v 目 次
目
次
主な登場人物 クルド略年表 地 図プロローグ
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 1第Ⅰ部
イラクのクルド自治区の今
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 9 第一章
「イスラム国」の衝撃
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 10 自治区に迫った「イスラム国」 /「イスラム国」と「クルド国」 第二章「ミニ国家」クルド自治区
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 18 PUKの元通訳官と地元記者/経済繁栄とその熱気/元共産党員 の実業家/自治区からの原油の輸出/治安の安定/避難民/スレ イマニヤでの自爆テロ目 次 vi 第三章
「自由」の代償
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 42 マツダのPUK退職/第 三極「ゴラン」の登場/少女の焼身自殺 第四章キルクークを巡る民族対立
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 53 油 の 上 に 浮 く 街/ 「ア ラ ブ 化 政 策」 の 果 て に/ 「ク ル ド 化 政 策」 / 先鋭化する対立/襲撃されたヤヒヤ 第五章独立闘争の鬼っ子「PKK」
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 65 カンディール山脈に潜入/過激組織を生んだトルコの素地/オザ ルの融和策とエルドアンの登場/PKK幹部へのインタビュー/ クルド人が殺し合う装置/ヤヒヤへの「殺害予告」第Ⅱ部
クルド人とは
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 87 第六章
民族性とその歴史
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 88 「国民的」作家フセイン・アーリフ/共産党離脱と「抵抗小説」 / クルド人はどこから来たのか/遊牧生活と部族/今に生きる神話 /クルド人は何人いるのか/標準語なきクルド語/山との関わり /山の民として/その宗教観vii 目 次 第七章
大国の思惑と幻の国家
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 115 オスマン帝国とサファヴィー朝/セーヴル条約とローザンヌ条約 /幻の国家「マハーバード共和国」 /今に生きるカジの精神第Ⅲ部
サダムの時代
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 123 第八章
共和国の誕生とバアス党の支配
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 124 自由将校団のクーデター/共産党の闘争/見せかけの自治合意/ 「ク ル ド 革 命」 /「裏 切 り」 の ア ル ジ ェ 合 意/ イ ラ ン ・ イ ラ ク 戦 争 と ア ン フ ァ ー ル 作 戦/ サ ダ ム 政 権 下 の「言 論 の 自 由」 / ハ ラ ブ ジ ャの悲劇 第九章湾岸戦争とクルドの民衆蜂起
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 148 フェダイーンの志願者/民衆蜂起の日/恐怖政治下の庶民/サダ ム の 反 撃/ マ ツ ダ の 闘 争/ ヤ ヒ ヤ の 戦 い/ 「安 全 地 帯」 の 設 置 と 「クルドの春」目 次 viii 第一〇章
クルド地域政府の樹立と内戦
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 167 政治家フセイン・アーリフ/大学生活と内戦の足音/二人の英雄 と二つの政党/クルド内戦/招き入れられたイラク軍/内戦のし こり/通訳官の仕事と結婚/ 「言論の自由」とヤヒヤ 第一一章イラク戦争とサダムの最期
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 189 開戦前夜/ブッシュの宣戦布告/サダムの最期/ヤヒヤの奮闘/ 初の独立系新聞「アウェーナ」終
章
国家樹立への道
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 199 街と今どきの若者/マツダの現在と未来/ヤヒヤの移籍と渡米/ 後進を育てるセイワーン/ファルークの「国」への貢献/フセイ ン・アーリフの試み あとがき ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 211 主な参考文献 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 215ix 主な登場人物
◆
主な登場人物
▽フセイン・アーリフ 一九三六年生まれ。イラク北部のクルド自治 区スレイマニヤ在住のクルディスタンの「国 民的」作家。クルド地域政府議会の元議員 ▽マツダ・アーリフ 一 九 七 〇 年 生 ま れ。 ク ル ド 愛 国 同 盟 (P U K) の元通訳官、法廷通訳者。フセイン・アーリ フの次男 ▽ヤヒヤ・バルザンジ 一九七〇年生まれ。ジャーナリスト。クルド 自治区スレイマニヤの有力紙「アウェーナ」 の編集局長 (二〇一二年まで) 。マツダの友人 ▽ファルーク・ラスール 一九四一年生まれ。フセイン・アーリフの親 友で、元共産党員の実業家。携帯電話会社や ホテルなどを経営 ▽セイワーン・アブー・バクル 一九五四年生まれ。元ペシュメルガ幹部で、 現在、諜報機関アサイシュの学校長。マツダ の伯父 ▽サダム・フセイン 一九三七年生まれ。イラク共和国の元大統領。 二四年にわたり大統領として君臨。イラク戦 争で倒され、二〇〇六年に処刑された ▽ジャラール・タラバーニ 一九三三年生まれ。イラク戦争後の初代イラ ク 共 和 国 大 統 領。 ク ル ド 愛 国 同 盟 (P U K) 党 首 ▽マスウド・バルザーニ 一九四六年生まれ。クルド自治区のクルド地 域 政 府 (K R G) の 大 統 領。 ク ル ド 民 主 党 (K DP) 党首クルド略年表 x 1986 フセイン政権,アンファール作戦開始 1988 イラク軍がハラブジャを毒ガス攻撃 1989 アーリフ一家,スレイマニヤに戻る 1990 イラク軍がクウェート侵攻 1991 湾岸戦争.クルド人による民衆蜂起 マツダ,民衆蜂起に参加 1992 イラク北部のクルド人地区で初の議会選 挙,地域政府樹立 アーリフ,地域政府議員に当選 1994 KDP と PUK が武力衝突,内戦状態に マツダ,PUK の通訳官になる 1996 KDP の要請でイラク軍が自治区に侵攻 1998 KDP と PUK が地域政府の再建で合意 マツダ,バハラと結婚 1999 PKK のアブドラ・オジャラン党首,ナ イロビで拘束,死刑判決(2002 年,無期 懲役に) 2002 KDP と PUK が和解合意 アーリフ,『ヘラナ』出版.ヤヒヤ, 「ハウラティ」紙で記者を始める 2003 イラク戦争,フセイン政権崩壊 ヤヒヤ,AP 通信などの通信員と して奮闘 2004 イラク暫定政権発足,主権回復 アーリフ,『OneYearofMyAge』 出版 2005 タラバーニ,イラク大統領就任 アーリフ,クルド地域政府議員引退 2006 PUK と KDP が統一政府樹立で合意.ナ ウシルワン・ムスタファ,PUK を離脱, 09 年にゴラン設立 マツダ,PUK 辞職.ヤヒヤ,「ア ウェーナ」紙創刊に携わる 2008 ヤヒヤ,キルクークで襲撃される 2009 クルド地域政府議会選挙,ゴラン躍進 マツダ,スレイマニヤに翻訳事務 所開設 2012 アーリフ,全集を出版 2014 「イスラム国」が樹立を宣言
xi クルド略年表 クルド略年表 年 クルドを巡る動き フセイン・アーリフ,マツダ,ヤヒヤを巡る出来事 1920 セーヴル条約締結 1923 ローザンヌ条約締結.セーヴル条約破棄 1927 イラク北部のキルクークで油田発見 1932 英国の委任統治終了.イラクの誕生 1936 アーリフ,スレイマニヤに生まれる 1946 イランで「マハーバード共和国」樹立. イラクでクルド民主党(KDP)結成 1947 ムスタファ・バルザーニがソ連に亡命 アーリフ,11 歳で共産党入党, 翌年拘束される 1958 カーシム准将の自由将校団によるクーデ ター.ムスタファ・バルザーニが亡命先 のソ連から帰国 アーリフ,拘束され,バスラ近郊 の刑務所で『チャイ・シリーン』 執筆(翌年出版) 1961 バルザーニ,クルド地域での自治要求 1963 バアス党と軍によるクーデター アーリフ,バアス党に拘束される 1964 クルド自治交渉決裂,戦闘再開 1968 バアス党が軍事クーデターで政権奪取. バクル大統領就任 アーリフ,結婚.文学を仕事にすることを決意 1970 イラクのクルド勢力が中央政府との間で 自治について合意.バアス党の交渉代表 はサダム・フセイン アーリフ,総合雑誌『ハウカリ』 の文芸担当に.マツダ,バグダッ ドに生まれる.ヤヒヤ,スレイマ ニヤに生まれる 1974 クルド革命(─75 年) アーリフ一家,イラン国境に逃れる 1975 イラクとイランの間でアルジェ合意,ク ルド革命崩壊.ジャラール・タラバーニが KDP 離脱,クルド愛国同盟(PUK)設立 1978 トルコでクルド労働者党(PKK)設立 1979 イラクでバクル大統領辞任,サダム・フ セイン政権誕生.イランでイスラム革命 アーリフ一家,バグダッドからアルビルへ移住 1980 イラン・イラク戦争(─88 年) 1983 KDP と PKK が「連帯の原則」に署名 アーリフ,代表作『シャール』出版 1984 PKK が武装闘争を宣言
xii クルド人が主に暮らす地域 トルコ シリア レバノン ヨルダン イラク イラン ジョージア アルメニア アゼルバイジャン ロシア シュルナク ハッカリ マハーバード スレイマニヤ ハラブジャ バグダッド キルクーク アルビル モスル ディヤルバクル チ グ リ ス川 大 ザ ブ 川 ユー フラ テス川 クルド自治区 地中海 カスピ海 黒 海 スレイマニヤの市街地 フセイン・アーリフ自宅 アブサナ ホテル グランド・ ミレニアムホテル ペシャワル 小学校 ヤヒヤ自宅 マツダ自宅 レッドビル アウェーナ 紙本社 マツダ 事務所 スレイマニ・ パレスホテル 至キルクーク 至ハラブジャ 市中心部 市場 サ ー リ ム 通 り 0 500m
1 プロローグ
プロローグ
戦 火 の 絶 え な い 中 東 の 山 岳 地 帯 に、 「自 分 た ち の 国 を 樹 立 し た い」 と い う 情 熱 に か ら れ た 民 族 が い る。 クルド人と呼ばれる人たちだ。 クルド人が主に住むのは、トルコ南東部からイラク北部、シリア北東部、イラン北西部にまたがる国境 が 複 雑 に 交 わ る 山 岳 地 帯。 そ の 一 帯 は、 「ク ル デ ィ ス タ ン」 と 呼 ば れ る。 広 さ は、 五 二 万 平 方 キ ロ メ ー ト ルに及び、フランス国土に匹敵する。クルド人は、固有の風習や文化、歴史、独自の言語を持ち、 「民族」 とされるだけの要件を十分に満たしている。推定人口は、三〇〇〇万人ほど。中東では人口三一〇〇万人 の石油大国サウジアラビアとほぼ同じで、アメリカ大陸ならカナダの三五〇〇万人に迫る。民族の規模か らすると、中東では、アラブ人、トルコ人、ペルシャ人に次ぐ人口を抱える。クルド人は、決して少数民 族ではない。それなのに、クルド人は、これまでの歴史で自らの国を持ったことがない。いくら詳細な世 界 地 図 を 広 げ て も、 「ク ル ド」 と い う 名 の 国 を 見 つ け る こ と は で き な い。 主 に ト ル コ、 イ ラ ク、 シ リ ア、 イランのそれぞれの国で、 「少数民族」として生き延びてきた。 「国を持たない最大の民族」──。時にそプロローグ 2 んな皮肉を込めた呼ばれ方もする。 クルド人は自らの国を持てないまま、それぞれの国で、時代ごとに強権的な政権や独裁者に民族の誇り を汚され、抑圧されてきた。自らの国の樹立を主張し始めた瞬間、武力でつぶされ、手ひどい仕打ちを受 ける歴史を繰り返してきた。独立や権利拡大を巡り、おびただしい血が流されたことから、 「悲劇の民族」 とも呼ばれる。独立し、自らの国を持つこと──。それこそが、クルド人たちにとっての長年の悲願であ り、苦しい抑圧からの解放を意味した。 クルド人が最も多く住むのはトルコで、一五〇〇万人が暮らすとされる。一九二三年に樹立されたトル コ共和国は、トルコ人による「単一民族国家」を国是とした。クルド人は「山岳トルコ人」と呼ばれ、そ の 存 在 を 長 年 否 定 さ れ て き た。 一 九 八 〇 年 代 以 降、 「ク ル ド 労 働 者 党」 (P K K) が ト ル コ か ら の 分 離 や 独 立 を求めて武装闘争を続けるが、クルド人全体を巻き込む運動には至っていない。 シリアでは一五〇万人ほどのクルド人が暮らしてきたが、アサド政権下では、市民権すら与えられない クルド人もいた。シリア内戦の権力の空白に乗じて、二〇一六年三月、クルド系政党が北部に自治政府の 樹立を宣言したが、実体が伴うのはこれからだ。八〇〇万人のクルド人を抱えるイランでは、一九七九年 に起きたイスラム革命に、パフラヴィー朝 (一九二五─七九年) 下で弾圧されたクルド人が参加した。しかし、 自治のあり方を巡って新政権と衝突し、結局は抑圧された。 イラクでの弾圧は、とりわけ苛烈を極めた。恐怖政治を敷いた独裁者サダム・フセインは、北部を中心 に五〇〇万人のクルド人が暮らす地域を毒ガスで攻撃し、村々を根こそぎ破壊して虐殺した。米国が主導
3 プロローグ した二〇〇三年のイラク戦争でフセイン政権が倒れた後、クルド人国家の樹立に向けて最も熱を帯びてい るのがこのイラクだ。イラク戦争後の憲法制定の過程で、米国の戦争に協力したクルド人は復興の主導権 を握り、名誉職ながら中央政府の大統領の地位を手に入れた。イスラム教のスンニ派とシーア派が宗派抗 争を繰り広げるのを尻目に、一九九一年の湾岸戦争後にイラク北部で自治を認められたクルド人は「クル ド 地 域 政 府」 (K R G) の 下、 安 定 し た 治 安 を 基 盤 に 経 済 発 展 を 謳 歌 し て い る。 K R G は 軍 隊 を 持 ち、 外 交 も担う「ミニ国家」の様相を帯びている。 ◇ クルド人が国を持てなかったのは、第一次世界大戦中に西欧列強がオスマン帝国を分割するために引い た国境線による。その国境線は、連合国の英国、フランスにロシアを交えて一九一六年に秘密裏に結ばれ た「サイクス・ピコ協定」を基にしている。英国とフランスは、イラクやシリア、ヨルダンなどの国を誕 生させて支配圏域を決める一方、クルド民族を存在しないものとして扱った。国境線は、クルド人の居住 地域であるクルディスタンの真ん中を割くように引かれた。 クルド人の存在が無視されたのは、二〇世紀初頭に「民族」を基本単位とする国家が続々と誕生した際、 「民 族 自 決」 の 波 に 乗 り 遅 れ た か ら だ。 そ の 理 由 は、 い く つ か あ る。 山 岳 地 帯 に、 谷 ご と に 分 か れ て 暮 ら し て き た ク ル ド 人 の 社 会 に は、 近 代 に な っ て も 部 族 意 識 が 強 く 残 り、 「ク ル ド 民 族」 と し て の ま と ま り に 欠けていた。部族間の対立は、西欧列強や周辺の地域大国に都合よく利用された。クルド語の標準語を確
プロローグ 4 立できていないのも、独立に向けた運動が一つになれない要因となった。この苦境を脱するため、クルド 人の部族や政党は、欧米の大国や隣国の地域大国にすり寄っては裏切られることを繰り返した。国際社会 に真の友はいなかった。クルディスタンには、こんな寂しげなことわざが残る。 「山のほかに、友はなし」 ◇ ところが、このサイクス・ピコ協定を基にした国境線の引き直しを迫る事態が、二〇一四年六月に起き た。六月二九日、イラク北部からシリア東部にかけての地域に、この国境線の「無効」を宣言し、国家の 樹立を一方的に宣言する「国」が現れた。イスラム教スンニ派の過激派組織による「イスラム国」だ。も ち ろ ん 国 際 的 な 承 認 は な い。 し か し、 「イ ス ラ ム 国」 は 一 般 的 に「国 家」 と し て 認 め ら れ る 要 件 を 備 え て い た。 最 大 時 に は 英 国 ほ ど の 広 さ の 領 域 を 支 配 し、 そ こ に は 六 〇 〇 万 人 が 住 む。 ク ル ド 人 が 二 〇 世 紀 初 頭 か ら お び た だ し い 血 を 流 し な が ら も 実 現 で き な か っ た「国 家」 の 樹 立 を、 「イ ス ラ ム 国」 は そ の 原 型 が 組 織 さ れ て か ら わ ず か 十 数 年 ほ ど で 成 し 遂 げ て し ま っ た。 こ の 出 来 事 は、 ク ル ド 人 の 独 立 熱 を 刺 激 した。 国家樹立を宣言して勢いに乗る「イスラム国」の軍勢がイラク北部の各都市への攻勢を強めると、イラ クの正規軍は戦うことを放棄して逃走した。その治安の空白を埋めて支配地域の拡大に成功したのが、ク ルド人だった。地上軍を派遣しない米国や英仏などの大国も、クルド人を「イスラム国」と戦う「駒」と して支援した。
5 プロローグ 「イ ス ラ ム 国」 樹 立 の 二 〇 日 前 の 二 〇 一 四 年 六 月 九 日、 ク ル デ ィ ス タ ン を 代 表 す る 作 家、 フ セ イ ン ・ ア ー リ フ (七 八) は イ ラ ク 軍 が 逃 走 し た 後 に、 ク ル ド 地 域 政 府 の 軍 隊「ペ シ ュ メ ル ガ」 が イ ラ ク 北 部 の 産 油 都 市キルクークに入城する様子を映すテレビニュースに、キルクークから一〇〇キロメートルほど東のクル ド自治区の拠点都市スレイマニヤの自宅居間で見入っていた。キルクークのクルド人住民は、クルドの民 族旗を振ってペシュメルガを出迎えた。旗は、クルド人が独立のために流してきた血を意味する赤色、平 和を象徴する白色、クルディスタンの豊かな自然を表す緑色の三色の横線の上に黄色い太陽が描かれてい る。民族旗が振られる映像を見つめながら、フセイン・アーリフは興奮を抑えるかのようにつぶやいた。 「これはひょっとして、我々クルド人が長年夢見てきたクルド人国家の樹立につながるかもしれない」 キルクークは、イラク北部のクルド自治区の外に位置するものの、クルド人の住民が大半を占める。ク ルド地域政府は自治区への編入を求めるが、イラクの中央政府が支配権を手放さない地域だった。大油田 を抱えるキルクークの掌握は、クルド人が国家を樹立した際の大きな財源となる。安定した国家運営には、 欠かせない地域だ。 ◇ 二〇一〇年三月七日には、こんな光景が繰り広げられた。この日は、イラクの国会議員を選ぶ国民議会 選挙の投票日だった。夜一〇時頃、クルド自治区の拠点都市スレイマニヤでは、数万人のクルド人の老若 男女が東西に走る幹線道路サーリム通りに出て、旗を振った。イラク国内であるにもかかわらず、人びと
プロローグ 6 が振っているのは、赤、白、黒色の三色のイラク国旗ではない。黄 色の太陽を中心としたあのクルドの民族旗だ。クルド自治区の二大 政 党 の 一 角「ク ル ド 愛 国 同 盟」 (P U K) の 元 通 訳 官、 マ ツ ダ ・ ア ー リ フ (四 三) は 感 嘆 混 じ り に 漏 ら し た。 「ま る で ク ル ド 国 の 独 立 記 念 日のようだ」 その一時間後、スレイマニヤの有力紙「アウェーナ」の記者、ヤ ヒ ヤ ・ バ ル ザ ン ジ (四 三) は ス レ イ マ ニ ヤ 中 心 部 の ス レ イ マ ニ ・ パ レ ス ホ テ ル の 中 庭 に い た。 カ タ ー ル の 衛 星 テ レ ビ「ア ル ・ ジ ャ ジ ー ラ」の生放送の中継に、解説者として出演していた。カタールの首 都ドーハにあるアル・ジャジーラの本社スタジオから、女性キャス ターが、この日に行われた国民議会選挙の意義やクルド自治区の今 後 の 見 通 し に つ い て ヤ ヒ ヤ に 質 問 し た 後、 意 地 悪 そ う に 尋 ね た。 「と こ ろ で、 選 挙 の 結 果 は ま だ 出 て い な い の に、 な ぜ こ ん な に 大 勢 の ク ル ド 人 が 街 に 出 て、 ク ル ド の 旗 を 振 っ て 喜 ん で い る の で す か」 。 ヤ ヒ ヤ は ゆ っ く り と う な ず い た 後、 答 え た。 「選 挙 の 結 果 は い ず れ 分 か り ま す。 し か し、 ク ル ド 人 は 選 挙 が 暴 力 的 で な く、 民 主 的 に 行 わ れ た こ と を 喜 ん で い ま す。 つ ま り、 ク ル ド 人 は 民 主 主 義 の 勝 利 を 祝 っ て い る の で す」 。 女 性 キ ャ ス タ ー は、 納 得したようにうなずいた。 国民議会選挙の投票後,踊るクルド人の若者たち
7 プロローグ その中継を中庭の端から見守っていたPUKの元通訳官マツダ・アーリフと私は、ヤヒヤの発言に顔を 見合わせて、苦笑いした。 「また、もっともらしいことを言って」 。冷やかしている私たちを遠目に見たヤ ヒヤは、中継が終わってCMに入ると、イヤホンを外してカメラの前を離れ、こちらに向かってきた。ヤ ヒヤは真剣な顔つきで自らの解説を補足した。 「本当は、こう言おうと思ったんだ。 「 クルド人は中東地域 で唯一、選挙を平和裏に実施できる民族だ。つまり、クルド人は国家を樹立し、運営できる能力を備えて いることを改めて証明した 」。だけど、そんなことを言うと、 「 クルド人が独立を画策している 」 と波紋を 呼ぶからやめたんだ」 ◇ フセイン・アーリフは、現代のクルディスタンを代表する「国民的」作家で、弁護士の資格も持つ知識 人だ。一九九二年から二〇〇五年まで、クルド地域政府の議会議員を務めた政治家の顔も持つ。 マツダ・アーリフは作家フセイン・アーリフの次男で、クルド自治区の二大政党の一角「クルド愛国同 盟」 (P U K) の 通 訳 官 を 務 め て き た。 現 在 は P U K を 離 れ、 法 廷 通 訳 や 欧 米 か ら ク ル デ ィ ス タ ン に 取 材 で 訪れるジャーナリストの通訳をしながら生計を立てている。ヤヒヤ・バルザンジは、スレイマニヤで最も 読まれている有力紙「アウェーナ」の編集局長を務めたジャーナリストだ。マツダの友人でもある。 作家のフセイン・アーリフ、元PUK通訳官のマツダ・アーリフ、地元ジャーナリストのヤヒヤ・バル ザンジ……。まずは、この三人を取り巻く人間模様を通して「クルドの今」を伝えたい。それとともに、
プロローグ 8 三人の証言を頼りにクルディスタンの現代史をたどり、クルド人の国づくりへかけた情熱と苦難を描いて み た い。 (年 齢 は、 フ セ イ ン ・ ア ー リ フ と マ ツ ダ ・ ア ー リ フ、 ヤ ヒ ヤ ・ バ ル ザ ン ジ は 最 後 に 現 地 で 取 材 し た 二 〇 一 四 年九月現在とした。他は原則、取材時点とした。 )
9 第 1 章 「イスラム国」の衝撃
第Ⅰ部
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自治区
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今
上:近代的なビルが建ち始めているスレイマニヤ 下:スレイマニヤ郊外を移動する羊飼いの子ども第Ⅰ部 イラクのクルド自治区の今 10