、 道 猷 を 訊 ね る 者 に は 、 必 ら す 自 ら 筆 を 執 つ て 、 時 と 虞 と を 分 た す 、 丁 寧 に 指 導 す る の 榮 を 惜 し ま な か つ た の で あ る 。 か く 道 猷 は 書 夜 の 別 な く 研 究 .す る と 共 に 入 に 教 ふ る に は 誠 に 懇 切 丁 寧 で あ つ た 。 私 は こ れ を 知 る と き 、 釜 々 敬 慕 の 念 を 高 め 自 己 の 努 力 の 足 ら ざ る を 思 ひ 、 亦 勇 氣 の 倍 加 す る を 畳 え る の で あ る 。

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