ダイバーシティ推進におけるキャリア管理の課題 : ドイツ・スイスの企業調査からの示唆
著者 武石 恵美子, 坂爪 洋美, 松浦 民恵, 松原 光代, 中川 有紀子
出版者 法政大学キャリアデザイン学会
雑誌名 生涯学習とキャリアデザイン
巻 17
号 2
ページ 135‑156
発行年 2020‑03
URL http://doi.org/10.15002/00023242
135
1 研究の課題と背景
人材多様性=ダイバーシティを企業価値や企業 の成長につなげる「ダイバーシティ経営」を推進 する企業が増えている。ダイバーシティ推進のた めの人事施策として、女性が活躍するための育児 と仕事の両立支援策等の導入、あるいは長時間労 働を是正してフレキシブルに働くことができる働 き方改革、管理職に対する意識改革・職場マネジ メント改革の取り組みなどが進められてきた。し かし、人材の多様性を受容しそれを組織の成果に つなげるためには、働き方改革や職場マネジメン トの改革だけでは不十分で、人事管理システムの 改革が重要であるとの主張がなされるようになっ てきた(佐藤 2017)。
これまでのダイバーシティ経営に関する研究で は、ダイバーシティ経営が組織にもたらす効果(財 務面、非財務面)に関する研究、もしくは、ダイバー シティ経営を推進するための効果的な施策(管理 職支援や従業員研修の実施など)に関する研究な どが蓄積されてきているが、ダイバーシティ推進 により課題が顕在化してきた人事制度のあり方に ついて明示的に取り上げた研究は少ない。
ダイバーシティ経営と関連する人事制度とし て、本研究では従業員のキャリア管理に関わる異 動、育成の問題を取り上げる。佐藤(2017)は、
日本型雇用処遇制度を「同質人材を前提とした人 事管理システム」として、ダイバーシティ経営を 進めるためにはこの人事管理システムを変える必 要があることを指摘した。佐藤は、ダイバーシ ティ経営と適合的な人事管理システムの特徴とし て、個別管理、自己選択型キャリア管理等をあげ、
ダイバーシティ経営を経営成果に結びつけるため に、働き方改革や多様性風土の醸成の次の段階と して、人事管理システムの改革の取り組みを重視 する。
2で詳しく述べるように、日本の人事管理の特 徴として、採用時には職務内容などを明確にせず、
人事部門が中心となり組織主導で配置や異動、そ れに関連する育成が行われる点があげられる。異 動等を組織主導で行うことの意義や合理性があっ たからこそ、全体の雇用システムの中でこれまで の人事管理の仕組みが機能してきたといえる。
しかし、多様な人材が組織の中に増え、そうし た人材が活躍できるようなインクルーシブな風土 を作ろうとすると、個々人のやりたいことや多様
〈論文〉
ダイバーシティ推進における キャリア管理の課題
―ドイツ・スイスの企業調査からの示唆―
法政大学キャリアデザイン学部教授
武石恵美子
法政大学キャリアデザイン学部教授
坂爪 洋美
法政大学キャリアデザイン学部教授
松浦 民恵
PwC コンサルティング合同会社 主任研究員
松原 光代
立教大学大学院ビジネスデザイン研究科 特任教授
中川有紀子
な価値観を重視することが求められ、時には個別 の事情にも配慮する必要性が高まり、組織主導の 仕組みとの間に齟齬が生じることになる。従来の 人事部門主導の人事管理の仕組みの下では、全体 最適を重視するために、従業員の個別性への配慮 が軽視されがちであった。さらにダイバーシティ 経営の積極的な側面に注目すれば、同質人材を前 提にした人事管理システムでは、企業が重視する 多様な人材を輩出することは難しくなる。
武石(2017)は、ダイバーシティ推進を阻害 している人事施策として、「転勤」の問題が顕在 化してきていることに注目した。特に女性の能力 発揮の重要性の高まりや、男性を含めたワーク・
ライフ・バランス重視の価値観の広がりなどによ り、企業主導で実施する転勤政策の運用が難しく なってきたという実態がある。転勤政策の課題は、
ダイバーシティ推進を阻害する象徴的な人事管理 の仕組みである。転勤は人事制度上「異動管理」
に組み込まれて運用されており、日本企業の長期 的な雇用関係をベースにした従業員の採用や育成 策と深く関連しているために、その課題への対応 は難しい面も多い。
転勤問題に象徴されるように、日本企業の異動 や育成等のキャリア管理は、基本的に企業、特に 人事部門が強い人事権を発動しながら進められて きた。その場合、従業員個人が自身のキャリアを 選択できる余地は極めて小さく、このことが個々 人の多様性を尊重するダイバーシティ推進と不整 合を起こしてきている。ダイバーシティ経営を定 着させ企業価値の創出という目的を達成するため には、キャリアの自己決定を認めていくことも視 野に入れ、人事部門に集中する人事権のあり方に ついて検討することが必要になるのではないだろ うか。
そこで、本稿では、ダイバーシティ経営と人事 部門が主導してきた人事管理が整合しなくなって いるとの問題意識に立脚し、特に従業員のキャリ ア形成につながる異動や育成のあり方をだれがど のように決定するのかという点から、ダイバーシ ティ経営と整合するキャリア管理のあり方を検
討する。企業の人事部門に集約されている人事権 を緩和して、職場の状況や従業員側の事情・希望 を反映させるという形で職場の管理職や従業員の キャリア選択への関与を強めつつ、それが長期的 な人材育成機能や組織全体のパフォーマンスを下 げない人材配置と両立させるためにはどうすれば よいのかということが研究課題である。
この研究課題に対して、ダイバーシティ経営 を進めるドイツ、スイスの企業に対するインタ ビュー調査から示唆を得ることとする。ドイツ・
スイスの企業においては、人事権が人事部門に集 約されている日本企業との対比でみると、職場の 管理職に分権化されており、また異動にあたって 本人同意を得るという運用もなされるなど従業員 個人が自身の人事に関与する傾向が強く、その意 味で人事部門の役割は相対的に小さい。ダイバー シティ経営の定着のために人事権の分権化や従業 員選択型のキャリア形成が必要であると考えられ るが、ドイツ・スイスの企業において、企業のダ イバーシティ経営という経営戦略・人事戦略の下 で、従業員のキャリア管理がどのように行われ、
ダイバーシティマネジメントの実現との整合を図 るための対応がどのように行われているのか、と いう点を明らかにすることが研究の目的である。
検討にあたっては、日本企業の特徴とされる人事 部主導の異動や育成が、現場の人事権や従業員の 意向を反映する方向性へと転換する際に課題とな る、企業からみた長期的な視点に立った育成計画 や人材配置の組織全体の最適化にどのように対応 し得るのか、といった点についても示唆を得るこ ととしたい。
2 日本企業の人事管理とダイバーシ ティ推進の課題
(1) 日本企業の人事管理とキャリア形成の 特徴
①人事管理の特徴
日本企業の人事管理の特徴としては、欧米の
「ジョブ型」との対比で「メンバーシップ型」と
137 ダイバーシティ推進におけるキャリア管理の課題
いう点が指摘されてきた(濱口、2009)。「メンバー シップ型」の特徴としては、雇用契約において「職 務=ジョブ」を明確にせず、労働時間や就業場所 に関しても包括的に契約することにより、事業主 の裁量を広く認める点をあげることができる。同 様の指摘は久本(2008a)においてもなされてお り、日本の特に男性正社員に限定した時に典型的 にみられる特徴として、新卒中心の採用、採用時 の職種が大括りである幅広い職種別管理、人材育 成と安定雇用のための異動の日常性、があげられ ている。
本稿で注目するキャリア管理は、組織が行う人 事管理制度のうち、配置・異動管理、その結果と しての人材育成と深く関連している。
今野・佐藤(2013)は、配置・異動の人事管 理の意義を「社員と仕事を結び付け、仕事の遂行 に必要な労働サービスの提供を社員に求めるため の仕組み」としている。異動の目的は、適性発見 の機会提供、レベルの高い仕事経験による能力の 伸長、部門間・職能間の人的交流、部門間の要員 の適切な配置などがあげられる。日本企業では、
「異動管理」は、仕事経験の幅を広げるという能 力開発やキャリア形成の手段として重要な役割を 担ってきた。特にホワイトカラーのキャリア形成 においては、幅広い経験を積んで特定の職能分野 に限定されない仕事経験が重視され、アメリカや ドイツに比べると特定の職能分野に限定しない キャリアがより多くみられるとされている(今野・
佐藤(2013))。久本(2008b)は、企業内異動に より能力開発を高めることを重視する点に日本的 雇用システムの特徴があるとしており、企業内異 動は、「大括りの採用」があることにより制度的 に容易になっているとしており、濱口のいう「メ ンバーシップ型」の雇用の仕組みが、異動や育成 のあり方と深く関連している。
②人事権の所在
人事異動や育成の責任は誰にあるのか、という のは、「人事権」の所在はどこにあるのか、とい うことになる。
「人事権」とは、安西(2017)によれば「使用 者が労働者に対し(中略)人事上の措置を業務上 の命令として発する権限」とされ、採用から始ま る労働者との関係において企業の業務指揮権によ り決まるものととらえられている。高井(1987)は、
配置における人事権を「配置権」1と呼んでいる。
日本企業の配置権は無制限ではないが極めて広範 に及ぶという特徴をあげ、それを労働者が承諾し ているのは、「終身雇用という慣行の利益に見合 うものであること」に加えて「配置換えが労働者 の人格的発展を促すということ」につながるから だとしている。そして、日本では、配置転換への 拒否が懲戒権の行使を許容する根拠になっている ということからも、企業の配置権の強さが明らか であるとする。人事管理の現状に詳しい今野・佐 藤(2013)も、「日本では企業が、社員の適性や 職業能力を評価し、(中略)配置・異動を実施」
してきており、その意味で「企業が、社員の配置 と異動に関する人事権をもっていた」としている。
ここで人事権が「企業」にあるというとき、「従 業員個人」との対比で、「個々の職場」を指すこ ともあるが、日本企業においては、企業=人事部 門と言い換えてよいだろう。もちろん、人事部門 が異動や育成の責任をすべて担うわけではなく、
現場の管理職の役割は重要である。山下(2008) は、人事の様々な機能が本社人事部において担わ れているわけではなく、本社人事部とライン管理 職との間で役割分担がなされているとしている。
雇用管理に関していうと、本社人事部は採用や事 業所間の異動には強い権限を持つが、採用後の配 置や昇進・昇格、事業所内の異動などではライン 管理職の実質的な権限が強く、人事部門とライン 管理職が自社の労働力を共同管理しているとして いる。
ただし、日本では欧米の企業に比べると、現場 管理職の人事権が弱く人事部門に人事権が集中す る傾向にあるとされてきた。
Jacoby(2005)は、日本では人事部の影響力 が強く、これに比べてアメリカでは現場が人事管 理の権限をより強く持っているとされてきた。平
野(2006)も、アメリカとの比較において、日 本の人事管理の特徴として、幅広いキャリアパス を通じた技能形成に加えて、人事部の人事権の強 さを指摘する。
加藤(2002)は、人事部長・課長のキャリア の日米比較を行い、日本の人事部長が、職能を超 えた幅広いキャリア形成を行っていることを明ら かにした。アメリカの人事部は人事決定のための 制度上の整備を行うことが重要な役割であるた め、人事・教育制度の開発・整備を専門とする人 事のプロ集団といえる。それに対し日本の人事部 では、制度整備に加えて異動を含めた個別の人事 決定にも直接関与する権限を持っており、企業内 の職場の情報や人材の情報を豊富に持つことが重 要であるため、職能を超えた経験の有用性が高い と考察している。
八代(2002)は、イギリスとの比較研究により、
日本企業の人事部門が個別人事に関する権限を有 している点で、人事部の役割が大きいとしている。
このような国際比較に加え、日本企業の人事部 門の機能を検討した研究においても、人事部門は 広く人事に関わる役割を担っており、ライン管理 職との役割分担を行いつつも人事部には採用や部 門を超える異動、昇進管理などを中心に権限が集 中している現状が明らかになっている(平野 2011、一守 2016、など)。
こうした特徴は、異動やそれと関連する人材育 成についての企業の考え方からも明らかになって いる。武石(2016)が規模300人以上の企業に 実施した調査では、「人事異動は企業(人事部門)
の責任で行うので本人同意は必要ない」という考 え方の割合は58.7%を占め、育成との関連では「多 くの社員が異動により多様な仕事や職場を経験す ることを重視する」という考え方の割合が64.0% を占めた。日本企業の多くは、従業員が多様な仕 事経験を積むことを重視し、企業(人事部門)の 責任として異動や育成を行ってきたと総括でき る。
安西(2017)は、人事権の所在について、人 事部門や現場の管理職以外にも「労働者個人」と
いうことも視野に入れて議論している。企業の業 務指揮権の発動による人事の決定の現状を「人事 権行使による職業人生の他人決定性」と表現した。
異動に関して労働者の自己決定を認めると組織 的・統一的な事業展開が難しくなることから、労 働者は企業の人事権の行使に従うというのが一般 的であったと現状を評価している。
従業員がキャリアを選択するという意味で、「人 事権」を従業員個人が持っているという整理もで きるが、この点を明確にするために「人事権」に 対抗する概念として「キャリア権」という概念を 提示したのが諏訪(2017)である。諏訪は、キャ リアの展開は自己実現の過程であるとして、キャ リアの保障を通じて、生活の保障はもとより自己 実現の機会を保障すべきであるとした。キャリア 権を「労働権を中心において、職業選択の自由と 教育(学習)権とを統合した性格の権利」と位置 づけ、「キャリア権」を尊重した雇用政策及び企 業の雇用管理が展開されることの重要性を説く。
この考え方に立つと、従来型の「組織決定型」の 雇用システムではなく「個人決定型」の雇用シス テムが重要となり、職種の決定や異動において労 働者の主体的な希望をより強く反映させるべき、
ということになる。
③人事権の所在の背景
人事権の所在がどこにあるのかについては、雇 用システムの特徴と関連する。ここでは、人事権 が人事部門に集約されている日本、現場の管理職 に一定程度委ねられている欧米、というように違 いが生じる背景についての議論を整理する。なお ここでは、従業員個人の「人事権」「キャリア権」
についての議論はしない。
日本企業で人事権の所在が人事部門に集中する 傾向が強いのは、それが全体のシステムにおいて 合理性を持つからである。これに関しては、多様 な側面から解釈が行われている。
人事部集権的な人事システムをAoki(1988) は「J-firm」と称して、分権的なシステム「A-firm」 と対比させてその特徴を論じている。企業を外部
139 ダイバーシティ推進におけるキャリア管理の課題
環境に適合する情報処理システムととらえ、日 米企業は、この情報処理システムにおいて重要 な違いがあり、「J-firm」では、水平的な情報共 有を行うという点で情報共有が分権的であるこ とから、部門間で共通した目標の下で協働しイン フォーマルなネットワークで情報共有により意思 決定を行うために人事のシステムが集権的になる と考えられている。
一守(2018)は、人事部と現場ラインの役割 分担は人的資源管理制度の運用と関連があるとし ており、日系企業は「人基準」の人的資源管理制 度を人事部集権により運用し、外資系企業は「仕 事基準」の人的資源管理制度をライン分権により 運用しているとした。その上で、日本の企業でも 役割や職務価値を重視する賃金制度が導入される など「仕事基準」の要素が拡大し、そうなると、
人事部集権的な人事制度のあり方の非効率性が高 まる可能性を指摘する。
人事部集権的な人事システムは、企業特殊的な 人的資本形成やそれと強く関連する長期的な雇用 関係と一体化しており、その背景には、環境変化 が緩やかで同質性の高い構成員から成る組織構造 があり、これらがシステムとして機能している と考えられてきた。日本企業のキャリア形成は、
OJTを通じた仕事経験により行われる傾向が強 く、企業内で効果的な育成が行われるためには、
企業内の職務構造や熟練形成の仕組みを熟知して いる組織サイドが育成に関わる異動を行うことの 有効性が指摘され、国際比較研究により日本の特 徴が明らかにされてきた(小池 1999、など)。
今野(2012)は、終身雇用と年功制度を基盤 とする人事管理を伝統型人事管理と称し、伝統型 人事管理の特徴である雇用保障という経営リスク を回避するための重要な周辺装置として「配置を 柔軟に決める人事政策」をあげている。長期雇用 を維持するためには、企業にとって異動・配置の 柔軟性を確保して全体最適を図る必要があった。
同様の指摘は八代(2002)も行っており、ライ ン管理職は仕事を通じて部下の育成を行うが、自 部門の利益を上げるという観点から「部分均衡」
を目指す傾向が強くなるため、長期的な人材育成 という全体的な観点で人と仕事のマッチングを行 う人事部門の行動原則が企業全体からみれば重要 であり、人事情報を本社人事部門に集約してそこ に人事権を集中させることの合理性を指摘する。
(2)ダイバーシティ推進上の課題
日本企業の人事管理に関しては、その見直しの 必要性が繰り返し指摘されてきた。ここでは、ダ イバーシティ経営の観点から課題を整理したい。
最近の動きとして、日本経済団体連合会(2020) は、個人の価値観やキャリアに対する考え方が多 様化することに加えて、デジタル技術を中心とす る技術の変化や職業人生の長期化等の構造変化に 対応して、人事・賃金制度の再構築の必要性を強 調している。その中で、人材育成面に関して、「社 員のキャリア形成・能力開発を、企業主導型から 社員自立型へ移行していくことが望まれる」と明 言し、従業員の意向を重視した人事異動の仕組み や、上司等との面談を通じた職場でのキャリア支 援策、自己啓発などの充実化の必要性を指摘して いる。
経済団体が、キャリア形成のあり方について企 業主導から個人自立型へと舵を切ろうとしている のは大きな変化といえる。アメリカでは20年ほ ど前に同様の議論があり、Cappelli(1999)は人 事に関する組織主導の状況を、「オールド・ディー ル」と呼び、長期的コミットメントに基づく企業 内育成の重視という特徴を指摘した。しかし、長 期的な雇用関係の維持が困難になる中で、従業員 の側が将来について一定の責任を持つ必要がある ことを前提にした取引関係「ニュー・ディール」
へと変化しなくてはならない状況に注目した。ア メリカでは、2000年前後から、Cappelliのいう
「ニュー・ディール」型の雇用関係へと変貌して いったが、日本では、組織主導、人事部集権的な 人事システムが現在まで強く残っており、こう した日本的な雇用システムは、女性の活躍やダ イバーシティ推進とは整合しないシステムである との指摘がなされてきた(川口 2008、山口
2017、など)。
そもそもダイバーシティ経営とは、これまで組 織の中枢には少なかった属性の人材(女性、高齢 者、外国人など)に活躍の場を提供することが重 要になる。そうした人材は、企業の人事部門が人 事権を発動して主導する異動や育成の仕組みに フィットしにくい事情や価値観をもっているケー スが多く、個々の事情に配慮しないと能力発揮が 難しくなる。
また、多様な人材が組織を活性化してイノベー ティブな風土を作るという、ダイバーシティ経営 のより積極的な面を重視すれば、組織が準備した キャリアを歩むことにより同質的な人材が多数輩 出されるのを回避することこそ重要であり、働く 人が自身のキャリアを主体的に自己決定してい くことが推奨されるようになってきている。た とえば近年、副業が注目されているが、これも従 業員が自発的に自社外で多様な経験を積むことに より、企業主導では育成しにくいスキルの獲得や ネットワークの拡大などが期待されていることが 背景にあり、また、そうした従業員の経験の拡大 が組織にもたらす価値への期待が高まっているか らといえよう。Thomas & Ely(1996)は、ダイバー シティ推進において主流への同化につながる画一 主義は多様性のマネジメントとしては問題がある としており、個々人の違いを認めて受容すること の重要性を強調している。日本企業の画一的な処 遇制度が多様性を持つ人材に同調圧力をもたらす とすれば、ダイバーシティ経営の定着は不十分な ものにならざるを得ない。
したがってダイバーシティを推進し、多様な人 材の能力発揮を進めるためには、企業人事部門が 強い権限をもって運用している配置や異動、育成 において、現場や従業員個人の関与をこれまで以 上に高め、ダイバーシティ経営と整合させる形で 日本的なあり方を検討する必要がある。
今野(2012)は、経営環境や働く人の変化を受け、
従業員の多様性に体系的・総合的に対応できる多 元的な人事管理の方向に人事管理を再編する必要 があると指摘する。また、日本の人事部集権型の
人事システムに課題を提起する大湾・佐藤(2017) は、グローバル化、人材の多様化、少子高齢化が 進むと情報共有コストが上昇し分権的な情報共有 の仕組みが非効率となることから、現場に人事機 能を配分していく必要性を指摘している。
佐藤(2017)は、さらに直接的にダイバーシティ 経営の導入・定着のために、人事管理システムの 改革が不可欠であるとして、ダイバーシティ経営 に適合的な人事制度の理念型を提示した。本稿と 関連する内容としては、個別管理の雇用処遇制度、
育成プランを個人別に作成する能力開発策、職務 や勤務の変更に従業員の同意を求めること(自己 選択型キャリア形成)、があげられている。佐藤
(2019)では、この仮説を実証的に検討し、多様 な人材が活躍する人事制度の特徴として、非年功 的な処遇管理と自己選択型のキャリア管理の重要 性を導いている。ダイバーシティ経営を定着させ るためには、日本企業の人事管理の特徴であった 学歴別年次管理をベースにした一括管理や会社主 導型のキャリア管理を見直す必要性があることが 示された。
武石(2017)は、ダイバーシティ経営と人事 管理の齟齬が顕著に表れている「転勤政策」をと りあげ、企業主導で実施されている転勤政策に対 して、従業員の納得性が低下していることを明ら かにした。転勤に対する従業員の納得性を高める 上で有効なのが、個別の事情に配慮するなど本人 の意向を異動に反映させる制度の存在であること も明らかにしている。つまり、従業員の希望や事 情を転勤に反映させる施策の導入等により、異動 管理に従業員の関与を高めることが、円滑な転勤 政策を実施する上で有効であることを指摘してい る。佐藤(2017)も、転勤を事例に人事権のあ り方を考える必要性を指摘する中で、「人事権の 弱め方」という観点を示している。
日本の企業が、これまでの人事管理制度をダ イバーシティ経営に適合するように変更する場 合、人事部門に集中している人事権を緩め、各部 門のライン管理職や場合によっては従業員個人の 決定を重視するということが必要になると考えら
141 ダイバーシティ推進におけるキャリア管理の課題
れる。しかし、現在の仕組みは前述したようにシ ステムとして合理性をもちながら成立しており、
当然のことではあるが、人事権だけを取り出して 議論することはできない。この点に関して平野
(2006)は、「人事管理は組織のマネジメントの 別の側面である情報システムや、一国の社会シス テム(労働市場や解雇整理法制など)との補完性、
あるいは歴史的慣性に条件づけられる」としてい る。
人事部門に集約されてきた人事権を弱める際 に、特に考慮すべき点は次の2点である。一つは、
現在の仕組みが長期的な雇用関係を基礎に置いて いることから、人事部門の人事権を弱めることが 長期的な雇用関係をベースにした育成のあり方に 影響を及ぼし人材育成という観点から問題が生じ る可能性がある。もう一つは、人事部門が強い人 事権を発動することにより組織全体の最適化を実 現できていたとするなら、現場や従業員の発言権 を高めることで全体最適が阻害される可能性があ る。ダイバーシティ経営の定着のために人事制度 を見直す上で、この2つの課題への対処を併せて 検討する必要がある。
3 ドイツ・スイスの企業の人事管理
人事管理において人事部門の役割が大きい日本 企業と比べて、欧米の企業では、上述のように現 場の管理職により強い権限を与えているとされて いる。本研究ではドイツ、スイスの企業にヒアリ ング調査を実施したが、調査結果の分析の前提と
して、両国の人事管理にはどのような特徴がある のかについて概観しておきたい。なお、スイスに 関しては情報が限定的であり、以下ではドイツを 取り上げる。
まず、欧米といっても、そこには多様性があ ることが指摘されており、その代表的な主張 がMarsden(1999)である。地域や国による 雇用システムの多様性を理論的にモデル化した
Marsdenは、4つのシステムを理念的に導出して
4つの類型別の実証分析を行っている。この議論 を簡潔に紹介したい。
雇用関係の重要な特徴として、雇用契約時に契 約内容が明確にはならず、働き始めてから職務内 容などが決定されるという特徴があげられる。つ まり、労働者が雇用された時点ではどのような仕 事が必要になるのかを明確に知ることはできな いために、「労働者はある限定された範囲内で自 分たちの業務を特定化する権限を経営者に与え ることに合意」し、その範囲内で経営者は仕事の 配置を決定することになる。経営環境の変化に合 わせて雇用の柔軟性を維持したいという経営者側 のニーズに対して、労働者は経営者の無制限な権 限を許容することはできないため、それをコント ロールする必要がある。この不完備契約を前提に して、どのように職務を設計するのが効率的かと いう「効率性」と、必要な仕事をどのように従業 員に配分すれば従業員に受け入れられるのかとい う「履行可能性」、この2つの次元を設定し、そ れぞれに2つのタイプを設定することで、4つの タイプを設定した(表1)。
表 1 雇用ルールと国別のパターン
タイトル(柱)
生涯学習とキャリアデザイン - 7 - 長期的な雇用関係をベースにした育成のあり方に 影響を及ぼし人材育成という観点から問題が生じ る可能性がある。もう一つは、人事部門が強い人 事権を発動することにより組織全体の最適化を実 現できていたとするなら、現場や従業員の発言権 を高めることで全体最適が阻害される可能性があ る。ダイバーシティ経営の定着のために人事制度 を見直す上で、この2つの課題への対処を併せて 検討する必要がある。
3 ドイツ・スイスの企業の人事管理
人事管理において人事部門の役割が大きい日 本企業と比べて、欧米の企業では、上述のように 現場の管理職により強い権限を与えているとされ ている。本研究ではドイツ、スイス企業にヒアリ ング調査を実施しており、これらの国の人事管理 にはどのような特徴があるのかについて概観して おきたい。なお、スイスに関しては情報が限定的 であり、以下ではドイツを取り上げる。
まず、欧米といっても、そこには多様性がある ことが指摘されており、その代表的な主張が Marsden(1999)である。雇用システムの地域や 国 に よ る 多 様 性 を 理 論 的 に モ デ ル 化 し た Marsdenは、4つのシステムを理念的に導出して 4つの類型に分類して実証分析を行っている。こ の議論を簡潔に紹介したい。
雇用関係の重要な特徴として、雇用契約時に契 約内容が明確にはならず、働き始めてから職務内 容などが決定されるという特徴があげられる。つ まり、労働者が雇用された時点ではどのような仕 事が必要になるのか
を明確に知ることは できないために、「労 働者はある限定され た範囲内で自分たち の業務を特定化する 権限を経営者に与え ることに合意」し、そ の範囲内で経営者は 仕事の配置を決定す
ることになる。経営環境の変化に合わせて雇用の 柔軟性を維持したいという経営者側のニーズに対 して、労働者は経営者の無制限な権限を許容する ことはできないため、それをコントロールする必 要がある。この不完備契約を前提にして、どのよ うに職務を設計するのが効率的かというという
「効率性」と、必要な仕事をどのように従業員に 配分すれば従業員に受け入れられるのかという
「履行可能性」、この2つの次元を設定し、それぞ れに2つのタイプを設定することで、4つのタイ プを設定した(表1)。
4つのタイプの中で、日本の雇用システムは「職 能ルール」とされ、職務と個人との対応に高い柔 軟性(機能的柔軟性)があり、かつ組織の職務設 計に合わせて労働者の技能形成が行われ、内部労 働市場が発達している。一方でドイツは「資格ル ール」とされ、職務と個人との対応には適度な柔 軟性を持たせつつ、労働者の技能資格を重視した 職務設計が行われている。日本とドイツは、職種 の範囲を広げて機能的柔軟性を高めている点で共 通するが、職務設計において人をベースにするか
(ドイツ)、仕事をベースにするか(日本)という 違いがある。ドイツでは、機能柔軟性を技能資格 によりコントロールすることで職種の自律性や責 任が維持されているのに対して、日本は集団的な 管理や業績管理が行われることにつながるとする。
ドイツの労働市場の特徴としては、「中心的な 労働市場は職業別労働市場であり外部移動を前提 として」おり、「一社に依存しない技能形成を通じ て労働者の自由を守る」ことが基本にあるとされ
表 1 雇用ルールと国別のパターン
出所:Marsden(1999)より。
履行可能性の制約 生産アプローチ 訓練アプローチ 業務優先アプローチ 「職務」ルール 「職域」・「職種」ルール
アメリカ、フランス イギリス 機能・手続き優先アプローチ 「職能」ルール 「資格」ルール
日本 ドイツ
効率性の制約
出所:Marsden(1999)より。
4つのタイプの中で、日本の雇用システムは「職 能ルール」とされ、職務と個人との対応に高い柔 軟性(機能的柔軟性)があり、かつ組織の職務設 計に合わせて労働者の技能形成が行われ、内部労 働市場が発達している。一方でドイツは「資格ルー ル」とされ、職務と個人との対応には適度な柔軟 性を持たせつつ、労働者の技能資格を重視した職 務設計が行われている。日本とドイツは、職種の 範囲を広げて機能的柔軟性を高めている点で共通 するが、職務設計において人をベースにするか(ド イツ)、仕事をベースにするか(日本)という違 いがある。ドイツでは、機能柔軟性を技能資格に よりコントロールすることで職種の自律性や責任 が維持されているのに対して、日本は集団的な管 理や業績管理が行われることにつながるとする。
ドイツの労働市場の特徴としては、「中心的な 労働市場は職業別労働市場であり外部移動を前提 として」おり、「一社に依存しない技能形成を通 じて労働者の自由を守る」ことが基本にあるとさ れている(山内 2019a)。ただし、大企業に関 してみると、「高度専門職に対しては(中略)、長 期雇用を原則とする人的資源管理の原則で活動を 続け、実際に成功している」(石塚 2016)、「企 業は長期雇用慣行を強め、企業内労働市場のフレ キシビリティを活用しようとしている」(ハイン リッヒ 2018)、というように、内部労働市場を 通じた育成機能の重要性も指摘されている。
それでは、ドイツの企業ではどのようなキャリ ア形成が行われているのであろうか。
部課長層ホワイトカラーのキャリア形成につい て日独米の比較を行った佐藤(2002)は、日本 に比べたドイツの特徴として、転職経験者が多い こと、特定の職能分野での経験が長くキャリアの 幅が限定的であること、幹部候補者の選抜が早い 段階で行われること、をあげている。
佐藤(2014)は、日本の雇用の特徴を「無限 定雇用」にあるとして、欧米の「限定雇用」との 比較検討を行った研究2を総括して、欧米企業は
「企業内の異動について、会社が包括的な人事権 を持って実施するのでなく、従業員の同意が必要
なことも明らかになった。社内公募や会社提案に よる異動のいずれにしても、企業内における従業 員のキャリア形成は、従業員の自己選択によって いる。この点は、日本企業の雇用制度との大きな 違いと言えよう」としている。
以上の佐藤が総括した一連の研究で、ドイツの 雇用制度や働き方の特徴についての事例報告をま とめた島貫(2014)3は、ドイツの特徴として、「雇 用契約書に職務や勤務地が限定されているという 点で『限定雇用』の特徴を持つものの、人事異動 や解雇の可能性、採用などにおいて『無限定雇用』
に近い」と総括している。その上で、採用や異動 に関し、以下の特徴点をあげている。まず、大卒 ホワイトカラーの採用は、経験者の中途採用と新 規学卒者の採用が併用されるが、新卒者について 日本のような一括採用慣行はない。大卒ホワイト カラーのキャリア開発は、組織階層の管理職層へ のキャリアが中心となるが、特定の機能や分野で 活躍する専門家のキャリアも重視するようになっ てきている。キャリア開発においては、上司が部 下の採用や能力開発に責任を持っており、従業員 の配属や異動についても上司が主導し、人事部門 は法的な観点など人事異動に際して必要な手続き を提供する役割にとどまる。異動の際には従業員 と事業所委員会4の事前同意を得る必要がある。
人事異動を柔軟に行うために、部署や勤務地の異 動可能性を雇用契約書に予め明記しておくという 対応が行われている。また、従業員の同意を得る ための取り組みとして、従業員の能力開発につな がるような人事異動案を提示したり、海外赴任や 単身赴任の際には特別手当を提供するなどのイン センティブを提示する。管理職の登用にあたって は、内部昇進が優先されるが、上位のポジション になると、社内のみで適任者を見つけられないこ とが多くなり、外部採用が多くなる傾向がある。
ドイツにおけるキャリア形成について紹介した
山内(2019b)によると、入職の経路は多様であ
るが、基本には専門性や実践的な職務知識が重視 されることが共通にあるという。採用のプロセス としては、空いているポストに直接応募する「ダ
143 ダイバーシティ推進におけるキャリア管理の課題
イレクトエントリー」が一般的な方法であり、新 卒者においてもこうした経路で入職するケースが 多いとされている。キャリアパスは、専門性を重 視する「煙突型キャリア」という特徴があるが、
英米に比べると幅広い技能の獲得が重視され、と りわけ上位役職者にはより広い職務経験と管理能 力が求められる。山内(2019a)では、「日本の 労働者の長期雇用は企業が労働者を解雇しないた め、ドイツの労働者の長期雇用は労働者が企業を 見捨てないため」というStreekの著書からの引 用を紹介しているが、両国のキャリアについての 考え方の違いがこの言葉に象徴されている。
ドイツ企業において人事部門がどのような役 割を果たしているのかについて注目した石塚
(2018)によると、人事権はライン管理職が持っ ており、人事部門は社内での人事管理上のサービ スの提供や、経営決定された施策の運用を行う立 場であるとされる。人事部門は、全社的な人事情 報を集中管理し、幹部候補の育成と選抜プロセス に助言を通じて関与する。
以上を総括すると、ドイツでは資格や職務能力 を重視した採用を行いその後も専門性を重視した 育成が行われ、基本的に人事部門の関与は日本企 業に比べると弱い。その分、現場のライン管理職 が人事管理において日本以上に大きな役割を担 い、同時に従業員本人の同意を得ながら異動等の キャリア管理を行っているといえる。ただし、欧 米の中では、職務と個人との対応関係は比較的緩 やかであり、内部での育成、そのための異動経験 を重視する点は日本企業に共通する傾向といえ る。
4 インタビュー調査の概要
(1)調査の目的と方法
本研究では、2(2)で課題提起をしたように、
日本企業がダイバーシティ経営を進める上で人事 管理上の課題が顕在化してきているとの現状認識 に立ち、企業、特に人事部門主導型のキャリア管 理を見直す必要性があるのではないか、との研究
課題を設定した。この課題を検討するために、人 事部門の人事権が相対的に弱く、その意味で現場 の管理職や従業員に異動や育成等キャリア管理の 決定を委ねる傾向が強い欧州の企業の事例調査を 行い、その現状を把握することとした。
具体的には、ダイバーシティ経営に先進的に取 り組み、かつ効率的な働き方を実現して生産性も 高いドイツ・スイスの企業を対象に選定した。両 国の企業では、ダイバーシティ経営という経営戦 略・人事戦略の下で、従業員のキャリア管理がど のように行われ、ダイバーシティ経営の実現・定 着との整合をどのように図っているのか、という 点を明らかにすることが調査の目的である。特に、
日本企業の特徴とされる人事部主導の異動や育成 が、現場の人事権や従業員の意向を反映する方向 性へと転換する際に課題となる、企業からみた長 期的な育成計画や人材配置の組織全体の最適化と いった点について示唆を得ることが一つのポイン トである。
(2)インタビュー調査の対象、内容
以上の調査目的を踏まえ、筆者らは、ドイツ・
スイスに本社をもつ企業計6社の、人事・ダイバー シティ担当者、及び現場のラインマネジャーを対 象とするインタビュー調査を実施した。
インタビューができる対象企業数には制約があ ることから、業種を金融と製造に設定し、いずれ も大企業でグローバルに事業を展開する企業を対 象に調査を行った(表2)。
ドイツ:金融2社、製造2社 表 2 対象企業一覧
タイトル(柱)
生涯学習とキャリアデザイン - 9 - に助言を通じて関与する。
以上を総括すると、ドイツでは資格や職務能力 を重視した採用を行いその後も専門性を重視した 育成が行われ、基本的に人事部門の関与は日本企 業に比べると弱い。その分、現場のライン管理職 が人事管理において日本以上に大きな役割を担い、
同時に従業員本人の同意を得ながら異動等のキャ リア管理を行っているといえる。ただし、欧米の 中では、職務と個人との対応関係は比較的緩やか であり、内部での育成、そのための異動経験を重 視する点は日本企業に共通する傾向といえる。
4 インタビュー調査の概要
(1)調査の目的と方法
本研究では、2(2)で課題提起をしたよう に、日本企業がダイバーシティ経営を進める上で 人事管理上の課題が顕在化してきているとの現状 認識に立ち、企業、特に人事部門主導型のキャリ ア管理、を見直す必要性があるのではないかとの 研究課題を設定した。この課題を検討するため に、人事部門の人事権が相対的に弱く、その意味 で現場の管理職や従業員に異動や育成等キャリア 管理の決定を委ねる傾向が強い欧州の企業の事例 調査を行い、その現状を把握することとした。
具体的には、ダイバーシティ経営に先進的に 取り組み、かつ効率的な働き方を実現して生産性 も高いドイツ・スイスの企業を対象に選定した。
両国の企業では、ダイバーシティ経営という経営 戦略・人事戦略の下で、従業員のキャリア管理が どのように行われ、ダイバーシティマネジメント 経営の実現・定着との整合を図っているのか、と いう点を明らかにすることが調査の目的である。
特に、日本企業の特徴とされる人事部主導の異動 や育成が、現場の人事権や従業員の意向を反映す る方向性へと転換する際に課題となる、企業から みた長期的な育成計画や人材配置の組織全体の最 適化といった点について示唆を得ることが一つの ポイントである。
(2)インタビュー調査の対象、内容
以上の調査目的を踏まえ、筆者らは、ドイ ツ・スイスに本社をもつ企業計6社の、人事・
ダイバーシティ担当者、及び現場のラインマネジ ャーを対象とするインタビュー調査を実施した。
対象企業が少ないことから、業種を金融と製 造に設定し、いずれも大企業でグローバルに事業 を展開する企業を対象に調査を行った(表1)。
ドイツ:金融2社、製造2社 スイツ:金融1社、製造1社
調査期間は、2019年8月26日~9月4日で ある。
表1 対象企業一覧
本研究に関連するヒアリング項目は以下のと おりである。
① 人事・ダイバーシティ担当者に対して
人事関連の基礎情報
ダイバーシティ経営の取り組み状況
人事制度(採用・配置・異動の制度や運 用の実態、評価や管理職昇進のプロセ ス)
人材育成(育成の考え方、人材育成と異 動との関連性、人材育成策)
ダイバーシティ経営推進上の課題
② 現場管理職に対して
管理する部門の基礎情報
採用や異動、育成における自身の役割
部下マネジメントの現状や課題
5
調査結果
(1)ダイバーシティ経営の推進状況
ヒアリング対象企業はすべて、人材の多様性を
企業 国 業種
A社 ドイツ ⾦融
B社 ドイツ ⾦融
C社 ドイツ 製造
D社 ドイツ 製造
E社 スイス ⾦融
F社 スイス 製造
スイツ:金融1社、製造1社5
調査期間は、2019年8月26日〜9月4日である。
本研究に関連するヒアリング項目は以下のとお りである。
①人事・ダイバーシティ担当者に対して
・ 人事関連の基礎情報
・ ダイバーシティ経営の取り組み状況
・ 人事制度(採用・配置・異動の制度や運用の 実態、評価や管理職昇進のプロセス)
・ 人材育成(育成の考え方、人材育成と異動と の関連性、人材育成策)
・ ダイバーシティ経営推進上の課題 ②現場管理職に対して
・ 管理する部門の基礎情報
・ 採用や異動、育成における自身の役割
・ 部下マネジメントの現状や課題
5 調査結果
(1)ダイバーシティ経営の推進状況
ヒアリング対象企業はすべて、人材の多様性を 受容し多様な人材が活躍できるインクルーシブな 職場風土の醸成を、重要な人事政策と位置付けて いる。
その背景としては、スキル重視で人材確保等を 実施すると、国籍や性別、年齢などが多様になる ことは必然であり、多様な人材の能力発揮を進め ることは避けられないと考えられていることがあ る。同時に、顧客やマーケット対応という積極的 な理由からも、多様性を確保することは経営上き わめて重要な戦略と位置付けられ、特に「顧客接 点」の視点が強調される傾向がある。また、金融 業のB社(ドイツ)やE社(スイス)は、2008 年のリーマンショックにより金融業を取り巻く環 境変化が厳しさを増したことが、人材多様性を再 認識する重要な契機になったとしている。金融業 への応募者が減り人材獲得が難しくなったことか ら、自社内の従業員の能力発揮を進めることの重 要度が高まり、女性や高齢者、障害者などに対す るインクルージョンを進める緊急性が高まってき
たとしている。
ダイバーシティ経営の推進体制に関してみる と、本社と事業場等の現場で役割分担が行われて いる。ダイバーシティ経営の理念や全社的な戦略・
目標については、トップマネジメントと協議しな がら全体を統括する本社部門で設計する。それを 踏まえて、本社の担当はエキスパートとして全体 の施策を牽引しつつ、具体的な施策の展開は現場 の対応を重視する。インタビュー対象企業は本社 部門にダイバーシティを推進する専門の組織を置 いているが、事業部や現場レベルでは担当者を決 めて他の業務と兼務となっているケースが多い。
現場の個別対応を重視する背景として、調査対 象企業はいずれもグローバルに展開する企業であ り、人材多様性の力点の置き方が、各国の事情に 応じて異なるという点があげられる。たとえば日 本においてはジェンダー・ダイバーシティの問題 が重要であるが、別の国では国籍や人種が重要で あり、また年齢の多様性が重要な社会もある。し たがって、現場の状況を踏まえた機動的な施策推 進を可能とする体制整備の重要性が認識されてお り、本社部門の戦略をベースにしつつ、国別、事 業別にダイバーシティを推進するセクションや委 員会組織を設置している。
こうしたオフィシャルな組織の他に、従業員が 自主的に立ち上げて参加する従業員のネットワー ク組織(ERG:Employee Resource Groups)が あり、父親の育児、LGBTQなど、具体的なテー マのもとに活動が展開され、そのための経済的・
時間的な支援を企業として実施している。
本社部門と現場との役割分担の例として、B社
(ドイツ、金融)を取り上げる。同社では、取締 役の1名がダイバーシティ推進の責任者となり全 社的なダイバーシティ委員会を取りまとめる。委 員会には各事業部門(法人営業、リテール部門、
IT部門など)の代表が参加し、全体の方向性を 決める。さらに国別にもダイバーシティ委員会を 置き、それぞれが必要な施策を展開する。たとえ ば、アメリカではセクシュアル・ハラスメント対 応が重視される、一方でドイツでは人口高齢化に
145 ダイバーシティ推進におけるキャリア管理の課題
伴い介護問題を取り上げる、というように、具体 的な課題設定を行いつつダイバーシティ経営を進 めている。人事部門にダイバーシティ戦略を統括 する部門があり、ここで全社的なダイバーシティ 推進を展開する。
ヒアリング企業におけるダイバーシティ推進の 力点の置き方は、ドイツ企業とスイス企業では若 干状況が異なっている。
ドイツの企業では、ジェンダー・ダイバーシティ の優先度が高い傾向がある。ドイツでは、2016 年1月から施行されたいわゆる「女性クオータ 法」により、大手企業108社に対して監査役会6 の女性比率を30%以上とすることが義務付けら れている。また、男女間賃金格差是正を目的に、
2017年に「賃金構造の透明化促進法」が施行さ れ、従業員200人以上の企業に対して、従業員の 要請があれば、同一(または同等)の仕事に就く 異性の労働者の賃金情報を開示することを義務付 けた7。ドイツでは、欧州の中でも男女間賃金格 差が比較的大きいなど、雇用における女性の状況 への課題意識があることから近年こうした法律の 制定が行われており、これが企業の女性の管理職 登用等への意識を高めていることが考えられる。
B社(ドイツ、金融)では、かつては管理職の ほとんどが男性であったことを課題視し、1990 年代から男女の機会均等を進める部署を設置 し、管理職に占める女性比率の数値目標(2015 年までに30%)を掲げて管理職登用を進めてき た。すでに目標を達成しており、現在は次の目標
(2021年までに35%)を設定している。
同様に、D社(ドイツ、製造)では、2020年 までに管理職の女性比率を20%にすることを目 標にしている8。この目標は2005年に設定した が、当時の比率は5%であった。当時、多くの男 性管理職は、ダイバーシティを特別に意識して推 進しなくても女性の登用は自然に進むだろうとい う意見だった。しかし、当時の実績をベースにシ ミュレーションを行った結果、管理職の女性比率 が20%に到達するのは2069年までかかることが わかり、そのデータをもとに経営層の男性管理職
に説明し、1年ごとに1%ずつ上げていくことで 合意が得られ、2020年20%という数値目標を設 定した。同社では2005年以降、女性の能力発揮 をダイバーシティ推進策の中で重点化して集中的 に取り組んできている。女性の管理職登用に関す る進捗状況は、経営メンバーの評価項目に含めて おり、給与にも反映される。2年前まではライン マネジャーの評価項目にも女性活躍推進への貢献 が入っていたが、現在は部門の女性の昇進状況を 経営メンバーに報告することとし、それが管理職 層が取り組むプレッシャーとなっている。
一方スイスでは、政治・地理的な特性から、多 様な国籍の従業員がおり、文化や言語も多様であ る。スイスでは、ジェンダー・ダイバーシティに 加えて、国籍や年齢の多様性が重視される傾向が ある。なお、スイスにおいても、2019年に、従 業員250人以上の上場企業において、今後5年間 で取締役員の30%、10年間で執行役員の20%が 女性となるよう求める法律が成立するなど、女性 の登用において法制度の対応が行われており、女 性の活躍は重要なテーマであるが、それ以外の多 様性も重視されている。
E社(スイス、金融)は、国籍の多様性から外 国人の受容を重視してきたものの、かつてはダイ バーシティ推進について強く意識してはいなかっ た。しかし、リーマンショックを契機に金融機関 として社会にどう貢献できるか、という原点に立 ち戻ることになり、多様な人材を適切に管理して いくことで成果が上がると考え、多様な人材のイ ンテグレートに社内が注目するようになった。同 社では、女性の活躍を重視しているが、その背景 として、家計の資産運用において女性の発言権が 大きいことをあげている。
F社(スイス、製造)は、スイスの政治・地理 的な特性から、職場の従業員の国籍は実に多様で、
文化や言語も多様である。さらに、同社では製品 開発のための研究部門を重視しており、ビジネス 実施上のスキルの多様性を重視する傾向がある。
同社のダイバーシティ推進の組織は、個々人の能 力を活かしスキルの多様性を目指し、社内風土の
改革の必要性を強調する。
(2)採用プロセス
採用に関しては、3でみたように、日本の新卒 一括採用の仕組みはない。基本的に必要な人材を 適宜採用していく、という方式である。募集の仕 方は、社内公募と一般公募の両方で実施されるの が一般的である。
ドイツの企業は、空きポストが出た場合には、
まず一般公募に先立ち社内公募を実施し、社内で 最適な人材を探し、それで対応できない場合に外 部採用が検討される。一方スイスの企業は、採用 が必要になった場合には、社内と社外に同時に募 集を行う。スイスの企業では、社内を優先すると いう考え方は聞かれなかった。ドイツでは、内部 育成を重視する傾向があり、育成した人材のリテ ンションも重視していることから、まずは社内で 人材を求めるという方式が選択されているものと みられる。
たとえばA社(ドイツ、金融)は、ドイツ国 内に関してみると、空きポストの65%が社内か らの応募者により対応したという実績を紹介して いる。
採用決定のプロセスにおいて、人事部門と現場 の関係は以下のとおりである。
ヒアリング対象企業は、採用の権限は各部門に あるとしている。募集するポストのランクにより、
決定のレベルは異なるが、採用権限を持つのは各 事業部や各部門の管理職である。人事部門は募集 方法のアドバイス、面接に同席して意見を述べる ことはあるが、採用決定の最終権限は現場管理職 にある。
採用は能力重視で決定されることが基本である が、そのプロセスにおいてダイバーシティ推進の 観点から何らかのバイアスがかかっていないか、
という点には注意が払われる。現場のマネジャー が自分に類似しているタイプの人材を採用しがち な傾向を排除するために、人事部門として客観的 なデータを示しながら、多様性確保を阻害するバ イアスの排除に努める取り組みなどが行われてい
る。
D社(ドイツ、製造)は、前述のように女性の 管理職登用を数値目標を掲げて取り組んでいるた め、タレント人材において一定数の女性比率を維 持することを重視している。このため、採用者に おける女性比率を意識しており、たとえば大卒者 の採用においては、大学でのイベントを通して女 性の応募を促している。製造業の同社では、エン ジニア職応募者の母集団に女性が少ないことを課 題視しており、女性の採用を増やすことに関して は人事部門の関与を高めている状況にある。
E社(スイス、金融)は、社内公募にあたっては、
①「勤務時間80−100%」を含めて募集すること、
②シニアマネジメント以上のポジションでの面接 には必ず女性を含めること、というルールを決め、
育児等で短時間勤務をしているケースを含めて女 性の採用機会を担保することを推奨している。
現場の管理職に対するインタビュー調査から は、自分のチームを強化するためにスキルの多様 性の確保を重視している、という発言が多く出て いる。今回インタビューを実施した管理職が企業 から推薦された対象者であることから、ダイバー シティ経営に理解がある管理職という特徴がある が、現場でチームメンバー組成におけるダイバー シティを意識した取り組みが実践されているとい える。
(3)配置、異動
いずれの企業も定期異動の仕組みはない。前述 のように、空きポストが出た場合には社内公募や FA制度を通して補充が行われ、これにより異動 が行われることになる。それ以外にも、従業員の 希望、あるいは人材育成という組織的な要請か ら、適宜異動が行われる。その場合、従業員個人 の希望や同意の有無が確認される仕組みとなって いる。各社とも近年は事業再編を積極化させてお り、それに対応した配置転換も増えてきていると いう。
なお、A社(ドイツ、金融)では、10年ほど 前まで、個人顧客対応の部門で、癒着・不正防止
147 ダイバーシティ推進におけるキャリア管理の課題
のために2〜4年で定期的に職場を変える仕組み を導入していたという。しかし、顧客側から担当 者が変わることへの不満がでてくる、勤務地の変 更を伴う異動により家族や友人等の人間関係の構 築が難しくなる、等のデメリットが顕在化し、特 に後者の問題に関連して地方銀行への転職という 状況も発生してきた。そこで、人事部門と上司が 個々の従業員の希望を聞きながら育成プランを作 成し、それをベースにした異動を行うようにした という。顧客との癒着防止については、異動に 解決策を求めるのではなく、社内で別の担当が チェックする体制を整備することによって解決を 図った。結果として顧客満足度は向上し、人材の 定着にもつながっている。
社内公募により応募者を受け入れるかどうかの 判断にあたっては、募集部門と人事部門で議論を して、最終的には募集部門のラインマネジャーが 異動の可否を決定する。社内公募の問題として、
送り出す部門の上司が人材を抱え込む懸念がある ため、応募者は自由に応募できる仕組みとしてお り、決定までは所属部門の上司に情報が漏れない ようにしている。
ただし、従業員個人の希望や意思にのみ委ねる と後述するように育成面での問題にもつながるこ とから、組織として一定の関与を行っている。
B社(ドイツ、金融)は、新卒の入社者に対し ては、2年間のトレーニングプログラムを適用し ており、その過程で海外赴任も含めて必要な仕事 経験を積ませる。それ以外の異動については、基 本的には本人の希望が前提となる。ただし、異動 は仕事の経験の幅を広げることにもなるので、組 織としても一つの部門に長期間とどまらずに他の 部門に異動することを推奨している。また、海外 赴任についても当然のことながら本人の希望が前 提となるが、海外赴任の経験は後のキャリアアッ プにつながる面が大きいと考えられている。
C社(ドイツ、製造)では、以前は上司が随 時部下の希望を聞きながら個別対応をしていた が、現在は、異動やキャリアに関して上司が部下 の希望を聞く仕組みを作り、それを組織全体とし
てデータ化して配置を検討する際の参考にしてい る。同社は、人事部門において長期間同じ職務・
職位に就いている者をチェックしており、7〜8 年以上異動していない場合には、当該従業員の上 司と異動の可能性を検討する。ただし、本人の意 向を尊重することが基本であり、たとえば空いた ポジションへの異動を打診する際にも、本人の意 向を確認しながら希望に沿った配置になるよう配 慮する。本人の意向を確認する理由としては定着 促進がある。同社では、異動希望に関して、希望 する職種や職場のみならず、「地域定着型」「昇進 志向型」などのキャリア展望や、いつ頃職場や職 位を変えたいのかという時期についても確認して いる。
D社(ドイツ、製造)でも、上司が中長期的 な育成という観点から部下に異動を提案すること があるが、部下本人にはその提案を拒否する権利 がある。勤務地が希望に合わない場合には、役割 や部署を変えることで育成につながる可能性もあ り、そうした話し合いが上司との間で行われる。
ただし、上司の提案を何度も断っていると昇進の チャンスは狭まってくるとの指摘もある。管理職 層への昇進のスピードは個人差があるが、一般に 同じ仕事を長期間継続していると昇進は難しくな り、多様な仕事経験がある方が評価される傾向が あるという。
F社(スイス、製造)は、組織的にタレント人 材の評価レビューを実施している。一定の職位以 上のマネジャー層に関しては、転勤の可能性やそ の範囲について把握しており、その希望を踏まえ て異動の打診を行う。異動する場合には本人同意 が前提となり、拒否すれば異動はさせないことと している。
社内公募の利用に関する男女差についての指摘 もある。C社(ドイツ、製造)の人事部門のマネ ジャーは「部下のキャリア形成においては、多様 な部門を経験することが重要だと考えており、部 下にも多くの業務を経験することを推奨してい る。男性は50%しかできなくても自身の能力が あることをアピールしてくる傾向があるが、女