漱石所蔵のオースティンの小説は、「高慢と偏兄」「分別と多 感」「エマ」「マンスフィールド・バーク」の四冊である。これ
*
漱石とオースティンの国文学の分野におけろ比較研究は、漱石 が晩年の木曜会において「則天去私」の作品 例とし て「高慢と煽 見」をあげたという松岡譲の回即から、「明暗」を中心とした後 期の作品を対象として行われることが多い。しかし、「文学論」 のオースティン賞讃とその執筆時期を考え合わせると、初期作品 への影陽をも考えろのが自然ではないだろうか。 本稿では、「 llu 天去私」の問因はひとまず保留にしておき、漱 石がどのような経偉でオースティンに輿味を持つに至ったかとい う点を考察し、 .さらに、処女作「吾輩は猫である」(以下「猫」 .と略記する)執筆の際の影陽の有無 を明ら かにし たい。*
らは、岡三郎氏の「留学中のノート・断片」のi紐起よると、留 学前半期の図宙購入メモの中に、 Jane Austen Sense and Sensibi Ii ty Emma Ma n sfield park and P rejudice と記載されている。岡氏はこの購入時期について、同じメモの21 番から32番までのものに一九00(明33)年ー一月二0日の日付 が 記してあることから、それ以前の1番から20番までのものは、 ー一月一九日の日記の「田物ヲ買― 1 Holb or n ―一行ク」と記寂 されていろものに該当する可能性があろとしておられろ。しかし、 「マンスフィールド・バーク」を除く他の三冊には、 見返しに 「K•Natsume N ov. 16 , 1900」 と記されていることから、 20番までのうち少なくとも9番までのものは、一一月一六日に購 入したと考えろぺきであろう。 日記による と、ロンドンに到著した一九00年一0月二八日か゜
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夏目漱石とジ
ー「吾輩は猫である」の場合寸|ー
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50-十一月三日〔土〕 tminster Abbey ヲ見ル
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十一月十三日〔火〕 ルK er lecture ノ ヲ聞ク CE己)ridg e ヲ遊 ._至 リ 十一月十日〔土〕 Mi Id e 十二時四十分ノ汽車ニテC目けridge School for Sean d al 十一月一日〔木〕 含 d rews 氏ヲ訪フ同大学ノ様子ヲ知ランガ為ナリ 二時沼同氏不在四時二恨宅スト云フ即ち市内ヲ散歩`ソ理髪店 二入ル四時営 d rews 氏二会合茶ヲ喫ス夫ヨIJ田島氏ヲ訪 フAn d rews 氏宿所ニー泊ス 田島氏ノ案内ニテ 十一月二日〔金〕 覧ス四時ぞ d rews 氏方ニテ茶ヲ戌ス田烏氏方二至9袂ス 尿 7. 45 ノ汽平ニテ倫雖二俯ル British Museumヲ見ルWes- ナリ ら―一月一八日までの閻、 漱石は以下のように行動している。 十月二十八13〔日〕 巴理ヲ発シ倫敦二至ル船中風多シテ 苦シ晩二倫敦二箔ス 原 十月二十九日〔月〕 岡田氏ノ用事ノ為め倫執市中二歩行 ス方角モ何モ分ラズ且南亜ヨリ炸ル袈勇兵歓迎ノ為メ非常ノ 原 雑沓ニテ困却セリ夜美野部氏卜市中雑沓ノ中ヲ股歩ス 公使館二至リ松井氏二面会 M rs•Nott 十月三十日〔火〕 ヨリノ掛状電信ヲ受ク 十月三十一日〔水〕 Tower Bridge, London . Br, 駁‘ • i d ge ·, Tower , Monwnen t ヲ 見 ル 夜英野部 氏卜 Haymarket Theatre ヲ 見ルSheridan The ノ 十一月四日〔日〕 Underground ra i !way Priory Roa d Show 一乗 ヲ闘ク ヲ見ル ss Mi ヲ見ル倫 下宿ヲ尋ヌナシ 十一月五日〔月〕 National Gallery ヲ見ル 、 Westminster Abbey ヲ見ルUniversity Col Jege 二行クProf•Ker .. 二手紙ヲ以テ紹介ヲ求ム 十一月六日〔火〕Hyde Pa ● K ヲ 見ル ル明日午後十二時来レトノ甲ナリ Ker 十一月七日〔水〕 ノ講袈ヲ間ク ker ノ返甲来 十一月八日〔木〕 ヌ僻宅MS• Nott enh昔二行ク 十一月九日〔金〕Lord Mayor 's 爪 塾ー返ル正金銀行二至リ金ヲ受取ル文部省会計課へ領収柑ヲ 出ス又中央金血ヘモ出ス 公使館二至リ学目金ヲ受取ル下宿ヲ恐 ノ手紙卜砲信ヲ受取ル直ち―-s yd ー 下宿ヲ尋ヌ 方二十二日二移ル1二決ス sio 十一月十一日〔日〕Kenshingtoo Vic tori a . and .Albert Museum ヲ見ル 十一月十―-B〔月〕 愈Pri ory Road ス朝 University College Dr . Foster Museu m 二移ル1二決 ニ至り lecture51
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-十四日〔水〕 十五日〔木〕 十六日〔金〕 十七8(土〕 St . Paulヲ見ル 十八日 日昭 手紙ヲ距碍 ) . つまり、オースティンの 小説は、ロンドン沼後 の事務的手院き 、 下宿探し、市内見物、大学選定といった慌しさから、一応の落ら 沼きを得た時点において最初に購入された書物の中に含まれてい .たわけである。このことから、漱石が留学前に既にオースティン に対して非常に強い関心を持っていたことがわかる。 では、漱石は、どのような理由か らォースティンに関心を持っ たのであろうか。ここで考えられるのは、 漱石が英文科一、二年 の間主任教授であったJ.M・ディクソンの存在である。漱石自 身は、ディクソン及び英文科時代についてはr私の個人主袈」の 中でCく簡単に述ぺているだけだが、英文科第一回の卒粟生であ (注4) ろ立花政樹氏は、やや詳しく次のように回想している。. 英文科の主任はDixon先生でした。英国人の田いた手頃 冗5) な英文学史も未だなかったゃうです。故にTaine の 文学史 の英訳で文学史を見ました。 S aint sburyのものは卒菜 頃に出たと思ひます。文学史と共に 、一般概念を得る為には (注6) G�eat Authors(3 vols)1各作家より抜宰集I を窮みました。 Di .xon _先生からは 、M . Arnold : 終日長尾氏と話ス Pritchett 一至ル Essay s in Criticism; Lady of the Lake ; Macbeth ; _Paradise Regained ; Chi Ide Har1 oldや Sonnets等を三年間に匹茄して頂いたやうに覚 えて居ま す。又一方、小説を説めとしきりに勧められ、御自 分で本を買はれ .ては、村田に一冊、私に一.冊と貸し与へられ て、文中 のidi,1を採り出 すやうに命ぜられました。こ れ が 後に出たEnglish.Idiomsとなったものです。 立 花氏の 回 想にある . ょEn gl ish Idioms ' は、一九二七(昭 2)年にアメリカで出版された。これは、一八八七(明20)年に 日本で出版された ' Diet ionary of ldiomat ic English Phrases ' を増補改訂したものである。後者は、漱石も一八九一 (明24)年に購入しているが、その中に、オー.スティンの作品か らは「エマ』を中心に「分別と多感」「マンスフィールド・パー ク」「説得」中 の語句計二四例 が収録さ れている。 そ し て 、 `English Idioms ' には 、「高慢と偏見」中の語句. 一例が追 加され 、Stニ五例の収録となっている。したがって、「石悛と偏 見」 は、漱石を含む英文科の学生の甜かが 説んだ可能性があるわ けである。し かし、オースティンの代表作である「高慢と偏見』 が他の作品の後まで続み残されていたとは考えにくく、ディクソ ン自身による記蔽漏れ の補遺と考える万が妥当であろう。 それよりも、漱石の注意を惹いたのは、巻末の引用著者リスト だと考えられる。その中でオースティンは、 -
52-Austen, Jane (1775 -1817), one of the most de li ghtful of Engl ish no velists. Autho·r. of'Sense and Se nsibi lity, Pride and Pr ejudice, Nothang er . Abbey , Emma, Mansf ield Pa rk,.Persuasion. Miss Aus ten's works were much ad mi red by Sir Walter Scott, and are still widely read. (出←) . 心'Kn
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菰 釦が 1 く点111 (註) 問 撤哄Ill砂鯰碑砕匹 四 へーユ令ふ況母閉心..::,ド瞑r..!' Mrs. 01 ipha nt 薗 'Literary History of England. 1790-1825 Q' 'Read again written novel of Pride and Prejudice.' says Sir Walter, always gen-and characters interesting from the_truth of . the descript ion and the sentiment is denied to me. What a pity such , a gifted creature died so early! " ( iii, P. l 96) 心 ら ・C'kn ヽ 上QヤーK1ド.,..、柔ュ→ Pド ’ 悩ヤ悩ヤ忌 V さ↑ (出0) ど→四ぷぶt(l ° 玉4e
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以祉週JQ 、 Jane · Austen ti抑認e器オさC ° 叶士ビ⇒ド担翌ヤ,(l文字を草して技神に入るの点に於て、 優に鑽眉の大家を凌ぐ。 余云ふ。 Austen を賞翫すろ能はざるも のは遂に写実の妙 (庄9) 味を解し能はざろものなりと。• , という、 オースティン讃として結実する 。 漱 石は、,スコットと同 様に、 オースティンの描写法に対して期待通りの潤足感を得たも のと思われる。 妍国後の漱石は、 第五高等学校を辞し、 第一高等学校及び文科 大学で教鞭を執ろことになるが、 この『文学論」の講義は「英文 学概説」として、 一九0三(明36 ) 年九月から一九0五(明38) 年六月までの約二年間文科大学において行われた。 そし て、 オー スティン評の含まれている第四篇第七章の 写突法の箇所は、 金子 . 健 二 氏の、 二月十三日(明38 ) 夏目先生 は「英文学概説」の時間に磁 度か浪没派と写実派の比較を話された。 私は先生の説を痣い てゐる中 に先生は 写実派に 好意を寄せて居らるヽに相述ない (庄10) と推定した。 という回想から、 二月中旬から三月上旬頃に講義されたと考えら れる。新学期開始前に年度計画を立て、 それから順次講涵ノート を作成していったとすると、 写実法の箇所の氾術時期と「猫」の 執叩開始時期とは田なろことになるのであろ。 「猫」執筆前の漱石は、 第一高等学校で英語の授業を受けた木 下杢太郎が、 3) ・・・・・・それは明治三十七年、 三十八年の頃と思ふ。 漱石は講義の間にいろいろの出を話してくれ た。 それは半 ば独語の如くであり、 その 言菓は幾分巻舌のやうに嬰いた。. どんな事が語られたかはつきりと党えてゐない。 いつか同級 の者が集まってお互に其回想を話して見たら少しは材料が知 えるかも知れない。 「学者と云ふ者 は平凡な事をむづかしく (注11) 云ふ 者だ」といふの は時々閲かされたテエマであった。 と回想しているように、 学者に対して批判的であった。 また、 ・・・・・・高等学校ハスキダ大学ハやメル積ダ一方案ヲ立テナケレ パナラン何ノカンノッテ一学期立ッテ仕費ツタ僕モ一度袖社d 仏
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ノ様ナ家二住ンデ見度ィ学問ナンカスルナ馬鹿気クモン 駅 サネ骨葉商ノ方ガイヽョ僕ハ高等学校へ行ッテ駄弁ヲ弄レテ 月給ヲモラッテ 居ル夫デモ中々良教師ダト独リテ思ッテル大 学ノ想毅モ 大得意ダガワカうナイソウダ、 アンナ講義ヲツゞ ケルノハ生徒二気ノ諾ダ、 トイッテ生徒二得ノ行ク様ナ1ハ 教エルノガイヤダ、 試験ヲシテ見ルニドウシテモ西洋人デナ (庄12) クテハ駄目ダヨ (明36.6.14) . 僕大学ヲヤメル団デ学長ノ所へ行ッテ一応卑見ヲ開辣シタ ガ学長大気徴ヲ以テ僕ヲ萎縮セシメタソnデ僕唯々諾々トシ (注13) テ退クマコトニ器散ノワルイ話シヂヤナイカ (明36:7 と、 俎国して半年も経たないうちから菅虎雄宛書簡の 中で、大学-54-いよいよ執田開始という段階に至 って、 まだはっきりとした作 家意説もなく、 キリスト教的な平筍思想をも持ち合わせていない 漱石にとっては、 オースティンのように、 神の「視点」ともいう ペき、 高い所から人間.
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物を客銀的に見るという方法を用いろ ことは無理であった。 かといって、 自分自身の「視点」では●す ペての人間・事物を平等に描くことはできない。 そこで、 この解 決策として、 神の「視点」にかわろ何 か別の「視点」はないかと 苦慮していたと思われる。 ちょうどそういう時に、 迷い込んでき たネコが頭に浮んだのであろう。 漱石は「これだ1・」と思ったに 違いない。 こ の時、rトリストラム・シャンディ」 あるいは「ガ リヴァー抹行記」が念頭になかったとは言い切れない が、 これら の先行作品の模倣というよりは、 第三者の「視点」を設定すると いう、 漱石自品の発想による独自なものと考えるぺきであろう。*
をやめたいと繰り返し述ぺていろ。 こういう気持らが募りに募っ .. て極限に達していた時に、 虚子から創作の勧めがあったわけであ る。 「文学綸 J の講義ノートを作成しなが ら、 オースティンの描写 法に改めて感動し、 これ と同じよ うな描写法で、 既存の小説とは 全く違う小説を甚き、 創作家として身を立てたいと考えていた矢 先の この勧めを、 漱石は絶好の機会と思ったであろう。 さて、「猫」第一回におけろオースティンの影響 は、 これが試 作的な作品であり継続の窓図なしに書かれていることから、 単に ネコの「視点」を神の「視点」の代用としていろという程度であ る。 しかし、 第一回であ る程度の自信を得た漱石は、 二回目以降` オースティンの小説において良しとした、 夫婦の会話、 手紙等の 素材を取り入れ、 また、 吉田六郎氏が、 苦沙弥を中心とすろ物話である一方、 「寒月の恋愛」という (注14) 独立した短篇を含むと考えられろ。 と指摘してお られるように 、 全体の筋とは遊離した水島寒月の恋 愛印をも盛り込んでいろ。 これは、 オースティンの小説のテーマ がいずれも恋愛(結婚)であることから、 何らかの形で恋愛岡を 挿入し、 より小 説らしくしようと考えた結果であろう。 ところで、 漱石の場合、 後年「メレディスの訃」の中で、 今日まで玩んだ本で感化を受けぬ本は殆んど無 い。 併し感化 を受けるのと、 其本を党えろのとは別物で ある。 例へば物を 食ったり飲んだりすろやうなもので 、 食 つたものの批評も出 来ず、 味も忘れて仕舞つても、 其実体丈は胃の腑から身体へ 廻つて、 たしかに血肉となって何時迄も存在してゐる。 託掛 も批評を目的とするのと、 又其筋を記憶すろことを主とすろ のと、 又批評や筋はどうでも構はない、 実際説んだものが消 化れて無形のあるものとなつて頭脳のなかに有意無意の閥に 存在すれば結構だとするものと、 この 三通りに区別すろ出が-55-と 15) 知 .出 る と述ぺているように、 具体的な箇所を挙げて影囁関係を指摘する こと は困雌であり抽象的な比較になって しまいが らで あるが 、 『猫』と併行して、雑誌に次の .よ う な談話が発表されていること から、 その影響をうかがい 知ることができる。 事実で人の感俯を楽しませるものは、 大変必要だけれど、 そ れのみに 目を沼けるのは、 発述せぬ紐者に向つて作る ので、 発達せる読者には、 軍件のみでなく、 事件と同時に前後にOO . 係 ない一搭、 即ら前後を切りはなした一硲其者が 、 生 きてゐ なければ、 事件許り活動したとて、 それ丈では満足出来ぬと 思ふ。さうするには、 光只(周囲の)と、 人間の挙動及び言 語から成り立つてゐろ其材料を写生的に困かぬと何うしても 活動は出来ぬ 。写生的に魯くと云 ふことは、 話の筋ばかり田 かないで全体が躍出する様に描写する方法だから、 つま り一 つ話を見ても届宙の様に涙件のこと許りで なく、 どこかに、 . 余 裕がある様に思はれる。即ら実際の用取としては不必要で あるけれども、 活動をさせるには必裸な光製とか或は会話と かを持つてくることをいふの だ。 さうすると出件を述べる為 . の 小説でなく、 世の中を叙してる小説 で、 世の中で自然と
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件が発達する様に困き こなされる。然うでなければ槌の中か ら甲件だけを引抜いた要串だけの小説が出来る。・・・◆●● . 文 章と云ふものは、 畢党物でも人間でもそれを如何に解釈す るかが現はれるもの、 即ちこれが文章である。 ...... で文章は 字を知るよりは寧ろ物を観察することに俯沼する。 それから又物を 如何に感ずろかに悦箸する。 ... " .. 観察といふことを云うたが、 日本人の観察は、 ま一寸腎へれ ば、 烏が閲くと云うても、 民が田く本当の形容をしない。洞 や空も左様である。 烏が田く吾疫の空とか何とか云うて終つ て、 吾炭の空の形容にならないCまかした文章になってしま ふ。 さう云ふ のを 文窟として来たのだ から、 物を央地に践察 するよりは、 , 事 物の上に讚想を修 業 す る のを主 と するのであ るまいか。従つて物を観察すると云ふ事は日本人の中に余程 . 発 達してないと思ふ。 尤も科学的の観察が一方で進んでくる と、 文常的の籾彩が進んでくろであらう が、 以前の日本人は 科学的で なかったから、 文章に顕はれる物の観察が余程鈍か ったのではあろまいか。で、 平生心がけて世の中を、 明闊に 見ると云ふことが文箔家に必摂であるまいか。吾祖が今物を 柑いて思ひ当るが、 さう云ふ凪に狡成せられて居たら、 今頃 は余程巧くなったと思はれる。 文平軌咤だとか源平盛哀記の 様な物許りが文章だと思うてゐたか ら、 直接に自然に触れて 観察しない。実は目 前にあるつまらない岱物も悉く材料であ (江16) ったのであろ。 (明38.8) 若し我々が小説を柑いて実際の世の中を見るやうな心を読者 に起さしめんと勉むるには、 小説中の事件が自然にして、 人-56-物の性格が又自然に発遥すぺきは勿論、同時に又背凩を描く ことも必要である。背景は小説中の人物の活く探台であって、 人物を囲んでる四辺の光景である。小説は素より人間相互の 葛薩、或は情交など、有形無形の出来事を写せろに相 違はな い。.が、その出来事たるや、 雲の中で起ろのでもなければヴ オイドの世界に出現すろのでもなく、 地上に此人間社会に起 ろ現象の一局部である。故に小説を也いて全篇が活動する為 には、是非とも社会其物を写し、その活動してろ社会の 中か ら肝腎の要件となる筋が自ら湧き出すやうに柑かねばならな い。若し社会の中からして 自分に入用なだけの甲件を切り艇 し引き難して他の物は竹捨てて了ひ、ただ筋だけを紹介する のは、 小説の筋その物を了解 する為には便利であるかも知れ ないが社会その物の一部の反照としては見られない。随つ て社会一般の毀況が眼前に浮ぷと云ふ点に於ては頗ろ拙なや (庄17) り方と云はねばならない. (明39.6) 作者が作中の人物を主観的に魯くといふことは、 良否は俄Ic 言ひ難いことだがまづくやると、 出来上つて見て何うも厭味 なものになつ て仕舞ふ事があるやうに考へます。僕は大抵第 三者の地位に立つて、客観的に人物を観察する気で8きます が、 此方が 宙きよくもあり、万ー出来掴なつても厭味がない (注18) 丈良いやうにも思はれます。 (明39.9) 然し自分が今絃でリヤルと云ふのは実際世圃に在ろ人其儘と 云ふ意味ではなくて、作者の想像によって作られた架空の人 物でもいAから、それが説者をして、今迄曾て見たことも聞 いたこともないけれど、世間の何処かにそんな人が在る様に 思はせる其力を云ふので、 之が なければ其作物は全然価値の ないものだらうと思ふ。 作者は神と等しく、新たに実際以外の人間或は人間以上の 人間をクリエートする力を有つて居る。そ創造された人間は 常に見て居ろ隣家の人の如くでなくてもいA‘或は曾て在つ た人物でなくてもいゞ、 全く此世界にそんな人がなくてもい A.けれども之を続む人をして哀固に在ると思はせなければな らぬ。 之が作家の作家たる所以であろ。真実だと思へばこそ (江19) 同箭も起れば郎も湧く。 (明39.10) ' これらの談話の中で漱石は、 「観察」「客観的」という語句と ともに、 小説の中の世界を 、続者に実際の世界と思わせるように、 背娯及び人物を自然な調子で描写しなければならないということ を弛調している。これは、「文学論」のオースティン評における、 取材既に淡々たり。表現亦洒々として寸奎の粉飾を用ゐず。 是哀個に吾人の 起臥し衣食する尋常の天地なり。此苓常他奇 なきの天地を眼前に放出して客殴裏に其機微の光景を楽しむ。 かの詩人 といひ墨客とサすろもの動もすれば動心驚魏の出を 天外に捕へて、動心驚眺の箪を紙上に 駆るにあら ずんば文章
-57-にあらずと思へり。 然れども動心驚碗の出は尋常一様の人を 千戟一遇の異境に殴いて始めて発股の実を挙げ得ぺきもの、 従つてかの徒の所謂籾刻と云 ひ、 痛切と云ひ、 熱烈と云ひ、 日常茶飯裏の活計と交渉なきに似た ろ活劇 も、 亦此尋常一様 人の所作の権化に過ぎず。 もし 尋常一様の人にあらずと主張 すろとき、 彼等の描写する人物と、 平凡なろ吾等との間に同 情の一緻だも緑の糸となつて纏ほらざろを以て、 深刻も、痛切 も、 熱烈も、悉屡外の深刻と痛切 と熱烈にし て 、実世界の感 動に あづからず。 糧々千万語をつらねて遂に続者の一笑を買 (注20 ) ふに過ぎず。 と いう箇所をふまえていろと思 われろ。 さらに漱石は、 r猫」拙筆直後に、 然し同じ西洋の女流文学者でもオーステンの文は、 極く平易 な客殴的の写実文であろが、 其筋は変化も起伏もない平担な 脈であろのに 、 非常に面白く読まれろのは、 外国人の我々が 続んでみてさへ、 其個人の人格其作の上 に活動して人物の風 貌が男欝として表はれろのであろ、 極く明察に敏捷に其特性 を現はしてあろ、 それで何方かと云ふと女子には緻密なろ観 (江21) 察を以て客観的な写実の文が得意の様である。 (明39.10) 女流作家のオースチンなどは、 芋の皮をむきながら、 其隙々 に一頁もかく。 それから又子供の世話をすろ、 若物の洗湘を する、 そして其隙に一頁もかく。何処で始まつてもよい、 何
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処で終つても差支ない。 用の都合で鉛筆の跡が終る所を終り にする。 それ で少しも苦にならgらしい。 そ し てあのやうな (注22) 傑作が出来る。 (明39.10 ) と、 談話の中でオースティン に口及し て い る 。 この 点からも、 『猫』とオースティンが密接なOO係 にあるということ は否めない であろう。 以上考察してきたように、 オースティンはその描写法において、 漱石の「猫」執筆に多大な影響を与えているのである。 さらに考察を加えるなら ば、 オースティン的描写法の代用法と して案出したネコの「視点」が漱石自身の「視点 J となり、 その 描写法を使い こなせるようになった点を指して、 「則天去私」と いう語を用いたと思われろが、 この点に関しては次回に譲ること としたい。-58-6 5. 4 3 2 往1 松岡譲「漱石山房の一夜ー宗教的問答」 岡三郎「亙目漱石研究」第一巻 一九五ー一九六頁。 新世版全渠第二四巻 一四ー一六頁。(以下本文の引用はす ペて新困版全集によるJ 「日本の英学
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年 明 治編」五0三ー五0四頁。 テーヌの文学史のオースティンに関する記述 は、 スコット の項 に 、^Miss A usten , Mi ss Bronte , M�stress Gaskell , Dickens , andn`ny others ,paint, �spec ially or entirely in his style , con -• terq>orary life , as it i s unembell i shed, in al 1 ranks , often aimngst the people , gre frequently still am:mgs t the middle class .' と 名前がみえるだけ である。 漱石は、 二種 類のテーヌの文学史を所有していろ が、 そのうち学生時代 にテキストとし て用いられたと思われるベーバーパ ッ クの 一冊本には、 右の引用の 少 し 後 の 、 ^Re ali stic and 9 moral , thes e are their two features. 部分に、 沿箪で濃くァンダーラインが付されている。 立花氏の回想にある ^Great Authors 'が具体的に どの本を指しているのかは不明であろ。 しかし、 明治中期 頃の著名作家の抜宰渠をみろ限りでは‘ ;Modern G rea t Authors for Japanese Students (2 の 11 (小宮豊隆君に)全巣一六巻 10,
8 7 VO ls)、 (1明治28.12、 ll明治29.7刊)�マコー レー、 カーライル、 ド・クインシー、 エマーソン、 ディケ ンズ、 G・エリオット、 ロングフェol‘ 'Choice se l ec t i on s from the bes t authors '(明 治 31 .5刊)�アーヴィング、 スコット、 マコーレー、 サッカ ・ レ ド ス ミ ス 、 と オースティンの作品は収録され レー コー1 ていない。 漱石は、 後に「文学論」にクォータリー・レヴュー紙に掲 戟されたスコットの「エマ論」を自ら翻訳し引用していろ。 この雑誌の存在も、 おそらくディクソンからこの時期に聞 き知っていたものと思われる。 漱石文眼蔵の、 留学以前に誌んだと思われろ Saintsbu, ryの、 'A History Nineteenth Century Lit1 9 ジ erature 17801ー1895 及び、 Gosseの shor t history of modern English Literature ' のオースティンの項は、 いずれもスコットとの関連が述べ てあるが、 この部分のオースティンの名前には、 アンダー ラインが付されている。 全集一八巻 二八四頁。 金子健二「人間漱石」 i 五0頁。 木下杢太郎n臭
目漱石」 三五八ー三五九頁。-
59-因文学論築 全集二七巻 一八六頁。 II 一八九頁。 吉出六郎「r吾京は猫である』論」一0三頁。 二三頁。 , 全集一 1 _四巻 一 II 「現時の小説及び文章に付て」三六ー四0頁。 II 「文学談片」六六頁。 ” 「 文学談」八四頁。 II 「作中の人物」九六頁。 全集一八巻 二八六頁。 全集三四巻「女子と文学者」九一頁。 「人工的感興」九一頁。 研究室受贖図書雑誌目録( . m) 国文学研究ノート 国文学孜 国文学雑誌 (広島大学) (神戸大学) 第十七号 第百号、第百一号、第百二号、第百三 (都留文科大学) (山梨大学) 国文学論究 国文学論考 第十二号 第二十号 第二十二渠 就実語文 湘南文学 (実践女子大学) (就実女子大学) 第十八号 第五号 (藤女子大学・藤女子短期大学) (花固大学) 第二十五号、第二十六号 第三十三号 号 駒沢短大国文 第十四号 佐賀大国文 12 (相膜女子大学) 第二十二号 相校国文 第十一号 語文論叢 語文研究 語文 語文 (日本大学) (九州大学) (千菜大学) 22