コーヒー手がかり呈示が
欲求と認知課題成績へ及ぼす影響
福 田 実 奈
a*・畑 敏 道
b・小 松 さ く ら
b・青 山 謙 二 郎
ba同志社大学大学院心理学研究科・b同志社大学心理学部
Effects of coffee cue presentation on desire for coffee and cognitive performance
Mina Fukuda, Toshimichi Hata, Sakura Komatsu, and Kenjiro Aoyama
a Graduate School of Psychology, Doshisha University, b Faculty of Psychology, Doshisha University
We investigated effects of coffee cue presentation on desire for coffee and cognitive performance. The 2 (cue and no-cue)×2 (instruction: reward and no-reward) between-subjects design was used. The smell and sight of cof-fee were presented in the cue condition, but not in the no-cue condition. The participants in the reward condition were instructed that they would obtain coffee after the behavioral task and the amount of coffee depended on their performance of the task. The participants in the no-reward condition were instructed to perform as many tasks as possible. The dependent variable was performance of the behavioral task and subjective desire for coffee. In the task, the participants were asked to find vowels among letters printed on task sheets. As a result, the participants in the cue condition found more vowels than those in the no-cue condition, in both instruction conditions. There was no difference in subjective rating between any conditions. These results suggest that the coffee cue may enhance cogni-tive performance rather than desire for coffee.
Keywords: behavioral task, coffee, cognitive performance
序 論
特定の物質を得ようとする行動や,摂取する行動をと らせるような動機づけの状態を渇望(craving)と呼ぶ (Baker, Morse, & Sherman, 1986)。渇望は,対象物質の手 がかりによって引き出されることがある(e.g. ビールの 缶,ラベルを目にすると,ビールを飲みたくなる)。こ れを手がかり誘発性渇望(cue-induced craving)と呼ぶ。 このような手がかり誘発性渇望の研究では例えば,アル コール飲料の蓋を開け,匂いを嗅がせる(Ait-Daoud et al., 2012),タバコを一定時間持たせる(Erblich & Mont-gomery, 2012),などの方法で手がかりを呈示している。 このような手続きは薬物依存者に対しても(Ait-Daoud et al., 2012; Erblich & Montgomery, 2012),依存に陥ってい ない人々に対しても用いられている(例えば非アルコー ル依存者に対する研究はNesic & Duka, 2006; 非タバコ依
存者に対する研究はVeilleux, Conrad, & Kassel, 2013を参 照)。 これらの研究において対象とされてきたのはアルコー ル,タバコ,その他の薬物などである。一方で,コー ヒーの過剰摂取は健康被害を招く恐れがあるが(James, 2004),コーヒーの手がかり誘発性渇望を検討した研究 は筆者の知る限りでは存在しない。そのため, 本研究で は手がかり誘発性渇望の手続きを用いてコーヒーに対す る動機づけの変化を調べる。ただし,アルコールやニコ チンなどの薬物に対する渇望に比べ,動機づけの程度は 弱いと考えられる。そのため,以下はコーヒーに対する 動機づけを表すために渇望という用語ではなく,より広 い範囲の強度の動機づけを表すために欲求(desire)と いう用語を用いる。よって本研究ではコーヒーの見た目 と匂いという手がかり刺激により欲求に変化が見られる かを検討する。 従来の研究において,渇望の測定手段には主観指標が 最も多く用いられている(例えば,Ferguson & Shiffman, 2009)。代表的な手法は Visual Analog Scale (以下 VAS) で,特定の物質に対する自らの欲求の強さや我慢できな Copyright 2014. The Japanese Psychonomic Society. All rights reserved. * Corresponding author. Graduate School of Psychology,
Doshisha University, 1–3 Tatara-Miyakodani, Kyotanabe, Kyoto 610–0394, Japan. E-mail: [email protected]
い程度を評定させるものである(例えば,Fareed, Vay-alapalli, Stout, Casarella, Drexler, & Bailey, 2010)。本研究で もコーヒーに対する欲求の主観指標として VASを用い る。 また,本研究では欲求を測る指標として,VASによる 主観指標に加え行動指標を用いることとする。ヒト対象 の実験では,前述の通り,主観指標が欲求の主な測定手 段であるが,動物対象の薬物に対する欲求の研究では行 動指標,生理指標を主に用いるので (Roberts, Morgan, & Liu, 2007),行動指標を用いることにより,比較がより 容易となるだろう。 行動指標としては無意味綴りのひらがなの中から “あ・い・う・え・お”の 5文字を探し丸をつける仮名 ひろい課題が1枚できるごとにコーヒーが貰えるという 実験状況を作る。コーヒー欲求が高い人ほど課題を多く 行うという予測が立てられるため,課題の反応数を欲求 の行動指標として用いる。 本研究ではコーヒー手がかりを呈示されると欲求が高 まり主観指標と行動指標が増加するという予測を立てる が,行動指標に関しては他の解釈の可能性も考えられ る。それは,例えば行動指標の反応数の増加が,欲求の 高まりによってではなく,香りによる認知機能の高まり によって生じるという可能性である。例えば,注意機能 を表す脳波であるN100の振幅がコーヒーの匂いによっ て高められることが示されている(小長井・古賀,2002)。 このように既存の研究で示されているのは注意機能であ るが,コーヒーの香りや匂いによって認知課題の成績が 向上するという可能性は排除できない。 本研究では,行動指標で起こると想定される反応数の 増加が,欲求の高まりによって生じるのか,認知機能の 向上によって生じるのかを分離するために,コーヒー手 がかりを呈示する条件(手がかり呈示条件),呈示しな い条件(手がかりなし条件)というコーヒー手がかり呈 示要因に加え,行動課題を行わせる際に1枚できるごと にコーヒーがもらえると教示する条件(報酬教示条件), コーヒーがもらえるとは教示せず,できるだけ多く行っ てくださいと教示する条件(報酬非教示条件)という要 因の2×2の被験者間計画でこれを検討する。 本研究の予測は以下の通りである。コーヒー手がかり を呈示することによりコーヒーへの欲求のみが高まるな らば,コーヒーがもらえると教示した報酬教示条件では 手がかり呈示条件の方が手がかりなし条件よりも課題の 反応数が多くなり,できるだけ多く行ってくださいと教 示した報酬非教示条件では呈示条件間に課題の遂行に差 は見られないだろう。そして,教示条件にかかわらず, 欲求を測定するVASは手がかり呈示条件の方が手がかり なし条件よりも高い値となるだろう。一方で,コーヒー を呈示することにより認知機能のみが高まるならば,ど ちらの教示の際でも手がかり呈示条件の方が手がかりな し条件よりも課題の反応数が多くなるだろう。この場 合,欲求を測定するVASは手がかり呈示条件間に差は見 られないだろう。もし,コーヒーを呈示することにより 認知機能と欲求の両方が高まるならば,どちらの教示の 際でも手がかり呈示条件の方が手がかりなし条件よりも 課題の反応数が多くなるだろう。ただし,手がかり呈示 あり・報酬教示群では,欲求の効果と認知機能の効果の 両方が働き,手がかり呈示の効果がより大きくなる可能 性がある。そして,教示条件にかかわらず,欲求を測定 するVASは手がかり呈示条件の方が手がかりなし条件よ りも高い値となるだろう。 方 法 実験参加者 “コーヒーの好みに関する実験”と称し てコーヒーを日常的に飲む人を対象に実験参加者を募集 した。ただし,実験参加の2時間前はコーヒーを飲まな いことを条件とした。その際,実験参加の報酬は図書券 500円分であることを伝えた。実験参加者は75名の大学 生(男性29名,女性46名)であり,平均年齢は20.1 (SD= 3.2)歳であった。実験参加者はランダムに手がかり呈 示・報酬教示群(n=20),手がかりなし・報酬教示群(n= 16),手がかり呈示・報酬非教示群(n=19)と手がかり なし・報酬非教示群(n=20)に割り当てられた。分析 は,実験参加前2時間以内にコーヒーを飲んだ3名を除 外し,72名(手がかり呈示・報酬教示群n=18, 男性8名, 女性10名; 手がかりなし・報酬教示群n=16, 男性3名, 女性13名; 手がかり呈示・報酬非教示群n=18, 男性7名, 女性11名; 手がかりなし・報酬非教示群n=20, 男性9名, 女性11名)を対象に行った。その他に除外規定は設け なかった。 材料 コーヒーは“ネスカフェゴールドブレンド”(ネ スレ日本株式会社),コーヒーメーカーは“JCM-1091” (メリタコーヒーメーカー)を使用した。報酬教示条件 でのみ,報酬のコーヒーが,実験参加者の課題の反応数 に応じて与えられた。また,手がかり呈示条件では, コーヒーメーカーに入ったホットコーヒーと,ガラス ポットに入れ十分に冷蔵庫で冷やしたアイスコーヒーを 提示した。 質問紙 質問紙には①コーヒーの飲みたい程度,我慢 できない程度を問うVAS, ②年齢,性別などに関する質 問紙の 2つを用いた。①では実験参加者の現在のコー
ヒー欲求の程度を測定した。“今,どのくらいコーヒー を飲みたいと感じますか?”という質問に対して“全く 感じない−強く感じる”,“上で感じられた飲みたいとい う気持ちは,どのくらい我慢できないものですか?”と いう質問に対して“我慢できる−我慢できない”という 項目を100 mmのVASの両極に設け,当てはまる位置に 縦線を引いてもらうという形で評定を行わせた。VASの 左端の項目の上には“0”,右端には“10”という数字が 振られていた。VASは線分の左端から0.5 mm単位で計 測した。 ②は,“年齢”,“性別”,“本日の起床時間”,“最後に コーヒーを飲んだ時間”を記入させた。“また,その時 の量(目安: 缶コーヒー…180 ml)”をmlで記入させた。 “普段コーヒーを飲む頻度”を月・週・日に何回程度と いう形で,月・週・日のいずれかに丸をつけ回数を記入 させた。“普段一回ごとにコーヒーを飲む量(目安: 缶 コーヒー…180 ml)”をmlで記入させた。“コーヒーを 飲むようになった時期”については何年・ヶ月・週間・ 日前頃からという形で,年・ヶ月・週間・日のいずれか に丸をつけ数字を記入させた。 実験課題 無意味綴りのひらがなの中から“あ・い・ う・え・お”の5文字を探し丸をつける仮名ひろい課題 を行わせた。“次のかな文の「あ・い・う・え・お」を 拾い上げて○をつけて下さい。”と課題の1枚目の最初 の行に記し,口頭でも説明した。本課題は10枚つづり になっており,1枚目は30文字中“あ・い・う・え・お” が各 1文字,2枚目は60文字中各2文字,3枚目は90文 字中各3文字,と枚数を重ねるごとに1枚の総文字数が 30 文字ずつと,その内“あ・い・う・え・お”の文字 数が各1文字ずつ増えていった。 こ れ はProgressive Ratio スケジュール(以下 PR スケ ジュール) という強化スケジュールを模しており,PRス ケジュールは,動物における渇望の実験でよく使われて いる。このPRスケジュールを仮名ひろい課題で実現す るために,報酬教示条件では1枚できるごとにコーヒー 30 mlがもらえると教示を行った。ただし,強化子であ るコーヒーは,課題を終えた後に与えることとした。 手続き 実験参加者は実験室内で質問紙と仮名ひろい 課題を行った。手がかり呈示条件では実験参加者が質問 紙及び課題を行う机の上の,実験参加者の正面(着席位 置から約50 cm)に,コーヒーが900 ml入ったコーヒー メーカーと,アイスコーヒーが900 ml入ったガラスポッ トが設置されており,その横にはスティックシュガー, ガムシロップ,コーヒーフレッシュが各3個ずつ置かれ ていた。実験参加者の目の前にはその他の物は置かれて いなかった。実験は216.5×579.5 cmの小部屋で行われ, 実験前にその場でコーヒーメーカーによってコーヒーを 用意したため,実験参加者の入室時から匂いは部屋に充 満していた。手がかりなし条件ではコーヒーメーカー, ガラスポット,スティックシュガー,ガムシロップ, コーヒーフレッシュは置かれていなかった。 実験参加者は実験室に入室してから研究に関する説明 を受け,同意書に署名をした。その後,VASの説明を行 い,コーヒーの飲みたい程度,我慢できない程度を問う VASに回答させた。 回答が終わると質問紙を回収し,仮名ひろい課題を実 験参加者の目の前に置き,以下のように教示した。報酬 教示条件では,“今からこの課題を行って頂きます。課 題が1枚できるごとにコーヒー30 mlがもらえます。た だし,不正解があった場合はその手前の枚数までとしま す。例えば,5枚目までできたとしても3枚目に間違い があった場合は2枚目までしかカウントされず,もらえ るコーヒーは30 ml×2で60 mlとなります。ページは一 度めくったら戻らないでください。間違えやすいのでよ く見直してから進んで下さい。時間は8分ありますが, その間ずっと課題をやり続けて頂いても途中で休憩して 頂いても結構です。また,この課題を全てやる必要はあ りません。ただし,携帯を見る,勉強など他のことをす るのはやめてください。獲得したコーヒーは実験終了後 に隣の部屋でお渡しします。ホットかアイスかは選んで 頂けます。それでは始めて下さい。”と教示を行い仮名 ひろい課題を行わせた。 一方,報酬非教示条件では,“今からこの課題を行っ て頂きます。この課題は本文中のあ・い・う・え・おに 丸をつけていく課題です。この課題をできるだけ多く 行って下さい。ページは一度めくったら戻らないでくだ さい。間違えやすいのでよく見直してから進んで下さ い。時間は8分ありますが,携帯を見る,勉強など他の ことをするのはやめてください。それでは始めて下さ い。”と教示を行った。 課題中,実験者は室内のパーティーションの後ろで待 機していた。8分経過と同時に“やめてください”と指 示を行った。その後隣の部屋に移動し,年齢などの質問 紙に回答させ,最後に報酬のコーヒー(報酬教示条件の み)と図書券を渡し実験を終了した。 結 果 実験参加者のプロフィールの比較 各条件における年 齢,コーヒーの剥奪時間,コーヒーを最後に飲んだ量, 普段飲む頻度,普段飲む量,飲み始めてからの経過年数
の平均値 (標準偏差)をTable 1に示す。コーヒーの剥奪 時間は,質問紙で回答させたコーヒーを最後に飲んだ時 間から実験開始時刻までの時間の差を算出した。手がか り呈示の有無と教示の種類を要因とする2×2の分散分 析の結果,全ての項目において有意な主効果,交互作用 は見られなかった。 各条件におけるコーヒーの飲みたい程度,我慢できな い程度の比較 Figure 1にVASで測定したコーヒーの飲 みたい程度と我慢できない程度を示した。測定は実験参 加者が実験室に来室した直後に行った。手がかり条件間 の飲みたい程度,我慢できない程度をt検定で検討した ところ,飲みたい程度(t(70)=1.42, n.s.),我慢できな い程度(t(70)=0.61, n.s.)のいずれも有意な差は見られ なかった。 各条件における課題の反応数の比較 Figure 2にVAS の直後に行った仮名ひろい課題の遂行枚数と文字数を示 した。枚数は時間内に完遂した頁数を測定した。枚数に おいて2要因の分散分析を行ったところ,手がかり呈示 要因の主効果(F(1, 68)=5.19, p<.05)と,教示要因の 主効果(F(1, 68)=21.39, p<.001)がそれぞれ有意であっ た。交互作用は有意でなかった(F(1, 68)=0.01, n.s.)。 また,該当文字に正しく丸をつけた文字数においても同 Table 1.
Mean age, duration of coffee deprivation, amount of coffee consumed most recently, frequency of coffee consumption per month, amount of usual coffee consumption, and the years of coffee consumption (standard deviations within parentheses).
Reward No reward
Cue (n=18) No cue (n=16) Cue (n=18) No cue (n=20) Age 19.5 (1.8) 20.4 (6.4) 20.4 (1.3) 20.0 (1.0) Coffee deprivation (hour) 31.6 (61.5) 32.1 (40.0) 49.2 (66.0) 37.0 (31.7) Recent coffee consumption (ml) 202.7 (44.6) 172.5 (51.7) 177.2 (67.7) 205.0 (75.6) Frequency of coffee consumption (/month) 27.0 (17.8) 25.1 (17.9) 21.8 (18.8) 21.8 (20.4) Usual coffee consumption (ml) 232.1 (113.0) 173.1 (40.0) 197.2 (65.4) 195.0 (58.0) Years of coffee consumption 4.3 (2.0) 4.1 (3.8) 5.8 (5.5) 4.2 (3.2)
Figure 2. Number of sheets completed and number of vowels found in the behavioral task for each group. (Error bar=SEM) Figure 1. The degree of desire to drink and irresistibleness to drink for each condition. (Error bar=SEM)
様の分析を行ったところ,手がかり呈示要因の主効果 (F(1, 68)=6.44, p<.05)と,教示要因の主効果(F(1, 68)= 17.57, p<.001)がそれぞれ有意であった。交互作用は有 意でなかった(F(1, 68)=0.01, n.s.)。つまり,手がかり 呈示条件の方が手がかりなし条件よりも反応数が多く, また,報酬非教示条件の方が報酬教示条件よりも反応数 が多いという結果となった。ただし,報酬教示条件でも 報酬非教示条件でも手がかりの効果は同程度であった。 考 察 本研究では,コーヒーにおいて手がかり呈示により欲 求が強まるかどうかを調べるために,多く行う程コー ヒーが多くもらえる課題を設定し,コーヒー手がかりの ある状況とない状況の間で差が見られるかどうか検討し た。また,課題の反応数の多さがコーヒーの香りによる 認知機能の向上によるものでないことを確かめるため に,課題の反応数に応じてコーヒーがもらえるという教 示ではなく,できるだけ多く行うよう教示する実験条件 を設定し,その条件ではコーヒーの手がかり呈示の有無 による差が生まれないことを予測した。 しかしながら,実験結果は,コーヒーの手がかり呈示 が欲求を強めた場合の予測ではなく,認知機能の向上効 果をもたらした場合の予測と一致した。まず,主観指標 において手がかり呈示要因の条件間に欲求(飲みたい程 度,我慢できない程度)の差が見られなかった。この結 果は,コーヒーの手がかり呈示により欲求が喚起されな かったことを示唆する。次に,行動課題において今回の 実験結果から言えることは,教示の種類に関わらず,課 題の反応数は手がかり呈示条件の方が手がかりなし条件 よりも多いということであった。報酬教示条件において, 課題の反応数が手がかり呈示条件の方が多いという結果 は,コーヒーの手がかり呈示が欲求を高める場合の予測 とも認知機能を高める場合の予測とも一致するもので あった。一方で,報酬非教示条件においても手がかり呈 示の有無による差が見られた。もし手がかりの呈示が欲 求のみを高めているのであれば,報酬非教示条件では手 がかりを呈示しても課題の反応は増加しないはずである。 したがって,主観指標と行動指標の結果から,コーヒー の手がかり呈示は,欲求よりはむしろ認知機能を高めた と考えられる。 カフェインの摂取により認知課題の成績が向上する研 究例は多く存在するが(e.g. Nehlig, 2010; Smith, 2002のレ ビューを参照),本研究のように実際にカフェインを摂 取せずに,カフェインを含む飲料の手がかりを呈示する のみで認知課題の成績が向上する結果を示した研究は筆 者の知る限り初めてである。コーヒーの手がかり呈示に より認知課題の成績が向上する機序は明らかでないた め,今後の検討が必要である。 その機序を知るうえで,今回の実験で得られた,コー ヒーを呈示したことによる効果は,今回集めた実験参加 者の性質であるコーヒーを日常的に飲む人々にのみ起こ る効果なのか,それともコーヒーを飲むかどうかは関係 なく起こる効果なのかどうかを検討することが有益であ る。もしその効果がコーヒーを日常的に飲む人々にのみ 起こるのならば,それは条件反応である可能性が考えら れる。つまり,普段飲んでいるコーヒーに含まれるカ フェインという無条件刺激とコーヒーの見た目,匂いと いう条件刺激が対呈示されることにより条件づけが形成 され,カフェインの無条件反応である認知機能が一時的 に向上するという効果が,条件刺激に対する条件反応と して現れた可能性である。この可能性についても今後検 討が必要である。 また,手がかり呈示による反応数の差の原因となった と考えられる要因は認知機能の向上効果の他にも存在す る。例えば,カフェインには疲労低減効果が存在する (Lorist & Tops, 2003)。そして,コーヒーを日常的に飲む 人に対しては,コーヒーの手がかり呈示による条件反応 として疲労低減の効果が出現する可能性がある。その場 合は今回の実験結果のように,報酬教示条件,非教示条 件ともに手がかり呈示条件の方が手がかりなし条件より も仮名ひろい課題の反応数が多くなるはずである。今回 見られた実験結果が認知機能の向上によるものか,疲労 低減によるものか,あるいは別の要因によるものかにつ いては今後検討が必要である。 行動課題の反応数の平均値が,報酬教示条件よりも報 酬非教示条件の方が高かったことに関しては以下のよう な理由が考えられる。報酬教示群では,実験参加者には 無理に課題を行わせるのではなく自身の欲求の程度に応 じて課題を行わせるという目的のため,“途中で休憩し ても結構です”という教示を行った。一方,報酬非教示 条件では“できるだけ多く行ってください”と教示をし た。更に,報酬教示条件では実験参加者が,自らの欲求 の程度を実験者に知られることを避けるために,反応数 を抑えた可能性も考えられる。以上のような理由で,可 能な限り多く課題を行った報酬非教示条件は報酬教示条 件よりも反応数が多くなったと推測される。このよう に,2つの教示条件間には,報酬が有るか無いか,休憩 してもよいかできるだけ行わせるか,という複数の要因 の違いがあり,その点で方法論上の問題があった。しか し,そのような複数の違いがある教示条件の両方に共通
して,手がかり刺激がある条件では,ない条件よりも課 題の反応数が多いという結果が得られたという事実は, コーヒーの手がかり刺激呈示が認知課題成績向上に寄与 していることを示唆する。 教示条件についての問題の他にも,検討すべき点がい くつか存在する。まず,今回の実験対象者はコーヒーを 飲む頻度が高くはない人々(平均 1日1回弱)で,2時 間のコーヒー剥奪という短い剥奪時間で実験を行った。 もし,コーヒーを飲む頻度が高い人々を対象に十分な剥 奪時間で実験を行った場合には,報酬教示条件の方が報 酬非教示条件よりも反応数が多くなる可能性が考えられ る。他にも,この報酬がコーヒーではない別のもの(例 えば高額の金銭)であった場合には,実験者に構わず課 題を多く行うなど,今回とは異なる結果となる可能性が ある。 以下に本研究の限界を述べる。それは,コーヒーの手 がかり呈示により欲求が高まらなかったのは今回の実験 状況に限定されるということである。 まず,今回の手続きでは手がかり刺激に注目させてい なかった。手がかり誘発性渇望の研究では一般的に,ア ルコール飲料の蓋を開け,匂いを嗅がせる(Ait-Daoud et al., 2012)など,手がかりに注目させている。しかし, 日常場面において渇望を制御する際に,例えば,アル コール飲料の蓋を開け,匂いを嗅ぐような行動はしなく とも,文脈的な刺激がふと目に入ってしまうことは考え られ,それにより欲求が強まってしまう方が問題であ る。よって,本研究では実物を呈示するが手がかりへの 注目はさせない文脈刺激に近い実験状況を設定した。今 回の実験操作では欲求は高まらなかったが,チョコレー トを手に取って匂いを嗅がせるなど手がかりに注目させ る手続きを用いた場合は食べ物であっても欲求が高まる (Van Gucht, Baeyens, Vansteenwegen, Hermans, & Beckers,
2010)。したがって,コーヒーにおいても手がかりに注 目させた場合には欲求が高まる可能性は否定できない。 次に,本研究ではPRスケジュールを用いたが,この 方法が最適であったかどうか検討が必要である。PRス ケジュールは動物の薬物中毒に対する渇望を測定する際 に は有 効 な ス ケ ジ ュ ー ル で あ る。 そ し て,PR ス ケ ジュールを模した今回の課題は,枚数を追うごとに一枚 あたりの文字数が増えて行った。よって,今回の実験対 象者であったコーヒーを飲む頻度が低い人々のように, 欲求の増加がそれほど強くない場合には,課題の遂行を 諦めやすい可能性が考えられる。PRスケジュールでは ない課題を用いることにより,手がかり呈示により欲求 が高まる効果が検出できる可能性はある。このように, 今回の研究で手がかりによる欲求の高まりの効果が見ら れなかったという結果には,手がかりの提示方法や,行 動の測定方法に原因があった可能性がある。一方で,文 脈的な刺激を呈示し,PRスケジュールで行動課題を行 わせるという実験状況であっても認知課題の成績に差が 現れたという点は特筆すべき結果である。 以上のような実験状況を変更することにより,手がか りによる欲求の増加が見られる可能性がある。その場 合,その欲求がコーヒーに限定的なものなのか,それと も例えば飲み物全般の欲求を高めているのか,金銭のよ うにより一般的な欲求を高めているのかどうかが重要で ある。もしその欲求がその物質に特異的なものならば, それは渇望の特徴の一つに一致すると考えられる。した がって,その欲求の特徴を更に検討する必要がある。 引用文献
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