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日本企業の中国進出成功事例に関する研究: 沖縄地域学リポジトリ

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Author(s)

陳, 晋

Citation

沖縄大学人文学部紀要 = Journal of the Faculty of

Humanities and Social Sciences(7): 17-27

Issue Date

2006-03-31

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/6125

(2)

日本企業の中国進出成功事例に関する研究

晋 要約 本論文は、中国市場に進出し、且つ成功している日本のエアコンメーカーと乗用車メ ーカーを取り上げ、これら日本企業の中国市場での戦略策定と戦略実行を観察し、経営 戦略論の観点からその成功要因を究明した。ダイキンとホンダが本格的に中国に進出し たタイミングは先行組の日米欧メーカーより遅れていたが、WTo加盟に備えて市場を 再開放し、洗練された商品のニーズが拡大する黎明期に当たった。両社が中国で成功し た重要な要因のひとつは、先行組の外資系やローカルメーカーが持っていないオンリ ー.ワンの先端技術にある。また、両社は経営ノウハウを生かして、現地の市場調査や 販売システムの構築に力を入れていたことも大きい。さらに、両社が共に中国市場で自 社の技術や販売の優位性を活用しながら、新しい製品セグメントを開拓し、世界市場に 向かって事業を拡大していることも注目すべきところである。 キーワード:中国市場、成功要因、技術レベル、販売ネットワーク 1.課題と背景 1.課題と方法 本論文は、中国市場に進出し、且つ成功している日本のエアコンメーカーと乗用車メーカーを 取り上げ、これら日本企業の中国市場での戦略策定(strategyformation)と戦略実行 (strategyimplementation)を観察し、経営戦略論の観点からその成功要因を究明する。あわ せて、中国のWTO加盟にともない、中国市場における多国籍企業戦略のダイナミックな変化、 およびグローバル化を踏まえた企業行動の行方を分析する。 具体的には本論文は中国市場で大成功を収めているダイキン工業株式会社(以下、ダイキン) の業務用エアコン事業と本田技研工業株式会社(以下、ホンダ)の乗用車事業をとりあげて分析 していきたい。80年代に中国の改革開放が始まってから、中国市場に進出した多くの日米欧企業 のうち、一時的に成功を収めた事例は多くあるが、長年連続的に増収増益し、一貫して拡大して きた企業は非常に珍しい。製造業メーカーとしてのダイキンとホンダはこのような企業であり、 内外の注目を集めている。 上海大金空調有限公司(以下、上海ダイキン)は1995年に創業し、中国向けに主に業務用エ アコンを製造・販売している。本格稼動開始2年で黒字、3年で累益、4年で投資回収を果たした。 2003年の売り上げと利潤はともに年率50%前後のペースで拡大し、売上高営業利益率が25%に 達している。しかも、中国市場でダイキン空調製品の売上高は日米韓など全外資系メーカーの中 でトップに立っており、利益額はローカルメーカーも含む全空調メーカーの中でトップである。 中国における2000年度の売上高は224億円だったが、04年度には750億円へと三倍強に拡大し ている。 一方、広州本田汽車有限公司(以下、広州ホンダ)は1998年7月に創業し、中国向けに乗用車 を製造・販売している。生産開始から2年で初期投資を全額回収することができた。2002年の売 -17-

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上高と利益はともに前年比13%増、売上高利益率は36%であった。2001年度から04年度の中国

における外資系企業売上高ベスト500社ランキングでは、広州ホンダは日系企業の売上高トップ

として、第15位から第12位に上がった。また、04年の中国内の外資系企業納税番付では、前年 の4位から2位へ浮上したい。 以上のような認識にもとづき、本論文の問題関心(keyresearchquestion)を考えれば、以 下のようなものとなる。すなわち、ダイキンとホンダはいままで中国政府の政策や市場競争など

内外の環境要因に対応しながら自社の中国戦略をどのように策定し実行してきたか、両メーカー

が中国市場で成功を収めた主な要因は何であるか、などである。

企業戦略とは、市場機会と自社経営資源などに対する総合判断によって、受け入れ可能なリス

クの範囲で行われる企業活動の基本的な方針である。それは、企業内部の諸要因と外部環境要因

との間の相互作用によって形成されるものである。一方、多国籍企業としての日本企業の国際経

営戦略は、国際経営活動についての基本方針を意味する。中国の市場開放と経済成長に伴い、多

くの日本企業は安くてかつ優秀な労働力とさらに成長しつつある膨大な消費市場を求めて中国に

進出した。内外環境の変化に対応して、日本企業の中国戦略行動は、製品輸出と現地販売、現地

生産と部品調達、現地からの海外輸出、現地研究開発などの段階に分けられる。また、日本企業

の中国進出に伴い、技術、ノウハウ、ブランド、経営管理能力など目に見えない経営資源、製品

の付加価値、日本特有あるいは日本企業特有の文化も中国に移転しているので、いかにコア競争

力につながる経営資源の流失、主要な付加価値の流失、現地文化との衝突を避けるかが中国に進

出する日本企業の重要なリスク管理課題になる。

また、中国の経済環境は日本や欧米などの先進国と違って、この20数年来、純粋な市場経済で

はなく、政府の計画統制から市場の自由競争へ移行していく段階であった。しかも、外部環境の

計画統制から市場競争への移行に伴って、中国企業に対する政府の統制力は中央から地方に移り

ながら次第に弱化していった。一方、市場環境は閉鎖的なものから開放へ、さらにグローバル化

へと進み、企業に対する影響力がますます強くなってきた。したがって、中国に進出した日本企

業の戦略行動は国際市場の変化に対応しながら、変化が激しい中国の経済環境の中で、中国政府

の政策変化と中国市場の環境変化に対応していかなければならないという「両面作戦」を強いら

れている。その中から生じる日本企業の能動的な対応、すなわち環境創造と能力蓄積の行動に注

目すべきである。 中国政府政策の変化(中央集権から地方分権、強力統制から次第に弱化)--→

政策制約↓働きかけ↑

中国戦略(製品輸出現地販売・現地生産部品調達・現地から輸出・現地で研究開発)

市場制約↑環境創造↓

外部環境変化 経営資源 中国市場需要の変化(クローズからオープン、グローバル化) 中国の政策変化と市場変化の間にタイムラグが生じる 図1日本企業の中国市場戦略形成と実行のプロセス

移行期の中国の現状を考慮し、本論文ではダイキンとホンダの中国戦略パートナーの選択、進

出製品技術の選定、現地での製品生産と部品調達、現地での販売システムの構築、現地で生産し

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た製品の海外輸出、現地での研究と開発の展開など、技術移転・製造・販売活動の展開過程を総 合的に観察して、中国市場の環境変動に応じた両メーカーの戦略策定のプロセス、特にグローバ ル化に備えた中国戦略の実行を分析していく。このような比較分析を行うことによって、両メー カーの成功の要因が解明できるだけではなく、日本企業の中国市場での成功パターンを深く理解 することができる。そして、それはまた、中国に進出する他の日本企業にとっても有益な参考に なるだろう。 2.進出の背景と中国市場の変遷 80年代の後半から、日本経済は対米貿易摩擦と円高が輸出型製造業の海外移転と多国籍企業化 を促し、低賃金・低コストのアジアでの生産、低価格の完成品の現地販売、迂回的対日米輸出を 進行させている。そうした中、日本の家電産業は80年代の半ばから積極的にASEANに進出し始 め、90年代から中国での現地生産拠点の設置数が急速に増えた。一方、90年代の日本の自動車 産業はアジアでの現地生産も推し進め、90年代半ばから成長と広域化の予想される中国市場への 進出を加速させていった。 一方、中国では1992年の都小平の「南巡(広東と上海)講話」をきっかけに対外開放が加速 した。WTo加盟に備えて、中国政府は90年代の半ばから洗濯機、冷蔵庫、エアコン、カラーテ レビなど家電製品および乗用車の輸入税率を下げながら、外資規制の緩和や市場の再開放などの 政策を次々と打ち出して、「一部の人を先に豊かにする」ことをふたたび強調した。地方政府の 役割が強化されつつ、産業や企業に対する監督部門や規制内容がしだいに縮小され撤廃されてい った。企業体制の改革が深化され、所有制の多元化も認められた。 そうした中、中国の家電市場において、80年代の末からローカルメーカーを中心とする熾烈な 価格競争が展開された。そして、90年代の後半からは、80年代後半の市場高度成長期に購入さ れた家電製品は次第に更新の時期に入り、消費者も家電製品の性能や品質に対する要求を高め、 新機能に敏感になっていた。そうした新しいニーズを狙って、90年代半ばから外資系の新規参入 も増え、内外メーカーは更なる投資を行い、そもそも過剰だった生産能力がさらに拡大していっ た。そして、企業間の買収や合併が行われ、巨大な家電総合メーカーが誕生した。 他方、中国の乗用車市場は、長年政府の参入規制によって保護されていたが、94年に政府は乗 用車生産を量と質の両面から促進する自動車産業政策を発表し、乗用車生産の新規参入規制を撤 廃し、外資系や民営企業の参入活動を活発化させた。自動車価格の自由化や輸入関税の引き下げ にともない、メーカーは熾烈な価格競争を展開し、乗用車のニーズも従来の集団消費から個人消 費へ移行しはじめた。こうした中、中国の上位自動車大手メーカーは乗用車製品開発能力の弱さ を露呈し、ますます外資系の技術に頼らざるを得なくなっていた。 こうした背景の下に、ダイキンとホンダは中国の現地生産に参入してきた。以下、具体的にダ イキンとホンダの中国市場戦略の策定と実行を観察してみる。 Ⅱ、ダイキン業務用エアコンの中国戦略 ダイキンは、業務用エアコンでは日本国内最大手であり、家庭用のルームエアコンでも2003 年に初めて日本のトップに躍り出た。1970年代には床置き型、天井吊り型業務用エアコン、80 年代にはビル用マルチエアコンおよびインバータ利用による広範囲容量制御、高信頼性圧縮機設 計、DDC(DirectDigitalControl)通信制御などの技術を開発し、「技術のダイキン」の基盤を 作り上げた。また、営業部隊の強化、空調プロ業者の自社代理店への重点支援、設計事務所や建 設会社へのPRなど高収益型販売構造を構築するノウハウが蓄積されていた。 -19-

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2003年現在、上海ダイキンの資本金は33億円、出資比率はダイキンが70%、上海軽工業集団

が30%、従業員は2200人、工場敷地面積は130,000,f、売り上げは235億円、利益は55億円で

ある。中国では世界の様々なグローバル空調メーカーが集まって競争している。中国のエアコン

市場は、3万、f以上に使うセントラルエアコン、3万、f以下に使う業務用エアコン、一般家庭ルー

ム用エアコンという3つの市場に細分化することができる。2003年の時点で販売額が5500億円

の総市場のうち、その60%を占めるルーム用では、50社以上の日系やローカルメーカーがあら

そっており、20%を占めるセントラルでは、キャリア、トレーンなどの米系メーカーが押さえて

いた。そして、その残り20%が業務用で、ダイキンはそのうちの30%を抑えていた。

1.中国進出戦略の策定とパートナーの選択

ダイキンの本格的な中国進出は、キャリア、ヨーク、トレーンなどの外資系よりかなり遅く、

日系エアコンメーカーの中でも最も遅かった。94年6月に4代目社長に就任した井上礼之は中国

が今後、潜在的な世界最大の市場となり、世界で一番の生産国になると判断し、積極的に中国進

出を推進しはじめた。そしてその後、ダイキンは空調の中国進出戦略の策定と実行を急ピッチで

進めた。その時期はちょうど中国政府がWTo加盟に備えて、関税を下げながら、外資規制緩和

や市場開放などの政策を次々と打ち出す前夜であった。

中国で初めての生産拠点は「市場に近いところに工場を作る」という原則に従って上海を選ん

だ。ダイキン製品の特徴は、ヒートポンプ(冷暖房)なので、四季がはっきりしている長江流域

に最も適している。上海は長江流域の最も大きな市場なので、上海で競争に勝てなければ、中国

では成功しないだろうという考えもあった。また、上海周辺は中国で最も産業基盤が強いところ

であり、部品や熟練労働者を調達しやすい。当時は中国政府が政策的に経済成長の主エンジンを

広東(華南)地域から上海(華東)地域へ移しつつある時期であった。

90年代の中国にはエアコン市場における消費ブームに乗って、多数の内外メーカーが参入して

いた。ダイキンが合弁事業を検討した95年には、中国ではすでに300社余りのエアコンメーカー

があり、その中でも特にルーム用は氾濫していた。しかも、上海市政府はルーム用の新規参入を

制限しはじめていた。そこで、ダイキンは製品を(業務用)パッケージエアコンに限定した上、

パッケージエアコンのラインでルームエアコンの並行生産を開始した。当時、業務用エアコンが

中国市場に受け入れられるかどうかは未知数だったが、ダイキンはその現地生産への一番乗りと

なった。

ただし、有力なパートナーがいなかったので、ダイキンは販売不振の国有ミシン・メーカーと

空調生産合弁会社を1995年11月に設立した。しかし、幸いなことに、そのミシン・メーカーは

エアコンの素人であり、しかも97年にリストラが行われ、経営に対して影響力をほとんど持って

いなかった。そのため、ダイキンは合弁企業設立の当初からパートナー従業員の数を最小限(18

名以下)に抑え、従来の中国国有企業に見られた品質無視や散漫な規律などの組織慣性をいち早

く止め、上海市政府との関係を強化しながら、独資に近い主導的スピード経営ができたのである。

2.製品技術戦略と現場生産管理

上海ダイキンは96年4月に仮工場で生産訓練を実行しながら、懸命にユーザーを探し始めた。

しかし、97年3月に新工場に移り本格的に生産を開始しても、販売は依然として低迷していた。

ところが、一年後の98年から上海市場は一気に変わり、それから沿海地域の他の都市も次々に変

わっていった。ユーザーからは多様なニーズが出てきており、従来の内装などでは満足できない

ようになっていたのである。高級マンションや高層ビルなどがどんどん建てられ、100平米以上

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の住宅が多くなり、そこでは業務用エアコンが使われた。また、病院、空港、大学や銀行も性能 の良いエアコンを入れるようになった。 業務用エアコンについて、ダイキンは世界で最も高い技術力を持ち、日本でも長年業務用エア コン第一位のシェア(04年現在、ダイキンは43%、三菱電機は17%、日立は13%)を占めてい た2)。上海ダイキンはこの強みを生かして、他社に合わせることなく、ダイキンの一番強いもの、 常に一番売れる世界共通の製品を家電激戦市場になった中国で生産し、販売した。ダイキンはグ ローバルに製品開発戦略を考え、新機種の設計は全部日本で行い、世界規模で開発コストを下げ たのである。 一方、ダイキンは技術者を中心に専任チームを編成し、徹底的に中国市場のマーケティングを 行い、中国の現状に合わせて製品の』性能の改善や商品の再設計も進めた。例えば、中国の電圧が 不安定であることに対応して、ダイキンの製品は中国で初めて、電源自動復帰機能を付けられた。 また、北京、上海、広州など大都市のエアコンを見せびらかしたいという富裕層の消費者心理に あわせて開発した床置きタイプのエアコン「風霊」は、日本では見たことのない大きさ(室内機 の高さ170センチ横幅50センチ)にもかかわらず、大ヒット商品になった。 また、生産現場で、上海ダイキンは厳しい品質管理を取り入れた。最初は生産性を多少無視し てでも、整理整頓から始めて、品質や安全についての考え方を全従業員に徹底的に指導していっ た。日本からの部品も厳しくチェックし、少し傾いているという理由だけでそのコンプレッサー を使わないこともあった。中国の部品に切り替えていった時にも、少しでも不具合があれば、 「ダメなものはダメ」と全部ばらして検査を繰り返した。不良品は-台たりとも外に出さないた めに、生産ラインに配置する検査マンは日本の5倍で、作業員全体の25%を占めていた。すなわ ち四人に-人が品質の検査をしているわけである。 3.ブランド販売戦略と事業のスタイル 90年代の半ば、中国の店舗用エアコンは床置きタイプが全盛であったが、ダイキンは他社との 差別化を図るため、室内機を天井に埋め込んで室外機とつなげるカセットタイプのエアコンを売 り出した。と同時、ダイキンは消費者の購買意欲をかき立て、需要を掘り起こすために、潜在的 ユーザーに対して自社製品の先進性と高級感を積極的に宣伝し始めた。そして、それを担当する のがダイキンの営業部隊一SE(セールスエンジニア)である。2003年の時点で上海の営業拠点 だけでも230人のSEがおり、中国全土ではこのような営業拠点は30箇所にのぼった。 ダイキンは中国既存の販売ルートを最初から使わずに、自前の販売ルートをゼロから作った。 施工と販売を担う専売店を各地に作り、その専売店へのサポートをきめ細かく行う。専門店のス タッフは工場の敷地内にある研修所での二泊三日の研修において、工事技術者による現場指導を 受けた。また、中国での不良売掛債権問題に対して上海ダイキンは、当初より回収は現金決済を 原則としている。現金決済の下では、専売店は需要が見込める分しか注文を出さないので、見込 み販売による過剰な在庫を持つこともなく、売掛債権を回収し損ねることもない。 ダイキンのSEは新しい開発地域のショッピング・センターや図書館にまず行き提案活動を行 う。営業活動を通じて一つ一つ提案し、ユーザーの要求を聞き取り、設計がユーザーの要求にこ たえていく。また、定期的にユーザーを集めて、セミナーを開き、ダイキン製品の性能、特徴な どを説明する。さらに、設計担当の設計事務所にはダイキン製品の良さを充分に理解してもらい、 設計の段階からユーザーにダイキン製品を使うよう働きかけてもらう。こうして、SEは販売の 前段階の仕事を行い、専売店は販売を担当する。 優良なユーザーをいかに持っているかがダイキンのブランド戦略の中心である。ダイキンはサ -21-

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-ビス事業も同時に強化し、商品に対して24時間監視し、問題があるとすぐ解決する体制を作っ

てきた。「ダイキンエアコンは空調のベンツだ」というイメージが作られたように、ダイキンは

常に自社最先端の差別化された商品を中国市場に投入し、販売台数のシェアは非常に低いにもか

かわらず、売上高と利潤額のシェアは断然高い。業務用エアコンも中国で氾濫しはじめるが、そ

のほとんどがダイキンの三分の-の値段で出まわっている。 4.事業の拡大と今後の課題

上海ダイキンに続いて、ダイキンは96年にコンプレッサーを生産する西安ダイキン、97年に

チラーを生産する恵州ダイキンを設立し、事業を拡大してきた。業務用エアコンの成功を基礎と

して、ダイキンは03年から集中的に投資を行い、上海にセントラルエアコン工場、蘇州に大型か

ら中型のコンブレッサーエ場を建てて、業務用エアコンの生産を拡大しながら、米系のようなセ

ントラル事業を展開してきた。中国でのルーム用エアコンの生産に関しても、松下電器と提携し

て拡大していく計画を立てている。

中国のセントラル市場は巨大であり、これから15年後でもローカルメーカーにとってやりにく

い分野である。ダイキンはトレーン社と提携しながら自社の一番得意なDCモーター、インバー

ター・コンプレッサーや新媒体などの技術を中国市場に導入しセントラルを拡大して事業を再構

築し、強いコスト競争力で、北米や中南米市場に進出しようとしている。その一方で、ダイキン

は2008年の北京オリンピックや2010年の上海万博以降のバブル崩壊などの中国経済発展のリス

クを睨んで、投資の早期回収にも力を入れている。

事業を順調に進めるために、ダイキンは中国の人材市場の現状に合わせて人材の教育と確保に

つとめた。特に、現地の販売部隊、いわゆるSEの育成に重点的に力を入れてきた。中国の大学

の制冷(空調)学科を卒業した新入社員に対して設計、CAD、提案の仕方などを教え、発表会

を設けて、仕事のローテーションも行わせ、現場の経験を積ませる。十分な技術を持ったSE

(キーマン)に対して人材市場の相場に合わせて給料を払う。また、現地の優秀なスタッフを指

導的ポスト(例えば、広州分公司の社長)に抜擢し、権限の委譲も進めている。

今後、ダイキン中国の工場は多能工の育成、検査マンの人数削減、生産性の向上、日本的改善

システムの導入の必要があるだろう。特にこれから中国がセントラルの主戦場になると考えられ

るので、世界市場に向けて、いかに現地のR&Dと生産現場を強化し、工場で働く現地の技術者

と労働者の創造性を引き出すかが今後の経営課題になる。また今後、ダイキンはルーム用も含め、

生産量や市場シェアを拡大していき、中国従来の販売ルートを使う可能性が出てくると、高い収

益率を維持できるかどうかが課題になる。

111.ホンダ乗用車事業の中国戦略

ホンダはトヨタに次ぐ競争力を持つ日本の乗用車メーカーであり、世界ナンバーワンの2輪メ

ーカーでもある。優れたエンジン・パワートレイン技術を持ち、環境技術・低公害車開発は国際

競争の先頭を走っている。1950年代に、まだ中小企業だったホンダはアメリカに進出し、80年

代になると、北米、欧州、開発途上国などの事業本部ができ、それぞれ独自の販売ネットワーク

を作り上げた。また、海外に工場を建設する際には、その国や地域のそれぞれの規模や環境に合

った工場を作るというノウハウを蓄積してきた。

広州ホンダの資本金は1億3,994万米ドル、出資比率はホンダ、広州汽車集団ともに50%、従

業員4100名、工場敷地面積は580,000㎡である。生産開始から2年で初期投資を全額回収するこ

とができた。2002年の時点で、売上高が2,055億円、利益は750億円であった。広州ホンダは事

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業展開が順調なことから、高い売上高と利益率を享受している。合弁設立から03年までの売上高

累計は8,722億円、累計税引き前利益は3,294億円であり、売上高利益率は4割近くに上がった。

05年、広州ホンダは23万台乗用車を生産し販売し、前年度より生産台数が13.9%増加した。中

国乗用車市場では7.4%のシェアを占めている。 1.中国進出戦略の策定とパートナーの選択

ホンダ乗用車の中国での現地生産は他の外資系メーカーと比べ、かなり遅かった。ホンダ乗用

車が現地生産を開始した98年、中国にはすでにVW、GM、プジョー・シトロエン、など欧米乗

用車メーカーの合弁企業が存在していた。ただし、90年代の後半からWTO加盟に備え、中国政

府は次第に自動車メーカーに対するコントロールを緩めて、市場開放を進め始めた。ホンダは94

年から広州の周辺で東風汽車と合弁で部品の生産をはじめた後、広州市で完成車を生産していた

プジョーの撤退を機に、GMグループのオペルや現代自動車との競争の末、乗用車生産のビジネ

ス・チャンスを得ることができた。

生産拠点を広州に選んだ理由としては上海、北京、天津、長春など自動車産業の基盤がある都

市にはすでにGM、VW、トヨタ、クライスラーなどの強豪が入っていたということのほか、広

州が香港や深#||の隣にあるので輸出入に非常に便利であるという条件もあげられる。しかも、広

州を中心とする華南地域は80年代以来中国改革開放の最前線として経済が急速に発展して市民の

生活が豊かになりつつあり、乗用車のユーザーも増え始めていた。また、広州周辺の地域は中国

家電・電子産業の生産基地として90年代の半ばにはすでに強力な部品製造基盤を形成しつつあっ

た。

ホンダの進出車種は、撤退したプジョーのモデルが2.0リットルの中級車3)だったので、ホン

ダは中国政府の要求に従って、排気量2.3リットルの中級車に決められた。ただし、プジョーの

70年代の古いモデルと違って、ホンダが投入したモデルは90年代最新型のアコードである。当

時、中国市場には、同クラスのAudilOOや紅旗など中高級セダンが存在していたが、モデルが古

く生産性も悪かった。予想されるアコードのユーザーは政府、企業や法人団体などの公用車・業

務用車の利用者と所得水準の高いニューリッチたちであった。

ホンダが最初に選んだ乗用車合弁事業のパートナーは当時中国のトップ自動車メーカーだった

東風汽車である。広州ホンダを設立する前に、ホンダはすでに東風と共同で部品やエンジンを生

産する合弁会社を設立していた。しかし、幸いにも、偶然のチャンスで、ホンダは広州汽車と組

んで、乗用車完成車の合弁企業を作った。しかも広州汽車は東風汽車に吸収されなかった。広州

汽車はそもそも技術力の点で非常に弱いメーカーであり、乗用車生産も素人であった。そのため、

ホンダは広州市政府との関係を強化しながら、終始経営の主導権をしっかりと握り、スピード経

営ができたのである。 2.製品技術戦略と現場生産管理

先行組の外資メーカーはいずれも古いモデルを中国での現地生産に投入したが、ホンダは「最

新型のハイエンド車種でブランドカを確立する」という戦略を打ち出した。日本国内はもとより、

海外からもアコードの国際性は高く評価され、日本、オーストラリア、アメリカ各国で、アコー

ドは相次いでⅡカー・オブ・ザ・イヤーⅡを受賞し、いわば「ホンダの顔」のような存在であった。

アコードに引き続き、その後投入された各車種においても、ホンダは「技術的に世界市場と同歩

調の製品を中国に投入する」戦略を貫いた。

広州ホンダは初期の投資額を低く抑え、「小さく生んで、大きく育てる」という原則に従って、

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プジョーの工場と設備を引き続き活用した。全生産設備の中で、残存設備の再利用は圧倒的に多

く、6割に上った。中国製の新規購入と日本からの移設はそれぞれ3割と1割であった。プジョー

の工場と設備の最大限の活用で、広州ホンダの初期投資額は1年前に設立された上海GMの初期

投資額の十分の-に抑えられた。しかも、プジョーの旧ラインを再利用することによって、異例

のスピードで、アコードを市場に出荷することができた。

品質を確保するために、広州ホンダはホンダの品質管理システム(HQS)を導入し、各職場、

各工程において品質の定量的管理を実施した。従業員と品質承諾書を交わし、品質意識を深く従

業員に植え付けてきた。購買、生産、販売などの過程で製品の品質を厳しくチェックした。その

結果、1999年12月に、世界17カ国にあるホンダの工場が参加した品質コンテストで広州ホンダ

は1位を獲得した。2002年9月、中国品質協会が主催した中国初の「乗用車ユーザー満足度調査」

でも、広州ホンダは1位を取っている。

広州ホンダは現地メーカー(大半は日系)から部品を購入するとともにエンジンやプレス部品

を内製化することで異例なスピードで部品の現地調達率を上げた。「QCDDM(品質・コスト・

デリバリー・開発・管理)」基準によって部品供給メーカーを厳選し、その現地部品を使うこと

によって、コスト削減を実現した。中国のWTO加盟後の自動車関税の引き下げによる海外メー

カーとの競争激化に備え、コスト競争力を強化するために現調率を更に引き上げ、完成車の製造

原価が同モデル輸入車より大幅に下回ることを目指したのである。 3.マーケティング戦略と事業のスタイル

広州ホンダは、他のメーカーとの猛烈な「値下げ競争」の圧力に直面しながら、「値下げ販売

しない」との原則を堅守した。これは既存顧客に安心感を与え、広州ホンダ車のブランド・ロイ

ヤルティを高めただけではなく、潜在顧客の購買意欲もかきたてた。当時中国市場にある中高級

乗用車のモデルは古く、また輸入車の価格は高かった。このような市場環境の中で、最新モデル

の投入や、一握りの「富裕層」に焦点を当て、輸入車及び国産他社モデルより格安な価格設定を

行うなどのホンダのマーケティング戦略は成功した。

また、ホンダは出資せずに、販売店オーナーの自己資本だけで200店以上の販売網を築き周

到なアフターケアを保証している。日本の大手自動車メーカーが、中国に自社製だけを取り扱う

専売網を構築するのは初めてであった。広州ホンダは販売ネットワークを構築する際、中国各地

の都市人口規模、収入レベル、乗用車の保有台数などの統計データを詳しく検討し、自社生産モ

デルの市場規模及び投資回収のために利潤を確保できる販売台数を分析した。そして、その分析

に基づいて、販売ネットワークの分布、販売店の数、ロケーションを決定したのである。

広州ホンダは日本のディーラーの事業形態と同じで、完成車販売、アフターサービス、部品供

給、情報フィードバックという「四位一体方式」の販売システムを打ち出した。広州ホンダは販

売店に対して、①直接販売による顧客フォロー、②全国統一車両の本体価格の設定、③ホンダブ

ランドの現地生産車および輸入車のみを扱う専売店化、④統一された顧客情報の使用などを特約

販売店契約の条件とした。また、広州ホンダは「前金制」の販売を実施し、外資企業を悩ませて

いた「売掛金問題」をクリアした。

広州ホンダの設備拡張の原則は、販売能力に応じて生産能力を引き上げることである。ホンダ

は海外に工場を建設する際、その国や地域のそれぞれの規模や環境に合った工場を作るようにし

ている。広州ホンダはプジョーの残した3万台の既存生産能力を十分に発揮することを最優先し、

生産しながら市場の受容性を見極め、それに従い、最適な追加投資をし、徐々に規模を拡大して

いく路線を取った。生産台数は99年の1万台から、2000年3万台、01年5万台、02年7万台、03

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年12万台、05年24万台へと段階的に引き上げられた。 4.事業の拡大と今後の課題

ホンダは1999年3月に投入された28リットルのアコードに続き、2000年3月に2.0リットルの

アコード、01年4月に30リットルのV6型アコード、02年4月に2.3リットルのオデッセイという ように、新しいモデルを次々と広州ホンダに投入した。そして、中国乗用車市場で個人ユーザー が主役となったのにあわせて、ホンダは03年9月から、「フイッ卜」(1300cc)の現地生産を開

始し、中国小型車市場に正式に参入した。06年からはシビックも中国で生産し、これで主力4車

種の最新モデルが出そろうことになる。

更に、今まで中国で蓄積してきたクルマの生産ノウハウや現地での部品調達力を活かし、ホン

ダは中国を自社のグローバルネットワークに組み込もうとしている。02年7月11日、ホンダは輸

出専用工場を広州市に新設した。外資メーカーが中国で本格的な輸出専用工場を設立するのは初

めてのケースであった。この工場で04年後半から、「フイッ卜」をベースにした排気量1000~ 1500ccクラスの小型車を年間5万台生産し、05年6月からドイツやイタリアなど欧州諸国へ輸出 しはじめた。

広州ホンダは会社設立当初から、将来、拡大再生産の投資の度に追加出資を中日双方の出資者

に求める煩雑さを避けるため、純利益から約20%の法定準備金を差し引いた金額の50%を配当

し、その残りの50%を内部留保していた。その結果、創業後3年間で無借金会社になったばかり ではなく、生産能力を3万台から05年の24万台までに引き上げる投資を内部留保利益で賄うこと が可能になった。また、賃上げ率やボーナスの支給方法など労働分配ルールを明確にし労働組合 とも合意している。

ホンダは03年9月から日本でよく売れていた小型車を投入して中国の小型車市場に参戦し、そ

れも販売好調であった。中国市場において、小型車セグメントは各外資系メーカー及び新興民族 系メーカーの競争が最も激しい分野である。広州ホンダにとって、中国小型車市場の熾烈な値下

げ競争に巻き込まれないでいられるかどうか、いままで構築してきた「前金制」などの販売シス

テムをうまく機能させられるかどうか、などが今後の課題である。それはこれから販売される車 種の技術性能や生産システムが引き続き中国市場をリードできるかどうかにかかわっている。 Ⅳ、考察 以上の議論を踏まえ、ここでダイキンとホンダの現地対応と中国戦略の策定・実行を分析しな がら、両メーカーが中国市場で成功した要因を考察する。

まず、ダイキンとホンダが本格的に中国に進出したタイミングは先行組の日米欧メーカーより

遅れていたが、ちょうどWT○加盟に備えて市場が再開放され、洗練された商品のニーズが拡大

する時期に当たった。また、両社が最初に選んだ生産拠点の立地は改革開放の最も進んだ華南と

華東地域の沿海中心都市であり、ユーザーに近く、労働力や部品の供給基盤の強い地域であった。 さらに、両社と組んだ中国側のパートナーは、それぞれ合弁会社の製品技術に関しては素人だっ たので、ダイキンとホンダは地方政府との関係を強化しながら、ほとんど主導的な経営を展開す ることができた。 また、両社が中国で成功した重要な要因のひとつは、先行組の外資系やローカルメーカーが持 っていないオンリー・ワンの先端技術にある。ダイキンの業務用エアコン技術とホンダの中級車

技術は中国に入る前にすでに世界のトップレベルに達していたものであり、日米欧の他社や中国

のローカルメーカーが真似しようとしても簡単に真似できない複雑さや洗練を持っていた。その -25-

(11)

独自の技術力によって中国市場における先行組の外資系やローカルメーカーを圧倒し、自社のブ ランドカを作り出すことができたのである。 さらに、両社は経営ノウハウを生かして、現地の市場調査や販売システムの構築に力を入れて いたことも大きい。中国既存の販売ルートを最初から使わずに、自前の販売ルートを-から作り あげたのである。また、中国での不良売掛債権問題に対しては、両社は、当初より回収を原則と して現金決済にし、「売掛金問題」を解消させた。こうして、両社は自社が得意とする製品セク ションから中国に進出し、独自の販売ルートを通じて、グローバル市場と同じ先端技術を中国に 投入し、中国市場の過剰競争を有効に回避しながら、長年高い収益率を確保することができた。 最後に、上海ダイキンがセントラルエアコン分野へ、広州ホンダが小型車分野へ事業を展開し ているように、両社が共に中国市場で自社の技術や販売の優位性を利用しながら、新しい製品セ グメントを開拓し、世界市場に向かって事業を拡大していることも注目すべきところである。無 論、両社は新しい製品セグメントにおける激しい競争に勝ち抜くためには、現地のR&D、生産 販売体制の強化などの課題が残されているが、いままでの製品技術や販売システムの優位'性を維 持できれば、さらに成長していくことが期待できるであろう。 圧 1) 2) 3) 『日本経済新聞』2005年9月13日と同12月2日の記事による。 高橋(2005)のp29による。 当時中国の分類標準によれば、中級車の排気量は16-25リットルであった。 参考文献 向楡[2003]「中国におけるホンダの事業展開戦略-2輪事業の戦略転換経験から学ぶ4輪市場へ の新アプローチ」東京経済大学大学院経営研究科修士論文 産業構造研究会編[2000]「現代日本産業の構造と動態」新日本出版社 ダイキン工業株式会社社史編集委員会[1995]『ダイキンエ業70年史』 高橋基人[2005]『中国人にエアコンを売れ!」思草社 陳晋[2005]「中国家電メーカーの競争力がいかに蓄積されてきたか-企業戦略論の方法で考察し てみる」『沖縄大学人文学部紀要』第6号 陳晋[2004]「中国自動車メーカ_の競争力がなぜ弱いか-ビジネス・アーキテクチャの方法で考 察してみる-」『赤門マネジメント・レビュー』3巻9号 -26-

(12)

Abstract

This paper discusses the strategy formation

&

implementation of successful

Japanese manufacturing makers in the Chinese market and traces their successful

factors by the framework of management strategic theory. First of all, even though

Daikin and Honda entered Chinese market much later than other early advanced

foreign enterprises of Japan, Europe and America, the timing was qUite fortunate

since it was China's economic opening reform preparing for entering WTO and also

at the dawn of expanding needs for refined commodity. Moreover, one of the most

important factors of two manufactures succeed in China is their

only-one-high-technology that early comers of foreign and local manufacturers do not posses. In

addition, both manufactures strived to do the local marketing research and to build

their own efficient sales system should be considered. They did not use existing

distribution route, instead established their unique sales channel from the very

beginning. Finally, it is necessary to pay attention to the development of a new

product segment and the business expansion toward the global market by two

manufactures' flexible utilization of their original technology and sales superiority.

Keyword: Chinese market, Successful factors, Technique level, Sales network.

参照

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