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[総説]

ハームリダクションと注射薬物使用: HIV/AIDS の時代に

古藤吾郎1)2)、 嶋根卓也1)3)4)、吉田智子5)、三砂ちづる6)

1)アジア太平洋地域アディクション研究所、2)Harm Reduction Coalition 3)順天堂大学大学院 医学研究科 疫学・環境医学専攻、 4)国立精神・神経センター 精神保健研究所 薬物依存研究部、5)QQ*、6)津田塾大学 国際関係学科 キーワード:ハームリダクション、HIV/AIDS、注射薬物使用、注射器交換プログラム、メサドン 連絡先:〒 110-0015 東京都台東区東上野 6-21-8 アジア太平洋地域アディクション研究所(アパリ) TEL : 03-5830-1790 FAX: 03-5830-1791 E-mail : [email protected] (受付日: 2006. 03. 13、受理日: 2006. 06. 16) 1.薬物使用による HIV 感染の世界的状況 世界保健機関(WHO)によれば、世界の HIV (Human Immunodeficiency Virus :ヒト免疫不全ウ ィ ル ス ) 感 染 者 の 約 1 0 % は 、 注 射 薬 物 使 用 (Injection Drug Use : IDU)が感染経路であると

報告されている1)。注射器の回し打ち等により、

注射薬物使用者(Injection Drug Users : IDUs)間 において極めて短期間に感染が拡大することが、 大きな特徴である。2000 年までに、HIV に感染 した注射薬物使用者は、世界で 330 万人を越え、 増加の一途をたどっている。Needle ら2)による と、1999 年において注射薬物使用が報告された 134カ国のうち、114 カ国(84%)において注射 薬物使用者間の HIV 感染が報告されている。こ れは、1992 年における 80 カ国中 52 カ国(65%) と比較すると、注射薬物使用者間の HIV 感染が 世界中に拡大している傾向を裏付ける結果と言え る。また、注射薬物使用を感染経路とする HIV 感染率には地域格差がみられ、東欧および中央ア ジア(50 − 90%)、北アメリカおよび西ヨーロッ パ(25 − 50%)、ラテンアメリカ(10 − 25%)、 南アジアおよび東南アジア(1 − 10%)、サハラ 以南アフリカ(1% 以下)という推計が報告され ている。 世界的な注射薬物使用者間の HIV 感染の拡大 により、薬物使用問題は公衆衛生上の主要課題と なった。司法及び精神医療による薬物使用への従 来的な取り組みだけでは、HIV 感染は効果的に予 防できなかったため、公衆衛生的な視点からアプ ローチするハームリダクション(Harm Reduction) が急速に展開されていくこととなったのである。 本論では、現在国際的に注目されているハームリ ダクションの概念を整理するとともに、注射薬物 使用を中心とする HIV 感染予防に効果的とされ ているプログラムの内容と効果について、具体的 な事例を紹介する。さらに、ハームリダクション をめぐる国際的な動きについて検討を行いたい。 2.ハームリダクションとは ハームリダクションとは、個人・社会にとって の被害に着目した考え方であり、具体的には、 “薬物使用に関連するいかなる被害(Harm)をも 減らすこと(Reduction)を目的とする政策及び プログラム”である3-6)。ここでいう被害は、個 人/社会レベルごとに健康、社会、経済といった タイプに分けられる。すなわち、薬物使用に伴う 被害とは、個人レベルでは HIV/AIDS(Acquired Immunodeficiency Syndrome:後天性免疫不全症 候群)や HCV (Hepatitis C Virus : C 型肝炎)な どの感染症、過量摂取(overdose)、中毒症及び 依存症などの身体的・精神的疾患、人間関係の悪 化、失業、犯罪(逮捕)、社会レベルでは社会不

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安・社会問題、経済的な負担(取り締まりや刑務 所運営等にかかる税金の捻出、あるいはエイズ・ C型肝炎の治療などの公的医療費)などが例とし て挙げられる。また、ハームリダクションプログ ラムとは、ハームリダクションに基づいた公衆衛 生アプローチによるプログラムの総称である。 薬 物 使 用 と い う 問 題 は 、 主 に 供 給 の 削 減 ( supply reduction) と 需 要 の 削 減 ( demand reduction)というアプローチに基づいて取り組ま れてきた。違法薬物の製造・流通・販売の取り締 まりが供給の削減であり、薬物依存症の治療や、 薬物の不使用を目指す教育・情報提供など、薬物 使用の抑制が需要の削減である5、7)。このような アプローチに基づいた政策やプログラムは、薬物 の完全な排除あるいは薬物の徹底的な不使用を目 標 と し て 従 来 展 開 さ れ て き て お り 、“ War on Drugs(麻薬戦争)”、“Just Say NO(ダメ。ゼッタ イ。)”、あるいは“Zero-tolerance(ゼロ寛容)”な どと呼ばれる。こうした政策やプログラムは薬物 が存在しないことを理想とする社会を目指してい る。その一方で、薬物使用者は現実的に存在して おり、注射薬物使用を経路とする HIV 感染が拡 大し続けている。それゆえ、いかに薬物の需要や 供給を押さえ込もうとしても、それでも薬物の使 用を止めることができない人がいるという現実を 受け入れた、いわゆる“実用主義(pragmatism)” を基礎としたハームリダクションが誕生すること となった。違法薬物を使用することが犯罪である からといって、薬物使用者への公衆衛生的介入プ ログラムが社会に必要ないと切り捨てられるべき ではなく、ほかの健康問題・社会的問題を抱える 人々と同様に、彼らは適切なプログラムを利用で きる権利がある8)。つまり、ハームリダクション プログラムは需要及び供給の削減と対立するもの ではなく、むしろ補完し合うものなのである7) 3.ハームリダクションの誕生 ハームリダクションの起源は主にイギリス、オ ランダ、北アメリカでみることができる3)。1980 年代、イギリスのマージーサイド州では当時蔓延 していたヘロイン使用問題の対策として、ハーム リダクションに基づいたプログラムが供給され た。この背景には、マージーサイド州の薬物依存 の専門家が、1920 年代に薬物依存の専門医から 構成された Rolleston Committee の提言を引き継い でいたことが大きいと言われている。その提言の なかで、薬物使用はその使用者の生活を維持する ために必要となる場合があるという見解が示さ れ、実際に治療のためにアヘンが処方されること があった。Mersey Regional Drug Training and Information Centerは 1986 年に英国で初めて薬物 使用者の健康のために注射器交換(5.ハームリダ クションプログラムの紹介参照)を実施した。マ ージーサイド州では地元警察も薬物使用者の治療 に協力的であり、警察は薬物治療プログラムを監 視するのではなく、行政と連携してプログラムを 考案し、逮捕された薬物使用者をそうしたプログ ラムへと紹介したのである。マージーサイドでは、 様々なレベルのサービスが多くの支援組織を巻き 込んで提供され、薬物使用者は必要なサービスを 容易に受けることができたのである。その結果、 アンダーグラウンドにいた薬物使用者はプログラ ムを利用することで、社会との接点が増え、薬物 使用に係る健康問題が減少し、また注射器の共有 が減少するなどの行動変容もみられるようになっ た。HIV の感染率も低い割合を保つことに成功し たと言われている3) オランダのアムステルダムでは、1984 年に Junkie Unionとよばれる薬物使用者による組織の 訴えを受け、行政が注射薬物使用者間に当時流行 していた B 型肝炎の感染拡大を防ぐため注射器交 換を始めた3)。行政は注射薬物使用者に医療及び 社会福祉的なケアを供給することが、より深刻な 被害あるいは好ましくない結果を避けることにつ ながるという実用的なアプローチをもって取り組 んだのである。またアムステルダムの警察は薬物 使用ではなく、薬物の密売を取り締まることに焦 点をあてた。やはりハームリダクションのひとつ であるメサドン代替療法(5.ハームリダクション プログラムの紹介参照)は、ハームリダクション プログラムのなかではもっとも早くから展開され てきたものであり、1950 年代にカナダ、60 年代 にアメリカ合衆国、そして 70 年代に香港で開始 されている3、9) 4.ハームリダクションの基本方針 ハームリダクションの基本方針はこれまでに 様々な角度から論じられてきているが、ここでは

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とくに 4 つに焦点を充てて述べたい。 1)「敷居の低い(low-threshold)」プログラムの 展開 ハームリダクションではサービスの供給側の都 合を優先するのではなく、薬物使用者を中心に据 え、薬物使用者にとってアクセスしやすい場所・ 方法で供給することや、使用者自身が行動変容の 目標を設定し、実行しやすいように、より包括的 で実用的な選択肢の多いサービスを用意する5、10、 11) 2) 早 急 な 課 題 を 優 先 す る こ と ( priority of immediate goals) ハームリダクションでは、薬物の社会からの排 除というような長期的な課題よりも、H I V 感染 の予防といった早急に対処すべき問題に重点を置 く11)。すなわち、即座にかつ現実的に実行可能 な目標設定が、よりリスクの少ない薬物使用ある いは断薬(薬物を完全に断つこと)にむけての第 一歩となり得る3、10)。そもそも薬物使用は使用・ 不使用に二極化される行動形態ではなく、使用か ら不使用へと連続するものである5)。つまり、薬 物を使用するにしても、注射器を共有するより、 使い捨ての注射器を使用すること、あるいは注射 以外の方法で摂取することで、被害が減ることも ある。また、ハームリダクションにおいて断薬は 否定されていない。薬物使用者の実情に合ったア プローチやプログラムを展開するなかで、断薬は 目標のひとつとして位置づけられるのである5) 3)差別・偏見を持たない(non-judgmental)姿勢 貧困、階級、人種差別、社会的孤立、トラウマ 体験、性(ジェンダーあるいはセクシャルオリエ ンテーションなど)に関する差別・偏見、あるい はその他の社会的な不平等などが、薬物使用を促 し、感染症や社会不安など何らかの被害を受けや すい環境をつくりだしていると考えられる12) そして薬物使用を社会規範からの逸脱行為と捉え る姿勢や、薬物使用者を犯罪者として捉える姿勢 は、薬物使用者を予防サービスから遠ざける恐れ があるため、ハームリダクションではそうした姿 勢を持たない。 薬物使用は、その使用者自身の選択として受け 入れ、薬物の種類・摂取方法に関わらず、道徳的な 善悪を問うべきではなく、薬物使用者個人の尊厳 及び権利は侵害されるべきではないとされる3)

4)費用と効果のバランス(balancing costs and benefits) 薬物使用問題、それにより生じる被害、介入の ための費用/効果の関係性を測定・分析し、優先度 の高いものに社会資源を投入する必要がある3) ハームリダクションプログラムと他のプログラ ム、あるいはそうしたプログラムがない場合など を比較し、適正に評価をする。例えば、注射器交 換プログラムの実施に係る費用と、そうしたプロ グラムの欠如によって HIV 感染が増加し、公的 医療費等の社会負担が増加すると、どちらの費用 対効果が大きいかを検討することとなる。 5.ハームリダクションプログラムの紹介 次に、具体的なハームリダクションプログラム を紹介したい(図 1)。

1)注射器交換プログラム(Needle and Syringe Exchange Program : NEP)

ハームリダクションの代表的なプログラムとし て挙げられるのは、薬物使用者が使用済みの注射 器と交換に新しい注射器を無料で入手することが できる注射器交換プログラム(Needle and Syringe Exchange Program: NEP)である。また、新しい 注射器を利用できない場合のために、使用済み注 射器の洗浄方法の指導や、消毒用ブリーチや脱脂 綿など、より衛生的に注射するための道具の配布 もおこなう。これらサービスの提供により、注射 器 の 共 有 や 繰 り 返 し の 使 用 を 回 避 し 、 HIV や HCVに代表される感染症の広がりを防ぐことが できる。また、使用済みの注射器が一般の手に触 れる場所に不当に廃棄され、公衆衛生上のさらな る問題を引き起こす可能性も回避することができ る。 2)アウトリーチ(Outreach) 社会的に接点を持つことが難しい違法薬物の使 用者に対しては、サービス提供者側が物理的・精 神的に薬物使用者に近づくこと、つまりアウトリ ーチが必要になる。薬物使用者が現れるのを待つ

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のではなく、薬物使用者のいる場所に行き、薬物 使用者が医療や社会福祉サービスにアクセスする 機会を作る、という発想が重要なのである。 したがって、実際にプログラムが提供される場 所とは、薬物使用者が立ち寄りやすい立地であり、 安心して利用できる空間・雰囲気であることが重 要である。例えば、薬物使用が多く見られるコミ ュニティーでハームリダクションプログラムを提 供する場合に、ストリートに集会用テントを建て、 そこで注射器交換やカウンセリングなどのサービ スを提供するとともに、鍼灸を受け、コンドーム、 ハブラシ、かみそり、石鹸・シャンプー、絆創膏 などの衛生用品も自由に持ち帰ることができるよ うになっている13)。こうした薬物使用者にとっ て「敷居の低い」サービスは彼らの健康の維持・ 向上あるいは薬への渇望感の抑制や精神的安定の 促進を目指すものである。また、サービス提供側 にとっても当事者の状況やニーズの把握、情報・ サービス提供のための機会を作ることができると いう点も重要である。 3)情報・カウンセリングの提供、社会生活支援 薬物使用におけるリスク行動の回避促進や、薬 物使用状況の改善、治療への橋渡しの目的で、情 報提供やカウンセリングの提供がおこなわれる。 具体的には、感染症など薬物使用にともなう被害 と予防に関する情報、薬物治療などの関連サービ スに関する情報の発信による健康教育を実施す る 。 カ ウ ン セ リ ン グ で は 、 動 機 付 け 面 接 (Motivational Interviewing)などの手法がとられる。 動機付け面接とは、相反する感情(薬物を使用した いという欲求と薬物をやめたいと願う気持ち)を 掘り下げ、解明することで行動変容への内在する 動機を高めるカウンセリングスタイルである14) また、薬物使用者の自己決定、エンパワーメント を促し、使用者が自ら治療計画を立てるようなプ ログラムの提供などといったハームリダクション モデルのソーシャルワーク15)あるいは、ハーム リダクションモデルの心理療法4)も実践されて いる。 医療・保健に関する情報だけでなく、法的なサ ポートや住宅や福祉制度など、生活全般に関して 個々人のニーズに対応した情報やサービスをコー ディネートするケースマネジメントの提供も、薬 物使用者の生活状況の改善や心理的負担の軽減に より、リスク行動の回避などの間接的被害を軽減 する効果がある。 4)医療従事者の監督下における薬物注射用施設 (Supervised Injection Sites/Safe Injection

Sites) カナダなど一部の国では、医師や看護師が常駐 して安全に薬物摂取ができる場所として、政府公 認の「監督下における薬物注射用施設」を設置し ている16)。医療関係者の目の届くところで薬物 を使用させることにより、過量摂取や、注射器の 使い回しによる感染症の拡大といった公衆衛生上 の被害を軽減するとともに、必要な保健サービス を提供することを目的としている。 5)薬物代替療法(Substitution Maintenance Therapy) 薬物治療に関するハームリダクションプログラ ムとして、ヘロイン依存症者に対するメサドン代 替療法(Methadone Maintenance Treatment : MMT) がある。ヘロイン依存症者がヘロインの代わりに 医療麻薬であるメサドンを摂取することにより、 ヘロイン使用時の多幸感や鎮痛作用を起こすこと な く 、 使 用 中 断 に 伴 う 離 脱 症 状 と 薬 へ の 欲 求 (craving)を効果的にかつ安全に抑制することが できる17)。また、経口摂取するため、注射器使 用に伴う感染症、静脈炎などのリスクを軽減する。 メサドン使用中断に伴う離脱症状はヘロイン使用 中断時に比べて軽度のため、結果として薬物使用 の中断に導くことができる。さらに、薬物使用者 はメサドン処方を受けるために医療機関へアクセ スするようになり、結果として個々人の状況に合 わせた保健サービスと治療を受けることが可能と なる。これは、薬物使用者自身の健康状態の改善 と公衆衛生上の状況改善につながる。薬物代替療 法はメサドンが主流であるが、ブプレノルフィン (Buprenorphine)が使用されることもある。 再発率の高い依存症への対処としては、法的ア プローチによる収監に比べて、治療やメサドン代 替療法による維持プログラムの方が、社会全体に とっても費用対効果も高く経済的であると言われ ている。すなわち、法的取り締まりを強化すれば 薬物使用者が地下にもぐってしまう状況が作られ

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るが、彼らのニーズに合うプログラムを提供すれ ば医療・保健サービスへのアクセス向上を促すこ とができる。このようにして感染症予防効果の高 い薬物使用方法の実践を促すための正しい情報や 知識を伝える機会を創出することは、将来的に公 的医療費の負担減など、医療経済的な観点から社 会全体にとっても利益になると言える。 6.ハームリダクションプログラムの評価 次に、ハームリダクションプログラムに関する 様々な評価研究を紹介したい。ここでは、エビデ ンスの質が高い無作為割付比較試験 (RCT : Randomized Controlled Trial)や複数の RCT の結果 を統合したメタアナリシス(meta-analysis)を用 いたレビュー論文を取り上げた(表 1)。

1)注射器交換プログラム(Needle and Syringe Exchange Program : NEP)

Gibsonらは 2001 年、注射器交換プログラムの 効果に関するレビュー論文を発表している18) これは、1989 年から 1999 年の間に発表された 42 の 調 査 研 究 を 系 統 的 に 比 較 検 討 し た も の で 、 Gibsonらは「注射器交換プログラムは注射薬物使 用者間の HIV 感染リスク行動と HIV 感染を予防 する」と結論づけている。42 の研究のうち、28 の研究において肯定的な結果が得られた。否定的 な結果が得られたのは 2 つの研究のみで、14 の研 究では、関連がみられない、あるいは肯定的な結 果と否定的な結果の両方が混在していた。 2 ) 注 射 麻 薬 使 用 者 に 対 す る 代 替 療 法 (Substitution Treatment of Injecting Opioid

Users) Mattickらは、2003 年にメサドンとブプレノル フィンを用いた代替療法に関するレビューをコク ランライブラリーに発表している19、20)。メサド ンに関するレビューでは、6 の RCT がクライテリ アに該当し、このうち 2 つは二重盲検法であった。 対象者は計 954 人であった。メタアナリシスの結 果、メサドン代替療法は、代替療法ではない治療 方法に比べ、有意に患者を治療にとどめておく効 果があり(RR = 3.05 ; 95%CI : 1.75 − 5.35)、ヘ ロイン使用を抑える効果があった(RR = 0.32 ; 95%CI: 0.23 − 0.44)。しかし、犯罪行為の抑制 に は 効 果 が み ら れ な か っ た ( R R = 0 . 3 9 ; 95%CI: 0.12 − 1.25)。ブプレノルフィンに関す るレビューでは、13 の RCT がクライテリアに該 当し、このうち 1 つが二重盲検法であった。ブプ レノルフィンの flexible dose (投与量に幅を持た せること)は、メサドンと比べ、患者を治療にと どめておく効果が有意に低かった(RR = 0.82 ; 95%CI: 0.69 − 0.96)。また、患者を治療にとど めておく効果をプラセボと比較するとき、低用量 (RR = 1.24 ; 95%CI : 1.06 − 1.45)、高用量 (RR = 1.21 ; 95%CI : 1.02 − 1.44)、超高用量 (RR = 1.52 ; 95%CI : 1.23 − 1.88)であった。な お、ヘロイン使用を抑える効果がプラセボを上回 っていたのは、高用量および超高用量だけであっ た。最終的に、ブプレノルフィンは麻薬依存症患 者の代替療法としては効果的であるが、メサドン には劣ると結論づけている 一方、代替療法の HIV 感染予防に対する評価 は、2004 年に Gowing らが 28 の研究、計 7900 人 を対象としたレビュー論文をコクランライブラリ ーに発表している21)。ほとんどは、RCT ではな かった。注射麻薬使用者への経口薬を用いた代替 療法は、オピオイド系麻薬の使用、注射器使用、 注射器の共有が有意に減少した。性行動との関連 について、代替療法を受けている者は、「複数の セックスパートナーがいる」、「セックスを薬物や 金と交換している」と回答する割合が、代替療法 を受けていない者(あるいは、代替療法を受ける 前)と比べて有意に低かった。しかしながら、コ ンドーム使用については、大多数の研究で関連が 図 1 ハームリダクションプログラムの例 出典:「吉田智子、薬物使用者に関わる HIV/AIDS 対策∼ハームリダ クションってなに?どうする!?NGO の HIV/AIDS プロジェクト、外 務省経済協力局民間援助支援室、p46 − 50、2004.」を一部改変 注射器交換プログラム(NEP) 情報提供 カウンセリング 社会生活 支援 薬物代替療法 (メサドンなど) アウトリーチ 医療従事者監督下の 注射用施設 ・ 薬物使用者が、社会 において生産性のある 生活を送れるよう、保健・ 社会的支援をおこなう。 注射薬物使用者 (IDUs)

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みられなった。Gowing らは、注射麻薬使用者へ の経口薬を用いた代替療法は、薬物関連のリスク 行動を減らすことには効果的あるが、セックス関 連のリスク行動にはわずかな効果しかみられない と結論づけている。 3 ) H I V 予 防 を 目 的 と す る ア ウ ト リ ー チ (Outreach-Based HIV Prevention)

Coyle らは、注射薬物使用者に対するアウトリ ーチに関する 36 の研究をレビューしている22) ほとんどの研究は、様々な場所における注射薬物 使用者の薬物関連あるいはセックス関連のリスク 行動をベースライン時とアウトリーチによる介入 後との比較をしたものである。リスク行動軽減を 目的とするアウトリーチにより、注射器の使用、 注射器の共有、注射関連ツール(クッカー、コッ トン、蒸留水)の共有、そしてクラック使用が有 意に減少した。また、アウトリーチによる介入に よって、治療プログラムへの参加や注射針の消毒 が徹底されるようになったという結果も得られて いる。性行動については、コンドーム使用率が上 昇するなどの変化はみられるものの、大多数は介 入後も安全ではないセックスを行っているという 結果も明らかにされている。 7.ハームリダクションをめぐる世界的な動き 1)国際機関による評価 ハームリダクションをめぐる国際的な評価につ いて、国際機関の見解を取り上げたい。2001 年 6 月に開催された国連 HIV/AIDS 特別総会の宣言の なかで、HIV/AIDS の効果的な予防/治療におい て、衛生的に注射を行うための用具が入手しやす くなること、あるいは差別なくアクセスできるこ とが必要であることが述べられている23)。2003 年に WHO はその最高意思決定機関である世界保 健総会(World Health Assembly : WHA)の承認 を 受 け 、 HIV/AIDS 対 策 の 指 針 と し て Global Health-Sector Strategy(GHSS)for HIV/AIDS

2003− 2007 を発表した。そのなかで注射薬物使 用者に対してはハームリダクションアプローチを 推 進 す る こ と が 明 記 さ れ て い る2 4)。 ま た 、 表 1 ハームリダクションプログラムに対するレビュー論文 プログラム名 論文タイトル 雑誌 発表年 デザイン 主な結果 注射器交換 プログラム 薬物代替療法 メサドン 薬物代替療法 ブプレノルフィン 薬物代替療法 HIV 感染予防を 目的とする アウトリーチ Gibson DR, et al.

Effectiveness of syringe exchange programs in reducing HIV risk behavior and HIV seroconversion among injecting drug users. [18] Mattick RP, et al. Methadone maintenance therapy versus no opioid replacement therapy for opioid dependence (Cochrane Review). [19]

Mattick RP, et al. Buprenorphine maintenance versus placebo or methadone maintenance for opioid dependence (Cochrane Review). [20]

Gowing L, et al. Substitution treatment of injecting opioid users for prevention of HIV infection (Cochrane Review). [21]

Coyle SL, et al. Outreach-based HIV prevention for injecting drug users: a review of published outcome data. [22] AIDS The Cochrane Library The Cochrane Library The Cochrane Library Public Health 2001 2003 2003 2004 1999 42 の文献 レビュー 6 の RCT(2 つ は二重盲検法) のメタアナリ シス 13 の RCT(1 つは二重盲検 法)のメタア ナリシス 28 の文献 レビュー 36 の文献 レビュー ・注射器交換プログラムは IDUs 間の HIV 感 染リスク行動と HIV 感染を予防する。 ・ 28 の研究において肯定的な結果が得られ た。 ・メサドン代替療法は、他の治療方法と比べ、 有意に患者を治療にとどめておく効果があ り(RR = 3.05)、ヘロイン使用を抑える効 果があった(RR = 0.32)。 ・しかし、犯罪行為の抑制には効果がみられ なかった(RR = 0.39)。 ・ヘロイン使用を抑える効果がプラセボを上 回っていたのは、高用量群および超高用量 群のみであった。 ・ブプレノルフィンは麻薬依存症患者の代替 療法として一定の効果はあるが、メサドン には劣る。 ・代替療法は、オピオイド系麻薬の使用、注 射器使用、注射器の共有が有意に減少する。 ・代替療法は、複数のセックスパートナーを 持っている割合と薬物とセックスの交換を する割合の減少と関連があるが、コンドー ム使用にはほとんど影響を与えていない。 ・アウトリーチにより、注射器の使用、注射 器の共有、注射関連ツールの共有、そして クラック使用が有意に減少した。 ・また、治療プログラムへの参加や注射針の 消毒が徹底されるようになった。 ・性行動については、コンドーム使用率が上 昇するなどの変化はみられるものの、大多 数は介入後も安全ではないセックスを行っ ている。

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UNAIDS(国連エイズ合同計画)も HIV 感染予防 には包括的な対策が必要であると述べ、注射薬物 使用者に対してハームリダクションが有効である と述べている25)。さらに UNODC(国連薬物犯罪 事務所)、WHO、UNAIDS は 2004 年に注射薬物 使用者への HIV 感染予防対策のためのアドボカ シーガイドを共同で作成し、そのなかでどのよう にハームリダクションを展開していくことができ るか紹介している26) このようにハームリダクションプログラムが HIV感染予防の効果的な対策であると国際的な評 価を受ける一方で、その是非に関しては議論が繰 り返されてきている。とくに米国は国際機関がハ ームリダクションを政策に取り入れることに強硬 な態度で反対し続けてきている。最近では、2005 年 3 月にウィーンで開催された国連麻薬委員会 (United Nations’ Commission on Narcotic Drugs,

CND:薬物使用問題に関する国連の政策決定機

関)において、ハームリダクション、とくに注射 器交換プログラムをその政策に取り入れることに ついて米国は反対を表明した27、28)。UNAIDS の

Programme Coordinating Boardにおいても、米国は 政策文書からハームリダクションに関連する記述 を取り除くよう主張していた29)。なお、日本は こうした国際的なミーティングにおいてハームリ ダクションに反対する姿勢をとっている。 2)各国・地域におけるハームリダクションプロ グラムの展開 先進諸国において、ハームリダクションプログ ラムが国家政策に組み込まれているところとして は、イギリス、オランダ、スイス、ドイツ、オー ストラリア、カナダなどが挙げられる30)。オー ストラリアにおいては、1990 年から 2000 年の間 に 1 億 5 千万ドルが注射器交換プログラムに費や されており、その効果として、これまで 25,000 件 の HIV 感染を予防し、2010 年までに 5,000 人以上 の生命を救い、24 億ドルから 77 億ドルの経済効 果があると見込まれている31)。米国は国家レベ ルではハームリダクションを承認していないもの の、プログラムの実施は州政府の裁量に委ねられ ているため、例えば注射器交換プログラムは 50 州のうち、39 州で実施されている32) UNAIDSによると、注射薬物使用による HIV 感 染がみられる国・地域のうち、ハームリダクショ ンプログラムが実施されているのは 10 %に満た ないと言われている33)。2005 年時点での HIV 感 染者は世界で約 4 千万人にのぼり、そのうち 9 割 以上(約 37 百万人)が北アメリカ、西・中央ヨ ーロッパ、あるいは西アジア以外の、発展途上国 が占める地域にいる34)。薬物使用者等がハーム リダクションプログラムにアクセスできる割合 は、全体では 19% と報告されているが、先進国 と発展途上国の間では、プログラムへのアクセス に大きな格差がある。発展途上国が多い地域をみ ると、アジア、東ヨーロッパ・中央アジア、カリ ブ諸国・ラテンアメリカの各地域でおよそ 10%、 中東・北アフリカは 1 %未満である35)。発展途上 国においては注射薬物使用を感染経路とする HIV 感染の拡大は深刻な問題であるにもかかわらず、 ハームリダクションプログラムはごく限られた 国・地域でしか実施されていないのが現状なので ある。 そのような状況のなかイスラム諸国でもハーム リダクションプログラムの活発な導入が行われて いることが報告されている36、37)。HIV/AIDS とい う相対的に害の大きい課題への取り組みとして、 インドネシア、イラン、パキスタンなどで導入さ れており、他の途上国への見本を示している。 2005年 7 月に神戸で開催された第 7 回アジア・太 平洋地域エイズ国際会議において、そうしたイス ラム諸国におけるハームリダクションプログラム の展開が注目を集めた。 8.考察 1)視座の転換 社会から薬物を完全に抹消すること(drug-free society)を目指す薬物政策は、薬物使用者に対す るスティグマを増長させるものであるため、公衆 衛生の観点から見ると、かえって薬物使用者を医 療・保健サービスの届きにくいアンダーグラウン ドに追い込み、感染症が拡大しやすい環境を作っ ている。その結果、薬物使用者間だけではなく、 彼らの家族あるいはセックスパートナーを通じて さらに感染症が拡大することが憂慮される。 つまり、薬物使用を感染症対策という公衆衛生 上の課題から考え直したとき、薬物政策は従来の

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需要・供給削減プログラムだけではなく、薬物使 用者と地域社会の健康を考えた有効な対策を同時 に徹底することが重要であるという視点を持つこ とができる。その基盤となりうるのが、ハームリ ダクションである。 2)ハームリダクションの包括的な理解と活用 これまでハームリダクションプログラムに関す る多くの研究がなされ、プログラムの有効性は実 証されてきている。こうしたエビデンスがハーム リダクションの実用主義の基礎となり、現在、国 際的な展開が進んでいると言えよう。しかしなが ら、それらの研究は注射器交換やメサドン代替療 法に焦点が絞られがちであるため、結果的にハー ムリダクションプログラムとは注射器交換とメサ ドン代替療法だけという限定的な認識が普及して いることが懸念される。ハームリダクションは、 カウンセリング、ソーシャルワーク、あるいは心 理療法などに取り入れ実践されているが、有効性 を示すエビデンスを得るには至っていない現状に ある。今後はこうしたプログラムについての研究 も実施されていくことが期待される。そのために は、ハームリダクションへの包括的な理解が不可 欠であろう。ハームリダクションとは、必ずしも 注射器交換やメサドン代替療法を実施することで はなく、コミュニティーの文化、特性などに合わ せて多様に展開することが可能なのである。 3)ハームリダクションの汎用性 本文では HIV/AIDS など感染症対策としてのハ ームリダクションについて国際的な展開を中心に 述べてきたが、被害を減らすという考え方は、広 く応用が可能だという点にも注目したい。 ハームリダクションの基本方針―サービスの受 給者を中心にした敷居の低いプログラム、差別・ 偏見のない姿勢、あるいは早急な課題の優先など ―は、注射薬物使用だけではなく、社会的に弱い 立場になりやすい集団、いわゆるヴァルネラブ ル・グループ(vulnerable group)に対する公衆衛 生の課題に対しても有効である。そもそも薬物使 用は様々な心理的要因との関連が深いため、ヴァ ルネラブル・グループ(vulnerable group)に見ら れることが多い。つまり、薬物使用者への対策と して有効なハームリダクションの特徴は、“薬物 使用者”という一つの集団に対してのみ有効なの ではなく、若者、女性、レズビアン、ゲイ、トラ ンスジェンダー、セックスワーカー、セックス産 業の利用者(いわゆる買春側)、失業者、貧困者、 移民などといった様々な集団に対して有効な可能 性があるのではないだろうか。 4)日本における応用の可能性 現在、ハームリダクションは世界の多くの国や 国際機関から感染症対策に有効な公衆衛生アプロ ーチとして認知され支持されている。しかしなが ら、米国のように実用性より倫理性を重視する国 も存在する。性教育において “ABC”と呼ばれ、 コンドームの使用より性行為の抑制を優先するい わば禁欲中心の政策を推進する38)米国ブッシュ 政権は、薬物使用についても倫理的アプローチを 貫いており、実用主義のハームリダクションに反 対している。つまり、米国はたとえ州によっては ハームリダクションプログラムが承認されていて も、国家政策及び国際政策においては反ハームリ ダクションという姿勢を崩さずにいる。 薬物使用者の感染症対策という取り組み(政策 や社会プログラム)自体がほとんど存在しない日 本においては、薬物対策といえば薬物の根絶また は不使用に限られており、これまでハームリダク ションという言葉自体をほとんど耳にすることが なかった39)。すなわち、日本においては倫理的 アプローチしか存在せず、実用主義に立つハーム リダクションプログラムの実施及び評価に関する 実績すらないのである。薬物使用に伴う公衆衛生 上の課題に取り組んでいく上で、今後望まれるも のは何か、そのためにどのような政策が求められ るのか。日本における今後の薬物使用者の保健問 題への取り組みについて、改めて考える必要があ るのではないだろうか。 文献

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[Review Article]

Harm Reduction and Injection Drug Use: In the Era of HIV/AIDS

Goro Koto1)2), Takuya Shimane1)3)4), Tomoko Yoshida5), Chizuru Misago6)

1) Asia-Pacific Addiction Research Institute(APARI), 2) Harm Reduction Coalition/Harm Reduction Coalition 3) Department of Epidemiology and Environmental Health, Juntendo University School of Medicine

4) Department of Drug Dependence Research, National Institute of Mental Health 5) QQ*, 6) Department of International and Cultural Studies, Tsuda College

Abstract

This article presents harm reduction, which was recently developed in response to the expansion of injection drug use and the HIV/AIDS epidemic. The authors describe the essence of harm reduction, proposing that harm reduction is a pragmatic strategy from a public health perspective to deal with injection drug use. Also, how harm reduction complements the traditional strategies to eradicate illicit drug use based on abstinence (so called, War on Drugs, or Just Say NO) is discussed. By describing key principles of harm reduction, such as low-threshold programs, non-judgmental attitudes, priority of immediate goals, and balancing costs and benefits, the authors introduce major harm reduction programs, which include needle/syringe exchange, outreach, counseling and education, supervised injection sites, and substitution treatment. Substantial evidence demonstrates harm reduction is effective in preventing the spread of HIV. Although international bodies, such as UNAIDS and WHO, advocate harm reduction strategies for the better prevention from the spread of HIV/AIDS, and some countries have adopted national harm reduction policies, United States discourages harm reduction policies in fighting the global HIV/AIDS pandemic. Finally, the authors address the effectiveness of harm reduction from the public health perspectives to deal with AIDS epidemic among injection drug users and the necessity of comprehensive understanding and multifaceted application of harm reduction. They also present the need to rethink Japanese government policies and social programs to meet drug users’ health needs.

参照

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