大串隆吉先生を送る
野元 弘幸
東京都立大学(以下「都立大」)の教員として,35年間にわたり,学生・院 生の教育と研究にたずさわってこられた大串隆吉先生が,2007年度末をもって 定年退職される。1964年に人文学部に入学されてから,院生・助手時代を含め ると,44年間,都立大とともに歩んでこられたことになる。運命のいたずらと 言うべきか,先生は,都立大最後の学生となる今年度の卒業生と一緒に母校を
「卒業」することとなった。
まず,なぜ都立大最後の卒業生なのか,また,なぜ「首都大学東京」ではな く「都立大」の教員としての定年退職なのかにっいて,若干触れておく必要が あろう。都立大は,石原慎太郎都知事の強権的な大学改革により,2005年4月 から,都立の他の3っの大学と統合し「首都大学東京」となった。学生や教職 員の声を無視し,人文学部を解体・再統合して都市教養学部をっくり,教員に 対しては強引に任期制・年俸制を導入するという非民主的で暴力的な手法によ る改革であったため,都立大の教育・研究の実績と伝統のうえに現代的課題に 応える大学づくりをすすめようとしていた教職員・学生は都庁(大学管理本部)
と鋭く対峙することとなった。現場は混乱し,多くの教員が他大学に移り,任 期制や教員評価をめぐる摩擦や軋礫は,首都大学東京開学3年後の今日でも続
いている。
先生は,こうした石原都知事による「首都大学東京」設置に強く反対し,組 合においては専門委員会のまとめ役に,また,OB・都民に対しては支援を呼
びかけて「都立の大学を考える都民の会」を発足させる一員となった。このな かで,先生は都立大の学生の面倒を最後までみるために,この大学にとどまっ
2
たのである。本稿が,「首都大学東京を定年退職される」と単純に記さないわ けがここにある。
残念ながら,こうした努力にもかかわらず,改革の流れは止まらず,都立大 を復活させるには至らず,都立大はいよいよその幕を閉じることとなった。定 年前の数年間,母校を守るための闘いに身を投じなくてはならず,ゆっくりと 都立大の行く末にっいて語る時を奪われてしまった先生の無念さはいかばかり であろう。現4年生が2年次に教育学専攻の学生として進学してきた春のガイ
ダンス合宿で,「君たちと一緒に卒業することになる」と,先生がしみじみと 言われたことが思い出される。
さて,都立大の「卒業」にあたり,先生が都立大教員として積み上げてこら れた業績や経歴をあらためて振り返ってみると,そこには一人の教育学研究者 の信念をもった生き方が浮かびあがる。
まず,先生の研究・教育・実践の関心は,っねに社会的弱者の立場から問題 を捉えるというヒューマンな視点に貫かれている。社会教育・生涯学習研究に おいては,労働者や青年の自己教育運動に注目し,法制度研究においては,権 利としての社会教育・生涯学習をすべての人に保障する立場から論陣を張って
こられた。
ドイツの「社会的教育学」によせる問題関心も,不利益を被る子どもや青年 を対象とする「社会的教育学」が福祉や少年司法をも視野に入れているという 特徴と関連がある。先生は,最近,受刑者教育にも関心をもち,日本国内の少 年院の訪問も重ねている。思い起こせば,先生は都立大学生時代,セッルメン トで活躍されたと聞く。こうしたヒューマンな視点もまた,都立大とともに歩 めばこそであったのかもしれない。
先生はまた,現代社会の問題に鋭く切り込む研究や実践を行いっっも,常に 歴史研究を大切にされた。歴史に学び,現状を分析し,課題を明らかにするこ との大切さを教わってきた我々であるが,先生は,ゼミの討論のなかで,具体 的な歴史的事実の指摘を通じて,常に先達の取り組みに学ぶことの大切さを教 えてくださった。歴史関連の著書や貴重な史料が山積みされた先生の研究室に 入り,それらを眺めると,先生の研究の懐の深さと裾野の広がりを感じずには
大串隆吉先生を送る 3
いられなかった。
先生は,こうした研究を史実の解明や現状の分析に終わらせることなく,教 育運動や労働運動に具体的に参加しながら,実践・行動してこられた。民間教 育運動団体で,戦後の民主的な社会教育の発展を支えてきた社会教育推進全国 協議会の活動に長年参加し,2001年から2004年までは委員長を務めている。社 会教育関係の雑誌として50年の歴史をもっ『月刊社会教育』の編集にも長年た ずさわり,1996年から1998年まで編集長を務めている。労働運動に関しては,
2006年度に東京都立大学・短期大学教職員組合の委員長を務められ,最終年度 である2007年度も,法人化後の首都大学東京の教職員の雇用・労働条件につい て協議する労働者過半数代表者を務められた。驚くことに,先生は,それ以前 に同組合の委員長を2期,副委員長を1期,書記長を1期務めている。
先生を信念の人と感じるのは,こうした民間教育運動や労働運動における経 歴を,先生が当然のように履歴書に書かれるときである。民間教育運動や労働 運動への参加が,本務である大学での教育・研究活動に対して付加的な部分で
はなく,不可分一体であると捉えていたように思われる。
最後に,先生のお人柄に触れたい。10年足らずしか仕事をご一緒させていた だいていないが,先生は実に淡々と仕事をこなしてこられた。本務である大学 の研究・教育に加えて,諸団体の役員を務めたり,組合活動などに参加された りするなかで,多忙な時期もあったかと思われるが,忙しそうに立ちまわる姿 や思い通りに事が運ばない苛立ちを顔に表すことはなかった。歩く速さもリュッ
クを背負ったスタイルもいっも同じであった。
比較研究のために,しばしばドイッを訪れ,デンマークまで足を伸ばしては,
デンマーク語まで学び始めた先生は,定年退職を前にしてますます意気盛んで ある。都立大を退職されても,引き続き,第一線で活躍されることと思う。長 年にわたる都立大での温かいご指導に感謝しっっ,お見送りしたいと思う。