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日本の国会議事録にみる「金大中内乱陰謀事件」と日韓関係

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キーワード:日韓関係,金大中拉致事件,金大中内乱陰謀事件

Ⅰ.はじめに

 国交正常化された1965年以降の朴正煕政権 時代の日韓関係は,いくつかの外交問題を内 包しつつも政府間の水面下の交渉による決着 方式を通し「早期解決」に向かったことが 多々あり,一見友好的に見えていた。坂本義 一も指摘したように「反共親韓的で親軍事政 権的な日韓友好」1の性格が強かった時代だっ たのである。そうした両国関係のなかで,非 民主的な軍事政権のもとに無視されてきた人 権弾圧問題や民主化を求める韓国民衆の存在 などが日本社会にも広く知られるきっかけと なったのが,1973年の「金大中拉致事件」2

日本の国会議事録にみる「金大中内乱陰謀事件」と日韓関係

鄭   根 珠

目次 (承前) Ⅰ.はじめに Ⅱ.事件の概要 Ⅲ.政府および国会の対応 1.10・26事態以降5・17クー デタ以前 2.5・17クーデタ以後の国 会内の諸議論 Ⅳ.おわりに [要旨]  1980年の「金大中内乱陰謀事件」は,朴正煕大統領死後,全斗煥新軍 部勢力によりでっち上げられた韓国の政治的事件である。しかし,日本国 内で救命運動が全国的に展開され,国会でも同問題について議論された。 本稿では,日本の国会議事録を通して同事件に対する政府・与党と野党の 認識および対応を分析することで,朴正煕大統領暗殺事件後から全斗煥新 軍部政権樹立期における日本の対韓認識および日韓関係の実情について考 察した。  国会においては,同事件の訴因の一つに1973年の「金大中拉致事件」の 際に行われた日韓外交決着に関わる内容があったことから,野党側から日 本政府の責任が問われた。  日本政府の基本認識は,1973年の「拉致事件」は決着済みであり,「内 乱陰謀事件」は韓国国内問題であるということであった。一方,野党側は 同事件を「拉致事件」の延長線上として捉え,金大中の原状回復や対韓 政策の見直しを主張した。  国会内議論からは,当時の日韓両政府間の癒着的な関係や軍事独裁政権 への黙認問題が指摘されると共に,韓国の非民主的体制や抵抗する韓国民 衆の存在などがより浮き彫りになった。 であった。また同事件は,冷戦時代における 陣営論理により片づけられてきたそれまでの 癒着的な両国関係および日本政府の対韓政策 全般の問題点が浮き彫りになるきっかけにも なった。さらに1980年の「金大中内乱陰謀事 件」後は,日本社会で同氏への救命運動が全 国的に広まるなど高い関心があらわれた。  このように現代日韓関係史において金大中 および同氏関連の事件は,外交史的にも対韓 認識の面においても大きなインパクトを与え た事件として一定の意味を持つ。しかし,韓 国ではイデオロギー的・政治的要素が強く内 在しているテーマとして,学術的な研究はタ ブー視されてきた傾向がある。また,日本で

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は関連文献の多くがジャーナリスティックな 評論・書物,もしくは市民運動関連文献が占 めてきた。ただ,近年同氏に対する客観的な 評価が行われており,とりわけ同氏の死後, 日韓両国の研究者により『金大中と韓日関係 ─民主主義と平和の韓日現代史』(延世大学 金大中図書館,韓国,2013年)が出版された。 筆者は同書の第7章「『金大中内乱陰謀事件』 と日本社会の対応:救命運動を中心に」を担 当した。具体的には1973年の「拉致事件」を 機に結成された市民および知識人が中心と なった日韓連帯グループ,キリスト者グルー プ,総評,在日韓国人団体である韓国民主回 復統一促進国民会議日本本部(韓民統)など の救命運動の実態を通して分析した。同稿の 中で日本政府の全般的な反応について若干触 れてはいるが,日本の国会で具体的にどのよ うに議論されたのかについては述べていない。  したがって本稿では,国会議事録を通して 1980年の「金大中内乱陰謀事件」に対する日 本の政府・与党および野党の認識とその対応 を分析する。同作業を通し朴正煕大統領暗殺 事件後から全斗煥新軍部政権樹立期における 日本の対韓認識および日韓関係の実情につい て考察したい。対象となる議事録は,朴正煕 大統領の暗殺事件が起き韓国情勢が急変した 1979年10月から金大中の死刑確定が無期懲役 に減刑された1981年1月までの衆・参国会議 事録とする。

Ⅱ.事件の概要

 「金大中内乱陰謀事件」とは,1979年に起 きた朴正煕大統領の暗殺事件(10・26事態)後, 政権を掌握するためクーデタを起こした全斗 煥新軍部勢力によってでっち上げられた事件 である。金大中は,北朝鮮の指示を受け民衆 を扇動し光州民主化運動を主導したとされ逮 捕された。全斗煥新軍部によって12月12日に 続き1980年5月17日に2回目のクーデタが起 き,18日に戒厳令が全国に拡大して金大中ら 24名が逮捕された。金大中は,内乱陰謀,内 乱扇動,戒厳法違反,国家保安法違反,反共 法違反,為替管理法違反の嫌疑で陸軍本部戒 厳普通軍法会議に拘束,起訴された。戒厳司 令部が主張した金への嫌疑のうち,注目すべ き点は次の2点である。  第一は,金大中が「民主化の名分で学生た ちを扇動,騒擾化させて政府を暴力で転覆し, 執権しようとする」といった内乱陰謀,内乱扇 動にかかわる内容である。しかし,このことを 裏付ける証拠はなく,むしろ金大中は5月13日 から15日にかけて全国的に学生デモがピーク に達すると,学生と労働者に社会秩序の維持 のためデモを自制するよう訴えていた3 。  第二は,「海外滞在中,『北』の主張に同調・ 迎合する発言をためらうことなく恣行した」 とし,「反国家団体構成および首謀者」とし て指摘された嫌疑である。同嫌疑は国家保安 法違反,反共法違反に該当するもので,金大 中と韓民統の関係をその口実としている。す なわち,金大中が日本で韓民統を結成したう え,その議長の就任を承諾し「容共勢力」と 結託したとのことを指す。このことについて 金大中は,韓民統結成前に日本で拉致されて おり,議長職も受諾したこともないと嫌疑を 否認した。  このように新軍部側の発表は一切根拠のな い主張であっただけでなく,1973年の拉致事 件の際の日韓両国間の政治決着にも違反する 行為であった。同年11月の第一次外交決着の 際に日韓両政府は,「日本滞在中の言動の責 任は問わない」と合意したのである。  金大中の逮捕およびその罪名について当時 一緒に逮捕された弁護士の韓勝憲4 は,「全斗 煥などの新軍部にとって政権奪取の最大の障 害となる金大中氏を除去することが目的」で あったと主張する。同氏は「死刑執行のため」, 「内乱陰謀も大きい犯罪だが,この罪名だけ では死刑を宣告できないので,国家保安法上

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の反国家団体構成および首謀者に絡んでおい た」5 と説明している。  金大中の軍法会議への起訴が発表され,9 月17日,韓民統日本本部議長であることを理 由とする国家保安法第1条の適用により,韓 国普通軍法会議は求刑通り死刑判決を下し た。控訴するも棄却され1981年1月23日に大 法院は死刑を確定したが,直後に開かれた臨 時閣議によって無期懲役への減刑が決定され た。減刑の理由として次のような点が挙げら れた。①友好国などから人道的見地による寛 容を訴える意見があった。②金大中自身が国 民に謝罪し,善処を求める嘆願書を提出した。 ③この事件が旧時代の政治の悲しい遺産であ り,新発足した第五共和国の序章を汚す必要 がない6 。その後金大中は,3月の全斗煥の 大統領就任後に懲役20年に減刑され,82年12 月13日には刑執行が停止し米国へ強制亡命さ せられた。  死刑確定からの減刑には,レーガンと全斗 煥との取引が成立したことが大きく働いたと の見方が強い。すなわち,前年度の12月に世 界銀行の韓国への融資の延長が決まったと報 道されたことから,死刑は免れるだろうと推 測された7。そしてもう一つ,無期懲役への 減刑理由にも挙げられているように,とりわ け日米において救命を求める政界および市民 の様々な声は,その世論形成に少なからず影 響を及ぼしたと言えよう。

Ⅲ.政府および国会の対応

1.10・26事態以降5・17クーデタ以前  日本の国会内議論の諸形態については,金 大中が逮捕される新軍部の5・17クーデタ以 前と以後に分けられる。意外なことに逮捕前 にも同氏に関する議論が国会で行われたが, 主に1973年の「拉致事件」の処理の問題や急 変する韓国国内事情に対する内容であった。  10・26事態以降,韓国および金大中の状況 に関する議論が最初に行われたのは,1979年 11月13日の参議院外務委員会であった。まず その内容は,次のように野党側が1973年の「拉 致事件」に対し政治決着をした対応方式に不 満をあらわし,朴正熙政権の民主化運動家へ の抑圧に「手を貸した」日本政府の責任を問 うものであった。田中寿美子(社会党)議員 は1979年11月13日の参議院外務委員会で,「民 衆を弾圧していることに対する怒り,民主主 義の要求」があるのに,「金大中事件に関連 して」「政治決着をしてしまって,金大中さ んが政治的活動を拘束され自由を奪われるこ とに日本は手をかしている」と批判した。そ して同氏は日本政府が「民主的な人々の抑圧 に手をかしてきたということについて私は重 大な責任がある」と唱え,政府の対応は「全 く主体性がなくて,朴政権の言うなりの対応 をしてきた[ママ]」とし,そうした「態度を 改める必要がある」と促した。  さらに議論の争点となったのは,金大中の 「原状回復」の問題であった。「原状回復」の 問題とは,同氏が日本から韓国に拉致された 1973年の金大中事件に関する解決論議におい て,同問題の真の解決のためには東京に同氏 を戻す,すなわち拉致される前の状態に回復 させるという主張である。事件発生から当時 の国会においても同問題の解決に向けて最も 根本的な前提条件として,市民運動側や一部 の与党および野党議員が要求していた点であ る。榊利夫(共産党)議員は12月14日の衆議 院外務委員会で,同事件が「韓国の公権力, すなわち KCIA の犯行であったことは,もう すでに明白」になったとし,「原状回復につ いては非常に消極的であった」日本政府の姿 勢を批判したうえで,政治決着の見直しを主 張した。  こうした批判に対し,同委員会で柳谷謙介 外務省アジア局長は,依然として「わが国の 主権侵害が韓国によって行われた」と「断定 するには至っていないという立場」であり,

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「自己の意思で出国し」「日本に来日すること については何ら異存がない」という内容の政 府見解を繰り返した。  他にもこの時期の国会では拉致事件に関す る言及および議論が多々見られ,朴正熙政権 の終焉を機に同事件に対する日本政府の対応 過程および日韓政治決着の問題点が再度浮き 彫りになったことが分かる。  次に10・26事態を通して韓国国民の民主化 への熱望に再び関心をあらわした点があげら れる。田中寿美子(社会党)議員は前述の委 員会において,政府側の韓国情勢の報告に関 する質疑に次のように述べ,10・26事態の背 景として民主勢力の存在を取り上げている。  「民衆の蜂起が予想されていた,民主勢力 ですね,いままでの本当に独裁政権に対して 非常に大きな不満が国民の中に起こってい た」。「いままでは朴大統領側の意見をその まま受け入れ,そのまま報道して」いたが, 10・26の背景の中には,「人権抑圧とか非民 主的な政治に対する不満とか,あるいは経済 問題に対する不満とかいうものが大きく燃え 上がった」。  こうした田中議員の質疑に対し柳谷謙介外 務省アジア局長は,「基本的には,第三国の 内政問題」であるとし,具体的なコメントは 控えると答弁している。  以上のように5・17クーデタ以前の国会議 論からは,1973年の金大中事件を機に浮き彫 りになった朴正煕政権時代における政府間の 蜜月的な日韓関係の断面がうかがえると同時 に,こうした関係性が同問題の根本的な解決 を阻害していた要因の一つであったことが垣 間見れる。また,韓国の民主勢力の存在およ び非民主的な内情についての認識が同事件を 機に広まったことが分かる。 2.5・17クーデタ以後の国会内の諸議論 (1)政府の立場  光州民衆抗争および「金大中内乱陰謀事 件」について初めて国会で取り上げられたの は,1980年8月12日の参議院内閣委員会で あった。伊東正義外務大臣や木内昭胤外務省 アジア局長の次の発言のように同事件を見る 日本政府の姿勢は,「厳しい情勢」であると 認識しながらも「韓国の国内の問題」である とし,「見守る」,「慎重に対処」するという 態度で一貫した。ただ,次のように述べ金大 中問題への関心をあらわしている。「金大中 氏につきましては,過去において二度の政治 決着をやったわけでございます。そういうこ とがあり,政治的には決着はしているが,日 本の国民は金大中氏という人について特に関 心を持っておる」。「角をためて牛を殺すよう な事態にならぬように,この事態が平穏裏に 何とか進んでいって,経済的にも社会的にも 政治的にも安定していくということになるこ とが望ましいということで見守っておる」。  政府側の基本的な立場は,同問題を韓国国 内問題として認識した一方,金大中個人への 国内における高い関心を意識し見守る姿勢を あらわしていたと言える。 (2)政府の対応に対する国会内の批判  前述のような政府の対応に批判的な姿勢は 主に野党側からあらわれたが,その主な内容 として次の4点があげられる。  第1に,同問題への消極的かつ生ぬるい対 応に対する批判である。矢田部理(社会党) 議員は前述の参議院内閣委員会で,対韓政策 の不変や対韓円借款の合意など「日本政府全 体の対応は,他の諸外国に比してかなり緩い, 弱い」と指摘した。同時に日本政府が「抽象 的な反応しかしていない」とし,「具体的な 措置を示唆しながら,金大中氏救出のための」 「努力を直接間接すべきではないか」と促し た。これに対し伊東正義外務大臣は,「朝鮮 半島の平和というのは,本当に日本としては 希望するところでございますので,その一環 として,日韓関係というものを円滑にしてお

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くということが大切だという基本的な立場」 があると答弁している。  第2は,「韓国政策は不変」という政府側 の立場について,1980年8月27日の衆議院法 務委員会で野党側が指摘した所謂「日韓癒着」 問題である。矢田部理議員は「日韓癒着等が 背後にあって韓国に厳しく物を言うことがで きないのではないか」という「憶測」を生む と批判した。  第3は,韓国新軍部政権への「暗黙的な支 持」があるとの批判である。同議員は,全斗 換[ママ]政権を間接的に容認すると,「軍事 ファッショみたいなもの」に「てこ入れをす るというふうにとられても仕方がないような 弱腰が見られる」と指摘している。他にも「ま だ誕生もしていない政権に全面的に協力す る」(玉城栄一,共産党議員),「日本政府の 韓国政府に対してとっておる態度に対して非 常に不満と憤りを感ぜざるを得ない」(横山利 秋,社会党議員)と全斗煥政権に対する政府 の友好的な姿勢について批判が相次いだ。  第4は,「反国家団体構成および首謀者」 の嫌疑で逮捕されたことについて,金大中の 「日本滞在中の言動の責任は問わない」とい う1973年の「拉致事件」に関する日韓両政府 間の外交決着の内容に反していることへの批 判である。河上民雄(社会党)議員は8月19 日の衆議院外務委員会で,「政治決着という ものが事実上破られておるということを日本 政府はもっと重大に考えなければいけない」 とし,「遺憾の意を表明すべき」であると主 張した。この点に対して同委員会で政府側 は,基本的に韓国の国内問題であるとの認識 の下,日本政府としては異議を唱えないとの 姿勢をあらわした。次のような伊東外務相の 発言からもそのような認識がうかがえる。  「韓国側からは,日本滞在中の行動は背景 説明ということで直接の訴因ではないという 公式的な説明があったわけでございまして, あの訴因をどう考えるかというのは,有権的 に考えるのは韓国側でございますので,われ われとしましては韓国側の説明を了として, これについて特に意見を言うということはし ておらぬというのが現状でございます」。「起 訴状の有権的な解釈,これは私どもがするの ではなくて向こうがするのでございますの で,その釈明を私どもは承っておるというの がいまの実情でございます」。  こうした解釈により日本政府は「政治決着 には違反しない」との立場を貫き,野党側か らは「非常に矛盾」しているとの批判を受け た。河上議員は政府の矛盾した態度として「金 大中氏の身柄についてはやはり事前の報告が なかったということについて絶えず遺憾の意 を表している」ことを指摘した。同議員は「ま だ裁判もやってないうちから金大中氏の政治 的生命は絶たれたというような情勢報告」を 受けていることをあげ,「内政干渉にならぬ ようにということを一方で言いながら,現実 には全斗煥体制へ一歩一歩その成り行きをサ ポートしているという印象が非常に強い」と 痛烈に批判した。 (3)「内乱陰謀事件」に対する認識  国会議論を通してあらわれた同事件に対す る基本的な認識は次の3つにまとめられる。  第1は,与野党両方の発言からも分かるよ うに,「内乱陰謀事件」は「拉致事件」の延 長線上にあるとの認識が大半を占めた。8月 19日の衆議院外務委員会で石井一(自民党) 議員は,「金大中氏が死刑になるということ も想定できる現況で,これは非常に重大な問 題であり」,「これはやはり例の拉致事件の政 治決着ということから,その後両国の関係に 非常に微妙な影を残したまま今日に移ってき ておる」と述べている。玉城栄一(公明党) 議員も政治決着が「わが国の主権あるいは国 益に重大な侵害を及ぼした,いわゆる原状回 復もせぬままにそういう形になった一つの決 着をつけた日本政府にも大きな責任がある」

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とし,政治決着を「根本から見直す必要があ る」と指摘した。  こうした与野党からの拉致事件の処理過程 に起因する内乱陰謀事件の責任の指摘があ り,日韓関係への影響を問う質疑に伊東正義 外務相は,日本国民は「金大中という人の身 辺については特別な関心を持っている」,「韓 国でも十分日本の国民感情を配慮してもらい たい」とのことを韓国政府側に伝えたとし, 「日韓関係にひびの入るようなことにならな いことを希望する」との答弁を終始強調しつ づけた。  朴正熙政権の終焉を機に「拉致事件」に対 する日本政府の対応過程が再度浮き彫りにな り,「内乱陰謀事件」への責任が問われる格 好となった。繰り返される「拉致事件」に関 する質疑に伊東外務相が同委員会で次のよう に述べ,当時の事件及び政治決着について釈 然としないと感じながら「解決」に臨んだこ とをこぼした場面もあった。  「私どもからすれば,これはいろんなこと がもっと解明されるということもあるのかな ということをあの段階では実は見ておりまし たが,ああいう政治決着で終わったというこ とは,両国にとりまして,もうあの事件につ きましては,これは本当に好ましいことでは なかったという気持ちは,私,率直にあの当 時あったと思います。ただ,両国の関係者が, これはひとつ雇い立場に立って,向こうから も総理が陳謝に来るというようなことで決着 をしたということでございますので,いまと かくあのことにつきましては批判はしたくな い,こういうふうに考えております」。  さらに8月12日の参議院内閣委員会におけ る伊東外務相8の次のような発言からは,日 本政府側が同問題の日本との関わりについて 認識しており,その深刻性を熟知していたこ とがうかがえる。「死刑というようなことが 起これば,いろいろ世論の声も出てくるだろ うし,いろんなむずかしい問題が起こってく るんではないかと,そして政治決着を見直し しろというような声も中には起こってくるか もしらぬと,そういう可能性も出てくるよう なほどむずかしい問題なんだと,この問題は。 日韓関係の間でひびが入るような問題になり かねないので,この問題は韓国側の国内問題 だから内政干渉はしないけれども,金大中氏 の身辺については慎重にひとつ考えてもらい たい,日本としては重大な関心がある」。  したがって,金大中に対する日本国民の「関 心の表明」,「韓国内の国内問題」,「裁判の推 移を見て」という政府側の答弁および対応は, 「金大中氏の身柄について責任のある政府と して」「これだけでは日本政府としては済ま ない問題」であり,「金大中氏への日本政府 の責任を免れるということはできない」と野 党側から批判された9 。さらに中路雅弘(共 産党)議員は,「政治決着を見直し,原状回 復を実現していくということが」「この問題 の最大の解決の出発になる」と唱えた。  一方,8月19日の衆議院外務委員で伊東外 務相は「万一裁判の結果死刑というようなこ とになると」,「見直しの問題で」,「経済協力 の問題」など,「むずかしい議論が出てくる だろう,日韓関係にひびが入るというような ことを私は恐れるのだということを,実は須 之部大使に私の意見を言いまして,向こうに 伝えてもらったわけでございます」と明かし ている。  こうした議論からすると,1980年の「内 乱陰謀事件」による金大中の生命の危機は, 1973年の「拉致事件」への日本政府の対応お よび処理過程の曖昧さから一因するとの見解 が大半を占めており,万が一にでも同氏が死 刑になった場合,日本政府側の責任が糾弾さ れることを憂慮していたと考えられる。  第2は,「内乱陰謀事件」が日韓両国の民 主主義にとって重要な問題であるとの認識で ある。河上民雄(社会党)議員は同委員会で 次のように述べ,両国の民主主義と韓国の真

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の政治的安定を訴えた。  「金大中氏に対する軍事裁判というのは韓 国の民主主義にとっても非常に重要な問題で あると同時に,やはり日本の民主主義にとっ ても非常に重要な問題ではないか,私はそう 思っておるのでございます」。「韓国のいわゆ る安定を優先させる,したがって独裁もやむ を得ないと容認するという立場がございます が,もう一つはやはり人権あるいは民主化と いうものを優先させることの方が本当の意味 での韓国の政治的安定に寄与するんだという 考え方,そしてそれに隣国として協力すべき である」。  さらに,同議員が「韓国が弱体化すること は日本の国益から望ましくない」,「韓国を一 つの反共防波堤」とみる考え方について,伊 東外務相は「朝鮮半島の安定」は日本の平和 安定にとって「非常に重要な問題」であり,「日 本は南側を承認をしている」ので「南側がちゃ んとしっかりしてもらわなければ困る」との 見解を示した。  第3は,起訴状に記された「海外における 転覆活動」の部分が訴因ではなく背景説明で あるとの韓国側の説明に対し,疑問視する認 識である。8月27日の衆議院法務委員会で横 山利秋(社会党)議員は,「いわゆる背景説 明の中で,訴因に当たるようなことをくどく どと犯罪事実のように説明しておるのではな いか」と批判し,国家保安法違反と「拉致事 件」の政治決着時の了解事項の非整合性を指 摘した。 (4)死刑判決について  死刑判決が報道されると,同判決の不当性 や不透明さ,そして日本政府の責任に対する 批判が相次いだ。9月25日の参議院決算委員 会で小山一平(社会党)議員は,「この極刑 判決は正常とはとても考えられません」とし, 「きわめて遺憾な事態」であると述べた。同 議員は「日本政府の二回にわたる政治決着が 深いかかわり合いを持っている」ことに触れ, 死刑判決は「日韓関係を悪化させるきわめて 憂慮すべき重大性を帯びており」,「わが国内 外を問わず,広く共通的にきわめて不透明で 疑問の多い裁判である」と強調した。  死刑判決は「海外での言動は問わない」と の政治決着に抵触しており,「矛盾撞着」の 判決であるとの小山議員の指摘に,宮澤喜一 官房長官(外務大臣代理)は,「そのような 考慮が起訴においても,判決においてもなさ れたというふうに私ども理解をいたしており ます」とし,「政治決着に背反するものでは ない」との既存の見解を述べている。  小山議員はさらに次のように,死刑判決に おける日本政府の責任を問うた。「金大中氏が 現在のような過酷な,非道な運命をたどるこ とになったのは,拉致事件とこれら政治決着 が不可分にかかわっております。責任はきわ めて重大です」。こうした指摘に政府側の見 解は相変わらず,「拉致事件」への韓国公権 力の介入は明確ではないとの答弁であった。  田英夫元議員は近年のインタビューで当時 の状況について,「日本政府は見てみぬふりを していましたよ,意見言わないでしょう」10 と 証言している。 (5)減刑措置後  無期懲役および懲役20年への減刑措置後の 国会内における議論は,日本政府の全斗煥政 権の容認および「協力関係」への批判,そし て継続して金大中の釈放および原状回復を主 張する野党側と韓国政府の減刑措置を評価す る政府側の見解が多くみられる。  飛鳥田一雄(社会党)委員長は1981年1月 28日の衆議院本会議で次のように述べ,全斗 煥新軍部勢力への黙認,金大中問題の曖昧な 処理について日本政府を批判している。「自 民党政府は,韓国の全斗煥軍事体制を是認 し」,「金大中氏事件の二度にわたる政治決着 によって,その軍事政権を勇気づけてきまし

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た」。「金大中氏に対する助命措置をてこにし て」,「約百九十億円の対韓借款の凍結解除を 初め,韓国政府との正常化を行おうとしてい ると伝えられています。しかし,いま日本が アジアの平和,民主主義の確立のためになす べきことは,金大中氏の無条件釈放,政治的 自由の確保,原状回復に努めることではない でしょうか」。  また,1月29日の衆議院本会議で松本善明 (共産党)議員は,金大中問題をすなわち日 本の主権や人権問題として捉え,韓国政府へ の微温的な対応を批判している。同議員は鈴 木善幸首相が「金大中氏が日本での行動が問 われて無期懲役という重刑になったことを不 当とは全く思わない」のかと問いかけ,1973 年の「拉致事件」時に日本の主権と人権が侵 害されたままであると指摘している。そのう え次のように述べ,問題認識の是非を問うて いる。「この重刑に抗議せず,判決文さえ手 に入れずにこれを容認することは,わが国の 主権や人権よりも,人権を抑圧する全斗換[マ マ]政権との友好関係や,米日韓の軍事同盟 関係の発展を優先させているとしか考えられ ません」。  瀬谷英行(社会党)議員も同日の参議院本 会議で,金大中が死刑から減刑されたのは「世 界的な世論の厳しい監視があったから」であ るとし,「見て見ないふりをするような及び 腰の姿勢を見せた日本政府は深く反省をすべ き」であると強く批判した。そして金大中の 自由が確認できるまで,「対韓借款の凍結解 除などを急ぐべきではありません」と経済協 力優先政策への反対を唱えている。  こうした野党側の批判に対し鈴木善幸首相 は同会議で,韓国大法院の金大中への判決を 「日韓友好協力関係の促進に資するものと高 く評価」しているとし,全く異なる見解を表 明している。また,「政府といたしましては, これによって憂慮すべき事態は避けること ができたものと受けとめており,これ以上の 言及は差し控えたい」としたうえで,同問題 は「基本的に韓国の国内問題であり」,「今後 とも円滑な日韓関係の維持に努めてまいる所 存」であるとの既存の立場を貫いた。

Ⅳ.おわりに

 事件が起きる前からこれほど一人の韓国政 治家の問題を中心とした論議が,日本の国会 において展開された背景には以下の4点があ げあれる。第1に「内乱陰謀事件」が1973年 の「拉致事件」の延長線上にあり日本との関 わりがあったこと,第2は同事件が人権問題 と民主主義という普遍的な価値に関わる問題 であったこと,第3は「拉致事件」の時から 続いたセンセーショナルなマスコミ報道によ り同氏への日本国内の関心が高かったこと, 第4は日本の市民・知識人の救命運動が全国 的に広まったことである。  1980年の「金大中内乱陰謀事件」について の国会内議論から見られた日本政府の見解 は,1973年の「拉致事件」は決着済みであり, 「内乱陰謀事件」は韓国国内問題であるとい うのが基本認識であった。そのため韓国政府 の対処を見守りつつ静観するとの姿勢を貫い たのである。ただ,金大中救命問題への緊急 性や国内外における高い関心について認識し ており,慎重に対処していた面もあったと思 われる。  一方,野党側と一部の与党議員は同問題を 1973年の「拉致問題」の延長線上として捉え た。争点の根源は日本の主権侵害および金大 中の人権問題にあるとの見方である。した がって,解決方法として金大中の原状回復や 対韓政策の見直しを主張した。とりわけ野党 側からは,判決の不当性や救命問題に対する 日本政府の消極的姿勢,軍事独裁政権への黙 認,ひいては日韓癒着問題につながるとの見 解のもとに政府批判が集中した。  以上のように本稿では国会議事録を通し

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「金大中内乱陰謀事件」に対する日本政府・ 与党側および野党側の対応過程を検証するこ とで当時の対韓認識を探ってみた。日韓関係 研究における金大中および同氏関連事件の意 味については,より相互的考察をもって補完 されるべきである。したがって,金大中の対 日認識や大統領就任前後における対日政策へ の影響に関する検証を今後の課題としたい。 1 坂本義和・池明観(対談)「何が変わり,何が 変わらなかったか」『世界』1999年1月号,p.221。 2 当時訪日していた金大中が1973年8月8日,東 京九段下のグランドパレスホテルから KCIA により拉致された事件である。同氏は5日後の 13日にソウルの自宅前で解放された。同氏へ の人権問題であると同時に日本における主権 侵害問題であったが,2回の政府交渉により 1975年に決着となった。この外交決着の際に, 「韓国政府は日米での言動によって刑事的に追 及しない」,「日本政府は原状回復を求めない」 との内容が盛り込まれた。 3 『京郷新聞』1980年5月13日,『朝鮮日報』1980 年5月17日。 4 同氏は2003年の特別再審により「憲政秩序の 破壊犯罪の行為を阻止・反対した行為」とし て認められ,無罪判決を受けた。 5 韓勝憲『分断時代の法廷』凡友社,韓国,2006年, p.118。 6 『朝日新聞』1981年1月24日。 7 韓勝憲,前掲書,p.120。和田春樹『韓国から の問いかけ ─ともに求める』思想の科学社, 1982年,p.149。 8 伊藤成彦氏は,外務省は金大中に対して冷淡 だったが,「伊東正義さんの自民党内閣は」「む しろ救出をしようという側」であったとの見 解を述べている。『金大中図書館口述資料;伊 藤成彦(第2次)』延世金大中図書館,韓国, 2006年1月20日。 9 中路雅弘(共産党)議員,『第92回国会衆議院 外務委員会国会議事録』第2号,1980年8月19日, p.16。 10 『金大中図書館口述資料;田英夫』延世大学金 大中図書館,韓国,2006年7月12日,p.14。 〔参考文献〕 韓勝憲『分断時代の法廷』凡友社,韓国,2006年。 日本国衆議院・参議院『国会議事録』1979年10 月∼ 1981年1月。 柳相栄・和田春樹ほか『金大中と韓日関係─民 主主義と平和の韓日現代史』延世大学金大中 図書館,韓国,2013年。

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参照

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