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植 民 地 期 朝鮮 農 村 にお け る衛生 ・医療 事 業 の展 開

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〈論 説〉

植 民 地 期 朝鮮 農 村 にお け る衛生 ・医療 事 業 の展 開

「 植民 地的近代性」 に関 す る試論

松 本 武 祝

は じ め に

植 民 地 期 に お け る朝鮮 社 会 の性 格 規 定 を め ぐって は,そ の封建 性 を主張 す る 立場 と近代 性 を 主張 す る 立場 とが,今 日な お併 存 して い る。 前 者 は,植 民 地 権(1)

力 の暴 力的 な収 奪性 を強 調 す る立論 と結 びつ く傾 向 が強 い。 そ れ に対 して後 者 の場 合 に は,近 代 的 な物 的 イ ンフ ラス トラ クチ ャーや諸 制 度 の導 入 お よ びそれ に と もな う社 会的分 業 の深 化 や生 産 力 の伸 長 とい った論 点 が 主 た る分 析対 象 と な って い る。 筆 者 自身 は,理 論 的 に は,基 本 的 に後 者 の 、凱場 に立 って い る。

た だ し,「日本 に よ る植 民 地統 治 が 朝鮮 の近 代 化 を促 進 した」とい った主 張 を 通 じて植 民 地 支配 を正 当化 しよ う とす る独 善 的 な議 論 に対 して,後 者 の 立 論 は,そ の根 拠 を与 え かね な い危 うさを は らんで い る。 後 者の 立場 に 立っ研 究者 は,こ の点 に関 して,充 分 に 自覚 的 で な けれ ば な らな い。

植 民地 支配正 当化 論 に与 す る こ とな しに植 民地 社 会 の近 代 性 を説 く,と い う 戦 略 的 な 立場 にコ」̲̲とう とす る と き,キ ム 幕 ジ ンキ ュ ン ・チ ョ ンeグ ンシ ク両氏

に よ る論 点 整 理 は,傾 聴 に値 す る。 両氏 は,植 民 地 期 お よ び解 放後 に関す る歴(2)

史研 究 を大 き く3っ の論 調 に 区分 す る。 す なわ ち,第 一 に は,植 民 地 近 代 化論 に代 表 され る,植 民 地 期,解 放 後 を と もに肯定 的 に論 ず る論 調,第 二 には,植 民 地 収奪 論 に代 表 され る,植 民地 期 を否 定 的 に,解 放 後 を肯 定 的 に論 ず る論 調, そ して第 三 に は,植 民地 期,解 放後 いず れ を も否定 的 に論 ず る論 調 で あ る。 そ して,第 一 と第二 の論 調 は,… 見対 立 して い る もの の,「 近 代化 」を肯 定 的 に捉 え て い る とい う点 で は実 は共 通 して い る,と 指 摘 す る。 両氏 は,第 三 の論 調 を

(2)

支 持 しっ っ,近 代 性 の もつ む しろ否 定 的 な性 質 に 注 目 す る こ と,そ して,解 放 後 の 近 代 化 過 程 で 現 れ て い る否 定 的 現 象 の歴 史 的 起 源 を 植 民 地 期 に探 る こ と,

の 重 要 性 を 強 調 す る の で あ る(16〜18頁)。

近 代 性 の 否 定 的 性 質 と い う と き,両 氏 は,か つ て フ ー コ ー が 近 代 に 固 有 の 身 体 管 理 技 術 と して 主 題 的 に論 じた 「規 律 」 の 問 題 を 主 要 な 論 点 と して 取 り上 げ る。 す な わ ち,家 族 制 度,学 校,工 場 病 院 な ど植 民 地 期 に導 入 され た 近 代 的 諸 制 度 が,朝 鮮 人 の 日常 生 活 に お い て 「規 律 権 力 」 の 作 用 す る場 と して 機 能 す る こ と に よ っ て,朝 鮮 人 の 身 体 を 強 く拘 束 して ゆ く過 程 に 注 目 す る の で あ る (23〜26頁)。 そ して,か か る問 題 意 識 に も とつ い て,両 氏 の 編 集 に よ る著 書 の な か で は,学 校,工 場,医 療(病 院),家 庭 軍 隊 と い った 具 体 的 な 場 に 関 す る共 同 研 究 が 行 わ れ て い る。

こ の小 論 の 課 題 と の 関 わ りで は,そ れ らの論 文 の 中 で,と くに チ ョeヒ ョ ン

(3)

グ ン氏 の 医 療 に 関 す る分 析 が 興 味 深 い。 チ ョ論 文 は,植 民 地 期 の 医 療 制 度 が, 認 識 論 的 地 平,日 常 の 生 活 様 式 お よ び 国 家 的 制 度 と い う3つ の レベ ル に お い て

「新 しい 人 間 」 を作 り出 して い っ た過 程 を 析 出 し,そ の 「新 し い人 間 」 は っ ね に 国 家 の 医 療 体 系 の ミク ロ な網 の 目 の 中 で 観 察 と統 制 の 対 象 と な っ た と論 じて い る。 氏 の 視 角 は 体 系 的 で あ り,植 民 地 期 朝 鮮 の 医 療 制 度 を 分 析 す る上 で 有 用 で あ る。

そ して 氏 は,そ う した 一 連 の 過 程 を 「医 療 化 」 と規 定 し,朝 鮮 に お い て は植 民 地 で あ っ た が た め に 「医 療 化 」 が 一 層 強 力 に進 展 して い っ た点 を 最 後 に 強 調 して い る(216〜217頁)。 冒 頭 で 述 べ た筆 者 の 問 題 意 識 に照 ら して,き わ め て 示 唆 的 な結 論 と な って い る。

と こ ろ で,チ ョ論 文 で は,「 近 代 的 規 律 化 の メ カ ニ ズ ム を 作 動 」 させ る場 と し て 病 院,学 校 お よ び家 庭 と い う3っ の 装 置 が 取 り上 げ,そ れ ぞ れ の装 置 内 で の

ミク ロな 権 力 の 作 用 過 程 を 具 体 的 に分 析 して い る。 しか し,そ の 場 合,こ れ ら 3つ の 装 置 に よ る 「規 律 化 」 の 効 果 に は そ の 強 度 と広 が り に お い て 格 差 が 存 在

した こ と が 配 慮 さ れ な け れ ば な ら な か っ た と考 え る。 す な わ ち,強 度 と い う点 で は,病 院 〉学 校 〉家 庭 と い う順 位 が,広 が り と い う点 で はそ の 逆 の 順 位 が 想

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植 民 地 期朝 鮮 農村 に お け る衛 生 ・医 療 事 業 の展 開3

定 で きるの で あ る。

前 二者 の場 合,患 者 お よ び児 童 生徒 そ れ 自体 の 「規 律化 」 の場 と して は強 力 な効 果 を もた らした こ とは チ ョ論 文 の指 摘 す る とお りで あ ろ う。 た だ し,申 東

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源氏 が 強調 す る よ うに,植 民地 期 の保 健 医 療事 業 は在 朝 日本 人 お よび一 部 階層 の朝 鮮 人 の た め の保 健 医 療 体 系 に留 ま って い た点 が 大 きな特 徴 で あ った こと (88頁)を 考慮 に入 れ るべ きで あ る。と りわ け この小 論 が対 象 とす る農 村 部 にお いて は,以 下 で改 め て分 析 す るよ うに,病 院 な ど近 代 的医 療 機 関 の利 用度 は き わ め て低 水 準 で あ った。

ま た,教 育 を契機 とす る 「規 律 化」 に関 して も,第 一 に,初 等 学 校 教 育 が本

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格 化 す るの は1930年 代 以 降 の こ とで あ り,し か も農 村 部 で は そ れ が一 層 遅 れ た と考 え られ る ことを勘 案 す る必要 が あ る。 そ して 第 二 に,児 童 生 徒 の学 校 内 で の新 しい生活 様 式 が直接 的 に家庭 に まで伝達 され るわ けで は な く,家 庭 で の 生 活 様式 の変 化 は,社 会教 育 な ど成 人 を対 象 と した教育 の効 果 と相 ま って は じ めて もた らされ た と考 え るべ きで あ ろ う。

チ ョ論 文 は,「 規 律 化」 の契 機 と してfこ れ らの装 置 の他 に,衛 生 警 察,地 方 行 政 機 関 あ るい は衛 生組 合 とい った監 視 と統 制 の た めの諸 制度 に も注 目 して い る。 上記 の 諸 装 置 と これ らの諸 制 度 が 相 互 に どの よ うに関 わ り合 い な が ら, 個 々 の朝 鮮 人 に ヂ規 律 化」 を促 した の か を分 析 す る ことが,課 題 と して残 され て い ると考 え る。

中論文 が強 調 した よ うに,近 代 的 医療 機 関 の普 及度 の限 定性 に植 民 地 と して の特 性 を見 出す ことがで きる とす れ ば,人 口構 成 上 で は大 半 を 占あ な が ら近 代 的医療 機 関 か らはよ りm層 疎 外 され て い た農村 部 は最 も端 的 な分 析 対 象 とな り う る。以 下 で は,ま ず 農村 部 に お け る近 代 的 医療 機 関 の希 薄性 につ い て確 認 す る。 次 いで,監 視 ・統 制 の た め の諸 制 度 が 農村 部 にお いて どの よ うな か た ちで 導 入 され て い ったの かを 明 らか にす る。 最後 に,そ れ らの制度 が実 際 に いか な る効 果 を もた ら した のか,そ の効果 は近 代 的 医療 機 関 の希 薄性 とい う特性 と相 ま って農 村 住民 の 「規律 化 」過 程 にいか な る特 徴 を もた らした のか を考察 す る。

それ を もって,植 民 地 に固 有 な近代 性 に関 す るひ とっ の試 論 と した い。

(4)

第1章 農村部 にお ける医療機 関の分布 状況

1)病 院

植 民地 期 朝鮮 に お け る病 院 は,設 立運 営 主体 別 に,総 督 府 が設立 運 営 す る官

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立,道 地 方 費 によ って運 営 され る道 立,府 面立 お よ び私立 の4種 類 に分 類 され た。 道 立病 院 お よ び府 面 立 病 院 を あ わせ て公 立病 院 と総 称 す る場 合 もあ った。

な お,私 立病 院 は,1919年 制 定 の 「私 立病 院 取締 規 則 」 お よ び 「私 立 病 院構 造 設 備 標準 」 に基 づ いて総 督 府 か ら運 営上 の規制 を受 けて いた。

表 一1に 示 した よ う に,官 公 立 病 院 は1920年 代 以 降 急 速 に そ の数 を増 や し 表一1医 療機 関数 の推移

1915年 1920年 1630年 1940年

医師 朝鮮人 zo9(ss) 402(94) 921{229) 1,918(551) 日本 人 627(156) 604(155) 796(261) 1,269(485) 外国人 36(8) 29(11) 32(12) 10(2) 合計 872(230) 1,035(260) 1,749{502) 3,197(1,038)

京畿構成比 26.4% 25.1° 2$.7% 32.5%

現地開業医朝鮮人 } 5{1) 11fi(23) 365(15)

日本 人 74(5) 70{3) 89(5) 65(5)

外国人 7(0) 1{0) 13(3) 6(0)

合計 81(5} 76(4) 218,(31) 436{20}

京畿構成比 6.2% 5.3% 14.2% 4.6%

医生 朝鮮人 5,804(736} 5,37fi(fi15} 4,594(484) 3,604{324) 京畿構成比 12.7% 11.4%

10.5% 9.0%

官公立病院 27(3)27(4) 44(8) 56(11)

京畿構成比 11.1%14.8° 18.2% 19.s

私立病院 朝鮮人 62(53)18(4) 8(4) 2Q(5)

日本 人 171(102)71(25) 47{29) 63(30) 外国人 31(5)23(3)

1 24(3) 22(3) 合計 264{160)112(32)79(36) 105(38) 京畿構成比 60.6%28.6%45.6%

1

33.3%

〈 資 料 〉 朝鮮 総 督 府 『朝 鮮 総督 府統 計年 報 』 各 年 版 よ り作 成 。

〈 注1>()内 は 京畿 道 で の数値 を 示 す。

<注2>「 京畿 構 成 比 」 と は,朝 鮮 全体 の数 値 に 占め る京 畿道 の数 値 の構 成 比 を表 す(%)。

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植 民 地 期 朝 鮮 農 村 にお け る衛 生 ・医療 事 業 の展 開5 C7)

て い る。 そ して そ の 間,京 畿 道 に立 地 す る官 公 立 病 院 数 の比 率 が若 干 ず っ 増 大 して い っ て い る。 た だ し,私 立 病 院 の 場 合 と比 較 す れ ば,そ の比 率 は か な り小 さ く,地 方 で の立 地 が 相 対 的 に進 展 して い た と い う こ と が で き る。

な お,1928年 時 点 で の 「官 庁 奉 職 」医 師 数400名 の う ち,そ の 半 数 に近 い191  

名 が 京 畿 道 在 住 で あ っ た 。 官 公 立 病 院 数 で の 比 率 を 大 幅 に上 回 って い る こ とか ら,京 畿 道 の 官 公 立病 院 の規 模 が,他 道 に立 地 す る そ れ に比 べ て 際 だ っ て 大 き か っ た こ と を示 唆 して い る。

私 立病 院 の場 合,病 院 数 の 増 減 の 激 し さが ひ とっ の特 徴 とな って い る。 少 し 細 か くい う と,1919年 ま で 急 増 して い った 病 院 数(ピ ー ク時 には私立 病 院数368)

(g}

が,以 後,1922年 の68に ま で 急 減 した 。 そ の後 の 数 年 間 は70程 度 で 推 移 しy 20年 代 末 に至 っ て ふ た た び増 加 に 転 じた。

私 立病 院 の民 族 別 の構 成 に 注 目す る と,日 本 人 経 営 に よ る病 院 が つ ね に過 半 を 占 め て い た。 日本 人 病 院 は,京 畿 道 へ の 集 中 度 が 高 い点 で も特 徴 的 で あ る(以 上,表 一1)。 これ らの 病 院 は,京 城 在 住 の 日本 人 を 対 象 に 病 院 経 営 を お こ な っ

て い た と推 察 され る。 朝 鮮 人 経 営 の私 立 病 院 は,日 本 人 や 外 国 人 の そ れ(後 者 は,基 本 的 に ミッシ ョン系 の ものであ った)に 比 べ て ,1920年 代 の病 院 数 の 落 ち 込 み 幅 が 大 き か った 。 病 院 の 経 営 規 模 が 零 細 で あ った た め に,上 記 の 法 令 の 影 響 が も っ と も深 刻 で あ っ た こ と に よ る と考 え られ る。

2)医 師

1913年 に 総 督 府 は,「 医 師 規 則 」 を 制 定 して 医 師 の 資 格 と そ の 義 務 を定 め た。 以 後,同 規 則 第1条 に よ り,京 城 医 学 専 門 学 校 そ の 他 朝 鮮 総 督 の 指 定 した 医 学 校 の卒 業 者 あ る い は朝 鮮 総 督 の 定 め た 医 師 試 験 の 合 格 者 な ど以 外 は,医 師 免 許 を得 る こ とが で き な くな っ た 。

表 一1に 示 し た よ う に,医 師 の 総 数 は,1915年 か ら40年 の 間 に3倍 以 上 に 急 増 して い る。 た だ し,府 部 と郡 部 の 間 に は,医 師 の 分 布 状 況 に 大 きな 隔 た りが あ っ た。す な わ ち,1926年 現 在,医 師 ひ と り当 た り の平 均 人 口 は,府 部 の1 ,870 名 に対 して 郡 部 は そ の 約13倍 に 当 た る24,4・8名 で あ 製.し か も,京 畿 道1こ

(6)

開 業 す る医 師 の 比 率 は,年 を追 う ご とに 徐 々 に 上 昇 して お り(表 一1を 参 照),植 民 地 期 を 通 じて 府 部 へ の 集 中 が 進 行 して い た こ とが 窺 え る。

(11)

総 督 府 は,「僻 諏 の地 で は… 医師 は未 だ充分 普 及 して居 な い」とい う認識 に も とづ き,「医 師規 則 」第1条 の規 定 に該 当 しない者 で も,当 分 の間 は履 歴 と技 両 を審 査 して地 域 と期 間 を 限定 して 医 業 の免 許 を与 え る こ とに よ って(「 医師規 則」付則),「僻 阪 の地 」で の医 師 の確 保 を図 った。 それ らは 「現 地 開 業 医」 と呼 ばれ た。 表 一1に 示 した よ うに,現 地 開業 医数 は,医 師数 を上 回 る速 度 で増 加 して い る。また,京 畿道 へ の集 中度 は医 師 のそ れ に比 べ て格段 に低 い ことか ら, 郡 部 を中心 に,と い う地 域 的 な配 置 に関す る総 督府 の政策 意 図 が 実現 して いた

ことが窺 え る。

(12)

同様 に総督 府 は,「朝鮮 の僻 陳地 村 落 で は医 師 の分 布 が希 薄 」とい う問題 意 識 か ら,「 医 師規 則」 と と もに,同 じく1913年 に 「公 医 規則 」 を制 定 して い る。

公 医 は,公 衆衛 生 を主 とす る公 務 に服 す る こ とを前 提 に開業 を認 め られ た医 師 で(公 務 に対 しては手 当が支給 され る),「僻 阪 ノ地 ニ シテ比較 的 人 ロ ガ多 ク然 モ 医 療 機 関 絶 無 ノ地 二禮 」 さ れ た.公 医 の 数 も ま た,1915年 に187名,28年 に 332名,そ して38年 に は500名 と,急 増 して い る。28年 現 在 の 公 医332名 中, 京 畿 道 開 業 者 は20名(6.0%)に 留 ま って お り,現 地 開 業 医 同 様 に,総 督 府 の 政

(14)

策 意 図 の反 映 を読 み とる ことがで き る。 な お,表 一1の 医 師数 に は公 医 数 も含 まれ て い る。 公 医 を除 外 した場 合 に は,京 畿 道 在住 の医 師 の比 率 が本 表 の数 値 を上 回 る ことが容易 に想 像 され る。

3)医 生

以 上 言 及 した3種 類 の 医 師 は,い ず れ も基 本 的 に は近 代 的 医 学 に 基 づ い て 医 療 行 為 を お こ な っ て い た。 こ れ らの 医 師 の 他 に も,植 民 地 期 朝 鮮 に は朝 鮮 の 伝 統 的 な 医 学 を 修 得 し て 医 療 行 為 を お こ な う 人 々=漢 医 が 存 在 し た 。 総 督 府 は

「医 師 規 則 」制 定 と同 時 に 「医 生 規 則 」 を 制 定 し,こ れ ら漢 医 に 「医 生 」 と い う 呼 称 を 付 して,規 制 の 対 象 と した(以 下,便 宜上 カ ッコを略 す)。

医 生 ひ と り当 た り人 口(1926年)は,府 部 で は1,639名 と,医 師 の そ れ(前 掲)

(7)

植 民 地 期 朝 鮮 農 村 に お け る衛 生 ・医 療 事業 の展 開7

と ほ ぼ 同 水 準 で あ る の に対 して,郡 部 で は4 ,020名 と 医 師 の そ れ の 約6分 の1

(15)

と な って い る。 府 部 ・郡 部 間 の格 差 も,医 師 の そ れ(1:13)に 比 べ て,1:2.5 と格 段 に 小 さ い。 医 生 は,郡 部 で の 医 療 機 関 と して 重 要 な 位 置 を 占 め て い た こ とが 確 認 で き る。

な お,1937年 の 江 原 道 で の調 査 に よ る と,道 内 邑 面176の う ち,医 師(現 地 開 業 医を含 む)の 開 業 して い る 邑面 は67(38」%)で あ る の に対 して

,医 生 の 開 業 して い る 踊 は154(87.5%)1こ 及 ん で し12.医 生 膿 村 部 に お い て 砿 く分 布 して い た こ とを示 して い る。

と ころで 「医生 規 則」 は,同 規 則 発布 前 に2年 以 上医業 に従 事 して い た満20 歳 以 上 の朝鮮 人 に対 して 「医生 」 の免 許 を交 付 す る,と 規 定 して い る。 本令 に

よ って医生 の世代 間 で の再 生 産 は,事 実 上 不 可能 とな った ことに な る。

た だ し,「朝鮮 で は医 師 の数 が非常 に少 く,之 が為 僻 諏 の村 落 で は医治 を受 け る ことの出 来 な い者 が少 くな い」とい う判 断 か ら,総 督府 は1919年 に本 令 を改(17}

訂 し・ 当分 の間3年 以 上 医生 に就 いて 医術 を修 得 した朝 鮮 人 の なか で適 当 な者 に は5年 以 内 の期限 を付 して医 生 免許 を与 え る ことで ,医 生 の 世代 間再 生産 の 道 を若1だ け確 保 す る こ と と した(「 医生規則」付則)。 な おi医 生免 許 出願 に際 して は 「僻 陳 ノ地 」を選 定 して お きな が ら,免 許 交付 後 に 「人 口稠密 ナ ル都市 」 に集 中 す る と い う傾 向 が 生 じた 遡 ,儲 府 は本 令 を....改 訂 し,上 記 付 則1こ

「地 域 ヲ定 メ」 と い う語 句 を挿 入 して ,「 僻 諏 ノ地 」 に お け る医 生 の 確 保 を 試 み て い る。

しか し,現 実 に は,表 一1に 示 した よ うに,医 生 の 数 は一 貫 して 減 少 して い る。1940年 の 医 生 数 は15年 の そ れ の 約3分 の2の 水 準 に留 ま って い る の で あ る。「医 生 規 則 」発 令 に よ る医 生 の 世 代 間 再 生 産 の 狭R化 に と も な う高 齢 化 の 進 行 こ そ が,医 生 減 少 の 基 本 的 な 要 因 で あ った と考 え られ る。

第2章 農 村部 にお ける医療機 関の利 用状 況

前章 で の分 析 か ら,植 民 地 期 朝 鮮 の医療 機 関 に関 す る主 た る論 点 と して,① 病 院 や 医 師 とい う近 代 的 医 学 を体 現 した 医療 機 関 が急 速 に拡 充 され て い った

(8)

が,そ れ は都市 部 を 中心 に立 地 して いた,② 農 村 部 で は伝統 医学 の担 い手 で あ る漢 医 二医生 が主 た る医 療機 関 で あ ったが,そ の数 は減 少 しつ っ あ った,③ 農 村 部 で の 医療 の量 的 ・質 的 限 界 を補 うた め に,総 督 府 は現 地 開 業 医 や 公 医 と

い った制 度 を政策 的 に導 入 した,と い う3点 を確認 した。

以 下 で は,こ れ らの医療 機 関 の利 用状 況 に関 して,と くに農 村 部 に焦 点 を当 て て,分 析 を試 み る。

1)病 院 の利 用状 況

まず,官 道 立病 院 に お け る患 者 数 の推 移 か ら見 て ゆ く 俵 一2)。 当該 病 院 の 患 者 は,通 常 の来 院患 者(入 院 と外来)お よ び巡 回患 者 とに大 き く分 けれ れ る。

(19)

ま た,そ れ ぞ れ が,普 通(… 般 患 者)と 施 療(窮 民 患者)と に 区 分 され て い る。

朝 鮮 人 の 患 者 総 数 は,1910年 代 前 半 に急 増 して10年 代 中 葉 に ひ とっ の ピー ク を 迎 え た 。 以 後 急 減 に転 じ,20年 代 後 半 期 に は停 滞 的 に 推 移 して い る。 そ し て,30年 代 に は い る と,再 び 急 増 して い っ た。 他 方,日 本 人 の 場 合 は,当 初 は 朝 鮮 人 患 者 数 を 大 幅 に下 回 って い た も の の,以 後 ほ ぼ コ ン ス タ ン トに 増 加 して

ゆ き,20年 代 末 〜30年 代 初 に は朝 鮮 人 を 上 回 った 。 そ の 後 も増 加 が 続 くが,朝 鮮 人 側 の 伸 び が よ り急 速 で あ っ た た め,以 後 ふ た た び朝 鮮 人 を 下 回 る よ う に な

る。30年 代 末 に は か な りの 差 が 生 じて い る。 と は い え,総 人 口数 に 対 す る比 率

か ら い え ば,日 本 人 の 利 用 度 が 圧 倒 的 に 高 か っ た こ と は,い う ま で もな い。

10年 代 中 葉 に お け る朝 鮮 人 患 者 数 の ピー ク期 の 特 徴 と して,巡 回 患 者 の 多 さ を 挙 げ る こ と が で き る。 そ して そ れ ら巡 回 患 者 の 大 部 分 が施 療 患 者 に よ って 占 め られ て い た 。 来 院 に よ る施 療 患 者 数 の推 移 を全 期 間 に わ た って 追 う こ と は で き な い が,1914年 の場 合,朝 鮮 人 来 院 患 者 約299万 人 の うち,93%に あ た る約 27窃 人 が 施療 患 者 で あ 喫.同 年 だ1ナに とどま らず,こ の ピー ク期 樋 じて 施 療 に よ る来 院 患者 数 の比 率 が高 か った と推察 され る。

10年 代 中葉 の ピー クの要 因 と して,巡 回診 療 あ るい は施 療 とい った総 督 府 に よ る政 策 的 配慮 の効 果 を挙 げ る ことが で きる と考 え る。 そ う した配 慮 が10年 代 末 に消 極化 した こ とが,以 後,20年 代 を通 じて の朝 鮮 人患 者数 の急 減 ・停 滞

(9)

植 民 地 期 朝 鮮 農 村 にお け る衛 生 ・医療 一事業 の展 開 9

表一2官 道立病院における医師数 と患者数および法定急性伝染病患者数の推移

年次

㎜ 酬 器 器 器 器 ㎜ 磯 翻 撒 撒 ㎜ 枷 ㎜ 器 器 欝 躍 ㎜

医師数 総数

朝鮮人

肪 器 研 η 徊 徊 ㎎ 聡 醜 鵬 99 燭 協 酩 燗 翻 ㎜ 捌 驚 ㎜ 鵬 脱 罰 脳 繍 鋤 蹴 説 ㎜ 鰯 脚

日 本 人 患 者 数(1,000人)

備 " 届 穏 " 穏 四 昭 ㎝ σ﹂ ㎝ B ㎝ ㎎ 備 ㎝ a﹂ 昭 σ﹂ ㏄ ㎝ α﹂ ㎝ ω ㎝ ㎝ ㎝ ㎝ ㎝

232の遵遵432﹂浮4﹂﹄244⑩33861勲31つ2邊劇ーー

125379898185869292950408H232015393848478450303411111111111111222233000000008794527178030185245234112336344445558656777

入院

一牲

l

l

l

l

 

施療

1001U

nUVAUAUnU

0.1 0.1 0.2

0.1 0.1 0 0.

0.創 o.o

合計

ユ2.2 53.8 79.8 91.1 83.0 86.9

・.

94.4 i・

96.4

0.OllO5.0 0.OllO8.5 0.0111.2 1.正124.8 0.1120.5 0・1ill5・6 0.3;39.7

f138.3 148.9

1148.1

0163.9

1

138.6 169.2 0.1185.0 0.0250.9 0.1 0.O o.o Q.0 0.O o.o

275.2 230.1 274.3 334.5 359.4

朝 鮮 人 患 者 数(1,000人)

入騒

41.9 187.0 198.6 211.1 299.4 130.7 308.1 322.5 282.8 254.5 171 1fi5::1

援1:82 160.0 126.3.

.7ill26 140.1 , 129.6 137.41 134.61

119.4 i

145.51

×65.6 250.7 261.9

256.8 329.2 389.7 468.3

24 119.

110.2 126.8 17.8 118.3

90.4

75272056243883751650631089711111111

20.1 21.5 31.0 17.3 25,4 9.2 11.2 15.6 6.3

㎜一 一咽「}… 凹一一㎜㎜

『r

24.223 118.7E 109.9

4Lg is7.a

3 330.E 409。6 126・51257.5 136.81445.9 117。7i440.8

31.aZsl

17.3.

25.4 9.2338 11.21400.9 15.6'4$x.9

6.3i

22875468330742616234

粥 需 搬 題 鶴 揚 櫨 癖 粥

8340708249286704瞼職毘翫琵礁肱庶a凱焦似a甑脆既

法定急性伝染病患者 総数 日本人比率

5,425?.3

6,604 5,120 4・0571 4・9191 5,3221 6,596.' 5,589!

6,881 25,519 39,766 13,128 10,769

9.4851'vi1 7,9191 9,s71 11,595 11,6821 13,688;

14,2$3;

15,876' 15,13 16,766 20,5Q7;

13,661 17,649 17,843 14,fi81 15,631, 19,814]

125 ,284;

182094817808864509129788860772

器 肌 砿 駐 肌 姐 凪 礁 鳳 甑 訟 姶 翫 狙 翫 臆 訟 器 器 肱 脇 騰 訟 聾 翫 脆 器

〈 資 料〉 朝 鮮 総督 府r朝 鮮 総 督 府統 計 年執 』 各 年 版 よ り作 成 。

<注1>医 師 数 は,院 長 ・医 官 ・医 員 の総 数 。

<コ}三2>朝 鮮 人 医 師数 お よ び巡 同施 療 患 者 数 は 内数 。

<注3>空 欄 は資 料 な し。

(10)

を 招 い た と推 察 さ れ る。 た だ し,そ う した 政 策 転 換 の理 由 は,不 明 で あ る。

30年 代 の 朝 鮮 人 患 者 の 再 急 増 の要 因 と して,総 督 府 に よ る上 の よ う な 政 策 的 配 慮 が あ った か ど うか を 確 認 で き る 資 料 は,今 の と こ ろ 入 手 で きて い な い。 江 原 道 に関 して は,部 分 的 な統 計 資 料 が 得 られ る。 そ れ に よ る と,道 内 の3道 立 病 院 の1933〜36年 間 で の 来 院 患 者 に 占 め る 施 療 患 者 の 比 率 は,33年 以 降

(22)

17.5%,21.1%,19.7%,18.3%で あ った 。上 記1914年 の 朝 鮮 全 体 で の 数 値 と 比 較 す る とか な り低 水 準 で あ る。 朝 鮮 全 体 に お い て も,巡 回 診 療 の 規 模 自体 が

10年 代 中 葉 と比 較 して格 段 に 縮 小 して い る こ と を 勘 案 す れ ば(表2参 照),政 策 的 配 慮 が ふ た た び 積 極 化 した 可能 性 は 低 い と 考 え られ る。 朝 鮮 人 患 者 の 急 増

は,基 本 的 に は 普 通 患 者 の 増 加 に よ っ て もた ら さ れ た もの と考 え られ る の で あ る。

と こ ろ で,1933年 に発 行 さ れ た あ る著 作 で は,総 督 府 の 医 療 制 度 に 批 判 的 な 立 場 か ら,「 も し朝 鮮 官 公 医療 機 関 で 全 部 朝 鮮 人 医 師 をF7用 す る こ と に な れ ば, そ の 機 関 を 利 用 す る朝 鮮 人 患 者 が ど れ 桿 増 え る だ ろ う。 言葉 が 通 じな い 医 師 と,ま た 生 活 様 式 を 異 に す る 医 師 と接 触 す る こ と ほ ど な じま ず 不 快 な こ と は な

(23)

い 」 と い う指 摘 が な さ れ て い る。 官 道 、刀丙院 に 朝 鮮 人 医 師 が 雇 用 され る よ う に な った の は,1918年 の こ とで あ っ た(表2)。 そ の 後,朝 鮮 人 医 師 は,そ の絶 対 数 は 増 加 した もの の,医 師 総 数 の4分 の1〜5分 の1程 度 を 占 め る に留 ま っ た 。 こ う した 情 況 は,上 の コ メ ン トの 指 摘 す る と お り,官 道 立 病 院 朝 鮮 人 患 者 の 増 加 を 抑 制 す る効 果 を もた ら し た と考 え られ る。

と は い え,30年 代 に 入 る と,上 で 確 認 した よ うに,朝 鮮 人 患 者 数 が 急 増 して お り,そ の伸 び 率 は,官 道 立 病 院 所 属 の 朝 鮮 人 医 師 数 の そ れ を 明 らか に 上 回 っ て い る。 朝 鮮 人 医 師 数 の 少 な さ が,朝 鮮 人 の 病 院 利 用 に と っ て 絶 対 的 な 障 壁 と

な って い た と は必 ず し も 言え な い(朝 鮮人 の 日本語 修得 を前提 とす るが)。

た だ し こ こ で,朝 鮮 人 の 場 合 は,男 性 患 者 数 が 女 性 の そ れ を 圧 倒 的 に 上 回 っ て お り,後 者 は前 者 の6割 前 後 の 水 準 に留 ま って い た 点 は,確 認 さ れ な け れ ば

な ら な い(1916年 以 降 の男女 別患者 数 が 『朝鮮総 督府 統計年報 』 に掲載 されて い る)。

日本 人 の場 合,女 性 が ほ ぼ 一 貫 して 男 性 を若 干 上 回 る と い う傾 向 を 有 して い た

(11)

植 民 地 期 朝鮮 農 村 に お け る衛 生 ・医療 事 業 の展 開11

の と は対 照 的 で あ る。 朝鮮 人家 庭 にお け る強 固 な家 父 長的 な秩 序 意 識 を,そ の 要 因 と して 指摘 す る こ と も可 能 で あ る。それ以 上 に,「生 活 様式 を 異 にす る」異 民 族e日 本 人 の医 師(そ のほとん どが男性であった と推察 される)に 診 察 を受 け る

こ とへ の抵 抗 感 が 男性 よ りも女性 の方 が よ り強 烈 で あ った ことが,よ り規 定 的 な要 因 で あ った ので はな い だ ろ うか。 朝鮮 人 医 師 の少 な さが朝 鮮 人女 性 の病 院 利 用 に と って は障壁 とな って いた とい うこ とがで き る。

2)農 村 部 に お け る 医 療 機 関 の 利 用 状 況

表 一3に は,江 原 道 に お け る道 立病 院 お よ び 公 医 の 患 者 数 の 推 移 を 掲 げ た 。 当 時,同 道 に は,春 川(1910年 開 院),江 陵(1912年 開院)お よ び鉄 原(1931年 開 院)の3道 、玩病 院 が 存 在 した。他 方,公 医 は年 々 そ の 数 が 増 え,36年 に は45名

に達 して い る。 ひ とっ の 郡 に 平 均 して2名 以 上 の 公 医 が,ま た,平 均 して3 .9

(24}

邑面 に対 して ひ と りの公 医 が,配 置 されて いた こと にな る。

官 道1̀r病院 の患 者 数 が30年 代 に増 加 した点 はす で に確 認 したが,本 表 の 江 原 道 の場合 も,34年 を例 外 に,ほ ぼ順 調 に患 者 数 を伸 ば して い る。官 道 立病 院 の患 者数 増 加 が,都rlゴ 部 居 住 者 と農 村 部居 住 者 の いず れ に よ って もた らされ た のか を分 析 す る手 だ て は な い。 た だ し,道 、k病院 が基 本 的 に は 立地 郡 の中心 都 rf∫に位 置 して い た こ と,20年 代 以 降 は巡 回 診療 によ る患者 数 水準 が低位 で あ る

こ とを勘 案 す れ ば,主 と して都 市 部 お よ び一 部 の近 郊 農 村 の居 住 者 の 動 向 に 表一3江 原道 における道立病院および公医の朝鮮人患者数推移

11933年1934年1935年1936年

凹 田皿 一{̲̲̲

道 立3病 院

普通来院 8,84473,90987,78390,890

施療来院 17,59115,61217,33416,633

来院合計 1QQ,43589,5211Q5,117147,529

巡回合計 2,5051,6922,1371,77

公医 普通来院 57,43763,54666,44474,197

施療来院 7,0806,4096,9259,055

来院合計 64,51770,25573,36983,252

〈 資 料 〉 江 原 道 衛 生 課 『江 原 道 衛 生 要 覧 』1937年,115〜119頁 お よ び130〜139頁 よ り作 成 。

〈 注 〉 「来 院/は 人 院 お よ び 外 来 患 者 の 和 。

(12)

よ っ て もた ら され た,と い う の が 常 識 的 な 推 測 で あ ろ う。

さ て,表 一3に 関 して 注 目す べ き は,道 立 病 院 来 院 患 者 数 の 伸 び を 上 回 って 公 医 来 院 患 者 数 が 増 大 して い る点 で あ る。 前者 に 対 す る後 者 の 比 率 は,1933年

に は64%で あ った の が,36年 に は77%に 達 して い る。道 立 病 院 と比 較 して,公 医 の ほ うが 農 村 部 に よ り近 接 す るか た ち で 開 業 して い た と考 え られ る。 農 村 部 に お け る近 代 的 医 療 機 関 と い う点 で は,公 医 は道 立 病 院 よ り も貢 献 度 が 高 か っ た とい え る。 この 限 りで はf病 院 や 開 業 医 の 農 村 部 で の 不 足 と い う問 題 を 公 医 (お よび現 地開 業医)の 配 置 に よ っ て解 消 しよ う と した総 督 府 の 政 策 は,一 淀 程 度 の 「成 果 」 を 挙 げ た と い う こ と が で き る。

な お,全 羅 北 道(1932年 現在)お よ び江 原 道(1937年 現在)の 公 医 名 簿 を 見 る と,そ れ ぞ れ28名 ・39名 の う ち,日 本 人 と判 断 さ れ る 人 物 は12名 ・2名 で

(25}

あ った。 両 道 で 日本 人比 率 にか な りの差 が生 じて お り,こ の2例 だ けか ら他 道 の情 況 を推 し量 る こ とは困難 で あ る。 ただ し,少 な くと も官 道 立病 院 医 師 との 比 較 にお いて は朝鮮 人 の比 率 が いず れ の道 に お いて も高 か った と推 察 され る。

先 に述 べ た 「生 活様 式 」 に関 わ る障 壁 が,そ の分低 か った と考 え られ るので あ る。

と ころで,農 村地 域 に おい て は,近 代 的医 療 機 関以 上 に,伝 統 的 な医 療機 関 で あ る医 生 の分 布 が濃 密 で あ った こ とを前 節 で確認 した。 た だ し,医 生 の患 者 数 に関 す る統 計 資料 は入 手 で きて いな い。 以 下 で は,あ る村 落 に関 す る調査 資 料(1930年 調査)を 材 料 に して,農 村 部 にお け る医生 の利用 状 況 を推 測 す る。

表 一4の 対 象 村 落 で あ る郎 井 里 は,江 原道 江 陵郡 南部 の郎 井 面 の ほぼ 中央 に

(26)

位 置 し,江 陵 邑 か ら は 「一 胆余 」 の 距 離 に あ る。 な お,江 陵 邑 に は,先 述 の よ う に道tY1̲病院 が 立地 して い る。

調 査 農 家30戸 の うち で,病 院 へ の 入 通 院 経 験 者 を 有 す る 農 家 と 医 師 の 診 療 経 験 者 を 有 す る 農 家 を あ わ せ て もf7戸 と,全 体 の4分 の1に も達 し て い な い 。 な お,前 者 の戸 数 の 方 が 多 い の は,道 立病 院 ま で の近 距 離 性 と い う この 村 落 の

r地 条 件 に負 う と こ ろ が 大 き い と考 え られ る。 これ に対 して 医 生 の 診 療 経 験 者 を 有 す る農 家 は9割 弱 に 及 ん で い る。 階 層 別 に分 類 す る と,と くに 収 入 別 上 位

(13)

植 民 地 期 朝 鮮 農村 に お け る衛 生 ・医療 事 業 の展 開13

表 一4江 陵 郡邸井 面邸 井里住 民 の医療体 験(の べ戸 数)

収入別 医 生 病 院 医 師 そ の 他

ド位10戸 中 位10戸 上 位10戸

合 計

旧4

7戸1 

9戸1戸

̲'̲幽 一‑

10  3戸2戸

一̲"

26}5戸2戸

病 気 な し1戸,不 明1戸 病 気 な し1戸,巫 女1戸

病 気 な し2戸,巫 女1戸,不 明1戸

〈 資 料 〉 朝 鮮 総 督 府 『生 活 状 態 調 査(其 三)江 陵 郡 』1931年,309〜407頁 よ り作 成 。

〈 注1>資 料 中 の 「漢 医 」 「漢 法 医 」 を 医 生 に 分 類 し た。

〈 注2>資 料 中 の 「医 者 」 「洋 医 」 を 医 師 に 分 類 し た 。

10戸 にお いて病 院 ・医師 を利 用 した経 験 を有 す る農 家 数 が 多 くな って い る。か か る階 層牲 の要 因 と して は,な に よ り も医療 費 支払 い能 力 の格 差 を挙 げ る こ と

(27)

が で きよ う0た だ し,同 時 に,そ れ ら上 位 階層 もす べ ての農 家 が 医生 の診 療 を も経験 して い る。

先 に表 一1に 示 した よ うに,朝 鮮 の総 医 生 数 は,1930年 には,15年 に比 して 2割 以 上 減少 して い た。 と はいえ,30年 時 点 にお い て も,農 村 部 で近 代 的 医療 機 関 を利 用 して いた の は上 層 農 に限 られ て お りf依 然 と して医 生 が 医療機 関 と

して圧 倒 的 に重 要 な役 割 を果 た して いた といえ る。30年 以 降,医 生数 は も う一 段 減少 し,他 方,官 道 立病 院 や公 医 の患 者 数 は急 伸 す る。 そ の間,農 村居 住 者 の近 代 的医療 機 関 の利 用度 は確 実 に高 ま りを見 せ た で あ ろ う。 とは いえ,医 生 に よ る医療 を駆 逐 す るまで には至 らず,植 民地 期 を通 じて 医生 は農 村 にお け る 医療 機 関 と して最 も重 要 な役 割 を果 た し続 けて いた,と 考 え られ る。 医生 数 で

の京畿 道 構成 比 の減 少(前 掲表…1)は,こ の傾 向 の間接 的 な現 れ で あ ろ う。

と ころ で,ヒ の江 陵近 郊 の村 落 はy医 療 機 関 の 立地 とい う点 で はか な り恵 ま れ た環 境 に あ った と思 わ れ る。同 じ江 原 道 の1936年 の調 査 に よ る と,同 年 同道 にお け る死 亡者 約3万5千 名 に対 す る,生 前 に医師 あ る い は医 生 の治 療 を全 く 受 けず に死 亡 した者 の見 込 み 数 の比 率 は,道 全 体 で22%に 達 して い る。 そ し て,道 内22の 所管 警 察 署別 に比 較 す る と,最 大51%に 対 して最 小8%,6署 で

(28)

30%を 越 え るな ど,地 域 別 の格 差 が 目に付 く。 窮 乏 に よ る医療 費 負担 能 力 の欠 如 あ るい は医療 機 関 その もの の不在 に よ って,近 代 的 医療 ど ころか伝 統 的 医療

(14)

さえ も利 用 しえ な い住 民 が農 村 地 域 に大 量 に存 在 して い た こ とを示 唆 して い る。

第3章 農村部 にお ける防疫事業 の特徴

1915年 に 総 督 府 は 「伝 染 病 予 防 令 」 を 制 定 して い る。 本 令 で は,コ レ ラ な ど 9の 急 性 伝 染 病 を 対 象 と して(1924年 に1種 追加),そ の患 者 や死 体 お よ び 関 連 す

る家 屋 や 地 域 に対 す る様 々 な 措 置 に関 して の 規 定 を お こな って い る。

前 掲 表 一2に 示 した よ うに,法 定 急 性 伝 染 病 の患 者 数 は,1920年 前後 の 突 出

(29)

した数 年 間 を 除 けば,植 民 地 期 を通 じて ほぼ コ ンス タン トに増加 傾 向 を た ど っ て い る。 ただ し,こ の傾 向 の うちで,ど の程 度 を患 者 それ 自体 の増 加 と して, の こ りの どの程 度 を患者 の発 見 率 の上 昇 と して理解 す るの か に関 して はrに わ か に は判 断 が付 か な い。

本 表 か ら,患 者 数 に 占め る 日本 人 の比 率 が3割 を越 え る年 次 が多 か った こ と が わ か る。 日本 人 の患 者発 見 率 が朝 鮮 人 の そ れ を 上回 って い たで あ ろ うこ とを 勘案 して,割 り引 い て考 え な けれ ば な らな いが,そ れで も上 述 の人 口構 成 比 を は るか に上 回 って い たの は確 実 で あ る。 植 民 地 に居 住 す る支配民 族 の生 命 を脅 か し,か っ被 支 配 民族 社 会 を不安 に陥 れ る伝 染病 に対 して,総 督 府 は何 らか の 対 策 を実 施 せ ざ るを得 な か ったの で あ る。 しか もそ の強 力 な伝染 性 とい う特性 ゆ え に,伝 染 病 対 策 は体 系 的 な制 度 を備 え て い なけ れば な らな い。総 督 府 が,

「伝 染病 予 防 令 」に基 づ いて,防 疫 事 業 を朝 鮮 全域 に わ た って展 開 して い こ う と した所 以 で あ る。

と ころで,伝 染 病 防疫 にお いて は患者 の早 期発 見 が重 要 な課題 とな る。 この 点 に 関 して総 督 府 は,「 朝 鮮 ハ 未 タ衛 生 思想 発 達 セ ス為 ニー 家 族 巾 二伝 染 病 患 者 ア レハ之 ヲ隠 匿 スル カ如 キ悪 習迷 信 等 ヲ脱 セ サ ル」 とい う認 識 を 前提 と し て,「取 締 ノ任 二当 ル警察 官 ハ 常 二道 途 ノ風 説 売薬 ノ販路 授 受 等 二注 意」す る よ

(30)

うに指 示 して い る。 さ らに警 察官 は,単 独 あ る いは検疫 医 に同行 して 「検 病 的

(31)

戸 口調 査 」 を実 施 す る ことに な って い た。 伝 染病 患 者 の発 見 に際 して は,警 察 官 が果 たす べ き役 割 が大 きか った の で あ る。

(15)

植民 地 期 朝 鮮 農 村 にお け る衛 生 ・医 療事 業 の展 開15

表 一5に は,伝 染病 患 者 の発 見 方 法 を3年 次 にわ た って掲 げて あ る。 この表 か らはy検 病 的戸 口調 査 に よ って発 見 され る患 者 の比 率 が減 少 し,か わ って医

C32}

師 の届 け 出に よ る患 者 の比 率 が増 加 して い って い る こ とが読 み とれ る。以 後 の 変化 を明 確 に示 して くれ る数 値 は入 手 で きて い な い が,江 原 道 に つ いて1936 年 の調 査 に関 す る数 値 が判 明 す る。 それ に よ る と,検 病 的 戸 口調 査 の結果,法 定 伝 染 病 と判 明 した 患 者 が531名 お り,そ れ は同 年 の 総 患 者 数1,074名 の

(33)

49.4%に 相 当 す る。 こ の 数 値 が 一 般 化 で き る と す れ ば,戸 口調 査 に よ っ て 発 見 さ れ る伝 染 病 患 者 の 比 率 は,1920年 代 中 葉 以 降 は下 げ 止 ま りな い し は若 干 の 上 昇 反 転 傾 向 に 転 じた こ と に な る。

な お,表 一一5に お け る 医 師 と医 生 の 数 値(1925・26年 平均)に は約5倍 の 開 き が 出 て い る。 前 章 で 見 た 医 療 機 関 と して の 利 用 度 か らす る と,医 生 の 貢 献 度 は き わ め て 低 い 印 象 を 受 け る。 医 生 は,伝 染 病 発 見 者 と して は充 分 な 機 能 を 果 た して い な か っ た と思 わ れ る の で あ る。 こ の 点 に 関 連 して,1919年 の コ レ ラ流 行 の 際 に総 督 府 は,患 者 発 見 方 法 に関 して,医 生 は 「医 学 ノ知 識 浅 薄 ニ シ テ 殆 ン

表一5伝 染病 発見者 の構成 比(%)

戸f1調 査 他 人 申告 医師届 出 医生 届 出 家人 届 出 そ の 他 計

1616年 (コ レ ラ)

nj0

PO400ρ01

fi.2 5.2 100.0

1919年 (コ レ ラ)

58,9 16.9 12.8

10.9 0.5 100.0

1925・26釘 平 均

49.O toO

6.3 100.0

〈 資 料 〉 伊 藤 賢 ㌔・原 親 雄.「大 王 五 年 朝 鮮 二 於 ケ ル 虎 列 拉 流 行 二 就 テ 」

『朝 鮮 医 学 会 雑 誌 』 第20号,1918年,41〜42頁,朝 鮮 総 督 府

『大li{八年 虎 列 刺 病 防 疫 誌 』1920年,143〜144頁 お よ び 朝 鮮 総 督 府 前 掲 『朝 鮮 衛 生 要 覧 』120頁 よ り作 成 。

〈 注1>19正6・1919両 年 の 場 合,「 船 中 」 で の 発 見 事 例 は 除 外 し た 。

<注2>1925・26年 平 均 の 資 料 に は,朝 鮮 人 ・日本 人 別 の 構 成 比 の み が 記 載 さ れ て い る 。 両 年 次 の 伝 染 病 平 均 患 者 数 に 構 成 比 を 乗 じ て 発 見 方 法 別 患 者 数 の 実 数 を 推 算 し た トで,構 成 比 を 算 出 した 。

<注3>印 は,資 料 な しQ

(16)

(34)

ト信 頼 ス ル ニ 足 ラ ズ」 と い う評 価 を下 して い る。 近 代 的 医 療 機 関 と比 較 して 医 生 の 伝 染 病 に 対 す る科 学 的 知 識 が 低 水 準 に 留 ま って い た の は事 実 で あ ろ う。 た だ し,こ の 点 ば か りで は な く,地 域 社 会 の 構 成 員 で も あ る 医 生 に と って の,患 者 や そ の 家 族 の 意 向 を 無 視 して 患 者 発 見 の 通 告 を 行 う こ と 自体 の 困 難 性 に も留 意 す る必 要 が あ ろ う。

表 一6が 端 的 に示 す よ うに,伝 染 病 患 者 発 見 方 法 が 府 部 と郡 部 で は か な り異 な って い る。 前 者 で は 医 師 に よ る発 見 が ほ と ん ど で あ るの に対 し,後 者 で は 医 師 に よ る発 見 の 比 率 が 相 対 的 に低 く,か わ っ て 検 病 な い し医 生 に よ る発 見 の 比 率 が 高 くな っ て い る。 こ の 対 比 は,u本 人 と朝 鮮 人 と の 比 較 に お い て も成 立 す る。 郡 部 の 朝 鮮 人 の場 合,検 病 ・医 生 に よ る発 見 の 比 率 は 一 層 高 か った こ と を 示 唆 して い る。

な お,腸 チ フ ス に 関 して は,都 市 一 農 村 間 の 相 違 を 日本 の そ れ と比 較 す る こ とが で き る。医 師 に よ る発 見 比 率 は,朝 鮮 の 場 合 は府 部94.4%,郡 部31.8%で あ っ た の に対 して,日 本 の 場 合 は 市 部93.3%,郡 部84.0%で あ った 。 日本 で は 都 市 一農 村 間 で の 相 違 が ほ とん ど な か っ た の に 対 して,朝 鮮 で は大 きな 相 違 が 存 在 した と い う点 で 対 照 的 で あ る。 朝 鮮 農 村 部 だ け が 医 師 に よ る発 見 の 比 率 が 極 端 に低 く(医 生 に よる発 見の比 率14。7%を 加 えて も46.5%に 留 ま り,な お低 水準で

'(35)

あ る),そ の 分,検 病 に依 存 す る比 率 が 高 か っ た の で あ る。

と こ ろで,都 市 一 農 村 間 の 相 違 に つ い て は,伝 染 病 の 療 養 方 法 に 関 して も 日 本 と朝 鮮 との 対 照 性 を 見 出 す こ とが で き る。 再 び 腸 チ フ ス の事 例 で あ る が,朝 鮮 の場 合,病 院 病 舎 で 治 療 を 受 け る患 者 の比 率 が,府 部 で95.6%(残 りは 自宅療

表一6地 域別 ・民族 別 の伝 染病発 見方 法(1925・26年 平均)

単位:%

医 師 医 生 検 病 そ の 他 合 計

府部 郡部 朝鮮人

日本人

89.6 35.9 25.1 96.6

1.2 12.9

i・

0.5

8.21.Q 43.28.0 51.19.O Z.00.9

100.0 100.0 100.0 100.0

〈 資 料 〉 朝鮮 総 督 府 前掲 『朝 鮮 衛 生 要覧』120頁 よ り算 出。

(17)

植 民 地 期 朝鮮 農村 に お け る衛 生 ・医療 事 業 の展 開17

養 一 以 ド同 様),郡 部 で27.1%で あ っ た の が,日 本 の 場 合 は 市 部93.6%,郡 部

(3fi)

78.3%で あ った。 上 の発 見 方法 と同様 に,療 養方 法 に関 して も,朝 鮮 の郡 部 だ けが 極端 に病 院病 舎 の比 率 が低 く,そ の分 自宅 療 養 の比 率 が大 きか ったの で あ

る。

伝 染病 患 者 の治 療 のた め に病 院 に は隔 離病 棟 が 設 け られ た ほか,地 域 ご とに 隔離 病 舎 が 設 置 され て い った。た だ し,後 者 に関 して は,「現 在 隔 離病 舎 ハ 三 十 二個 所 アル モ何 レモ偏僻 ノ地 域 二設 置 セ ラ レ患 者 ハ勿 論 家族 二在 リテ モ入 舎 ヲ 嫌 忌 シ引 イ テ患 者 隠蔽 ノ素 因 トモナ リ,加 之 管 理 当 ヲ得 ザ ル モ ノ ア リテ全 ク荒

廃 二委 スル ノ状 態 」(全 北)あ るい は 「隔離 病舎 ハ現在 二〇 ヶ所 … アル モ既 二建 物 腐 朽 シ又 ハ狭 隆 ヲ感 シ新築 修 繕 ヲ要 スル モ ノ数 ヵ所 ア リ」(慶北)と い った報

(37)

告 が な さ れ る情 況 に あ った。

伝 染 病 患 者 発 見 方 法 に 占 め る検 病 的 戸 口 調 査 の 比 率 が 継 続 して 高 か っ た背 景 の ひ とつ と して,こ う した 隔 離 病 舎 の 不 備 に と もな う 「患 者 隠 蔽 」 傾 向 の 助 長 と に く農 村 部 に お け る そ れ を 挙 げ る こ とが で き よ う。 な お,伝 染 病 患 者 収 容 先 の 構 成 比(1926・27年 平均)は,自 宅62.5%,官 公 、気病 院25.1%,私 立 病 院6.0%そ して 隔 離 病 舎6,4%で あ っ た。 臼宅 以 外 の 収 容 先 で 隔 離 病 舎 の 占

め る比 率 は16%に と ど ま って い る。(38)

これ まで の論点 を朝 鮮 農村 に関 して ま とめ る と,伝 染病 の防 疫 と治療 に お い て医療 機 関 が担 った役 割 は限 定 的 で あ った,と い うこ とにな る。 ただ し,こ こ で留 意 して お きた い の は,に もか か わ らず,総 督府 に よ る伝 染 病 防疫 事業 が, 朝鮮 農 村 住 民 が 近 代 的 医療 技 術 と接触 す る契 機 とな って い た,と い う点 で あ

る。

す な わ ち,ま ず,警 察 官 お よび医 師 に よ って行 われ た検 病 的 戸 口調 査 それ 自 体 が,近 代 的医 療技 術 の観点 に もとつ く診 察行 為 で あ った。ちな み に,『 警察 教 科 書』 中 の 「衛 生警 察 」 の項 に は 「各 種伝 染 病 予防 心 得」 が 掲 載 され てお り, 病 原,細 菌 の抵 抗 力,症 状 お よび予 防上 の心 得 が説 明 され て い る。 警 察 官 は,

く  ラ

こ う した 医 学 知 識 に も とつ い て 戸 口調 査 を 行 った と考 え られ る。

な お,先 に も紹 介 した 江 原 道 の1936年 戸 口 調 査 の 場 合,の べ 調 査 人 数 は約

(18)

205万 人 と,当 時 の 江 原 道 総 人 口153万 人 を34%も 上 回 って い る。 そ して,被 調 査 者 の0.4%に 当 た る7,995人 が 容 疑 患 者 と判 断 され た。 この 数 値 は,当 年

の伝 染 病 患 者 数1,074人 の8倍 弱 に相 当 す る。 そ して,そ の う ち の6,6%(531

(40)

名)が 伝 染病 患者 と診 断 されて い る。 戸 口調 査 自体 は問診 な どの簡 単 な もの で あ った と思 わ れ るが,容 疑 患 者 と判 断 され た場 合 は,よ り精密 な検 査 が実 施 さ れ たで あ ろ う。 江 原道 の数 値 を 目安 に推 測 す れ ば,朝 鮮 全 体 で伝 染 病 患者 が1 万5千 〜2万 人 程度 発 生 して い た1930年 代 に は,毎 年12〜16万 人 に及 ぶ人 々 が容 疑 患 者 と して の検 査 を受 けて い た こ とにな る。

警 察 官 や医 師 との接 触,検 査 対 象 とな る ことお よ び感 染 ・発症 そ して 隔離 へ の恐 怖 とい った諸局 面 で味 わ う非El常 性 ゆえ に,検 病戸 口調 査 は,近 代 的 医療 技術 に接 す る機 会 の乏 しか った農 村住 民 に と って は と りわ け印象 深 い 出来事 に な った と考 え られ る。

さ らに,実 際 に伝 染病 患者 が発 見 され た場合 に は,そ の患 者 が利 用 して い た 家財 や家 屋 あ るい はそ の周辺 地 域 を対 象 と して綿 密 な清 掃 や消毒 が,警 察官 や 地 方官 吏 の指 示 の下 に実 施 され て い った。 そ の際 に使用 され る機 材 や薬 品 あ る い は担 当官 吏 の服装 な どの見 聞 もま た,農 村住 民 が近 代 的 医学 に関 す る知識 や 技術 と具体 的 に接 す る契 機 とな って い った と考 え らるの で あ る。

第4章 衛 生 に関す る 「 啓蒙 」事業 の展 開

1)地 方行 政 機 関 に よ る 「啓 蒙 」事 業

道 地 方 費 衛生 費 に は毎 年 「衛 生 思想 普及 費」 が計上 されて お り,道 や府 郡 に よ る衛生 博 覧 会 や活動 写 真 会 ・講 習 会 の開 催 を通 じて,衛 生思 想 の 「啓 蒙 」 が 試 み られ た。この点 に関 して江 原道 の報 告 書 は,「一般 住 民 の衛 生 思 想低 級 な る 為 予 防注 射 を忌 避 し又使 用河 水 の飲 用 を為 し若 は伝 染病 患 者 を隠 蔽 し其 の死 体 を密葬 す る者 少 か らず,又 は医療 を等 閑 視 して迷 信 的治 療 を なす もの等 あ りて 一般 衛 生 行政 上支 障 を来 す 事例 に乏 しか らず,故 に常 時 衛 生思 想 の普及 開発 を

(41)

計 るは刻下 の急 務 な り」 と指摘 して い る。地 方 行 政機 関 に よ る衛 生 思想 普 及 事 業 で は,伝 染病 予 防 ・防 疫活 動 の奨励 お よ び近 代 的 医療 機 関利 用 の懲愚 に主 眼

(19)

植 民 地 期 朝 鮮 農 村 に お け る衛 生 ・医療 事 業 の展 開19

が 置 か れ て い た と い え る。

表 一7は,1920〜28年 間 に 『東 亜 日報 』 紙 上 に 掲 載 され た 道 お よ び府 郡 に よ

(42)

る衛 生思 想 普 及 事業 の一一覧 で あ る。 道 主催 事業,府 郡 主催 事 業 それ ぞ れ が報道 され る頻 度 は,ほ ぼ 同程 度 で あ った。 なお,こ の ほか に面 † 催 の事業 が報道 さ

C43)

れ て い る が,3事 例 と極 め て 少 数 に留 ま っ て い る。

ま ず,府 郡t;催 の 事 業 の特 徴 に 注 目 す る と,第 一 に,警 察 署 主催 の も の が29 事 例 と,全 体43事 例 の67%を 占 め て い た点 を 挙 げ る こ とが で き る。 伝 染 病 防 疫 に 関 して 警 察 官 が 固 有 の 役 割 を 果 た して い た こ とを 前 章 で 指 摘 した が,伝 染 病 に 関 す る 「啓 蒙 」 事 業 に 対 して も警 察 組 織 が積 極 的 に 関 与 しよ う と して い た こ とが わ か る。そ して 第 二に は,郡 内 を 巡 回 開 催 した4事 例 を 除 い た39事 例 の 中 で,府 お よ び 邑 所 在 地 で の 開 催 が25事 例(64%)あ り,都 市 部 に お い て 重 点 的 に 開 催 さ れ て い た こ と を 指 摘 で き る(府 邑 は1938年 現在)。 第 三 に,事 業 内 容 と して は,活 動 写 真(一 部幻 燈 を含 む 一以 下同様)上 映 が25事 例 で も っ と も多 く, 衛 生 展 覧 会 開 催,講 演 会 が そ れ ぞ れ16事 例,11事 例 で そ れ に次 い で い る。

と こ ろ で,事 業 内 容 に 関 して は,府 郡 の 事 業 と道 の そ れ とは 類 似 して い る。

す な わ ち,道 の 事業41事 例 に お い て も,活 動 写 真 上 映 が29事 例 で 最 も多 く, 衛 生 展 覧 会22事 例 が そ れ に 次 い で い る の で あ る。 道 の事 業 の うち14事 例 で 道

内 を巡 回 開 催 して い る。 本 表 で 府 郡 主 催 と して扱 わ れ て い る 事 業 の う ち の か な りの 部 分 が,実 は,道 主 催 に よ る巡 回 開 催 の一 環 で あ った 可能 性 が 高 い。 な お, 道 の 事業 で は 講 演 会 は4事 例 に と ど ま り,府 郡 の事 業 に比 べ て 相 対 的 に少 数 で あ る。 講 演 会 の よ うに 予 算 上 比 較 的 に 小 規 模 な 事 業 が 府 郡 独 自 の 事 業 と して 開 催 さ れ た と思 わ れ る。

京 畿 道 で は,1923〜28年 に毎 年6〜10面 に お い て 衛 生 博 覧 会 お よ び 活 動 写 真 会 を 開 催 して い る(そ の前後 の年次 につ いて は不明)。 この6ヶ 年 間 に,道 内21 府 郡 す べ て が 少 な く と も1っ の 開 催 地 を有 して い る。 ま た 慶 尚 北 道 で は,1937 年 に は2郡 で 衛 生 展 覧 会 を,12郡17個 所 で 衛 生 活 動 写 真 会 を 開 催 して い る。

さ ら に江 原 道 で は,1936年 に は14郡 に お い て の べ28回 に わ た って 衛 生 活 動 写 真 会 を 開 催 して い る。 江 原 道 の 場 合,7郡 に お い て の べ117回 の 衛 生 講 話 会 が

(20)

表 一7道 お よ び 府 郡 に よ る 衛 生 思 想 普 及 事 業 一 覧(1920〜28年)

道 主 催 府 郡 主催(慈 恵/道 立病 院 を含 む)

nv. 開 催 年 次 ・道 名 no. 開 催 年 次 ・府 郡 名

1 20威 南B巡 1 20仁 川 府BC

2 20全 北B 2 20元 山 府B

3 20全 北B巡 3 21晋 州 警 察 署B

4 21慶 北A巡 4 21光 州 郡AB

J 21京 畿A 5 21統 営 郡B

6 21慶 南B s 21沙 里院 警 察 署C

7 21平 北BC 7 21兀 山 警 察 署C

8 21平 北BC S 21永 柔 郡C

9 21威 北C 9 21大IH郡BC巡

10 121威 南AB 1() 22陳 山 警 察 署 ・面B道 後 援

ll21慶 北AB 11 22京 城 府B

12…22慶 南B河 東 群'署'面 後 援112 22馬 山警 察 署B

13 22全1菊B113 1 22浦 項 警 察 署B

45678901234567890123456789011112222222222333333333344

122黄 海A 22京 畿A 22忠 南A巡 22慶 北B 22慶 北B巡

22京 畿 道 ・龍 山 警 察 署B 22黄 海AB巡

22忠 南B巡 22慶 北A巡 22黄 海AB 22黄 海AB 22〜].14;3B 22慶 北AB巡 22全 南A

23黄 海A巡 23京 畿A巡 23京 畿AB巡 ≪1

23京 畿B楊 平 警 察 署 後 援 24京 畿 道 ・仁 川 府 ・署AB 24京 畿 道 ・江 華 警 察 署AB 24京 畿A巡

24慶 北B 24・ ド1幸1B 25届 〜倖ゴB 25威 南AB 25京 畿AB巡 27♪巴モ1‑幸{A 27〜1二屡気BC

]4 15 16 17 18 19 2U 21 22 23 24 25 zs

127

9900 8Qσ0

22モ 琴州 警 察 署B 22裡 駐 警 察 署B 22仁 川 府 庁 ・警 察 署B 22汀 華 郡BC巡lr11・

22裡 里 警 察 署A益 山 面 後 援 22高 敵 警 察 署AB郡 庁 後 援 23京 城 府BD

23春 出 警 察 署D 23馬 山 警 察 署A 23沙 里 院 警 察 署BC 23定 州 警 察 署 ・定 州 面BCD 23公 州 警 察 署A

23沙 里 院 警 察 署A 23載 寧 警 察 署A

23楊 州 郡 庁 ・警 察 署AB

23f導1目 警 察 署

1 23中 和 郡 庁 ・警 察 署AB巡 13112嫡344433333334 310987654322 州 警 察 署BC巡

〈 資 料 〉 『東 亜 日報 』 よ り作 成 。

<注1>記 号 の 意 味 は 次 の 通 り。A C

<注2>「 巡 回 」 と は,

<注3>記 事 の 初 出 順 に 掲 載 した 。

24成 川 警 察 署D 24大 邸 慈 恵 病 院A 25釜lh犀 守1、

25梁Li{君1二C 25都 成 府D

25京 畿 道 開 城 病 院AB 251#f和 警 察 署AB 25碧 滝 警 察 署A 26利 原 警 察 署AB 26端 川 郡 庁 ・警 察 署AB 27音 巨lI」警i察署BC 27成 川 警 察 署A

;衛 生 展 覧 会}B;活 動 写 真 会(幻 燈 を 含 む)

;講 演 会,D;宣 伝 ビ ラ配 布

地 域 内 を 巡 同 して 活 動 を 行 う こ そ を 意 味 す る。

(21)

植 民 地 期 朝 鮮 農 村 に お け る衛生 ・医療 事 業 の展 開21

{44)

開 催 され た こ と も報 告 され て い る。

府 郡 の 事 業 の 場 合,新 聞 紙 上 に は,上 述 の よ うに 都 市 部 で の 開 催 が 主 と して 取 り 上 げ られ て い た 。 しか し,道 の事 業 と して 巡 回 開 催 され た 場 合 に は,開 催 地 は か な らず し も都 市 部 に 限 定 さ れ て い た わ け で は な く,農 村 部 に お い て も頻 繁 に 実 施 さ れ て い た と い う こ とが で き る。 ま た,事 例 数 は 多 くな い がz郡 主 催 の 事 業 の 中 に も巡 回 開 催 の も の が 存 在 して お り,そ の 場 合,農 村 部 を 中 心 と し て 開 催 さ れ て い た と考 え られ る。

と こ ろ で,上 の 京 畿 道 の 場 合,開 催 日2日 間 で の 入場 者 数 は}衛 生 展 覧 会 で 300〜4,500名,活 動 写 真 会 で1,300〜4,700名 で あ っ た と い う。 慶 尚 北 道 の場 合 に は,2回 の 衛 生 展 覧 会 の 入 場 者 数 は1,720名 と9,000名,活 動 写 真 会 の そ れ は 平 均 す る と約2,500名 で あ った 。 ま た,江 原 道 の場 合 は活 動 写 真 会,講 話

(45)̀

そ れ ぞ れ の 平 均 入 場 者 数 が,約1,200名 と93名 で あ っ た。 これ らの イ ベ ン トが か な りの 集 客 力 を 有 して い た こ と が 窺 え る。「東 亜 日報 」の 記 事 に お い て も,し ば しば 「盛 況 」 と い う コ メ ン トが 付 され て い る。

衛 生 展 覧 会 で の 展 示 品 に 関 して は,「 各 般 患 者 の 模 型 」 「伝 染 病 人 模 型,細 菌 」

(46)

と い った 記 述 か ら,そ の 内 容 が 窺 え る。 そ れ らは,ま さ に1恐 怖 と好 奇 の 視 覚

(47}

メ デ ィア 」 と して の機 能 を 担 って い た と い え る。 ま た,活 動 写 真 会 の 場 合 は, そ の 内 容 も さ る こ と な が ら,活 動 写 真 そ れ 白体 が 娯 楽 牲 を 有 して い た とい う こ とが で き る。 こ れ らの 催 し物 が 「盛 況 」 と な り え た背 景 に は,こ う した 事 情 が あ っ た と 考 え られ る。

2)民 間 団 体 に よ る 「啓 蒙 」 事 業

『東 亜 日報 』紙 上 に は,L述 の よ う な地 方 行 政 機 関 に よ る衛 生 思 想 普 及 事 業 だ け で な く,民 間 団 体 に よ る 「啓 蒙 」 事 業 に つ い て も頻 繁 に記 事 が 掲載 さ れ て い る。1920〜28年 間 の記 事 を ま と め る と表 一8の よ う に な る。

こ の 表 か ら読 み と れ る特 徴 と して,以 下 の4点 を 挙 げ る こ と が で き る。 第 一 に,57事 例 の 中 で 府 邑 を 開 催 地 とす る事 業 が35で あ りa巡 回 開 催 の5事 例 を 除 外 した52事 例 の67%を 占 め て い る点 で あ る。 府 郡 主催 の 事 業 の 中 に 占 め る

表 一7道 お よ び 府 郡 に よ る 衛 生 思 想 普 及 事 業 一 覧(1920〜28年) 道 主 催 府 郡 主催(慈 恵/道 立病 院 を含 む) nv. 開 催 年 次 ・道 名 no
表 一 ・8民 間 団 体 に よ る 衛 生 に 関 す る 「啓 蒙 」 活 動(1920〜28年) no. 開 催 年 次 ・団 体 名 no.開 催 年 次 ・団 体 名 1 20元 山医 師 会C青 年 会 ・東 亜 日報 支局 後援 1 3424京 城 医 専 「有 隣 会 」C 2 20私 立朝 陽 学 校 職 員C 3525茂 山 青年 会C東 亜 日報 支局 後 援 3 20永i7i年 倶 楽 部C 3625鉄 山基 督 教 青年 会C 4 20平 壌 箕 城 医 師 会BC 3725利

参照

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