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恒藤恭の戦前から戦後における民族認識 : 「合理 的精神」展開の一断面

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Academic year: 2021

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恒藤恭の戦前から戦後における民族認識 : 「合理 的精神」展開の一断面

著者 久野 譲太郎

学位名 博士(文化史学)

学位授与機関 同志社大学

学位授与年月日 2015‑03‑20 学位授与番号 34310甲第695号

URL http://doi.org/10.14988/di.2017.0000016212

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博 士 学 位 論 文 要 約

論 文 題 目: 恒藤恭の戦前から戦後における民族認識 ―「合理的精神」展開の一断 面―

氏 名: 久野 譲太郎

要 約:

法哲学者として著名な恒藤恭(一八八八-一九六七)は、戦前から戦中、戦後にかけて学界の 内外を問わず活躍した自由主義的知識人としても近代史上にその名を留めている。とりわけ戦時 期には社会の「進歩」を信じてファシズムや戦時体制と対峙、戦後には憲法を擁護して平和と民 主主義の市民的定着のために終生尽力したことなどは広く人口に膾炙した事実であろう。

こうした恒藤の思想とその意義については従来、法哲学や歴史学をはじめとして、様々な分野 からの究明がおこなわれてきた。しかしながら従来の研究では、恒藤があくまで「個人」に定位 して人類的価値の実現を志向、そのための社会変革を訴えるいわば普遍的な世界主義と実践的な 理想主義とをその基本的姿勢としたがために、かかる合理的側面の分析に比重が傾斜し、結果と して彼が民族や国家のようなある意味で非合理的でナショナルな存在をいかに評価したのかと いう点についてはあまり省みられることがなかった。たしかに恒藤は一九二〇年代には自ら「世 界主義」の立場を宣言してナショナリズムを排他的なものとして排却しており、この点ではそれ は実に恰当な指摘、分析であったといえよう。しかし彼は戦後になるとかえって民族を国際平和 建設の主体として積極的に評価するようにまでなっており、そこでは戦時期を通じたナショナリ ズム認識の重大な発展があったものと忖度されるのである。そしてそうである以上、そこには恒 藤の時代と対峙する姿勢が表出しているはずであり、こうした民族認識を機軸としたナショナリ ズム評価がいかなる過程を経ておこなわれ、またそれがいかなる姿勢において評価されたもので あったのかということをその知的文脈に即して彰かにしておくことは、彼の世界主義や平和主義 思想をより全的に把捉するためには是非とも必要な案件と言わなければならない。またそればか りか、ナショナリズムの問題が戦時下言説のヘゲモニーを握り、そして今なお世界を挑発する未 解決のアポリアである以上、かような問題に対して恒藤という一人の近代知識人がいかに向き合 い、いかに思惟したかを革めて問うておくことは、近代思想史研究のうえから観ても、そしてよ り現代的な観点よりしてもきわめて有意義なことと考えられるのである。

よって本稿ではこうした事情を踏まえつつ、まずは序章において近年における恒藤研究の状況 を概観、本稿の視角と意義を闡明したうえで、第一章において、一九三〇年代前半期、恒藤が民 族に留目し、自己の世界認識のうちに民族を再定位してゆく、その理論的プロセスとその背景に ある問題意識を、主に彼が遺したノート類の検覈を通じて追跡しておくこととする。恒藤は従来、

個人に定位した世界主義の観点に立って民族や国家のようなナショナルな存在を否定的に把え ていたが、しかしこうした合理的思考法は抽象的で歴史内在的とは言い難く、その点で非実践的 なものとも言えた。従って理想主義の立場から現実社会の変革をこそ志す恒藤は、一九三〇年代 に入るとかかる思考法を修正、その思考様式に歴史的・社会的視点を導入して社会のなかでこそ 合理性を探求、資本主義に定位した近代個人主義原理を止揚した、具体的な真の全体社会を模索 してゆくこととなる。そしてこのようななか、社会集団の一種たる民族が果たす歴史的役割もま た積極的に評価され、社会建設の主体、すなわち恒藤言うところの「進歩」の主体として立ち上 げられるに至ったと思われるのである。よってここではそのプロセスを、彼の理想主義や合理主 義の系譜をひく「全体社会」概念との関係で把えつつ、その理論的形成現場へと立ち迫ることを 目指す。

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つづく第二章では一九三〇年代前半を通じて原理的に形成された恒藤の民族認識が当時戦時 体制の進捗を背景として軒昂した排他的な民族主義的言説との対決を経るなかでいかに発展し、

深化したのかというダイナミズムを彰かにする。ファシズムの隆盛に伴って非合理的民族主義が 活況を呈するなか、恒藤は三〇年代前半を通じて発見していた民族の合理的側面を、それら民族 主義との差異化を図りつつ救出する必要に迫られたものと忖度される。ただし三〇年代前半まで とは異なり、戦時色が濃厚となる後半期以降にあっては言論の統制は熾烈をきわめ、反体制的な 発言はほぼ封殺されるに至った。そのため恒藤も総合雑誌や新聞のような一般的な出版物に執筆 することは少なく、書かれたものであっても真意を韜晦するための偽装的表現がそこに散見する。

しかしながらその分、恒藤はこの時期、自らの思想と見解をより抽象的で学術的な法哲学理論の なかに純化し、仮託する形で展開していたものと思われるのである。よってここでは主として彼 の公表された法哲学著作の読解を通して彼の民族認識の深化過程を追尋、戦時体制への「抵抗」

という文脈において恒藤の世界主義や普遍主義とナショナリズムの関係を理論的に彰示するこ とを試みる。

また第三章では、こうして析出された恒藤の戦時期における民族認識を一旦対自化すべく、当 時思想界において盛んになされた民族議論のなかに在って、その認識がいかなる特徴を有するも のであったのかを検討することとする。その比較対象としては主に恒藤と比較的近い位置にあっ た京都学派の哲学者を取り上げることとするが、ここではとりわけ、一般的に右派といわれる高 坂正顕と左派と目される三木清がこの時期まさに「民族の哲学」をめぐって論争を繰り広げてい ることに注目し、該論争を糸口として、先行の諸研究をも参観しつつ恒藤の民族認識を当時の民 族をめぐる言説情況のなかに位置づけることを試みる。そしてその際には、カントならびに新カ ント派の批判哲学からヘーゲルの弁証法へという当時思想界において生起していた推転に対し て論者たちがいかなる姿勢を示したかという態度決定の在り方がひとつのメルクマールをなす ことであろう。

そのうえで、第四章では戦時期における抵抗を通じて形成され、深化してきた世界史的観点に 立った理想主義的な「進歩の主体」としての民族という恒藤独自の認識が、今度は戦後社会にお いてどのように具体的に発展していったのかを先行研究も踏まえて概観する。戦後の日本社会な らびに政治は敗戦直後におけるGHQの占領と民主化、新憲法の制定にはじまり、一九四八年以 降のアメリカによる対日政策の転換と一九五〇年代における講和問題および日米安保体制、そし てそれに伴って盛んになるいわゆる「逆コース」というように、国際状勢やアメリカの対日政策 の変化に連動して絶えざる激動の波に晒された。こうしたなか、戦前より一貫して現実社会の変 革を志向する恒藤は、かかる時代と対峙しつつ、より現実状勢に適した形でその民族認識を実践 的に展開させてゆくこととなる。従ってここでは特に敗戦直後から講和問題期における永世中立 論を中心とした恒藤の発言に重点を置きつつ、戦後の民族認識とその発展を跡づけておくことと する。

そして終章では、戦前から戦後へと至るなか、恒藤が時代を主体的に引き受け、それとの対峙 を経て発展させた如上の民族認識の在り方を総括するとともに、補足として、かかるナショナリ ズム問題を考えるときに重要な論点となる「ナショナル・アイデンティティ」の問題にまで、戦 後の言説情況を踏まえながら論及する。それによって「合理性」というエートスを中核とする普 遍的価値へと方位づけられたその民族認識の特色を一層浮き彫りにしつつ、最後にそうした恒藤 のナショナリズム認識の意義を現代的議論をも視野に入れた思想史のなかで再考しておくこと にする。その結果、当時としてはきわめて特異なその認識が、現代においてハーバーマスらによ って主張されている、いわゆる「憲法パトリオティズム」の議論をも準備するがごとき先駆的な ナショナリズム認識であったことを彰示する。

結論としては、その「合理的ナショナリズム」とでも呼称すべき独自の民族認識の発展が、世 界主義や平和主義、ならびにヒューマニズムに象徴される、彼の普遍的な「合理的精神」展開の

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一プロセスにほかならなかったことを解明、それを通じて、従来の研究では不完全であった恒藤 の民族認識の全体像を照らし出すとともに、併せてその世界主義や平和主義をめぐる思想史研究 上の欠落に対しても有効な補角を提供する。そして「憲法パトリオティズム」という議論が現代 の日本でこそ一層批判理論としての有効性を持つものであることを踏まえつつ、それに先駆する ような恒藤のナショナリズム認識とその思想営為もまた、それが現代日本においてこそ革めて歴 史的に光を当てられ、その内在的理解の深化が試みられるべき思想的遺産であることを提示、も って本稿を論結することとする。

参照

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