タイトル
新型コロナウイルス断想
著者
上野, 誠治; UENO, Seiji
引用
年報新人文学(17): 2-7
二 〇 二 〇︵ 令和二 ︶ 年 は、 二月 のさっぽろ 雪 まつり 前後 から、 新型 コロナウイルスが 世間 の 口 の 端 に 上 るようになり、その 後 、 北海道独自 の 緊急事態宣言 、 不要不急 の 外出自粛 などで、 私達 の 生活 は 一変 した。 中 でも、 外出時 や 人前 でのマスク 着用 が 必須 となり、そのせいで 一時期店頭 から﹁ 入荷未定 ﹂の 貼 り 紙 とともにマスクが 消 える 事態 となったことはまだ 記憶 に 新 しい。 道行 くほとんどの 人々 がマスク をしているという 異様 な 光景 が 当 たり 前 になった。 初夏 を 迎 える 頃 から 少 しずつコロナ 禍 も 落 ち 着 きを 取 り 戻 したかに 見 えたが、 秋口 から 再 び 感染 が 拡大 し、マスクに 加 えて、 至 る 所 で 消毒液 や 検温器 が 設 置 されているのを 見 かけるようになり 現在 に 至 っている。 さ て、 新 型 コ ロ ナ ウ イ ル ス 感 染 症 は、 私 達 に ク ラ ス タ ー︵ 感 染 者 集 団 ︶、 ロ ッ ク ダ ウ ン︵ 都 市 封 鎖 ︶、 パンデミック︵ 世界的大流行 ︶などの、 関連 する 多 くのカタカナ 言葉 を 提供 した。 必 ずしも 新語 という わけではないが、 二 〇 二 〇 年 に 新 たに 脚光 を 浴 びることになったものである。 米国 の﹃メリアム・ウェ [巻頭言]
新型
コ
ロ
ナ
ウ
イ
ル
ス
断想
上野
誠治
ブ ス タ ー 辞 典 ﹄ は﹁ 今 年 の 言 葉 ﹂ に pa nde m ic ︵ パ ン デ ミ ッ ク ︶ を、 英 国 の﹃ コ リ ン ズ 英 語 辞 典 ﹄ は lo ck dow n ︵ロックダウン︶をそれぞれ 選 んでいる。 歴 史 的 な パ ン デ ミ ッ ク と い う と、 十 四 世 紀 ヨ ー ロ ッ パ の ペ ス ト︵ 黒 死 病 B lac k D ea th ︶、 十 九 世 紀 の コレラ、 一九一八 ∼ 一九年 のスペインかぜのほか、 記憶 に 新 しいところでは、 二 〇〇 九年四月 に 発生 し た ﹁ 新型 インフルエンザ﹂ ︵ブタインフルエンザ︶ がある。 二 〇〇 三年 に 流行 した 新型肺炎 SA R S ︵サーズ、 重 症 急 性 呼 吸 器 症 候 群 ︶ も 衝 撃 的 だ っ た が、 W HO ︵ 世 界 保 健 機 関 ︶ が 定 め る 定 義 で は、 感 染 規 模 の 観 点 からパンデミックには 該当 しないらしい。いずれにしても、 人類 は 数多 くの 犠牲者 を 出 しながらも 度 重 なる 感染症 の 試練 を 乗 り 越 え、 生 き 延 びてきた。 今 の 我々 は、その 生 き 延 びることができた 幸運 な 祖 先 の 子孫 ということになる。 とりわけ 十四世紀 に 猛威 を 振 るったペスト では、ヨーロッパの 人口 の 三分 の 一 に 当 たる 二 千 万 か ら 三 千 万 人 が 死 亡 し た と 言 わ れ る。 当時 の 英国 では、 一 〇 六六年 のノルマン 征服 ︵ N or m an C onque st ︶ 以 降 、 ノ ル マ ン 人 が 支 配階級 ・ 上流階級 を 形成 したことにより、 彼 らの 故郷 ︵ 現在 のフランス 北西部 のノルマン ディー 地方 ︶で 話 されていたノルマン・フラ ンス 語 ︵ N or m an F re nc h ︶ が 約三 〇〇 年間 に 図1 マスクと防護服を身にまとった異様な 姿のペスト医師
亘 り 英語 に 代 わって 公用語 の 地位 を 占 めていた。 一方 、 英語 は 下層階級 の 言語 に 落 ちぶれていた。その ような 状況下 で 大流行 したペストにより、 下層階級 を 中心 とした 人手 や 労働力 が 不足 する 事態 となった が、それが 却 って 彼 らの 希少価値 を 生 み、 結果 として 農民 や 労働者 は 高 い 労賃 を 得 ることになり、 社会 的 な 地位 もやがて 向上 していくことになる。それとともに 彼 らが 話 す 英語 が、 英国社会 において 次第 に その 地位 を 上昇 させながら、 十四世紀後半 には 公用語 の 地位 を 回復 していく。こうして 英語 という 言語 もまた、 社会情勢 の 幾多 の 変遷 を 経 ながら、 何 とか 生 き 延 びてきたのである。 さて、 前述 のカタカナ 言葉 がメディアに 頻出 するようになった 当初 は、 耳慣 れない 用語 に 戸惑 う 人 も 多 く、 時 の 防衛大臣 が﹁ 日本語 で 言 えることをわざわざカタカナで 言 う 必要 があるのか﹂と 持論 を 展開 する 一幕 もあった。その 話題 に 関連 して、 十六世紀 に 始 まる 英国 ルネサンス 期 に、ラテン 語 やギリシア 語 の 借 用 語 を 大 量 に 受 容 し た 人 文 主 義 か ら、 そ れ ら を 衒 学 的 な イ ン ク 壺 語 ︵ in kh orn te rm s ︶ と し て 排 斥 する 英語純正主義 に 至 る 一連 の 動向 が 想起 される。また、それらは 難解 な 語 が 多 かったため、その 語 釈 を 解説 する 必要 から、その 後 の 辞書作 りへと 連 なっていくが、 現代 は、インターネットで 検索 すれば 立 ち 所 にある 程度 のことは 調 べがつく︵ 安易 ではあるが︶ 便利 な 時代 である。 pa nde m ic と い う 語 は、 ﹃ メ リ ア ム・ ウ ェ ブ ス タ ー 辞 典 ﹄ に よ れ ば、 形 容 詞 と し て の 初 出 が 一 六 六 六 年 、 名詞 としての 初出 は 一八三二年 ︵﹃オックスフォード 英語辞典 ﹄ では 一八五三年 ︶ である。 ﹁ 世界的大流行 ﹂ と い う 名 詞 的 な 用 法 は、 形 容 詞 か ら の︵ 品 詞 ︶ 転 換 ︵ con ve rs ion ︶ と 言 え よ う。 同 じ 綴 り で あ っ て も 別 の 品 詞 と し て 用 い る こ と も で き る 英 語 の し な や か さ を 示 す 好 例 の 一 つ で あ る。 ま た、 lo ck dow n も、 本 来 は lo ck d ow n ︵﹁ 閉 じ 込 め る、 封 鎖 す る ﹂ の 意 ︶ と い う 句 動 詞 ︵ ph ra sa l v er b ︶ が︵ 品 詞 ︶ 転 換 に よ っ
て 名詞化 したもので、 同辞典 によれば﹁ 囚人 を 監房内 に 監禁 すること﹂が 一九七三年初出時 の 意味 であ るが、それが 囚人 に 限 らず 一般化 されて﹁ 危険 を 理由 に、 建物 や 地域 に 入 ったり、 出 たり、その 中 を 移 動 し た り が 自 由 に で き な い 緊 急 の 状 況 ﹂︵﹃ ケ ン ブ リ ッ ジ 英 語 辞 典 ﹄︶ を 表 す よ う に な っ た と 考 え ら れ る。 我々 がよく 目 にする﹁ 都市封鎖 ﹂は﹁ 建物 や 地域 ﹂が 都市 の 場合 に 限 った 意味 であろう。いったん 意味 の 一般化 を 引 き 起 こしたものが、 再 び 特殊化 している 点 が 興味深 い。 ちなみに、コロナ 禍 によって、ほとんどの 学会 や 研究会 が 対面 で 開催出来 なくなったためによく 見 か け る よ う に な っ た 語 の ひ と つ に we bin ar ︵﹁ オ ン ラ イ ン セ ミ ナ ー﹂ の 意 ︶ が あ る が、 こ れ は we b ︵﹁ 情 報 通信網 、ウェブ﹂ の 意 ︶と sem in ar の 一部 -in ar が 混成 ︵ bl en din g ︶によって 作 られたかばん 語︵ po rtm an te au wo rd ︶ で あ る︵ ﹃ オ ッ ク ス フ ォ ー ド 英 語 辞 典 ﹄ に よ る 初 出 は 一 九 九 七 年 ︶。 ま た、 新 型 コ ロ ナ ウ イ ル ス 感 染 症 の 正 式 名 称 で あ る C OV ID -1 9 と は co ron avi ru s dise ase 2 01 9 ︵ 二 〇 一 九 年 に 発 生 し た 新 型 コ ロ ナ ウイルス 感染症 ︶の 頭字語 ︵ ac ro ny m ︶である。 以上 のように、 英語史 に 出 てくる 黒死病 やインク 壺語 、 形態論 や 意味論 に 出 てくる 句動詞 、︵ 品詞 ︶ 転 換 、 混成 、 頭字語 、 意味 の 一般化 と 特殊化 など、 普段担当 している 講義 と 関連 する 話題 も 多 く、 対面 の 授業 であれば、 現下 のコロナ 禍 と 結 びつけて 時宜 に 即 した 話 をすることもできただろうが、オンデマン ド 授業 ではなかなかそうもいかず 歯 がゆい 思 いを 強 いられた。 まさに、 新型 コロナウイルスに 始 まり、 新型 コロナウイルスに 終 わった 二 〇 二 〇 年 であったが、 残念 なことに 未 だに 終息 の 目処 が 立 たないまま 新年 を 迎 えることになってしまった。そこで 思 い 出 したのが、 昔 テ レ ビ で 見 た 映 画 ﹃ キ ュ リ ー 夫 人 ﹄︵ 原 題 M ad ame C ur ie 、 一 九 四 三 年 ア メ リ カ、 主 演 グ リ ア・ ガ ー ス
ン︶の 一場面 である。キュリー 夫妻 が 雨漏 りのするみすぼらしい 掘 っ 立 て 小屋 の 中 で 日夜 、 未知 の 元素 ラジウムを 単離 すべく 実験 ・ 作業 をしている。 夫妻 は、もらい 受 けた 何 トンものウラン 鉱石 の 滓 を 大鍋 で 煮沸 するなどして 得 られたバリウムとラジウムの 混合物 から、 分別結晶化 させる 手順 を 繰 り 返 すこと によってラジウムを 分離 するという 作業 に 疲労困憊 していたが、 大日 の 夜 に、 恩師 のペロー 教授 が 陣 中見舞 いに 訪 れる。 帰 り 際 に 教授 は R in g ou t t he old , r in g in th e ne w と 高 らかにある 詩 の 一節 を 朗詠 す る。 そ れ は、 英 国 ヴ ィ ク ト リ ア 朝 時 代 の 桂 冠 詩 人 ア ル フ レ ッ ド・ テ ニ ス ン︵ A lfr ed T en ny son ︶ が 友 人 の 死 を 悼 んで 書 いた 長詩 ﹃イン・メモリアム﹄ ︵ In M em or ia m A . H . H . ︶にある 詩 ﹁ 鳴 り 響 け、 荒 ぶる 鐘 よ ﹂︵ R in g o ut, W ild b ell s ︶ の 一 節 ︵ 第 二 ス タ ン ザ ︶ で あ る。 詩 人 は、 教 会 の 除 夜 の 鐘 を 聴 き な が ら そ れを 作 ったという。 R in g o ut t he o ld , r in g i n t he n ew , R in g, h ap py b ell s, a cr os s t he s no w : T he y ea r i s g oi ng , l et h im g o; R in g o ut t he f als e, r in g i n t he t ru e. 鐘 を 鳴 らし、 古 きものを 送 り 出 し、 迎 え 入 れよ、 新 しきものを/ 鳴 り 響 け、 幸 せの 鐘 よ、 雪面 を 越 えて/この 一年 が 過 ぎて 行 く、 去 らせるがいい/ 鐘 を 鳴 らし、 虚偽 を 送 り 出 し、 迎 え 入 れよ、 真実 を
映画 には 登場 しないが、 続 く 第七 スタンザには、 R in g o ut o ld s ha pe s of f ou l d ise as e, R in g o ut t he n ar ro w in g l us t of g old ; R in g o ut t he t ho us and w ar s of o ld , R in g i n t he t ho us and y ea rs of p ea ce . 鐘 を 鳴 らし 送 り 出 せ、 古 き 悪疾 の 幻影 を/ 心 を 偏狭 にする 黄金 への 強欲 を/ 古 の 数多 の 戦 を/ 鐘 を 鳴 らし、 迎 え 入 れよ、 千年 の 平和 を と あ り、 一 行 目 の fo ul dise ase ︵ 悪 疾 ︶ か ら 新 型 コ ロ ナ ウ イ ル ス 感 染 症 が 引 き 起 こ し た 現 下 の 社 会 情 勢 を 連想 するのは 私 だけではあるまい。 行 く 年来 る 年 を 教会 の 鐘 に 託 してテニスンが 詠 ったように、 新年 が 希望 に れる 一年 となることを 祈 るばかりである。 ︵うえの せいじ・ 北海学園大学大学院文学研究科教授 ︶ 図 2 教会の鐘 ©Albrecht Fietz