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[Organizational Involution in Rural Java : A Characteristic of “Village Development” under the New Order]

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(1)

東南 ア ジア研 究 38巻4号 2001年3月

ジャワ農村 における住民組織 のイ ンポ リュー シ ョン

-

スハ ル ト政権下の 「

村 落 開発」

の一側面-島

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Oneoftheconspicuousfeaturesof"villagedevelopment''抄embangunanmasya71akatdesa)under theNew Orderisthemushroomingofvarioustypesofgroupsandorganizationsatthevillage level.Thesegroupswereformedasintermediariestopromotevillagers'``participation"inthe governmentdevelopmentprograms.

RuralJavaisoneofthemostadvancedareasin"villagedevelopment"inIndonesia. InK villageincentralJava,wherelconductedayearof丘eldworkin1994/95,morethan140groups wereidenti丘edinsidethevillageofabout900households,andmorethan80percentofthegroups werethoseintroducedbythegovernmentduringtheNew Order. Especiallysincethelate 1980S,thenumberofgroupshasrapidlyincreased. Atthetimeofmy丘eldwork,thevillagewas highlyorganized,ShowingaveⅣ differentcomplexionfrom theJavanesevillageofthe1950S, whichCliffordGeertzcharacterizedas"formless,""vague:'"loose,"andunable"tocooperateorto organizeanythingeffectively."

Basedonthefielddataobtainedin Kvillagein1994/95,thispaperattemptstodescribe dynamicrelationsbetweenthegovernmentandvillagecommunityasrenectedintheactivitiesof thegovernment-initiatedvillage-basedorganizations,andtorevealthecharacteristicsoftheNew Order'S"villagedevelopment"seenatthevillagelevel.

First,Iidentiy af llthegroupsthatexistedinKvillagein1994/95andexaminethedegreeof villagers'participationbytakingoneofthehamletsasacase. Toputthesituationin1994/95 intoperspective,thehistoryofgroupactivitiesinthevillageisreconstucr tedthrough oralhisto -r

ies.Thefollowingfourpointsarediscussedasremarkablefeaturesofgroupactivities:1)villa g-ers'mobilizationforpolitical events,suchaseventsforGolkar,theru1ingparty undertheNew Order,2)unendingelaborationandcomplicationoforganizationaladministrativetechnique,3) patternedandroutinizedgroupmeetings,and4)developmentofrotatingsavingandcreditactivi -ties(arisanetc.). Understrongpressureforcontinuedrealizationof"development"underthe New Order,thevillagehas,Iargue,fallenintoastatethatcanbeexpressedas"organizational involution,"whichischaracterized by"increasingtenacityofbasicpattern;internalelaboration andornateness;technicalhairsplitting,andunendingvirtuosity." Forcomparison,therapid changesthathavebeentakingplaceinthevillagesincethefallofPresidentSuhartoar・ealso describedbasedonmyfleldobservationin1998and1999.

*

京 都 大 学 大 学 院 人 間 ・環境 学 研 究 科 ;GraduateSchoolofHumanandEnvironmentalStudies,Kyoto University,46Shimoadachi-cho,Yoshida,Sakyo-ku,Kyoto606-8501,Japan

(2)

島上 :ジャワ農村における住民組織の インポ リューション は じ め に 1998年 5月の政 権 交 代 に至 る まで の約32年 間, スハ ル ト政 権 は 「開発」 (pembangunan)と 「安 定」 (Stabilitas)を柱 とす る開発優 先政 策 を展 開 して きた。 農村 部 にお いて は, 農村 イ ンフラ 整備 , 家 族 計 画 , 農 業技 術 普 及 , ク レジ ッ トな ど多彩 な村 落 開発事 業 が推 進 され , 全 国 の 各行 政村 には,村 落 開発- の 「住民 参加 の媒 体

1

)と して, 様 々な グルー プが次 々 と組 織 され た。 各 省庁 はあ たか も競 い合 うかの ご と く,村 落 開発 委 員会 (内務 省),婦 人会 (内務 省), 農民 グルー プ (農業 省),青 年 団 (社 会省 ),視聴 読 者 グルー プ (情 報 省),母子保 健 グルー プ (保 健 省) な ど, それ ぞ れが管轄 す る グルー プ- と住 民 を組 織 化 して きた の で あ る。2)これ らの官 製 グルー プ - の 住 比 の組 織 化 と グル ー プ を通 じた 開発 - の 住 民 動 員 は, スハ ル ト政 権 下 の 「村 落 開 発」

(pembangunanmasyarakatdesa)の顕 著 な特 徴 の一 つ とい うこ とが で きる。

ジ ャ ワ島 は, イ ン ドネ シアの 中 で も 「村 落 開発」 が最 も進 展 した地域 で あ る。 本稿 で と りあ げ る カラ ンレジェ ッ村 (以 下 ,K柑 ) で は,1994年 の段 階で計120あ ま りの官 製 グルー プが組織 され,村 役 場 前 な どには グルー プの 名称 を記 した看 板 が幾 つ も掲 げ られ ,村 内 で は, 連 日 どこ か で なん らか の グルー プの 会合 が 開か れ て い る状 況 にあ った。 これ らの官 製 グルー プ は,

K

村 に定着 ,浸 透 して い た。 これ まで ジ ャ ワ農村 は,二 者 関係 が卓 越 し,集 団 的行動 規 範 に乏 し く, メ ンバ ーの 定 まった 集 団 の形 成 され に くい社 会 と指摘 され て きた。3'実 際,1970年 代 まで の ジ ャワ農村 の 人類 学 的 , 社 会 ・経 済 的研 究 を概 観 す る限 り, 本稿 で と りあ げ る よ うな グルー プの乱 立状 況 は ほ とん ど窺 い知 る こ とは で きな い [Jay1969;関 本 1976;1978;1980;加 納 1979;1981] 。 K村 を は じめ と す る ジ ャ ワ農村 にお い て官 製 グルー プが急 増 す るの は,特 に1980年 代 以 降の こ とで あ る。 本稿

1)例えば,婦人会のロゴを定めた1983年の内務大臣令 (PeraturanMenteriDalam Negeri)第48引 二は, における住民のあ らゆる活動 とイニシアテ ィブおよび羊7助 ・#Ltl二扶助の実施を 一体化 させる開発への 住民参加の媒体 (wahanapartisipasimasyarakat)」 とある。 また.村落開発委員会の組織 と活動 を定 めた1984年の内務大臣令第27号は,村落開発委員会の機能の-一つ として 「開発の計画と実施における 住艮参加の媒体 (wadah)」 と規定 している。 2)官製グループの多 くが,それ臼体では意味を理解で きない頭字語で呼称 され,名称を直訳 した場合で も清動内容 を想像 しに くい訳 となる場合が多いことか ら,本稿では,各グループの活動内容か ら判断 して最 も近 い と思 われ る 日本語訳 をつ けた。例 えば,本稿で婦 人会 と訳 した PKK (Pembinaan KesejahteraanKeluarga)の より字義に近い訳は 「家族福祉育成」であ り,村落開発委員会 と訳 した

LKMD (LembagaKetahananMasyarakatDesa)は 「村落社会維持強化機構」,甘r保健 グループと訳

したPOSYANDU (PosPelayananTerpadu)は 「統合サービスステーション」である。官製グループ の名称に使用 されているpembinaan,kesejahteraan,ketahananなどの言葉は,スハル ト政権 卜の村落 開発政策において頻出するキーワー ドであ り, グループの名称 自体,別途考察すべ き課題だといえる.。

3)ジャワ農村における 二者関係論については,関本の 一連の研究 [関本1976;1978;1980;1992]を参 照 。

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東南 アジア研究 38巻4号 で 主 と して 検 討 す る1990年 代 半 ば に は , 組 織 す る こ と 自体 が 目的 化 して い るか の よ う に, と ど ま る こ とな くグ ル ー プ の組 織 化 が 進 展 し, 村 内 で は ま る で組 織 の イ ンポ リュ ー シ ョ ンが 起 こ っ て い るか の よ うな状 況 にあ っ た。4)スハ ル ト政 権 に よる 「村 落 開発 」 の 一 つ の到 達 点 と もい え る, この よ う な住 民 の 組 織 化 状 況 は ,村 の社 会 生 活 に与 え た そ の 影 響 の大 き さ に比 して , これ まで ほ とん ど明 らか に され て い な い。5) か つ て 「何 事 も効 果 的 に協 力 し,組 織 す る こ とが で きな い」 [Geertz1959:35]社 会 と して描 か れ た ジ ャ ワ農 村 にお い て , スハ ル ト政 権 下 , 住 民 の組 織 化 は い か に進 め られ , 組 織 され た グ ル ー プ は い か な る活 動 を展 開 して い た の か 。 なぜ 官 製 グ ル ー プ は増 加 しつ づ け た の か 。 本 稿 の 課 題 は , 以 上 の 問 い を

K

村 を事 例 と して 考 察 し, スハ ル ト政 権 下 の 「村 落 開発 」 の 様 相一 村 落 開発 政 策 の 実 施 段 階 にみ られ る 国 家 と村 落 社 会 間 の 調 整 , 妥 協 ,

蝶 の か た ち- を村 レベ ル の 視 点 で 描 き出 す こ とに あ る。 同 時 に,

K

村 にお け る グ ル ー プ の組 織 化 状 況 を明 らか にす る こ とに よ り, 住 民 組 織 の 形 成 条 件 を主 た る考 察 対 象 とす る, 組 織 論 的 ア プ ロー チ に よ る農 村 開 発 論 に一 つ の 具 体 的 な事 例 を提 供 した い。6) 本 稿 で 主 と して 対 象 とす る時 期 は , 筆 者 がK村 で フ ィー ル ドワー ク を実 施 した1994年 6月 か ら1995年 6月 まで の 1年 間 で あ る。 1994年 は , スハ ル ト政 権 が 過 去 約30年 に わ た る経 済 成 長 を 維 持 させ た ま ま, 第 二 次 長 期 開発 計 画 を 開始 し, 貧 困撲 滅 を 目的 と した 「取 り残 され た村 - の 大 統 領 指 令 プ ロ グ ラム (Program lnpresDesaTertinggal, 以 下 IDTプ ロ グ ラ ム)」を全 国 的 に

4)ここでの インポ リュー シ ョンは,ギアツによって引用 されたゴールデ ンワイザ- (Goldenweiser)に よる以下 の定義 に もとづ く。`Ⅶ latWehavehereispatternpluscontinueddevelopment. Thepat -ternprecludestheuseofanotherunitorunits. n einevitableresultisprogressivecomplication,a varietywithinuniformity,virtuositywithinmonotony. n i§isinvolution"[Geertz1963:81].本稿 は, ギアツに よる 「農業の イ ンポ リュー シ ョン」や 「貧困の共有」論の妥当性 を議論す る ものではな く, 1990年代の ジャワ農村 にみ られた組織化現象 を表現す る言葉 として インポ リュー シ ョンを使用 した。 5)個 々の官製 グループを検討 した もの として,婦人会 をとりあげた倉沢 [1998a],視聴読者 グループを とりあげた倉沢 [1998b]がある。婦人会活動,家族計画,情報 と農村 メデ ィア,農村協同組合 などス ハル ト政権 における代表的な村落開発 プログラムの導入による文化変容 を扱 ったSelosoemardjanand Breaseale [1993] は, グループの活動 に も一部言及 している。各村内の住民の組織化状才兄を明 らかに

した もの としては, シナガ他 [1978],Tjondronegoro [1984],大鎌 [1990],Kawagoeetal.[1992], 水野 [1998] な どがあるが,いずれ も1980年代 までに実施 した調査 に基づ くものであ り,1980年代後 半以降の状況 について触れた ものではない。

6)住民組織 ・制度形成の研究 は農村 開発論 における古典的テーマであるが,近年 「参加型開発」が提唱 されるにともない,再 び注 目を集めている。主な研究 として, コ-ネル大学の農村開発委員会 (Rural DevelopmentCommittee)による一連の共同研究 [Uphoff1982-83;EsmanandUphoff1984],国連 地域 開発研究 セ ンターにお ける地域社会開発 に関す る研究 [0'uchiandYogo1985;Dai1990;Yogo 2000]の他 ,組織論 の視点 か ら戦前 日本 にお ける農協 の組織化 と農民 運動 の展 開 を解 明 した斎 藤 [1989],タイ農村 における参加型開発 を論 じた重富 [1996],東南 アジアの農村 開発 における制度形成 を近代 日本 との比較の視点で検討 した加納 [1998] な どがある。 また近年,世界銀行の社会開発部門 はボ リビア, ブルキナ ・フアソ, イン ドネシアの3地域で地域組織 (LDCalLevelInstitutions)研究 を 実施 し (1996-98),特 に イ ン ドネシアで は継続調 査 (1999-2000)が行 われてい る [WorldBank 1999]。 514

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畠上 :ジ ャワ農村 にお け る住 民組 織 の イ ンポ リュー シ ョン 展 開 させ た年であ る。7) 換 言す れば, スハ ル ト政権が全 国の 「取 り残 された村」 内の貧 困 世帯 に いた る まで住民 の組 織 化 を試 み た時期 とい うこ とが で きる。 本稿 で は, この1994年 のK村 にお け る住 民 の組織 化状 況 を明 らか にす る と ともに, オ ラ ンダ植 民地期 , 日本軍政期 , ス カル ノ期 のK村 にお け る住民 組織 化 の歴 史,お よび1998年 5月の スハ ル ト退 陣以 降の状 況 につ いて も言 及す る こ とに よ り, スハ ル ト政 権 に よる住民 組織 化 の意 味 を よ り明確 化 したい。 以下 , Ⅰで は,K村 の概 要 と特徴 を述べ , Ⅲで は,1994年段 階 のK村 にお け る グルー プの組 織 化状 況 を明 らか にす る とともに, スハ ル ト政権以前 の組織 化状 況 につ いて概観 す る。 Ⅲで は, 官 製 グルー プの活 動 に共通 してみ られ た特徴 を整理 し, その様相 を描 く。 Ⅳで は, スハ ル ト政 権 下 にお け る官製 グルー プ急 増 の意味 を考 察 し,最 後 にスハ ル ト政権 崩壊 後 のK村 の 変化 につ いて簡 単 に触 れ た い。

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村 の 概 要 石灰 岩 台地 の 「貧 困村 」 政村 であ る。8)グヌ ン ・キ ドウル県 は, ジャワ島南 海岸地帯 に広 が る石灰岩台地 に位 置 し, イ ン ドネ シアで も有数 の 「渇水 ・貧困地域 」 と して知 られ る。 県 の大部 分 を石灰 岩 の 山 々 と畑 作 地 が 占め,主 な農産物 はキ ャ ッサ バ, 陸稲 , 落花生 , とう もろ こ しな どで あ る。⊃住 民 の過 半・数 は 農業 (小 規模 な畜 産 を含 む) と様 々な農外 活動 に よって生計 を支 え,特 に ジ ャカル タへ の出稼 ぎ者 の多 い県 と して も知 られ る。9 -K村 は グヌ ン ・キ ドウル県の ほぼ中央 に位置 し,県都 であ る ウ オノサ リか ら南- 約 2km,州

都 で あ る ジ ョクジ ャカル タ市 (KotamadyaYogyakarta)か らは東へ約 40km の位置 にあ る (図

1)。 村 の中央 を舗装 された州道が貫通 し,交通 の便 は非常 に よい。 人口4,398人 (936世帯), 面 7)IDTプ ロ グラム は,貧 困世帯 を対 象 と したマ イ クロ ・ク レジ ッ トプ ロ グラムであ るLl全 国の行政村 の 約4割 が 「取 り残 され た村」 と して指 定 され,指 定 され た村 内 には, 貧困世帯 か らなるIDTグルー プ (PokmasIDT)が組織 され た。 各IDTグルー プに直接 資金が給 与 され, グルー プを通 じ,貧困世帯へ の 事業資 金の低利 ク レジ ッ トが実施 された。IDTプロ グラムの概 要 につ いて はMubyarto[1997], 木 村 [1999] 参照 。 本稿 で対 象 とす るK村 も 「取 り残 され た村 」 の 一つ で あ る0

8)イ ン ドネ シ ア 語 で は,DesaKarangrejek,KecamatanWonosari,KabupatenGunungkidul,Propinsi DaerahIstimewaYogyakartaで あ る。 本稿 で 「柑 」 と訳 した デサ (desa)は, ジ ャワにお い て J亡来, 共同体 的村 落 を指 す 言葉 と して使 われ て きたが,1979年 の村 落行政 法 第5号 (Undang-undangNo.5 tahun1979tentangPemerintahanDesa)に よ り, イン ドネシア全 国の農村 部に位置す る行政相 の名称

と して使 用 され る よ うに なった。 本稿 で は

,

「村

,

あ るい は法 令 名や組 織 名 な どに使 われて い る場 合 は 「村 落」 と した。 デサ とい う 言葉 が持 つ イデ オ ロギ ー性 につ いて は,加納 [1991] 参 照 。

9)グヌ ン ・キ ドウル県 をは じめ とす る, ジャワ島 南海岸地帯 のイi灰 岩 倉地 の生態 ・生活 につ いて は拙 稿

島 卜.[1997] 参照 r)

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東南 ア ジア研 究 38巻4号 / I

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]。10)人口 ・面積 の上では, ジャワ島にお いてほぼ平均的な規模 の行政村 だ といえる。 就業人口は2

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4

人であ り,1世帯 につ き約2.7人が なん らかの仕事 につ いている計算 になる (表1)。 世帯の過半数 は農業 を主 たる生業 としている が,男性 は 日雇いの建設労働 ,大工,ベチ ャひ き,運転手,小商売,女性 は小商売,家政婦等, 何 らかの非農業活動 に従事 し,数種 の生業で家計 を支 えてい る場合が多 い。県都 であるウ オノ サ リに近接 してい るため,県政府や各省庁 の県 出先機 関に勤務す る公務員や軍人 も比較的多い。 村 の住民 との結婚 に よる転入者のほか,特 に公務 員世帯 の 中には,村 内 に土地 を購入 し転入 し て きた世帯 もか な り見 うけ られ る。 仕事 を求 めて ジャカル タやスマ トラ, イ リア ン ・ジャヤ-の転 出 も多 く,人口流動性 の比較 的高 い村 だ といえる

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4

年時点での住民 の所得規模 は, 日 雇 いの建設労働 で 日給3,000ル ピア程度,村 内で高所得者 とみ なされてい る公務員お よび軍人で 月給20-60万 ル ピア程 度であ る。11)

10)表1,表2に使用 したK村 の人口統計 は ジ ョクジャカル タの看護学校 (SekolahPerawatKesehatan) の学生82名がK村 で1カ月 (1995年2月) にわたって実施 した実習 (PraktekKeljaIapangan)の報告 書 を参照 した。学生 らは村 内7つの ドゥス ンに分宿 し,活動の一つ として担 当す る ドゥス ンの生活 ・ 衛生状 況 に関す る世帯悉皆調査 を実施 していた。生業分類 にはあい まいな点 がみ られ る ものの,数値

はか な り正確 な もの と考 え られ る。

ll)1994年時点で,安価 米が 1kg600ル ピア程 度, 1円の交換 レー トは約20ル ピアであ った。

5

1

6

(6)

岳上二:ジャワ農村 にお ける住民組織 の イ ンポ リュー シ ョン 表 1 主 な生 業 別 にみた就業者数 主な生業 就業者 数 (% ) 農民 (petani) 労働 者 (bumh)日 日営 業 (Wiraswasta) 小商 人 (pedagang) 店員 (kaIYaWan)2) 公務 員 ・村役 人 (pegawai) 軍 人 (ABRI) 退職 公務 員 (pensiunan) 計 ー ) ) ) ) ー ) 1 0 2 8 7 6 5 1 1 5 2 ( ( ー ( ( ( ( t 8 1 3 6 5 6 4 1 6 4 1 8 4 2 1 2 2 5 2 1 1 1 日H 2,514 (100) 出所 :SekolahPerawatKesehatan [1995] よ り筆者作 成。

lJ労働 者 には, H雇 いの建設労働 ,大工 ,石工 な どを含 む。 ただ し,農業労働 者 は農民 に含 まれ る。 2'Karyawanは加納 [1981], 白石 [1987] に よる と,公務 員 を指 す言葉 と して使 われて いた とあ るが,

K

村 周辺 で は,民 間の 商 店や組 合 に務 め る店 員 ・職 員 を指 す際 に使 われて いたo K 村行政機構 K村 は,1920年代 に行政村 と して組織 され て以 来,合併 ・分離 を経験 してい ないため,K村 の現 在の領域 は1920年代以 来の ものであ る。12)K村 は行政上 ,7つ の ドゥス ン (dusun)にわけ られ, 1ドゥス ンの人口規模 は60- 150世帯 であ る13)(表2)。各 ドゥス ン内には,20-30世帯 か らな る RTが組織 され,2つ か ら3つ の RT を連合す る形 で RW (40-60世帯 )が組織 されて い る。 RT は, 日本軍政期 に組織 された 「トナ リグ ミ」 (隣組 ) を独 立 後 も存続 させ た もので あ り,RWは,1980年代 に組織 され た もので あ る。14)K村 には,37のRTと16のRWが あ る。 K村 の行 政 機構 は1979年 の村 落行 政 法 に も とづ き, 図2の よ うに構 成 され て い る。15)村 長 12)オ ランダ統 治 卜,王侯領 に属 していた現 在の ジ ョクジャカル タ特 別州の村落 は,直轄領であ った ジャワ の他地域 と異 な り,1918年の政令 (RijksbladDjokjakarta)に よ り行政村 として組織 された。以降, ジ ョ クジャカル タ特 別州 の行政村 は,1948年 の ジ ョクジャカル タ特 別州政府 の告 知 (Maklumat)第5別 こ よ り, 大規模 な合併 を経験 したが,その後,大規模 な合併 ・分離 は行われていない。1918年の政 令に よ る村落 再編 につ いては森 [1969],宮本 [1993:85-88],Selosoemardjan [1962:34],Rojani[1972:2 00-207],1948年 の合併 につ いてはProdjosoegardo [1950:244],Selosoemardjan [1962:93-94] 参照。 13)ドゥス ンは1979年の村 落行政法 施行以 前は, ドゥクー (dukuh)と呼 ばれ,住民 相ti二間 に強 いつ なが りを持 ち, -一つ の社 会 的 な ま とま りを持 つ と指摘 され て きた 単位 であ る [Selosoemardjan1 962:96-99]〔〕ただ し,加納が指摘 してい る ように,現 在の ドゥス ンを 自生的集落 とrLl'3 -視す る こ とは必 ず しも で きない [加納 1981:12-15]。K村 の 【㌧老の話 で は,1920年代 に行政村 と して組織 された時点 ではK 村 は6つ の ドゥクーか ら構 成 されてい た とい う。 14)ジ ョクジャカル タ特 別州 で は. トナ リグ ミは [1本軍撤退後 も RT と して存続 したが, スハ ル ト政権

F,

1983年 の内務

臣令 第7射 二よ り再編 され, 同時 にRW も組 織 され たo RT はRukunTetangga,RW

はRukunWargaの略 で あ る。Rukunは調和,tetanggaは近 隣 ・隣 人,wargaは メ ンバ ー とい った意 味 が あ る。

15)1979年 の村 落行政法 に規定 され た村 落行政機構 の概要 につ いては,水野 [1998],倉沢 [1998b] 参照C 1979年 の村 落行政法 がK村 で実 際 に施 行 され る ようになったの は,州令, 県令 な ど施行 後 の1980年代 半ば頃か らであ る。

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東 南 ア ジア研 究 38巻 4号 表 2 ドゥス ン別 にみ た世帯 数 と人 口 (1995年) ドゥス ン名 世帯 数 人 カラ ン レジェ ッ ブH)ンビ ン カ ラ ン ドゥウ ッⅠ カ ラ ン ドゥウ ッⅠⅠ カラ ンサ リ カラ ングム ッⅠ カラ ングム ッⅠⅠ ) )

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(KepalaDesa)の下 に は,村 書 記 (SekretarisDesa)を長 と して ,財 政 (Keuangan), 行 政

(Pemerintahan),経 済 開発 (EkonomiPembangunan),住民福祉 (KesejahteraanRakyat),総 務 (Umum)の5つの係 か らなる村事務 局 (SekretariatDesa)と,各 ドゥス ンを と りまとめ る ドゥス ン長 (KepalaDusun)が設置 されてい る。 K村 には,5つの係 に一 人ずつ係長 (Kepala

Urusan)がい る他,総務係 に一人だけ総務 ス タッフが いる。村長 とその下の村役人 (Perangkat

(8)

島上 :ジャワ農村 における住民組織 の インポ リュー シ ョン Desa)16)は , 郡 長 (Camat) の 下 ,村 の 行 政 ・開発 事 業 の 実 施 に責 任 を負 って い るが ,彼 らは , そ の 職 務 へ の報 酬 と して村 か ら職 田17)を受 け る村 の役 人 で あ り, 公 務 員 (pegawainegeri) で は な い と位 置 付 け られ て い る。 彼 らは, 公 務 員 番 号 (NIP)も持 たず , 公 務 員 の よ う に在 職 期 間 や 勤 務 評 定 な どに応 じた 昇 給 や 昇 進 もな い 。 しか し, 日 々 の 職 務 時 に は 内 務 省 の 公 務 員 と同 様 の 制服18)の 着 用 が 義 務 づ け られ て い る他 , 様 々 な 国家 行 事 や与 党 ゴ ル カルの 記 念 行事 の 際 に は, 那 政 府 か ら参 加 要 請 の 連 絡 が 入 る な ど, そ の 義 務 ・職 務 内 容 は , 実 際 に は 公 務 員 とほ とん ど変 わ る と こ ろ が な い。 1979年 の村 落 行 政 法 の 施 行 以 降 , 村 長 は県 で の 試 験 選抜 の 後 , 住 民 に よる直 接 選 挙 に よ って 選 ば れ , 村 役 人 は 県 ・郡 で の 試験 成 績 優 秀 者 が そ の 任 に就 くこ とに な っ た。19'村 長 の 任 期 は8年 (再 選 に よ り2期 まで 可 能 ) で あ り, 村 役 人 に任 期 は規 定 され て い ない 。20) K相 で は, 1990年 に選 出 され た村 長 (男 性, 1956年 生 まれ ,情 報 省 公 務 員 ) を は じめ , 財 政 係 長 を 除 く全 員 が ,1979年 の村 落 行 政 法 に基 づ い て選 出 され た 人 々で あ る。21' 各 RW,RT に は , そ れ ぞ れ RW 長 ,RT長 が 各 RW,RT の 住 民 の 話 し合 い で 選 ば れ て い る。 RW 長 ,RT 長 は, 村 行 政 か らの 情 報 伝 達 や 村 の 拠 出 金 の 徴 収 , 労 働 奉 仕 の 実 施 な どに あ た り, 村 長 ・村 役 人 を補 助 して い るが , 報 酬 は な く, 任 期 は3年 で あ る。 村 落 評 議 会 (LMD) と村 落 開 発 委 員会 (LKMD) 村 全 体 で 決 議 す べ き事 項 につ い て 協 議 す る機 構 と して , 村 落 評 議 会 (Le mbagaMusyawarah

16)Perangkatは 「装置」 といった意味があ り,PerangkatDesaは 「村政機構」 と訳 される場合 もあるが, 本稿では,K村住民が,人物 としての村役人を集合的に呼ぶ際に 「Perangkat」 と使っていたため,「村 役 人」 と訳 した。1979年の村落行政法施行以前 は 「PamongDesa」 とい う言葉が使 用 され ていた。 Pamongには 「百J・監督者 ・教育者」 といった意味がある。 この名称変更には,村落行政 を人物 による 統治か ら,機構 に よる統 治へ と再編 しようとす る意図が窺 われる。 17)K村の職 田収入は,農業生産性 の低 い地域 に位置 しているため,非常 に低 いO中央政府か ら若 1'-の給 与補助 (tunjangan)が支給 されているが,それを加算 して も,K村村長の年間報酬は約120jjルピア, 各係長で60-120万 ルピア, ドゥス ン長にいたっては,30-50万 ル ピアであった。 18)村長 ・村役人の制服 については,1983年の内務大臣令第 3号に規定 されている。K相の村長 ・村役 人 はいずれ も,・jj袖 に内務 省の名称 とグヌ ン ・キ ドウル県の ロゴの入 った カーキ色の制服,・、狛′1警川 (Hansip) と内務省の ロゴの入った黄緑色の制服,・Lr3:)'公務員団 (KORPRI)のバテ ィック模様の制服, の3種 を所有 していたO・:‡は月∼木曜,1'r2:Jは 七曜,・字 は毎FJ17日に着用 し,金曜は私服で よい旨,那 政府か ら指導 をうけていたO いずれ も支給 され るのではな く,就任時 に各 自が購 入 しなければな らな いO スハ ル ト政権T における制服 の氾濫の意味 につ いては白石 [1986]参照0 19)村長 ・村書記 ・係長は県 レベル, ドゥス ン長は郡 レベ ルで試験が行われるO1993年に選出された経済 開発係長の話では,試験 は当時県内で空席 になっていた村長 ・村書記 ・係長 を対象 として.県が所有 法 に関す る問いの他,各職務 に関連 した問い (経済開発係長の場合は,農相 金融 に関す る ものな ど) が だ され,面接 では,本人 ・親族の政治経歴 な どが問われた とい う。 20)1979年の村落行政法施行以前は,村 長 ・村役 人の選出は1946年の ジ ョクジャカル タ特 別州政府の告知 第15号に基づ き,全員が村内の世帯主による選挙によって選ばれていたC任期はな く,免職,あるい は辞職 ・死亡す る まで任 にあった。 21)1982年の内務大臣令第 4号により,公務員が村長・村役 人に就任 した場 合は,公務員職 を休職 (有給 ) した まま,就任で きることとなった。K村 では,村長の他,行政係長が公務 員 (法務省)である。 519

(9)

東南 アジア研究 38巻4号 Desa,略称 LMD)がある。LMD は,1979年の村落行政法 によ り設置が定め られた機構 であ り, K村では1986年 に組織 された。村長 は

,

「村 落決定」 (KeputusanDesa) を出す際 には,LMD に おいて協議 し,全 員の合意 と署名 を得 た後,郡政府 に報告 し,県長の承認 (pengesahan) をえ なければな らない。22)村 の意志決定 を行 う 「議会」的 な位置づけにある といえるが,立法 と行政 の分離 はな く,村長が議長,村 書記が書記 を兼任 し, ドゥス ン長 は全 員 自動 的にメ ンバ ー とな る。 K村 で は,人口規模 に応 じて14名か ら構 成 されている。 村 長,村書記, ドゥス ン長 を除い た残 りの5名 は,村 長が村 の リー ダーたち を招集 した会議で話 し合 いに よ り選 ばれた人 々であ る。

村 の 開発 事 業 の 計 画 と実 施 にあ た る機 構 と して,村 落 開発 委 員会 (Le mbagaKetahanan MasyarakatDesa,略称 LKMD)があ る。1980年 の大統領決定 に よ り設置が定め られた機構 で あ り,K村 では,1986年 にLMD と同時 に組織 された。23)K村 の LKMD は,人口規模 に基づ き, 35名 か ら構 成 されている。LMD 同様,LKMD 総委員長 (KetuaUmum) は村 長が兼任 し,第 二委 員長 は村長 の妻が 自動 的にその任 につ く。 第一委員長 を含 む残 りの メ ンバ ーは,村 長が招 集 した会議で話 し合 いに よ り選 ばれた人々であ る。 LMD,LKMD の メ ンバーは報酬 のない名誉職であ る。 K村 では,村 の主要 な開発事業や行事 は,村長が,村役人,LMD ・LKMD メ ンバー を招集 し,実行委員会 を組織す る形で実施 にうつ されていた。LMD ・LKMD メンバーの多 くは,後述す る官製 グループの役 員 も複数兼務 してお り,村 長 ・村役 人 とともに 「村 落開発

を実施す る上 で主導的 な役割 を担 っていた。住民が村 の 「トコ

-

」 (tokoh),つ ま り村 の リー ダー とみ な していたの も彼 らだ といって よい。24) 村指導層 を構成 する公務 員 表3は, K村 の行政お よびその補助機構 の主 な担 い手 を出身 (転入者か否か),生業 (公務 員 か否か),学歴別 にみ た ものであ る。 村 長,村書記 ・村事務局係長,LMD ・LKMD メ ンバ ーな ど,村 レベルの役職 には,公務員,転入者,高卒者の割合が多 く, ドゥス ン長,RW 長,RT 長 な ど ドゥス ン ・レベ ル以下の役職 には,非公務員 (農家),村 内出身者,小卒者が多い傾向が指 22)主な 「村落決定」には,毎年出される,村の年間事業計画,歳入 ・歳出予算,村徴収金 (Pungutan Desa)に関する決定の他,村長 ・村役人選出の際に出される候補者推薦に関する決定などがある。

23)1980年の大統領決定第28号により,それまで組織されていた村落社会委員会 (LembagaSosialDesa,

略称 LSD)が LKMD として再編 ・整備 (penyempumaan)された。 K村では,1986年にLSD が解 散され,LMDとLKMDに再組織される形となった。

24)トコ-とはどういう人か尋ねたところ,K村のある青年は,次のように説明してくれた。つまり,村

内でより経済力があ り(1ebihmampu),教育をうけ (punyapendidikan),その経済力と教育 (学歴)

を村の開発のために貢献する人,である。例えば,LKMD メンバーの中でも村の開発事業に非積極的

な人は, トコ-とはみなされていなかった.また,現職の村長と村役人は, トコーと同様の役割を果

たしていてもトコ一には含まれず, トコ-という言葉は 「在野」のリーダーといった意味合いをもっ

て使われていた。

(10)

島上 :ジ ャ ワ農村 にお け る住民 組 織 の イ ンポ リュー シ ョン 表 3 K村 の役 職 別 にみ た転 入者 ・公務 員 ・高卒 以 上二者 の割 合 役 職 人 数 転 入者 村 長 ・村 書 記 ・係 長 LMDメ ンバ ー LKMD メ ンバ ー ドゥス ン長 Ⅳ 長 RT 長 7 5 4 7 6 6 3 1 3 %3 0 4 4 5 9 4 4 6 1 2 1 公務 員 高 卒以上 % 9 0 6 0 5 3 2 8 7 2 %1 nU 4 n U 5 6 7 6 7 2 出所 :聞 き取 りか ら筆 者作 成 。 注 :LMD,LKMDはそれぞれ兼務 してい る村 長 ・村役 人 を除 いた数で あ る。 表 4 K村 の 主 た る トコ-の横 顔 氏 名 性 別 (年齢 ) 職 業 出 身地 (転 入 年)1' これ まで の村 で の役 職2' H氏 男 (58) 小 学 校 校 長 県 内他村 ('63)* ) lノ ー ノ ー ) 7 8 8 4 5 5 6 5 5 4 ( ( ( ( ( 男 男 男 男 女 氏 氏 氏 氏 氏 M K B s ∫ 小 学 校 校 長 県 内他柑 ('64)* 退 役 軍 人 K村 ('56172村 外 勤 務 ) 元 宗 務 事 務所 所 長 県 内他村 ('81)** 情 報 省公務 員 県 内 他村 ('70)** 宗 教 省公 務 員 県 内 他村 ('72)** '63- ,DPRKGR議 長 一一IJSD -LMD '70年 代 ∼ ,IJSD-LMD '70年 代 ∼,LSD-LMD '70年 代 ∼ ,LSD-LKMD '72- , 婦 人 会 副 代 表 ,LSD -LKMD 出所 :聞 き取 りか ら筆 者 作 成 。 1jK村 住 民 と結 婚 した こ とに よる転 入 は*,世帯 単位 で転 入 して きた場 合 は**を付 した0 2-DPRKGR- ゴ トン ・ロ ヨ ン村 民 代 表議 会,LSD-村 落社 会 委 貢 会 の略。 政 府 に よる機構 再編 に よ り,新 しい機構 の メ ンバ ー に継続 して就 任 した場 合 は 「- 」 で あ らわ した。 摘 で きる。村 の就業 人口に しめ る公務 員 (軍 人,退職 公務 員 を含 む)の割合が約6%である こ とを考 えれ ば,公務 員が LMD ・LKMDメ ンバー をは じめ とす る村 レベ ルの要職 につ いてい る 割合 は非常 に高い とい える。 トコ- とみ な されてい る者 に転 入者が多い こ とも特徴 としてあげ られ る。 表

4

は,

K

村 住民 の誰 もが村 の主要 な トコ- とみ な していた6名の経歴 を整理 した ものであ る。全 員が公務員 も し くは軍 人であ り,6名 中 5名が村外 出身者 で村転 入直後 に村 の要職 に就 いてい るこ とが わか る。 いず れ も転入 して まもな く当時の村長 に呼 びか け られ,役職 に就 くこ とになったのだ とい う。村 に転 入 して きた公務 員たちは,LMD,LKMD,そ して後述す る様 々な官製 グループ- の 積極的 な参加 を通 じ

,

「村落 開発」 に貢献す る トコ- として,村社 会の中に位置付 け られていっ た とい える。

K

村 は,多 くの ジャワ農村 に共通 してみ られ る ように,転 入者 を含 む公務 員が村 の高所得層 を形 成 してい るだけで はな く,村長,村事務局の役 人,村 の トコ- として行政 ・開 521

(11)

東 南 ア ジア研 究 38巻4号 発 の実施 にお いて も指導 的 な役 割 を担 って い る村 の一 つ とい うこ とが で きる。25)

スハル ト政権 下 の住 民組織 化 とその背景 Ⅰト 1 官 製 クル ー プの組織 化 状 況 以上 み て きた ような, スハ ル ト政権 下 にお け る村 落行政機構 の末端 に至 る までの整備 に加 え, 住民 を さ らに組織 し,村 落 開発 へ の参加 ・動 員 を促 したのが ,各省庁 の指導 の下 ,村 内 に組 織 され た様 々 な官 製 グ ル ー プで あ る。 い ず れ の グル ー プ にお い て も,村 長 は 自動 的 に保 護 者 (pelindung),育成者 (pembina)等 と して位 置付 け られ,官 製 グルー プは,村 長 を頂 点 と して 住民 を網 の 目の よ うに組織 してい た。 K村 で,1994年 か らの 1年 間 に何 らか の活 動 が み られ た グルー プは,住 民 の主 導 に よって組 織 され た グルー プ を含 め,計149グルー プであ る。26)表 5は, グルー プの主 な機 能 に よって分類 した もの だが , 開発 ,婦 人活動 ,青 年活動 ,農業 ・生 産 関連 ,保健 , ク レジ ッ ト,親 睦 ・相 互 扶助 ,宗 教 ,治安 な ど,生活 の多様 な側 面 にわた る グル ー プが,様 々な層 を対 象 と して存 在 す る こ とが わか る。 149グルー プの うち,約8割 にあ た る124グルー プが政府 の指導 を うけて組織 され た官 製 グルー プで あ り,住民 の主導 に よる もの は, スポー ツや芸 能 , も し くは親睦 ・相 互 扶助 の グルー プに限 られ てい る。 組 織 化 の単位 をみ る と,村 , ドゥス ン,RW,RT と様 々な レ ベ ルで組織 されてい る。 1995年段 階で組織 されていた グルー プの設立年代 をみ る限 り,特 に1980 年代 以 降,末端へ の組織 化 が進 んで きた と考 え られ る (図 3)。27)ドゥス ン別 に グルー プ数 をみ てみ る と, ウ オノサ リに近 い,村 の北部 に位置す るA,B,C,Dドゥス ンは南 部のE,F,G ドゥス ンよ りも比較 的 グルー プ数が多 い傾 向 にあ る (表

6)

官製 グルー プの活動 に全 く参加 し てい ない世 帯 は,最 もグルー プ数 の多 い

B

ドゥス ンにお い て

4

世帯 (ドゥス ン全 世 帯 の

3

% ), 最 もグルー プ数 の少 ないEドゥス ンにお いて も10世帯 (13%)にす ぎず ,村 内の約 9割 以上 の 世帯 が何 らか の官 製 グルー プの活動 に参加 して いた と推 測 で きる。28) 25)加納 [1979;1981],白石 [1987]には,1970年代後半のジャワ農村,特に中部ジャワ農村において, 公務員が村の高所得層,指導層を構成 している状況が描かれている。筆者が見聞できた範囲でち,ジャ ワ農村- 特に県庁所在地 ・郡役場所在地に近い村- では,K村 と同様の状況がみ られた。 26)K村には組織 されたものの何 も活動 していないグループがい くつかみ られたため,ここでは,定例会 合などなんらかの活動を実施 しているグループのみ数えた。前節で触れたLMD,LKMDもここには 含めた。 RT,RW は,定例会合を実施 しているRT,RW のみグループとして数に含めた。 27)1995年の調査時点で既に解散 ・活動停止 していたグループは,ここでは検討できていないが,

K

村住 民からの聞き取 りを総合する限 り,1960-70年代,ここで検討 したグループ以外にRT,RW レベルで 活動を実施 していたグループはほとんどなかったものと思われる。 28) Bドゥスンで全 くグループ活動に参加 していなかった世帯は,70代の老齢夫婦の世帯 (農家),80代の 寡婦独居世帯 (共産党に関与 したとして村長を免職 となった元村長の妻),転勤により期限付 きで村に 借家 していた教師世帯,ウオノサ リで靴屋を営みウオノサリに自宅を持つかたわら,K村にも土地 と 家を購入 した世帯の計4世帯であった。 522

(12)

島 L :ジャワ農村 における住民組織 の インポ リュー シ ョン Bドゥス ンにおけ る住民 の参加状況 Bドゥス ンにお ける,世帯主の主 な生業 別 にみた グループへ の参加状 況 は図4の とお りであ る。29) 1世帯 あた り平均約5グループに参加 している。 a. 村役 人世帯 参加 グループ数の最 も多いの は,村役 人世帯 (村書記 と ドゥス ン長世帯) であ る。 その数 は 16グループに及ぶ。 村役 人に とって,村 内の グループを監督 ・育成す ることは重要 な職務の一・ つ となっているためである。 特 に ドゥス ン長 は,それぞれの ドゥス ン内 にお ける グルー プの組 織化状況 を把握 し育成す るため, ドゥス ン内の グルー プの定例会合 にはすべ て参加す ることが 職務 とみなされていた。30'また,定例会合では必ず村役 人の講話 (sambutan)の時間が設 け られ てお り,村役人の出席 は会合の欠かせ ない一部 となっていた。31)Bドゥス ンの ドゥス ン長C氏の 世帯 が定例会合 に参加 していた グループの内訳 は表 7に示 した とお りであ る。 表 にみ るように, ドゥス ン婦 人会や母子保健 グループの ように女性 を対 象 とした グループの場 合は, ドゥス ン長 1960年代 1970年代 1980年代 1990年代 不 明 】 「 ! … ∃ ∃ l l l 0 10 20 30 40 50 60 70 図3 設立年代別にみた村 内 グループ数 (組織 化の単位 別) 川所 :聞 き取 りか ら筆 者作成。 注 :1995年段 階で組織 されていた グループの設立年代 を整理 した ものであ り,1995年 以前 に解散 された グルー プは含 まれていない。 グループが組織 されている 削 11L_(村, ドゥス ン,RW,RT)別にそれぞれ色分 け した。 29)ここで使川す るデー タは,筆者がBドゥス ン154ttt帯 に実施 した悉皆 調査 と,各 グループの定例会合に lLH.席 し, グループの名簿 ・会計簿 な どを参照 して まとめ た ものであ る。悉菅 調餐では,村 内の どの グ ループに参加 しているか, グループの名称 をあげなが ら尋ねたが,参加 しているグループ名 を11-I確 に 応 えて くれるケー スは少なか った。参加 してい ない と解 答 していた人 と定例 会合で顔 を会わせ ること が しば しばあったため,各 グループの 名簿 ・会計簿 な どで参加 の有無 を再確認 した。 なお, ここでの 参加 グループ数 は,官製 グループだけではな く,住民主導で組織 された グループ も含めた,村 内で組 織 されているすべ ての グループ- の参加数であ る。 30)係 長の場 合 は,それぞれ担 当す る分野 に関連 した グルー プの定例 会合に出席 し, グループを監督・育 成す るこ とが職務 とされて いた。 31)Sambutanは,様 々な会合の は じめに行 われ る挨拶 ,祝辞 を意味す るが, グループの定例 会合の場 合 は,sambutanが会合のほぼ中心 を占め,講話的な要素が強か ったため, ここで は 「講話」 と訳した。 523

(13)

東 南 ア ジ ア研 究 38巻 4号 表 5 K村 グル ー プ一 覧 (1995年 現 在 ) グルー プ名1) 管轄機 関2)単位3)総数 概 数参加 設立年4) 主たる目的とされた活動など 犬況5)備考6) 村 落評議 会LMD 内務 省 村 1 14 86 村 の決定事項 の協 議 A -開 村 落 -開発 委員会LKMD 内務 省 村 1 35 86 村 の開発事業 の計画 と実施 A 発 村 落 開発委員会作業班 KKLKMD 内務 省 ド 7 70 80S ドゥスンの開発事業の計画と実施 D 棉 村婦 人会PKKDesaAnggota 内務 省 村 1 50 70S 婦人による家庭の福祉向上活動 B 毅 人 婦 人会役 員会PKK DesaPengums内務 省 村 1 30 80S 村 婦 人会役 員た ちの会合 C 活 ドゥス ン婦 人会PKK Dusun 内務 省 ド 7 300 80S ドゥス ンレベ ルの婦 人会組織 C 動 近隣婦人グループDasaWisma 内務省 RT 9 100 80S-婦 人会の末端組織 C 育 午

活 青年 団KarangTaruna 社 会省 村 1 100 70S 青年の社会活動 の推進 A

青年 団 ドゥス ン支部 社会省 ド 3 100 80S ドゥス ンのお ける青年 団活動o A KarangTamnasub-unut 青年 団員の呼 びか けで組織 動 青少年赤 十字PMR 赤十字 村 1 30 90S 赤 十字救急活動(PMⅠ) の指導 に よる A

農 テ ンペ生産者組合 グルー プKelompokKOFrⅠ KOPrⅠ 村 1 10 78 組資金融 資 な どイ ン ドネシア .テ ンペ生産者合 (KOPTⅠ)の一事 業○

B

莱 農民 グループKelompokTani 農業 省 ド 6 250 70S- 農業普及事業 の受 け皿 C 坐 女性 農民 グルー プKelompokTaniWanita 農業 省 ド 4 150 70S-農業普及事業 の受 け皿 C i宇準 産 水利組合 OPPA 農業 省 ド 1 20 80S 潅概用 ポ ンプか らの水 の管理 B 家畜 グループKelompokTernak 社 会省 ド 5 50 88 牛 の飼 育 を通 じた生活 向上 C ・.:買 保 健 母子保健 グループPosyandu 保健 省 ド 7 300 80S 母子保健の改善○幼児 の体 重測 定,栄養補 充 な ど B 開 男性 視聴読者 グルー プ 情報 省 ド 6 300 80S 開発情報の入手,話 し合い, C

栄 KelompencapirBapak 実践

情 女性 視聴 読者 グルー プ 情報 省 ド 1 50 80S- 開発情 報の入手,話 し合 い, C

報 KelompencapirⅠbu 実践

ク 経済事業 ク レジ ッ ト識字 ク レジ ッ トKreditKejarPaketAUED 文化 省教内務 省育 村村 1 2501 50 8687 政府援助 に よる識字教育参者政府援助 に よる貧 困者対象加対象 の ク レジ ッ トク レジ ッ ト DD LL

村 ク レジ ッ トBandes 内務 省 村 1 300 88 村落補助金を利用 したクレジット A L レ ドゥス ンク レジ ッ トBandus 内務 省 ド 7 500 90 村落補助金を利用 したクレジット D L ジ 家族収入向上クレジットUPPK 内務 省 柿 1 50 85 政府援 助 に よる クレン ツ ト婦 人対象 ○ A ツ 家族計画参加者 ク レジ ッ ト BKKBN ド 1 50 88 家族計 画調整 局 (資金 に よる家族計画を加者対BKKBN)の A ト UPPKA 象 ク レジ ッ ト ク 穀倉 ク レジ ッ ト 不 明 ド 1 20 70S 政府指導による農作物の貯蔵貸付○ D L LumbungI-SD 85年から現金の貯蓄 寸に変更 ⅠDTグループ PokmasⅠDT 内務 省 RW 16 480 94 貧 困撲 滅のための ク レジ ッ ト A 襲 貯蓄貸付組合KelompokKoperasi - RW 1 50 70S 住民 に よる貯 蓄貸付活動 親 睦 RW グルーブKelompokRW 内務 省 RW 7 300 80S RW住民による定例会合の開催 B へ転.ち..三.: RT グループ KelompokRr 内務 省 RT 14 300 80S-RT住民 による定例会合の開催 B 村役 人の ア リサ ン 村 1 30 93 村 長 .村役 人夫妻 に よる

トコ-のアリサAhsanPerangkaンArtisantokoh 1 20 90 Dア リサ ンドゥスンに住む トコ-のアリサン

互 「グエ ツブ」のアリサン ArisanGuyub ド 1 40 80S 元サッカーチームによるアリサン 扶 若者 グループSinoman ド 1 25 90 冠婚葬祭の手伝 い 助 子供 たちの ア リサ ン Arisananak2 RW 2 40 90S 子供 た ちに よるア リサ ン 宗 コー ラ ン学習塾TPA 宗教 省 RW 10 400 90 子供 た ちの ための コー ラ ン学 習塾 A 教 コー ラ ン読謂 グルー プPengajian RW 2 60 不明 コー ラ ンの読踊 港 咲 サ ッカーチーム 「ガルーダ伝統芸能 グルー プスポー ウ グルー プ 」Ganlda - 村ド 13 112 3000050 68不明不明 村 のサ ッカーチーム演劇,音楽,踊 りなどのグループバ レー,サ ッカーの グループ 治 自警 団Hansip 内務 省 村 1 35 60S 村 内の治安維持 な ど A 安 夜警 グループ Siskamling 内務 省 RW na na 不 明 各地 区内の夜 間の見回 り D 524

(14)

島上 :ジ ャ ワ農村 にお け る住民 組 織 の イ ンポ リュー シ ョン 表5 出所 :聞 き取 り ・観察か ら筆者作成。 1)活動内容 に最 も近い と思 われる 日本語訳 とともに,村 人が使 っていた イン ドネシア語名称 をローマ字で記 し た。 2)政府や外部機 関の指導 を受 けず,住民の イニ シアテ ィブで組織 された ものは

」 と記 した。 :ち)グループが組織 されている範囲の 目安 を しめ した。 ドゥス ンは 「ド」 と記 したC, 4)西暦の 下_二桁 を表示O設立年がはっき りしない ものは年代, グループが複数あ り設 立年が様 々であるものは 最初に組織 されたグループの年代 を示 した。例えば,70Sは1970年代,70S-は1970年代以降設立 を意味す る0 5-官製 グループの活動状況 を次の ように類別 して記 したo A-主要活動 を実施, B-主要活動 も副次的活動 も 実施

.C

-主要活動 はほ とん どみ られず,副次的活動 に終始,D==活動 自体がほ とん どみ られない,活動継 続が困難。ただ し,同種の グループが複数存在す る場 合は過 半数の グループに共通す る状況 としたc 汁)定例 会合 を実施 しているものは ,ア リサ ン,貯蓄.貯蓄貸付 を実施 しているものはそれぞれ A,S,L と記 した。 表 6 ドゥス ン別 にみ た グルー プ数 世帯 数 官 製 住 民 主 導 計 村 レベ ル Aドゥス ン Bドゥス ン C ドゥス ン D ドゥス ン Eドゥス ン Fドゥス ン G ドゥス ン 計 6 0 4 9 7 2 4 0 3 4 5 1 5 7 4 5 9 1 1 1 1 1 1 2 8 3 7 0 9 4 1 1 1 2 1 2 1 1 出所 :聞 き取 り ・観 察 か ら筆 者 作 成。 全 世 帯 平均 (154) 村 役 人 (2) 公 務員 (14) 商 人 (31) 運転 手 (7) 労 働 者 (58) 農 民 (39) 農 業 労 働 者 (3) 2 4 4 8 2 0 3 2 4 2 7 5 2 9 7 3 1 2 2 2 2 1 1

0

2 4 6 8 10 12 14 16 18 図4 Bドゥス ンの世帯 主 の 巨な生 業 別 にみ た 平均 的 グルー プ参 加数 出所 :聞 き取 り ・観 察 か ら筆 者作 成 (1994年 )。

注:

(

) 内 は, そ れ ぞ れ の世帯 数 で あ る。 公務 員 は軍 人 と退 職 公 務 員 を含 む数 で あ り, 商 人 に は小 商 人 (pedagang)と 自営 業 (Wiraswasta)を含 むし〕農 業労 働 者世 帯 は特 に貧 困世帯 が め だ っ たため,労 働 者世帯 と はわ けて記 載 した。 525

(15)

東南 アジア研究 38巻 4号 表 7 B ドゥス ンに居住す る 3世帯の グループ参加状況 (年齢) 学歴 職 業 参 加 グ ル ー プ 村 祖母長男次女夫秦 (((((46)26)42)171)7) 小′小中ト ドゥス ン長 I」ⅥD,M D,m 5グル - プ,m 6グル ー プ,IIW グ ループ (RW 4),IIyrグループ (RW 5),男性視聴読者 ゲル-プ, 役 農農主中学生業業婦 家畜 グループ,農民 グループ, ドゥスン .クレジッ ト,穀倉 クレ 人 ジツ ト

,

「グエ ツブ」のアリサ ン,杵役人のアリサ ン,伝統芸能 グ C ループ 氏 世 一一肘一 IFFY ドゥスン婦人会,女性視聴読者 グループ,母子保健 グループ 公 務良S 氏世廿'耐 夫 (54) ‥ 情報省 IJロはI),M D,m 3グループ,IIyr グループ (顧問),男 「司 公務員 性視聴読者 グループ

,

「グユ ツブ」のア リサ ン 秦 (43) 長女 (24) 長男 (22) 次女 (18) 小高大高 組合職員主大学 生高校 生婦 婦人会役員会,婦人会, ドゥスン婦人会,母子保健 グループ,女 性視聴読者 グループ,家族計画参加者 クレジッ ト,家族収入向上 クレジッ ト, ドゥスン .クレジッ ト 村青年団 農 衣A 氏 五男七男六男四男秦母夫 (((((((24)5121)54)88)12) 高6)3) 小高中 建設労働建設労働農農小学 生中学生業業 m村青年 団,青年団 ドゥス ン支部,青少年赤十字, ドゥス ン .ク5グループ レジッ ト 出所 :1994-95年のK村での聞 き取 りなどか ら筆者作成。 1)10歳以下の世帯の メンバーはここには含めなかった。 2)ゴシックは政府 (お よび外部機関)の主導,それ以外は住民の主導により組織 されたグループである。 の 妻 が 自動 的 に代 表 とな り, 夫 に代 わ り参 加 して い た 。 官 製 グル ー プの組 織 化 にあ た るの も村 長 ・村 役 人 の 職 務 で あ る。 官 製 グルー プの組織 化 は,過 常 , 各 官 製 グ ル ー プ を管 轄 す る省 庁 の 末 端 の 役 人 か ら村 長 に対 し,村 内 で の グ ル ー プ結 成 の 呼 びか けが な され る形 で始 まる。 呼 びか け を うけ た村 長 は, グル ー プの対 象 者 や 目的 に応 じて , 関 連 分 野 の係 長 や ドゥス ン長 と相 談 し, ドゥス ン長 に対 象 とな る住 民 を集 め る よ う指 示 す る。32)住 民 を集 め た 会 合 に は , 管 轄 省 庁 の役 人 ,村 長 , 関連 分 野 の係 長 , ドゥス ン長 らが 出席 し, 管 轄 省 庁 の役 人 か らグ ル ー プ の 目的 , 期 待 され る活 動 な どが 話 され る。 住 民 が グ ル ー プ結 成 に 「賛 同」す る と,住 民 の 中 か ら役 員 , グル ー プ の名 称 な どが 決 め られ , 結 成 へ とい た る。K村 で は, グ ル ー プ結 成 後 , 管 轄 省 庁 の役 人 が 定例 会 合 に 出席 す る こ とは ほ とん どな く, 結 成 後 の グ ル ー 32)この際, しば しば,既存の グループのメンバーが招集 され,新たなグループが組織 されることがあっ た。例 えば, ドゥス ン婦人会のメ ンバーが招集 され,新たに女性農民 グループが結成 される,農民 グ ループのメンバーが新 たに視聴読者 グループとして組織 される, といった具合である。同様の結成過 程が倉沢 [1998b]で も叙述 されている。 526

(16)

島 ヒ :ジャ ワ農村 にお け る住 民組織 の イ ンポ リュー シ ョン プの監督 ・育成 は,村役 人の手 に任せ られていた。33'

b.

公務 員世帯 村 役 人世帯 につ いで参加 グルー プ数が多いの は,公務 員世帯 であ る。 1世帯平均 11グルー プ に参加 してい る。 例 えば,村 の主要 な トコ-の一 人であ り,情 報 省の県 出先 機 関 に勤 め るS氏 (表

4

参照)世帯 は,計

1

5

グループに参加 してお り,娘が参加 している村青年 団 を除 き,すべ て の グループで役 員 を務 めていた (表 7)。 S氏 は グルー プの定例 会合で常 に,村役 人 とともにあ るいは村役 人に代 わって講話 を し,

S

氏夫 人はほ とん どの グルー プで会計 を担 当 して いた。

S

氏 夫妻 に限 らず,村 内で比較 的学歴が 高 く,様 々な事務仕事 や組織 的活動 に習熟 して い る とい える公務 員 (お よびそ の妻) らは,村 内の過半数 の グルー プにお いて役 職 を担 い, グループの 運営 において主導 的 な役割 をはた していた とい える。34) 公 務 員 に とっ て 居 住 す る村 で の 官 製 グ ル ー プ- の 参 加 は職 務 で は な く, 各 自の 自発 的 (sukarela) な活動 であ る。 で は,何が公務 員世帯 の積極 的 な参加 を促 していたの だろ うか。 そ 会的名誉であ る。

S

氏 は, グループの役 員 を数多 く務めてい る理 由 として

,

「村 の トコ- として 住民 を育成 (membina)す るため」 と語 っていた。筆者 の質問 に対す る教 科書 的答 えであ る側 面 が強か った と して も,K村 内 には,公務 員 は村 の トコ- と して グルー プの役 職 を担 い, 「育 成」 にあた る ものだ とい う共通 の認 識がみ られ た。 そ うい った住民 間の認識 と,村 の 開発 に積 極 的 に参加 す るこ とに よ り,村 の トコ- と してみ な され る こ と- の社 会的名誉 は,公務 員の積 極 的 な参加 を促す契機 と して十分強 い ものであ る ように思 われた。 第二 に,公務 員の勤務評定 の存在で あ る。

K

村住民 を含 む幾 人かの話で は,居住す る村 での積極 的 な社 会参加 は公務 員の 勤務評定 にお いて上司 に よって積極 的 に評価 され る材料 とな り,昇進 ・昇給 に好影響 を 与え う る といわれていた。35'第三 に,親睦の場 としての官製 グループの機能である。 前述 の ように,

K

村 の公務 員世帯 は,転 入世帯 が比較 的多 く,村 の過半数 を しめ る農家世帯 とは所得規模 や生活 感覚 も異 なる とい える。 官製 グルー プ- の参加 は,彼 らが他 の公務 員世帯 や農家世帯 と親睦 を はか り,村 の トコ- として村社 会に定着 してい く上で,貴重 な機 会 となっていた と考 え られ る。 れ るの はK村 内 に組織 され た10の農艮 グルー プ中 2グルー プに限 られて いた。 農 業 普及員 は,K村 を 含 む周辺3村 を担 当 してお り,すべ ての グルー プの定例 会合 に毎 回出席 す る こ とは不可能 であ り, 多 くの育成 ・指 導 は各村 の村 役 人 (経 済 開発係 長) に任 され て い た。 34)公務 員の妻 た ち は,夫 の職場 毎 に 「ダルマ ・ワニ タ」(DharmaWanita)とよばれ る公務 員の 麦た ちの 組織- の参加が義務づ け られてお り,農家世帯 の 女性 よ りも組織 的活動 に習熟 していた と思 われ る。 ま た,前 述 の よ うにK村 の北 部 の4ドゥス ンで グルー プ数が 多 く,南 部 の3ドゥス ンで 少 ない こ とは, ウ オ ノサ リに よ り近 い相 の北 部 には村 の 南部 よ りも,居住す る公務 員数が 多い こ とが 1月 して い る と 考 え られ る。 35)加 藤剛氏 の指摘 を うけ,K村 で幾 人か の住民 に尋 ね た もの であ る。勤 務評 定 の 詳細 は確 認 で きてい な いが,1979年 に決 定 され た勤 務評 定表 には

,

「忠 誠

「勤 務状 況

「責任 感

「誠実性

「協 調性

」廿

事発 性」「指 導性 」 の7つ が 評価 項 目と してあ げ られてい る とい う [土屋 1989]。 527

(17)

東 南 ア ジア研 究 38巻4号 C. 農家世帯 農家世帯 の平均 的 な グルー プ参加 数 は,

3- 5

グルー プ程 度 で あ る。 低 所得 世帯 は参加 数 が 少 ない傾 向 にあ る。 農家世帯 , 中で も低 所 得 世帯 は,村 レベ ルの グルー プ に参加 してい るケ ー ス は ご く稀 で あ り,居 住 す る RT の RT グルー プや , 1994年 に各 RW 毎 に組 織 され た IDT グ ルー プな ど近 隣単位 でかつ比 較 的最 近 にな って組織 され た グルー プ に限 られ る傾 向 にあ った。 しか し, 10代 ∼20代 の青少年 層 をみ てみ る と,農家世帯 の子供 た ちの ほ うが公務 員世帯 の子 供 よ りも,村 内の グルー プ活動 に熱心 な傾 向がみ られ た。 表7にあ げたA氏 世帯 の息子 た ち を は じめ ,青年 団の 中心 的 な メ ンバ ー はほ とん どが農家世帯 の青年 た ちであ った。 スハ ル ト政権 下 の義 務教 育 の推 進 に よ り,農 家世帯 の子供 もそ の ほ とん どが少 な くと も小 学校 を卒業 し,特 に男子 の場 合 は高卒者 も増 えて い る。 に もか か わ らず , そ の多 くが定 職 に就 けて い ない場 合 が 多 い。 中央 レベ ル に までつ らな る組織 を持 ち, しば しば県 ・州 ・中央 レベ ルでの活動 ・研 修 が 実 施 され る青 年 団 の活動 は, 農 家世 帯 の青 年 た ち に とって,生 活 に刺 激 を与 え るだ けで な く, 「青年 団 団員 (あ るい は役 員

)

と して 「中央 (政 府)」 (pusat)に までつ なが る国家 の枠組 の 中 に公 的 に位 置付 け られ,能力 を発揮 で きる機 会 を与 えて くれ る もの と認識 され て いた と考 え ら れ る。36)一方,公務 員世帯 の子供 た ちは,村 内 よ りも村外 での交友 関係 が多 く,彼 らの両親が村 内の グルー プ活動 で指 導 的 な役 割 を果 た して い るの とは対 象 的 に,村 で の活動 に積 極 的 に参加 して い るケース はほ とん どみ られ なか った。 Ⅰト2 K村 にお ける住 民組織 化 の歴 史 表

5

にみ た ように, 1994年段 階で組織 されて い た官 製 グルー プは, 自警 団 (Hansip)37)を除 き,すべ て1970年代 以 降, スハ ル ト政権 下 で組 織 され た もの であ る。 スハ ル ト政権 以前 にK村 で はいか な る グルー プ活動 が み られ, スハ ル ト政権 に よる官 製 グルー プの組織 化 はいか な る歴 史的流 れ の 中 に位 置付 け られ るの か,

K

村 で これ まで に聞 き取 りが可 能 で あ った範 囲で簡単 に 整理 してお きたい。 スハ ル ト政権 下 にお け る住 民組織 化 の意 味 を考察 す る上 で重要 と思 われ る 36)青年団は社会省の管轄下にあ り,大統領夫人,社会大臣,州知事,県長,郡長,村長がそれぞれの レ ベルでの 「育成者」である他,中央,州,県,郡 レベルにそれぞれ 「青年団連絡フォーラム」 (Fomm

KomunikasiKarangTaruna,通称 FKKr)が組織 され,活動の調整 を行っていた.青年団は1970年代 に既 に各地で活動が開始 されているが,1988年の社会大 臣決定通知 (SuratKeputusanMenteri Sosial)第11号によって,活動内容,予算などの詳細が再整備 された。団員の年齢枠は, 7-40歳,役

員は17-40歳 となっている。K村の青年団の中心メンバーは農家の子供たちであったが,団長は,30

代の情報省公務員が担っていた。

37)自警団を管轄 している内務省社会政治総局 (DiljenSospol)が発行 した冊子によると,自警団の歴史 は,オランダ植民地期に組織 された LBD (hlChtBeschermingDienst)まで遡 り,日本軍政期の 「ケ イボ ウ ダ ン」,独 立後 の OPR (OrganisasiPerlawananRakyat)な どを経 て,1962年 の第14号 法 (Undang-undangNo.14)に基づいて発令 された国防治安担 当副大臣決定通知 (SuratKeputusan

WAMPAHANKAN)によって

,

「自警団」 として正式に組織 された。1972年には,大統領決定により国

防治安省か ら内務省の管轄下 となった [DirektoratJenderalSosialPolitik1976] 。

(18)

畠 l二:ジャワ農村における住民組織のインポリューション の は, 日本軍政期 との類似性 と,1965年 の9月30日事 件が村 落社 会 に与 えた衝 撃 の2点 で あ る。 オ ラ ンダ植民 地期 1920年代 に行政村 と して組織 されて以降, オラ ンダ植民地下のK村 で は,住民 の イニ シアテ ィ ブ に よる幾 つ か の芸 能 グルー プが組織 され てい た以外 には, め だ った組織 や グルー プ を確 認す る こ とはで きない 。 ジャ ワ農村 で は,土地 を所 有 して い る世帯 主 が35日お きに集 ま り村 の決 め 事や 問題 を話 し合 う村 会議 (rapatselapanan/rembugdesa),夜 警活動 (ronda),38)冠婚 葬祭 な どにお いて互助 を行 う若者組 (sinoman)な どが独立以前 か ら組織 されて いた といわれ るが,K 村 にお け る実施状 況 につ いて は具体 的 に確 認す る こ とが で きなか った。 日本軍政期 日本軍政期 には,

K

村 で も 「フジ ンカイ

「トナ リグ ミ

「ケ イボ ウ ダ ン」が組織 され た。39)秤 長 が組織 化 の責任 を負 い, フ ジ ンカ ィ, ケ イボ ウ ダ ンは村 レベ ルに, トナ リグ ミは村 内 の1 0-20世帯 毎 に組 織 され た。 日本 軍政期 に導 入 され た これ らの グル ー プの組織構 成や住民 の動 員手 法 に は,倉 沢 が 指摘 して い る よ うに, スハ ル ト期 と酷 似 して い る点 が 数 多 くみ られ る [倉 沢 1998a;1998b]。 K村 で は, フジ ンカ イの活動 の一つ として,政府 に よ り簡易紡績機が導 入 され, 婦 人た ちが紡 績 の仕事 にあた る よ う指 導 ・動 員 され た とい う。 当時 の村 役 人の息 子 で あ ったW 氏 は,県 で実 施 され たセ イネ ンダ ンや ケ イボ ウ ダ ンの訓練 (主 と して軍事 訓練 ) に幾 度 か招 集 され, 訓練 を うけた内容 を村 に持 ちか え り,村 の青年 層の リー ダー と して青年 た ちの訓練 にあ たった と話 していた。40)軍政期 は,短期 間であ る とはい え, スハ ル ト政権 にいた る まで のK村 の 歴 史の 中で ,最 も末端 まで組織 化 が進 め られ た時期 だ とい え る。 独 立後 , フ ジ ンカ ィ, ケ イボ ウ ダ ン, セ イネ ンダ ンは解散 され, トナ リグ ミは

R

T と して存続 す る こ ととなった。41) ス ル タンに よる村 落再 編 成 1945年の独 立宣言 後 , ジ ョクジ ャカル タ特 別州 で は,州 の首長 であ る ス リ ・スル タン ・ハ ム ンク ・ブ ウ オノ9世 (SriSultanHamengkuBuwonoⅨ) の イニ シアテ ィブに よ り,大規模 な村

38)夜警活動は,スハル ト政権により夜警システム (siskamling)として制度化 された。 39)日本軍政 卜の警防団,隣組については倉沢 [1992]参照。 40)青年榊は県 レベルに組織 されていた。軍政下の青年団についても倉沢 [1992]を参照。 41)軍政下,ジョクジャカルタ王侯政庁の官吏であったセロスマルジャン (Selosoemardjan)の伝記によ れば,ジョクジャカルタt侯領では, トナリグ ミは,日本軍政により正式に組織 される以前に,1943 年10月に日本-の視察旅行から帰国した王侯政庁のパテイー (副県長)から組織化の提案がなされ,ス ルタンの命により,セロスマルジャンが組織化の任にあたることになったのだ という [Yusra1995: 134-138]。その後,1944年1FJllHに, トナ])グミは,軍政当局によりジャワ島全域に組織 される旨, ll:_式発表された [倉沢1992:243]。 529

(19)

東南 ア ジア研 究 38巻4早

落行 政 の再編 が次 々 と実施 され た。42)いず れ も行 政村 の 自治 の強化 を 目的 とす る もので,行政村

の合 併 ,村 長 ・村 役 人の再 編 が行 わ れ た他 ,村 レベ ル に も上 位 政府 の機構 と同様 , そ の立法機 関 と して 「村 民代 表 議 会」 (DewanPenvakilanRakyatKalurahan,略称 DPRK) と 「村 落最 高 議 会」 (MadjelisPermusjawaratanDesa,略称 MPD)が組織 され た.43)しか し, この時期 , こ

れ らの村 政機構 の整備 以外 には,RT の再編 を除 い て, 日本 軍政 下 でみ られ た よ うな住 民 の組 織 化 はみ られ ない。 1950年 代 に な る と, 政府 の指 導 に よ り,村 内で協 同組 合 の組 織化 が 進 め られ た。 当時 の村 の経 済繁 栄係 長 (KepalaBagianKemakmuran)だった N氏 は,当時最 も忙 しか っ

た仕事 は,

K

村 にお け る協 同組合 の設立 だった と回想 してい た。 しか し,協 同組合 はその後 ,共 産 党 の影響 下 に入 り, 1965年 に は解 散 され た とい う。 政 党 の興 隆 1950年代 半 ば頃か ら1965年 にい た る まで村 内 で盛 ん とな ったのが ,政 党 に よる住 民 の組織 化 で あ る。 1955年 の総選挙 に向け,農村 部 にお いて も政 党活動 が活発化 しは じめ たためで あ る。44) ジ ョク ジ ャ カル タ特 別州 で は,1950年代 ,共 産 党が躍 進 し,特 に グヌ ン ・キ ドウル県 で は共産 党 が 1957年 の 県 議 会 選 挙 で過 半 数 (35席 中 19席 ) を獲 得 した。45) セ ロス マ ル ジ ャ ンは, グヌ ン ・キ ドウル県 にお い て共 産 党が力 を持 って い た理 由の一 つ と して,共 産党 が グヌ ン ・キ ドウ ル県 内の村 長 ・村 役 人 の80% を組織 して い る 「イ ン ドネ シア村 役 人協 会」 (PersatuanPamong Desalndonesia)の代 表 の支持 を と りつ け るこ とに成功 し

,

「あ りうる最 少 の努力 で,組織 的か つ 影響 力 を持 つ大 衆 支持 を得 た」 こ とをあ げ て い る [Selosoemardjan1962:154]。 K村 にお い

て も, 当時 の村 長 ,社 会係 長 (KepalaBagianSosial) お よび3人 の ドゥクー長 (現在 の ドゥス ン長 ) が 共 産 党支持 者 であ ったが ,大 衆 支持 の拡 大 が彼 らを通 じいか に はか られ たのか は,確 42)1945年12月か ら1948年にかけて,村落再編を目的 とした様々な告知,指示 (Petunjuk)が次々と出さ れている。各告知,指示に関 してはProdjosoegardo [1950]参照。当時の村落再編状況については Seloseomardjan [1962:87-99]参照。 43)DPRKは村に居住する世帯主によって選出された10-30名か らなる村民代表からな り,村の規則を作る 立法機関 (BadanLegislatif)として組織 されたoMPD は 5-10世帯に一人の割合で選ばれた世帯主 代表から構成され,DPRKで話し合われた計画や決定を公認 (mengabsahkan)する機関として組織さ れた。村長 ・村役人は,DPRKのメンバーや MPDの役員を兼務で きず

,

「立法」 と 「行政」の分離 がはか られた。DPRK,MPD の設置については Prodjosoegardo[1950:211-212,216,224],Rqjani [1972:49-51]参照。 44)当時の政党活動については,スハル ト政権下,国家に反逆する団体 として厳 しく禁 じられていた共産 党に触れることになるため,聞 き取 りが非常に難 しい話題であった。その点で,1958年のフィール ド 調査に基づ き,当時のジョクジャカルタの社会と政党活動に触れているSeloseomardjan [1962:16 4-212]は非常に参考になる。セロスマルジャンによれば,ジョクジャカルタ特別州では,独立宣言直後 か ら政党が農村部への拡大に努めていたが,1955年選挙にいたるまでは,政党の地方支部には代表 と 数人の役員がいるだけで,活動 も党員 もない 「胴体のない眠った頭」のような状態にあったという。 45) ジョクジャカルタ特別州における1957年の州議会選挙では,共産党は45議席中14議席を獲得 して第 1 党になった。ジョクジャカルタ特別州の州議会,および州内の 1市4県の全議会を合計 しても,207議 席中64議席で共産党が第1党であった [Seloseomardjan1962:154,185-186] 。 530

参照

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