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ゴワゴワガチガチからドキドキワクワクの学校へ:「うれしの総合活動」の実践をめぐって (<特集記事>ラウンド・テーブル・トーク報告「横断的・縦断的学習の可能性-総合的学習をめぐって」)

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Academic year: 2021

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(特集記事)ラウンド・テ-ブル・トーク報告 ゴヮゴワガチガチからドキドキワクワクの学校へ-「うれしの鎗合活動」の実践をめぐって 鈴木光男(兵庫教育大学学校教育学部附属小学校) MitsuoSuzuki(ElementaryScl. AtachedtoEyogoUniversityofTeacherEducation) 1.はじめに-現場に見る総合学習を取り巻く問題点 次々と出される総合学習の刊行物を目にし,また多 くの参加者で盗れる研究会に参加するたびに,現場教 師の健全なやる気と果敢なチャレンジ精神を感じる。 「不登校」「学級崩壊」などの問題と閉塞感でいっぱ いの現在の学校教育から抜け出し,新たな方向へと向 かう突破口として,大きな期待をもって総合学習が位 置づけられているようである。 しかし,大きな期待を寄せられているとはいえ,総 合学習も全ての問題の特効薬として機能するわけはな い。現場の教師として総合学習の可能性を考える上で 先ずは総合学習の実践や様々な提案を通して感じる問 題点を整理しておきたい。 一点あほ,"漂流教室'とも思えるような目樺や内 容の定まらない総合学習の実践や提案が多く見られる 点である。「成長はかなたに目頼をもたぬ」といった デューイの言葉や,「はじめに子どもありき」といっ た言葉の意味を表層的に捉えてしまい,「子ども自ら が課題を解決していく総合学習にあっては教師が自壊 をもってはならない」という誤解と混乱が生じている ように思えてならない。 子どもの興味や関心から学習 をスタートすることは言うまでもないが,「興味を単 に刺激する,あるいは,ほしいままにさせることと, 興味を指導することによって興味ある日榛を実現させ ることのあいだに存する差異を私は強調したい」とす 抜け出さなければ,実践される総合学習は本来の総合 学習とは似て非なるものになってしまうだろう。 また, ゴヮゴワガチガチに硬直化した学校教育から抜け出し, 信頼と尊敬に裏付けられた真の「権威」を基盤とした 創造的な「教師一子ども」関係,「真の学舎」として の学校を築くことも無理なことになってしまうだろう。 この点については,子どもも教師も共に身体(からだ) を開き,学校においてまるごとの生を生きることが重 要な鍵になると思えてならない。 これらの問題以外にも,「厳選された基礎・基本は 教科学習で,それ以外の体験的で問題解決的な学習は 総合で」といった間違った認識をもって教科学習を壌 小化させてしまいかねない問題や,ここ10年ほどで以 前にも増して広がってしまった小・中学校教育の溝を さらに広げてしまいかねない問題など,総合学習の創 設に伴っていくつかの問題点が考えられる。 こうした 問題全てに答えられるわけではないが,勤務校(本学 附属小学校)での実践を塔まえて総合学習の可能性に ついて考えてみたい。 2.「人間として生きぬく力」に培う「うれしの総合活 動」 本学附属小学校の総合学習(以下,「うれしの総合 活動」)は学校創立当初から実践を重ねており,子ど もの全-的存在そのものとしての身体(からだ)を育

るデューイの言葉に注目しておきたいところである8)0 杏,自律と共働の精神を培ってきた活動である。 現在

体験の絶対視と自己目的化による活動主義的な実践, あるいは自発的なレベルでの自己選択と自己決定に終 わるだけの実践では,子どもによる知の総合は実現で きないだろうと思える。 二点めは,実践する教師の意識が変わらず,「教師 一子ども」関係が依然として「権威一服従」関係にあ るという問題である。 「新しい学力観」「子どもの側 に立っ」「支援」などの言葉は,とりわけ小学校では 当然のこととして受けとめられてはいるが,その実際 は従来の強制と親制・管理に縛られた「権威一服従」 関係が習慣化している。 「支援」という言葉の普及と ともに問題として浮上してきた「放任」にしても,結 局は「権威一服従」関係を乗り迎えられない教師の問 題として考えられる。 このような習慣から教師自身が の「うれしの総合活動」は,「子どもの生活世界-ふ るさと」を学習対象とし,自発的・主体的に課題解決 に取り組み,自らの思いを全身で表現することを通し て「子どもならではの知」を創造していくことを主た る自壊としている。 以下,「うれしの総合活動」の自 壊・内容・方法を括まえて,その概要を簡単に説明す る。 z1. 「うれしの抱合活動」の目権一知の充実と保障 図1は,本学附属小学校の学校知の構造を登理し たものである。 この図をもとに,先述の一点めの問 題意識にも対応して子どもの知の充実と保障につい て考えてみたい。 教科学習では,親学問や芸術などを背景とした各

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教科学習

◆親学問・芸術が背景 (客観性・論理性・普遍性) ◆文化遺産としての知識・技術 (受動的・伝承的・伝達的) ◆認知構造の変容,知識構造の構築 (自発性・主体性)

図1. 本校の学校知の構造1)

教科の基礎・基本となる知識や技術を対象として, 自発的・主体的な課題解決的学習を展開し,客観的 で論理的な「教科の知」を確実に獲得できるように 構想している。 一方「うれしの組合活動」は,直接 的な生活体験を基準として,生活に生きて働く知恵 やus*冊JJ. 祉会M史化rottirt助-参加するこ とを目的としている。 自発性や主体性はもちろん他 者との相互性を大切にして,物事一つ一つがもつ意 味を体験や発見を交えて多面的に探究し,自らの知 を創造する能動的な学びである。 ここで育まれ,創 造される知を,「子どもならではの知」と呼んでい る。つまりそれは,自らの経験を切構成するなかで 新たに生成され身体化される意味や価値などであり, 一人ひとりの経験の構造や生活の状況・文脈に埋め 込まれた知恵や見識,あるいはその子の見方・考え 方・行い方などにもとづいて形成される新たな手鏡 き・方略・行動と言っていいものである。 こうした 「子どもならではの知」は,大人の目から見れば, 不確実で,客観的には断定できない. 不安定なものと 感じられるかも知れないが,-人ひとりの子どもに

家族・家庭の営み/学校の先生や友達

学校の施設・文化

霊禁ft-Jtf. il! 誓霊化地芸芸・mm f。 x. *閑適〕 ::子<r>^n ^KW告芸芸志誓二. i 笠ふ:忘霊・ft志二∴ 国際的なふれあい/諸外国の文化・伝統

国際的な問題/メディア

とっては,自身の生活や文化などを形成し,態度や 個性形成に関与する意味深いものだと言えよう。 このようにして学校知の構造を整理したうえで, 断片的な体験や知識の獲得に終始することのない経 験と知識がきちんと構成された教科学習と総合学習 を実践していくべきだと考えている0位いて,「う れしの総合活動」の学習対象とその内容,構造につ いて述べていきたい。 2.Z「子どもの生活世界-ふるさと」の学習主題と 内容 「うれしの総合活動」では,学習対象を「子ども の生活世界-ふるさと」として地域を見つめたカリ キュラムや単元の開発を試みている。 そして,「か かわり」の視点から「子どもの生活世界-ふるさと」 を見つめ,子どもの生活の基盤となる《家庭・学校) への信頼感,《地域・郷土〉の人々の営みや《自然 ・.環境〉の豊かさへの興味・関心と受容感,あるい はそれらへの寄与と参加を伴う貢献感,子どもの生 活の地平に立った《人権・福祉〉の意識,地球的な

(家慶・学校)との結びっきを強める学習主題

(地域二挿土)への理解を広げる学習主題

(自然・環境)との関わりを深める学習主題

(人権・福祉)の意識を高める学習主題

(国権・世界)を視野に入れた学習主題

図2. 学習音域「ふるさと」における主な学習内容と学習主題ごとのまとまり2)

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-17-i-. 1一 硝凶∴二-・・・(㍉︰>rr ftMl 1 2 3 6 (年)

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家庭 …

自然

人権

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世界

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岬習

うれしの総合活動

図3ー「うれしの抱合活動」のカリキュラム基本構造3)

視野に立っての《国際・世界〉への接触などを取り 上げようと考えた0 これらを学習主題の窓口として, その内容を整理すると,図2のようになる。 ここで 掲げた内容は,それぞれの視点から子どもの生活を 見つめて考えられるものであり,「うれしの総合活 動」で取り上げたいという教師の撤いを反映したも のである。 zl6ヵ年を見通したカリキュラムの構患 「はじめに子どもありき」という総合学習の性格 から,時に他の学年との学習主題や内容の重複・逆 転が指挿される。 そこで,《家庭・学校〉《地域・ 郷土)《自然・環境〉《人権・福祉〉《回転・世界〉 の5つを主な学習主題の窓口と仮説的に設定し,こ れらをもとに学年ごとの学習主題の記列・順次性を 整理し,カリキュラムの枠組み・構造とすることに した。図3が,その概要である。 図3は一見すると,身近な《学校・家庭)から単 純に同心円的に拡大していくだけのように思われよ う。しかし,同心円的に拡大するカリキュラムの特 集団表現 活動領域 学菅の津まち in 没頚 自分中心 の活動に `投入する8 about 追求 課田」35 って活動 を楽しむ8 ! fォJ4 徴を取り入れてはいるが,5つの学習主題を通した 学びは子どもの身体(からだ)の津みと往還しなが ら広がるという螺旋的な構造をイメージしているの である。具体的には,表1のように子どもの学びの 姿を想定し,単元を開発している。 14. 「うれしの総合活動」実践に当たって 「うれしの総合活動」は,「表現」を中核に「集 団表現活動」と「課題探究活動」の2領域を構成し ているのが特徴である。 「集団表現活動」領域の主 な単元は「ミュージカルをつくろう」であり,「課 題探究活動」領域では「学年総合」と呼ぶ学年毎に テーマを設定した単元が主なものとなっている。 「ミュージカルをつくろう」は,3年生以上の縦 割り集団(赤組・黄組・青組)ごとに身体的・造形 的な表現を中心にしたミュージカルを創造し,9月 の「うれしのカーニバル」で発表する活動である。 テーマとダンスは6年生が主体となって考え,ミュ ージカルのお語作りは5年生が担当することになっ ている。1-6年生の縦割り小集団(各色の組をさ

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表1.

3年生以棒の「うれしの抱合活動」における子どもの学びの姿4)

主題 3 年 生 の学 び の姿 4 ∼ 5 年生 の学 び の姿 6 年生 の学 びの姿 也 域 m 土 生 活 を豊 か に して きた地域 の文 化 や人 々の知 恵 や苦労 , 「ふ る さ と」の風 土 の よ さ . 豊か さを 体験 的 に味わ い, 願 いを もって 地 域 や郷土 に関わ ってい く 自 身近 な 自然 に全身 で関わ って い 身近 な地 域 の 自然 の よ さや豊 か 地域 の 自然 風土 と 自分 自身 の生 然 環 く過 程 で, 地 域 の 自然の よ さや さ, 問題 点 を体験 的 に発見 し, 活 との かか わ りか ら問題 点 を見 , 自分 の生活 との つなが り . 結 そ こか ら生 まれ た 自 らの こだ わ つ け , 生 き方 を問 い直 し, 身近 ぴつ きを実感 し, 自分 な りの戯 りを もとに粘 り強 く追 求 した り な地域 や地 球 の 自然 を 守 る活動 境 いを も つて 自然 に関わ って い く 工 夫 して学習 を垂理 した りす る に参加 した り, 実践 した りす る 人 自分の 生活 や活 動 との結 びつ き 身 近 な地域 の様 々な境 遇 . 立 場 様 々な境遇 . 立 場 の人 々の生 活 w 福 の疎 い身近 な地域 の人 とのふ れ の人 との 直接 的なふ れ あい を適 と自分 とを比 較 し見つ め直す こ あ いを経験 し, 互 いの思 いのか して , その人 た ちの生 きざま に とで間脳 を 見つ け, よ りよ い側 け あいや心 の つ なが りを実 感 し ふ れ, 自分で 問題 を構成 し, 切 わ り方 を求 めて 自分 で で きる こ 祉 なが ら顧 い を も つて活 動す る 実感 を もって解 決 にの ぞ む とを考 えた り, 実 践 した りす る 国 様 々な国 や地 域 の文化 の違 いや 様 々 な国や地 域 の文 化 の違 いや 際 世 よさ など体験 的 にふれ た り, 特 よ さ, 世 界 が抱 え て い る問 題 に 定 の人 や施設 と間接 或 いは直接 目を向 け, 自分 との つ なが りを 交流 した りす る ことを通 して, 見 出 して関心 を も って調 べ た り 罪 改 めて地域 や 日本 の特徴 を知 る で き る ことを実 践 した りす る らに6つに分けた「うれしの堆」)で同時親に実施 される業間スポーツと合わせて,本校ならではの濃 密な人間的係をもとに,主体性・創造性・連帯牲・ 個性・表現力などが培われる単元である。 この活動 は,2学期の「附小っ子祭り」という自治的な児童 会活動や:卒業を記念した活動などへと連醸して発 展していく。 10月以降行われる「学年総合」は,2月の「うれ しのフェスティバル」でその成果が全校児童や保護 者などに披落される。 平成10年度の単元を例に取れ ば,3年生はもち米作りの体験を中心に地域の文化 や人・白魚にふれ,4年生は自然が色濃く残る「藤 田の川」を中心に体験的に学習を展開し,5年生は 障害をもつ方やお年寄りとの交流を身近な施設「ラ ポート杜」に求め,6年生は国際・世界に目を向け 改めて日本人や自分を見つめることで追求するテー マを決め卒論に取り組んでいる。 このように,学年 でテーマを設定し,子どもの実践と実感を伴う地域 の体験や生活に根ざした活動を組織している。 これら2つの領域を関連・統合させた活動も実践 している。 とりわけ,6年間の「うれしの組合活動」 のまとめとして位置付く「卒業式」は,本校総合活 動の中でも重要な位置を占めている。 儀式的な行事 の部分と,一人ひとりが生きる証を表現する総合学 習としての部分を合わせ,言語的・音楽的表現を中 核にして実践しているのである。 このように,2つ の領域や活動を固定的なものとして捉えず,教科や 道徳,特別活動などとも関連・統合させるなどして 柔軟な対応をしそいるのである。 図4は,ここで述 べてきた1年間の流れを構造的に示したものである。 こうした実践をするなかで教師が最も注目すべき は,「うれしの総合活動」における身体(からだ) の問題である。 それは,身体(からだ)が子どもの 見方や考え方,行い方の基底をなし,知・情・意・

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月 伝 ⊥ I △ ミ I ■- ● ● う 感 △ 卒 ー △ △△ ′● ▼ う 学 △ の予 う ユ 初 全 オ れ 年 附 れ 動 あ 業 定 れ J め 校 ー し 総 小 しフあ り 式 ( ( し ジ ま 造 デ の 合 つ の エる業 が ● △ の カ しう形 イ カ 子 ス 式 とう 総 関 斑 ル つて れ ( シ I ま テ に うれ 合連 の を く し班 ヨ 案 ■ コ " 喜 L L 活 括 編 ろ の旗 ン ノヾ り パ よ の 動 動 . 、一ノ.、J 成 う 斑 ) i ノレ ル う 粧 4 月 5 月 6 月 7 月 9 月 10 月 日 月 12月 1 月 2 月 3 月 活動 単元 「ミュー ジカル」 「学 年総 合」 ′′「卒業 」 学 習 隻 団 棟 割 り 生 活的 総 合的 な教 科 . 道 徳学 習 課 題 揺 究 学 管 領 域 ふ る さ と f i t 割 り I..+II..I-" I ..I.-I -.I.. ∋ 自治的 な児童 会活 動 ′ 言 語 的 . 音 楽的 な表現 が 中J 表現 方法 隻 団 義 戟 身 体 的 . 造形 的 な表現 が 中JL、 I

図4_ 「うれしの総合活動」のカリキュラム積怨5)

行為などを具体的状況の中で総合していく鍵的な場 となるからである0 そのため,日々の教育実践の場 では,身と心を不可分なものとして捉え,可能な限 り一人ひとりのときはぐれた開かれた見方・感じ方 ・行い方を保障し,尊重していく必要がある。 具体 的には,ひと・もの・こととの身体的な交流の場や, 生き生きとした表現を中核とした身体的・対話的交 流の場,そして温かく濃密な人間関係に基づく仲間 との交流の場などが大切となろう。 この点は子ども にばかり求められるものではなく,我々教師も同様 創造的で柔らかい「教師一子ども」関係を築いてい く必要がある。 このような自覚を教師がもたなけれ ば,次期教育課程で新設される「総合的な学習の時 間」は,「総合的な教授の時間」あるいは「無政府 状態の放任の時間」になってしまうように思えてな saw 1おわりに-総合学習の可能性 最後に「うれしの総合活動」の成果を振り返り,そ こから考えられる総合学習の可能性について考えてみ

の視点で自己の身体(からだ)のありようを変革し,たい。

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本学附属小学校では,「うれしの総合活動」の各単 元終了後,子どもと教師,時に保護者を交えてアンケ ートを実施し,総括的な評価をするように心掛けてい る。紙幅の関係で詳細は報告できないが,昨年私が担 任した6年生の保護者を対象にしたアンケートでは, 約92,6の保護者が「附小の総合学習に溝足している」 と解答した。その理由の代表的なものとしては,次の ようなものがあげられる。 「自分で,または自分たちで考え,行動し,協力して, 人間としても大きくなったと思う。 「様々な表現力が育ってきたと思う。 特に,集団の中 で自分を表現する力が伸びてきたように思う。 」 「一番意欲的に行動的になれたのが,総合学習だったO 今すぐには結果は出ないけれど,10年後,15年後に は,きっとやってよかったと本人が一番感じられる のだろう。」 「他校とは違う\真似のできないすばらしい活動を, これからも続けてほしい。 」 ここに見られる内容は,子ども自身や教師の評価と はぼ一致している。 学校の特色ある教育活動に価値を 見出し,そこで培われる連帯的な個性と実践力,表現 力などが評価されている。 私は,ここに総合学習の可能性があるのだと思える。 それは,これからの学校の方向性を指し示すものであ る。細分化された情報を将来の受験や進学に役立っか らと無理矢理子どもに押しっける学校や,従来の教育 観のまま子どもを一方的に管理・鼓制する学校などの ようなゴワゴワガチガチに硬直化した学校ではない。 真の信頼と尊敬に支えられた母校愛と,子どもと教師 の濃密な人間関係を基盤に,ひと・もの・こととのか かわり(-関係の相互性)を大切にしたドキドキワク ワクに溝ちたしなやかな学校である。 「ゴワゴワガチガチからドキドキワクワクの学校へ」 といった表現は,どこか「フワフワ」としていて,無 責任で頼りない表現に思われるかも知れない。 しかし. 「自己チュ一児」「学級崩壊」など,これまでの概念 では理解できない子どもの荒れを,どこにでも起こり うるものと考えたとき,現場の教師としては総合学習 を突破口として是非とも全国各地で実現していくべき 学校像として提案したいのである。 幸いにして本学附 属小学校ではそのような事態はなく,子ども一人ひと りが自己の居場所と効力感をもち,充実した6年間を 過ごしている。 先行き不透明と言われる21世紀ではあ るが,あの子どもたちの輝かしい目を見たとき,そこ にははっきりとした未来が映し出されているように思 える。 総合学習は,万能選手でも,特効薬でもない。 しか し,新たな教育のパラダイムを求めて,その期御i大 きい。「歴史は繰り返すO総合学習は行き詰まり,再 び系統的な教科カリキュラムの時代になる」といった 無責任な言動で目の前の子どもたちに寄り添うことを 放棄するのではなく,現場の教師が果敢なチャレンジ 精神と冷静な判断力をもって総合学習を開発してト、か なければならないと考えている。 そのために,コード 化された目で対象を見たり,表層的な実践になったり しないように,目標と実践の哲学をしっかりもって, 自分の学校独自の理論と方法の開発に着手しなければ ならないだろう0 そして,「1. はじめに」の項であげ たような問題点を克服していく実践的な研究を共同的 に推進していきたいものである。 総合学習の可能性は, 私たち教師の主体的な実践研究とカリキュラム開発に かかっているのだろう。 蝣t 1)兵庫教育大学学校教育学部附属小学校教育研究会編 r「人間として生きぬく力. Jに培う総合学習一子ど もならではの知の創造」繋明書房p. 20,1999. 2)前掲D. P. 30. 3)前掲D. p. 31. 4)前掲1),p. 33. 5)前掲D. p. 36. 6)射馬登,rデューイ教育哲学の研究」,明治図書, p. 33,1992.

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