〈新体詩〉集としての『若菜集』
著者
佐藤 伸宏
雑誌名
東北大学文学研究科研究年報
巻
67
ページ
1-36
発行年
2018-03-01
URL
http://hdl.handle.net/10097/00122389
︿新体詩﹀集としての﹃若菜集﹄ ︵佐藤︶
︿新体詩﹀集としての﹃若菜集﹄
佐
藤
伸
宏
島崎藤村の詩集﹃若菜集﹄ ︵春陽堂、明治三〇 ・ 八︶については既に数多くの考察が積み重ねられてきている。その近代詩史上に 於ける位置に関しても、日本近代詩の真の始発を告げた詩集と見做す見 解 ︶1 ︵ が殆ど定着しているかに見える。そしてそうした理解を 支えているのは、専ら﹃若菜集﹄の詩のテーマやモチーフの分析、或いは創作主体としての藤村の実人生的体験及び文学観との相 関を前提とした詩の釈義を主軸とする考察であったと言ってよい。しかしながら﹃若菜集﹄の上梓が明治三十年という時点であっ たこと、換言すれば﹃新体詩抄﹄ ︵丸家善七、明治一五 ・ 七︶出版の僅か十五年後であった点に改めて留意する必要があるのではな かろうか。 日本の近代詩は外山正一、矢田部良吉、井上哲次郎の三者の編になる﹃新体詩抄﹄を起点として成立する。それは、詩集表題が 告げるように新たな﹁体﹂ ︵様式 ・ スタイル︶の詩、 即ち西欧近代詩を規範とした、 伝統詩歌とは全く異なる 形 式 を備える︿新体詩﹀ として始動することとなったのである。明治二十年代の詩壇に於いて、そうした︿新体詩﹀の形式︵ ﹁形﹂ ︶と内容︵ ﹁想﹂ ︶との関 係について、また︿新体詩﹀が︿詩﹀たりうる根拠の所在をめぐって、形想論争と呼ばれる旺盛な議論が交わされたのも、それが ﹁新体﹂の詩として成立した故のことであった。藤村の﹃若菜集﹄とはそうした詩壇の動向の裡に生み出された詩集に他ならない。 そ の よ う に 考 え る 時、 ﹃ 若 菜 集 ﹄ 所 収 の 詩 は︿ 新 体 詩 ﹀ と し て 明 治 日 本 に 新 た に 移 植 さ れ た 詩 の 形 式、 フ ォ ル ム の 問 題 に 如 何 接していたのか││そうした問いが必然的に浮上してくることになる。 本稿では、従来の藤村詩研究に於いては殆ど閑却されてきた︿新体詩﹀の形式、とりわけ連構成及び改行︵行換え︶というフォ東北大学文学研究科研究年報 第六七号 ル ム に 視 点 を 据 え た 分 析 を と お し て、 日 本 近 代 詩 史 上 に 於 け る﹃ 若 菜 集 ﹄ の 意 義 に つ い て 改 め て 検 討 を 加 え て み る こ と に し た い。 その際、 問題の所在を明らかにするために、 敢えて藤村詩の外国語翻訳を参照する。それらの訳詩と原詩たる藤村詩との間には様々 の差異や隔たりが見出されるが、但しそれは翻訳行為に於いて言わば不可避的に生じる事態であり、翻訳について考える際の自明 の前提と見做されるべきであろう。寧ろ翻訳テクストが孕む歪曲や偏差は、原文自体の表現や構造の性格、特質を逆照射し、原文 に再考を加える契機ともなりうる。 本稿に於いて藤村詩の翻訳の参照という迂路を辿るのはそうした目論見に於いてのことである。 以下、 ﹃若菜集﹄の詩篇とその翻訳との比較対照を経由しつつ、 ︿新体詩﹀としての藤村詩の特質と意義について、とくにフォルム の観点から考察を試みることとする。 一 ﹃若菜集﹄巻頭には﹁おえふ﹂と題された次のような詩が置かれている。 処 女 ぞ 経 ぬるおほかたの きらめき 初 むる 暁 星 の われは 夢 路 を越えてけり あしたの空に動くごと わが世の坂にふりかへり あたりの光きゆるまで いく 山 河 をながむれば さかえの人のさまも見き 水 静 なる江戸川の 天 つみそらを渡る日の ながれの岸にうまれいで 影かたぶけるごとくにて 岸の桜の花影に 名の夕暮に消えて行く
︿新体詩﹀集としての﹃若菜集﹄ ︵佐藤︶ われは処女となりにけり 秀 でし人の 末 路 も見き 都 鳥 浮く大川に 春しづかなる 御 園 生 の 流れてそゝぐ 川 添 の 花に隠れて人を 哭 き 白 菫 さく若草に 秋のひかりの窓に 倚 り 夢多かりし吾身かな 夕雲とほき友を恋ふ 雲むらさきの 九 重 の ひとりの姉をうしなひて 大宮内につかへして 大宮内の 門 を出で 清涼殿の春の夜の けふ江戸川に来て見れば 月の光に照らされつ 秋はさみしきながめかな 雲を 彫 め 濤 を 刻 り 桜の 霜 葉 黄に落ちて 霞をうかべ日をまねく ゆきてかへらぬ江戸川や 玉の 台 の 欄 干 に 流れゆく水 静 にて かゝるゆふべの春の雨 あゆみは遅きわがおもひ さばかり高き人の世の おのれも知らず世を 経 れば 耀 くさまを目にも見て 若き命に絶へかねて ときめきたまふさま〴〵の 岸のほとりの草を 藉 き
東北大学文学研究科研究年報 第六七号 ひとのころもの 香 をかげり 微 笑 みて泣く 吾 身 かな おえふという固有名を持つ女性のモノローグの詩﹁おえふ﹂は、全十二連で構成されているが、第一連に明らかなように回想の 枠組みを備えている。冒頭一行目の﹁おほかたの﹂は行末に位置することによって﹁処女ぞ経ぬる﹂と﹁夢路を越えてけり﹂との 双方の詩句に関わる両義的な機能を担い、この﹁われ﹂が自らの﹁処女﹂時代、即ち﹁夢路﹂を辿る如き﹁処女﹂の日々が既に殆 ど過ぎ去った時点にあること、換言すれば﹁わが世の坂﹂に至り着いている﹁われ﹂の現在時の状況を示す。そのような地点に於 い て﹁ わ れ ﹂ は﹁ わ が 世 ﹂、 来 し 方 を﹁ ふ り か へ ﹂ る の で あ る。 こ う し て 始 ま る 回 想 の 語 り は 第 二 連 以 降、 第 九 連 ま で 続 く。 そ し て第十連に至り、 ﹁けふ江戸川に来て見れば﹂の一行を介して再び現在の時点に立ち戻ることになる。このような構成を備える﹁お えふ﹂に関して、 その翻訳を参照してみる時、 様々の興味深い問題をそこに見出すことが出来る。例えば原詩第六│九連の部分を、 Shigeshi Nishimura 訳 “O YO ”は以下のように訳出している。
I watched the brilliance of the state
Of many a lady highest rank
ed;
I smelt the fragrance of the r
obe
Of many a person favour
ed most.
I saw some rise fr
om grace to grace
As does the mounting L
ucifer
,
And saw them outshine all the r
est
︿新体詩﹀集としての﹃若菜集﹄
︵佐藤︶
I saw some gif
ted ones decline
As does the sun towar
ds the west,
And saw them finally eclipsed
As he is swallowed by the night.
Hid in the quiet flowering gar
den
Of spring I mour
ned their luckless fate;
A
t the window glowing with autumn clouds
Of eve I longed for my distant frien
d ︶2 ︵ s. 右の翻訳に於いて原詩の﹁春しづかなる御園生の/花に隠れて人を哭き﹂ ︵第九連︶の二行が
«Hid in the quiet flowering gar
Of spring I mour
ned their luckless fate»
と訳し出されている点は注目に値しよう。即ち
«their luckless fate»
という表現は原詩の を大きく逸脱した訳出となっているが、そうした翻訳をとおして、 «I saw» の反覆の中で前連に描き出されている宮中︵ ﹁大宮内﹂ でおえふが眼にした凋落、失墜していった人々との明らかな対応が図られているからである。この訳詩はそのような訳語の採用に よ っ て 第 八 連 と 第 九 連 と の 直 接 的 な 意 味 の 連 続 性 を 作 り 出 し て い る。 こ う し た 翻 訳 を 傍 ら に 置 き つ つ 原 詩 を 改 め て 顧 み る 時、 え ふ ﹂ と 題 さ れ た 詩 が 備 え る 或 る 特 徴 的 な 表 現 の 様 相 が 鮮 明 に 浮 か び 上 が る こ と に な る。 既 述 の 回 想 の 枠 組 み の 下 で、 第 二、 に於いて﹁処女﹂時代の﹁われ﹂の﹁夢多かりし﹂日々が語り出されるが、第四連に至り些か唐突に宮仕えの生活に場面が切り替 わ る。 以 下、 第 八 連 ま で の 五 連 を 費 や し て、 お え ふ は 宮 廷 で の 日 々 を﹁ ふ り か へ ﹂ る こ と に な る。 第 四、 五 連 が 語 る の は 生 い た 江 戸 川 の 畔 と は 全 く 異 な る 宮 中 の 光 景 で あ り、 ま た 第 六 連 以 降 の 三 連 は、 ﹁ 目 に も 見 て ﹂﹁ 香 を か げ り ﹂﹁ 見 き ﹂ と い う 詩 句 ねられるように、おえふが宮中で触れた大宮人たちの栄枯盛衰、運命の浮沈変転の姿を描く。以上のような内容上の纏まりをもつ
東北大学文学研究科研究年報 第六七号 第二 ・ 三連、第四 ・ 五連そして第六│八連の三つの部分は、それぞれの内部で対句的、類比的な詩句が用いられることによって二連 乃至三連としての結びつきを強めている。しかし又その三つの部分相互の持続性、連続性は寧ろ希薄であると言うべきだろう。第 三連と第四連、第五連と第六連それぞれの連の区切りに於いて、回想の語りの焦点が仲介なしに切り替えられているのである。そ し て 第 八 連 か ら 第 九 連 に 移 行 す る 箇 所 は と り わ け そ の 展 開 が 辿 り に く い。 ﹁ 花 に 隠 れ て 人 を 哭 き ﹂ の﹁ 人 ﹂ と は 如 何 な る 存 在 で あ るのか、そしてそもそも﹁われ﹂は何故泣き声をあげて涙を流す︵ ﹁哭き﹂ ︶のか││そうした曖昧さ、或いは不可解さはこの詩の 全体を辿り直してみても解消するわけではない。即ち﹃若菜集﹄巻頭の詩﹁おえふ﹂には、連と連との繋がりを不鮮明にする、語 られる場面と内容に於ける変換、切り換えが複数の箇所に孕み込まれているのである。そしてそれは第八連と第九連との関係に於 い て と く に 顕 著 に 認 め ら れ る。 そ の 両 連 の 間 に は 言 わ ば 空 白、 飛 躍、 或 い は 亀 裂 が 生 じ て い る の で あ る。 先 の 訳 詩 “O YO ”が 示 し て い る の は、 原 詩 の 詩 句 の 改 変 を 伴 う 形 で、 そ う し た 空 白 を 充 填 し、 意 味 の 連 続 性、 持 続 性 を 確 保 す る 試 み に 他 な ら な い。 “O YO ” の 第 六 連、 お え ふ が 視 線 を 注 ぎ 関 心 を 寄 せ る 対 象 が
«many a lady highest rank
ed», «the fragrance of the r
obe / Of many a person
favour ed most» と 訳 出 さ れ、 原 詩 の﹁ 人︵ ひ と ︶﹂ に 比 べ て 女 性 の イ メ ー ジ を 色 濃 く 宿 し た 表 現 と な っ て い る こ と も 又、 そ う し た 宮廷の女性たちの中で失墜するに至った人々の﹁不幸な運命﹂ ︵
«their luckless fate»
︶に涙を流すという意味の連続性の形成に寄与 していると言ってよいだろ う ︶3 ︵ 。以上のような﹁おえふ﹂第九連に関しては、次のような翻訳もなされている。 The her
oine of the above poem is in the ser
vice of an emper
or
.
Her life looks pr
omising, sur
rounded by
‘feasts under the
moonlight
’.
However
, she is not chosen as a mate for the emper
or . Toson nar rates :
In the springtime, she goes out quietly to the gar
den,
And weeps for a man under the flowers.
︿新体詩﹀集としての﹃若菜集﹄
︵佐藤︶
And longs for a man beyond the evening clouds.
J. Morita の手になる本テクス ト ︶4 ︵ は藤村詩の翻訳と注解で構成されているが、右はその第九連に関わる一節である。そこには極め て大胆なストーリーが導入されている。即ち訳詩直前の注解に示されているように、ここでおえふは帝の寵愛を得られなかった女 性 と し て 捉 え ら れ て お り︵
«she is not chosen as a mate for the emper
or .» ︶、 従 っ て 第 九 連 に 於 い て お え ふ が 涙 を 流 し て 恋 い 求 «a man» と は 他 な ら ぬ «the emper or» で あ る こ と が 示 唆 さ れ る こ と に な る。 恐 ら く そ れ 故 に 四 行 目 も 原 詩 を 大 き く 改 変 し て
for a man beyond the evening clouds»
と い う 隔 絶 し た 存 在 へ の 思 慕 を 語 る 一 行 と な っ て い る と 考 え ら れ る。 こ の 訳 詩 で は こ の 至って三人称へと語りが移行しているが、それは、曖昧さを含んだ原詩第九連に対して、おえふを人知れぬ思慕の情を抱える姿と して外側から描く表現に変換しつつ、その空白を注解によって説明することをとおして原詩の曖昧さを回避する翻訳上の方策に基 づ く も の で あ ろ う。 こ の テ ク ス ト は、 前 引 の Nishimura 訳 と も 異 な る、 殆 ど 曲 解 に 基 づ く 翻 訳 と も 見 做 さ れ る が、 そ れ は 原 詩 の 孕 み 込 む 空 白 を 埋 め 込 む た め に 訳 者 の 解 釈 が 大 き く 介 入 す る に 至 っ た 故 の こ と と 考 え ら れ る。 翻 訳 テ ク ス ト を 経 由 す る こ よって浮上するのは、そのような空白や飛躍を抱え込んだこの詩の展開の在り方なのである。そして注目すべきは、如上の意味の 持続性、連続性の切断や場面、状況の唐突な転換が、他ならぬ連を改めることを契機になされているという藤村詩の表現の機構に 他ならない。 藤村の詩﹁おえふ﹂に於けるそうした表現の特徴は、末尾の部分に於いても判然と認められる。既述の如く第十連に至って回想 か ら 現 在 時 へ と 語 り の 変 換 が な さ れ る。 そ の 第 九 連 か ら 第 十 連 へ の 展 開 も 唐 突 で あ り、 お え ふ は﹁ ひ と り の 姉 を う し な ひ ﹂、 を 退 く こ と に な る。 そ し て﹁ け ふ ﹂ 江 戸 川 を 訪 れ た 際 の モ ノ ロ ー グ の 語 り が 続 く。 第 十、 十 一 連 で 語 り 出 さ れ る 凋 落 の 季 節﹁ の﹁ さ み し き な が め ﹂、 そ し て﹁ ゆ き て か へ ら ぬ 江 戸 川 や ﹂ と い う 詩 句 は 明 ら か に 流 れ 去 る 時 間 の モ チ ー フ を 伝 え る。 そ れ は 死や宮中での体験を背景としておえふの裡に生じた意識であるとしても、 同じく現在時の語りとしてあった第一連にそのような みし﹂さと鬱屈を抱えるおえふの姿を認めることは殆ど不可能であるだろう。寧ろそうした全てのものが移ろい、失われ、再び取
東北大学文学研究科研究年報 第六七号 り 戻 す 術 は な い と の 時 間 の 流 失 を め ぐ る 悲 傷 の 念 は、 こ れ ら 第 十、 十 一 の 両 連 に 於 い て 新 た に 浮 上 す る に 至 っ た と 言 わ な け れ ば な るまい。更に最終十二連、そこでおえふは﹁若き命に絶えかねて﹂││抑制し難い程の﹁若き命﹂を宿した存在として自らを語り 出す。その自己の生の認識は、しかし﹁われ﹂が既に﹁処女﹂時代を終え、後半生に差し掛かった時点にあることを語った第一連 と明らかに齟齬を来すものであり、また八つの連を費やした回想の語りからの整合的で必然的な帰結とは見做し難い不自然さ、或 い は 不 可 解 さ を 孕 ん で い る。 ﹁ お の れ も 知 ら ず 世 を 経 れ ば ﹂ と い う 自 己 批 判 を 滲 ま せ た 詩 句 に 関 し て も 同 断 で あ る。 従 来 の 藤 村 詩 研究に於いては、その﹁若き命﹂という言葉に﹃若菜集﹄を貫くテーマ、即ち青春や恋愛、若さそして生命といった所謂︿春﹀の テーマの顕現を指摘する見解が提出されてい る ︶5 ︵ 。そうした詩集を通底する主題性は確かに認められるにしても、ここで注目すべき は、 そ の テ ー マ が、 こ の 末 尾 の 一 連 に 於 い て 唐 突 に 浮 上 し て く る 表 現 の 機 構 の 問 題 に 他 な ら な い。 ﹁ 若 き 命 ﹂ の テ ー マ の 表 白 は、 前連からの飛躍或いは転換に於いてこそなされているのである。 ﹃若菜集﹄という詩集が或る種の難解さを孕んでいるとすれば、それは右の﹁おえふ﹂が示しているように、意味内容の繋がり、 連続性を辿ることの困難な箇所が含まれている点、換言すれば詩の展開の裡に飛躍や転換、切断が折り込まれていることに由来し よう。そしてそのような詩の展開乃至は構造を生み出し、 支えているのが連構成という詩のフォルムであり、 その機能なのである。 そうした藤村詩のフォルムの問題について、他の詩篇をとおして更に確認してみることにしたい。 二 まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき 前にさしたる 花 櫛 の 花ある君と思ひけり
︿新体詩﹀集としての﹃若菜集﹄ ︵佐藤︶ やさしく白き手をのべて 林檎をわれにあたへしは 薄 紅 の秋の実に 人こひ初めしはじめなり わがこゝろなきためいきの その髪の毛にかゝるとき たのしき恋の 盃 を 君が 情 に 酌 みしかな 林檎畠の 樹 の 下 に おのづからなる細道は 誰 が踏みそめしかたみぞと 問ひたまふこそこひしけれ 右 の 詩﹁ 初 恋 ﹂ は﹃ 若 菜 集 ﹄ の 中 で も 最 も 人 口 に 膾 炙 し て い る 一 篇 で あ る。 こ の 詩 に 関 し て は 三 篇 の 翻 訳 が 発 表 さ れ て い 極めて興味深いのはそれらの訳詩が相互に全く性格を異にしている点にある。 First L ove ︵ⓐ︶
東北大学文学研究科研究年報
第六七号
WHEN I saw you, your hair newly put up,
Under the bough of an apple tr
ee,
I for
med a pictur
e of you as a girl in flowers,
W
earing a flower
-comb above your for
ehead.
When you r
eached out a sof
t white hand,
And gave me an apple
̶ a fr uit of autumn T inged with r ose ̶ then I knew
I was deep in love, my first love.
When the sigh I failed to hide
Lightly stir
red your hair
,
Fr
om the cup of love you gently offer
ed
I sipped my fill.
Under the bough of the apple tr
ee
A lane had gr
own befor
e we knew
.
You ask, who was the first to tr
ead it ?
̶
A simple question that shak
es my hear
t.
︵
trans. by T
akamichi Ninoyama and D
.J. Enrig
h
︶6
︵
︿新体詩﹀集としての﹃若菜集﹄ ︵佐藤︶ Pr emier amour ︵ⓑ︶ Quand, ta chevelur e peignée pour la pr emièr e fois, Tu m ’es appar ue sous le pommier , Je te cr
oyais une fille en fleurs,
Un peigne de fleurs sur ton fr
ont.
Quand, gentiment, tu tendis ta blanche main
Et me donna une pomme, ce fut alors
Que je r essentis mon pr emier amour , A u fr uit de l ’automne, ce fr uit incar nat. Quand, j ’exhalai un soupir
Indiscrètement sur tes cheveux,
Ma coupe d
’amour était pleine
De ta tendr
esse pour moi.
L
e sentier tracé
Sous les arbr
es du ver
ger
⋮
東北大学文学研究科研究年報 第六七号 Qui est d ’abor d passé par là ! ︵
traduit par Karl P
et i ︶7︵ t ︶ First L ove ︵ⓒ︶
When you first combed back your fringe
Under the apple boughs
I thought you wer
e lik
e a flower
W
ith the comb lik
e a blossom at the fr
ont.
When you str
etched out your white hand to me
To give me the apple
I felt for the first time the stir of love
Among the r ose -red fr uits of autumn. I br
eathed my love lik
e a sigh
Upon your combed
-back fringe.
I gave you my hear
t
Lik
e a cup brimming with the wine of love.
︿新体詩﹀集としての﹃若菜集﹄
︵佐藤︶
The path lies empty befor
e me now Under the tr ee in the apple or char d, When I ask: “Who walk
ed beside me along this nar
row path ?
”
What I am missing is that first love.
︵
trans. by James Kirk
up ︶8︵ ︶ 藤村の詩﹁初恋﹂第一連は﹁君﹂との最初の出会いの場面、前髪を上げて髪を結い始めて間もないうら若い乙女の姿を捉えてい る。但しその容姿が具体的に描かれることはない。この第一連では、 ﹁まだあげ初めし前髪﹂ 、 そしてその前髪を飾る可憐な﹁花櫛﹂ に表現が絞られ、そこから﹁花ある君﹂という一句が導かれる。前髪に焦点を据える形で描かれた﹁君﹂はこうして花のイメージ と重ね合わされることによって、その初々しい姿を匂いやかに浮かび上がらせる。また前髪、頭上の林檎、花櫛と続く表現は、見 上げる﹁われ﹂の眼差しを自ずと喚起する。そうした言わば仰ぎ見る視線が﹁われ﹂の憧憬の情を伝えることになるのである。第 二連はまず﹁やさし﹂げに差し伸べられた﹁白き手﹂の映像を呈示する。その手は、未だ熟し切らぬ﹁薄紅﹂の林檎との見事な色 彩 の 調 和 の 中 で、 ﹁ 君 ﹂ の 匂 う よ う な 美 し さ を 彷 彿 と さ せ る の で あ る が、 更 に﹁ 君 ﹂ が﹁ わ れ ﹂ に 林 檎 を 与 え て く れ る と い う そ の も の を と お し て、 ﹁ 君 ﹂ へ の 憧 れ の 思 い の こ も る﹁ わ れ ﹂ の 甘 美 な 初 恋 の 情 が 豊 か に 流 れ 出 す。 し か し 以 下、 後 半 部 に この詩は大きな転調を示すことになる。 さ て 右 に 掲 げ た 訳 詩 ⓐ は、 以 上 の よ う な 第 一、 二 連 に 関 し て は 基 本 的 に 原 詩 に 忠 実 な 訳 出 と な っ て い る も の の、 第 三 連 に 於 原詩からの逸脱を見せる。原詩第三連は ﹁わがこゝろなきためいきの/その髪の毛にかゝるとき﹂ の二行によって明らかに ﹁われ﹂ と﹁君﹂が身を寄せ合い、抱擁する姿を伝えている。それは﹁こゝろなき﹂││思慮を欠いたと語られる程に切迫した、抑え難い 恋情の発露としての振る舞いであり、そうした思いが満たされた故の恋の成就の喜びが後半二行で告げられている。こうした第三 連には既述の前半二連が描く﹁われ﹂と﹁君﹂の関係からの確実な変化が窺われるのであるが、ⓐの訳詩第三連では、原詩に見ら
東北大学文学研究科研究年報 第六七号 れ る 直 接 的 な 表 現 が か な り 緩 和 さ れ て い る と 言 っ て よ い だ ろ う。 即 ち 隠 そ う と し な が ら 思 わ ず 漏 れ 出 て し ま っ た 吐 息 が 君 の 髪 を そ っ と 静 か に 揺 ら し た と 語 ら れ る︵
«the sigh I failed to hide / Lightly stir
red your hair»
︶ 時、 二 人 は 身 を 寄 せ 合 っ て い る に し て も、 臆 し が ち な、 躊 躇 い を 含 ん だ﹁ わ れ ﹂ の 姿 が 浮 か び 上 が っ て こ よ う。 ま た﹁ わ れ ﹂ が 味 わ う
«he cup of love»
は﹁ 君 ﹂ が﹁ わ れ ﹂ に優しく差し出してくれたものであると語られることによって、第二連の﹁君﹂が﹁われ﹂に林檎を﹁あたへ﹂る構図を反復して いるのである。こうした訳詩第三連の性格は最終連の翻訳にも流れ込んでいく。原詩の第四連に於いては、逢瀬を重ねた時間を背 景 に 深 く 慣 れ 親 し ん だ﹁ 君 ﹂ と﹁ わ れ ﹂ の 関 係 が 判 然 と 示 さ れ る。 ﹁ 林 檎 畠 の 樹 の 下 に / お の づ か ら な る 細 道 は / 誰 が 踏 み そ め し かたみぞ﹂という問いかけには些かコケティッシュな﹁君﹂の身振りが窺われ、又それに応じる﹁われ﹂の﹁こひしけれ﹂という 言葉にも存分に満たされた恋の思いが込められていよう。そのような原詩に対して翻訳ⓐは、動詞の時制を過去から現在に切り替 え る こ と に よ っ て 原 詩 の 孕 む 時 間 の 経 過 を 顕 在 化 さ せ た 上 で、 «you» が 問 い か け る 発 語 自 体 を 際 立 た せ つ つ、 そ れ を 原 詩 に は な い
«A simple question»
と い う 表 現 に よ っ て 捉 え る。 更 に そ の 言 葉 に 動 揺 し、 狼 狽 す る﹁ わ れ ﹂ の 姿 を 呈 示 す る 詩 の 末 尾︵ «shak es my hear t» ︶ は 原 詩 か ら の 大 き な 隔 た り を 見 せ て い よ う。 こ の 翻 訳 に 於 い て は、 初 め て の 恋 の 体 験 の 中 で 初 々 し い 心 の 昂 ぶ り と 揺 ら め きを抱えている﹁われ﹂の姿が訳詩全体をとおして語り出されているのである。 一 方 ⓑ の フ ラ ン ス 語 訳 は、 そ れ と は 対 照 的 と 見 做 し う る 性 格 を 備 え て い る。 先 に 参 照 し た ⓐ は、 ﹁ 初 恋 ﹂ 前 半 二 連 に 関 し て は 原 詩 に ほ ぼ 忠 実 な 訳 出 と な っ て い た が、 こ の 翻 訳 の 場 合 に は 寧 ろ そ の 第 一、 二 連 に 興 味 深 い 原 詩 か ら の 隔 た り が 認 め ら れ る。 例 え ば 原 詩 第 一 連 の 詩 句﹁ 花 あ る 君 ﹂ は﹁ 君 ﹂ の か ぐ わ し く 清 純 な 美 し さ を 伝 え る 修 辞 的 表 現 と 言 っ て よ い が、 そ の 翻 訳 で あ る «une fille en fleurs» と い う 詩 句 は 寧 ろ 美 や 若 さ、 魅 力 の 盛 り に あ る 女 性 の イ メ ー ジ を 喚 起 し よ う。 そ れ は 訳 詩 ⓐ の «I for med a pictur e of
you as a girl in flowers, / W
earing a flower
-comb above your for
ehead» という二行が描き出す ﹁君﹂ とは異なる女性の姿を浮上させる。 そ う し た こ の 翻 訳 の 性 格 は 第 二 連 の﹁ 薄 紅 の 秋 の 実 ﹂ の 訳 出 に も 判 然 と 認 め ら れ、 そ の﹁ 秋 の 実 ﹂ は «ce fr uit incar nat» 即 ち 鮮 紅 色に色付いた熟した林檎に他ならない。断片的ながら、ⓑの翻訳は、原詩とは確実な差異を孕んだ形で﹁君﹂に成熟した美や魅力 に溢れた女性のイメージを付与しているのである。そしてそのような﹁君﹂のイメージが第三連の場面に滑らかに結び付く。そこ
︿新体詩﹀集としての﹃若菜集﹄ ︵佐藤︶ に 呈 示 さ れ る の は 明 ら か に 二 人 の 抱 擁 の 姿 で あ り、 そ の﹁ わ れ ﹂ の 行 為 は 慎 み の な い、 無 遠 慮 な 振 る 舞 い︵ «Indiscrètement» も 語 ら れ る。 そ う し た 慎 み を 欠 い た 大 胆 な 行 為 さ え 受 け 入 れ て く れ る﹁ 君 ﹂ と の 相 愛 の 関 係︵ «De ta tendr
esse pour moi»
︶ の の 下 に、 我 が 恋 の 杯 は な み な み と 満 た さ れ た︵ «Ma coupe d
’amour était pleine»
︶ と い う 一 行 が 誇 ら し げ に 語 り 出 さ れ る の で 以上の三連は過去形の文体で綴られているが、最終連に至って現在時制へと変換する。その時間の経過を背景に、第四連に於いて は、 コ ケ ッ ト な 問 い か け の 言 葉 を 漏 ら す﹁ 君 ﹂ を 可 愛 ら し い、 愛 す べ き︵ «aimable» ︶ 存 在 と 捉 え る 現 在 の﹁ わ れ ﹂ の﹁ き み の 思 い が 感 嘆 文 で 示 さ れ る。 そ こ に は 互 い の 愛 情 を 確 認 し 合 っ た 親 密 な 恋 人 同 士 の 関 係 が 鮮 明 に 認 め ら れ よ う。 こ の ⓑ の﹁ 翻訳としての性格は原詩の後半二連に寄り添っている点にある。それ故、原詩前半部に比重を据えた訳詩ⓐとは対照的とも言いう る差異を示すこととなっているのである。 J. Kirk up に よ る 翻 訳 ⓒ も 又 興 味 深 い 問 題 を 提 起 し て い る。 そ の 前 半 二 連 は 原 詩 の 内 容 に 即 し つ つ 明 快 平 易 な 表 現 に よ る 訳 なっているが、第二連三行目 «I felt for the first time the stir of love» は初恋の情感の揺らめき、ざわめき︵ «the stir» ︶を伝える一行 と し て、 原 詩 の﹁ 人 こ ひ 初 め し は じ め な り ﹂ の 詩 句 を 増 幅 し た 表 現 と な っ て い よ う。 そ う し た 原 詩 第 一、 二 連 が 描 き 出 す 初 め 恋がもたらす情感を鮮明に捉える訳詩の性格は、第三連に於いて一層顕著に認められる。この訳詩では﹁君﹂と﹁われ﹂の抱擁の イ メ ー ジ は 極 度 に 曖 昧、 乃 至 は 希 薄 と な る。 ま た﹁ わ れ ﹂ が 吐 息 の 如 く 愛 の 言 葉 を 囁 き か け る︵ «I br
eathed my love lik
e a sigh»
のは、第一連が描く出会いの折に﹁われ﹂の眼に最初に映じた﹁君﹂の﹁前髪﹂に向けて︵
«Upon your combed
-back fringe»
︶のこ
とに他ならない。更に続く二行では、前連に於いて林檎を与えてくれた︵
«give me the apple»
︶﹁君﹂に応答するかの如く、愛情に 満ち溢れる自らの心を ﹁君﹂ に捧げる ﹁われ﹂ の様が示される ︵
«I gave you my hear
t» ︶。原詩の改変を伴うこうした訳詩の表現は、 ﹁ わ れ ﹂ の 初 恋 の 情 感 そ の も の を 語 る 文 脈 を 堅 固 に 保 持 し て い る と 言 っ て よ い。 そ し て そ の 脈 絡 に 於 い て、 最 終 連 の 翻 訳 は 原 ら の 大 胆 な 離 脱 を 示 す。 語 り の 時 制 は 過 去 か ら 現 在 へ と 移 行 し、 「 今︵ now ︶」 の 時 点 を 語 る こ の 一 連 に 於 い て、 ﹁ 君 ﹂ と の 初 既に失われた出来事としてある。原詩に於ける 「 君 」 の問いかけは «Who walk
ed beside me along this nar
row path ?»
という﹁われ﹂
東北大学文学研究科研究年報 第六七号 ﹁われ﹂ の姿を呈示してこの訳詩は閉じられる。 ⓒの翻訳はこうして原詩とは全く別途の展開を示すことによって、 初恋を言わば初々 しい情感の裡に止めつつ、既に失われたかけがえのない体験として刻み付けようとするのである。 ﹁ 初 恋 ﹂ と 題 さ れ た 一 篇 の 詩 に 関 し て、 こ う し た 相 互 に 全 く 異 な る 三 篇 の 翻 訳 が 成 立 し て い る の は 極 め て 興 味 深 い こ と と 言 う べ きであろう。その背景にあるのは、前半の初々しい初恋の情感から大きく逸脱、変容していく原詩の展開に他ならない。換言すれ ば、この原詩﹁初恋﹂に認められるのは、連と連を分かつ空白の中に時間の経過が折り込まれ、それに伴って﹁われ﹂と﹁君﹂の 関係が親密で慣れ親しんだ、そして官能的な色合いさえ帯びたものになっていく、そうした二人の関係の進展、或いは変化を語り 出す展開である。そのような言わば恋愛の進展のモチーフについて、藤村論の文脈から合理的な注解を加えることは勿論可能であ る。即ち ﹁こひぐさ﹂ の総題を持つ初出九篇 ︵﹃文学界﹄ 明治二九 ・ 一〇︶ の中での ﹁初恋﹂ の位 置 ︶9 ︵ 、評論 ﹁人生の風流を懐ふ﹂ ︵﹃文 学界﹄明治二六 ・ 四︶に披瀝されている藤村の恋愛 観 ︶10 ︵ 、更には初期の劇詩﹁草枕﹂ ︵﹃文学界﹄明治二七 ・ 一︶に見られる﹃旧約聖書﹄ ﹁ 創 世 記 ﹂ の 挿 話 を 踏 ま え た︿ 林 檎 ﹀ の モ チ ー フ ︶11 ︵ 等 を 参 看 す る こ と を と お し て、 こ の 詩﹁ 初 恋 ﹂ の 展 開 の 必 然 性 を 説 明 す る こ と も 出来よう。但し︿新体詩﹀の様式の観点に於いて最も注目されるのは、時間の経過を具体的に言語化するのではなく、連を改める ことを契機に場や状況を大胆に切り替えてゆき、それによって表題の告げる初恋の情感から甚だしく逸脱する関係への進展を示す 展 開 の 在 り 方 │ │ そ の よ う な 連 構 成 の フ ォ ル ム が 存 分 に 活 か さ れ た 藤 村 詩 の 表 現 の 機 構 な の で あ る。 先 に 参 照 し た 三 篇 の 翻 訳 は、 そうした展開を備える原詩の如何なる側面やモチーフを焦点化し、訳詩の基調に据えるかという翻訳行為上の選択に於いて相互に 全く異質な翻訳テクストとして成立していたと言えよう。 三 詩集﹃若菜集﹄を繙く時、連構成に加えて、改行に関しても注目に値する表現が見出される。一例として﹁おくめ﹂と題された 詩を取り上げてみよう。
︿新体詩﹀集としての﹃若菜集﹄ ︵佐藤︶ こひしきまゝに家を出で こゝの岸よりかの岸へ 越えましものと来て見れば 千 鳥 鳴くなり夕まぐれ こひには親も捨てはてゝ やむよしもなき胸の火や 鬢 の毛を吹く河風よ せめてあはれと思へかし ︵第一、 二連︶ ﹁おくめ﹂は、 その名を持つ女性による一人称の語りとして構成されている。 ﹁君﹂に対する﹁胸の火﹂ 、﹁恋の 火 炎 ﹂︵第三連﹁君 を 思 へ ば 絶 間 な き / 恋 の 火 炎 ﹂︶ に 烈 し く 燃 え 立 つ﹁ わ れ ﹂ の モ ノ ロ ー グ の 詩 で あ る。 そ の 激 情 は﹁ 親 も 捨 て は て ゝ﹂ 、﹁ 河 ﹂ て ら れ た 対 「 岸 」 の﹁ こ ひ し き ﹂﹁ 君 ﹂ の も と に 赴 こ う と す る お く め の 止 み が た い 思 い と し て 呈 示 さ れ て い る が、 し か し 第 二 於 い て、 親 を も 捨 て る 程 の 激 し い 情 念 に 駆 り 立 て ら れ て い る﹁ わ れ ﹂ が、 ﹁ せ め て あ は れ と 思 へ か し ﹂ と﹁ 河 風 ﹂ に 語 り か け 半二行には或る種の転調が確かに窺われよう。 A t love
’s behest I have lef
t behind
My home and come to cr
oss the str
eam
Fr
om this to yonder bank, and hark!
Plovers ar
e cr
東北大学文学研究科研究年報
第六七号
I must deser
t my par
ents for love,
W
ith quenchless flame within my br
east.
O river br
eeze that blows my hair!
W
ilt not thou pity my helpless plight?
︵
“OK
UME
”, trans. by Shigeshi Nishim
u ︶12 ︵ a ︶ Solitair e, je pense à lui ⋮
Mon amour me consume.
J’ai franchi la rivièr
e d’une rive à l ’autr e, et je suis là ⋮
J’entends les pluviers
pleur
er au crépuscule.
Elle abandonna ses par
ents pour suivr
e son amour , ce feu d ’amour , ce cœur brûlant sans ar rêt, toujours!
Oh! vent de la rivièr
e,
vous qui car
essez ses cheveux tombant sur son visage,
pitié pour elle!
︵
“Mademoiselle Ok
umé
”, traduit par K
uni Matsuo et Steinilber
-Oberli
n ︶13︵
︿新体詩﹀集としての﹃若菜集﹄ ︵佐藤︶ 右は何れも﹁おくめ﹂冒頭二連の翻訳である。それらは原詩第二連の性格を考える上で興味深い在り方を見せている。前者に於 いて、 ﹁こひには親も捨てはてゝ﹂の一行は
«I must deser
t my par
ents for love»
と訳出されているが、 «abandon» ならぬ «deser 訳 語 に 採 用 し た こ の 翻 訳 は、 親 を 捨 て る こ と は 批 判 さ れ て 然 る べ き 行 為 で あ る こ と を 知 り つ つ も、 そ う せ ず に は い ら れ ぬ︵ must deser t» ︶ と い う お く め の 内 な る 苦 し み を 伝 え て い る。 そ し て そ れ が、 訳 出 の 際 に 増 補、 付 加 さ れ た
«my helpless plight»
う詩句との呼応を示す中で、自らを制御する術もなく、如何ともしえぬまま恋情に突き動かされる他ないおくめ││そうした苦し
みを抱える﹁われ﹂の姿を浮上させる。原詩の﹁やむよしもなき胸の火﹂を訳出した
«quenchless flame within my br
east» という表 現もおくめを苛む抗い難い情念の様を際立たせていよう。この訳詩はそのような苦悩を潜めた﹁われ﹂の状況を鮮明に語り出すこ と に よ っ て、 ﹁ せ め て あ は れ と 思 へ か し ﹂ と い う 原 詩 の 表 現 と の 整 合 化 を 図 っ て い る の で あ る。 こ う し た 原 詩 の 表 現 の 改 変 や を伴う翻訳がなされているのは、原詩第二連の前半と後半との間に内容上の落差が存していること、換言すればその二行目から三 行目への改行の裡に語りの変化が生じていることが背景となっていよう。原詩は第二連後半部に於いて、激情のままに振る舞おう とするおくめとは異なる、内面の苦悩を抱える﹁あはれ﹂なおくめの姿を呈示する。そうした二つのおくめの姿を一人のおくめ像 として整合的な統合化を図ることはせずに、 この三行目に於いて言わば仲介なしに、 ﹁胸の火﹂に燃え立つおくめを些か唐突に﹁あ は れ ﹂ に も 惨 め な 存 在 と し て 語 り 出 す の で あ る。 右 の Nishimura 訳 は、 そ う し た 二 つ の お く め 像 の 隔 た り を 埋 め 込 む 試 み に 他 ない。一方、併せて掲出したフランス語訳は所謂自由訳に近い翻訳となっているが、そこでは、第一連と第二連の間で一人称から 三 人 称 へ と 文 体 を 切 り 替 え た 上 で、
«pitié pour elle!»
│ │ 彼 女︵ お く め ︶ を 可 哀 想 だ と 思 っ て 下 さ い / 許 し て や っ て 下 さ い と 哀れみを請う語りがなされている。それも恐らく統一的なおくめ像を保持するための翻訳上の方策と言ってよいだろう。 以上のような﹁おくめ﹂第二連に見られる改行に伴う語りの転調や変容は、最終連に於いて一層顕著な形で認められる。 恋は吾身の 社 にて 君は社の神なれば
東北大学文学研究科研究年報 第六七号 君の 祭 壇 の上ならで なににいのちを捧げまし 砕かば砕け河波よ われに命はあるものを 河波高く泳ぎ行き ひとりの神にこがれなむ 心のみかは手も足も 吾身はすべて 火 炎 なり 思ひ乱れて 嗚 呼 恋の 千 筋 の髪の波に流るゝ ︵第七│九連︶ 右の最終連最終行はおくめのモノローグの語りとは如何にも考え難い。下二段活用の動詞﹁流る﹂の連体形で閉じられるこの一 行は、おくめの長く豊かな黒髪が川の波間に浮かび漂い、流れゆく光景そのものを前景化している。それが川に身を投じたおくめ の姿を外側から捉えた表現であることは明らかであろう。そうした最終連三行目と四行目との間で落差を孕んだ表現の成立を可能 に し て い る の は、 取 り も 直 さ ず 改 行 と と も に な さ れ た 語 り 手 の 位 置 の 移 動 で あ る。 改 め て 言 う ま で も な く、 ﹁ お く め ﹂ と 題 さ れ た テクストは、語りの機構としては、この詩の語り手が作中に設定されたおくめの名を持つ女性に一体化した位置に於いて、 ﹁われ﹂ という一人称の下にその内面を語り出すことによって成立している。既述の第二連後半部とは、その語り手が改行を契機に、おく めに寄り添いつつその激しい恋の情念を語る文脈から離脱して、 ﹁恋の火炎﹂に覆い尽くされた﹁心﹂とは別途に、 ﹁あはれ﹂とい
︿新体詩﹀集としての﹃若菜集﹄ ︵佐藤︶ う自らの悲惨さを意識するもう一つのおくめの姿を呈示した部分であっ た ︶14 ︵ 。そしてこの末尾の一行に於いて、やはり行換えを介し て語り手は語りの位置を大きく変換する。即ちおくめの内面のモノローグから、おくめの姿を距離を置いて外面的、絵画的に描写 する語りへと切り替えを果たしているのである。この最終連は以下のように訳出されている。
Not only in hear
t but in ar
ms and legs
I am a flaming mass of fir
e;
My mind distraught beyond contr
ol,
Drif
ting on waves is my hair
.
︵
trans. by Shigeshi Nishimura
︶
Non seulement mon cœur
mais mes mains et mes pieds
et mon corps tout entier ne sont plus qu
’une flamme!
Folle d
’amour!
Mes cheveux, mes mille et mille cheveux d
’amour
flotter
ont au gré des vagues!
⋮
︵
traduit par K
uni Matsuo et Steinilber
-Oberlin ︶ これらは何れも原詩の呈示する光景を、 狂気、 錯乱に陥ったおくめの想像乃至は幻想として描き出していると言ってよいだろう。 とりわけ単純未来形で訳出したフランス語訳にそれは明瞭に示されている。右の翻訳では一人称のモノローグの語りの形式を保持
東北大学文学研究科研究年報 第六七号 することによって必然的に原詩との隔たりが生じているのである。そうした偏差が原詩としての﹁おくめ﹂に於ける改行の機能を 照らし出している。 翻訳の参照という迂路を敢えて辿りつつなされた以上の考察の中で確認してきたのは、島崎藤村の詩に於ける連構成そして改行 というフォルムの担う機能の問題であった。即ち連を改めること、行を換えることによって、そこに意味や語りの連続性、一貫性 を切断する空白が折り込まれ、それを契機に詩の展開や語りに飛躍や転換、転位が孕み込まれていく││そうしたフォルムの機能 が﹃ 若 菜 集 ﹄ 所 収 の 詩 の 表 現 上 の 特 質 を 形 成 し て い る の で あ る。 そ の 背 後 に、 ︿ 新 体 詩 ﹀ の 備 え る 新 た な 形 式 へ の 藤 村 の 自 覚 と 理 解 が 存 し て い た こ と は 言 う ま で も な い。 ﹃ 若 菜 集 ﹄ を 通 底 す る テ ー マ の 所 在 に 関 し て も、 そ う し た 藤 村 詩 の 表 現 機 構 と の 相 関 に 於 いて改めて検討されるべきであろ う ︶15 ︵ 。そして同時に、そのような詩が或る種の難解さ、曖昧さを含み込むことになるのも必然的な 事態であったと言わなければならない。藤村詩の同時代評価にはそれが鮮明に映し出されている。 ﹃ 若 菜 集 ﹄ の 同 時 代 評 を 概 観 す る 時、 ﹁ 初 秋 に 至 り て 藤 村 の 若 菜 集 出 で た り、 声 調 清 婉 に し て 思 想 嶄 新 大 に 他 詩 集 と 趣 を 異 に し、 優に地歩を高めたり。余輩昨年後半期に新体詩の一新時代を生したりといへるもの、 実に此集あるによる。 ﹂︵︵無署名︶ ﹁新体詩壇﹂ 、 ﹃帝国文学﹄明治三一 ・ 一︶等の数多くの賛辞とともに、批判的否定的評価を下す発言も少なからず見出される。その藤村詩批判の 中核に据えられていたのが﹁朦朧体﹂という指摘であっ た ︶16 ︵ 。当初は所謂擬古派の詩人に差し向けられていたこの評言が藤村詩批判 の文脈に於いて頻繁に用いられることになる。 ﹁朦朧派詩人とは数年以前擬古派に冠せる名称なりしが、 今に至りては語義頗る広漠、 藤 村 一 派 を だ に 其 の 中 に 包 含 す る も の あ る に 至 る、 ︵ 中 略 ︶ 藤 村 一 派 及 び 擬 古 派 詩 人 に 其 の 例 を 見 る が 如 く、 古 雅 を 偏 重 し、 比 喩 を用ふること多きに過ぎて、全体の詩趣冗漫に陥り、一、思想朦朧となり、二、感情緊切ならず、所謂真情流露の旨を得ざるを忌 むものならん﹂ ︵︵無署名︶ ﹁彙報 ◎朦朧体﹂ 、﹃早稲田文学﹄明治三〇 ・ 一二︶ 、﹁藤村の新体詩は多少の韻致を含まざるにしもあ らず、清婉はあり、繊巧はあり、器械的の狂熱ぶりたる所はあり、されど未だ雄大なる気魄に充ち、奇抜清新の托想を寓するある を見ず、況んや文字の一種厭味ある朦朧に掩蔽せられたるに於てをや、藤村亦遂に新詩人にはあらざる也。 ﹂︵ ︵無署名︶ ﹁雑報 ○ 晩翠と世評﹂ 、﹃帝国文学﹄明治三一 ・ 三︶ 、﹁藤村の詩は、朦朧体なり、解し難しといふ人多し。 ︵中略︶突然之を見たる読者は、そ
︿新体詩﹀集としての﹃若菜集﹄ ︵佐藤︶ の詩の真意何れにありて、何を歌へるものなるやを推測するに苦み、手を拱て﹃解し難し﹄と言はざるを得ざるべし。 ﹂︵青柳有美 ﹁ 藤 村 子 詩 ﹂、 ﹃ 女 学 雑 誌 ﹄ 明 治 三 二 ・ 四 ・ 二 五 ︶ そ の 他、 ﹁ 朦 朧 体 ﹂﹁ 朦 朧 派 ﹂ と い う 評 語 を 以 て﹃ 若 菜 集 ﹄ 所 収 の 詩 に 於 け る 内 措辞の不可解さ、曖昧さを指摘する発言が繰り返されるのであ る ︶17 ︵ 。そうした中で発表された以下の批評は、本稿の趣旨との脈絡に 於いて極めて興味深い。 今又た一巻の欠所を挙げんか、既に或る人の評せる如く、冗漫に失せるの嫌ひあり。同し事を繰り返し〳〵叙述するは、たま 〳〵 感 情 を 害 ふ に 終 る。 且 つ、 叙 景 叙 事 の 際、 配 列 の 順 序、 錯 乱 し て 整 は ず、 脳 裏 に 之 れ が 印 象 を 置 く に、 甚 だ 容 易 な 今野にあるや、直ちに山にうつり、室内にあるや、忽ち戸外に出づるが如き例少なからず、少しく修辞の法に依り、思想の法 に従ひて、凡ての印象を脳に順を追ひて納めしめしならんには、更に簡に更に明かなるを得べし、藤村の詩を以て朦朧体とな すものはやがて、かゝる節をや云ふならん。 ︵門外生﹁塵影﹂ 、﹃読売新聞﹄明治三〇 ・ 一〇 ﹃ 若 菜 集 ﹄ の 書 評 と し て 執 筆 さ れ た 右 の﹁ 塵 影 ﹂ に 於 い て 門 外 生︵ 戸 川 秋 骨 ︶ は、 藤 村 詩 が﹁ 朦 朧 体 ﹂ と 見 做 さ れ る 所 以 を、 面 や 状 況 の 唐 突 な 転 換 が 重 ね ら れ る こ と に よ っ て、 展 開 が﹁ 錯 綜 ﹂ し、 ﹁ 印 象 ﹂ も 意 味 内 容 も 曖 昧、 不 明 瞭 と 化 し て い る 点 に している。そのような詩の展開の裡に孕み込まれる転換や飛躍は、本稿が指摘してきた藤村詩のフォルムの機能をとおして生み出 された詩的世界の様態に他ならないはずである。秋骨は連構成、 改行という︿新体詩﹀の形式自体には全く言及していないものの、 同時代に於ける﹁朦朧体﹂としての藤村詩批判の背景には、そうした﹃若菜集﹄所収の詩のフォルムに関わる問題が存在していた と考えることは十分に可能であろう。既述の如く︿新体詩﹀のフォルムに自覚的であった藤村の詩に於いて、曖昧さや不可解さは 言わば不可避的に招来された事態であった。従ってそれは単に詩的表現の﹁洗練﹂を欠いた未熟さ、或いは﹁欠点﹂として捉える こ と は 妥 当 で は あ る ま い。 こ こ で 改 め て 問 わ れ る べ き は、 ︿ 新 体 詩 ﹀ = 近 代 詩 に お け る 改 行、 連 構 成 と は そ も そ も 何 か、 そ し のフォルムの機能は創始期の日本近代詩壇に於いて如何なる理解の下にあったのかとの問題に他ならない。
東北大学文学研究科研究年報 第六七号 四 改 め て 言 う ま で も な く、 改 行 及 び 連 構 成 と い う ス タ イ ル は、 ﹃ 新 体 詩 抄 ﹄ に よ っ て 日 本 に 移 植 さ れ た。 同 書 の﹁ 凡 例 ﹂ 中 の 一 項 目として、 ﹁此書中ノ詩歌皆 句 ト 節 トヲ分チテ書キタルハ、 西洋ノ詩集ノ例ニ傚ヘルナリ﹂と明記されているように、 それは﹁西 洋 ノ 詩 集 ﹂ に 倣 っ て 導 入 さ れ た﹁ 新 体 ﹂、 新 た な 詩 の 様 式 で あ っ た。 既 に 江 戸 時 代 詩 歌 の 研 究 の 中 で 明 ら か に さ れ て い る ︶18 ︵ が、 近 世 までの長歌や漢詩の表記形態は無改行・追い込みの形式であったことからすれば、改行、連構成という形式は、従来の日本の伝統 詩 歌 と は 異 な る、 全 く 新 た な 詩 の フ ォ ル ム で あ っ た。 こ の﹁ 西 洋 ノ 詩 ﹂ の フ ォ ル ム は、 そ も そ も 如 何 な る 機 能 を 担 っ て い る の か、 そ の 一 端 を、 ﹃ 新 体 詩 抄 ﹄ 所 収 の 一 篇 の 詩 を 通 し て 窺 っ て み た い。 取 り 上 げ る の は、 一 七 五 一 年 イ ギ リ ス で 出 版 さ れ た ト マ ス・ グ レイの長編詩 “Elegy W ritten in a Countr y Chur ch Y ar d”の翻訳﹁グレー氏墳上感懐の詩﹂ ︵矢田部良吉訳︶である。その冒頭三連を 原詩と共に以下に掲げてみよう。 グレー氏墳上感懐の詩 山々かすみいりあひの 鐘はなりつゝ野の牛は 徐に歩み帰り行く 耕へす人もうちつかれ やうやく去りて余ひとり たそがれ時に残りけり 四方を望めば夕暮の 景色はいとゞ物寂し 唯この時に聞ゆるは 飛び来る虫の羽の音
︿新体詩﹀集としての﹃若菜集﹄ ︵佐藤︶ 遠き牧場のねやにつく 羊の鈴の鳴る響 猶其外に常春藤しげき 塔にやどれるふくろふの 近よる人をすかし見て 我巣に寇をなすものと 訴へんとや月に鳴く いとあはれにも声すなり Elegy W ritten in a Countr y Chur ch Y ar d The Cur
few tolls the knell of par
ting day
,
The lowing her
d wind slowly o
’er the lea,
The plowman homewar
d plods his wear
y way
,
And leaves the world to darkness and to me.
Now fades the glimmering landscape on the sight,
And all the air a solemn stillness holds,
Save wher
e the beetle wheels his dr
oning flight,
And dr
owsy tinklings lull the distant folds;
Save that fr om yonder ivy -mantled tow ’r
東北大学文学研究科研究年報
第六七号
The mopeing owl does to the moon complain
Of such, as wand
’ring near her secr
et bow
’r,
Molest her ancient solitar
y r eign. 既に論じたところではある が ︶19 ︵ 、原詩に於いては改行及び連構成の形態が、その詩的世界の形成に極めて深く関与していることが 判然と確認できる。例えば改行について言えば原詩一行目の «The Cur
few tolls» «knell» «par
ting day» という語の連なりは明らかに 終 末、 死 の イ メ ー ジ を 喚 起 し、 表 題 の «Elegy» と の 呼 応 に 於 い て 葬 送 の モ チ ー フ が こ こ に 鮮 明 に 浮 か び 上 が る。 し か し 二 行 目 へ の 改行の中でそれは明確に転換され、イギリスの農村の日常的な田園風景がそこに呈示される。同時に聴覚的イメージから視覚的表 現への移行に於いて詩的空間の広がりがもたらされてもいる。以下の部分でも改行は同様に機能するのである。また連に関しても «Now» に 始 ま る 第 二 連 へ の 移 行 の 中 で 詩 的 空 間 が 大 き く 水 平 的 に 拡 張 さ れ、 外 界 の 「 今 こ こ ﹂ の 多 様 な 様 相 が 並 列 的 に 列 挙 さ れ ることになる。ごく僅かのことに触れたに過ぎないが、トマス・グレイの詩に於いて、行換え、連構成は、転換や切り換え、或い は飛躍を介して自在に詩句を展開させる、近代詩固有の表現を可能にする形態として存分に機能している。そうした表現の機構に 於いて種々のモチーフが複層的に折り込まれることになるのであり、それらの多様で複数的なモチーフの相関や交差によって、こ の全一二八行に及ぶ長編詩の展開と構造が支えられているのである。 一方、矢田部良吉によるこの詩の翻訳が露呈させているのは、結論的に言えばそのような改行、連構成の詩的機能に対する全く の無理解に他ならない。そこでは、固定した位置から語る﹁われ﹂の語りによって全体が貫かれており、極めて均質な世界が成立 している。この翻訳を特徴付けているのは、 語りと意味の一貫性や持続性、 連続性なのである。訳詩第二連冒頭の﹁四方を望めば﹂ は訳出の際に補入、付加された詩句であるが、それは、連を改める形をとりながらも、何よりも語りと意味の連続性を保持しよう と し て い る 訳 者 の 姿 勢 を 如 実 に 示 し て い る。 そ う し た 近 代 詩 の フ ォ ル ム の 意 義 に 対 す る 無 理 解 は、 ﹃ 新 体 詩 抄 ﹄ を 激 し く 批 判 し た 歌人池袋清風の﹁新体詩批評﹂ ︵﹃国民之友﹄明治二二 ・ 一、 二、 四︶にも明瞭に窺われる。池袋はその評論に於いて、 ﹁古来我国ニ長
︿新体詩﹀集としての﹃若菜集﹄ ︵佐藤︶ 歌 ア リ 然 ル ニ 今 之 ヲ 新 体 ナ ド 称 セ シ ハ 多 分 多 ク ノ 漢 語 ト 鄙 俗 語 ト ヲ 以 テ 組 織 シ タ ル 故 ナ ラ ン ﹂ と 述 べ た 上 で、 ﹁ 原 詩 ニ 就 テ 我 接ノ意訳ヲ﹂試み、次のような﹁グレー氏墳上感懐の詩﹂の﹁長歌﹂形式による﹁意訳﹂を掲げている。 あし曳の、遠山寺の、入相の、鐘のひゞきは、かへりこぬ、けふの別を、告にけり、野末はるかに、うちむれて、野かひの牛 の、 帰 り 行、 声 も あ は れ に、 聞 へ つ ゝ、 畑 を た か へ す、 賤 の 男 も、 つ か れ は て け ん、 と り 〳〵 に、 広 き 野 中 を、 し つ 〳〵 家 路 さ し て そ、 帰 り け る、 な ほ 立 と ま り、 な か む れ は、 遠 山 の 端 も、 影 消 ゑ て、 く れ 行 の へ に、 ふ く 風 も、 し つ ま り は 草むらに、むしのなく音も、聞へつゝ、遠き牧場の、ねやにつく、羊の鈴の、音さへも、今はかすかに、なりにけり 右 に 明 ら か な 如 く﹁ 長 歌 ﹂ 形 式 に よ る﹁ 意 訳 ﹂ に 於 い て、 改 行 及 び 連 構 成 は 全 て 取 り 払 わ れ る。 そ し て 注 目 さ れ る の は、 ﹁ 立とまり、なかむれは﹂という原詩には対応する表現を見出すことの出来ない詩句の存在であろう。それは、矢田部良吉の手にな る訳詩第二連冒頭に挿入された﹁四方を望めば﹂と全く同様に、原詩第一連から第二連の以降に於ける既述の空白或いは断層を補 填する表現に他ならない。この﹁長歌﹂は、周囲の世界に耳を傾け視線を注ぎ続ける作中の主体による一貫した持続的な表現とし て成立しているのである。そうした語りと意味の一貫性、持続性に基づく均質な表現世界としての性格に於いて、原詩の連構成が 孕み込む空白を補填する詩句が不可避的に要請されることになったと考えられる。 以上のような﹃新体詩抄﹄所収のイギリス近代詩の翻訳と、それを批判した﹁新体詩批評﹂とが共に示しているのは、伝統詩歌 とは異なる︿新体詩﹀=近代詩のフォルムの機能に対する理解の欠落に他ならない。創始期の詩壇に於いて﹁西洋ノ詩集﹂に倣い 改行、連構成という新たな詩のフォルムが移入されたものの、それは言わば単なる形態乃至は型としての受容でしかありえなかっ た。近代詩という固有の詩的領域の生成の上でそのフォルムが果たす表現機能に関しては深い無理解の裡に置かれていたと言わな ければならない。改行や連構成という形式は、単なる表記の形態なのではなく、近代詩が散文との差異化に於いて︿詩﹀の固有の 領域、或いは固有の言語態としての︿詩﹀を成立させる上で極めて重要な機能を果たすものに他ならない。そうした近代詩の固有
東北大学文学研究科研究年報 第六七号 性の所在は明治前期の詩壇に於いては不問に付されたのである。その背後には、 先の池袋清風が ︿新体詩﹀ と ﹁我国﹂ ﹁古来﹂ の ﹁長 歌﹂との差異に全く無自覚であったこ と ︶20 ︵ に示されているように、恐らく伝統詩歌としての長歌の存在が横たわっていたものと考え られる。事実、 ﹃新体詩抄﹄の編者の一人外山正一による﹁新体詩抄序﹂中に﹁新体なとゝ名を付けるは付けたか﹂ ﹁やはり古来の 長 歌 流 ﹂ に 過 ぎ な い こ と が 自 嘲 的 な 言 葉 を 以 て 語 り 出 さ れ て お り ︶21 ︵ 、 竹 内 節 編﹃ 新 体 詩 歌 ﹄ 第 一 集︵ 甲 府 徴 古 堂、 明 治 一 五 ・ 一 〇 ︶ には ﹃新体詩抄﹄ 所収の詩の再録と共に ﹁我国固有之長歌﹂ ︵﹁緒言﹂ ︶ も併せて収載される。更にイギリスの詩人ウォルター ・ スコッ トの長編詩︵ W alter Scott, “The L ady of the L ak e” ︶の翻訳である塩井雨江﹃湖上の美人﹄ ︵開新堂、明治二七 ・ 三︶では書名に﹁今 様長歌﹂の角書が付され、 ﹁訳し終りたるは此の今様の長歌湖上の美人なり﹂と﹁自序﹂に記される 等 22 、︿新体詩﹀を長歌との類比 に於いて、乃至は長歌の近代化として捉える理解が当時深く浸透していたと言ってよいだろう。明治二十年代の詩壇に於ける所謂 形 想 論 争 に 於 い て、 ︿ 新 体 詩 ﹀ が 詩 た り 得 る 根 拠 を め ぐ る 本 質 的 な 議 論 が 重 ね ら れ た に も 拘 わ ら ず、 専 ら﹁ 形 ﹂ と し て の 韻 律 及 び 用 語 法、 ﹁ 想 ﹂ と し て の 思 想 内 容 が 議 論 の 対 象 と さ れ る こ と と な っ た の も、 そ れ 故 の こ と に 他 な る ま い。 長 歌 と い う 伝 統 詩 歌 の 存 在 が 前 提 或 い は 規 範 と さ れ る こ と に よ っ て、 ︿ 新 体 詩 ﹀ = 近 代 詩 固 有 の フ ォ ル ム の 問 題 は 後 景 化 さ れ て い た の で あ る。 島 崎 藤 村 自 身もそうした同時代の形想論争の文脈の中でなされた発言 ︵﹁韻文に就て﹂ 、﹃太陽﹄ 明治二八 ・ 一二 ・ 五︶ に於いては ︿新体詩﹀ のフォ ルムの問題に言及することはなかった。但しその初期評論﹁郭公詞﹂ ︵﹃女学雑誌﹄明治二五 ・ 七 ・ 二︶の中で藤村は既に次のような 指摘を行っていた。
Though babbling only
, to the vale,
Of sunshine and of flowers,
Thou bringest unto me a tale
Of visionar
y hours.
︿新体詩﹀集としての﹃若菜集﹄
︵佐藤︶
き来り、読むものをして覚えずその幽玄なる思想のうちに陥らしむ。
︵中略︶
Thrice welcome, darling of the spring !
Even yet thou ar
t to me
No bir
d; but an invisible thing,
A voice, a mister y. まへには杜鵑の一声をいひ、後にはその心を迷はしむる由をいひ、今またその声に返る。随て起き随て落るの光景読むものゝ 眼前に顕れたり。この四句にては三度これを歓迎する趣をいひ、 されどわが未練のいたすところか爾は鳥と見えずといひ、 鳥にはあらず眼に見えざるものにして、たゞ一の声よ、幽玄よと言ひ捨てたり。 ︵中略︶
The same whom in my school
-days
I listened to; that cr
y
Which made me look a thousand ways
In bush, and tr ee, and sk y.
To seek thee did I of
ten r
ove
Thr
ough woods and on the gr
een:
And thou wer
t still a hope, a love;
Still longed for
, never seen.
まへなる結語に幽玄なる一字をいひて読む者の情を奪ひし迄を郭公の詞の一段とすべし。さま〴〵なる字句を畳ね来り遂に郭
公なる詩題を借りて幽玄なる一結語に落したるは、こゝに後十六句を照応せしめんとの用意深きを見るべし。この八句の意は
東北大学文学研究科研究年報 第六七号 ﹁郭公詞﹂は、一八八二年に創作されたワーズワースの詩 “T o the Cuck oo ” 全篇に注解を加えた評論であるが、右の引用は各連四 行全八連からなるこの詩の第三│六連までの部分について論じた一節である。そこでは連構成や改行自体への具体的な言及がなさ れている訳では無論ないが、ワーズワースの詩に於いて連を改めることを契機にその内容や表現が自在に切り替えられつつ全体が 構成されていく展開の仕組みが丹念に辿られていると言ってよい。連と連の区切れが果たす機能に、藤村はこの時点で既に周到な 視線を差し向けていたのである。恐らくそうした連構成や改行という近代詩固有のフォルムの機能に関して、藤村は外国詩を耽読 する中で理解と認識を深めていったと考えることが許されよう。そして詩集﹃若菜集﹄はその結実としてあった。即ち既述の﹃若 菜 集 ﹄ の 詩 の 表 現 │ │ 同 時 代 的 に は﹁ 朦 朧 体 ﹂ と の 批 判 を 受 け る こ と に な っ た そ の 詩 の 表 現 機 構 と は、 ︿ 新 体 詩 ﹀ = 近 代 詩 の 固 有 の世界を成立せしめる連構成そして改行というフォルムへの確かな理解に支えられた、意識的方法的な詩的営為の所産であったと 考えられるのであ る ︶23 ︵ 。先に触れた日本近代詩の真の始発を告げた詩集という﹃若菜集﹄に関する定説的な評価も、こうした︿新体 詩﹀のフォルムという観点から再度確認されるべきであろう。 ﹃若菜集﹄が上梓された明治三十年八月、藤村は﹁四つの袖﹂と題された詩を﹃新著月刊﹄に発表している。 い ま の と き、 ふ み の 林 に 新 し き 歌 の 生 ひ い で ゝ、 い ま だ ふ み と う た の け じ め も 定 か な ら ぬ は、 た と へ ば 茂 り か さ な れ る 青 葉 が く れ、 青 梅 の い づ れ と 見 わ き か ぬ る が ご と き に や。 お の れ 四 つ の 袖 な る 題 の も と に、 お よ そ 四 つ の 歌 の 実 を お さ め ん と の ね が ひ あ り。 若 菜 集 の う ち に お さ め 置 き た るはこの四つのうちの一つなれど、時をも待たずしてもろくも吾心より落ちたる青梅のいとあぢはひなき一つは是なり。
︿新体詩﹀集としての﹃若菜集﹄ ︵佐藤︶ 一 七 なさけの 水 棹 こひの舟 われ 解 き 衣 のみだれそめ 二つの袖を海として 思ひわぶこそくるしけれ うす紫にゝほふめる こひする神にさそはれて きみに 一 葉 をつながばや こひすといはゞあはれなり 二 八 したしきともよこひするは はかなきはなの 朝 露 に げにうるはしき 色 彩 の 千 々 の 宝 珠 を捨つるとて 青 花瓶 の 陶 ものゝ せめてはゆるせ世にいでゝ もろきに似るといふなかれ まだうら若きわれなるを 三 九 ほのほを胸に 焚 くといふ さつきの軒の 菖 蒲 ぐさ こひする神よねがはくは 老 はぬかれて枯るゝとも 浅きなさけを汲みいでし 世に鶯のきて鳴くは わが盃をうけよかし わかき命の春ぞかし 四 十 すがたを石にきざまれて 褪 めて哀しき 白 髪 の
東北大学文学研究科研究年報 第六七号 朽 る神だにあるものを 老 はむかしをかこつ 間 に 花さきかへる春ごとに はなさくかげに舞ひいでゝ こひする神ぞうらわかき こひする神とうたはゞや 五 十一 されば 宮 居 のゝき高く 人の命を春の夜の 白 木 の獅子の 浮 彫 の 夢といふこそうれしけれ 朽つべき時はきたるとも とても見るべき夢ならば こひするひとは世にたえじ われ 美 しき夢を見む 六 十二 われも酔へりや 芳 酒 に 妹 背 の星の 梭 の 音 の 若き 愁 をうち 湛 へ 絶 ゆとは 聞 かじ天の河 しらべは細き糸の 緒 に 君とわれとはいつまでも こひする神をたゝへまし 老いゆくべしとおもほえず ﹁ 四 つ の 袖 ﹂ は 各 連 四 行 全 九 十 八 連 で 構 成 さ れ た 長 編 詩 で あ る が、 そ の 端 書 き に は﹁ い ま だ ふ み と う た の け じ め も 定 か な ら ぬ ﹂ 同 時 代 の 詩 的 状 況 乃 至 水 準 が 指 摘 さ れ て い る。 即 ち 藤 村 は こ こ で 婉 曲 的 な 語 り 口 な が ら 旧 来 の 詩 歌 や 散 文 と は 異 な る﹁ 新 し き 歌 ﹂ =︿新体詩﹀の詩としての固有性の所在を問題としているのである。そうした自覚と意図が託された長編詩﹁四つの袖﹂は、右に 引 用 の 冒 頭 十 二 連 に 明 ら か な よ う に 既 述 の 連 構 成 及 び 改 行 の 機 能 を 極 度 に 大 胆 に 活 用 す る こ と に よ っ て、 複 数 の 多 岐 に わ た る モ