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智山學報 第66 - 004池田 友美「『奉為嵯峨太上太后灌頂文』について(二) ー典拠の考察ー」

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Academic year: 2021

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)

袂 袒 典 拠 の 考 察 袂 袒

長 谷 宝 秀 編 ﹃ 弘 法 大 師 諸 弟 子 全 集 ﹄ 巻 上 所 収 ﹃ 奉 為 嵯 峨 太 上 太 后 灌 頂 文 』( 以 下 ﹃ 嵯 峨 皇 后 灌 頂 文 ﹄ ) は ︑ 嵯 峨 天 皇 ( 七 八 六 ~ 八 四 二 ︑ 在 位 : 八 〇 九 ~ 八 二 三 ) の 皇 后 で あ っ た 橘 嘉 智 子 ( 七 八 六 ~ 八 五 六 ) が 灌 頂 を 受 け た 際 の 表 白 文 と し て 伝 わ っ て い る ︒ 長 谷 宝 秀 [ 一 九 七 四 ] の 解 説( ) に よ れ ば ︑ 本 書 の 撰 者 は 檜 尾 僧 都 実 慧 ( 七 八 六 ? ~ 八 四 七 ) に 帰 せ ら れ る ︒ そ の 主 た る 根 拠 と し て 氏 は ま ず ︑ 智 積 院 第 二 十 二 世 動 潮 ( 一 七 〇 九 ~ 一 七 九 五 ) が 天 明 元 年 ( 一 七 八 一 ) に 刊 行 し た 本 書 の 版 本 の 註 に 触 れ て い る ︒ こ こ に み ら れ る 註 に よ っ て 本 書 は 実 慧 の 手 に な る も の と 指 摘 さ れ て お り ︑ ま た こ の こ と は 本 を 辿 れ ば 杲 宝 撰 ﹃ 東 宝 記 ﹄ 中 に か く 示 さ れ て い る こ と に 由 来 し て い る( ) ︒ 甲 田 宥 吽 [ 一 九 九 三 ] は ﹃ 奉 為 平 城 天 皇 灌 頂 文 』( 以 下 ﹃ 平 城 天 皇 灌 頂 文 ﹄ ) の 校 訂 に 用 い た 写 本 七 本 の う ち ︑ ﹃ 三 昧 耶 戒 序 八 本( ) 』 ( 嘉 暦 元 ( 一 三 二 六 ) ︑ 観 智 院 所 蔵 ) ︑ ﹃ 灌 頂 表 白 多 本 』( 平 安 後 期 ︑ 仁 和 寺 所 蔵 ) の 二 本 に は 外 題 に あ る よ う に ﹃ 平 城 天 皇 灌 頂 文 ﹄ 単 体 で な く ︑ そ れ に 続 け て 一 文 ご と に 改 丁 し て ﹃ 嵯 峨 皇 后 灌 頂 文 ﹄ が 書 写 さ れ て い る こ と に 触 れ て い る( ) ︒ 空 海 撰 述 と い わ れ る ﹃ 平 城 天 皇 灌 頂 文 ﹄ と ︑ 本 書 の 類 似 点 に つ い て は い く つ か の 情 報 が 明 ら か に さ れ て い る ︒ ﹃ 平 城 天 皇 灌 頂 文 ﹄ は 甲 田 氏 の 言 を 借 り れ ば ﹁ 四 段 の 文 章 を 合 し て 一 篇 と な し て い る ﹂ の で あ り ︑ こ の 成 り 立 ち に つ い て は 複 数 の 先 行 研 究 で 同 様 の 推 測 が な さ れ て い る( ) ︒ ま た ︑ 先 述 し た よ う に ︑ 複 数 の 写 本 を 目 に し た 甲 田 氏 が 本 書 に も 一 文 ご と − 59 −

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の 改 丁 な ど が 見 受 け ら れ る と し て い る こ と を 踏 ま え ︑ 筆 者 は 本 書 ﹃ 嵯 峨 皇 后 灌 頂 文 ﹄ の 成 立 に 関 し て ︑ ﹃ 平 城 天 皇 灌 頂 文 ﹄ の 存 在 が 少 な か ら ず 影 響 し て い る と い う 前 提 を 置 く と と も に ︑ 以 下 に 両 者 の 比 較 を 通 し て 論 考 を 試 み る こ と と し た い( ) ︒

先 に 述 べ た 如 く ︑ ﹃ 嵯 峨 皇 后 灌 頂 文 ﹄ は 四 段 の 文 か ら 構 成 さ れ て い る ︒ こ れ ら の 文 は ︑ 或 い は 灌 頂 や 皇 后 に 関 す る 内 容 を ︑ 或 い は 灌 頂 と は 無 関 係 と 思 わ れ る 内 容 を 持 ち ︑ そ れ ぞ れ に 異 な っ た 性 格 を 有 し な が ら も 現 在 は 一 篇 の ﹁ 灌 頂 文 ﹂ と し て 伝 わ っ て い る こ と を 示 し て お き た い ︒ ま た こ の ﹃ 嵯 峨 皇 后 灌 頂 文 ﹄ 中 の 文 章 は 後 の 学 匠 ら の 述 作 に 引 用 さ れ る こ と と な る が ︑ い ず れ の 学 匠 も 本 書 の 撰 者 を 空 海 ・ 実 慧 の ど ち ら か に 比 定 し て い る こ と が う か が え る ︒ そ れ ら の 引 用 元 を 示 す 記 述 は 一 貫 し て お ら ず ︑ 引 用 す る 人 物 に よ っ て 異 な っ た 解 釈 の 存 す る 点 は 前 稿 で も 指 摘 し た ︒ ま た ︑ 本 書 に は 各 種 経 論 を 引 い て ﹁ 袂 袒 に 説 か く ﹂ と 示 さ れ る 引 用 文 と 思 し き 箇 所 が 散 見 さ れ ︑ こ れ ら は 抜 粋 に 近 い も の も あ れ ば ︑ 典 拠 が 判 然 と し な い も の も み ら れ る ︒ 四 文 の 特 性 を 確 認 し つ つ 引 用 文 の 典 拠 に 考 察 を 加 え る と と も に ︑ 後 の 人 物 に よ る 引 用 で は ︑ そ の 作 者 を 誰 に 比 定 し て い る の か 再 検 討 し て み た い ︒ 二 袞 一 各 文 の 特 性 と 引 用 に つ い て 『 嵯 峨 皇 后 灌 頂 文 ﹄ に は ︑ 先 述 の 通 り ︑ ﹃ 平 城 天 皇 灌 頂 文 ﹄ に 拠 っ た も の と 思 わ れ る 記 述 が 少 な く な い ︒ ま た ︑ ﹃ 大 日 経 ﹄ ﹃ 金 剛 頂 経 ﹄ ﹃ 六 波 羅 蜜 経 ﹄ ﹃ 十 住 毘 婆 沙 論 ﹄ 等 の 経 論 を 援 引 す る 箇 所 が 散 見 さ れ る ほ か ﹃ 平 城 天 皇 灌 頂 文 ﹄ を は じ め ︑ 他 の 空 海 撰 述 か ら も 幾 つ か の 引 用 が 見 ら れ る ︒ ・ 第 一 文 − 60 −

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第 一 文 は ﹃ 平 城 天 皇 灌 頂 文 ﹄ と わ ず か な 字 句 の 相 違 が み ら れ る も の の ︑ 合 致 性 は 高 い ︒ 大 日 如 来 以 下 八 祖 の 来 歴 を 述 べ る 箇 所 は ﹃ 平 城 天 皇 灌 頂 文 ﹄ の 流 れ を 踏 襲 し て お り ︑ あ る い は 広 略 ﹃ 付 法 伝 ﹄ 等 に み ら れ る 文 書 か ら の 抄 出 と も い え る( ) ︒ [ 資 料 一 袞 一 ] ﹃ 平 城 天 皇 灌 頂 文 ﹄ 第 一 文 此 金 剛 一 乗 真 言 秘 蔵 ︒ 昔 釈 迦 如 来 掩 化 之 後 有 一 大 士 ︒ 名 曰 龍 猛 菩 薩 ︒ 対 於 金 剛 薩 堹 授 灌 頂 得 此 秘 教 ︒ 其 弟 子 龍 智 親 於 龍 猛 所 授 得 此 法 ︒ 彼 龍 智 菩 薩 年 九 百 余 歳     面 貌 三 十 許 ︒ 今 見 住 南 天 竺 国 流 伝 此 宗 ︒ 彼 弟 子 金 剛 智 大 唐 開 元 十 八 年 従 南 天 来 ︒ 始 伝 大 唐 ︒ 其 上 足 弟 子 大 広 智 三 蔵 天 宝 年 中 更 詣 龍 智 所 得 金 剛 頂 及 大 日 経 等 并 五 部 曼 荼 羅 等 還 帰 唐 国 ︒ 玄 宗 肅 宗 代 宗 三 箇 天 子          従 而 授 灌 頂 ︒ 受 持 仏 戒 修 行 三 密 法 門 ︒ 三 蔵 弟 子 授 伝 法 印 者 有 八 人 ︒ 其 一 人 名 曰 青 龍 寺 某 甲 ︒ 能 持 両 部 教 不 墜 師 風 ︒ 徳 宗 皇 帝 及 南 内 従 而 授 戒 入 壇 ︒ 斯 乃 第 七 伝 法 阿 闍 梨 也 某 乙 幸 逢 昌 泰 叨 濫 求 法 ︒ 厚 沐 聖 朝 雱 霈 之 沢 頼 大 師 慈 悲 之 力 以 去 大 唐 貞 元 二 十 二 年 ︒ 日 本 延 暦 二 十 四 年 六 月 十 三 日 ︒ 於 長 安 城 青 龍 寺 東 塔 院 灌 頂 道 場 ︒ 受 持 諸 仏 三 昧 耶 戒 授 五 部 灌 頂 ︒ 荷 両 部 曼 荼 羅 負 一 百 余 部 金 剛 一 乗 教 ︒ 忘 蜉 命 於 長 途 捐 泡 身 於 驚 波 ︒ 為 奉 酬 国 恩 還 帰 本 朝 ︒ 幸 遇 諸 仏 応 化 金 輪 運 啓 之 朝 ︒ 以 大 同 元 年 奉 新 曼 荼 羅 并 経 等 ︒ 従 爾 已 還 愚 忠 無 感 忽 経 一 十 七 年                              ︒ ( 中 略 ) 伏 惟 太 上 金 輪 皇 帝 陛 下 ︒ 因 円 昔 劫 果 満 前 生 ︒ 然 猶 慈 悲 未 極 衆 生 未 尽 ︒ 現 化 此 土 広 済 群 品 ︒ 脱 履 姑 射 遊 心 無 為 ︒ 為 護 法 城 権 現 受 法 之 相 ︒ 為 益 衆 生 聴 野 干 之 説 法 ︒ 喜 哉 今 日 之 四 衆 ︒ 幸 哉 此 夕 之 大 小 ︒ 奉 値 聖 父 聖 子       受 持 仏 戒 頓 入 仏 位 ︒ [ 資 料 一 袞 二 ] ﹃ 嵯 峨 皇 后 灌 頂 文 ﹄ 第 一 文 今 惟 此 金 剛 一 乗 真 言 秘 蔵 縁 起 者 ︒ 昔 釈 迦 如 来 掩 化 之 後 有 一 大 士 ︒ 名 曰 龍 猛 菩 薩 ︒ 詣 於 法 界 道 場 毘 盧 遮 那 仏 所 ︒ 対 於 金 剛 薩 埵 授 灌 頂 得 此 秘 教 ︒ 其 弟 子 名 龍 智 次 授 此 法 ︒ 彼 龍 智 年 一 千 余 歳     面 貌 三 十 許 ︒ 今 見 住 南 天 竺 国 流 伝 此 宗 ︒ 其 弟 子 金 剛 智 大 唐 開 元 十 八 年 従 南 天 来 ︒ 始 伝 唐 土 ︒ 上 足 弟 子 大 広 智 三 蔵 以 五 部 曼 荼 羅 盛 弘 唐 国 ︒ 于 時 玄 宗 肅 宗 代 宗 三        箇 天 子 并 皇 后 妃 等         ︒ 授 灌 頂 持 仏 戒 修 行 三 密 法 門 ︒ 三 蔵 弟 子 授 伝 法 者 有 八 人 ︒ 其 一 人 名 曰 青 龍 寺 恵 果 ︒ 其 時 徳 宗 皇 帝 及 南 内 従 而 授 戒 入 壇 ︒ 某 乙 先 師 去 延 暦 二 十 四 年 銜 命 求 法 ︒ 遠 渉 滄 海 入 唐 求 法 ︒ 其 年 六 月 十 三 日 幸 遇 長 安 城 青 龍 寺 東 − 61 −

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塔 院 灌 頂 阿 闍 梨 ︒ 登 諸 仏 壇 受 秘 密 三 摩 耶 戒 ︒ 荷 両 部 曼 荼 羅 負 一 百 余 部 金 剛 乗 教 ︒ 以 大 同 元 年 還 帰 本 国 ︒ 自 爾 以 来 建                灌 頂 壇 授 仏 戒 ︒ 今 茲 三 十 六 年 也               ︒ 上 自 大 日 如 来 下 至 于 微 身 ︒ 顧 計 伝 来 已 為 九 代 ︒ 惟 今 夜 法 后 ︒ 因 已 円 昔 劫 果 亦 満 前 生 ︒ 然 猶 慈 悲 未 極 衆 生 未 尽 ︒ 現 生 此 土 広 済 群 品 ︒ 葛 覃 化 下 為 護 法 城 権 現 受 法 之 相 ︒ 常 寧 徳 上 為 益 衆 生 聴 野 獣 之 説 法 ︒ 喜 哉 今 日 之 諸 人 ︒ 幸 哉 此 夕 之 大 小 ︒ 奉 値 聖 后 聖 君       ︒ 十 地 菩 薩 難 見 難 聞 受 此 無 上 戒 頓 入 仏 位 ︒ 『 平 成 天 皇 灌 頂 文 ﹄ 第 一 文 で は 大 日 如 来 よ り は じ ま る 真 言 密 教 相 承 の 系 譜 を 述 べ て ﹁ 以 大 同 元 年 奉 新 曼 荼 羅 并 経 等 ︒ 従 爾 已 還 愚 忠 無 感 忽 経 一 十 七 年 ﹂ と し ︑ 大 同 元 年 ( 八 〇 六 ) に 帰 朝 し た 空 海 の 視 点 で 記 し て い る ︒ こ れ に 対 し ﹃ 嵯 峨 皇 后 灌 頂 文 ﹄ 第 一 文 で は ﹁ 先 師 去 延 暦 二 十 四 年 銜 命 求 法 遠 渉 滄 海 入 唐 求 法 ( 中 略 ) 以 大 同 元 年 還 帰 本 国 ︒ 自 爾 以 来 建 灌 頂 壇 授 仏 戒 ︒ 今 茲 三 十 六 年( ) ﹂ と な っ て い る ︒ 客 観 的 な 文 面 で 示 さ れ た こ の ﹁ 先 師 ﹂ は ま さ し く 空 海 を 指 す 語 で あ る と 思 わ れ ︑ 空 海 の 大 同 元 年 ( 八 〇 六 ) の 帰 朝 か ら 三 十 六 年 と 計 算 す る と ﹁ 今 ﹂ は 承 和 八 年 ( 八 四 一 ) に 当 た る た め ︑ 一 つ の 可 能 性 と し て こ の 灌 頂 の 年 代 を 承 和 八 年 と 推 測 し う る( ) ︒ こ の 承 和 八 年 と い う 年 代 は 空 海 の 没 後 六 年 を 経 て お り ︑ そ の 上 で ︑ 次 の 記 述 で は ﹁ 上 自 大 日 如 来 下 至 于 微 身 ︒ 顧 計 伝 来 已 九 代 ﹂ と あ る ︒ 大 日 如 来 か ら 数 え た ﹁ 微 身 ﹂ を ﹁ 九 代 ﹂ と す る こ の 表 現 も ま た ︑ 空 海 を ﹁ 八 代 ﹂ と し た 場 合 に ︑ 本 書 が そ の 弟 子 の 立 場 で 書 か れ た も の と 理 解 さ れ ︑ 更 に は 直 弟 で あ る 実 慧 の 作 と し て 考 え ら れ た 一 つ の 理 由 と も 思 わ れ る ︒ 『 東 宝 記 ﹄ 中 に 杲 宝 ( 一 三 〇 六 袞 一 三 六 二 ) は こ う し た 付 法 相 承 の 記 述 に つ い て ︑ 龍 智 の 年 齢 を 談 ず る 文 に 諸 説 あ る こ と を 指 摘 し て い る が ︑ そ こ で 引 用 し て い る の が ﹃ 嵯 峨 皇 后 灌 頂 文 ﹄ の 第 一 文 に あ た る( ) ︒ こ の 引 用 に つ い て は じ め に ﹁ 嵯 峨 太 10 后 御 灌 頂 事 ︒ 檜 尾 僧 都 承 和 八 年 奉 授 之 彼 灌 頂 三 昧 耶 戒 文 云 ﹂ と 述 べ て い る こ と か ら ︑ 杲 宝 は こ れ を ﹁ 檜 尾 僧 都 ﹂ が ﹁ 承 和 八 年 ﹂ に ﹁ 嵯 峨 太 后 ﹂ に 灌 頂 を 授 け た 際 の 文 書 で あ る と 判 断 し て い る こ と が 分 か る ︒ 甲 田 氏 を は じ め と す る 諸 先 行 研 究 に よ っ て ︑ ﹃ 平 城 天 皇 灌 頂 文 ﹄ は 第 一 文 の み が 灌 頂 文 と し て の 外 題 を 冠 し ︑ そ う し た 内 容 を 持 つ こ と が 明 ら か に さ れ て い る ︒ よ っ て ﹃ 嵯 峨 皇 后 灌 頂 文 ﹄ も ︑ 杲 宝 が か く 引 用 し た よ う に こ の 第 一 文 こ そ が 主 た る 灌 頂 の 為 の 文 と し て 認 識 さ れ て い た 可 能 性 が 考 え ら れ る ︒ − 62 −

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・ 第 二 文 第 一 文 で は 皇 后 の 灌 頂 の み を 述 べ て い る も の と 思 わ れ る が ︑ 続 く 第 二 文 で は ﹁ 弘 仁 の 聖 帝 ﹂ と い う 語 で 嵯 峨 天 皇 に も 言 及 し て お り ︑ あ る い は ﹁ 淳 和 南 北 の 皇 帝 皇 后 ﹂ ﹁ 承 和 の 当 代 ﹂ 等 ︑ 次 代 の 淳 和 天 皇 皇 后 や 仁 明 天 皇 を も 思 わ せ る 記 述 が あ り ︑ 対 象 は 一 貫 し な い ︒ ま た ︑ 早 世 し た 二 人 の 内 親 王 ら を 悼 ん だ 文 と さ れ る ﹁ 第 四 第 五 公 主 ﹂ 等 の 文 言 も み ら れ る( ) ︒11 灌 頂 と 戒 を 授 け る こ と の 功 徳 や 加 護 を 述 べ る 文 も あ る た め ︑ 灌 頂 文 と い う 枠 組 に 組 み 込 ま れ て い る こ と 自 体 は 妥 当 で あ る ︒ ﹃ 平 城 天 皇 灌 頂 文 ﹄ に 対 応 す る 箇 所 は 冒 頭 の 句 を 除 き ︑ ほ ぼ み ら れ な い も の の ︑ 天 皇 ・ 皇 后 の み な ら ず ︑ 皇 族 と の か か わ り を 示 す 文 言 は よ り 多 く 見 受 け ら れ る ︒ ま た ︑ 他 に 比 し て 分 量 も 少 な く ︑ 経 論 か ら の 引 用 も 一 切 み ら れ な い の で あ り 典 拠 を 見 出 す の は 容 易 で な い ︒ ・ 第 三 文 第 三 文 で は ﹃ 三 昧 耶 戒 序 ﹄ 等 に も み ら れ る ﹃ 十 住 毘 婆 沙 論 ﹄ を 引 用 す る ほ か ︑ ﹃ 菩 提 心 論 ﹄ ︑ ﹃ 金 剛 頂 経 ﹄ ︑ ﹃ 大 日 経 ﹄ 等 を 引 用 す る が ︑ そ の ほ と ん ど は 取 意 で あ る ︒ そ の う ち ﹁ 金 剛 頂 経 説 ﹂ と は じ ま る 引 用 文 を ︑ 重 誉 ( 袞 一 一 三 九 ︑ 袞 一 一 四 三 ) と 宥 快 ( 一 三 四 五 袞 一 四 一 六 ) が そ れ ぞ れ の 著 作 に 孫 引 き し て い る ︒ 重 誉 は ﹃ 秘 宗 教 相 鈔 ﹄ 中 に ﹁ 又 大 師 嵯 峨 太 上 太 后 授 灌 頂 啓 白 云               ︒ 金 剛 頂 経 説 ︒ 爾 時 婆 伽 梵 一 切 義 成 就 ( 後 略( ) ) ﹂ と 引 き ︑ 宥 快 は ﹃ 大 日 経 疏 鈔 ﹄ 中 に ﹁ 大 師 一 処 解 釈 云         ︒ 又 金 剛 頂 経 説 ︒ 爾 時 薄 伽 梵 一 切 儀 成 就 ( 後 略( ) ) ﹂ と 12 13 引 い て お り ︑ 両 者 の 年 代 は 随 分 隔 た り が あ る も の の ︑ い ず れ の 場 合 も ﹁ 大 師 ﹂ の 作 と 考 え て い る こ と が う か が え る ︒ こ の 時 に ﹃ 嵯 峨 皇 后 灌 頂 文 ﹄ に み ら れ る 当 該 の 引 用 文 は 以 下 の よ う で あ る ︒ [ 資 料 二 袞 一 ] ﹃ 嵯 峨 皇 后 灌 頂 文 ﹄ 第 三 文 又 金 剛 頂 経 説 爾 時 薄 伽 梵 一 切 義 成 就 超 過 十 地     ( ) 住 無 識 身 三 昧 証 一 相 無 相 寂 滅 平 等 究 竟 真 実 理            ︒ 上 不 見 有 仏 可 求 下 14 不 見 有 衆 生 可 度 ︒ 以 為 究 竟 果 ︒ 時 曼 荼 羅 諸 仏 現 前 警 覚 ︒ 咄 哉 善 男 子 ︒ 汝 所 証 是 一 道 清 浄             ︒ 未 証 究 竟 金 剛 三 摩 地 ︒ 勿            以 足 ︒ 時 一 切 義 成 就 菩 薩 ︒ 定 中 誦 礼 諸 仏       真 言 白 言 ︒ 願 最 勝 尊 示 我 所 行 処 ︒ 諸 仏 告 言 ︒ 汝 観 自 心 ︒ 時 菩 薩 諦 観 自 心                            ︒ − 63 −

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内 外 中 間 一 切 処 求 心 相 ︒ 都 不 見 自 心 相      ︒ 時 諸 仏 授 見 本 心 真 言       ︒ 時 菩 薩 由 真 言 加 持 力 見 自 心 相 皎 潔 如 満 月         ︒ 従 此 以 後 以 五 種 相 現 証 自 性 法 身 ︒ [ 資 料 二 袞 二 ] 二 巻 ﹃ 金 剛 頂 一 切 如 来 真 実 摂 大 乗 現 証 大 教 王 経( ) ﹄15 住 寂 滅 平 等      究 竟 真 実 智      即 観 於 空 中 諸 仏 如 胡 麻 遍 満 虚 空 界 想 身 証 十 地      住 於 如 実 際 空 中 諸 如 来 弾 指 而 警 覚 告 言 善 男 子      汝 之 所 証 処      是 一 道 清 浄      金 剛 喩 三 昧 及 薩 般 若 等 尚 未 能 証 知      勿 以 此 為 足      応 満 足 普 賢 方 成 最 正 覚 身 心 不 動 揺 定 中 礼 諸 仏      ( 中 略 ) 行 者 聞 警 覚 定 中 普 礼 已      唯 願 諸 如 来      示 我 所 行 処      諸 仏 同 告 言      汝 応 観 自 心      既 聞 是 説 已 如 教 観 自 心 久 住 諦 観 察    不 見 自 心 相      復 想 礼 仏 足 白 言 最 勝 尊      我 不 見 自 心      此 心 為 何 相 諸 仏 咸 告 言 心 相 難 測 量 授 与 心 真 言      即 誦 徹 心 明       観 心 如 月 輪       若 在 軽 霧 中 如 理 諦 観 察 ( 中 略 ) 自 心 如 満 月       踊 躍 心 歓 喜 復 白 諸 世 尊 我 已 見 自 心 清 浄 如 満 月 本 書 に お け る ﹁ 金 剛 頂 経 説 ﹂ 以 下 の 文 は 二 巻 本 ﹃ 金 剛 頂 一 切 如 来 真 実 摂 大 乗 現 証 大 教 王 経 』( 以 下 二 巻 ﹃ 教 王 経 ﹄ ) を 中 心 と し た 取 意 要 約 と 思 わ れ ︑ 完 全 に 合 致 す る 経 典 は み ら れ な い( ) ︒ こ れ に 対 し ︑ 空 海 の ﹃ 秘 密 曼 荼 羅 十 住 心 論 』( 以 下 ﹃ 十 住 心 16 論 ﹄ ) ︑ ﹃ 秘 蔵 宝 鑰 ﹄ 中 に み ら れ る ﹃ 金 剛 頂 経 ﹄ の 引 用 は 概 ね 三 巻 ﹃ 教 王 経 ﹄ に 拠 る も の で あ る ︒ 小 野 塚 [ 二 〇 〇 〇 ] に よ れ ば 空 海 の 著 作 に お け る ﹃ 教 王 経 ﹄ の 引 用 は こ の ﹃ 十 住 心 論 ﹄ お よ び ﹃ 秘 蔵 宝 鑰 ﹄ 中 に み ら れ る も の だ け で ︑ か つ 三 巻 本 か ら の 引 用 に 限 ら れ て お り ︑ 二 巻 本 を 引 用 し て い る 例 は み ら れ な い ︒ さ り と て ︑ こ の ﹃ 嵯 峨 皇 后 灌 頂 文 ﹄ に み ら れ る 引 用 も 抜 き 書 き に は 遠 く ︑ 三 巻 ﹃ 教 王 経 ﹄ に 比 し て 二 巻 ﹃ 教 王 経 ﹄ と 類 似 す る ︑ と い う 程 度 に と ど ま る が ︑ い ず れ に し て も 空 海 の 著 作 に み ら れ る 引 用 と は 明 ら か に 異 な っ て い る( ) ︒17 な お ︑ 重 誉 は 上 記 の 引 用 箇 所 を ﹃ 嵯 峨 皇 后 灌 頂 文 ﹄ と し て 引 く が ︑ こ の 第 三 文 と 後 の 第 四 文 に は 灌 頂 や 皇 后 に 関 す る 語 は 一 切 み ら れ な い ︒ ま た ︑ 重 誉 は こ の ﹁ 金 剛 頂 経 説 ﹂ の 文 を 引 用 す る 直 前 に 資 料 二 袞 二 で あ げ た 二 巻 ﹃ 教 王 経 ﹄ を も 引 用 し て い る( ) ︒ そ の 引 用 の 意 図 は 二 巻 ﹃ 教 王 経 ﹄ そ の も の と は 似 て 非 な る ﹁ 金 剛 頂 経 ﹂ の 断 片 と し て ︑ こ の 文 に 焦 点 を 18 − 64 −

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当 て て い る こ と が 考 え ら れ る ︒ そ の 際 ︑ 引 用 元 を 大 師 の 作 と す る こ と で ︑ そ の 権 威 に 根 拠 や 信 憑 性 を 求 め た こ と が 推 測 で き る ︒ ・ 第 四 文 第 四 文 で は ﹃ 大 日 経 ﹄ ﹁ 住 心 品 ﹂ の 引 用 の ほ か ︑ 牛 羊 ・ 象 馬 ・ 船 筏 ・ 神 通 の 四 乗 を 挙 げ ︑ 乗 ・ 戒 の 違 い に よ る 成 仏 の 遅 速 に 触 れ て い る ︒ [ 資 料 三 ] ﹃ 嵯 峨 皇 后 灌 頂 文 ﹄ 第 四 文 或 乗 牛 羊 ︒ 或 乗 象 馬 ︒ 或 乗 船 筏 ︒ 或 乗 神 通 ︒ 所 乗 各 殊 遅 速 随 異 ︒ 大 品 経 不 必 定 経 之 意 ︒ 蓋 亦 如 此 乎 ︒ 今 所 授 戒 名 三 昧 耶 仏 戒 ︒ 亦 名 発 菩 提 心 戒 ︒ 乗 名 秘 密 仏 乗 ︒ 大 品 等 所 名 神 通 乗 ︒ 楞 伽 所 称 法 仏 所 説 内 所 証 之 教 是 也 ︒ 四 乗 の 説 明 に 続 く ﹁ 大 品 経 不 必 定 経 之 意 蓋 亦 如 是 乎 ﹂ と い う 文 の う ち ︑ ﹁ 不 必 定 経 之 意 ﹂ が 意 図 す る と こ ろ は ﹃ 不 必 定 入 定 入 印 経 』( 以 下 ﹃ 入 印 経 ﹄ ) に み ら れ る ﹁ 此 中 則 有 五 種 菩 薩 ︒ 何 等 為 五 ︒ 一 者 羊 乗 行 ︒ 二 者 象 乗 行 ︒ 三 者 月 日 神 通 乗 行 ︒ 四 者 声 聞 神 通 乗 行 ︒ 五 者 如 来 神 通 乗 行( ) ﹂ と い う 五 種 の 乗 り 物 に な ぞ ら え た 菩 薩 で あ る と 考 え ら れ る( ) ︒ た だ し ︑ 経 と 引 用 19 20 文 と で は 五 乗 と 四 乗 の 違 い が あ る ほ か ︑ 羊 が 牛 羊 に な り ︑ 象 が 象 馬 に な り ︑ ま た 船 筏 な ど の 異 な る 乗 り 物 も 提 示 さ れ て い る ︒ 宥 快 は こ の ﹃ 嵯 峨 皇 后 灌 頂 文 ﹄ の 一 文 を ﹁ 大 師 一 処 解 釈        ︒ ( 中 略 ) 或 乗 牛 羊 ︒ 或 乗 象 馬 ︒ 或 乗 船 筏 ︒ 或 乗 神 通 ︒ 所 乗 各 殊 ナ レ ハ 遅 速 隨 異 ︒ 大 品 経 不 必 定 経 之 益 亦 如 此 矣 文( ) ﹂ と 引 用 し ︑ や は り ﹁ 大 師 ﹂ の 釈 と 考 え て い る ︒ 宥 快 は 第 三 文 を 引 21 用 し た 時 と 同 じ く ︑ こ の 第 四 文 も 何 ら か の 形 で 目 に し ︑ い ず れ も 空 海 の 作 で あ る と 判 断 し て い る こ と が う か が え る ︒ こ の 箇 所 は 神 通 乗 を 含 む 諸 乗 の 差 別 を 論 じ た も の と 思 わ れ る が ︑ 果 た し て こ れ が 空 海 の 思 想 と ど こ ま で 結 び つ く か 次 に 検 討 し て み た い ︒ − 65 −

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二 袞 二 第 四 文 に お け る ﹃ 入 印 経 ﹄ と 神 通 乗 資 料 三 に 挙 げ た よ う に 第 四 文 に は ﹃ 入 印 経 ﹄ に 関 す る 言 及 が み ら れ る ︒ な お ﹃ 入 印 経 ﹄ は 天 台 に お い て ︑ そ の 乗 ︑ 教 え の 差 別 に よ り 成 仏 に 遅 速 あ る こ と を 説 く 際 に 引 用 さ れ る ︒ 最 澄 は ﹃ 顕 戒 論 ﹄ で ﹁ 夫 学 神 通 乗 者 ︒ 何 用 羊 象 乗( ) ﹂ と し ︑ 22 羊 ・ 象 乗 を と ら ず ︑ 神 通 乗 を 至 高 と す る 旨 を 述 べ て い る ︒ ま た ︑ 円 仁 ﹃ 顕 揚 大 戒 論 ﹄ 巻 二 ﹁ 直 往 菩 薩 戒 行 篇 三( ) ﹂ に は 23 ﹃ 入 印 経 ﹄ の 五 乗 を 述 べ た 箇 所 を 広 く 引 い て い る ︒ 安 然 の 著 作 に は ﹃ 入 印 経 ﹄ と 四 教 に 言 及 す る も の が 散 見 さ れ る ︒ ﹃ 真 言 宗 教 時 義 ﹄ に は ﹁ 大 智 度 論 有 歩 行 菩 薩 馬 乗 行 菩 薩 神 通 乗 行 菩 薩 ︒ 天 台 以 為 通 別 円 菩 薩 ︒ 但 以 羊 換 歩 為 羊 乗 行 菩 薩 ︒ 入 印 経 有 羊 乗 行 菩 薩 象 乗 行 菩 薩 如 来 神 通 乗 行 菩 薩 ︒ 天 台 如 次 以 為 蔵 通 別( ) ﹂ と あ り 智 顗 の 釈( ) に 言 及 し て い る ︒ こ の ほ か に 蔵 通 別 円 の 上 に 密 教 を 据 え た 五 教 判 を 設 け る ﹃ 胎 蔵 24 25 金 剛 菩 提 心 義 略 問 答 鈔 ﹄ で は ﹁ 入 印 経 明 五 菩 薩 乗 ︒ 一 羊 乗 行 菩 薩 ︒ 二 象 乗 行 菩 薩 ︒ 三 月 日 神 通 乗 行 菩 薩 ︒ 四 声 聞 神 通 乗 行 菩 薩 ︒ 五 如 来 神 通 乗 行 菩 薩 ︒ 私 用 此 五 為 前 四 教 及 真 言 行 菩 薩( ) ﹂ と も 述 べ て い る( ) ︒ 26 27 真 言 ・ 天 台 と も に ︑ そ の 教 え を し て ﹁ 神 通 乗 ﹂ 等 の 表 現 を す る こ と は 知 ら れ る が ︑ 空 海 撰 述 お よ び そ の 周 辺 に こ う し た ﹃ 入 印 経 ﹄ の 引 用 は に わ か に は 見 出 だ せ な い ︒ 空 海 の 場 合 ﹁ 神 通 乗 ﹂ や そ れ に 類 す る 語 は ︑ 概 し て 真 言 密 教 に よ る 成 仏 の 速 疾 性 の み に 焦 点 を 当 て ︑ こ れ を 主 張 す る べ く 用 い る の で あ り ︑ 相 対 的 な 乗 の 差 別 や 階 梯 論 と し て で は な い( ) ︒28 『 大 日 経 開 題 ( 今 釈 此 経( ) ) ﹄ 中 に み え る ﹁ 発 意 の 間 に 宝 所 に 達 す る 神 通 の 乗 ﹂ な ど の 表 現 が ま さ に 速 疾 を 謳 っ た も の で あ 29 る ︒ 初 発 意 に し て す な わ ち 到 る と 説 く こ と は ︑ 資 料 三 に み え る ﹃ 大 品 般 若 経 ﹄ に も 共 通 し て い る が( ) ︑ ﹃ 入 印 経 ﹄ で は 発 30 心 し て 声 聞 乗 か 大 乗 か の い ず れ か を 志 す 者 を 五 種 の 菩 薩 と し て 出 だ し ︑ そ の 到 達 の 遅 速 等 を 述 べ る も の で ︑ や や 趣 旨 が 異 な り ︑ 空 海 の 述 作 で の 引 用 例 も 見 出 せ な い( ) ︒31 こ の よ う な 状 況 か ら ︑ こ の ﹃ 入 印 経 ﹄ の 記 述 が と り も な お さ ず 天 台 に よ る 影 響 で あ る か は 判 断 し か ね る も の の ︑ 本 書 − 66 −

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の 撰 者 を 実 慧 で あ る と 仮 定 し た う え で ︑ 天 台 か ら の 影 響 ・ 引 用 に つ い て 考 え た 場 合 ︑ も っ と も 早 い 段 階 の 最 澄 の 著 作 を 引 用 す る 可 能 性 が 全 く な い と は 言 い 切 れ な い ︒ し か し 円 仁 に つ い て は ﹃ 顕 揚 大 戒 論 ﹄ の 執 筆 さ れ た 年 代 を 特 定 し 得 な い も の の ︑ 円 仁 の 帰 朝 し た 承 和 十 四 年 ( 八 四 七 ) に 実 慧 が 没 し て い る た め ︑ 現 実 的 で は な い ︒ ま た ︑ さ ら に 後 の 人 物 で あ る 安 然 も 同 様 で あ る ︒ あ わ せ て 宥 快 が ﹁ 大 師 一 処 解 釈 ﹂ と 述 べ る こ の 箇 所 に は 空 海 撰 述 と は 異 質 の 要 素 が 含 ま れ て い る こ と を 指 摘 で き る ︒

本 稿 で は ﹃ 嵯 峨 皇 后 灌 頂 文 ﹄ の 典 拠 の 確 認 を 通 し て ︑ 空 海 撰 述 文 献 と の 類 似 や 相 違 を 概 観 し た ︒ 第 一 文 は 嵯 峨 皇 后 の 灌 頂 の 為 の 文 で あ る こ と を 主 張 し て お り ︑ 付 法 に 関 す る 箇 所 か ら は 杲 宝 の 言 を は じ め ﹁ 承 和 八 年 ﹂ ﹁ 実 慧 撰 ﹂ と 判 断 さ れ た 要 因 と 思 わ れ る 点 も 散 見 さ れ た ︒ ま た ︑ ﹃ 平 城 天 皇 灌 頂 文 ﹄ と の 共 通 性 も 比 較 的 高 く ︑ 内 容 に つ い て も ﹁ 灌 頂 文 ﹂ と い う 呼 称 に 見 合 っ て い る ︒ 第 二 文 は 嵯 峨 皇 后 の み な ら ず 様 々 な 皇 族 へ の 言 及 が み ら れ る が ︑ 以 下 の 第 三 ・ 第 四 の 文 に は 灌 頂 や 皇 后 へ の 言 及 は み ら れ な い の で あ り ︑ 本 書 全 体 が ﹃ 嵯 峨 皇 后 灌 頂 文 ﹄ と さ れ る の に 相 応 し い か ︑ 疑 問 の 残 る 点 で あ る ︒ ま た ︑ 第 三 文 に み ら れ る ﹁ 金 剛 頂 経 説 ﹂ と い う 引 用 文 に つ い て は 二 巻 ﹃ 教 王 経 ﹄ の 取 意 と し て の 要 素 を 持 つ が ︑ 空 海 撰 述 の 中 に 三 巻 ﹃ 教 王 経 ﹄ か ら の 引 用 例 し か 見 い だ せ な い こ と か ら ︑ そ れ ら と は 明 ら か に 異 な る う え ︑ 完 全 に 合 致 す る よ う な 引 用 元 も 明 ら か で な い ︒ 『 嵯 峨 皇 后 灌 頂 文 ﹄ が 実 慧 撰 と さ れ た 経 緯 は ︑ 冒 頭 に 述 べ た よ う に ︑ 杲 宝 の ﹃ 東 宝 記 ﹄ に み ら れ る 言 と ︑ そ れ を 版 本 刊 行 の 際 に 動 潮 も そ の よ う に 附 言 し た こ と に よ る 部 分 が 大 き い ︒ そ れ を 踏 ま え ︑ 長 谷 宝 秀 氏 が ﹃ 弘 法 大 師 諸 弟 子 全 集 ﹄ に こ れ を 収 め た の で あ る ︒ 長 谷 氏 の 場 合 も ︑ か つ て は 古 目 録 中 の 記 述 に 倣 い ﹃ 弘 法 大 師 全 集 ﹄ 第 四 輯 に 真 偽 未 決 の そ れ と し て 収 め た も の の ︑ 動 潮 及 び 杲 宝 の 言 を 確 認 し ︑ 実 慧 撰 と 改 め た と し て い る ︒ 杲 宝 の い う ﹁ 嵯 峨 太 后 御 灌 頂 事 ︒ 檜 尾 僧 都 承 和 八 年 奉 授 之 彼 灌 頂 三 昧 耶 戒 文 云( ) ﹂ に つ い て は 本 書 の 第 一 文 に お け る 記 32 − 67 −

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述 が 関 わ っ て お り ︑ 杲 宝 が 四 文 を 一 篇 と し た 本 書 全 体 を 見 て い た か は 不 明 で あ る が ︑ 第 一 文 を 嵯 峨 皇 后 の ﹁ 灌 頂 文 ﹂ と 理 解 し て い る こ と が 分 か る ︒ 先 に 述 べ た と お り ︑ 第 一 文 に は ﹁ 微 身 ﹂ を ﹁ 九 代 ﹂ と 称 し ︑ ﹁ 先 師 去 延 暦 二 十 四 年 銜 命 求 法 ﹂ 等 ︑ 空 海 以 降 の 人 に よ る 文 で あ る こ と を 示 す 記 述 が あ り ︑ 後 世 の 人 が こ れ ら を 重 視 す れ ば ﹃ 嵯 峨 皇 后 灌 頂 文 ﹄ 全 体 を ﹁ 大 師 ﹂ の 作 と 判 断 す る と は 考 え 難 い ︒ そ の 意 味 で 宥 快 は 第 三 ・ 第 四 文 の 作 者 を ﹁ 大 師 ﹂ に 比 定 す る も の の ︑ こ れ を ﹁ 灌 頂 文 ﹂ と は 考 え て お ら ず ︑ ま た 第 一 文 等 へ の 言 及 も み ら れ な い こ と か ら ︑ 現 行 の も の と は 構 成 の 異 な る 写 本 を 見 て い た か ︑ 断 片 的 に し か 閲 覧 し て い な い 可 能 性 を 指 摘 で き る ︒ 加 え て ︑ 杲 宝 も ﹃ 東 宝 記 ﹄ の 言 と は 別 に ﹃ 大 日 経 疏 演 奥 鈔 ﹄ 中 に 本 書 第 三 文 を ﹁ 戒 序 云 ﹂ と 引 い て い る の で あ り( ) ︑ や は り 現 行 の 四 段 を 一 篇 と し た 写 本 を 見 て い な か っ た 可 能 性 33 や ︑ 内 容 に 鑑 み て そ の 呼 称 を 区 別 し た 可 能 性 も 考 え ら れ る ︒ し か し な が ら 重 誉 は ︑ 本 書 が 大 師 の 作 で あ り ︑ 嵯 峨 皇 后 の 灌 頂 も 大 師 に よ る も の と 考 え て い る ︒ 内 容 に は 触 れ な い も の の ︑ そ の 表 題 に 言 及 し て い る こ と か ら 灌 頂 表 白 に あ た る 第 一 文 を 目 に し て い る 可 能 性 が 高 く ︑ こ れ に 続 け て 書 写 さ れ て い る ﹁ 金 剛 頂 経 説 ﹂ の 部 分 の 第 三 文 を も 自 著 へ 引 用 す る 際 に ﹁ 灌 頂 文 ﹂ と 理 解 し て い る ︒ 重 誉 の 頃 に は 空 海 が 嵯 峨 皇 后 に 灌 頂 を 授 け た と す る 理 解 が 宗 内 で 一 般 的 で あ っ た 可 能 性 も 考 え ら れ る が ︑ 本 文 に 重 き を 置 け ば 空 海 以 降 の 人 物 の 目 線 で 書 か れ た も の で あ る こ と は 明 白 で あ る( ) ︒ 撰 者 を 空 海 と す る 重 誉 の 解 釈 に は 一 考 の 余 地 が あ る も の の ︑ 現 行 の よ う に 34 四 文 を 一 篇 と し た ﹃ 嵯 峨 皇 后 灌 頂 文 ﹄ を 見 て い た 可 能 性 が 高 い と 考 え ら れ る ︒ 同 じ く 撰 者 を 空 海 に 比 定 す る 宥 快 の 釈 も あ る が ︑ そ の う ち ﹃ 入 印 経 ﹄ に ま つ わ る 文 は ﹁ 神 通 乗 ﹂ と い う 語 の 用 い 方 か ら も こ れ を ﹁ 大 師 一 処 解 釈 ﹂ と す る に は 決 め 手 を 欠 く よ う に 思 わ れ る ︒ 先 述 し た よ う に 宥 快 は 一 篇 に 合 さ れ た 写 本 を 閲 覧 し て い な い 可 能 性 が 指 摘 で き る た め ︑ 皇 后 や 皇 后 へ の 灌 頂 に 言 及 し な い 第 三 ・ 第 四 の 文 を 見 て ︑ こ れ を 空 海 に よ る も の と 考 え た と 思 わ れ る ︒ 全 体 の 成 立 に 関 し て 言 え ば ︑ 本 書 中 の 各 文 で は 皇 后 の 灌 頂 に 触 れ る も の と そ う で な い も の と が あ り ︑ 扱 う 内 容 を 異 に し て い る こ と か ら 本 来 別 の も の と し て 成 立 し た 可 能 性 は 十 分 に 考 え ら れ る( ) ︒ し か し ︑ こ れ を 閲 覧 し て い た 学 匠 た ち の う 35 − 68 −

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ち ︑ も っ と も 年 代 の 早 い 重 誉 は こ れ ら を 一 続 き の も の と し て と ら え て い た よ う で あ る ︒ ま た ︑ 南 北 朝 期 の 杲 宝 や 室 町 期 の 宥 快 に い た っ て は ︑ 現 行 の ﹃ 嵯 峨 皇 后 灌 頂 文 ﹄ と は 表 題 や 形 態 の 異 な る 写 本 を 見 て い た こ と が 考 え ら れ る ︒ 《 先 行 研 究 ・ 参 考 文 献 》 勝 又 俊 教 ﹃ 密 教 の 日 本 的 展 開 』 ( 春 秋 社 ・ 一 九 七 〇 ) 守 山 聖 真 ﹃ 文 化 史 上 よ り 見 た る 弘 法 大 師 傳 』 ( 国 書 刊 行 会 ・ 一 九 七 三 復 刊 ) 布 施 浄 慧 ﹁ 弘 法 大 師 と 灌 頂 」 ( ﹃ 智 山 学 報 ﹄ 二 二 号 ・ 一 九 七 三 ) 長 谷 宝 秀 編 ﹃ 弘 法 大 師 諸 弟 子 全 集 ﹄ 巻 上 ( 大 学 堂 書 店 ・ 一 九 七 四 復 刊 ) 堀 内 寛 仁 ﹁ ﹁ 真 言 密 教 ﹂ の 異 称 に つ い て 」 ( ﹃ 高 野 山 大 学 論 叢 ﹄ 十 九 号 ︑ 一 九 八 四 年 ) 甲 田 宥 吽 校 訂 ・ 解 説 ﹁ 太 上 天 皇 灌 頂 文 」 ( 密 教 文 化 研 究 所 編 ﹃ 定 本 弘 法 大 師 全 集 ﹄ 五 巻 ・ 一 九 九 三 ) 村 上 保 寿 ﹁ 空 海 の 三 昧 耶 戒 の 思 想 」 ( ﹃ 密 教 文 化 ﹄ 一 八 一 ・ 一 九 九 三 ) 北 原 裕 全 ﹁ 神 通 乗 に つ い て 」 ( ﹃ 密 教 文 化 ﹄ 通 号 一 九 九 袞 二 〇 〇 ・ 一 九 九 八 ) 小 野 塚 幾 澄 ﹃ 空 海 教 学 に お け る 背 景 思 想 の 研 究 』 ( 山 喜 房 佛 書 林 ・ 二 〇 〇 〇 ) 大 久 保 良 峻 ﹃ 台 密 教 学 の 研 究 ﹄ 第 十 四 章 ﹁ 神 通 乗 に つ い て 」 ( 法 蔵 館 ・ 二 〇 〇 四 ) 西 本 昌 弘 ﹁ 嵯 峨 天 皇 の 灌 頂 と 空 海 」 ( ﹃ 関 西 大 学 文 学 論 集 ﹄ 五 六 ・ 二 〇 〇 七 ) 苫 米 地 誠 一 ﹃ 平 安 期 真 言 密 教 の 研 究 第 一 部 初 期 真 言 密 教 教 学 の 形 成 』 ( ノ ン ブ ル 社 ・ 二 〇 〇 八 ) 武 内 孝 善 ﹁ 空 海 の 伝 え た 灌 頂 」 ( 森 雅 秀 編 ﹃ ア ジ ア の 灌 頂 儀 礼 袞 そ の 成 立 と 伝 播 袞 』 ・ 法 蔵 館 ・ 二 〇 一 四 ) 註 ( ) 『 弘 法 大 師 諸 弟 子 全 集 ﹄ 巻 上 ・ 四 〇 九 ~ 四 一 〇 頁 ( ) 「 嵯 峨 太 后 御 灌 頂 事 ︒ 檜 尾 僧 都 承 和 八 年 奉 授 之 彼 灌 頂 三 昧 耶 戒 文 云 ﹂ と い う 書 き 出 し で ﹃ 嵯 峨 皇 后 灌 頂 文 ﹄ を 引 用 す る ︒ − 69 −

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( ﹃ 国 宝 東 宝 記 原 本 影 印 ﹄ 巻 一 袞 四 ・ 東 京 美 術 ・ 一 九 八 二 年 ・ 三 四 五 頁 ) ( ) な お ︑ こ の 写 本 に は 表 紙 の 隅 に ﹁ 賢 宝 ﹂ と 署 名 が な さ れ て い る と の こ と で あ る ︒ (  ) 『 定 本 弘 法 大 師 全 集 ﹄ 巻 五 解 説 に よ る ︒ な お 本 稿 で は 通 例 の 名 称 で 示 し た が ︑ 甲 田 氏 は 底 本 外 題 及 び 弘 仁 年 間 に は 既 に 平 城 天 皇 の 退 位 後 で あ る こ と を 加 味 し ﹃ 大 和 尚 奉 為 平 安 城 太 上 天 皇 灌 頂 文 ﹄ と し て い る ︒ (  ) 苫 米 地 [ 二 〇 〇 八 ] ︑ 甲 田 [ 一 九 九 五 ] ︑ 村 上 [ 一 九 九 三 ] (  ) 前 稿 ﹁ ﹃ 奉 為 嵯 峨 太 上 太 后 灌 頂 文 ﹄ に つ い て 」 ( ﹃ 智 山 学 報 ﹄ 六 五 輯 ・ 二 〇 一 六 ) (  ) 『 平 城 天 皇 灌 頂 文 ﹄ あ る い は ﹃ 付 法 伝 ﹄ に お い て 誤 記 等 を 疑 わ れ る 年 号 な ど に つ い て ︑ 本 書 で は 修 正 あ る い は 除 い て い る 部 分 が 見 ら れ る ︒ (  ) 『 弘 法 大 師 諸 弟 子 全 集 ﹄ 巻 上 ・ 四 〇 八 頁 (  ) 前 稿 ﹁ ﹃ 奉 為 嵯 峨 太 上 太 后 灌 頂 文 ﹄ に つ い て 」 ( ﹃ 智 山 学 報 ﹄ 六 五 輯 ・ 二 〇 一 六 ) ( ) 前 稿 註 に お い て 重 誉 の ﹃ 秘 宗 教 相 鈔 ﹄ に も 同 様 に 龍 樹 の 年 齢 を 談 ず る 旨 が み ら れ る も の の ︑ 小 文 字 の 割 注 で あ る た め 重 10 33 誉 本 人 の 言 で あ る か は 定 か で な い こ と を 指 摘 し た ︒ そ の 際 ︑ 海 恵 の ﹃ 密 宗 要 決 鈔 ﹄ に も 同 文 を 引 用 し て い る と 述 べ た が ︑ こ れ は 誤 り で ︑ 正 し く は 本 稿 中 の 二 袞 一 で 問 題 に し た ﹁ 金 剛 頂 経 説 ﹂ 以 下 の 文 を 引 用 し て い る の み で あ る ︒ ( ) 西 本 [ 二 〇 〇 七 ] は ﹃ 続 日 本 後 紀 ﹄ ︑ 東 山 御 文 庫 本 ﹃ 一 代 要 記 ﹄ の 記 述 を し て 俊 子 ・ 芳 子 の 二 名 を 第 四 ・ 第 五 皇 女 と し て い 11 る ︒ な お ﹃ 本 朝 皇 胤 紹 運 録 ﹄ で は ︑ こ の 二 皇 女 の 母 は そ れ ぞ れ ﹁ 大 原 氏 ﹂ ﹁ 文 屋 氏 ﹂ と な っ て い る こ と も 付 け 加 え て い る も の の ︑ 最 終 的 に ﹃ 一 代 要 記 ﹄ 中 の 嵯 峨 皇 后 を 母 と す る と の 記 述 を 採 っ て い る ︒ ま た 俊 子 ・ 芳 子 の 没 年 は そ れ ぞ れ 天 長 三 年 ・ 承 和 五 年 と な っ て い る ︒ な お こ の ほ か ﹃ 平 安 時 代 補 任 及 び 女 人 綜 覧 』 ( 笠 間 書 院 ・ 一 九 九 六 ) で は 俊 子 と ﹁ 基 子 ﹂ が い ず れ も 天 長 年 間 に 亡 く な っ た と 記 し て い る ︒ ( ) 『 秘 宗 教 相 鈔 』 ( ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 巻 七 七 ・ 六 一 三 中 段 ) 12 ( ) 『 大 日 経 疏 鈔 』 ( ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 巻 六 〇 ・ 三 二 三 上 段 ) 13 ( ) 『 弘 法 大 師 諸 弟 子 全 集 ﹄ 巻 上 本 文 で は ﹁ 超 越 十 地 ﹂ と さ れ て お り ︑ ﹁ 超 過 十 地 ﹂ の 異 本 が あ る 旨 を 割 注 で 指 摘 し て い る ︒ ま 14 た ︑ 重 誉 ・ 宥 快 と も ﹁ 超 過 十 地 ﹂ の 方 を 引 用 し て い る こ と も 踏 ま え ︑ 本 稿 で は ﹁ 超 過 ﹂ の 字 で 示 し た ︒ − 70 −

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( ) 二 巻 本 ﹃ 金 剛 頂 一 切 如 来 真 実 摂 大 乗 現 証 大 教 王 経 』 ( ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 巻 一 八 ・ 三 一 三 下 段 ) 15 ( ) 二 巻 ﹃ 教 王 経 ﹄ 中 の こ の 文 は ﹃ 金 剛 頂 蓮 華 部 心 念 誦 儀 軌 』 ( ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 巻 十 八 ・ 三 〇 一 下 段 ) と も ほ ぼ 共 通 で あ る ︒ 16 ( ) こ れ ま で 筆 者 は 本 書 と ﹃ 平 城 天 皇 灌 頂 文 ﹄ あ る い は ﹃ 三 昧 耶 戒 序 ﹄ 等 と の 類 似 点 を 重 点 的 に 探 っ て き た が ︑ 他 の 空 海 撰 述 17 も 対 象 と す る な ら ば ﹃ 法 華 経 開 題 ﹄ と 同 一 の 引 用 文 や ﹃ 梵 網 経 開 題 ﹄ 等 の 逐 語 的 な 一 致 箇 所 も 見 ら れ た た め ︑ こ の 点 を し て 空 海 の 撰 述 と 考 え る 向 き が あ る こ と も 理 解 で き る ︒ し か し な が ら こ の ﹁ 金 剛 頂 経 説 ﹂ の 箇 所 に 関 し て は 広 く 空 海 撰 述 と さ れ て い る 述 作 の 引 用 文 と は 共 通 性 が な い ︒ ( ) 『 秘 宗 教 相 鈔 』 ( ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 巻 七 七 ・ 六 一 三 中 段 ) 18 ( ) 『 不 必 定 入 定 入 印 経 』 ( ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 巻 十 四 ・ 六 九 九 下 段 ) 19 ( ) こ こ で は ﹃ 大 品 般 若 経 ﹄ と 及 び ﹃ 不 必 定 入 定 入 印 経 ﹄ 等 に 説 か れ る 三 種 あ る い は 五 種 の 菩 薩 の 分 類 と の 関 連 性 を 指 摘 し て 20 い る と 考 え ら れ る ︒ こ れ ら の 経 文 は 東 密 お よ び 台 密 に お い て 空 海 ・ 最 澄 が 各 自 の 宗 を ﹁ 神 通 ( 乗 ) ﹂ と 称 し た こ と な ど と 併 せ て こ れ ま で に も し ば し ば 論 じ ら れ て い る ︒ ( 堀 内 寛 仁 ﹁ ﹁ 真 言 密 教 ﹂ の 異 称 に つ い て 」 ( ﹃ 高 野 山 大 学 論 叢 ﹄ 十 九 号 ︑ 一 九 八 四 年 ) ︑ 大 久 保 良 峻 ﹁ 神 通 乗 に つ い て 袞 特 に 日 本 天 台 に お け る 一 問 題 点 と し て 袞 」 ( ﹃ 早 稲 田 大 学 大 学 院 文 学 研 究 科 紀 要 史 学 ・ 哲 学 編 ﹄ 別 冊 十 三 号 ︑ 一 九 八 七 年 ) 及 び ﹃ 台 密 教 学 の 研 究 ﹄ 第 十 四 章 ﹁ 神 通 乗 に つ い て 」 ( 法 蔵 館 ・ 二 〇 〇 四 ) ︑ 北 原 裕 全 ﹁ 神 通 乗 に つ い て 」 ( ﹃ 密 教 文 化 ﹄ 一 九 九 袞 二 〇 〇 号 ︑ 一 九 九 八 年 ) ) ( ) 『 大 日 経 疏 鈔 』 ( ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 巻 六 〇 ・ 二 九 六 上 段 ) 21 ( ) 『 顕 戒 論 』 ( ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 巻 七 四 ・ 六 一 三 頁 中 段 ) 22 ( ) 『 顕 揚 大 戒 論 』 ( ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 巻 七 四 ・ 六 七 二 頁 下 段 以 下 ) 23 ( ) 『 真 言 宗 教 時 義 』 ( ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 巻 七 五 ・ 四 二 四 頁 下 段 ) 24 ( ) 『 摩 訶 止 観 ﹄ に お い て 智 顗 は ﹁ 大 論 引 三 喩 ︒ 一 則 歩 渉 ︒ 二 則 乗 馬 ︒ 三 則 神 通 ﹂ と 述 べ る が ︑ 註 に も 附 し た 如 く ﹃ 大 智 度 論 ﹄ 25 に は 羊 ・ 馬 ・ 神 通 の 三 喩 が み ら れ る ︒ こ こ で 安 然 は ﹁ 歩 ﹂ を ﹁ 羊 ﹂ に 改 め た と し て い る が ︑ 実 際 に は 智 顗 は ﹁ 羊 ﹂ を ﹁ 歩 ﹂ と 替 え て 引 用 し て い る と い う こ と が 大 久 保 [ 二 〇 〇 四 ] で も 指 摘 さ れ て い る ︒ ( ) 『 胎 蔵 金 剛 菩 提 心 義 略 問 答 鈔 』 ( ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 巻 七 五 ・ 四 五 六 頁 上 段 ) 26 − 71 −

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( ) 本 文 に 示 し た も の 以 外 に ﹃ 普 通 授 菩 薩 戒 広 釈 』 ( ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 巻 七 四 ・ 七 六 三 頁 上 段 ) に も ﹃ 入 印 経 ﹄ の 五 種 の 菩 薩 を あ げ て い 27 る ︒ ( ) こ の よ う な 乗 の 差 別 や ︑ そ れ に よ る 成 仏 の 遅 速 を 論 じ て い る の は ﹃ 嵯 峨 皇 后 灌 頂 文 ﹄ 本 文 に も あ る よ う に ﹃ 大 品 般 若 経 ﹄ ︑ 28 そ れ を 承 け て 龍 樹 が 示 し た ﹃ 大 智 度 論 ﹄ 中 の 記 述 で も あ る ︒ ま た そ れ を 密 教 の 速 疾 性 に 関 連 付 け て ﹃ 大 日 経 疏 』 ( ﹃ 義 釈 ﹄ ) に も 引 か れ て い る こ と が 先 行 研 究 に も 指 摘 さ れ て い る ︒ 神 通 乗 や 乗 の 差 別 は 広 く 説 か れ ︑ こ れ ら に 限 定 さ れ る も の で は 決 し て な い が ︑ 空 海 が 神 通 の 語 を 用 い る の は も っ ぱ ら そ の 速 疾 性 を 強 調 す る も の が 殆 ど で あ る ︒ ( ) 『 弘 法 大 師 全 集 ﹄ 第 一 輯 ・ 六 五 二 袞 六 五 三 頁 29 ( ) 『 大 品 般 若 経 ﹄ に は ﹁ 舎 利 弗 ︒ ① 有 菩 薩 摩 訶 薩 初 発 意 時 行 六 波 羅 蜜 ︒ 上 菩 薩 位 得 阿 惟 越 致 地 [ 阿 毘 跋 致 地 ] ︒ 舎 利 弗 ︒ ② 有 30 菩 薩 摩 訶 薩 初 発 意 時 ︒ 便 得 阿 耨 多 羅 三 藐 三 菩 提 転 法 輪 ︒ 与 無 量 阿 僧 祇 衆 生 作 益 厚 已 入 無 余 涅 槃 ︒ 是 仏 般 涅 槃 後 余 法 ︒ 若 住 一 劫 若 滅 一 劫 ︒ 舎 利 弗 ︒ ③ 有 菩 薩 摩 訶 薩 初 発 意 時 与 般 若 波 羅 蜜 相 応 ︒ 与 無 数 百 千 億 菩 薩 ︒ 従 一 仏 国 至 一 仏 国 ︒ 為 浄 仏 国 土 故 ︒ 」 ( ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 巻 八 ・ 二 二 六 頁 上 段 ) と あ り ︑ 初 発 心 に お け る 得 阿 惟 越 致 地 ・ 得 阿 耨 多 羅 三 藐 三 菩 提 ・ 般 若 波 羅 蜜 相 応 の 三 種 の 菩 薩 を あ げ る ︒ 『 大 智 度 論 ﹄ で は ﹁ 有 三 種 菩 薩 ︒ ( 中 略 ) 譬 如 遠 行 ︒ 或 有 乗 羊 而 去 ︒ 或 有 乗 馬 而 去 ︒ 或 有 神 通  去 者 ︒ 乗 羊 者 久 久 乃 到 ︒ 乗 馬 者 差 速 ︒ 乗 神 通    者 発 意 頃 便 到 ︒ 如 是 不 得 言 発 意 間 云 何 得 到 ︒ 神 通 相 爾 不 応 生 疑 ︒ 菩 薩 亦 如 是 ︒ 発 阿 耨 多 羅 三 藐 三 菩 提 時 即 入 菩 薩 位 ︒ 有 菩 薩 初 発 意 初 雖 心 好 後 雑 諸 悪 ︒ 時 時 生 念 我 求 仏 道 ︒ 以 諸 功 徳 廻 向 阿 耨 多 羅 三 藐 三 菩 提 ︒ 是 人 久 久 無 量 阿 僧 祇 劫 ︒ 或 至 或 不 至 ︒ 先 世 福 徳 因 縁 薄 而 復 鈍 根 ︒ 心 不 堅 固 如 乗 羊 者 ︒ 有 人 前 世 少 有 福 徳 利 根 発 心 ︒ 漸 漸 行 六 波 羅 蜜 ︒ 若 三 若 十 若 百 阿 僧 祇 劫 ︒ 得 阿 耨 多 羅 三 藐 三 菩 提 ︒ 如 乗 馬 者 必 有 所 到 第 三 乗 神 通    者 如 上 説 ︒ 」 ( ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 巻 二 五 ・ 三 四 二 頁 中 下 段 ) と し て 羊 ・ 馬 ・ 神 通 の 三 種 の 乗 り 物 の 比 喩 を あ げ る ︒ ﹃ 大 品 般 若 経 ﹄ の 三 種 菩 薩 は そ れ ぞ れ 初 発 意 の 功 徳 を 述 べ る の に 対 し ﹃ 大 智 度 論 ﹄ で は よ り 相 対 的 な 乗 の 差 別 を 示 し ︑ そ の 中 で 初 発 に 正 覚 を 成 ず る 菩 薩 を 神 通 乗 に 当 て て い る ︒ さ ら に ﹃ 大 日 経 疏 』 ( ﹃ 義 釈 ﹄ ) は ﹁ 故 大 品 云 ︒ 或 有 菩 薩 初 心 時 ︒ 即 上 菩 薩 位 得 不 退 転 ︒ 或 有 初 発 心 時 即 得 無 上 菩 提 便 転 法 輪 ︒ 龍 樹 以 為 如 遠 行 ︒ 乗 羊 去 者 久 久 乃 到 ︒ 馬 則 差 速 ︒ 若 乗 神 通 人 ︒ 於 発 意 頃 便 至 所 詣 ︒ 不 得 云 発 意 間 云 何 得 到 ︒ 神 通 相 爾 不 応 生 疑 ︒ 則 此 経 深 旨 也 」 ( ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 巻 三 九 ・ 五 七 九 頁 下 段 ) と し て ﹃ 大 智 度 論 ﹄ が ﹃ 大 品 般 若 経 ﹄ に 言 及 す る 箇 所 を 引 用 し て い る ︒ − 72 −

(15)

( ) 東 密 に お い て こ の よ う な ﹃ 入 印 経 ﹄ と 諸 乗 の 差 別 な ど を 論 じ る 例 は 本 文 中 の 宥 快 の 例 や 杲 宝 ﹃ 大 日 経 疏 演 奥 鈔 』 ( ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 31 巻 五 九 ) ︑ 聖 憲 ( 一 三 〇 七 袞 一 三 九 二 ) ﹃ 大 疏 百 條 第 三 重 』 ( ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 巻 七 九 ) な ど が 主 で あ り ︑ そ れ 以 前 で は や は り 天 台 に お い て 用 い ら れ て い る よ う で あ る ︒ ( ) 前 掲 註 参 照 ︒ 32 ( ) 前 稿 ﹁ ﹃ 奉 為 嵯 峨 太 上 太 后 灌 頂 文 ﹄ に つ い て 」 ( ﹃ 智 山 学 報 ﹄ 六 五 輯 ・ 二 〇 一 六 ・ 六 〇 八 頁 ) 33 ( ) 伝 記 類 の 記 述 に は ﹁ 弘 仁 十 四 年 に 嵯 峨 天 皇 の 灌 頂 が 行 わ れ た ﹂ 旨 を 示 す も の が 複 数 あ る ︒ 古 く は 成 尊 の ﹃ 真 言 付 法 纂 要 34 鈔 』 ( 一 〇 六 〇 成 立 ) で あ る が ︑ あ く ま で 天 皇 の 灌 頂 で あ る ︒ も っ と も 早 く 皇 后 の 灌 頂 に 言 及 す る の は 賢 宝 ( 一 三 三 三 袞 一 三 九 八 ) の ﹃ 弘 法 大 師 行 状 要 集 ﹄ に な る ︒ そ れ 以 前 の 仁 海 ら に は こ う し た 記 述 は み ら れ ず ︑ 年 代 が さ が る に つ れ ︑ 伝 記 に み る 灌 頂 授 与 の 対 象 と な る 天 皇 や 皇 后 は 増 え る 傾 向 に あ る ︒ 本 書 の 文 面 に よ れ ば 杲 宝 の い う ﹁ 承 和 八 年 ﹂ が み え て く る も の の ︑ こ う し た 伝 記 類 の た め に ﹁ 弘 仁 十 四 年 ﹂ と い う 空 海 在 世 の 年 代 が 導 き 出 さ れ て し ま う こ と も 考 え ら れ る ︒ ま た 経 範 ( 一 〇 八 九 ) ﹃ 大 師 御 行 状 集 記 ﹄ で は 平 城 ・ 嵯 峨 に 加 え 淳 和 帝 の 灌 頂 に も 言 及 し て お り ︑ こ れ が 本 書 第 二 文 の 淳 和 帝 等 の 記 述 が 関 係 し て い る 可 能 性 も 考 え ら れ る ︒ ( ) 甲 田 氏 は ﹃ 平 城 天 皇 灌 頂 文 ﹄ と ﹃ 嵯 峨 皇 后 灌 頂 文 ﹄ を 連 写 し た ﹃ 三 昧 耶 戒 序 八 本 』 ( 一 三 二 六 年 ) ︑ ﹃ 灌 頂 表 白 多 本 』 ( 平 35 安 後 期 ) と い う 二 本 の 写 本 に つ い て ﹁ 元 よ り 一 連 の 文 で は な く ︑ 外 題 か ら も 複 数 の 文 章 を 集 め た も の で あ る こ と は 明 白 で あ る ﹂ と 述 べ て い る ︒ こ の よ う に 一 篇 に 合 さ れ た も の が あ る の に 対 し ︑ 外 題 等 も 含 め ︑ こ う し た 形 で 伝 わ っ て い な い も の が 存 在 す る 可 能 性 も ま た あ る ︒ 〈 キ ー ワ ー ド 〉 空 海 ︑ 実 慧 ︑ 重 誉 ︑ 平 城 天 皇 灌 頂 文 ︑ 嵯 峨 灌 頂 文 ︑ 嵯 峨 太 上 太 后 灌 頂 文 ︑ 不 必 定 入 定 入 印 経 ︑ 神 通 乗 − 73 −

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参照

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