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コモン・ローにおける反独占思想(4) 利用統計を見る

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コモン・ローにおける反独占思想(4)

著者名(日)

谷原 修身

雑誌名

東洋法学

38

2

ページ

167-216

発行年

1995-03-10

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00000531/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

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コモン・

ローにおける反独占思想四

七 コモン・ローにおける取引制限的結合  ω 取引制限的結合の定義  人類は、どの時代においても、生活を営むために﹁取引﹂と言う名の競争を強いられてきたが、この競争は地球上 の乏しい資源をいかに効率的に配分するかと言う難問を解決するための優れた手段である。しかし、ルールのない競 争が社会的混乱をもたらすことも周知の事実である。そこで人類は、この無制限な競争がもたらす弊害を除去するた めに社会的ルールを設定することに腐心してきたのである。他方で、取引に従事する者も激烈な競争を回避すること によってエネルギーの消耗を防ぐために、あらゆる手段を講じたのであり、それが﹁取引制限的慣行︵おω鼠&<雪轟8 冥零蔚窃︶﹂と総称されているのである。これらの慣行の内で、取引の当事者間で取引に付随して競争を回避すること を約束する約定を取り交わす場合を﹁取引制限的契約﹂と呼び、これがコモン・ローにおいて重要な法領域を形成し

    東洋法学      一六七

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    コモン・ローにおける反独占思想四      一六八        ︵−︶ てきたことは、前節において概観した通りである。  この﹁取引制限的契約﹂は、営業財産の売り手と買い手、組合と組合員および使用者と使用人間の主たる契約に﹁付 随して︵碧亀冨曙8︶﹂、一定の時間・空間的制限の下で競争しないことを約束するものであり、初期のコモン・ロー の下では無効とされていた。しかし、一七世紀以降のめざましい経済的発展に伴って、取引が全国的もしくは国際的 規模で拡張されたことにより、このような取引制限的契約が一般大衆に与える弊害が微少であることが認識されるに 至ったのである。その結果として、英米両国の裁判所は﹁契約の自由﹂を優先し、従来これらの契約に対して課して きた厳格な要件を緩和して﹁合理性︵お器o墨巨98ωごを唯一の判断基準としたのである。従って、この種の契約が 公序︵冒90唇一凶身︶に反するとされるのは、契約の一方の当事者が取引市場を支配するに至るような極端な場合に 限られることとなり、次第にその重要性を失うこととなったのである。  しかし、﹁自由放任︵一巴ωω①N点巴お︶﹂思想が最高潮に達した一九世紀後半を迎えると、特にアメリカにおいてビジネ スマンの間での競争が一段と激しさを増した。そこで、この競争を回避するための種々の方策が考案されたが、それ らを総称して﹁結合︵8B9轟鉱9︶﹂と呼ぶのである。この結合形態は、通常はライバルとして激烈な競争を展開し ている複数のビジネスマンが、価格の決定および引き上げ、他の競争者の排除および営業妨害、生産量の制限、販売       ︵3︶ 地域の割り当て、利益のプールなどを目的として協定もしくは結合することを言うのである。換言するなら、この形 態の本質は、潜在的な競争者との競争を回避して﹁独占を試みる︵ヨ980誌①ごものであるが、独占に対する社会的       ︵4︶ 批判を免れるために共同行為︵8琴①旨8霧江自︶の形態をとるものである。そこで、この形態のように、競争者間の

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競争を制限することを主要な目的とする取引制限的慣行を﹁競争制限的結合︵8ヨげぼ呂93おω霞巴昌什98ヨ冨亭        ︵5︶ 虹9︶と呼ぶのが一般的である。  それでは、この取引制限的結合に対するコモン・ローにおける規制はいかなる展開をしてきたのであろうか。この 形態が、一九世紀のアメリカにおいて初めて出現したものでないことは明らかであり、コモン・ローにおいて長い年 月を経て形成されたものである。具体的には、前節で論じた取引制限的契約に対する法理の延長線上にあるものと言 うことができよう。そこで、取引制限的契約とこの取引制限的結合の二つの取引制限的形態を比較することによって、 その異同について指摘することとする。  まず、これら二つの形態に共通するのは、そこにおいて制限を受けるのは取引制限的行為に従事する当事者自身で         ︵6︶ あると言う点である。次に、この二つの形態の間の相違点としては、第一に、取引制限的契約は営業財産の売買契約 および雇傭契約などの主たる契約に﹁付随して︵碧色冨曼8︶﹂取引制限的約定が存するのに対して、取引制限的結 合では取引制限的約定そのものが主たる契約内容を形成しており、他に﹁付随するものでない︵8ローきo目胃く︶﹂点で  ︵7︶ ある。第二に、取引制限的契約は、契約当事者の営業から見る限り第三者︵曾轟轟R︶との契約であり、それによって 契約当事者の営業の自由を全体的もしくは部分的に制限するものである。他方で、取引制限的結合では、結合当事者 と同種の営業に従事することを欲する第三者をその営業から閉め出すことを目的としており、具体的な制限効果が現       ︵8︶ われるのは結合当事者自身に対してである。第三に、取引制限的契約にあっては、課される制限が全く任意的であり ︵窪爵①ξ<9琶蜜員︶、制限を受けることに同意する者のみが制限されるのである。他方で、取引制限的結合では結

    東洋法学       

一六九

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    コモン・ローにおける反独占思想四       一七〇 合当事者は制限を受けるか否かは任意であるが、その当事者の営業から閉め出される第三者は不本意に︵ぎ<oビ旨巽−       ︵9︶ ξ︶制限されるのである。更に、この制限の任意性について付言するなら、任意な制限は当事者に有利に作用するの        ︵−o︶ に反して、不本意な制限は当事者に不利であると言う点である。  この取引制限的結合形態は、以上に指摘したような特徴を有するものであるが、この形態に対してコモン・ロi上 ではいかなる規制の試みが為されてきたのかが問題である。以下に、イギリスおよびアメリカにおけるコモン・ロー 上の展開について概観する。  ω イギリスにおける展開   ①賃金の決定をめぐる団結の規制    ω初期の団結禁圧法  コモン・ローは早い段階から、営業︵取引︶の自由を保障し、それを制限する行為に対して原則として反対してき たことは否定しえない事実である。特にコモン・ローが嫌ったのは、まず第一に労働賃金その他の労働条件の決定を めぐる労働者間および使用者間の団結であり、第二は、商品の価格を決定するための複数の商人間の共謀もしくは協       ︵H︶ 定の締結である。しかも、コモン・ローは、この二つの結合形態を同一の基準の下で判断してきたのである。以下 に、イギリスにおける取引制限的結合に対するコモン・ローの法理の展開について概観するが、賃金その他の労働条        ︵12︶ 件の決定をめぐる労使間の団結に対する規制と、一般の取引関係における価格その他の取引条件をめぐる結合に分類

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して、その規制の推移を眺めることとする。  イギリスにおいて、労働賃金および他の労働条件をめぐる使用者︵親方︶間および労働者間の団結を規制するため の法令が最初に出されたのは一四世紀初頭であった。まず二二〇四年の﹁共謀者令︵9①○鼠営睾8909呂一冨8お︶﹂ では、特に労働者問の賃金引き上げのための共謀に対して、これを明示的に禁止していないが、刑事犯として扱って  ︵13︶ いる。一三四九年には、製パン業者の使用人が従来の賃金の二倍もしくは三倍でなければ働かないとする共謀をした として告発された例、更に製靴業者︵8巳ゑ巴ロR︶の使用人らが自ら定めた曜日あるいは労働条件でしか働かないと        ︵14︶ して共謀した例などが挙げられている。  その後、これらの団結を規制するための一連の法令が公布されたが、それらを統合するものとして一五四八年法が 出された。これによると、熟練工および労働者が一定の価格もしくは料金以下では仕事をしないことを共謀するか約       ︵15︶ 束する場合には刑事犯とされ、初犯の場合には一〇ポンドの罰金と二〇日間の禁銅刑が科されたのである。更に、商 品の価格を決定するための結合も賃金決定協定と同様に﹁当然違法︵二巳㊤惹巳℃R器︶﹂とされた。かくして、この 法令は当時、賃金協定と価格協定を同一の法理の下で対等に扱うべきであると考えられていたことを明らかにしてい ︵16︶ る。そして、このような傾向は以降も継承されたのである。そこで、これらの団結規制法の目的を何に求めるべきか が問題となる。まず指摘されていることは、これらが企図したのは団結を禁止することによる競争の復活ではなく、 賃金および労働条件を画一的に決定することによる労働力市場の安定を図ることであり、いわば直接的な経済統制を       ︵17︶ 目的としていたことである。もし、そうであるとするなら、コモン・ローが早い段階から営業︵取引︶の自由を希求

    東洋法学      一七一

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    コモン・ローにおける反独占思想四       一七二        ︵18︶ してきたとする点に疑問を持たざるをえないことになるであろう。  一八世紀に入ると商業が急速に発達し、運輸・通信手段も大幅に改善され、多くの産業において機械が導入される に至り、技術系職人を中心としたギルド制度が衰退したことにより、親方と呼ばれる使用者と労働者の間の利害の対        ︵19︶ 立が顕著となり、それぞれの側における団結の必要性が増大したのである。このような社会情勢に伴って、労働条件 に関する団結を規制する法令が数多く公布された。例えば、一七二五年法は羊毛のすき手︵≦o巳8目σRω︶もしくは 織工︵≦臼<Rω︶が製品の価格を決定するため、あるいは賃金を引き上げるために協定を結ぶことを違法であるとし ︵20︶ た。更に一七九五年法は、製紙職人︵冒貫昌2目窪冨℃段日畏Rω︶が賃金を引き上げるために契約、約定および協定       ︵21︶ ︵書面によるか否かを問わず︶を締結することを禁止し、違反者に対しては刑事訴追を認めている。    ω一八○○年団結法        ︵22︶      ︵お︶        ︵璽︶  以上のような団結規制諸立法の最後であり、団結法の代名詞とされているのが一七九九年法と一八OO年法であ る。この二法が表向きに目的としたことは、労働者その他の者の間の賃金および価格の引き上げのための団結を禁止 することであったが、真の目的は労働組合︵霞&①巨一9︶の活動と労働者のストライキを抑制することにあり、これ       ︵25︶ らが﹁労働組合を違法にした﹂との評価を受けている。しかし、この立法では、労働者の賃金を引き下げるか、労働 条件を劣悪なものにすることを目的とした使用者間の団結に対しても、同等の刑罰を科すことを規定しており、注目    ︵26︶ に値する。  この団結禁圧法が制定されるに至った社会的背景には、次の二つの要素が潜んでいたと言われる。その第一は、当

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時のイギリスにおいて、フランスみジャコバン党︵冒8げ営Ω暮︶に代表される過激な政治的集団に対する恐怖感が 支配的であり、いかなる人間の集団も社会的恐怖の原因となりうることに対する危惧の念が充満していたことであ ︵質︶ る。この点をペリング︵=窪蔓勺o臣鑛︶の表現を借りるなら、以下のようになろう。  ﹁だが、一八世紀末葉の団結に対して示されたいっそうきびしい態度がいかなる経済的動機によるものであったにせ  よ、一七八○年代以降の状況における決定的な要因はおそらく海外で革命が起こっている時にあたって公共の秩序  をいかにして保つかということへの政府の関心であったということができる。政府はまた団結がしばしば不穏、さ  らには暴動さえをもひきおこすものであり、ジャコバン型の叛乱をひきおこす陰謀にとって容易に口実を与えるも        ︵兇︶  のだと感じていたのであった﹂。  第二の要素は、イギリスにおいては伝統的なものであるが、当時の保守主義︵8貸一ω旨︶の考え方にも共通する温情 主義的政府︵B8旨巴碧奉旨日o旨︶に対する期待感である。そして、この伝統的な考え方が結果的に次のような二つ の側面を生み出したと言われているのである。その第一は、労働者には合理的で慣例的な賃金︵2ω8ヨ四Q≦謎8︶ で働く義務があるとする社会的確認が生じたことである。第二は、自力では仕事を見つけることができない労働者に 対して、国家が裕福な階層︵≦色−8ムo−巳器ω︶や土地所有者の犠牲において最低生活費を支給すべきであるとする考 え方である。以上のように、当時の社会的感情が社会主義的思想に対して奇妙なまでに寛容であったと言われている ︵29︶ が、ともかく、これらの立法は労働者階級を除く当時の一般大衆の意見を反映したものであったことは事実である。  しかし、この団結禁止法は、それまでの法的に規制された労働市場から自由な労働市場へ移行する動きを見せ始め

    東洋法学       

一七三

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    コモン・ローにおける反独占思想四      一七四 た経済環境に対して、到底適合しえなかったことは、この一八OO年法制定後に労働者の不満が暴動という形で頻繁        ︵30︶ に発生したことによっても証明されたと言えよう。そこで以下に、一八○○年法を含めた一八世紀末までの団結禁圧 法の果たした効果について、ホウルズワースの所説を要約することとする。彼は、これらの諸立法が労働者の団結を 阻止しようと試みたにも拘わらず、その目的を達成できなかったことは使用者と労働者の関係を悪化させる結果とな        ︵31︶ ったことを指摘し、この失敗の原因を﹁自由放任主義﹂の教義に求めているのである。すなわち、アダム・スミスに 代表される古典的経済理論に基づいて、国家が国内の経済に対して干渉するのを極力避けるべきであるとする考え方       ︵32︶ が次第に浸透した結果として、以下のような考え方が生まれたことを指摘している。  ①使用者は、自己の意のままにビジネスを営むことができるように解放されるべきであること。  ②労働者が団結して賃金水準を変更しようとすることは、自然の法則を変更しようと試みることに等しく、不可能 であること。  ③議会は、産業革命の結果として生じた社会・経済的諸現象を改めるための試みをすべきでないこと。  最後にホウルズワースは、議会が労使間の雇傭問題の解決のために関与することを拒否した結果として、以下の点       ︵33︶ を指摘している。  ①製造業者を中心にして、富の蓄積を容易にしたこと。  ②労働者階層が、最低賃金や適正な労働条件を確立するために議会や裁判所に救済を求めることが無益であること を実感し、団結の強化と法制度の改革の必要性を認識したこと。

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 ③当時の社会において、資本と労働の敵対的な関係についての理解が広がり、資本家と労働者との間の対立構造が 鮮明に浮き彫りにされ、階級闘争が扇動されたこと。  ④労使間の問題に対して冷淡な態度を示した議会は、その後に必然的に発生した都会における一般大衆の健康上の 諸問題や公的教育の問題に対しても消極的であり、これらの諸問題の解決を一九世紀以降の議会に先送りする結果と なったこと。    @一八二四・一八二五年団結法  一八OO年法の下での労働者の不満状態を目の当たりにした急進的なベンサム主義者ら︵望旨訂巨9ω︶は、労働取 引も商品取引と同様に自由であるべきであり、使用人と使用者の団結は同一の法律によって合法化されるべきである        ︵鈎︶ とする信念の下に、一八○○年法の改正要求を議会に提出したのである。その結果として制定されたのが一八二四年 ︵35︶ 法であり、使用者間および使用人間の団結を禁止するすべての法令およびコモン・ローの法理を廃止することを規定        ︵36︶ した。しかし、翌一八二五年には新しい法令が制定され、旧法を修正する規定が盛り込まれることとなったのであ る。そこで以下に、相次いで制定された二つの法令について、その異同と制定事情に言及することとする。  まず第一に、この二つの法令に共通する点は企図する目的の同一性である。すなわち、双方とも、以下の目的を有 している点である。  ①一八○○年法までの諸立法が採用してきた政策を破棄し、労働市場における自由な取引を確立すること。  ②営業︵取引︶の自由の一部として、使用人と使用者の双方に等しく、労働の売買の条件について協議する権利を     東 洋 法 学       一七五

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    コモン・ローにおける反独占思想四       一七六 与えること。  ③労働の売買は、商品の売買と同様に自由な契約に服すべき事項とされるべきであるとする考えを表明すること。  ④労働者および使用者の個別的な契約締結上の自由を侵害するような暴力、脅威もしくは脅迫に対して厳しい刑罰 を科すこと。  かくして、この二つの法令の下では、労働契約が全く自由に締結されるべきことが企図されており、賃金を上下さ せることを目的とした労使それぞれの団結はもはや禁止されることはなく、個人も団体も労働契約を自由に締結する       ︵37︶ 権利を有し、いかなる法令によっても干渉されることはないことを宣言していると言えよう。  第二に、この二つの法令の相違点としては次のように要約できるであろう。  ①一八二四年法は、使用者と使用人に等しく、最も広範囲の団結の自由を認め、その取引上の団結を共謀法の適用 除外としていること。更に、刑罰の対象となる暴力、脅威もしくは脅迫は、労働者に仕事を停止するように強制する 場合のような明確な目的を有している場合に限定されていること。  ②他方で一八二五年法は、まず、労働者の契約締結の自由や、使用者の営業権にエー渉することを目的とする殆どす べての暴力、脅威もしくは脅迫を刑罰の対象としている。次に、使用人と使用者の双方に対して、賃金を決定するた めに会合を開き、合意に達することを許している。最後に、取引上の団結に対して共謀法を適用する立場に復帰して  ︵38︶ いる。    ㈹団結権承認立法

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 この一八二五年法に対しては、その後、廃止をめぐって議論が展開されたが、五〇年間は変更されずに存続した。       ︵39︶       ︵卯︶ しかし、一八七一年には﹁労働組合法︵日轟号O巳9︾9︶﹂が制定され、更に一八七五年には新しい団結法の制定 がなされた。まず、この労働組合法は世界で最初に労働者の団結権を承認し、労働組合の合法性を確認した法律とし        ︵41︶ て﹁労働組合憲章︵○富旨R亀↓声8q巳9︶﹂と呼ばれるものであった。次に、一八七五年団結法は一八二五年団 結法を改めたものであり、次のような特徴を有するものと言えよう。  ①二人以上の者が、使用者と労働者との間の取引上の紛争を引き起したか、それを促すために為した協定もしくは 団結は、もし一人の者の為した行為を犯罪として処罰できないなら、共謀罪を科すことができないこと。  ②労働組合は、その目的が取引制限的であると言う理由だけでは違法な団体とされることはなく、一応は︵胃ぎ鋤 貯息Φ︶合法な団体と推定されること。       ︵姐︶  ③他の者を脅迫したり、いやがらせ︵きぎ巻目①︶をする者は処罰されること。    @アダム・スミスの批判  イギリスにおいては、取引制限的結合に対する規制に関して、特に賃金その他の労働条件をめぐる労使双方間の団 結に対しては、早い段階から法令による直接的規制が試みられてきたことは前述した通りである。この種の団結を認 めることは、個人の団結する自由を認めることにより、個人の自由を拡張する反面として、団結に加わる個人の営業 の自由を制限するという自己矛盾を含んでいるのである。そして、このことはダイシーの次のような説明が明らかに している。     東 洋 法 学       一七七

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    コモン・ローにおける反独占思想四       一七八  ﹁団結によって創造された団体は、⋮⋮政治上の同盟であると、教会であると、労働組合であるとを問わず、その単  なる存在のみによってその成員の自由を制限し、また局外者の自由をたえず制限する傾向がある。その結合された  力は、成員各自の側における個人的自由を若干譲渡することによって創造され、そして一つの団体はこの譲渡から、  成員全部が個別的に行動して行使しうるよりも、ずっと偉大な力を⋮⋮局外者の自由を奪い去る力をたえず獲得す   ︵お︶  る﹂。  ダイシーの言うように、人類の団結権を認めることは一見して個人の自由︵団結する自由︶を拡張するように思わ れるが、その内実は個人の営業の自由を制限するという結果を招来することになるのである。従って、この取引制限 的結合を規制することを目的とする国の政策も、基本的には個人の自由を尊重することを建前としながらも、営業︵取 引︶の自由の原則と団結自由の原則とを天秤にかけ、どちらを重視するかの選択を迫られることになるのである。こ のことをイギリスの一八・一九世紀の法規制政策に当てはめるなら、①自由放任主義に依拠し、個人の営業の自由を 優先し、この自由に制限を加える恐れのある団結の自由に抑圧を加える政策、②団結自由の原則を重視し、その結果 として営業の自由が制限されることには目をつぶる政策の二者択一ということになろう。ちなみに、①の政策を採用        ︵必︶ したのが一八世紀的経済的自由主義であり、②の立場が一九世紀的経済的自由主義であったと言われている。        ︵45︶  コモン・ローは後述するように、この政策的方針と全く同一ではないとしても、ほぼ同様の軌跡を描いているが、 ここでは、このコモン・ローの展開に大きな影響を与えたことが予想されるアダム・スミスの団結の自由に対する考 え方に言及することとする。一入世紀後半に不朽の大著﹃国富論﹄を公刊して、自由放任主義思想の生みの親として

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の評価を受けているスミスは、同業組合の団結について以下のように説明している。  第一に、賃金の決定をめぐる親方と職人の間の力関係について、労働の賃金は双方の契約によって決定されるが、 職人たちは労働の賃金を引き上げるために団結し、親方たちはそれを引き下げるために団結する傾向があるとする。 しかし、﹁親方たちは、その数が比較的少数であるから、はるかにたやすく団結できるし、そのうえ法律は、親方たち の団結を権威づけ、否少なくともこれを禁止していないのに、職人たちの団結を禁止しているのである。われわれは、 労働︵≦o詩︶の価格を引き下げるための団結を禁止する議会の法令をまったくもたないけれども、それを引き上げる        ︵妬︶ ための団結を禁止するものを数多くもっている﹂として、両者の扱い方に差別があることを指摘しているのである.  第二に、同業組合の設立の動機について﹁すべての同業組合が創立されたり、大部分の同業組合法が制定されたり したのは、自由競争を抑制し、そのために必ず引き起こされる価格や、したがってまた賃銀や利潤のこういう下落を          ︵覗︶ ふせぐためであった﹂として、批判的である。更に、この同業組合の設立には自治都市の許可を必要とするために、 自治都市の商人や工匠は容易に同業組合を設立でき、自己の属する産業において常に供給不足の状態を生み出し、結 果的に商品の価格を吊り上げるために協定したことを指摘している。その上、この同業組合が設立されると、﹁⋮⋮同 業組合精神、つまり局外者に対するねたみや、徒弟をとったり職業の秘密をもらしたりすることに対する嫌悪が一般 にかれらのあいだにゆきわたっており、そしてこの精神が、任意の連合や協約をつうじて、組合規約では禁止しえな        ︵娼︶ い自由競争をふせぐことをしばしばかれらに教える﹂ことも指摘している。  第三に、同業組合の必要性については、﹁同業者というものは、うかれたり気ばらしをしたりするために会合すると     東 洋 法 学       一七九

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    コモン・ロfにおける反独占思想四       一八○ きでさえ、その会話の果ては、たいていのばあい社会に対する陰謀、つまり価格を引き上げるためのくふう、になっ てしまうものである。実際のところ、このような会合を抑止してしまうことは、実施可能な法律によっても、自由と 正義とにかなう法律によっても、不可能である。しかしながら、法律は、たとえ同業者がときどき集会をもつのを阻 止できないにしても、けっしてこのような集会を助長すべきでないし、ましてこのような集会を必要なものにすべき    ︵弱︶ でない﹂として否定的である。そして、スミスが同業組合に否定的な態度を示すに至った根拠として次の点を挙げて いる。  ①同業者が仲間の中の貧者、病人、寡婦および孤児を扶養するという名目で組合を設立し、基金を設定する場合に も、結果的には組合名義で多数者が処理できる共同の利益を持つことになること。  ②同業組合の多数者は、適当な罰則を伴った規約を制定することによって、どのような任意の団体よりも有効に、 しかも継続的に同業者間の競争を制限すること。  ③排他的な同業組合は、加盟する職人の質的向上を目指して訓練させるために必要であるとする主張には何の根拠 もなく、この組合に所属する職人のみが仕事に就くことができるため、むしろ、職人が技術の向上のための訓練をす          ︵馳︶ る機会を制限すること。  以上に、一八世紀の自由放任主義思想の代弁者とも言うべきアダム・スミスの同業・同職組合に対する考え方の一 端を示したが、彼の考え方の根幹とするものは、人類が組合という組織を形成することは、その目的が何であれ、結 果的に競争を制限するものであるとする点に求められよう.スミスの考え方に対しては、﹁そのさいのさめた、そして

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      ︵51V 寛容な態度のなかに個人主義的自由放任主義のディレンマを看取することが﹂可能であることが指摘されている。    @団結放任政策への転換  前述したように、アダム・スミスが同業・同職組合の設立に批判的な立場を表明したのは、厳格な個人主義の立場 に立った古典的な自由放任主義を標榜することに努めたからであった。すなわち、スミスの立場は、組織や団体の拘 束から解き放たれた個人として享受しえる営業の自由を保障することを基本的前提とするものであり、中世期的伝統        ︵5 2︶ を伴うギルド制度の解体を求める新しい動きと歩調を共にするものであった。しかし、スミスの立場は一九世紀的経 済的自由主義の特色とも言うべき団結放任主義を否定するものではなく、むしろ、その萌芽を育むものであったので ある。その根拠としては、前述したように、スミスは当時の立法が同業組合の団結を支援し、職人達の団結を禁止す       ︵脇︶ るという差別的な規制をしていることを指摘し、このような不公平な団結禁止法を廃止することが自由放任主義の一       ︵騒︶ 端であると考えていたことが挙げられよう。  イギリスにおいて、一七九九年および一八○○年の団結禁止法を廃止して、一八二四年および一八二五年の団結法 の制定に貢献したのはベンサム主義的自由主義思想であった。ベンサム︵ざお日鴫田導冨ヨ︶は、功利主義的個人主 義の提唱者として知られているが、元来は功利主義的道徳家でも博愛主義者でもなく、法律哲学者であり法律改良家    ︵55︶ であった。彼は、社会的活動の源泉を個人の中に見い出し、この個人を離れて社会それ自体の実体も目的もないとす る徹底した個人主義をとるのである。更に、人類は快楽と苦痛と言う二つの要素によって支配され、この二つが人類        ︵56︶ の無意志の行為と当面の義務的行為を律することになるとする。そして、一国の法律の正しい目的は﹁最大多数の最     東 洋 法 学       一八一

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    コモン・ローにおける反独占思想四       一八二 大幸福﹂の促進であるとするのであるが、このベンサムの功利主義が労働者の団結権に対していかなる立場を示して いるかが問題となる。  ﹁各人は主として、また一般に自己自身の幸福の最上の審判者である﹂とする自由放任主義の教義は、ベンサム主義        ︵留︶ を支配したとされているが、このことは契約自由の原則に対するベンサム主義者の熱意によって証明されている。す なわち、各人が自己自身の利益の最上の審判者であることを前提とする限り、各自が締結する契約は各自に最大の利 益をもたらすに違いないとされるため、契約自由の原則が確立されることが各自の利益を保障することになるのであ る.その点で、ベンサム主義者が契約の自由を制限する身分制度や古い諸制度全体に反対したことは正当であると言         ︵5 8︶ わなければならない。そして、彼らが一八二四年および一八二五年の団結禁止廃止法の制定を推進したのも、ほぼ同 様の理論的根拠に求められるであろう。しかし、前述したように、複数の個人が同一の目的を達成するために結合す ることは、個人の自由の必要な拡張であることは言うまでもないが、団結によって創造された団体が各構成員の自由 を制限するという矛盾した側面があることも否定できないのである。この理論上の矛盾は、イギリスにおける団結法 全体を混乱させた実際上の問題であったが、これに対してベンサム主義者は﹁一度も、完全に矛盾のない、すなわち       ︵59︶ 満足な答を与えなかったと考えられる﹂と言われている。従って、ベンサム主義者の間においても、この団結法に対 する意見の対立が見られ、①産業上の団結に反対する法律が撤廃されるなら、労働組合主義の主張も消滅するであろ うこと、②一般に、個人の自由の一部として結社権を拡張しえると考えるが、この団結権が個人の権利を事実上脅や       ︵50︶ かす時は何時でも団結権を奪うべきこと、などが主張された.

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 このようなベンサム主義者の論拠の弱点を補強したのは﹁父ジェイムズ・ミルの早期教育に鍛えられて確信的なべ       ︵61︶ ンサム主義者として言論界に活動した﹂ミル︵冒冒即轟ほ匡邑であった.ジョン・スチュアート・ミルは一八五 九年の﹃自由論︵○昌口げR蔓︶﹄において、社会が個人に対して正当に行使しえる権力の本質とその限界について論じ ることを試みた。そこで彼は、人間的自由の固有の領域として、①意識という内面的領域を包括するものとして、良 心の自由、思想および感情の自由、意見と感想との絶対的自由および意見を発表し出版する自由、②嗜好および目的 追求の自由、③団結の自由の三つを挙げている。特に、この団結の自由について次のように説明している。  ﹁⋮⋮各個人のこの自由から、同じ制限のなかで、個人相互間の団結の自由が結果として生まれてくる。すなわち、  他人に損害をおよぼさないかぎりに、いかなる目的のために団結することも自由でなければならない。この場合に、        ︵6 2︶  団結する人々が成年者であって、強要されても欺されてもいない、ということが前提されている﹂。  このように、ミルは個人相互間の団結の自由を人間的自由の固有の領域から生ずるものとして、天賦の権利に昇華 させているが、そこには明らかに団結権を確立するために、個人の自由な行動に制限を加える結果となることに目を つぶる意図が見えるのである。かくして、ミルの﹃自由論﹄は個人の契約の自由に依拠しつつ個人の自由に対する制 限となりうる結社権を何ら困難を感じることなしに化合させている点で、﹁個人の自由を信じるベンサム主義者のため       ︵63︶ の、最後の権威ある弁護であった﹂と言えよう。しかし、そこには、団結の自由の原則を重視して営業の制限を放置        ︵僕︶ する﹁一九世紀中期の経済的自由主義の歴史的“段階的特色を反映していた﹂と見ることもできるのである。 東 洋 法 学 一八三

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    コモン・ローにおける反独占思想四      一八四   ②商品の価格決定のための結合の規制    ω共謀の法理  以上に概観したように、イギリスにおいては、労働者の賃金その他の労働条件をめぐる労使双方の間の団結に対し ては、早い段階から立法的規制が行われてきた。しかし、商品の価格その他の取引条件の決定のための結合に対して        ︵茄︶ は、前述した買占め規制法の廃止後は特に立法的規制はなく、専らコモン・ロー上の規制に委ねられてきた。そこで 以下に、この結合に対するコモン・ロー上の展開を概観することとする。  コモン・ローにおいては、この団結および結合に対して常に共謀の法理が適用されてきたのである。この共謀の罪 ︵R一ヨの98房且冨q︶の起源は歴史的に古く、コモン・ロー上の犯罪としてではなく、刑事訴訟手続における濫用        ︵66︶       ︵67︶ を糾すための手段として法令上に規定されたのが最初であり、一三二〇年法によって正式の犯罪とされたのである。 従って、初期の共謀罪は煩わしく不当な方法で訴訟手続をするために結合することを意味するものであったのであ ︵68︶ る。  この共謀︵8霧ロ声身︶の定義として、しばしば引用されるのは以下のものである。  ﹁共謀は、二人以上の者の意図のみに存するのではなく、二人以上の者の違法な行為をするか、違法な手段によって       ︵69︶  合法な行為をするための合意の場合にも成立する﹂。  更に、共謀は以下のような三つの場合に分けて説明されている。  ①達成される目的それ自体が犯罪︵R首Φ︶である場合

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 ②その目的は合法であるが、訴える手段が違法である場合  ③その目的が第三者もしくは一集団に損害を与えることであり、もし、その違法行為が一個人によって為されるな        ︵70︶ ら、それは違法行為であるが、犯罪ではない場合  このように、共謀の法理は本来的に、第三者の権利を侵害するか、政府もしくは裁判所の機能に干渉する目的で、 複数の個人間で為される共同行為、協定もしくは陰謀︵巳o鼠畠︶などの犯罪に対して適用されてきたものである。そ して、最も重要な特徴は、行われる行為もしくは利用される手段が、個人の場合には完全に合法であっても、共同行        ︵7 1︶ 為の場合には違法なものとなりうるとする教義である点に求められる。コモン・ローにおいて、この法理が商人聞の       ︵η︶ 結合に対して積極的に適用されるようになったのは、前述した一五四八年法の制定以後のことであった。すなわち、 労働者間および使用者の賃金および価格の引き上げのための団結を刑事犯として処罰することを規定したこの法令が、 共謀の概念をコモン・ローの取引制限的結合規制の領域に拡張的に取り込ませるための触媒的機能を果たしたことは          ︵73︶ 否定しえないであろう。    ω一八世紀末までの判例       ︵忽︶  コモン・ロー裁判所において、共謀の法理が問題とされた最初のものはスターリング︵ω鼠島渥︶事件である。本件 は、ロンドンのビール醸造業者がビールの価格を吊り上げる目的で販売拒否のための共謀をしたとして起訴されたも のである。裁判所は傍論において、すべての商品の価格を引き上げることを目的とした共謀を罰しうるものであるこ とを明言した。本件判決に関する限り、直接的に価格を決定するための共謀のみを違法と判定したか否かは明らかで

    東洋法学       一八五

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    コモン・ローにおける反独占思想四       一八六 はないが、少なくとも、当時のコモン・ローにおいて、商品の価格を決定するための商人間の協定が共謀罪を構成し、        ︵石︶ 当然違法︵もR器∈畠巴︶とされうることを宣言しているものと言えよう。       ︵76︶  次に、一八世紀の判例として重要なものはエックルズ︵国8一①ω︶事件である。本件は、被告エックルズ等の多数の 仕立屋︵け巴一〇お︶が、一人の仕立屋がリヴァプールで仕立業を営むのを妨害することを目的として共謀したものであ る。裁判所は共謀罪の成立を認定し、被告全員に六カ月の投獄という有罪判決を下した。本件において、首席裁判官 として二〇年間、王座裁判所を統轄し、名目のみではなく実際においても、イギリスのコモン・ローの首長と目され、        ︵7 7︶ 天才的な法学者としての名声を博したマンスフィールド卿︵一〇こ竃き路①互は、次のように判示した。  ﹁違法な結合が本件犯罪の骨子である。取引すべき商品の所有者は誰でも、自己が個人的に欲する価格で販売するこ  とができるが、彼らが一定価格以下では販売しないことを共謀し合意するなら、それは共謀である。更に、すべて  の人は自己の欲する価格で仕事をすることができるが、一定の価格以下では働かないとする点で結合することは起       ︵78︶  訴されるべき犯罪である﹂。  このような判旨は、個人の自由を前提として、営業の自由を保障するために営業の自由を制限するすべての団結お よび結合を禁止すべきことを主張するものであり、﹁これこそ、最も厳格な個人主義の立場からの営業H取引の自由の        ︵79︶ 概念の古典的表現﹂であるとされる。ともかく、これらの判例から次のことを指摘することが許されるであろう。少 なくとも、一八世紀末までは、商品の価格を直接的に決定するための結合は、その当事者が関連市場を支配しえるか 否かに拘わらず、コモン・ローにおいて犯罪であり、当然違法とすべきであるとする原則が確立されていたことであ

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る。そして、この原則は価格決定および賃金決定のための結合に等しく適用されていたことである。更に指摘すべき 点は、価格決定のための結合に関する事件において、その違法性の根拠として取引もしくは競争の制限を明示してい       ︵80︶ ないが、最終的に競争制限を違法性の根拠として想定していることは明らかであると言うことである。    ω一九世紀における判例  一九世紀を迎えると、この取引制限的結合に対する規制にも大きな変化が見られた。すなわち、裁判所は競争者間 の競争制限的結合に対して、前節で論じた取引制限的契約に対するのと同様の考え方によって対応し始めたのであ ︵8 1︶ る。       ︵8 2︶  まず、典型的な価格決定のための結合事件としてハーン対グリフィン事件を取り上げる。これは、二人の旅客用馬 車業者︵8碧び目霧けR︶がお互いに料金を同一にして競争を回避することに合意した事件である。反対意見は、本件協 定が一般大衆の利益を害する競争の制限であることを主張したが、エレンボロー首席裁判官︵○注R冒呂8田一Φ呂9− o鑛Φ︶は、本件契約を有効なものとして判示し、次のように述べた。  ﹁これが取引制限であると言うことができるであろうか。被告らは、自ら欲する料金を請求する自由がある︵彼ら以  外の者には請求しえないが︶。そして、この合意によって、彼らの営業日と時間が特定されるが、これは、このまま       ︵紹︶  の状態を続けると破滅するかも知れない二人の営業者を調整するための便宜的手段に過ぎないのだ﹂。       ︵組︶  次にヴィッケンズ対エバンス事件がある。本件は、三人の箱およびトランクの製造業者がイングランドおよびウェ ールズ地方を三つに分割して、それぞれを専売地域として割り当て、そこではお互いに競争しないこと、更にオック     東 洋 法 学      一八七

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    コモン・ローにおける反独占思想四       一八八 スフォードにおいて、いかなる種類の箱︵38邑も六シリングもしくは八シリング以上では購入しないことを協定し たものであり、本件は、この協定に違反した者に対する損害賠償請求事件である。裁判所は、本件協定が合法である        ︵紡︶ ことを認め、その根拠を前述したミッチェル対レイノルズ事件判決によって確立された原則に求めた。すなわち、そ の協定の制限的効果がイギリス全土に及ぶような一般的な︵鴨希声一︶ものか、それとも特定の地域にのみ及ぶような 部分的な︵冒&巴︶ものであるか、更に、その協定が当事者および一般大衆の利益に対して合理的であるか否かが判 定基準であるとした。そこで裁判所は、この基準に依拠して本件事案を分析した結果として次のように判示した。本 件の市場分割協定は当事者を制限するが、当事者以外の競争者はその割り当てられた市場に自由に参入できるのであ るから、部分的制限であること。更に、本件協定によって当事者間の費用に関する破滅的な競争が排除されるので、 当事者に合理的な利益をもたらすこと。従って、本件協定は有効であると判示されたのである。このように、本件は 直接的な価格決定協定以外の市場割当協定を問題にしている点において、前述したハーン対グリフィン事件判決を一 層拡張したものと言うことができよう。       ︵駈︶  更に、取引制限的結合が無効とされた判決としてヒルトン対エッカースレイ事件があり、その概容は次の通りであ る。一八人の綿紡績業者が違約金証書︵げo&︶を作成し、それに従って一年間、賃金その他の重要な労働条件に関し て、開催された会合の参加者の多数決によって決定することに合意した。本件協定の目的は労働者の団結に対抗して 締約者を保護することであったが、これに違反した者に対する違約金請求訴訟が本件である。ところで、本件が議論 の対象とされたのは、労働紛争の参加者間の共同行為についての合意が、一九世紀後半のイギリスにおける取引制限

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       ︵訂︶ に対するコモン・ローの範囲を超えるか否かであった。裁判所は、本件結合が違法であって強制できないことを判示 したが、その根拠を当事者が契約締結期間である一年間、自由に営業に従事することができない点に求めた。その結 果として、本件結合は共謀罪のような犯罪を構成するのではなく、その不合理性の点で違法であるとされた。本件判 決は、労働者の団結と使用者側の団結が対等のものとして承認され、労働力取引の団体交渉が公認されたことを示す       ︵認V ものであり、営業の自由に対する個人主義的見方から団体主義的見方への移行を意味するものと言えよう。       ︵89V  次に、取引的結合に関して合理性の基準の適用が問題とされた事件としてコリンズ対ロッキー事件判決がある。こ れは、オーストラリアのメルボルンにある四つの主要な港湾労働会社が、顧客を割り当てて仕事を分担し、利益を分 配することを協定したものである。裁判所は、本件協定の目的が当事者間の競争を阻止し、従事する仕事に支払われ る代価を維持することにある点は認めたが、これによって当事者の自由な活動を不当に制限するものでないことを理 由として合法であるとした。すなわち、本件協定は、①指定された顧客は、本件協定の下で資格を有する一人の当事 者に対して仕事をさせずに他の者にさせることが可能であること、②顧客から受注した当事者は、受注を拒否された 当事者に対して同等の仕事を与えるべきことを明記した条項を有していたのである。裁判所は、このような条項が協 定の当事者と顧客に等しく有益であると判断した結果として、本件協定を﹁不合理でない︵8叶§お器o轟乞o︶﹂と判 示したのである。しかし、本件協定には別の条項があり、入港した船が指定された顧客の内の一人の手に渡り、更に 本件協定の下で資格を有する当事者を雇うことのできない他の商人の手に渡ったような場合には、残りの当事者がそ の仕事を請け負うことができないことを規定していた。裁判所は、この規定に対しては一般大衆に不利益を与えるこ     東 洋 法 学       一八九

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    コモン・ローにおける反独占思想四       一九〇       ︵90︶ とが明白であるとして無効としたのである。以上のように、本件判決は取引制限的協定を良い部分と悪い部分に分 け、競争制限的効果が大きい悪い部分について制裁を課すべきであるとする考え方を表明しており、注目に値すると    ︵91︶ 言えよう。    ㈹モガル蒸気船会社事件  最後に、この取引制限的結合に関するコモン・ロi原則を確立したものとして高い評価を得ているモガル蒸気船会   ︵92︶ 社事件を分析することとする。本件は、アメリカにおいてシャーマン反トラスト法が制定される直前に下された判決 であり、アメリカ法に対する影響の点で大いに注目されたが、事件の概容は以下の通りである。被告らは、中国︵○霞墨︶ との間でのお茶の輸送に従事している船会社であり、同業者で組合を設立し、①組合員が船積港へ送る船の数、②船 荷の分割、③請求すべき運送料、④組合員のみと取引する荷主に対して五パーセントのりべートを支払うこと、⑤組 合員の代理人が競争関係にある他の船主の利益のために行動した場合には解雇すること、⑥組合員は通告することで 自由に組合を脱退できること、について合意した。本件の原告モガル蒸気船会社︵言○碧一望8Bω圧も○ρ︶は、右記 の合意事項に反して多数の船を港に送ったために組合から除名された船会社である。モガルが除名後もなお営業を続 けたのに対して、組合員らは直ちに多数の船を港に送り、モガルよりも安い料金で営業したので、不利な状況に追い 込まれたモガルが組合員らの共謀によって被った損害を賠償すべく訴えたのが本件である。第一審裁判所は、被告ら       ︵9 3︶ の協定が本件取引を制限する程に違法なものではないとして、合法と判示した。控訴裁判所では意見が分かれたが、 多数意見は第一審判決を支持した。反対意見を述べたエシャー卿︵8巳国筈豊は、前述のヒルトン対エッカースレ

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イ事件判決における一般論に依拠して、本件協定はコモン・ローにおいて違法であるばかりでなく、共謀罪を構成す ると主張した.しかし、多数意見を述べたボウエン判事︵いo鼠冒銭8団o譲窪︶は、自由放任主義の考え方に依拠し て、被告らは自己の利益のために原告に対して競争を仕掛けたに過ぎないことを強調し、被告らの結合は違法な行為 をするためでも違法な手段で合法な行為をするためのものでもなく、共謀の法理を適用することはできないと判示し た。更に、たとえ、本件協定が取引を制限するものとして無効であると認められたとしても、そこで生じる唯一の結 果は当事者間の履行を強制しえないことであり、それによって損害を被った一方の当事者による損害賠償請求を認め       ︵劔︶ ることではないことを主張した。  このモガル判決は、アメリカのシャーマン反トラスト法に多大の影響を与えたであろうことが推測されうるが、以       ︵95︶ 下のように総括することができよう。  ①当時、イギリスにおいては、直接的に価格を決定するための協定は当然違法ではなく、当事者にとって合理的で ある限り合法であると理解されていたことを明らかにしたこと。  ②当事者が市場を支配するような状況にない場合には、破滅的な競争を回避するための価格協定は合理的なものと 看倣されていたこと。  ③しかし、当事者による市場支配の状況があることが必然的に価格協定を無効とする考え方は確立していなかった こと。  ④価格決定のための結合が、競争相手を市場から閉め出すために値下げすることを目的としている場合には、不合     東洋 法 学      一九一

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    コモン・ローにおける反独占思想四       一九二 理であり無効とされるべきであること。  以上に概観したように、一九世紀末までのイギリスのコモン・ローにおける取引制限的結合に対する対応は、自由        ︵96︶ 放任主義を信奉するあまり、契約自由の原則に形式的に依拠したものであったと言われている。従って、これらの行 為の結果として生じる競争制限的効果および独占的弊害に対する認識の程度が極めて低いものであったと言うことが できよう。このことは、イギリスにおいて、競争制限的結合に対して本格的に立法的規制をすることの必要性の認識 が弱く、第二次世界大戦後にようやく立法による規制が試みられるに至った事実を如実に物語っていると言えよう。 そして、このことは、以下に論じるアメリカにおける展開と比較考察することによって容易に理解しえるであろう。  ㈹ アメリカにおける展開   ①産業的結合の発生要因  一八世紀の後半に独立国家となったアメリカ合衆国は、一九世紀末には飛躍的な経済成長を遂げることになり、や       ︵97︶ がて二〇世紀初頭には﹁世界の産業的巨人﹂としての地位を築いたのである。経済史家によると、アメリカ経済が僅 か一世紀の間にドラマチックな成長を遂げることになった主要な要因として、①西部の開発と人口の増加、②鉄道網 の拡張、③全国的市場の発達、④産業と輸送機関に対する内燃機関︵巨①ヨ巴8ヨ薯豊目①p臓器︶と電気の応用、⑤       ︵98︶ 産業の制度的な研究開発活動に対する自然科学の応用の五点が挙げられている。  更に、一九世紀後半における南北戦争︵q色妻碧︶の終結は、アメリカの経済史に新しい画期的な時代を開いたと

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言われる。内戦とは言え、人類がかつて経験した最大規模の戦争となった南北戦争は、すべての物事を大規模化する ことを要求し、事に当っては人々の力を集中することの必要性を広く認識させることになったのである。すなわち、 この南北戦争の経済的効果を要約するなら次のようになるであろう。  ①この期間中、戦争需要を満たすために、特に消費財︵8房q目R碧○房︶の業界を中心にして生産規模の拡大が試 みられたこと。  ②機械の導入による大量生産方式の発達が産業規模の拡大を可能にしたこと。  ③急速に拡張された大陸横断鉄道が製品を安く広範囲に流通させ、全国を巨大な経済単位として統合させる機能を 果たしたこと。  ④開拓者の波がフロンティア︵開拓線もしくは辺境︶を太平洋側へ押し進めたこと。  ⑤西部の豊かな資源が開発されたこと。  ⑥金融その他の取引的手段が急速に強化・安定化されたこと.        ︵99︶  ⑦取引および通商の大規模な拡張のための基礎が固められたこと。  このような経済成長をもたらす諸要因に加えて、企業の集中を促す一般的な諸要因を挙げるなら以下のようになる    ︵㎜︶ であろう。  ①出資者の責任を問わない現代的な有限責任会社の出現が資本の集中を容易にしたこと。  ②鉄道会社と大規模な製造業者との間の運賃に関するりべート協定の存在.このりべートは大規模会社に対して多

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一九三

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    コモン・ローにおける反独占思想四       一九四 く支払われたので、小規模会社にとって、このりべート制度の存在は規模の拡大のための強い刺激となったこと。  ③大規模会社が競争者を市場から閉め出すために特定地域で安売り︵仁且R器臣凝︶することが流行となったこと。  ④特に高度の技術的製品の業界における特許権︵冨8邑の機能  ⑤自己の製品を指定した価格で購入する者に対してのみリベートを支払うこと。  ⑥フロンティアの消滅により、個人の経済的独立のための機会が奪われ、個人は大きな経済組織に吸収されるのが         ︵m︶ 一般的になったこと。  以上のような南北戦争終結後のアメリカにおける経済環境は、以下に取り上げる産業的結合︵一民拐鼠巴8日げ嘗甲 江昌︶を生み出すための格好のものであったと言うことができよう。すなわち、各産業分野において生産量が増大した        ︵m︶ ことにより、流通段階における価格競争が激化し、やがて﹁激烈な競争︵o葺跨8讐8ヨ冨蜂一9︶﹂状態となる。この       ︵鵬︶ ような状況下では、すべてのビジネスマンが競争状態を解消して結合関係を形成しようとするのは事明の理である。 かくして、結合形態の当初の目的は競争を回避して自己の地位の保善を図ることであるが、その最終的目的は競争を 勝ち抜いて独占的地位を確立することである。従って、特に産業的結合は、﹁独占化︵ヨ980一一N営鵬︶﹂もしくは﹁独       ︵脳︶ 占の試み︵象8ヨ讐8目窪80一一器︶﹂と同義語であるとされ、しばしば互換可能なものとして利用されるのである。  アメリカにおいて、南北戦争終結時から一八七五年頃までの間に広く利用された産業的結合の形態は﹁ゆるい結合 ︵δoω9ざ評8ヨ藍轟α8︶﹂と呼ばれるものであり、結合のメンバーが自己の事業に対する所有権および支配権を保        ︵鵬︶ 持したままで、一定の制限的協定のみに服するものである。この形態に属するものの内で最も単純なものが﹁紳士協

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定︵鴨導8日9、ω紹お①目Φ旨︶﹂である。これは、企業間で価格の決定についての約束をするものであり、書面を交わ すこともあるが、単なる口約束であるのが一般的である。この約束の履行を強制するような規定がなく、あくまでも 当事者問の信頼関係に依拠しているのが特徴である。アメリカにおいて、この形態が利用されたのは鉄鋼、医薬品製       ︵鵬︶ 造業、精肉業者、ビール醸造業、ウィスキーなどにおいてである。  次にプール︵唇9と呼ばれる形態がある。これは、カルテル︵8旨9に類似し、それぞれの事業者に属する財産 もしくは資本を共通の責任と利益を期待して集合することであるが、これによって期待される機能としては価格を決        ︵㎜︶ 定することの他に、販売地域、販売量および利益などの割り当てなどがある。このプールは、まず鉄道会社によって       ︵鵬︶ 運賃の値下げ競争を回避するために利用されたが、その後、直ちに全産業に浸透していった。しかし、この結合形態 がその機能を十分に発揮しえるのは、当事者間に自発的に約束を遵守しようとする気運が存する場合のみであり、大 規模な事業者の市場参入によって値下げ競争が激化し、契約締結者も約束に反して応戦せざるをえなくなり、比較的        ︵鵬V 短期間の内に消滅したのである。  一八七〇年代に入ると、いわゆるビッグ・ビジネス︵げ蒔どω冒8ω︶が登場してきたが、これらは当初から市場支配 力を獲得することを目的としており、そのために効果的な結合手段を模索したのである。この大企業の市場支配を目 的とした結合形態を総称して﹁固い結合︵什蒔窪爵三け8日獣轟江9︶﹂と呼んでいるが、この形態の特徴は、支配的な 事業者のために活動の自由の大部分もしくは、その法的実体としての独立性をも断念する既存企業の﹁固い擬集︵け碍辟        ︵m︶ 詔ゆqδBR簿幽9︶﹂であるという点にある。これに属するのは、トラスト︵首仁ε、合併、買収、持株会社︵ぎ一9凝     東 洋 法 学       一九五

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    コモン・ローにおける反独占思想四       一九六       ︵m︶ 8ヨB昌︶などの会社形態であり、競争相手を排除するという点では極めて効果的であった。  この固い結合形態の内で、あたかもアメリカの企業独占形態の代名詞であるかのように言われ、実際に﹁独占禁止 法﹂の別名にもなっているのが﹁トラスト﹂である。この言葉の起源はコモン・ローの﹁信託︵霞場け︶﹂制度に求めら       ︵m︶ れ、財産の所有者が他人︵受託者︶を信頼して、特定の目的のために財産の管理もしくは処分を委ねる制度である。 このコモン・ローの伝統的な制度が企業結合の手段としての﹁トラスティ方式︵け霊ω什88二8︶﹂に姿を変えて再登 場したのは、一八七九年にロックフェラー︵冒冒ウ菊8ぎ8一一R︶が﹁スタンダード・オイル・トラスト︵ω$β母巳        ︵mV 9一↓三8﹂を設立した時であった。このトラストは、一四の会社および組合の全株主およびメンバーと更に二六の 会社および組合の株主およびメンバーのグループとロックフェラーと連携する四〇人の個人によって締結された協定 である。この協定の締結者は、その株式その他の財産をロックフェラーら九名の受託者︵q拐88︶に譲渡し、その対 価として信託証券︵q岳汀Rけ庄8冨ω︶を交付されるが、これには一枚につき一〇〇ドルの価値が付加されていた。こ の協定によって株主らの委託者︵けヨ曾自︶はその財産の所有権を失うのに反して、受託者はその信託財産を支配し管 理する権限を与えられることになる。すなわち、受託者は新しい委託者の参加を認め、メンバー以外の者の株式を購 入する権限が与えられたのである。かくして、そのトラストが首尾良く実施されるなら、業界全体を支配し、価格、 供給量、工場の位置などを思いのままに支配することができるのである。ちなみに、ロックフェラーはスタンダード・ オイル・トラストの設立によって、合衆国における石油精製量の九〇パーセントから九五パーセントを支配下に置き、       ︵拠︶ 文字通り独占したのであった。

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 アメリカでは、このトラスト方式が直ちに他の業界にも浸透し、ウィスキー、砂糖、鉛、綿実、綿実油などの業界 で採用された。このようなトラストの全盛時代を迎えたアメリカでは、企業の集中が一段と進み、業界全体が少数の 者の手によって支配される状況が一般的なものとなったが、これが、経済的・個人的自由を金科玉条とするアメリカ 人民に対して、不安と不満の感情を募らせたことは否定しえない。このような一般大衆のトラストに対する糾弾の叫        ︵鵬︶ びは州単位で広がり、やがて連邦法制定の要求へと盛り上がりを見せたのである。  以上に指摘したように、一九世紀のアメリカでは産業的結合が顕著なものとなったが、以下に、このような経済的 背景の下での取引制限的結合に対するコモン・ロi上の展開について、一八九〇年のシャーマン反トラスト法の制定 時までに限定して概観することとする。   ②労働者の団結に対する規制  アメリカ合衆国における取引制限的結合に対する法規制は、一八九〇年のシャーマン法の制定以前においては、イ ギリスのコモン・ロー上の展開に極めて類似していた。しかし、特に留意すべき点は、合衆国ではシャーマン法の制 定まで統一的に確立された連邦コモン・ローもしくは統一法がなく、州裁判所の独自の判断による判例に依存し、異       ︵u略︶ なった結論に至ることも稀ではなかったことである。そして、このコモン・ローの理解における統一性の欠如が、後 の連邦法としてのシャーマン法の解釈をめぐって、学者および裁判所間で意見の対立と混乱を生じさせた原因であっ       ︵m︶ たことも指定されているのである。     東 洋 法 学       一九七

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    コモン・ローにおける反独占思想四      一九八  そこで、アメリカにおける取引制限的結合の法理の展開については、以下のような傾向が見られる。まず植民地時 代には、この取引制限に対する法理が競争制限的行為一般にまで拡張されることはなかったが、一九世紀を迎えるに つれて、その傾向が顕著なものとなったことである。次に、商品の価格や労働者の賃金を決定するか、取引を制限す ることを目的とした共同行為︵協定︶は、少なくとも無効であるとする認識があったことである。しかも、これらの 制限的行為に対しては、コモン・ローに依拠するか州法によるかに拘わらず、共謀罪が科されうることが認識されて いたのである。  この共謀に関する法理が適用された典型的な場合が労働者の団結に関するものである。アメリカにおいて、賃金所 得者の団体行動に共謀の法理を適用した最初のものは、一八〇六年のフィラデルフィア製靴職人組合︵勺匡幾巴9賦        ︵m︶ Oo巳類巴器量事件であると言われているが、最も有名なものは一八四二年のマサチュセッツ州︵Ooヨヨ自≦$一夢︶          ︵m︶ 対ハント︵缶仁旨︶事件であった。これは、﹁ボストン製靴職人団体︵国○簿目ぢ信ヨ亀ヨ9ω09目畏Rω、ωoo一の蔓︶﹂ の組合員が、営業主に対して組合員のみを雇用し、非組合従業員︵p9己巳9①日巳o冷Φ︶を解雇するように要求し、 この要求に応じない営業主の下では働かないことで合意し、団結した事件である。これに対して、マサチュセッツ州 最高裁判所のショウ首席裁判官︵○巨駄甘ω江8ωぎ類︶は、本件の団結が共謀罪を構成しないと判示し、以下のよう な趣旨を説明した。すなわち、二人以上の者が違法な手段によって共謀もしくは結合することによって、公衆もしく は個人の権利を侵害することは刑事犯罪であるとするのがコモン・ローの原則であること。そして、この原則はイギ リスにおけると同様にマサチュセッツ州においても有効であること。しかし、その団結が各州において違法もしくは

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