富山 大学 教育 学 部 紀要A く文科 射 No.4 1 ニ1 卜 1 9 仲 醐 年 l
F
十 二 夜
Aに お け る 言 葉 と ア イ デ ン テ ィ テ ィ
内 藤 亮
一く1 9 9 2年1 月10 日受理1
L
a ng
u ag
e a nd I d
e ntit
yi
nT
w el j th N i g h t
R yoic
h
i NA
I TO
F十二
軌 く
Tw elj
th N ig h il
に おいて各
登 場 人物
の アイ デンティ ティく
i dentit yl
は, 行 動 よ り もむし ろ 言葉
を 通 じて, 観客
及び他の登場
人物
に 伝 え ら れ るo と ころがそこ で使われて いる言 葉 は, 必ず
し も 正確
でないこ と があ り, また虚 言ではないにしても,
全 面
的 真実
と は言いかねる場 合があるo また登 場 人
物
自身
も 自 己 形 成に当た っ て,他 者
の言語
に依 存 している場 合があるo マ ルヴオ ー リオ
く
M alvoliol
は, 虚 偽 の手 紙の言葉
にした がって, 自 己 自
身
を 仕 立て上 げ よう
と してい るo オ ー シ ー ノ ー
く
Orsin ol
公 爵の恋 愛感 情
にしても,
宮
廷恋 愛
という
文 学 上の慣 習く
c o n‑v enti. n
l
に則っ てい る こ とを 考 え れ ば, 彼 も また
他者
の言 葉で自 分 を 作 り 上 げてい るo つま り 各 人物
は, 何 らかの形で言 葉によって, そ れ もいわ ば他者
の言 葉によって, 自分 を作
っ たり,作
ら れ たり しているのであるo した がっ て この言 葉 その ものに対
して,劇 中
,特
に三 幕 一 場での ヴァイオ ラN
iolal
と の会話
に おい て, 道 化 フ ェ ス テく
Festel
がその両義
性, 唆 味 性 を 指 摘 する ときく
3.1.l l‑2 5l
, その コ メントはそのま ま,劇 中
の言
葉
によって作
られ た,各
人物
のアイ デンテ ィテ ィを 宙 吊 りとし, 同 時に彼 らの実 際に置かれた状川
況 を, 指 し 示 すこと にも なるの であるo 実
際
に各
人 物が体 験 する, アイ デンテ ィ テ ィの混 乱は, 双 子の認 知という 舞
台 上での視 覚 的 な 形で解 決される が, そ れは
象徴
的 な意
味で は, 言 葉の持つ多義
性 を 認 識す
るこ と でも あるo 以 下,F十二
軌
にぉける アイ デンテ ィ テ ィ の問 題は, 言 葉による解 体と再 構
築
の物
語である, と いう
の が, 本論
文のく2I
趣
旨
であ るoま
ず
, 当時
の言 葉に対す
る見 方 を, 簡単
に振 り 返っ てお くと, 言 葉に対
す る見 方
は, エリ ザべ スく
Eliz abet hl 朝
に おいて 二分 さ れてしi たo 一 方にぉいて, 雄 弁さ は真 実 を 効 果 的に伝 えるものと見
徹
さ れていたo しかし一 方で は, ラムスく
Pete rRa m us
l
に代
表 さ れるよう
な簡
潔 な 文 体が, よt 31
り 信 頼できる とする
見
方が登 場 してきていたo この
簡潔
さ と雄弁
さの対 立に おいて問題に されているのは, 言
葉
がいか にして, 信 頼に値 するものに なるのか という 問 題であ るo 言葉によっ て真 実は 述べら れるのか, あるい は真 実が隠されるこ とのく41
方が
多
い のか, その こと が問 題となるo 当時
の言 葉に対 す る 態 度につ いて言 え ば, つまる と こ ろ,言
襲
は信 頼 もされていたし, 疑いの念で みられ てもいたのであるo 言 葉によ って は 明確に表 現 する こと は でき ず, またその
唆
味さを 利 用 して, 人々 を 濁す 者
がいる と心 配 さ れる 一方で, 聴明な 話 者 や 聴 き 手 な ら, 欺 哨 を 見破 り, また言 葉の予 期せt 51 ぬ意 味から悟 り を
得
る と思われていたの だo 概 して
修
辞 学 者は言 葉に対 して楽
観 的であ り, 吉 葉の豊
か さ によっ て聴 衆 を 動かし うると 考 え, 論 理 学‑
1 1‑‑
者
は言 葉によっ て真 理 を 論 ずること に対 して悲 観t61
的であったo
言 葉の
唆
昧 さ, 言い換 え れば, 言 葉の意
味 する もの が, 固定
していないというこ と は, 社 会の秩 序にとって は脅
威とも な り うるo シ ェイクスピ アく
W illia m Shakespear eJ
の劇が雄弁
な 言 葉で,社
会
の秩序
を 語る ときに起こ る自家
撞着
が こ こ にく7I
あるo そ してそ れは, 共 同 体との相 互
作
用 を 通 じ て作
ら れるものと しての, 個 人のアイ デンティ テ ィを 語る ときにも 言 えること であるo そ れで はま ず,F十二夜A に おいて,
各
人物
のアイ デン ティティ が主に言
葉
を 通 じて, ときに本 人と無関係
に, 解 体, 再 構
築
さ れる様
を, 順に み ていくこ と にす
るo本 人の知 ら ないと こ ろ での, 他の人 物の言 葉に よる アイ デン ティティ の
解
体 の代 表的
な 例 と し て,一
幕
五場
に おける ヴァイオラが オリ ヴィ アく
01i vi al
に謁 見 を 求め る場 面が挙
げ ら れるo こ こ でヴァイオラは, マ ラ イアく
M a rial
, トピ ーく
Sir Toby Belchj
, マ ルヴォ ‑ リオの言葉
を 通 じて オリヴ イ ア に どのよ
う
な 人物か が伝 え ら れ るo各
人各様
に ヴァイオラの こと を 述べ る が, 言 葉に よっ て人 物 を福
定 しよう
とす
る オリヴ イ ア の試み は,各
人の極 く 断 片 的 な 返答
や, トビ T , マ ルヴ オ ーリオ によ る 言 葉の意 味の はき 違 え など によって, 成 功 し ないo そ れ らの言
葉
から解
か る の はヴアイオラのこ とよ り も, む しろそ れ を 述べる 人 物
連
のこ と であるo マ ラ イ アの関 心は, 門のところ に美
しい青 年がいる という
こ と だけであ り, ど こ から 何の用で釆た人物
かという
こ となど は何 も聞
いていないo トピ ー の
報
告から わか る こ と は, 彼 自身
が酔
っ払って い るという
こ と だけであるo マ ルヴォ ‑ リ オ の言葉
は, 自 らの修
辞 的 形容
に自 己 満 足 げ な, 自 惚 れ者
である こと を 示 しているoN ot yet old e noug h fo r a m an, n o r yo u喝
e n o u
g h
fo r a boyi a S a Squa sh is befo re ,tis a pea s cod,or a c od ling when ,tis alm o st a n ap p le. ,T is wit h him in sta nd ing w ate r,betw e en boy a nd m a n .
f8J
く
1. 5. 1 5 6‑5 91 簡 単
に言 えば, 少 年と成 人の間である という
こ と だ が, 比 噴 を 重ね る こ と で, その意
味す
る内 容は不 必 要に, 暖 味 な ものとなっ てい るo そ して結果 的に は, これ らの言 葉に玩ばれて, ヴァイオラの アイデンテ ィ テ ィ は断 片 化され,
解
体さ れ ている とい えるo だ が実のところ, ニれ らのヴァイオ ラ を 巡る言 葉の無 方 向 な状 況は, ヴァイオ ラ が現に お か れ ている, 彼 女 自身
のアイデンティ テ ィの噴く9J
界 的 状 況 と一 致 してい るのであるo
同 じ よ
う
なアイデンティテ ィの解
体は 一幕
三場
のア ンドル ー
く
Sir Andrew A gu e cheekl
につ い てもいえるo ヴァイオ ラの場合
と 異 なるのは, ア ンドル ー の場 合は他
の人 物によって,意
図 的に言 葉で 玩 ばれてい る点であるo アン ドル ー を 巡る言葉
は, マ ライア とトピ ー によ って酒 落 や 言葉遊
び を 通 して語 ら れ, シニ フィ エく
si gnifi el
が確 定 することな く, シ ニ フィ アンく
si gnifia ntl
が連 敗
し,ず
れていくo アン ドル ー 自身
, 言 語 理解能
力の欠 如 を暴露
し, 自 ら も 言葉
に玩 ば れるoSir To. Acc ost,S ir A ndrew , a cco st.
Sir A nd. W hat,s that ア Sir To. M y niece
,
s chambe r mai d.
仁
Sir A nd.j
Go od M istre s s Ac c ost, I de sire bette r a cquaintan c e.Ma r. M y na m eis M ary,sir.
Sir A nd. G o od M istre s s M ary Acco st ‑ Sir To. Yo u mi stake, kni g ht. L IAcc o st, , is front he r,bo ard he r,w oo he r,a s s ail he r.
Sir A nd. B y my tr oth, I w o uld n ot
u ndertake he rin th is c om pa ny. 工sthatthe m e a n l ng Ofく一a cc o st,,P
く
1. 3. 4 9‑5 91
彼は通 常の言 葉の意 味 を 理 解できぬま ま, シニ フ ィ アンに自 分の勝 手 なシニフィ エを緬
び付 ける8このことは ア ンドル ー の現
実
認 識のず
れ, 例 えば オリヴ イ ア に抱 く 妄 想 を 示唆 す
るo 言 語の生み だ す 一切の現 実が共 同 幻 想 と す れば, アンドル ー の そ れは個 人 幻 想であるo アン ドル ー は独 りで現 実 を 意 味づけてし まっているのであり, 共 同体に揺 すれば, 彼が拠っ て立つ現 実の意 味は, 当ても な く ず れて ゆくのであ るo した が っ て アン ドル ー を 描 写す
る に は, アイ デンティ テ ィの流 動 性 を 示 す た め に, シニ フィ アンを 限 り な くず
ら していく よう
な, 言 葉遊
びを 通 して の描 写のほ か に はないoF十二夜A に お け る 言葉と ア イ デンティティ
れ て アンドル ー を 巡 る 言 葉の浪
費
は, 彼の金
の 浪費
にも対
応 しているのであ るo ア ンドル ー はtド ‑ の言
葉
に玩 ば れて, オりヴ イ ア との, あ り ぅる筈 も ない結 婚のた め, いたず らに金
を 浪費
しているのであ り, 要
す
る に, トピ ー に とっ て アン ドル ー とは, 玩び, 浪費
すべき, 言 葉であ り,金
に ほ かな ら ない のであ るo
これ まで に述べてきた 二つ の例は, 言
葉
によっ て, 疑 似 的に, その人のアイ デンティティを解 体
している例
であ るo その際
, 観客
は登 場 人物のア イ デンティ テ ィ が言 葉によ っ て,様
々 に解 体 さ れ,一 つ の像に収 赦せ
ず
, 拡散
していくこ とを 体験きせられるo しかし, 言 葉 は
解
体のみな らず
同 時に, あ る 人 物のアイ デンテ ィティを 勝 手に, 潤 人も し く は共 同 体の内に, 構築
もす
るo その再構 築
は,話者
が意
図 してい る場 合
も あ れ ば, 聴 き 手の側の過 剰 な 解 釈による こ とも あるo 叶二
軌
に おいて言
葉
はし ば し ば, 人物
の正確
な 描 写 を なす
という
よ り も, その人物
の こ とを 聞い た人の心 を動かす
の であるo しかるに当晩
言葉
は論 理の道
具 と して は正 確 さに疑 わ しいと こ ろ があ るが,八
のJ仁一を 動かす
に は相 応 しい豊
か で表
現 力tlOl に満 ち た媒
体である と考 え ら れていたの であるoそ れで はま
ず
,語
る側の意 図 を 越 えて, 受 け 手の側が言
葉
を 勝 手に解 釈す
る ことで, 相 手 と 自 分 双方の人物像
を程 造 また変容
さ せ てし まう例
を見
ていくこ と にし よ
う
o一
幕
‑ 場で, 閉 じ龍
もっ た尼 僧く
cloistres sl
のよ
う
に,喪
に服 すオリヴ イ ア の様
子 を 聞いた オー シ ー ノ ーは, 彼 女の亡 き 兄に寄せる 愛の大 き さ を そこ から 読み取 り, その愛 を 征 服できる
者
は幸
せ かなと物 想
うく
1 .1.2 3‑
4 0l
. オ リ ヴ イ ア のこ と を伝 える言葉
は, オ ー シ ‑ ノ ー に とって は情
報 と してよ り も, その言 葉 自体
が オり ヴイ アそのものの実体 と なって, 彼の愛
情
を よ りかき 立て る こ と になるのであるoーしかし, 彼の愛
情
をかき 立て ている もの は, オ リ ヴ イ アそのもので はな く, オtl ヴ ィ アを 巡る言 葉であ り, その解 読の規 範となっ ているの は宮 廷 恋 愛という 文 学 的 慣 習 なの であ るo つま り, オ ー シ ー ノ ー にとって, オりヴ イ ア と は言
葉
なのであ るc そ も そ もオリ ヴイ ア に関 す
る言 葉 自 体, 使
者
が直 接に聞いたもので はな く,侍 女から 聞いたもの であ るo つま り, 言
葉
としてのオリヴ イ ア とい
う
印象
を, 強 調 する か のよう
に, オ り ヴ イ ア は 二重に言 語 化 さ れて, オ ー シ ー ノ ー に示 さ れるの である. しかし,
一
幕
五場
で我々 が出 会 うオリヴ イ アの
様
子は, オ ー シ ー ノ ー が描 く, 悲 嘆に暮
れる創 生のイメ ー ジ とは 異 なる 印象
を与
え, 言 葉による アイ デンティティの不 確 かさ を 示す
のであるo一 幕二場で, オ リ ヴ イ ア が亡 兄‑ の愛 ゆ えに,
世 間 を 避 けていると
語
る船 長く
Sea C ap tainl
の 言 葉く
1.2 .3 9‑4 11
は,一 幕 一 場と同 じ く, 人 伝 て に聞いた こと を もと にしているo オ りヴイ アを 巡る言 葉は, こ こ でも二重に隔てら れてい るので あるo そ れに対 して ヴ ティオラは, 兄セバ スチャ ン
く
Seba stia nl
を 亡 く した やも 知 れぬ, 自 分 の 境 遇に重 ねて か, オリヴ イ ア に仕 え,身
を 隠 してぉきたいと嘆 じるo 既に,
一
幕
一場で が1 T7 イ ア に関 する こ と は, 述べ ら れていた こ とを 考 える と, ここ での船 長の台 詞に は, 観客
‑ の情 報
としての
意
味はないo むしろ同 じ情
報に対 して如 何 に, オ ‑ シ ー ノ ー と ヴアイオラの二人が, 異 なる 反 応 を 示 してい る か という
こ とを, 表 すた め に繰 り 返されていると考 え ら れる,‑ .
o オ ー シ ー ノ ー がそう
であっ たの と同 じ く, ヴァイオラ もオリヴ イ ア そのものよ り, オ り ヴ イ アを 語る言 葉によっ て,自 己の オり ヴイ ア
像
を作
り 上 げ, それ によっ て,むし ろ 彼 らの内 面 的 な
感情
を 暴 露 しているのであるo
船 長の語る言 葉はまた, 兄が生 きて い る とい
ぅ
, ヴァイオ ラの希
望の りaut ho rit y, ,く
1 .2.2 01
とも なるo 船 長の言
葉
は単 なる事 実の報 告で はな く, 波 間に浮か ぶ セバ スチャ ン の姿 を 詩 的に述べている
く
1.2.81
1 7l
o こ こで は語り手 自身
も, 言 葉 を 論 理 的に で はな く, 表 現 力豊
か に語っ て いる.o
HArio n
, ,く1 .2.1 5
1
という 比 喰によっ て, セバ スチャ ンは, 文 学 的に形象
化された存 在と化 し,ヴァイオ ラの
希
望は, 伝 利こおいて t .A r主o n, , が
u11
助か っ た ところ に か か ってくるo つま りは文 学 的 な 言 葉によっ て, 真 実が語 ら れ うること に拠って いる といえるo 言葉の呪 術 的 な 力 を, 信 稀 するこ と が要 求 され てい るのであるo
ォ り ヴ イ アも,
一
幕
五 場, 三幕‑ 場に おいて,1 3
‑
変 装
した ヴァイオラである, シザ ー リ オ くCe sa r‑ iol
という
テクスト を 読み解 くo 先に述べたよ う に, ヴァイオラ を 巡 る 言 葉は統 一さ れたものとな らず
, 現 在のヴァイオ ラの境 遇と同様
に, 唆 昧 模糊
と してい るo そ れによっ て オ リ ヴ ィアは却 っ て, ヴァイオ ラく
シ ザ ー リ オ1
の多様
な解
釈 を 可能
にす
るのであるo また ヴァイオラ 自身
が述べる 非 難の言 葉 も,字義
通 りの意 味 を 越 えて, オリヴ イ アの心に訴 えかけていくo オリヴ イ アの勝 手 な解
読は, 結 局 自 分の感情
を育
む こ と に ほ かな ら ないが, そ れ までのヴァイオ ラ, つま り 実 際のヴァ
イオラ, 及び オー シ ー ノ ー に仕 える小 姓としての シザー リオとは全 く 別に,
宮
廷 恋 愛の慣
習 を 逆に した, つれ な き美
少 年シザー リオという
人物
を,作
り 出 すのであ るoOli.
L
Asideコ
0, what a de al of sc o r nlo oksbe autiful
ln t he c o nte m p t a nd a nger of h isli p L.. Ce sario,b y the ro s e s of t he spring, J
B y m ai d hood, honor, tr ut h, and e very t hing,
工lovethe e s o,t hat m augre all t h y pri de, t
N or wi t1 10r r e as on Can ,m y pas sio nhide... . 1 々o. B y in noc e n ce I s w ea r, an d b y m y yo ut b,
工 ha v e one he a rt, on e boso m , a nd one tr ut h,
A nd t hatn o w om an has, n o r n e v e r n o ne
Shall mistre s sbe of it, s a veエalo ne.
く
3.1.1 4 5‑4 6, 1 4 9‑
5 2, 1 5 7‑6 0l
一方, 言 葉によ る 人
物像
の, もっ とも単
純 な意 図 的 提 造の例は, 三幕
開 場に みら れ るo ヴァイオ ラ とアン ドル ー の決闘
の場 面において は, 両 者の 人 物像
が, 決 闘 を 回避 させ る目 的で, トビ ‑ の虚 言によっ て程 造 さ れる. この場 合に は, トピ ー は 両者
に直 接 偽 りの人 物像
を 語るく
偏 るl
のであ り, 言葉
の意 味に唆
昧 さがあるわ けで はないo聞
き 手は, 語 り 手の意 図 したとおりに, 言 葉の意
味 を 取っ てい るoも
う
少 し複 雑
な 意 図 的 提 造は, トピ ー らによるマ ルヴォ ‑ リオ改 造であるo マ ライアの
書
いた手紙の言 菜は,
単
純 な嘘で はなく, 言 葉の意 味が はっ き り し ない謎めいた言 葉であるo 二幕 五 場でマ ルヴォ ‑ リ オ は, 偽の手 紙の言 葉 を, 都 合の
良
い よう
に解
釈 す ること で,唆
味 な 言 其の解
釈 を 基盤 と した, アイ デンティ テ ィを 形 成す
るo こ こ に は 言葉
の唆
昧, あるいは豊
かな意
味によって, 人物
が解 体 さ れ 再 梼
築
さ れる過 程が集
約されているといえるo
このよ
う
に言 葉による解 体,構 築
が劇中
で繰り 返 さ れ, 観客
の視 点からみ た場 合と, 登 場 人 物 自身
の視 点からみ た場 合の双 方の視 点から,各
人物
のアイ デンティ テ ィ は言 葉によっ て,
一 つに固
定
さ れるこ とな く, 収 放と拡
散
を 繰 り 返 すの であ るo言 葉による
解
体の対 極にあるのが, 言 葉による 人物
の監 禁, 固 定 化であるo 言 葉による固定 化の 極 端 な例 は, 同 語 反復
に見 ら れるo アン ドル ーは 二幕
三場において, トピ ー の健 舌 な 言葉遊
びや,意 味の
不
明 な 言 葉につ いていけず
, 同 語 反復で答 えるoSir To. A p proa ch,Sir Andr e w . Notto be a‑bed after mi dni
g h
t is tobe up be time s,and L Edelic ulo su rge r e,
, ,t ho u kn o w
,
st ‑ S ir And. Nay,b y m y tr ot h,I kn o w not3 but 工 kn o w ,to be up lateisto be up late.
く
2.3.1‑51
言 葉 と 戯 れる能
力のないものは, 流 動す
る 言 葉に 耐 え き れず
, 言葉
の意 味 を 固定
させよう
として同 語 反復
に陥るo しかし 同語 反復
によっ て は, 言葉 は自 己 言 及 的 な ま まであ り, なにも伝 え ない無価く咽
値 な 自 己 同一一経であるo いわ ば,
一 つ の意 味の中
に閉 じ
蔑
もっ たま ま, 言葉
の豊
かな意
味 を 拒 絶 す る, 出口 のない静
止 した死の世 界であ
るo劇中
において繰 り 返 さ れる,
L Lyou a re not what yo u
a re, ,
く
3.1.1 3 91
式の, 同語 反復
を 強 引に否 定 する3R配
構
文は, この死の世 界に対す
る, 言 葉による抵 抗の試み であるo
一 幕 五 場で, オリヴ イ ア に オ ー シ ー ノ ー からの 伝 言 を伝 える ヴァイオラは, 自 分が決めら れたテ
クストの言 葉に, 縛 ら れているこ とを 告 白 するo
ヴァイオラは決めら れた台 詞だけ を 話 そ
う
とす
るこ と で, 役