言文一致の〈残りのもの〉―山田孝雄の「存在詞」と谷崎潤一郎「のである口調」 ―(西野) 一五 早稲田大学 教育・総合科学学術院 学術研究(人文科学・社会科学編)第六十一号 二〇一三年二月
言文一致の〈残りのもの〉
―山田孝雄の「存在詞」と谷崎潤一郎「のである口調」
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一、山田孝雄は『文章読本』を読んだか 「文豪が卅年の経験を総合列叙」 (「日本語浄化廓清の名バツテリー ・ 向 か ふ 所 敵 な し!」 『 中 央 公 論 』 一 九 三 六 ・ 九 ) し た 谷 崎 潤 一 郎『 文 章 読本』 、その初版には一箇所の、少なくとも一箇所の誤記がある。 土 佐 日 記 や 源 氏 物 語 の や う な 文 体、 あ れ は そ の 当 時 に 於 い て は 口 で し や べ つ た 通 り に 書 い た も の で あ つ た。 即 ち あ の 頃 の 言 文 一 致 体 で あ つ た、 然 る に そ の 後 口 語 の 方 が 次 等 に 変 化 し て 来 た の で、 あ ゝ 云 ふ 云 ひ 方 が 一 種 の 文 章 体 と し て、 文 字 の 上 だ け に 残 つ た 訳 であります。 (―強調引用者) 引 用 し た の は、 『 文 章 読 本 』 一 九 頁 七 行 目 か ら 一 二 行 目、 「 現 代 文 と 古典文」について論じた箇所である。 こ れ よ り 以 前、 谷 崎 潤 一 郎 は し ば し ば 日 本 語 を 論 じ て い る。 話 題 は、 「 平 安 朝 時 代 の 口 語 と 現 代 の 口 語 と の 相 違 は、 即 ち 今 日 の 文 章 語 と 口 語 と の 相 違 で あ ら う 」( 「 ノ ー ト ブ ツ ク か ら 」『 社 会 及 国 家 』 一 九 一 五 ・ 六、 七、 九 ) と 言 文 一 致 に つ い て 述 べ た も の か ら、 そ の「 音 楽 的 効 果 」、 「 絵 画 的 方 途 」 に よ り 語 彙 の「 貧 弱 な る 日 本 語 を 豊 富 な ら し む る 」( 「 詩 と 文 字 と 」『 中 央 文 学 』 一 九 一 七 ・ 四 ) ゆ え、 「 漢 字 の 使 用 は 制 限 す べ き も の で は な く て 整 理 す べ き も の で 」、 「 日 本 語 を 漢 字 で 現 は す 場 合 に は、 飽 く 迄 も そ の 言 葉 の 語 源 を 尋 ね 」 て 使 う 必 要 が あ る( 「 梅 雨 の 書 斎 か ら 」『 中 外 』 一 九 一 八 ・ 七 ) と す る 国 字 問 題 ま で 多 岐 に 渡 る。 こ れ ら の 主 張 は「 現 代 口 語 文 の 欠 点 に つ い て 」( 『 改 造 』 一 九 二 九 ・ 二 ) や「 三 人 法 師 」( 『 中 央 公 論 』 同・ 一 〇、 一 一 ) の 口 語 訳一六 言文一致の〈残りのもの〉―山田孝雄の「存在詞」と谷崎潤一郎「のである口調」 ―(西野) を経て、 『文章読本』に組み込まれることとなった。 同 書 は 一 九 三 四 年 一 一 月 に 中 央 公 論 社 よ り 刊 行 さ れ た 単 行 本 が 初 出、 引 用 文 中 傍 線 部「 次 等 に 変 化 し て 」 は、 谷 崎 の 生 前 に 編 ま れ た 新 書 版 全 集( 一 九 五 七 ・ 一 二 ~ 五 九 ・ 七、 中 央 公 論 社 ) 収 録 時、 「 次 第 に 変 化 し て 」 と な る。 そ の 後、 「 新 書 版 全 集 の 本 文 を 定 本 と し、 初 出 の 新 聞 雑 誌 お よ び 初 版 本 と 校 合 し、 異 同 に つ い て は そ の 後 の す べ て の 刊 本 を 参 照 し た 」 と い う 没 後 版 全 集( 一 九 六 六 ・ 一 一 ~ 七 〇 ・ 七、 中 央 公 論 社 ) お よ び 愛 蔵 版 全 集( 一 九 八 一 ・ 五 ~ 八 三 ・ 一、 中 央 公 論 社 ) の 第 一 二 巻 で も 同 様 に「 次 第 に 」 と な っ て い る。 ち な み に、 現 在 も っ と も 手 に 取 り や す く 目 に 触 れ や す い 中 公 文 庫 版 も、 初 版( 一 九 七 五 ・ 一 )、 改 版( 一 九 九 六 ・ 二 ) と も に 訂 正 を 踏 襲 す る。 一 つ の 表 現 を〈 誤 記 〉 だ と 断 言 す る た め に は、 以 上 の よ う な 複 数 の 本 文 の 照 合 作 業 が 最 低 限 必 要 と さ れ よ う。 だ が、 読 書 行 為 中 に 遭 遇 す る 未 知 の 書 字 を 既 知 の も の へ と 置 換 し て く れ る 辞 書 の よ う な 書 物 に も 見 当 た ら な い 語 に つ い て、 校 訂 を 経 ず に そ の 表 記 を 誤 り だ と 判 断 す る こ と は、 そ れ で も 早 計 の 謗 り を 免 れ な い だ ろ う か。 そ も そ も、 「 次 」 と い う 文 字 と「 等 」 と い う 文 字 の 組 み 合 わ せ は、 そ の 意 味 は お ろ か、 ど の よ う に 発 音 し た ら よ い の か さ え わ か ら な い で は な い か。 お そ ら く 本 稿 の よ う な 検 証 作 業 を 抜 き に し て、 あ る 国 語 学 者 は 自 身 所 蔵 す る『 文 章 読 本 』 当 該 個 所 に レ点(チェック)を付した。山田孝雄だ。 松下文法や時枝文法、 橋本文法と並び称される日本四大文法の一つ、 山 田 文 法。 こ の 独 特 な 国 語 理 論 を 構 築 し た の が、 山 田 孝 雄 で あ る。 そ の 特 異 性 は、 例 え ば、 い わ ゆ る 教 科 書 文 法 の 基 礎 と さ れ る 橋 本 文 法 と 比較するなら、 一目瞭然であろう。 橋本文法は、 文をまず文節に区切り、 形態的特徴から 〈ある/ない〉 の二分法で語を截然と区分する (図1) 。 【図1】橋本文法語分類表( 『国語法要説』をもとに作成) 対 し て、 山 田 文 法 で は 通 常「 助 動 詞 」 と さ れ る も の が「 複 語 尾 」 と 呼 ば れ、 さ ら に「 存 在 詞 」 と い う 見 慣 れ な い カ テ ゴ リ ー が そ こ に は あ る(図2) 。 【図2】山田文法語分類表( 『日本文法学概論』をもとに作成) ( ) ( ) ( ) ( )
言文一致の〈残りのもの〉―山田孝雄の「存在詞」と谷崎潤一郎「のである口調」 ―(西野) 一七 歪 な 体 系 は、 文 法 論 の 根 底 に 関 わ る「 文 と は 何 か?」 と い う 問 い に 応えるためのものだ。複数の異なる諸要素 (語) が一つの意味単位 (文) を 構 成 す る の は、 な ぜ な の か。 要 素 の 累 加 か ら な る〈 総 和 〉 を 解 答 と し て 提 出 し た 先 行 論 者 と は 異 な り、 山 田 文 法 で は、 部 分 の 累 加 以 上 の 〈 全 体 〉 性 を 確 保 す る た め に、 諸 要 素 と は 別 の 水 準 に あ る「 陳 述( = 統 覚 作 用 )」 と い う 術 語 が 導 入 さ れ た( 図 3) 。 意 味 内 容 は 何 一 つ 付 け 加 え な い が、 そ れ で も 意 味 単 位 の 統 一 性 を 保 証 す る た め に は 不 可 欠 な そ の 余 剰 物 を〈 陳 述 = 統 覚 〉 と 山 田 は 呼 ぶ。 そ れ を 純 粋 に 表 象 す る の が「 存 在 詞 」、 す な わ ち〈 で あ る 〉 だ( 詳 説 は 後 述 )。 こ の 発 想 は、 の ちに時枝誠記に「零記号」として受け継がれることとなった。 【図3】山田文法と先行論との差異 〈問い〉 「文とは何か?」 =「 花」と「咲く」 、個々別々の要素(語)が「花咲く」という単一の意味を 持つのはなぜか? ・先行論者の答え …… 花 咲く → 花 咲く = 〈総和 〉(部分の累加) ・山田孝雄の答え …… 花 咲く → 花 咲く = 〈 全 体 〉( 部 分 の 累 加 + α ) そ の 蔵 書 は、 現 在、 富 山 市 立 図 書 館 山 田 孝 雄 文 庫 に あ る。 所 蔵 目 録( 『 山 田 孝 雄 文 庫 目 録 洋 装 本 の 部 』 一 九 九 九、 富 山 市 立 図 書 館 ) 備 考 欄 に し ば し ば 見 ら れ る 記 載、 「 書 き 入 れ あ り 」。 実 際 に 繙 い て み る と、 ほ と ん ど が 誤 字 あ る い は 誤 植 の 指 摘 や 訂 正 に と ど ま り、 「 書 き 入 れ 」 と 呼 べ る ほ ど の も の は ご く 少 数 で あ る。 そ れ で も「 書 き 入 れ 」 が 重 要 な の は、 山 田 が そ の 書 物 に 目 を 通 し た こ と を 証 し 立 て る か ら で あ り、 一九頁の一〇行目、 「次等」の語にレ点の付されてある『文章読本』 に つ い て も、 山 田 が そ こ ま で は 読 み 進 め て い た こ と が わ か る。 本 論 を 始 め る に あ た っ て、 長 々 と 些 細 な 変 更 に こ だ わ っ て み せ た の も、 実 は こ の 一 点 に よ る。 だ が、 果 た し て 山 田 は『 文 章 読 本 』 を 最 後 ま で 読 み 通したのかどうか。それは定かでない。一方で、 たびたび、 自身の習っ た 学 校 文 法 が 西 洋 の 模 倣 で あ っ た こ と を 嘆 き、 「 そ の 後 さ つ ぱ り 用 が な い の で 文 法 の 本 な ぞ つ ひ ぞ 覗 い た こ と も な い 」 が、 「 も う 今 日 は 独 創 的 な 国 文 法 が お こ な は れ て ゐ て も い ゝ 頃 」 だ( 「 現 代 口 語 文 の 欠 点 に つ い て 」) と、 し か し 名 文 を 書 く た め に は 何 よ り も「 文 法 に 囚 は れ な い こ と 」( 『 文 章 読 本 』) が 肝 要 だ と 主 張 す る 谷 崎。 そ の 山 田 に 対 す る認織は 「国文法の方の偉い人だという事は前から知っていたけれど」 と い っ た 程 度 で あ っ た( 「 日 本 の 文 学 源 氏 物 語 と 私 」( 『 芦 屋 市 谷 崎 潤 郎 記 念 館 資 料 集 一 』 一 九 九 五、 芦 屋 市 谷 崎 潤 一 郎 記 念 館 )。 果 た し て 山田の著作にふれていたかどうか、これもまた判然としない。 山田孝雄と谷崎潤一郎。 周知のように、 二人は戦前 ・ 戦後にかけて 「源 氏 物 語 」 の 現 代 語 訳 に 共 に 取 り 組 ん で い る。 『 潤 一 郎 訳 源 氏 物 語 』 全 二六巻 (一九三九 ~ 四一) と 『潤一郎新訳源氏物語』 全一一巻 (一九五一 ~ 五 四 )、 そ の 校 閲 者 と 翻 訳 者。 「 源 氏 」 を 介 し て 濃 密 な 関 係 を 築 い た 両 者 の 書 き 遺 し た も の を 参 照 し て わ か る の は、 お 互 い の 言 語 観 と そ れ を 著 わ し た 書 物 に 触 れ て い た 可 能 性 は あ る が、 決 定 的 な 遭 遇 は な か っ
一八 言文一致の〈残りのもの〉―山田孝雄の「存在詞」と谷崎潤一郎「のである口調」 ―(西野) た と い う こ と だ ろ う。 し か し、 そ の よ う に 言 っ て お い て、 す ぐ さ ま 前 言を翻さなければならない。日本語すなわち 〈国語〉 を論じる二人は、 実は 〈同じもの〉 に直面している。山田が 〈である〉 という文末詞を 「存 在 詞 」 と い う か た ち で 述 べ、 谷 崎 が そ れ を「 の で あ る 口 調 」 と 呼 ん で 論 じ る 仕 方 に は 共 通 点 が あ る の だ。 以 下、 本 稿 で は、 言 語 が 有 機 的 に 整 形 さ れ て い く 言 文 一 致 の 過 程 の な か、 ひ と つ の 剰 余、 〈 残 り の も の 〉 が不可避に産み出されるまでを描出していく。 二、言文一致の〈歴史の終わり〉 「 即 ち 自 分 は 「 だ 」 主 義 、 山 田 君 は 「 で す 」 主 義 だ 」。 二 葉 亭 四 迷 は 自 身 の 文 体 創 造 秘 話 を こ う 打 ち 明 け る (「 余 が 言 文 一 致 の 由 来 」『 文 章 世 界 』 一 九 〇 六 ・ 五 )。 言 文 一 致 体 で 小 説 を 書 こ う と し て 、 最 初 は 敬 体 で 書 く も う ま く い か ず 、 結 局 常 体 を 選 択 、 し か し 、 山 田 美 妙 が 逆 の 道 を 辿 っ た こ と を 後 で 知 っ た と い う の で あ る 。 よ く 知 ら れ た こ の 挿 話 は 、 近 代 小 説 成 立 の 〈 可 能 性 の 条 件 〉 を 規 定 し 続 け て い る 。 こ の 挿 話 に ふ れ て 、 遠 藤 好 英 は 「 文 末 に 見 る 指 定 ・ 時 制 の 表 現 の 試 み が 、 模 索 を 経 て 「 な り 」 は 二 葉 亭 の 「 だ 」、 山 田 美 妙 の 「 で す 」、 嵯 峨 の 屋 御 室 の 「 で あ る 」 に 置 き 換 え ら れ 、 尾 崎 紅 葉 の 『 多 情 多 恨 』( 『 読 売 新 聞 』 一 八 九 六 ・ 二 ・ 二 六 ~ 一 二 ・ 九 ― 引 用 者 ) に 至 っ て 「 で あ る 」 が 代 表 的 な 文 末 辞 に 定 着 し た 」 と す る (「 口 語 文 」『 国 語 学 研 究 事 典 』 一 九 七 七 ・ 二 、 明 治 書 院 )。 同 様 に 、 服 部 隆 は 「 四 迷 ・ 美 妙 に お け る 文 末 繋 辞 の 選 択 は 待 遇 法 と も 関 わ 」 り 、「 こ の 時 期 に お い て は 待 遇 法 の う え で 中 立 的 な 文 末 表 現 が 、 い ま だ 固 ま っ て い な か っ た と い う こ と 」、 四 迷 と 美 妙 の 作 品 に は わ ず か し か 見 ら れ な か っ た 文 末 詞 〈 で あ る 〉 が 、 紅 葉 「 多 情 多 恨 」 で 多 用 さ れ て 定 着 、「 小 説 の 叙 述 、 と り わ け 語 り 手 が 説 明 を 行 う 際 に 、 一 定 の 役 割 を 果 た し た 」 こ と を や は り 指 摘 し て い る (「 言 文 一 致 体 の 歴 史 」『 国 語 諭 究 言 文 一 致 運 動 』 二 〇 〇 四 、 明 治 書 院 )。 「「 だ 式 」、 「 で あ る 式 」、 共 に あ ん ま り 自 然 で な い 。「 で す 式 」 が 一 番 口 語 的 だ と 思 へ ど ( … ) さ し 向 か ひ 式 の や う に も 聞 え る 」( 坪 内 逍 遥 「 言 文 一 致 に つ い て 」『 文 章 世 界 』 一 九 〇 六 ・ 六 )。 つ ま り 、「 言 文 一 致 の 荷 厄 介 は 敬 語 と 語 ことばじり 尾 」 だ 。 そ れ は す な わ ち 、 会 話 文 に 見 ら れ る よ う な 口 語 の 再 現 で は な く 、 地 の 文 に お け る 文 末 表 現 の 調 整 に 関 わ る 問 題 で あ っ た 。 そ の 終 点 を 〈 で あ る 〉 体 の 定 着 に み る 山 本 正 秀 は 、 言 文 一 致 運 動 の 歴 史 を 七 つ に 分 け る (『 近 代 文 体 形 成 資 料 集 成 立 篇 』 一 九 七 九 、 桜 楓 社 )。 す な わ ち 、 ① 発 生 期 ( 一 八 六 六 ~ 八 三 )、 ② 第 一 自 覚 期 ( 一 八 八 四 ~ 八 九 )、 ③ 停 滞 期 ( 一 八 九 〇 ~ 九 四 )、 ④ 第 二 自 覚 期 ( 一 八 九 五 ~ 九 九 )、 ⑤ 確 立 期 ( 一 九 〇 〇 ~ 〇 九 )、 ⑥ 成 長 ・ 完 成 前 期 ( 一 九 一 〇 ~ 二 二 )、 ⑦ 同 後 期 ( 一 九 二 三 ~ 四 六 ) で あ る 。 言 文 一 致 完 成 時 期 と し て 、 ⑤ 確 立 期 及 び ⑥ 成 長 ・ 完 成 前 期 は 次 の よ う に 説 明 さ れ る 。 第 五 期 に は 言 文 一 致 運 動 が 最 高 潮 に 達 し、 文 学 界・ 教 育 界 と も 言 文 一 致 問 題 が 大 き く と り あ げ ら れ、 文 学 上 で は 口 語 体 が 写 生 文・ 自 然 主 義 文 学 両 運 動 を 通 し て 絶 対 無 二 の も の に な り、 教 育 上 で も
言文一致の〈残りのもの〉―山田孝雄の「存在詞」と谷崎潤一郎「のである口調」 ―(西野) 一九 言 文 一 致 の 方 針 が 確 立 し た。 第 六 期 に は、 白 樺 派 の 運 動 や 大 正 デ モ ク ラ シ ー を 背 景 に、 さ ら に 洗 練 度 を 加 え て 近 代 小 説 文 体 が 完 成 し、 ジ ャ ー ナ リ ズ ム 上 で も し だ い に 口 語 体 が 普 及 し て、 大 新 聞 の 社 説 が 大 正 一 一 年 の 元 旦 か ら す べ て 言 文 一 致 化 し、 全 紙 面 が 口 語 体になった。 こ の〈 で あ る 〉 体 の 普 及 は、 「 近 代 小 説 の 特 色 で あ る 客 観 描 写 と 写 実 や 近 代 評 論 の 知 的 論 述 に 好 適 な 辞 法 で あ っ た こ と 」 を 背 景 に し て い た (山本正秀 『言文一致の歴史論考』 一九七一、 桜楓社) 。しかし、 いや、 だ か ら こ そ と い う べ き か、 確 立 期( 一 九 〇 〇 ~ 〇 九 ) 以 降、 〈 で あ る 〉 体 の 使 用 が 一 般 化 す る に つ れ て 違 和 感 が 度 々 表 明 さ れ る。 仕 掛 人 紅 葉 も、 辟 易 し て 言 う。 「 言 文 一 致 と い ふ と は 誰 も 彼 も、 皆 こ の『 で あ る 』 を 使 つ た の で、 で あ る で あ る で あ る ………。 『 で あ る 』 が 行 毎 に あ る か と 思 ふ と、 新 節 の あ る 前 に は、 屹 度『 で あ る 』 で 結 ん だ 」( 荷 葉 生 記「 故 紅 葉 大 人 断 片 」『 新 小 説 』 一 九 〇 四 ・ 二 )。 〈 で あ る 〉 と い う 文 末 詞が言文一致体をそれとして表示する。とはいえ、 「句の終わりに〝で ある〟 〝のだ〟 とかいふ言葉があるので言文一致で通つて居るけれども、 〝である〟 〝のだ〟 を引き抜いたら立派な雅文になるのが沢山ある」 (夏 目 漱 石「 自 然 を 写 す 文 章 」『 新 声 』 一 九 〇 六 ・ 一 一 ) と い う の が 実 情 で もあった。 つ づ く 成 長 ・ 完 成 前 後 期 ( 一 九 一 〇 ~ ) で も や は り 、 揺 れ 動 く 文 末 詞 が 問 題 で あ っ た と い う 事 情 は 変 わ ら な い 。 そ の 不 安 定 な 状 況 を 証 す よ う に 、 田 村 俊 子 は そ の 出 世 作 「 あ き ら め 」 を 、 初 出 (『 大 阪 朝 日 新 聞 』 一 九 一 一 ・ 一 ・ 一 ~ 三 ・ 二 一 ) か ら 単 行 本 『 あ き ら め 』( 一 九 一 一 、 金 尾 文 淵 堂 ) 収 録 時 に 三 分 の 二 を 削 除 訂 正 、 そ れ に と も な う か た ち で 文 末 表 現 の 大 部 分 を 〈 る 〉 か ら 〈 た 〉 に 変 更 、 結 果 〈 で あ る 〉 が 削 減 さ れ て い る ( 長 谷 川 啓 「 解 題 」『 田 村 俊 子 作 品 集 1 』 一 九 八 七 、 オ リ ジ ン 出 版 セ ン タ ー )。 後 に 、 柳 田 國 男 は 当 時 を 振 り 返 っ て い る 。「 苦 悶 時 代 、 即 ち 俗 に 謂 ふ 雅 文 体 が 段 々 と 行 き 詰 つ て 、 今 見 る 「 で あ る 文 」 は ま だ 思 ひ 切 つ て 出 あ る け な い 一 つ の 過 渡 期 」( 『 山 島 民 譚 集 』 再 版 「 序 」、 一 九 四 三 、 創 元 社 ) で あ っ た 、 と 。 柳 田 は 『 遠 野 物 語 』 の 情 報 提 供 者 で あ る 佐 々 木 喜 善 『 紫 波 郡 昔 話 』( 一 九 二 六 、郷 土 研 究 社 ) 出 版 に あ た っ て は 「 土 地 の 普 通 人 が 決 し て 使 は ぬ や う な 詞 を 避 け ね ば な ら ぬ の に 、 「 何 々 で あ る 」 と い ふ 類 の 演 説 口 調 が ま じ り を り 気 に な つ て た ま ら ず 」 ( 喜 善 宛 、 一 九 二 五 ・ 九 ・ 一 三 ) と 違 和 感 を 記 し た 。 こ の 時 期 、 大 隈 重 信 が 演 説 で 多 用 し た 「 日 本 名 物 の 『 あ る ん で あ る 』 の リ ズ ミ カ ル な 大 雄 弁 」 (『 東 京 朝 日 新 聞 』 一 九 二 二 ・ 一 ・ 一 〇 ) が 新 聞 紙 上 を 賑 わ し て い た の だ っ た 。 定 着 し て ゆ く 〈 で あ る 〉 体 と 、 そ れ 故 に 生 じ る 反 発 と が 相 克 す る 。 散 文 だ け で な く 、 詩 に お い て も 事 情 は 同 様 だ 。 実 に 現 に あ る 口 語 詩 の 大 部 分 は、 殆 ど 何 等 の 音 律 的 魅 力 を 持 つ て ゐ な い。 だ れ の 詩 を 見 て も 皆 同 じ く、 ぼ た 〴〵 し た「 で あ る 」 口 調 の、 重 苦 し い 羅 列 で あ る。 そ れ ら の 詩 語 に は、 少 し も 緊 張 し た 弾 力 が な く、 軽 快 な は ず み が な く、 し ん み り と し た 音 楽 も な い。
二〇 言文一致の〈残りのもの〉―山田孝雄の「存在詞」と谷崎潤一郎「のである口調」 ―(西野) た ゞ 感 じ ら れ る も の は 単 調 に し て 重 苦 し く、 変 化 も な く 情 趣 も な い、不快なぬる〳〵した章句ばかりだ。 (萩原朔太郎『詩の原理』一九二八、第一書房) 以 上 の 言 説 が ど こ か 危 う げ な の は 、 認 識 の 足 場 で あ る は ず の 言 語 そ の も の を 認 織 の 対 象 と し て 俎 上 に 載 せ て い る か ら だ 。 例 え ば 、〈 で あ る 〉 体 を 退 け た は ず の 柳 田 國 男 が 、 折 口 信 夫 「 髯 籠 の 話 」( 『 郷 土 研 究 』 一 九 一 五 ・ 四 、五 、一 九 一 六 ・ 一 二 ) を 雑 誌 掲 載 に あ た っ て 候 文 か ら 〈 で あ る 〉 体 へ と 書 き 換 え た こ と ( 池 田 彌 三 郎 「「 ひ げ こ の 話 」 成 立 秘 考 」『 春 秋 』 一 九 六 五 ・ 一 一 )、 ま た 、「 演 説 は 何 の ピ リ オ ド で も 「 で あ る 」 と 云 ふ 。 こ ん な 読 ん で 面 白 く な い 文 章 し か 書 け な い 国 語 は 改 良 す る の が 当 然 で あ ら う 」( 「 国 語 史 論 」『 国 語 学 講 習 録 』 一 九 三 四 、 岡 書 院 ) と 述 べ る 際 、 こ の 文 章 自 体 が 〈 で あ る 〉 体 で 書 か れ て い る こ と を ど う 捉 え た ら よ い の か 。 言 文 一 致 体 を 綴 る 手 を 、 同 時 に 、 そ の 同 じ 手 が 取 り 押 さ え よ う と す る 。 顕 著 な 例 が 、 永 井 荷 風 「 雨 瀟 瀟 」( 『 新 小 説 』 一 九 二 一 ・ 三 ) で あ る 。 荷 風 は 「 二 葉 亭 四 迷 出 で ゝ 以 来 殆 ど 現 代 小 説 の 定 形 の 如 く な つ た 言 文 一 致 体 」、 「 で あ る と い ふ 文 体 」 に つ い て 言 う 。「 こ の 野 卑 蕪 雑 な デ ア ル の 文 体 を 排 棄 し や う と 思 ひ な が ら 多 年 の 陋 習 遂 に 改 む る に よ し な く 空 し く 紅 葉 一 葉 の 如 き 文 才 な き を 歎 じ て ゐ る 次 第 で あ る ノ デ ア ル 」。 文 末 を 仮 名 書 き に し て 自 己 言 及 的 な 批 判 意 識 を 明 示 し た と こ ろ に 荷 風 一 流 の 皮 肉 と 、 自 ら 乗 り 込 ん だ 船 板 を 踏 み 破 る よ う な 不 穏 さ が あ る 。 だ が 、 批 判 的 な 距 離 を 表 明 し つ つ も 、 理 論 と 実 践 の 分 裂 、 相 矛 盾 す る 態 度 を 表 現 し て も い る の だ 。 「 明 治 の 中 葉 以 後 に 始 ま つ て 今 あ る や う な 発 達 し た 日 本 文 の 形 式 ― ― い は ゆ る 言 文 一 致 体 、 或 は 口 語 体 と 称 す る 文 体 は 、 現 在 で は 殆 ど 完 成 の 域 に 行 き 着 い た と い つ て い ゝ 」( 「 現 代 口 語 文 の 欠 点 に つ い て 」『 改 造 』 一 九 二 九 ・ 二 )。 言 文 一 致 の 「 成 長 ・ 完 成 後 期 」( 山 本 正 秀 ) に い た っ て 、 谷 崎 は 運 動 を そ う 総 括 す る 。 し か し 、「 最 早 や 今 日 で は 、 明 治 以 来 欧 化 の 方 向 の み を 辿 つ て 来 た 文 体 に 何 等 か の 変 化 を 生 じ て も い ゝ 時 期 で は あ る ま い か 」。 こ う し て 、「 一 つ の 新 し い 時 代 が 来 れ ば 、 芸 術 の 上 で も 旧 套 を 脱 し や う と す る 運 動 が 起 り 、 在 来 の 伝 統 を 破 つ た 若 々 し い 手 法 が 生 ま れ る 」。 先 行 者 を 否 定 し て 後 続 者 が 乗 り 越 え る 。 そ の 発 展 過 程 の た だ 中 に お い て は 、 動 的 な 対 立 が 感 じ ら れ た は ず で あ る 。 だ が 、 そ の 運 動 も 、 完 了 し て し ま え ば 、 葛 藤 は 消 し 去 ら れ て 、 諸 段 階 は 共 時 的 に 並 置 さ れ る 。 だ か ら こ そ 、 谷 崎 は 古 今 の 例 を 縦 横 に 引 証 し て 、 そ れ ぞ れ の 様 式 を 比 較 で き る の だ が 、 そ う な れ ば 、 選 択 肢 間 に 優 劣 は な く 、 選 択 行 為 に 伴 う 必 然 的 な 理 由 や 絶 対 的 な 基 準 も な い と い う こ と に な る だ ろ う 。 あ る の は 美 学 的 な 趣 味 判 断 の み で あ る 。 そ の よ う な 〈 歴 史 の 終 わ り 〉 と で も い う べ き 視 点 か ら 『 文 章 読 本 』 は 書 か れ て い る 。 そ の 終 点 に 立 つ 谷 崎 が 、 起 源 で 問 題 と な っ た 文 末 詞 を 論 じ て い る の は 興 味 深 い 事 実 だ 。 日 本 語 は 支 那 語 や 欧 州 語 と 違 ひ ま し て、 セ ン テ ン ス の 最 後 へ 来 る も の が、 形 容 詞 か、 動 詞 か、 助 動 詞 で あ る こ と に、 殆 ど 一 定 し て
言文一致の〈残りのもの〉―山田孝雄の「存在詞」と谷崎潤一郎「のである口調」 ―(西野) 二一 を り ま す。 ( …) 文 章 体 の 方 は 相 当 に 変 化 し ま す け れ ど も、 口 語 体になると、 此の欠点が特に著しい。大部分が「る」止めか、 「た」 止めか、 「だ」 止めであります。 (…) 「のである」 や 「のであつた」 や「 の だ 」 を 添 へ る こ と が 流 行 り ま す の で、 結 局 は「 る 」 止 め か 「た」止めになつてしまふ。 〈 言 〉 と〈 文 〉 の 一 致 と そ の 帰 結 と し て の 近 代 小 説 の 成 立 は、 文 末 詞 の 処 理 に か か っ て い る と い う 問 題 設 定 が 一 貫 し て 伏 流 し て い る。 そ し て、 言 文 一 致 体 が「 完 成 の 域 に 行 き 着 い た 」 時 期、 そ の〈 歴 史 の 終 わ り 〉 に 文 末 詞 を 問 題 化 す る 谷 崎 は〈 で あ る 〉 と い う 剰 余、 言 文 一 致 の〈残りのもの〉に突き当たることになるだろう。 三、言文一致再考① ―「た」文体説 そ れ は、 「〝 話 者 の 顔 の 見 え な い 話 し 言 葉 〟 を 理 想 と す る と い う、 き わ め て 倒 錯 し た、 フ ィ ク シ ョ ナ ル な 理 念 が 小 説 に 強 い ら れ る こ と 」 で あ っ た( 安 藤 宏『 近 代 小 説 の 表 現 機 構 』 二 〇 一 二、 岩 波 書 店 )。 一 見 す る と〈 言( = 音 声 言 語 )〉 へ 向 け た〈 文( = 書 記 言 語 )〉 の 接 近 に 思 え る 両 者 の 重 ね 合 わ せ は、 標 準 的 な 口 語 な ど 初 め か ら な か っ た 以 上、 そ の 実、 〈 話 し 言 葉 〉 に 近 い〈 書 き 言 葉 〉 の 創 出 に 他 な ら な か っ た。 言 文 一 致 の 内 実 と は ど の よ う な も の だ っ た の か。 す で に、 疋 田 雅 昭 「 言 文 一 致 の 忘 れ 物 ― 敬 体 の 言 文 一 致 体 を 巡 っ て ―」 (『 日 本 近 代 文 学 』 二〇〇二 ・ 五) 等、 言文一致運動を小説中心に検討する 「文学至上主義」 を 批 判 す る 声 も あ る。 だ が、 こ こ で は 小 説 言 語 の 問 題 と し て、 改 め て 考えてみたい。 小 説 と は〈 言 葉 = 情 報 〉 の 集 積 で あ る。 そ こ に 言 葉 が あ る 限 り、 背 後 に は、 言 葉 を 発 す る 誰 か、 情 報 提 示 者、 す な わ ち〈 語 り 手 〉 が 必 ず 潜 在 し て い る。 固 有 の 社 会 的 属 性( 性 別・ 年 齢・ 階 級 等 ) や 文 化 的 背 景( 使 用 言 語 等 ) を 刻 印 さ れ、 時 間 的・ 空 間 的 に も 制 約 さ れ て い る は ず の 何 者 か が 普 遍 性 を 僭 称 し つ つ 言 葉 を 発 す る。 そ う し て 初 め て、 近 代小説のリアリティのために、 描出対象として坪内逍遥が指定した 「外 に現るゝ外部の行為と、 内に蔵れたる思想と、 二条の現象」 (『小説神髄』 一 八 八 五 ~ 八 六、 松 月 堂 ) を と も に 備 え た 存 在、 つ ま り 物 質 と 精 神 の 総 合 と し て の〈 人 間 〉 を、 あ ら ゆ る 差 異( 善 悪・ 貴 賎 等 ) を 越 え て 平 等 に 主 題 化 す る 視 点 が 可 能 と な る だ ろ う。 「 小 説 と い へ る 者 ハ 宇 宙 に 森 羅 星 列 せ る 無 数 無 量 の 現 象 よ り 彼 の 百 八 の 煩 悩 ま で 今 ま の あ た り 眼 を も て 見 る が 如 く に 画 き い だ し て 之 を 読 者 に 見 え し む る を 其 本 分 と な す 」( 同 )。 し か し、 そ の 達 成 が い か に 困 難 で、 そ の 視 点 を 有 す る〈 語 り手〉 のあり様がいかに不自然であるかは、 当の逍遥が批判対象であっ たはずの馬琴由来の 〈偸 たちきゝ 聞〉 という手法をしばしば必要としたこと (渡 部直己『日本小説技術史』二〇一二、 新潮社) 、また、 心理描写の際、 「今 一魔鏡を取りいだして、 お雪の肺肝を写しいださん」 (『妹と背かゞみ』 一 八 八 五 ~ 八 六、 会 心 書 屋 ) で あ る と か、 「 試 み に 孫 悟 空 の 奇 術 に な ら ひ て、 彼 が 脳 の な か へ ソ ッ と 立 ち い り、 一 々 そ の 仔 細 を 探 り き は め