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智山學報 第63 - 014増山 賢俊「亮恵の事績について」

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全文

(1)

つ い

 

 

 

亮恵の事績につ い て 増 山

 

代 後 期 院 政 期 ) か ら 鎌

時 代

に お い て 、

野 山 を 含 め た 地 域 に お

る 、

関 係 の

院 で

し た 人

る こ と を

し て 、 院 政

か ら

初 期 の

の 全

像 を 明 ら か に し よ

と 試 み て い る 。

ま で 、 仁 和

と 関 わ り を 持 つ

大 僧 都 (

七 二 〜 一 二

Q

七 ) 、

寺 と

和 寺 に 関 わ

る 仁 和 寺

厳 院 景 雅 ( 一 一 〇 三 〜 一 一 八 七 〜 一 一 八 九 ? 〜 ) 、 景 雅 の

子 で

り 、

寺 ・ 勧 修

と 関 わ

三 二 〜 一 二 〇 九 ) を 取 り 上

て き た 。

回 は

ち 、 内 山 永 久

開 山 に 関 わ る 真 乗 房

( 一 〇 九 八 〜 一 一 七 三 〜 ? ) の

績 に つ い て

し て い く 。 ま た

恵 は

に 取 り 上

澄 に も

法 し て お り 、 そ の よ

な 面 か ら 人 的 繋 が り に つ い て も

討 し て い く 。

 

が 住 し た 興 福

内 山

久 寺 は 、 石 上

の 南 、 奈

県 天 理

町 と 園 原 町 に ま た が る 地 に か つ て

し た

院 で あ る 。

か ら 現

ば れ る 池 を

し て 果 樹 園 と な り 、 現 地 に は

石 を

も 残 さ れ て い な い 。

に な っ た

、 資 史

又 は

し た 。 そ の た め 、

恵 に つ い て の

ま り 残 っ て い な い 。 こ の こ と は 、 東

国 立

編 『 内 山 永

史 と

』 「 研 究 編 」 掲 載 の

・ 子 院 の 配 置 と そ の

元 」 に

し い 。

お よ び 関

て い く こ と で 、

恵 の 立 場 を 明 ら か に し た い 。 た だ し 、

動 に つ い て は 別

稿

を 予

し て い る の で

稿

で は

略 す る 。

(2)

智山学報 第三輯 一

 

に つ い て  

恵 に

る 重 要 な 史

は 「

久 寺 置 文 」 、 「

山 之

」 で

る 。 「 内 山

置 文 」 は

京 国 立 博

館 に 、

山 之 記 L は

の 水 図 書

に 所

さ れ ・ 『 内 山 永 久

の 歴

と 美 術 』 ・

L に 翻 刻 さ れ て い る ・ な お ・ 同 書 以 前                             ( 2 )                             ( 3 ) に も 『

 

編 』 下

、 『 改 訂 天 理

編 』 一 巻 に

さ れ て い る 。 「

」 の 成 立 は

( 一 三 一 七 )

と さ れ

山 之 記 」 は 文 保 元 ( = = 七 )

ま で の 記 述 し か な い た め 、 そ れ に 近 い

立 と 推

さ れ て い る 。 両

と も

恵 の

命 中 の 成 立 で は な く 、 完 全 に 信

で き る 史 料 で は な い が 、

が か

                    ( 4 ) に

か せ な い 。 先 行 研

で は 皆 こ の 文 献 を 挙 げ て い る ( 以 下 引 用 の 中、 傍 注 は ( ) に 括 り 本 文 の 中 に 入 れ る 。 一 部 左 右 に 表 記 す る 。 [ ] は 割 書 、 朱 書 は 『   』 で 表 記 す る ) 。         〔 5 >   「

山 之 記 」 に よ れ ば    

    一 亮 恵 上 人 御 房 御 誕 生 、 承 徳 二

、       灌 頂 、 天 承 元

二 月 十 二 日 [

辰 ] 、       御 入 滅 、 文

二 年 五 月 廿 八 日 、 八 十 九

と あ り 、 承 徳 二 ( 一 〇 九 八 )

に 生 ま れ 、 天 承 元 (

= = 〉

二 月 十 二 日 に

頂 を

、 文 治 二 ( = 八 六 ) 年 五 月 二

八 日 に 八 + 九

で 入

し た こ と が 分 か る ・ 入 滅 に 関 し て は

山 永

置 文 」

墓 処

L に も    

恵 聖 人       亡 日 五

廿 八 日 、

[ 追 つ て 勘 合 之 れ を す べ し 、

寿

永 の 比 か ] 、 墓 所 白 墓 西

北 辺

頗 云 々 、       聖 人 は 元 興

々 僧 、 俗

国 々 民 、 地

源 藤 三 の 一 族 な り 。 本 願 前

言 師 範 な り 。 と あ

八 一 〜 = 八 二 ) ・ 寿 永 ( = 八 二 〜 一 一 八 四 )

間 の 頃 で は な い か と さ れ て お

、 亡 く な っ た 日 は 五 月 二 十                            

 

   

 

   

 

   

 

                          ( 7 ) 入 日 と 】 致 し て い る が 、 没 年 は 不

る 。 没 年 に つ い て は 、 他 に も 「 内 山 永 久 寺 縁 起 」 に

166

(3)

亮恵の事績につ い て (増山  

 

 

の 石

、 御

堂 の

の 山 に あ り 、 是 本 願 亮 恵 上 人 の

な り 、 文

廿

八 日 入

、 于

八 十 九  

 

 

。 と

と な っ て い る 。   「 内 山

」 で は 元 興

と さ れ て お

氏 に よ っ て

さ れ た 江 戸 時

成 立 の 「 内 山 上 乗 院

伝 」  

 

    ( 8 ) の

に  

 

   

 

  ケ イ  

 

( 『 先 徳 畧 名 』 ) [

院 家

]  

 

   

 

                  モ ト  

 

房 と 号 す 、

氏 、 元

元 興

の 人 、

に 醍 醐 三 密 房 聖

に 随 つ て

法 を

く 、

に 門 人 五 哲 ( 『 雑  

 

秘 録 』 ) の 一 と

。 又

の 淳

闍 梨 に 遇 ひ 、

弘 通 の 開

羽 法 皇 ( 『 土 去 抄 』 ) 及 ひ

 

 

0

『 左 府 頼 長 公 』 )

帰 依 無

の 人 な り 、 付 法 五 人 。 と

る が 、 元

で あ っ た と い

料 は な い が 、 「

山 永 久

」 に

で に 見 ら れ る の で あ る か ら 、 信 頼 し て

い で

。 ま た 、 「 内 山 上

」 に お け る

恵 の

は  

 

『 古 記 』  

 

 

月 日

 

 

 

誕 生  

 

『 印 信 』                   三 十 四 才  

 

  天

三 日

 

 

頂 [

阿 三

口 ]  

 

『 秘 記 』  

 

  『

 

日 於 東 小 田 原

丁 重

ア サ リ 』  

 

『 官 府 』                 六 十 七 才  

 

  長

二 十 日

 

  補 阿

醍 醐 + 一 口 之 内  

 

『 血 脈 抄 』                 七 十 四 才  

 

  承

八 月 廿 二 日

 

 

子 慈 信

167

(4)

智 山学報 第 六 十 三 輯 『 恵 厳 口 伝 』  

十 二

廿

四 日 山 階 寺 相 応

壇     『 古 記 』               八 十 九 才      

五 月 廿 八 日

 

 

卒 ◎       ( 『 旧 来 用 治 承 二 年 説 ヲ 誤 也 』 ) と な っ て い る 。                           ( 9 )   灌

に 関 し て は 、 『 血 脈 類 集 記 』 の

剛 王 院 流 祖 三

房 阿

( 一 〇 八 三 〜 一 一 四 七 ) の

の 一 人 と し て    

 

[ 阿

内 山

乘 房 と

す 。 天 承 元 年 二 月

三 日 入 壇 。

四 十 九 。

三 十 四 ] と 記 さ れ 、 金

王 院 流 を

し た

言 僧 で

は 聖

で あ る こ と が 分 か る 。 ま た 、 醍 醐 寺 蔵 本 『

資 相 承   ( 10 ) 血 脈 』 の 金

王 院 流 の

に お い て 聖

に    

惠 [ 眞 乗

阿 闍

 

内 山

 

『 天 承 元

 

 

三 入 壇

 

四 十 四 ( 廿 五 イ ) 師 四 十 九 ( 六 □ ) 』 凵 と あ

は 同 じ く 天

元 ( = 三 一 )

十 三 日 と な っ て い る 。 灌 頂 を

け た 日 が 「 内 山 之 記 」 で は 「 二 月 十 二 日 」 と

さ れ て い る

か ら 、 『 血 脈

記 』 ・

醐 寺

師 資

承 血

』 と は 一 日

い と な っ て い る が 天 承 元                                                                         ( 11 ) ( 一

= )

け た こ と は 間 違 い な い 。 聖

が 亮 恵 の

る こ と は 、 『 野

』 に も                 内 山 眞 乘

賢 圓 少 別 當 子

澄 任 玄 ( 以 下 略 )

168

と 記 さ れ て い る 。 『 醍 醐 寺 新 要

』 「 金 剛 王

        ( 12 )

流 血 脈

L に も

(5)

聖 賢 三 密 房 阿 闍 梨 ( 罫 線 朱 筆 ) 源

孺     朗

蓮 惠 亮恵の事績につ い て (増山

範 嚴

             

 

   

 

   

 

   

 

                             

 

  ( 13 ) と 、 聖 賢 付

の 一 人 と 記 さ れ て い る 。 『 続

録 』 「 醍 醐 山 金 剛 王 院 開 祖 聖 賢

」 の 中 に も     付

二 十 三 人 [

三 人

 

 

淳 寛 [

に 見 え た

賢 [ 高 野 ]

 

[ 醍 醐 ]

慧 [ 内 山 ] 淳 覺     [

は 遠 江 の 阿 闍

 

[ 同 じ

は 高 禪 ]

 

行 淳 [

は 觀

 

濟 助 [ 仁 和 寺 、 後 に 和 州 内 山 に 居 す 、     上 野

安 之

 

[ 醍 醐 ]

 

 

[ 遍

法 橋 ]

 

海 [

は 民

阿 闍

 

覺 [

の 上 人 ]

 

幸     [

は 圓 淨 ]

 

俊 [

州 内 山 ]

 

は 淨

 

惠 [

に 慶 蓮 と 改 む 、

性 ]

 

[ 戒 を

 

[ 醍 醐     山 龍

1

阿 [ 字 は

地 ]

 

[ 和 州 壺

の 上 人 付 法 一 人 ]

 

蓮 顯 [

言 ] と 、 亮 恵 の

さ れ て い る 。 こ れ に よ れ ば 、

恵 以

に も 永

と し て

助 ( 一 一 〇 一 〜 一 一 三 六 〜 ) 、 隆

生 没 年 未 詳 ) の

が 挙 げ ら れ る 。              

 

   

 

   

 

  ( 14 )   『

』 「 金 剛 王 院 流 血 脈 次

」 に も

(6)

智山学報 第六十三輯

簿

                                                    ( 15 ) と あ る 。 同

に 『 野 沢

血 脈 』 「 総 合 三 宝 院 流 勝 賢 三 流 分 」 に も 聖 賢

と あ る 。                                         ( 16 )   一 方 、 『 野 沢

』 「 金 剛 王 院 流 血 脈 次

」 の み                     蓮 花 院 僭 正 と 號 す 聖 臥 . 源 蓮

と あ り 、 摂 津

都 源 運

2

一 一 二 〜 】 一 八 〇 ) か ら

法 し て い る と さ れ て い る が 、 他 の

料 で は 見 ら れ な い 。

170

(7)

亮恵の事績 につ い て (増 山                                 ( 17 )  

に つ い て は 『 血 脈 類 集 記 』 に     醍、 十 二 代 。 聖 賢 阿 闍 梨 弟 子    

 

付 法 七 人    

        金

王 院 聖

阿 闍

灌 頂 資 。

阿 闍

。 」       慈

 

中 納 言 爲 逋 宰 相 息 。 承 安 元 年 八 月 二 十 二 日 之 を 受 く 。         澄 。 乎       朗

 

文 泉 房 、 重 受       任 玄

 

改 名 蓮 惠 、 大 輔 上 人       慈 源

 

禪 臺 房       覺 心

 

靜 觀 房       敏 惠

 

越 前 得 業       圓 海   已 上 二 人 同 日 に 之 を 受 く 。                                                           ( 18 ) と 、 七 人 に

を 伝 え て い る 。 『 続

広 録 』 「

州 内 山 阿

慧 伝 」 に も

法 の

子 が 記 さ れ て い る が    

慧 、 字 は

な ら ず 。

の 大 徳 に し て 雷

人 を 駭 か す 。 付

五 人 あ

。 謂 く

 

爲 通 の 子     な り 。 圓 海 [

山 ]

 

惠 、 字 は 越

の 得

と 日 ふ 。 覺 心 、 字 は 静 觀 、

橋 上 人 位 に 任 ぜ ら る 。 天

州 書

山     の 俊

上 人 、

國 を

し て 二

堂 七 間 を 建 立 し 、 ( 覺 ) 心 を

し て 落 慶 唱 道 ( 導 ) と

。 朗

は 文 泉 、 石 山 に    

す 。 任 源 、

に 蓮 惠 と 改 む 、 字 は 大

上 人 。 ( 以 下 略 ) と あ り 、

七 三 〜 ) の 名 は 記 さ れ て い な い 。                     ( 19 )   『 伝

』 に お け る

に つ い て は 171

(8)

智 山学報第六三輯 聖 賢 ・ ・     内 山

恵 『 治 承 ニ ー 夏 任 玄

 

改 名 蓮 恵 随 念 房 法 相 宗   禪 臺 房 慈 源 信 源

 

善 順 房 覺 心

 

靜 観 房 慈 信   中 納 言 公   為 通 宰 相

1

興 然 理 明 房 円 教 海 惠 と な っ て お り 、 勧 修

理 明 房

然 ( 一   ま た 、

修 寺 流 に 関 し て は 越 前 得 業 満 月 房                           『 四 巻 鈔 』    

寛 信

寛 [

阿 闍 梨 ]

1

惠 [

房 ]

榮 然 − 聖

と あ

阿 闍

二 一 一 〇 〜 一 一 五 〇 〜 ) か ら

け た こ と が 分 か る 。

か ら の

法 は 『 四 巻

』 「 聖

軌   ( 21 )

秘 」 の 血 脈 に も    

亮 慧

朗 澄

榮 然 −

信 忠

榮 海

1

胤 と あ る 。  

に お い て

流 ・ 勧 修

流 、

方 に お い て 金 剛 王 院 流 ・ 理 性 院 流 を

広 く

し た 醍 醐

僧 で あ り 、

が 勧 修

一 〇 八 四 〜 一 一 五 三 ) か ら

脈 は 亮 恵 を 経

し て

然 に 流 れ て い る が 、

に 流 れ た 亮 恵 の

ま た

流 の 中 で 重

脈 と し て

け 止 め ら れ て い た と い え よ

。 こ の こ と か ら

も ま た

か ら 教 え 一 二 } 〜 一 二 〇 三 ) が 入 る 代 わ り に

は 見 ら れ な い 。             ( 20 )   「 聖

」 の 血 脈 に

172

(9)

亮 恵の事 績につ い て 増 山 を 受 け た の で

。 ま た 、 勧 修

流 で あ っ て も

澄 を

宝 、 栄 然 、

忠 と

流 れ も

る 。        

 

 

 

 

                ( 22 )   ま た 、 『 四 巻 鈔 』 「

支 灌 頂

相 伝

」 に は     予 、

に 云

の 口 傳 に 云 く 一

一 兀

興 然

    又

懷 尋

勝 覺

云 々 此 の

傳 な

       

 

 

 

 

                          賢 。 カ と い

興 然 が 実

一 〇 九 七 〜 一 一 六 九 ) か ら

え た 血

恵 か ら

た 血 脈 を 挙 げ た 上 で 、 さ ら に 口 伝 に 云 く と し て 、 良 勝 ( 一 〇 七 九 〜

五 九 〜 ? ) の 相

に つ い て は 我

〔 生 没 年 未 詳 ) が こ れ を

え 、

恵 の 伝 に つ い て は

慈 ( = 四 七 〜 一 二 二 六 ) が こ れ を 伝

た と し 、 そ れ に

し て

願 興

信 、

勝 、

恵 の 三

え て い る と し て い る 。   す な わ ち 、

伝 の 具

任 に

け 、

に 伝 え 醍 醐 流 相 伝 の 具 支 灌 頂 儀

恵 に 受 け て 、 行 慈 に 伝 え た こ と に な る 。   以 上 か ら 、

ら れ た 勧

寺 流

統 の

が 醍 醐 に 伝 わ り 、 あ ら た め て

し た も の で あ る の か 、 元 々 元 呆 か ら

わ る

醐 寺 流

恵 を 経 由 し て 受 法 し た と

る 二 通 り 考 え ら れ る が 、

定 は 難 し い 。        

 

 

 

 

  ( 23 )   興 然 は 『 血 脈 類

』 に よ れ ば     幼 稚 に 從 ひ 寛

務 に 隨 ひ

摩 諸

儀 軌

け 了 ん ぬ 。

頂 の

な り 。 理 明 房 阿 闍

す 。     又 慈

院 阿 闍

と 云 ふ 。 又

に 値 ひ 、 保 元 二

重 受 す 。 又 内 山 眞

ひ 應 保 二

す 。     建 仁 三

十 一

三 十 日

。 [ 八 十 四 ] と あ り 、 応 保 二 (

六 一 一 )

頂 を

け て い る 。        

 

 

 

 

                                         

 

 

 

 

                              ( 24 )   ま た 、 興

法 の

四 三 〜 = = 三 〜 ) が 記 し た 『

二 十 九 「 理 趣

下 」 の 「 十 八 会

羅 図 」 を

173

(10)

智山学報 第六十三輯 て 「

本 に 云

」 と し て 以 下 の

せ ら れ て い る 。     應

二 年 五 月 二 十 二 日

阿 闍 梨 に 之 を 傳 へ

ん ぬ 、 興

 

( 然 ) 。 但 し 「 法 務 御 記 」 は

日 之 を

ふ     興

1

( 然 ) 。 こ れ に よ れ ば 、 応

二 (

六 二 )

恵 か ら 興

が 『 理 趣 経 』 「 十 八

曼 荼 羅 図 」 を

た こ と が

ら れ る 。 「

御 記 」 は そ の

に 記 さ れ て い る 「

口 傳 に 云 く 、

途 本 有 十 七

、 小

御 本

十 八 會 」 を 指 し 示 し て い る と 考                        

 

   

 

   

 

   

 

        ( 25 ) え ら れ る 。 そ れ 以

に 『 覚 禅

二 「 仏 眼 」 の

段 の

に    

惠 の 云 く 、 三

の 諸 尊 、

部 、 蓮

部 、 金

部 な り 。 三 部 の 言 を 以 つ て 次

に こ れ を

る な り 。 と い

が 見 え る 。 こ の よ う に 『

』 に は 、 興

恵 か ら

た と

え ら れ る 口

が で き る 。                        

 

   

 

   

 

   

 

                          〔 翆   同 じ く

僧 で

泉 房 朗 澄 は 、 『 石 山

記 録 』 永 暦 元 (

六 〇 )

に     六 月 廿 日 朗 澄

め て 内 山 眞 乘 房 阿 闍 梨

惠 に

付 し て 、 諸 覃 の

尾 廿

の 間

分 の

『 石

』 に    

り 。 其 の 口

を 記 さ る 。 時 に 年 廿 九 。                        

 

   

 

   

 

   

 

                  ( 27 >                                 ( 28 ) と あ る よ

に 、 亮

か ら

期 間 に わ た り 教 授 を 受 け 、 そ の

容 は 『 石

』 に 記 し た と さ れ る 。 月

氏 に よ れ ば 、 永 暦 二

2

一 六 一 )

に 、

に て

澄 に 内 山 の 許 可 を

け ( 『 石 文 相 承 』 ) 、

保 二 (

六 二 )

に も 内 山 の

を 授 け て い る ( 『 石 文 相 承 』 ) 。

六 三 )

に も 、 醍 醐 寺 蓮

院 に て

灌 頂 を 授 け た 、 と さ れ る ( 『 石 文 相 承 』 ) 。   ま た 、

か ら

た か 不 明 で あ る が 、

二 (

七 二 )

に 慈 信 〜 一 一 七 一

が 内 山

房 に お い て

を 受 伝 し た

が 石 山

聖 教 目 録 の 「 胎

界 伝

法 」 「 三

」 「

法 灌

法 」 「 金 剛 界

              ( 29 )

」 合 一 巻 の

に                        

 

    『 奉 受 』               『 朗 澄 』     承

一 日 於 内 山

之 本 と あ る こ と か ら 分 か る 。 「 之 之 」 と 「 慈 信 」 の 部

は 朱 書 に よ っ て

き さ れ 、 そ れ ぞ れ 「

」 と 「 朗 澄 」 と

174

(11)

亮恵の績につ い て 増山) ら れ て い る 。 そ れ ら の こ と か ら 、 承

二 (

七 二 )

信 が

し 、 書 写 し た 本 を

澄 が 譲

け た こ と が わ か る 。

澄 が

か ら

さ れ た か 不 明 で

る が 、 お そ ら く 慈 信 か ら

し た 可 能

い 。 場 合 に よ っ て は

ち 、

か ら

け た 可

性 も 考 え ら れ る 。

 

   

 

   

 

  ( 30 )

 

ま た 、 『 血

記 』 の 勧 修

法 務

の 付 法 の 裏 書 に 、 「 寛 信

」 を 記

中 に

四 天 王 を 載 せ 、 そ の 一

と し て 「

子 ] 」 を 挙 げ る 。

 

   

 

  ( 31 )

 

『 野 沢 血

』 の

寺 座 主

洞 院

2

〜 一 一 九 六 ) の 付

子 に も 「 朗

」 の 名 が 見 ら れ 、 そ の

に 「

師 」 と

り 、 そ の 下 に は

き で 「 石 山 。 文 泉 房 。

僭 正 に 入

法 す 。 『

』 に

え た

。 又 聖 賢 の 弟

 

   

 

   

 

                             

 

  32 ) 子

な り 」 と

恵 の

が 見 ら れ る 。 『

血 脈

』 に も 聖

の 付

と し て 「 朗 澄 」 の

ら れ る 。

 

   

 

   

 

                    〔 33 )

 

ま た 、 「

」 「 山 務 管 領 次 第 」 に は

子 と し て

 

  蓮

輔 上 人 随 念 房 ]

 

   

上 人 弟 子

 

   

 

   

 

                             

 

   

 

   

 

( 34 ) と 蓮

( 〜 一 一 七 三 〜 一 一 八 六 〜 ) の

が 見 ら れ る 。 「 内 山 寺 院 補

第 」 に も

 

  蓮

[ 大

、 口 院

惠 上 人 、

弟 子 、 隨 念 房 ] と

が 見 ら れ る 。

 

以 上 こ れ ま で 見 て き た こ と を ま と め る と 、

の 生 ま れ は 承

二 ( 一 〇 九 八 )

で 、 天

元 (

三 一 )

に 聖 賢 よ り 三

を 授 け ら れ た こ と が 分 か る 。

次 は 不 明 で あ る が

流 を 授 け ら れ て い る こ と が 知 ら れ る 。

は 、 勝

( 一 〇 五 七 〜 一 一 二 九 )

1

と 流 れ る 金 剛 王

し て い た と

え ら れ る が 、

が 淳 寛 か ら

し た 血

に つ い て は

流 し か 確 認 さ れ て お ら

か ら 金

流 を

け 直 し て い た か は

明 で あ

、 お そ ら く 聖 賢 よ り

法 で き な か っ た 勧

流 の 血

を 兄

法 し た と

え ら れ る 。

175

(12)

智山学報 第六十三輯

 

に つ い て は 文

二 ( 一 一 八 六 )

五 月 二

八 日 に 八

で 入 滅 し た

も あ る が 、 確

で き な い 。

 

の 弟 子 と し て 慈

( 任 玄 ) 、

源 ( 玄 ) 、

心 ( 〜 一 一 七 八 〜 一 二 三 三 ?

、 教

没 年 未 詳 ) 、 円 海 ( 生 没 年 未 詳 ) 、 興 然 の 名 が

ら れ る 。

的 で は な い が 、 『 四 巻

』 に お け る

伝 に

る 口

で は

前 が 見 ら れ る こ と か ら 、 行 慈 も

ま れ る 可

が あ る 。 聖

の 済 助 、 隆 基 も

恵 と 共 に

寺 の 僧 で あ

恵 と 密

な 関 係 が あ っ た と

え ら れ る 。 二

 

に つ い て   亮

は 『 伝 灯 広 録 』 に お い て 「

時 の

徳 に し て

人 を

か す 」 と

わ れ た

で あ

、 そ の

を 「 内 山 永 久

「 内 山 之 記 」 に

く 見 る

が で き る 。  

 

   

 

                             

 

   

 

   

 

   

 

        〔 35 )  

寺 に お け る 亮 恵 の 活 動 を 見 て い く と 「

」 で は 「 仏

」 の

の 記

に  

 

三 年 五 月 十 四 日 之 を 始 む 。 日 来 之 を

す と

も 相 ひ

く 断

と 云 々 。 上 座

、 説 戒 随 念 房 、  

 

房 、 維 那 禅 台 房 、

参 二 十 三 人 [ 内 、 未

一 人 ] 、

界 同 じ

之 を

む 。

陀 羅 尼 三 反  

 

之 れ を 誦

罪 の

な り 。 承 安 三 年 十 一

廿

九 日 布 薩 、 本 願

に 信

1

( 円 )

願 ] 御 結 縁 。  

 

[ 云 々 、 『 在 暦 記 』 、 ] と あ

安 三 ( 】 一 七 三 )

薩 に 上 座 と し て 出

し て い る こ と が わ か る 。 ま た 、

恵 の

法 の 弟 子 の 蓮 恵 が 説

師 、

心 が 唄 師 、 慈 源 が 維 那 を 勤 め て い る 。  

 

   

 

( 36   ま た 、 「

」 の

目 に  

 

本 願

正 『 御 暦 記 』 に 云 く 、  

 

 

応 元 年 七 月 廿 八 目 、 蝕 祈 、 仁 王

、 五

虚 空

之 を

[ 云 々 ] 、 ( 中 略 )  

 

  同 ( 承 安 三 )

十 一 月 十 三 日 、

山 に

て 形 の 如

恩 講 を

日 之 を 思 ひ 立 つ 。

長 [ 侍

] 、 間

蓮 恵

176

(13)

亮恵の事績につ い て (増山)    

 

[ 随 念

U 、

 

客 阿

五 人 な り 、 形 の 如

あ り 、 予

( 円 ) 同    

 

じ く 云 々 。    

 

四 日 、

山 に

て 出 家 す 、

鐘 の 後 な り 。 戒 師 阿 闍 梨 亮 恵 、 明 日 阿 闍 梨 請 用 の 上 、 忌

に 依 る な り 。 と あ り 、 嘉 応 元

六 九 )

二 八 日 に 本 願

正 興 福 寺 大 乗 院

( 一 一 〇 一 〜

七 四 ) が 、

と 五 大 虚 空 蔵

し て い る 。 こ こ に

恵 が 出

を し て い る 。 そ し て

三 ( 一 一 七 三 )

十 一 月 十 三 日 に 慈 恩 講 が 修 さ れ た が 、

が 当 日

に 思 い 立 っ て

わ れ た も の で 、 そ の

恵 が

め て い る 。 ま た 、 亮 恵 の 弟 子 蓮 恵 が 間

、 慈 源 ( 玄 ) が 唄 を そ れ ぞ れ

め て い る 。

は 五 人 と さ れ る が 、 四 人 の

し か

げ ら れ て い な い 。  

の も と 元 興

僧 で 金 剛 王

え て い る 。

寺 で あ る こ と か ら 、

は こ こ で 慈

講 を

っ た の で

る が 、

が 「

阿 闍

」 と さ れ る の は 、

恵 が

山 に お け る

の た め に

か ら

か れ た か ら と も

さ れ る 。   翌

四 日 に も

門 の

得 度 に あ た り 、

師 阿 闇 梨 を

め て い る 。    

 

   

 

   

 

                             

 

    ( 37 )  

に 「

山 之 記 」 に 「 口 … 口 預 解 状 御 外 題

僧 亮 恵 、 睿 俊 連 署 解 ) 」 が

せ ら れ て い る 。 そ こ に は    

 

殊 に は 恩 裁 を 蒙 り 、 内 山

西 谷 を 供

に 付 し 、 堂 塔

し 勤 め ら る を

、     ( 右 ) 謹 ん で

す る に 、

、 内 山

庄 を 以 つ て ( 灯 )

供 田

に 配 せ 被 る の 時 、

せ る

    有 り 。 睿 俊 に 於 て 之 を

ふ 由 を 聞 こ し

し 、

せ ら れ て 云 く 、 容 俊 山 寺 の 住 僧 な り 。

知 る べ し 、 山

の 為 に     返

に 於 て は

ん で 山

略 を

者 か 。 而 る に 近

・ 宝 塔 漸

る の     み 。

恵 ・

に 及 び て 、 沙

は ざ る

り 成 り 候 の 上 は

幾 ば く な ら

。 又

り の 山    

て は 別 し て

き 輩

せ ら れ ぬ の

は 、 本 願 の

せ の 如 く 実 に 疎 略 を

か 。 嘆     く

な か ら ざ る が た め に 口 、 之 に 依

を 尋 ぬ る に 、

に 付 し て 、

年 番 口 口

汰 云 々 。 此     の

例 に

じ 、

: 口

の 下 人

び に 山

理 を 加 へ

に 口 … 口 か 。 又 亮 恵

177

(14)

智 山 学報 第六 十 三 輯    

の 比 を 以 つ て 、 内 山 に

て 、 是 の 堂 口

に し て 由

分 に 過 ぐ 、 仍 つ て

る べ き の 由

上 せ し む れ ば 、    

つ て

. 垣 内 の

田 を 以 つ て 施 入 し

ら し め 御 し 了 ん ぬ 。 其 の 田

、 六 段 な り 。

る 二 段 、

地 な り 。 毎    

の 本

ん で 四 石 四 、 五

な り 。 其 の

に 至

、 四 ヶ

を 以 つ て 御

理 せ し め

ん ぬ 。 又 、 去    

当 を 以 つ て

年 の 春 よ

六 堂 を

理 せ し む べ き な り 。

よ り 以

、 年 を 追 つ て

理 を

ふ べ し ( 葺

寺 ) な    

退 許 さ ば 、 両 谷 等 を 以 つ て

に 付 し て

理 せ し む れ ば 、

代 を 限 り て

か 。     望 み

ふ ら く は 、 恩 裁 早

解 状 の 旨 に 任 せ て 下 さ る れ ば 、

に 正 理 の

き を 締 ぐ べ し 。 仍 つ て 録 す る こ と

    以 つ て

。        

[ 己 丑 ] 二 月 七 日

 

  僧 亮 恵                                 僧 睿 俊        

き 供 僧 盗 昧

闕 の 時 、 山 僧 の

状 に 任 せ て 其 の

す べ き の 状

し 。    

在 御 判 と あ り 、

本 願 僧 都 頼 実 ( 一 〇 五 〇 〜 一 一 四 二 ) が 、 堂 塔

理 の た め に

し て い た 供 田 を

( 生 没 年 未 詳 ) に 配 分 し た 。 そ の

恵 ・ 睿 俊 も 高

に な り 、 山

の 沙 汰 が 出 来

幾 ば く も な い と 述 べ て い る 。 一 方 で 山 僧 の 中 で 本 願 の 仰 せ

け を 受 け て い な い

や 他 所 の 輩 で は 、 本 願 の 揮 せ つ け が

に な る 恐 れ が

る 。 そ こ で

く の

に 対 し て 、

に 修 理 を し て い

に 改 め て 沙 汰 を し て 貰 い た い と

し て

し て い る 。  

に は 、

恵 が

二 (

六 四 )

山 の 堂

と し て は

る よ

に な

を 行 な い 、 修 理 が 行 わ れ て

た 。 し か し 、 高 齢 で あ る た め 睿

理 を 辞 退 し 、

西 両 谷 の 田 を

っ て 供 僧 ・ 三 殊

に 付 す こ と で 彼

さ せ る よ う に

め て 沙 汰 を し て

い た い と

文 を

っ て い る 。 な お 、 解

の 最

に は

                                                          ( 銘 )                 ( 39 )

前 が 連 署 さ れ て い る 。

尾 の

判 は 「

」 、 『 興

』 に お け る 尋

績 か ら 河  

                                                                                                ( 41 ) 野

摘 に あ る よ

に 尋

で あ ろ

。                                       こ れ

け て 、                                                     「

山 永 久

置 文 し の 「 代 々 起

」 に は

178

(15)

亮葱の事績につ いて (増由    

西 両 谷 を 付 せ る 供

、 笠 し く 堂

び に 雑 役

め ら る べ

、       仁 安 四

二 月 七 日

 

恵 睿 俊

状      

ふ 如 く 沙 汰

べ し と [ 云 々 ] 、

 

正 [

] と 、 仁

四 (

六 九 )

西

せ る

二 二

等 に 堂

理 、

を 行 わ せ た い と の

恵 、 睿

「 沙

す べ し 」 と 認 め ら れ て い る 。 こ の 文

に あ る 「 以 上 両 通

願 蔑 大

正 尋

i

也 」 の 「 尋

1

」 と は

Q                                                       ( 42 ∀   ま た 、

げ た 「 内 山

」 「

亡 日

」 の 中 で 、

恵 は 元 興

僧 と な っ て い る が 、 元 興

と さ れ る

は こ れ の み で あ る 。 「 地

三 の 一

」 に つ い て は 明 ら か で は な い 。 た だ 贋 当

し と あ る こ と か ら 大

国 の 出

と 思 わ れ る 。 そ し て 、

教 の 師 範 と さ れ 、 頼 実 が

恵 か ら

ん で い た

ら れ る 。 『 血

記 艶

ら れ な い が 、

の 一 人 で

っ た と 思 わ れ る 。 ・

恵 の

  以 上 が こ れ ま で に

で き て い る

に 関

で あ る 。 こ れ ら を 踏 ま え て

を 作

し た 。 承 徳 二         ( 堀 河 天 蠱 〉 一 〇 九 八 年 大 冶 六 / 天 承 元 ( 崇 徳 天 皇 ) 一 = 二 一 年 保 延 二                      一 一 三 L ハ 血 + 永 治 二 / 康 治 元 ( 近 衛 天 皇 ) 一 一 四 二 年 仁 平 二                

五 二 年 保 禿 三 ( 後 白 河 / 一 一 条 天 皇

} 五 八 年 誕 生 三 四 歳 三 九 歳 四 五 歳 五 五 歳 六 一 歳 俗 姓 等 来 詳 。 聖 賢 よ り 灌 頂 を 受 け る 。                                         ( 給 ) 永 久 寺 真 雷 堂

慶 。 こ の と き 亮 恵 永 久 寺 に 来 る か 。 東 小 田 原 に て

寛 よ り 灌 頂 を 重 受 す る 。 「 胎 蔵 指 事 」 ・ 「 金 剛 界 指

」 を 書 写 す る 。 醒 醐 嵜 蓬 蔵 院 に て 興 然 に 『 降 三 世 法 ( 鍮 滅 経 説 ) 』 ・ 糊 降 三 世 法 ( 瑜 祇 経 説 ) 口 伝 』 を 授 け る 。

179

(16)

智山 学 報六 十 三 輯 平 冶 二 / 永 暦 兀 ・ 水 暦 二 /L 応 保 兀 応 保 二 応 保 一 二 / 長 寛 兀 長 寛 二 一 一 亠 ハ

O

年   ⊥ ハ 三 歳

六 一 年 六 四 歳 一 六 二 年   六 五 歳 一 六 三

  六 六 歳 = ハ 四 年   六 七 歳 仁 安 四 / 嘉 癒 元 ( 高

天 皇 )

六 九 年   七 二 歳 嘉 応 三 / 承 安 元 承 安 三 文 治 二 一 七 】 年   七 四 歳 一 ・ て 二 年   七 ⊥ ハ 止 戚 ( 後 鳥 羽 天 皇 )

入 六 年   八 九 歳 朗 澄 に 『 諸 尊 法 』 を 授 け る 。 醗 醐 寺 柏 森 に て 朗 澄 に ( 内 山 の 許 可 ) を 授 け る 。 興 然 に 『 仏 舎 利 法 ( 息 災 行 之 〉 』 ・ 「 修

口 伝 」 ・ 『 御 修 法 諸 法 隰 ・ 『 滅 悪 趣 尊 法 ( 滅 罪   息 災 行 之 ) 』 ・ 『 雨 宝 陀 羅 尼 経 法 』 を 授 酵 る 。 興 然 に 『 地 蔵 法 ( 増 益 行 之 滅 罪 ご ・ 『 伎 芸 天 法 ( 増 益 行 之   福 徳 法 也 ) 』 ・ 『 諸 尊 理 趣 会 壘 荼 羅 』 ・ 『 般 若 菩 薩 怯 ( 息 災 行 之 ) 』 ・ 『 理 趣 経 法 』 を 授 け る 。 朗 澄 に 内 山 流 の 灌 頂 を 授 け る 。 醍 醐 寺 西 光 院 に て 興 然 に 醍 醐 流 の 具 支 灌 頂 を 授 け る 。 醍 醐 寺 蓮 蔵 院 に て 朗 澄 に 内 山 流 秘 密 灌 頂 を 授 け る 。 醍 醐 寺 十 一 口 阿 闍 梨 に 補 任 さ れ る 。 長 寛 二 年 の 頃、 永 久 考 堂 塔 修 理 料 を 尋 範 に 串 請 す る 。 亮 恵、 睿 俊 と 連 署 で 永 久 寺 堂 修 理 を 辞 退 し 、 東 西 両 谷 の 住 僧 に 蓬 せ る 解 文 を 尋 範 に 提 出 し 、 認 め ら れ る 。 永 久 寺 に て 、 仁 王 講 ・ 五 大 虚 空 蔵 法 に 出 仕 す る 。 慈 信 に 灌. 頂 を 授 け る 。 山 階 寺 相 応 院 に て 鎮 壇 す る 。 永 久 寺 に て 布 薩 に 上 座 阿 闍 梨 と し て 出 仕 す る 。 永 久 寺 に て 慈 恩 講 ( 導 師 尋 範 ) に 散 花 師 と し て 出 仕 す る 。 永 久 専 に て

門 出 家 す る 。 戒 師 を 勤 め る 。 入 滅 か ? 養 和 ・ 寿 永 年 問 の 説 も あ り 。

18e

こ の

譜 を

る と 、

恵 は 、

延 二 (

三 六 )

っ た と 考 え ら れ る 。 そ れ 以 前 は 、

で 活

し て

(17)

亮恵の事績につ い て 増 山 い た の で あ ろ

。 と

れ ば 、 興

小 田

を す る こ と は 永 久 寺 と 随 願 寺 の 関 係 に よ る

の で あ ろ

。 ま た 永 久

で は 、

の よ

な 立 場 で

し て い た の で あ ろ

か 。             三

 

つ い て  

恵 の

る 人

は 聖

寛 で

子 と

で き る 人 物 は 『 血 脈 類 集 記 』

に よ る と 慈

澄 、 蓮

( 任 玄 ) 、

源 ( 玄 V 、

心 、

、 円

、 興

で あ る 。

1

( 一 〇 八 三 〜 一 一 四 七 )                    

 

 

 

 

                                         

 

 

 

 

        ( 磁 )               ( 45 )   金 剛 王 院 流 の 流 祖 で

り 、 理 性 院 賢

( 一 〇 入 ○ 〜 一 】 五 六 ) の

に 当 た る 人 物 で あ る 。 『 血

記 』 『 野 沢 血 脈 集 』 、             ( 46 璃

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〔 47 ) 『 諸 流

頂 秘

』 、 醍 醐 寺 蔵 本 『

法 灌 頂 師 資 相 承 血

に よ れ ば 、

座 主 三 宝

僧 正

よ り

承 三 (

〇 八 )

に 二 六

法 し 、 そ の

と な っ て 久

三 (

四 七 ) 年 に 六 五 歳 で 入 滅 し た 醍 醐

僧 で あ る 。 天

元 (

三 一 )

四 九 歳 の

、 三 四

た と

え ら れ る 。

2

宰 相 阿 閣 梨

( 観

X

一 〇 〜

五 〇 〜 ) 『 血

』 ・ 『

法 灌

承 血

』 に よ れ ば ・ 勝

の そ れ ぞ れ の 付

子                    

 

 

 

 

        ( 51 )                                     ( 52 ) と し て 名

ら れ る 。 ま た 『 血 脈 類

』 、 醍 醐

『 伝 法 灌 頂 師

相 承 血 脈 』 に よ れ ば 理

か ら

ね て                 舘 )                     ( 54V                                           ( 55 ) 受 法 し 『 野 沢 血

』 、 『

』 、 醍 醐 寺 蔵

』 に よ れ ば

意 二

Q

七 四                    

 

 

 

 

            ( 56 ) 〜 一 一 四 八 ) か ら

し て い る 。 ま た 、 『 四 巻

』 に よ れ ば 、

20

八 四 〜 一 一 五 三 ) か ら の

記 録 さ れ て い る 。 つ ま り 小 野

に お い て は

寺 流

に お い て は 金 剛 王 院 流 ・ 理 性 院 流 を

法 し た こ と が 分 か る 。

3

慈 信 ( 〜 一 一 七 一 〜 )                   ( 57V             ( 58 )               弱 )             ( 60 )                 ( 61 )                    

 

 

 

 

                                      『 醍 醐 寺

要 録 』 、 醍 醐

  慈 信 は 『 血

記 』

』 、 『

』 、 『 野 沢

      ( 62V

承 血 脈 』

に よ れ ば 、 承 安 元 (

七 一 )

か ら 金

王 院 流 を

し た こ と が わ か る 。

181

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