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ドイツにおける学力向上政策と学校経営の動向(2)―学力向上政策から生じた学校経営の新たな課題―-香川大学学術情報リポジトリ

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ドイツにおける学力向上政策と学校経営の動向(2)

―学力向上政策から生じた学校経営の新たな課題―

柳 澤 良 明

1.序-本稿の目的と課題-  本稿の目的は、「ドイツにおける学力向上政策と学校経営の動向」に関する研究の後編として、 ドイツにおける「PISAショック」後に進められた学力向上政策によって学校経営にどのような新た な課題が生じているかを明らかにすることである。後編では、すでに「ドイツにおける学力向上政 策と学校経営の動向(1)」において明らかにした学力向上政策の特質を前提として、学力向上の具 体的な取り組みからもたらされている学校経営の新たな課題を明らかにすることにより、ドイツに おける学校経営の動向について論じたい。  「PISAショック」後の学力向上政策としては、「ドイツにおける学力向上政策と学校経営の動向 (1)」において示したように多岐にわたる改革がなされてきた。「ドイツにおける学力向上政策と 学校経営の動向(1)」では、学力向上の具体的な取り組みとして、第1に学習内容の基準づくり、 第2に学校制度改革、第3に教員の力量形成、第4に教育情報の公開、第5に学術的な研究体制づ くり、が進められていることを指摘した。その結果、ドイツの学力向上政策の特質として、第1に 連邦レベルの取り組みによってさまざまなスタンダードづくりが進められているという点、第2に 州間での競争と協力によって学力向上が目ざされているという点、第3に各種研究機関における学 術的研究にもとづいて改革が進められているという点、が挙げられることを指摘した。  前述のように学力向上の具体的な取り組みは多岐にわたるが、この中でもとりわけ学校経営の 在り方に大きな影響を及ぼしているのが全日制学校の拡充である。全日制学校の拡充は、KMK が PISA2000の結果が公表された直後に出した7項目の「取り組み分野」のうちの一つに挙げられてい た。これはドイツの伝統である半日制学校を大きく転換する取り組みであり、その後、連邦からも 巨額の予算が投じられ、多くの州において優先的に進められてきた取り組みの一つである。  さらに、各州で独自に取り組まれ始めた改革によっても、学校経営に新たな課題がもたらされて いる。たとえば、チューリンゲン州では、学校と地域との連携を強める「ネレコム」(“nelecom”)と いう取り組みが進められてきている。この「ネレコム」は、まだ一部の地域に限られた取り組みで ある。しかしながら、これまでのドイツではほとんど見られなかった学校と地域との連携により、 学校の役割が変容するとともに、学習方法も変容している。さらには、こうした学校や学習方法を 支える学校経営に新たな課題が生じている。  そこで本稿では、次の3つの課題について取り組むこととする。第1に、各州における全日制学 校の導入と拡充に関する状況を明らかにすることである。第2に、チューリンゲン州において進め られている「ネレコム」の理念や取り組み状況を明らかにすることである。第3に、これらの事例 をとおして、ドイツにおける学校経営にもたらされている新たな課題について論じることである。

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2.各州における全日制学校拡充の取り組み (1)全日制学校の導入と拡充  全日制学校の拡充に関する取り組みは、前述のように、2001年にKMKから出された7項目の「取 り組み領域」の中に盛り込まれていた。従来、ドイツの学校の大部分は伝統的に昼過ぎに終わる半 日制学校であった。全日制学校とは、昼過ぎで終わっていた半日制学校を転換し、午後にも教育や ケア(Betreuung)を提供しようという構想である。すでに一部の学校で全日制を採る学校は存在し ていたが、その割合はきわめて低かった。  この全日制学校には3つのタイプがある。第一は、少なくとも週3日、7時間目までの授業に全 生徒が参加する義務のある完全義務型(voll gebundene Form)、第二は、少なくとも週3日、7時間目 までの授業に生徒の一部が参加する義務のある部分義務型(teilweise gebundene Form)、第三は、少な くとも週3日、7時間目までの授業やケアに参加することのできる自由型(offene Form)である。第 一と第二とは授業に参加するという点では違いはない。相違点は、当該学校の生徒全員が全日制に 属する学校か、当該学校の生徒の一部が全日制に属する学校かという点である。また第三の場合に は、少なくとも学期ごとに、生徒自身あるいは生徒の保護者によって、参加の有無が明らかにされ なければならないとされている(Sekretariat der Ständigen Konferenz der Kultusminister der Länder in der

Bundesrepublik Deutschland 2004:5)。全日制学校の経営上の形態としては、これら3つのタイプに分

けられる。しかしながら、午後のカリキュラムは、各学校の実状にもとづき、実に多様である。  全日制学校が7項目の「取り組み分野」の一つとして挙げられたことにより、連邦教育研究大臣 を代表とする連邦と各州は、2003年5月に「投資プログラム『将来の教育と支援』2003-2007管理協 定」(Verwaltungsvereinbarung Investitionsprogramm “Zukunft Bildung und Betreuung” 2003-2007)を策定 し、これを受けて連邦全体で40億ユーロ(1ユーロ=125円とした場合、約5000億円)が全日制学校 の拡充に投入されることとなった(BMBF 2003)。こうして財政的な基盤が用意されたことにより、 各州において全日制学校の拡充に関する具体的な取り組みが本格的に始められた。  学力向上政策の一環として全日制学校の拡充が開始されてから、全日制学校の設置率は年々増 加するとともに、全日制に属する生徒参加率も年々増加してきている。全日制学校が導入され 始めた2002年には、まだドイツ全体での全日制学校設置率は16.3%でしかなかった。各州の状況 でいえば、最も多い設置率を示していたザクセン州ではすでに72.8%、次いでチューリンゲン州 では58.7%に達していたが、第3位のベルリン州になると34.7%と下がり、これに続くザールラ ント州の23.9%以外は、いずれの州も20%以下であった。この中で、最も設置率の低いシュレス ヴィッヒ・ホルシュタイン州では2.0%、ハンブルク州では6.0%であった(Sekretariat der Ständigen

Konferenz der Kultusminister der Länder in der Bundesrepublik Deutschland 2008:1*)。

 他方、全日制に属する生徒参加率で見ても、2002年にはドイツ全体で9.8%でしかなかった。最 も多いザクセン州で22.3%、次いでベルリン州で21.9%、チューリンゲン州で21.4%であった。他 方、生徒率の低い州では、バイエルン州の2.3%、シュレスヴィッヒ・ホルシュタイン州の3.6%、 ザールラント州の4.3%となっていた(Sekretariat der Ständigen Konferenz der Kultusminister der Länder

in der Bundesrepublik Deutschland 2008:30*)。

 しかし、2012年4月3日発表のKMK 事務局のデータによると、2010年の全日制学校設置率は、 ドイツ全体で51.1%を占めるに至っている。設置率の高い州では、ザクセン州96.5%、ザールラン ト州93.8%、ベルリン州83.3%となっている。逆に設置率の低い州でも、バーデン・ビュルテンベ ルク州26.7%、ブレーメン州33.7%、メクレンブルク・フォアポンメルン州40.0%となり、大幅に 増加していることがうかがえる(Sekretariat der Ständigen Konferenz der Kultusminister der Länder in der

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 他方、全日制に属する生徒参加率で見ると、ドイツ全体で28.1%まで上昇してきた。生徒参加 率の高い州でいえば、ザクセン州73.3%、ハンブルク州54.8%、チューリンゲン州52.6%となって いる、逆に生徒参加率の低い州でいえば、バイエルン州10.5%、バーデン・ビュルテンベルク州 15.7%、ザールラント州19.7%となっている(Sekretariat der Ständigen Konferenz der Kultusminister der

Länder in der Bundesrepublik Deutschland 2012:30*)。

 この生徒参加率は、表2に示すように、義務型(gebundene Form)の全日制学校への生徒参加率 と自由型(offene Form)の全日制学校への生徒参加率とに分けてデータが出されている。まず、義 務型参加率について2002年から2010年にかけての変化を見ると、ドイツ全体では6.6%から12.7% へと増加していることがわかる。これを州ごとに見ると、2010年の上位の州として、ザクセン州 28.1%、ブレーメン州24.7%、メクレンブルク・フォアポンメルン州23.7%が挙げられる。このう ち、ブレーメン州とメクレンブルク・フォアポンメルン州は、ともに全日制学校設置率では低い州 の第2位、第3位を占めている州である一方、義務型参加率では上位を占めていることがわかる。  次に、自由型参加率について2002年から2010年にかけての変化を見ると、ドイツ全体で3.1% から15.3%へと増加していることがわかる。2010年では、自由型は義務型よりも高い割合を示し ている。これを州ごとに見ると、2010年の上位の州として、ザクセン州45.2%、チューリンゲン 州39.7%、ハンブルク州33.9%が挙げられる。ザクセン州は義務型においても自由型においても、 ともに第1位を占めている(Sekretariat der Ständigen Konferenz der Kultusminister der Länder in der

Bundesrepublik Deutschland 2012:30*)。  また、2010年のデータで見た場合、バーデン・ヴュルテンベルク州、ブレーメン州、メクレンブ ルク・フォアポンメルン州、ラインラント・プファルツ州のように、義務型参加率が自由型参加率 表1 各州における全日制学校設置率および生徒参加率(2002年と2010年との比較) 州 全日制学校設置率(%)2002年 2010年 2002年生徒参加率(%)2010年 バーデン・ヴュルテンベルク州 9.0 26.7 5.8 15.7 バイエルン州 11.7 45.2 2.3 10.5 ベルリン州 34.7 83.3 21.9 48.0 ブランデンブルク州 13.9 56.1 10.7 45.6 ブレーメン州 6.0 33.7 4.6 26.2 ハンブルク州 10.1 44.5 5.7 54.8 ヘッセン州 12.0 - 13.7 - メルレンブルク・フォアポンメルン州 13.0 40.0 8.1 37.9 ニーダーザクセン州 6.1 - 6.2 - ノルトライン・ヴェストファーレン州 10.0 66.1 14.6 30.7 ラインラント・プファルツ州 13.3 60.2 5.7 20.3 ザールラント州 23.9 93.8 4.3 19.7 ザクセン州 72.8 96.5 22.3 73.3 ザクセン・アンハルト州 13.3 - 9.6 - シュレスヴィッヒ・ホルシュタイン州 2.0 50.6 3.6 25.2 チューリンゲン州 58.7 78.6 21.4 52.6 ドイツ全体 16.3 51.1 9.8 28.1 (出 典:Sekretariat der Ständigen Konferenz der Kultusminister der Länder in der Bundesrepublik Deutschland

2008:1*,30、およびSekretariat der Ständigen Konferenz der Kultusminister der Länder in der Bundesrepublik

Deutschland 2012:1*,30*より筆者作成)

(注)2010年のヘッセン州、ニーダーザクセン州、ザクセン・アンハルト州のデータは、私立の全 日制学校に関するデータがないため、記載されていない。

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よりも高い州と、その他の州のように、自由型参加率が義務型参加率よりも高い州とが見られる。 このように、全日制学校の拡充に関する具体的な方針に関しては、明らかに州による相異が見られ る。 (2)全日制学校における学校経営の課題  全日制学校では、学校経営においてこれまでの半日制学校とは異なる課題が生じている。次の4 点を指摘したい。  第1に、午後の活動内容の形成についてである。全日制学校の午後の活動内容は、地域の状況や 学校を取り囲む環境によって各学校の独自性が表れており、実に多様である。なぜならば、午後の 活動内容を形成する上で、学校外にある多様な教育的資源の中から、当該学校の活動として必要で あり、実施可能な活動内容を盛り込むことになるためである。当然、学校の都合だけでは午後の活 動内容を形成するのは不可能である。実際には、午後の活動を担う担当者との調整が必要となるた め、実際に午後の活動内容が決まるまでには、幾度かの計画の修正や変更は避けられない。  また、午後の活動内容は、当該学校の教育活動全体の一貫性という観点から午前の活動内容との 連携を図らなければならないと同時に、当該学校の教育活動全体に関する活動計画である「学校プ ログラム」(Schulprogramm)の内容にも盛り込まれることとなる。多くの州において「学校プログ ラム」の内容は学校会議の審議事項の一つとなっているため、午後の活動内容の形成は学校経営上 の重要な課題となっている。  第2に、午後の活動の担当者についてである。午後の活動の担当者は、多くの場合、教員だけで はなく、多様な分野からの協力者によって成り立っている。社会福祉教育者、学校ソーシャルワー 表2 各州における義務型への生徒参加率および自由型への生徒参加率(2002年と2010年との比較) 州 義務型への生徒参加率(%)自由型への生徒参加率(%)2002年 2010年 2002年 2010年 バーデン・ヴュルテンベルク州 5.1 10.1 0.7 5.7 バイエルン州 0.5 4.3 1.8 6.1 ベルリン州 16.3 22.3 5.5 25.7 ブランデンブルク州 10.7 12.2 - 33.4 ブレーメン州 2.0 24.7 2.6 1.6 ハンブルク州 3.6 20.9 2.1 33.9 ヘッセン州 2.0 - 11.7 - メルレンブルク・フォアポンメルン州 1.6 23.7 6.5 14.2 ニーダーザクセン州 3.7 - 2.5 - ノルトライン・ヴェストファーレン州 14.6 20.0 - 10.7 ラインラント・プファルツ州 4.6 17.8 1.2 2.5 ザールラント州 2.2 2.8 2.1 16.9 ザクセン州 7.0 28.1 15.3 45.2 ザクセン・アンハルト州 0.7 - 8.9 - シュレスヴィッヒ・ホルシュタイン州 3.6 6.9 - 18.3 チューリンゲン州 8.8 12.9 12.5 39.7 ドイツ全体 6.6 12.7 3.1 15.3 (出典:Sekretariat der Ständigen Konferenz der Kultusminister der Länder in der Bundesrepublik Deutschland

2008:30*、およびSekretariat der Ständigen Konferenz der Kultusminister der Länder in der Bundesrepublik

Deutschland 2012:30*より筆者作成)

(注)2010年のヘッセン州、ニーダーザクセン州、ザクセン・アンハルト州のデータは、私立の全 日制学校に関するデータがないため、記載されていない。

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カー、教育関係職員、スポーツトレーナーや音楽家などの学校外の協力者、老人や近隣住民などの 名誉職の協力者、父母、学校事務職員(秘書)や用務員などの教育関係以外の職員である。福祉団 体、青少年団体、スポーツ団体、文化・芸術団体、学校助成団体、市民運動団体、教会などに属す る無償の協力者の他、連邦、州、自治体に属する公的な協力者、民間のスポーツ学校・施設、民間 の音楽・芸術学校、工場などの営利組織に属する協力者も関与している(柳澤 2009:53)。こうした 多様な分野からの協力者が午後の活動を支えている。  こうした多様な分野からの協力者を発掘する任務は主に校長が担っている。また、定期的に午後 の活動内容や担当者を見直し、必要があれば変更するという任務も主に校長が担っている。こうし た人的資源の配置に関する任務は、午後の活動内容の形成とともに、全日制学校の活動の質に影響 を及ぼす要因であり、全日制学校の拡充によって生じた学校経営上の重要な課題となっている。  第3に、午前の活動を担当する教員と午後の活動を担当する協力者との連携についてである。全 日制学校では、主に午前の活動を担当する教員と午後の活動を担当する多様な分野からの協力者と の間でどのような連携を図るかということが重要な課題となる。  この点については、「ドイツ連邦共和国各州での全日制形態の一般教育学校に関する報告」 (Bericht über die allgemein bildenden Schule in Ganztagsform in den Ländern in der Bundesrepublik

Deutschland)(2004年1月2日)において、全日制学校の定義の一つとして挙げられた、「午後のプ

ログラムは学校経営担当者の監督と責任の下で準備され、学校経営担当者との密接な協力の下に実 施され、午前の授業と関連性を持つように構想される」という点に明確に示されている(Sekretariat

der Ständigen Konferenz der Kultusminister der Länder in der Bundesrepublik Deutschland 2004:4)。第1

および第2の点と関連して、一貫性のある活動として午前の活動内容と午後の活動内容との連携を 図るためには、午前の活動を担当する教員と午後の活動を担当する協力者との間にも密接な連携が 必要となるとともに、「学校プログラム」等に示されている当該学校の学校教育目標やそれにもと づく具体的な活動に関する共通認識が形成されていることが求められる。  第4に、生徒参加についてである。トーマス・W・ケレン(Thomas W. Coelen)によると、ジーゲ ン大学における共同研究の調査結果から、「ほとんどの子どもが授業の領域においても授業以外の 領域においても、参加の機会は全体としてかなり少ないと感じている。これに対して保護者は、生 徒の共同決定の機会は(とくに「全日制」において)高いと評価している」という(Coelen 2010:43)。 全日制学校での生徒参加に関する認識は、生徒と保護者の間で大きく異なっていることがわかる。 ケレンは、教育の場における共同決定について論じる中で、教育の場を、青少年支援機関、学 校、両者の協力の場としての全日制学校、という3つの場に分けて論じている。その中でも、「『全 日制教育』が示す代替的なコンセプトは青少年育成機関と学校との間の協力的な分業(kooperativ Arbeitsteilung)にもとづいており、一方では参加制度はその構造原理を止めておくべきであるとい う志向と、他方で何か第三の新規性を共同で生み出すべきであるという志向との、2つの志向に基 礎を置いている」とした上で、「この第三の新規性を民主主義教育として形づくるという要望のも とに、協力的な組織として、どのような課題や原理が共同の調整過程で拾い上げられなければなら ないかという問題が生じる。授業とケアの複合は、どのような条件の下で、とくに民主主義教育と しての影響を子どもたちに及ぼすであろうか」と全日制学校が抱える課題を指摘している(Coelen 2010:41-42)。少なくとも、全日制学校においては、これまでとは異なった意思形成のしくみが求 められることになるとともに、民主主義教育という観点からみると、これまでの学校での意思形成 に新たな可能性が加わったことが指摘されている。このような点で、全日制学校における学校経営 は新たな局面を迎えているといえる。

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3.チューリンゲン州における「ネレコム」(”nelecom”)の取り組み (1)「ネレコム」の理念と取り組み  チューリンゲン州においても、他州と同様に他分野にわたる教育改革が進められている。その中 でも、「ネレコム」の取り組みは、全日制学校の拡充と同様に、学校経営の構造を大きく変えると いう点で興味深い取り組みである。本節ではまず、「ネレコム」の理念と取り組みの概要を示した 上で、「ネレコム」の事例を紹介したい。  まず、「ネレコム」の理念についてである。「ネレコム」とは、「チューリンゲン型教育モデル-地 域共同体の新しい学習文化(Thüringer Bildungsmodell-Neue Lernkultur in Kommunen)」と命名された 取り組みであり、その頭文字をもとに” nelecom” と呼ばれている。この「ネレコム」の指導者の一人 であるゲラルド・ヒュッター(Gerald Huther)は、「本来、それぞれの子どもには3つのもの(Dinge) が必要である。成長できる課題(Aufgaben)、方向を示してくれる模範(Vorbilder)、高めてくれると 感じる共同体(Gemeinschften)である」と述べており(Vreugdenhil 2008:1)、「課題」「模範」「共同体」 は学校だけではなく、地域でも提供されることになる。  「ネレコム」の理念は、図1のような「方向づけの枠組み」(Orientierungsrahmen)として示されてい る(Arbeitsstelle des Thüringer Ministeriums für Bildung, Wissenschaft und Kultur》Thüringer Bildungsmodell

– Neue Lernkultur in Kommunen《(nelecom)am Staatlichen Schulamt Jena/Stadtroda 2010:8)。この図をも

方向づけの枠組み

「チューリンゲン型教育モデル-地域共同体の新しい学習文化」(ネレコム) 「3K」の質モデル-子どもや若者を強くする、地域開発を進める、 尊敬の文化を発展させる 人間性の発展と生活能力の向上 社会参加 責任感 地域への愛着 経験からの学び 尊敬 協力 統合 寛容 生活世界としての地域を 生活世界としての地域を 体験する 形成する 自己責任 協働 公共心を発展させる-         

地域

      共同体を形成する- ヴィジョンを構想する       公共団体のアトリエ         資源を活用する 進路を発見する 尊敬を体験する 保護を経験する 支援を得る 家庭・子育て機関・学校 子どもや若者の 育成に関する 共同責任

新しい学習文化

図1 チューリンゲン州における「ネレコム」の理念図

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とに理念の構造を示すならば、次のようになる。子どもや若者が、「生活世界としての地域を体験 する」、「生活世界としての地域を形成する」ことをとおして、「自己責任」、「協働」を学ぶ。そのた めに地域では、「公共心を発展させる-ヴィジョンを構想する」、「共同体を形成する-資源を活用 する」といった形で「公共団体のアトリエ」としての役割を果たす。こうした地域での取り組みと関 連して、家庭、子育て機関、学校では、子どもや若者が、「進路を発見する」、「保護を経験する」、 「尊敬を体験する」、「支援を得る」ことができるように、「子どもや若者の育成に関する共同責任」 を担うことが求められる。こうして、「新しい学習文化」が創造される。これにより、子どもや若 者の「統合」、「寛容」、「尊敬」、「協力」、「地域への愛着」、「経験からの学び」、「社会参加」、「責任 感」といった力が高まり、「人間性の発展や生活能力の向上」が実現される。  こうした理念のもとに取り組まれる「ネレコム」の具体的な活動として、次の「シナリオA」か ら「シナリオC」までの3つの段階が想定されている(Arbeitsstelle des Thüringer Ministeriums für

Bildung, Wissenschaft und Kultur》 Thüringer Bildungsmodell–Neue Lernkultur in Kommunen《(nelecom) am Staatlichen Schulamt Jena/Stadtroda 2010:10)。

 シナリオA:教育機関(保育所、学校)での子どもや若者の育成に関して、ネレコムの理念の適 用が試みられる。並行して、学習する共同体としての地域においても、ネレコムの理念が理解 され、取り組まれる。この両者の展開は並行して進められるが、できるだけ互いに調整され る。  シナリオB:シナリオBでも、Aと同様なプロセスが地域において進行する。しかし同時に、子 どもや若者が、学習課題や学習関心の中に地域の課題を取り入れることができるプロジェクト の実施が試みられる。  シナリオC:シナリオCでは、シナリオAやシナリオBと同様なプロセスが見られる。しかし、 義務的な学習内容や学習目標が、地域の課題を取り入れることや共同責任を担うことによっ て、地域内でほぼ達成される。必要となる知識の伝達や開発は、地域の事柄とできるだけ幅広 く結びつけられる。  このように、「シナリオA」から「シナリオC」へと進むにつれ、次第に地域との結びつきが強く なっていく。子どもや若者の学習が地域を素材とするとともに、地域に貢献するものとして捉え直 されることになる。こうした理念や取り組みのもとに、チューリンゲン州内の4つのパイロット地 域において、2008年3月から2年間に及ぶパイロット段階が開始された。  「ネレコム」の取り組みとしては、2008年から2010年までの2年間でパイロット段階が終了した。 しかし引き続き、2010年から2014年までの移行段階(Transferphase)が実施されることとなった。現 在(2012年11月現在)はこの移行段階にあり、この新たな段階に参加した地域は全部で19地域となっ ている。 (2)「ネレコム」の事例-ディンゲルシュテット(Dingelstaedt)  ここで事例として挙げるディンゲルシュテット(Dingelstaedt)は、上述した4つのパイロット地 域の一つである。ディンゲルシュテットは、チューリンゲン州の州都エアフルトから北西60キロ に位置する人口8千人(2009年末現在)の小さな自治体である(www.dingelstaedt.eu/Site/Gemeinden /index.php)。  「ディンゲルシュテットがネレコムの取り組みに加わったきっかけは、人口減少、高齢化、生活 や経済状況の先行きに対する危機感など、地域の抱える問題状況にあった。こうした傾向に対し

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て、ディンゲルシュテットでは、ネレコムでの地域全体での責任体制のもとで、家庭、子ども、若 者を組織的に支援することによって立ち向かおうと考えた」とされるように、地域が抱える深刻な 課題を解決するために、子育てを核とした地域再生が目ざされたことが契機となっている(Thillm,

Thüringer Ministerium für Bildung, Wissenschaft und Kultur und deutsche kinder- und jugendstiftung 2010:

13)。このディンゲルシュテットでは、「子どもや若者を強くする-自分らしさを作り出す」とい う中心テーマを掲げ、次のような3つの目標のもとにネレコムの活動に取り組んでいる(nelecom. Begleitprogramm 2009:4)。  1.地域のすべての子どもや若者を統合し助成すること:すべての子どもや若者を偏見なく包摂 すること、自由な活動の場を与えること、責任を引き受けること  2.地域の子どもや若者の自分らしさを高めること:若者が参加すること、彼らの提案に耳を傾 けること、それによって彼らが成功体験を得ること  3.経験を重視した学習と行動の雰囲気を作り出すこと:整備された教育機関が教育のプロセス において家庭を専門的な観点から支援すること  こうした目標を実現するために、ディンゲルシュテットでは、図2に示すような推進チームを核 とした推進体制が構築された(nelecom. Begleitprogramm 2009:5)。  コーディネーターや校長によって構成される推進チームのもとで、これまでに以下のような取 り組みが進められてきている(Thillm, Thüringer Ministerium für Bildung, Wissenschaft und Kultur und

deutsche kinder- und jugendstiftung 2010:13-14)。

 第一に、子どもたちによって学校を超えたプロジェクトが作られている。特別支援学校、ギムナ ジウム、通常学校(Regelschule)、基礎学校の間で連携が築かれ、活動計画に関する数多くの提案が 子どもたち自身から出されている。プロジェクトの例として、特別支援学校やギムナジウムの生徒 たちが子ども祭りやクリスマスコンサートなどでも催しを行う団体を立ち上げる、あるいはディン ネレコム・コーディネーター ユルゲン・コール(Jürgen Kohl) 副コーディネーター ハラルド・ズィービッヒテロート(Harald Siebigteroth)(=文化・教育・ 社会福祉委員会議長) 推進チーム 市長 コーディネーター 副コーディネーター 通常学校全日制課程コーディネーター キムナジウム校長 通常学校校長 運営団体 4~6週間ごとの会合 運営団体は、ディンゲルシュテットの各教育機関1名の協力者から構成される委員会である。 この運営団体において、日程調整が行われ、共同で実施する活動に関する計画が練られる。 図2 ディンゲルシュテットにおける「ネレコム」の推進体制

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ゲルシュテット市民にとっての情報拠点である市立家庭・協会フォーラムが実科学校の「ホームペー ジ」作成コースの指導をするといった活動が見られる。  第二に、通常学校、ギムナジウム、職業学校の生徒たちによって、生徒・若者議会(Schüler- und Jugedparlament)が組織され、市の文化・教育・社会福祉委員会で審議が行われている。その際に、 子どもや若者は単に協議するだけでなく、具体的なアイデアを述べたり、プロジェクトを提起した りしている。その中でも、ギムナジウムの生徒たちのイニシアチブによって、ギムナジウムの生徒 と近隣の公園を管理する協会との協力のもと、共同で公園の整備を行ったり、公園の植物などの手 入れなどを行ったりしている。  第三に、ディンゲルシュテットのギムナジウムの女子生徒17名が、地域の家庭を子育てで支援す るという目的のもとに、家庭センターの協力を得て、ベビーシッター養成教育を体験している。5 週間にわたる養成教育の中で、乳児や幼児の世話をはじめ、看護、家事、食物などについて学び、 卒業証書を手にした(www.dingelstaedt.eu/Site/Gemeinden/ Dingelstaedt/PDF/Artikel-Babysitterc.pdf)。  このように、ディンゲルシュテットでは、「ネレコム」を契機として子どもや若者が主体となっ て互いに連携を築き上げながら、地域に貢献する取り組みが生み出されてきている。 4.結語-学校経営の新たな課題-  前述の全日制学校の拡充およびチューリンゲン州における「ネレコム」の取り組みをもとに、ド イツにおける学校経営改革の課題について、次の3点を指摘したい。  第一に、学校経営の主体となる学校当事者の拡大および多様化への対応である。これは、全日制 学校の拡充についても、またチューリンゲン州における「ネレコム」の取り組みについてもいえる ことである。教員以外に、これまで学校当事者ではなかった学校外の多様な分野からの協力者が、 学校経営の主体となる学校当事者となっている。これにより、学校経営の主体となる学校当事者が 広がり多様化している。当該学校における午前の活動内容と午後の活動内容との一貫性を図るため に、こうした新たな学校当事者を含めた意思形成が必要になるとともに、新たな意思形成の場や意 思形成の方法をいかに効果的に運用していくかが課題となっている。  第二に、学校経営の対象となる活動内容の拡大および多様化への対応である。全日制学校にお いても、「ネレコム」においても、これまでの学校の活動内容が拡大するとともに多様化している。 全日制学校の場合でいえば、まずは午後の活動内容がそれに当てはまる。午後の活動内容は午前に 行われる教科としての学習活動とは異なる形で実施されるとともに、午後の活動を行うだけではな く、昼食の指導なども始まっている。このように、活動内容の量的な拡大とともに活動内容の質的 な多様化も見られる。他方、「ネレコム」においては、学校に学校外のさまざまな機関や組織と柔 軟に連携を図っていくことが求められている。「ネレコム」の活動は、地域の実情によって異なる とともに、これまでにない活動内容が数多く盛り込まれている。学校が中心となって推進する活動 ばかりではないものの、地域の各学校は「ネレコム」の中心的な機関として先導的な役割を果たす ことが求められている。生徒たちの学びの場が学校から地域へと拡大していくことによって、学校 経営が視野に入れておくべき活動内容や領域が拡大し多様化しており、これらへの対応が課題と なっている。  第三に、民主主義教育学(Demokratiepädagogik)にもとづく生徒参加の強化である。近年、民主 主義教育(Demokratieerziehung)への関心が高まってきている。2009年には、KMKから「民主主義教 育の強化」(Stärkung der Demokratieerziehung)という決議が出されている。この中では、「民主主義 に関する教育は、学校ならびに若者の教育にとって中心的な課題である。民主主義および民主主義 的な行動を学習することは可能であり、またこれらは学習されなければならない。子どもや若者

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は、若い時期に、民主主義のすぐれた特性、成果、機会を体験すべきであり、広範囲に及ぶ社会変 化が見られる時代にあっても、民主主義の基本的な価値である自由、公正、連帯、寛容が自由な ままになることは決して許されないということを認識すべきである」と指摘されており(Sekretariat

der Ständigen Konferenz der Kultusminister der Länder in der Bundesrepublik Deutschland 2009:2)、あら

ためて民主主義教育の重要性が確認されている。  この民主主義教育は、授業開発とともにドイツの学校経営において重要な要素となっている生 徒参加においても取り組むべきであるとされている。具体的には、「生徒が現在の協働に関する取 り組みを実際に活用する意欲を高めること、共同の活動を支援すること、関与する形態(たとえ ば、学級委員)を拡大すること」、「学校の質向上に関する承認の文化および関与の文化を組織的に 定着させること、学校の内部評価において生徒と協働すること」といった取り組みが挙げられてお り(Sekretariat der Ständigen Konferenz der Kultusminister der Länder in der Bundesrepublik Deutschland 2009:4-5)、ドイツで1970年代から取り組まれてきた生徒参加が、さらに質的に高められることが 求められている。全日制学校において生徒参加をどのように充実させるのか、また「ネレコム」に おいて生徒参加をどのように充実させるのかが学校経営の新たな課題となっている。  これら3点がドイツにおける学校経営の新たな課題として挙げられる。もちろん、これらの課題 はドイツのすべての学校に求められる課題であるとはいえない。現在では、一部の学校や一部の地 域に限られている。しかしながら、全日制学校はすでにドイツの学校の半数を超えており、今後は さらに数多くの学校へと拡大していくことが想定されることから、ここに挙げた学校経営の新たな 課題はさらに数多くの学校で共有される課題となることが想定される。  さいごに、前編で明らかにした学力向上政策の特質を手がかかりに学校経営の動向についていえ ば、次のようになる。ドイツでは、どの学校においても、各種のスタンダードに対応し、他の州の 取り組みを手がかりにしながら、学術的なデータにもとづいた教育活動を進めることが求められて いる。このことから、こうした教育活動に十分に対応できる学校となるために、学校組織の質的向 上がより一層求められている。 (引用文献)

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Allgemein bildende Schulen in Ganztagsform in den Laendern in der Bundesrepublik Deutschland -Statistik 2006 bis

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924.pdf (Download am 26.11.2012)

柳澤良明(2009)「ドイツにおける全日制学校の拡充と学校の役割変容」,大塚学校経営研究会編『学校経営研究』 第34巻,45-58頁。

〔追記〕本研究は、平成20~24年度の科研費・基盤研究(C)「初等・中等教育での学力向上におけ る学校経営改革の特質に関する日独比較研究」(課題番号:20530735)による研究成果の一部である。

参照

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