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修道会領地処分問題 ―― 米系糖業資本の対比進出との関連で――

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東 南 ア ジア研 究 21巻2号 1983年9月

修 道 会 領 地 処 理 問 題

一米 系糖 業 資 本 の対 比進 出 との 関連 で

-永 野 善

子*

TheFriarLandsQuestion in thePhilippines: W itIISpecial Referenceto theSam loseEstate

,

M indoro

YoshikoN AGANO*

Thisarticlediscussesthefriarlandsquestionin thePhilipplneSduringtheearlyAmericancolonial period. AftertheUnitedStateshadtakenposses -sionorthePhilipplneSattheturnofthecentury,

thecolonialgovernmentpurchasedhaciendasand parcelsoflandownedbythreereligiousordersto putan end to agrarian unrestin theTagalog regl()n. TlleFriarLandsActwasenactedin1904 toregulatetheproceduresorlandredistributionby thecolonialgovernmenttofわrmertenalltSOrthese friarlands. は じ め に 1910-1911年 に ア メ リカ議 会 で は, フ ィ リ ピ ン ・ミン ドロ 島 の サ ン ・ホ セ 農 園 (Sam Jose Estate)を め ぐって 大 論 戦 が 展 開 さ れ た 。 サ ン ・ホ セ農 園 は, 当 初 , 農 民 に払 い下 げ る 目的 で フ ィ リピ ン政 府 が カ ト リッ ク修 道 会 か ら購 入 した ,「修 道 会 領 地」(friarlands)1) *光 陵女子短期 大学 国際教養学科 ;°ept.ofl n-ternational&CulturalStudies,Koryolnter na-tionalCollege,Sagamine,Nisshin,Aichi一gun,

Aicbi-ken470-01,Japan

1)アメ リカ 植民地期 フィ リピンで は,行政上, 土地を① 「私有地」(privatelands),㊤ 「公有 地」(public lands),③ 「修 道 会 領 地」 (friar

Thecolonialgovernment,however,faceddiff i-cultylnSellingthelandtofわrmertenants,because among the friarlandswere large uncultivated haciendasinremoteareas. Aftertheamendment oftheFriarLandsActin1908-1909,whichaboト ishedthelimitationorsalestoindividuals,theSam Jose Estate ofmore than 22,000 hectareswas purchasedbyAmericansugarcapital. Thiswasa forerunneroftheAmericancapltalinvestmentin thePhilipplneSWhichflourishedinthe1920S.

の 一 部 で あ った。 と こ ろが , コ ロ ラ ド州 選 出 J・A・マ ー チ ン (JohnA.Martin)下 院議 員 に よ る と,2万 ヘ ク タ ール 以 上 に及 ぶ サ ン ・ ホ セ農 園 が1909年 末 に ,当 時 「砂 糖 トラス ト」 (SugarTrust) と して知 られ た 「ア メ リカ精 製 糖 会 社」 (Am erican Sugar Refining Co.)

に対 し, 非 合 法 で 売 却 され た の で あ る。 マ ー チ ン議 員 の主 張 は, 大 資本 の対 フ ィ リピ ン進 lands)の三つに区分 した。 この場合, 「修道会 領地」 とは , フィ リピン政府が カ トリック修 道会 か ら購入 した 所有地であった。未買収の 教会 関係諸機関の所有地 は,行政上 ,「私有地」 として 扱われていたのである [APL 1911: IV]。 従来の研究では, この点が必ず しも明確 に 指摘 されていなか ったので ,改めて ここで 確認 してお く。 189

(2)

東南 ア ジア研究 21巻2号 出 に批 判 的で あ った ア メ リカの農業生 産 者 や 反帝 国主 義 同盟 の支 持 す る ところで あ った。 このた め, ア メ リカ議会 は下 院 島峡 間題 委員 会 にお いて包括 的調 査 を実施 す る こ とを決議 し, ア メ リカ並 び に フ ィ リピンの多 数 の政策 担 当者 や糖 業 関係 者 を 喚 問 した。 大 論 戦 の 莱 , フ ィ リピン政 府 によ るサ ン ・ホセ農 園 の 売却 は合法 とされ た が, 事 莱 上 , 同 農 園 は ア メ リカ系糖業 資本 の手 に渡 って いた [滝川 1963:49-50な ど]。 サ ン ・ホセ農 園売却 を め ぐる論議 は, ア メ リカ植 民 地 期 フ ィ リピ ン史 上 の一 つ の エ ピ ソー ドと して, あ ま りに有 名 で あ る。 その一 部 始終 は,1911年 に 公 刊 され た1,300ペ ー ジ 以上 の大部 な2巻 の報告書 『フ ィ リピ ン土 地

行 赦』 (AdmT'nistration of PhilippineLands)

か ら知 る こ とが で き る。 同報 告書 で は,委 員 会 に提 出 され た法 律 文書 , そ の他 多 数 の 資料 を は じめ,委 員会 で の証 言 や発言 が もれ な く 収録 され て い る。2) と ころが, 同報 告書 を詳 細 にわ た って検 討 し, サ ン ・ホセ農 園売却 の 背 景 と実態 を再 構 成 した研 究 は, い まだ存在 しない 。 い うまで もな く,サ ン ・ホセ農 園 は , ア メ リカ系 資本 の対 フ ィ リピン進 出の先駆 的 基盤 で あ った。 したが って, その売却 の背 景 と実態 を解 明す る こ とは, ア メ リカ植 民地 期 フ ィ リピ ン経済 史研 究 にお いて重 要 な意義 を もつ といえ る。 本 稿 で は,以上 の研 究状 況 と問題 設 定を踏 まえ て, サ ン ・ホセ農 園を 中心 と して修道 会 領 地処 理 問題 を論 じる。 まず, 元来農 民に払 い下 げ る 目的 で政府 が購 入 した修 道会 領地 が 2)同報告書には, ①アメ リカ議会下院島峡間庫 委員会最終報告 (Il卜LV), ㊥ 同委員会議事録 (ト1057),@ フイ])ピン政府内務省調査 報告 (1059-1288),@#Sl(1289-1305),@7J l) カ議会下院島供問題委員会少 数 派 の見解 (ト 14)が収録 されているOなお(釧ま,『修道会領 地調査』(TheFriar-Land Inquiry)として, 1910年に別途公刊された。 190 ア メ リカ系 資本 の手 に渡 った背 景 を,修 道会 領 地 買収 過 程 ,住 民 へ の農 地 ・宅地 払下 げ, ア メ リカ系 資本 へ の荒 蕪地 賃貸 ・売却 の,三 つ の側面 か ら考察 す る。 つ いで, ミン ドロ開

発 会 社 (Mindoro DevelopmentCo.)のサ ン ・ホセ 農 園 購 入 手続 き と 経営 問題 を 分析 し, 国内資本 へ の所 有 -経 営権 移譲 の軌 跡 を た ど りた い。 Ⅰ 修 道 会領 地 の 買収 1. ローマ教皇 との交 渉 フ ィ リピンで はスペ イ ン植 民 地期 に, マ ニ ラ周 辺諸 州 を 中心 に, 修 道 会 を は じめ とす る カ トリック 教会 関係諸 団 体 の ア シェ ンダ (haciendas, 大規模 な所 有 地 も し くは農 園) が形成 され, フ ィ リピン革命 (1896-1902年) の温床 とな った [他 端 1980:63-86].ア メ リカ は1898年 にスペ イ ンか らフ ィ リピン領 有 権 を獲 得 後 ,各 地 の反乱 を鎮圧 す るた め に軍 政 を しき,1901年 か ら民 政 移管 を開始 した。 当時 の フ ィ リ ピン統 治 機 関 は, ア メ リカ人 総督 によ って 統 轄 さ れ る フ ィ リピ ン 委 員 会

(PhilippineCommission)で あ り,初 代総 督 に はW ・H・タ フ ト(William H.Tart,在任 期 間 190ト1903年 ) が就任 した。 就 任 後,級 は, マ ニ ラ周 辺諸 州 の修 道会 ア シェ ンダが農 業 不 安 の温 床 とな って い る こ とを認 識 し, そ の買収 の必要性 を強 くア メ リカ議会 に訴 えた [Grunderand Livezey 1973:126-127

]

この結 果 , ア メ リカ大統領

T

・ル ーズ ベル ト (TheodoreRoosevelt)の承 認 を得 て1902年 に制 定 さ れ た 「(フ ィ リピン) 組 織 法」 (0ト ganicAct,法235号 ) の なか に,修 道 会領地 取 得 規 定 が含 まれ る こ とにな った。 フ ィ リピ ン組織 法 は, フ ィ リピン統 治 に関 わ る全般 的規 定 を暫 定 的 に定 めた法 律 で, 坐 文87ヵ条 か らな って い る。この うち 「公有 地」 (publiclands)と修 道会領 地 に関わ る部 分 は ,

(3)

永野 :修道会領地処 理 問題 そ れ ぞれ 独 立 の 法 律 とな って, 1903-1904年 に制 定 され た。 同法 で は, 第 15条 で , 公 有 地 (森 林 ・鉱 山を 除 く) の 民 間 へ の 払 下 げ 面 積 杏 , 個 人 の場 合 16- タ タ ール , 会 社 の場 合 1,024ヘ クタ ール に制 限 した。 さ らに, 第 63・ 64・65条 で , 宗 教 団体 を は じめ とす る民 間公 共 団 体 , 個 人 な どの所 有 地 の買 収 ・払 下 げ に 関 し,以 下 の規 定 を 設 けた 。(むフ ィ リピ ン政 府 は, 宗 教 団体 な どの所 有 地 を購 入 す る権 限 を もち,土 地 購 入 費 に 充 用 す る 目 的 で 公 債 を発 行 す る こ とが で き る (第 63・64条 )O (勤 政 府 が月 収 した 土 地 は す べ て 「公 共 財 産 」 表 1 修道会領地買収状況 (1905年) 修道会 名書 農 園 名 州 名 ドミニコ会 Naic カビ テ

SantaCruzde カビ テ

Malabon

Lolomboy ブ ラカ ン SantaMariade ブうカ ン

Pandi

Biaan ラグナ

CalSantambaaRosa

Orion ノララヾグナグナタア ン

小 計

アウグスチノ仝 SanFranciscode カビテ

Malabon Binagbag ブラヰ ン Dampol フう カ ン GuigulntO ブラカ ン Malinta ブラカ ン Matamo ブラカ ン SanMarcos ブラヰ ン Muntinglupa リサール Piedad リサー.ル Tala リサール Banilad セ フ一. Talisay- セ ブ Minglanilla Ⅰsabela イサベラ 小 計 レコレー ト含 Ⅰmus カ ビテ SanJose ミンドロ 小 計 合 計

州 名 面積 H(ha) (価USドル)ヘクタール格 F当た り価 格(USドル)

カビ テ 7,624 491,356 64 カビ テ 9,795 518,706 53 7`ラカ ン 5,177 486,621 94 ブうカ ン 10,342 527,319 51 ラグナ 3,659 300,792 82 ラグナ 13,673 692,722 51 ラグナ 5,470 455,117 83 バタア ン 916 49,025 54 56,656 3,521,658 62 カビテ ll,449 534,937 47 ブラヰ ン 295 17,936 61 フう カ ン 929 75,324 81 ブラカ ン 946 77,784 82 ブラカ ン 3,574 220,211 62 ブラカ ン 12 841 70 ブラヰ ン 87 6,162 71 リサール 2,827 43,839 16 リサー.ル 3,860 165,172 43 リサール 6,696 112,054 17 セ フ一. 1,925 106,000 55 セ ブ 8,020 553,893 69 イサベラ 19,891 159,858 8 60,5112,074,011 34 カ ビテ 18,2431,036,012 57 ミンドロ 23,266 298,782 13 41,509 1,334,794 32 158,6766,930,463 44 (出所) APL[1911:728]. (注) *月収以前の農 園の所属。 **小数点以下四捨五入。 (publicproperty)の 一 部 とな り, 民 間 -の賃 貸 (最 長3カ年 ) ・売 却 の 際 に は, 第 15条 の取 得 面 積 制 限 が 適 用 され る (第 65 条 ).(亘月 収 さ れ た 土 地 の 居 住 者 ・占 有 者 (settlers and occupants) は, 政 府 か ら土 地 を 購 入 も し くは貸 借 す る優 先 権 を もつ (第 65条 )

[

APL

1911:510

]

タ フ ト総 督 は, フ ィ リピ ン組 織 法 が制 定 され る数 カ月 前 か ら, ローマ教 皇 を通 して 修 道 会 領 地 を買 収 す る手筈 を整 え て い た。 同法 制 定 後 , 彼 は ア メ リカ政 府 の 代 表 と して教 皇 に正 式 文 書 を送 り, フ ィ リピ ンで活 動 して き た 三 つ の修 道 会 -ド ミ ニ コ (Domi -nico)会 ,ア ウグ ス チ ノ(Augustino) 会 , レ コ レ ー ト (Reco -1eto)会 - が 所 有 す る 「農 地 , 建 物 , 港 概 設 備 , 並 び に そ 191

(4)

東南 アジア研究 21巻2号 の他土地 改良の成果 一 切」 の購入 を 申 し出た [Reyes 1967:153

]

交渉 は難 航 した。 その理 由 は二つ で あ る。 第 1に, タ フ ト総督 は修道会領地 の買収 と同 時 に, フ ィ リピンにお ける三つ の修 道会 の活 動 の停止 を要求 したが,教皇側 が これを簡単 に了解 しなか った こと [ibid.:154]。第 2に , フ ィ リピン政府 は190ト1903年 に,購入 予定 地 の測量 を実施 し地価 を査 定 した。 この過程 で買収 の対象 とな ったア シェ ンダや 中小 の所 有 地 の 多 くで, 土地所有権 が1899-1900年 に つ ぎつ ぎ と民 間会社 に移譲 され た ことが判 明 した こと [ibid.:156]. ドミニ コ会 はイギ T) ス系 「フ ィ リピン砂 糖農 園開発会 社」 (Phiレ

ippineSugarEstatesDevelopmentCo.)

-,

ア ウグス チ ノ会 は ス ペ イ ン系 「海外農業会

社」(SociedadAgricoladeUltramar)

-,

買収 の対象 とな っ た 全 所 有 地 を 売 却 , レコ レー ト会 は一部 の所有 地 を 「イギ リス ・マ ニ ラ農 園会社」(BritishManilaEstatesCo.)

売却済 みで あ った。3) これ は, フ ィ リピ ン革

命政権 によ る教会 関係 財産 没収 を逃 れ るた め に修道会 が とった苦 肉の策 で あ り,会 社 はい ず れ も修道会 のダ ミーで あ った。

3)SociedadAgrl'coladeUltramar(1893年にマ

ドリッドで 設立) は,1893年に4農園 (Sam

FranciscodeMalabon,Tala,Malinta,Piedad), 1899年に8農園 (Isabela,Talisay-Minglanilla, Muntinglupa, Banilad 〔別 称 Talambon〕,

Dampol,SamMarcos,Matamo,Guiguinto), 1901年に 1農園 (Binagbag)を購入 ;British ManilaEstatesCo.(1898年にロンドンで設立) は,1900年に Fomentodela Agriculturade Filipinas(1894年にレコレー ト会が設立)から Imus農園を購入・;Philippine SugarEstates DevelopmentCo.は 1900年に マ ニ ラで 設 立,8農 園 (Calamba,Bi飴n,Santa Rosa, Lolomboy,Naic,Orion,SantaCruzdeMal a-bon,SantaMariadePandi)を購入。 1898

年に ドミニコ会は同8農園をイギ リス人に売 却 し,1900年に このイギ リス人は スペイン人 と合同で上記会社 を設立 した [APL 1911: 965-966

]

192 しか し, この二 つ の問題 も, たび重 な る交 渉 の末 に解決 し,1903年 12月, タ フ ト総督 と ローマ教皇 は最 終 的合意 に達 した。23カ所 に 存在す る,月収 の対 象 とな ったア シェ ンダ と 中小 の所有地 の絵面 積 は,1901-1903年 の測 量 によ って,暫 定的 に 約16万4.000ヘ クター ル,購 入 価 格 は約724万 ドル と査 定 され た [Endriga 1970:402]。 しか し, 最 終 的測 量 の結果,総面 積 は 約15万9,000ヘ クタール と確 定 され,1905年 10月 の支 払 い完了 時 の購 入価格 は約693万 ドル とな った (表 1)0 2. 買収 に付 随 した二 つ の問題 交 渉難 航 の末 に修道会領 地 を買収 した フィ リピン政府 は, 当初 か ら二 つ の難 問を抱 えて いた。第 1に,政府 が買収 で きなか った教会 関係諸 団体所有 のア シェ ンダが マ ニ ラ周辺諸 州 に残存 した こと,第2に,買収 され たア シ ェ ンダのなか には,辺境地域 に位 置 し,大部 分荒蕪地 か らな る ものが あ り, これ を農民 に 転売 で き る可 能性 が薄 か った こ と, で あ る。 第 1の点 につ いて。前 述 のよ うに, タ フ ト 総督 は, ローマ教皇 に対 し, 当初 か ら ドミニ コ会, ア ウグスチ ノ会 , レコ レ- 1.会 の三 つ の修道会 の所有地 の買収 を 申 し出て いた。 こ の ことは,交渉 開始 の時点で, タ フ ト総督 が マ ニ ラ大司教庁 な どの所有地 を買収 の対 象 か ら除外 して いた ことを意 味す る。 実 際,未買収 の教会 関係諸 団体所有 地 は多 い。表2は, フ ィ リピン委員会 内務長 官 D ・ C ・ウ-ス ター (DeanC.W orcester)が1911 年 にア メ リカ議会 に提 出 した 資 料 で 示 され た,未買収 の農 園で あ る。 同資料 で は,未買 収 の五つ のア シェ ンダを 「私有農 園」(private estates) と規 定 して い る。 ところが,五 つ の 私有農 園 の うち二 つ が マ ニ ラ大司教庁 の所有 で あ り, 一 つが ドミニ コ会 のダ ミー 会 社, フ ィ リピン砂糖農 園開発会社 が所有 す るカ ラ ンバ農 園 (CalambaEstate)の一部 で あ った。

(5)

永 野 :修道会領地処理問題

義 之 五つの 「私有農 園」の所有状況 (1909年) 農 園 者 所在州名 総面積(ha

Dinalupihan バ タアン 4,125 SanⅠsidro ラグナ 661 BuenaVista ブラカン 40,000

所 有 名 儀 マニラ大 Etl教庁

Mendezona

&

Co.

など

SanJuandeDios Hospltal

PhillpplneSugarEs -tatesDevelopmentCo. マニラ大司教庁 (出所) APL[1911:602-603]. (注) 同資料 は1909年 にフィ リピン政府土地局長が クー スター内務長官に提 出した もの。 さ らに, 最 近 の研 究 によ る と, ド ミニ コ会 は 政 府 に よ る買 収 を 逃 れ るた め に,二 つ の ア シ ェ ンダを イ エズ ス (Jesus)会 に売 却 して い た の で あ る [Roth 1977:1]。 以 上 は, カ ラ ンバ農 園 の一 部 を 除 い て, メ フ ト総 督 が交 渉 の対 象 か ら除 外 した ア シェ ン ダ で あ る。 この ほ か, 当 初 買 収 の対 象 とされ た が 交 渉 の過 程 で 除 外 され た所 有 地 も, い く つ か存 在 した。4) 4)例えば修道会側 は,リサール州に所在す る人 口 桐密なMandaloya農 園 (アウグスチノ会)と

San Juan delMonte農園 (ドミニ コ会)の 売却を拒否 した[APL 1911:1098]。 この二 つの農園の総面積は,1903年の フ ィリピン委員 会 による暫定的測量によると,前者が4,033 -クタール ,後者が156ヘ クタールであった[U.S. Bureau ofInsularA飴 irs 1904:200-201]。 5)この時期 に農業不安の温床 とされ た ア シェン ダの所有状況(1936年)は, 下表 の通 りである。 第 2の 点 につ いて。 フ ィ リピ ン 政 府 が買 収 した ア シェ ンダ の多 く は,ブ ラカ ン, リサー ル,カ ビテ, ラグ ナ な どの マ ニ ラ周 辺 諸 州 や セ ブ 島 の人 口桐 密 地 域 に位 置 した。 しか し, イサ ベ ラ農 園 (lsabela Estate)や サ ン ・ホセ 農 園 の よ う に, 北部 ル ソ ン地 方 や ミン ドロ島 の辺 境 地 域 に位 置す るア シェ ンダ もあ った。 この二 つ の ア シェ ンダ は,総 面 積 が そ れ ぞ れ2万 - ク タ ール前 後 に及 ん だ が, 未 開 ・無 住 の地 で あ った (前 掲 表 1)。 一 方 で , 大規 模 な農 地 を擁 す るア シェ ンダ が 買 収 され ず ,他 方 で, 辺 境 地 域 の広 大 な未 開 拓 地 が購 入 され た ので あ る。 この こ とは, 農 業 不 安 解 消 のた め に修 道 会 領 地 買収 を急 務 と しな けれ ば な らな か った タ フ ト総 督 の立 場 が , 売 却 を渋 る カ トリッ ク教会 を前 に して, 著 し く弱 か った こ とを示 唆 す る。か くして, マ ニ ラ周 辺 諸 州 に残 存 した, 大 司 教 庁 な どの 所 有 に な るア シェ ンダ は,1930年代大不況期 に再 度 農 業 不 安 の 温 床 とな る

5

)そ して辺 境 地 域 に お け る修 道 会 領 地 の存 在 は, フ ィ リピ ン政 府 を して , ア メ リカ系 資本 - の売 却 を余 儀 な くさせ るの で あ る。 ⅠⅠ 住 民 へ の 宅地 ・耕 地 払 下 げ 農 園 名 所在州名 総面積(ha) 所 有 名 儀 *

Q)Buenavista フ一ラカン 27,408 SanJuandeDiColSaViMontHoseplngsBankgiedePitodeSanJosa1 edadandose

②Dinalupihan ノヾタアン 4,125

③SanPedroTunasan ラグナ 2,287

(出所) Philippine Commonwealth [1937:15-24].

(注) *実際の所有者 は農 園①,㊤ の場合マニラ大司教庁,農園⑨,④ の場合 イエズス会であった。 イエズス会 はこの二つの農園の所有権を20世 紀初頭 に ドミニコ会か ら移譲 された [Roth 1977:1]。 1. 修 道 会 領 地法 の制 定 1904年 4月 に ア メ リカ議 会 は 「修 道会領地法」(Friar LandsAct,法1120 号)6)を制 定 した。 同法 は, 序 文 に お い て,修 道 会 額 地 売 買 契 約 の 内容 と 193

(6)

東南 アジア研究

2

1

2

号 フ ィ リピ ン組織 法 の修 道会 領 地規 定条 項 とを 再 確 認 し.本 文

28

ヵ条 で民 間- の土 地 の賃貸 ・売 却 に関す る手続 き ・諸 規 定 を定 めて い る

l

APL 1

91

1:1

4

3

-1

4

7

,

1

1

9

6

-1

2

0

4]

.

序 文 で は,

1

9

0

2

年 の フ ィ リピン組織法 の第

63・6

4・6

5

条 で規 定 され た 内容 (前 述) が そ の ま ま踏襲 され,民 間払下 げ面 積制 限 に関 し て何 ら変 更 はな い。 あえて付 言 す れ ば,修 道 会 領 地 は,

1

9

03

年 の 「公 有 地 法 」 (Public Land Act,法

9

2

6

号 ) で規 定 され た意 味で の 公 有 地 で はない とい う但 し書 きが あ る。 公 有 地 とは, ア メ リカが スペ イ ンか ら領有権 を獲 得 した時 点で, フ ィ リピン諸 島で スペ イ ン国 王 の所 有地 とされ て いた 土 地 で あ る

7

) した が って, フ ィ リピン政 府 が

1

9

03

年 末 に買収 し た修 道会領 地 は公共 財産 で はあ るが,公 有 地 と区別 して扱 わ れ る こ とにな った。 つ ぎに,本 文

2

8

ヵ条 の うち,主 な条項 の 内 容 (順 不 同) を箇条書 きにす る。 (1) 修道会領地 は,政府依 託 の弁護士 に よ る土 地 タイ トル の審 査 と測 量技 師 によ る面 積 の確 定が完 了 したの ち, フ ィ リピン委 員会 公 有 地 局 (BureauorthePublic Lands)8)の

管 理下 に置 かれ る (第

ト6

条)。 6)修道会領地法の副題では,「修道会領地」を数 カ所のアシェンダと数筆の土地 (certainhaci -endasandparcelsofhnd)と規定 して いる [APL

1

9

1

1:1

1

9

6

]

7)修道会領地の土地 タイ トル確定事業に従事 し

た弁護士R・デル ・パン (RafaeldelPan)に

よると,フィリピンでは

1

9

世紀末葉 まで 土地

の公的所有 と私的所有の概念が未分化 で あ っ た。王領地(realengas,royallands)が 「未墾 地」(baldios,uncultivated lands) と呼ばれ, 正式 に公有地 ,すなわち国有財産 と なったの は

,1

8

8

9

年の民法制定以後のことである。 近 代的土地法制は

,1

$

9

4

年の王室令によって 整 備 された[APL

1

91

1:1

0

2

ト1

0

2

5

]

8

)

公有地局は

1

9

0

5

-1

9

0

6

年 に土地局 (Bureauof Lands) に改編され , 同局 内に修道会領地部

(FriarLandsDivision)が設置された [APL

1

9

1

1:1

4

9

,1

6

2

]

1

9

4

(2) 公 有地 局長 は,修 道会 領 地買 収 の時

点 にお け る, 実 際 の偽 らざ る (actual bona f ide)居住者 ・占有 者 の 氏 名 ・住所 ,並 び に 保 有面 積 ・価 格 を確 認 す る (第7粂)0 (3) 公 有地 局 は ,土地 購 入価 格 ,測量 費 , 管理 費 , 売却 にいた るまで の公債 利 子 を含 め た総額 を地価 決 定基準 と し, 各人 の宅 地 と耕 地 の価 格 を決定 す る。 売 却価 格確 定後 ,公 有 地局 長 は,居 住 者 ・占有 者 に対 し,諸 規 定が 明記 され た 「売却 証 書」(SaleCertificate)を 交 付 す る (第

1

2

条)。 (4) 居住 者 ・占有 者 は,年 利 4% の

1

0

年 年賦 で土 地 を購入 す る ことが で き る。土地 タ イ トル は年 賦 償 還 完 了 ま で 政 府 が保 有 す る (第

1

1・1

5

条 )0

(5)

宅地 や耕 地 の面 積 ・価 格 の確 定 に時 間を要 す る場 合 ,居住 者 ・占有 者 は3年 間 に 限 り政府 の小作 人 (tenants)とな り, しか る べ き地代 を納 め る こ とが で き る (第

1

3

条 )0 (6) 居住 者 ・占有 者 は年賦償還未 了 の段 階 で売却証書 を譲 渡 し,土 地購入 権 を他 人 に 移譲 す る こ とが で き る (第

1

6

条 )0

(7)

占有 者 に土 地 購 入 の 意 思 が な い 場 令 ,3年 間を限度 と して賃 借 す る こ とが で き る (第8条 )。 (8) 居住 者 ・占有 者 に土地 の購入 ・貸借 の意 思 が ない場 合 ,公 有 地局長 は彼 らに立 退 きを命ず る こ とが で き る (第

1

0

条 )0 (9) 公 有 地局長 は,公有 地法第2章 の諸

条 項 に従 って, 非 占有 地 (unoccupiedlands)

を賃貸 (最 長3カ年 )・売却 す る ことがで き る (第9条 )0 (10) 借 地料 と年賦 償 還金 の管 理 は,公 有 地局 長 が行 い, 国庫 金 と して公 債 の元利 支 払 い に充 て られ る。 また, その一 部 は満 期公 債 返 還 のため の負債償 却積 立金 とす る こ とが で き る (第

1

4・23

条 )0

(

l

l

)

公 有 地局 長 の賃貸 ・売却 許可 は, 内 務 長 官 の東 認 を もって効力 を もつ (第 18条)0 ーt T7 ー

(7)

-永野 :修道会領地処理問題 (12) 修 道会領 地 の管理 ・賃貸 ・売却 な ど に関わ る一 切 の責任 は, 内務長 官 と公有地局 長 が これを負 う (第22条)。 このよ うに,修 道会領地法 は,かつて修 道 会 か ら高額 小作料 を徴収 され た小作農への土 地 払下 げを, その基本 的 内容 として い る。 そ れ は, あたか も農業不安解消 のための社会 政 策 を詣 って い るが ご と き で あ る。 しか し, この社会 政策 が修 道会領地 の農民 を益す ることが で きたか否 か は,実施過程 の考 察 に基づ いて判 断すべ き ことで あ る。

2.

土地払下 げ実施過程 修道会領地 の賃貸 は1905年 6 月 か ら,売却 は1908年 6月 か ら 開始 され た。測量 と地価査 定が 困難 な作業 だ ったた め,買収後 4年 半を経 過 したの ちに売却 が 開始 され た の で あ る。 そ の た め,政府 は居住者 ・占有者 に対 し,測量 と地価査 定 の完了 まで 1年 ご との契約更新 で土地 を賃 貸 した [l'bid.:147-181] 。9) 図 1は, 1905年 6月 か ら1910 年11月 までの5年 間 にお ける賃 貸 ・売却件数 を示 した ものであ る。同件 数 は ,宅地 や耕地 の筆 (parcels)数 を 基準 に算 出 さ れ てい る。 ま ず 賃 貸 件 数 をみ る と,1905年末 か ら1906年末 の間 に約4,700か ら約 2万2,000へ と 急 増 したが,1907-1908年 には 約2万- 2万 3,000の間を振幅 件 数 した にす ぎない。 ところが,1909年後半 か ら 1910年 初 頭 に, その 数 は約 2万 か ら約 2万 8,000へ と,急激 な増加をみたので あ る。 こ れ は,次節 で詳述 す るよ うに,1908・1909年 の修道会領 地法改正 によ って個 人 の賃借 ・購 入面積制限が撤廃 されたため,新参入者や一 部 の居住者 ・占有 者 によ る貸借 が この時期 に

19()5 1906 19O7 19O8 19O9 191()

午 年 年 午 年 勺: -6 9123 5 7 9 123 -6 9 123 -6 9123 -6 9 123 -6 911 月 月 月 月 月 月 日 日 月 日 月 月 月 月 月 日 月 日 月 月 日 月 月日 30303131311303131303031313030313130303131303030 Ej 日 日 日 日 日 日 日 日 日 日 日 日 R H 日 日 日 tj HH H H H (出所) APL[1911:939]. 図1修道会 領 地賃貸 ・売 却件 数(1905年6月30日-1910年11月30日) 9)修道 会領 地 の 占有者 が 1911年 1月1日 まで に 保有地 (holdings)の購入手続きを完了 しない 場合, 購入の優先権は無効 とされた [APL 1911:1092]

急増 した ことを示 してい る。 他 方,売却件 数をみ る と,1908年末 にわず か約1,700であ ったが,1909年末 には約7,000, 195

(8)

東 南 ア ジア研究 21巻2号 1910年 半 ば に は約 1万5,000へ と増 加 した。 1910年 半 ば に売却 件 数 が急 増 した の に対 し賃 貸 件 数 が激 減 した の は, この時 期 に賃 貸 契 約 を解 消 し売 買 契 約 に切 り替 え る者 が続 出 した た めで あ る。 ちなみ に, 1910年 半 ば の賃 貸 ・ 売却 件 数 合 計値 はほ ぼ横 ば いで あ った。 た だ し, 1907年 末 か ら1908年後 半 にか けて賃 貸 件 数 が漸 次 的 に減少 した の は, 賃 貸 契 約 か ら売 買 契 約 - の切替 え のみ な らず ,賃 貸 契 約 の重 い って も, 大 規模 な耕 地 を保 有 す る借 地人 も いれ ば,無 土 地 ・小 土 地 貧農 も存 在 して い た ので はなか ろ うか。

3

は, 1910年 7月末現在の修道会領地売 却 状 況 で あ る。 23農 園10)の うち, この時 点 で売 却 が 開 始 され て い た 農 園 数 は 17で あ っ た。 17農 園 の購 入 者 数 は約 8,400,購 入 件 数 (筆 数) は 約 1万 5,300, 購 入面 積 は 約5万 1,000- タタ ール , 総 面 積 に対 す る購 入面 積 表 3 修道会領地売却状況 (1910年 7月末) 修道会名書 農 園 名 購入者数 購入筆数 購入面積(ha)… 購入面積比(%)*…率 ドミニコ合 アウグスチノ会レコレー ト仝 Naic 1,007 1,802 3,334 43.7 Lolomboy 1 1 2 0 .0 Binan 1,626 2,802 2,645 72.3 Calamba 1 1 0 0.0 SantaRosa 1,174 1,992 4,148 75.8 Orion 343 6 00 832 90.8 SanFrancisco deMalabon 1,363 2,752 5,316 46.4 Binagbag 42 49 ll 3.7 Dampol 293 347 732 78.8 Guiguinto 415 681 926 97.9 Malinta 778 1,309 3,117 87.2 SanMarcos 1 1 87 100.0 Muntinglupa 478 1,253 1,817 64.3 Tala 367 838 4,820 72.0 Banilad 461 728 501 26.0 Ⅰsabela 40 93 60 0.3′ SanJose 1 2 22,485 96.6 (出所) APL[1911:76].ただ し, 原表の Orion農 園の購入者数344人 と購 入者合計8,392人を APL[ibid.:110-112]により修正。 (注) *買収以前の農園の所属。 **ェ-カーか ら換算 (lha-2.5acre),小数点以下四捨五入。 ***(購入面積÷総面積)×100 複 な どの整 理 が この 間 に進 展 した こ とによ る と思 わ れ る。 と ころで, こ う して政 府 が民 間 に払 い下 げ て い った土 地 は, い っ た い 誰 の 手 に 渡 っ た ので あ ろ うか。居 住 者 ・占有 者 とひ とこ とに 196 の比 率 は平 均32% で あ った。 購 入面 積 比 率 が70% 以 上 に達 し た農 園 は九 つ あ り, そ のな か に は, マ ニ ラ近 隣諸 州 にあ り総 面 積 が それ ぞれ 数 千 - クタ ール に及 ぶ ど こ ヤ ン農 園 (Bih n Estate),サ ンタ・ロ ー サ 農 園 (Sta.Rosa Estate),マ リンタ農 園 (M alintaEstate),メ ラ農 園 (TalaEstate) の ほか, ミン ドロ島 のサ ン ・ホセ農 園 が 含 まれ て い た。 表 4は,表 3で掲 げ た17農 園 の土 地 購 入 者 を購 入面 積 別 に 集 計 した も の で あ る。 これ は, 購 入 者 全 員 の氏 名 ・購 入面 積 ・購 入 筆 数 が示 さ れた長 大な名簿 (以 lq)買収 された 所有地のなかには, 「農園」 と定 義できない中小の所有地 も含まれていた。 し か し,報告書では厳密に規定を必要 とす る場 合を除いて ,各所有地を一括 して農 園として 扱 っている [APL 1911:passim].

(9)

永 野 :修道会 領地処理問題 表4 購入面積別購入者数 (17農 園,1910年7月31日) 購 入 面(ha) 積 (実数)購 入 者 (数% )

0

- 0.09 3,298 39.3 0.1- 0.99 1,982 23.6 1 - 2.99 1,282 15.3 3 - 4.99 732 8.7 5 - 9.99 637 7.6 10 -29.99 332 4.0 30 -49.99 64 0.8 50 -99.99 38 0.5 100以上 25 0.3 合 計 8,390* lCIO.0 (出所) APL[1911:77-131] よ り集計。 (注) *購入者数 8,391人か らOrion農 園 の不明1を除いた数値。 農 園 名 (購入者数) Banilad (461) Biaan (1,626) Dampol (293) GuigulntO (415) Malinta (778) Muntillglupa (478) Naic (i,0()7) Orion (342)∼ Malabon (1,363) SantaRosa (1,174) Tala (367) 17農 園 平 均 (8,390) 下 「購 入 者 名 簿 」 と略 ) に基 づ い て 作 成 され た。 同表 で は, 当 時 の土 地 保 有 事 情 か ら判 断 して , 購 入 者 を 大 雑 把 に 以 下 の 四 つ に 分 類 し, 購 入 面 積 を9段 階 に区 分 して い る (カ ッ コ内 の面 積 は, 購 入 面 積 を 指 す )。 (9 宅 地 の み , も し くは宅 地 と小 片 の耕 地 を 購 入 した 者 (0.1- クタ ール 未 満 ,0.1-0.99ヘ クタ ール ), ④ 小 規 模 も し くは 中規 模 の耕 地 と宅 地 を 購 入 した 者 (1- 2.99, 3- 4.99, 5- 9.99- ク タ ール ), @ や や 規 模 の大 き な耕 地 と宅 地 を 購 入 した 者 (10-29.99, 30-49.99ヘ ク タ ー ル ), ④ 大 規 模 な耕 地 も し くは荒 蕪 地 を 購 入 した者 (50-99.99ヘ ク タ ール , 100- ク タ ー ル 以 上 )。 17農 園全 体 で み る と, 購 入 面 積 1 - ク タ ール 未 満 が 5,280人 で 全 体 の 63% , 1 3.53J) (出所) 表4に同じ。 (注) *不明1を除 く。 (凡例) 購入面積 (ヘ クタール) @) 0-0.09 @ 0.1-0.99 @ 1.0-2.99 @ 3.0-4.99 @ 5.0-9.99 @ 10.0-49.99 (9 50以上 図2 農 園別購入規模別購入者数比率 (%) (1910年7月31日) ∼ 9.99- ク タ ール が 2,651 人 で 32%,10-49.99ヘ ク タ ール が 396人 で 5% , 50 - ク タ ール 以 上 が 63人 で 1 % で あ った 。 農 園 別 分 布 もお よ そ 17農 園 の平 均 値 に準 じる。 図2 は, 表 4で 購 入 者 数 100件 を 超 え た 11農 園 の購 入面 積 別 購 入 者 数 を 示 して い る。 同 図 に よ る と, バ ニ ラ ッ ド 農 園(BaniladEstate),ど こ ャ ン農 園 , ダ ン ボ -ル 農 園 (DampoIEstate)で は, 購 入 面 積 1- ク タ ール 未 満 の 購 入 者 数 が総 数 の80-90% に達 した 。 マ リン タ農 園 や タ ラ農 園 で は1- ク タ ール 未 満 が20-25% にす ぎず , 1- 9.99- クタ ール が60-70% を 占 め た 。 総 じて , 約 9割 の購 入 者 が 10ヘ クタ ー ル 未 満 の土 地 を 購 入 し, し か もそ の過 半 が 1- クク ー 197

(10)

東南 ア ジア研究 21巻2号 ル未満 の土地購入者 で あ った。 したが って, 土地購入 者 の大部分 が無 土地 ・小 土地貧農 だ ったので あ る。 ところで,土地購入者 のなか に大規模 な耕 地 も し くは荒蕪 地 を購入 した者 が少 なか らず 存在 した ことを, ここで看過 す る ことはで き ない。前述 のよ うに,修道会領地法 で は土地 の取得制 限が個人 の場合 16- クタール,会社 の 場 合 1,024ヘ クタール と定 め られた。 しか し, 図2で この取得制 限を明 らか に超 えた者 が見受 け られ るか らで あ る。 同 図 で 16ヘ ク タール以上 の土 地 を購入 した者 の うち,政府 の修道会領 地買収以前 か らの居住 者 ・占有者 は, い った い どの程度 の比率 を 占めて いたの で あろ うか。 前 述 の購 入者名簿 をみ る と,各農 園 ご とに 購入者 を, 同一 の姓 を もつ複数 の者 の グル ー プ とそ うで ない 者 の グル ープ と に 分 類 で き る。 同一 の姓 を もつ人 々は,長 期 にわ た り各 農 園 に居住 し親族 関係を維 持 して きた と考 え られ る。 そ こで,筆 者 は便 宜 的 に,前 者 を従 来 か らの居住者 ・占有者,後 者 を新参入 者 と して,両 者 の数 の推 定を試 み た。 表5 購入面積 16-クタール以上の購入者数 (13農園,1910年7月31日) 購入面積(ha) 総 数 (% )従来からの居住者 .占有者 新参入者入 者 数 不 明 16- 29.99101(44.3) 76 25 1+ 30- 49.99 64(28.1) 47 17 50- 99.99 38(16.7) 32 5 100-999.99 23(10.1) 9日 14 1,000以上 2( 0.9) 0 2 (出所) 表4に同じ。 (注)

*

SamMarcos農園では購入者がひとりのた め,姓の分類によって従来か らの居住者 ・ 占有者と新参入者の区別ができない。 **最大購入面積はタラ農園の 782.8ヘクター ルである。 198 表 5は,表4と同一 のデ ータを使用 して, 購入面 積 16ヘ クタール以上 の者 の数 を,上 述 の手続 きに従 って集 計 した もので あ る。 同表 によ る と,前掲17農 園 の うち13農 園で購入面 積 が 16ヘ クタールを超 えた者 が228人 , その うち 従 来 か らの居住者 ・占有 者が164人 , 新 参入者 が63人,不 明 ひ と りで あ った。従 来 か らの居住 者 ・占有 者 の な か に は, 購 入 面 積 100ヘ クタール を超 えた者 が 9人 お り, その うちひ とりは タ ラ農 園で 約780- クタール の 土 地を購入 したので あ る。 したが って,上記 の判別方法 が ほぼ実態 を反 映す る と仮 定す る と,政 府 が修道会領地 を買収 す る以前 か らの 居 住者 ・占有者 のなか に,大規模 な土地購入 者 が少 なか らず存 在 した ことにな る。 か くして,修 道会領地 の農民層 の階層分化 の起源 は, 19世紀末 の フ ィ リピン革命勃発以 前 に求 め られ る 一[Roth 1977:117-145]。 そ して, フ ィ リピン政 府 の 修 道 会 領 地 政 策 は,す で に1910年代 初頭 において, 旧小作農 層 の階層分化- 大地主 と無 土地 ・小土 地貧 農 の形 成- を促進 す る役 割 を果 た して いた ので あ る。 ⅠⅠⅠ ア メ リカ系 資 本 へ の 荒 蕪地賃貸 ・売却 1. 取 得面 積制 限 の撤廃 1904年 に制 定 され た 修 道 会 領 地 法 は 1908年 6月 と1909年 5月 に,法 1847号 と 法 1933号 によ って改正 され た。1904-1908 年 の本格 的土地 測量完 了後 , フ ィ リピン 政府 は広 大な荒蕪 地を,土 地取得制 限 の 枠 内で個人 もし くは会社 に払 い下 げ る こ とが不可能 で あ る とい う見解 に遷 したか らで あ る。 改正条項 は修道会領 地法28ヵ 条 の う ち,3ヵ条 (第7・9・11条)で あ る。

(1)

7

条 の条項末尾 に以下 の内容

(11)

永 野 :修道会 領地処理 問題 を付 加- 居 住 者 ・占有 者 が土 地 の賃 借 ・購 入 の意 思 を表 明 しない場 合,土 地 局長 (Dire c-torofLands)ま た は そ の 代 理 人 は彼 らに 対 し,最 終 的意 思 表 明 まで に8日間 の猶 与 を与 え な けれ ば な らな い。 この措 置 を行 わず に実 施 した非 居 住 者 や非 占有 者 に対 す る賃 貸 ・売 却 は, 一 切無 効 で あ る。 (2) 第9条 を以下 の よ うに修 正-- 土 地 局 長 は本 法第11条 の規 定 に従 って, 非 占有 地 を賃 貸 (最長3カ年 )・売却 す る こ と が で き る。 (3) 第11条 を以下 の よ うに修 正-- 居 住 者 や 占有 者 は 公 債 満 期 の 1年 前 , す な わ ち 1933年2月 まで に年 賦 また は準 年賦 の償 還 を 完 了 しな けれ ば な らな い。 売買 契 約 内容 は購 入 者 と土 地 局 長 との間 で決 定 され, 内務 長 官 の承 認 を得 る。 利 子 は年 利4% で あ る。 非 占 有 地 を賃 貸 ・売 却 す る場 合 ,土 地 局 長 は非 占 た こ と。 これ によ って, 個 人 の場 合 ,無 制 限 に修 道会 領 地 を賃借 ・購 入 で き るよ うに な っ た。 一 方 ,会 社 の場 合 は, フ ィ リピ ン組織 法 で土 地取得 制 限が 1,024ヘ クタ ール と定 め ら れ て い るた め, これ が依 然 と して修 道 会 領 地 に適 用 され た ので あ る。 このた め,対 フ ィ リ ピン進 出を ね らうア メ リカ系 資本 は, ダ ミー を使 って個 人 名 儀 で土 地 を賃 借 ・購 入 す る策 を講 じた ので あ る。 2. 賃 貸 ・売 却事 例 ここで ,従 来 の土 地 取 得 制 限 を超 え た,法 改正 後 の賃借 者 数 と購 入 者 数 を検 討 す る。 表 6は,1910年5月5日まで に16- クタール以 上 の修 道 会領 地 を賃借 ・購 入 した者 の数 を規 模 別 に示 して い る。 同表 で は,前 掲 表5と同 様 の方法 で,従 来 か らの居 住 者 ・占有 者 と新 参入 者 とを 区別 した。 有 地 が位 置す る町(municipalities)の 町長 に対 し, そ の 旨通 知 しな けれ ば 表6 購 入 ・賃 借 面積16ヘ クタ ール以 上 の購 入 ・貸 借 者 数 な らな い 。通 知 を受 けた町長 は,非 占 有 地 が位 置する市 街 区(poblaciones)

また は村 (barrios)に3日間 その 旨 公 示 す る。 万 一 , 非 占有 地 の小 作 農 また は 占有 者 が現 われ た場 合, 彼 に 賃 借 ・購 入 の 優 先 権 が 与 え られ る [APL 1911:1204-1206]. 以 上3ヵ条 の改正 の趣 旨は,つ ぎ の2点 に ま とめ られ る。第 1に,土 地 賃 借 ・購入 の条 件 が ,居 住 者 ・占 有 者 に とって 若 干 有 利 と な っ た こ と。 と くに, 改正 前 に10年 間 と定 め られ た年 賦償 還 期 間 が 大 幅 に延 長 さ れ て1933年2月 まで とな った。 この こ とは修 道 会 領 地 の大 部 分 の農 民 に と って,年 賦 償 還 が著 し く困難 で あ った こ とを示 唆 して い る。第 2に, 公 有 地法 第2章 に準 拠 して定 め られ た土 地取 得制 限 が, 完 全 に撤廃 され (1910年 5月 5日) 樵入 購 入面積(ha) 購 入 者 数 総数 (%) 従 来 か らの居住者 .占有者 新 参入者 不 明 16- 29.99 43(52.4)1 26 17 1 30- 49.99 22(26.8) ll ll 9 農 50- 99.99 ll(13.4) 7 3 園 100-999.99 5( 6.1) 4 1 1,000以上 1( 1.2) 1 合 計 82(100.0) 48 33 1 任早 惜 16 農 賃借 面積(ha) 賃 借 者 数 特例扱 い 総 数 (%) 従 来 か らの居住 者 .占有者 新 参入者 16- 29.99 303(61.6)∃ 65 238 2 30-.49.99 50- 99.99 1g;(目 許 三三 6626 園 100-999.1,000以上99 2三'( 喜..…',を弓 -5 124 4 (出所) APL[1911:195-203]よ り集計。 199

(12)

東南 ア ジア研究 21巻2号 購入 者数 は82で, そ の うち新参 入者 数 は33 人 , その比率 は全体 の約40%で あ る。 これ に 対 し, 賃 借 者総 数 は492人 で, そ の うち新参 入者 が346人 を 占め, その比率 は 全体 の約70 % に達 して い る。 このよ うに,賃借 老総 数 に お いて 新 参 入 者 数 が 大 きな 比 率 を 占 め るの は,新 参入 者 が は じめ1- 3年 間土 地 を賃借 し,農 地 と して の適性 を調査 して か ら購入手 続 きを とる場 合が多 い ことを表 わ して い る。 賃借 ・購入規模 別 にみ る と, 16-49.99- ク タール が大半 を 占め る一方, 100-999. 99-クタ ール の賃借 者 数 が27人 ,購 入者 数が 5人 , 1,000ヘ クタ ール 以上 の賃借 者数 が 4人 , 購 入 者数 が ひ と りとな って い る。 同表 の1,000 ヘ クタール以上 の賃借 ・購入 はいず れ も個人 名儀 で あ り, フ ィ リピン組織 法 の会社 に対 す る土 地取得 制 限 には違反 しない。 ただ し,質 借 の うち特例 (special)扱 いが6例 あ り, ま た購入 のなかで もサ ン ・ホセ農 園 の購入面 積 は 約2万2,000- クタール で 桁 外 れ に大 きい ので, ここで は この7例 につ いて と くに考察 す る。 (1) ア メ リ カ 人 A ・F ・セ ア (A.F. Thayer)は どこ ヤン農 園 で 614- クタール, カ ランバ農 園で3,288- クタ ールを貸借 した。 契 約期 間 はいず れ の場 合 も6カ月 で,地 代 は 1カ月 - クタール当た り 0.2ペ ソで あ る。 彼 は ,ア メ リカ人 W ・デ ィ リングハ ム (Walter Dillingham)の代 理人 で あ った。 (2) イ ム ス 農 園 (ImusEstate)で は, 元 フ ィ リピン革 命 議 会 議 長 E ・ア ギ ナ ル ド

(EmilioAguinaldo)が 1,056ヘ クタール を賃

借 した。 1年 契約 で地代 は年 間- クタ ール 当 た り0.4ペ ソで あ る。 (3) イサベ ラ農 園で は, ア メ リカ人 E・ B ・ブル ース (EdwardB.Bruce)が荒蕪 地 1 万9,448ヘ クタ ール を賃借 した。契 約 内容 は つ ぎの通 りで あ る。契 約期 間 は1年 ,地代 は 年 間2,000ペ ソで あ る。賃借 者 は この間 に, 200 同農 園 の農業用地 と して の適性 を決 定す るた め に, 自己資金約 1万 2,000ペ ソを もって, 専 門技 師 によ る土壌分析 ・測量 を行 う。賃借 者 は修 道会 領 地法 の地価決 定方法 に従 い,契 約満 了 も し くはそれ以 前 に土地 を購入 す る権 利 を もつ 。 彼 が購入権 を放棄 した場 合 ,政 府 が専 門技 師 の報 告書 を保 管 す る。 (4) ピェダ ッ ド農 園 (Piedad Estate)で は, リサ ール州 元知事 A ・ダ ンセル (Arturo Dancel)が580- クタール を賃借 した。地 代 は,- クタール当た りの商 品作物 生産額 が 1.5 ペ ソに達 す る ま で は年 間 ヘ クタール 当 た り 0.2ペ ソ, それ以後 は年 間 ヘ クタール 当た り 1.5ペ ソに引 き上 げ られ る。 契約 期 間 は3年 で,3年 間 に開墾 が完 了 した場 合 ,契 約更 新 が認可 され る。 (5) タ ラ農 園で は, フ ィ リピン委 員会 官 房長 (ExecutiveSecretary)ア メ リカ人 F・ W ・カーペ ンタ ー (FrankW .Carpenter)に

対 し,2,068- クタール が 賃貸 され た。 契 約

内容 は, お おむ ね ピェ ダ ッ ド農 園 のダ ンセル

の場合 と同様 で あ る。

(6) サ ン ・ホ セ 農 園 の 2万2,485ヘ ク

タール の購入 者 は, ア メ リカ人 E・L・プ ー

ル (EdwardL.Poole)で あ る。彼 はア メ リカ 人 C・J・ウ ェル シュ (CharlesJ.W elch)の 代理人 で あ った [l'bid.:195-204]。 以上 貸借6件 ・購入 1件 の うち, 2件 の契 約 が ふた りの フ ィ リピ ン人 有 力 者 を 対 象 と し,残 り5件 の契 約 が4人 のア メ リカ人 によ る もので あ った。契約書 で み る限 り,4人 の ア メ リカ人 はいず れ も個人名儀 で土地 を賃借 ・購入 して い る。 しか し,彼 らは本 当 に,個 人 的 目的 のため に 1,000- タタ ール以上 の土 地 を賃 借 ・購入 したので あ ろ うか。 1910-1911年 のア メ リカ議会 で のマ ーチ ン 下 院議 員 の報告 によれ ば,上 述 の4人 のア メ リカ人 全 員 が,対 フ ィ リピン進 出をね らうア メ リカ系 資本 もし くは フ ィ リピ ン国 内資本 の TT

(13)

永 野 :修道会 領地処理 問題 ダ ミーで あ った。 ビニ ヤン, カ ランバ両農 園

の賃借 者 セ ア は, スパ イヤ ー ・シ ンジケ ー ト (Speyersyndicate)が所 有 す るマ ニ ラ鉄 道会 社 (ManilaRailwayCo.)とハ ワイの糖 業 資 本 デ ィ リングハ ムの ダ ミーで あ る。 イサベ ラ 農 園 の ブル ース は, フ ィ リピン最 大 の タバ コ 会 社 の代理 人 で あ る。 カ ーペ ンタ ーは, ア メ リカ糖 業 資本 ス プ レッケル ズ (Spreckels)の 進 出の基 礎 づ くりのた め に タ ラ農 園 の荒蕪 地 を賃借 した。 そ して, プ ール を通 じてサ ン ・ ホセ農 園 を購 入 した ウ ェル シュは, ハ ワイに 基 盤 を置 く糖 業 資 本 家 で あ り, 「砂 糖 トラス ト」 と して 有 名 な ア メ リカ最 大 の精 製 糖 会 社 と大 い に関連 を もつ人 物 で あ った [ibl'd.: 1128-1129,113ト1133

]

マ ーチ ン下 院議 員 の報 告 は, フ ィ リピンで 発 行 され た新 聞 な どを通 じて ア メ リカ本土 に 伝 達 され た情 報 に依 拠 した もので あ り,不 正 確 な点 や事 実 を歪 曲 した個 所 が な い とはいえ な い。 しか し, どこ ヤン, カ ランバ両 農 園な どの約7,000- クタ ー ル は カ ラ ンバ 砂 糖 エ ス テ ー ト(Calamba SugarEstate)と して, 1930年 代 半 ば まで ス プ レッケル ズ 精 製 糖 会

社 (Spreckels SugarRefining Co.)が所有

して お り, イサ ベ ラ農 園 で は約 1万2,000ヘ クタ ール を ご く最近 まで フ ィ リピン ・タバ コ 総 合会 社(Compaal'aGeneraldeTabacosde Filipinas- Tabacalera)が所有 して いた 。 さ らに ,サ ン・ホセ農 園 は,事 実上1920年 代 末 まで ア メ リカ系糖業 資本 が所 有 して いた (詳 し くは後 述 )[永野 1980a:27-31な ど

]

。 し た が って, 以上 三 つ の農 園 は,1910年 代 初 頭 も し くはそれ以 後 にア メ リカ系 資本 や フ ィ リ ピン国 内資本 の手 に渡 って いた こ とにな る。 か くして, 1908・1909年 の 修 道会 領 地法 改正 が 大 資 本 によ る大 規 模 な土 地 所 有 - の 基 礎 とな った こ とは, ほ ぼ 確 実 で あ る。 折 し も,1909年 のペ イ ン ・オル ド リッチ関税 法 (Payne-AldrichTariff Act)と1913年 の ア ン ダ ー ウ ッ ド ・シモ ンズ 関税法 (Under wood-SimmonsTariffAct)の制 定 によ り,1910年 代 前 半 に米 比 間 の無 関税 商 品貿易体制 が確立 した。1910年代 初 頭 か ら1920年 代 末葉 は,40 年 あ ま りのア メ リカ植 民 地 期 にお いて,最 も ア メ リカ系 資本 の進 出 が 活 発 化 した 時 期 で あ った。次 節 で は, サ ン ・ホセ農 園を事例 と して, ア メ リカ系糖 業 資本 の進 出過程 を跡 づ け る こ とに した い。 ⅠⅤ ミ ン ドロ開発会社 の サ ン ・ホ セ 農 園へ の進 出 1. 農 園 の購 入 1909年3月 ,購 入 を 目的 と して 最 初 に サ ン ・ホセ農 園を訪 れ た の は, ニ ュー ヨー クの 銀 行 家 J・M ・ス トロ ング (∫.Montgomery Strong)で あ った。 彼 は ,H・- ベマ イヤ ー (HoraceHavemeyer),ウ ェル シュ,C・H・ セ ンフ(CharlesH.Senff)の代 理 人 で あ る こ とを隠 して,農 園購 入 の 可 能 性 を 調 査 した ので あ る。 当時 ハ ベ マ イヤ ー らは, ニ ュー ヨー クの一流 弁 護 士 J・H・- モ ン ド(John HenryHammond)に対 し, フ ィ リピンの土 地 法 の調 査 を依頼 して い た。 調 査 の 結 果 , フ ィ リピンで は会 社 が無 制 限 に土 地 を購入 す る こ とは法 律 に違 反 す る こ とが判 明 した。 そ の た め ハ モ ン ドは,1909年9月 にハ ベ マ イ ヤ ー らの事業 か ら手 を 引 き, 別 の弁 護 士 が彼 らの仕 事 を担 当 した[APL 1911:vIIH X]。 1909年10月 , ハ ベ マ イヤ ー らは プール (前 出) を マ ニ ラへ 派 遣 した。 彼 は ハ ワ イ や キ ューバ で ウェル シュ系 の 砂 糖 プ ランテ ー シ ョンに勤 務 した経 験 を もつ 人 物 で あ る。 プ ール は交 渉 開始 の 時 点 で, 土 地 局 長 に 対 し,彼 が ウ ェル シュの代 理 人 で あ る こ とを 明 らか に した。土 地局 長 は即座 にサ ン ・ホセ農 園 の購 入 を勧 めた。 同農 園 の購 入価 格 が約30 万 ドル に及 ん だ上 ,測 量 ・地価 査 定 ・管理 費 201

(14)

東 南 ア ジ ア研 究 21巻2号 な どが か さん だた め, 政 府 は す み や か に こ れ を売 却 す る必要 に迫 られ て い た の で あ る lloc.cit.]. 農 園 訪 問 後 , プ ール は購 入 の 意 思 を 固 め た。1909年 11月, フ ィ リピン政府 はサ ン ・ホ セ農 園 の売却 に同意 し,売却証 書第 1号 を発 行 した。買受 け人名儀 は プ ール も し くは 「彼 の指名 者」(hisnominees)で あ った

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IX]。契 約 内容 は以 下 の通 りで あ る。 売買価 格 は73万 4,000ペ ソ (36万 7,000ド ル) で,20回 の分割払 いで あ る。 契 約 は1910 年 1月頭金 4万 2,875ペ ソの支払 いを もって 成 立 し,残額 は年 利4%,年賦3万 6,375ペ ソが19回支払 われ る。 東 金 支払 い後 ,政 府 は プ ール も し くは 「彼 の指名 者」 に農 園 内 の土 地 の うち 「買受 け人 が指 定 した200ヘ クター ル」を 譲 渡 し,残 りの 土 地 は 残 金 と利 子 支 払 いが完 了 した時 点 で譲 渡 さ れ る

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d.:

IX -x]。 売却 証書第 1号 は1909年 11月 に作 成 された が ,D ・C ・ウ-ス ター 内務長官 の署名 は, 同年12月 のア メ リカ本 国陸軍 長官 と法務長官 の承 認 を もって行 わ れ た。 と ころが,1910年 1月 にプ ール が頭 金 を支払 った時点 で, 売却 証 書第 1号 が無 効 とされ,代 わ って売却証書 第2・3号 が発行 された。売却証書第 2号 は , 給面 積2万 2,485ヘ クタール の うち, 同第 3 号 が対 象 とす る4,200 ヘ クタール を除 く全面 積 を対 象 と した。 同第3号 で は と くに,買受 け人 の意 向 によ り6カ月以 内 に契 約 内容 を変 更 で き る とされ て いた

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x-xI]. こ こで 注 目す べ き 点 は, 売 却証 書第2・3 号 で買受 け人 名 儀 が, プ ール も し くは 「彼 の 法 人 また は個 人 の指 名 者」(hiscorporateor individualnominees)に変更 され た ことで あ

る。 そ の上 , 政 府 が最 終 的 に同農 園を 買受 け 人 に譲 渡す る以 前 に,買受 け人 で あ るプ ール が彼 の利権 全 体 も し くは一 部 を,単 数 も し く は複 数 の譲渡 人 に移転 す る こ とがで きる こと 202 にな った。 この場 合, 譲 渡人 に移転 され た土 地 の購入価 格 の残 金 は,譲 渡人 が政府 に支 払 う義務 を負 う とされ た

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xI]。 この条 項 に従 って プ ール は, ミン ドロ開発 会 社に 200- クタール の利権 を譲渡 した。 こ のた め フ ィ リピ ン政 府 は,1910年 10月, 同社 に対 し土地証書 (deed)を発行 した。残 りの 土地 は依然 と して プ ール の 名 儀 と な っ て い た。 しか し, サ ン ・ホセ農 園 の購 入代 金 は, - ベ マ イヤ ー, ウ ェル シ ュ, セ ンフの3人 が 支払 って いた ので あ る [loc.cl't.]. 以上 述 べ た こ とか ら,つ ぎの2点が 明 らか とな ろ う。第 1に, フ ィ リピン政府 は, プー ル が会 社 の代理 人 で あ る こ とを承 知 の上 で, サ ン ・ホセ農 園 を売却 した こ と。第2に, の ちに農 園 の所有 名儀 が会 社 に移転 され る こ と を前提 と して, 売却証書 が作 成 され た こ と。 したが って, サ ン ・ホ セ農 園 の ミン ドロ開発 会 社へ の売却 は, フ ィ リピン政 府 とア メ リカ 系 糖業 資本 の癒 着 によ って成立 した 「合法行 為 」 とい って も過 言 で はな い。 2.会 社設立 ところで, サ ン ・ホセ農 園 を事 実上 購 入 し た ミン ドロ開発会 社 は,砂 糖 トラス ト,す な わ ち, ア メ リカ精製 糖会 社 と直接 に関連 を も って い たので あ ろ うか。 ミン ドロ開発会 社 は,1909年 12月 にア メ リ カ ・ニ 3.- ジ ャー ジ-州 で多 角的 に農業 関連 事業 を行 う企 業 と して設立 され た。 資本 金 は 75万 ドルで あ り, 25万 ドル ず つ をハベマ イ ヤ ー ,ウ ェル シュ ,そ してセ ンフが 出資 した。 しか し, 同社 が 当初 フ ィ リピ ンで予 定 した主 要 な事 業 は, サ ン ・ホセ農 園 に製 糖 工場 を設 立 し,一 大砂 糖 プ ランテ ー シ ョンを形 成す る こ とで あ った。川 プ ランテ ー シ ョンで栽培 さ ll) ミンドロ開発会社は,砂糖のみならず米, コ コナッツ栽培を行 う計画であった [QP 1;2 1913]。

(15)

永 野 :修道会領地処理問題 れ た甘 産 を圧 搾 ・製 糖 して 生 産 さ れ る粗 糖 (原 料 糖 ) は, ア メ リカ に輸 出 され , 同 国 の 精 製 糖 工 場 で精製 され る予 定 で あ った。 そ の た め, 同社 は沿 岸 地 域 に粗 糖 積 出 し用 の港 を 建 設す る必 要 が あ り, フ ィ リピ ン政 府 か ら海 岸 線1,000フ ィー トを25年 間租借 した [ibl'd.: X

I

I

,1215-1217]。 同社 の発 起 人 は3人 と も,従 来 か ら砂 糖 ビ ジ ネス に関与 して き た 人 物 で あ る。

H・

ハ ベ マ イヤ ー は 農 園購 入 当時 , 弱 冠22-23 歳 で あ った 。彼 の父 親 H ・0 ・ハ ベ マ イヤ ー (HenryO.Havemeyer)は生 前 , ア メ リカ精 製 糖 会 社 の社長 で あ った。彼 自身 も同社 の重 役 を務 めて い たが , 経 営 方 針 の変 更 を機 会 と して,1911年 1月 に重役 の地 位 を退 い た。 そ の後 ,彼 と彼 の父 親 が保 有 して い た ア メ リカ 精 製 糖 会 社 の 株 は 売 却 さ れ た 。C ・J・ウ ェ ル シ ュ は, カ リフ ォル ニア 州 の 糖 商 ウ エル シ ュ商 会 (Welch

&

Co.)の副 社 長 で あ った。

彼 は同社 の株式 の約20%を保 有 した。 ウ ェル シ ュ家 全 体 の 株 式 保 有 率 は50%で あ った。 C ・H・セ ン フは , か つ て ア メ リカ 精 製 糖会 社 の副社 長 を務 め た経 験 が あ った。 しか し, 農 園購 入 時 に彼 はす で に副 社 長 の座 を退 いて

た [ibid.:xI-XII]

この よ うに, サ ン ・ホセ農 園購 入 の時 点 の 3人 の経 歴 を調 査 す る と, ア メ リカ精製 糖会 社 と直 接 関連 を もって いた者 はい な い。 この こ とは, 同社 が サ ン ・ホセ農 園 の購 入 に直 接 関与 しなか った こ とを意 味 す る。 た だ し3人 は, キ ューバ, ハ ワイ, プエル 1、・リコに お い て, そ れ ぞれ別 個 の 大 規 模 な 砂 糖 プ ラ ン チ - シ ョン を経 営 して い た [ibid.:xll]。, し た が って, 熱 帯 地 域 か ら原 料 糖 を ア メ リカ本 土 に供 給 す る こ とに よ り,彼 らが本 土 の大 手 精 製 糖 会 社 と密 接 な連 関を保 って いた こ とは 想 像 に難 くな い 。- ベ マ イヤ ー ,ウ ェル シ ュ , セ ン フ に よ る サ ン ・ホ セ 農 園 の 購 入 は, キ ュ ーバ ,ハ ワ イ ,プエル ト ・リコに加 えて , フ ィ リピ ンで 原料 糖 生 産 の拠 点 を確 保 す る こ とを動機 と して いた ので あ る。 発 起 人 3人 の うち, サ ン ・ホセ農 園 の購 入 に当た り実 務 を担 当 した の は, ウ ェル シュで あ った。事 実 , ミン ドロ開発 会 社 の社 長 を務 め た の は ウ ェル シ ュで あ り, ハ ベ マ イヤ ー は 副 社長 兼 財務 部長 で あ った [ibid.:760,766]。 そ の上 , ウ ェル シュ は カ リフ ォル ニア州 で三 つ の会 社 を 設立 し, サ ン ・ホセ農 園 と隣 接 す る公有 地 を購 入 した。3会 社 とは, サ ン ・カ ル ロス 農 業 会 社 (Sam Carlos Agricultural Co.),サ ン ・マ テ オ農 業 会 社 (SanMat eoAg-ricultural Co.), そ して サ ン ・フ ラ ン シス コ 農 業 会 社 (Sam FranciscoAgriculturalCo.)

で あ り, それ ぞ れ832-1,024ヘ クタ ール の 公 有 地 を購 入 した。 同3社 の株 主 全 員 が ウ ェ ル シュの親 戚 も し くは友人 で あ った。 同3社 は, サ ン ・ホ セ農 園 内 に設 立 予 定 の製 糖 工 場 に甘煮 を供 給 す るた め に設立 され た ので あ る libid.:xxx-xxxI,797-798,81ト816

]

当初 の計画 で は, サ ン ・ホセ農 園 に製 糖 工 場 を 設立 し, 同農 園 とそ の他 三 つ の農 園 で形 成 され る, 大 プ ラ ンテ ー シ ョン地帯 の建 設 が 目論 まれ て い た。 それ は, 当 時 キ ュ ーバ や ハ ワ イで一 般 的形 態 とな って いた,製 糖 工 場 に よ る プ ラ ンテ ー シ ョン直営 方 式 で あ った。 し か し, ハ ベ マ イヤ ー らは, こ う した 方 式 を フ ィ リピ ンの人 口稀 薄 な地 域 に導 入 す るに当 た り, 予 期 せ ぬ 困難 に直面 す るので あ る。

3.

経 営上 の諸 問題 ミン ドロ開発 会 社 の経 営 は, ウ ェル シュ ・ フ ェア チ ャイ ル ド商 会 (Welch,Fairchild Co.)が 担 当 した。 未 開地 の 開発 に は 莫 大 な 資金 が必 要 で あ った。 - ベ マ イ ヤ ー らが , 会 社 発 足以 来的10年 間 に農 園 開発 の た め に投 入 した 資本 は, 約500万 ペ ソに達 した。 そ の う ち約200万 ペ ソが ,製 糖 工 場 (1日当た り甘 薦 圧 搾 能 力 約1,000トン),甘 煮 運 搬用 鉄 道25マ 203

(16)

東南 アジア研究 21巻2号 イル,甘 煮 運 搬用簡 易軌 道10マ イル ,蒸 気機 関車 7台 ,荷 車 350台 ,鉄 道 ・港用 倉 庫 ,工 場 内建 物 ・倉庫 に充 て られ た。残 り約300万 ペ ソは,約 5,000ヘ クタ ール の土地 の開墾 ・ 港 概 ・排水 設備 設 置費用 に支 出 され た。2万 へ クタ-ル以上 の面 積 を もつ サ ン ・ホセ農 園 で約5,000- クタール の開墾 が まず 試 み られ た の は, 1日当た り甘煮 圧 搾能 力 的 1,000 ト ンの製 糖工 場 を フル に操業 させ るた め に は, 同規模 の甘煮作 付面 積 が必 要 だ ったか らで あ る [QP5 1919

]

工 場 の建 設 は す で に1910年 に 開 始 さ れ, 1911年 に完成 ,操 業 開始を待 つ ばか りとな っ て いた。 会 社 直 営 の プ ランテ ー シ ョンで は, 初 年度 4万 トンの甘煮 (作付面 積 -約1,000 ヘ クタール) を収穫 し,次年 度 か ら徐 々に作 付面 積 を拡 大す る予定 で あ っ た [SN 3 1929]。 とこ ろが,操業 初 年度 の1912/13作 物 年度 に収 穫 され た 甘 煮 は約9,000 トンにす ぎず , 当初 の計 画 を大 き く下 回 った。1910年 代 末 に収 穫面 積 約1,300-1,500- クタ ール ,収 穫量

3

- 5

万 トン台 ,20年 代 初 頭 に は 収 穫 面 積 約 1,700-2,300 ヘ クタ ール,収 穫 量6万- 7万 ト ン台 に達 した (図3)。 しか し,こ れ は,製 糖工 場 の甘 薦圧搾 能 力 を フル に活用 す るた め に必 要 な収穫 面 積 ・収 穫 量 の2分 の 1以 下 で ハU O 5 ② 砂 糖 ( 粗 糖 ) 生 産 量 ( メ ー ー ル ・ ト ン ) ① 甘 煮 収 穫 面 積 (

ヘク

タ ー ル 一 就 任 した

[

QP

4 1919;

QP

9 1922]。 これ と同時 に, 同社 は約300万 ペ ソの 社債 を発 行 し, マ ニ ラ大司教 庁 が 所 有 -経 営 権 を もつ フ ィ リピン信 託会 社 (Philippine TrustCo.) が社債 の保 証人 とな った。 た だ し, イギ リス や香 港 の投 資家 が 当初 引 き受 けた社債 の半 分 は, の ちに フ ィ リピン信 託会 社 と教会 関係機 関が男 い とった ので あ る [SN 2 1929]。 ミン ドロ砂 糖会 社 の設立 は, フ ィ リピン議 会 が可決 した法2720号 によ って認 め られ た特 例 で あ った。 同法 で は, 同社 によ る ミン ドロ 島 内 の土 地所有権 を認 め, そ の有 効 期 限 を30 年 に限定 した [QP9;10 1922]。12) 他方 同 法 は, 同社 によ るプ ラ ンテ - シ ョンの直 営 を 禁 止 した た め,以 後 サ ン ・ホセ農 園の甘 農 作 ③ 甘 煮 収 穫 量 (メ

ーー

ル ・ ー ン ) 万 5 1913 15 20 25 30 35 404 ' (出所) SN1[1925],Landicho[1952:243]. (注)

*

1934年以降は作物年度。例えば1934年を1934/35作物 年度と読む。 図3 サ ン ・ホセ農園の砂糖生産状況 (1913-1940年) あ った [QP5 1919]。 か くして ミン ドロ開発 会 社 は,操 業 開始以 来 ,慢 性 的 な赤 字 に悩 ま され た ので あ る。 この た め,1917年 に ミン ドロ開発 会 社 は形 式 上 解 組 され,代 わ って, フ ィ リピン系企 業 と して ミン ドロ 砂 糖 会 社 (Mindoro Sugar Co.)が設立 され た。 社長 に は, そ れ まで ミ ン ドロ開 発 会 社 の支 配 人 を 務 めた

G・

H

フ ェア チ ャイル ド(GeorgeH.Fairchild)が 204 12)1914年にフィリピン議会は,修道会領地につ いても公 有 地 と同様 に,個人の場 合16ヘク タール,会社の場合1,024-ククールの取得制 限を設けた。そして,1916年のジョーンズ法 (JonesAct,法1582号) では,修道会領地の 未売却分の処理がフィリピン議会に委ね られ ることになった [Elliot1968:57]。 ミンド ロ砂糖会社に関する議会の決定は,大土地所 有を制限する政府の表向きのポーズ と対立す るものであった。

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永 野 :修 道会領地処理 問題 付地 が複 数 の経 営単位 に区分 され, フ ィ リピ ン人 農 業 企 業 家 (エアセ ンデ ー ロ

,ha

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n-de

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)

によ る 賃 労 働 雇用 経 営 が 行 わ れ た。 しか し,会社 の プ ランテ ー シ ョン直 営 方式 か らフ ィ リピ ン人 農業企 業 家 によ る経 営 方式 へ の移行 は,甘蕉 作 付面 積 の急速 な拡 大を もた らさなか った。 当時 ミン ドロ島で は絶対 的 に 労働力 が不 足 して お り,農 園で はほ とん どが 他 島か らの 出稼 ぎ労働 に依 存 して い たか らで あ る [QP 3;6 1919]。 毎 年 の粗 糖生 産 量 が 予想 を 大 き く下 回 った た め, サ ン ・ホセ 農 園 で は操業 以来 約 10年 間,年 平 均 約50万 ペ ソの赤 字 が計上 され た と い う。 社債 の保 証 人 と して フ ィ リピ ン信 託会 社 が, ミン ドロ砂 糖 会 社 の 社 債 返 還 能 力 を 疑 問視 した の は 当 然 の こ とで あ る

[

SN 2

1922]。1922年 6月 ,フ ィ リピン政府 は法 3055 号 によ って, フ ィ リピン信 託会 社 によ る製 糖 工 場 と農 園 の経 営管 理 を認 可 した [QP 7;8 1922]。 フ ィ リピ ン政 府 が 1904年 に レコ レー ト修道 会 か ら買収 したサ ン ・ホセ農 園 は, こ う して再 度 カ トリック教会 関係機 関 によ って 経 営管 理 され る ことにな った。 4. 所 有 権 の移転 1922年 9月 か ら正式 に フ ィ リピン信 託会 社 が ミン ドロ 砂 糖 会社 の 経 営管理権 を 掌 握 し た。 1910年以 来 の 投 資額 はす で に1,000万 ペ ソを超 えて いたが,経 営 改善 のた め に さ らに 1,000万 ペ ソが 投 入 され た とい う。 に もか か わ らず ミン ドロ砂 糖 会 社 の経 営 不 振 は続 い た。1929年 5月, フ ィ リピン信 託 会社 はつ い に操業 資金 の枯 渇 を理 由 と して, サ ン ・ホセ 農 園 の売却 に踏 み切 るので あ る

[

SN

2;3;6 1929]。 フ ィ リピン信託 会 社 は, ミン ドロ砂 糖会 社 を競売 にか け るに当た り,売却価 格 を約1,000 万 ペ ソ と した。 それ は以下 の項 目か らな る負 債 返済 を 目的 とす るた めで あ った。 マ ニ ラ大 司 教庁 約554万 ペ ソ, フ ィ リピ ン政 府 に対 す る農 園 (売却 証書第2号 )の地価 年賦 未償 還 ・ 利 子未 納額 約24万 ペ ソ, フ ィ リピ ン信 託会 社 約78万 ペ ソ,社債 元利 約330万 ペ ソ。 ハ ベ マ イ ヤ ー らは ミン ドロ砂 糖会 社 に対 し約600万 ペ ソに及 ぶ投 資を行 な って いたが,彼 らの投 資 は 返 済 の対象 と して 考 慮 され なか った

[

SN

3;4;5 1929]。換言 す れ ば,競 売 はマ ニ ラ 大司教庁 が ミン ドロ砂糖 農 園を手 に入 れ るた め の,形式 的 ポーズ に す ぎ な か った の で あ る。 競 売 は結 局 無 期 延 期 され た [QP ll;12 1929;

SN

5 1929]。 この 間 に フ ィ リピ ン信 託 会 社 に代 わ って, マ ニ ラ大司 教庁 が ミン ド ロ砂糖 会 社 の経 営管理権 を握 った。1929年 8 月 , マ ニ ラ大 司教庁 は正 式 に ミン ドロ砂 糖会 社 を買 収 した。 1932年 に ミ ン ドロ 砂 糖 会社 は フ ィ リピン製 糖会 社

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Co.

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と社名 を 変更 したが, 1938年 まで実 質 的 にマ ニ ラ大司教庁 が所有 権 を掌 握 し, フ ィ リピン有 数 の スペ イ ン系 資本 , エ リサル デ商 会

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Co.

)

が経 営管理 を行 な った

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1952:235-236

]

た だ し, マ ニ ラ大司 教庁 は1935年 と1938年 の2度 にわ た り, サ ン ・ホセ農 園 にお け る所 有 面 積 削 減 を 通 告 され た。 まず1935年 2月 に,政府 は, 売却証 書第2号 の対 象 とな った 約 1万 8,000ヘ クタール の地価 年賦 未償 還 ・ 利 子未納額 が約57万 ペ ソに及 ん でい る ことを 理 由 に, 大司 教庁 に対 し会 社 の土 地取 得 制 限 1,024ヘ クタ ール を 除 く土 地 の 返還 を要 求 し た。 売却 証書第 3号 の 対 象 とな った約4,200 - クタール の土 地 につ いて は,す で に年 賦 償 還 済 み のた め, 大司 教庁 によ る所 有 が再確 認 され た ので あ る

[

SN

7 1935]。 大司 教庁 は 政 府 の要求 に 応 えて, まず 約 1万4,000ヘ ク タール を政 府 に返還 した。 しか し,売却証 書 第 2号 が 対 象 とす る 約4,000ヘ クタ ール の土 地 は依 然 と して大司教庁 の手 に渡 って いた。 205

(18)

東南 ア ジア研究 21巻2号 政 府 は 1938年 1月 に 再 度 勧 告 を 行 い, 約 4,000へ クタ -ル の うち 1,024ヘ クタール を 除 く部 分 の返 還 を要請 した ので あ る [SN 8 1938]。 こ う して, 1939年 に フ ィ リピン製 糖会 社 の 所 有 権 が エ リサル デ商 会 に移譲 され た時, 同 社 は,売却証 書第2号 が対象 と した土地 の一 部 1,024ヘ クタ ール と,売却証書 第 3号 が対 象 と した4,200ヘ クタールを合 わせ た,約5,200 ヘ クタール の土 地 を所 有 す る ことにな った。 甘 煮 作付 地 はそ の うち約 1,700- クタール で あ った [Landicho 1952:236]。 む す び 本 稿 は, フ ィ リピン政府 の修 道会領 地 政策 を分析 し, サ ン ・ホセ農 園が ア メ リカ系 資本 に売却 され た背景 を植 民地 期 経済 史 のなか に 位 置づ ける こ とを 目的 と した。 そ の結 果 明 ら か にな った諸 点 は以下 の通 りで あ る。 (1) サ ン ・ホセ農 園 は, フ ィ リピン政府 が三 つ の修 道会 か ら買収 した修 道会 領 地 の一 部 で あ った。 しか し, 同農 園 は約 2万2,000 へ クタ-ル の未 開 ・無 住 の地 で あ り,小 区分 の土 地 に分 割 して農 民 に払 い下 げ る こ とが で きなか った。 (2) 1908・1909年 に政 府 は個人 に対 して 無 制 限 に修 道会 領 地 を 賃 貸 ・売 却 で き る よ う, 1904年 制 定 の修 道会領 地法 を改正 した。 改正法 の もとで, フ ィ リピン政府 は1909年 に ア メ リカ系糖 業 資本家 の代理 人 で あ る- ア メ リカ人 に対 し, サ ン ・ホセ農 園を売却 した。 これ は, いわ ば法 律 の網 の 目を くぐった 「合 法 的」 売却 で あ った。 (3) その後 ま もな く, 同農 園の一部 は形 式 的 に ミン ドロ開 発 会 社 の 所 有 名 儀 とな っ た。 さ らに1917年 に同社 に代 わ って設立 され た ミン ドロ砂 糖会 社 は, サ ン ・ホセ農 園 の土 地所 有権 を30年 を 限度 と して保 有 す る こ とが 206 認 め られ た。 (4) しか し,経営難 のた め同農 園 は1929 年 にマ ニ ラ大司教庁 の手 に渡 り, さ らに1939 年 に はエ リサル デ 商 会 に 転 売 さ れ た。 この 時, 同商会 の所 有 地 は約 5,200- クタ ール に 削減 され て いた。 したが って, ア メ リカ系 資本 のサ ン ・ホセ 農 園- の進 出 と撤退 は, ア メ リカ 植 民 地 期 フ ィ リピン糖業 の資本 主 義 的発 展 史 の縮 図 と いえ る。 1910年 代 か ら20年 代 に近 代 的 フ ィ リ ピ ン糖業 の基盤 を築 いた ア メ リカ系 資本 は, 1920年 代末 か らの大不 況 期 につ ぎつ ぎに撤退 し,代 わ って フ ィ リピン国 内資本 が優勢 を誇 るよ うにな ったか らで あ る。 参 考 文 献 <一次資料>

Elliot,CharlesBurke.1968. ThePhl'll'ppl'neslO theEndoftheCommissionGovernment.New York: GreenwoodPress.(Reprint;1stEd.

1917)

TheFriar-Land Inquiry Phill'ppl'neGovernmentI ReportsbyW.CameronForbes,Governor-ge n-eral,DeanC.Worcester,SecretaryoftheZnte -riorandFrankW.Carpenter,ExecutiveSecre -tary.1910.Manila:BureauofPrinting. PhilipplneCommonwealth.Dept.ofLabor.1937.

Reportof theFactFinding Survey ofRural ProblemsinthePhilippinesSubmitted tothe SecretaryofLaborandtothePresidentof the Phillppines.(Unpublished)

QuezonPapers. Philippine NationalLibrary. SubjectFile. SugarTrade.BoxNo.198A (1912-1936)(以下 引用 した手紙 な どを示す。 略号QP) QP i: Letter from C.N.Conner to George H.Fairchild. Manila. March26,1913. QP 2: Letter from H.Fleischer to George H.Fairchild.Mindoro. March27,1913.

QP 3: ReportMensual.6deFebrero, 1919.

QP 4: Letterfrom MindoroSugarCo. (HoraceHavemeyer?)toManuel

参照

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