• 検索結果がありません。

Vol.40 , No.1(1991)064斎藤 昭俊「仏教教育における戦前と戦後」

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "Vol.40 , No.1(1991)064斎藤 昭俊「仏教教育における戦前と戦後」"

Copied!
6
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

印 度 學 佛 教 學 研 究 第 四 十 雀 第 一 號 平 成 三 年 十 二 月

吉 田 熊 次 は ﹃ 国 民 道 徳 と 教 育 ﹄ の 中 で 宗 教 科 を お か な い 理 由 に つ い て ﹁ 欧 羅 巴 に 於 け る 徳 育 は 学 校 内 に 於 け る 宗 教 科 の ( 1 ) 力 に 依 っ て 維 持 せ ら れ て 居 る と 云 ふ 想 像 は 全 く 間 違 で あ る ﹂ と し て、 学 校 内 の 徳 育 と 社 会 の 道 徳 精 神 が 一 致 し て い る の が ヨ ー ロ ッ パ 文 化 の 特 質 で あ り、 宗 教 科 の 教 育 的 任 務 に 対 し て は 教 育 学 者 に 異 論 が あ る と し て、 一、 知 的 に 宗 教 に 関 す る 教 授 を す る こ と が 宗 教 科 で あ る と す る の は 徳 育 で は な く て 知 識 教 授 で あ る。 二、 実 際 ヨ ー ロ ッ パ の 宗 教 科 は 中 等 以 上 の 学 校 で は 効 果 が な い。 三、 ヨ ー ロ ッ パ の 長 い 歴 史 の 上 の 習 慣 に 力 の あ る 宗 教 を 我 国 に も っ て き て、 そ の 力 は 頗 る 疑 わ し い。 四、 実 際 学 校 内 に 宗 教 を 入 れ る と な る と、 ど の 宗 派 と い う 困 難 が あ る。 五、 宗 派 別 の 学 校 に し て も 問 題 が 大 き い。 六、 宗 教 科 の 目 的 は 確 実 な 思 想 の 統 一 と そ れ か ら 生 ず る 安 心 と い う こ と で あ る か ら、 思 想 の 統 二 と 満 足 ( 2) は 修 身 科 で も 与 え ら れ る と す る の で あ る。 こ の よ う に 宗 教 に 道 徳 は 代 り 得 る と 考 え て い た こ と に 大 き な 欠 陥 が あ っ た。 明 治 期 の 修 身 教 授 は 学 制 に 定 め ら れ 第 一 期 (十 二 年 ま で )で は 主 に 外 国 の 修 身 書 の 翻 訳 を 用 い た。 第 二 期 ( 二 一三 年 ま で )は 第 一 期 の 反 動 と し て 儒 教 に よ る 修 身 教 授 が 行 わ れ、 第 三 期 ( 三 六 年 頃 ま で )教 育 勅 語 の 徳 目 に よ る 修 身 教 育、 こ れ は 一 応 昭 和 戦 前 ま で 続 く、 第 四 期 は 第 三 期 に 続 き、 勅 語 を 中 心 と し ( 3) て 総 合 的 な 修 身 教 育 の 時 代 と さ れ、 ヨ ー ロ ッ パ、 儒 教、 教 育 勅 語 を 柱 と し た 修 身 で あ っ た と 思 わ れ る。 第 一 期 に 属 す る ﹁ 童 蒙 教 草 ﹂ は チ ャ ン バ ー 著、 福 沢 論 吉 訳、 ﹁ 勧 善 訓 蒙 ﹂ は ボ ン ヌ 著、 箕 作 麟 祥 訳、 ﹁ 修 身 論 ﹂ は ウ エ ー ラ ン ド 著、 阿 部 泰 蔵 訳 な ど で あ り、 第 二 期 は ﹁ 幼 学 網 要 ﹂ が あ る が、 実 際 教 科 ( 4 ) 書 と し て あ ま り 使 用 さ れ ず、 吉 田 利 行 ﹁ 小 学 修 身 鑑 ﹂ 五 巻 が あ る。 小 学 初 等 科 第 一 年 後 期 よ り 第 三 年 後 期 ま で、 毎 学 期 一 巻 あ て、 一 学 期 の 授 業 日 数 十 七 週、 二 週 に 二 節 あ て、 第 二 巻 以 後 は 二 節 半 と 級 の 進 む に 従 い 進 度 を す す め る と す る。 内 容 は 和 漢 先 哲 の 格 言 を 主 と し て い る。 明 治 二 十 年 東 京 府 発 行 の ﹁ ち こ の を し へ ﹂ は 教 場 ば か り で は な く、 嘉 言 善 行 が で き る

(2)

よ う な 庭 訓 が 必 要 で あ る と し て 編 集 さ れ た 副 読 本 で ﹁ 修 身 講 義 録 ﹂ の 付 録 で あ る が、 そ の 内 容 は ジ ン ム テ ン ワ ウ サ マ、 ガ ク モ ン ヲ ス ル ワ ケ、 コ ド モ ノ マ モ リ、 ネ コ ト ウ グ ヒ ス ト ノ ガ ク モ ン、 マ ゴ、 ロ、 ア ヤ マ チ ハ ア ラ タ メ ル ガ ヨ イ、 ヨ イ コ ハ マ ゴ、 ロ ヲ マ モ ル、 ヨ イ コ ハ フ タ バ カ ラ カ ハ ル、 ヒ ト ノ モ ノ ハ ウ ラ ヤ マ ヌ ガ ヨ イ、 マ コ、 ロ ハ イ ロ く ニ ナ ル、 オ ヤ ノ コ 、 ロ、 オ ヤ ノ コ、 ロ ヲ ヤ ス メ ル、 オ ヤ ノ コ、 ロ ヲ ナ グ サ メ ル、 オ ヤ ヲ タ イ セ ツ ニ ス ル、 オ ヤ ノ コ ト ヲ ワ ス レ ズ、 オ ヤ ヲ オ モ フ、 ネ ズ ミ ノ カ ウ く、 サ ル ノ カ ウ く、 ガ テ ゥ ノ カ ウ く、 キ ヤ ウ ダ イ ハ タ ケ ア フ、 オ ト、 ヲ カ バ ユ ガ ル、 ワ ガ ミ カ ラ ツ メ ル、 ヒ ト ノ ウ ヘ ヲ オ モ フ、 モ ノ ヲ ア ハ レ ム、 ケ ダ モ ノ デ モ 湖、 ロ ガ ア ル、 ヒ ト ノ タ メ ニ ナ レ、 ヨ ワ イ モ ノ ヲ イ ヂ メ ル ナ、 ヨ イ コ ト ヲ ス ル ガ ヨ イ、 ト モ ヲ タ ス ケ ル、 ヒ ト ノ ナ ( 5 ) ン ギ ヲ ス ク フ、 と あ り、 真 心、 親 孝 行、 兄 弟 愛、 善 行 の 人 間 性 の 基 本 と し て の 道 徳 を 説 い て い る。 ( 6 ) ( 7 ) 仏 教 で は 道 徳 と し て ﹁ 十 善 法 語 ﹂ ﹁ 十 善 業 道 経 講 義 ﹂ を 説 い て き て い る が、 教 育 勅 語 が 出 て か ら は ﹁ 吾 々 の 安 全 を 望 む 者 は 何 を 以 て 道 徳 の 栞 と な し、 何 を 以 て 彼 岸 に 達 す る 羅 針 盤 と 定 め て 可 然 耶 と 問 ひ ま し た ら、 卑 柄 は 仏 陀 の 金 口 五 徳 な り、 聖 人 の 教 誠 五 常 な り、 天 皇 の 御 遺 訓 勅 語 な り と 答 へ ま ( 8 ) す ﹂ と し て、 仏 教、 儒 教、 勅 語 を 柱 と し た 道 徳 が 説 か れ、 明 ( 9 ) 治 三 六 年 の ﹁ 国 民 教 育 仏 教 道 徳 談 ﹂ で は 勅 語 の 解 釈 が 中 心 と な り、 そ れ ぞ れ の 解 釈 の 後 尾 に 仏 教 的 解 釈 を つ け 加 え る と い う も の で あ り、 忠 孝 に 重 き が お か れ て い る。 ﹁ 忠 と 孝 ﹂ の 部 分 を 少 々 長 く な る が 引 用 す る と 左 の 如 く で あ る。 忠 と は 恐 れ 多 く も、 天 皇 陛 下 が 皇 祖 の 統 を 理 め 給 ひ、 其 天 職 を 全 ふ せ さ せ 給 ふ 様、 臣 民 た る 者 の 尽 し 奉 る 可 き 義 務 で あ る。 陛 下 の 天 職 と は、 御 国 の 上 進 と 国 民 の 安 寧 と を 計 ら は せ 給 へ る 天 業 よ り 外 は な い。 左 れ ば 忠 と は 単 に 君 命 を 奉 じ て 誠 実 な る こ と や、 君 の 為 め に は 死 を 恐 れ な い と 云 ふ ば か り に 止 ま ら ぬ。 其 皇 運 天 業 を 扶 翼 し 奉 る 凡 て の 職 業 凡 て の 行 為 は、 皆 悉 く 忠 で あ る。 而 も 亦 我 々 臣 民 の 全 ふ せ ね ば な ら ぬ と こ ろ の 義 務 と 云 は ね ば な ら ぬ。 孝 と は 親 を し て 親 た る 職 分 を 全 ふ せ し む が 為 に、 子 た る も の ヽ 尽 す 可 き 義 務 で あ る。 親 の 職 分 と は 其 子 を 撫 育 愛 養 し、 而 も 愛 に 溺 れ ず、 厳 か に す 可 き は 之 を 厳 か に し、 緩 か に す 可 ぎ は 之 を 緩 か に し、 悪 を 避 け て 善 に 赴 か し め、 遂 に 其 子 を し て 有 為 の 人 物 と な し、 天 皇 陛 下 の 御 為 に な る 様 に 育 て 上 げ ね ば な ら ぬ。 左 れ ば 子 た る も の ヽ 職 分 は、 単 に 親 の 意 に 背 か ぜ る こ と や、 身 を 修 め て 親 を 悦 ば し む る こ と ば か り に 止 ま ら ず、 其 行 を 正 く し、 学 問 芸 術 を 磋 き 上 は 天 皇 陛 下 を 教 ひ 奉 り、 下 は 朋 友 弟 妹 に 誠 の 心 を 厚 く し、 社 会 有 益 の 人 物 と な っ て、 父 母 祖 先 に ま で も 栄 誉 を 負 は し め ね ば な ら ぬ。 是 が 即 ち 其 の 孝 で あ る。 抑 も 吾 々 が、 真 の 忠、 真 の 孝 を 実 践 仕 様 と す る に は、 先 第 一 に 天 皇 陛 下 の 御 恩 と 我 父 母 の 恩 と を 知 ら ね ば な ら ぬ。 夫 故 仏 教 道 徳 は、 報 恩 と 言 っ て 恩 に 報 け る と 云 ふ こ と を 基 礎 と し て い る。 而 し て 其 恩 を 四 通 り に 分 っ て、 第 一 に 父 母 の 恩、 仏 教 教 育 に お け る 戦 前 と 戦 後 (斎 藤 )

(3)

仏 教 教 育 に お け る 戦 前 と 戦 後 (斎 藤 ) 第 二 に 国 王 の 恩、 第 三 に は 衆 生 恩、 第 四 に は 三 宝 恩、 此 四 恩 に 報 ゆ る と 云 ふ こ と が、 取 り 直 さ ず 仏 教 の 道 徳 で あ っ て、 而 も 亦 教 育 ( 10 ) 勅 語 の 御 精 神 と 相 合 す る の で あ る ﹂ 明 治 二 四 年 の ﹁ 小 学 校 教 則 大 綱 ﹂ に は 孝 悌、 友 愛、 仁 慈、 信 実、 敬 礼、 義 勇、 恭 謙 等 の 実 践、 殊 に 愛 国 の 志 気 を 養 う よ う に つ と め る よ う に と あ る が、 こ こ に は 忠 君 と い う 語 は み え て い な い。 し か し 明 治 二 六 年 八 月 二 十 三 日 の 文 部 省 訓 令 第 九 号 は 小 学 校 修 身 教 育 に 関 す る 訓 令 で ﹁ 修 身 科 ノ 教 育 二 於 ケ ル ハ 神 経 ノ 全 身 二 貫 通 シ 其 ノ 作 用 ヲ 霊 活 ナ ラ シ ム ル ニ 同 ジ ク 他 ノ 科 目 ト 同 視 ス ヘ キ ニ ア ラ ス 教 員 タ ル 者 ハ 時 ヲ 以 テ 諄 々 訓 告 シ 児 童 ノ 年 令 及 男 女 ノ 別 二 従 ヒ 都 鄙 ノ 風 習 各 地 人 文 ノ 発 達 及 生 活 ノ 程 度 ヲ 察 シ 又 各 人 各 個 ノ 性 質 二 依 リ 精 密 ナ ル 注 意 ヲ 用 ヒ 此 重 要 ナ ル 数 科 目 ノ 目 的 ヲ 達 ス ル コ ト ヲ カ ム ベ シ ⋮⋮﹂と 述 べ て い る。 一 方、 仏 教 倫 理、 仏 教 道 徳 を 追 求 し、 そ の 立 場 ( 11) ( 12 ) か ら 論 ず る 斉 藤 唯 信 ﹁ 仏 教 倫 理 の 大 観 ﹂ や ﹁ 仏 教 倫 理 ﹂ が 出 ( 13) 版 さ れ、 ﹁ 仏 教 少 年 修 身 読 本 ﹂ で は 勅 語 の 徳 目 を 仏 教 経 典 の 中 か ら 例 話 を と っ て 説 明 し て い る。 こ の よ う に 修 身 科 は 勅 語 を 軸 と し て 孝 か ら 忠 孝 へ、 仏 教 道 徳 は 勅 語 中 心 の も の、 仏 教 独 特 を 中 心 に す る 二 つ の 流 れ が 生 じ、 こ の 流 れ は 終 戦 ま で 続 ( 14 ) く。 ﹁ 新 制 中 学 修 身 教 本 ﹂ は 大 正 十 一 年 か ら 昭 和 初 期 ま で 発 行 さ れ た 教 科 書 で、 そ の 巻 三 に は ﹁ 愛 郷 心 と 愛 国 心 ﹂ ﹁ 国 民 性 と 国 民 文 化 ﹂ ﹁ 我 が 殉 国 の 精 神 ﹂ ﹁ 聖 世 三 代 ﹂ 巻 一 に は ﹁ 孝 道 ﹂ ﹁ 国 家 の 恩 ﹂ の 徳 目 が あ る。 大 正 七 年 文 部 省 の 発 行 の ﹁ 尋 常 小 学 修 身 書 ﹂ 巻 一 か ら 巻 六 ま で の 忠 と 孝 に 関 す る 項 目 を 抽 出 し て み る と 次 の 通 り で あ る。 巻 一 ( 孝 ) オ ヤ ノ オ ン、 オ ヤ ヲ タ イ セ ツ ニ セ ヨ、 オ ヤ ノ イ ヒ ツ ケ ヲ マ モ レ ( 忠 ) テ ソ ノ ウ ヘ イ ヵ、 チ ュ ウ ギ 巻 二 (孝 ) カ ウ カ ウ ( 忠 ) テ ソ ノ ウ ヘ イ ヵ、 チ ュ ウ ギ 巻 三 ( 忠 ) 皇 后 陛 下、 ち ゅ う く ん あ い こ く ( 孝 ) か う か う 巻 四 ( 忠 ) 明 治 天 皇 能 久 親 王 靖 国 神 社 皇 室 を 尊 べ ( 孝 ) 孝 行 巻 五 ( 忠 ) 我 が 国 忠 義 挙 国 一 致 ( 孝 ) 孝 行 巻 六 ( 忠 ) 皇 大 神 宮 国 運 の 発 展 忠 君 愛 国 忠 孝 と あ り、 巻 三 か ら 忠 が 孝 よ り 前 に 出 て き て、 巻 四 か ら 忠 が 中 心 と な り、 巻 六 で は 忠 孝 一 本 と な る。 各 巻 最 後 の 課 は 巻 一 ﹁ ヨ イ コ ド モ ﹂ 巻 二 ﹁ ヨ イ コ ド モ ﹂ 巻 三 ﹁ よ い 日 本 人 ﹂ 巻 四 か ら 冒 頭 に 教 育 勅 語 が あ る。 ﹁ よ い 日 本 人 ﹂ が 最 後 の 課 巻 五 ﹁ よ い 日 本 人 ﹂ 巻 六 ﹁ 教 育 に 関 す る 勅 語 ﹂ ( 三 課 を あ て る ) と な っ て い て、 巻 一 の ヨ イ コ ド モ は ﹁ セ ン セ イ ノ ヲ シ ヘ ヲ マ モ ッ タ ヨ イ コ ド モ ﹂、 巻 二 の ヨ イ コ ド モ は ﹁ セ ン セ イ ノ ヲ シ ヘ ヲ マ モ ル ヨ イ 子 ド モ デ ス。 学 校 二 行 ッ テ モ 家 ニ ヰ テ モ、 コ コ

(4)

ロ ガ ケ ガ ヨ ク、 ト モ ダ チ ト ハ ナ カ ヨ ク シ、 人 カ ラ ウ ケ タ オ ン ヲ ワ ス レ ズ、 ジ ブ ン ノ コ ト ハ ジ ブ ン デ シ、 イ ッ モ テ ン ノ ウ ヘ イ カ ノ ゴ オ ン ヲ ア リ ガ タ ク オ モ ッ テ ヰ ﹂ る の が ヨ イ コ で あ り、 巻 三 の よ い 日 本 人 は ﹁ つ ね に 天 皇 陛 下 ・皇 后 陛 下 の 御 徳 を あ ふ ぎ、 又 つ ね に 皇 大 神 宮 を う や ま っ て、 ち ゆ う く ん あ い こ く の 心 を お こ さ な け れ ば な り ま せ ん。 父 母 に 孝 行 を つ く し 、 師 を う や ま ひ、 友 だ ち に は し ん せ つ に し、 近 所 の 人 に は よ く つ き あ は な け れ ぽ な り ま せ ん。 し や う ち き で、 く わ ん だ い で、 じ ぜ ん の 心 も 深 く、 人 か ら う け た お ん を わ す れ ず、 人 と 共 同 し て た す け あ ひ、 き そ く に は し た が ひ、 じ ぶ ん の 物 と 人 の 物 と の わ か ち を つ け、 又 せ け ん の た めに う え き を は か ら な け れ ぽ な ﹂ ら な い 人 と す る。 巻 四 の よ い 日 本 人 は ﹁ 我 等 は つ ね に 天 皇 陛 下 の 御 恩 を か う む る こ と の 深 い こ と を 思 ひ、 忠 君 愛 国 の 心 を は げ み、 皇 室 を 尊 び、 法 令 を 重 ん じ、 国 旗 を 大 切 に し、 祝 祭 日 の い は れ を わ き ま へ な け れ ば な り ま せ ん。 日 本 人 に は 忠 義 と 孝 行 が 一 ば ん 大 切 な つ と め で あ る ﹂ と す る。 巻 五 の よ い 日 本 人 は ﹁ 我 等 臣 民 は 数 千 年 来、 心 を あ は せ て 克 く 忠 孝 の 道 に 尽 し ま し た。 こ れ が 我 が 国 の 世 界 に 類 の な い と こ ろ で あ り ま す。 我 等 臣 民 た る 者 は 常 に 天 皇 陛 下 ・皇 后 陛 下 の 御 高 徳 を 仰 ぎ 奉 り、 祖 先 の 志 を 継 い で、 忠 君 愛 国 の 道 に 励 ま な け れ ば な り ま せ ん。 忠 君 愛 国 の 道 は 君 国 の 大 事 に 臨 ん で は、 挙 国 二 致 し て 奉 公 の 誠 を 尽 し、 平 時 に あ っ て は、 常 に 大 御 心 を 奉 じ て 各 自 分 の 業 務 に 励 ん で、 国 家 の 進 歩 発 達 を は か る こ と で あ り ま す。 我 等 が 市 町 村 の 公 民 と し て よ く 其 の 務 を 尽 す の は、 や は り 忠 君 愛 国 の 道 を 実 行 す る の で あ り ま す。 父 母 に は 孝 行 を 尽 し て 其 の 心 を 安 ん じ ﹂ る も の で あ り、 巻 六 で は 教 育 に 関 す る 勅 語 の 説 明 の 最 後 に、 ﹁ 天 皇 は 御 み つ か ら 我 等 臣 民 と 共に の 御 遺 訓 を お 守 り に な り、 そ れ を 御 実 行 に な っ て、 皆 徳 を 同 じ く し よ う と 仰 せ ら れ て あ り ま す。 以 上 は 明 治 天 皇 の お 下 し に な っ た 教 育 に 関 す る 勅 語 の 大 意 で あ り ま す。 こ の 勅 語 に お 示 し に な っ て い る 道 は 我 等 臣 民 の 永 遠 に 守 る べ き な の で あ り ま す。 我 等 は 至 誠 を 以 て 日 夜 こ の 勅 語 の 御 趣 意 を 奉 体 せ ね ば な り ま ぜ ん ﹂ と 結 ん で い る。 こ の よ う に 国 定 教 科 書 修 身 で は 目 的 が 忠 君 愛 国 と し て 非 常 に 明 確 に 打 ち 出 さ れ て い る。 大 正 期 か ら 昭 和 期 に 入 る と 修 身 の 中 心 は 忠 孝 と な り、 一 方 で は、 宗 教 教 育 の 必 要 性 が 叫 ば れ、 日 曜 学 校 が 盛 ( 16 ) ん と な る が、 忠 孝 教 育 の 修 身 教 育 と は 関 係 な く 仏 教 独 自 の 倫 理 ・道 徳 を 主 張 す る も の と に 区 別 さ れ て く る。 ( 17) ( 18) ﹃ 我 国 の 修 身 教 育 ﹄ 及 び ﹃ 忠 孝 之 研 究 ﹄ に 代 表 さ れ る よ う に、 ﹁ 忠 孝 こ そ は 我 建 国 以 来 二 千 五 百 有 余 年 に 亘 る 日 本 帝 国 の 歴 史 的 発 展 の 核 心 で あ り、 具 つ 世 界 に 誇 り 得 る 大 和 民 族 の 倫 理 的 特 性 の 根 源 で あ る。 従 っ て 忠 孝 を 離 れ て は 日 本 歴 史 の 解 釈 は 不 可 能 で あ り 忠 孝 を 捨 て て は 大 和 民 族 の 倫 理 的 特 性 は ( 19) 消 滅 す る ﹂ と 述 べ、 教 育 勅 語 に の っ と っ て、 建 国 以 来 の も の 仏 教 教 育 に お け る 戦 前 と 戦 後 (斎 藤 )

(5)

仏 教 教 育 に お け る 戦 前 と 戦 後 (斎 藤 ) で あ る こ と、 国 体 の 精 華 で あ る こ と、 道 徳 生 活 は 忠 孝 で あ る こ と、 日 本 人 は こ れ に よ っ て 結 合 し て い る こ と、 こ れ な く し て 日 本 民 族 は 存 在 し な い こ と、 忠 孝 は 人 類 普 遍 の 最 高 道 徳 で あ る こ と、 が 述 べ ら れ る。 ﹃ 我 国 の 修 身 教 育 ﹄ で は 我 が 国 の 教 え と し て、 ﹁ 教 育 勅 語 に 示 さ れ る 通 り、 皇 祖 皇 宗 の 道 が あ り、 そ こ に 我 国 の 立 教 の 根 本 が あ り、 君 臣 の 大 義 が あ る。 君 徳 に む く い る に 忠 道 と 孝 道 が あ る が、 我 が 国 で は 忠 孝 一 本 で あ り、 従 っ て 修 身 は 忠 孝 中 心 の 教 え と な る。 そ れ が 三 千 年 来 の 我 国 の 教 え で あ る。 そ の 教 え と は 皇 道 で、 そ の 内 容 は 忠 孝 で あ る か ら、 ﹁ 忠 孝 が 我 国 立 教 の 根 本 で あ り、 忠 孝 が 立 教 の 根 本 で あ る と い う こ と は 忠 孝 を 以 て 教 の 第 一 と す る こ と で あ り、 忠 孝 を 以 て 一 切 の 徳 目 を 統 一 す る こ と で あ り、 従 っ て 日 ( 20 ) 本 に あ り て は 一 切 の 教 が 又 そ の ま ま 忠 孝 で あ る ﹂ と 述 べ ら れ る。 か く し て 忠 孝 は 道 徳 の 中 心 で あ る ば か り で は な く ﹁ 大 和 民 族 の 宗 教 意 識 を 充 た す は、 い う ま で も な く 肇 国 以 来、 皇 室 を 仰 ぎ 奉 り て 敬 神 崇 祖 の 篤 き 信 念 に よ り、 伝 統 的 に 発 達 し 来 っ た 国 体 の 精 華 で あ る 忠 孝 に 精 進 す る 事 で あ る。 さ れ ば は 忠 孝 に 精 進 す れ ば 所 謂 宗 教 情 操 も 情 操 教 育 も 当 然 酒 養 し 得 る の で あ る。 若 し も 民 族 の 宗 教 意 識 の 発 露 を 充 た し 得 る 事 を 以 て、 其 民 族 の 宗 教 な り と い う 事 を 前 提 と す る な ら ば、 我 大 和 民 族 は、 忠 孝 に 精 進 す る 事 が、 我 大 和 民 族 の 宗 教 な り と い い ( 21 ) 得 る で あ ろ う ﹂ と 忠 孝 を 宗 教 な り と 断 定 す る。 昭 和 二 十 年 を 境 と し て、 昭 和 二 一 年 日 本 国 憲 法 が 天 皇 を 国 の 象 徴 と 規 定、 教 育 勅 語 に 代 わ り、 教 育 は 教 育 基 本 法 ( 昭 和 二 二 年 )を 基 本 と し て 行 な う こ と と な り、 忠 孝 を 軸 と し た 修 身 科 に 厳 し い 批 判 が よ せ ら れ た。 こ の 批 判 は 軍 国 主 義 ・国 家 主 義 に 代 わ っ た 民 主 主 義 で あ り、 こ の 民 主 主 義 は 自 ら の も の で は な く、 与 え ら れ た も の で あ る。 修 身 科 へ の 批 判 は 政 治 的 面 か ら 行 な わ れ、 非 民 主 的、 封 建 的、 国 家 主 義 的、 軍 国 主 義 的 徳 目 に 対 す る も の で あ っ た か ら、 国 歌、 日 の 丸、 愛 国 心 へ の 痛 烈 な 批 判 と な っ た が、 そ れ は 政 治 的 情 勢 の 変 化 に よ っ て 次 第 に 道 徳 教 育 に 復 活 し て き た。 教 育 勅 語 に 代 わ り 民 主 主 義 が、 ヒ ュ ー マ ニ ズ ム が 中 心 と な り、 ﹁ 基 本 的 原 理 と し て は 人 間 の 自 由 と 平 等 と い う こ と が 考 え ら れ、 ま た と く に 合 理 主 義 と い う こ と が 強 調 さ れ て い る。 も ち ろ ん こ れ は 教 育 の 建 前 で あ っ て、 現 実 に お い て は 民 主 主 義 と い っ て も そ こ に は 戦 前 か ら の 封 建 制 度 的 な も の が 継 続 さ れ て い る し、 ま た 合 理 主 義 と い っ て も 現 実 に は 明 治 時 代 か ら の 精 神 主 義 的 な も の が 継 続 さ れ、 こ の 両 者 が 世 代 の 対 立 と な っ た り、 考 え 方 の ず れ と な っ て 複 雑 に 動 い て い る よ う に 思 わ れ る ﹂ と さ れ、 日 本 に 全 く 定 着 し て い な か っ た 民 主 主 義 が 持 ち 込 ま れ、 近 代 的 ス ロ ー ガ ン で あ る 自 由 と 平 等 も 育 た な か っ た 日 本 社 会 に 人 間 尊 重、 平 等、 自 由 が 持 ち 込 ま れ て も ま る で な じ ま な か っ た。 そ こ に は 修 身 科 に 対 す る 理 論 的 反 省 は 成 り 立 た な い。 従 来 の 日 本 社 会

(6)

は 権 威 主 義 的 で 家 族 主 義 的 で あ っ た。 戦 後 日 本 で は 初 め て 子 供 を 人 と し て 認 め る 児 童 憲 章 ( 昭 和 二 六 年 )が 成 立 し て い る。 こ の よ う に 人 間 の 尊 重、 平 等 が 少 し つ つ す す ん だ が、 極 度 に ﹁ 昔 の 修 身 教 育 の 復 活 を 恐 れ る 故 に、 人 々 は、 道 徳 教 育 に つ い て、 必 要 以 上 に 慎 重 に な っ た。 古 い 道 徳 の 排 除 さ る べ き 根 拠 を 明 確 に な し 得 ず、 し か も 新 ら し い 道 徳 の 受 け 入 れ ら る べ き 根 拠 を も 明 ら か に し 得 な か っ た 状 態 に お い て は、 確 信 を 持 っ た 授 業 を 期 待 す る こ と は 困 難 で あ り、 具 体 的 な 授 業 の 内 容 ( 23) も 構 想 さ れ な い の は 当 然 で あ っ た ろ う ﹂。 そ こ に は 道 徳 教 育、 修 身 教 育 へ の 理 論 的、 基 本 的 関 心 が な か っ た か ら で あ り、 ﹁ 道 徳 教 育 が 人 間 に と っ て ど う あ っ た ら よ い か と い う、 道 徳 教 育 の 根 本 の 在 り 方 の 問 題 に 向 け ら れ る こ と は で き な い。 そ の 問 題 は、 い わ ば あ ら か じ め 国 歌 に 委 ね ら れ て い る わ け で あ り、 し た が っ て、 一 般 の 国 民 に と っ て は、 そ れ を あ ら た め て 考 え る こ と 自 体 が 無 意 味 と す ら 感 じ ら れ る で あ ろ う か ら で あ る ﹂ と い う 状 態 で あ る。 独 自 に 仏 教 道 徳 を 主 張 す る 人 達 は、 仏 教 が 道 徳 教 育 に 本 質 的 な も の を 示 す も の と し て 明 治、 大 正、 昭 和 を 通 し て 基 本 的 に 変 ら ず 主 張 し た。 仏 教 の 世 界 観、 人 間 観、 そ れ は 善 行 を 通 し て 行 わ れ る も の で あ り、 十 善 業 や 七 仏 通 戒 偶 に よ る も の で あ る。 ユ ニ ー ク な 修 身 論 を 説 い た 小 原 国 芳 は ﹁ 教 育 の 目 的 は 人 生 観 が 極 っ て か ら 初 め て 極 る ﹂ と し、 そ れ は 其 の 自 己 を 知 る こ と で あ り、 其 の 自 己 を 知 る の は 宗 教 で あ る と し て い る。 そ れ は 仏 教 の 基 本 で も あ る。 道 徳 と 宗 教 と の 混 同、 政 治 的 道 徳 へ の 表 面 的 批 判 で は な く 確 か な 誤 り と し て 本 質 的 な 批 判 が な さ れ な け れ ば な ら な い し、 そ れ は 仏 教 の 基 本 に も と つ い た 仏 教 教 育 に よ ら な け れ ば な ら な い こ と は 明 ら か で あ る。 1 吉 田 熊 次 ﹃ 国 民 道 徳 と 教 育 ﹄ 明 四 四、 九 二 頁 2 同 書 九 三 -一 〇 二 頁 3 同 書 二-六 頁、 明 治 三 七 年 国 定 修 身 書 が で る 4 吉 田 利 行 論 ﹃ 小 学 修 身 鑑 ﹄ 明 一 八、 巻 一 (孝 行、 悌 道、 忠 義、 学 問 ) 5 ﹃ ち こ の を し へ ﹄ 東 京 府、 明 二 〇 6 ﹃ 十 善 法 語 ﹄ 真 言 宗 転 法 論、 明 一 七 7 釈 霊 照 ﹃ 十 善 業 道 経 講 義 ﹄ 明 四 二 8 禿 了 教 ﹃ 道 徳 の 栞 ﹄ 明 二 七 9 宝 達 城 澄 ﹃ 国 民 教 育 仏 教 道 徳 談 ﹄ 明 三 六 10 同 書 一 八 -二 〇 頁 11 斉 藤 唯 信 ﹃ 仏 教 倫 理 の 大 観 ﹄ 明 三 六 12 斉 藤 唯 信 ﹃ 仏 教 倫 理 ﹄ 明 四 三 13 安 藤 鉄 腸 ﹃ 仏 教 少 年 修 身 読 本 ﹄ 明 三 八 14 湯 原 元 一 ﹃ 新 制 中 学 修 身 教 本 ﹄ 巻 一、 二、 三、 昭 三 15 文 部 省 ﹃ 尋 常 小 学 修 身 書 ﹄ 巻 一-六、 大 七-十 一 16 斉 藤 昭 俊 ﹃ 近 代 仏 教 教 育 史 ﹄ 昭 五 〇 17 堀 之 内 恒 夫 ﹃ 我 国 の 修 身 教 育 ﹄ 昭 一 四、 18 平 野 春 江 ﹃忠 孝 之 研 究 ﹄ 昭 十 一 19 同 書 七 頁 20 堀 之 内 恒 夫、 同 書 二 三 三 頁 21 平 野 春 江、 同 書 四 〇 二-三 頁 22 唐 沢 富 太 郎 ﹃ 世 界 の 道 徳 教 育 ﹄ 昭 三 六、 一 一 五 〇 頁 23 同 書 一 一 七 七 頁 24 村 井 実 ﹃ 道 徳 教 育 原 理 ﹄ 平 成 二、 四 九 頁 25 小 原 国 芳 ﹃修 身 教 育 論 ﹄ 昭 八、 一 五 頁 < キ ー ワ ー ド >修 身 教 育、 道 徳 教 育、 宗 教 教 育 ( 大 正 大 学 教 授 ) 仏 教 教 育 に お け る 戦 前 と 戦 後 (斎 藤 )

参照

関連したドキュメント

Fiscal Year 1995: ¥1,100,000 (Direct Cost:

[r]

[r]

オーディエンスの生徒も勝敗を考えながらディベートを観戦し、ディベートが終わると 挙手で Government が勝ったか

以上のような点から,〈読む〉 ことは今後も日本におけるドイツ語教育の目  

 日本語教育現場における音声教育が困難な原因は、いつ、何を、どのように指

Budget Amount *help ¥2,200,000 (Direct Cost: ¥2,200,000) Fiscal Year 2007: ¥700,000 (Direct Cost: ¥700,000) Fiscal Year 2006: ¥700,000 (Direct Cost: ¥700,000) Fiscal Year

理系の人の発想はなかなかするどいです。「建築