1
E
MSk.
tr
f21i
Ell
X・.
NXt
ee
ptwyreas
Liberalismus,
Sozialismus
undNationalismus
・
・,
'
'
'
Masaki
Hachino
'
Zusammenfassung
,
'
'
'
S1.
Ich
s'telledrei
Fragen
in
dieser
Abhandlung,
Erstens,
isV
es nicht m6glichden
Gegensatz
der
beiden
Supermachten
dadurch
zu vers6hnen,,daB
die
einedie
andere.]
.
besser
in
der
Verschiedenheit
der
Wirtschaftsverfassung
verstehe?Dazu
genttgt
es'
nicht, riur
den
Unterschied
zwischenKapitalismus
undSozialismus・
zu machep.Zweitens,
ist
es auch nicht m6glich eineWirtschaft6verfassung
nicht nurduch
ihre
'
soziale, sondern auch
durch
ihre
geistige
Struktur
zubestimmen?
Die
sozialeStruktur
besteht
in
der
Dichotomie
ausPrivateigentum.oder
Kollektiveigentum,
Marktordnung
oder
Planordnung
undErwerbsprinzip
oderNahrungsprinzip,
Dagegen
besteht
die
geistige
Struktur
in
der
Tricho-tomie
ausLiberalismus,
Sozialismus
Und
'
'
'
ismus,
Drittens,
ist
es weiter augh..nicht m6glichdiese
drei
1dieologien
im
hang
mitden
Konfessionen
undden
sozialenSchiehten
zu erkltiren?Die
Konfessionen
sindCalvinismus,
Luthertum
undKathoiizismus.
Dagegen
sinddie
sozialeS(thichten
der
Wehrmannsstand,
der
Hgndlersstand.
der
Handwerkersstand
undderBauernstand.
g2
Ieh
behandele
drei
Nationa16konomen
in
der
Abhandlung.
Der
ersteheiBt
Ludwig
von
Mieses,
der
ftir
den
Libetalismus
unddie
marktmEzigeOrdnung
vertrete.Er'
sieht
in
・ibr
das
.Vertrqgsprinzip" verk6rpert,Dagegen
verneint erdie
planmtizige
・
'
/Ordnung,
w,eil sie sich mitdem
.gegenstitzliehen
.Gewaltprhizip・" verbindet.Der
zweite
ist
Eduard
Heimann,
der
ftir
den
Sozialismtts
unddie
planmEzigeOrdnung
'
vertrete.
Er
stelltdie
"kniturelle,WirtschaftC`dem..Wirtscha.f.tssystem"
gegenifber'.
'
-t
Dieses
erweitert sichdadurch,
.daB
es seinen'erzeugten
.UberschuB" wieder zumweiteren
Wachstum
investiert,
Daraus
aber ereignet sich einefurchtbare
soziale und'
'
kulturelle
Ver6dnung
in
der
industriellen
Gesellschaft.
Heimann
willden
furchtbaren
Zustand
durch
die
.kulturelleWirtschaft"
zu erretten,die
es erm6glicht,den
'
.tiberschuB" zur
Abhilfe
der
Gesellen
und zurkulturellen
Zwecken
zubenutzen.
Der
letzte
ist
Othmar
Spann,
der
ftir
den
Nationalismus
und ebensodie
planmEBige
2
鉢 野 正 樹Ordnllng
wieHeilnann
vertrete.
Er
ste}lt
den ”
Universalis
皿us“dem
。llldividualismus
“
gegenUber
.
Er
verneintde
耳”
Ind
}vidualismus“
, weildieser
wegendes
materiellenWohlstandes
磁einnerliche
und geistlicheVerbindung
des
皿enschlichenZusammenlebens
zu vernach !
blssigen
.
Er
behauptet
,
daB
die
Gemeinschaft
durch
unddurch
geistig・
sei,
Deshalb
sei es unentbehrlich,
den
Kreis
des
menschlichenZusammenlebens
nachM6 −
glichkeiten
klein
und st亘ndemelzig zuhalten
.
一
、
問 題 提 起
←L’
)二 つ の 経 済体
制 今 回の 研 究におい て私は, 三っの 点を問 題に してみ たい。 まず 第一
に , 経 済 体 制のより深 い 認識
は,経済体制
を異にする国家
どう しの相
互 理解
に役
立た ないか ど う か を問題に して み たい 。 この 問題につ い て の 説明から は じめる ことにする。
戦 後,
ド イ ッを中心に東 西の対 立が生 じ たこと は周 知の ことである。 こ こ に は じまる米ソの 武 力 抗 争は,
熱い戦
争,
冷たい戦争,
デタ ン5
な ど を経て,
現在
見る ように中
距 離核
ミ サ イル の ヨー
ロ ッパ 配 備とい う事 態にまで至っ て い る。 こ の よ うな ヨー
ロ ッパ 内 部の対 立は,
戦 後は じめて起
っ た現象
であろ うか ?決し て そ う で は な く
1
, すでに 二十世紀初頭
の ヨー
ロ ッパ で は じまっ て いた。 第一
次
世 界 大 戦は,
三国 同盟 と 三国 協 商との 対 立の 結 果であ り,
第二次 世 界 大 戦は,枢
軸 国と連 合 国との対 立の結 果であっ た。 しか し, いず れの戦 争 もヨー
ロ ッパ 中 心の対 立であっ たこ とに変
りは ない。 今 日見る東
西 問 題 も,
ま た,
ヨー
ロ ッパ 内 部の対
立が原 因で ある。 ところで,
この よ うな ヨー
n ッパ 内 部の 対 立の世 界全体へ の 拡 散は,
交 通,
通信,
貿 易の発 達に よっ て, 以前
に もま し て強大
な ものに なっ て来
た。今
日世 界に起
る あ ら ゆ る紛争
に は,危
機 管 理の名の もとに, 米ソ両 超 大 国の干 渉が行な わ れて い る。 武 器輸
出, 軍 事顧
問 団の派遣 が 両 国 か ら行なわ れ た とい う報 道に接 すること は珍 ら し くない。 ドイツの分 割には じ ま り,
朝 鮮.
.
動 乱 , 中 東紛争, ベ ト ナ ム 戦 争 ,’
ア フ リカ内戦, 中 米 紛 争i いずれの粉争にも米ソ両超大 国の 干 渉が 行 な わ れてい る。
従
っ て,米
ソ両 超 大 国の対 立 解 消 が, どれほど東 西 問 題のみな らず,
世 界の 起 り うるあ らゆ
’
る紛 争の解決
に役 立つ か は想像
に か たくない。 し か し現実
には, あ らゆ る種類
の交渉
, 対 話, 交 流が あ るにもか か わ らず, 両 超 大 国 間には,和
解の糸口 さえ 見い出 されて い ない。一
体,
ど うした ら,
こ の憂 うべ き 事 態 は 解 決 さ れる であろうか ?私
は, こ の 問題 に は, 理想論
と 現実論
を分
け て答
え るのが 適 当であると思う。 理想 論 とい う の は,
あ らゆる対 立の 解 決がこ れによっ ての み可 能と思わ れ る和解 とい う方 法である。 あら ゆ る真
の和解
には, 対 立 し合
う 双方
が∫
警
戒心
,猜
疑 心,
敵愾
心 を解 除 する こと が必 要で あるか ら,米
ソ両 国にこ の 理想に向
っ ての 不 断の努
力 が 求め られるべ きである。更
に, 周 辺の 同 盟 国 に も,
こ の理想へ の協 力が必 要で ある。 これを私は,
対 立 解 決の た めの 「和解に よ る道 」と名 づけてお き たい。しか し, 現
実
に は, 警 戒 心, 猜 疑 心, 敵 愾 心 な ど を 解 除 出来 ない事 情 が あっ て和 解の成 立 を自 由主 義
,
社 会 主義, 国 家主 義3
拒 んで い るのがあらゆる対
立の 原 因で ある か ら,
理 想に到 達 する た めの現 実 的方 法 が 示されな ければ な らない ことになる。 そこで私は,
そ の現 実 論として,
米ソが,
相互に他を 理解し合う こと を解
決の方 法としてあ げておきた い 。 問題は,相
互 に双方
の何を 理解 し合 うか とい うこと である。
こ う言えば,米
ソ両国に は,
双方
につ いて あ り 余 る情 報があ り,
すで に知るべ きこ と は知 りつ くし,
従り て,相
互 に充 分に 理解 し合え る関 係にある とい う答 えが か えっ て来るか も しれない。 しか し,果
して,米
ソ両国
は,
それほ どまでに,相
互 を知
りつ くして い るの で あ ろ うか ?あ らゆる対 立につ い て見 受 け られる ことは? 対 立 する双 方が知るべ き 本 質につ い てす こ しも
知
らず,
正しい理解
をえ ないま まで対
立を解決出来
ない で い ることであ る。ところ で
,
米ソ の対 立は,
資 本 主 義 と社 会 主 義 (ある い は,
共 産 主 義 )とい う対 立の図式で 描か れ る が, これ らの経済体制
につ いて,米
ソ双方
は, 正 しい知識
と 理解
と を えて い るのだ ろ うか ?私 は
,
以 下の 経 済 体 制の 研 究によっ て,
異なり合 う経 済 体制
の相 互理解 が可能
にな る よ う な一
っ の道 を示 して み た い。 も しこれが可能な ら, これ を対立解 決の ための 「理解に よ る,
道」 と名
づけて み たい 。 (二) 三 つ の イ デ オ ロ ギー
次
に第
二 の点
と して, 私は経済
体制
が,外
面的
な社
会構
造 か ら だけで は な く,
内 面 的 な精 神 構造 か ら も規 定 出 来ない か ど うか を問題に して み たい 。 これ を以 下で説 明 する。経
済
体制
を,社
会構
造 と精神構
造 とか ら規定
した先
例 を我
々 は, ウェ ル ナー ・
ゾンバ ル トの 経済
体制 論に見 るこ と が出来
る。
ゾンバ ル トは 経済 体 制を, 精神,
秩 序,
技 術の 三点か ら規
定 し,
営 利 精 神と給 養 精 神,
私 有,
市 場秩
序と共 有,
計 画 秩 序,
科 学,
機 械 的技 術 く1) と経 験,
有 機 的技術
に区 分 し,
経 済 様 式 説と よば れる経 済体制 論 を確 立 した。 しか し, ゾン バ ル ト の経 済 体 制 論には,
近 代 とい う転 換 期 を あ ま りにも重 視 しす ぎたとい う欠 点が あ る。 こ の ため, 精 神,秩
序, 技 術の類
型 がい ずれ も近代によっ て区 分さ れ る とい う形に な っ て い る。 こ れは, 科学
, 機 械 的 技 術 と経 験,有
機 的 技 術 とい う技 術の区分
が,単
に, 近代
以前
と近代
以降
の技 術の区 分にす ぎ ない ことを
見 れば よくわ かる。 こ の結 果,
ゾン バ ル トの 区分
を, 近代以降
の資本
主義
や社会
主義
(あるい は,共産
主義
) とい う経済体制
の識
別にあて は め ようとすると,
この ま まで は役立 た ない こ とにな っ て い る。しか し
,
こ の よ うな 欠 点 は あるもの の,
ゾ ン バ ル ト の経 済 体 制 論には 見 逃せ ない重要
な点
が あ る。
そ れ は, ゾンバ ル トが,
経 済 体 制 を規定
するの に, 秩 序や技 術な どの 外 面 的な ものだけ で は満 足せず,
更に,
精 神 を もその中に含め たことで ある。 これに よ っ て ゾ ンバ ル トの経 済 様 式 説は, そ れ 以前
の経済
段階
説と決 定的
に区別さ れ るもの になっ た。 しか も, 社 会 現 象や社 会 制 度の中で, 精 神の演 ずる役 割 を重 視 するこρ
傾 向は,
ゾン バ ル トだけで な く, 同時代
のマ ッ クス・
ウェー
バー
や, オ ッ ト リ リエ ン フェ ル ト・
ゴ ッ トル にも共
通 して認め られる。 周 知の よ うに, ウェー
バー
の有名
な著書
「プロ テス タ ン ティズム の倫 理と資本
主義
の精神
」 は , 題名
に ある よ うに,
精 神の問 題が中 心で ある し,
ゴ ッ トル に よ る経 済の定 義 も 「欲 求と充足 との 持 続 くz) 的調和
の精神
にお ける人 間 共 同 生活
の構
成」 となっ てい て,
精 神の役割
が重視
さ れて い る。更
に,
こ の ような傾 向が どうして生 じて来た か というと,
そ れ は,
西ヨー
ロ ッパ の啓 蒙 主 義,
合 (3) 理主 義,
実 証 主 義に対 抗 した ド イッ の浪 漫 主 義,
理想 主 義,
歴 史 主 義 とい う精
神運動に関 連 し て い る。 前 者の物 質 中 心の態 度に対 して,
後 者 は精神中
心の態度
を もつ て対 抗 した のである。
、
4
鉢 野 正 樹ゾンバ ル トの経 済
様
式 説 は,
その後,
アル フ レッ ド・
ミュ ラー
アル マ ックに よっ て継承
さ
れ た。 ミュ ラー
アル マ ッ ク は, ゾンバ ル トや ウェー
バー
の 研 究を発 展さ せ,
資 本 主 義や社 会 主 義 を 内 面にお
い て規 定 して い る と思 わ れる キ 1丿ス ト教の内 容 を,
よ り明確に定義
することに功績
があっ た。 ミュ
ラー
ア ル マ ッ クに よっ ては じめて , ウェー
バー
の 場 合には明確で な か っ たカル ヴィ ン教 派,、
ル ター
教 派,
カ トリッ ク教 派の区 分が,
世 界 観という視 点か ら明 確に定 義される ことになっ た。
更に, 三つ の教派
が 定義
されたこ とは,
こ れとの 関 連で, 自由
主義,社会
主義,
国 家主義とい う三っ の イデ オロ ギー
の定 義を も可 能に した と思 われ る。 こ の結 果,
精 神 構 造 を イ デ オロ ギL で規 定 すること も可
能にな っ たのである。 日 三 つ の 教 派 最 後に,
第三の点と して 私は,
イデ オ ロ ギー
を;教 派と階 層という二つ の要 素か ら規 定 出来 ないかどうか を問題に したい。 こ の 点 も以下で説 明 する。 (の私
は 五年前
の研究
で, ミュ ラー
ア ル マ ッ クが, 世界
観を視
点にして宗教
の分類
を して い ること を知っ た
。
これによ れば, あ ら ゆ る宗教
は,
現 世 を肯
定 する世界
観を もつ自然
宗教
と,
現 世を否 定 する世 界観 を もつ 救 済
宗
教と に分 けら れ る。 こ の視 点を ヨー
ロ ッパ の 宗 教である キ リス ト教の分 類に応 用 する と,
キ リス ト教の主 な教 派,
カル ヴィ ン教 派,
ル ター
教 派,
カ トリック教
派は、次
の よ うに分
け られる。 現世は罪
によっ て堕 落 してい るとい う 理由で現世 を否
定す
る 世 界 観 を もつ カル ヴ ィ ン 教 派,
現 世は神の 創 造 さ れた もの とい う理由で現 世 を 肯 定 する世 界 観をもつ ル タ
ー
教 派, そ して, 両 方の世 界 観を
合せ もつ カ トリッ ク教
派であ る。私
は以 上の分類
に基づ い て
,
三つ の教 派は三つ の イ デ オ ロ ギー
と,
三 つ の イ デ オ ロ ギー
は四つ の階 層と関連
す るの では ないか と思 うように なっ た。 私が,
今 回の研 究で,
ルー
ドウィ ッ ヒ ・ フ ォ ン ・ ミー
ゼ ス を 自 由 主 義 エ ドア ル ド・
ハ イマ ンを 社 会 主 義,
オ トマー
ル・
シュ パ ンを 国 家 主 義の各 代 表的 学 者 と して選 び
,
その経 済 体 制 論 を研究
しようと 思い立っ たの も, イ デ オ ロ ギー
, 教 派, そ して階 層の関 連を検 証 し た かっ た か らで ある。そこで, 私の想 定 する仮 説 を もうすこ し説 明 しておき たい。 私は, イ デ オ ロギ
ー
は階 級によっ ての み規 定さ れ る と し たマ ル クス の イ デ オロ ギ
ー
論を批
判 して , イ デ オ ロ ギー
は,少
な くとも
そ の生 成のは じ めにおい て,教
派と階 層の 二 つ によっ て規
定さ れ た と想 定 する。 そ して,
以 下の三 つ の仮 説 を 設 ける。 第一
の仮 説。 自 由 主 義は,
カル ヴィ ン教 派 と商人 階層 とに関 連 する。、
第二の仮 説。 国 家主義は, ル ター
教 派と武士階 層とに関連する。 第三 の仮 説。 社 会 主 義 は,
カ トリック教 派 と,
職 人 及び農 民 階 層 とに関 連 する。次に, 私が何 故, 以 上の仮 説を 設けた か を説明する。 まず, イデ オ ロ ギ
ー
と教派
との関連はどうであるか ?
自 由 主 義とカル ヴ ィ ン教 派の
結
びつ きは,
どう説 明さ れるか ?それ は
,
カル ヴィ ン教 派 が 現 世 を 否 定 する世 界 観 を もつ ため
,
現 世 と来 世,
世 俗 生 活 と教 会 生 活 を 峻別
して
,私
の言
う 主客分離
の 思惟
を もつ こと と, 自
由主義
の自他
の 区別を は っ きり さ せ て、
自主,
自治,
独 立 を重 視 する価 値 観 と は似かよ っ て いる か ら と説 明 出 来る の ではある まいか ? それで は
,
国家
主義
とル ター
教派
との結
びつ きは ど うであ るか?そ れ は
,
ル ター
教 派は現
世 を肯
定 する世 界 観 を もっ た め, カル ヴィ ン教 派 とは逆に, 現世 と来 世, 世
俗
生 活 と教 会 生 活 と を融合 させ ようと し
,
私の言 う主 客 合一
の思 惟 を もつ こと と,
国 家 主 義の自
他 を 合一
し,
忠 誠,
愛自由 主 義
,
社 会 主 義,
国 家 主 義5
国,.
献 身などを重 視 する価 値 観が似か よ っ て い るか らと説 明 出来る ので はあるまい か ?最後 に
,社
会主義
と 力 トリッ ク教 派との結
びつ きは ど うであるか?そ れ は
,
カ トリッ ク教 派が二 っ の世 界 観を もつ こと か ら,
修 道 院生活に入 り一
旦 は現 世を否 定し た者が,
再 度 教 会 生 活に帰 っ て 現世を肯 定 する姿 勢 を と り,
私の言 う分 離 か ら合一
へ 回 帰 する思 惟 を もっ ことと,
社 会主 義の 自他を合一
して, 団 結, 連帯,
組合を 重視
する価値
観 は似か よっ てい る か ら と説 明 出来る ので はあるまいか ? それでは, イ デオ ロ ギー
と階 層との 関 連は どうな る か ? まず , 自 由主義と商 人 階 層との結 びっ きは, 武 士 階 層 との間に武 力 支 配 か 富 力 支 配 か をめ ぐる支 配 権 争いを演 じた商 人 階 層にと っ て は,
自 由 主 義の 自 主,
自治,
独 立な どの 価 値は受 容 しやすか っ た か らではあるまいか ? 次に,
国 家主義と武士階 層との 結びっ き は,
大 義に殉 ずるこ と を名 誉 とする武士階 層に とっ て は, 国 家 主 義の忠 誠,
愛 国,
献 身などの価 値 は受 容しやすか っ た か らで はある まいか?最 後 に
,
社会 主 義 と職 人 及 び農 民階 層 との結 びつ き は,
常に支 配 を受け る 階層で, 団結の 他 身を守 るすべ を知ら な か っ た両 階 層に とっ ては,社
会主義
の団結
, 連帯
, 組 合な どの価 値が受 容しや す かっ た か らで はあるまいか ?こ の 仮 説は, こ れ か ら も検 証 して 行 か ねばな ら ない 。 こ の仮 説にあては ま ら ない 事 実は
,
無 数にある。 にもか かわ らず,
私は,
少 くとも近代 以 降の社 会 制 度や社 会 現 象を理解す るた め に は,
こ の仮 説が不 可 欠である と思っ て い る。 こ の理 由を,
以 下の経 済 体 制 論で証 明 して みた い。
私は,
すべ ての自
由 主義
者 が,商
人であ り, カル ヴィ ン教 派で あ る と言うの で は ない。 但し,
ウェー
バー
的な表 現をすれば,
純 粋な 理想型 におい て,
イ デ オロ ギー
,
教 派,
階 層の 三者 は関 連 し てい ると思っ て い る。 以下にと りあげた三人の学 者 も,
残 念なが ら, 私の仮
説の型に はあ てはま らな い。 私 は,
これらの学 者 を,
そ の所 属し た階 層, 教 派は別と して,
既 成のイデ オ ロ ギー
を受容
した人々と理解 して 論 ずることにする。 二、
ミー ゼ
ス の経 済 体 制
論
← }精神
構造一
ミー
ゼ スの 自由主義私は
,
経 済体
制を,
社 会構
造 と精神
構 造の二つ か ら規 定 する
こと を本 研 究の目 的 とする と述 べ て来 た。 これ まで に,
これに関 して様々論 じて来 たの で,
私 が 言 う社 会構
造は何で あり, 精 神 構 造が何で ある か を こ の辺で整理するζと に し よう。 まず,
精 神 構 造の 内容 を整 理 したい。
すでに示 したよ うに,
私は精 神 構 造の内容
と して,
自 由 主 義,社
会 主義
,国家
主義
以 上 三っ のイ デ オ ロ ギー
を 想定す
る 。 こ の点
, ウェー
バー
のプロ テス タ ン ティズム の倫 理 や,
ゾン バ ル トの利 潤 追 求の動 機や,
ミュ ラー
7
ル マ ッ クの キ リス ト教の教 派な ど と は異な っ た精神構
造を想 定し て い る。次に
,社
会 構造の 内容 たつ い ては, ゾンバ ル トの , 精 神, 秩 序,
技 術の 区 分を参照 し {5) て,
財 産 制度,
経済 秩 序,
経 済 動 機 以 上三つ の 区 分を設 けたい。 技 術は,
すで に論 じた よ うに,経済
体制
の識 別に は有用 で ない の で除外
した。 ま た,
経済
動機
は精 神に入 れ られるべ き だが,
私は イ デ オロ ギー
を精 神構
造の 中に入れ たの で,
経 済 動 機 を社 会 構 造の 中へ 入 れるこ と にした。
こ の上で, ゾン バ ル トと同じ よ う に, 私有
制と共有制
,市場
秩 序と計 画 秩 序,
6
鉢 野 正 樹
営
利 動 機と給 養 動 機の 選 択 肢を設 ける こ とに した。 以 上の経 済 体 制 論の骨 格 を 前 提に,
ミー
ゼ ズ
,
ハ イマ ン, シ ュ パ ンの経
済体制
論を検
討 し たい。ミ
ー
ゼス の経 済体
制 論は, その 代 表 作 「共 同 経 済一
社 会 主 義に関 する研 究」(Die
Ge
皿 ein−
wirtschaft
−
Untersuchungen
tiber
Sozialismus
,
1922
) を基に論
ずることにす
る。まず
,
ミー
ゼス が,
分 業の効用を 論じ, 社 会 主 義 も国家
主 義 もこ れ を 正 し く評 価せず, これ を 正 しく理解
してい るの は自
由 主 義だけで あると述べ た文 章の一
節 を 引 用 する。 「軍 国 主 義 的,
国 家主義 的理論の 中に は,
な か んず く,
社 会 主 義 的,
共 産 主 義 的理論の中には,
社 会 を 解 体さ せ るよう な 理 念 (分業
の発 達 を 阻害
する ような 理念一
筆者
註一
)が あっ て, これ が,自
由 主義 的社 会理論に対 抗してい た。 国 家 主 義 的 理 論は自か らを有 機 的 と称 し,
社 会 主 義 的理論は 社 会 的 と称して いる が,実
は, 両者
はと もに, あ るい姑非有機的
に, あるいは非社
会 的に しか (6)作
用して いない。」(
傍 点は筆者
)こ の文章
の中
に, ミー
ゼ ス が自
由 主義
,社会
主義
,国家
主義
, 三つ の イ デ オロ ギー
を 識別 して い た こ と が う か が わ れ る。
更に
,
ミー
ゼス が歴 史の流れ を イ デ オ ロ ギー
の発 展に則してど う見て いた か を 示 す文
章 を あ げて お く。 ミー
ゼス が,
歴 史は自 由 主 義か ら社 会 主 義へ 向 かっ てい る という一
般 的な 見解 を 示 しなが ら,
暗に,社
会主義
へ と 見 え るの縁
実は国家
主義
へ の逆行
にすぎ ないと論じて い る点が 注 意され
るべ きである 。 「歴 史の遣
は社 会 主 義へ 向かっ て い る というのが,
t
今日の支 配 的 な 意 見 と言え よう。 封 建 制 か ら資
本 主 義 を 経て社
会 主 義へ,
貴 族 支 配か ら市
民支
配 を経て プ ロ レタ リ {7) ア民 主 主 義へ と,
事 物の 必 然 的発 展 を 想 定 して い る と言っ てさしつ か え ない。」ミ
ー
ゼ ス の 時 代は,
国 家主義か ら 自 由主義 を 経て, 社 会主義へ 向う歴史
の転換期
であっ た。
第一
次 世 界 大 戦が終 わ り,
ドイツ の 自 由 主 義は挫 折 し,
社 会 主 義へ の 移 行 が問 題 となっ て い た。
ミー
ゼス は, 歴 史の流 れを自 由 主 義に くい とめ, 社 会 主義
へ の移 行を阻
止し ようど し た。 ミー
ゼ ス の試 み は,失
敗に終
っ た。 しか し,何
故, ミー
ゼス は自由
主義
か ら社
会主義へ の転換
に抵 抗 したの だ ろ うか ?その 理由は
,
ミー
ゼス が社 会 形 成の原理 を,
「権 力 原 理 」 (Gewaltprinzip
) と 「契約
原理」 (Vertragsprinzip
)とに分 けた こと を見 れ ば わかる。 何 故 な ら, 「権 力 原理」 が 掠 奪 経 済に対 応 する な ら,
「契約
原理 」 は交 換 経済
に対 応 し, 「権 力原 理 」 が 近代以 前の 原 理 な ら,
「契 約 原理」は近 代 以 降の 原 理であっ たか らである。 確かに,
近 代 以 降の資 本 主 義にも,
マ層
ル クス の言 う よ う に資本家階級
に よ る労働者階級
の搾取
とい う こ と があるの だ か ら,
「契 約
原 理」の中
に 「権
力 原理 」 が入 りこんで い る とい う事
実が あ る。 しか し,
歴 史や社
会の大勢
と し ては,
ミー
ゼ スの観 察 は 正 しい と書 えよ う。私は, 先に, 自 由主義は
自
主, 自
治,
独 立を重 視 する価 値 観をもつ と言っ た が,
ミー
ゼス の 場 合には, 自 由 主 義は何よ り も, 「契約
原 理 」と結
びつ く。 何 故な ら,
契 約は, 自由な独 立 した 者ど うしの 関 係を前 提に し,
同 時に,
全て の主体
が自由,
かつ 独 立 するこ と を要 請 する か らで ある。 (⇒ 社 会 構 造ミ
ー
ゼス は, 三っ の イ デ オロ ギー
の中
か ら自 由主 義を 選択 し た。
その 基準
にな っ たの は,
「権
力 原 理 」 か 「契 約 原 理 」 か とい う社 会 形 成の原 理で あっ た。 同 じ基 準 が,
社 会 構 造の選 択にも 用い ら れ る。私有制,市場
秩 序,
営 利動機
の 系列 か,
共有
制,
計 画 秩 序,
給 養 動 機の系 列 かの選 択も,
「権力原
理」 と 「契約原
理」を基準
にな さ れている。
ミー
ゼ ス の選択
に お い て,
自 由主 義
,
社 会主義,
国 家 主 義7
の系 列 は 「契 約 原 理 」と重なり合い,
の系 列は 「権 力 原理 」 と重な り合
う。 何故
な ら,
「契約
原理 」 は,自
由や独
立 を社
会 関係
の前提
にす
る か ら,私有制,市
場 秩 序,
営 利 動 機 と調 和 しや・
す
く,
「権 力 原理 」 は,
支 配や服 従 を 社 会 関 係の前 提にする か ら,
共 有 制 , 計画秩序, 給養
動 機 と調 和 し やすいか
らで あ る。
支配 や服 従が必 要な社 会で は,
私 有 制や,
市 場 秩 序や,
営 利 動 機 などは,
妨 げに こそなれ,
助けには ならないか らであ る。こ の よ うに見て来る と
,
精 神構
造の選 択に も,
社 会構
造の 選 択にも,
ミー
ゼス に おいては,
二つ の社
会 形 成の原理 が決 定 的で ある こ と がわかる。 従 っ て,
ミー
ゼ ス の精 神 構 造 論 や社
会構
造 論を理解 する の に は,
む しろ,
何故 ミー
ゼス が 「契約
原理 」 を 選び,
「権 力 原理 」 を捨
て る の か,
こ の 理由 を 示 すこと が重 要と な る。 ミー
ゼス が,
何 故,
「権 力 原 理」で な く,
「契 約 原理 」 を選ぶ か と言 うと,
前 者は戦 争の 原 因をっ く りやす く,
後 者は平 和を維 持 し やすい か らである。 「権 力原
理 」 は, 戦 争 を 予 定 した社 会 原理 と も見 られる が,
いず れにせ よ, 権 力 を 誇 示 するこ と は, 戦 争の 原 因をつ く り や すい こと は容 易に理解 出来
る。 そ れで は, ミー
ゼ ス が平 和を 望 み t,
戦 争 を 拒 む理由は何か ?それ は
,
平 和が経 済の繁栄
を もた らすか らで ある。 戦 争 が, 経 済の 繁 栄を妨 げるこ と は容 易に理解
出 来る。
もっ とも, 戦争
景気
とい うこと はある が, これ は あく まで当 事国でない こ とが 条 件で あ るb そ れで は最 後に , 経 済の繁
栄が望ま しい の は何 故で ある か ? ミー
ゼス の答え は,
経 済の 繁 栄は人 間の欲 望を最 大 限に満 足させ る か らとい うこ とにな る。 これが,
効 利 主 義 者ミー
ゼス の結 論である。 欲 望の最 大 満 足は,
決 して軽んぜ られるべ き こ とで は ない。 欲 望 を満 足 出 来 ない不 満 か ら, 各 種の問 題 が 生 じて くる。 また,欲
望の最大満
足 を 求めない人 は どこ にも
居 ない こ と も事 実で ある。 ただ問
題は, 満 足 される欲 望の 内容であ っ て,
物質
的欲
望の 満 足 だ けで よいの か,
精 神 的 欲望
の満 足は どうなのか,
二 つ の欲
望の両立 は可 能なのか, こ の ような問 題の検 討 が 必 要で ある。 しか し, こ の 問 題 を 別にす れ ば,一
応の 結 論は,
出された と見られ るだろ う。 以 上の理由によっ て ミー
ゼス は,
「契 約 原理」を選び,
「権 力 原理」を捨て るので ある。 こ の 基準
か ら,
ミー
ゼス の 自 由 主 義の選 択は決 ま り,
私 有 制,
市 場 秩 序,
営 利 動 機の選 択 も決まっ たの で ある。 このよ うに して, ミー
ゼス の経済体制論
の精神構
造 と社
会構造
が決
め られたの で ある。,
(ヨ 経 済体
制 論ミ
ー
ゼス の経 済 体 制 論には, 三 つ の価値
判 断 が 前 提 と さ れて い る。
すで に述べ て来
た こ と と 重 な り合 うが,
そ の概 要を以 下に示 す。 理想 主 義 的人 間 観より も,
効 利 主 義 的 人 間 観 を 選 好 する。
従っ て,
欲 望の 満 足 を 最 大 限に求める ことを,
人 間の 普 遍 的 本 性 と して肯 定 する。
人 間 に は,欲
望の満
足を超え て追求
すべ き 目標
があ る とい う理想主義
に は賛成
し ない。「
権力
原 理 」より も,
「契 約 原 理 」r
を選 好 す る。 そ の理 由は,
すで に述べ て来た。 静 態 経 済より も,
動 態 経 済を 選好
する。静
態経済
, 動態経済
とい う 区彡
}
は, オー
ス ト リー
学派
に固有
な経済
形 態論
で ある が,
欲 求 与 件, 自然 与 件,
労 働 与 件, 資 本 与 件,
技 術 与 件,
制 度 与 件 な ど の経 済 与 件が不 変な経 済 状 態を静 態 経 済と言い,
これ らが変 化 する経 済 状 態 を 動 態 経済
と言 う。 こ の よ うな 経 済 状 態の分 類は,
客 観 的 な もの で,
没 価 値 的 概 念であるか ら, 価 値 判 断の 対 象に な ら ない が, ミー
ゼス は,
こ の分 類の う ち,
静 態 経済
よ り も動 態 経 済 を肯
定 する 立場を と っ て いるの で,
両 者の間に価 値判
断が されて い る と してお きたい。静態
経 済 は,
停 滞 的 な 自給 自足8
鉢 野 正 樹 経匿
に相 当 し, 動 態 経 済は,
発 展 的な交 換 経 済に相 当 する。 人 間の欲 望 満足の 拡 大を肯 定 する ミー
ゼ ス が・
前 者よ り も後煮
を肯
定 する のC
ま当然
で あ る. 以 上の よ うに,
ミー
ゼ ス の経済体
制 論 は,
効 利 主義,契約
原理,
動 態 経 済 を肯定す
る価値
判 断の下
に形成
さ れ てい る。以下, ミ
ー
ゼス の社 会 構 造論
を よ り詳 しく,
財 産 制 度,
経 済秩
序,
経 済 動 機に分けて 検 討 する。 ま ず,財産
制度
につ いて は,
ミー
ゼ ス は共有制
では な く私 有 制 を 選 択す
る。 ミー
ゼ ス の財 産 制 度 論は,
次の よ うである。 ミー
ゼス は, 経 済 状 態 を,
自給
自足経済
と交 換 経 済 とに 区分 する。 これは,静
態経
済と動 態 経 済 とに相 当 する。 自給自
足 経 済では,
土 地な り, 資本
な り,
労 働な り一
これ をも財 産に含めれば一
全て,
財 産か ら生 じた生 産物
は, 余 すところ な く財 産の所 有者
の もの になる。 交 換 経 済で は、
土 地 な り, 資 本な り,
労 働な り,財
産か ら生 じ た生 産 物は, 交換に よっ て,
財 産の所 有 者と は 別 の人 の もの になる。 財 産の所 有 者は,
地 代な り,利
子な り,
賃 金 な りの形で,
その利
益にあ ずか るのみである。
こめ
よ うに,
交 換 経 済で は自
給 自足 経 済には見 られな い財 産の社
会化,
共 有 化が,
誰か ら も強 制さ れず,
自然の うちに行 なわ れて いる。 ミー
ゼス は, こ の点に着 目 して, 私 有性
を肯定
する財 産 制 度 論 を構成す
る。 こ れ に よ れ ば, 交 換 経 済であるかぎり,敢
て 財 産 権を没 収して共 有 制 を 定め る 必要は ない ことに なる。 むし ろ,財
産の社
会 全 体へ の有 益な運用をはばむ ものは,
財 産 制 度よ り も, 自給自
足 経済
とい う交 換なき経 済 状 態とい う!
こ とにな る。次に
,
経 済 秩 序につ い て は,
計 画 秩 序よりも市
場秩
序を 選択 する。 そ の 理由は何か ?ミ
ー
ゼ ス は,効利
主義
的人 間 観に基づ いて, 人間
の欲
望を個 人 的に も,社
会的
にも
最 大にす ること を肯
定 する。 こ の場 合 問 題にな るの は,
どの よ うな状 態になっ た時が欲 望 満足 が最 大であると 判 定 するかと言 うことであ る。 こ の た めには,
当 然,
欲 望の測 定が 問 題 と なる。 こ の問 題 を ミー
ゼス は , 欲 望の 測 定 は,
個 人的
に は不 可 能で も,
社 会 的には 可能
である と し て,
』
種の多数
決原 理 に よ っ て解 決し た。 欲望満 足の度 合,
効 用 価 値の測 定は, 個人 だけでは困 難であ
る。 異 質 な ものの 効用価値
を 比べ る ことは, 異質
な労働
の 労働
価 値 を 比べ るの と同じ く困難
な ことで あ る。
これ を 個人でや る の は なおさ ら困 難なこ とで ある。 しか し,多
数が集ま れ ば, その 間の価値
評 価の合
成によっ て, こ の こと が可能
になっ て来 る。 事 実,市場
は, こ の よ うな多
数者
に よる価 値 評 価を合
成す る場と して 発 達 して 来た。
市 場で形成き
れ る価 格とい うの は,
こ の よ う な価 値 評 価を貨 幣の単 位で示 した もの で ある。 こ の結 果,
市 場で形 成さ れ る価格
が高い とい う こ と は,
その 商 品の,
欲 望 満 足の度
合い が高い とい うこ と,
従 っ て,
効用価値
が高
い こ と を意 味 することになる。 価 格に よっ て欲 望満
足と,
効 用 価 値が測 定され ることにな る 。 これが,
ミー
ゼス の名
を高
か ら し め た 「経 済 計算
」(Wirtschaftsrechnung
)の 理論であ る。 こ の理論
の す ぐれ た点は,価値
(効 用価僖
) が価 格 を決め ると しない で , 価格
が 価値
を決める
と し たことで ある。 これに よ っ て,
主 観 的効用 を どう測 定 する か とい う解 決 不 能 な問 題 が 回避される よ う に なっ た。 こ う見 れ ば,
価 値 測 定 を 可能
にす
る市場秩序
を ミー
ゼス が何 故 選 択 するか もわ かるで あろう。最 後に
,
経 済 動 機につ い て , ミー
ゼ ス は,
給 養 動 機で は な く営 利 動 機を 選 択する。 そ の理由 は何か ?オ
ー
ス トリー
学
派の 資本
理論は,
ベー
ム・
バ ウェ ル クの 迂回生産の 理論 を 中 心にし ている が,
迂回生産が可 能になる の は,
将 来の 欲 望 満足 が増 大する こと を期 待して , 現 在の 欲 望 満 足が断 念 さ れるか らで あ る。
こ の ような選 択が実 現 するのは,
将 来の欲
望満
足の増
大を求 め る営
利 動 機があ れば
こそ であ
る。
ミー
ゼス が,営利動機
を プ ラス に評 価 するの は こ のためで自 由主 義
,
社会 主 義,
国家 主 義9
あ る。以 上, ミ
ー
ゼス の経 済 体 制 論は,
精 神 構 造 と して 自 由 主 義 を,
社 会 構造 と して,
私 有 制,
市 場秩
序,営利
動機
を基
礎にすることを 明 らかに し た。.
三、 ハ イ マ ン の経 済
体
制 論
(一
) 精 神 構造 ハ イマ ン の社会 主義ミ
ー
ゼス の自
由主義
が, これに先
行し た イ デ オ ロ ギー
, 国 家 主 義と,
その社 会 形成
の 原理,
「権 力 原理」の批 判か ら出 発して い た ように, ハ イマ ン の 社 会主義 も, その先 行 する イ デ オ ロ ギー,
自 由 主 義 とその 経 済 体 制へ の 批 判か ら出 発 して い る。 そ こ で,
ハ イマ ン が,
自 由 主 義の 時 代ど その経済体制
と を どの よ うに把握
して いた か が問 題にな る。
こ のため には, 何より もま ず,
ハ イマ ン に固有
な経
済 体制
の 区分
を 知ら ねばな ら ない。 ハ イマ ンは,普
通 に行わ れてい る.
資 本 主 義 か 社 会 主 義 か と は全 く異 なる経 済 体 制の区 分 を 行?て い る。 ハ イマ ン は, ゾン バ ル ト (8) の 「給 養 経 済」(Nahrungswirtschaft
)と 「営 利 経 済」 (Erwerbswirtschaft
)の区分
と同じ よ う に, 近代以前の経済体制
を 「完
全 に総合
さ れ た社
会シ ス テム」 (das
voll− gegrundete
Ge
−
sellschaftssystem )
,
あるいは广
文 化 経 済 」 (kUlturelle
Wirtschaft
) と し, 近 代以降のそ れ (9) を, 「経
済
シス チム 」(das
Wirtschaftssystem
)と す る。
但 し, ゾ ンバ ル トのよ うに経 済 動 機に よっ て区 分 せ ず, ハ イマ ンは , 経
済
活動
の結果
生じた (10)、
t
生 産の 「余 剰」(UberschuB
)に着 目して , こ れ が, 経 済過程の 中に再び とりこまれ るか,
ある いは, 経済
過 程の外に用 途を見い出 すか(
cよ っ て,
二 つ の 経 済体
制 を 区 分 する。従
っ て, ハ イ マ ン に よれ ば,
「余 剰」 がス ミス の言 う資本
蓄 積,
マ ル クス の言 う拡 大 再 生 産,
べ一
ム・
バ ウェ ル クの言う迂 回生産
, ケ インズ の言
う貯蓄
, 投資
といラ
形で,、
経 済 過 程の中
に と り入
れ られ
る の が 「経 済・
シ ス’
テ ム 」ζ
な り , これ に対 して, 「余 剰」 が経 済過程の外で , 祭 礼 や,・
饗 応や
, 救 済 (貧者
の) とい.
う形で用い られるの が 「文 化 経 済 」』
と なる。 (11)一
「
経
済
シ琴テム 」の よ い点は, ツ ガン・
バ ラノ フ スキー
の言 う機 械が機 械を
生み ,富
が葛
を生 む とい う資本
の自
己増 殖過程を 通 して,
人類
を物質
的貧
困か ら解
放し たことにある。 厂経済
シス テム 」は,
入 類を,
ハ イマ ン が言 うよ うに,
飢 餓,
疾 病,
早 死とい う三つ の災 厄か ら解 放した ことにな る。
これは, 「文 化 経 済」には果 しえ ない願 望で あっ た。
しか し, かっ て は 人類
に祝 福を もた ら し たこ の同じ経済
体 制が,
今や,
人 類に 呪い を も た らす もの に変 わ りつ つ ある。 こ の点につ い て ハ イマ ンは,
次の よ う・
に言っ て い る 。 「こ の新 ら しい シス テムー
r
経 済 シス テ ム』(筆 者 註)−
IC
おい て人 類は, 飢 餓, 疾 病, 早 死を除 去せ ん とする英 雄 的 企てを行っ た。 しか しこ の た めに人 類は,
社 会 的,
文 化 的 頽 廃とい う恐るづ
き代 償 を 支 払わ
な け れ ば な らなか c12) っ た。 これ
は, 人類
の経 済 社 会に対 して
の, 社 会 的,
文 化 的 無 秩 序とい う代償
で あっ た。
」「
経済
シ ス テム 」 は, 物質
的 苦難
か ら人類
を救済
した代 償 として,精神 的苦難
を請求
してい る ように も思 わ れる。 もともと,
「経 済 シ ス テム 」は,
物 質に価 値の重 点 を 置いた経 済 体 制で あ り,精神
に価値
の重点
を 置いた 厂文 化経済
」 と異 なるのだ か ら,
こ の現象
の生ず
るの は当然
な のか もしれ ない。 しか し,
こ の よう尽
事 態か ら, 人類
は,ξ
の ように して 救 済さ れる の で あろ うか ?ハ イマ ン は
,
カー
ル・
ポランニ ィ や,
ハ ン 冬・
リッ チュ ル など
の文 化人類 学者
の研 究ド
を参 照 し な が ら, 「文
化 経済
」の中
に,救
済の道 を 見て いる よ うで あ る。 ハ イマ ンが,未
開社
会10
鉢 野 正 樹 の相
互扶 助を論じ た中
に以 下の文
章がある。「部 族の連帯 (
Stammessolidaritljt
)の方
が, 最 終的 に は, 財産 な ら びに所 得の格 差一
そ の よ うな ものが あっ た と して も一
より も優
先 する 。 他の 者が充 分に所 有 して いる の に,
飢え る者
は誰 も
居ない。欠
乏も余 剰 も,
全 員が これに参 与 する。・
・
…
部 族が飢
え, かつ 死ぬ こ と が あっ たと して も,
部 族の 誰か が飢え,
かつ死
ぬ こ と は あ り え ない。 例え ば,
夫が自己の労 働の 実を一
人た くわ えること は ない。 何 故 な ら, それ は,
妻
の兄 弟の もの で もあ る か らでφ
る。 そ れ は, その夫 が, 自分
の姉妹
の夫達 か ら,
己 れの生活 費を期 待しうるのと同じことである。
従 っ て,
進 歩した ヨー
ロ ッパ 諸 国 を 周 期 的に襲っ て いる大 量 失 業は,未開
人の間では,
信じ難い (13)驚
きを ひき起す
だ けであ る。」最 後に
,
ハ イマ ンが未 開 社 会の連 帯に着 目して い る こ とに注 意 した い 。 私は先に, 社 会 主 義 の イ デオロ ギー
に は,
団 結,
連 帯,
組 合 とい うことが認められ る と述べ て来 た。
ハ イマ ン は,自
己の求
め る社
会 主義
の現 実を,未
開社
会の 中に発 見 し たの で ある。 そ して,
これ に 「文 化 経 済 」の名 称を与え たの であ る。 (二) 社 会 構 造精 神 構 造につ い て ハ イマ ン の
且
会 主 義 を 検 討 した の で,
次に,
そ の社 会 構 造の理論を,
財 産制度,
経 済 秩 序, 経 済動機
の三点か ら論 ずるこ とにする。 ハ イマ ン の 経 済 体 制 論は,
その 主著 「経 済シス テム の
社
会理論」(Soziale
Theorie
der
Wirtschaftssysteme
,
1963
)に詳し く書か れて い る の で,
こ の本を基に以 下の論
述を進め たい。 ハ イマ ン の社 会 構 造 論 を 正 しく理 解する
ため には,
そ の理論 前 提 をわきま える必要 があ るので,
まずこ の点の説明 か ら入 りたい 。 ハ イマ ンは,
二つ の 理論 前 提を置い て いる。 資 本主義の 時 代は, 産業
革 命 (十八世 紀 )を境 と して,
商 業 的 資 本 主 義 と工業 的 資 本 主 義 とに 二 分される。 こ の点ハ イマ ン は,
ゾン バ ル トの 初 期 資 本主義と高度
資本
主義の 時 代区分を受け 入 れて い る。
人類の歴 史 は, 弁証 法 的に展開 す る。
ある時 代 は, 必 ず,
その 時 代 を 成 り立 たせ な く す る よ う な否定要因 を自己の 内で培 養す る。 こ の点ハ イマ ンは,
マ ル クス の弁 証法
的歴史
理論
を受 け 入 れている。 但し,
ハ イマ ンはマ (14) ル クス の唯 物 論に同 調し ない の で,
「宗 教 的 社 会 主 義 者 」 (religi6serSozialist
)の名 称がある。以 上の理論 前 提に基づい て, ハ イマ ンの社 会 構 造 論 を見ることにする 。 まず, 財 産 制 度につ い て は, ハ イマ ン は ミ
ー
ゼス と は対 照 的に私 有 制より も共 有 制を 選択 する 。 ハ イマ ンは, ジ ョ ン・
ロ ッ クの財 産 論 を 基に して以下の ように論 ずる 。 中 世 世 界 が 崩 壊 して混 沌 と した状 態 が 歴 史の 中に出 現 し た時, い か な る秩 序があ り うる か につ い て, トー
マ ス・
ホッ ブス とジョ ン・
ロ ッ クとの間には対 照 的な意 見の 相 違があっ た。 ホ ッ ブス は,
混 沌の中
か ら秩
序をつ く り出
すた めには
自 己の権 利 を 主 張 し合 うこと を 止め, 第三 者に権 利の 委 託 を することが 望 ま しいと論・
、
じ,
逆にロ ッ ク は,各
人が各
人に ふ さわ しい権利,
い わ ゆ る自 由, 生命,財
産の自然権
を保留
する ことに よっ て秩 序が 生み 出されると論 じ た。 両 者の 意見の是 非はこ こ では論じ ない こ と に し て, ロ ッ クの財産権
にのみ注
目する と, ロ ッ ク は,財産権
の成
立根拠
を以下
の ように説
明し た。 例 えば,
ある土 地がある人の 財 産 として認め られるの は,
その人がそ の労 働をそ の土 地と結
びつ けた か らである, と。 これ に よ れば, 土地の私有権
は, 土地 を開 墾 し た とい う事 実に帰 せ ら れ ることにな る。 ハ イマ ン は, こ のロ ッ クの財産論
か ら出 発 して, こ の よ う なロ ッ クの財
産 論はあなが ち否
定 出 来ない が, 土 地 が開
墾 した 人の もの とな り,資
本 が 貯 蓄 した人の もの と自 由 主 義
,
社 会主義,
国 家主 義11
なりえ たの は,
せい ぜい商 業 的資
本主義
の時 代 まで で あっ た と論 ずる。 何 故な ら,
土 地は開 墾 さ れ ればさ れ る ほど もは や開
墾の余 地は な く,
こ の結 果,
財 産 権は成 立 する根 拠を失 な う し,
同 じ く, 資 本の蓄 積 も増 大 すれば す るほ ど 工業
的 資本
主義
を 発達 させ て,
その全体
の私有
が 不 可 能な まで の 巨 大 資本
を生み出 すことにな る か らで あ る。 こ の事 態を如 実に 示 した の が,
合名
, 合資,
株 式の制 度で あっ た。 資 本はも
は や私 有 出来 ず, 共 有 する他な く なっ た。 この よう にハ イマ ンは,
歴史
の弁
証法 的発展に よっ て, 私 有 制 は 自昌
のうちに それが成 り立 ち え ない よ うな状態 を自己 生産し た と見る の である。 従っ て, 私 有制 か ら共有 制へ の移 行は必 然であ る と 見る の で あ る。次に, 経 済 秩 序につ い て も
,
ハ イマ ン は,
ミー
ゼ ス と は対 照 的に市場秩
序よ りも計
画秩
序を 選 択 する。 この 理 由 も, 財産
制度
と 同 じ く弁 証 法 的である。 ハ イマ ンは,
小 生 産 者が多 数で市 場に製 品を供給
して, 多 数の消費
者が その製 品 を 買い求
め た商業的
資本
主義
の時代
に,
ろミス の言う予 定調和に よっ て市 場 秩 序が作 動 したことを否 定 しない 。 し か し, こ の市 場 秩 序が作 動 して,
分 業 と交 換と が発達す
ればす
る ほ ど,資本
の蓄
積,
資 本の集 屯 生産
者の 自然 陶 汰がす すみ, 工業 的 資 本主義
の 時 代にな ると, 市 場秩
序 を 超え た巨 大 資 本が出現 した。 カル テル,
ト ラス ト, コ ン ツ ェ ル ン,
労 働 組合,
政 府の社 会 政 策,
これ らの 超市
場 的権力
体の 影響で,
作 動 不 能に陥っ た市 場 秩 序の中か ら,
イン フ レー
シ ョ ン,景
気変
動, 経 済 恐 慌の弊
害 が続出
した。
こ の事 態に直面 して,
市 場 秩 序の計 画 秩 序に よ る救 済が 試 み ら れ る よ う に なっ た。 ハ イマ ン は,
こ の移行
をも必然
と見
るのである。
最 後に経 済
動
機につ い ても, ハ イマ ンは ミー
ゼス と は対照的に,
営利
動 機よ りも給
養 動機
を 選択す
る。 この 理 由につ いて も ハ イマ ンは, 弁 証 法 的に,
営 利 動 機が資 本 蓄 積に役 立っ たのは せいぜい商 業 的 資 本 主 義 まで であっ て , 工業 的 資 本主義
が発 達 すれば する ほ ど, ますます自
然 破 壊, 環 境破壊
,了
資
源 国の収
奪がひど くな り, 従っ て,営利動機
はこれ以 上 必要
でない とこ ろ にまで来た と見るの で ある。 (三) 経済
体 制ハ イマ ンの
経済体制論
は,精神構
造か ら見る と社会
主義
,社
会構
造か ら見る と共 有 制,
計 画 秩 序,
給 養 動 機 とな る。 しか し,
先に見た ように,
ハ イマ ンは,
歴 史の弁 証 法 的 展 開とい う 理論前
提に立 っ てい るの で,
その経済体
制 論 も弁 証法的
に と ら え られて い ること を 注 意 しな けれ ばな らない 。何故
な ら, ハ イマ ンの精神構造
は社会
主義
で はある が,自由
主 義 を 含んだ もの で あ り,
社 会 構 造 も, 共 有 制,
計 画 秩 序,
給 養 動 機 とな っ て い るが,
私有 制, 市 場 秩 序, 営 利 動機
を含ん だも
のだか
らである。 この た め, その 目標
とする ところ は, 「自
由と秩 序の 均 衡と融 c15)和 」(